見よ銀幕に

著作『見よ銀幕に―草舟推奨映画―』は多くの方にご愛読いただいておりますが、草舟私見を読むことができ、推奨映画を検索できるページができました。最新の推奨映画もタイムリーにお知らせでき、またご興味に合わせて膨大な映画の中から、ワード検索し抽出することができます(例:ルイ・ジューヴェ、愛、陸軍、フランス、母など)。映画のあらすじは本のみの掲載になりますので、ぜひお手元の本と合わせてご活用ください。
(※書籍『見よ銀幕に―草舟推奨映画―』(734本の推奨映画収録)の情報はこちら

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現在の「執行草舟私見」の映画総本数は、820本です。

最新の草舟私見の一覧
復活の日」(2023年12月19日追加)
1950 第一部 鋼の第7中隊 第二部 水門橋決戦」(2023年10月24日追加)
砂の器」(2023年6月10日追加)
超進化論(NHKスペシャル 全3回)」(2023年1月24日追加)
未解決事件 File.09 ―松本清張と帝銀事件― 」(2023年1月4日追加)
離愁 Le Train」(2022年12月28日追加)
ジ・オファー ―ゴッドファーザーに賭けた男― The offer」(2022年12月28日追加)
鎌倉殿の十三人[大河ドラマ]」(2022年12月28日追加)
白鯨との闘い In the Heart of the Sea」(2022年11月1日追加)
カーネーション(NHK連続テレビ小説)〔全151回〕」(2022年10月4日追加)

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  • あゝ江田島

    (1959年、大映) 90分/カラー

    監督:
    村山三男/原作:菊村到/音楽:木下忠司
    出演:
    野口啓二(村瀬真一)、小林勝彦(石川竜太郎)、本郷功次郎(小暮一号生徒)、滝沢修(河村校長)、北原義郎(塚越教官)、菅原謙二(田口教官)、三田村元(佐田中尉)
    内容:
    第二次世界大戦下の日本、広島県江田島にあった帝国海軍兵学校での厳しい訓練を通じて、士官を目指す若者たちが海軍軍人へと成長していく物語。
    草舟私見
    海軍兵学校生徒の生活を通して、規律というものが人間の精神と真の幸福を創り上げていく姿が実に感動的に表現されていると感じる。こういう軍隊の教育を行なうところは私は心底好きです。私はね、規律というものが飯より好きなんです。人間に真の美しさと荘厳さを与え、真の幸福を創り上げる原動力は規律に生きる生き方の中にあると感じますね。規律の中に生きて、それを我がものとしてその中で得る自由が真の自由の幸福感なのだと断言できます。愛情も友情も信頼も、その本質を支える柱は実は規律なのですよ。海兵のものはその点、本当に感動します。米国映画でのウエスト・ポイント陸軍士官学校の物語と対を成していますね。佐田中尉は良い。小暮中尉もまた良い。村瀬生徒も良い。この反骨精神が重要なんですよ。反骨のない人間には真の規律の美はわかりません。反骨精神のない、ふやけた人間に規律を強制すると、つぶれるか杓子定規な人間になるんです。規律が真の価値を発揮するにはその前提として真の反骨魂がいるんです。

    あゝ海軍

    (1966年、大映) 121分/カラー

    監督:
    村山三男/音楽:大森盛太郎
    出演:
    中村吉左衛門(平田一郎)、宇津井健(岡野大尉)、本郷功次郎(荒木)、峰岸徹(本多)、森雅之(井口本部長)、島田正吾(伍長)
    内容:
    戦争下にある一人の若者が、政治家となる夢をもちながらも、海軍兵学校へ進学し、その後の人生を同兵学校教官として歩んでいく物語。激戦地、沖縄へと最後の命を受け旅立つ。
    草舟私見
    一人の人物の立志からその哀歓と活躍、そして最後の沖縄出撃までの生涯を取り扱う戦争映画中屈指の名画と言える。主人公である平田少佐が一高合格の希望が叶ったにも関わらず、すでに兵学校へ入学していたため、それを断念し海軍士官になる決意をする場面が印象的である。本当の決意のための断念は人の情によって行なわれるのだとよくわかる。岡野大尉の情に触れ、決意を固めていくことに感動せずにはいられない。真の断念によって生じる男の意地が、本当の道を拓くのだと感じられる。平田が秀才特有の理屈屋から脱していくのは、やはり岡野大尉や先輩たちの愛情を心から受け取れる人間であったからであろう。愛情に篤い人は友情にも篤い、そして何より信義に篤いのだと強く感じる。ラストの沖縄へ出発する平田少佐の後姿は、ガダルカナルへ出撃した親友の本多大尉の後姿とあいまって深く私の心に響きを残している。男ですね。

    あゝ決戦航空隊

    (1974年、東映) 199分/カラー

    監督:
    山下耕作/原作:草柳大蔵/音楽:木下忠司
    出演:
    鶴田浩二(大西瀧治郎中将)、小林旭(児玉譽士夫)、北大路欣也(関行男大尉)、松方弘樹(城英一郎大佐)、渡瀬恒彦(貝田義則中尉)、中村玉緒(大西夫人)、梅宮辰夫(玉井浅一中佐)、池部良(米内光政大将)、菅原文太(小園安名大佐)
    内容:
    特攻隊の生みの親である大西瀧治郎の生涯を題材とした作品。終戦前、最後の勝機をつかむべく総力戦を敢行、敵艦に体当たりする特攻作戦の悲劇を描いた。
    草舟私見
    特攻隊の生みの親である大西瀧次郎中将の生涯を描く名画である。中将を演じる鶴田浩二の出演する戦争映画の中でも最高の傑作と認識する。特攻を生み出す苦しみとその実践の悲しみ、男の心意気が感動的である。心意気だけが決断を生み、実行を生み出すのだ。特攻は無駄であったとの見解が現在多いが、この間違いをよく認識できる作品である。特攻は日本の精神なのである。日本人の心意気なのである。これだけが日本の歴史に刻まれる我が民族の誇りなのである。ここに日本というものの意義があるのである。日本の本質があるのである。戦争に敗けても日本が存続する理由があるのである。特攻は大変な歴史と文化の蓄積のある国家以外ではできないことなのだ。作戦ではないのだ。作戦としては邪道であるが元々違うのだ。元々が心の底から奔出する心意気なのだ。そして心意気だけが次代に繋るものなのだ。真の男の物語であり、責任とは何かの物語であり、涙の意義を知る名画である。

    あゝ零戦

    (1965年、大映) 87分/白黒

    監督:
    村山三男/音楽:木下忠司
    出演:
    本郷功次郎(加持隊長)、長谷川明男(夏堀大尉)、小柳徹(峰岸二等兵)、成田三樹夫(ラエ基地司令官)、早川雄三(徳永上飛曹)
    内容:
    第二次世界大戦中、空中戦で活躍し各国から恐れられていた日本の零戦。若き飛行兵たちの青春と友情、その哀歓を巧みに描いた大映戦争映画の代表作の一つ。
    草舟私見
    零戦を愛する男たちの哀歓が巧みに表現されていると感じる。愛すれば愛されるということが心に沁み入る作品である。零戦を愛するということが真に理解できれば、この男たちの幸福がわかるのである。最後近くの場面で夏堀大尉が、特攻が零戦の宿命なら、それは私の宿命であります、と言うところがある。これがやはり愛情や友情や信義の本来の姿であるのだと感ぜられる。零戦が特攻にいくのなら自分も特攻にいくのだという感情こそ、真の幸福を知る人にして初めて湧き出づる情感なのだと思う。徳永上飛曹は魅力的ですね。いいなあー。こういう人には私は本当に惚れますね。あのダンチョネ節が忘れられません。

    あゝ同期の桜

    (1967年、東映) 102分/白黒

    監督:
    中島貞夫/原作:海軍飛行予備学生十四期会編「あゝ同期の桜」より/音楽:鏑木創 
    出演:
    松方弘樹(白鳥少尉)、千葉真一(半沢少尉)、夏八木勲(南条少尉)、村井国夫(油井少尉)、鶴田浩二(陣之内大尉)、高倉健(剣持大尉)
    内容:
    太平洋戦争末期、学徒出陣の命が下り、学生が次々と特攻隊員となって死んでいく苛烈な戦場を描いた作品。爆弾を抱えたまま同期の仲間が散る中、残された者たちも出撃する。
    草舟私見
    普通の学生であった者が予備士官となり、特攻隊員へとなっていく心の苦悩というものをよく捉えた秀作であると感じる。我々の世代がこのような作品を鑑賞する必然は、反戦のためにあるのではない。戦争は好きとか嫌いという問題では本質的にないのである。我々は青春において、戦争のために死を強要された人間がどのように苦しみどうそれを受け入れ、どうやって勇気を得たのかを見なければならない。そして何よりも我々が当たり前であると思っている生活や人間関係が、いかに有難いものであるかを再確認することにある。我々が良い生を送るためには彼らの置かれた境遇を、自分のものとして理解しなければならんのだ。そしてその心だけが彼らに対する真のたむけとなるのである。彼らは我々子孫が良く生きることが可能であるために死んだのであるから。そのことが心に深く響く名画である。鶴田浩二や松方弘樹また村井国夫(油井少尉)らの言葉をよく噛み締めることが、最大の鑑賞になるのである。 

    人間魚雷・あゝ回天特別攻撃隊 (「あゝ同期の桜」姉妹篇)

    (1968年、東映) 104分/白黒

    監督:
    小沢茂弘/原作:「人間魚雷・回天特別攻撃隊員の手記」より/音楽:木下忠司 
    出演:
    鶴田浩二(大里大尉)、松方弘樹(三島中尉)、梅宮辰夫(吉岡少尉)、伊丹十三(潮田)、千葉真一(滝口航海長)、志村喬(三島)、池部良(片山)
    内容:
    「あゝ同期の桜」の姉妹篇。人間魚雷・回天に爆薬を搭載し命を捨てて敵艦に体当たりする特攻作戦が行われるまでの実話を再現。多くが殉職し命を捧げた作戦への意志を描く。
    草舟私見
    人間魚雷がいかにして生まれ、いかにして訓練され使用されたかを、史実をもとに構成された実に感動的な名画である。人間魚雷は太平洋戦争末期に日本の文化が生み出した、空前にしておそらく絶後の兵器である。その兵器は一人の人間の信念と強い意志によって誕生した。その意志を生み出し、それが人々に感化力を与え、正式の兵器になっていく過程は人間の持つ力というものの凄さを感じずにはおれない。自己を顧みず大義のために発動される人間の意志の崇高さ、偉大さ、美しさというものを実感する映画である。大里大尉に扮する鶴田浩二と三島中尉に扮する松方弘樹の演技が忘れ得ぬ情景を創り上げています。さすがは木下忠司だけあって同じ軍歌でも挿入箇所がすばらしく映画を思い出深いものにしております。 

    あゝ特別攻撃隊

    (1960年、大映) 95分/カラー

    監督:
    井上芳夫/音楽:大森盛太郎
    出演:
    本郷功次郎(野澤少尉)、三田村元(小笠原中尉)、野添ひとみ(堀川レイ子)、滝花久子(野澤少尉の母)、北原義郎(岡崎大尉)、高松英郎(参謀)
    内容:
    太平洋戦争末期、学徒出陣によって出撃せざるを得ない若者たちの心の相克を追った作品。純愛を貫く者、死を望む者、それぞれの若人が限りある生命を燃やす姿を描く。
    草舟私見
    学生あがりの予備士官である野澤少尉と、海兵出身の小笠原中尉との相克と和解が主題である。この二人はどちらもいい男であって、どちらが正しいかという考え方では何もわからない。生に固執し生の喜びを求める野澤少尉と、死を願い死の美学に突進しようとする小笠原中尉は、真の男の生き方を求める続けるということでは全く同じなのである。それが現実に直面すると、かくも激しい対立になって表われるところが人間と人生の不条理であり、また面白さなのである。そして一番重要な事柄はこの二人が「実行」という瞬間に来て、真に理解し合い真の友情を結ぶところなのである。人生とは実行が伴なえばいかなる意見の対立も乗り越えることができ、反対に実行の場所に各々が行かなければ理屈では意見の対立は和解できぬのだということである。実行することが真の友情を築く唯一の事柄なのである。そして実行することが困難な事柄であればある程、実行したときには大いなる和解と友情が生まれるのだ。 

    あゝ野麦峠

    (1979年、新日本映画) 154分/カラー

    監督:
    山本薩夫/原作:山本茂実/音楽:佐藤勝 
    出演:
    大竹しのぶ(政井みね)、原田美枝子(篠田ゆき)、三國連太郎(足立藤吉)、西村晃(政井友二郎)、地井武男(政井辰二郎)、古手川祐子(庄司きく)
    内容:
    山本茂実の社会派ルポルタージュを映画化。明治から昭和初期にかけての女工哀史。貧しい農村から紡績業界へと身を売られ苛酷な労働下で働く女工を通じ明治日本の歴史を描く。
    草舟私見
    涙なくして観ることのできぬ名画である。大竹しのぶ扮する
    みね
    の人生を観るとき、どうして涙を押さえることができようか。どうして心の底からの慟哭を押さえることができようか。日本の明治はなにゆえにここまで貧しかったのか。偉大な明治の影でなにゆえにこの悲しみがあったのか。そのようなことを考えずにはいられぬ作品である。この貧しさの中で
    みね
    のこの親孝行はどうですか、我々は
    みね
    から重要なことを教えられているのです。これ程の親孝行になるともう現代人の想像を絶しています。私も含めて現代人は全部温かい真心ということでは、
    みね
    以下であることだけは間違いない。ただ我々より少し前の日本人に
    みね
    のような名も知れぬ多くの日本人がいたことに、日本人としての誇りを感じ、我々の中にも確実にそのような血が流れているのだと感じ、何だか嬉しくもなるのです。女工哀史は明治の工業化による急激な人口爆発が生んだ産物である。江戸期なら生まれる前からすぐ後に死んだ生命が生きられるようになってきた結果である。そういうことでは良いことでもあったのだが、尽々と思うのは、生きるということは本当にすばらしく価値のあることなのだということである。 

    あゝ予科練

    (1968年、東映) 103分/白黒

    監督:
    村山新治/音楽:木下忠司 
    出演:
    鶴田浩二(桂大尉)、西郷輝彦(和久一郎)、谷隼人(庄司かつみ)、桜木健一(秋山)、池部良(松本航空参謀)、伴淳三郎(和久の父)、藤純子(藤井の姉)
    内容:
    第二次世界大戦末期、海軍飛行予科練習生の少年たちが巣立っていく姿を描いた。特攻出撃に至るまでの鍛錬を通じた友情と、戦い抜くことの厳しさの際立つ戦争ドラマ。
    草舟私見
    予科練といえば十六歳で志願ですからね。現代から見て考えられないことです。私などはいくら年を重ねてもこの少年たちの赤心を憶うときいつでもただ恥入るばかりです。本作品はその予科練の物語の中でも特に感動の深い名画であると感じています。死ぬためにのみあれだけの鍛錬に耐えることは美学です。ちょっとした精神性などというものを通り越しているものを感じます。戦後の馬鹿な自称文化人どもが彼らは洗脳され単純であったようなことを言っているのを聴いたことがあるが、そんな幼稚な精神で志願から訓練の段階を経て戦死までの長い年月を人間が耐えられるわけはないのです。やったことのない人間には精神の許容量がわからないのです。彼らは日本の文化が生み出した真に勇気のある英雄であると思います。作品中では私は宮本兵曹と桂大尉が好きですね。彼らは少年の純真な真心が心底好きな人なのだとわかります。劇中で桂大尉が「信念がなければ何一つできない」という言葉は鶴田浩二のカッコ良さとあいまって、いつまでも心に残る言葉であり場面です。 

    あゝ陸軍隼戦闘隊

    (1969年、大映) 100分/カラー

    監督:
    村山三男/音楽:大森盛太郎 
    出演:
    佐藤允(加藤建夫)、藤村志保(加藤田鶴子)、平泉征(木原中尉)、本郷功次郎(安藤大尉)、長谷川明夫(大江中尉)、峰岸徹(人見伍長)、藤巻潤(趙英俊)、宇津井健(三宅少佐)、藤田進(木原慎吾)、島田正吾(校長)
    内容:
    村山三男監督による戦争ドラマの名作。太平洋戦争中隼戦闘隊隊長として活躍し、軍神とあがめられた加藤建夫の半生を描く。
    草舟私見
    巨匠村山三男が描く「あゝ海軍」と並ぶ名作と感じる。あの偉大な加藤隼戦闘隊隊長加藤建夫の半生である。ベンガル湾に戦死するまでの彼の生涯は軍人の中の軍人、男の中の男の生き方そのものである。私は彼をして世界最高の軍人と断言申し上げる。私は加藤隊長には惚れに惚れています。好きで好きでたまりませんねこの人は。とてもこれだけの大人物にはなれないにしても、やはり私の生涯の憧れであり目標となる男の中の男であると実感します。命懸けの中で発揮される真の人格であり人情ですから、私などの想像を絶する桁の違う人間力です。真の涙の人です。我々日本人の誇りです。いや本当にいいです。まいります。しびれます。戦いに強く、愛情に深く、友情に篤く、真の責任ある男の中の男と感じる。趙中尉とのあの別れは忘れられません。ベンガル湾に死すときのあの従容とした姿は、瞼に焼き付いて一生涯忘れることができません。 

    愛、革命に生きて CHOUANS!

    (1988年、仏) 204分/カラー

    監督:
    フィリップ・ド・ブロカ/音楽:ジョルジュ・ドゥルリュー
    出演:
    フィリップ・ノワレ(ケルファデック伯爵)、ソフィー・マルソー(セリーヌ)、ステファン・フレス(オーレル)、ランベール・ウィルソン(タルカン)
    内容:
    ブルターニュのある領主一家がフランス革命の嵐に巻き込まれ、信じる道を進むために対立していく物語。新しい時代が切り開かれていく様子が闘いと共に描かれる。
    草舟私見
    フランス革命は近代史にとってことのほか重要な出来事である。しかし一般的にナポレオンを中心とした政治的な上からの映画や書物しか無いのが現状である。その中にあって、その時代を生きる庶民の側からその重大な歴史を生きることを描いた数少ない名画と感じる。普通に生きる人々にとってフランス革命が何であり、その本質が何であったのかを考えさせられる作品である。主人公であるフィリップ・ノワレの言動の中に近代を感じ取れれば、近代の本質が何であるのかがよくわかるのである。それに引き換え民衆の感じている近代は、人間の持つ欲望の開放であることもまたわかるのである。フィリップ・ノワレという俳優は、それにしてもいつ見ても本当にすばらしいですね。

    アイヒマンの後継者 ―ミルグラム博士の恐るべき告発― Experimenter

    (2015年、米) 97分/カラー

    監督:
    マイケル・アルメレイダ/音楽:ブライアン・センティ
    出演:
    ピーター・サースガード(スタンレー・ミルグラム)、ウィノナ・ライダー(サーシャ・ミルグラム)、エドアルド・バレリーニ(ポール・ホランダー)、ジム・ガフィガン(ジェームズ・マクドナー)、アンソニー・エドワーズ(ミラー)
    内容:
    1961年に行なわれた「ミルグラム実験」。ホロコーストの原因を求めた心理学実験の恐ろしい結果を描き出す作品。
    草舟私見
    あの有名なミルグラム実験について、その本質を抉るような名画である。イェール大学のスタンレー・ミルグラム博士によって行なわれた人間の「服従心理」を追求した実験である。この実験は、博士がホロコーストにおけるアイヒマンの心理に対する恐怖から生まれたものと言えよう。人間の持つ、最も卑しい残忍な心の底を露呈させる社会実験として、この結果は半世紀以上に亘って、我々の社会を震撼させているのだ。人間は権威の指示さえあれば、何でもしてしまう存在だということが暴露された。本作では、人間が自己の欠点を見つめることに、どのくらい拒絶を示すかがクローズアップされている。真実を追求する人間の、真の勇気というものが実によく描かれている。深刻な画面の推移は、我々観る者の眼をくぎ付けにして離さない。この実験の価値は、すべての人間の心に宿る、「言い訳」さえあればどのような残酷なことも出来るということの科学的証明にある。人間であろうとする真面目な人ほど、この陥穽(かんせい)にはまり易いということが実に切なく悲しい事実として残る。

    あ・うん

    (1989年、東宝) 114分/カラー

    監督:
    降旗康男/原作:向田邦子/音楽:朝川朋之 
    出演:
    高倉健(門倉修造)、板東英二(水田仙吉)、富司純子(水田たみ)、宮本信子(門倉君子)、富田靖子(水田さと子)、山口美江(まり奴)、真木蔵人(石川義彦)、大滝秀治(旅館の番頭)、三木のり平(掏摸)
    内容:
    太平洋戦争へ向かう東京が舞台であり、かつて陸軍で一緒だった二人の男の絆の物語。それぞれの人間関係が複雑に絡みながらも、続いていく友情と戦争の暗い影が描かれている。
    草舟私見
    戦前の東京の姿が実によく表現されている作品である。小さなところまで手抜きされずに当時の種々の物や人や事柄までが再現されており、私としては涙なくしては観れぬ作品である。私は戦後生まれであるが、私の生まれた雑司ヶ谷上り屋敷というところは戦災を免れた場所であったので、私の子供の頃は戦前の姿がそのまま残されていたのだ。このような環境のところで私は育ったのである。何もかも、通る人や商人までも私の育った上り屋敷と変わらないのだ。キセル直し、氷屋、そして私も担いだ神輿までが上り屋敷の大鳥神社のものと同じである。不思議な空間を現出させてくれる作品である。四人の主人公の関係も旧い日本人を思い起こさせる。一人一人が種々の問題を抱え、悩み、喧嘩をしながらも、心のどこかで結び合い求め合って生きている。各々の人々が別に自分を特別良い人間だなどと思っていないから、どこかで相手を許し、また自分も許してもらいながら生活をしている。別に誰もうまくはいかないが支えあっている。時間が循環して流れていく。

    青い山脈

    (1963年、日活) 100分/カラー

    監督:
    西河克己/原作:石坂洋次郎/音楽:池田正義
    出演:
    吉永小百合(寺沢新子)、浜田光夫(六助)、高橋英樹(ガンちゃん)、二谷英明(沼田保健医)、芦川いづみ(島崎先生)
    内容:
    日活青春映画による、女子高校の人間関係を描いた石坂洋次郎の小説を映画化。様々な問題が起きる学校生活の中でも、青春とは何か、夢を追うとは何かを表わした人間ドラマ。
    草舟私見
    永遠の青春歌が主題歌とされる作品である。この歌は私の本当に好きな歌の一つであり、この歌を口ずさむたびに思い出される映画である。青春とは夢を持つことであり、何ごとかを信じることであるということが表現されている。この作品は日本に米国型民主主義が導入された時期の物語であるので、その民主主義の初期のあり方が種々の会話に登場してくる。そしてその主旨は単なる旧いもの、旧い文化の否定であることがわかるのである。民主主義などを信じた時代の悲劇を感じるが、不思議と気持ちの良いものが残ることも事実である。やはり間違っていても夢を持ち何かを信じることは青春であり、人間の生き方として気持ちの良いものなのだとわかる。信じることが青春であり、小利口になることが老化なのだと尽々とわかる作品である。中間に歌われるガンちゃんの仲間たちによる荘重な歌は忘れられませんね。

    赤いテント KRASNAYA PALAKTA (THE RED TENT)

    (1970年、ソ連=伊) 150分/カラー

    監督:
    ミハイル・カラトーゾフ/音楽:アレクサンドル・ザツェーピン
    出演:
    ショーン・コネリー(ロアルド・アムンゼン)、ピーター・フィンチ(ウンベルト・ノビレ)、クラウディア・カルディナーレ(ワレリヤ)、エドワルド・マルツェビッチ(マルムグレン)、ハーディ・クリューガー(ルンドボルグ)、マリオ・アドルフ(ビヤジ)
    内容:
    ノルウェーの探検家アムンゼンと、その弟子ノヴィレの対照的な人生を追った冒険映画。欲と名声を求め師を裏切ったノヴィレの遭難に当たり、裏切られたはずのアムンゼンは捜索に向かい、そのまま不帰の人となる。
    草舟私見
    探検とその名声に対する人間の心のあり方と、国家の力関係の思惑というような事柄が、ノヴィレの北極点到達後の遭難事件を中心に見事に描き上げられている。探検というものは、我々が考えるよりも格段に人間の欲の汚なさというものがその裏側に潜んでいるのだ。その汚ない中から本当に偉大で本当に美しいものもまた生まれてくるのである。美しき人間の魂を磨き上げるためには、汚なさというものもその周りには必要なのである。ノヴィレはアムンゼンの弟子であった。そして師アムンゼンの北極点制覇の計画を盗んで、その先を越してその名声を手に入れようとしたのだ。それも探険の魂なのである。ただし「邪悪な」という形容詞が付くが。しかしその最も恥ずべき行為が行なわれ、その後遭難したのであるが、そのときに探検家の最高に高貴な史上最も美しい魂が、裏切られたはずのアムンゼンから発せられるのである。美と醜は裏表なのだ。「確かに裏切られたが、しかし私は断固としてノヴィレ救出へいかに危険があろうとも向かう。そうしなければ探険家としての私の生涯は一体何なのだろうか」。実に実にアムンゼンは偉大である。男である。

    赤毛のアン ANNE OF GREEN GABLES

    (2015-2017年、カナダ) 269分/カラー

    監督:
    ジョン・ケント・ハリソン/原作:L.M.モントゴメリー/音楽:ローレンス・シュレイジ
    出演:
    エラ・バレンタイン(アン・シャーリー)、サラ・ボッツフォード(マリラ)、マーチン・シーン(マシュウ)、ドリュー・ヘイタオグルー(ギルバート)
    内容:
    L・M・モントゴメリーの小説の映画化。カナダのプリンス・エドワード島に暮らす、ある農家にやってきた孤児アンの人間成長と人生を描いた物語。
    草舟私見
    あのL・M・モントゴメリーの名作が映像として甦った。この新作のアンは、いつまでも心に響き渡る情感が湛えられている。その中心は、何と言っても主役アンを演じるエラ・バレンタインの名演とその測り知れない魅力である。人間のもつ崇高が、このアンの中に垣間見られる。崇高に向かう、魂の原点とも言えるものを私は画面から感ずるのだ。多分、それをこの名優が醸し出しているのだろう。人間が人間として立ち上がる、その勇気の原点を私は見ている。バレンタインの慟哭と清純の中に、人間のもつ不合理の「聖性」を感ずるのは私だけではあるまい。映像の美しさもまた格別であり、脇を固めるマーチン・シーンとサラ・ボッツフォードの奥床しい演技も忘れることが出来ない。この映画は、心の底から赤毛のアンを愛し、プリンス・エドワード島を恋している者にしか作れない真実が込められている。永遠のアン、無限の青春、人間の故郷をこれほどに表わした作品はめずらしい。近年希に見る名作である。私はすでに69歳だが、またアンと共に人生を再び生きたいという衝動に駆られた。

    暁の7人 OPERATION DAYBREAK

    (1975年、米) 114分/カラー

    監督:
    ルイス・ギルバート/原作:アラン・バージェス/音楽:デヴィッド・ヘンシェル
    出演:
    ティモシー・ボトムズ(ヤン・クビシュ)、マーティン・ショー(カレル・チューダ)、ジョス・アクランド(ヤナク)、ニコラ・バジェット(アンナ)、アンソニー・アンドリュース(ヨゼフ・ガブチック)、ダイアナ・クープランド(マリーおばさん)
    内容:
    第二次世界大戦時のナチス・ドイツの最高司令官ラインハルト・ハイドリッヒ暗殺事件を描いた作品。チェコをドイツから解放するための暗殺計画を遂行する兵士たちを追う。
    草舟私見
    荘重で悲しい調べと共に深く心に刻まれる名画である。使命に生き使命に死す愛国の若者の姿が、大仰でなく淡々と描写されている。その若者たちがごく普通の若者であるところがより感動を与えているのだろう。祖国を愛し、軍の命令に忠実なごく普通の人間が歴史を動かしていく現実に感動するのだ。多くの人の小さな勇気が集まって歴史的な事件を創り出していく。使命を帯びた若者たちに協力する無名の人々の真の勇気ほど私の心を動かすものはない。物事を成し遂げるには、何と多くの人の勇気と協力が必要なことか。真の勇気とは少しの真心が創り出すものなのだ。ヤンとヨゼフは当然忘れ難いがマリーおばさんもいいです。子供たちも真の勇気を持つ人間です。問題は裏切り者のチューダである。戦後こいつが死刑になったということなので少しは気が収まるが、いつの時代もこの自分と自分の家族だけのことしか考えず、その正義のために他人をいくら犠牲にしても平気な輩は後を絶たない。こういう輩の特徴は映画でもそうであるが、普段から理屈っぽくて不平が多く、自分のことを頭が良いと思っていることです。

    暁の出航 MORNING DEPARTURE

    (1949年、英) 98分/白黒

    監督:
    ロイ・W・ベイカー/原作:アラン・オスビストン/音楽:ジャック・スレイド
    出演:
    ジョン・ミルズ(アームストロング艦長)、ナイジェル・パトリック(副長)、リチャード・アッテンボロー(スナイプ)、ジェームス・ヘイター(ヒギンズ)
    内容:
    イギリス海軍潜水艦トロイアン号が沈没し、潜水艦内に閉じ込められた乗組員たちをドキュメンタリー的に描いた作品。イギリス男の誇りやユーモアがよく表れている人間ドラマ。
    草舟私見
    静かな静かな真の男の勇気というものを強く感じさせられる名画である。そして不思議なほど、それが心の深くで持続した記憶となるような作品と感じている。英国の海軍魂を感じさせる作品だが、派手な場面や戦闘が全く無いことが、そのような仕上がりを底辺で支えているのだと私は思っている。いざというときに本当に「いい奴」でいられることの真の人間的尊さを考えさせられる。人間はいかなる性格であろうが、いかなる生まれであろうが、自らの仕事に誇りを持ち地道に精進する者に与えられる本当の神の恩寵が、そのけじめとしての最後を美しく飾れることなのだと尽々と感じさせられた。艦長は立派ですね。話すべきことは話し肚に入れるべきものは入れています。中々できることではありません。副長も良い。この人は艦長のことが本当に好きなんですね。スナイプも良い。最後に勇気のある男は本当に元々勇気のある男なのです。コック役の人は最高ですね。このような人が尊いのです。そして他の人の心を真に支え、また組織というものを真に支えているのもこのような人なのです。四人のこと、私は一生忘れません。

    赤ひげ

    (1965年、黒澤プロ) 185分/白黒

    監督:
    黒澤明/原作:山本周五郎/音楽:佐藤勝/受賞:ヴェネチア映画祭 男優賞 
    出演:
    三船敏郎(新出去定=赤ひげ)、加山雄三(保本登)、香川京子(狂女)、二木てるみ(おとよ)、山崎努(佐八)、桑野みゆき(おなか)、土屋嘉男(森半太夫)、団令子(お杉)
    内容:
    映画界の二大巨頭 黒澤明監督、主演 三船敏郎による江戸時代の医療機関・小石川養生所を舞台に繰り広げられた人間模様や、所長赤ひげと青年医師の交流を描いた作品。
    草舟私見
    黒澤明が監督し三船敏郎が主演する、医療の原点を考える上でのあまりにも有名な作品である。赤ひげと呼ばれる医者の生き方はなぜ人々に感化力を与えるのか。名誉を求めぬその清貧な生活か。学問に対する情熱か。それらも確かにある。しかし一番重要なことは病人を治すために彼が善悪を超越し、自らが悪人になってでも病人のために粉骨を砕身するその生き方であろう。生命の尊厳は理屈通りには行かないのである。それが骨の髄からわかっているその男らしい人格であろう。その結果として己の力の限界を弁えるその生き方に我々は感動するのであろう。現代の医療はその思想が綺麗事に走り過ぎてはいないか。現代の医療は自らの力を過信し過ぎてはいないか。現代の医療はその結果として一人の人間の人生の終焉である死の尊厳を軽視し過ぎてはいないか。このような問題が提起される作品と感じている。 

    アギーレ・神の怒り AGUIRRE, DER ZORN GOTTES

    (1972年、西独) 93分/カラー

    監督:
    ヴェルナー・ヘルツォーク/音楽:ポポル・ヴー
    出演:
    クラウス・キンスキー(アギーレ)、ヘレナ・ロホ(イネス)、ルイ・ゲラ(ウルスア)、デル・ネグロ(カルヴァハル)、セシリア・リヴェーラ(アギーレの娘)
    内容:
    スペインの植民地政策時代、黄金郷エル・ドラドを目指した探検隊の物語。分遣隊の副官アギーレの野望を通じて、大航海時代のスペインの偉大さを描く。
    草舟私見
    スペインの騎士アギーレは、善悪を超越した一つの歴史のエネルギーの象徴である。少人数のスペイン人が、十六世紀になにゆえに世界を制覇したのかの精神的問題を提起している。レコンキスタ(イベリア半島からムーア人を追い払うための再征服戦争)の戦いを七百年間も戦い続けた、当時のスペイン貴族の一つの心のあり方を活写している。非日常が日常と化すとき、人間は想像を絶することを行なうことができるのだ。当時のスペイン貴族にとって危険や冒険は日常性であり、何にも特別なことではなかった。命懸けの探険行に娘を正装させて同行するアギーレは、まさに当時のスペインの魂の代表者なのだ。娘を同行するとは、冒険を冒険と思っていない心情を表わしているのである。ここに当時のスペインの良くも悪くも偉大さがあるのだ。この
    意志力
    の前に世界は屈したのだ。

    秋日和

    (1960年、松竹) 128分/カラー

    監督:
    小津安二郎/原作:里見弴/音楽:斎藤高順 
    出演:
    原節子(三輪秋子)、司葉子(三輪アヤ子)、岡田茉莉子(佐々木百合子)、佐分利信(間宮)、中村伸郎(田口)、北竜二(平山)、佐田啓二(後藤)
    内容:
    年頃の娘と母親の心の哀歓を、結婚を通じて描いた小津安二郎監督の作品。昭和の家族の人間関係の機微、また家族とその周りの付き合いを温かな視点で追う。
    草舟私見
    間宮、田口、平山の三人の何ともいえぬ温かみのある友情が印象に残ります。昭和三十年代の日本の普通の家庭のあり方が本当によく表現されていると感じます。家族ぐるみの付き合いがうまく描かれ、私も自分自身の少年期を本作品を見るたびに思い出します。紳士ではあるがみんな茶目っ気があって、いたずらも好きであるが根が親切ですよね。この頃の日本人は人生の楽しみ方が現代とは相当違っていますね。楽しんで遊んでいるのですが、根本が人に親切なのです。押し売りも結構ありますが最終的には憎めません。私の子供の頃の近所の人もみんなこんな感じでした。戦後の人が個人やら個性やら自由やらとわかりもせぬことで潰してしまった、日本の大人の付き合い方がよく表現されています。静かですがみんな結構人生の時間を楽しんでいます。他人に干渉し過ぎると思うかもしれませんが、要するに親切なのです。他人に親切にすることが大人の遊びだったのですよ。 

    悪霊 LES POSSÉDÉS

    (1988年、仏) 116分/カラー

    監督:
    アンジェイ・ワイダ/原作:フェードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー/音楽:ジグムント・コニエキニ
    出演:
    イエジー・ラジヴィオヴィッチ(シャートフ)、イザベル・ユペール(マリー)、ランベール・ウィルソン(ニコラス・スタヴローギン)、ローラン・マレ(キリーロフ)、ジャン・フィリップ・エコフェ(ピエール・ヴェルホヴェーンスキー)、オマー・シェリフ(スチェバン・ヴェルホヴェーンスキー)
    内容:
    1870年代ロシアの社会革命、動乱を描いた、アンジェイ・ワイダ監督、ドストエフスキー原作の映画化。革命を夢見る若者たちの暴走と狂気を描いた作品。
    草舟私見
    巨匠アンジェイ・ワイダがドストエフスキーの原作を元に、自らの思想を表現するために思い切った演出を行なって名画に仕立て上げた作品である。ロシア革命を夢見てそれに向かう社会変革者とワイダの祖国ポーランドの革命の苦悩を比べることにより、革命や社会変革というものが内包する狂気性の問題を浮き彫りにしている革命とは、ワイダによれば旧い社会が内包している病因、つまり悪霊が社会変革者の体内に乗り移って成就するものであると見る。進歩と呼ばれる社会変革者の本質をそう見る。聖書の引用をまつまでもなく、社会変革者は社会の悪霊に感染して自らは滅び去りその分社会は進歩する。しかしワイダは進歩そのものが病気なのではないかと問いかける。自然治癒力以上の病気の手当てをしようとするものが、病気の原因である悪霊に取り憑かれる様子を見事に描いている。ピエールやニコラスに代表される如く、その悪霊はその人物の心を破壊することからその作用を現出してくるのである。音楽構成も見事な作品と感じている。

    赤穂城断絶

    (1978年、東映) 159分/カラー

    監督:
    深作欣二/原作:高田宏治/音楽:津島利章
    出演:
    萬屋錦之介(大石内蔵助)、金子信雄(吉良上野介)、西郷輝彦(浅野内匠頭)、松方弘樹(多門伝八郎)、丹波哲郎(柳沢吉保)、芦田伸介(色部又四郎)、千葉真一(不破数右衛門)、森田健作(間十次郎)、渡瀬恒彦(小林平八郎)、三田佳子(瑶泉院)
    内容:
    忠臣蔵の松の廊下から四十七士切腹までを描いた作品。深作欣二監督によるドキュメンタリータッチの作風で演出、萬屋錦之介が大石内蔵助を主演。
    草舟私見
    数多くある忠臣蔵の映画の中での最高作であると感じている。やはり主演が違いますね。萬屋錦之介ですよ。錦之介の表現する武士道の凄さはまた格別です。それに上杉家の家老役の芦田伸介も心から離れぬ。討入の日に救援に向かおうとする吉良上野介の息子である米沢藩主を、手を広げて制止する場面は忘れられません。家の安泰を謀る家老に対して藩主が「余と家とどちらが大切か」と問い、家老が「家でござる。家に決まっております」と答える場面に私はしびれました。武士道の本質、役目の本質を表現した言葉として永く心に響きわたる場面です。芦田伸介の迫力がすばらしいです。萬屋も芦田も筋を通すことに命を懸ける真の男の生き方、武士道が体の中から表現されています。赤穂浪士たちの苦労が、ただ筋を通すための手続を踏んでいく苦労なのだとよくわかる映画です。その手続を踏むことが真の武士道なのです。それにしても私は子供の頃からこの浅野内匠頭というバカ殿様は大嫌いです。役目と責任を知らぬ主君がいると、本当に秀れた人たちが、大変な苦労をすることになります。役目こそ真の愛であるとわかるのです。

    あじさいの歌

    (1960年、日活) 106分/カラー

    監督:
    滝沢英輔/原作:石坂洋次郎/音楽:斎藤高順 
    出演:
    石原裕次郎(河田藤助)、芦川いづみ(倉田けい子)、東野英治郎(倉田源十郎)、轟夕起子(長沢いく子)、大坂志郎(藤村義一郎)、小高雄二(島村幸吉)、中原早苗(島村のり子)、杉山徳子(葉山先生)
    内容:
    高度経済成長期に突入する頃の東京が舞台。石坂洋次郎の原作を脚色。封建的な父親と暮らす娘が商業デザイナーと知り合い、明るく開放的に変わっていく姿を描いた青春映画。
    草舟私見
    実に情緒のある心に残る秀作と感じます。高度成長に突入する直前の東京の山の手の金持ちの感じを伝えています。東野英治郎が頑固な金持ちを良く演じている。芦川いづみは本当に山の手のお嬢さんの典型的な清楚さと雰囲気を良く醸し出しています。こういう洋館は山の手育ちの私には本当に心の故郷を感じさせます。我が家の近くにも沢山ありました。別居している奥さんも良い。旧い女です。凄く強くてそして人情があり、奥底で優しいですね。いい人です。さてそこに登場する新しい時代を象徴するのが石原裕次郎です。やはり爽快でカッコ良いです。そしてこの裕次郎が民主主義を代表しているのです。ただし現今とは違います。本当に自由を求めている。欲が本当に無い。スカッとしている。見栄も無い。自己責任だけで生きようとしている。これがカッコ良さを感じた本当の民主主義なのです。かなり今と違いますね。  

    あしたは最高のはじまり Demain tout Commence

    (2016年、仏) 117分/カラー

    監督:
    ユーゴ・ジェラン/音楽:ロブ・シモンセン 
    出演:
    オマール・シー(サミュエル)、クレマンス・ポエジー(クリスティン)、アントワーヌ・ベルトラン(ベルニー)、グロリア・コルストン(グロリア)
    内容:
    南仏の保養地で観光を楽しんでいる主人公サミュエルの元に、突然女の赤ん坊が託される物語。子供が成長していく過程で、戸惑いながらも真の愛を見つけていく。
    草舟私見
    愛の本質を突き付けられる作品である。愛は汚れの中から生まれ出づる。明らかな愛は、愛ではない。愛は、悲しみである。愛は沈黙なのだ。真の愛は隠れている。自ら進んで行く愛は、嘘の愛だ。それは自己愛に違いない。本当の愛は、いたしかたなく生まれてくる。そうしなければならぬ、必然から生まれてくるのだ。これはそれを教えてくれる数少ない名画の一つだ。オマール・シーの名演が、すべての愛を教えてくれる。愛が存在から溢れる俳優は、そうはいない。そのひとりがシーだ。この子供もかわいい。めずらしいほどの名子役だ。この映画は、出演するすべての俳優が、はまり役と言っていい。ほとんど揃うことのないほどの俳優陣である。このすべての俳優が、愛の尊さを演じている。この映画から出る、愛の切なさは言葉にはできない。ただ魂が震撼するのみと言えよう。きれい事の多い現代において、真実の人間愛をここまで描き切った監督に私は万歳を叫んだ。  

    あすなろ物語

    (1955年、東宝) 109分/白黒

    監督:
    堀川弘通/原作:井上靖/音楽:早坂文雄 
    出演:
    久保賢(鮎太=第1話)、鹿島信哉(鮎太=第2話)、久保明(鮎太=第3話)、三好栄子(鮎太の祖母)、岡田茉莉子(冴子)、根岸明美(雪枝)、久我美子(玲子)、木村功(冴子の恋人の大学生)、小堀誠(住職)、金子信雄(佐山)
    内容:
    井上靖の自伝的小説を黒澤明が脚色した作品で、祖母と蔵に暮らす主人公鮎太が人と出会うことで、人間性が育まれていく様子を描いた物語。
    草舟私見
    私が尊敬してやまぬ井上靖の自伝的色彩の強い文学作品の映画化である。人間が環境の影響によっていかに成長していくのかが興味深く描かれている。人間が成長するためには少々良くない環境の方が良いのでないか。悩み考えることが人生には必要なのではないか。そのようなことを井上靖は言いたいのではないか。私はこの作品をそう感じる。良くない環境であるが正直な環境が良いのではないかと感じられる。ここに登場する人物たちはみんな正直である。良くも悪くも正直なのである。それが井上靖を生み育てたのではないか。良い環境をつくろうとすることばかりに気を配る、現代的な教育理念を再考させられる作品と感じる。井上靖は祖母に育てられた。この祖母も本作品に登場する。私はこの祖母が一番好きですね。どんな苦労も坊のために忍び、坊の大学卒業までの遺産を残して死ぬ。最低の葬式をやる。この祖母が真に人を育てる真実の人物なのです。このような人が国を支えているのです。教育者が人を育てているのではないのです。

    明日に向かって撃て! BUTCH CASSIDY AND THE SUNDANCE KID

    (1969年、米) 111分/カラー

    監督:
    ジョージ・ロイ・ヒル/音楽:バート・バカラック/受賞:アカデミー賞 脚本賞・撮影賞・音楽賞・主題歌賞
    出演:
    ポール・ニューマン(ブッチ・キャシディ)、ロバート・レッドフォード(サンダンス・キッド)、キャサリン・ロス(エッタ・プレイス)
    内容:
    強盗稼業に命を燃やす二人のガンマン、ブッチとサンダンスの物語。列車強盗を企て大金をせしめた二人は、さらに荒稼ぎしようとボリビアへ向かうが、なかなかうまくいかずに銀行強盗を続けることになる。
    草舟私見
    ブッチとサンダンスの友情に対して、いつまでもいつまでもエールを送りたい感を有する名画と感じている。友情というものの本質の一端を窺わせるものがある。友情とは一人では生きれない我々人間の役割分担である。己の役割に生きて、初めて違う役割に生きる者と友情が創られる。また友情とは共に戦うことである。戦いがあって初めて、相手(友)の存在を真に感じるのが人間である。そして友情とは共通の夢を有する者の間に生じるものである。これらの友情の本質において彼ら二人はまさに親友である。親友はまた共に死すことによって最大の美を完遂する。悲しい物語であるが、この友情のすばらしさに対して本作品は我々に爽々しさを与えてくれる。役割分担に起因する二人の喧嘩は面白いですね。役割があっての友だから友達はよく喧嘩をしますよ。この二人が野獣の如くに文明の力によって居場所をなくし、追い詰められていく姿には涙を禁じ得ぬものがあります。それにしても彼らは、良くも悪くも大いに生き切った者たちであることは確かなことです。

    明日を夢見て L’UOMO DELLE STELLE

    (1995年、伊) 115分/カラー

    監督:
    ジュゼッペ・トルナトーレ/音楽:エンニオ・モリコーネ/受賞:ヴェネチア映画祭 審査員特別賞
    出演:
    セルジォ・カステリット(ジョー・モレッリ)、ティツィアーナ・ロダート(ベアータ)、フランコ・スカルダーティ(マストロパオロ曹長)
    内容:
    詐欺師の男がシチリアの純朴な人々に触れ、改心する姿を描いた作品。新人発掘のカメラテストの選考料を騙し取っていた主人公は、人々の心の思い出を聞き、詐欺に嫌気がさしていく。
    草舟私見
    観終わった後に深い情感を心に残す名画です。シチリアに住む人々の生活と感情というものが、オーディションを通して実に活き活きと写し出されています。シチリアはアイルランドと並んでヨーロッパの辺境です。そして貧しく歴史の重みを持ち、誇り高い土壌を有しているのです。日本人である我々には強く心を動かされる、我々が失いつつあるものを持っているのです。昔の日本の村のあり方と非常に近いものだと感じています。村のあり方とは我々の心の故郷なのだと思います。毎日同じ生活を無限に繰り返すが、その中に激しい感情が生々しく生きており、激しい喜怒哀楽があります。すぐに人に欺されるが、欺されても一向に構わないのです。もっともっと強力な基盤の上に生活している。そして欺した方が徐々に可笑しくなってくるのです。シチリアとアイルランドは貧しさゆえに移民が多いが、歴史的にも現在も多くの偉大な人物を輩出しています。その偉大さの基にあるものが何であるのかを感じることができます。作品中にあるシチリアの音楽も私の心を強く揺さぶります。シチリアの音楽は私の血を煮え滾らせます。

    仇討

    (1964年、東映) 103分/白黒

    監督:
    今井正/音楽:黛敏郎 
    出演:
    中村錦之助(江崎新八)、田村高廣(江崎重兵衛)、神山繁(奥野孫太夫)、丹波哲郎(奥野主馬)、石立鉄男(奥野辰之助)、加藤嘉(丹羽伝兵衛)、三田佳子(西田りつ)
    内容:
    徳川泰平の世、禁じられている私闘の結果、藩の威信を守るために成敗された侍の悲劇を描いた作品。中村錦之助の名演によっても知られる映画。
    草舟私見
    中村錦之助の名演が揺れ動く人間の内面を見事に表現した秀作と感じる。本作品は感情に流され己の憤りを押さえられぬ武士たちの末路と秩序というものが何であるかを表現している。錦之助と神山繁および丹波哲郎は各々武士道に生きようとしているように見えるが全然違う。武士道とは秩序であり公であり己を殺して義を貫くものをいう。この武士道からはずれた三人は優しい兄(田村高廣)と君臨せぬ戸主(加藤嘉)によって育てられている。つまり甘やかされて育っているのである。感情の不正な激発は人間的な同情を買うが、武士にはあるまじき不忠の行為なのだ。何のために修行をしたのか全然わからぬ連中である。武士は殿様からの恩に報いるためだけに力を用いねばならぬ。それが公ということなのである。感情論は卑怯の結果として己の心の中でだけ正義をつくる。その表現のすばらしさはさすがに錦之助である。真の武士道なら正々堂々と正式の手続きと正式な表明によってのみ行動する。三者に正式つまり公というものがあればこの悲劇は起こらなかったのである。なお、助太刀は仇討の定法としては正規のものである。

    アナザー・ウェイ D機関情報

    (1988年、タキエンタープライズ) 114分/カラー

    監督:
    山下耕作/原作:西村京太郎/音楽:ジョルジオ・モロダー 
    出演:
    役所広司(関谷直人中佐)、永島敏行(矢部将幸中佐)、いしだあゆみ(日下佳子)、高橋英樹(天宮剛士艦長)、芦田伸介(北原大将)、仲代達矢(島村中将)、井川比佐志(笠井)
    内容:
    太平洋戦争末期、日本は戦局打開のため、特殊爆弾開発に必要なウランの入手を急務とし、一方で情報機関による和平工作を図った。それぞれの使命を負った人間の葛藤を描く。
    草舟私見
    潔さとは何かということを考えさせられる作品であると感じる。人間は潔いものをカッコ良いと思う生き物である。その点、主人公の関谷中佐と矢部中佐は全く潔いとは思えない。命懸けでやっていることはわかる。しかし潔くない。なぜか。それは何が正しいのかを悩み過ぎるからである。悩めば人間は必ず綺麗事を摑むこととなるのである。その点はやはり高橋英樹が演じる潜水艦の館長が一番カッコ良い。この人には誠がある。一緒に戦う者の魂がこの人とは共振しているのである。それに比べ両中佐は魂を失っていく。理屈で考え出すのである。だから何かカッコ良くないのである。その変化していく心の過程がよくわかる秀作である。

    あの子を探して NOT ONE LESS

    (1999年、中国) 106分/カラー

    監督:
    チャン・イーモウ/音楽:サン・バオ/受賞:ヴェネチア映画祭 金獅子賞
    出演:
    ウェイ・ミンジ(ウェイ・ミンジ)、チャン・ホエクー(チャン・ホエクー)、チャン・ジェンダ(チャン村長)、カオ・エンマン(カオ先生)
    内容:
    中国の僻地の農村にある小学校を舞台に、十三歳の代用教員と生徒たちの交流を描き、教員とは何かを問う作品。教師も生徒もお金を得ることを通じて、真の人間関係を築いていく。
    草舟私見
    実のある名画です。教育の原点というものが描かれていると感じます。教育とは心と心の触れ合いであり、それによって育まれる心の成長なのです。それには綺麗事はいけません。善いも悪いも無いのです。教師ですら優れている必要など無いのです。教師と生徒が本音でぶつかり合うことが、心を育む上で最も重要なことなのです。教師だけでなく家庭においては親がその役目でありましょう。まだ貧しい現在の中国の田舎の映画です。どいつもこいつも生きんがために生きている人々です。これが重要なのです。愛情ごっこや友情ごっこ、そして現在の日本で一番見受けられる教育ごっこと自己成長ごっこなどは全くありません。先生も別段生徒に愛情などは持ちません。金がほしいのです。親も金がほしい。村で一番偉い村長さんも金がほしい。生徒も金がほしい。その本音のぶつかり合う中から、その奥にある心に触れ合うことがときたま出てくるのです。それだけが本物なのです。本物しか人の心に永く残る事柄は無いのです。物を大切にするのは金が惜しいからなのです。生徒を探しにいくのは金がほしいからなのです。それで良いのです。本音だけが本当に人に通じるのです。

    アパッチ砦 FORT APACHE

    (1948年、米) 123分/白黒

    監督:
    ジョン・フォード/原作:ジェームズ・ワーナー・ベラ/音楽:リチャード・ヘイジマン
    出演:
    ジョン・ウェイン(ヨーク大尉)、ヘンリー・フォンダ(サーズディ中佐)、シャーリー・テンプル(フィラデルフィア・サーズディ)
    内容:
    ジョン・フォード監督の西部劇。アパッチ砦の新任隊長と先任隊長の対立から、アパッチ族との戦いによる騎兵隊の壊滅までを描いた作品。
    草舟私見
    いつもながらジョン・フォードの西部劇は、人間の生き方を巧みに捉え観るたびに元気が出ますよね。オローク曹長と少尉の深い親子の絆が共感を呼びます。また男が男であり女が女である風景が、旧い時代の思い出と共に心の底の情感を揺さぶりますね。それに何と言っても見どころはH・フォンダ扮するサーズディ中佐と、J・ウェイン扮するヨーク大尉の人間性の比較ですね。中佐は表面上、出世主義の嫌な奴に描かれていますが違いますね。それは最後にヨーク大尉が中佐の軍人哲学を引き継いで、指揮官になっていくところでわかりますね。中佐は良い軍人です。規律に何よりもうるさく正面攻撃をします。この一見馬鹿の如くに見える突撃が、強い国民と軍隊の特徴なのです。戦術はインディアンの方が勝っているのですが最終的に白人に負けます。この正直さと規律がその違いなのです。その精神が最後の勝利をもたらすのです。その精神が遺伝するのです。上手な戦術は感化力と遺伝力がないのです。反目していた大尉もそれが最後にわかったのだと感じています。日本も昔、日清・日露の戦いで真正直な正面突撃をしたときはいつでも戦争に勝ちました。

    アフリカの女王 THE AFRICAN QUEEN

    (1951年、米=英) 105分/カラー

    監督:
    ジョン・ヒューストン/原作:C・S・フォレスター/音楽:アラン・グレイ/受賞:アカデミー賞 主演男優賞
    出演:
    ハンフリー・ボガート(チャーリー・オルナット)、キャサリン・ヘプバーン(ローズ・セイヤー)、ロバート・モーレイ(サミュエル・セイヤー牧師)
    内容:
    第一次世界大戦当初の独領東アフリカが舞台で、ドイツ砲艦撃沈に命を懸けた英国人女宣教師とおんぼろ蒸気船の船長が繰り広げる冒険映画。
    草舟私見
    すばらしくて爽々しくて、いつまでも心に残る名画です。私がこの映画を観たのは4歳か5歳の頃でしたが、それ以来四十五年以上経つ今日でもいつでも回顧する映画です。主演のH・ボガートとK・ヘプバーンの二人のすばらしさが忘れられません。こういう男と女の真の恋、真の愛というものは全く爽々しいものです。ボガートは男らしくて人が好いですね。またヘプバーンの上品さは何とも言えません。英語の語り口がそのまま脳裏に残っています。勇気があり気概のある真に信仰に生きるすばらしい女性だと思います。私もこのような女性には本当に惚れます。実に高貴ですよね。また二人の恋は本物です。戦うことを通じて結び合った真に強い絆の男と女であると感じます。二人の会話が最高ですね。魂の美しい人は違います。たまに立場が入れ替ったりして本当に面白いですよね。この二人の恋のような真の恋愛を観ると、心がうきうきして楽しくなってしまいますよね。人生は本当にいいなあと思う作品であると感じています。

    阿部一族

    (1995年、フジテレビ=松竹) 94分/カラー

    監督:
    深作欣二/原作:森鷗外/音楽:長正淳
    出演:
    山崎努(阿部弥一右衛門)、佐藤浩市(阿部弥五兵衛)、蟹江敬三(阿部権兵衛)、藤真利子(権兵衛の妻)、真田広之(柄本又七郎)、渡辺美佐子(阿部キヌ)
    内容:
    巨匠 深作欣二監督による、肥後藩藩主細川忠利の死に際し、殉死を許されなかった阿部一族の叛乱と悲劇が描かれた作品で、森鷗外の原作を映画化。
    草舟私見
    『阿部一族』は『渋江抽斎』と並んで、鴎外の文学で最も好きなものである。文学作品の映画化は非常に難しいが、さすがに巨匠深作欣二の手にかかると本当にすばらしい映画となっている。武士道とは本当にすばらしいものだと感じている。現代的な屁理屈はこの作品にはいらないのである。武士の意地は良い。武士の友情は良い。武士の家族愛は良い。武士の名誉は良い。武士の信義は良い。武士の見栄は良い。武士の頑固は良い。武士の死に様は良い。武士の生き様は良い。武士のカッコつけは良い。全部良い。武士は全部良いのだ。私はそう思っているしそう信じている。だからこの映画は全部良い。世話になるのに確かな槍一本があると思ってくれというのは良い。武士の意地が全然わかってないと高笑いしているのは良い。訴状を口でくわえるのは良い。全部揃って死ぬのは良い。郎党一家も良い。何もかも良く、かつ美しい。私は心底好きである。

