サラマンカ地方紙:ラ・ガセタ紙 5月18日(金)掲載
ベラスケスのように描き、ウナムーノを絶えず読んだ日本人画家 戸嶋靖昌
―日西文化センターで6月15日まで
戸嶋の画業を支える執行草舟に憧れを抱かせた作品を展示 (サラマンカ)
ベゴーニャ.F. O筆
戸嶋靖昌は1974年に渡西、フランコの死後、民主主義へと移行していく時代に生きることとなった。その社会的変化が、人びとの表情へも変化をもたらした。私たちの国で30年近く暮らしたが、ベラスケスに魅かれただけでなく、ミゲール・デ・ウナムーノにも魅かれ著作を絶えず読んでいたという。
現実には1970年代には既に、ウナムーノの作品は日本で読まれていた。サラマンカの総長だったウナムーノの作品は素晴らしい翻訳によって、日本で入手することができたのだと、日西文化センターで見ることのできる、この驚くべき展覧会の学芸員安倍三﨑氏は説明する。戸嶋は道で出会った人々の肖像画を主に制作した。そして、6月15日まで開館されているこの展覧会が示している通り、ベラスケスに大きな影響を受けていることが見て取れる。「共通する情を肖像に描きたい…人間の魂を描きたい」と72歳で亡くなった画家は言っていた。
実業家の執行草舟(1950年生まれ)は、自身も著述家、歌人であり多才な人物だが、戸嶋の作品と画家自身に人物として惚れ込み、戸嶋靖昌記念館を設立するまでに至る。実業家と画家はウナムーノへの憧れという情感を共にしていた。「我々は出会いと共に意気投合し」と執行草舟は展覧会の図録に書いている。そして、「百年の知己」となったと。「ウナムーノの『生の悲劇的感情』に対する二人のもつ畏敬が、共感の渦を巻き起こしていたのである。私は戸嶋の芸術の中に、ドン・キホーテの騎士道を感じていたのだ。それは、ウナムーノ自身の騎士道でもある。ウナムーノから与えられた情熱が、我々の友情を育み、戸嶋の死後、その記念館をこの世に生み出した。この記念館はウナムーノから与えられたものだと思っている。永遠を求め、苦悩をつんざくその情熱が生み出したものだと私は考えているのだ」と、執行氏は結ぶ。展覧会では、戸嶋の最も代表的な作品とウナムーノの文章が組み合わされ展示されている。