ウナムーノを愛する心が、私と戸嶋靖昌を結びつけたのだ。私は事業家であり、戸嶋は画家であった。別々の人生を生きて来た二人の人間が、互いに惹かれ合うものによって固い友情を結んだのである。そこには、同じ苦悩と同じ喜びが共存していた。人間として、何ものかを貫くための「涙」が、その友情の柱として屹立していたのだ。二人の男は、人生を語り、芸術を論じ、人類の使命について意見を闘わせていた。人間がもつ崇高と悲惨を語り明かしていたのだ。私は戸嶋を桁違いの芸術家として尊敬した。戸嶋は私の信念に男としての深い共感を示してくれていた。我々の人生におけるこの邂逅が、「何ものか」を生み出す予感を二人は感じていたのである。
我々は、出会いと共に意気投合し、「百年の知己」と成った。ウナムーノの『生の悲劇的感情』に対する二人のもつ畏敬が、共感の渦を巻き起こしていたのである。我々は共に、ウナムーノから力をもらうことによって立ち上がって来た。その著作が、信念を貫く人生を歩もうとする二人に出会いの場を提供したのだ。スペインの芸術に魅了されていた戸嶋は、ウナムーノの中にスペインの最良の魂を見出していた。苦悩をつんざいて生まれ出づるスペインの魂を、戸嶋は描きたいと願った。私はその戸嶋の芸術の中に、ドン・キホーテの騎士道を感じていたのだ。それは、ウナムーノ自身の騎士道でもある。ウナムーノから与えられた情熱が、我々の友情を育み、戸嶋の死後、その記念館をこの世に生み出した。この記念館は、ウナムーノから与えられたものだと思っている。永遠を求め、苦悩をつんざくその情熱が生み出したものだと私は考えているのだ。