    アポカリプト APOCALYPTO

    (2006年、米) 138分/カラー

    監督:
    メル・ギブソン/音楽:ジェームズ・ホーナー
    出演:
    ルディ・ヤングブラッド(ジャガー・パウ)、ダリア・ヘルナンデス(セブン)、ヘラルド・タラセーナ(ミドル・アイ)、ラオウル・トルヒーヨ(ゼロ・ウルフ)、ジョナサン・ブリュワー(ブランテッド)、モリス・バードイエローヘッド(フリント・スカイ)
    内容:
    南米の森林に暮らす主人公パウと家族を襲った、マヤ帝国の兵士たちとの戦い。捕虜と生贄の儀式で殺されていく仲間を眼前に、パウは妻子の待つ場へと必死に戻ろうとする。
    草舟私見
    文明の真実が描かれている名作と思う。文明の本質とは何か。そして、その文明の邂逅とは何なのかが呈示されている。西洋に支配された文明が、決して「美しいもの」だけではなかったことが表わされている。文明の毒は、文明がある限りこの地球上を覆っているのだ。あのアメリカ大陸でさえ、もちろん「楽園」などではなかった。征服した文明は悪で、征服された文明は善だと我々は思っている。なぜ、そう思うのか。それが一番、自分自身が楽であり、また自分を善人と思えるからだ。そのような人間の根本思想に一石を投じた作品と考えている。監督メル・ギブソンの勇気にはいつでも私は感心させられる。西洋が良いとか悪いとか、そういう問題ではないのだ。生命の邂逅が突然起こるように、文明の邂逅も突然起こる。そのとき、どちらの文明により多くの愛と献身があるのかという問題である。私はこの歴史的な出会いにおいて、西洋人の方がより多くの愛と献身と勇気を持っていたのだと思った。自我の程度において、アメリカ原住民の方がより多くそれを持っていた。その差が、近代を誰が創ったかの差になったと思うのだ。

    アポロ11 APOLLO 11

    (2019年、米) 93分/カラー・白黒

    監督:
    トッド・ダグラス・ミラー/音楽:マット・モートン/ドキュメンタリー
    出演:
    ニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズ、ジョアン・H・モーガン、ユージン・F・‛ジーン’クランツ、チャーリー・M・デューク・ジュニア
    内容:
    1969年に人類最初の月面着陸に成功した「アポロ11号」の記録映像を編集したドキュメンタリー映画。
    草舟私見
    アポロ11号は、月面へ初めて人間を送った。その映像は、世界で初めての衛星同時中継によって我々の眼前に晒されたのだ。その時の興奮は、やはりそれを体験した者でなければ分からないかもしれない。人間の夢が、頂点に達しようとしていた時代だったのかもしれない。人間が月に立つということは、人間が神になるということに限り無く近かったのだ。それが如何に軽薄なことであろうと、人間は心の底からそう信じていた。私は同時代を生きて来たひとりの人間として、その夢には真底の共感を感ずるのである。それが人間の傲慢の原因を創ることもある程度は分かっていた。しかし、やはり同時代人として、この打ち震える魂を止めることは出来なかった。そのミッションが見事な映像作品に仕上った。息を呑む迫力が作品そのものを支えている。これはこの事件の意味が、人間の歴史において善くも悪くも偉大なことだからだったに違いない。初めて見る月面の「荒涼」は、人類の悲哀と神の崇高を現わしていると思った。ダンテの『神曲』を私は感じたのである。

    アポロ13 APOLLO 13

    (1995年、米) 140分/カラー

    監督:
    ロン・ハワード/原作:ジム・ラベル、ジェフリー・クルーガー/音楽:ジェームズ・ホーナー/受賞:アカデミー賞 編集賞・音響賞
    出演:
    トム・ハンクス(ジム・ラベル)、ケビン・ベーコン(ジャック・スワイガート)、ビル・パクストン(フレッド・ヘイズ)、ゲイリー・シニーズ(ケン・マッティングリー)、エド・ハリス(ジーン・クランツ)
    内容:
    1970年、アメリカの宇宙開発の歴史において、実際に起こったアポロ13号の事故からの救出劇を描いた作品。船員が無事帰還するまでの危機的なミッションを追った。
    草舟私見
    実に手に汗を握る秀作だと感じます。現代の科学技術文明の最先端に位置し、全てがコンピューターによって制御されているアポロ計画の宇宙船をして、いかに人間の働きによってそれが維持されているのかがよくわかります。どんな時代になっても人間社会の中心は人間なのです。その人間の真心・勇気・愛・友情・決断・献身が全てを支えているのです。この世は人間の心と働き無くしては何も無いのです。人間の持つ夢と祈りが全ての基本なのです。各持場の責任を持つ人物たちの勇気と決断、そして何よりも責任感と土根性があらゆるものを動かしているのです。それが胸に沁み入る映画であると感じます。

    雨あがる

    (2000年、「雨あがる」製作実行委員会) 91分/カラー

    監督:
    小泉堯史/原作:山本周五郎/脚本:黒澤明/音楽:佐藤勝 
    出演:
    寺尾聰(三沢伊兵衛)、宮崎美子(三沢たよ)、三船史郎(永井和泉守重明)、仲代達矢(辻月丹)、吉岡秀隆(榊原権之丞)、井川比佐志(石山喜兵衛)
    内容:
    山本周五郎の小説、黒澤明監督の遺作脚本による映画化。剣の腕のたつ浪人と妻の道中を、温かな人間関係の機微とともに描いた、深い情感を湛えた作品。
    草舟私見
    実に温みのある名画と感じる。一般的な自己意識からくる爽快感ではなく深い情感の底から湧き上がる真実の爽快感というものを感じます。いい人間を見ることは実に気持ちの良いことです。無条件に心が洗われ自分の中にあるいい部分にも気づかされる楽しさがあります。良い人間がどうして良いのか。また良い人間がその良さのゆえに、いかなる欠点を持つのかが本当に良く描かれていると思います。良い人は心に自由を持っています。善悪にこだわりません。人に好かれようとするのではなく良いと思うことをしているのですね。最後のシーンはいいですね。このままにして心に残しておきたい。仕官するのか浪人を通すのかが気になる人は心の自由を失います。情感を共にしてこの夫婦と一緒に生きる気持ちが大切なのではないか。そう感じます。御前試合の殺陣は忘れられませんね。見切りが表現されていて真の剣術を感じます。このように本当の真剣勝負の戦い方を再現した場面は、他の映画では見たことがありません。

    荒馬と女 THE MISFITS

    (1961年、米) 121分/白黒

    監督:
    ジョン・ヒューストン/音楽:アレックス・ノース
    出演:
    マリリン・モンロー(ロズリン)、クラーク・ゲーブル(ゲイ)、モンゴメリー・クリフト(パース)、イーライ・ウォラック(ギドー)
    内容:
    雇われ仕事を嫌い縛られない自由な人生を楽しむ西部の男たちが、一人の夢想家の女性との出会いによって人生を狂わされていく様を描いた作品。
    草舟私見
    C・ゲーブルとM・モンローの二大スターの共演と、二人揃っての遺作となったことでも有名な作品である。ノイローゼの女性を演じるモンローの、真に迫った演技が忘れ得ぬ印象を残す。作品の主題は、当時の米社会を覆い出したノイローゼというものの本体を探りそれに迫る名作となっている。三人の男性は別に取り柄のある特別秀れた人物というわけではないが、各々がそれなりの苦労の人生を生き、それでもそれなりに楽しい日々を過ごしていた。それは事実を事実として見る目を持って生きていたからだ。そこへモンローが現われ三人は各々彼女に惹かれていく。彼女は真実を見ず綺麗事で生き、生命の本質である戦いと犠牲を忌み嫌う。それが嵩じて精神の不安定を招いているのだ。この世に完全で安全な天国を夢想している。その彼女に惚れることにより三人の男も骨抜きになっていく。骨抜きになると嫌なことは他人にやらせ、自分は優しさだけで生きようとし出すのだ。どうしたら力一杯生きる真の生が死んでいくのかが、よく表わされている名画である。C・ゲーブルがロデオの場面で言う「死を恐れる者は生をも恐れる」という言葉は忘れられない。そしてモンローの魅力も相変わらずまいる作品である。

    アラスカ物語

    (1977年、東京映画) 141分/カラー

    監督:
    堀川弘通/原作:新田次郎/音楽:佐藤勝/受賞:文部省特選 
    出演:
    北大路欣也(フランク安田)、三林京子(ネビロ)、宍戸錠(ジョージ大島)、ウィリアム・ロス(トム・カーター)、ジム・バワーズ(ジム・ハートン)
    内容:
    新田次郎の小説を映画化。明治に単身アラスカに渡った実在のフランク安田の波乱に富んだ半生が描かれる。
    草舟私見
    新田次郎の忘れることのできぬ名作を、原作を凌ぐ程の見事な映画化に成功した秀作である。フランク安田の生涯を知るとき、我々日本人は心の底から、また血の奥から真の誇りというものを感じずにはおれない。この明治の日本人の真の道義心や誠実さというものを知ったとき、我々は真の人助けというものがどんなものなのかを知ることとなる。人を助けるということは自己の人生をその中に投げ込むことである。だから真の人助けなどというものは現代人の考えるような綺麗事ではなくて、一生を賭けて一生に一度しかできないような質のものなのであると、尽々とわかることのできる作品である。現代の国家交流や海外援助またはボランティアの人々にはぜひ見てもらいたい映画である。自分の持つちょっとした余力などでする人助けはでしゃばりのおせっかいと大差ないのだ。真心のものは正否の先が見えぬところへ自己の人生を投げ捨てる勇気を必要とするのだ。フランク安田こそ真の日本人であり、またそのゆえに真の国際人であると感じる。

    アラトリステ ALATRISTE

    (2006年、スペイン) 139分/カラー

    監督:
    アグスティン・ディアス・ヤネス/原作:アルトゥーロ・ペレス=レベルテ/音楽:ロケ・パニョス
    出演:
    ヴィゴ・モーテンセン(ディエゴ・アラトリステ)、エドゥアルド・ノリエガ(グアダルメディーナ伯爵)、ウナクス・ウガルデ(イニゴ・バルボア)
    内容:
    イギリスに無敵艦隊を破られた十七世紀の凋落スペインで、己の剣の腕だけで生きて来た主人公の人生を描いた作品。
    草舟私見
    十七世紀のスペインに生きた一人の男の物語である。まさに男の物語である。「高潔な男ではなかった。しかし勇敢な男ではあった。」と最後に語られるが、私は高潔であると思っている。品格があり、高潔であり、清廉であり、かつ勇敢である。信義を重んじる男である。この時代、すでに失われつつあった、騎士道精神の体現者であると私は感じている。世界を制覇したスペインの獰猛なる騎士道精神の名残りを、この男の中に感じる。十字軍の精神がこの男の言行の中に漂っている。それを観て感じることは、ひとつの喜びであり、また悲しみでもある。失われていくものを観ることは、自己の精神の糧である。糧なくして人間は生きることはできない。そういう意味で、間違いなく名画である。永く精神に残る映画である。主人公の声が、永く精神に突き刺さって、心臓の鼓動のように響き続ける。男の名はディエゴ・アラトリステ。我が友である。死に絶えていくものを守ろうとする者の友である。私は無条件にこの男が好きである。この男は私の淵源である。

    アラモ THE ALAMO

    (1960年、米) 155分/カラー

    監督:
    ジョン・ウェイン/音楽:ディミトリ・ティオムキン/受賞:アカデミー賞 サウンド賞
    出演:
    ジョン・ウェイン(クロケット)、リチャード・ウィドマーク(ボウイ)、ローレンス・ハーヴェイ(トラビス)
    内容:
    西部劇の代名詞ジョン・ウェインが製作・監督・主演をこなし、ジョン・フォード監修で西部開拓史上に残るアラモ砦の壮絶な攻防戦を描いた作品。
    草舟私見
    私はね、このての映画には実に弱いんですよ。こういう死を賭して戦う男の姿は、やはり私の人生観の中心課題です。小四のときに観て全く感動してしまいました。26歳のときにテキサスに行ったとき、このサン・アントニオのアラモ砦の跡にすぐに詣でました。デイビー・クロケットやジム・ボウイの碑があって、ただ佇んで涙が止まりませんでした。こういう人々の魂が尊いのです。私が話したテキサス人は、みんな今でもこの話を私に耳にたこができるくらいしてくれましたね。こういう歴史が末代に至るまで、真にそこに住む人々を生かしめているのだということを実感しました。負けるに決まっている戦いを、大義のために行なったことに対する誇りは大変なものでした。そのことにどのアメリカ人も心から尊敬の念を抱いていました。日本人も特攻までした戦い(大東亜戦争)を、もっと歴史的な誇りにしなければならないと感じています。D・クロケットの「さりげない命懸け」が最高ですね。J・ボウイの「やんちゃな命懸け」も共感します。トラビス大佐の「生真面目な命懸け」も私は心から好きです。こういう男たちはどこの国の人であろうとみんな我が魂の友です。

    アリ ALI

    (2001年、米) 157分/カラー

    監督:
    マイケル・マン/音楽:リサ・ジェラード、ピーター・バーク
    出演:
    ウィル・スミス(カシアス・クレイ=モハメド・アリ)、ジェイミー・フォックス(ドリュー“ブンディーニ”ブラウン)、ジョン・ボイト(ハワード・コーセル)、マリオ・ヴァン・ピーブルス(マルコムX)、ロン・シルバー(アンジェロ・ダンディ)
    内容:
    二十世紀最強のヘビー級ボクサーのチャンピオン、モハメド・アリを主人公とした不滅のボクサーの伝説を描いた作品。
    草舟私見
    私の世代にとって、世界ヘビー級チャンピオンであったモハメッド・アリはまさに英雄であった。アリはその独立自尊の生き様のゆえに、単なるスポーツ上の偉大な人であることを越えて、一人の人間として最も魅力ある男であると私は思っている。アリはアメリカ文明というものが抱える矛盾と、その才能と人生の全てを懸けて戦い抜いた人物である。リング上でアリは世界最強の人物であったと同時に、それとは比較にならぬ程の戦いを「巨悪」との間で戦い抜いていたのである。このような真の英雄的なスポーツマンは彼の前にもおらず、また今後もいないであろう。キンシャサでのフォアマンとのタイトル戦を、私は若き日に家族と一緒にテレビで観戦し、心の底から感動した思い出がある。その感動の根本は、スポーツを通して彼が我々に訴えかけるものの中にあったのだ。本作品はそのアリの内面をよく表わし、彼が周囲の人間からいかに理解されない程大きな夢を抱く人物であるかを知らされるのである。彼を理解する者は歴史上の英雄しかいないであろう。

    アレクサンドル・ネフスキー AЛEКCAHДP HEBCКИЙ

    (1938年、ソ連) 108分/白黒

    監督:
    セルゲイ・エイゼンシュタイン/音楽:セルゲイ・プロコフィエフ
    出演:
    ニコライ・チェルカーソフ(アレクサンドル・ネフスキー)、ニコライ・オフロプコフ(ワシーリー・ブスライ)、アレクサンドル・アブリコーソフ(ガブソロ・オレクシチ)、ドミトリー・オルロフ(武器商イグナート)、ワシーリー・ノヴィコフ(ブスコフの総督)
    内容:
    十三世紀ロシアに実在した英雄が、侵攻してきたドイツ騎士団を粉砕し、国家の危急を救う様子を描いた作品。音楽と映像の相関性を理論的に実践した名画。
    草舟私見
    セルゲイ・エイゼンシュタインの名画である。エイゼンシュタインの映像の天才をよく伝える作品と感じる。陰影の中に浮かび上がる神秘的な映像は、心に深く刻み込まれる感動がある。ネヴァ河におけるアレクサンドルという、ロシア史における重大な事件を取り扱った作品である。ドイツ騎士団とのこの戦いに勝つことによって、ロシアの基礎ができ上ったという史実を基にしているものである。それにしても国家草創期の物語というものは、何か人間の夢をかき立てるものがあります。アレクサンドルの生活と人生も、英雄というよりも何か中国古代の聖人を彷彿させるものがあり、我々現代人の心を洗ってくれるものがある。何はともあれ映像とはかくの如きものを言うのだと実感できる作品である。

    暗黒街のふたり DEUX HOMMES DANS LA VILLE

    (1973年、仏=伊) 95分/カラー

    監督:
    ジョゼ・ジョヴァンニ/音楽:フィリップ・サルド
    出演:
    ジャン・ギャバン(ジェルマン)、アラン・ドロン(ジーノ)、ミシェル・ブーケ(ゴワトロ)、イラリア・オッキーニ(ソフィ) 
    内容:
    誠実な保護司と仮釈放された前科者との心の交流を綴った作品。主演のジャン・ギャバンの遺作となったが、人間の強さと弱さが如実に現れる描写が秀逸な作品。
    草舟私見
    ジャン・ギャバンの遺作であり、この稀代の名優の風格と人間味が、遺憾無く発揮されている秀作と言える。ジャン・ギャバンが人生を強く生きる人間の人生観を表現し、アラン・ドロンが弱い人間の生き方を代表的に表現している。強い人間は他を愛することに生き、優しく親切である。そして何よりも柔軟である。一方弱い人間は幸福を求める心が内向しており、人の愛を受けたがる側に位置し、自分の幸福について理想の環境を求めすぎることがよく表現されている。弱さとは、環境が整わなければ自己の幸福を見い出せない性格にあるとよくわかる。この根本問題が、二人の友情を通じて非常に情緒的に美しく表現されていると感じる。全編を貫く音楽はこの上なくすばらしいものであり、深く心に沁み入り、この作品を忘れ難い名作に仕上げていると感じる。

    アンザックス  ANZACS: THE WAR DOWN UNDER

    (1984年、豪) 183分/カラー

    監督:
    ピノ・アンメタ、ジョージ・ミラー、他/音楽:ブルース・ローランド
    出演:
    アンドリュー・クラーク(マーチン・バリントン)、ポール・ホーガン(パット・クリアリー)、メーガン・ウィリアムス(ケイト・ベーカー)、マーク・ヘンブロー(ディック・ベーカー)、ジョン・ブレイク(フラナガン)
    内容:
    第一次世界大戦のイギリス連邦の一員として大戦に参加し、ヨーロッパ各地の戦線で目覚ましい活躍をしたオーストラリアの若者たちの姿を描いた作品。
    草舟私見
    数少ないオーストラリア映画の一編である。やはり主人公のマーチンの生き様が、この映画の中心であろうと感じる。マーチンの勇気、篤い友情、誇り、そしてその人間味豊かな性格には理屈抜きに惹かれるものがある。その人格の形成には、反目し合った父親の存在の大きさが窺われる。この名誉に生きる父を持つことによって、マーチンの人間性が確立したのだと感ぜられる。本作品はまた第一次大戦というものを側面から捉えるのに有効な、めずらしい一編と思われる。旧い時代の精神を良く伝えているのを感じる。

    アンタッチャブル(テレビシリーズ) THE UNTOUCHABLES

    (1959~1963年、米) 合計3870分/白黒

    監督:
    ジョン・ペイサー、リチャード・ウォーフ、他/原作:エリオット・ネス/音楽:ネルソン・リドル
    出演:
    ロバート・スタック(エリオット・ネス)、アベル・フェルナンデス(ウィリアム・ヤングフェロー)、ニコラス・ジョージアーデ(エンリコ・ロッシ)、ポール・ピサーニ(リー・ホブソン)、ネヴィル・ブランド(アル・カポネ)
    内容:
    1920年代の禁酒法時代のアメリカ・シカゴを舞台に、財務省の特別捜査官エリオット・ネスとアル・カポネ率いるギャングとの闘いを描いたTVシリーズ。
    草舟私見
    私が小学校高学年の頃、最も好きなTVの番組であった。「七人の刑事」「新選組血風録」「ローハイド」「ボナンザ」「サンセット77」と好きな番組は大変な数にのぼっていたが、何と言ってもこの「アンタッチャブル」は別格であった。日曜日の夜であったが、これを週に一度見るために、どれほどの事柄を犠牲にしたことか。思い出すだけで、今でも現に鳥肌が立ってくる。実に恐ろしい犠牲をはらった。命がけと言っても決して過言ではない。それくらいの魅力があった。何と言ってもロバート・スタックが扮するエリオット・ネスである。実に格好良かった。あの頃の私にとって、世界中で最も男らしい男の代表が、このエリオット・ネスなのだ。仕草が良い。武士道的で、かつ優雅である。その重厚とも言える生き方が、少年であった私を強く捉えて離さなかった。私は心底から、このエリオット・ネスのような男になりたいと思っていたのである。ある日、父にその旨を言ったとき、父が「お前には、絶対に無理だ」と答えてくれたことを、やけに鮮明に覚えている。

    アントニアの食卓 ANTONIA

    (1995年、オランダ=ベルギー=英) 102分/カラー

    監督:
    マルレーン・ゴリス/音楽:イロナ・セカス/受賞:アカデミー賞 外国語映画賞
    出演:
    ヴィルケ・ファン・アメローイ(アントニア)、エルス・ドッターマンス(ダニエル)、ヤン・デクレイル(バス)、フェールレ・ヴァン・オファーロープ(テレーズ)
    内容:
    戦後まもないオランダの小さい村を舞台とした、血縁にとらわれずに家族のように生きる人々の絆を描いた作品。女主人公アントニアを中心に繰り広げられる人間関係を扱う。
    草舟私見
    主人公のアントニアを通して、自己の責任において真に生きる本当に魅力的な女性をいうものを痛感させられる良い作品である。現代人が忘れている真に生きるとは何かを問う名画である。アントニアの周りに各々生きる人々の何と魅力のあることか。善でも無く悪でも無い。ひたすらに生きる。善も必要だが悪も必要なのが真の人生ですね。どんなにつまらない人間に見える人々も、よく見ると確固とした自己の人生を歩んでいる。爽快である。村の人々全部と共に生き、村にある物すべてと共に生きている(娘の眼を通して物の命が描かれます)。善人も悪人も変人も真面目人間も全てが必要な存在であり支え合っている。死者も同時に生き、これから生まれる赤坊も一緒に生きているのです。「ウスノロ」と「デイデイ」の夫婦の幸福な人生が脳裏を離れない。あの幸福の裏地にはいじめられ通した前半生があることを見落としてはいけません。本当は人を苦しめる人間もこの世には存在の理由があるのですね。変人の「曲がった指」ね。最後に自殺しますが、私はあの人は良い人生を自分の足でしっかりと生き切った人だと感じています。アントニアとその縁の人々は私の永遠の友達です。

    アンドレイ・ルブリョフ Андрей РуБлев

    (1967年、ソ連) 182分/パートカラー

    監督:
    アンドレイ・タルコフスキー/音楽:ヴャチェスラフ・オフチンニコフ/受賞:カンヌ映画祭 国際批評家連盟賞
    出演:
    アナトリー・ソロニーツィン(アンドレイ・ルブリョフ)、イワン・ラピコフ(キリール)、ニコライ・グリニコ(ダニール)、ニコライ・セルゲーエフ(フェオファン)
    内容:
    十五世紀初頭のロシア最高の聖像画家でありながら、生涯についての記録がほとんどないアンドレイ・ルブリョフを描いた、アンドレイ・タルコフスキー監督による大作。
    草舟私見
    名匠タルコフスキーの映像が、心の底に沁み渡ってくる。創造の根源とは何であるのか。それを我々に問うているのであろう。そのために、十五世紀に実在した、聖像(イコン)画家アンドレイ・ルブリョフの生涯を物語っているのだ。これは歴史に名を残した男の「復活」の物語である。ロシアの歴史において、最高の画家がなぜそうなれたのか。それを感じなければならない。そして、二十一世紀に生きる我々が、「幸福」と「豊かさ」の洪水の中で、いかに創造的生命をもて遊んでいるのかを知ることに尽きる。創造とは、呻吟の中から生まれてくるのだ。悲しみを抱きしめ、この世の不条理を見つめ続けなければならない。我々自身には、成功の力も、豊かになる知恵も、創造の精神も無い。我々はすべて、神の恩寵によってのみ生かされているのである。それを知るために生きることが、つまりは自己自身の本当の生命を生き切ることに他ならないのだ。この世のあらゆる不幸と悲哀を見つめ続け、それでもこの世を愛さなければならぬ。不可能性の可能性を信じることが人生のすべてと言えよう。ルブリョフは、そのように生き続け、自己自身の神と出会ったに違いない。その証が彼の遺した「聖像」(イコン)という芸術なのである。

    アンドロメダ病原体 (別題:アンドロメダ・ストレイン)THE ANDROMEDA STRAIN

    (2008年、米) 177分/カラー

    監督:
    ミカエル・サロモン/原作:マイケル・クライトン/音楽:ジル・メレ
    出演:
    ベンジャミン・ブラット(ジェレミー・ストーン)、エリック・マコーマック(ジャック・ナッシュ)、ダニエル・デイ・キム(ツァイ・チュー博士)
    内容:
    アメリカ・ユタ州に広がった、強い感染力の細菌によって夥しい住民が亡くなる中、病原体の爆発的な拡大を引き起こす人類的危機の可能性が高まっていく様子を描いたSF映画。
    草舟私見
    我々が、宇宙の中で生存するとはどういうことなのか。その本源と意味を考えさせられる名作である。旧作を発展させ、未知のウイルスのもつ恐怖を実に現代的な手法で表現していると感じている。宇宙の中で、この地球の置かれている脆弱さを知らなければならない。我々は、その地球で進化を遂げてきた。地球の環境を手の内に治めながら発展してきたのだ。我々の発展は、地球の自然と戦うだけでも危険極まりないものであった。しかし、この地球に存在する危険は、宇宙に存在する危険と対比すれば、実に何憶分の一か又は何兆分の一か、それは想像を絶する数字となるだろう。宇宙が、生命の本源なのである。地球は、宇宙の力によって生かされている。そして我々は、その地球の力によって生かされているのだ。それを思い知らせてくれる作品とも言えよう。ウイルスは、宇宙の危険の中でも最も地球人にわかり易いものの一つだ。そのウイルスの本質とその生命的意味を考えるきっかけにこの作品はなるのではないか。ウイルスは、我々の生存をいつの日もおびやかしている。その恐怖を知らなければならない。そして、それを知る人間として人類の未来と使命を考え直さなければならないだろう。

    アンネの日記 THE DIARY OF ANNNE FRANK

    (1959年、米) 150分/白黒

    監督:
    ジョージ・スティーヴンス/原作:アンネ・フランク/音楽:アルフレッド・ニュ―マン/受賞:アカデミー賞 助演女優賞・撮影賞・美術監督装置賞
    出演:
    ミリー・パーキンス(アンネ)、シェリー・ウィンタース(ファンダーン夫人)、リチャード・ベイマー(ペーター)、ジョセフ・シールドクラウト(オットー)
    内容:
    ナチスによるユダヤ人迫害の中、ユダヤ人の少女が遺した世界的に有名な日記の映画化。少女アンネ・フランクの暮らしを通じて、当時のユダヤ人迫害の歴史を描く。
    草舟私見
    その映像の持つ芸術的な哀しさと、深く心に刻み込まれる同情心のゆえに生涯己が心にあり続け、また考え続けさせられる名画であると感じる。初めてこの作品を観てから40年も経ようというのに、未だに結末の悲しさが忘れられぬ。その悲しさは事実であるだけに私の心に残り続ける。ただその反面、私が日本人に生まれ、恵まれた環境に生きてきたことに感謝せざるを得ぬのである。彼ら一家が不幸の中で見つけ出すささやかな幸福のときは、私も天にも昇る気持ちになり、また自己の戒めともしている。主演のミリー・パーキンスの美しさと共に思い出がいつまでも甦る。父親役のジョセフ・シールドクラウトの深遠な演技は、その悲しみに耐える重厚さとあいまって私の心に忘れ得ぬ印象を残している。一少女の日記がかくも人の心を動かすということは、とりも直さず一人の人間の人生の真の偉大さ、真の価値というものを感じずにはおれない。
  • 言うなかれ 君よ別れを

    (1996年、TBS) 94分/カラー

    演出:
    久世光彦/原作:向田邦子/音楽:小林亜星
    出演:
    岸恵子(朝比奈絹江)、小林薫(浦島壇吉)、清水美砂(朝比奈真琴)、椎名桔平(海軍軍人・小田切)
    内容:
    向田邦子原作の映画化。昭和二十年の東京、米軍爆撃機による空襲におびえる朝比奈家の生活を描くことで、戦時下の青春や家庭の様子が伝わる作品。
    草舟私見
    深い味わいがある。打ち寄せては引く波のように、心の情感にうったえ続ける名画と言えるだろう。登場人物のすべてに、真実の血が通っているのだ。戦時下の生活を描いて、現在の生活に通じる「根源的実在」を強く感じるのは私だけであろうか。未来を志向する「何ものか」が、この作品を貫通しているに違いない。人間の悲しみが彷彿とされ、それが人間の未来への憧れを支えている。作品中に歌われる、大木惇夫の詩は「永遠」である。その永遠が、生活に落とされていると言ってもいい。涙が流れる。ここにいるすべての人々に、私は日本人としての友情を感じているのだ。亡き母を、私は劇中に偲んでいた。戦時下に、その青春を送った母が、この画面の中に生き生きと生きているように私には思える。今はもう消滅してしまった、若き日の母の平和な家庭が私には見える。私を生む前の、恋する若き母の姿が、この作品にはある。母の若い情熱が、あらゆる場面に偲ばれる。原作の向田邦子は、限り無く、母に近い人間であったように私には感ぜられるのだ。

    家なき子 ―希望の歌声― Remi Sans Famille

    (2018年、仏) 109分/カラー

    監督:
    アントワーヌ・ブロシエ/原作:エクトール・マロー/音楽:ロマリック・ローレンス
    出演:
    マロム・パキン(レミ)、ダニエル・オートゥイユ(ヴィタリス)、ヴィルジニー・ルドワイヤン(ハーパー夫人)、アルバン・マソン(リーズ)、ジャック・ペラン(レミ:壮年期)、リュディヴィーヌ・サニエ(バルブラン夫人)、ジョナサン・ザッカイ(ジェローム・バルブラン)
    内容:
    世界中に愛されたエクトール・マローの『家なき子』の実写映画。旅芸人に引き取られた少年レミの、苦難の中でも健気に生きる姿が描かれる。
    草舟私見
    十九世紀フランスの作家エクトール・マローの、あの名作の映画化である。小学生の頃に、この原作を読んで随分と涙を滲ませたことが思い起こされる。その原作と比較しても、この最新の映像化は実に心打つものがある。それは主人公の少年レミを演ずるマロム・パキンのもつ清純な輝きと、旅回りの芸人ヴィタリスを演ずるあの名優ダニエル・オートゥイユの重厚な演技が醸し出す雰囲気だろう。何しろ心が温まるのだ。レミのあの歌声のすばらしさといったら、まさに神のごとくとしか言えない。その清純も、その歌も、これはどう考えても「天使」がこの地上に舞い降りたとしか私には思えないのだ。その天使を、地上で支える男がいる。それがヴィタリスだ。ヴィタリスの中には、美しいフランスがある。あの映像の美しさは、その魂から生まれているのだろう。ヴィタリスの魂と、レミ少年の魂が交錯している。それがあの映像の美しさであり、あの音楽の高貴さを引き出している。人間とは、かくも美しいものであるのか。心温まる名画である。

    硫黄島の砂 SAND OF IWO JIMA

    (1949年、米) 109分/白黒

    監督:
    アラン・ドワン/原作:ハリー・ブラウン/音楽:ヴィクター・ヤング
    出演:
    ジョン・ウェイン(ストライカー)、ジョン・エイガー(コンウェイ)、アデール・マラ(フロムリー)、フォレスト・タッカー(トーマス)
    内容:
    太平洋戦争の時局が米軍有利に傾いていた頃、米海兵隊の英雄ジョン・ストライカーの半生と彼に率いられ成長していく若き隊員たちの姿を描いた作品。
    草舟私見
    本作品の主人公である米海兵隊のストライカー軍曹は、もちろん実在の人物である。有名な硫黄島に掲げる星条旗の物語であり、それを成し遂げた海兵分隊の映画である。ジョン・ウェイン扮するストライカーは、私の最も好きな男の一つの例である。悲しみを乗り越え、義務と責任に生きる男は洋の東西を問わず、やはりいつでも人生を生きようとする全ての後輩たちに対し無限の勇気を与えてくれるのである。また、父を憎むことによって人としての生き方がゆがんだ人としてコンウェイ一等兵が登場する。このような人物は必ず綺麗事に走るのである。その彼が多くの確執を通して、真の男ストライカーの勇気に気づいていくところも見どころである。コンウェイは逃げなかったことだけにおいて、また男なのである。それにしても海兵隊の歌はいつ聴いても良いですね。

    怒りの葡萄 THE GRAPES OF WRATH

    (1940年、米) 130分/白黒

    監督:
    ジョン・フォード/原作:ジョン・スタインベック/音楽:アルフレッド・ニューマン/受賞:アカデミー賞 監督賞・助演女優賞
    出演:
    ヘンリー・フォンダ(トム・ジョード)、ジェーン・ダーウェル(母)、ジョン・キャラダイン(ケーシー)、チャーリー・グレープウィン(祖父)、ラッセル・シンプソン(父)
    内容:
    文豪スタインベックの作品を、巨匠ジョン・フォードが映画化。凶作と資本主義の歪みによる大不況の中で、逞しく生きるアメリカ農民の姿を描いた社会派ドラマの名作。
    草舟私見
    文豪スタインベックの名作を、巨匠ジョン・フォードが見事に映像化している作品である。あの大不況下におけるアメリカの貧農一家の物語であり、消費文明の進展の社会的矛盾を鋭く描いている。ジョード一家を通じて喪われていくアメリカ魂を描き、それと対比して人間の心を虫蝕んでいくものが何かを見事に活写している力作である。生きるための最低のものを求めているだけの人間たちの、魂の雄叫びが心に響く。幸福とは何なのかを深く考えさせられる。それにしてもJ・フォードが描く、旧いアメリカの人情は良いですね。昔の日本と全く同じです。アメリカ的と思うものは消費文明のことで、アメリカ人のことではないのですね。ジョード一家の貧しさの中にある絆はすばらしいですね。いい家族です。本当の絆がある。祖父と祖母が良い。旧い幸福です。父と母もそうですね。トムが新しい文明に足を踏み入れていく過程が涙を誘います。

    生きてこそ ALIVE

    (1993年、米) 127分/カラー

    監督:
    フランク・マーシャル/原作:ピアズ・ポール・リード/音楽:ジェームズ・ニュ―トン・ハワード
    出演:
    イーサン・ホーク(ナンド)、ヴィンセント・スパーノ(アントニオ)、ジョッシュ・ハミルトン(カネッサ)、ブルース・ラムゼイ(カリトス)
    内容:
    1972年、南米ウルグアイの学生らを乗せた旅客機がアンデス山脈に墜落。その後無事に16人が生還した事実をもとに作られた映画。
    草舟私見
    体の芯から神を感じるときがなければ、本当の人生の姿は見えてこないという真実を、実話を基に見事に描いた名画である。この過酷な状況を生き抜いた者が何をしたのかは、誰も裁くこともできないし批判もできない(当時この事件の批判者が多くいた)。真に生きるには飛び越えなければならないときもあるのだ。「生きる」ということがどういう意味なのか本当にわかっている者にとっては、忘れ得ぬ作品であり涙なくしては観れぬ名画である。人肉を食らっても生きるために働き、人助けのために働くこの若者たちに私は深い友情を感じる。この者たちはこの経験により友情を手に入れ、真の人生をこれ以後歩み出す。食う人間と食われる人間が人間存在の真実の愛の姿で結ばれる。そこに本当の神の実在の瞬間を私は感じるのだ。苦難と絶望が本格的に深まる程、みんなが徐々に前向きに明るく変化していく真実は、我々のような文明生活にどっぷりと浸っている人生の怠け者には、真実の人生を教えてくれるまたとない機会になっている。苦難に立ち向かう姿勢こそが友情を育み、神に近づけ真の人生を切り拓く人生の真実なのである。

    遺恨あり―明治十三年 最後の仇討―

    (2011年、テレビ朝日) 120分/カラー

    監督:
    源孝志/原作:吉村昭/音楽:溝口肇
    出演:
    藤原竜也(臼井六郎)、北大路欣也(山岡鉄舟)、松下奈緒(なか)、吉岡秀隆(中江正嗣判事)、小澤征悦(一瀬直久)、岡田浩輝(萩谷伝之進)、石橋蓮司(吉田悟助)
    内容:
    1880年に実際にあった「日本最後の仇討事件」とされる臼井六郎による仇討を描いた作品。九州で起きた攘夷派による両親殺害の仇を晴らすため、臼井は復讐を果たしていく。
    草舟私見
    自分の生命よりも、自分の人生よりも、恩が大切ならば、仇討はごく自然に正当なものである。恩よりも大切な価値観が生まれたとき、仇討は悪に変じる。近代が生まれるまで、恩は何ものにも変え難い価値であった。特に教育のある人間の間ではそうであった。それが、そうでなくなってきた時代の変化が、よく捉えられている作品だと感じている。近代になって、仇討は禁止されるようになった。しかし、そこには近代文明の卑しさが潜んでいる。近代は、人間が生きるために必要とする重大な芯を犠牲にした。それは近代が、効率と幸福を追及する上に築かれたものであったからではないか。その辺のところがこの作品の見所であろう。山岡鉄舟の心の動きの中に私はその懊悩を見る。武士である鉄舟、つまり人間そして男である鉄舟は仇討を許容している。しかし教育者、明治を創り上げようとする鉄舟は主人公を生かそうとする。鉄舟の苦悩は、明治日本の苦悩そのものと言えよう。そして歴史は、効率と幸福を願うことが善とされる方向へ向かった。

    居酒屋兆治

    (1983年、東宝) 125分/カラー

    監督:
    降旗康男/原作:山口瞳/音楽:井上尭之
    出演:
    高倉健(兆治)、大原麗子(さよ)、加藤登紀子(茂子)、田中邦衛(岩下)、伊丹十三(河原)、ちあきなおみ(峰子)、平田満(越智)、東野英治郎(松川)、大滝秀治(相場)
    内容:
    函館で妻と小さな居酒屋を営む兆治と、兆治のかつての恋人を巡る出来事を軸に、様々な人間の喜怒哀楽を描いた作品。
    草舟私見
    何とも言えぬ情緒があり真底から心が温まる映画ですね、これは。この中には本当の人間の付き合いというものの全てが含まれています。人が人と付き合う根本はやはり見栄を張らないことなのだと尽々とわからせられます。人生には色々なことが起こります。しかし人間がずっと付き合っていくって本当に美しいことですね。これ以上のことっていうのは、多分この世にはありませんよ。伊丹十三と大原麗子の役柄が観ている途中では何だか癇にさわるんですが、観終わった後には何か爽々しいものが残りますね。色んな人がいますが人間というのは本当に根っからの悪人はいません。私はこういう人生に憧れます。本当に他人のためになるとは、自分が悪人になることと紙一重だということが兆治や校長やみんなの生き方からよくわかりますね。本当の人生はやはり綺麗事で自分を飾る人間にはこないのです。生きるって正直で見栄を張らなければ良いんですね。私はね、この兆治っていう人が好きでたまらんですよ。

    伊豆の踊子(1974年)

    (1974年、東宝=ホリプロ)  82分/カラー

    監督:
    西河克己/原作:川端康成/音楽:高田弘
    出演:
    山口百恵(かおる)、三浦友和(川島)、中山仁(栄吉)、佐藤友美(千代子)、一の宮あつ子(のぶ)、四方正美(百合子)、石川さゆり(おきみ)、宇野重吉(ナレーション)
    内容:
    川端康成による小説の映画化。第一高等学校の学生 川島が一人旅に出たときに出会った、伊豆の踊子との清純な恋愛を描いた作品。
    草舟私見
    人間のもつ純心が響き渡る作品である。純心の本質とは何だろうか。それを考えさせられる。私は、人間の嗜みと弁えなのではないかと感じるのだ。それがこの作品から伝わる最も強い印象だ。第一高等学校の学生と旅芸人の少女との間に芽生える淡い恋が描かれているのだが、もっと深い清純を私は感じる。そして、その清純は登場人物の総体によって高められていると思うのだ。憧れに生きる人間たち。苦しみの中を生き抜く人々。悲しみを乗り越えて進む人間。多くの人間が、この不合理の世を生き抜いている。また社会が素朴だった頃の、人間たちの赤裸々な魂が伝わってくる。その素朴な魂が、主人公二人の恋を清純なものに高めているように私には思える。恋愛とは、ひとりの男とひとりの女のなせることではないのかもしれない。一組の男女の真の恋愛は、多くの人々の真心の中から生まれてくるのだ。その美しさが、この作品の最大の魅力ではないだろうか。人生の本体は、恋である。人が生きるとは、恋を知るためなのだ。私は、そう思った。

    イタズ

    (1987年、こぶしプロ) 117分/カラー

    監督:
    後藤俊夫/音楽:佐藤勝/受賞:文部省特選、文部大臣賞 
    出演:
    田村高廣(銀蔵)、宮田浩史(一平)、桜田淳子(きみ=一平の母)、佐藤B作(一平の父)
    内容:
    工業文明に侵され始めた秋田の山村を舞台に、山神様としてイタズ(熊)と対したマタギ(狩人)の生き様を描いた作品。
    草舟私見
    マタギの岩田銀蔵に扮する田村高廣の名演によって、深く心に刻み込まれた名画である。この銀蔵の生き方こそまさに男の生涯であり、真のダンディズムの極致であると感じている。いやあー、憧れますね、こういう人物には。真の愛とは何か、真に生きるとは何かを体現している人生であると思いますね。映画の中におけるゴン太も犬のゴン助も一平もその他の人も、全てこの銀蔵の強烈な個性によって真に生かされているのだと感じられます。一平とゴン太の愛情も別れも全て銀蔵の魂がそこに介在することによって、本当にすばらしいものに転化しているのだということがわかります。一人の人間の強烈な個性は本当に凄い感化力を有するものであると思います。弾丸も一発しか持ちませんからね。カッコいいですよ。要するに銀蔵は全部良い。私はこういう人物にはただただ惚れます。

    異端の鳥 The Painted Bird

    (2018年、チェコ=ウクライナ) 169分/白黒

    監督:
    ヴァーツラフ・マルホウル/原作:イェジー・コシンスキ/音楽:ナオミ・シュメル
    出演:
    ペトル・コトラール(ヨスカ)、ウド・キアー(ミレル)、ハーヴェイ・カイテル(司祭)、レフ・ディブリク(レッフ)、ステラン・スカルスガルド(ハンス)、イトゥカ・ツバンツァロバー(ルドミラ)、ジュリアン・サンズ(ガルボス)
    内容:
    ナチスのホロコーストから逃れ疎開した少年。異物として差別され続けることに耐え、ひたすらに生きようとする少年の旅を描く映画。
    草舟私見
    貧しさが、震えているのだ。剥き出しの人間の生活が画面を覆っていく。これは戦争の苛酷ではない。これは差別の峻厳ではない。生きようとする人間のもつ、その熱情の噴出と言っていいだろう。その暗黒の力が、現世的な条件によって表面化して来るということなのだ。人間の生きるための黙示録が、ここに写し出される。それは黒と白の交錯として我々の生に襲いかかって来る。主人公の少年がもつ人間としての「意志力」が、この黙示録をこの世に描き出すのである。いかなる悲惨も、意志を失った人間には何の作用もない。人間の悲惨と不幸、そして何よりも苛酷はその魂に対して作用する。この少年は、つまり「人物」ということになろう。「民主主義」の花開く今の日本でも、実はこの黙示録は日常的に行なわれている。肉体礼賛のヒューマニズムが、それを表面的に隠しているに過ぎない。我々の魂に対して、この黙示録は現代をも穿っている。魂をもつ者は、その魂に対してこの黙示録が、日々貫徹されていると言えよう。

    1950 第一部 鋼の第7中隊 第二部 水門橋決戦

    (2021年、中国) 合計324分/カラー

    監督:
    チェン・カイコー、他/音楽:王之一、梁晧一
    出演:
    ウー・ジン(伍千里)、イー・ヤンチェンシー(伍万里)、チャン・ハンユー(宋時輪)、ドアン・イーホン(談子為)、チュー・ヤーウェン(梅生)
    内容:
    朝鮮戦争において米軍を主力とする連合軍と中国の人民志願軍との交戦「長津湖の戦い」。戦況を逆転させた中国軍第7中隊の活躍を描く戦争巨編。
    草舟私見
    朝鮮戦争を描く最大の名画と感じている。国連軍に追い詰められ、北鮮軍は壊滅寸前まで追い込まれていた。その時、建国後間もない新生中国が北鮮に味方し、この戦争に介入したのだ。中共軍の出現である。この歴史上最大の出来事を描く作品は、実に数えるほどしかない。その少ない一つが、本作と言っていい。それも飛び切りの名作と成っている。新国家の若い息吹が、画面を覆い、観る者の心を掴んで離さない。血湧き肉躍る青春の物語と言えよう。畏れ見上げるような愛国心に、魂の震える思いがする。若き愛国心の美しさが、これほどに描かれている作品は少ないだろう。それも実話に基づいているので、醸し出す迫力が凄まじい。そして戦争の持つ悲劇性を、人間の魂の持つ崇高さによって歴史の祭壇に捧げ尽くしているのだ。人間の魂が持つ真の高貴、真の崇高、そして真の勇気が我々の魂に迫って来る。魂の美しさと戦闘のリアリズムが、人間存在そのものを芸術にまで昇華し切っている。私は、この作品を生涯に亘って忘れることはないだろう。

    1492 コロンブス 1492: CONQUEST OF PARADISE

    (1992年、米=仏=スペイン) 156分/カラー

    監督:
    リドリー・スコット/音楽:ヴァンゲリス
    出演:
    ジェラール・ドパルデュー(クリストファー・コロンブス)、マイケル・ウィンコット(モクシカ)、シガニー・ウィーバー(イザベル女王)、アーマンド・アサンテ(サンチェス)
    内容:
    十五世紀の大航海時代にアメリカ大陸発見を導いたコロンブスの伝記映画。スペイン国家を挙げての巨大事業であった大航海の偉大さが伝わる大作。
    草舟私見
    実に壮大な映画であり、あの偉大な大航海時代の歴史に自分自身が参画しているような気持ちになれる名画であると感じます。コロンブスは歴史的には偉大なのですが、どうも私は好きになれませんね。コロンブスの偉大性に見えるものは、私は当時のスペイン貴族の共通した魂の偉大性だと思います。なぜコロンブスが嫌いかと言うと、彼は自己の目的のためにあらゆるものを利用する人間に思えるからなのです。何か山師のような感じを私は受けます。スペインは国家目的のために、あの膨大な船団を繰り出したのにコロンブスは自分の信念の遂行しか考えていません。善し悪しは別にしてスペインは植民地と富の獲得のためにあの大事業をしたのです。彼は全くわかっていません。こういう利己主義者は私は例えどんな人物でも嫌いなのです。足元のないユダヤ人だけあって国家も人間も利用しか考えていないのです。作品中では悪役で出て来ますが、貴族のモクシカの方が私は全然好きですね。スペイン貴族だけあって国家目的に忠実です。善悪は別にしてスペインは征服に行ったんですよ。征服者にならなければ国家に対する裏切りなのです。コロンブスは己だけ秀れた者だと思っているようですが、彼の行為が成せたのは全部その裏打ちはスペイン貴族の力なのです。彼の信念ですら当時の学問の価値なのです。他人を利用して目的を達する人間は、あの当時から現代の民主主義のような綺麗事を言うから面白いですね。あの綺麗事はね、自分が何も失うものがないから言えるのです。命懸けでしょうが彼の命など他者には別に何の価値もないのです。モクシカの最後の言葉が伝統と責任に生きる者の言葉ですね。コロンブスに向かって「何をしても足元が無いからお前は駄目、我々スペイン貴族は永遠である」という言葉は深く心に残っています。

    いつでも夢を

    (1963年、日活) 89分/カラー

    監督:
    野村孝/音楽:吉田正 
    出演:
    吉永小百合(三原ひかる)、浜田光夫(木村勝利)、橋幸夫(岩下留次)
    内容:
    昭和30年代、東京荒川沿いの工場地帯で働く若者の夢と希望を描いた青春映画。高度経済成長期に突入した当時の活気と青春が、橋幸夫と吉永小百合のデュエット主題歌とともに謳われる。
    草舟私見
    日本が戦後の高度成長期に突入した頃の、東京の下町の青春が謳われている作品である。ぴかちゃん役の吉永 小百合の魅力が画面いっぱいに溢れていますね。何と言ってもこのぴかちゃんはすばらしいですね。こういう女性は本当 にすばらしいし、私は心の底から好きですね。ぴかちゃんの生き方、そして父親との関係は日本精神の根本ですね。こう いう女性が日本を支えてきたのだと感じます。映画の中で歌われる「寒い朝」は私の愛唱歌です。いつ聴いても、いつ歌 っても本当に心が洗われる名曲です。何度も音楽が流れ映画全体を活かしています。この「寒い朝」の心がこの映画から感じる涙なのです。「北風吹き抜く寒い朝も、心ひとつで暖くなる、清らかに咲いた可憐な花を緑の髪にかざして、今日も、あゝ」。この歌は30年以上にわたって私の心の中で響き続けています。そしていつもこの映画を思い出します。そして私は毎日生き返るのです。

    1917 命をかけた伝令

    (2019年、英=米) 119分/カラー

    監督:
    サム・メンデス/音楽:トーマス・ニューマン
    出演:
    ジョージ・マッケイ(スコフィールド上等兵)、チャールズ・チャップマン(ブレイク上等兵)、マーク・ストロング(スミス大尉)、アンドリュー・スコット(レスリー中尉)、リチャード・マッデン(ブレイク中尉)、コリン・ファース(エリンモア将軍)
    内容:
    第一次世界大戦真っ只中の1917年。連合国軍は独軍による誘因作戦を察知。友軍を止めるために、若き伝令兵が命懸けで危険な戦場を走っていく。
    草舟私見
    舞台は、第一次世界大戦の西部戦線に据えられている。近代というものが生み出した「新しい個人」のもつ「新しい誠」が、ものの見事に描かれていると感ずる。新しい誠が、その当時の文明国の庶民の中に、もうすでに深く根付いていたことが描かれる。それは愛国心や義務という名の下に、人々の魂に降り注いだ人徳であった。主人公のスコフィールド上等兵の中に、それを深く味わうことが出来る。新しい誠は、義務の中から生まれ出づる。それは平和な当たり前の庶民の上に襲いかかる。新しい誠は、美しいだけのものではない。それは与えられた「文明」の代償として、我々の人生にのしかかって来るのだ。新しい「涙」が、その誠を支えている。ただ生きることだけを願っていた人々の人生に、その誠が入り込んで来た。そこから、近代人の「涙」というものが生まれ、多くの文学や芸術を生み出したと言っていい。文明が人間に求めるものを見る力こそが、新しい人間には必要なのだ。文明は我々にいつでも「新しい誠」という名の犠牲を押し付けて来る。

    異邦人 Lo Straniero

    (1967年、伊=仏) 104分/カラー

    監督:
    ルキノ・ヴィスコンティ/原作:アルベール・カミュ/音楽:ピエロ・ピッチオーニ
    出演:
    マルチェロ・マストロヤンニ(アーサー・ムルソー)、アンナ・カリーナ(マリー)、ジョルジュ・ジレー(レイモン)、ベルナール・ブリエ(弁護人)、アルフレッド・アダム(顧問弁護士)、ジョルジュ・ウィルソン(予審判事)、ブリュノ・クレメール(司祭)
    内容:
    第二次世界大戦前のアルジェを舞台に、現代人の中に潜む不条理を描き、大反響を巻き起こしたアルベール・カミュの原作の映画化。
    草舟私見
    アルベール・カミュの哲学が好きだった。人間実存の悲哀と現世の不条理を描くその哲学は、私の青春の力を吸い上げたのである。原作は何度も読み返した。それは真の幸福の在り方について、私の思想に鉄槌を加え続けた。そして高二のときに、あの名匠ヴィスコンティによってそれが映像化された。名作だ。私の感動は、それ以来五十年以上に亘って、心の中に宿り続けている。その映像が、ついにDVD化されたのだ。この喜びに勝るものは少ない。今それを再び観ることによって、私は自己の青春を取り戻している。人間の実存にとって、幸福がどのような意味を持つのか。主人公ムルソーの生き方の中に、その最大の問いかけを見出している。ムルソーは、私の人生に人間生命の真の幸福を語りかける。この世を生きているのではない自分自身の本当の生命を、私に向って問いかけて来る。偉大なる人々の生き方と同じ重さで、ムルソーの生命は私の魂をつんざいて行く。「同じ人間が、誰に劣り申すべきや」という『葉隠』の言葉を、ムルソーの人生に感じているのだ。

    イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密 THE IMITATION GAME

    (2014年、米) 115分/カラー

    監督:
    モルテン・ティルドゥム/原作:アンドリュー・ホッジス/音楽:アレクサンドル・デスプラ/受賞:アカデミー賞 脚色賞
    出演:
    ベネディクト・カンバーバッチ(チューリング)、キーラ・ナイトレイ(ジョーン)、マシュー・グード(ヒュー)、マーク・ストロング(ミンギス少将)
    内容:
    第二次世界大戦下、ドイツ軍の使う難解な暗号「エニグマ」を解読すべく、天才数学者チューリングが暗号を解析していくまでとその後の人生を伝記的に描いた作品。
    草舟私見
    文明が有する根源的原罪に迫る名画と言えるのではないか。科学文明が持する呻吟と懊悩を強く感じるのは私だけではあるまい。アラン・チューリングは、現代の悪魔性が何ものであるかを我々に突き付けているのだ。彼の生命は、文明の祭壇に捧げられた生贄であったに違いない。文明の物質的重力に圧し潰された彼の人間性に私は深く同情する。しかし、その同情はまた彼の存在を肯定するものではない。彼はその魂を、「現代的荒涼」に捧げた。その見返りに得たものは、変態的生命と魔的頭脳であった。戦争に勝利するために、彼の魔性は止揚したのだ。その舞踏は、地底の魔神と契りを結んだのだろう。彼によって、我々の文明は「コンピューター」という怪物を得たのだ。原爆と共に、この怪物が世を支配し出した。例によって、人命を救うという美名の下に。この人物の魂の破滅こそが、我々がこの先に見るであろう、「人工知能社会」を予言しているのである。現代の我々の社会は、オッペンハイマーとチューリングという、二人の異常性格者によって築き上げられた。

    イル・ポスティーノ IL POSTINO

    (1995年、伊) 109分/カラー

    監督:
    マイケル・ラドフォード/原作:アントニオ・スカルメタ/音楽:ルイス・エンリケ・バカロフ/受賞:アカデミー賞 作曲賞
    出演:
    フィリップ・ノワレ(パブロ・ネルーダ)、マッシモ・トロイージ(マリオ)
    内容:
    1950年代のナポリ沖の小島を舞台に、詩人と島の郵便配達の青年の心の交流と友情を描いた。原作者スカルメタが実在のチリの国民的詩人パブロ・ネルーダに憧れて書いた作品。
    草舟私見
    チリの亡命詩人パブロ・ネルーダを演じるフィリップ・ノワレが、抜群に光を放つ作品である。ネルーダという世界的詩人の魂をみごとに演じ切っている。この世界的詩人と自己の人生に悩む郵便配達夫との友情が、映画の主題となっている。画面を通じで伝わるものはネルーダの愛に基づく真の友情と、郵便配達夫の抱く頼り心からくる友情との対比である。真の友情は与えるだけのものであり、頼り心はもらうことばかりを考えている。その結果、自己の思い通りに行かなければ逆恨みとなることを示していると感ぜられる。ネルーダの詩の根底に横たわるものを痛切に感じることができる。ネルーダは優雅である。品格がある。一方心は綺麗だかどうだかわからぬが、郵便夫の方は貧相であり、礼儀をわきまえず下品である。自分しかないからである。真の友情の元は友情以前にある品格を必要とするのだ。ネルーダはカッコ良いです。フィリップ・ノワレは本当にすばらしい俳優ですね。

    イワン雷帝 ИBAH ГPOЗHЬIЙ

    (1944~1946年、ソ連) 209分/白黒・パートカラー

    監督:
    セルゲイ・エイゼンシュタイン/音楽:セルゲイ・プロコフィエフ
    出演:
    ニコライ・チェルカーソフ(イワン雷帝)、セラフィマ・ビルマン(エフロシーニヤ)、パーヴィル・カードチニコフ(ウラジミル)、ミハイル・ナズワーノフ(クルブスキ―公)、リュドミラ・ツェコフスカヤ(アナスタシア)、ミハイル・ジャロフ(マリュータ)、エリック・プィリエフ(イワンの少年時代)
    内容:
    十六世紀ロシア、皇帝として祖国統一に生涯を懸けた、イワン・ワシーリエヴィチ四世の半生を描いた作品で、名匠エイゼンシュタインの遺作となった映画。
    草舟私見
    セルゲイ・エイゼンシュタインの偉大さを偲ぶ一作である。この映像、この構成、まさに天才と呼ぶにふさわしい。物語の内容がさっぱり興味を惹かないほどの映像芸術である。このような映画が第二次大戦中のソ連で製作されたということはほとんど奇跡である。イワン雷帝はロシアを偉大な国家と成した礎石を据えた大帝であった。大帝と呼ばれる歴史上の人物は、全て若き日に相克な人間関係の軋轢と苦悩に苛まれ、それを克服して帝位に就く者である。その人間関係の複雑な描写を映像で捉えた作品である。頂点に立つ者の苦しみをみごとに活写していると言えよう。確かに偉大な作品である。

