ウナムーノには、人間精神の原点がある。それは、永遠を渇望する生命だけに与えられた、一つの苦悩と呼ぶことも出来るだろう。その苦悩が、ウナムーノの存在を際立たせているのだ。その肉と骨から滴る血液が、人類の歩んだ「涙」を表わしていると私は思っている。その人生から湧き上がる雄叫びが、人類の未来を予見していると私は信ずるのだ。ウナムーノとは、人間に与えられた使命を考える上で、必ず通らなければならない「思想」なのである。
ウナムーノは、祖国スペインのためにその生命を捧げていた。スペイン人として生き、スペイン人として苦しみ、そしてスペイン人の幸福の中に死んで行った。ウナムーノは、一般論を嫌っていた。自分自身の宿命を受け止め、自分自身だけの運命を生き切ったのである。そして、その自己自身の肉と骨の呻吟を、偉大な哲学へと発展させた。その哲学は、あまりにも自立的であり個別的である。しかしそれが、逆に世界的普遍性を持つ哲学のいわれなのだ。
日本は、何度かに亘ってウナムーノを受け入れて来た。その歴史は、日本人が自己を失う危険に晒された時期と符合している。しかし、その時期は短く、また間歇的であった。いま日本は大いなる岐路に立たされていると私は思っている。歴史的な大転換期になるに違いない。内部が軋んでいるのだ。自壊作用が働き出したように感じている。我々日本人は、いま内部から大きく自己を失おうとしている。だからこそ、いまウナムーノの哲学がいるのだ。ウナムーノの涙に、縋らなければならない時だと思っている。