見よ銀幕に

「見よ銀幕に」へ寄せる和歌

映画とは何か。しかり歌である。我が生くる歌である。
歌なればこそ、限りなく美しく、また涯てもなく悲しい。
我が友であり、(いのち)とも(たの)む推奨映画どもへ捧ぐる歌。

コレクションへ寄せる歌二首

はじめに

 天与の恩恵が、私の人生に映画という贈り物を下されたのだと、常日頃から思い続けて今日まで生きて来た。この世に生を享けるとすぐに私は家族の手で映画館に連れて行かれた。映画の好きな家族に依って、暇が出来ると映画館へ連れて行かれたのだ。その様に私にとって映画は人生であるのだ。母に背負われ観た映画の数々、母に手を引かれて観た映画の数々、祖母に抱かれて観た映画の数々、それらが私を創り上げて来たのだ。映画館で食べたお菓子の旨かった事。頭上を通る神の如き光線が銀幕にこの世を写し出す荘厳。銀幕に繰り広げられる「写し世」を観て、人々が笑い、怒り、楽しみ、哀しみ、そして憤りまた泣くその姿を、私はこの身に受けて育まれ成長して来たのである。

 私にとって映画は血であり、肉であり、骨であり、また心なのである。この世を知る前に、私は映画の「写し世」の世界をこの身に宿して大人に成り、今日まで来たのである。映画にはこの世の最も正しい正義が画かれている。映画にはこの世の最も大切な情感(愛情、友情、人情等々)が画かれている。映画にはこの世の最も美しい物が画かれている。映画にはこの世で最も崇高な歴史が画かれている。映画にはこの世で最もすばらしい生き方が画かれているのだ。人が映画を創る時、人はこの世の最も重要な事柄を映画として創っているのだ。人が映画を観る時、だから本当に映画を信じて観なければならぬ。確かにつまらぬ作品もあるが、信ずるに足る作品は枚挙に暇が無い程あるのだ。人が映画を創る心を信ずれば、また自ら信ずるに足る好い作品を自分の目で確かめる力も培われるのだ。私の知性も情感も、その出発点は映画に負っていると言える。

 映画の刺激に依って私は広大なこの世の森羅万象へ、自分の好奇心を押し広げて来たのである。映画に成るこの世というものは、またこの世の中で最も重大な事柄であるから、私は幸運にも、この世の重大な事柄に興味を抱いて成長して来たのだと言える。全て映画のおかげなのである。何と言っても映画は良い。重大な事柄を短時間でまとめてあるので、瑣末的な事が無く、まっ直ぐである。この世の価値のある事柄がまっ直ぐに画かれているのだ。だから映画を地で行くとまっ直ぐに生きられるのである。私にとって映画は血であるから、おかげ様で私も今日までまっ直ぐに生きて来られた。映画とは人生なのである。そう信じて初めて映画の面白さが本当に解かるのだと私は自分の人生を通して断言できる。

 私は映画を親とも思い、友とも思い、また自分であると感じて幼き日より生きて来た。今、私の全人生で観た、真の映画と感ずる作品群を紹介できる事は非常なる喜びである。またそれを秀れた映画であると信じて観て下さる方々の「人生の糧」に必ず成ると私は信じている。映画を愛し続けた男が、観る人の人生に豊かさをもたらす作品であると信じて選んだ作品がこの推奨映画である。独断と偏見で選んでいるが、私が心底感動した作品だけである。どうか皆様も自己の惚れ込む作品に出会っていただきたいと思っています。その思いだけに依って推奨映画群をこの世に生み出したのです。

執行草舟 記

「見よ銀幕に」へ戻る ▶

ページトップへ