“eikyō influencias japonesas”(『eikyō ―日本の影響―』)2019年春号 vol.33 掲載
ハイメ・ロメロ・レオ 筆
スペインの熱情 ―― 戸嶋靖昌の絵筆から
時につけ、他者の眼差しほど、よく姿を映し出す鏡はない。特に芸術においては、その「他者」がどのように我々を見つめ、何を汲み取り、それをどのように写し出したかを観察することによって、我々自身の価値観について思い起こすことができる。まさに戸嶋の作品は、日本人にも、またスペイン人にも多くの示唆を与えてくれるのだ。
戸嶋の作品を観ると、彼がいかにスペインに憧れを持ち、魅了されていたかということに思いを馳せることができる。彼の残した手紙を読むと、スペインの人びと、その思想、芸術家たちに対して愛を持つようになった理由がよく伝わってくるのだ。我々は日本へ渡った、もしくは日本の芸術に影響を受けたヨーロッパ人たちの話を聞くことはしばしばあるが、今回は逆を辿ってみよう。
戸嶋はスペインに1974年に到着し、それから30年近くを過ごす。その後、彼が気に入ったグラナダの通りに住まい、一つのスペイン(※)から移行期にあった当時の人びとからは、「小さな日本人」(ハポネシート)という愛称で呼ばれた。アジア系の人びとがスペインで多く見られるようになるにはまだ時代が早かったため、戸嶋の渡西はかなり珍しいことだっただろう。画家は質素な生活を送り、全てを芸術に捧げた。理想を夢みて、自分の絵を売ることはしなかった。妻が日本から仕送りをし、スペインで簡素な制作生活を続けることができた。そして晩年には執行草舟という芸術の理解者を得たのだ。こうして、戸嶋は己れのために、己れによって画業を続けたのだ。この日本人画家は真実を追求する思索として、世界を知るための一つの形を絵画で表わした。スペインはこの思索を行なうための場となった。画家はこう認めた。「僕はこのスペインを愛しています。だから僕から努力をして地面の触覚を我が物としなければなりません。芸術は内在する力だと思います。そこにはウソがないと思います」。
戸嶋の哲学的示唆のうちでも特に際立っているのが、ウナムーノとその作品『生の悲劇的感情』であり、彼の絵画作品によくそれが表われている。ベラスケスとゴヤを見つめ、これらの巨匠が高い位置を占めていた。まさに、戸嶋が描いた多くの肖像画のなかに、ゴヤの黒の筆致を見とめる者は少なくないだろう。
戸嶋はその絵画の中で、共通する、日常のスペインに対する眼差しを向けている。名も無き人びと、日々移りゆく日常の風景などである。ある時、「見捨てられたものの中に、美しいものがあるのだ」と書き残した。戸嶋の選んだモチーフとその表現は、確かに、穏やかなメランコリーからは切り離され、戸嶋がよく使う筆致のように曇っている。
この日常性、メランコリーそして曇った独特の筆致の共生は、「孤高のリアリズム」と名づけられている。その意義は戸嶋自身の手紙に、完璧なまでに明らかにされている。「この村全体をモデルにしてレアルに描きたく思います。しかし細部にこだわったレアルさではなく、自然の中の重みみたいなレアルさを僕は探しています」。戸嶋が見つけようとしていたリアリティは実に、ものの内側にある何かだった。これはまさに、灰色の、どんよりとした、黒みがかった雲の間に、我々がその輪郭をうすぼんやりと捉えるに従い、うねりながら形が現われ、姿を得ていくときの印象である。孤独、静寂、そして「真実」――それぞれに横たわるリアリティの真実――を明らめるのだ。
この興味深い画家の作品を楽しみたいなら、運良く2006年に執行草舟が800点以上の戸嶋靖昌の作品を集め、戸嶋靖昌記念館を設立した。東京都心の一角でスペインと日本が手を取り合っている。
(※)1975年にフランコの死を持ち独裁政権が終わったため、「一つのスペイン」というフランコによる統一スペインは終焉を迎えた。
p.53 キャプション:
この日常性、メランコリーそして曇った独特の筆致の共生は、「孤高のリアリズム」と名づけられている。
掲載作品
p.52 ひとの象(かたち)―バレリーの像―
p.53 黒のミゲール(上段左)/ロペスの像(上段右)/カテドラル素描(下段左)/
グラナダの幾何学(下段右)