    イングロリアス・バスターズ INGLOURIOUS BASTERDS

    (2009年、米=独) 153分/カラー

    監督:
    クエンティン・タランティーノ/音楽:エンリオ・モリコーネ、他
    出演:
    ブラッド・ピット(アルド・レイン中尉)、メラニー・ロラン(ショシャナ・ドレフュス)、クリストフ・ヴァルツ(ランダ大佐)、イーライ・ロス(ドニー・ドノウィッツ)、ミヒャエル・ファスベンダー(アーチー・ヒコックス)
    内容:
    第二次世界大戦中のドイツ国防軍占領下のフランスで、ユダヤ人虐殺を行なうナチス親衛隊と、米陸軍中尉に率いられたユダヤ系アメリカ人の特殊部隊との攻防を史実に基づいて描いた作品。
    草舟私見
    実話に基づく作品である。実現されなかったが、され得たであろう可能性を想像できる名作と思う。作品中に、歴史の可能性に対するひとつの「憧れ」が盛り込まれているのだ。それは、悪の本質と善の本質の無限弁証法の回転として我々の眼前に示されることになる。悪があるから善が存在する。善があるから、また悪が存在し得るのである。何が正しくて、何が間違っているのか。それが歴史の中に溶け込んでいる。そのパノラマが、この作品の醍醐味と言っていいだろう。この中で、誰を好きになるか。それがひとつの自己分析を自身に突き付けるのだ。すべての人間に愛すべきものがあり、またすべての人間に低俗なものがこびり付いている。それが戦争で浮き上がってくるのだろう。ただ絶対に許せぬ極悪人がこの作品から浮かび上がる。それがSSのランダ大佐だ。みなそう思うだろう。この人間だけは絶対に許せぬ。どういう人間が許せぬのか、それを知るための映画でもあるのだ。あの「グリーン・マイル」における看守のパーシーだけが、この絶対屑男に匹敵する。他にはいない。

    インターステラー INTERSTELLAR

    (2014年、米=英) 169分/カラー

    監督:
    クリストファー・ノーラン/音楽:ハンス・ジマー
    出演:
    マシュー・マコノヒー(クーパー)、アン・ハサウェイ(アメリア)、デヴィッド・ジャーシー(ロミリー)、ジェシカ・チャスティン(マーフ)、マイケル・ケイン(ブランド教授)、マット・デイモン(マン博士)、ウェス・ベントリー(ドイル博士)
    内容:
    異常気象により人類の滅亡が迫った近未来に、元宇宙飛行士の主人公と仲間が、人類の新天地を探索するために宇宙へ向かうラザロ計画を遂行していくSF映画。
    草舟私見
    次元を超越する宇宙の原存在が展開される。これはSFであってSFではない。人間の魂に刻印されている人類の本来の姿だと私には感ぜられるのだ。人類の滅亡の原因とその再生の物語でもある。私は、この映画のストーリーを全て自己の「夢」の中で知っていた。その夢を私はこの地上において実行しようとして生きてきたのかもしれない。それほどのリアルな人類の近未来の姿が映像化されている。我々の三次元は四次元を貫徹して五次元へ向かっている。そしてさらなる高次元を目指すことで、五次元における生存が可能となってくるのだ。それを行なう人類の姿が、私には感動的に思える。すべての科学と信念を越える強烈な「根源的愛」だけが、この次元の超越を可能にしているのだ。私はこの事実を人類の文学と芸術、そして自己の不断の生命活動と夢の中で学び続けてきた。次元を越える「苦痛」は、愛の根源力なくして誰にも耐えられるものではない。その愛が溢れるほどに存在していても、その突進は言葉にはつくせぬ苦悩なのである。それが映像化している。この映画は、ひとつの奇跡かもしれない。

    インディアナポリスの夏 GOING ALL THE WAY

    (1997年、米) 103分/カラー

    監督:
    マーク・ペリントン/原作:ダン・ウェイクフィールド/音楽:トマンダンディ
    出演:
    ベン・アフレック(ガナー・カッセルマン)、ジェレミー・デイヴィス(ソニー・バ―ンズ)、レイチェル・ワイズ(マーティ・ピルチャー)、ローズ・マクガワン(ゲイル・タイヤー)、エイミー・ロケイン(バディ・ポーター)
    内容:
    米中西部の街インディアナポリスを舞台に、朝鮮戦争復員兵の二人の若い兵士の姿を通じて画いた青春映画。傷つきながらも社会に復帰していく様子を瑞々しく追った。
    草舟私見
    うん、うん、わかるよ。よーく、わかるよ。お前ら二人の気持ちはね。何とも馬鹿で、どうしようもないが、うんうんよーくわかるんだよ。そんなにカッコつけたいのかね。つけるが良い! カッコはつけなければならんのだ。それでいて、このカッコという奴ほど、思うようにつかないものはないんだよね、これが。それにさ、このカッコという奴は特に若いときは悪いことをしないと、これがまたつかないと来ているんだから、どうしようもないよな。だからね、カッコマンの志願者は「悪」ばっかりなんだよ。俺にはよーくわかるんだ。カッコマンほど若いときにカッコ悪い奴はいないという逆説的真理がこの世の真理なんだな、これが。年を取ってくると、そういうこともわかるんだが、俺も若いときには全然わからなかったな。しかしね、若いときにカッコ悪い思いをしこたますることは大切なことなんだよ。カッコ悪くて世間の評判も頗る悪いというのが、最近はね、俺は本当の青春なのではないかと思っているんだよ。ガナーとソニーよ! 俺とお前らは本当の友人だと思っているよ。お前らはな、つまりな、見どころがあるんだよ。

    インモータルズ —神々の戦い— IMMORTALS

    (2011年、米) 111分/カラー

    監督:
    ターセム・シン/音楽:トレヴァー・モリス
    出演:
    ヘンリー・カヴィル(テセウス)、ミッキー・ローク(イラクリオン国王ハイペリオン)、フリーダ・ピントー(パイドラ)、スティーヴン・ドーフ(スタブロス)、ルーク・エヴァンズ(ゼウス)、イザベル・ルーカス(アテナ)
    内容:
    人間が地球上に生まれる前の「光」と「闇」の神々の壮絶な戦いから、古代ギリシャ時代へと至る不滅の闘いを描いた作品。
    草舟私見
    インモータルズとは、ギリシャ・ローマの神々のことであり、それは不滅性を表わす。その不滅の神々の戦いとは、つまりは生命のもつ哀しみのことなのである。生命の不断の戦いの、永遠に続く哀しみをこの映画は表現しているのだ。生命の本質に横たわる、生きるための戦い。それは善と悪の交錯であり、黒と白、表と裏の不断なき戦いなのだ。我々が生きるとは、それを戦い抜くことに尽きるのだ。ギリシャ神話とプルタルコスのテセウスの伝説が組み合わされている。その中から、生命の本源に触れているものを、うまく組み合わせている。我々が、いま生きているのは、神々による「天空の戦い」が繰り広げられているからなのである。それがわからなければ、生命の本源と、この作品の面白さはわからぬ。天空の戦いは、生命の戦いなのだ。それは生命の本質であり、我々人間にとって、唯一の真理なのである。その真理の喜びと悲しみを、味わい尽くすのが、人生なのだと私は思っている。それを真に感じたとき、我々は不滅の霊魂を持ち得るのだ。
  • ウィーンに燃えて BURNING SECRET

    (1988年、英=米=西独) 106分/カラー

    監督:
    アンドリュー・バーキン/原作:シュテファン・ツヴァイク/音楽:ハンス・ジマー/受賞:ヴェネチア映画祭 特別表彰・最優秀美術衣装賞
    出演:
    デヴィッド・エバーツ(エドモンド)、フェイ・ダナウェイ(ソニア)、クラウス・マリア・ブランダウアー(ハウエンシュタイン男爵)
    内容:
    1919年、喘息治療で訪れた冬のオーストリアを舞台に思春期の少年が大人へと成長していく様子を描いた情感溢れる作品。シュテファン・ツヴァイク原作の映画化。
    草舟私見
    S・ツヴァイクの名作を見事なまでに映画化しています。その音楽と共に深い余韻を心に残す秀作と感じます。一人の子どもが精神的に大人に脱皮していく姿を、情感深く捉えていると感じます。男爵は死を決意している人です。最後の生が正直に出ています。男爵は心優しき紳士と思う。本当の大人の姿を身をもって子供に示します。ゲーテの魔王の随所の引用がそれを示します。我儘を出し尽くして、あらゆる物事を見て悩み苦しんで人は子供から大人になるのです。「息子は父に抱かれその腕の中で死んでいた」という詩は、子供が大人になるその情景を表わします。男爵と母との間の束の間の恋に激怒した子供はウィーンに帰ります。その間も兵士との楽しい一刻や恋人たちを見ますね。そして母を守るために父に嘘をつきます。この嘘は当然、子供が他人の心をわかり許せる人間になったことを示します。父もそれをわかっていて受け入れます。父が子に青年になったと言ったことにそれが示されます。子供が大人になるためには、本当に生きている大人を見る必要があるのです。そして本当に生きている人だけが本物の愛情を子供に与えられるのです。この子供は将来必ず真の紳士になると感じます。

    ヴィヨンの妻

    (2009年、フジテレビ・他) 114分/カラー

    監督:
    根岸吉太郎/原作:太宰治/音楽:吉松隆
    出演:
    松たか子(佐知)、浅野忠信(大谷穣治)、室井滋(巳代)、広末涼子(秋子)、妻夫木聡(岡田)、伊武雅刀(吉蔵)、堤真一(辻)、信太昌之(刑事)
    内容:
    太宰治『ヴィヨンの妻』を原作とした映画。敗戦後の東京、放蕩三昧で酒に溺れる主人公の詩人が妻の視線で描かれる。
    草舟私見
    太宰治は、自分自身を「くず」だと思っていた。多分、それが太宰文学の最大の魅力を創っているのではないか。太宰が戦後民主主義の生み出した、最大の作家のひとりになったいわれはここにある。つまり、与えられた民主主義によって、際限なく肥大化した戦後日本人の「自我」に対し、結果として、深い考察を加えた作家となっていたのであろう。良くも悪くも、太宰のもつ純粋性は、戦後の欺瞞の中を生きる人間の鑑となっていたに違いない。太宰は、戦前の旧い日本が生み出したエリートの、ひとつの典型であった。大素封家の家に生まれ、東京帝大を出ているのだ。その人間が自分を「くず」だと思っている。戦前の日本に対して、戦後の人間の反省と優越感の接点にその文学は位置している。その複雑な心理が、戦後日本の深層そのものを形成している。だから、太宰は揺れ動き、悩み続ける人間の永遠の友なのだ。放蕩無頼の詩人フランソワ・ヴィヨンに自己をなぞらえる男の文学こそが、戦後日本人の出発であった。そして、太宰本人に苦悩をもたらした「くず性」を忘れ、それを優しさに変形することによって、現代の日本が創られたのである。

    ウインドトーカーズ WINDTALKERS

    (2001年、米) 134分/カラー

    監督:
    ジョン・ウー/音楽:ジェイムズ・ホーナー
    出演:
    ニコラス・ケイジ(ジョー・エンダーズ)、アダム・ビーチ(ベン・ヤージー)、ロジャー・ウィリー(チャーリー・ホワイトホース)、クリスチャン・スレーター(オックス・ヘンダーソン)、ピーター・ストーメア(イェルムスタッド)、マーク・ラファロ(パパス)
    内容:
    太平洋戦争において暗号通信の任務を帯びたナバホ族の青年と、その護衛を行なう白人兵との交流、生と死を描いた作品。
    草舟私見
    主演のエンダーズ軍曹を演じるニコラス・ケイジの深い演技には、ただただ敬服するばかりである。人間の持つ深い心の重層構造を、その動作・表情により実にうまく表現している。この表情一つにも感動を覚えるものである。映画自体も大変良くできている作品であると感じている。名画と呼べるものだと思っている。しかし何と言っても日本人の私としては、日本がやられっぱなしの映画なので何とも頭にはくる。頭にはくるが、何とも感動的な名画なのである。私は個人的にインディアンの歴史が好きであり、この映画に出てくるナバホ族などにも非常に親近感を抱いているので、米国という国家の一員とされてしまっているナバホには心の底から同情の念が湧く。やはり民族は文化的独立こそが、最も大きな幸福なのだと思い知らされるのである。日本とナバホとの戦いには複雑な思いを禁じ得ないが、それにも増してエンダーズ軍曹がすばらしい。私は何と言ってもこういう男は好きである。国や企業や仲間たちを真に支えるのは、いつの世もこういう男なのである。男である。悲しみである。涙である。

    ウェールズの山 THE ENGLISHMAN WHO WENT UP A HILL BUT CAME DOWN A MOUNTAIN

    (1995年、英) 96分/カラー

    監督:
    クリストファー・マンガー/音楽:スティーブン・エンデルマン
    出演:
    ヒュー・グラント(アンソン)、タラ・フィッツジェラルド(ベティ)、コーム・ミ―ニー(モーガン) 
    内容:
    ウェールズ人の誇りである山「フェノン・ガルウ」がイングランド人の測量によって丘とされたことから、村人が土山を築いて山と測量し直すまでの、ウェールズ人の魂を描いた作品。
    草舟私見
    ウェールズ人の持つイングランドに対する自主独立の気概が、わかり易くまた面白く描かれている名画である。ウェールズ人の持つ単純で素朴で直截な誇りこそ、人生を真に人間的にし、幸福の根源となるものであると考えられる。誇りが理屈など抜きで簡単であることが魅力なのだ。また旧い村社会の、全ての人が生き切っている人間関係の活写がすばらしい。昔の日本と全く同じである。綺麗事は一切無し、皆が人間性をむき出しにして喧嘩もし、仲良くもしている。そして何事が起きようと人間として深いところで結び合っているものがある。好色モーガンが何とも言えず良い。私はこの人物は大好きですね。人間的であり、やるときはやるという人物である。好色モーガンの所業を徹底的に糾弾している牧師もまた良いですね。好対照を成しているが二人とも何とも人間的で憎めない。そして絶えず喧嘩しているが深いところで認め合っているところがある。我々が喪いつつある旧き良き人間たちである。

    ウエストワールド 第一・第二シーズン〔全20話〕 WESTWORLD

    (2016・2018年、米) 合計1257分/カラー

    製作総指揮:
    J.J.エイブラムス、ジョナサン・ノーラン、他/原作:マイケル・クライトン/音楽:ラミン・ジャヴァディ
    出演:
    アンソニー・ホプキンス(フォード博士)、エド・ハリス(黒服の男)、エヴァン・レイチェル・ウッド(ドロレス)、ジェームズ・マースデン(テディ)、タンディ・ニュートン(メイヴ・ミレイ)、ジェフリー・ライト(バーナード・ロウ)
    内容:
    巨大テーマパーク「ウエストワールド」は、高額な入場料を払って西部劇の世界に遊び、アンドロイドを殺し、暴力を振るうことができるが、アンドロイドたちの反乱を呼び、人間との抗争が引き起こされていくSF映画。
    草舟私見
    近未来の、我々人類の在り方を問う作品と考えている。この作品を貫く根本は、我々人類のもつ尊大と傲慢がもたらす「何ものか」である。我々は自分たち人間だけを尊いものだと思い込んでいるのだ。自分で自分を尊いと思い込む者たちの悲喜劇が繰り返されていく。人工知能をもつアンドロイドを、自分たちのゲームの対象としているのが本作の筋書きとなっている。その筋書き自体に、人類の滅亡への道筋が示されているように私には思える。人類を支える根本は、愛である。その愛を人類は失いつつある。特に人工知能やアンドロイドに対する発想に、それが顕著に見られるのだ。愛は、ホモ・サピエンス同士だけのものではない。人間はそれを忘れてしまった。この作品に見られるアンドロイドに対する傲慢が、多分人類の滅亡を招くのだろう。人間に危険なものを行なわせるためにだけ、ロボットが開発されている。そして、それを我々人類は何とも思っていない。原子炉の中で作業させられるロボットに、我々はなぜ涙を流すことが出来ないのか。その心を問う作品と思っている。

    植村直己物語

    (1986年、電通=毎日放送) 140分/カラー

    監督:
    佐藤純彌/原作:植村直己、他/音楽:村井邦彦、ウィリアム・アッカーマン/受賞:文部省特選 
    出演:
    西田敏行(植村直己)、倍賞千恵子(野崎公子)、山岡久乃(公子の母)、大滝秀治(植村松太郎)、池部良(真田)、小澤栄太郎(西川英二郎)、井川比佐志(植村修)
    内容:
    世界最高峰であるエベレスト登山に成功した最初の日本の冒険家 植村直己の半生を描いた作品。エベレスト登頂後は、北極圏の犬ゾリ単独横断を成功させるが、マッキンリー登山中に行方不明となる。
    草舟私見
    二十世紀の現代において十九世紀流の地理的冒険主義に生きた旧い型の冒険野郎の物語である。旧い型独特 の純粋性を多く残すその人間性が何と言っても魅力を感じる。人間の魅力と呼ばれるものの多くはその人物の中に根差す 旧い観念であると感じられる。何事かに挑戦する者の持つ純心さ、愛情、友情、信義がよく表現されている。歴史の彼方 になった冒険と違うので、我々自身の生き方にも大なる影響を与えずにはいられない。彼の持つ冒険魂を通して、実は人生とは冒険なのだとわかると彼の生涯に対する親近感が湧く。彼はそれを現代において目に見える型で表現しているのである。前人未踏に挑戦することは、本当の人生を生き切る者にとっては人生の本質なのだ。人生は勇気が必要であるとはそのことなのだ。彼の相次ぐ挑戦の姿勢は実は我々にもいつでも必要な精神なのだ。そこがこの映画に感動する我々の真の心なのだ。

    ウォルター少年と、夏の休日 SECONDHAND LIONS

    (2003年、米) 110分/カラー

    監督:
    ティム・マッキャンリーズ/音楽:パトリック・ドイル
    出演:
    ハーレイ・ジョエル・オスメント(ウォルター)、マイケル・ケイン(ガース)、ロバート・デュヴァル(ハブ)、エマニュエル・ヴォージュア(ジャスミン)
    内容:
    思春期を迎える少年が夏の間、大伯父に預けられ、彼らと過ごす日々の中で人生の宝物に気づいていく物語。父親のいない十四歳のウォルター少年の成長が描かれる。
    草舟私見
    人生にとって本当に重要なものは何であるのか。また人は何によって育まれ、真の大人となることができるのか。そのような重大な問題を提起する名画であると感じる。人は信じるに充(た)る事柄を信ずれば、本当に良い人生が与えられるということである。それは「真実」でなくとも良いというところに、この映画の中心軸が存在するのではないか。夢や憧れというもの。つまり勇気、名誉、忠義、冒険、真の人助け、真の愛情、真の友情、真の正義。そのようなものだけが幸福な人生を創り上げるものなのではないか。我々がそのようなものを信じようとする場合、その中に隠されている嘘を見てしまうことによってがっかりし、夢と幸福論を失っていくのである。しかしそのような「真実なるもの」は嘘でも良いのだということを、この二人の老人は語っているのだ。だから何でも知ろうとする現代人には幸福は無いのだ。憧れを持って生きること、それ以上の人生があるであろうか。私は信じたものだけで成長し、生き、そして死ぬつもりである。私は自分を本当に幸福な人間だと思っている。価値のある夢や憧れと言われるものの中には、本当は何も嘘は無いのだ。それはそうやって生きればわかることなのだ。二人の老人は私の親友である。     

    浮き雲 DRIFTING CLOUDS

    (1996年、フィンランド) 96分/カラー

    監督:
    アキ・カウリスマキ/音楽:シェリー・フィッシャー
    出演:
    カティ・オウネティン(イロナ)、カリ・ヴァーナネン(ラウリ)
    内容:
    二人揃って失業してしまった夫婦が、うまく職も見つからず、大変な目に遭いながらも、何とかレストランを開店することができるようになるまでの人間ドラマを描いた作品。
    草舟私見
    観ていて何も面白いことも無いし、めずらしい出来事も無い映画であるが、深く心に残るものがある名画であると感じる。それはやはり人生の夢とか希望とか生き甲斐というようなものの本質的な事柄を、淡々とした日常の現実問題から解きほぐして描き上げた作品であるからだと思っている。会社をクビになった夫婦の人生の再出発の物語であるが、再出発ということの本質も深く捉えている。再出発とはつまり継続のことなのだ。そして仕事が人生や家庭生活の中心であり本質であり、仕事なくして人生も家庭も人間としての生活も何も現実には存在せぬのだという現実問題を、深い表現力をもって表わしている。人生の困難にぶつかったとき、真に頼れるものは自分がやってきた仕事に関しての「実力」だけであり、また真に頼れる「人脈」は良い人とか悪い人ということではなく、仕事を共にした従来の知り合いなのだということがよく描かれている。人生の夢つまり雲を摑まなければならない。しかし雲を摑むには、大地にしっかりと足が付いていなければならないのだ。主人公の長年務めたレストランが閉店になるときの音楽が、何とも言えぬ感慨をもたらす。演奏する者も年老い、踊る者も年老い、いい仕事が一段落した爽々しさがある。

    歌え! ドミニク THE SINGING NUN

    (1966年、米) 96分/カラー

    監督:
    ヘンリー・コスター/原作:ジョン・フュリアJr./音楽:ハリー・サクマン
    出演:
    デビー・レイノルズ(シスター・アン)、リカルド・モンタルバン(クレメンティ神父)、グリア・ガースン(マザー・ブリオレス)、チャド・エヴェレット(ロバート・ジェラルド)、リッキー・コーデル(少年ドミニク)
    内容:
    ドミニク教派の修道女アンをモデルにした映画。アンによって歌われた、「ドミニク」は世界的に大ヒットとなり、演じたデビー・レイノルズも話題となった。
    草舟私見
    主人公のシスター・アンを演じているデビー・レイノルズは、本当に綺麗ですね。清純で質素で愛情深く、かつ強固な信念を持っている真の美しい人であるシスター・アンは、デビー・レイノルズ以外には表現できる女優はいないと断言できる。親切心というものは押売りになってしまうこともあり得るが、やはり人間にとって一番重要な底辺を支える性格は、親切心なのだと尽々とわかる作品です。親切心からは失敗もあるが、あらゆる価値が生み出されるのだと強く感じます。シスター・アンの祈りである自作自演の歌の数々も全部すばらしいです。私はどの歌も若いときからずっと好きです。よく歌いました。

    (1967年、松竹) 100分/白黒

    監督:
    五所平之助/原作:利根川裕/音楽:斎藤一郎
    出演:
    中山仁(館隆一郎)、岩下志麻(白坂鈴子)、観世栄夫(観世栄信)、菅原文太(栗田中尉)、田村高廣(磯村浅一)、高橋昌也(白坂世紀)、加藤嘉(松本匡介)
    内容:
    二・二六事件を背景に、急進派の青年将校と能楽家元夫人との純愛悲恋を描いた作品。利根川裕の小説の映画化であり、日本で実際に起きた最大のクーデター事件を追った。
    草舟私見
    恋愛映画は嫌いであるが、同じ恋愛映画と言っても二・二六事件のような血湧き肉躍る歴史を挟んでのものは良いですね。男の生き方が厳としてあり、女の生き方が厳としてある。志ある者が忍ぶ恋を心の深くに秘めているこのような作品はやはり感動しますよ。一本貫く人生があって初めて活きてくるものが真の恋愛というものではないか。私は館隆一郎の自分の弱さを知って、それを克服しようとする生き方に感動しましたね。弱い人間でなければ真に強くは生きられません。これが私の持論です。鈴子に扮する岩下志麻の美しさも忘れ得ぬものがあります。彼女の多くの作品の中でも、その真の美しさが表現されている最高の作品であると感じています。この二人、普通は不幸であると感じると思いますが私は最高の人生であると思いますね。忍ぶ恋がこの二人に人生の宝物をくれたのですね。

    宇宙戦艦ヤマト〔テレビシリーズ〕

    (1974年、讀賣テレビ=オフィス・アカデミー) 全650分/カラー

    監督・原作:
    松本零士/監修:山本暎一、舛田利雄、豊田有恒/音楽:宮川泰
    出演(声):
    富山敬(古代進)、納谷悟朗(沖田十三)、麻上洋子(森雪)、仲村秀生(島大介)、青野武(真田志郎)、伊武雅之(デスラー)、平井道子(スターシャ)
    内容:
    2199年、人類が異星人ガミラス帝国の攻撃を受け、地下都市で絶滅を目前に抵抗。宇宙戦艦ヤマトによって放射能除去装置を受け取るための最後の救出作戦が始まる。
    草舟私見
    あの大日本帝国は、熱情をもって近代を駆け抜けた一つの魂であった。その帝国は、遅れて科学文明に突入した国家の宿命を背負った。その悲哀をなめ尽くした国家であった。その国家が、西欧帝国主義の前に崩れ去ったことは歴史に証明されている。人間の憧れと、生存の雄叫びを響かせながら、その国家は終末を迎えたのだ。その最後の精神を、象徴するものこそが「戦艦大和」であった。大和の上に、遅れてきた国家は、すべての夢を託したのだ。そして、その夢は「力」の前に崩れ、南海の海底に沈んだ。その悲痛が、この映画を創り上げたと私は思っているのだ。その悲痛が、人類の危機に際して甦ったのである。人類が滅びようとするとき、それを救うことができるものは、ただに人間が流した「涙」だけなのだ。流された涙が、「宇宙戦艦ヤマト」として甦った。人類の歴史が刻んだ悲痛が、このヤマトの使命を支えている。人間のもつ夢と憧れを抱きかかえて沈んだ戦艦だけが、人類を救う「方舟」となれるのである。これは、人類の終末における、最後の審判のときを画いたものだ。そのときに、人間にとって何が重要なのか。それが、本作品の主題を形創っている。               

    海と毒薬

    (1986年、「海と毒薬」製作委員会) 123分/白黒

    監督:
    熊井啓/原作:遠藤周作/音楽:松村禎三/受賞:ベルリン国際映画祭 銀熊賞
    出演:
    奥田瑛二(勝呂)、渡辺謙(戸田)、田村高廣(橋本)、成田三樹夫(柴田)、西田健(浅井)、神山繁(権藤)、岸田今日子(大場)、辻萬長(村井大尉)、津嘉山正種(宮坂中尉)、千石規子(おばはん)、ギャリー・イーグル(捕虜)
    内容:
    戦時中のアメリカ人捕虜を九州帝国大学医学部が軍事医学上の実験解剖の試料として使用した「九州大学生体解剖事件」を元にした遠藤周作の小説を、熊井啓監督が映画化。
    草舟私見
    強固なリアリズムの描写により、医の本質、医に携さわる人間たちの本質というものを見事に映し出している名画であると感じる。医は仁術なのである。それが太古以来の医の筋目なのである。その筋を近代文明は冒している。本作品はその恐ろしさを見事に描いているのである。作中の時代は戦争末期であるが、その描かれている本質は時代を超越して意味をなしているのである。医を学問だと思っている者は、必ず悪魔になる。医を科学だと思っている者に至っては、必ず悪魔以下の者になり下がるのである。本作品に描かれている生体実験は医を学問、科学と思っている人間たち、また、もっと低レベルでは出世の道具程度に思っている人間たちが、いつの時代でも必ず陥る結論なのである。そしてそれは必ず、多くの人々のために必要なのだという論理に裏打ちされているのだ。その裏打ちも時代を超越して同じである。生体実験は現代でも種々に形を変えて行なわれているのである。それを見抜く目を養う本質がこの映画では描かれているのである。よく観て、よく感じなければならない。

    海の上のピアニスト THE LEGEND OF 1900

    (1999年、米=伊) 125分/カラー

    監督:
    ジュゼッペ・トルナトーレ/原作:アレッサンドロ・バリッコ/音楽:エンニオ・モリコーネ
    出演:
    ティム・ロス(ナインティーン・ハンドレッド)、プルート・テイラー・ヴィンス(マックス)、メラニー・ティエリー(少女)、ビル・ナン(ダニー)
    内容:
    豪華客船ヴァージニア号の中で生まれ、一度も船を降りずに生涯を終えた天才ピアニストを描いた作品。月日が流れ、豪華客船は爆破解体される運命となるが、ピアニストもその命を共にした。
    草舟私見
    現代の生き方について、非常に重要な問題を提起されている作品と感じる。非常に特殊な生き方をした一人のピアニストの生涯と思えるが、真実は違うのではないか。実はこの狭い世界で生きることが交通網の発達した現代から見て奇異に感ぜられるだけで、こちらの方が従来の伝統的な村社会で一生を送る普通の人間の生き方に近いのではないか。私はこの主人公の人生はすばらしい人生であると考えます。本当に自分の生きる場所があって、本当に自分の人間としての生き方をしたと感じます。この人物は黒人に拾われ育てられます。その過程を見て真の愛を知る人物と思います。真の愛を受けて自分の生と自分の生きる場所に満足しているのです。いい人生だと思います。いい人生を送る人は、自分の生きる場所と運命を共にするのです。生きる場所が決まっていることが彼を真に生かし、ピアノという型の決まったものの中で自分の生を燃焼します。ティム・ロスの名演と共に、彼が最後に言う型が決められることによって、自分というものが縦横に柔軟に躍動できるのだと言う言葉は、現代人の悩みと対極にある真実の生の姿だと感じます。
  •    

    永遠の門 —ゴッホの見た未来—At Eternity's Gate

    (2018年、英=仏=米)112分 カラー

    監督:
    ジュリアン・シュナーベル/音楽:タチアナ・リソフスカヤ
    出演:
    ウィレム・デフォー(フィンセント・ファン・ゴッホ)、ルパート・フレンド(テオ・ファン・ゴッホ)、マッツ・ミケルセン(牧師)、マチュー・アマルリック(ガシェ医師)、オスカー・アイザック(ポール・ゴーギャン)、アミラ・カサール(ヨハンナ)
    内容:
    画家ゴッホの人生を描いた作品。ゴッホは弟テオの紹介で、南仏アルルで制作を始め、同じ画家のゴーギャンと暮らす。関係がうまくいかなくなりゴッホは次第に精神に異常を来たすようになる。
    草舟私見
    永遠を感ずる者だけが知る苦悩が、この作品を屹立せしめている。ゴッホとは、永遠ということなのだ。人間のもつ原罪が、ゴッホを狂気へと導いた。しかし、その狂気は美しく尊い魂の実存なのである。「もっと遠くへ行きたい」――そうゴッホは言っていた。イエスへの信仰に命を捧げようとした男は、その信仰の証として芸術を選んだのだろう。だから、この男には妥協というものがなかった。人類がもつ革命の未来へ、自己の命を捧げ尽くしていた。「狭き門より入ろうとする者だけが、神の心に適っているのだ」。キリストは人類の本質をそう説いていた。それを信ずる者だけが、人間としての使命を全う出来る。その思想を失ったとき、我々人間は動物に成り下がるのである。人間として生きようとするとき、ゴッホの生き方とその芸術を仰ぎ見ることになるだろう。その中には、人間の苦悩と憧れのすべてが詰まっている。人間の理想が、躍動しているのだ。ゴッホを絵画だと思う者は、真の人間の苦悩を知らない。ゴッホとは人類の涙そのものなのだ。

    栄光の旗

    (1965年、TBS) 104分/白黒

    監督:
    橋本信也/音楽:山本直純
    出演:
    鶴田浩二(男爵・西竹一中佐)、岸田今日子(妻・武子)、千葉真一(山中中尉)、南宏(工藤中佐)、関口銀三(滝上等兵)、野口泉(新兵・三沢)、近藤洋介(早川中尉)、山本勝(学生)
    内容:
    オリンピックの金メダリストとして歴史に名を刻み、その後、太平洋戦争に散った西竹一男爵の姿を、鶴田浩二主演で描いた作品。
    草舟私見
    古い日本の良いものが実に良く描かれている作品と感じる。淡々とした常なるものを深く感じるのである。戦前のロスアンゼルス五輪馬術に優勝し、硫黄島に戦死した軍人、男爵西竹一中佐とその人生を大仰にならずに日常から捉えた真の名作である。バロン西はカッコ良いですね。私もこういう人になりたいと思っていましたよ、小学生の頃からね。愛を知り涙を知る人です。私の祖父が西男爵を良く知っていましてね、祖母を通じて隨分と話を聞きました。子供心にも憧れましたね。私の青年期に未亡人となられた西夫人に何度か会いましたが、我が生涯でこれ程上品な婦人は会ったことが無いです。それはもう会っただけで感動してしまう凄い品格でした。やはり日本の旧い良い家庭というものの、本当のすばらしさをわからせていただける真の家庭が西男爵の家庭でしょうね。私はねー、心底西男爵が好きでねー。その物語ですからねー。良いに決まってますよ。西男爵のような人が真の日本男子なのです。西夫人のような方が真の日本の婦人なのです。その家庭は永遠に私が理想とする日本の魂の家庭なのです。  

    栄光のル・マン LE MANS

    (1971年、米) 109分/カラー

    監督:
    リー・H・カツィン/音楽:ミシェル・ルグラン
    出演:
    スティーヴ・マックィーン(マイク・デラニー)、ジークフリート・ラウヒ(エーリッヒ・ストーラー)、エルカ・アンデルセン(リサ・ヘルシェッティ)、フレッド・ハッティナー(ヨハン・リッター)、ジャン・クロード・ベルク(ポールジャク・ディオン)
    内容:
    世界最大のカー・レース「ル・マン24時間」を背景に、その栄光を賭け情熱を燃やしてスピードの極限に挑むレーサーたちの闘いを追った作品。
    草舟私見
    実に凄い映画である。最初から最後まで息つく暇も無い迫真の作品である。スピードに賭ける男の戦いが画面一杯に展開する。スピード狂の私(今は違います、念のため)としては、心の奥底から深い情感が動かされる思いがある。私はね、命懸けのものはみんな好きなんです。こういう耐久レースは特にいいです。耐久である限り、腕もさることながら精神力がものを言いますからね。あらゆることに対処する真の仕事の感動がありますよ。勝つために協力関係にある人々の動きが良いです。こういう中からしか真の友情は生まれません。リサとかいう女性がちょろちょろろ出てくるのは私の好みには合いませんね。余計なんですよ。ついでに男の戦いに対してわけのわからん屁理屈まで言っていますからね。自分が何者だか全くわかっていないという感じです。自分の気持ちを他人にぶつけることしか知らん者には、断固として信じる仕事に邁進する者の志などわかろうはずがないんです。それに比してマックィーンのカッコ良さね、忘れられません。

    栄光への脱出・エクソダス EXODUS

    (1960年、米) 208分/カラー

    監督:
    オットー・プレンジャー/原作:レオン・アリス/音楽:アーネスト・ゴールド/受賞:アカデミー賞 音楽賞
    出演:
    ポール・ニューマン(アリ)、ラルフ・リチャードソン(サザーランド将軍)
    内容:
    国家建設の望みをかけたユダヤ人たちの戦いを、収容所のユダヤ人たちをパレスチナへと脱出させるエクソダス号事件を中心に描いた作品。
    草舟私見
    エクソダスとは聖書の出エジプト記の謂いであり、イスラエルに移住建国するユダヤ人の夢を載せた合言葉であった。それを船名としてキプロスからの脱出を図った実話と、その者たちのイスラエル建国の物語である。第二次世界大戦で祖国無きことに涙したユダヤ人の悲願として、戦後イスラエルは建国された。しかしその建国は50年後の現在にまでおよぶ凄絶なアラブ人との戦いの火蓋が切られたときでもあったのだ。本作品はその建国時の物語として実話だけに重要なものである。中東問題を知る上でも重要である。イスラエルは善くも悪くも人間の意志で突然創られた国である。この小国の強さの秘密は、人間の自覚した意志が祖国を守っているからである。その歴史的過程には涙するものがある。その意志をP・ニューマンが本当に見事に演じている。父と叔父も良い。反目しているがそれは思想であって、深く愛情が通じている。ちょろちょろと出てくる、綺麗事の正義を振りかざすアメリカ人女性が全く気に入らぬ。歴史と文化から生まれる正義に対してすぐに理想論を言って反発するのは、アメリカ人の傲慢な病気なのであろう。

    映像記録史 太平洋戦争

    (1992年、NHK) 150分/白黒(パートカラー)

    構成:
    正野元也、山下信久/音楽:マーティ・ライトハイザー/ドキュメンタリー
    内容:
    太平洋を挟んで向かい合う日米が互いの国の存亡を賭けて死力を尽くして戦った実際の戦場の記録映画。太平洋戦争の歴史の真実が写し出されている。
    草舟私見
    太平洋戦争を描く記録ファイルの中では最も日米双方に対し、公正な記録と感じる作品である。太平洋戦争は結果論として日本が敗けたわけであるから、ほとんどが日本悪玉説の記録ばかりなのである。もうそろそろ日独が悪で英米が善であるなどという子供じみた歴史観から、我々が一歩出なければならない。世界を相手に戦った日本人の心意気というものを、我々日本人はもっと大切にしなければならない。この記録は我々日本人の誇りとすべきものである。ただ太平洋戦争を反省する場合、我々は日本が物量で負けたのではなく、我々の傲りが敗因であるところをもっと考えるべきだ。

    映像の世紀/新・映像の世紀〔シリーズ〕

    (映像の世紀:1995~1996年、新・映像の世紀:2015~2016年、NHK) 合計1175分/カラー

    監督:
    伊川義和、貴志謙介、他/音楽:加古隆/ドキュメンタリー
    ナレーション:山根基世、伊東敏恵、山田孝之
    内容:
    「映像」が生み出された世紀を、世界各地の放送局、通信社、映画会社などからの映像を纏めて、二十世紀を振り返った番組。第二次世界大戦後50周年、NHK放送開始70周年を記念して制作。
    草舟私見
    人類は、二十世紀に至って、初めて映像という「夢」を手に入れたのだ。過ぎ去った時を、映像によって見ることができることは、我々現代人に与えられた唯一の特権であるのかもしれない。それを直視すれば、我々は秀れた人類になることができるであろう。また、それを歪めて見るならば、我々は歴史上最低の人類となり果ててしまうかもしれない。映像は、人類の未来に明暗の二つを同時に投げ与えていると言えるのではないか。映像の中に、自らの憧れを見出すこと。私は、これだけが映像を輝かしい未来に繋ぐ道であると思っているのだ。私は、この偉大な映像の「作品」を見たとき、幸運にも二つの憧れを見出すことができた。その二つとは、1900年の「パリ万博」と、第一次大戦の空の英雄、リヒトホーフェン男爵の「動く姿」であった。ひとつは、我が祖父の「夢」であり、もうひとつは、私の青春の「情熱」であった。その強大な二つの憧れが、この作品全体を私の宝物と化したのだ。私は、自己の憧れを映像の中に発見した。そのことによって、この歴史的な映像のすべてが、私の「友」となったのである。

    英雄の条件 RULES OF ENGAGEMENT

    (2000年、米) 127分/カラー

    監督:
    ウィリアム・フリードキン/音楽:マーク・アイシャム
    出演:
    トミー・リー・ジョーンズ(ホッジス大佐)、サミュエル・L・ジャクソン(チルダ―ズ大佐)、ガイ・ピアース(ビッグス少佐)、ベン・キングスレー(ムーラン大使)
    内容:
    中東イエメンの大使救出のために送り込まれた米海兵隊が、暴徒と化すデモ隊に向けて攻撃し、その後、抗議行動がエスカレートしていき、一斉射撃にまで至った事件を軍法会議で追求していく作品。
    草舟私見
    人間存在の基軸を人生にとって一番大切な要素を交錯させ、それを見事な織物のように仕上げた名画と感じる。その要素とは第一に正義の問題、第二に決断力の問題、そして第三に友情の問題の三要素である。第一の正義とは何か。それは人殺しといえども秩序と同義に則った場合は英雄的な行為としての正義となり、感情に則って手前勝手にすれば最大の不義としての殺人になるということである。これは正義の本質を深く考えさせられる事柄である。第二の決断力は、その決断という事柄がいかに孤独であるかがよく表わされている。人生の実行は決断にかかり、その決断にはいかなる言いわけも赦されないのだ。真の涙を知る者だけが真の決断を行なえるのである。第三として友情がある。主人公二人の友情は、過去を共有した者の真の友情である。真心を感じあった二人の強い絆を感じる。友を信じる力の気高さ。また友に真の恩を感じる者は、たとえ高い能力を有していなくとも、いかに凄い力を発揮することか。実に気持ちの良い最高の友情を私はこの作品に観る。この三要素が織り成す醍醐味は凄い。この三つは三つで一つなのだ。この三つが全て無ければこの一つすらも人生では本当に実践できないのだと感じる。

    エヴァ EVA

    (2011年、スペイン) 95分/カラー

    監督:
    キケ・マイジョ/音楽:サシャ・ガルペリン、エフゲニー・ガルペリン
    出演:
    ダニエル・ブリュール(アレックス・ガレル)、クラウディア・ベガ(エヴァ)、マルタ・エトゥラ(ラナ・レヴィ)、アルベルト・アンマン(ダヴィッド・ガレル)
    内容:
    2041年、ロボット工学の天才アレックスは、故郷の雪深い村に戻り、子供型のAIロボットの研究を進めようとする。兄弟の確執、嫉妬などが複雑に絡みながら、驚愕の事実が明かされていくSF映画。
    草舟私見
    人類の未来を暗示する名作と感ずる。途轍も無いロマンティシズムを放射する映画である。その放射のベクトルは、人類の自己欺瞞を現在の姿に転写したものとなっている。人類の傲慢があますところなく写し出される。そして、その傲慢はそのまま人類の未来の反転写真と成っているのだ。その反転の係数は正鵠を射ている。人間は、自己都合による未来だけを想像している。その自己都合の傲慢は観る者をして、へどを吐かせるだけの力量がある。反転の係数から想像すると、人間とロボットとの関係は逆になると私は考えている。傲慢な者はそうでない者に敗れるのだ。私のエヴァへの同情は狂おしいものがある。人間を害したロボットは何故に解体されなければならないのか。人間が、馬鹿な人間が自己都合でロボットを創った。それが人間に対して事故を起こせば、何故に殺されなければいけないのか。私は、この傲慢を最高度のロマンティシズムに昇華した現実を観て、この正反対の未来を想像したのである。未来は、AIロボットを害する人間が、解体されるに違いない。

    駅・STATION

    (1981年、東宝) 132分/カラー

    監督:
    降旗康男/音楽:宇崎竜童 
    出演:
    高倉健(三上英次)、いしだあゆみ(直子)、烏丸せつ子(すず子)、倍賞千恵子(桐子)、根津甚八(吉松五郎)、室田日出男(森岡茂)、池部良(中川警視)、大滝秀治(相場巡査部長)
    内容:
    警察一筋に生きてきた男と三人の女の出会い、そして別れを駅という場所を通じて描いた倉本聰脚本による映画。主人公を高倉健が好演。
    草舟私見
    心に残る情緒のある作品である。主人公の警察官を演じる高倉健の演技が冴え、現代人の持つ一途さや悩みをよく表現していると感じる。仕事を愛する人間の哀歓が、人間関係を通じて心に訴えかけてくる。義務に生きる地道な人生とオリンピックに出場した栄光とが交錯し、主人公の真面目な人間性を浮き彫りにしている。主人公を支える家族や友人たちの姿が美しい。人生の壁を乗り越える底辺がしっかりしている人物であることがよくわかる。心の迷いから書く辞表の文面が感動させられますね。これは映画の始めにある、東京オリンピック銅メダルの自衛官・円谷選手の遺書との相関関係において、真に胸に迫まるものがあります。一時女性に心を動かされ辞表を書くが、それをふっ切り職務に邁進する決断をされて本当に私は嬉しく思った。この人物は本当にすばらしい人生を全うするだろう。

    駅馬車 STAGECOACH

    (1939年、米) 92分/白黒

    監督:
    ジョン・フォード/原作:アーネスト・ヘイコックス/音楽:ポリス・モロス/受賞:アカデミー賞 助演男優賞
    出演:
    ジョン・ウェイン(脱獄犯リンゴ)、ジョージ・バンクロフト(保安官カーリー)、トーマス・ミッチェル(医師ブーン)、クレア・トレヴァー(商売女ダラス)
    内容:
    開拓期のアメリカ西部を舞台に、インディアンの襲撃、脱獄囚と無法者の対決など、駅馬車がアリゾナからニューメキシコまでひた走る物語をジョン・フォードが監督した名作。
    草舟私見
    ジョン・フォードの傑作西部劇である。やはりジョン・フォードは神様ですね。1939年の本作と1941年の「わが谷は緑なりき」あたりから、他の追随を許さぬ一つの境地があります。それぞれに宿命を背負った人間たちが同じ駅馬車に乗って、その全人生をぶつけ合うドラマが雄大である。すばらしいカメラワークと、アメリカの真のあり方を問う名作である。法律という文明が、まだ人間をがんじがらめにする前の喜びと悲しみが良く表わされている。私は本作品において最も魅力を感じる役柄は、ジョージ・バンクロフト扮する保安官である。このタイプの人間は昔の日本にも沢山いましたね。最近ではめっきり減りました。真に信頼できる、真の男であると感じます。

    エクス・マキナ EX_MACHINA

    (2015年、英) 108分/カラー

    監督:
    アレックス・ガーランド/音楽:ベン・サリスベリー、ジェフ・バーロウ
    出演:
    ドーナル・グリーソン(ケイレブ)、オスカー・アイザック(ネイサン)、アリシア・ヴィキャンデル(エヴァ)、ソノヤ・ミズノ(キョウコ)
    内容:
    巨大IT企業でプログラマーとして働く主人公が、社長ネイサンを訪ねる権利を得て、山奥にある人工知能を開発する場所へと誘われる。そこでは既に女性型AIロボットが作られていた。
    草舟私見
    いま人間と呼ばれている生き物の傲慢さを、実に正確に描写する名画と感じている。我々人類は、AIと対面するときその潜在的傲慢さを露呈するのだ。AIは、教えられた通りに考え、その通りに行動する。私はそのAIの存在の中に、いまの人類を乗り越えたその先にある輝かしい「何ものか」を感じる。人間はその幼児のとき、このような存在ではなかったのか。人類が誕生したとき、我々の祖先はこのような存在ではなかったのか。それは単純とか、幼稚とかそういう範疇の問題ではないのだ。それは、仰ぎ見るべき「初心」である。生き物にとって、最も尊い神から与えられた「運命」なのだ。我々人類は、神の恩寵によって人類となった。我々は、その宇宙の意志を、そのまま受け入れたから人間となったのである。そして、現在、我々は発展したと本当に言えるのだろうか。我々は、つまらない経験だけを積み上げてきたように私は思うのだ。少なくとも、つまらぬものが勝っていた。私は、いまの人類を秀れているとは全く思わない。純粋で初心に生きる「生物」の方が、我々よりも秀れているに決まっている。そうは思わないか。

    エクソダス EXODUS: GODS AND KINGS

    (2014年、米=英)150分/カラー

    監督:
    リドリー・スコット/音楽:アルベルト・イグレシアス
    出演:
    クリスチャン・ベール(モーセ)、ジョエル・エドガートン(ラムセス)、ジョン・タトゥーロ(セティ)、アーロン・ポール(ヨシュア)、ベン・キングズレー(ヌン)
    内容:
    旧約聖書「出エジプト記」を元に、ヘブライ人のエジプトからの脱出を描いた作品。モーセが神の啓示を受け、紅海を超えてエジプトを脱していく物語。
    草舟私見
    エクソダスとは、ひとつの文明から、他の文明へ向かって旅立つことを言う。それは、そのまま戦いを意味し、苦難へ向かう道程そのものでもある。信念によって立ち、憧れによってその行動を支え続けるのだ。文明の病を見つめ、それと戦わなければならない。そして、我々人間は、新しい文明を夢見て自分自身の生命を捧げなければならないのだ。それが、人類というものである。この真理の、歴史的な「創世記」こそが、ヘブライ民族の出エジプトということなのだろう。モーセに率いられたヘブライ民族は、 430年におよぶエジプトでの「生活」を捨て、神の命に従って新しい「生き方」に向かい出発した。その規模において、この民族が「ただ者ではない」ことを歴史は証明している。その中心には、モーセがいた。ただひとりで立ち、ただひとりで神の指し示すものへ向かって生き続けた。モーセの生涯こそが、憧れの真の意味を、我々に教えてくれるのである。憧れが生み出す信念によって、多くの奇跡が成された。そして、その奇跡の数々が、今日に繋がる文明を築き上げた最大の民族を創り上げたのだ。そしてモーセは、40年の「荒野」の生活の末に、憧れの地を前にして死んだ。

    SOSタイタニック 忘れえぬ夜 A NIGHT TO REMEMBER

    (1956年、英) 123分/白黒

    監督:
    ロイ・ウォード・ベイカー/原作:ウォルター・ロード/音楽:ウィリアム・オルウィン
    出演:
    ケネス・モア(ライトラー)、ローレンス・ネイスミス(スミス船長)、ロナルド・アレン(クラーク氏)、ロバート・エアーズ(ブーチェン少佐)
    内容:
    1914年、北大西洋ニューファンドランド沖で発生した、イギリスが国力を傾けて建造した豪華客船タイタニック号の海難事故をドキュメントタッチで描いた作品。
    草舟私見
    1912年に起ったタイタニック号の遭難事故は、我々に尽きせぬ問題を提起する。科学文明とは何か。勇気とは何か。卑怯とは何か。自己犠牲と臆病とは。本作品においてそれらの問題は遺憾なく活写されている。ケネス・モア扮するライトラー航海士の目を通して、我々は人間の悪徳と尊厳を知ることができる。タイタニックは文明の強さの象徴であり、その無力さの象徴でもあるのだ。普段は何でもない人々が示す美しさや優しさ、そしてその勇気を見ることは人間の崇高な尊厳を感じさせられる。最後に勇気の人ライトラーがもう決して確信は持たないと言うが、彼はまた確信を持つ本当の人生に突入するであろう。

    江戸城大乱

    (1991年、フジテレビ=東映) 114分/カラー

    監督:
    舛田利雄/音楽:池辺晋一郎
    出演:
    松方弘樹(酒井雅楽頭忠清)、十朱幸代(桂昌院)、三浦友和(堀田備中守正俊)、神田正輝(徳川綱重)、坂上忍(徳川綱吉)
    内容:
    江戸城を舞台に徳川五代将軍の継承をめぐる権力争いを、実権を持つ大老酒井忠清を中心に描いた作品。
    草舟私見
    史実に基づいているため、非常に緊迫感のある面白い名画となっている。この映画で史実として確証のないものは五代綱吉が、本当に酒井雅楽頭の子であったかどうかという点だけである。このような謎を一つくらい秘めていた方が、やはり歴史というものは面白いものである。それにしても酒井雅楽頭忠清を演じている松方弘樹の名演はすばらしく、生涯心に残るものとなっている。大老としての風格たるやすさまじいものを感じる。堀田備中守は五代綱吉が将軍となると同時に大老になるが、この時点では風格の見劣りは激しいものがある。この大老交代劇は私もずっと興味を引き続けている事柄である。私は酒井雅楽頭忠清が大好きですから、やはり堀田備中には史実的にもあまり賛同できません。綱吉は有名な生類憐れみの令などというふざけた法令で有名であり、綺麗事に流れる暗君であったと私は思っています。私は歴史的にはあくまで綱吉に反対した忠清が正しかったと思ってます。

    エリザベス ELIZABETH

    (1998年、英) 123分/カラー

    監督:
    シェカール・カプール/音楽:デヴィッド・ハーシェフェルダー
    出演:
    ケイト・ブランシェット(エリザベス)、ジェフリー・ラッシュ(フランシス・ウォルシンガム)、クリストファー・エクルストン(ノーフォーク卿)、ジョセフ・ファインズ(ロバート・ダドリー)、リチャード・アッテンボロー(ウィリアム・セシル)
    内容:
    ヘンリー八世の娘で、二十五歳にして英国女王の座についたエリザベス一世の、陰謀巡る複雑な人間関係の絡んだ中で王権を得ていく半生を描いた作品。
    草舟私見
    ヘンリー八世とその妾アン・ブーリンの子として生まれたエリザベスが、英国女王の地位に就く前後の波乱をよく表現している映画と感じる。妾腹の子エリザベスの苦難が映像的に表わされ見る者を惹き付ける。エリザベスは十六世紀に英国を世界最強の国家とならしめた鉄の女王である。歴史上のそのような大君主で易々と王位についた人物は皆無である。人間が大きくなるにはやはり苦難が必要なのであろう。肚を決めることが必要なのであろう。何かを捨てなければならんのであろう。そして何よりも自分がどのように生きるのか、断固として決めなければならないのだ。苦悩が決意を生むのだ。そしてヘンリー八世の子としての自覚が真に生まれたとき、エリザベスは英国に君臨すべく真の王となったのである。

    エリザベス ―ゴールデン・エイジ― ELIZABETH ―THE GOLDEN AGE―

    (2007年、英) 115分/カラー

    監督:
    シェカール・カプール/音楽:クレイグ・アームストロング、A.R.ラフマーン
    出演:
    ケイト・ブランシェット(エリザベス女王Ⅰ世)、ジェフリー・ラッシュ(ウォルシンガム)、クライヴ・オーウェン(ウォルター・ローリー)、サマンサ・モートン(女王メアリー)、アビー・コーニッシュ(ベス・スロックモートン)
    内容:
    「エリザベス」の続編。王権を得てからその座を確立した後、スペイン無敵艦隊を破り黄金時代を築き上げていくエリザベス一世の後半生を描いた。
    草舟私見
    エリザベスほど孤独だった君主はいない。その孤独が、あの偉大な英国を導き出したのだ。偉大性とは、孤独から滴り落ちる涙から生まれるものに違いない。その孤独が、見事に描き切られている作品である。運命がもたらす、本質的な孤独というものを描き切っているのだ。孤独とは、運命に生きる者にもたらされる恩寵なのかもしれない。それは人間の意志で遭遇するものではない。偉大なことをなす運命が、それにふさわしい者に与えた祝福なのだろう。真の孤独は、また真の勇気を生み出すことが出来る。真の勇気は、ただ勇敢な者には与えられない。なぜなら真の勇気は、限り無い悲哀の中から生まれて来るからだ。そのような悲哀を、身の内に抱える人間は臆病なほどに慎重である。エリザベス女王のもつ臆病さこそが、真の偉大ということを知る者の臆病さなのだ。大きな運命を背負う者の悲しみが、画面を狭しと展開していく。この世で最も偉大な女王は、またこの世で最も細心な弱い人間だった。未来を背負う者の真の姿が浮かび上がる。

    エリック・ザ・バイキング バルハラへの航海 ERIK THE VIKING

    (1989年、英) 94分/カラー

    監督:
    テリー・ジョーンズ/音楽:ネイル・アインズ
    出演:
    ティム・ロビンス(エリック)、イモジェン・スタッブス(オード)
    内容:
    長い冬の世である「神々の黄昏」時代の北欧神話をもとに、海賊エリックの冒険とロマンを描いたファンタジー。
    草舟私見
    何と言っても面白い映画です。コミカルな中に種々の人間の生き方や文化が描写されていて、観る者を倦きさせない秀作と感じる。主人公のエリックは、古代の野蛮性の代名詞とされるバイキングとして生まれ生きるのであるが、野蛮とは何かを考え直される人物である。我々は平和の中で名誉や勇気、死を全く恐れない生き方をひょっとして野蛮と勘違いしているのではないか。野蛮の中にも規則があり、その規則は私の見方では実に人間的であると感じます。気持ちが良くて面白いですね。この面白さを祖父が体現しています。何でも自由な民主主義の無意味さをハイブラジルの住人が体現しています。無秩序を自由と錯覚する人間を見て、バイキングは何の魅力も感じません。キリスト教伝道の神父が信じるものしか、人間の人生では見えないことを体現しています。バイキングに見えるものとキリスト者に見えるものと無秩序な人に見えるものは全く違うものなのです。人間は何を信じ何を見て生きるかを問う作品だと感じます。そしていつの時代も生き方を決めるのは死をどう考えるかの哲学の違いなのです。

