執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
地上に平和をもたらすために、私がきたと思うな。
平和ではなく、剣を投げ込むためにきたのである。
「マタイ伝」のこの言葉は、私の魂を震撼させる思想だった。キリストがこの世に対して放った言葉の中で、キリスト自身の真意を伝える最大のものと思った。これに匹敵するものは、「ルカ伝」十二章四十九~五十一節を除いて他にない。ここが分からなければ、キリスト教は単なる慈善ボランティアに成り下がってしまうだろう。この言葉を私は考え続ける生涯だった。そのことによって、原始キリスト教の清冽とパウロの霊魂を理解することに近づけたと自分では思っている。
私は、この思想を抱き締めて生きて来た。そして、内村鑑三にも出会うことが出来たのだ。マルチン・ブーバーとカール・バルトにも出会えたように思う。それだけではなく、道元とも鑑真とも、この言葉の力によって私は出会ったのだ。この思想を通じて、私は西洋の中世を理解した。あの信仰のために生き、そして死んでいった中世人たちと魂の交流をしたのである。殉教者の心情を自己に重ねることも出来た。キリスト教が、なぜ騎士道を築き上げたかという神秘もここに原因がある。
そして、何よりも私はキリスト教の思想によって、自己の武士道を確立して来た。その原因と出発がキリストのこの言葉なのだ。これを悩み考え続ける苦悩が、人類の本質に向かう人生を創った。宇宙の本源に向かって、それと真っ向から対峙する自己自身を築かなければならない。そうしなければ、キリストの本当の心には近づけないのだ。つまり、人類が生み出した、他の偉大な宗教の核心にも近づけないということに他ならない。
2021年1月4日
掲載箇所(執行草舟著作):『現代の考察』p.31,360、『耆に学ぶ』p.70