生の飛躍 élan vital ―明治の芸術―
明治とは、国家の青春を言っているのだ。そこでは、精神の憧れが肉体の命を喰らい尽くしていた。夢が聖で、肉が卑であった。あのベルツは、この奇蹟を「死の跳躍」(サルト・モルターレ)と呼んでいた。真の生命的時間を生み出したこの魂について、そう言い放って憚らなかったのだ。つまり、明治を創った人々は、しくじれば、自らの死を意味する生き方を生き抜いていたのである。だから、その遺物には血の涙が滴っているのだ。その魅力を抱きしめなければ、明治を感ずることは出来ない。明治の愛を受け入れるには、己の卑しさを捨て去らなければならない。そして、ベルグソンの言う「生の飛躍」(élan vital エラン・ヴィタール)へ向かうのだ。この哲学者は、「死の跳躍」を「生の飛躍」と成し、それを宇宙的ロマンティシズムへと拡大した。そして、「生の飛躍とは、死の受容である」ということを我々に示したのだ。
飛躍の時 élan vital
戸嶋靖昌は、「冬の庭」を死の精神と位置づけていた。それは、ひとりの画家が、己れの名声欲といのちを捨てるために描いたものであった。その時、戸嶋の呻吟と葛藤は、その終末に至らんとしていたのだ。「冬の庭」のレンブラント・ブルーについて、戸嶋は「悲しみの極北を埋葬したのだ」と私に語ったことがある。三島事件が契機になった。死ぬほどに生きた者には、恩寵の時が来るのだ。三島事件によって、戸嶋は名声と物質の空しさを実感した。ここに、すべてを捨て去った戸嶋が誕生したのである。あらゆるものを捨てることによって、自己の命が生き永らえた。「自己」が死んで、真の生命へと飛躍したのだ。戸嶋の精神と肉体は、日本に死んだ。その苦悩の重心を誰が知ろうか。そして、その「実存」の姿が歩き始めた。戸嶋の魂は、グラナダに甦ったのだ。それは、唯ひとり生きる「祈り」の男の姿だった。
執行草舟