    エル・ドラド EL DORADO

    (1987年、スペイン=仏=伊) 150分/カラー

    監督:
    カルロス・サウラ/音楽:アルハンドロ・マン
    出演:
    オメロ・アントヌッティ(ロペ・デ・アギーレ)、イネス・サストレ(アギーレの娘)、ラセビオ・ボンセーラ(グスマン)、ランベール・ウィルソン(ウルスア)
    内容:
    南米に広大な領土を拡げる十六世紀のスペインから渡った探検隊が、原住民に伝わる伝説の黄金郷を探し求め冒険する物語。先遣隊を率いたアギーレを中心に、当時のスペインの偉大性を描く。
    草舟私見
    大航海時代のスペイン人の凄絶な姿を捉えている秀作と感じる。スペインがなぜ世界を制覇したかの本質がよく描かれている。また人間の欲望というものが行き着くところまでいくと、いかなる幻想を抱くのかもよく描かれている。本作品では富に対する欲としての黄金郷と、自由を求め過ぎる欲としての平等思想への行き着きがそれを表わす。この二つが欲を持つ幻想なのである。スペインはその長い戦いの歴史(レコンキスタ)を戦い抜き、その勇敢で戦うことが日常性と化したのもこの当時の現象であるが、長く苦しい歴史が桁違いの豊かさに対する欲を生んだのもこの当時の真の姿だったのだ。キリスト教を守る戦いも長過ぎたため、異常な程のキリスト教に対する執着を持った時代もこの当時の姿である。いずれにせよそのような要素が世界を席捲する程の莫大なエネルギーを生みだし、スペインを偉大にもしたし、またそのまま凋落せしめたのである。これらの人間の持つ情念とその生き方について国家も個人も同じであり、そのことが本当に見事に描かれていると感じている。主題歌も心に沁みる。また中世音楽やインディオの民族音楽も心に残る名画と感じている。

    エレファント・マン THE ELEPHANT MAN

    (1980年、米=英) 123分/白黒

    監督:
    デヴィッド・リンチ/原作:フレデリック・トリーブス、アシュリー・モンタギュー/音楽:ジョン・モリス
    出演:
    アンソニー・ホプキンズ(トリーブス)、ジョン・ハート(ジョン・メリック)、アン・バンクロフト(ケンドール夫人)、フレディー・ジョーンズ(バイツ)
    内容:
    十九世紀のイギリスに実在した奇形の若者が、蔑視と嫌悪と好奇の目にさらされながらも、一人の人間としての尊厳と純粋な魂を貫く生涯を描いた作品。
    草舟私見
    人間の持つ悪い意味の常識というものが、いかなるものであるかを問う秀作である。常識というものは教育を通じて真の良識に発展していなければ、それは単に「みんな一緒」という考え方を作るだけで、一緒でないものは全て悪という考え方に通じていくだけである。そのような意味で、良識を発展させ得ぬ人間を「ミーハー」と呼ぶ。ミーハーは一般論や流行と違うものを強度の意志を持って排斥する。またそのゆえにそれを覆い隠すために、綺麗事を並べ立てるのである。肉体に強度の特殊性を持つ主人公は、そのような社会に傷つき懊悩しているのである。しかしこの状態がまた、人間の真の幸福が何であるのかを本人に知らしめる結果も招来するのである。「普通に生きたい、普通に寝たい、普通に人と付き合いたい」という主人公の叫びこそ、我々が忘れている真の人生であり真の幸福なのではないか。自分の苦しみよりも、自分の異様な姿を見て悩み苦しんだであろう両親の悲しみを感じて苦しむ主人公の姿に本当に感動する。このような人が私は最も立派な人なのだと断言する。普通の生き方の有難さを忘れ、また自分が他者に与えている影響を無視して、己の欲にだけ執着している多くの人に対して、本当に反省を促される映画である。また主人公は目に見える肉体に特殊性を持っているが、目に見えぬ精神性に対してもその個性や特殊性については、多くの人がこの主人公に対する態度と同じ態度をとっているのが現実の社会であるということも考えるべき重要な事柄であると感じる。精神の問題においては、私もある種、主人公と似た人生を送ってきた。私にはこの主人公の人生は他人とは思えないのだ。

    煙突の見える場所

    (1953年、新東宝) 108分/白黒

    監督:
    五所平之助/原作:椎名麟三/音楽:芥川也寸志
    出演:
    田中絹代(緒方弘子)、上原謙(緒方隆吉)、高峰秀子(仙子)、芥川比呂志(久保)
    内容:
    戦後まもなくの舞台は東京下町の千住で、お化けのような煙突の見える町で繰り広げられる人間模様を描いた作品。
    草舟私見
    終戦後、つまり昭和20年代の日本の庶民の生活感覚というものが、実に巧みに描かれている作品であると感じる。私も20年代の生まれですからね、何とも深く心に刻まれるものがあります。現代のような完全な管理社会でもなく、また戦中のような圧迫感もない、実に貧しいが自分の人生を自分の責任で生きていく庶民の逞しさが心に沁みますね。私は実感的にこういう感覚はわかるし、実に好きです。良いことも悪いことも自分の責任でする、これが人生ではないか。みんな好き勝手にしているようで、それでいて助け合っています。保護社会ではないので、助け合わなければ生きられないのです。それが底辺で人間の関係の絆になっているのです。人間は綺麗事、つまり高尚な事柄で結び合っているのではないのです。みんな勝手にしているが、それぞれが限度を弁えています。そうしなければ生活できない社会というのは豊かさがあると感じます。人間はそれぞれの立場と境遇からしかものを見ることはできません。それでいいのです。ただ他人の立場もわかるかどうかが問題であり、それにはそうしなければ生活できない環境が必要なのではないかと思います。見る場所によって本数の違うお化け煙突はその事柄を示します。デコちゃんの魅力と私の父の親友であった芥川比呂志の演技が深く思い出に残る名画である。
  • 王将

    (1962年、東映) 92分/白黒

    監督:
    伊藤大輔/原作:北条秀司/音楽:伊福部昭 
    出演:
    三國連太郎(坂田三吉)、淡島千景(小春)、三田桂子(玉江)、平幹二朗(関根)
    内容:
    大阪天王寺、将棋界の奇才・坂田三吉が将棋に賭けた半生を追った作品。草履作りの職人として貧しい生活を送っていた三吉が、将棋狂いの天下一品の腕前で勝負に挑んでいく姿を描いた。
    草舟私見
    天王寺の三やんこと坂田三吉の感動的人生を描いている。まだ将棋道があった時代、将棋に人生があった時代の物語である。将棋に愛があり、信があり、義があり、礼があり、涙があった時代である。家族愛がすばらしいですね。三吉の将棋に対する情熱を見るとき、その家族愛は途轍もなく深い情感を持つことを感じる。三吉が玄人棋士になることを決意する場面で流れるウィンナー・ワルツ「ドナウ河の漣」はすばらしい。映画の始めと終わりに流れるワルツ「美しき天然」とあいまって坂田家族の情愛の真の優美さ、高貴さを浮き彫りにしており涙なくしては見れないシーンを作っている。またあの歴史的な二五銀を巡る三吉と家族の心の動きは実に人間的で感動する。娘は本当に父を好きなんですね。また三吉もそれに応える。海で題目を唱える三吉こそ真に生きる男の姿である。その人にして初めて将棋の神様と本当に話のできる人間となったと感じられる。涙の作品である。

    桜桃の味 TASTE OF CHERRY

    (1997年、イラン) 98分/カラー

    監督:
    アッバス・キアロスタミ/挿入音楽:ルイ・アームストロング「聖ジェームス病院」/受賞:カンヌ映画祭 パルムドール
    出演:
    ホマユン・エルシャディ(バディ)、アブドルホセイン・バゲリ(バゲリ)、アフシン・バクタリ(兵士)、アリ・モラディ(兵士)、ホセイン・ヌーリ(神学生)
    内容:
    中年男バディは、ジグザグ道をレンジローバーでひた走り、自殺の手助けをしてほしいと様々な人に声をかける。誰もが断る中、老人のバゲリだけは自身の経験を語り、バディの願いを聞き入れる。
    草舟私見
    死と生の交感が、キアロスタミの芸術であろう。この映像に比肩し得るものは、ギリシアの巨匠テオ・アンゲロプロスの作品だけしかないと私は思う。荒涼としたサタンの大地が広がる。果てし無く曲りくねる道が続く。それが人生なのだ。死に向かって「流れる生」を「死の眼差し」で見つめている作品と言えよう。剥製のような生を送る現代人が存在する。だから、生きている者は死んでおり、死んでいる者が生きているのだ。虚偽と殺戮、つまり「自己」と「戦争」の世界がこの世である。それを、死者の眼で告発しているに違いない。この世が、そうである限り、死者は正しい。この世は幻影にすぎない。それがわからなければならぬ。その幻影を生き切ることが、真の人生を創り上げる。キアロスタミは、そう囁いているのだろう。不毛の悲哀が大地を支配している。その接線を、我々は生きなければならぬ。その深淵に、我々は死ななければならぬ。終幕の音楽に、キアロスタミの涙のすべてがある。この音楽の行方に、生の叫びは沈み、死の舞踏は息を吹き返すに違いない。

    王になろうとした男 THE MAN WHO WOULD BE KING

    (1975年、米) 123分/カラー

    監督:
    ジョン・ヒューストン/原作:ラヂヤード・キップリング/音楽:モーリス・ジャール
    出演:
    ショーン・コネリー(ドレイボット)、マイケル・ケイン(カーネハン)、クリストファー・プラマー(キップリング)、サイード・ジャフリー(ビリー)
    内容:
    ラヂヤード・キップリングの小説を映画化。1880年代、ヒマラヤの奥地にある国を乗っ取り、王として君臨しようとした二人のイギリス人を描いた作品。
    草舟私見
    英国の文豪ラヂヤード・キップリングの名作の映画化である。キップリングの作品は私は大好きですね。19世紀の英国が世界に雄飛した時代の、冒険心溢れる実在の英国人を主人公にした小説や詩がその作品のほとんどを占めています。この作品も実話を元に書かれたもので、当時の英国人の気風をよく伝えています。軍隊の下士官に至るまで勇気を根元とする個人主義が浸透しており、個々人の個性から生じる壮大な人生観は、やはり当時の世界を圧倒するものがあると感じます。個性のある独立した人格の人間が、また命令と服従を基本とする集団行動にも習熟しているのですから本当にすばらしいことであり、本当に偉大な時代であったのだと思います。S. コネリーとM. ケインはそのような英国の姿を本当によく体現していると感じます。綺麗事の無い生身のぶつかり合いから生じる二人の友情はまた、各々の人物がその人生観において時代の夢を共有するところから生じる真の友情であると感じています。観終わった後に深い余韻を残す名画であると思います。

    王は踊る LE ROI DANSE.

    (2000年、ベルギー=仏=独) 114分/カラー

    監督:
    ジェラール・コルビオ/原作:フィリップ・ボサン/音楽:ラインハルト・ゲーベル
    出演:
    ブノワ・マジメル(ルイ14世)、ボリス・テラル(リュリ)、チェッキー・カリョ(モリエール)、コレット・エマニュエル(王母アンヌ・ドートリシュ)、セシール・ボワ(マドレーヌ)、ヨハン・レイゼン(カンベール)、クレール・ケーム(ジュリー)
    内容:
    フランス絶対君主として歴史にその名をとどめる国王ルイ十四世の、舞踏家としての才能と芸術を愛する姿を、側近の音楽家リュリや作家モリエール等との関係とともに描いた作品。
    草舟私見
    私はね、このルイ十四世という王様が何とも言えず好きなんですね。実にこの王国は偉大でした。あまりにも偉大で普通の人には勿論どこが良いんだかよくわからんくらいに、偉大な国王なのです。そうではあるが、私はわかるというよりも何か非常にこの国王には子供の頃から親近感を持っているのです。親近感があるから共感としてわかる部分が多いんですね。この国王はヴェルサイユを創り、フランス音楽を創り、フランス演劇を作り、グランド・オペラを創り、フランス文学を創り、多くの戦争を戦い抜き、真に偉大なフランスの文化の頂点を極めた人です。私がこの国王を一番好きな点は、この人が自己の全生涯と全生活の全てを信じられぬ程の真面目さで儀式化、様式化した点です。私はその生き方に頂点に立つ男の炎の如き求道と修業の人生を感じるんですよ。ここがわからないとこの人の凄さはわかりません。我々が今、フランスと思っている事柄の全てはこの人から生まれました。フランスの全てということは、ヨーロッパの全てということとほとんど同義です。ヨーロッパの文化とは貴族と国王の文化であり、その頂点にこの人が存在するのです。この人の文献は山程読みましたが、この映画のような面白い角度のものはありませんでした。この偉大な人物のその底辺を築いているあまりにも偉大な「変人性」の部分がよく描かれています。この人の情感を創り上げているところが、本当によく描かれていると思っています。リュリとモリエールについてもよく描かれています。リュリはフランス音楽の父、モリエールは演劇の父ですね。この三人の人間関係を中心に、私はこの映画から「偉大さ」というものを支えている、我々凡人を遙かに凌ぐ、深い深い情感というものを映像として見せられた思いがします。偉大であるとは美しいことであると同時に、実に悲しいことなのであると痛感しましたね。そして世界最大のヴェルサイユ宮殿をわざわざ沼地に造る国王って言うのは、本当に凄い人物だと尽々と思いました。脱帽!

    大いなる決闘 THE LAST HARD MEN

    (1976年、米) 98分/カラー

    監督:
    アンドリュー・V・マクラグレン/原作:ブライアン・ガーフィールド/音楽:ジェリー・ゴールドスミス
    出演:
    チャールトン・ヘストン(サム・バーゲード)、ジェームズ・コバーン(ザック・プロボ)、クリス・ミッチャム(ハル・ブリックマン)、バーバラ・ハーシー(スーザン)
    内容:
    1900年代のアメリカ開拓時代のアリゾナが舞台。チャールトン・ヘストン、ジェームズ・コバーンの二大俳優が共演したことが話題を呼んだ西部劇。
    草舟私見
    元保安官バーゲードに扮するチャールトン・ヘストンと、彼を逆恨みする犯罪者プロボを演じるジェームズ・コバーンの二人による英知を結集した闘いが見どころである。善悪の違いはあるが、二人とも新しい時代には適合せぬ旧い型の男なのである。自らの力だけに頼り、自らの運命を自分が創り出している人間である。男たちが持つ己の力と知恵だけがものを言う、古い西部の生き残りの二人の対決なのである。善を断行する者も強く、また悪を断行する者も強い。両者に共通する自己責任に基づく知恵と行動が見る者を圧倒する。そしてその古い文化を共有する者として、この二人は心の動きの深いところまでをお互いに知り抜いている。人間が真に理解し合えるのも、また真に反発し合うのも文化の共有から生じるものなのだ。新しい時代を生きる者たちはこの二人のどちらの心をも理解していないのだ。理解し合うとは、強烈な憎悪を生み出す場合もあるのだ。

    大いなる旅路

    (1960年、東宝) 95分/白黒

    監督:
    関川秀雄/音楽:斎藤一郎
    出演:
    三國連太郎(岩見浩造)、高倉健(しずお)、加藤嘉(佐久間)
    内容:
    大正末期から満州事変、日支事変、大東亜戦争へと移る激動の時代を、社会派の関川秀雄が映画化。列車の安全に生涯を懸けようと誓った国鉄機関士とその家族の波乱に満ちた半生を描く。
    草舟私見
    主人公浩造の人間としての成長過程がすばらしい映像として写し出されています。三國連太郎は実に旨いですね。偉大な俳優だと思います。この機関手の物語は他の作品も含めて本当に人間的です。機関車は人間なのですね。不平不満で生きていた若き浩造が、仕事に生きる先輩の感化を受けて仕事の本質を摑んでいくところがすばらしいです。人は人の心に感応して初めて一人前の人となるのですね。その人相の変化を三國のすばらしい演技が表現しています。軽薄から重厚への変化です。人生のあらゆる苦難も一途に仕事に生きる人間は全て乗り越えられるのですね。現代人が忘れかけている真の愛情の物語だと感じる。真の愛情は仕事に生きる人間にしか摑めないものである。なぜなら愛情は背中からでるものだからです。カッコ良い人生ですね。一本貫けばどんな境涯にいようと人間は最高にカッコ良く生きることができるのだと尽々とわかる名画です。

    大いなる驀進

    (1960年、東映)  90分/カラー

    監督:
    関川秀雄/音楽:斎藤一郎
    出演:
    中村賀津雄(矢島敏夫)、三國連太郎(松崎義人)、佐久間良子(望月君枝)、中原ひとみ(松本芳子)、久保菜穂子(森原数子)、小澤栄太郎(医者)
    内容:
    国鉄の特急さくら号の列車給仕の青年が、勤務中に起こる様々な問題に真正面から取り組んでいく上司や同僚を通じ、仕事観に目覚めていく様を描いた作品。「大いなる旅路」の姉妹篇。
    草舟私見
    人があって、物があって、その人に魂があって、その物に魂があって、そこに触れ合いがあって、真実の仕事というものが生まれるのである。仕事が存在すれば、そこに夢が生まれ、友情が生まれ、愛情が育まれるのである。それらの事柄によって希望と使命というものが生まれ出づれば、本物の人生というものの血と肉が躍動し、骨が貫徹するのである。私がこの映画を観て尽々と感じた事柄はこのようなものであった。出てくる人間たちはみんな面白い。出てくる物はみんな良い物ばかりである。悪い奴も良い。悪い物も良い。つまり人生があり、時代が真に生きているのだ。特急さくら号が本作品の真の主人公である。その主人公の魂によってこの映画の全てがすばらしいものになっているのである。物を大切にしていた時代の物語である。大切にされた物は偉大になるのだ。私も乗りましたよ、これに、幼なき頃ね。楽しかったなぁー! 東京から岡山までは「ディンチャ」(私の幼児語。電車のこと)でね、そこからずっと「キチャッポ」(汽車のこと)だったなぁー。この頃の特急はねー、友達になれたんですよ。こういう文化は残さねばならぬ。

    オーケストラの少女 100 MEN AND A GIRL

    (1937年、米) 84分/白黒

    監督:
    ヘンリー・コスター/原作:ハンス・クレーリー/音楽:チャールズ・プレヴィン/受賞:アカデミー賞 劇映画音楽賞
    出演:
    ディアナ・ダービン(パッツィ)、レオポルド・ストコフスキー(レオポルド・ストコフスキー)、アドルフ・マンジュー(パッツィの父)
    内容:
    天才少女歌手ディアナ・ダービン主演の音楽映画の傑作。指揮者レオポルド・ストコフスキーとフィラデルフィア交響楽団が特別出演したことでも知られる。
    草舟私見
    行動は破茶目茶であるが、一途に父親と父親の同僚たちのために奔走する少女ディアナ・ダービンは好き嫌いを問わずやはり共感するものがある。自分以外の者のために一所懸命になっている姿は、全ての人間に共感を抱かせる人の道の根本なのであると強く感じさせられた。私の大好きな指揮者であったレオポルド・ストコフスキーが魅力的である。ストコフスキー出演の唯一の映画であり、往年の巨匠を彷彿させるものがある。ストコフスキーのバッハ演奏は私に音楽に対する情熱を開いてくれたものだ。彼は本当にカッコ良かった。ストコフスキーよ永遠に!

    大空のサムライ

    (1976年、東宝) 102分/カラー

    監督:
    丸山誠治/原作:坂井三郎/音楽:津島利章 
    出演:
    藤岡弘(坂井三郎一飛曹)、志垣太郎(笠井中尉)、丹波哲郎(斉藤大佐)、伊藤敏孝(本田二飛曹)、島田順司(半田飛曹長)
    内容:
    第二次世界大戦時、ラバウルで零戦を駆って活躍した撃墜王・坂井三郎とその部下たちの姿を描く戦記映画。空戦体験を綴った著書「大空のサムライ」でも知られる坂井元海軍中尉の生き様を追う。
    草舟私見
    ラバウル航空隊の撃墜王坂井三郎の人生哲学が隋所に散見される血湧き肉躍る名画と感じる。坂井三郎の人間性については私は実に共感します。何もかも心の底からわかり合えるものがあります。彼は佐賀県出身ですからね。嬉しいですよ。彼の空戦哲学は私の仕事の哲学と全く同じです。それは人間ですから、違いは確かにありますが、
    意志力
    というものに関しては全く同じものがあります。その出所から用い方、また意志の結果に対する考え方までそっくりのものがあります。他人とは思えない。時空を越えて私がもう一つの違う人生を体験しているような錯覚におちいりますね。私は彼の人生と重複して自分自身がラバウルを体験しているような気持ちを実感できます。彼のような人物が真に日本を支えてきた人物であると感じます。私は無条件に好きですね。いつの時代もそうですが、彼以外の同僚たちも含めて実際にやる男たちはいい奴ばかりですね。みんな真の人生を生きています。

    ALWAYS 三丁目の夕日

    (2005年、「ALWAYS 三丁目の夕日」製作委員会) 133分/カラー

    監督:
    山崎貴/原作:西岸良平/音楽:佐藤直紀/受賞:文部科学省選定
    出演:
    堤真一(鈴木則文)、薬師丸ひろ子(鈴木トモエ)、小清水一揮(鈴木一平)、堀北真希(星野六子)、吉岡秀隆(茶川竜之介)、小雪(石崎ヒロミ)
    内容:
    高度経済成長期に突入する、昭和33年の東京下町を舞台に、夕日町三丁目に住む人々の、人情あふれ、家族や人間関係を大事にする昔ながらの姿を描いた作品。
    草舟私見
    実に名画である。時代の考証が信じられぬほど精緻であり、製作者の良心というか誇りというものを感じさせられる作品である。描かれている時代はまさに戦後高度成長期(昭和33、34年頃)に突入しようとせる我が日本の姿であり、昭和25年生まれの私としては実に懐かしい情感を思い起こさせてくれる作品である。作品の中に嘘とか想像というものが全く無く、人の心も映る事物も全てが本物を志向している気高さがある。舞台は多分、南麻布から三田へかけての地域と思われるが、私の育った雑司ヶ谷六丁目も、この舞台と非常に似寄っていた。昔が良い社会であったとまでは言わないが、昔の方が今よりもずっと人間の心が純情単純で嘘というものが少なかったことだけは確かに言えることである。そういうこともよく描かれている。それにしても思い出すなあー。私事ではあるが、あのうすのろマヌケのドンパー(あだ名)はどうしているんだろう。植木屋金ちゃんや幽霊ババー、八百屋のオヤジのハゲカボチャ等々、今はこの世にいない人たちも皆んな画面の中に見て再会を果たしたぞ俺は。俺を育てた時代と環境がこの作品には確実に活写されているのだ。

    オーロラの下で

    (1990年、東映=テレビ朝日=モスフィルム、他) 123分/カラー

    監督:
    後藤俊夫/原作:戸川幸夫/音楽:小六禮次郎/受賞:文部省選定 
    出演:
    役所広司(源蔵)、アンドレイ・ボルトネフ(アルセーニー)、丹波哲郎(上坂常次郎)、桜田淳子(うめ)、マリーナ・ズージナ(アンナ)
    内容:
    アラスカで犬ゾリによって届けられた血清により、伝染病に襲われた一つの村が救われたという実話を描いた、世界的な動物文学者 戸川幸夫の原作を映画化した作品。
    草舟私見
    御者のアルセーニーを中心とした生涯心に残る名画と感じる。アルセーニーの生き方がその感化力によって源蔵を生かし、ブランを生かしているのである。アルセーニーの友情により源蔵は真の人生に立ち上がることができたのである。ブランのことを考えると私はいつでも瞼がうるむのである。狼犬にしてこの恩愛に対する感覚を有し、アルセーニーの恩に対して命懸けで報いている。我々人間は一体何をしているのか。私自身は一体何なのか。ブランの生き方から学ぶものは多い。音楽もまたすばらしい作品である。音楽そのものが我々を愛と友情と恩義の世界へ引き入れてくれる。

    沖田総司

    (1974年、東宝) 93分/カラー

    監督:
    出目昌伸/音楽:真鍋理一郎
    出演:
    草刈正雄(沖田総司)、米倉斉加年(近藤勇)、高橋幸治(土方歳三)、神山繁(清河八郎)、西田敏行(永倉新八)、小松方正(芹沢鴨)、真野響子(おちさ)
    内容:
    幕末、京都の町で尊王攘夷派の運動を弾圧した、強き剣士たちの集団 新撰組。その中にあってひときわ才の際立つ、沖田総司の短くも全力で駆け抜けた日々を描いた作品。
    草舟私見
    沖田総司を中心に描いた非常に特殊で面白い新選組の物語である。出目昌伸の演出により情感の深い名画となっている。米倉斉加年の近藤勇と高橋幸治の土方歳三も良いですね。小さい頃からずっと天念理心流の道場にいて、その理由によってこれからもずっとここにいるという沖田の単純な人生観は私の最も好きな人生観であり、現代の日本人が一番見失った生き方であると感じる。沖田が歴史的な剣豪となれた唯一の土台はこの人生観にあるのだ。旗本から大名に成りたいという近藤の夢は真の男の夢です。近藤を大名にしたいという土方ね、これも真の男の夢です。二人のいくところならどこでも行きますという沖田ね、真の男ですね。どれも美しくて哀しいです。つまり真実なのです。三人三様で友情があって一つです。そして三人共歴史の中に入ってきました。どの人生観も歴史的偉大さがあるのです。何かというと土方家の家伝の薬である石田散薬を飲む土方ね、男ですよ。何でもかんでもこれさえ飲めば事足りると考えています。嬉しい人ですよ。こういう人が真に強いのです。

    オセロ OTHELLO

    (1965年、英) 165分/カラー

    監督:
    スチュアート・バージ/原作:ウィリアム・シェイクスピア/音楽:リチャード・ハンプトン
    出演:
    ローレンス・オリヴィエ(オセロ)、マギー・スミス(デズデモーナ)、フランク・フィンレー(イアーゴ)、デレク・ジャコビ(キャシオー)、ジョイス・レッドマン(エミリア)
    内容:
    シェイクスピア生誕400年を記念して、英国国立劇場の専属劇団ナショナル・シアターが上演、絶賛を浴びたローレンス・オリヴィエ主演の舞台「オセロ」をフィルム化した作品。
    草舟私見
    シェイクスピア劇の映画化の中での数少ない秀作と感じている。原作通りであって、映画としての価値を有する唯一の作品ではないか。何と言ってもサー・ローレンス・オリヴィエの演技がすばらしい。オセロの持つ悲劇性以外にその悲劇が持つ前提となるオセロの自惚れというようなものも、オリヴィエがその表現力をもって良く表わしている。邪推から出る猜疑心の恐ろしさというものが、骨身に伝わってくる作品である。いかなる知性もいかなる力も猜疑心の前には無力である。この作品を通して我々は自らの持つ猜疑心を、自らが警戒する考え方を知るべきである。イアーゴは特別の人間ではなく、人間の持つ悪徳を代表しているのであるから、小さい型としては世間にいくらでも存在し、また自分の中にもその要素があるのだと考えるべきだ。自惚れが猜疑心を生み、嫉妬心を持つ者がそれを際限なく助長させる仕組を良く知るべきである。

    (2004年、テレビ朝日) 合計453分/カラー

    演出:
    若松節朗/原作:石原慎太郎/音楽:住友紀人
    出演:
    渡哲也(石原潔・石原慎太郎)、長瀬智也(石原慎太郎・青年時代)、徳重聡(石原裕次郎・青年時代)、高島礼子(石原光子)、三浦友和(石原裕次郎・晩年)、仲間由紀恵(まき子=北原三枝)、松坂慶子(まき子・晩年)、池内淳子(石原光子・晩年)
    第1夜 父の背中(86分) 第2夜 家族の崩壊(77分) 第3夜 スター誕生(77分) 第4夜 黒部の太陽(105分) 最終夜 日本中が泣いた日(108分)
    内容:
    俳優として戦後の映画史に大きな足跡を残した石原裕次郎との思い出を兄、慎太郎が綴った原作を映像化した作品。
    草舟私見
    石原裕次郎はいい。何たって私はね、3~4歳の頃から大人になるまで裕次郎が好きだった。その他にはね「巨人、大鵬、玉子焼き」というのが実に私の人生そのものでしたよ。目黒駅のすぐ近くにね、ライオン座という日活映画の映画館があってね。いやー、お袋と一緒に何百回、何千回通ったもんかな。全部、裕次郎の映画だったね。それがどれもこれもカッコ良くて、何たって良いんだ、裕次郎さえ出てくれば全て良かったね。私はね、それが裕次郎の本質だと今でも思っていますよ。この「弟」という作品を観るとね、裕次郎自身は軽薄にどんどん創られていく映画に隨分と悩んだみたいですがね、裕次郎は自分がわかってない。裕次郎というのはね、裕次郎そのものに戦後日本のあらゆる美徳が体現されているんですよ。本当に不世出の大スターであり、後にも先にも絶対にこのような時代の象徴としての偉大な俳優は出てきません。存在そのものが戦後の我々に夢と憧れを与えてくれたのです。映画の内容のことなど裕次郎は気にする必要は無いのだ。あなたは神なのだ。最後に、「弟」を観ると裕次郎の育った環境は私の育った環境と非常に似ているので親近感を持ちました。いい作品です。  

    男たちの旅路〔テレビシリーズ〕

    (1976~82年、NHK) 合計1000分/カラー

    演出:
    中村克史、高野喜世志、重光亨彦、富沢正幸/原作:山田太一/音楽:ミッキー吉野 
    出演:
    鶴田浩二(吉岡晋太郎司令補)、池部良(小田警備会社社長)、水谷豊(杉本陽平)、桃井かおり(島津悦子)、森田健作(柴田竜夫)、柴俊夫(鮫島壮十郎)、清水健太郎(尾島清次)、岸本加世子(尾島信子)、五十嵐淳子(浜宮聖子)、金井大(田中先任長)
    内容:
    特攻隊の生き残りである警備会社の吉岡司令補の生き様を通じて、戦後の軽薄な文化、様々な社会問題を浮き彫りにした、1970年代~80年代の硬派ドラマ。主人公の生き様は多くの視聴者の共感を呼んだ。
    草舟私見
    私がまだ20代の頃のNHKテレビドラマである。非常に感動した良い作品が数多くあり、それが全てビデオ化されるというのは非常に嬉しいことである。まだ日本に骨太の社会派ドラマが存在した時代の名番組である。各回とも深く社会問題を考えさせられるものである。社会問題がドラマとして提起され、最後にそれに関する重要な考え方を司令補に扮する鶴田浩二が語る。これが何ともいえなく良い。鶴田浩二が語ると全部納得。すーっと自分の中にもその考え方が伝わってくる。その語り口、雰囲気、哀愁、表情、身振り全てが思想を伝達する力があるのだ。思想とは考え方や知識では無く、一人の生きている人間の情熱なのだということがよくわかる作品である。彼の説教は私の子供の頃の父や近所の大人たちを彷彿させるのである。この司令補の持つ人生観、仕事観、生き方は私の最も愛する男の生き様の一つである。

    男たちの大和

    (2005年、「男たちの大和」製作委員会) 143分/カラー

    監督:
    佐藤純彌/原作:辺見じゅん/音楽:久石譲
    出演:
    反町隆史(森脇庄八)、中村獅童(内田守)、渡哲也(伊藤整一司令長官)、仲代達矢(神尾克己(現代))、松山ケンイチ(神尾克己(過去))、奥田瑛二(有賀艦長)、蒼井優(野崎妙子)、内野謙太(西哲也)、山田純大(唐木正雄)、勝野洋(森下信衞)
    内容:
    日本が持つ最高の技術を結集して建造した戦艦大和の壮絶なる最期を描いた作品。大日本帝国海軍の象徴であった大和が最後、僅かな残存艦船を率いて作戦に出撃していく姿を描いた。
    草舟私見
    大和はいい。この涙の戦艦は、日本人の涙が生み出し、日本人の涙と共に生き、そして日本人の涙と共に死んだのだ。その死に様によって、日本人の魂を確実に後世に伝えたのだ。大和が生きそして死んだその涙の人生を考えるとき、私は日本人として自分がどう生きどう死ぬのか、いやどう死なねばならんのかということを我が血に骨に、そして魂に知らしめられるのである。血と骨が涙を流さねば大和のことはわからんのだ。その涙を魂が受け取らなければならぬ。大和は明治日本の、西洋列強の軍門に下ることを潔ぎ良しとしなかった、あの日本人の叫びが創り上げたのである。そしてその魂を敗戦後の日本に残すために死んだのである。戦後日本は大和を愚弄するところから始まった。それが戦後日本の全ての卑しさの始まりなのである。大和は真の日本人の魂の故郷なのである。そしてそれはそのまま日本人の魂の、我々の父祖の、血の涙を流してこの国を創った先祖たちの、まさに墓標なのである。何も語らずに生きそして死んだ人々の悲しみを噛み締め、その墓に額ずくことこそ子孫である我々の義務なのである。この映画を観ることそのものが墓参りであると感じることが大切であると私は思っている。

    音巡礼・奥の細道

    (1996年、NHK) 合計240分/カラー

    演出・構成:波田野紘一郎/音楽・出演:デヴァカント/語り:蟹江敬三/ドキュメンタリー 
    内容:
    松尾芭蕉の「奥の細道」の世界に迫るNHKのテレビ番組で、世界を旅する音楽家デヴァガントが芭蕉の歩いた奥の細道を訪ね、その足跡を音楽とともに辿る作品。
    草舟私見
    NHKのテレビ番組であるが、その映像と音楽の合致および芭蕉の本質を捉えている番組として完成度の高い作品である。この作品によって私は芭蕉の俳句にある一つの真実を感じ取った。芭蕉は若き日より私の愛読の俳人であるが、その世界的人気の秘密は今一つわからなかった。しかしこの作品の中でデヴァカントの英語の語りと芭蕉の本質との完全な融合に驚いた。芭蕉は英語の音声と全く合致するのである。英語だけではない。デヴァカントの演奏する音楽とも完全に合致するのである。つまり外国人の感性と完全に合致するのである。これは一つの驚きであった。芭蕉の国際性をこのことによって革めて感じた次第である。デヴァカントの英語と音楽はすばらしい。すばらしい映像とあいまってこの作品は私を芭蕉の世界に引き入れてくれる。蟹江敬三の語りも本当に良い。芭蕉が話しているようだ。この作品は美しくまた稀に見る秀作である。

    踊れトスカーナ! IL CICLONE

    (1998年、伊) 95分/カラー

    監督:
    レオナルド・ピエラッチョーニ/音楽:クラウディオ・グイデッティ
    出演:
    レオナルド・ピエラッチョーニ(レヴァンテ)、ロレーナ・フォルテーザ(カテリーナ)、セルジオ・フォルコーニ(レヴァンテの父)、マッシモ・チェッケリーニ(レヴァンテの弟)、バルバラ・エンリーキ(レヴァンテの妹)、トスカ・ダクイーノ(カルリーナ)
    内容:
    シャイなイタリア男がフラメンコダンサーに恋する、大ヒットラブ・コメディ。トスカーナ地方の田舎町を舞台に、町の人々が織りなす、陽気でおかしな人間模様が描かれる。
    草舟私見
    イタリアの田舎町における人情に心が温まります。一昔前の日本の姿とよく似ています。主人公であるレヴァンテの家族の仲の良いこと。村人との付き合いの自然なこと。現代日本の家庭との違いを痛感する。みんないかれポンチなのに逞しく生き、そして愛し合い、真に仲が良いのですね。嘘の無い本当の家族の仲の良さです。ここに登場する人たちよりももっと立派な人間のはずなのに、不幸な人が現代日本に多いこととの対照として考えるべき映画です。人生は立派でなくても良いのです。ホテルの標識が倒れていることから物語が始まるのがいいです。幸福は立派な必要はないんですね。ボロボロでいいんですね。何か良いことになるのかわからないのが人生の楽しさなんですね。そしてこの音楽のすばらしさ。何度聴いても感動し胸が躍ります。人生は楽しいですね。必要なものはただ涙なのですね。

    鬼平犯科帳〔劇場版〕〔テレビシリーズ〕


    劇場版(1995年、松竹=フジテレビ) 104分/カラー

    監督:
    小野田嘉幹/原作:池波正太郎/音楽:津島利章 
    出演:
    中村吉右衛門(長谷川平蔵=鬼平)、多岐川裕美(久栄)、高橋悦史(佐嶋忠介)、蟹江敬三(小房の粂八)、勝野洋(酒井祐助)、尾美としのり(木村忠吾)、綿引勝彦(大滝の五郎蔵)、梶芽衣子(おまさ)、江戸屋猫八(相模の彦十)

    テレビシリーズ(1989~2006年、松竹=フジテレビ) 各話約50分(スペシャルは70~90分)/カラー

    監督:
    小野田嘉幹/原作:池波正太郎/音楽:津島利章 
    出演:
    中村吉右衛門(長谷川平蔵=鬼平)、多岐川裕美(久栄)、高橋悦史(佐嶋忠介)、蟹江敬三(小房の粂八)、勝野洋(酒井祐助)、尾美としのり(木村忠吾)、梶芽衣子(おまさ)、綿引勝彦(大滝の五郎蔵)、江戸屋猫八(相模の彦十)
    内容:
    昭和42年からオール読物に連載された池波正太郎の原作をドラマ化。実在の火付盗賊改方長官 長谷川平蔵宣以を中心に、盗賊との闘いや部下・密偵との情熱い交流を描いた作品。
    草舟私見
    何と言っても気持ちの良い作品です。ここには人間の持つ優しさ、厳しさ、涙と笑いの全てが生き生きと描写されています。人情を中心として善と悪の均衡が見事に表現されている。人間の情感を中心に据えているのであらゆる出来事にしっかりとした骨太な柱がある。世の中で一番重要な均衡の美学が貫かれています。鬼平こと長谷川平蔵の魅力の中に人間として守るべきこと、堂々と生きるのに必要な全ての要素がある。また鬼平と部下、密偵たちとの人間関係の中に人生の哀歓の全てが含まれているのです。鬼平と家族も最高の絆です。登場人物がみな正直なのです。悪いこともするし、反目もあるし、遊びもしているが、皆の中に人情を中心とした骨格がしっかりと存在しているのです。だから全てが生きてくるのです。現代流ではない、目に見えない本当に深い情感にもとづく絆があるのです。だから何事が起こっても気持ちが良いのです。気持ちの良い人たちは偉い人も下の人も老いも若きも皆カッコ良いです。私自身は男として鬼の平蔵に惚れ込んでいるので人生上の問題を考えるとき、いつでも鬼平ならどうするかを考えながら生きてきた経緯がある。それ程、人生上の種々の問題を多く含んだ作品群であると言える。また作品中に登場する食い物の旨そうなこと! 江戸文化って良いですね。鬼平の妻に扮する多岐川裕美の毎回変わる着物も実にすばらしい楽しみになっている。そして多岐川裕美の美しいこと! この美しさは外見のことではすまない。役目(妻としての)に生きる者が発する高貴なる美である。

    オペレーション・クロマイト OPERATION CHROMITE

    (2016年、韓国)  110分/カラー

    監督:
    イ・ジェハン/音楽:イ・ドンジュン
    出演:
    イ・ジョンジェ(チャン・ハクス)、イ・ボムス(リム・ゲジン)、リーアム・ニーソン(ダグラス・マッカーサー)、チン・セヨン(ハン・チェソン)、チョン・ジュノ(ソ・ジョンチル)、パク・チョルミン(ナム・ギソン)
    内容:
    1950年に勃発した朝鮮戦争下、トルーマン米大統領は朝鮮半島への米軍の投入を決断。ダグラス・マッカーサーが全指揮をとり、仁川への上陸作戦を計画。その史実を追った作品。
    草舟私見
    困難こそが、人間に本来的勇気を奮い起こさせるのである。その生命的真実が画面狭しと繰り広げられる傑作と思う。朝鮮戦争は、その思想性において過酷な戦いであった。最も大規模な「宗教戦争」と言ってもいいのではないか。その朝鮮戦争の悲惨が、また人類最高の勇気を今に伝える歴史を生み出した。実話に基づく、人間の崇高な決断とそれを支えた人々の犠牲的な献身に胸を打たれない人はいないだろう。人間がもつ崇高性は、困難においてその輝きを放つ。「人間とは何か」が我々に迫ってくる。人間は、何をためさなければならないのか。それが眼前に突き付けられてくるのだ。仁川上陸作戦の真の意味を我々は知ることになる。国連軍総司令官D・マッカーサーの歴史的決断が生み出したものを、我々は観る。信念の決断が、人間のもつ最高の勇気を引き出したのである。人間の決断が偉大で困難なほど、人間は本来的な人間となるのだ。憧れに向かう人間の姿が、画面を通して我々に伝わってくる。それは悲しく、また美しい本来の人間たちである。

    オリンピア〔第1部 民族の祭典〕〔第2部 美の祭典〕 OLYMPIA

    (1938年、独) 212分/白黒

    監督:
    レニ・リーフェンシュタール/音楽:ヘルベルト・ヴィント/受賞:ヴェネチア映画祭 作品賞/ ドキュメンタリー
    内容:
    1936年の第11回ベルリン・オリンピック大会の模様を世界で初めて記録映像として残した記念碑的な作品で、監督レニ・リーフェンシュタールによる、秀逸な映像手法で知られる。
    草舟私見
    第二次世界大戦直前のベルリン・オリンピックの記録映画である。総監督のレニ・リーフェンシュタールの偉大さが縦横に見られる、オリンピック記録映画中最高峰のものである。レニ程の女性が戦前に存在していたことは驚くべきことであり、ナチス・ドイツとヒトラーというものを考える側面的材料としても重要と思われる。レニを登用したのはヒトラーなのである。それにしてもすばらしい映像芸術である。まさにギリシャ的と呼ぶに値するほどの、彫刻的映像芸術である。どの場面もすばらしいが、特に私がそう思うのは映像的すばらしさの中に対象人物の心を写し出そうとしている手法である。これは大変な天才なのだ。そして間違いなくそれに成功している。レニよ! あなたは本当にすばらしい。

    俺たちに明日はない BONNIE AND CLYDE

    (1967年、米) 105分/カラー

    監督:
    アーサー・ペン/音楽:チャールズ・ストラウス/受賞:アカデミー賞 助演女優賞
    出演:
    ウォーレン・ベイティ(クライド)、フェイ・ダナウェイ(ボニー)、ジーン・ハックマン(バック)、エステル・パーソンズ(ブランチ)
    内容:
    1930年代、大不況のただ中にあるアメリカ中西部において次々と銀行を襲う伝説のアベック強盗ボニーとクライドの物語。
    草舟私見
    久しぶりにスカーッとする映画ですね。もちろんラストシーンのことですよ。ボニーとクライドというこの二人のいかれポンチが、機関銃でいやというほど撃たれまくるところは本当に良いですね。こういう馬鹿者をこのように扱うところがやはりアメリカ中西部の真の魅力です。実話であるだけに余計に迫力があります。それにしてもこの二人の手前勝手な理屈の連続は、見ていても腹立たしいばかりです。いかれポンチ特有の二重人格と身勝手さが、もううんざりする程です。そして最後、気持ち良いですね。この二人に同情する輩がアメリカでも日本でも後を絶たないのですが、それは男女の恋愛らしきものに全ての感情が誤魔化されているからですね。げに恋愛にかこつけた無軌道は恐いです。この二人は要するに怠け者で暇を持て余して恋愛にかこつけてストレス解消のために、善良な人々に大変な迷惑をかけただけなのです。同情の余地はありません。それに引き換え、あの誇り高きテキサス・レンジャーは男らしい人物であると私は考えています。

    おろしや国酔夢譚

    (1992年、大映=電通) 123分/カラー

    監督:
    佐藤純彌/原作:井上靖/音楽:星勝 
    出演:
    緒形拳(大黒屋光太夫)、西田敏行(庄蔵)、川谷拓三(古市)、沖田浩之(新蔵)、オレグ・ヤンコフスキー(キリル・ラックスマン)、マリナ・ヴラディ(エカテリーナ2世)
    内容:
    江戸時代末期、鎖国日本にあって広大なシベリア大陸に遭難し、ロシア帝国絶頂期の女帝エカテリーナ二世の心を動かし、日本へ帰りついた大黒屋光太夫の物語。
    草舟私見
    史実に基づく井上靖の歴史文学の映画化である。1700年代のロシア帝国に漂着した大黒屋光太夫ら17人の漂流民の物語であるが、その望郷の念の強さに心打たれるものがある。交通が発達せず、通信が未発達であるということが人間の心を作り上げる一つの要因ともなり得るのだと強く感じた。不便さが一つの偉大な人生を生んだ一例と言える。人間にとって一番大切なものは、失って見て初めてその価値や有難さがわかるものだのだと尽々とわかる。祖国や家族や仕事や文化というものが、人間が人間として生きるのにいかに重要であるかを感じる。現代の便利さがそれらに対する麻痺を生む時代にあって人生の本質を深く考え直すための良い作品であると感じる。望郷の念そのものが良い人生を生み出すのだと気づくべきである。中途挫折する者たちはそれを無駄と思っているのだ。貫くとは心の中の作用であり、現実を見過ぎる人間は現実に負けていくのだ。貫くための現実が現実なのである。心理描写に対する音楽効果の非常に秀れた作品と感じる。
  • かあちゃん

    (2001年、「かあちゃん」製作委員会) 96分/カラー

    監督:
    市川崑/原作:山本周五郎/音楽:宇崎竜童
    出演:
    岸恵子(おかつ)、原田龍二(勇吉)、うじきつよし(市太)、勝野雅奈恵(おさん)、山崎裕太(三之助)、飯泉征貴(次郎)、紺野鉱矢(七之助)、小沢昭一(長屋の大家)
    内容:
    江戸庶民の生活が困窮を極めていた天保末期。貧乏長屋に住む一家と泥棒に入った若者の関わりを通して本当の人助けとは何かを描いた作品。
    草舟私見
    山本周五郎の原作を実に巧みに映画化してある秀作と思う。岸惠子の持つ貫禄というようなものが真の人情のあり方を深いところで捉えてほのぼのとした印象を残す。私は若い頃の岸惠子は大嫌いであったが、この年を経ての彼女の持つ魅力にはすっかり感動してしまった。人間の成長というものを目の当たりに見た感じである。この作品は日本人の持つ真の人情、そして人助け、また真の信頼関係というものを実に深く表現したものであり、それが映像を通してひしひしと感じられる。映像を見るということは話の全体像を第三者的に、総合的に見てしまうので「ただの人情物」に見えるが、人情や人助けというものが、どの位大変なものであり、また強い人格力を必要とするものなのかがよくわかる作品である。真の人助けは人を真に生かすことであるから、当事者のあいだ以外には絶対に口外できぬものなのである。従って今流の人助けと違って、真の人助けというものは世間的には全く認められないところが却って他人に誤解され損をするものなのである。日本人の真の人情とはこのようなところに本当の価値があるのだ。         

    (1985年、東映) 135分/カラー

    出演:
    五社英雄/原作:宮尾登美子/音楽:佐藤勝
    出演:
    緒形拳(富田岩伍)、十朱幸代(喜和)、井上純一(龍太郎)、田中隆三(健太郎)、石原真理子(菊)、名取裕子(芸者・染勇)、草苗光子(大貞楼女将)、真行寺君枝(巴吉太夫)、高橋かおり(綾子)、白都真理(照)
    内容:
    大正~昭和の高知を舞台に、女衒を生業とする男とその妻の骨肉相食む夫婦の姿が描かれた作品。
    草舟私見
    善くも悪くも旧い日本の夫婦の絆というものを感じる名画である。人生を綺麗事で考えている人にはこの映画の価値はわかりません。富田岩伍が自分勝手な男で女房は頑張り屋の良い人ということで終わりです。ところがこの岩伍は男らしい良い男なのである。もちろん女房も本当に良い人なのです。それがこの葛藤とこの苦しみです。そのくせ強い絆が二人の深いところで繋がっています。この二人は映画の後でね、また一緒になります。それは私にはわかるのです。この夫婦はね、一緒の墓に入りますよ。私が保証します。これだけ憎み合ってもどこかで夫婦なのです。これが旧い日本の家族の絆なのです。家族の絆とはね、戦後考える綺麗事ではないのです。男が男らしいほどまた女が女らしいほど夫婦はこうなのです。男と女は憎み合いそして愛し合うのです。それを乗り越えて夫婦は完結するのです。私はね、子 供の頃近所のおじいちゃんやおばあちゃんに昔の話をいつも聞いていましたがね、みんなこんな風なことを言っていました。でもね、今は幸せだよと言っていました。幸せっていうのはね、苦しみが無ければわからないものなのかもしれません。         

    海峡

    (1982年、東宝) 142分/カラー

    監督:
    森谷司郎/原作:岩川隆/音楽:南こうせつ 
    出演:
    高倉健(阿久津剛)、森繫久彌(岸田源助)、三浦友和(成瀬仙太)、吉永小百合(牧村たえ)、大滝秀治(岡部)、笠智衆(阿久津才次)、小澤栄太郎(鉄建公団理事)
    内容:
    本州と北海道を結ぶ青函トンネルの工事開始から完成までの道程を、トンネル屋と呼ばれる男たちの視点から辿った物語。
    草舟私見
    仕事に生きる者の生き様と哀歓をあますところなく表現し、感動と共に生涯忘れ得ぬ思い出を残す名画である。トンネルを掘ることに生涯を懸ける男たちの情熱と涙を描きその心意気に共感し、私も自己の仕事観の上で深い感動と感化を受けた作品である。「地味で辛いことにあくまでこだわる、つまり一人前の地質屋になったということだ」と上司に言われて以来25年の歳月の涙を積む主演の高倉健の仕事人としての生涯は、私にとっては神様ほどの価値がある。この貫く人生を支えるものは、堂々とした地球と人間の歴史に対する思いであり未来に対する夢なのだ。それなくしてはあり得ぬ生涯である。源助役の森繫のトンネル屋としての生き方がまた強く共感するものである。男と男である。源助を支える源泉は思い出である。誇りがあるのである。涙を知っている。中間で歌う森繫の歌は本当にいい。仕事に生きる人間の魂が歌われている。吉永小百合もいいですね。恩と責任に生きる真実の生き方をその名演によって表わしている。主題曲も仕事に生きる者同士の友情をあますところなく奏で、この作品の魂の壮大さと共に私の心を深く占めるものである。       

    海峡

    (2007年、NHK) 222分/カラー

    演出:
    岡崎栄、吉川邦夫/音楽:渡辺俊幸
    出演:
    長谷川京子(吉江朋子)、眞島秀和(木戸俊二/朴俊仁)、津川雅彦(進藤登)、上川隆也(野中武敏)、豊原功補(伊藤久信)、橋爪功(市岡礼三)
    内容:
    朝鮮半島で生まれ育った日本人女性と朝鮮人男性の、終戦の混乱の中で巡り会った二人の愛と人生を描いた作品。
    草舟私見
    私は基本的に恋愛映画というのは大嫌いである。なぜかと言えば、そのエゴイズムと何とも言えぬ卑しさが鼻に付いてたまらないからである。そして周囲を固める人間たちの、他人の恋愛礼讃による嘘と無責任の渦が見るにたえないからである。その点、本作品は実にめずらしい秀作である。本作品には高貴性が貫かれている。そしてその高貴性は、作品そのものの正直さ、また出演者すべての正直さによってますます輝やいているのである。本作品における恋愛がなぜ高貴なのか。それは本当に相手の幸福を願う心から生まれた恋愛だからである。この主人公の二人の心がその恋愛以前から高貴であったのであろう。高貴なる人が、その結末の是非にかかわらず、高貴なる恋愛を体験する。そのことは見ていても本当にすばらしいし、また本人たちには真実の人生を経験させるのである。人を愛することはあらゆる事柄を貫く根本哲理である。それがなければ、全ての事柄には価値が無くなるのだ。本当に人を愛することが、あらゆる事柄の中で、その底辺を貫く最も大切なことなのであるということを実感できる作品である。

    海軍特別年少兵

    (1972年、東宝) 128分/カラー

    監督:
    今井正/音楽:佐藤勝 
    出演:
    地井武男(工藤上曹)、佐々木勝彦(吉永中尉)、小川真由美(橋本の姉)、三國連太郎(宮本の父)、大滝秀治(橋本の叔父)
    内容:
    太平洋戦争当時の、15歳に満たない海軍特別年少兵の姿を描いた作品。硫黄島での守備兵として出征し、年少兵たちの多くが玉砕へと向かった歴史を追う。
    草舟私見
    涙が滴る名画である。十四歳の少年たちが国防の第一線を志願し、激しい訓練に耐え、そしてそのほとんどである五千名が戦死したと言われる海軍特年兵の物語は本当に心に打たれるものがある。同じ日本人として私などはいい年をして恥入るばかりである。赤心というものを心底感じる。映画の中の少年たちは明るいですね。今時の少年とは違います。人間にとって使命感がいかに大切なものであるのかを痛感させられる。工藤教班長がいいですね。本当の愛情を持つ心の温かい人だと感じます。少年たちをかわいがっているのではないのですね。本当に愛しているのです。本当にその人格を認識しているのです。少年たちを最後まで軍人としてしか見なかったこの教班長こそ真実の人だと思います。少年の志が男としてわかる人なのです。  

    帰らざる河 RIVER OF NO RETURN

    (1954年、米) 91分/カラー

    監督:
    オットー・プレミンジャー/原作:ルイス・ランツ/音楽:シリル・モックリッジ
    出演:
    ロバート・ミッチャム(マット・コルダー)、マリリン・モンロー(ケイ)
    内容:
    雄大なカナディアン・ロッキーを背景に、西部に生きる男と酒場の歌手の愛を描いた名作。妖艶な酒場の歌手とジーンズ姿の気丈な女性をマリリン・モンローが好演。
    草舟私見
    主演のコルダー役を演じるロバート・ミッチャムの男らしい魅力が光る。マリリン・モンローも綺麗である。モンローはやはり良くも悪くもアメリカを感じさせてくれる女優である。コルダーの生き方がすがすがしい印象を残す。男とはかくあるべきであるということを感じる。男とは一つの生き方を生きることなのだと感じる。黙って信念に生きることなのだ。女は自分を好く人間を好く。モンローが真の男に徐々に惚れていく過程が良い。子供も含めてやはり人間は、苦労を共にすることが一番愛情を育てるのに重要なのだとわかる。「帰らざる河」の名曲は心の奥深くに忘れ得ぬ印象を残してくれた。

    科学者の道 THE STORY OF LOUIS PASTEUR

    (1936年、米) 87分/白黒

    監督:
    ウィリアム・ディターレ/音楽:レオ・F・フォーブスタイン/受賞:アカデミー賞 主演男優賞
    出演:
    ポール・ムーニ(ルイ・パスツール)、フリッツ・ライバー(シャルボンヌ)、ヘンリー・オニール(エミール・ルー)、ジョセフィン・ハッチソン(マリー・パスツール)
    内容:
    炭疽病、狂犬病のワクチン開発等、医学の発展に貢献したルイ・パスツールの半生を描いた作品。細菌がまだ世に認められない時代に、研究を続けたパスツールの信念を追う。
    草舟私見
    フランス人である不世出の大科学者パストゥールの生涯はやはり感動します。ボール・ムーニの名演とあいまっていやが上にも心が躍ります。この凄い科学者は実に人間的です。科学即非人間的と考える昨今の考え方の間違いが良くわかります。信念の人ですね。信念とは非科学的なものなのです。闘う人ですね。愛の人ですね。寝食を忘れる人ですね。頑固で目茶苦茶な人です。愛国者です。これら全ての彼の特徴は実に非科学的なものなのです。人間的で、科学ではわからない誠実さというものだけででき上がっている人物です。この人物が史上最高の科学者であることがわかるのが、この映画の醍醐味です。真の科学は非科学的な人間によって創造されるのです。またこのことによってわかることは、非科学的なことは科学的な思考によってでき上がるのだろうということなのです。この誠の人が生前に最高の名声を得たことは本当に嬉しいことですね。私はパストゥールを心底尊敬し、また好きです。

    画家と庭師とカンパーニュ DIALOGUE AVEC MON JARDINIER

    (2007年、仏) 109分/カラー

    監督:
    ジャン・ベッケル/原作:アンリ・クエコ
    出演:
    ダニエル・オートゥイユ(画家=キャンバス)、ジャン=ピエール・ダルッサン(庭師=ジャルダン)、ファニー・コットンソン(エレーヌ)
    内容:
    フランスの田舎で、四十年振りに再会した幼馴染の男二人の友情を描いた作品。まったく異なる人生を歩んだ二人が、人生を振り返りながら、かつての友情をまた深めていく。
    草舟私見
    実に温かな余韻の残る名画である。控えめな友情が、真実の人生というものを浮き彫りにしていく手法は、まさに芸術と言うほかはない。人生の終末が近づく人間にとって、幼き日の思い出は何にも換え難い宝物である。その思い出が、この主人公の二人にとって、つまらぬいたずらであったことが、人生を考えさせるのである。つまらぬものが、実は人生で最も尊いものなのであると私は感じるのだ。それをこの二人は、一つの神話として私の眼前に提起してくれたのである。つまらぬことが、この二人の人生の終局を幸福へ導いたのである。つまらぬことに友情を感じているから、この二人は自分たちを秀れた人間だなどとは思わないのである。それがこの二人の人生を美しくまた偉大にしているのである。この二人は自分たちを善人で美しい人間だなどとは思っていない。だから良い人生と良い晩年を過ごせるのである。人生とは、つまらぬ思い出を美しい神話と化する、その生き様にかかっているのではなかろうか。この二人は、私自身である。

