草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 国木田独歩『武蔵野』より

    武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。

  私が子供だった頃、まだ雑司ヶ谷には武蔵野の面影が残っていた。私は目白に近い、雑司ヶ谷六丁目という所に生まれ育った。道はすべて舗装されておらず、家々の庭木は道を暗しと繁っていた。我が家の庭も、多くの木々が繁りその一木一草のすべてが思い出の中に眠っている。幸福だった家族の記憶と共に、その武蔵野の風情は私の人格を作っている。自然と一体の町は、そのすべての道と家々が生命の息吹を教えてくれたのだ。そして町は、永遠に繋がっていた。
  武蔵野に生まれた私は、当然それを愛した。小学校三年のとき、その武蔵野を描いた文学があると知って、すぐに読んだ。私の生まれる前の武蔵野の姿が描かれていた。著者国木田独歩の情感は、私のそれとあまりにも酷似していた。だから私は、時空をつんざいて明治の武蔵野に飛翔できたのである。その時の感動を今も忘れることが出来ない。自分の生まれた故郷が、世界で一番美しくそして神秘的な場所なのだと認識した。その認識は、武蔵野が高度成長に殺されてしまった今も、私の心にはある。
  冒頭の言葉は、子供だった私が最も強く印象に残ったものだ。これが、神秘を湛えていた武蔵野の姿だろう。毎日毎日、探検行に明け暮れていた子供にとって、武蔵野は世界よりも広かった。どこへ行っても、武蔵野は美しかった。道に迷うことそのものが、その一日を忘れ得ぬ日にしてくれたのだ。武蔵野の自然が私の魂を導いてくれた。私はそう思っている。私は武蔵野の自然の中を、遊び回っていた。その楽しかった日々が、私に不撓不屈の精神を与えてくれたと思っている。

2020年12月21日

国木田独歩(1871-1908) 詩人・小説家。初めは新体詩をよく作るが、のち小説に転ずる。ロマン主義的な短編を複数発表した後、自然主義文学の先駆けとしての地位を確立。失恋と貧窮により健康を害し、若くして結核に倒れた。代表作に『武蔵野』、『窮死』等がある。

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