天と
虚空が迫って来る。それは、無限への放射を終えて、いま凱旋するのだ。
一つ目の男が、それを見つめる。神殿の奥で、その目は永遠を凝視しているに違いない。天空の鳥居が、最後の舞踏を繰り広げるとき、ひとつの戦いが終わるだろう。きょうも、平野は「神聖」を見つめているのだ。生命の悲哀を葬るかのように見える。ここにこそ、戸嶋絵画の葬送の調べがあるのだ。
地と
聖なるものには、神秘がある。神の涙が、そこに潜んでいるに違いないのだ。カルメン・デ・ラ・ヴィクトリアの悲痛が、戸嶋靖昌の脳髄を打ち砕いている。ここには、グラナダのあの発祥がある。そして、ひとつの生命の終焉がある。戸嶋は、ただ哭いているのだ。
無と
無が、分泌している。人間の精神が立つとき、虚無もその姿を現わすのである。何ものでもないものが、この世に出現するのだ。我々は、それを無と名付けた。名付けることによって、その存在が人類に向かって分泌されたと言えよう。無が立って、我々は文明を始めたのであろう。
執行草舟