第22回「余白の美」展
余白の美
展覧会パネル文章
日本の美は、その余白において価値の実存が問われている。美の実体が、非存在の奥底に存するのだ。世界の中で、これほどに日本を極立たせている特徴は他にない。実在そのものには価値を見ない。それが、この民族の歴史を貫く無常観によって醸成されて来たことは、言をまたないだろう。我々の祖先たちは、物質そのものを重んじなかった。物質の表面に、人間としての美を見ることがなかった。日本の詩歌は、その余韻の中に生命力の躍動を感じていた。また日本の音楽は、音そのものではなく、音と音の間に謡らぐ「沈黙」の中に音楽美を聴いていたのだ。そして終にその書画は、書かざるものの上に、美の存在の律動を刻した。それは、あのロラン・バルトが「零度のエクリチュール」と呼んだものに違いない。白のエクリチュールだ。つまり無の叫びを表わす刻印である。
執行草舟
- 〈展覧会 案内葉書〉「棒図」部分 中原南天棒
- 〈展覧会イメージ作品〉「古代文字」部分 山口長男 画
- 〈展覧会名〉
- 第22回「時の在る風景-永遠をつなぐ-余白の美」展
- 〈会期〉
- 2020年4月20日~7月4日
- 〈概要〉
- 余白とは一見、何も描かれていないように見えて、描かない白の沈黙によって描くということを表現しているのではないでしょうか。今回の展示では、南天棒の禅書画を始め、執行草舟コレクションの中でも、日本の独特の美意識でもある余白の際立つ作品に焦点を当てます。描かれないことは描くこと、白は黒の世界をお楽しみください。