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第9回「生の飛躍―明治の芸術― élan vital 」展

展覧会パネル文章

生の飛躍 élan vital ―明治の芸術―

 明治とは、国家の青春を言っているのだ。そこでは、精神の憧れが肉体の命を喰らい尽くしていた。夢が聖で、肉が卑であった。あのベルツは、この奇蹟を「死の跳躍」(サルト・モルターレ)と呼んでいた。真の生命的時間を生み出したこの魂について、そう言い放って憚らなかったのだ。つまり、明治を創った人々は、しくじれば、自らの死を意味する生き方を生き抜いていたのである。だから、その遺物には血の涙が滴っているのだ。その魅力を抱きしめなければ、明治を感ずることは出来ない。明治の愛を受け入れるには、己の卑しさを捨て去らなければならない。そして、ベルグソンの言う「生の飛躍」(élan vital エラン・ヴィタール)へ向かうのだ。この哲学者は、「死の跳躍」を「生の飛躍」と成し、それを宇宙的ロマンティシズムへと拡大した。そして、「生の飛躍とは、死の受容である」ということを我々に示したのだ。

飛躍の時 élan vital

 戸嶋靖昌は、「冬の庭」を死の精神と位置づけていた。それは、ひとりの画家が、己れの名声欲といのちを捨てるために描いたものであった。その時、戸嶋の呻吟と葛藤は、その終末に至らんとしていたのだ。「冬の庭」のレンブラント・ブルーについて、戸嶋は「悲しみの極北を埋葬したのだ」と私に語ったことがある。三島事件が契機になった。死ぬほどに生きた者には、恩寵の時が来るのだ。三島事件によって、戸嶋は名声と物質の空しさを実感した。ここに、すべてを捨て去った戸嶋が誕生したのである。あらゆるものを捨てることによって、自己の命が生き永らえた。「自己」が死んで、真の生命へと飛躍したのだ。戸嶋の精神と肉体は、日本に死んだ。その苦悩の重心を誰が知ろうか。そして、その「実存」の姿が歩き始めた。戸嶋の魂は、グラナダに甦ったのだ。それは、唯ひとり生きる「祈り」の男の姿だった。
執行草舟
  • 〈展覧会 案内葉書〉「自強不息」乃木希典
  • 〈展覧会イメージ作品〉「足を組むピエタ」 戸嶋靖昌 画
〈展覧会名〉
第9回「生の飛躍―明治の芸術― élan vital 」展
常設展:「戸嶋靖昌 ―飛躍の時 élan vital―」展
〈会期〉
2014年4月7日~6月14日
〈概要〉
この度「生の飛躍」をテーマに、明治の情熱を伝える魂の書を展示いたします。東郷平八郎・乃木希典を始めとする、時代を創り上げた人々の熱こもる墨跡から、明治の芸術を辿ります。
戸嶋靖昌は、三島由紀夫の自決事件をきっかけに、画家として大きな転機を迎えます。今回は、戸嶋がスペインへ渡る前の、葛藤と飛躍の時に描かれた作品を中心に展示いたします。

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