第12回「美にとって、義とは何か ―草舟コレクション―」展
「憂国の芸術」について
展覧会パネル文章
私は、自らのコレクションを「憂国の芸術」と名づけている。それは、私が芸術の淵源を見つめようとしているからに他ならない。つまり、私は文明がもつ「呻吟する魂」を見ようとしているのだ。国を憂い、友を憂い、人類の未来を憂える。そこに、呻吟する魂の本質がある。その魂の発露が、真の芸術を生み出すのだ。芸術を支えているものは、その魂から滴る涙の他にはない。それが表出されたものだけを、私は芸術と呼ぶ。憂国の芸術とは、それを言っている。ひとつの民族に生まれた者は、その民族の由来にしたがって呻吟するのだ。そのゆえに、呻吟する魂は必ず憂国の涙を伴う。この呻きが、「義」を求めるのだろう。義は、文明の雄叫びである。だからこそ、義だけが、芸術に「憧れ」をもたらすことが出来るのだ。義は、芸術を生み出す根源的実在をこの世に送り続けているに違いない。
執行草舟
- 〈展覧会 案内葉書〉「益荒男」 安田靫彦 画
- 〈展覧会イメージ作品〉「喝」 道重信教
- 〈展覧会名〉
- 第12回「美にとって、義とは何か ―草舟コレクション―」展
- 〈会期〉
- 2015年5月18日~9月26日
- 〈概要〉
- 「義ならざるものは 結局 美ではない」とは、高村光太郎がしたためた言葉ですが、この言葉に出会った執行草舟は自身がコレクションしてきた思想そのものを現した高村の肉筆に感動を覚えます。書画であって、書画でない。美術であって美術でない。その奥に激動する「義」が草舟コレクションの生命を動かしているのです。今回は「義に貫かれた美」を主題に、様々な作品をご紹介します。