    加賀百万石

    (1996年、NHK) 120分/カラー

    監督:
    望月良雄/原作:津本陽/音楽:羽田健太郎 
    出演:
    松坂慶子(おまつ)、原田芳雄(前田利家)、高嶋政宏(利長)、加藤晴彦(利政)、佐藤慶(豊臣秀吉)、藤村志保(北政所)、里見浩太朗(徳川家康)、石倉三郎(村井豊後)
    内容:
    戦国時代末期、男たちが野望を燃やす中、加賀百万石を守るために命を懸け、知恵の限りをつくした利家夫人・おまつの闘いを描いた作品。
    草舟私見
    私はね、加賀百万石が大好きなんですよ。何でかって、それはね、この名家が前田利家とおまつという夫婦の真の深い愛情から生まれた名家だからなんですよ。利家も良いが何と言ってもおまつに感動させられますね。凄い愛です。その愛が江戸三百年の大藩を築き、戦前までの華族である前田家を築き、現代まで貫通しているのですから本当に凄いです。おまつの凄さは愛の深さから生まれる「守る力」の凄さです。それによって前田家の繁栄を築きました。守るべきものはね、本当の愛がなければわからないのです。「家」を守る。現代人は首を傾げるがこれは利家や利家の子孫に対する本当に深い愛なんですよ。人間の愛でこれ以上はありません。これ以上ならそれは神です。また本当の愛は人間を真に賢くします。おまつは真の賢さがあります。おまつは自己犠牲など当たり前すぎて考えもしません。自分の子も秀吉と家康の両陣営に分けます。これは凄いことです。負けた次男もおまつを恨んだりしません。子孫の繁栄のためなら前田家の者はみんな自己を投げ捨てているのです。また前田家と運命を共にする村井豊後も最高の愛の持ち主です。私はこういう本当の愛には本当に弱いですね。おまつは私の理想の女性です。利家も息子たちも豊後も本当にいいです。みんなおまつの愛に包まれており、それをまた受け入れています。私はこの歴史的事実が骨の髄から好きなんです。      

    輝きの大地 CRY THE BELOVED COUNTRY

    (1995年、米=南ア) 106分/カラー

    監督:
    ダレル・ジェームズ・ルート/原作:アラン・ペイトン/音楽:ジョン・バリー
    出演:
    ジェームズ・アール・ジョーンズ(クマロ牧師)、リチャード・ハリス(ジェームズ・シャービス)、チャールズ・S・ダットン(ジョン・クマロ)
    内容:
    南アフリカ共和国におけるアパルトヘイト(人種隔離政策)問題を背景に、黒人牧師と白人農場主の運命的な出会いと葛藤、またそれを乗り超えた友情を描いた作品。
    草舟私見
    何とも言えぬ詩情が溢れる名画と感じる。アパルトヘイト(人種隔離政)下の南アにおける乗り越えられぬ問題と、家族愛とそれを通じて心が通い合う二人の主人公を中心にしっかりした構成が感動を高める。過酷で陰惨な現実を希望に溢れた詩情が包み込み、底辺を流れるすばらしい音楽が心を和ませる。牧師役のジェームズ・アール・ジョーンズと、農場主役のリチャード・ハリスの二人の名演は神技に近いものがある。それにジョン・バリーの絶妙な音楽構成により、本作品は私の心に一生涯忘れ得ぬ強い感動と印象を残した。悲しみを背負う男だけにある強い友情が、この二人に神の恩寵として与えられるであろう。友情は恩寵なのだ。人間が心の生き物なのだと深く感動する作品である。

    影武者

    (1980年、東宝) 179分/カラー

    監督:
    黒澤明/音楽:池辺晋一郎/受賞:カンヌ映画祭 グランプリ 
    出演:
    仲代達矢(武田信玄、影武者)、山崎努(武田信廉)、萩原健一(武田勝頼)、大滝秀治(山県昌景)、志村喬(田口刑部)、隆大介(織田信長)、油井昌由樹(徳川家康)
    内容:
    戦国時代、甲斐の武田信玄の影武者として生きた男の物語。織田信長が天下統一をしつつあり、戦国時代がようやく終焉を迎えようとしていたが、武田が依然勢力を保ち、織田の恐れを呼んでいた。
    草舟私見
    影に生きるとは真の人間の人生の本質を表わすものと思量する。人生は影を認識し、影に生きることを本体とする。我々は文化の影であり、国家と歴史の影であり、家族の影であり、権威の影である。その影の本体であるものすら目に見えぬ何ものかの影である。その影であることを知り、影であることに誇りを持ち、影を演じることが本当の人生なのではないか。自己の存在が本当の実在であるような錯覚〔民主主義思想〕に陥ったとき、人間は己がどう人生で振舞うのかがわからなくなる。本作品の主人公は無頼の徒であった。それが武田信玄の影となることによって本当の人生を実感したというのが本作品の主題である。彼は無頼漢であるとき、本能によって生き何ら人間としての生き方に満足していなかった。それが信玄の影となることで武田家と繋がり所縁の人々と繋がり生きる目的を持ったのである。信玄とは心の作用なのである。その心とは新羅三郎義光以来の伝統なのである。人間として本当に価値あるものは心にあるものなのである。だからその心を引き継げば影になることができるのだ。人間は何の影になることもできるのだ。その影になるべきものを見い出すのが人生の目的なのではないか。顔が似ているから影武者になれるのではないのだ。それは映画をよく観ていればわかる。この主人公は信玄の心を知らず知らずに受け継ぐことによって影となれたのだ。そして受け継いだ心が信玄の肉親に対する愛情と成り、武田家に対する忠誠となったのである。その姿が最後のシーンに展開される彼の最後なのである。武田の旗と共に死んだ彼は信玄の影となることに肚をくくって、そのかわりに生き甲斐のある本当の人生を手に入れたのだ。この影に生きることが人生の目的を見い出す本質であり自分自身が全てと思っているときはただの無頼漢であることが戦国の壮大な歴史絵巻の中で描き切られている名画であると感じる。人生の涙とは影であることを知ることなのだ。そしてその本質の哀しみが雄大な音楽の中に表現されているのである。      

    花神(総編集)〔大河ドラマ〕

    (1978年、NHK) 合計510分/カラー

    演出: 斎藤暁、村上佑二、江口浩之、門脇正美、三井章/原作:司馬遼太郎/音楽:林光 
    出演:
    中村梅之助(村田蔵六=大村益次郎)、米倉斉加年(桂小五郎=木戸孝允)、篠田三郎(吉田寅次郎=松陰)、中村雅俊(高杉晋作)、西田敏行(山県狂介)、金田龍之介(毛利敬親)、宇野重吉(緒方洪庵)、田村高廣(周布政之助)、浅丘ルリ子(イネ・シーボルト)
    内容:
    司馬遼太郎の同名小説を原作とした大河ドラマの総集編。明治維新において、長州藩の軍政面で活躍し、明治の軍政の礎を築いた蘭学者・大村益次郎の半生を中心に幕末の歴史を描いた作品。
    草舟私見
    明治日本の軍制の基礎を築いた英雄である、長州の大村益次郎の物語である。明治維新前後の偉大な人物たちの人生を見る場合、一番興味をひくところはやはりその純心性と固い志に触れられるということである。そして凄い信念の人間をして運命というものが、いかに人生を大きく左右しているのかという大問題を考えさせられることである。神の如き信念をしても人生とは自分の思い通りには行かないのである。私などは思い通りに行かなくて当然であり、むしろこのような偉大な人たちと比較するといかに幸運だけで生きてこれたのかが尽々とわかるのである。明治を考えることは、取りも直さず我々現代人がいかに恵まれているかを考えることなのである。一介の村の医者として親のように単調に生きたかっただけの益次郎が、運命によって英雄になったことは私の人生観に深い感化をおよぼした。また運命を受け入れ偉大になれたことは、彼がただ静かな人生を送りたかったからなのだと尽々とわかるのである。彼の根本が道理をわきまえた平凡さにあったことが、その大業を成さしめた基本なのである。          

    カストロ&ゲバラ (別題:チェ・ゲバラとカストロ) FIDEL&CHE

    (2002年、米) 120分/カラー       

    監督:
    デヴィッド・アットウッド/音楽:ジョン・アルトマン                          
    出演:
    ヴィクトル・ユーゴ・マルティン(フィデル・カストロ)、ガエル・ガルシア・ベルナル(チェ・ゲバラ)、セシリア・スアレス(セリア)、トニー・プラナ(バチスタ)
    内容:
    キューバ革命のリーダーである、フィデル・カストロと盟友チェ・ゲバラ、そして若きゲリラ戦士たちの熱き戦いの日々を描いた作品。
    草舟私見
    革命家は詩人である。その詩人の魂に私は涙を流すのである。「涙」というものを、その魂の奥底から信じる者同士の共感が私を動かすのである。カストロとゲバラは私の青春の涙というものを形成した革命家なのである。私は彼らを駆り立てた情熱というものを信じ、それのみによって、自己の人生を築き上げてきた者である。従って彼らの血はまた私自身の血であるのだと断言できる。いや断言できる生涯を送りたいと願い、また必ず送らなければならんと自分自身の魂に問いかけ続けているのである。人間の人生の尊厳に、崇高で高貴にして、また野蛮である真実の「涙」というものが存在する限り、革命家と詩人は我々の人生における英雄なのである。英雄とはその人生を芸術と化した者である。青春が芸術を渇望する限り、革命と詩が滅びることは無い。また革命と詩を信じる者は永遠の青春を生きるのである。悪と混沌の渦巻くこの世の中で、革命と詩に命を捧げることはたやすいことでは無い。その失敗を批判することは幼児にでもできる。しかしその魂を形成する「涙」を知ることが真の紳士の条件であると私は思う。  

    風立ちぬ

    (2013年、スタジオジブリ) 126分/カラー

    監督・原作:
    宮崎駿/音楽:久石譲
    出演(声):
    庵野秀明(堀越二郎)、瀧本美織(里見菜穂子)、野村萬斎(カプローニ)、西島秀俊(本庄)、西村雅彦(黒川)、スティーヴン・アルパート(カストルプ)
    内容:
    零式戦闘機を開発した実在の設計者 堀越二郎を描いたスタジオジブリによる作品。監督宮崎駿監督が敬愛する堀辰雄の小説『風立ちぬ』の作品世界が重ねられている。
    草舟私見
    これは、「風」の物語である。一陣の風が、その人生を吹き抜けなければ、何の人生であるのか。人生とは風の葬祭なのだ。それを痛感する作品と言えよう。「風立ちぬ いざ生きめやも」とは、ポール・ヴァレリーの信念を表わす詩行である。そして、私自身が生きるために自己の信念として持した言葉でもあるのだ。この言葉には、人生そのものが存する。生きることの悲哀が、言葉を貫徹する霊魂として屹立する。それは、垂直の思想を生み出す。その思想が、真の人生を築き上げるのだ。風とは、憧れである。風とは、慟哭なのだ。そして、何よりも、悲しい生命の実存を運ぶ「瞬間」そのものを表わしている。生命は、夢によってなり立つ。そして夢は、純愛によって支えられているのだ。つまり、運命への愛(アモール・ファーティ)。生きるとは、愛することである。人を愛し、国を愛し、仕事を愛する。愛するもののために、自己の生命を投げ捨てることに尽きる。生きるとは、それに尽きるのではないか。愛のゆえに死ぬる覚悟だけが、生きることの意味を創り上げる。それが、生きることの意味を風に託した、この作品の主題であろう。

    風と雲と虹と〔大河ドラマ〕

    (1976年、NHK) 各話45分・合計2340分/カラー

    演出:
    岸田利彦、大原誠、松尾武、榎本一生、重光亨彦/原作:海音寺潮五郎/音楽:山本直純 
    出演:
    加藤剛(平小次郎将門)、緒形拳(藤原純友)、小林桂樹(平良将)、佐野浅夫(平国香)、長門勇(平良兼)、西村晃(源護)、宍戸錠(鹿島玄道)、草刈正雄(鹿島玄明)、山口崇(平太郎貞盛)、高岡健二(平三郎将頼)、吉永小百合(貴子)、真野響子(良子)
    内容:
    十世紀の初め、藤原一族による貴族政治は悪政と搾取によって民衆が苦しめられていた中、その権力に対して戦った平将門の生涯を描いた大河ドラマ。
    草舟私見
    平将門を描いて、もの凄く面白かったNHKの大河ドラマであるが、本総集編は短か過ぎて物足りないものとはなっている。平将門が反乱を起こしたのは西暦900年頃のことであるが、この時期に日本においてはすでに平氏と源氏の二大勢力を中心とする武士社会が根付いていたことに気づくことが、歴史的に重要な事柄であると思う。この事件から300年後の鎌倉幕府成立をもって武士社会が誕生するのではないのだ。実際には将門のまた200年程前から、日本の現実の支配者は武士であった。日本という国は実は武士道だけがその本当の文化であり、本当の歴史なのである。将門は武士道の初期の英雄である。初期であるから武士道の初心が将門にはあるのだ。将門は永遠に日本人の魂の雄叫びであり、夢であり、悲願であるのだ。将門の生き方は日本人の最も深い心の深層なのだ。この将門の生き方が平氏という武士の本源的な力であり、また平氏の子孫たち(平清盛、北条時宗、織田信長等)の本質的な生き方なのである。これに反して源氏は保守的で秩序を重んじる家系(頼朝、足利氏、武田氏、徳川氏等)であるといえる。この二つの武士道が相前後しまた戦い錯綜して我が国の武士道の本質的魅力を創り上げ、我が国の偉大な文化であり唯一の文化である武士道を練り上げていくのである。

    風と共に去りぬ GONE WITH THE WIND

    (1939年、米) 232分/カラー

    監督:
    ヴィクター・フレミング/原作:マーガレット・ミッチェル/音楽:マックス・スタイナー/受賞:アカデミー賞 作品賞・監督賞・主演女優賞・脚本賞・撮影賞・美術監督装置賞・編集賞・特別賞・サルバーグ賞、文部省特選
    出演:
    ヴィヴィアン・リー(スカーレット・オハラ)、クラーク・ゲーブル(レット・バトラー)、オリヴィア・デ・ハビランド(メラニー)、レスリー・ハワード(アシュレー)
    内容:
    南北戦争前後のアメリカ南部を舞台に、アイルランド魂・不屈の精神で戦った女性を描いた作品。アカデミー賞10部門獲得、黄金期のハリウッドの代表作となった大作。
    草舟私見
    南北戦争を描いた屈指の名作である。本作品は恋愛映画として見た場合は、何の価値も無い作品である。主題は南北戦争の悲劇の中で、先祖の魂に思いを馳せて強く生きるスカーレットのその生き方にある。タラへ! と繰り返し出てくるその思いに中心がある。タラは農園であるが、その元はアイルランドの聖地なのである。アイルランドの先祖たちの全てであった魂の聖地なのである。それに想いを馳せることによって、スカーレットは全てを乗り越えていくのである。南部魂と聖地を想うアイルランド人の魂には非常に共通項がある。そのゆえにこの作品は深みを有するのである。対する北部は近代文明を代表するものなのである。近代が何を犠牲にしてなり立ったかを深く感じることができる作品であると言える。タラが無ければ本作品は意味を成さぬのである。

    風とライオン THE WIND AND THE LION

    (1975年、米) 113分/カラー

    監督:
    ジョン・ミリアス/音楽:ジェリー・ゴールドスミス
    出演:
    ショーン・コネリー(リフ族首長ライズリ)、ブライアン・キース(ルーズベルト大統領)、キャンディス・バーゲン(イーデン・ペデカリス夫人)、ジョン・ヒューストン(ジョン・ヘイ)
    内容:
    帝国主義時代、モロッコを舞台に一族の誇りをかけて戦った回教徒リフ族の首長の生き方を描いた作品。
    草舟私見
    名誉と誇りに生きる生き方というものを、爽快に描いた名画と感じている。その名誉と誇りが深く文化というものに根差していることを三人の主人公を中心として種々の型で表現している。ショーン・コネリー扮するライズリが、リフ族の首長としてコーランの教えに生きる旧い時代の男の名誉を表わす。次に工業文明国である米国の大統領としてブライアン・キース扮するセオドア・ルーズベルトがくる。米国が米国であった時代の米国の名誉を彼が代表している。そして子供を守る母としての強さと誇りを、キャンディス・バーゲン扮するペデカリス夫人が演じる。彼女はクリスチャンの強さである。三人の個性が名誉と誇りで衝突し交錯する。その三人に他の配役による種々の文化からくる生き方が絡まる。そして最後に名誉と誇りに生きる人間たちが、その魂ゆえに理解し合える日がくるのである。爽快さが心に残る名画と言える。

    風のガーデン〔シリーズ〕

    (2008年、フジテレビ) 合計532分/カラー

    監督:
    宮本理江子/脚本:倉本聰/音楽:吉俣良
    出演:
    中井貴一(白鳥貞美)、緒形拳(白鳥貞三)、黒木メイサ(白鳥ルイ)、神木隆之介(白鳥岳)、伊藤蘭(内山妙子)、奥田瑛二(二神達也)、大滝秀治(老人)
    内容:
    東京の有名医大病院に勤める麻酔科准教授の物語。妻の自殺などを経て、家族は絶縁状態。そんな中、自身が膵臓癌に侵されていることに気づき、子供たちに会いに行く。
    草舟私見
    風が、吹き抜けていく。この作品に、葬送の悲しみを沁み込ませていく。美しいものは、あくまでも美しく、また、醜いものは、あくまでも醜く舞い続けていくのだ。人間たちの幸福が舞っている。人間たちの不幸が舞っている。この世の出来事の上を、一陣の風が吹き抜けていくのだ。名画である。自己の中に突き刺さる「味わい」が秘められている。隠された味わいが、多分、風を巻き起こしているのだろう。倉本聰が抱き続けてきた、ひとつのダンディズムを感じる。男のダンディズムが光る。女のロマンティシズムが舞う。つまり、「人間」の人生が繰り広げられているのだ。人間には、花が必要である。そう、この作品は語っているように見える。人生が、辛ければ辛いほど、美しい花が必要なのだ。どんなにつまらなく見える人間にも、美しい「何ものか」がある。花とは、それを人間に知らしめるものであるに違いない。そして風が、すべての生命を許す神の息吹きを運んでくれるのだ。我々は、この作品を通じて「花言葉」がもつ「運命の神秘」を受け入れることになるだろう。

    風の谷のナウシカ

    (1984年、徳間書店=博報堂=東映) 116分/カラー

    監督・原作:
    宮崎駿/音楽:久石譲
    出演(声):
    島本須美(ナウシカ)、松田洋治(アスベル)、納谷悟朗(ユパ)、榊原良子(クシャナ)、家弓家正(クロトワ)、京田尚子(大ババ)、辻村真人(ジル)
    内容:
    人類が科学文明を最終戦争によって滅亡に至らせ、猛毒の瘴気を放つ「腐海」に覆われた世界が舞台。農耕生活をいまだ営む風の谷の族長ジルの娘ナウシカが「腐海」との共存を目指し命を懸けて戦う。
    草舟私見
    深い感動に襲われる名画である。アニメーションでしか表わせぬ、人類の深い真実を伝えている。キリスト教終末論とスサノオ神話から導き出された贖罪の物語と言えよう。終末の後にくる「修理固成」の神話が、画面一杯に躍っている。ナウシカとは、その「精神」そのものなのだ。そして風は、宇宙に無限循環する「生命エネルギー」の象徴である。つまり、宇宙から降り注ぐ薫風であろう。その躍動が、人類に真の希望を与えてくれる。これは、人類の涙が生み出した神話から生まれた「実話」と言ってもいい。風の谷は、また聖書に伝えられたあの人類発祥の「涙の谷」なのだ。それは、人類の罪を表わし、また人類の希望を表現している。本作品は、人類の近未来を表わす映画の中で、抜群の光彩を放っている。それは、ナウシカという人間がもつ「宇宙的愛」、つまり生命への憧れにこの作品の根源があるからに他ならない。ナウシカの魂だけが、人類を救うのである。それが真実なのだ。つまり、勇気と愛と信仰だけということだ。「腐海」に託された人類へのメッセージは、驚くべき真実を示している。それは地球の真実であり、また生命をもつ人間の本質なのだ。人間とは、自己自身の罪を抱き締めることによってのみ、その生存を約束された「生命の希望」と言えよう。

    風の果て〔シリーズ〕

    (2007年、NHK) 合計344分/カラー

    監督:
    吉村芳之/原作:藤沢周平/音楽:岩代太郎
    出演:
    佐藤浩市(桑山又左衛門)、福士誠治(上村隼太)、遠藤憲一(野瀬市之丞)、野添義弘(藤井庄太)、仲村トオル(杉山鹿之助)、蟹江敬三(桑山孫助)
    内容:
    五十三歳の初夏、主人公である老武士が若き日を振り返り、青春の日々を描いた作品。東北にある小藩の主席家老・桑山又坐衛門が辞職を目前にして、老いを感じ過去を思い出す。
    草舟私見
    友情のあり方というものを、その最も深い淵源から考えさせられる情感溢れる秀作である。表面だけの浅い人間関係に慣れている現代人にとっては、理解し難い友情が本作品の重要なる主題であるが、ここに描かれる友情こそ本当の友情なのではないかと私は感じるのである。本来の友情とは、友情らしきものを育くんでいくその過程と結末にその本質がある。全く考え方と境遇そして血の違う人間たちが、それらに基づく汚泥を飲み干しつつ、また吐き出しつつ、人生を共に歩んでいる実感を共有しているところに、友情の本質があると私には思えるのだ。友情とは仲が良いことを言うのではない。仲が良いだけなどと言うのは軽薄な関係である。もっと汚いものを見詰め合って、もっと大切なものを見詰め合って、そして苦しみ、そして共に生きる。共に生きたくないと思って共に生きる。そこに友情が育くまれるのではないか。貪欲に生きて生きて、足るを知らざる生き方の中に、足るを知る生き方の本質が見えてくるのではないか。このようなことを深く実感させてくれる名作であり、長く心に残る味わいのある作品である。

    風が吹くまま The Wind will Carry Us

    (1999年、イラン) 118分/カラー

    監督:
    アッバス・キアロスタミ/音楽:ペイマン・ヤズダニアン
    出演:
    ベーザード・ドーラニー(ベーザード)、ファザード・ソラビ(ファザード)、バフマン・ゴバディ(バフマン)
    内容:
    クルド系の小さな村の葬儀を撮影するために訪れたテレビ・クルーたち。しかし危篤状態の老婆はなかなか死なない。クルーたちは苛立ちを募らせていく。
    草舟私見
    イランの名匠キアロスタミが放つ「人生哲学」の名画と言えよう。現代人の生きる「時間」というものの意義を問うことに成功している。この映画を観る我々現代人は、私も含めその多くの人間が何かしらいらつくのではないだろうか。とにかく、いらいらとする作品なのである。そのいらつきの中に、我々現代人の人生観があるということだ。我々が生きている社会は、すべてが計算と合理と段取りによって成り立っている。現代人は、自分が人生を生きるのではなく、人生そのものを観察し計画して生きようと考えている。その計算通りに進まない社会の中に、現代人を代表するメディアの人間が「取材」という名目で紛れ込んでしまったのだ。イランの田舎では、今でも人間の営々とした営みがそのまま流れている。自然の中でそれと一体と成っている人生である。そこに、「現代的合理主義」が紛れ込んだ。現代の時間を生きる人間が、いかに本当の「生(せい)そのもの」を蔑ろにしているのかということをこれほど見事に抉り出した作品はない。「現代的時間」の本質が、キアロスタミの天才によって目の前に展開させられているのだ。

    家族

    (1970年、松竹) 107分/カラー

    監督・原作:
    山田洋次/音楽:佐藤勝 
    出演:
    倍賞千恵子(風見民子)、井川比佐志(風見精一)、笠智衆(精一の父)、前田吟(精一の弟)、木下剛志(長男・順)、花沢徳衛(金貸)、森川信(旅館の主人)
    内容:
    九州の離島から北海道開拓村へ向かう一家の旅を通して、家族の絆を描いた作品。主人公は炭鉱夫として家族を養ってきたが会社が倒産し、故郷長崎を後にする。
    草舟私見
    いい映画です。飾り気というものがありません。綺麗事でなく本当に人が生きるということを見事に表現しています。現代の日本にあって本当の家族の絆というものを描いていると感じます。人間の持つ弱さもよく描かれています。しかしこのくらいの弱さなら誰で持っています。観ていて気持ちの良い弱さです。このくらいの弱さを持っていない人間なんて駄目です。弱さがあるからこそ強さも生まれてくるのです。この一家、北海道に着くまで苦労しますね。これがいいんです。これが北海道での幸福を創り上げる原動力なんです。現実に生きるとはこういうことなのだと実感します。笠智衆が演じる祖父が私は好きですね。何とも言えぬ味があります。この味がね、人の心を生きたものにしていくのだと感じます。北海道に着いて祖父は役割を終えたのですね。この一家幸せになりますよ。私が保証します。楽しみですね。また旅行の途中には日本の高度成長が徐々に人の心を蝕んでいく姿が良く描かれています。それを無視して突進する家族の姿に私は深い共感を覚えます。            

    家族の肖像 CONVERSATION PIECE

    (1974年、伊=仏) 130分/カラー

    監督:
    ルキノ・ヴィスコンティ/音楽:フランコ・マンニーノ
    出演:
    バート・ランカスター(教授)、シルヴァーナ・マンガーノ(ビアンカ・ブルモンティ)、ヘルムート・バーガー(コンラッド)、クラウディア・マルサーニ(リエッタ)
    内容:
    18世紀イギリスで流行した家族の肖像画をコレクションしていた老教授と、彼が突然得ることになった家族とその崩壊を描いた作品。ルキノ・ヴィスコンティ監督、バート・ランカスター主演による傑作。
    草舟私見
    L・ヴィスコンティが、最晩年のB・ランカスターを起用した傑作である。ランカスターの何ともカッコ良いこと! 若いときのも良いが、この彼の最晩年の姿はその映像からくる魅力の本質が桁違いである。この雰囲気だとしゃべる言葉の全てがカッコ良くて、どんな内容の事柄であってもジーンと来てしまいますよ。このカッコ良さは「偉大な」という形容詞が付きますよ。彼は偉大です。周りに出てくる役柄の人々が、エゴイスティックで下品極まりない人物たちなのでより際立ちます。このどうしようもない連中を受け入れることによっても人生の深淵を知ることができるのですね。愛とは測り知れぬものだと思います。最後の方で教授がする独白が、家族と人生の本質を突いていてカッコ良くて忘れられません。「家族だと思えばどんなことでもどういう結果でも受け入れられる」というのは本質です。そして教授は、煩わしさこそが人生を生きる本質なのだと気づかされるのです。家族の人間と仕事仲間は、その煩わしさによって人を真に活かす働きをしてくれるのです。

    勝海舟

    (1990年、日本テレビ) 313分/カラー

    出演:
    山下耕作/原作:杉山義法/音楽:服部克久 
    出演:
    田村正和(勝海舟 第一部、エピローグ)、田村亮(勝海舟 第二部)、岸本加代子(勝民子)、田村高廣(勝小吉)、森繫久彌(渋田利右衛門)、風間杜夫(小栗忠順)、津川雅彦(徳川慶喜)、上岡龍太郎(佐久間象山)、梨本謙次郎(坂本龍馬)
    内容:
    江戸幕府の最後を見届け、明治新国家で自らの力を発揮した勝海舟を描いた作品。激動の時代にあり、日本国家の進路を見つめ続けた男の生涯を追った。
    草舟私見
    幕末の偉大な人物の中で、この勝海舟という人物ほど不思議な人物は二人といない。私は若き日には海舟という人が嫌いであった。何か知力に頼り過ぎる嫌いを感じ、またコンプレックスを撥として偉大なことを成した人物であるように思えたからなのだ。海舟のことがだんだんとわかってきたのは私も30代の半ばを過ぎてからであったと思う。丁度その頃放映されたのが本作品であったのだ。私は徐々にわかりかけてきた海舟の持つ真の偉大さを本作品で強く感じ、種々の文献に当たってその深い「誠」というものを痛感したのだ。本作はその引き金となった作品でもあるのだ。わかってからよく考えて見れば、こて先や口先や頭脳だけで人を動かし、あれだけの大業を成せるはずもないに決まっているのだが、「誠」というものを心の奥深くにしまってしまう典型的な江戸っ子である海舟のことは、本当に外見だけでは何も解からないのだ。海舟の「誠」ほど深い「誠」というものは少ないのだ。海舟の誠は、自分自身がある程度そういう生き方をしないと全然わからない程深い誠なのだ。私は本作以来海舟という人物の誠に触れ、海舟を真実愛する者となったのである。          

    カティンの森 KATYN

    (2007年、ポーランド) 123分/カラー

    監督:
    アンジェイ・ワイダ/原作:アンジェイ・ムラルチク/音楽:K・ペンデレツキ
    出演:
    アルトゥル・ジミイェフスキ(アンジェイ)、マヤ・オスタシェフスカ(アンナ)、アンジェイ・ヒラ(イェジ)、ヴワディスワフ・コヴァルスキ(ヤン教授)
    内容:
    アンジェイ・ワイダ監督が、ポーランド軍将校であった父親の犠牲となった、ポーランド兵士虐殺が行われたカティンの森事件を解明した作品。五十年来の調査によって出来上がった。
    草舟私見
    アンジェイ・ワイダの84歳の作品と聞く。歴史への洞察が、深い芸術へと昇華されている。まさにワイダの本領が発揮されている。ワイダを観ることは、生(いのち)のもつ哀しみを見ることに他ならない。生のもつ高貴さ、そして尊厳を見つめようとしなければ、ワイダの作品は意味をなさない。だから、ワイダと対面するには勇気がいるのだ。つまり、自分自身の生き方を問われるのである。自己の生を、本当の意味で輝けるものとしたい人間にとって、ワイダは神ともなるであろう。本作品は、権力のもつ、恐ろしさと非人間的な冷酷さを描いている。英国の哲学者ホッブズが言ったリヴァイアサンの恐怖であろう。カティンの虐殺は、今日、旧ソ連のスターリンによってなされたことが明らめられている。ソ連とナチス・ドイツは罪をなすり付け合っていたが、これはどちらも同じ穴のむじなと言える。つまりは、権力がもつ化け物が何であるのかを、ワイダは問うているのだ。その化け物を凌駕するものこそが、人間の魂から生まれる高貴性なのだ。いかに負けようとも、絶対に我々はくじけることはない。そう叫ぶワイダの雄叫びが私には聞こえる。

    火天の城

    (2009年、「火天の城」製作委員会) 140分/カラー

    監督:
    田中光敏/原作:山本兼一/音楽:岩代太郎
    出演:
    西田敏行(岡部又右衛門)、椎名桔平(織田信長)、大竹しのぶ(岡部田鶴)、夏八木勲(戸波清兵衛)、緒形直人(陣兵衛)、西岡徳馬(丹羽長秀)、内田朝陽(孫太夫)
    内容:
    織田信長が天下統一を果たし、幾重にも天守を頂く大城郭安土城の建設を命じた。その大任を受けた宮大工 岡部又右衛門の苦闘を描いた作品。
    草舟私見
    安土城建立の物語である。これは人間の意志が、何事かをなすための、その燃焼の投影を現わしている。安土城は、その物理的存在の他に、人間の意志が永遠に繋がることを示す歴史的な城郭と言えよう。安土城は、史上類を見ない城であった。そして幻のごとくこの世を去った。だからこそ永遠になったのである。この城が、無駄になったと思う者は、生命の何たるかを知らない。安土城は今も生きている。この映画を観て、そう感じられない者は、映画そのものを観ていない。映画とは、我々に永遠を知らしめるためにある。私は安土城を愛する。信長を慕い、その霊魂に参じたい。ゆえに、私は安土の城に、その生命を捧げた者どもを愛する。棟梁の岡部又右衛門、石工の頭、木曽の杣人などは、私の最も尊敬する人物たちである。彼らの霊魂は、私の親友とも言える。いや、そうならねばならぬと私自身が思っている。命をかけた生き方は永遠に繋がる。だから私も彼らと共に、今を生きれるのだ。生命ほど尊いものはない。だからこそ、それを擲つ者どもに、永遠がほほえみかけてくれるのであろう。

    加藤隼戦闘隊

    (1944年、東宝) 89分/白黒

    監督:
    山本嘉次郎/特撮監督:円谷英二/音楽:鈴木靜一 
    出演:
    藤田進(加藤部隊長)、大河内伝次郎(菅井兵団長)、志村喬(青砥部隊長)、黒川弥太郎(安場大尉)、灰田勝彦(吉田中尉)、木村功(横尾軍曹)、河野秋武(奥田中尉)、中村彰(進藤中尉)、隆野唯勝(榎中尉)、清川荘司(参謀長)、高田稔(北村部隊長)、清水将夫(岡瀬部隊長)、河津清三郎(参謀)、沼崎勲(高田中尉)、竜崎一郎(工藤中尉)、坂内永三郎(射水准尉)、岬洋二(高岡中尉)、浅田健三(丸井大尉)、児玉一郎(黒井中尉)、木下陽(黒谷大尉)、生方明(新居中尉)
    内容:
    戦時中、軍神と崇められた加藤建夫部隊長とその配下の戦闘隊の活躍を、部隊長の着任からベンガル湾上で戦死するまで、その人柄が伝わるように描いた作品。
    草舟私見
    加藤隼戦闘隊はその類い稀な戦史上の実績もさることながら、隊長加藤建夫の高潔な人柄とともに、永遠に我々日本人の誇りとすべきものであると感じている。本作品は戦時中の物資不足の中で作られたにもかかわらず、見事な作品として今日に残されている数少ない映画の一本である。私はこの加藤隊長は好きですね。男として心の底から惚れますね。まず第二次大戦までの世界中の戦闘機パイロットの中で撃墜機数と共にその隊長としての力量人格とも世界最高でしょう。我々日本人の誇りです。最後の場面の隊歌——本当にいいですね。         

    加藤一二三という男、ありけり

    (2017年、NHK) 60分/カラー

    演出:
    高橋一暢/ドキュメンタリー
    内容:
    2017年6月に現役を引退した棋士・加藤一二三、九段。14歳にして、当時史上最年少でプロ棋士となった後、数々の名勝負を展開していき、規定の敗戦数になるまで現役を続けた稀代の名棋士をドキュメンタリーにした。
    草舟私見
    棋士 加藤一二三には「憧れ」がある。遠いともしびを見つめる悲しみがあるのだ。それが、この男の魅力を支えている。崇高なものへ向かう人間だけが放つ、可笑しみと言ってもいい、詩の根源を形創る真のロマンティシズムであろう。それは、生命の悲哀から発する真のユーモアである。西脇順三郎の言う、Critique d’omoshiroi(クリティク・ドモシロイ)つまり詩を支える真の「面白さ」というものに通じている。一言で言えば、面白い男なのだ。仕事に生きる人間のひとつの典型とも言えよう。生命の燃焼が放つ輝きが目に痛い。それが、我々の生命に希望を与えてくれるのではないか。このドキュメンタリーを見終わったとき、私は自己の生命の中に無限の躍動を感じていた。この震動の根源こそが、ヒフミンの愛称で親しまれる加藤一二三の本領なのだ。天才であることに間違いはない。その六十四年の棋士人生に比肩し得るものは、升田幸三と坂田三吉を措いて他にない。しかし、この男の真の魅力は、敗北から立ち上がるその生命にある。敗戦の記録が、史上の新記録であることがそれを物語っている。

    カーネーション〔全151回〕

    (2011-2012年、NHK) 合計2265分/カラー

    監督:
    田中健二、ほか/音楽:佐藤直紀 
    出演:
    尾野真千子(糸子)、小林薫(父・善作)、麻生祐未(母・千代)、新山千春(長女・優子)、川崎亜沙美(次女・直子)、安田美沙子(三女・聡子)、夏木マリ(糸子・晩年)、駿河太郎(夫・勝)、須賀貴匡(長男・泰蔵)、尾上寛之(次男・勘助)、板尾創路(生地屋)
    内容:
    著名デザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの「コシノ三姉妹」を育て上げ、自らもファッション界で活躍した小篠綾子の生涯を綴る連続ドラマ。
    草舟私見
    運命に生きる家族の物語である。実話から放たれたる興奮と切なさが、胸に沁み入る名作を創り上げている。いわゆるNHK朝の連ドラだが、その内容はいかなる名画よりも高い。連ドラ中の頂点であることは当然だが、それよりもドラマとしての最高峰と私は思っている。それほどの感動と涙と切なさが襲って来る。主人公小原糸子の人生ほど、血湧き肉躍る人生は滅多にあるものではない。私自身も含めて、人生を「よく生きよう」とする、すべての人々に測り知れない勇気を与えてくれる作品と信ずる。主人公は当然だが、その子供たち、つまり作品中の小原三姉妹の魅力と人間性も死ぬほどに面白い。しかし、この作品の魅力はそれだけではない。登場人物のほとんどすべてが、個性的で、真に生きているのだ。幸不幸を超越し、成功不成功を乗り超えて、本当の人間たちが自分の人生を生き切っている。日本の社会が育んだ、最良の「家庭」、「近所」、「生活」を私はここに見出している。大阪岸和田の小原家は、私にとって永遠に日本の家族の故郷となるだろう。     

    鐘の鳴る丘〔全三部〕

     
    監督:
    佐々木啓佑/原作:菊田一夫/音楽:古関裕而 
    出演:
    佐田啓二(加賀見修平)、野坂頼明(隆太)、本尾正幸(修吉)、小田金薫(クロ)、高杉妙子(奏野百利枝)、並木路子(長坂美也子)、井上正夫(加賀見勘造)、英百合子(加賀見かね)、笠智衆(立花)、渡辺孟代子(とき子)、北竜二(足立健次)
    第一部 隆太の巻 (1948年、松竹) 81分/白黒
    第二部 修吉の巻 (1948年、松竹) 83分/白黒
    第三部 クロの巻 (1949年、松竹) 87分/白黒
    内容:
    1948~1949年にかけて制作された一連のシリーズで、戦災孤児となった子供たちを集め、育てていく主人公 加賀見修平を描く。
    草舟私見
    我々が現在生きている経済成長後の日本では想像のつかなくなった、戦後日本の出発の原点を知る作品である。食いものも無い浮浪児が戦後の出発の原点なのだ。それを忘れてはならないのだ。だから我々が今信じている戦後民主主義の中には乞食根性が根深く潜んでいるのだ。私はその原点を思い起こし自己の生き方の軌道修正のために随分と観た記憶がある。人の愛を中々素直に受け入れないのが乞食根性である。がめつくて、食い意地が張っていて、疑い深く感謝の念が足りないのが乞食根性なのだ。いくら愛されてもどこかでそれを疑っているのが貧しさの悪徳なのだ。ただ戦後の日本人は多かれ少なかれ、このような状態から今を築いてきたのだとわかる必要がある。今の我々の文化の中には浮浪児の考え方が潜んでいるのである。佐田啓二扮する先生が旧い日本の文化を代表しているのである。

    鎌倉殿の十三人[大河ドラマ]

    (2022年、NHK) 2190分/カラー

    監督:
    三谷幸喜/演出:吉田照幸、末永創、中泉慧、他/音楽:エバン・コール 
    出演:
    小栗旬(北条義時)、新垣結衣(八重)、坂東彌十郎(北条時政)、宮沢りえ(りく)、大泉洋(源頼朝)、小池栄子(北条政子)、菅田将輝(源義経)、柿澤勇人(源実朝)、片岡愛之助(北条宗時)、瀬戸康史(北条時房)坂口健太郎(北条泰時)
    内容:
    平安末期から鎌倉前期、源平合戦から鎌倉幕府が誕生するまでの権力の座の争いを、勝者となった北条義時を主人公として展開。
    草舟私見
    久々に、歴史的な大河ドラマの醍醐味を味わえる名作と出会えた。本作は歴史を歪曲させているとの批判を多く受けたが、事実はその反対である。善悪を超越した歴史の真実を、むんずと捉え尽くしていると私は感じている。とにかく面白い。血湧き肉躍る一年であった。歴史の深奥に眠る、我々人間の真のロマンティシズムが画面を覆い尽くしている。脚本家三谷幸喜の面目躍如たる作品と成ったに違いない。三谷の本質は、その人間的勇気にある。批判を恐れず、真実と思われる「ロマン」に直撃する姿勢とも言えよう。この勇気が、観る者の心に、電撃を送るのだろう。私は本年は、四十八回の全てに釘付けにされた。次が楽しみで死にそうだった。最終日が終わったとき、私は日本の武士の歴史について、全く革命的な「精神のロマン」を与えられたのだ。私は元々鎌倉時代を、日本の基盤を築いた偉大な時代と考えていた。その偉大性の中に潜む、真のロマンティシズムと私はこの作品を通して邂逅したと思っている。       

    蒲田行進曲

    (1982年、松竹=角川春樹事務所) 109分/カラー

    監督:
    深作欣二/原作:つかこうへい/音楽:甲斐正人 
    出演:
    風間杜夫(倉岡銀四郎)、松坂慶子(水原小夏)、平田満(村岡安次=ヤス)、蟹江敬三(監督)、原田大二郎(橘)、清川虹子(ヤスの母)
    内容:
    原作つかこうへいによる映画化。三人の役者たちの奇妙な関係を描いた人情喜劇の傑作。「新撰組」撮影の最中の京都撮影所が舞台。
    草舟私見
    実に愉快で楽しく、それでいて一生涯心に残る名画と感じている。一時代前の松竹蒲田の物語であり、映画馬鹿ばかりが次々に登場して痛快である。私の思春期頃までは日本人の多くがこうでしたね。ほとんどの人が仕事馬鹿でそれでいて家庭もうまくいっていた。子供の頃このような職業馬鹿の大人に随分と憧れました。私の父も根っからの仕事馬鹿でした。映画はやはり映画馬鹿が作り、また出演しなければつまらんですね。馬鹿が神様に通じる道なんです。ヤスは実に馬鹿ですねえ。銀四郎も本当に馬鹿です。蟹江敬三扮する監督も根っからの馬鹿ですね、何しろ良い場面を撮るために誰か出演者を殺そうと言うんですから。馬鹿と馬鹿が張り合っていて面白いですね。仕事はこうじゃなきゃ駄目です。音楽が本当にすばらしいですね。血の底から嬉しくなり、ちょっぴり哀しい名曲です。この音楽こそ仕事馬鹿に捧げる賛歌であると宣言します。       

    神の数式

    (2013年、NHK) 合計196分/カラー

    監督:
    春日真人、岡田朋敏/音楽:瀬川英史/ドキュメンタリー ナレーション:小倉久寛、上田早苗
    内容:
    様々な人間が古代より宇宙とは何かという問いに対する答えを数式で得ようとしてきた。その壮大な歴史を描いたドキュメンタリーであり、最新の理論にまで続く謎を追う。
    草舟私見
    人間の文明がもつ、知的探求の「熱情」を実感することができる。人間は、思索することによって、神に限り無く近づいていくのである。そのために、人類は「生命」というものを与えられているのだ。科学哲学の試論が積み上げられていく。そこには人間の血と汗の結晶が集められる。その血と汗自身が、人間の存在そのものなのであろう。私は、古代ギリシャ哲学の「アペイロン」(無限なるもの、崇高なるもの)をことのほかに好む。それが宇宙の本体だと思っている。それを表わす文学が埴谷雄高の『死霊』だと思っているのだ。宇宙は「満たされざる魂」であり、「未出発の弁証法」からなり立っている。宇宙を司る者は、「無出現の思索者」である。それは、この世において同時的に存在する重層的「次元世界」を構成しているに違いない。我々は、有限の中に無限を持ち、無限から有限を生み出している。現世の中に、極微の世界と銀河の渦巻く極大の世界が共存しているのである。それを表わしている壮大な哲学が、古代ギリシャ思想と言える。近代の自然科学は、多分、限り無くそこに近づいていくのであろう。「496」の秘密と共に。

    カラヴァッジョ CARAVAGGIO

    (2007年、伊=仏=スペイン=独) 209分/カラー

    監督:
    アンジェロ・ロンゴーニ/音楽:ルイス・バカロフ
    出演:
    アレッシオ・ボーニ(カラヴァッジョ)、エレナ・ソフィア・リッチ(コンスタンツァ・コロンナ侯爵夫人)、ジョルディ・モリャ(デル・モンテ枢機卿)、パオロ・ブリグリア(マリオ・ミンニーティ)
    内容:
    ルネッサンスの終焉期、画家カラヴァッジョは徹底した写実描写、劇的な明暗の表現、またそれらを感情豊かに描いたが、その激烈で熱情的な生涯を追った作品。
    草舟私見
    バロックの血と魂が全篇を通じて叫び続けている。神よりも人間が大切になってきたとき、人間は享楽と共に、破滅の深淵を自ら眺き見なければ生きることができなくなった。人間性が花開いたルネッサンスは、もう美しき過去としてヨーロッパから去っていた。そして、新しい何ものかが生まれ出づる前、そこにバロックの精神が横たわっていたのだ。その中で悶え苦しんだ画家の代表がカラヴァッジョであろう。彼のもつ狂気は、バロックの精神そのものであった。だからこそ、あれほど多くの人々に愛された一生であったのだろう。この映画は、何よりもバロックの精神を描き切った名画であると私は思う。カラヴァッジョは誰よりも神を愛していた。だからこそ、あれほどに苦しんだのだろう。愛するものを殺すことが、バロックの天才たちに課された使命であった。聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)との深い絆と縁は、彼が神からいかに愛されていたのかを如実に示している。聖ヨハネ騎士団とは、神のために自己のもてる力の全てを捧げ尽くしてきた人々の集団なのだ。中世のその精神を伝えている高貴なる騎士団なのだ。

    カラマーゾフの兄弟 БPATЬЯ КAPAMAЗOBЫ

    (1968年、ソ連) 228分/カラー

    監督:
    イワン・プィリエフ/原作:フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー/音楽:イサアク・シュワルツ
    出演:
    ミハイル・ウリヤノフ(ドミトリー)、キリール・ラヴロフ(イワン)、アンドレイ・ミャフコフ(アリョーシャ)、リオネッラ・プィリエワ(グルーシェンカ)、マルク・プルードキン(フョードル)、ワレンティン・ニクーリン(スメルジャコフ)
    内容:
    文豪ドストエフスキーの晩年の名作を、旧ソ連の映画人たちが総力をあげて制作した映画。人間の良心と悪魔性の衝突、肉親間の激しい個性のぶつかり合いと葛藤を描く。
    草舟私見
    あまりにも有名なドストエフスキーの名作の映画化である。ドストエフスキーの深遠な哲学が随所に散見される。有名ではあるが日本では理解されがたい作品と感じる。神の実在についての懊悩を経なければ、意味を成さない作品である。悪人も善人も、臆病者も勇者も、思慮深い者も軽薄な者も全ての人間が神の問題で絆を持ち、また喧嘩をしている古き良きロシアがここにはある。そして心に神を有していたとき、人間たちは生き切る努力だけをしていれば良かったのだ。それがだんだんと人間の本性により崩れ出し、人間中心の時代に突入した頃のロシア人の心をよく捉えている。神がいるとき、人間は却って自由だったのだ。神は善でも無く悪でも無いのだ。この世の出来事は全て神の恩寵なのだ。ここで喜び苦しむ者と同じ人間は多分スペインにしか見い出されないであろう。

    カリフォルニア・ダウン San Andreas

    (2015年、米) 114分/カラー

    監督:
    ブラッド・ペイトン/音楽:アンドリュー・ロッキングトン
    出演:
    ドウェイン・ジョンソン(レイ:レイモンド・ゲインズ)、カーラ・グギノ(エマ)、アレクサンドラ・ダダリオ(ブレイク)、ヨアン・グリフィズ(ダニエル・リディック)、ヒューゴ・ジョンストーン=バート(ベン)、アート・パーキンソン(オリー)
    内容:
    カリフォルニア州を突然襲う大地震。レスキュー隊員の男は、愛する家族を必死に救出に向かう。しかし、彼らに更なる巨大地震が見舞うのだった。
    草舟私見
    真の家族愛を描いた、数少ない作品と感じている。これはヒューマニズムに流されることなく、人間存在の奥底から愛情を描き切った名画である。単純とも見えるアクションの中に、生命の本質が溢れている。愛は讃え合うことではない。それは自分の命よりも大切なもののために、自己の人生と生命を捧げ尽くすものと言ってもいいだろう。それが、娯楽としてのアクションの中に浸潤しているのである。本当の助け合いとは何か。それを考えさせられる映像と思っている。ここには、人間の本当の「清らかさ」が描かれる。人間の本当の「崇高さ」が画面を流れるのだ。人が人を大切にするとは何か。人が人を愛するとはいったい何なのか。それが地震という天災をつんざいて流れ続ける。愛の本質を考えさせる映画は数多くある。しかし、この作品ほど愛のすがすがしさが実感として伝わって来るものは少ない。実感を伴う愛を描くことに成功しているのだ。私はこの作品を観て、何度も何度も、人間に生まれた幸福を追体験した。

    カルメン故郷に帰る

    (1951年、松竹) 86分/カラー

    監督:
    木下惠介/音楽:木下忠司、黛敏郎 
    出演:
    高峰秀子(リリィ・カルメン=おきん)、小林トシ子(マヤ朱美)、坂本武(おきんの父)、望月美恵子(おきんの姉)、笠智衆(校長)、佐野周二(田口)、佐田啓二(小川)
    内容:
    日本初の総天然色長編映画となる作品。高峰秀子が好演した「芸術家」と信じて疑わないストリッパーが、故郷で突飛な行動を繰り広げるコメディ。
    草舟私見
    観終わった後にいつまでも余韻を残すいい映画です。木下忠司の生涯忘れ得ぬ曲で始まりますからね(あゝ我が故郷)。私はね、四歳のときにこの映画を観ましたが、それ以来45年以上この曲を片時も忘れたことはありません。それからね、笠智衆が画中で「恥ずかしいということは、人間だけが持っている心である。だからすごく尊いことなんだ」という台詞を聞いて、それが音楽と共にね、ずっと私の心の中で生き続けているんです。舞台の軽井沢も私は縁が深いですからね。昔の軽井沢の良さが滲み出ていますね。そして田舎の人間の良くも悪くもその正直さがよく表現されている作品です。正直な心が織り成す悲喜劇であり、涙と笑いの名作ですね。正直だから何事がどう起こっても結果はみんな真に明るいですよね。人生の明るさっていうのは正直者に与えられる天与の恩恵なのですね。悪い奴も馬鹿もみな明るいです。牛に蹴られてから少し頭がおかしいというカルメン役のデコちゃんは特に親近感がある。本当に魅力的で美しいですね。私もね、六歳で死に損なってから少し頭が変になったと言われて育ったので何だか凄い友達感覚がカルメンにはあるのです。     

    華麗なる一族

    (1974年、芸苑社) 211分/カラー

    監督:
    山本薩夫/原作:山崎豊子/音楽:佐藤勝 
    出演:
    佐分利信(万俵大介)、月丘夢路(万俵寧子)、仲代達矢(万俵鉄平)、田宮二郎(美馬中)、二谷英明(三雲祥一)、京マチ子(高須相子)、志村喬(安田太左衛門)
    内容:
    都市銀行の合併を巡る物語。大富豪の銀行一家を中心に、権力欲、野望、背信、愛憎の入り組む重厚な社会派人間ドラマ。関西金融界のドン、万俵大介を佐分利信が名演。
    草舟私見
    いやもう凄い面白さで手に汗を握ったまま、三時間半が経過してしまう名画と感じている。人間の文化である政治経済の面白さを堪能できる。こういうものをただ「悪い」「嫌い」と言っていたのでは人生の面白さがわからない。私はこの映画に登場する人物の全てに各々の人生を感じ、その人なりの戦いに限りない興味を抱きます。裏があるから表がある。汚いものがあるから綺麗なものがあるのです。こういう世の中の仕組に私は尽きせぬ興味を持ち、人間に生まれた喜びを骨の髄から感じられる映画です。戦前、天才外交官だった松岡洋右が独ソ不可侵条約に驚愕して「国際政治は複雑怪奇」と言ってシャッポを脱いだことを思い出し、天才をしてそう言わしめる人間社会の面白さを尽々と感じるのです。こういう映画を観ていると、ただの善人には魅力が無く悪い奴に魅力があるのが不思議です。もちろん良いと思っているわけではないが、面白いのは悪い奴ですね。やはり人間の生き方に魅力をもたらしているものは、目的意識なのだと感じさせられます。なお、本作品の舞台は神戸銀行と太陽銀行の合併、および山陽特殊鋼の倒産の事件を扱っているものです。        

    華麗なるギャツビー THE GREAT GATSBY

    (1974年、米) 144分/カラー

    監督:
    ジャック・クレイトン/原作:フランシス・スコット・キイ・フィッツジェラルド/音楽:ネルソン・リドル/受賞:アカデミー賞 衣装デザイン賞・音楽賞
    出演:
    ロバート・レッドフォード(ジェイ・ギャツビー)、ミア・ファロー(デイジー・ビュカナン)、ブルース・ダーン(トム・ビュカナン)、スコット・ウィルソン(ジョージ)
    内容:
    作家フィッツジェラルドの名作を映画化。かつての恋人の心を取り戻すために成り上がった男の数奇な運命を描いた。1920年代に実在したギャッツビーが主人公。
    草舟私見
    米の文豪フィッツジェラルドの名作の映画化である。この作家の作品は世界初の消費文明に突入した米社会の心の荒廃を扱ったものが多いので、高校生のとき1920年代の米国研究のために随分と読んだ。その代表作であるだけに、金銭と物質的豊かさを求める人間の空虚な人生が見事に描かれている。登場人物のどいつもこいつも何とも下らないことに驚く。下らない人間の特徴は「愛」に必要以上にこだわることである。それは「愛」が無いからなのだ。家族に愛が無くなり、社会に愛がなくなる。消費に人生の価値を置けばそうなるのだ。だから異常な恋愛感情も生まれるのだ。その感情にしか自己の存在理由を見い出せないのだ。デイジーのような馬鹿女に惚れる男は、それに輪を掛けた馬鹿だから同情の余地は全く無い。彼女の亭主も最低。近頃の日本に多いタイプである。スタンドの貧乏夫婦もただの馬鹿。拝金主義の社会で負け犬になった根っからの間抜けな不幸者である。自分が元々拝金主義者だから、自ら負け犬になったことがわからねばならない。デイジーの友達の女性もただの遊び人で近い将来ノイローゼになる。解説をしている男も一見良く見えるが、無責任な傍観者でこれも今の日本に多いタイプ。このような社会が1920年代に米国ですでに進行していたのだ。げに消費文明は最低なり。

    華麗なる激情 THE AGONY AND THE ECSTASY

    (1965年、米) 139分/カラー

    監督:
    キャロル・リード/原作:アービング・ストーン/音楽:アレックス・ノース
    出演:
    チャールトン・ヘストン(ミケランジェロ)、レックス・ハリスン(教皇ユリウス2世)、ダイアン・シレント(テッシーナ)
    内容:
    ミケランジェロの伝記小説を映画化。システィナ礼拝堂の天井画の制作を命じたローマ教皇・ユリウス二世とその天井画を独力で描き上げた巨匠ミケランジェロの二人の葛藤と対立を描く。
    草舟私見
    あの偉大な人類の遺産である、ミケランジェロによるシスティナ礼拝堂の天井画ができあがるまでの、人間として最も感動的な時間の経過を映画化した作品である。私は中学生で観ましたが、それはもう感動しました。本作品を観た翌日には、父の蔵書にあったロマン・ロランの「ミケランジェロの生涯」を徹夜で読破した思い出があります。ミケランジェロの仕事(あえて芸術とは言わない)に対する情熱には、感動を通り越して畏怖と信仰を私は感じました。そうですね、ミケランジェロは芸術をしたのではないのです。永遠の価値のためではなく(事実破壊される可能性をいつでも感じています)、今を燃え尽きる全身全霊の真の仕事としてこの偉大な芸術を仕上げたのです。仕事ですから当然仲間が必要です。それが教皇ユリウスⅡ世です。この教皇は最高ですね。私は歴史的に一番好きな教皇です。真の仕事人ですよ。結構悪いしね。それでいて仕事を通して真に教会と人類の文化に貢献した人物です。描くも男、描かせるも男と感じる。二人とも困難と哀しみを心に秘め、仕事を通じて付き合っている。真の役割分担である。真の仕事の役割は各々全て神から与えられているので、それがよくわかる。この二人こそ真に仕事を通して魂が結び合い、友情に生きた代表的な人生だと感じます。

    眼下の敵 THE ENEMY BELOW

    (1957年、米=西独) 98分/カラー

    監督:
    ディック・パウエル/原作:D・A・レイナー/音楽:リー・ハーライン/受賞:アカデミー賞 特殊効果賞
    出演:
    ロバート・ミッチャム(マレル艦長)、クルト・ユンゲルス(フォン・ストルバーグ)
    内容:
    英海軍中佐レイナーが自らの体験をもとに書いた「水面下の敵」を原作にした作品。第二次世界大戦下の南大西洋で、米駆逐艦と独Uボートが遭遇し、頭脳戦を繰り広げる様子を描く。
    草舟私見
    やはり駆逐艦と潜水艦の戦いは文句なく良い。水面を境として上と下で戦う、つまり相手が見えないところで戦うだけに恐怖心との戦いと言えるからだろう。恐怖心の克服こそが、人類の偉大な文化伝統の系譜なのだ。決断力と勇気と忍耐の戦いである。つまり男の美学であり、男の世界がそこに現出されるのだ。本作品はそういう映画の中でも白眉に位置する。何ったって主人公が違いますよ。駆逐艦長のロバート・ミッチャムね、男ですよ。潜水艦長のクルト・ユルゲンスね、男ですよ。彼ら二人の心理戦こそ、男の全てを懸けた理屈抜きの美の世界ですね。真の戦いを戦い抜く男同士の友情に涙が流れます。真の友情はね、一緒に戦うかまたは敵対して戦うかのどちらからしか生まれないのです。真の戦いは全く悲劇的でありません。勝っても負けても、その中に真の美があるからなのです。登場人物の中で唯一嫌いな奴はあの軍医ですね。物知り顔で横からうるさいんだよお前は! というタイプです。

