執行草舟が長年に渡り蒐集してきた草舟コレクションのなかでも、特に深い憧憬の思いから集められたと言えるのが安田靫彦の作品です。執行草舟が初めて安田靫彦の作品に相対したのは、奈良へ出向いた折に目にした「大伴家持」や「人磨」の像であり、その後の蒐集のきっかけとなる邂逅でした。紅の衣を纏い仄かに浮ぶ家持の存在感と、人磨らしさのにじみでる人物画の表情に魅せられたときから、靫彦の作品に対する尽きせぬ愛着と興味がわき上がり、珠玉のような出会いが次々と訪れるようになりました。現在では多彩な作品が所蔵され、安田靫彦は草舟コレクションの基軸の一つとなっています。
執行草舟にとって作品との対峙は、安田靫彦とともに日本の歴史そのものを見つめることを意味し、過去の偉人たちの魂とも言うべき生命が息を吹き返し、語りかけて来ると言います。靫彦が生涯に渡って絵を描き続ける姿勢を、常を養う人生観として捉え、靫彦という人物の生き方そのものと、絵のもつ「みやび」と「もののあはれ」という日本文化の中枢を、後世に伝えることが執行草舟の志なのです。以下、執行草舟が今まで執筆した安田靫彦へ捧げる文を抜粋し本展覧会の紹介とさせていただきます。
―――私にとって、靫彦は物ではない。それは、私の近くにあって、動き呼吸をする、一つの生命として存在している。つまり、生きているのだ。このような存在の仕方をする日本画を、私は靫彦のほかに知らない。
―――私が靫彦を鑑賞すると云う意味は、靫彦の作品と私との間の友情を育むと云う意味なのである。そう云う心で靫彦の作品群と接していると、靫彦の本当の懐の深さ、骨太さ、男らしさ、温かさというものをひしひしと感じさせられる様に成る。
―――靫彦は、もののあはれを、主に線で現していると思う。そして、みやびを色彩が司っていると私は感ずる。この二つは、紙や絹の中に、舞いて交わる。その降り紛う姿や、またよし。
―――靫彦の作品は、あるのではない。いるのだ。私のために、いつでも側にいてくれる。そして靫彦は、日本の心を求める人々のために、いつでも側にいる。