執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
人間は、幸福になるために生まれて来たのではない。
《 Nous ne sommes pas nés pour le bonheur. 》
私の青春は、恋の苦悩とともに始まり、その悲痛とともに去ったように感じている。恋の苦しみは、私の精神を築き上げた一つの実存に違いない。私の肉体は恋に悶え、精神はその苦痛に哭いていた。文学だけが、私の憧れを受け止めてくれた。その時代、私は純愛の文学を死ぬほどに読んだ。トルストイの『復活』を忘れることが出来ようか。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を抱いて寝たこともある。堀辰雄の『風立ちぬ』の悲恋の中に、私は現世の無常を深く味わったのだ。
その中にあってアンドレ・ジードの『狭き門』は、私の人生に一つの革命をもたらすものだった。主人公アリサとジェロームの純愛の中に、私は人間の運命がもつ無常の航跡を見たのである。それは純愛のもつ高貴性が、それを乗り越えて到達する生命の実存と言ってもいいだろう。
本当の恋が到達する、愛の深淵と言い換えてもいい。恋の苦悩によって、命よりも大切なものを摑む人間がこの世にはいる。恋によって、自我の紅蓮を乗り越える者がいるのだ。冒頭の言葉を語るアリサは、信仰によってそれを成し遂げた。
私は自己の恋愛体験によって、『葉隠』の「忍ぶ恋」の本質を自分なりに摑んだように思う。到達不能の憧れに向かって生きることが、人間生命の実存を強めてくれるのだ。我々の生命の実存は、永遠を求めて呻吟する。我々の求める幸福が何であるのか。私はジードによって教えられた。人間は、幸福になるために生まれたのではない。人間は、他者の幸福を祈るために生まれたのだ。宇宙の根源を恋するために生まれたのだ。私は、そこに生命存在の実存を感じていた。
2019年8月19日