戸嶋と私の友情は、革命の精神を生きる生き方によって成り立っていた。それぞれの運命に抗う、反運命の精神である。反運命とは、自己固有の運命に真正面から体当たりすることによってのみ成り立つ。だから反運命とは、未知に覆われた自己の運命を真に愛することに繋がっている。そこから、真の革命が生まれる。そして芸術が、そこに寄り添って来る。アンドレ・マルローは「芸術とは反運命である」と言っていた。戸嶋は自己の運命を本当に愛していた。だからこそ自己に与えられた最期の運命に向かって、魂の戦いを挑もうとしているのだ。
本当の意味で、戸嶋は自己の運命の中に死に切ることを決意した。真の愛を知る者にしか出来ないことだろう。戸嶋の中で、重力からの解放が起こったように見えた。重力によってのみ描き続けた画家から、ひとつの重力が去った。そのとき、戸嶋の生命は新しい未知と遭遇したのだ。それは喪失ではなかった。新たな重力が到来したのである。地上に打ち放たれていたひとつの重力は去った。そして降り下った全く新しい重力が、戸嶋を衝き動かしていた。彼方から来たに違いないその重力は、私にはたおやかに光る革命に思えた。
戸嶋の生き方は崇高だった。いかなる不幸も、戸嶋の魂を打ち砕くことは出来なかった。だからこそ、戸嶋の人生は誰にも分かり得ぬ悲しみを抱えていたのだ。その悲しみが戸嶋と私の友情を育んだ。孤独な魂の邂逅だったのかもしれない。そしていま、戸嶋は確実に飛翔しようとしていた。重力の変換によって、その飛翔は新しい幸福を見出すに違いない。現世において修羅を生きた男は、それゆえにこそ、また救済されるのだろう。戸嶋靖昌の壮大な終末が、間近に迫っていた。