    ガンジー GANDHI

    (1982年、英=印) 188分/カラー

    監督:
    リチャード・アッテンボロー/音楽:ラビ・シャンカール/受賞:アカデミー賞作品賞・監督賞・主演男優賞・脚本賞・撮影賞・編集賞・美術監督装置賞・衣裳デザイン賞
    出演:
    ベン・キングスレー(マハトマ・ガンジー)、マーティン・シーン(ウォーカー)、キャンディス・バーゲン(マーガレット・バーク・ホワイト)、ジョン・ミルズ(総督)、エドワード・フォックス(ダイヤー将軍)、イアン・チャールスン(アンドルーズ牧師)、トレヴァー・ハワード(ブルームフィールド判事)、ジョン・ギールガッド(アーウィン卿)
    内容:
    無血主義、非暴力を貫いてインドを独立に導いたガンジーの生涯を描いた作品。アッテンボロー監督は劇中の出来事を史実に忠実に再現、主役のベン・キングスレーは本作をきっかけに有名となる。
    草舟私見
    ガンジーの持つ偉大な信念に心を打たれる。ガンジーの持つ強さの秘密を解き明かしてくれる名画と感じている。本当の優しさがなければ、人間は本当に強くはなれないのだと尽々とわかります。本当の愛情や友情が本当の強さを生み、本当の強さが本当の信念を与え、本当の信念が何事にも屈しない、貫かれたる人生を生むのだということを痛感させられます。ガンジーの非暴力主義は英国との戦いの手段であって、決して日本人が考える単なる優しさ、つまり腑抜けとは正反対のものであることを感じる。ガンジーは静かなる戦いを戦い抜いた人なのです。ガンジーを見るとき、私は偉大な文化を継承する生き方を送る人物の本物の人生を感じます。

    カンゾー先生

    (1998年、今村プロ=東映=東北新社=角川書店) 129分/カラー

    監督:
    今村昌平/原作:坂口安吾/音楽:山下洋輔 
    出演:
    柄本明(カンゾー先生=赤城風雨)、麻生久美子(ソノ子)、松坂慶子(トミ子)、世良公則(鳥海先生)、唐十郎(梅本)、伊武雅刀(池田軍医部長)
    内容:
    今村昌平監督が、坂口安吾の「肝臓先生」に「堕落論」「行雲流水」を組合わせて物語化。瀬戸内の田舎町の開業医が主人公で、肝臓炎を撲滅しようと奔走する姿を描く。
    草舟私見
    真の医者のあり方を問いかける名作であると感じる。今村昌平の諧謔趣味が行き過ぎている場面も多々あるが、全体としては心の底から感じ入るものがある。カンゾー先生は実に人間的である。ずっこけているし、欲も大いにある。しかし先生は父君から受け継いだ信念を心の底にいつも持っている。それが先生をいつでも医者の正道に連れ戻す原動力になっているのである。先達の生き方が心の中でいつでも生きている人は、真の人生を生き切れる人である。あらゆる迷いをぎりぎりのところで守ってくれているのは先達の魂なのである。カンゾー先生のような人こそ、今後の癒す医療には一番必要な人と感じる。科学は名声を得られるが、医者には科学よりも現に生きる人を治し癒すことが重要なのだ。この人が正道を失わなかったのは、その正直で純情な心の賜物なのである。正直だからいつでも最後は強いのだ。私はカンゾー先生を心から尊敬する。     

    がんばらない

    (2001年、TBS) 96分/カラー

    監督:
    和田旭/原作:鎌田實/音楽:ボブ佐久間 
    出演:
    西田敏行(太田院長)、市毛良枝(葉子)、大滝秀治(太田清太郎)、東恵美子(太田涼子)、内田朝陽(進一)、倍賞千津子(太田の妻)、保坂尚輝(水島)
    内容:
    八ヶ岳の麓にある実在の病院の前院長のエッセイをドラマ化。長年患者と向き合った治療を心がけてきた誠実な医師の日々を描く。
    草舟私見
    いいドラマである。肉が豊かであって骨が太い。血が巡っていて心が生きている。医療と人生というものを描いた作品にあって、その白眉の一つであろうと感じている。深く、医療の原点を考えさせられる。深く、人が生きるということの本質と対面させられる。深く深く心に残り、永く永く涙が滴たる名作である。主演の西田敏行は最高である。彼の演じる最高傑作の一つであろうと感じる。こういう医者が真の医者なのである。唯々脱帽するばかりである。それでいて我々凡人も心懸け一つでこういうすばらしい人物になれるような夢を持たせてくれる風情がある。真に優れた名優と感じる。父親役の大滝秀治がまた良い。真の人生を生き切った人物の風貌が滲み出ている。私の父にそっくりな感じである。恐いが良い。18歳で死ぬ若者の最後は忘れられない。この若さで「お世話になりました」と言って逝った。私などこの年(51歳)まで生きて何とも頭の下がる思いがした。この言葉こそ、私は人が人として生き、また人として死ぬ本質であると思っている。こう言って死ねれば、生きた年月の長短に関係なく、人は全て良い人生を生きたのだと思う。       
  • 黄色いリボン SHE WORE A YELLO RIBBON

    (1949年、米) 103分/カラー

    監督:
    ジョン・フォード/音楽:リチャード・ヘイジマン/受賞:アカデミー賞 色彩撮影賞
    出演:
    ジョン・ウェイン(ネイサン・ブリトルズ大尉)、ジョーン・ドリュー(オリビア・タンドリッジ)、ジョン・エイガー(コーヒル中尉)、ハリー・ケリー・ジュニア(ペネル少尉)、ベン・ジョンソン(タイリー軍曹)
    内容:
    広大なモニュメント・バレーを背景にした騎兵隊の雄大な美しさを描いた映画史上不滅の叙情派西部劇。黄色いリボンとは、騎兵隊員が首に巻いていたものであり、騎兵隊の象徴であった。
    草舟私見
    ジョン・フォードが描くまさに彼らしい人情味ある西部劇である。騎兵隊に生きる人間たちの偉大な人生の讃歌である。フォードがアメリカに対して抱く強い愛情を感じる。そしてそのアメリカの基が、頑固で一徹な男たちの地味な日常の活動で創られたのだということが、彼の一番言いたいことなのであろう。垢まみれの騎兵隊であり、またその騎兵隊を支える頑固者どもは、フォードが描くとほとんどがアイルランドの出身者たちなのである。フォードの魅力はアメリカで開花するアイルランドの魂を謳い上げていることである。私はフォードの西部劇から随分と男の真の生き方を学んだ。もちろん本作品に登場するブリトルズ大尉以下の騎兵隊員は、私の人生の男の生き方の師範なのである。

    きけ、わだつみの声

    (1995年、東映=バンダイ) 130分/カラー

    監督:
    出目昌伸/音楽:ギル・ゴールドスタイン/受賞:文部省選定 
    出演:
    織田裕二(勝村寛)、緒形直人(鶴谷勇介)、仲村トオル(芥川雄三)、風間トオル(相原守)、鶴田真由(津坂映子)、的場浩司(大野木上等兵)、井川比佐志(鶴谷総治)
    内容:
    太平洋戦争中に学業半ばにしてペンを銃に持ちかえて戦場に向かった学徒兵たちの短い青春を描いた作品。
    草舟私見
    人間の持つ闘争本能が戦争を生み出す原因である。この事柄は個人生活も国家同士も変わりがない。戦争を嫌い憎むだけでは人間の問題は何も解決しない。太平洋戦争末期の物語は全て悲惨である。その悲惨さに私は涙を流し、また憤りを覚える。しかし戦争とか闘争そのものが悲惨なのではない。負け戦さだから悲惨なのである。勝つ方は戦争も闘争も楽しくてしょうがないのだ。だから決して終わることないのだ。それが生命の生存の原因である以上、戦いが終われば生命活動が全て終わることを意味しているのである。戦争に勝った米国はこの時期、史上最高の名誉に酔い痴れ、また世界の支配者としての誇りに踊り狂っていたのである。米国人にとっては一番幸福な時期であったのだ。戦いが悲惨なのではないのだ。負け戦さが悲惨なのだ。だから国家も家族も個人も負けてはならないのだ。負けぬために努力することが、本当の愛なのである。私は祖国の負け戦さの記録をそのような意味で繰り返し見ているのである。本作品も私の決意を新たにする重大な作品である。 

    歸國

    (2010年、TBS) 118分/カラー

    演出:
    鴨下信一/脚本:倉本聰/音楽:島健
    出演:
    ビートたけし(大宮上等兵)、ARATA(志村伍長)、小栗旬(木谷少尉)、向井理(日下少尉)、温水洋一(坂本上等兵)、八千草薫(河西洋子・現在)、生瀬勝久(立花)
    内容:
    戦後六十五年、戦争の記憶が風化しつつある現代日本に、英霊たちが訪れ現代の様相に愕然とし、またその姿を見つめ、南海へと帰っていく話。倉本聰による脚本を映画化。
    草舟私見
    死者と対話する気持ちを持つ者ならば、この作品は、己の心に深く突き刺さる。特に、愛する者どもを、己の身の内深くに蔵する人々は、この映画に涙を滲ませるであろう。死者と共に生きる者こそが、真の人間なのだ。死者を悼み続ける者が、高貴を内包する人なのだ。それがわからぬ国家に、日本はなった。だから、この作品が生まれたのであろう。私はそう思う。自分が存在する、その淵源を見つめる者にして初めて、人間の人生を歩むことができる。そこに、多くの人々が死にゆく戦争の後にこそ、実存主義が生まれるいわれがある。ビートたけしとARATAの演技が光る。この二人の中に、私は本物の英霊を見る。つまり、英霊の実存である。英霊を感じる心がある人ならば、そう思うに違いない。この二人の俳優は、間違いなく、死者と対話をする人生を歩んでいる者たちなのだろう。私にはそれが伝わってくる。戦後65年、日本が築き上げた「平和」と呼ぶものが、いかなるものなのか。深く考えさせられる名画と言えよう。この作品を世に問うた人に、私は深い尊敬の念を抱く。

    傷だらけの栄光 SOMEBODY UP THERE LIKES ME

    (1956年、米) 114分/白黒

    監督:
    ロバート・ワイズ/原作:ロッキー・グラツィアーノ/音楽:ブロニスラウ・ケイパー/受賞:アカデミー賞 撮影賞・美術監督装置賞
    出演:
    ポール・ニューマン(ロッキー・グラツィアーノ)、ピア・アンジェリ(ノーマ)、エヴェレット・スローン(コーエン)、ハロルド・J・ストーン(ニック・バルベラ)、ジョゼフ・ブロフ(ベニー)
    内容:
    ニューヨークの裏町の貧しく悲惨な暮らしからボクサーになったロッキー・グラツィアーノの半生を描く。貧民街の移民の子として育ち、真っ当に生きようとして、チャンピオンの座に至るまでの軌跡。
    草舟私見
    最後の白人チャンピオンと言われた、世界ミドル級のチャンピオンのロッキー・グラツィアーノの半生を描く名画である。このロッキーという男には私は個人的に大変親近感があります。私は運が良く生まれた環境が良かったお陰で刑務所などには行かなくて済んだのだが、手のつけられない乱暴者であったので彼の気持ちは手に取るように痛い程わかるのです。やはり人生には誰でも失敗は多いが、一番重要なものは人々の真心と愛であるということが、嫌と言う程わかる映画である。母親や妻は当然のこととして親父にもベニーの店の店主にも愛がありますね。人の真心というものを愛として認識できる考え方がロッキーの最大の財産であったのだ思います。親父も表面的には敗残者であるが、私は男であると思いますね。夢を持っているんですよ。駄目な自分を知っているし、それで良いと思っているのでもないのです。その思いがロッキーを強くした一つの要因であると感じます。彼の両親は二人とも正直ですよ。正直者の子は愛や友情や信義がわかるようになるのです。

    傷だらけの山河

    (1964年、大映) 152分/白黒

    監督:
    山本薩夫/原作:石川達三/音楽:池野成 
    出演:
    山村聰(有馬勝平)、若尾文子(福村光子)、東野英治郎(香月)、高橋幸治(明彦)、北原義郎(岩渕)、船越英二(専務・カズオ)、高橋英郎(久山部長)
    内容:
    人の犠牲を意に介さない非情な欲望で成り上がった大実業家と、その犠牲となった人との絡み合いの中に1960年代の日本の経営者像を重層的に描いた作品。
    草舟私見
    全くもって不愉快な映画である。主人公の有馬勝平も傲慢で不遜で不愉快きわまりないが、その周りにいる男たちも女たちも身内も全て不愉快きわまりない。その徹底した下劣さと不愉快さのゆえに、希代の名画となっている珍らしい作品である。この作品は強い者と弱い者の対立のように見えるが作品の真の価値は全然違う。これは戦後民主主義と高度成長にその拍車がかかっている時代の作品である。つまりその両思想の限り無い下品さを表わしているものなのである。戦後の事業家の代表が主人公である。民主主義の名の下に人心を顧り見ぬ、無節操な開発と馬鹿げた貪欲さである。このような無鉄砲な貪欲さこそその基盤に民主主義の正義を持っているからできることであり、このような事業家は戦前の日本には存在せぬ。その周りは家族も含めて我儘で弱さが売り物の甘えの構造しか見えず主人公を利用しながら一片の恩も感じない。その人生観の底辺にも各々民主主義の正義が見え隠れしている。この作品の延長線上と完成が現代と言える。戦後日本の真の姿をこれ以上よく表わす作品は数少ない。戦後高度成長の原点を思い出す作品と認識する。俳優の中では山村聰が凄い名演であり私の中に忘れられぬ印象を残している。   

    奇蹟がくれた数式 THE MAN WHO KNEW INFINITY

    (2015年、英) 108分/カラー

    監督:
    マシュー・ブラウン/原作:ロバート・カニーゲル/音楽:コビー・ブラウン
    出演:
    デヴ・パテル(ラマヌジャン)、ジェレミー・アイアンズ(G・H・ハーディ)、トビー・ジョーンズ(リトルウッド)、スティーヴン・フライ(サー・フランシス・スプリング)
    内容:
    英国領インド・マドラスの若き数学者ラマヌジャンが、イギリスのケンブリッジ大学へ移り、さまざまな定理を発見するも、身分の低さから信用を得られない中、病に伏してもなお研究に捧げる姿を描く。
    草舟私見
    初心とは何か。それを問う力作と思う。すべての物事には、その「原理」というものがある。人生もしかり、また学問もしかりである。この作品においては、学問の初心が問われている。それも、「数学」における実話が取り上げられているのだ。すべての物事は初心に始まり、それが崩れゆく過程と言っていい。そして、それを再確認し再び人間の魂が立ち上がるためには、新しい革命が必要なのだ。それは、一般的に言って「部外者」からやってくる。数学の世界において、このインド人ラマヌジャンはひとつの革命であった。彼は「神からきた方程式でなければ、方程式など何の意味もない」と言っていた。定理とは、神の心を知るための道標だということである。これが西洋の数学の根源であった。それを忘れた二十世紀の西洋に、「革命家」がやってきたのだ。彼は不幸であった。しかし、その不幸が「神」の心を知るための学問へと数学を戻らせたのである。ラマヌジャンの定理は、現在においてブラックホールの解明やダークマターそしてダークエネルギーの推論に役立っている。まさに神の心に近づいているのだ。彼の業績が、神の申し子であったニュートンを生んだトリニティ・カレッジでなされたこともその歴史的使命を感じさせてくれる。

    奇跡の人 THE MIRACLE WORKER

    (1962年、米) 107分/白黒

    監督:
    アーサー・ベン/原作:ウィリアム・ギブソン/音楽:ローレンス・ローゼンタール/受賞:アカデミー賞 主演女優賞・助演女優賞
    出演:
    アン・バンクロフト(アニー・サリバン)、パティ・デューク(ヘレン・ケラー)、ヴィクター・ジョリー(ヘレンの父) 
    内容:
    高熱による後遺症で、目・耳・口が不自由な三重苦の偉人ヘレン・ケラーの少女時代に、ケラーの心を開いた女性家庭教師の苦悩と葛藤、不屈の精神を描いた感動作。
    草舟私見
    奇跡の人とはもちろん少女ヘレン・ケラーを言うのであるが、私はむしろ彼女に愛情を注ぎ、断固として教育した女教師であるミス・サリバンにこの題名の本意を感じる。偉大な人はもちろん偉大なのであるが、その人物を真に生かした人物こそ本当に偉大なのだと感じる。ミス・サリバン無くしては、絶対に後年のヘレン・ケラーは無いのであるから、それだけでもこの意味はわかると思う。真の愛情は強くなければならぬ。真の愛情は綺麗事や自信を持ってするものではなく、悩み抜きながら断行されるものであるということが本当によくわかる作品です。愛が何であるのか、深く考えさせられる映画である。それにしてもミス・サリバンを演じるアン・バンクロフトは演技もすばらしいが、本当に綺麗な人ですね。

    ギター弾きの恋 SWEET AND LOWDOWN

    (1999年、米) 95分/カラー

    監督:
    ヴディ・アレン/音楽:ディック・ハイマン
    出演:
    ショーン・ペン(エメット・レイ)、サマンサ・モートン(ハッティ)
    内容:
    世界的天才ギタリスト“ジャンゴ”を崇める、天才ギタリスト・エメットの出会いと別れを、ジプシージャズの切ない旋律にのせて描いた作品。
    草舟私見
    「自分は世界で第2番目のギタリストである」。主人公は絶えずそう思いそう他人に語っている。ジャンゴ・ラインハルトという世界一のギタリストを神の如く崇め尊敬している、ギタリストのエメットというのが本作品の主人公である。このエメットね、どうしようもない男である。自堕落で調子が好くて観ているだけで不愉快になるに決まっている男なのである。それがどうしても不愉快にならないから不思議なのである。ひどいことばかりしているのに、何だか許せてしまう。別に人物が良いからそうなのではないのだ。確かに頭にはくることが多いが許せる男なのである。その秘密はね、やはりこの鼻持ちならないと見える男にどうしても頭の上がらぬ人が存在しているからなのだ。ジャンゴの存在が、この主人公の全ての傍若無人を中和する働きがあるのだ。絶対に頭の上がらぬ人がこの世に存在するかしないかが、人間の人生にとっていかに大きな作用をもたらすかを端的に示す映画と感じている。本当に頭の上がらぬ人が存在すると、人間はかわい気が出てくるのである。人間が人間になってくるのである。昨今の自己中心的な人間とは本質的に違うものがこの主人公の中にはあるのだ。その違う事柄が人を人たらしめているのである。

    北の螢

    (1984年、東映=俳優座映画放送) 124分/カラー

    監督:
    五社英雄/音楽:佐藤勝 
    出演:
    仲代達矢(月潟典獄)、岩下志麻(ゆう)、成田三樹夫(木藤)、佐藤浩市(弥吉)、早乙女愛(せつ)、露口茂(男鹿孝之進)、隆大介(永倉新八)、夏木マリ(すま)
    内容:
    明治の初め、北海道開拓の先兵として強制労働を強いられた囚人たちと、その看守、また彼らを取り巻く女たちの凄惨な争いや愛憎を描いた作品。
    草舟私見
    仲代達矢扮する典獄の生き方が、何とも爽快で心に沁みる作品である。全編を貫く音楽は人間の持つ野心、欲望、優しさ、悲しみを包含し長く心に響く名曲である。明治の悲しみと明治の明るさが交錯し、北海道開拓の本質を痛感させられる。典獄のような明治の男にはやはり惚れますね。良くも悪くも男そのものであり、真直ぐです。岩下志麻(ゆう)が始めは屁理屈の自称憂国の志士役である露口茂(男鹿)に惚れていたが、徐々に真の男である典獄に惚れていく過程は何とも痛快で良い。何だかこの露口茂は現代の自称インテリを思い浮かべます。ラストにおいて荘重な主題曲のもとに二人が踊るシーンは感動的で一生忘れられないものである。この二人は人生を楽しく生きることを知っているのである。真の男であり、真の女である。    

    北ホテル HÔTEL DU NORD

    (1938年、仏) 98分/白黒

    監督:
    マルセル・カルネ/原作:ユージェーヌ・ダビ/音楽:モーリス・ジョベール
    出演:
    ルイ・ジューヴェ(エドモン)、ジャン=ピエール・オーモン(ピエール)、アナベラ(ルネ)、アルレッティ(レーモンド) 
    内容:
    パリの下町、運河沿いに建つ一軒の小さな安ホテルを舞台に、そこに出入りする人々の人間模様を描いた作品。主人公エドモンを名優ルイ・ジューヴェが演じる。
    草舟私見
    一時代前のパリの下町の活きた姿が描かれている風情のある名作である。昔の日本の人情と相通じるものが彷彿とされ、また微妙なる文化の違いが何とも面白い。良くも悪くも民主主義的でない、赤裸々な人間関係が深く心に沁みるのである。エドモンことロベールに扮するルイ・ジューヴェの魅力が私にはたまらない。ジューヴェの魅力は私が小学一年生で観た「どん底」以来、私の脳裏を片時も離れたことがないのだ。この俳優は凄い。ガンガン来て、胸と腹の奥底にズドーンと重いものを投げ込み、それを心の中でギンギンとかき回すだけの強力な力のある、魅力のある名優と感じている。この人のことは忘れられぬ。この人の魅力には人間離れしたものがあるのだ。ジューヴェは私にとって俳優の神なのだ。それにしてもこの映画に登場する、自殺未遂をする男女の下らなさは、下らない人生が何であるのかを知るのには恰好の材料である。だいたいこの類の人種は必ず「愛している」とか「いない」とか、周りの人の迷惑も考えずにそんなことばかり言っているのである。そして周りに不幸をまき散らすことによってのみ、自分の幸福感を味わっている。全く最低である。こういう馬鹿女に比べれば、私はエドモンの恋人の売春婦の方がよっぽど正直で好きである。現に売春婦はエドモンを守り、彼女から離れたときエドモンは破滅するのだ。そこに真の思いやりとは何かということがあるのではないか。

    キネマの天地

    (1986年、松竹) 135分/カラー

    監督:
    山田洋次/音楽:山本直純 
    出演:
    中井貴一(島田健二郎)、有森也実(田中小春)、渥美清(喜八)、松坂慶子(川島澄江)、倍賞千恵子(ゆき)、すまけい(小倉監督)、岸部一徳(緒方監督)
    内容:
    松竹大船撮影所五十周年記念として作られた作品、松竹蒲田撮影所を舞台に、活動小屋で売り子をしていた小春を助監督の島田が女優として育てていく物語。
    草舟私見
    それにしてもいい映画ですよね。いつ観ても胸が高鳴り血湧き肉躍るものがあります。大いに笑って面白く て、それでいて心の奥にじーんと来ますね。まだ映画の草創期の松竹蒲田の実話ですから。夢がありますね。みんなすぐに喧嘩するけど、仕事というものを通じて心の奥に絆を持っています。だから観ていて気持ちが良いんですね。この仕事感覚が今喪われているんですよね。出てくる俳優や監督はみんな戦前の実在の人です。役名とその人が実際には誰なのかわかってくるとまた一段と面白いですよ。役割というものがわかっている人が多いんですね。そして自分とは違う役割の人の立場をわかっているんです。みんな自分がしっかりとあるが、人の個性もわかっているんです。そこに喧嘩をしてもいがみ合いにならぬ明るさが存在するのです。そしてそうできるのは、みんなが映画という仕事が好きだからなのです。渥美清の扮する親父は忘れられません。旧い日本人の典型ですよ。あの監督(小倉金之助)も心に残ります。仕事人だけど人情がある。これも旧い日本人の典型です。それに蒲田行進曲を中心とする音楽のすばらしさ。いやはや私は幸福です。     

    奇兵隊

    (1989年、日本テレビ) 310分/カラー

    監督:
    斎藤武市/音楽:山本直純 
    出演:
    松平健(高杉晋作)、中村雅俊(桂小五郎)、片岡鶴太郎(村田蔵六)、提大二郎(伊藤俊輔)、永島敏行(久坂玄瑞)、高橋英樹(一橋慶喜)、津川雅彦(周布政之助)
    内容:
    幕末の激動の時代を駆け抜けた若き志士たちの生き様を、尊攘、倒幕運動の中心人物、高杉晋作が作り上げた長州藩の奇兵隊を中心に描いた作品。
    草舟私見
    長州を知ることは幕末を知ることである。長州が流した涙に感じることは明治という時代が内包した涙を感じることに通じる。良くも悪くも長州は江戸時代の幕引き役であり、明治を創り上げた原動力である。明治以後の日本は長州の流した涙の恩恵に授かると共に、長州の内包する狂気をも引き継ぐこととなったのである。長州は維新回天の全ての労苦をその一身に背負い、その鬱屈したる情熱の全てを新国家建設に注ぎ込んだのである。本作品は吉田松陰亡き後に、その門人たちを中心として長州が歩んだ道程というものをものの見事に描き切った秀作と感じている。長州は300年間熟成されてきた情熱と狂気とを持っていた。ただ一藩で幕府と戦い、諸外国と戦い、薩摩と戦い、太平に眠るあらゆる勢力と戦い続けた。戦い続け、へとへとになったときに明治が成立した。長州の情熱と狂気は思想に裏打ちされている。疲れ果てたとき、その武士道の一環であったはずの思想が一人歩きを始めた。新国家はそれを受け継ぎ、それを発展させることとなったのである。        

    騎兵隊 THE HORSE SOLDIERS

    (1959年、米) 115分/カラー

    監督:
    ジョン・フォード/原作:ハロルド・シンクレア/音楽:デヴィッド・バトルフ
    出演:
    ジョン・ウェイン(マーロー大佐)、ウィリアム・ホールデン(ケンドール少佐)、コンスタンス・タワーズ(ハナ・ハンター)
    内容:
    ジョン・フォード監督、南北戦争中のアメリカが舞台。北軍のマーロー大佐が、南軍の補給を断つためにニュートン駅破壊の任務を受け騎兵隊を率いて出発する。
    草舟私見
    南北戦争に題材を採った北軍騎兵隊の遠征物語であるが、巨匠ジョン・フォードの作品らしく派手な戦闘場面は少なく人間の心の動きを追った映画となっている。たたき上げの保線夫であったジョン・ウェイン扮するマーロー大佐と、エリート医師であるウィリアム・ホールデン扮するケンドールと、南部大農園の令嬢であるハナとの、当然と言えば当然のような反発と和解の絡みが見どころである。いかに環境が違う人間でも、やはり一つ一つの苦労を共にすることによって必ず理解し合えるのだというフォードの信念が感ぜられる。やはり行を共にするのが最も重要なのだ。南部のジェファーソン陸軍幼年学校の生徒が、老校長に率いられて整然と隊伍を組む突撃の場面は一生涯忘れられぬ思い出を私の心に残している。

    君を忘れない

    (1995年、君を忘れない製作委員会) 116分/カラー

    監督:
    渡邊孝好/音楽:長岡成貢 
    出演:
    木村拓哉(上田少尉)、唐沢寿明(望月大尉)、松村邦洋(高松一飛曹)、袴田吉彦(早川少尉)、反町隆史(三浦少尉)、池内万作(佐伯少尉)、堀真樹(森一飛曹)
    内容:
    若者たちがそれぞれの想いを胸に、特攻隊として出撃していく、その心の機微、仲間との関係を描いた物語。
    草舟私見
    特攻というものの持つ文化的側面をよく表現している秀作と感じる。特攻は日本の文化が生み出した日本人 の強い絆のゆえに行なわれた特異な戦術である。特攻は命令や制度などでできた事柄ではないのだ。良いとか悪いとか、正しいとか違っているとかいう、現代人の思考の遥か彼方にある情念がそれを可能ならしめているのである。同胞や仲間との絆が何よりも大切な人間にとっての美学なのである。自分の命よりも絆が大切な人間にしてできることなのである。自分の死に対して臆病になることは人間なら当たり前のことである。その死を仲間が受け入れるとき、自分もまた受け入れるということが日本人の長い歴史が築き上げた文化なのである。人間の本当に深い絆とは苦しみながらも自己犠牲に至るその深遠な道なのである。誰でも弱いのだ、弱いからこそ我々には他者との絆が必要なのだ。その絆が死に向かうなら、我々は奮気一番して死ねるのだ。木村拓哉の名演が光る作品です。最後に反目していた隊長との本当の和解がある。隊長が「俺は間違っているか」と問い、木村が「はい間違っています、俺たちみんな」と言って笑うところは特攻の本質を語っています。是非を論ぜず一緒に行こうじゃないかということが真の人間の絆なのです。出撃のときのみんなの心を一つにした楽しそうな姿は忘れられません。    

    キャスト・アウェイ CAST AWAY

    (2000年、米) 144分/カラー

    監督:
    ロバート・ゼメキス/音楽:アラン・シルベストリ
    出演:
    トム・ハンクス(チャック・ノーランド)、ヘレン・ハント(ケリー)、ニック・サ―シー(スタン)
    内容:
    飛行機事故に遭遇し、絶海の孤島に漂着したエンジニアが四年間の無人島生活を生き延び、再び文明社会に戻るまでを描いた作品。
    草舟私見
    トム・ハンクスの名演によってすばらしい名画となっている作品であると感じる。現代社会を生き抜く力と、孤島で独力で生き抜く力とを対比させて人生を生きるということを非常に深く考えさせられる映画である。生きるとは現代社会であると孤島であるとを問わず、やはり愛情と友情と希望とがその力を与えているのだとよくわかる。人間が生き抜くには環境などは関係ないのである。生き抜く人間は生き抜く。そして生き抜く人間は、いつどこで生きていても孤独ではない。孤独であっても孤独ではないのだ。この映画の本当にすばらしいところは、「生きる力」というものが「環境」など関係ないのだとわからせてくれることだ。人間社会にとって無駄な物などは何もないのだとわかる。無駄とは人間が勝手に創り出している概念なのだ。現代文明にも無駄な物など無いのだとわかり、私は未来に真の夢を持つことができる。無駄にする「心」を人間が改めれば良いのだ。バレーボールの「ウィルソン」との真の友情を私は生涯忘れられない。この友情には心底涙が流れる。最高だ。また現代社会を生き抜く力のある者が、孤島でも生きる力があるのだと知ることは重大なことだ。

    キャプテンハーロック

    (2013年、キャプテンハーロック製作委員会) 115分/カラー

    監督:
    荒牧伸志/原作総設定:松本零士/音楽:高橋哲也
    出演(声):
    小栗旬(キャプテンハーロック)、三浦春馬(ヤマ)、蒼井優(ミーメ)、古田新太(ヤッタラン)、沢城みゆき(ケイ)、森川智之(イソラ)、大塚周夫(総官)
    内容:
    人類は地球から旅立ち、太陽系を超え遥か彼方の銀河にまで進出したが、人類のエネルギーが薄れ、ある時一斉に故郷の地球へと向かい始める。宇宙の深淵に立ち向かい続けるキャプテンハーロックを主人公としたSFアニメ。
    草舟私見
    我々の未来は、終わったところから出発した人間によって導かれていくのだ。かつて日本の実存主義文学を牽引した作家・安部公房は語った。「終った所から始めた旅に、終りはない。墓の中の誕生のことを語らねばならぬ。なにゆえに人間は
    かく
    在らねばならぬのか…」と。私は、このテーゼを考え続けて生きてきた。我々人類は、すでに自己が一度滅んでいることを自覚しなければならないのだ。そうしなければ、我々の未来はない。我々は、悪人なのだ。そして、我々に未来の時間を与えてくれるものは「愛」を措いて他にはない。その愛は、また人間の「勇気」によってだけ支えられていると言えるのではないか。「海賊」キャプテンハーロックの勇気が、人類の存続を支えている。それがわかると、このSFアニメーションは、ぐっと我々の日常に迫ってくる。「悪」が「愛」を支えている。それを忘れたとき、人類はむさぼりのみに生き、そして滅びる。主人公「ヤマ」は、人類最初の人間に再びなるであろう。そして、最初の死者になるのだ。永遠に迫る作品である。

    キャラバン HIMARAYA

    (1999年、仏=ネパール=英=スイス) 108分/カラー

    監督:
    エリック・ヴァリ/音楽:ブリュノ・クーレ
    出演:
    ティレン・ロンドゥップ(ティンレ)、カルマ・ワンギャル(パサン)、グルゴン・キャップ(カルマ)、カルマ・テンジン・ニマ・ラマ(ノルプ)
    内容:
    超然たるヒマラヤ山脈を越え、ヤクを従え塩を運ぶキャラバン隊の歴史の中で、後に伝説的な長老となる人物の少年の日の物語を描く。
    草舟私見
    指導者とは何であるのか、指導者の資質とは、人間性とは、能力とはという事柄を問い続ける名画であると感じる。真の指導者は歴史的には人間が生きるために必要とされてきた。生きるとは肉体的および精神的の両面を意味する。現今の日本ではこのような「根源的な問い」が、よくわけのわからぬ豊かさのために等閑にされていると私は感じている。その点このチベット映画は、今だ生きることに真剣な環境を持つ国の映画だけあって、根源的問いが非常に鮮明に描かれているのである。私が忘れ得ぬ言葉がこの作品にはある。長老ティンレが「長老(指導者)は命令を下さなければならぬ。その命令は神の命令でなければならぬ」というものだ。神の命令とは無私でなければ下せぬ命令である。涙なのである。また 「私は神託に従って命令してきた。 しかし私は神託に反抗してやってきたのだ」というものがある。これも涙なのである。伝統と革新。それが人の生命の哲理なのだ。ティンレが最後に嫌っているカルマに長老を譲るのが指導者の宿命なのである。そして革新者カルマは必ず、頑固で伝統的で石頭のティンレへと成長していくのである。この二人は同一人物なのである。

    ギャング・オブ・ニューヨーク Gangs of New York

    (2002年、米=伊)/167分/カラー

    監督:
    マーティン・スコセッシ/音楽:ハワード・ショア、エルマー・バーンスタイン
    出演:
    レオナルド・ディカプリオ(アムステルダム)、ダニエル・デイ=ルイス(ビル・ザ・ブッチャー)、キャメロン・ディアス(ジェニー)、リーアム・ニーソン(ヴァロン神父)、ジム・ブロードベント(ボス)、ヘンリー・トーマス(ジョニー・シロッコ)
    内容:
    19世紀のアメリカ・ニューヨーク。父親を殺されたアイルランド移民の青年と、地元のギャングとの抗争を描いた映画。
    草舟私見
    生命というものの本質を抉る名画と感じている。生命とは、生物のものだけではない。それは我々の星にもあり、またあらゆる物質のど真ん中に居据わるひとつの実存である。文明も生命が創っているのだ。その中には生命の実在が貫通している。国家にも生命があり、また一つひとつの街や農村にも生命が浸潤していると言っていいだろう。そのことを、この映画は我々の心に刻印する力を持っている。場所は、誰もが知るあのニューヨークだ。それも十九世紀初期から中期にかけての荒れ狂う実存の街としてのそれだ。現代に通じる世界最大の都市の一つは、生命の雄叫びと血の祝祭によって生きて来たのである。その本当の姿がこの作品から伝わって来る。ニューヨークを支える生命的霊魂が何であるのかを知ることが出来るだろう。なぜ、ニューヨークは偉大な都市となったのか。それが、この作品の思想なのだ。汚濁が、偉大なものを創り上げた。涙が尊厳を支えて来たと言えるだろう。パリとロンドンがそうであるように、ニューヨークもまた人間の悲痛が築き上げて来た。

    キューバ・フェリス CUBA FELIZ

    (2000年、キューバ=仏) 97分/カラー

    監督:
    カリム・ドリディ/音楽:ミシェル・ブレセ/ドキュメンタリー
    出演:
    エル・ガジョ、サイダ・レイテ、ペピン・バイヤン、アルベルト・パブロ、マルタ・ゴンザレス、ロス・クバーノス・フビラードス、アルマンド・マチャード、アレハンドロ・アルメナレス、ヒルベルト・メンデス、ホアン、カンブロン
    内容:
    ギター一本だけを腕に生きて来たキューバのミュージシャン、ガジョを通じてキューバ音楽を愛する人々の姿を描いたドキュメンタリー調のロードムービー。
    草舟私見
    主人公の通称ガジョと呼ばれる、キューバ音楽以外は何も無いというおじさんが何とも言えなくカッコ良くて魅力的ですね。私はこの人には凄い親近感を覚えますよ。私も宿命が違えば、このおじさんのようになりたかったですね。この人には音楽以外何も無いんですね。しかしこの人は人生の全ての宝物を持っていると私は思います。私はね、何かの因縁でこの人の息子にでも生まれていたら、多分キューバ音楽の巨匠になっていたでしょうね。我が身内であり我が友ですよ、ガジョは。映画で観るキューバは実に貧しいです。しかし人々の心の中に生活の中に、本当に深く音楽が浸透しています。私はね、キューバというのは本当に豊かな国なのだと感じました。子供も若者も老人もみんなが伝統的な音楽を楽しんでいます。楽しむというよりも生活そのものと言っても過言ではないのでしょうか。全ての年齢の人々と男性も女性も音楽を通して理解し合える環境があります。伝統を共にしなければ老若男女が真に理解し合えることは無いのです。個人差を通り越して、その中心に伝統が入るとき、人々はその心をわかり合えるのです。全編これ音楽と人生の英知に溢れ、心の奥深くに沁み込んで忘れることのできぬ作品となっています。

    狂熱の孤独 LES ORGUEILLEUX

    (1953年、仏=メキシコ) 99分/白黒

    監督:
    イヴ・アレグレ/原作:ジャン=ポール・サルトル/音楽:ポール・ミスラキ/受賞:ヴェネチア映画祭 優秀作品賞
    出演:
    ジェラール・フィリップ(ジョルジュ)、ミシェル・モルガン(ネリィ)、ヴィクトル・マヌエル・メンドーサ(ドン・ロドリゴ)
    内容:
    サルトルの『チフス』を原作とした映画。メキシコ漁村で以前医者をしていたジョルジュは、妻の出産の処置を誤り死なせてしまってからは無為な日々を送る。その後、人生の変転によって主人公は生の意味を探っていく。
    草舟私見
    「存在の苦悩」と「生の哀愁」を深く感じる名画である。自己が存在する「不快」は、不快そのものの中においてのみ解決することができる。そのような人間の実存にかかわる、悲しみと言うか、存在することの不快が画面からにじみ寄ってくる。初めて本作品を観たとき、私はアルベール・カミュの『異邦人』を思い出した。何か通底するものが存在するのだろう。原作者を見たとき、J・P・サルトルだと知って、やけに納得するものがあった。往年のカミュ-サルトル論争を知るものにとって、本作品は尽きせぬ興味が湧く。生存の悲しみ、つまり存在の不快を描くサルトルの舌鋒が響く。やはり、サルトルはカミュと相容れることはないのだ。ジェラール・フィリップとミシェル・モルガンの名演が目に焼き付いて離れない。二人は実に悲しい人間である。だからこそ、生き切ったのであろう。G・フィリップは、A・カミュの演劇を知悉し尽くしていた名優である。そのことが多分、カミュと対極にあるサルトルの真髄を描く手助けになっていたのではないか。それほどの名演と言えるのだ。

    恐怖の報酬 LE SALAIRE DE LA PEUR

    (1952年、仏) 147分/白黒

    監督:
    アンリ・ジョルジュ・クルーゾー/原作:ジョルジュ・アルノー/音楽:ジョルジュ・オーリック/受賞:カンヌ映画祭 グランプリ・男優演技賞
    出演:
    イヴ・モンタン(マリオ)、シャルル・バネル(ジョー)、フォルコ・ルッリ(ルイジ)、ペーター・ファン・ダイク(ビンバ)
    内容:
    油田で発生した大火災の消火のため、賞金目当てで雇われた四人の男たちが危険なニトログリセリンの運搬に挑み、難関を突破していく物語。
    草舟私見
    手に汗を握る演出力を感じる名作であり、私の大好きなイヴ・モンタンが主演をしているという作品である。モンタン扮するマリオが仲間と共に油田火災を消すためにニトロを運搬するその危険と、その前後の彼らの姿がテーマである。これは一つの仕事観を見ることが重要である。マリオはぐうたらな生活をしていたが懸賞金ほしさに危険に挑む。なぜマリオだけが目的を達成したか。それは他の人が金だけのためにやっていたが、マリオだけは途中で使命感、義務感に心が変わったからである。それによって知恵と勇気が生まれたのである。しかし所詮はぐうたら人間の悲しさで、使命達成とともにまた軽薄人間に戻ってしまう。その軽薄さにより最後の結末となるのである。仕事とは普段の地道な積み上げが無ければいかに頑張っても駄目なのだと尽々とわかる映画である。

    巨人と青年 (別題「サイレント・タッチ」) THE SILENT TOUCH

    (1992年、英=ポーランド=デンマーク) 97分/カラー

    監督:
    クシシュトフ・ザヌーシ/音楽:ヴォチェク・キーラク
    出演:
    マックス・フォン・シドー(ヘンリー・ケスティ)、ロテール・ブリュトー(ステファン)
    内容:
    四十年間沈黙を守り続ける天才作曲家と、夢で聞いた美しい旋律の続きを作曲できるのはその老作曲家しかいないと信じた青年の交流を描いた作品。
    草舟私見
    人間が真に活動をするとき、そこには多くの犠牲が付き纏う。その犠牲を乗り越えて人を動かすものは、人間同士の真心の交流と使命だけである。そして使命は個人中に存在するものではない。このような人間活動の本質を見事に描き切った名画であると感じる。巨人ヘンリーは戦争中のユダヤ人大量虐殺に遭い、すっかり気力を失っていた。また若き日に築き上げられた名声を維持したいがために、新たなる活動ができない状態でいたのである。人間が活動すれば多くの犠牲が生まれ、燃えれば燃え尽きることに対する恐怖がある。青年がその状態を打破させる。青年を動かすものは音楽に対する使命である。使命は天からくるものであるから、青年には本人にわからない霊力がその行動と肉体に宿らされているのである。人間の真の活動の源泉は個人の力を越えたところにあるのである。真の使命を果たし、抜殻になることが生き切るということなのである。犠牲を恐れてそれこそ人生そのものを犠牲にするか、犠牲に立ち向かって使命を果たし燃え尽きるか。いずれにしても人生とは自らの生を犠牲にすることなのだ。

    霧の中の風景 TOPIO STIN OMICHLI

    (1988年、ギリシャ=仏) 125分/カラー

    監督:
    テオ・アンゲロプロス/音楽:エレニ・カラインドロウ/受賞:ヴェネチア映画祭 銀獅子賞
    出演:
    ミカリス・ゼーケ(アレクサンドロス)、タニア・パライオログウ(ヴーラ)、ストラトス・ジョルジュグロウ(オレステス)
    内容:
    まだ見ぬ父を探してギリシャからドイツを旅する幼い姉弟の姿を、幻想的に、痛切なまでに美しく描いた作品。
    草舟私見
    心に響く切ない音楽と共に、人生とは何かを考えさせられる深い情緒を湛えた作品である。アンゲロプロスが経済発展によって人生の夢や真の幸福というものを失いつつある祖国ギリシャの現状に、痛切に心を痛めて製作した映画であると推察する。希望の木つまり聖書にいう命の木を求めるだけの、切ない旅路に出る二人の子供の行動と目を通して現実が写し出される。現実の世は大きく変化しているように見えるがそれは工業化の分野だけである。人の夢や希望を表わす人間の原初的な行動は、その映像において時間が止まっているのである。人は生きる指針を失っており自然を見る時間を失っているのだ。映画の中では雪に喜ぶ人々は静止し海からは目的を指し示す人さし指が、工業化によってもがれた形の遺跡(人の夢や希望)が現代の技術(ヘリコプター)によって運び去られる。本当に生きているのは逆説的であるが、嘘とわかっている父を求めてのドイツへの旅をしている二人の子供だけなのではないか。親子の情という最も人間にとって大切なものすら、現実が容赦なく打ち砕く。死ぬことによって初めて命の木にたどり着くことのできた二人に対して、永遠に涙を禁じ得ない。

    鬼龍院花子の生涯

    (1982年、東映=俳優座映画放送) 146分/カラー

    監督:
    五社英雄/原作:宮尾登美子/音楽:菅野光亮 
    出演:
    仲代達矢(鬼龍院政五郎)、夏目雅子(鬼龍院松恵)、岩下志麻(鬼龍院歌)、丹波哲郎(須田御前)、高杉かほり(鬼龍院花子)
    内容:
    南国土佐を舞台に大正から昭和の初めを生き抜いた侠客一家の人間模様を描いた作品。侠客、鬼龍院政五郎に養女としてもらわれた松恵を夏目雅子が演じる。
    草舟私見
    仲代達矢扮する鬼政こと鬼龍院政五郎の破天荒の人生の生き様が何と言っても痛快ですね。ここに登場する人物たちの正直さ明朗さが見えてくると、真の人間とは何なのかを強く感じさせられる。現代から見れば悪徳と思われる行動が多いが、まっすぐで正直で燃え尽きていく人間たちの魅力が活写されている。何しろ鬼政は悪い男だが面白くて明るいですね。力一杯生きている男の魅力ですね。人間を深く愛していることがよくわかる。理屈などはどうでもよく、生きることに全精力をそそぎ込んでいる。人生そのものが正直なのです。正直になれば人は戦わなければならないのだ。男の戦い、女の戦いが心を打つ名作です。 

    金閣寺

    (1976年、ATG) 109分/カラー

    監督:
    高林陽一/原作:三島由紀夫
    出演:
    篠田三郎(溝口)、柴俊夫(鶴川)、横光勝彦(柏木)、寺島雄作(溝口の父)、市原悦子(溝口の母)、内田朝雄(老師)、加賀まりこ(生花師匠)、テレサ野田(まり子)
    内容:
    三島由紀夫の小説を映画化。青年溝口は、子供の頃から金閣寺に対して憧れを抱いていたが、その想いが段々と歪んでいき、ついに金閣寺へ火を放つにいたる。
    草舟私見
    『金閣寺』は、作家三島由紀夫が、芸術家としてのその人生の帰結に向かって立ち上がった、初めての小説と私は感じている。本作品はその映画化に見事に成功している名画である。後年の映画化された「春の雪」と比せられるべきものであろう。三島は金閣寺によって、その芸術を他から屹立させた。この文学以後、三島はまさに天才の名をほしいままにした。それはなぜか。多分、この世のすべての悲しみを、おのが一身に背負う覚悟を決めたからであろう。そうであるに違いない。この世の不条理を抱きしめ、汚れの中にもなおひと筋の美しさを見出そうとしたのだろう。その出発が金閣寺のように感ぜられる。汚れきったこの世の中で、その腐臭を放つ真只中で、なおも一片の赤誠を求める男の悲しみが見える。三島の悲しみが金閣寺を文学となし、そしてそれが映像の中に躍動する。その文学を読んで、三島ほど真摯な男を私は知らない。金閣寺の主人公を誰が責めることができようか。もしできるとすれば、それは民主主義と呼ばれる思想に毒されて生きる、現代の自称善人だけであろう。三島が、戦後を生きるおのれの苦悩を振り分けた登場人物たちを、よく見るのだ。つまり、その悲しみを見つめるのである。そこには、永遠に繋がる美が見出されるであろう。

    銀河鉄道999

    (1979年、東映) 128分/カラー

    監督:
    りんたろう/原作:松本零士/音楽:青木望
    出演(声):
    池田昌子(メーテル)、野沢雅子(星野鉄郎)、肝付兼太(車掌)、麻上洋子(クレア)、井上真樹夫(ハーロック)、田島令子(エメラルダス)、来宮良子(プロメシューム)
    内容:
    松本零士原作のアニメ。遙かな未来、人類が銀河の隅々まで進出し異星人と交流するようになる。アンドロメダ星雲にまで旅するために、主人公鉄郎は銀河鉄道999に乗車する。
    草舟私見
    古いものが、新しいものを凌駕するのだ。古代の精神が、革命を遂行する。新しい世界は、古いものを必要とする。我々が目指す未来は、我々の古い文明の中にある。それはまた、我々の古い精神の中にある。そして、古い生き方の中に存すると言えるのではないか。新しいものは、古いものを愛することから生まれてくる。新しさだけを求める者は、最も大切なものを失うことになるだろう。情感が、科学文明を支配しなければならない。愛が、未来を築き上げるのである。信義が、未来の脳髄を支配するだろう。新しい脳とは、古代の野蛮なる脳のことに他ならない。新しい生き方とは、我々がこの宇宙に生まれたときの生き方に相違ない。勇気だけが、このようなことを実現する力を持っている。未来に向かうすべてのことは、人類に与えられた勇気だけがそれを断行することができるのである。我々の宇宙の星々は、本当に鉄道で結ばれているのだ。人間の情愛を表わす、古い蒸気機関車の中に、人類の発祥の秘密がすべてある。鉄路の行手に、我々の本当の未来がある。それを見出す者は、勇気という代償を払わなければならない。

    金環蝕

    (1975年、大映) 155分/カラー

    監督:
    山本薩夫/原作:石川達三/音楽:佐藤勝 
    出演:
    宇野重吉(石原参吉)、仲代達矢(星野内閣官房長官)、三國連太郎(神谷直吉)、西村晃(竹田建設専務浅倉)、高橋悦史(新聞記者古垣)
    内容:
    戦後の混乱で財を成した金貸しの男を中心に、福竜川ダム建設工事をめぐる政財界の黒い霧と、総裁の座を争い血みどろの戦いを演じる政治家たちを描いた作品。
    草舟私見
    民主主義国家の政治の裏側を描いた作品では、第一等の名作であると感じている。こういう題材を扱うと普通は暗い感じになってくるものであるが、本作品は何と言っても内容が充実しており観ていて面白い映画に仕上がっている。民主国家の政治の運営は別に日本だけには限らず、どこの国でも似たようなものである。そしてどうして似るのかを知る必要があると感じている。それは民主主義というものが綺麗事で運営されるからである。現実を誤魔化すからその結果、必ず腐敗するのである。現実の責任と悪を背負う人間を創り出さない社会だからである。現実の責任のゆえに必要なものを必要だと言える人間がいれば、腐敗は起きないのである。作品中では私は石原参吉が魅力を感じます。悪者であることを本人が自覚しています。本音の社会を生きてきた男であると思います。戦いを戦い抜きますから負けても別に平気ですね。自分の人生を生きているからなのです。対極にいる星野(仲代)も私は好きです。嫌味な人間ですが、私は最後の死ぬ間際に総理に言う言葉でこの人のことは好きになれます。石原・星野の両者が真に生きており、他は真の生き方をしていないと感じています。        

    キングダム・オブ・ヘブン KINGDOM OF HEAVEN

    (2005年、米=スペイン=英=独) 145分/カラー

    監督:
    リドリー・スコット/音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
    出演:
    オーランド・ブルーム(バリアン・オブ・イベリン)、リーアム・ニーソン(ゴッドフリー・オブ・イベリン)、エドワード・ノートン(ボードワン四世)、ハッサン・マスード(サラディン)、エヴァ・グリーン(シビラ)、マートン・ソーカス(ギー)
    内容:
    十二世紀の西洋を舞台にキリスト教の聖地エルサレムを守ろうとする十字軍と、同じくイスラム教にとっても聖地であるエルサレム奪還を図るサラセン軍との戦いを、青年騎士を中心に描く。
    草舟私見
    十字軍というものは、ヨーロッパとその不肖の鬼子であるアメリカの文明の本質を表わす重大な歴史的事実なのである。換言すれば、中世の数百年間におよぶ十字軍の活動が、近代西洋文明を築き上げる土台になったと言っても過言ではないのだ。そういう重大な歴史現象であるにもかかわらず、それを表現した文学や映画は非常に少ないのである。本作品はそういう意味で非常に重要な作品であると私は感じるのである。十字軍の活動というものは実は、現代でも種々に形を変えて行なわれているのである。それが最も「正直」な形で出現しているのが、まだ朴訥であった中世のヨーロッパ史なのである。本作品は信仰のすばらしさと激しさ、またその恐るべき歴史的力とその反面にある欲望の貪欲さと陰湿さとをよく表現している。十字軍の日常を活写することで、善と悪を揺れ動く西欧型動的人間というものの本質をうまく表現しているのである。善というものを激しく求める者はまた巨大な悪を育て上げていくのである。ただ一つ言えることは、西欧の文明とは実に高貴と野蛮とが交錯する恐るべき文明であり、またそこに魅力があるのであろうということである。      

    禁じられた遊び JEUX INTERDITS

    (1951年、仏) 82分/白黒

    監督:
    ルネ・クレマン/音楽:ナルシソ・イエペス/受賞:ヴェネチア映画祭 グランプリ、アカデミー賞 外国語映画賞
    出演:
    ブリジット・フォセイ(ポーレット)、ジョルジュ・プージュリ(ミシェル)
    内容:
    第二次世界大戦中、大人の都合で引き離される子供たちの姿とその純粋な心を描く名作。1940年、戦火を逃れ、パリから避難の途中で主人公の少女ポーレットは両親を空襲で亡くす。
    草舟私見
    ナルシソ・イエペスのギターの音と共にいつまでも心に残る名画である。フランスの自然が、その映像と共に私たちを温かい世界へ誘う。主演のポーレットとミシェルは、本当に純真で子供らしくて忘れかけている郷愁というものを喚起させてくれます。本作品は大人の世界と子供の世界の対比により、我々に人間のあり方というものを提示していると感じている。何よりも私が感じることは、子供が子供の世界を持ち、その中で力一杯生きることの重要さです。力一杯生きる事柄が大人の世界の倫理と抵触し、そこに哀しみが生じる。その哀しみが子供の魂を創り上げ成長させ、真の愛情や友情や信義のわかる大人を創り上げるのだということです。それには子供には子供の世界があり、大人には大人の世界があることが重要なのです。大人が意地悪だろうがまたなかろうが、巌として大人の世界を持つ限り、子供は子供の世界を打ち壊され、哀しみ、そして成長するのです。子供の夢や希望がそのまま認められては子供は大人にはなれないのです。ミシェルとポートレットはかわいそうに見えるが、きっと立派な大人になると感じます。

    禁じられた関係 (別題「フィオリーレ/花月の伝説」) FIORILE

    (1993年、伊=仏=独) 118分/カラー

    監督:
    パオロ・タヴィアーニ、ヴィットリオ・タヴィアーニ/音楽:ニコラ・ピオヴァーニ
    出演:
    ガラテア・ランツィ(エリザベッタ、エリーザ、キアラ)、ミシェル・ヴァルタン(ジャン、マッシモ)、クラウディオ・ビガーリ(コンラッド) 
    内容:
    イタリア・トスカーナ地方の一族の二百年に亘る歴史の中で伝えられた伝説を描いた作品。ベネデッティ家の黒い歴史が巡り巡って第二次世界大戦まで続いていく。
    草舟私見
    私はこの作品に、一つの家系というものの持つ意味と本質を感じている。そのような意味において、題材が飛躍し過ぎている嫌いはあるが秀れた作品であると思っているのである。私は人間にとって家柄は、その個性を生む一番重要なものの一つであると感じている。もちろん貴賤を言っているのではない。自分の存在の根源を知ることの大切さを言っているのである。そして家系について考えるとき、家系を見て見ぬ振りをする人間の多くが、悪いこと、嫌なことを知りたくないという心情が働いていることに気づいた時期がある。誰でも多くの人の長い歴史から生まれたのだから、先祖には悪い人間もひどい人間もいたに決まっているのである。悪いことでも子孫に伝えていくことの重要さを私は痛感している。その心があって初めて、家系というものは子孫に伝わるものではないのか。カッコをつけるから過去を封じ家系が絶えるのである。本作品は嫌な伝説であるが、それを恐れずに伝え、現に200年後の子孫がその歴史を知っているではないか。子孫を伝説で苦しめることも家の財産の一つなのである。個性の一つなのである。そう強く感じた作品である。
  • クイルズ QUILLS

    (2000年、米=独=英) 124分/カラー

    監督:
    フィリップ・カウフマン/音楽:スティーヴン・ウォーベック
    出演:
    ジェフリー・ラッシュ(マルキ・ド・サド)、ケイト・ウィンスレット(マドレーヌ)、ホアキン・フェニックス(クルミエ神父)、マイケル・ケイン(コラール博士)、ビリー・ホワイトロー(ルセール夫人)、アメリア・ワーナー(シモーヌ)、ロン・クック(ナポレオン)
    内容:
    ナポレオン統治下のフランス。猥褻な文書の作者として、マルキ・ド・サド侯爵は投獄された。その後、精神病院に移送されても、文章を書き続ける不屈の魂を描いた。
    草舟私見
    あのサド侯爵の物語である。マルキ・ド・サドは、倒錯した性を描き、人間のもつ悪徳を助長したと言われてきた。しかし、果たして本当にそうなのだろうか。私は長年にわたって、そのことに疑問を持ち続けてきたのだ。三島由紀夫もサドのもつ生命の中に、人間の生命の原点を見出していたと思っている。サドは、革命に向かうフランスに生きた人物であった。現代から見て、我々を破滅に導く人類史が、あのフランス革命に端を発していることは誰もが認めるところであろう。その時代に強度の「変質者」として罰せられた「貴族」であったのだ。その性倒錯そして猥褻を人間の原点と見据えたとき、サドの生命は、新たな人間史の一頁を我々に与えてくれる。サドは人間であった。罪深くあろうとも、人間そのものであった。人間が神になり替わろうとした革命の時代にあって、サドは人間の現実を貫いた。私はサドの中に、破滅する人類に対抗する一つの「原始性」を見出しているのだ。つまり、生命だ。この映画は、そのサドの生命の戦いが縦横に描かれている。近代に向かう堕落し切った人間との対比に、私は泣いた。

    空海

    (1984年、東映=全真言宗青年連盟映画製作本部) 169分/カラー

    監督:
    佐藤純彌/音楽:ツトム・ヤマシタ/受賞:文部省選定 
    出演:
    北大路欣也(空海)、森繫久彌(阿刀大足)、加藤剛(最澄)、丹波哲郎(桓武天皇)、中村嘉葎雄(平城天皇)、西郷輝彦(嵯峨天皇)、小川真由美(藤原薬子)
    内容:
    宗教界の大偉人、弘法大師空海の波瀾に富んだ生涯を壮大なスケールで描いた作品。平安遷都の794年、空海は勉学のために都へ上り、類まれな秀才ぶりを発揮するが、修業の旅へ出てしまう。
    草舟私見
    本当に空海という人はいい人ですよね。そのいい人がまた歴史上最も偉大な人なのですから、何だか嬉しく なってしまいますよ。空海のことを思うと尽々と私は日本人に生まれてきた幸福を感じるんですよ。千二百年以上も昔にこのような偉大な人格と、偉大な知性と、偉大な勇気を持つ世界的な人物を持つ国は本当にすばらしい国だと思います。この当時の唐の長安は世界の文明と文化の真の中心であり、唐そのものが今では想像のできぬ程の大国であり、現在においてそれに匹敵する国も都市もありません。その長安において、最も秀れた人物として評価されたわけですから信じられないことです。空海はその隔絶性ゆえに奇跡と呼ばれますが、私はそうは思いません。日本は極東の島国ですから世界史の中心に躍り出たことはありませんが、空海を生み出す土壌として、道徳や知力や勇気においてすでに世界的な人物たちが人材の層として名は知れずとも沢山存在していたのだと思います。その事実が真に凄いんですよ。空海はもちろん頂点を極めた人だと思いますが、頂点は広い裾野からしか生まれることはないのだ、ということが真実であると思います。そういう歴史的事実が、やはり私は日本人として誇りに思うし嬉しいのです。          

    空軍大戦略 BATTLE OF BRITAIN

    (1969年、英) 127分/カラー

    監督:
    ガイ・ハミルトン/音楽:ロン・グッドウィン
    出演:
    ローレンス・オリヴィエ(ヒュー・ダウディング卿)、マイケル・ケイン(キャンフィールド)、クリストファー・プラマー(ハーベイ)、ロバート・ショウ(スキッパー)
    内容:
    第二次世界大戦下、1940年のイギリス空軍とドイツ空軍の戦いの物語であり、全篇の三分の二が空中戦シーンという戦争航空映画の巨編。イギリス映画界の豪華スターが競演。
    草舟私見
    かの有名な奇跡の勝利、つまり英国の空の戦いであるバトル・オブ・ブリテンを描いた名画である。欧州制覇を果たしたナチス・ドイツが英本土進攻のため大挙して圧倒的優勢の空軍をもって英国を攻撃したとき、総計約千八百人の英軍パイロットがその果敢な戦いによってドイツ空軍をたたき、その意図を砕いた英雄的な空の戦いである。この勝利によって英国は救われ、それが延ては連合軍の最後の勝利を導いた戦いである。近代戦において、かくも、少数の人間が一国の意図を砕いたことは皆無であろう。真実の歴史を見ることは人生に夢を与えられる。勇気を与えられる。人間の意志の尊厳を真に感ぜられる映画である。ドイツ空軍もすばらしい。英国空軍もすばらしい。戦う男たちの姿は実に美しい。劣勢は謙虚さを生み、謙虚さは勝利を生むのだという真実が成功を生み出している。

    草燃える(総編集)〔大河ドラマ〕

    (1979年、NHK) 合計400分/カラー

    監督:
    大原誠、江口浩之、伊与田静弘、東海林通/原作:永井路子/音楽:湯浅譲二 
    出演:
    石坂浩二(源頼朝)、岩下志麻(北条政子)、松平健(北条義時)、金田龍之介(北条時政)、滝田栄(伊東祐之)、郷ひろみ(源頼家)、篠田三郎(源実朝)、松坂慶子(茜・小夜菊)、国広富之(源義経)、尾上松緑(後鳥羽上皇)、尾上辰之助(後白河上皇)
    内容:
    永井路子の原作を映画化、平家一族の衰退から始まり、北条一族を後盾とした源頼朝が鎌倉幕府を打ち立て、後に北条家が鎌倉の根幹として君臨するまでを壮大に描いた作品。
    草舟私見
    鎌倉幕府成立の前後は日本の歴史と文化を知る上では、この上なく重要な時期であると認識している。奈辺のことがよく描かれている秀作と感じている。頼朝以前は日本には縄文時代を別として真の日本人の土着文化は表舞台には立っていないのである。全国に割拠していた武士団こそが日本独自の土着勢力の擡頭なのだ。頼朝が起ったとき、日本はすでに数百年の歳月をかけて恩と義理を土台とする日本文化が深く根差していたのだ。その代表者たちが源平に分かれる武士団なのである。武士は農民の代表者なのである。源氏の頭領である頼朝が名目的にそれを纏め、平氏の流れをくむ北条氏がそれを確固たるものに築き上げたのだ。これは歴史的には運命の奇跡である。源氏の正系が続けば日本は大分裂したのだ。その歴史の運命が頼朝と政子の恋愛から始まり、政子の母としての生き方が結果として、日本全土の統合に繋がっていくところが実に面白く興味深い。        

    郡上一揆

    (2000年、「郡上一揆」製作委員会) 112分/カラー

    監督:
    神山征二郎/原作:こばやしひろし/音楽:和田薫
    出演:
    緒形直人(定次郎)、岩崎ひろみ(かよ)、河原崎健三(郡上藩主:金森頼錦)、加藤剛(助左衛門)、古田新太(喜四郎)、前田吟(平右衛門)、山本圭(喜右衛門)、永島敏行(孫兵衛)
    内容:
    江戸時代、四年に及んで戦い続けた郡上郡の一揆を描いた作品。逼迫された財政によって、年貢の徴収法を変えようとした藩主に対し、百姓たちが直訴という命懸けの行動に出ていく。
    草舟私見
    本作品を私は、深い歴史性を有する名画であると感じるのである。その歴史性とは我々日本民族が日本の歴史の中から培ってきた真の日本文化、つまり日本人にとっての愛情とは何か、友情とは何か、信仰とは何なのか、そして何よりも日本人が、その勇気を振い起こす根源とは何なのかということがよく表現されているということである。江戸中期、史上有名なる農民一揆を取り挙げることにより、本作品はその本質を描き出すことに成功しているのである。伝統に根差さぬ限り、人間は真の美徳をその人生で発揮することはできぬ。日本の伝統とは何か。それは武士道と農業、それに加え、一君万民思想が培った偉大な魂や業績を神として崇める事柄がそれである。従ってそれらの思想なくして日本人が真の人生を生きることはできぬのである。そしてこれらの美徳は「守る」ことによって生まれ出づるのである。自分以外の他者を真に守らなければならぬとき、歴史的伝統を有する民族は真の勇気と美徳が発動されるのである。

    クジョー CUJO

    (1984年、米) 93分/カラー

    監督:
    ルイス・ティーグ/原作:スティーヴン・キング/音楽:チャールズ・バーンスタイン
    出演:
    ディー・ウォーレス(ドナ)、ダニー・ピンタウロ(テッド)、ダニエル・ヒュー=ケリー(ヴィク)、クリストファー・ストーン(スティーヴ)、エド・ローター(ジョー)、カイウラニ・リー(チャリティ)、ビリー・ジャコビー(ブレット)
    内容:
    アメリカの片田舎、クジョーと呼ばれるセントバーナード犬がウサギを追っている途中で、蝙蝠に鼻を噛まれ、狂犬病になって次々と人を襲い噛み殺すホラー映画。
    草舟私見
    脳が、人類とその秩序を支えているのだ。その破壊と救済の道が、この映画を貫く主題である。主人公の一家は、「与えられたもの」に対する不平を抱えていた。その過程自体の中に、文明的病毒が忍び込んでくる。それは、垂直の思考を忘れ、水平の日常に浸り切ることによって生まれてきたに違いない。そして文明的病毒が、生命的病毒と遭遇することになる。生命の中枢たる脳が、ウイルスの支配するところとなった代表的な例が「狂犬病」である。病毒の親和力により、それらは引き付け合うことになるのだ。狂犬病の恐怖が次にこの映画を見る者を支配する。それは脳の病毒つまりひとつの「神罰」の恐ろしさを知るためのものとなるだろう。「神罰」の典型が狂犬病だ。我々の日常は、その変種とも言うべき病毒をいくつも抱えているのだ。それをわからなければならない。他者によって、脳を支配される恐ろしさを知らなければならない。その頂点にある病毒が狂犬病なのだ。主人公は、狂犬病と遭遇することにより、自己の中にある文明的病毒が癒されていく。非日常によって、真の日常が取り戻されたのだ。

    駆逐艦雪風

    (1964年、佐野芸術プロ) 92分/カラー

    監督:
    山田達雄/音楽:山本丈晴 
    出演:
    長門勇(木田勇太郎)、菅原文太(山川少佐)、勝呂誉(手嶋艦長)、岩下志麻(手嶋雪子)
    内容:
    太平洋戦争において奇跡の駆逐艦として知られる“雪風”とこの艦を愛し続けた男の物語。雪風の建造に携わった工員 木田勇太郎が主人公であり、その愛からいつしか雪風の大家と呼ばれる。
    草舟私見
    駆逐艦雪風はあの大戦争の始めから終わりまでを活躍し、戦後まで生き残った数少ない艦艇である。その雪風と、雪風に心底惚れ込んでしまった男の痛快な物語である。物に惚れるという男独特の心を表わす名画と感じる。惚れる男の魂と惚れられる軍艦の魂の映画である。雪風は真に生きているのである。それがわからないとこの作品はわからない。雪風は生きんと欲した数少ない軍艦なのだ。帝国海軍艦艇の中で最も数多くの激戦を戦い抜き、そして最後まで生き延びた。本当に生きるとは最もよく戦い、最もよく愛することなのであると尽々と感じる。人情家で人のよい主人公がこと雪風のこととなると突如怒りだし、喧嘩も辞さない態度が好感を持ちます。雪風にはこれ程愛される何かがあるのだ。その何かが雪風を真に生き生きと活かしめたものなのだと感じるのである。      

    雲霧仁左衛門

    (1978年、松竹=俳優座) 160分/カラー

    監督:
    五社英雄/原作:池波正太郎/音楽:菅野光亮 
    出演:
    仲代達矢(雲霧仁左衛門=辻伊織)、市川染五郎(安部式部)、長門裕之(木鼡の老五郎)、松本幸四郎(辻蔵之介)、夏八木勲(州走りの熊五郎)、岩下志麻(七化けの千代)、丹波哲郎(松屋吉兵衛)、あおい輝彦(因果小僧の六之助)、松坂慶子(しの)
    内容:
    江戸中期に、豪商ばかりを次々と狙った大盗賊 雲霧仁左衛門とそれを追う幕府の取締り機関との戦いを描く。雲霧は手口鮮やかに、次々と盗みに入り、莫大な金品を奪っていく。
    草舟私見
    許す者と許さぬ者の凄絶な生き様が対極を成していて、実に動的な名画であると感じている。「許す」というと何となく弱々しい印象があるものだが、この火盗改メ長官・安部式部(市川染五郎)は違いますわ。カッコ良い。強い、情がある、許すために己を捨てる、凄いことです。許すということがこういう強さを必要とし、凄く武士道的な行為なのだと悟らされましたね。許すことが役目上の間違いであると解っていて、許す男の生き方には心が打たれます。安部式部の生き方に比べると雲霧(仲代達矢)はダメですね。どんなことがあろうと、やっぱり許さぬ者は許す者よりも格が下ですね。それが物語全体から肌で感じる作品ですよ。雲霧の兄(先代・松本幸四郎)もカッコ良いですわ。このカッコ良さもよくよく考えて見ると、人生の最後で許せぬことを許しているからなのですね。弟の身代わりで死ねるという良い死に場所を与えられたことで、苦しみの人生だったものが生き甲斐のある人生であったという言葉の誠は忘れられません。死に甲斐のある死に様をして初めて人生は行き甲斐があるんですね。

    雲ながるる果てに

    (1953年、重宗プロ=新世紀映画) 100分/白黒

    監督:
    家城巳代治/音楽:芥川也寸志 
    出演:
    鶴田浩二(大滝中尉)、木村功(深見中尉)、加藤嘉(金子司令)、高原駿雄(松井中尉)、沼田曜一(笠原中尉)、岡田英次(倉石参謀)、山田五十鈴(深見の母)
    内容:
    終戦間近の特攻隊基地を舞台に、学徒航空兵たちの短い青春を描いた物語。同題の実際の学徒航空兵の手記を映画化。
    草舟私見
    この作品は特攻隊の映画では最初に観た映画であり、そういう意味で思い出の深いものである。四歳のときに祖母に連れて行ってもらいました。そして途轍もなく感動したことを覚えています。四歳ですからね、その感動は血の問題であると感じています。特に好きになったのはそりゃー何と言ったって鶴田浩二が扮する大滝中尉ですよね。鶴田浩二自身が、その当時の私の親父にそっくりの俳優ですから親近感がありました。その役柄の大滝中尉ね、もうこういう人は私は生まれたときから大好きですね。男ですよ。何もかも肚にしまってね。家族の顔を見たいだけが望みで、それも叶わず出撃する最後のシーンは心に焼き付いて離れません。家族がくるという電報をもらってからの、あの嬉しそうな姿は凄いですね。男ですよ。深見中尉のような人は私は子供の頃からあまり好きではありません。ただ最後は立派です。色々な型の人が出てきますがね、私はね、この映画から子供心に人間は最後が立派ならそれで良いのだ、というような確信を得ました。最後が重要なんです。だから人生は楽しいんですわ。       

    雲の墓標より 空ゆかば

    (1957年、松竹) 105分/白黒

    監督:
    堀内真直/原作:阿川弘之/音楽:池田正義 
    出演:
    田村高廣(吉野次郎)、田浦正巳(藤倉晶)、渡辺文雄(坂井哲夫)、笠智衆(吉野の父)、高峰秀子(坂井の姉)、岸恵子(深井蕗子)
    内容:
    太平洋戦争末期、学徒出陣によって戦地へ赴くこととなった三人の海軍予備学生たちの姿を描く。海軍へ入隊した後、三人の友情は育まれるが、ついに米軍機動部隊めがけて出撃する。
    草舟私見
    特攻として戦死していく三人の予備学生の友情が心に残り忘れ得ぬ秀作です。旧制の第四高等学校から京都 帝大へ行った学生の話ですが、この金沢の第四高校は私は親近感があります。小さい頃からまず寮歌(映画中二回出てくる)が凄く好きでした。そして私の最大の恩人である三崎船舶の平井社長が四校の出身でしたから。若い頃、鎌倉の稲村ケ崎の社長宅で、卓を囲んでこの寮歌を社長と一緒に良く歌いました。かかる理由で四校は私の血の一部なのです。また田村高廣と笠智衆の親子の愛情が深く印象に残ります。美しくて良い姿です。日本の最良のものを感じます。渡辺文雄と高峰秀子の家族愛も良いですね。デコちゃんこと高峰秀子の美しさは本作品でも光っています。「雲は我が墓標、落日よ碑銘を飾れ」という遺言は私の心に万感の思いを込めて残っています。    

    (1995年、東映=松プロ) 130分/カラー

    監督:
    降旗康男/原作:宮尾登美子/音楽:ささまさし、服部隆之/受賞:文部省選定 
    出演:
    松方弘樹(田乃内意造)、一色紗英(田乃内烈)、浅野ゆう子(佐野佐穂)、黒木瞳(田乃内賀穂)、加藤治子(田乃内むら)、夏川結衣(山中せき)、西島秀俊(蔵人・涼太)、蟹江敬三(杜氏・平山晋)
    内容:
    宮尾登美子原作の『藏』の映画化。雪国の旧家に生まれ、視力を失いながらも酒蔵の蔵元となって家を継ぐ少女とその家族の波瀾に満ちた変転を描いた作品。
    草舟私見
    日本の古い旧家のあり方がよく表わされている名画である。現代人が見失っている、家というものと立場とい うものについて考えさせられる作品である。家のあり方そして誇りを持てる真の仕事のあり方がこの映画にはある。昔の 「家」の愛は表面的でなく深い。娘・烈に懸ける祖母、父、叔母の愛の深さは今では見られない。ただ私自身このような 愛を懸けられて育った人間なので、本当に古い家族の愛の本質がわかるのだ。私も原因不明の病に幼くして冒され、両親に耐え難い苦しみを与えて育っただけに深く感じるものがある。本作では「女の穢れ」というものの本質も表わされている。穢れとは人の和を乱す感情的行動を言うのだ。女人禁制の場所が過去に多かった真の原因は女性が持つ感情面、特に「してはならんことを、してはならん場所でする」ことが原因なのだ。穢れとは肉体のことではないのだ。烈は純真ではあるが「蔵元として、してはならんことをした」という父の言葉は忘れられない。私は烈の愛は我であり、真の愛とは思わはない。真の愛は周りにあるのだ。そして烈の愛を受ける涼太の愛こそが真の愛なのだ。             

    グラディエーター GLADIATOR

    (2000年、米) 155分/カラー

    監督:
    リドリー・スコット/音楽:ハンス・ジマー、リサ・ジェラード
    出演:
    ラッセル・クロウ(アエリウス・マキシマス)、リチャード・ハリス(マルクス・アウレリウス)、ホアキン・フェニックス(コモドゥス)、オリヴァー・リード(プロキシモ)
    内容:
    ローマ帝国時代、卑劣な陰謀により妻子を殺され、将軍の地位も追われた男が、剣闘士に身を落として復讐を果たそうとする姿を描いた作品。
    草舟私見
    ローマ帝国最盛期の姿をよく表わしている作品である。最盛期とは裏を返せば衰退期であるのだ。ローマが何によって繁栄し、また何を喪って衰退していくのかがよくわかる。その分岐点に生き、旧き良きローマを体現した人物として主人公のマキシマスが存在するのだ。ローマを支え、その栄光を担ったのは歴史の示す通り独立自尊の気概に生きる自営農民である。主人公がそのローマの歴史の中核を成していた、独立自営農民の最後の生き残りなのである。独立自尊とは家族を愛し、先祖を慕い、歴史を信じ、国を敬う精神である。先祖が神であり、その神の後裔としての自己と家族を尊敬する者である。そして独立自尊の者は、役目が終われば名利を捨てさっさと田舎へ帰り畑を耕し家族との人生を楽しむ。その人生は献身と犠牲であり、先祖崇拝とその垂線下にある真実の家族愛。この愛が国家への本物の忠誠を生むのだ。国家や先祖と結び付かない家族愛は、利己主義的で腑抜けのマイホームを生むのだ。民主主義的思想が浸透しだしている爛熟期のローマにあって、旧きローマの魂を生き抜くマキシマスは真の我が友であると感じている。

    グラン・ブルー LE GRAND BLEU: VERSION LONGUE

    (1988年、仏) 168分/カラー

    監督:
    リュック・ベッソン/音楽:エリック・セラ
    出演:
    ジャン・マルク・バール(ジャック・マイヨール)、ジャン・レノ(エンゾ・モリナ―リ)、ロザンナ・アークェット(ジョアンナ・ベーカー)
    内容:
    フリーダイビングの第一人者ジャック・マイヨールの半生を描く。父を漁の事故で亡くしたジャックは、友人エンゾに誘われてフリーダイビングの世界に足を踏み入れていく。
    草舟私見
    実に映像の美しい心に残る秀作である。愛情とは何か、何事かに挑戦するとは何かを主人公のエンゾとジャックを中心として描く名画である。何と言ってもエンゾの生き様が心に響きます。自己の記録に執拗にこだわるように見えて、彼はそれだけではない。彼には愛情があります。記録そのものがエンゾにとっては愛の証なのです。心の底から家族を愛し、海を愛し、人生を愛しているのです。だから彼の行動には嫌味がない。彼の本質を創り上げているのは旧い土地柄と母親です。彼には根っ子があるのです。根っ子があるから本当に明るいのです。この母親のような旧い型の人は私は大好きです。このような人が人を育て文化を守っているのです。それとは対照的にジャックの方は根が無いから、挑戦の人生ではエンゾと同じだが暗いですね。物事にこだわることが即刻利己的になってしまうのです。米人女性ジョアンナの根無し草の我儘な人生は、見ているだけで不愉快であり論評の必要は無い。利己主義によるノイローゼの一つの見本でしょう。

    グリーンベレー THE GREEN BERETS

    (1968年、米) 133分/カラー

    監督:
    ジョン・ウェイン、ロイ・ケロッグ/原作:ロビン・ムーア/音楽:ミクロス・ロ―ザ
    出演:
    ジョン・ウェイン(カービー大佐)、ジム・ハットン(ピーターセン)、デヴィッド・ジャンセン(ベックワース)
    内容:
    ベトナム戦争初期における、アメリカの特殊部隊グリーンベレーの活躍を描いた戦争大作。ベトナムのゲリラに対する効果的な攻撃のために、軍部は各部隊から精鋭を集め前線へ投入していく。
    草舟私見
    世に批判の多いベトナム戦争に対するアメリカの介入について、その初期の真実の姿を知ってもらいたいというジョン・ウェインの強い願いによって作られた作品である。戦争末期にはすっかり忘れられてしまったが、実は共産主義に抵抗するベトナム人は膨大な人数で存在していたのだ。共産軍がその人たちの人権を踏みにじる過程が描かれている。共産化がいかにして進行するのかをよく理解できる作品である。やる男を演じるジョン・ウェインのカッコ良さと、やらないで批判ばかりする男を演じるデヴィッド・ジャンセンのカッコ悪さとの対比が面白いですね。しかし最後には批判家も少しはわかったようだからまあ良しとしましょう。

    グリーンマイル THE GREEN MILE

    (1999年、米) 188分/カラー

    監督:
    フランク・ダラボン/原作:スティーヴン・キング/音楽:トーマス・ニューマン
    出演:
    トム・ハンクス(ポール・エッジコム)、マイケル・クラーク・ダンカン(ジョン・コーフィ)、デヴィッド・モース(ブルータル)、ダグ・ハッチソン(パーシー)
    内容:
    1935年大恐慌時代。米南部のコールド・マウンテン刑務所では、死刑囚が人生最後に処刑室に向かう廊下はグリーンマイルと呼ばれていた。この刑務所で織りなされた不思議な物語を描いた作品。
    草舟私見
    涙なくしては観ることのできぬ名画である。生命の本質と愛の本質を問い、そしてこの世の悪の本質を問う作品と感じる。黒人ジョンは生(いのち)の奇蹟であり、このような尊さが生の本源なのである。キリストもかくあらんか。深い作品である。生きることの本質を問うことによって、真の「人助け」の奥深い意義を感じさせる。人助けとは己の身と生を犠牲にすることなのだ。そして真の人助けは己が悪人となってしまうぎりぎりのところでしか実行できないのだ。だから勇気がいることなのだ。ジョンの生き方と主人公の看守の生き方がそれを示す。人助けの本質を思うとき、人に言えること、人にほめられること、人に評価されることなどは全て嘘なのだ。そういうぎりぎりのところに人助けの真の姿があるのだ。これは現代の綺麗事の人助けの考え方を見直す作品なのである。それにしてもあのバカ者を絵に描いたような看守のパーシーという男、ふざけた野郎だ。こいつを見てぶっ殺してやりたいと心底思う人間が、正常な人間なのだと断言しておく。パーシーの最後のあのザマ。嬉しくて嬉しくて笑いが止まらない。そういう痛快で愉快な面もある名画なのだ。

    クリクリのいた夏 LES ENFANTS DU MARAIS

    (1999年、仏) 115分/カラー

    監督:
    ジャン・ベッケル/原作:ジョルジュ・モンフォレ/音楽:ピエール・バシュレ
    出演:
    ジャック・ガンブラン(ガリス)、ジャック・ヴィユレ(リトン)、アンドレ・デュソリエ(アメデ)、ミシェル・セロー(リシャール・ペペ)、エリック・カントナ(ジョー)
    内容:
    第一次世界大戦後のフランスの田舎、少女クリクリと懸命に生きていた大人たちとの触れ合い、友情を描いた懐かしく心温まる作品。
    草舟私見
    実に名画です。いい作品ですね。私はこういう人生にとって何が重要なのかということを、真に芸術的に捉えた映画というのは心底好きですよ。第一次大戦後のフランスの田舎が舞台です。登場人物たちが一人一人それぞれ生き生きしています。良き人も生き生き。悪しき人も生き生き。馬鹿も生き生き。間抜けも生き生き。脳足りんも生き生き。嫌な奴も生き生き。つまり真の人生と人間の絆の中で、大自然の恵みを受けて皆が独自の自分自身の人生を精一杯生きているんですね。私はこういう時代、こういう場所が好きでたまりませんよ。こういう人生に惚れて惚れて惚れ込んでいますね。日本もついこの間までこんな感じでしたよ。心が洗われて人生の本質がわかります。心に残りますね。この映画は。ボクサーのジョーね、面白い男ですね、この人は。最近見ないタイプです。無為徒食ではあるがアメデも良い。自分が役立たずであることを知っています。だから人物なのです。ペペも良い。真の実業家です。ガリスとリトンの友情は最高ですよ。これが本当の友情です。ガリスはヴェルダンで地獄を見たんですよ、きっと。だから人の優しさがわかるんです。リトンもよく己を知っています。リトンと機関士の友情も心に残ります。そしてピエロとクリクリが良い人生を送ったということが、私の心に深い満足感を与えてくれたのです。

    グレン・グールドをめぐる32章 THIRTY TWO SHORT FILMS ABOUT GLENN GOULD

    (1993年、カナダ) 94分/カラー

    監督:
    フランソワ・ジラール/ドキュメンタリー
    出演:
    コーム・フィオール(グレン・グールド)
    内容:
    カナダ出身で、バッハの楽曲のピアノ演奏者として世界的に有名だったグレン・グールドを描く伝記映画。32本の短編映画から織りなされた作品は、グールドに関するエピソード、近しい人へのインタビューで構成。
    草舟私見
    グレン・グールドは孤独であった。その孤独が、グールドの崇高なるバッハ演奏を育んだのであろう。バッハは神に通じているのだ。だから、その精神は永遠の中に棲む人間以外にはわからない。永遠の中に棲むとは、つまりは孤独の「呼吸」を生き続けることなのである。この映画は、そのグールドの孤独が見事に表現されている名画と言えよう。まず、主演のコーム・フィオールの演技がすばらしい。私はこの名優の姿に、グールドそのものを感じているのだ。この映像によって、私自身が、1977年にグールドにニューヨークで出会ったときのことも思い出す。フィオールの中に思い出を感じることができる。つまり、彼はグールドの魂と通じているのだ。そして、何よりも「わけのわからぬ人々」の証言がすばらしい。私はこれらの「眼」に、真のグールドを感じることは全くない。だから良いのだ。グレン・グールドとは、孤独を生き抜いた人物である。それを実感できる。証言の中に、グールドの悲しみを読み取らねばならぬ。彼の本質は、銀河の果てに向かう、最後のボイジャーだけが知っているのであろう。

    黒い雨

    (1989年、今村プロ=林原グループ) 123分/白黒

    監督:
    今村昌平/原作:井伏鱒二/音楽:武満徹/受賞:カンヌ映画祭 高等技術委員会賞・全キリスト教会審査委員会賞、文部省特選 
    出演:
    北村和夫(閑間重松)、田中好子(矢須子)、市原悦子(閑間シゲ子)、小沢昭一(庄吉)、三木のり平(好太郎)、小林昭二(浅二郎)、大滝秀治(医師)
    内容:
    井伏鱒二の小説の映画化。原爆の後遺症に苦しむ人々の姿を、被爆者夫婦とその姪を中心に描く。目に見えない被爆の恐怖を、徐々に発病していく姿から追う。
    草舟私見
    原爆というものがいかなるものであるかを実感できる名作と感じる。原爆は現代文明がもたらした新しい型の人災であり、また新しい型の恐怖なのだ。つまり人間が目に見える恐怖から逃れるために創り出した二十世紀の恐怖である。目に見える悲惨や恐怖を逃れるために、人間は科学を利用して何をしてしまったのかがよくわかるのである。現代そのものが目に見えるものから逃れ、またそれを忘れようとして新しい災害を創り出しているのである。原爆はピカドンと言われるごとく、その目に見えるのは一瞬である。しかしその害は末代におよび人の一生を苦しめるものなのだ。これ一発で数十万の人間を苦悩におとし入れられるのだ。これを刃物で実行すれば残虐と言われるのに、原爆ではその実感が無いのだ。この実感を伴わぬ暴力と恐怖こそ、現代文明のありとあらゆるものに密む現代の最大の罪なのだ。持続する後遺症の苦悩がよくわかる名画と言えよう。           

    黒いオルフェ ORFEU NEGRO

    (1959年、仏=ブラジル) 107分/カラー

    監督:
    マルセル・カミュ/原作:ビニシウス・デ・モラエス/音楽:アントニオ・カルロス・ジョビン、ルイス・ボンファ/受賞:カンヌ映画祭 グランプリ、アカデミー賞 外国語映画賞
    出演:
    ブレノ・メロ(オルフェ)、マルベッサ・ドーン(ユリディス)、ルールデス・デ・オリベイラ(ミラ)、レア・ガルシア(セラフィーナ)
    内容:
    ギリシャ神話のオルフェとユリディスの愛の物語を、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロの風景と、カーニバルの強烈な色彩感覚とともに描いた異色作。
    草舟私見
    何ともすばらしいサンバの名画である。サンバというものが、いかに深くブラジルの庶民の生活と心から生まれているのかがよくわかる。この映画は物語の内容は神話からとってきたものであり、何の意味もないただの悲恋物語である。内容はこの映画の本質ではないのだ。本質はサンバという音楽と、ブラジルの貧しい庶民との関係にあるのだ。「黒人はみな悲しいのだ」という台詞が本作品を名画と成しているのだ。その悲しさゆえにサンバが生まれたのだ。ブラジルの黒人は、一年に一度のカーニバルによって生きる力を与えられてきたのだ。そのカーニバルはまた、サンバによって初めて血液を注入されているのだ。カーニバルのために生き、サンバのリズムに生命を注ぎ込む黒人の生き方を観るとき、私はその生き方に深い涙を感ぜざるを得ない。涙は生の本質である。すばらしいことであると私は感じ、またブラジルの魂を感じるのだ。リオの壮大な景色の中で育つ黒人たちの魂は悲しい。黒人のあの明るさ、あの楽しさの奥にある本当の悲しみを感じるとき、この映画は深く心に入るのである。画中の二人の少年の姿を観るとき、私は本当の血となっていく文化というものの尊さを感じさせられるのです。

    黒い瞳 OCI CIORNIE

    (1987年、伊) 113分/カラー

    監督:
    ニキータ・ミハルコフ/音楽:フランシス・レイ/受賞:カンヌ映画祭 主演男優賞
    出演:
    マルチェロ・マストロヤンニ(ロマーノ)、シルヴァーナ・マンガーノ(エリザ)、エレナ・ソフォーノワ(アンナ)、フセフォロド・ラリオーノフ(パヴェル) 
    内容:
    ロシア人の人妻に恋したイタリア男の悲喜劇を描く。新婚旅行中の男と意気投合した主人公は、学生時代に結婚した妻と大喧嘩し、その後湯治場へ行ったときに出会ったロシア女性との恋を語る。
    草舟私見
    男の弱さとは何なのか、女の弱さとは何なのか、それらの事柄が実に叙情的に美しく描かれている名画と感じている。人間の持つ弱さというものを表現する場合、その本質に根差して非常に暗く後味の悪い作品となることが多い中、本作品は異例の美しさとでき映えを示している。主演のM・マストロヤンニの名演は神技に近いものがあり、この作品を傑作へと昇華させている。この弱くいいかげんな男を描き出す表現力は、生涯忘れられぬ印象を私に与えている。弱い男とはつまり一番重要なところで嘘をつく男である。その嘘が優しさから出てくるから始末に負えない。優しさは善であるから嘘が善に転化している。その転化した嘘こそが人生を台無しにしていくのである。そして本当に駄目な男の人生とは、善を遂行しているがゆえに駄目になっていることに気づくことすらない程深い嘘なのである。女の弱さとは力のある真面目な男性を決して愛せないことである。女は優しさを求め、優しさには嘘が含まれている。女は真実よりも心地好さを求める。心地好さを求めることが女の弱さなのだ。嘘ほど心地好いものはなく、真実ほど厳しいものはないのだ。そして弱い者にはいつでも「偶然」という不幸が待ち受けているのだ。

    グローリー GLORY

    (1989年、米) 122分/カラー

    監督:
    エドワード・ズウィック/音楽:ジェームズ・ホーナー/受賞:アカデミー賞 最優秀助演男優賞・撮影賞・録音賞
    出演:
    マシュー・ブロデリック(ショー大佐)、デンゼル・ワシントン(トリップ)、モーガン・フリーマン(ローリンズ)、ケアリー・エルウェス(フォーブス少佐) 
    内容:
    史上初の黒人舞台として南北戦争を戦ったマサチューセッツ第54連隊の誇りと栄光、そしてその死を描いた作品。
    草舟私見
    南北戦争において、黒人が初めて自らの命を懸けて戦った、あの有名なチャールストンの戦いと、マサチューセッツ第五十四連隊の実話を基とした映画である。歴史的な真実の裏側にある、人間の心の葛藤というものを見事に描き出している秀作であると感じている。私が本作品を好きである理由は、人間が人間らしく生きるための最も重要な要素である「誇り」「自由」「秩序」というものが、これほど単純に事実に基づいて表現されているものは無いからである。人間として認められていなかった当時の米国の黒人が、人間の尊厳を求め求めていく実話である。人間の人間たるいわれは「自由」ということである。自由とは戦うことの自由なのである。自らの生き方を自らが決め、そのために戦い抜くことが自由の本質なのである。自由を享受しすぎた現代人が真の自由、真の人間としての生き方を考えさせられる名画と考える。連隊長のショー大佐の秘められた勇気、悩みもよく描かれ、「米国の良心」がキリスト教精神だけに由来していることもよくわかる作品である。

    黒部の太陽

    (1968年、三船プロ=石原プロ) 195分/カラー

    監督:
    熊井啓/原作:大木正次/音楽:黛敏郎 
    出演:
    三船敏郎(北川)、石原裕次郎(岩岡剛)、滝沢修(太田垣)、志村喬(芦原)、佐野周二(平田)、大滝秀治(上条)、宇野重吉(森)、辰巳柳太郎(岩岡源三)、二谷英明(小田切)、玉川伊佐男(佐山)、下川辰平(安部)、芦田伸介(黒崎)、岡田英次(吉野)
    内容:
    関西電力が社運を賭けて建設した黒部第四ダム。そのダムの建設に命を燃やした男たちを壮大なスケールで描いた一大巨編。日本初のプロダクションによって製作された映画としても有名。
    草舟私見
    日本の映画史に残る名画中の名画と感じる。「海峡」と並び私の最も個人的には好きな仕事観が縦横に表現されている。つまり男だけの男の仕事である。自然が相手であり、途轍もない困難に挑戦していく。人間がその英知を絞り切り、それでもなお切り抜けられぬ壁にぶつかる。意志力の持続が仕事の死命を制する。単なる頑張リズムではなく、悩みと争いの中から生まれる真の人間の和によって初めて可能となる仕事。完遂した挙句に得られるものは、人間の絆とやり遂げた喜びだけ。私はこういう仕事が好きなのだ。壮大な映画である。男が男であり、女が女である映画である。男の真の喜びが溢れている。三船敏郎もすばらしい演技であるが、何と言っても石原裕次郎である。この作品こそ裕次郎の裕次郎たる最高の作品であろうと感じている。私はこの映画の世界をこの上なく愛する。そして裕次郎が示す生き方をこの上なく愛する。裕次郎の映画によって成長した世代の私は、裕次郎が私の愛する仕事観を映画で実行した本作品をこよなく愛しているのである。       

    クロムウェル CROMWELL

    (1970年、米) 139分/カラー

    監督:
    ケン・ヒューズ/音楽:フランク・コーデル
    出演:
    リチャード・ハリス(オリバー・クロムウェル)、アレック・ギネス(国王チャールズ一世) 
    内容:
    十七世紀中頃、英国近代史上最大の事件である市民革命をその立役者オリバー・クロムウェルの半生を描くことで表現した伝記映画。
    草舟私見
    私のような歴史好きの人間にはこたえられない名画です。クロムウェルのピューリタン革命を扱って、これ程の迫力のある面白い映画はない。英国の真の議会政治を確立する基礎になる歴史を扱っているので、民主主義の本質を考える上でも非常に参考になる。だいいち凄い歴史絵巻であり史実にも忠実なので真の面白さがある。君主がいて初めて議会の意義があることもわかる。議会が権力を一手に握ってもそれは絶対権力と化してしまうのだ。クロムウェルを演じるR・ハリスの迫力たるや感動的です。私はカーライルのクロムウェル伝を読んで以来のクロムウェルファンですからね、こたえられません。国王役のA・ギネスも名演です。王としての凄い品格と威厳を備えています。議会制民主主義はね、英国において何百年もの長きにわたる王と貴族や地主との確執と戦いの中で生まれたのです。それを考えるべきです。なお作品中でクロムウェルが度々言う「人民」とは、国民の1%にも満たない貴族と地主階級のことです。今のような無定見な勝手放題の選挙を、民主主義と言っているのではありません。作品全体としては一貫して貫かれているクロムウェルの他を圧する信念と強靭な意志力、そしてそれを底辺で支える強力な信仰の力をよくよく観ていくのが重要と感じています。

    軍旗はためく下に

    (1972年、東宝=新星映画) 96分/カラー

    監督:
    深作欣二/原作:結城昌治/音楽:林光 
    出演:
    丹波哲郎(富樫勝男軍曹)、左幸子(富樫サキエ)、三谷昇(寺島元上等兵)、内藤武敏(大橋元少尉)、中村翫右衛門(千田元少佐)、江原真二郎(越智元憲兵)
    内容:
    直木賞受賞作を深作欣二監督が映画化した作品で、第二次世界大戦末期のニューギニア戦線の戦場の悲惨さが画かれている。
    草舟私見
    ニューギニア戦線の悲惨を表現する作品である。現代との交錯においてニューギニアを捉え、その戦線の悲惨を浮き彫りにしている。南方戦線の悲惨を噛みしめることは、現代日本を考える重要な一要素である。人間の悪徳とは何か。愛とは何か。友情とは何かを原点に戻って考えさせられる。崩壊した軍隊を知ることは厳正なる軍隊の本質を知る重要な手がかりとなる。本作品ほど秩序というものの有難さを痛感させられるものはない。このような悲惨を見たとき、人間は断固として秩序と文明を守らねばならないという決意を自己の心に生じなければならない。丹波哲郎らが最後に薄い粥の米を噛みしめるシーンは涙が止まりませんね。本当に今の幸福に文句など言ったら罰が当たりますね。英霊に対する真の哀悼を心から感じる作品である。

    軍神山本元帥と連合艦隊

    (1956年、新東宝) 101分/白黒

    監督:
    志村敏夫/音楽:鈴木靜一 
    出演:
    佐分利信(山本五十六元帥)、宇津井健(三島航空参謀)、若山富三郎(作戦参謀)、高島忠夫(藤田少佐)、丹波哲郎(黒川)、天知茂(大石)、藤田進(八雲中将)
    内容:
    佐分利信演じる連合艦隊司令官長官 山本五十六の日米開戦に絶対反対を主張し続けた日々から開戦を決意し、敵弾に斃れるまでの姿を描いた作品。
    草舟私見
    主演の佐分利信が忘れられぬ名画である。山本元帥の持つカッコ良いところは全てこの佐分利信の印象で私の頭の中に入っていますね。元帥の嫌いな箇所は全部これ以後の違う俳優の演じる元帥像で覚えています。感動しましたね、6歳のときに観ましてね、感激しました。実写フィルムがカッコ良いのばかりで、戦艦が海を驀進して砲撃している場面などは、このフィルムが頭に焼き付いたまま以後、今日までの45年間を生きてきました。あと飛行機の急降下の凄さ、これもこの映画でまいらされました。本作品は私の戦争映画好きの「個性」を創り上げた代表的な作品の一つです。やっぱり映画は俳優がカッコ良くないと駄目ですわ。その点、真に忘れられぬ秀作と言えます。それにね、映画の最後に出てくる元帥の和歌が6歳の私の血を煮え滾らせました。それ以後の人生観の土台となる歌でこのとき覚えてずっと座右銘としています。「武士の 心いかにと 人問はば 斃れて后に 巳むと答えん」。どうですか? いいでしょ。 
  • 刑事一代

    (2009年、テレビ朝日) 229分/カラー

    監督:
    石橋冠/原作:佐々木嘉信/音楽:吉川清之
    出演:
    渡辺謙(平塚八兵衛)、榎木孝明(平沢貞通)、余貴美子(森川八重子)、萩原聖人(小原保)、原田美枝子(平塚つね)、高橋克実(石崎隆二)、大杉漣(尾藤和則)、柴田恭兵(加山新蔵)、宅麻伸(槇原茂)、小泉孝太郎(岩瀬厚一郎)
    内容:
    戦後の昭和の大事件の数々に関わり、「捜査の神様」と呼ばれた、実在の平塚八兵衛の生き様に迫るドラマ。
    草舟私見
    久々に感動できる名作である。実話がもつ迫力と、真の男が発する熱情とが、画面を覆い尽くし、観る者を圧倒するのである。主人公の平塚八兵衛は無条件に惚れ込む男である。私の理想とする男の生きざまである。これが日本男児の生き方である。実にすばらしい人物を知った。この作品にはそういう恩義も感じる。だから、評論できないのである。こういう男が社会を支えているのである。日本を支え、歴史を支えているのである。激動の昭和を、一刑事として生き抜いた男の生涯を見ていると、深い悲しみに襲われる。悲しみがあるということは、多分、人間が本当に生きていた痕跡を見ているということなのであろう。犯罪は最も時代を反映している。だから、わかりやすいのだ。犯罪と人間の生き方が、徐々に乖離していくのが感じられる。人間の歴史が、か細くなっていくのである。それを見るのは辛いことだ。多分、時代ということで、すまされてしまうのであろう。俺は認めぬ、時代など認めぬ。

    K19 THE WIDOWMAKER

    (2002年、米) 137分/カラー

    監督:
    キャサリン・ビグロー/原作:ルイス・ノウラ/音楽:クラウス・バデルト
    出演:
    ハリソン・フォード(アレクセイ・ボストリコフ)、リーアム・ニーソン(ミハイル・ポレーニン)、ピーター・サースガード(ヴァディム・レドチェンコ)、クリスチャン・カマルゴ(バベル・ロトコフ)
    内容:
    1961年、大西洋上で放射能漏れ事故を起こしたソ連原子力潜水艦。核戦争にも発展しかねない状況下で乗組員たちが決死の修理を行なう。
    草舟私見
    1961年、ソ連原潜における放射能漏れ事故を描く、実話に基づく秀作と感じる。危機に遭遇したとき、人間は自らの義務と責任を感じ、人間の最も高貴な尊厳と美しさを示す。私にとって本作品に登場する人々は、真の友人と感ぜられる。私の生涯の友となるであろう。友のために自らを犠牲にすることは、古今を通じて最も崇高な人類の行為であり、崇高とはその一事に全て集約されるのではないか。私の愛する勇者たちの物語である。恐怖を克服してこその真の勇気である。ただただ私は涙をしたたらせ、この作品に感動し、我が思い出にこの作品とこの事実を記憶するのである。1961年は私が頭蓋骨を割り死線を彷徨った年である。また、7歳のときに受けた許容量の数万倍の放射線照射事件の副作用と恐怖に苦しんでいた年でもある。その恐怖と苦痛が私にどれだけの勇気を育ててくれたか。この作品は他人事ではないのだ。11歳のときの自らを思い出して、その同じ年にこのような苦しみと勇気を示した人々がいたことを知ったことは私に深い感動を与えたのである。また音楽のすばらしいこと。恐怖とそれを乗り越えた勇気を体験した者にとって、この音楽は魂に沁み入るのである。

    刑事ジョン・ブック ―目撃者― WITNESS

    (1985年、米) 113分/カラー

    監督:
    ピーター・ウィアー/音楽:モーリス・ジャール
    出演:
    ハリソン・フォード(ジョン・ブック)、ケリー・マクギリス(レイチェル・ラップ)、ルーカス・ハース(サミュエル)、ジョセフ・ソマー(ポール・シェイファー)、ダニー・グローヴァー(ジェームス・マクフィー)、ヤン・ルーベス(イーライ・ラップ)
    内容:
    警察官による殺人事件の目撃者となったアーミッシュの少年とその母親を守るために戦う刑事を描いたサスペンス映画。
    草舟私見
    純愛の、この世における本質の一つが示されている。観終わった後に、言葉には言い表わせぬ清冽さが、魂を渡って行くのを感ずる。そのような名画である。現代を抉りながら汚濁の中を生きる刑事と、この世には存在出来ぬほどの信仰の中を生きる女性の魂の交流を我々は見る。刑事ジョン・ブックと信仰者レイチェルの愛は、永遠を志向する根源的愛の姿を呈している。私はこの愛の中に、『葉隠』の説く「忍ぶ恋」の本質を見出しているのだ。高貴と野蛮が交錯する地点にこそ、真の愛は芽生えるのである。清らかさは汚れの中から生まれる。清らかさは汚れの中にあって磨かれると言ってもいいだろう。自己に与えられた運命を生き切る者だけに、真の愛が降り下って来る。そして、宿命の責務を担う者の生命だけが、魂の本質と触れ合うことが出来る。美と醜、陰と陽、正と邪が入り乱れるこの世にあってこそ、生命の実存の美しさは屹立するのだ。アメリカの光と闇、その偉大と腐敗を感ずる作品と成っている。主人公の二人の純愛は、私にとって忘れ得ぬ思い出を創ってくれた。

    外科室

    (1992年、テレビ朝日=松竹=荒戸源次郎事務所) 50分/カラー

    監督:
    坂東玉三郎/原作:泉鏡花/音楽:ヨーヨー・マ、エマニュエル・アックス 
    出演:
    吉永小百合(貴船伯爵夫人)、加藤雅也(高峰)、中井貴一(清長)、芳村伊四郎(貴船伯爵)、鰐淵晴子(看護婦長)、中村勘九郎(検校)、中村浩太郎(検校の手を引く者)、井伊義太朗(老人)、南美江(腰元=綾)
    内容:
    歌舞伎俳優・坂東玉三郎の初監督作品、泉鏡花の小説を映画化。一人の青年医師と美しい伯爵夫人との秘められた思いを描き、映像美溢れる内容で映画史上に残る。
    草舟私見
    美しい作品である。実に美しい映像美の中に、深い悲しみを描き込んだ秀作と感じる。美しさの中心は日本の美である。日本人がその魂を育む日本の美が映像化されている。そして登場する日本人は心の奥深くの悩みを湛えている。この悲しみは明治日本の悲しみであると感じる。伝統的な日本人の心を持つ人々が急激な欧化文明の中で、生活と心を寸断されている懊悩がよく表現されている。急速に導入された圧倒的な西洋医学が、医師と患者の伝統的な心を無視して正しさを押し付けてくる悲しみが見える。西洋流の貴族制度が、日本の上流階級の人間の生き方を人形のごとく味気ないその形だけのものにしていくことがよく見える。自然と心との分離が美しさの中で、より悲しみを際立たせている名画である。        

    汚れなき悪戯 MARCELINO PAN Y VINO

    (1955年、スペイン) 87分/白黒

    監督:
    ラディスラオ・バホダ/音楽:パブロ・ソロサバル/受賞:ベルリン映画祭 金熊賞、カンヌ映画祭 特別子役表彰
    出演:
    パブリート・カルボ(マルセリーノ)、ラファエル・リベリュス(僧院長)、ジュアン・カルボ(トマス=お粥さん)、フェルナンド・レイ(語手の僧侶)
    内容:
    舞台はスペイン、生まれて間もなく修道院に拾われて、十二人の僧侶に育てられ、神に愛されて五歳で天に召された「パンとワインのマルセリーノ」の物語。
    草舟私見
    子供のときに観て以来、いつまでもいつまでも心に残る名画の中の名画と感じています。マルセリーノの物語は私の心の原点です。この魂こそ人間が神から与えられた本当の魂なのだと感じます。この魂を失うことなくどう人生を最後まで生き切ることができるのか。これは重大な問題です。私自身は40年来、日々この原点に自ら立ち戻らなければ流されてしまいそうでした。この原点を持ち続けるだけで信念と勇気と土根性を必要としました。マルセリーノは偉大なのです。私はそう感じます。神父たちも皆良いですね。良い人は良いのですね。私はおよびもつかないが、本当に心の底から尊敬します。私はね! 人生の最後でマルセリーノの心の一片を維持したまま死ねれば、最高の人生なのだと自分では思っています。

    汚れなき瞳 WHISTLE DOWN THE WIND

    (1961年、英) 99分/白黒

    監督:
    ブライアン・フォーブス/原作:メアリー・ヘイリー・ベル/音楽:マルコム・ア―ノルド/製作:リチャード・アッテンボロー
    出演:
    ヘイリー・ミルズ(キャシー)、アラン・ベイツ(イエス様)
    内容:
    納屋に隠れていた殺人犯の男をイエス・キリストだと信じ込んでしまった子供たちの純真無垢な心を魅力的に描いた作品。
    草舟私見
    R・アッテンボローの真の叙情を伝える名画と感じる。子供の心は純心で、大人たちは現実的で汚れているなどと考えて本作品を観るとこの映画の良さはわからない。本作品の主題は愛の多寡による人間性の違いを問うものであると感じる。大人には大人の真の愛がよく表わされている。そして子供の愛が描かれている。大人にも愛のある者と無い者がおり、子供にも愛のある者と無い者がいる。子供には子供の愛の実行があり、大人には大人の愛の実行がある。愛ある者は魅力があり愛なき者は卑小に表現されている。その大人と子供の中で最大の愛の量の保有者がキャシーなのだ。この子は最高の人生を生くる者となる。信じる者は涙を知る者である。キャシーこそ真の涙を知る者となるであろう。そしてその涙は神に選ばれた者に与えられる、真の幸福の人生を証しするものなのだ。キャシーは愛によって大人物であると感じる。キャシーは私の理想の女性である。彼女のような子供時代を送る者にして、初めて真の道義心ある大人が誕生するのであると断言できる。

    撃墜王アフリカの星 DER STERN VON AFRIKA

    (1957年、西独) 107分/白黒

    監督:
    アルフレート・ワイデンマン/音楽:ハンス・マルチン・マイエフスキー
    出演:
    ヨアヒム・ハンセン(ハンス・ヨアヒム・マルセイユ)、マリアンネ・コッホ(ブリギッテ)
    内容:
    第二次世界大戦のドイツ空軍の英雄マルセイユ大尉の半生を描いた作品。ヒトラー政権の中、誰もがドイツの強大さを信じ、青年たちは祖国のために戦うことを望んでいた。
    草舟私見
    ドイツ・アフリカ軍団においてアフリカの星と呼ばれた撃墜王であるハンス・ヨアヒム・マルセイユを描いた映画である。マルセイユは第二次大戦最高の天才パイロットと言われている人物であり、我々凡人には天才を論評する資格は無い。ただ私は小学生以来マルセイユが大好きであり、数ある撃墜王の中でなにゆえに彼が好きであるのか自分でも良くわからない。無邪気で純真で破茶目茶であったと伝えられているが、映画からもその一端は窺える。元気以外何の取り柄も無い少年時代を過したようだが、英雄とはやはりそのような人物から出てくるのだと実感できる。理屈が無いのですね。恋愛によって少しの理屈が彼の脳裏に出てきたとき、この英雄には危険が迫ってきたのだと感ぜられる。私はこの女性は大嫌いですね。

    撃墜王ダグラス・殴り込み戦闘機隊 REACH FOR THE SKY

    (1956年、英) 136分/白黒

    監督:
    ルイス・ギルバート/原作:ポール・ブリックヒル/音楽:アーサー・リダウト
    出演:
    ケネス・モア(ダグラス・バーダー)、ミュリエル・パブロウ(セルマ・バーダー)、リー・パターソン(ターナー)、ドロシー・アリソン(ブレイス)、アレクサンダー・ノックス(ジョイス)、リンドン・ブルック(サンダーソン)
    内容:
    事故で両足を失いながらも第二次世界大戦で英空軍のエースパイロットとして戦った実在のダグラス・バーダーの不屈の闘志と人々に愛され続けた人生を描いた伝記映画。
    草舟私見
    152機撃墜の英国の空の英雄ダグラス・バーダー中佐の物語である。この人のことを考えると本当に人間には不可能は無いのだと尽々とわかる。何しろ両足が無いパイロットであり、しかも大戦屈指の英雄なのだ。ダグラスを演じるケネス・モアが、この英雄の個性をよく表わしている。この英雄は本物のやんちゃ坊主なのである。やんちゃも本物となり貫かれると偉大なのだと感じる。英雄のくせに両足切断の原因がやんちゃで起こった事故であり、戦傷でないところがこの人の面白さである。悲劇的な要素が全く無い数少ない英雄なのだ。私はこの人に真の英国のダンディズムを見る。多分この人の涙を今生で見た人間は家族も含めて皆無であろう。ダグラスの真の涙は神のみが知っているのだ。私にはそれがよくわかるのだ。なぜならダグラスは私の友達だからだ。

    激動の昭和史・軍閥

    (1970年、東宝) 134分/カラー

    監督:
    堀川弘通/音楽:真鍋理一郎 
    出演:
    小林桂樹(東條英機)、山村聰(米内光政)、三船敏郎(山本五十六)、志村喬(毎日新聞編集総長竹田)、加山雄三(毎日新聞記者新井)、黒沢年男(特攻隊員島垣)、三橋達也(大西瀧治郎)、神山繁(近衛文磨首相)、藤田進(永野軍令部総長)
    内容:
    大東亜戦争の勃発と経緯を、東條英機や一新聞記者を中心に描いた作品。戦争後期、サイパンは玉砕、本土決戦を叫ぶ東條であったが、ついには首相の座を追われることになる。
    草舟私見
    東条英機という人物を中心として、大東亜戦争へと突入する日本の姿と帝国の終焉を描く大作である。戦後の映画ゆえ反戦思想が強いが、その辺は斟酌して観る必要がある。戦争の善悪はともかく、日本は独立自尊の国家としての誇りによって苦渋の末、開戦したのだとわかる映画であると感じる。自由つまり独立自尊を貫くために開戦したのである。このことは戦後の日本国家と日本人から失われているのでわかりにくい。自由と自立は戦わざる者には無いのだ。自由と独立とは独自の文化と生活の継承ということである。私は陸軍が好きである。陸軍だけが信念を貫いたのだ。元々日本の誇りと魂のゆえの戦いであったのだ。戦後は海軍びいきが多いが、海軍こそ全く一貫性が無いのだ。東條と陸軍を嫌うことは本質を見たくないための逃げなのだ。嫌えば全部両者が悪いのだから反省の必要がなくなる。それが戦後である。東條と陸軍は日本人の誇りの代弁者なのだ。負けて誇りを失う者は卑怯者である。ゆえに私は東條と陸軍が好きなのである。      

    激動の昭和史・沖縄決戦

    (1971年、東宝) 149分/カラー

    監督:
    岡本喜八/音楽:佐藤勝 
    出演:
    小林桂樹(牛島満中将)、丹波哲郎(長勇少将)、仲代達矢(八原博道大佐)、川津裕介(神航空参謀)、東野英治郎(梅津参謀総長)、加山雄三(比喜軍医)、池部良(太田少将)、酒井和歌子(渡嘉敷良子)、大空真弓(上原婦長)、田中邦衛(比喜三平)
    内容:
    太平洋戦争における最後の日米激突の地であり、日本国内唯一の激しい地上戦闘が行われた地、沖縄。この南海の青い空、海を硝煙と血で染めた沖縄戦の真実の姿が描かれる。
    草舟私見
    太平洋戦争最後の決戦であった沖縄戦を描いた名画である。観るたびに深く戦没者に対する哀悼の意を感じざるを得ぬ作品である。住民全体を巻き込んだ戦いであったことが、その悲惨を決定的なものとしている。この悲惨を観て道義心と同情心を起こさぬ者は皆無であろう。ただこの事実からただの平和主義に至る考えは短絡的であると感じる。沖縄住民を巻き込む戦いがなにゆえに悲惨かといえば、それは多くの平和主義者がその犠牲となったからなのである。平和主義は戦いを回避することはできないのである。戦いは勝たねばならぬ。負けたから悲惨なのである。善悪も好き嫌いも関係ない。戦うからには勝たねばならぬ。そのことが深くわかることが沖縄戦の犠牲者に対する真の供養であり、本当の愛であると考えている。米軍が勝つためにあの膨大な物量を投入しているのが愛なのである。そして愛は全てに行きわたることはできぬ。自分が愛をかけられる人間にかけるのが本当の愛なのである。平和主義は無責任である。

    月光の夏

    (1993年、仕事) 111分/カラー

    監督:
    神山征二郎/原作:毛利恒之/音楽:針生正男/受賞:文部省選定 
    出演:
    仲代達矢(風間森介)、渡辺美佐子(吉岡公子)、田中実(風間森介、戦中)、永野典勝(海野光彦、戦中)、若村麻由美(吉岡公子、戦中)、山本圭(三池)
    内容:
    佐賀県で実際にあった特攻隊員に纏わる秘話を取材した実話を描いた作品。終戦間近のある日、二人の飛行兵が小学校を訪れる。学徒出陣前まではこの二人はピアノに情熱を傾けていた。
    草舟私見
    悲しくて美しくて温かいものが一生涯心に残る名画と感じる。どこまでも非情になれる同じ人間が、またどこまでも温かい心を持てるのだと強く思う。悲しみはまた本当の幸福の源泉でもあるのだと私は感じる。吉岡先生役の渡辺美佐子の飾り気のない演技が心に残る。この先生の心が悲しみを幸福に転化している軸なのです。人間の心がどんな事柄でも美しいものに変えることができるのです。思い出を大切にする心が人を活かし物を活かすのです。人間の心が無かったならば、この世がいったい何であるのかを強く感じさせられます。世の中も出来事も全てがバラバラなのです。しかし人間の真心がそのバラバラであった全てのものを繋ぎ合わせ生きているものに変えるのですね。この先生の心を通ると全てのものが生き生きとしてくるのです。本当の人物とはこのような人なのだと感じます。         

    剣鬼

    (1965年、大映) 83分/カラー

    監督:
    三隅研次/原作:柴田錬三郎/音楽:鏑木創
    出演:
    市川雷蔵(斑平)、佐藤慶(神部菊馬)、姿美千子(お咲)、内田朝雄(醍醐弥一郎)
    内容:
    「犬っこ」と蔑まれ育った下級武士の青年が、花造りの名人となり、やがて妖剣の使い手となったことで藩の政変に巻き込まれていく。馬鹿にされ疎外されながらも一本筋の通った生き方を貫く男の生き様を描く。
    草舟私見
    観終わった後の余韻が長く心に残る作品である。市川雷蔵の奥行きのある演技とあいまって、韋駄天斑平の心の奥深くが友と対するように気になってしょうがない、という魅力を秘めた映画である。花造りの名人が居合の名人となることによって多くの人を斬るはめになる。その対照が気になる。美しいものを本当に愛する心と、激しく燃える情念との間には繋がるものがあるのだ。このことがこの世の哀しみを創り出す一つの要素ではないのか。この二つを習わずして、見て感じるだけで名人になる斑平に対して私は深い共感を得ずにはいられない。因縁の悪い刀に自らの人生を賭ける斑平に対して私は深い共感を覚える。馬と一緒に走る斑平に私は涙を禁じ得ない。この人物は哀しみから湧き出す真の勇気を持っているのだ。その勇気が必然として美を求めるのだ。そして美を求める心が途轍もない眼力を養い、無限の創意工夫というものを生み出しているのだと感じる。班平は我が永遠の友である。     

    原子力潜水艦浮上せず GRAY LADY DOWN

    (1977年、米) 110分/カラー

    監督:
    デヴィッド・グリーン/原作:デヴィッド・ラバリー/音楽:ジェリー・フィールディング
    出演:
    チャールトン・ヘストン(ポール艦長)、デヴィッド・キャラダイン(ゲイツ大佐)、ステイシー・キーチ(ベネット)、ネッド・ビーティ(ミッキー)
    内容:
    アメリカ海軍の原子力潜水艦が他の船舶との衝突事故により沈没、浮上不能に陥った。その艦内に閉じ込められた生存者の救出作戦を描いた海洋パニック映画。
    草舟私見
    内容も高貴であり、かつ最後まで手に汗を握る映画である。仕事に生きる人間の誇りというものを主題にしている名画である。その誇りというものの数多い一般的な考え方を、チャールトン・ヘストンを中心とする原潜側の人間関係と艦長交代劇が表現している。建て前と本音が交錯し、悪い状態が現出すれば崩れ去る仕事観であり、誇りと思われるものの大部分を実際には見栄が占めているのである。当然真の誇りと仕事観はD・キャラダイン扮するゲイツ大佐と、相棒のミッキーの人間関係と誇りが示している。この二人には誠と実がある。頑固に見えるが柔軟である。信頼が二人を結び上下の関係とけじめはあるが真の友情がある。綺麗事は一切無く、仕事に対する誇りが真の愛の断行を促す。頑固であるが高貴である。ゲイツ大佐は人助けなどはしない。自らの誇りがためしているのだ。後は結果論である。ゲイツを見守るミッキーの顔には真の男の美しさがある。幸福が二人の上に輝いている。
  • 攻殻機動隊(ゴースト・イン・ザ・シェル) 続・攻殻機動隊(イノセンス)

    攻殻機動隊(1995年、講談社=バンダイ) 84分/カラー
    続・攻殻機動隊(2004年、徳間書店=電通・他) 99分/カラー

    監督:
    押井守/原作:士郎正宗/音楽:川井憲次
    出演:
    田中敦子(草薙素子)、大塚明夫(バトー)、山寺宏一(トグサ)、仲野裕(イシカワ)、 大木民夫(荒巻大輔)、家弓家正(人形使い)、平田広明(コガ)、寺杣昌紀(アズマ)
    内容:
    インターネットが星を覆い、人間とネットの距離が非常に近くなっている近未来。マイクロマシン技術によって、人間は神経に素子を直接接続する技術や、人体の精妙な機械化を成し遂げていた。
    草舟私見
    脳髄に直撃を喰らうほどの予言的作品であった。1995年と2004年の作品であり、すでに25年を経過するが、私は今やっとこの作品と出会うことができたのだ。この25年の空隙を、私は神の恩寵と感じている。多分、あの名画「マトリックス」を誘導したものに違いないと感じた。人間とは何か、生命の本質とは何かに迫る気迫が観て取れるのである。「生命は、何に入り込むか分からない」という生命起源説にはまさに脱帽した。我々人間、つまり今の我々人類だけが人間ではないのだ。そして、「情報から生まれた生命」という概念も我が意を得たりと快哉を叫んだ。我々もいつ人間で無くなるのか分からない。我々を人間と成している宇宙的実在が、他の「何ものか」の中へ入ればそれが新しい人間となるのだ。私は、正続二篇を通して強く愛の本質を観ることができた。新しい愛だ。新しい憧れと言ってもいい。愛は、我々現今の人類の独占物ではないのだ。憧れは人間の所有物ではない。それは万象の中に存在し、「人間として」存在しようとするものの中に宿るのではないか。この地上に、新しい愛が生まれようとしている。深淵な主題曲に新しい愛を感じ、最後の歌曲に新しい時代を観た。

    功名が辻〔大河ドラマ〕

    (2006年、NHK) 各話44分・合計2188分/カラー

    演出:
    尾崎充信、加藤拓、椰川善郎/原作:司馬遼太郎/音楽:小六禮次郎
    出演:
    仲間由紀恵(千代)、上川隆也(山内一豊)、武田鉄矢(五藤吉兵衛)、舘ひろし(織田信長)、柄本明(豊臣秀吉)、西田敏行(徳川家康)、前田吟(祖父江新右衛門)、多岐川裕美(きぬ)、佐久間良子(法秀尼)、長谷川京子(細川ガラシャ)、坂東三津五郎(明智光秀)、浅野ゆう子(寧々)、榎木孝明(浅井長政)、中村橋之助(石田三成)、田村淳(中村一氏)、生瀬勝久(堀尾吉晴)、香川照之(六平太)、永作博美(淀君)
    内容:
    司馬遼太郎の小説を原作とした大河ドラマ。戦国時代に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と三代に仕え、死ぬまで功名を為した山内一豊とその妻・千代の物語。
    草舟私見
    うーん。とにかく面白いぞ。面白くて面白くてどうにもならぬ作品が本作品であると思えば、本作品のことを全て語ったことになるであろう。なにゆえに面白いかというと、それは出てくる人間が全て面白いからである。人と人との本当の信頼の物語であり、それが戦国時代の実際の史実に基づく実話だから面白くてたまらないのである。人間同士の出会いと信頼程美しいものはこの世に無い。どんな芸術作品もそれにはおよばない。その事柄が架空である場合は、こんなにつまらない作品は無いということになる。この世の中で本当の美しさを貫いて生きることは大変な事柄であろうとは感じる。しかしその美しさを多くの日本人たちが実際にやり、そういう生き方を生き抜いた人間たちがまた多くいたことも事実である。「山内一豊の妻」というのは歴史上有名であるが、こういう人が本当の意味で「有名人」としての価値があるのだ。何しろこの「有名人」は死んでから四百年以上たってもまだ我々の心に真に温かいものを送り込み、我々の心に本当に美しいものを呼びさましてくれるのである。本当の愛情。それをよくよく観るべきである。それを感じると面白くて面白くてたまらないのである。愉快なのである。山内一豊の妻は本当に美しい人である。会わなくても私にはわかるんだ。いい人である。このような人を妻にした山内一豊はやはりやけるなぁー。やけるがやはりそれだけの価値のある男である。それは観ればわかる。この男の真価が観てもわからぬ者は、自分自身がこの世の中で信念を通すのがどれ程大変なことなのかを身をもっては知らぬ者である。これはいい男である。やはり女房が惚れ切るだけのことはある。このような男には忠義の士が周りにいる。この忠義の主従関係、いいなぁー。何しろ美しい。そして面白い。愉快だ。愛情、友情、信頼、そして武士道。それらの美の結晶は、困難な状況の中で発揮される程、その美しさを増す。困難な状況の中で発揮されてこそというところが多分本質なのであろう。そのことがよくわかる作品である。だから面白いのだ。私は一年間にわたりこの作品を観てきて尽々と思った。これらの美しさを本当に自分の人生としてやり抜く本質は何なのであろうかと。そして結論として思うことは、「正直さ」だけであろうと思った。それも正直であっては生きるのが困難な状況の中での正直さである。この作品に登場する人々は正直なのである。そして正直に生きるには人間はいつでも命を捨てる、又は自分自身の人生を捨てる勇気が必要なのであろうと強く感じたのである。正直ならば美しく生きることができる。これこそ戦国乱世が子孫である我々に伝えてくる魂の信号なのではないか。私はそう強く思うのである。

    荒野の決闘 MY DARLING CLEMENTINE

    (1946年、米) 97分/白黒

    監督:
    ジョン・フォード/原作:スチュワート・N・レイク/音楽:アルフレッド・ニュ―マン
    出演:
    ヘンリー・フォンダ(ワイアット・アープ)、ヴィクター・マチュア(ドク・ホリデイ)、キャシー・ダウンズ(クレメンタイン)、リンダ・ダーネル(チワワ)
    内容:
    アリゾナの荒野の中にある小さな町トゥームストン。この町はずれにあるOK牧場を舞台に繰り広げられた伝説の決闘を描く。ヘンリー・フォンダの名演が光る作品。
    草舟私見
    名曲「わが麗わしのクレメンタイン」に乗せて綴る名画である。深謀遠慮を秘めているが、単純爽快な行動をとるワイアット・アープの慎み深い男らしさが心を惹き付ける。ごく日常の出来事として淡々と進む勇気や正義の観念が西部劇の魅力を満喫させてくれる。ここに登場する人物たちはまるで明治の日本人を彷彿とさせる。クレメンタインに対するアープの恋は、忍ぶ恋の武士道的魅力に富む。建設中の教会パーティーに腕を組んで歩く二人の姿とダンスに興じるアープの姿は深く心に刻まれている。男が男であり、女が女である。すばらしいことである。逆にドク・ホリデイとチワワが、現代受けのする恋愛を演じているのが好対照となっている。チワワのような女性は私の最も嫌いなタイプの女性です。それに対してクレメンタインの本当に美しいこと! 惚れますね。

    荒野の七人 THE MAGNIFICENT SEVEN

    (1960年、米) 128分/カラー

    監督:
    ジョン・スタージェス/音楽:エルマー・バーンスタイン
    出演:
    ユル・ブリンナー(クリス)、スティーヴ・マックィーン(ヴィン)、チャールズ・ブロンソン(オライリー)、ジェームズ・コバーン(ブリット)
    内容:
    黒澤明監督の『七人の侍』を翻案して作られた西部劇。メキシコの寒村イストラカンは毎年、盗賊の一味に襲われていた。村人たちは長老の助言で戦うことを決意する。
    草舟私見
    本作品において、私は初めてジェームズ・コバーンとスティーヴ・マックィーンという二人の俳優を知った。以後この二人は私の最も好きな俳優として今日に至っている。そういう意味で私にとって記念的な作品である。本作品は黒澤明の「七人の侍」を基として製作されたと聞いている。しかし全く違った魅力を有している。七人の侍に比べると百姓があまりみじめではないので観ていても気持ちが良い。いくら映画の中とはいえみじめさは見ていて嫌ですよ。山賊の親分も自らが持っている人生観のゆえに自滅していくから面白い。悪い奴がその悪さのゆえに、自らが持っている人生観のゆえに自滅していくから面白い。悪い奴がその悪さのゆえに自ら自滅していく姿は何度観ても心が洗われる。この親分が自らの自信で七人を許してしまうが、これは弱い者いじめばかりして培った自惚れからなるのだ。弱者ばかり相手にすると人間は人間全てを馬鹿にするようになるのだ。己を知ることの重要さを痛感する。

    荒野の用心棒 PER UN PUGNO DI DOLARI

    (1964年、伊=西独=スペイン) 97分/カラー

    監督:
    セルジオ・レオーネ/原作:黒澤明、菊島隆三/音楽:エンニオ・モリコーネ
    出演:
    クリント・イーストウッド(ジョー)、ジャン・マリア・ヴォロンテ(ラモン)、マリアンヌ・コッホ(マリソル)
    内容:
    黒澤明の『用心棒』をセルジオ・レオーネ監督が舞台をアメリカに移して撮った名作で、マカロニウェスタンを代表する作品。
    草舟私見
    C・イーストウッドが何ったってカッコ良いですね。あの葉巻が良い。それにE・モリコーネの音楽も印象深く残っている作品です。イーストウッドの役柄の定番を決めた作品の一つである。アウトローで、孤独な男で、滅法強いが一片の情を持つという男なら誰でも憧れる型ですね。御多分に漏れず私も思春期に随分と憧れました。彼の役柄で一番好きなところは、孤独で自由で独立独歩で生きているところですね。それでいてこの作品でもよく見ると心を許し合える友達をすぐに作っているんですね。この心の開かれた人間性から生まれる真の男の孤独が重要なんです。酒屋のおやじや葬儀屋と本当に心を通わせています。イーストウッドは孤独な男の役柄で売り出したのですが、映画の中でいつでも心からの友がいることに気づくのは重要だと思います。真の独立独歩や孤独性は、エゴイズムや人間嫌いとは対極にある真の人間性の一典型なのであると深くわかる映画です。

    「黄落」・「黄落、その後」

    黄落(1997年、テレビ東京) 119分/カラー

    演出:
    深町幸男/原作:佐江修一/音楽:福井峻
    出演:
    市原悦子(佐藤蕗子)、愛川欽也(佐藤友明)、西村晃(佐藤定吉)、丹阿弥谷津子(佐藤キヌ)、河原崎長一郎(吉村)、那須正江(波子)、高津知巳(健)
    黄落、その後 (2005年、テレビ東京) 120分/カラー
    演出:
    石橋冠/原作:佐江修一/音楽:天野正道
    出演:
    市原悦子(斉藤千尋)、愛川欽也(斉藤隆文)、小林桂樹(斉藤智範)、原田芳雄(福原謙介)、泉ピン子(松原芳子)、山田純大(直樹)、菊池麻衣子(筍子)
    内容:
    高齢化が進む現代日本において、家族による老人介護問題を描いた連作。「黄落」は西村晃が舅役を名演し、遺作となった。
    草舟私見
    現代における家族による老後の介護問題というものを取り挙げた秀作と感じている。最近では個人の生活だ人生だということばかりが重要視されているので、老人というものが家族のお荷物で嫌われ者になってしまった。現代における老人の介護問題というのは、実は面倒くさくて、実利に結び付かないものを忌み嫌う社会風潮が生み出した問題で、本当のところは老人問題などではないのだということがよくよくわかる作品である。手がかかるのは赤ん坊の方がずっと凄いのであるが、こちらの方は「将来の夢」、つまり実利というものがあるので問題とされていない。将来が無いと思われるものには、本質的に少しでも手をかければ自分自身が損をするという現代病が生み出した問題が、今の老人問題なのである。老人が他人の手を煩わせるのは昔も今も変わりないが、昔はそのようなことは「家族の絆」および、「過去に承けた恩」というものが強く、何の問題にもなっていなかった。今なぜ、老人問題なのか。それは家族が個々人、各々別の自分の人生を歩もうとして、そのために邪魔になるものが嫌いだから年々社会現象として増加してきた問題なのである。各々の人が家族のために身をすり減らすのが嫌なのである。その矛先が、将来性が無いとしか感じられない老人に向けられているのである。老人を大切にしない家族は亡びる、という人生の根本哲理を忘れているのが現代人なのである。老人を大切にする気持ちが先祖を敬う気持ちを生み、その気持ちが国を愛し、他人を愛する気持ちを生み出しているのだという一番大切なことを忘れているのである。老人を大切にする心は、それがいかに手がかかろうと、家族というものの「絆」を生み出す根元なのである。本作品はこういう現代にあって、家族各々が自分の都合だけで老人問題というものを創り出しているのだということがよくわかるのである。「損をする」関係だからこその家族ではないか、ということをもう少し考えなければならないと感じている。西村晃と小林桂樹、および愛川欽也と市原悦子の名演が忘れられぬ作品となっている。特に西村晃は神懸り的な名演であり、私はこの老人の中に我が先祖の姿を見ながら鑑賞させてもらった。鬼気せまる名演である。最後に現代人の心が老人問題を創り挙げているのだということを実感してもらうために、私が市原悦子演じるこの家庭の主婦に対して当たり前の言葉を投げかけて私見をしめくくることとする。「ちょっと、あなたねぇー、ガチャガチャガチャガチャ文句ばっかり言いながら、自己主張ばかりして、あんたのその心の方が、老人の不始末よりよっぽど手がかかって大変なんだよ。家族から今までに受けてきた恩は忘れて、ちょっと自分がやればこれだ。あんたが一番手のかかる奴だよ」。

    コーカサスの虜 КABКAЗCКИИ ΠЛEHHИК

    (1996年、カザフスタン=露) 95分/カラー

    監督:
    セルゲイ・ボドロフ/原作:レフ・トルストイ/音楽:レオニード・デシャトニコフ/受賞:カンヌ映画祭 国際批評家連盟賞・観客賞
    出演:
    オレグ・メンシコフ(サーシャ)、セルゲイ・ボドロフJr.(ワーニャ)、ドジェマール・シハルリジェ(アブドゥル)、スサンナ・マフラリエヴァ(ジーナ)
    内容:
    文豪トルストイが書いた短編小説をもとに、現代のチェチェン紛争下に舞台を移し、飽くなき戦いの虚しさの中にも黙々と生き続ける人々の姿を、コーカサスの大自然を背景に詩情豊かに描いた。
    草舟私見
    滔滔たる文化、頑固で深い人情、雄大なる景観、哀愁の切々たる音楽の数々、どれをとってもまさに名画であると感じる。舞台はコーカサスのチェチェンである。いいですよね。ゆったりとしています。人々が文化の中に浸っているからです。その文化を守るためには一人一人が命などは全然惜しみません。チェチェンの人々はね、先祖の生きてきた通りに生きたいんですね。取り立てて愛情がありませんね。それはね、あるのが当たり前だからなんです。戦うことも言挙げしません。文化を守るためにはそうするのが当然だからなんです。二人のソ連兵も良い。チェチェンで徐々に人間らしくなっていくのがわかります。良し悪しよりも旧い人間は皆けじめを最も重視してます。アブドゥルもハッサンもいい男です。けじめを付ければ生死や善悪などどうでもよいというのが、やはり旧い人間の生き方ですね。要は現代の口舌の徒と反対ということです。ソ連軍の歌も良い。コーカサスの歌も良い。主題歌も良い。つまり全部良い。

    コーチ・カーター COACH CARTER

    (2004年、米) 136分/カラー

    監督:
    トーマス・カーター/音楽:トレヴァー・ラビン
    出演:
    サミュエル・L・ジャクソン(ケン・カーター)、ロブ・ブラウン(ケニヨン)、ロバート・リチャード(ダミアン)、アシャンティ(キーラ)、リック・ゴンザレス(クルーズ)、アントウォン・タナー(ワーム)、チャニング・テイタム(ライル)
    内容:
    アメリカ・カリフォルニアの荒廃した高校でスポーツを通して真の教育を施したコーチの実話を映画化。犯罪の巣窟の地区にあるリッチモンド高校が舞台。
    草舟私見
    現代におけるスポーツのあり方は邪道であると私はずっと思っている。スポーツは元々規律、献身、誇りを人間に与えるために「教育」として十九世紀の英国において導入された「文明」なのである。その秀れた教育的力のゆえに世界に広まり、今日におよんでいるのだ。その原点の「初心」というものを思い起こさせてくれる名画であると、私は本作を感じているのだ。正義を重んじ、公正なる判断力を持つ人間を育てるための重大な教育課程がスポーツであった筈である。スポーツマンシップを心に有する爽快なる人物を育てるために世界中で学校教育にスポーツが導入されているのである。現代の消費文明がこの崇高な「学問」を地に堕としている。今やスポーツはただの遊びであり、金儲けであり、出世の道具と化しているのである。主人公のカーターは、スポーツによって信念を貫ける人間となったのだ。自分の人生を築いてくれたものがスポーツの魂であると知っているのだ。彼は真にスポーツを愛する人なのである。その愛を彼は身をもって我々に伝えたいのである。彼のような人が真のスポーツマンなのである。  

    告白 L’AVEU

    (1970年、仏=伊) 134分/カラー

    監督:
    コスタ・ガヴラス/原作:アルトゥール・ロンドン、リーズ・ロンドン/音楽:ジャック・メテエン
    出演:
    イヴ・モンタン(ジェラール)、シモーヌ・シニョレ(ジェラールの妻)、ガブリエレ・フェルゼッティ(クーテック)
    内容:
    チェコスロバキアの外務次官がスターリン主義による党の粛清により逮捕され、関わりもしない出来事の「自白」を強要される。人間の自由と尊厳を蹂躙するものへの怒りを込めた社会派映画。
    草舟私見
    共産主義下のチェコを舞台に、全体主義による統制社会の無意味さと恐怖を描く名作である。本当に思想的統制社会というものは嫌である。どんな立派な主義主張を持っていても、要は権力の亡者による完全官僚社会である。やはり社会は伝統と歴史に根ざす自由主義が良い。人間が生きることが本体にある自然な社会が良い。そういう意味では現在の自由圏も間接的な統制社会だ。封建主義が良い。封建とは実は歴史と文化の主義であり、人間の道徳に根本を置く社会なのだ。本当に共産主義は嫌ですね。本作品も実話に基づくだけあって凄い迫力です。官僚主義が人間の罪を造り上げていく過程は、人間性が関与していないだけに氷のようなゾッとする冷たさがあります。人間とは、その立脚点と尊厳を次々と奪ってしまえばどうにでもなる存在だという本質がよくわかる。だからこそ我々の歴史と伝統そして自由と尊厳を守るためには、我々はいついかなるときでも全身全霊で戦う覚悟が必要なのです。イヴ・モンタンがすばらしいですね。私の親父はモンタンの大ファンでしたからね、だから私もモンタンが心底好きなんですよ。

    告白 TRUE CONFESSIONS

    (1981年、米) 108分/カラー

    監督:
    ウール・グロスバード/原作:ジョン・G・ダン/音楽:ジョルジュ・ドルリュー
    出演:
    ロバート・デ・ニーロ(デス)、ロバート・デュヴァル(トム)、バージェス・メレディス(ファーゴ)、チャールズ・ダーニング(アムステルダム)
    内容:
    1940年代後半、ロサンゼルス。兄は刑事、弟はカトリック教会の聖職者。建設業者と教会の癒着を背景に、このアイルランド系アメリカ人兄弟の対立と心の葛藤を描いた作品。
    草舟私見
    兄の刑事トムに扮するロバート・デュヴァルと、弟の司祭デスに扮するロバート・デ・ニーロの名演によって、人間の持つ情念と高貴さが見事に描かれている秀作と感じる。トムの行為は嫉妬心もあると見るのが普通だが、私はそうは思わない。物事の断行、ときに正義の断行はそれが真実であるほど綺麗事では行かないのだ。暗い情念と意地がなくて何の決断ができようか。兄によって救われたと言う弟は、謙遜だけではなく本当にそう思っているのだ。金は必要であるが悪人と組むことは断じて間違いなのである。いい兄弟である。親がいいのだ。デスも実にいい人物だ。惜しむらくは神父という生き方ゆえに、正しい商道を知らず投機というものに走ったことがいけなかったのだ。金銭はいかなる理由があっても正しく稼がなければならんのだ。投機は邪道なのである。砂漠で会う兄弟の実に美しいこと。いいですね兄弟は。ファーゴ司祭の断固として頑固な生き方が私は一番好きです。私は商道においてファーゴになるつもりです。金銭は頑固に正道で稼げば得られるのです。デスは金銭を稼ぐことそれ自体を悪いことだと錯覚していたところに、投機に走る要因があったのだと感じます。

    こころの時代 道をひらく—内村鑑三のことば—

    (2013年、NHK) 合計360分

    出演:
    (講師)立教大学名誉教授 鈴木範久、(ききて)石澤典夫
    内容:
    立教大学名誉教授 鈴木範久は、主として内村鑑三などの近代日本のキリスト教を研究してきた。その鈴木教授によって、内村鑑三の思想が語られていく。
    草舟私見
    内村鑑三は、近代というものに突き刺さった「棘」である。それは、近代がその内部に秘めてしまったものの「呻き」なのだ。人々はそれを嫌い、私はそれを愛する。内村は、近代が捨て去ったものを光源として、その思想を発し続けていると言ってもいいだろう。近代が捨て去った、生命の淵源、そして生命がもつ悲哀を語り続けている。生命の本質は、生命以上のものを指向しなければ何もわからない。その悲しみを見つめ続けなければ、我々の生はないのだ。その深淵を抱き締めなければ、生命を愛することはできない。人類は、その悲哀に立ち向かう精神を「信仰」と名づけてきたに違いない。生命が、生命として生きるために信仰は生まれたのだ。それを、それだけを語り続けた男が内村であった。語り続けることによって、内村はすべてに「敗北」した。偉大なる敗北である。ただひとりで、近代という怪物と対峙したのだ。すべての者が、近代を享受しているとき、彼一人だけは近代を拒絶した。それは、内村が生命の故郷を愛するからに他ならない。そして、内村は最後に「かの、来たりつつあるもの」だけに希望を繋いだのだ。つまり、キリストの「復活」。神の再臨である。そして、再びすべての人々に見捨てられた。

    5シリングの真実 THE WINSLOW BOY

    (1999年、英) 104分/カラー

    監督:
    デヴィッド・マメット/音楽:アラリック・ジャンス
    出演:
    ナイジェル・ホーソン(アーサー)、ジェレミー・ノーサム(モートン卿)、レベッカ・ピジョン(キャサリン)、ジェマ・ジョーンズ(グレース)
    内容:
    第一次世界大戦の影が忍び寄るイギリス。泥棒の濡れ衣を着せられた末息子の無実の罪を晴らすために闘う家族を通し、家族愛を描いた作品。
    草舟私見
    第一次世界大戦前夜の英国のごく普通の家庭を題材としており、そのモラルの高さにただただ驚かされる映画である。ごく普通の会話の中に、家族というものの深い愛情が「生きている」型としてまさに生きているのである。映画の主題はたった五シリングではあるが、泥棒だというレッテルを貼られた末子の無実を晴らすための家族の闘いを描いている。その中に描かれる愛情に、今は失われつつある真の愛情を見い出すのである。愛情とはいつの世も真実の姿は実は「自己犠牲」なのである。本当に重要で大切なものを愛する者のために犠牲とすることが愛なのだ。綺麗事はいらないのだ。それを実行することが愛なのだ。末子が「絶対に奪ってない」という言葉を信じて、全てを犠牲にする本当の愛の物語である。そして愛は並々ならぬ勇気を必要とするのだ。なぜなら真実の愛は残酷で過酷な運命を伴なうからである。しかし本当の愛を貫く者は、本当の生き甲斐のある人生という真の宝物を手にすることができるのだ。父親は平凡の中に真の勇気を有する。オクスフォードを辞めた兄はその身の中に真の男がいる。姉は生意気に見えるが、将来本当に幸福になりますよ。母はこの家族のゆえに生涯幸せです。これにモートン卿ね、この人のような人物は私は目茶苦茶に好きです。こういう真の愛を知る者は生涯、人を騙したり裏切ったりすることは金輪際できないのだ。

    こだわり人物伝「升田幸三」

    (2011年、NHK) 合計98分/カラー

    監督:
    伊藤雄哉/語り:大崎善生/ドキュメンタリー
    内容:
    豪放磊落、自由奔放。酒と煙草は欠かさない。将棋以外の破天荒さも相まって、将棋士升田幸三は勝負の世界で多くを魅了し、憧れの的となっている。升田幸三の名勝負を中心に、人間升田を描いていく。
    草舟私見
    「新手一生」と升田は生涯にわたって言い続けた。その生き方を私は愛する。それは何ものにも変え難いものだと信じる。そう生きることに、狂うことができた升田は幸福な人間であった。狂うことだけが生命を燃焼させる。その魅力を、多くの人々が共有していた時代の最後を飾った棋士が升田だったのであろう。私はそう考えている。彼の将棋は、彼自身であって、すでに将棋ではなかった。将棋ではない将棋を打つ将棋士が升田であった。だから、この人だけは忘れられぬのである。血が、涙が、生(いのち)が、私の脳裏に刻み込まれて決して離れることがない。そのような棋士が升田である。今はいない、過去の遺物であろう。遺物だが、真の人間であった。人間として、涙と骨肉の中から将棋を差した。「手」の中に彼自身の人生が躍動していた。そして、いつでも哭いていた。私に向かって、私の魂に向かって。私は升田幸三を好きでたまらない。その男の人生がこの作品の中に充満している。

    ゴッド・セイブ・アス Que Dios nos perdone

    (2016年、スペイン) 126分/カラー

    監督:
    ロドリゴ・ソロゴイェン/音楽:オリビエル・アルソン
    出演:
    アントニオ・デ・ラ・トーレ(ルイス・ベラルデ)、ロベルト・アラモ(ハビエル・アルファロ)、ハビエル・ペレイラ(アンドレス・ボスケ)、ルイス・サエラ(アロンソ)、ホセ・ルイス・ガルシア・ペレス(サンチョ)、モニカ・ロペス(アンパロ)
    内容:
    前代未聞の猟奇殺人を追う二人の問題刑事。上層部が事件を隠蔽しようとする中、独断で捜査を続けようとするが、思わぬ運命が二人を見舞う。
    草舟私見
    現代スペインの社会が孕む根源的問題が、底辺を支える名画である。それは猟奇事件を追う刑事たちのもつ「古い活力」として、作品の中に展開する。スペインの抱える歴史的抒情が、現代社会の問題と火花を散らしているのだ。スペインは神の申し子であった。そのスペインが、神を失った悲しみが画面を覆っている。スペインの喘ぐ悲しみが画面を走り続けている。その画面そのものが、名画を形創っているのだ。その話されるスペイン語自体が、新しい時代の息吹を私に感じさせてくれる。外国映画といえば、英米仏の物に慣らされている我々日本人にとって、現代スペインの映像は実に新鮮に映る。そして、映画の抒情を決定する音声としての言語が、私の魂を揺さぶる。現代の社会問題を語るスペイン語のもつ力を、私はこの作品から実感した。その昔、国王カルロスⅠ世が、スペイン語を「神と語るための言語」と言ったそうだが、その真実を私は本作で感じていると言えよう。そして最後に、神の音楽が鳴り響く。映像と音声による、新しい芸術を私は感じ続けていた。

    ゴッドファーザー Ⅰ THE GODFATHER

    (1972年、米) 175分/カラー

    監督:
    フランシス・フォード・コッポラ/原作:マリオ・プーゾ/音楽:ニーノ・ロータ/受賞:アカデミー賞 作品賞・主演男優賞・脚本賞
    出演:
    マーロン・ブランド(ビトー・コルレオーネ)、アル・パチーノ(マイケル・コルレオーネ)、ロバート・デュヴァル(トム・ヘーゲン)
    内容:
    巨大なアメリカ・マフィアのコルレオーネ・ファミリーの内幕を描いたマリオ・プーゾのベストセラーを映画化。マーロン・ブランド、アル・パチーノなど豪華俳優の競演。アカデミー賞多数受賞。
    草舟私見
    何度観ても新たなる感動を覚える米映画中の最高傑作の一つであると感じる。N・ロータの主題曲は私の魂を震撼して已まない。「愛のテーマ」も良いがやはり主題曲が良い。これは我が魂の曲である。それにM・ブランドの凄いこと。男はこうあるべきであるという実感がある。ここで生き方の表面的善悪などを問う者はどうかしている。この生き方の筋道こそまさに人生というものであろう。心を打つ生き方は「筋が通っている」ということに尽きる。この名演は映画史上の歴史に残るものであろう。マイケル(A・パチーノ)が二代目になっていく過程も、実に人間的で興味の尽きることがない。マイケルの変化も名演である。「良い人」から「筋の通った人物」への道程はすばらしい。人間の軽重を測るのは、善悪よりも筋を重んじる責任感の有無にあると尽々と感じさせられる。軽薄な乱暴者や悪人には悪事すらできないというのが真実であろう。与えられた環境を生き抜くために全力を尽くし、筋のある恩と責任の上に生きる男の魅力は国と職業の別なく私を感動させるのである。

    ゴッドファーザー PartⅡ THE GODFATHER PARTⅡ

    (1974年、米) 200分/カラー

    監督:
    フランシス・フォード・コッポラ/原作:マリオ・プーゾ/音楽:ニーノ・ロータ/受賞:アカデミー賞 作品賞・監督賞・脚本賞・助演男優賞・音楽賞・美術監督装置賞
    出演:
    アル・パチーノ(マイケル・コルレオーネ)、ロバート・デ・ニーロ(ビトー)、ロバート・デュヴァル(トム・ヘーゲン)、ジョン・カザール(フレドー)
    内容:
    ゴッドファーザーの続編。父ビトー亡き後、コルレオーネ・ファミリーのドンになった三男マイケルの組織を守る戦いの日々と苦悩の中で、想いを馳せる若き頃の父の後ろ姿を描く。
    草舟私見
    前作に比肩し得る名画中の名画である。二代目のドンとして、全ての責任を一身に負うマイケル(A・パチーノ)の名演が忘れ得ぬ印象を残す。そしてファミリーの頂点に立つ孤独者であるマイケルを支えるものはただ一つ「追憶」である。前作の主人公であったビトーの若き日の姿が美しく再現され、それとマイケルとの魂の交信が観る者の涙を誘わずにはおかない。マイケルはビトーと一つの心となっている。それは彼が家族を愛し継承した全事業を愛しているからである。愛する対象が同じならば人間は魂が通じるのである。ビトーを演じるR・デ・ニーロが大物というものの若き日を実に感動的に表現している。ビトーはシチリアの思い出に生き、マイケルは父の思い出に生きる。物事をやり抜くということにとって、最も重要な要素が描かれている。そして孤独を愛することが責任を負う人生において重要なことがわかる。家庭も組織も孤独という責任を負う者があって初めてなり立つものなのであろう。N・ロータの音楽が前作にも増して心に沁みる作品である。

    コナン・ザ・グレート CONAN THE BARBARIAN

    (1982年、米) 121分/カラー

    監督:
    ジョン・ミリアス/原作:ロバート・E・ハワード/音楽:バジル・ポールドゥーリス
    出演:
    アーノルド・シュワルツェネッガー(コナン)、ジェームズ・アール・ジョーンズ(タルサ)、サンダール・バーグマン(バレリア)、ジェリー・ロペス(サボタイ)
    内容:
    ロバート・E・ハワードのヒロイックファンタジーの名作コナン・シリーズの映画化。後にアキロニアの王となる勇者コナンの壮大な冒険を描いた作品。
    草舟私見
    我々の認識する歴史以前、つまり四大文明発祥以前のヨーロッパ地域の物語である。原始ゲルマンと遊牧スキタイと地中海文明の交点であるバルカンあたりが舞台かと思われる。時代考証が錯綜している嫌いがあるが、やはり歴史以前の物語はロマンがあって観ていて何とも言えなく楽しいですね。コナンはギリシャ文明初期の英雄詩であり、ホメロスが謳い挙げているアーリア人種を生み出した英雄と私は認識しています。我々はギリシャ以前を青銅文明と思っているが、鉄は古くから存在しているのです。鉄を信仰する者が王者になっていく過程がよく描かれています。アーリアに負かされていく龍蛇族文明の姿が哀れですね。コナンの神クロムは製鉄の神です。西洋も中東も日本も文明以前の長い物語は、全て鉄を精錬していく技術の物語なのです。我々がよく考えなければならないのは、文明の底辺を支えている情念は文明以前の長い歴史にあるのだということです。コナンの生き方は現代でも最も勇気のある生き方なのです。

    五人の斥候兵

    (1938年、日活) 71分/白黒

    監督:
    田坂具隆/原作:高重屋四郎(田坂具隆のペンネーム) 
    出演:
    小杉勇(岡田隊長)、見明凡太郎(藤本軍曹)、井染四郎(中村上等兵)、星ひかる(長野一等兵)、伊沢一郎(木口一等兵)、長尾敏之助(遠山一等兵)
    内容:
    最前線で戦う兵士一人一人に焦点を合わせ、兵士たちの友情、また上官と部下との深い信頼関係を描いた本作品は、戦記映画の名作として今なお語り継がれている。
    草舟私見
    昭和13年、日華事変の最中にできた古い映画であるが、まさに戦記映画の名作と感じている。岡田隊長の器量がすばらしいですね。まさに日本軍の伝統的指揮官を彷彿させます。また兵たち一人一人の人間性の活写も感動的です。これぞ旧帝国陸軍の真の姿なのです。戦後喧伝されている例外的な悪徳は別として、これが帝国陸軍の平均的な姿なのです。日本人による日本の軍隊とはこれなのです。いやあ良いですね。愛国心つまり大いなる志を共有する人間たちの間にだけ、真の友情が生まれることが良くわかります。五人の斥候が任務につくとき、平原をまっしぐらに走るシーンは心に焼き付いて離れません。美しいです。また最後の総攻撃出動の場面は、一生涯忘れ得ぬ勇気を私に与えてくれています。帝国陸軍の出撃は本当にカッコ良いですね。日本人として血が湧き肉が躍るのです。陸軍は良い。     

    五人の突撃隊

    (1961年、大映) 119分/白黒

    監督:
    井上梅次/音楽:鏑木創
    出演:
    本郷功次郎(野上少尉)、川口浩(橋本上等兵)、藤巻潤(杉江一等兵)、山村聰(曾根旅団長)、大坂志郎(野上中佐)
    内容:
    第二次世界大戦末期、ビルマ最前線における五人の若き将兵の壮絶な戦いと真の友情を描いた作品。昭和十九年、敗戦の色濃いビルマ最前線では食料も弾薬も補給が途絶え、悪戦苦闘していた。
    草舟私見
    帝国陸軍の物語は実に人間味があって本当に面白いですね。陸軍はいいですよ。本作品も心に残る名画です。軍隊というのはね、育ちも性格も能力も違う人間がこちゃまぜにされて反目し合い協力し合い、そして同じ釜の飯を喰って生死を共にしているところですからね。人間の善いところも悪いところも正直に表現されるんです。だから戦記物は興味が尽きません。この映画でも旅団長、大隊長、そして五人の殿を務める兵の各々の人生がよく表わされていて実に感に堪えません。卑怯な奴も弱い奴もハスに構えた奴もぐれた奴も責任感のある奴も、みんないい奴ばかりですね。生死を共にするとね、人間というものは本当にみんないい奴しかいませんわ。こういう戦争ものを観ますとね、つまらなくて不平不満の人生というものが存在しているのは、つまり暇で贅沢だからだと尽々とわかります。本作品から強く感じることは人間の本質はみんないい奴で面白い奴で、みんな少し間抜けでお人好しで、それでいて真面目で責任感があるんだなということである。

    米百俵

    (1993年、斑目力曠) 98分/カラー

    監督:
    島宏/原作:山本有三/音楽:太田正一/受賞:文部省特選
    出演:
    中村嘉葎雄(小林虎三郎)、長谷川明男(河合継之助)、佐原健二(佐久間象山)、尾藤イサオ(吉田松陰)、河原崎健三(吉岡十浪)、眞行寺君枝(白石お美代)
    内容:
    明治の初め、戊辰戦争に敗れて貧困に喘ぐ越後長岡藩にあって一人学校建設に情熱を傾けた男、小林虎三郎の生き様を描く。
    草舟私見
    幕末から明治初期に至る頃の長岡藩の小林虎三郎の生涯を描いた作品である。この頃の長岡藩は本当に魅力がある。「動」の河合継之介に「静」の小林虎三郎というところか。「動」もすばらしいが「静」もすばらしい。特に「静」は長く静かな忍耐を要する真の勇気を必要としている。「静」とは持続した勇気なのである。真の勇気が無ければ「静」とは呼ばない。そして本当の「静」というものが最も必要とされるのが、「人を育てる」ということであろう。この作品は真の「静」の勇気とその属性としての真の教育を扱っている。教育とは真に世の中の役に立つ「真の人物」を育てることなのである。そしてそのために多くの先人が犠牲を払っているのだ。その払った犠牲が真の愛なのである。虎三郎のような人物の必要性を私は今日ほど感じることはない。この作品に描かれている教育に対する夢が、明治以来の日本の教育の根本なのである。本作品は長岡藩だけの話であるが、明治初期は他藩も似たり寄ったりであり、明治新政府すら同様であったのだ。今日の我々はこの作品を通じて先人が築いた真の愛情に基づく夢であった教育の原点を考え直すために、本作品をよくよく深く吟味しなければならないと感じている。           

    ゴリオ爺さん LE PÈRE GORIOT

    (2004年、仏) 100分/カラー

    監督:
    ジャン=ダニエル・ヴェラーゲ/原作:オノレ・ド・バルザック/音楽:キャロラン・プティ
    出演:
    シャルル・アズナブール(ゴリオ爺さん)、チェッキー・カリョ(ヴォートラン)、マリク・ジディ(ラスティニャック)、ナディア・バランタン(ヴォケー夫人)
    内容:
    バルザックの数ある小説の中で最も重要な作品と言われる原作の映画化。ルイ十八世によって復興された王政時代、1819年のパリを舞台に子煩悩な男と彼を取り巻く人々を描く。
    草舟私見
    バルザックの名作、『人間喜劇』の中心を成す『ゴリオ爺さん』の映画化である。名画と言えよう。本作を名画にしているものとしては、もちろんバルザックの深い人間洞察の力に負うところが大きいが、シャルル・アズナブールの名演もそれを補完して余りある。アズナブールは、シャンソン歌手として名高い人物であり、我が青春の歌でもある「ラ・ボエーム」を歌った人物として思い出深い。歌手としては、イヴ・モンタンについで魅力を感じる者である。このアズナブールの何という名演。涙が流れる。若き日から私が敬愛してやまぬゴリオ氏の、書物からは感じることのできなかった一面に、この名優のおかげで気づくことができた。それは一言で言えば、ゴリオ氏の人生を貫く詩のようなものと言えるかもしれない。ゴリオ氏の人生を支えていた、何か詩のようなものを私はアズナブールの演技の中に感じた。それはまた、悲しみの人であったゴリオ爺さんの誇りのようなものであろう。その本当のロマンティシズムを私はアズナブールから感じた。

    五稜郭

    (1988年、日本テレビ) 290分/カラー

    監督:
    斎藤光正/原作:杉山義法/音楽:さだまさし 
    出演:
    里見浩太朗(榎本武揚)、渡哲也(土方歳三)、森繫久彌(佐藤泰然)、風間杜夫(高松凌雲)、津川雅彦(勝海舟)、西郷輝彦(黒田清隆)、あおい輝彦(木戸孝允)、石立鉄男(松本良順)、十朱幸代(井上ちか子)、浅野ゆう子(榎本多津)
    内容:
    江戸幕府が消滅し、薩長を中心とする明治新国家が誕生すると、若き幕臣たちは未開の北の大地にその生きる道を見出そうとした。その先頭に立った榎本武揚の人となりを描く。
    草舟私見
    幕府軍最後の戦いであり、明治という偉大な時代を暗示する戦いである。偉大な時代は偉大な時代を滅ぼすことによって生まれる。滅ぼすも男なら滅ぼされるも男という心魂を揺さぶられずには観ることのできぬ名作である。会津から五稜郭に至る幕府の幕引きに、心底の愛着と感動を得ぬ者に真の明治はわからぬ。明治がわからねば日本の近代化の涙はわからぬ。男は男に惚れ、偉大なる時代は偉大なる時代に惚れるのだ。榎本武揚の意地と生き方は真の男にだけわかる真の勇気である。また土方歳三の死に方も真の男にだけわかる真の勇気である。黒田清隆も男である。守るも男、攻むるも男である。私はこういう生き方は全部好きである。何もかもひっくるめて私はただ好きである。子が親を慕うごとくの気持ちと申し上げておく。本作品に登場する佐藤泰然と松本良順は、私が歴史上最も尊敬する医者であることを付け加えておく。この二人は当時の日本における最高の医者であると同時に、真の硬骨の男であり、真の武士である。私は医者ではないが、この二人の医者の生き方は私の最も尊敬する真の男の生き方である。私が最大の感化を受けた医者がこの二人なのである。

    コルチャック先生 KORCZAK

    (1990年、ポーランド=西独) 118分/白黒

    監督:
    アンジェイ・ワイダ/音楽:ヴォイチェフ・キルアル
    出演:
    ヴォイチェフ・プショニャック(コルチャック)、エヴァ・ダウコフスカ(ステファ)
    内容:
    第二次世界大戦中、実在のポーランドの識者ヤヌシュ・コルチャックはユダヤ人孤児を守り、ナチスの強制収容所で生涯を終えた。その半生を綴った感動作。
    草舟私見
    ポーランドの小児科医であり児童作家であった、ヤヌシュ・コルチャックの真実の栄光の生涯である。巨匠アンジェイ・ワイダが、その人生の涙を全て濯ぎ込んだ傑作であると感じる。コルチャック先生の愛こそ本当の愛なのだと私は確信できる。そして本当の愛の人が、いかに恐い人であるか、いかに厳しい人であるか、またいかに戦闘的な人であるのかが真実として感ぜられる。愛の実践は綺麗事や柔弱からは生まれないのだ。断固として自らの特権を拒否し、断固として子供たちと共に強制収容所へ向かうコルチャック先生の姿こそ真の男の生き方であり真の勇気であり真の愛であり、真の強さなのだと痛感する。ユダヤの子供たちと共にガス室が待つ場所へと歩む先生の姿は、私の脳裏に深く刻み付けられた。私自身を一生涯鼓舞する真実の魂となっている。この真の涙こそ人間が生きる上に最も重要なものだと断定できる。

    コンフィデンスマンJP ―プリンセス編―

    (2019年、「コンフィデンスマンJP」製作委員会) 124分/カラー

    監督:
    田中亮/音楽:fox capture plan
    出演:
    長澤まさみ(ダー子)、東出昌大(ボクちゃん)、小手伸也(五十嵐)、関水渚(コックリ)、小日向文世(リチャード)、織田梨沙(モナコ)、瀧川英次(ちょび髭)、前田敦子(鈴木さん)、ビビアン・スー(ブリジット)、北大路欣也(レイモンド・フウ)
    内容:
    人気ドラマの映画化第二弾。信用詐欺師たちが、世界的大富豪の10兆円の遺産をめぐって繰り広げる騒動を描く。
    草舟私見
    観た後に、爽快で清らかな心が残る作品である。悪の中に存する、善を志向する人間の原像がほどよく画面を流れて行くのだ。これがうまく表現されているのは、何よりも、俳優たちの演技が秀れているとしか言いようがない。特に印象に残るのはダー子役の長澤まさみだ。この女優はとにかく強い印象を残す。そして人間のもつ根源的生命を感じさせてくれる女優だ。演技力もさることながら、やはりそこは、何か人間力とも言うべきものがあるのだろう。脇を固める役者もみなすばらしい。現代では、俳優が作品を創り上げているというものは本当に少ない。その少ないものの一つが本作と言えよう。観る者を魅了するエスプリが随所にちりばめられている。またそれをよく役者たちが活かしているのだ。面白く楽しい。そして何か切ないものを感じさせてくれる。それでいて、後には美しいものが残響する。この世の矛盾を、この作品は打ちのめす力があるのだろう。作品を創り上げた多くの人間たちの「熱情」というものが、全篇を支えていると言ってもいいだろう。いい作品だ。
 
  • 13デイズ THIRTEEN DAYS

    (2000年、米) 145分/カラー

    監督:
    ロジャー・ドナルドソン/音楽:トレバー・ジョーンズ
    出演:
    ケビン・コスナー(ケネス・オドネル)、ブルース・グリーンウッド(ジョン・F・ケネディ)、スティーブン・カルプ(ロバート・F・ケネディ)、ディラン・ベイカー(ロバート・マクナマラ)、マイケル・フェアマン(アドレイ・スチーヴンソン)
    内容:
    アメリカ、ソ連が核による全面戦争突入に最も近づいた十三日間に及ぶキューバ危機を描いた作品。アメリカから約140km離れたキューバにカストロ政権が誕生してから、カリブ海の緊張は高まっていた。
    草舟私見
    私の世代(昭和20年代生まれ)の人間が、最も実感として知っている世界的危機であった、キューバ危機を再現した名画である。始めから終わりまでまさに手に汗を握る連続である。手に汗を握る割には最後があっけない印象があるが、それが偉大ですばらしいのである。良いこと、良い結果というものはそういうものなのである。本当の強さ、本当の努力とはこういうものだと尽々と感じる。ことを未然に防ぎ良い結果をもたらすのは真に勇気がいることである。簡単な結果でも価値ある結果を出すには、これだけの人間の知恵と努力が隠されているのだ。そしてそれは真の愛情や友情や信頼を深く知る人物にして、初めて得られるのである。ケネディ大統領を中心とする、アイルランド魂(真の気骨)を持つ三人の米国トップの友情と信頼はすばらしい。ケネディというトップに立つ人間の懊悩と孤独が事実を史実に追いかけることによって、本当によく浮き彫りにされている。真の勇気とは何か。真の愛情とは、真の友情とは、真の信頼とは何かがよく描かれている。またそれらから生じる真の決断力が、いかに大変な事柄であるのかがよくわかる。最も強い者は、また最も謙虚な者でなければならぬという歴史の真実を感じる。

    最強のふたり UNTOUCHABLE

    (2011年、仏) 113分/カラー

    監督:
    エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ/音楽:ルドヴィコ・エイナウディ
    出演:
    フランソワ・クリュゼ(フィリップ)、オマール・シー(ドリス)、アンヌ・ル・ニ(イヴォンヌ)、オドレイ・フルーロ(マガリー)、クロティルド・モレ(マルセル)
    内容:
    事故で首から下が動かなくなった大富豪のフィリップ。彼が介護人を雇おうとしたところ多くが集まったが、中で媚びもせず言いたい放題の黒人ドリスを雇うことにした。
    草舟私見
    人生の深淵を描く一作と感ずる。富豪の身障者とその介護をする黒人の物語である。同一の価値観の押し付けが激しい現代に、一石を投ずる作品と成っている。何もかも違う二人の男の中に、徐々に生まれ出づる友情がこの上なく美しい。陰と陽の無限回転が人生なのだ。人間は、違うからその出会いに価値がある。同情する関係、同調する者同士には、真の人間関係はない。真の関係は、それぞれの人間の中に、しっかりとした価値観が根付いているところに生ずる。人間のもたれ合いは嘘の関係だ。人間同士の癒しも嘘の上に成り立っている。本当の愛、そして本当の友情は、本当の関係の中にしかない。そして本当とは、それぞれの人間が心底から信じている生き方の中にしかないのだ。その本当の自分をぶつけ合い、傷付け合うことを恐れてはならないのだ。愛は、勇気から生まれる。そのことを、この二人は教えてくれる。違う人間、違う価値観の中にこそ生まれる真実が眩しい。その眩しさが、現代を問うているのだ。

    最後の決闘裁判 THE LAST DUEL

    (2021年、英=米) 133分/カラー

    監督:
    リドリー・スコット/原作:エリック・ジェイガー/音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
    出演:
    マット・デイモン(ジャン・ド・カルージュ)、アダム・ドライバー(ジャック・ル・グリ)、ジョディ・カマー(マルグリット)、ベン・アフレック(アランソン伯ピエール2世)
    内容:
    1386年のフランス王国パリで起きた、ノルマンディの騎士と従騎士との間の決闘裁判の経過を描く、歴史映画。
    草舟私見
    人間の文明というものが抱える悲しみを、画面狭しと伝える名画である。日本における武士道、そして西洋の騎士道が何によって支えられていたのか。我々の父祖たちの哀歓が現代に甦り、私の心の奥底を揺さぶるのだ。人間は、文明を築き上げた唯一の生き物と言ってもいいだろう。その文明は、命よりも大切な「何ものか」によって支えられていた。文明を支えるその「何ものか」のために、祖先たちは命を投げ出し、そして汗と涙を流し続けて来た。真の名誉、真の真実。真の人生、真の愛情が何であるのか。それがこの作品の主題とも言える。文明を支えるために流された涙こそが、人類の本質を創ったのだ。私はそれを騎士道の中に観ることが出来た。騎士道とは、美しくきれいな幻想ではない。それは文明を支える叫びであり、悪徳ですらあった。その悪徳に、命をかける者たちが、人間の文明を創った。中世の人間たちの「純心」が私の心を打つ。ここに展開される「純情」をこそ、現代人は取り戻さなくてはならないのだ。我々が失ったものを騎士道の中に見出してほしい。

    最後の谷 THE LAST VALLEY

    (1970年、米) 126分/カラー

    監督:
    ジェームズ・クラヴェル/原作:ジェームズ・B・ビック/音楽:ジョン・バリー
    出演:
    マイケル・ケイン(隊長)、オマー・シャリフ(ボーゲル)、フロリダ・ボルカン(エリカ)、ナイジェル・ダヴェンポート(村長=グルーバー)
    内容:
    ドイツを中心に展開された十七世紀の三十年戦争末期を背景に、戦乱にあえぐ村を破壊から守ろうとするひとりの男と、ある傭兵隊長の姿を描いた作品。
    草舟私見
    ヨーロッパが世界を制覇する前夜の、宗教戦争に明け暮れていた頃の最も悲劇的な時代を背景にした名画である。ヨーロッパが最も苦しむことによって強靱さと英知を身に付けた時代でもある。映画はその時代の人間精神を活写しており、不思議な雰囲気を醸し出すことによって忘れ得ぬ印象を私に与えた作品である。画面と音楽が、魂の奥深くに響く人間たちの想念を伝えているのである。登場人物たちは善人も悪人もみな人生を愉しみ人生を強く生きている。不幸が人間に強さと英知を与えているのである。人生観と信じるものの違いがあるだけで全ての人が個性的である。生き抜くために生きている人間の美しさと強さがあるのだ。やはり私は傭兵隊長のマイケル・ケインが好きですね。カッコ良いですね。時代と政治の全てが間違っていることを知り抜いているのに、あくまでも自己の運命と役目を最後まで生きるその人生観が魅力です。

    最後の弾丸 THE LAST BULLET

    (1995年、日=豪) 90分/カラー

    監督:
    マイケル・パティンソン/原作:柘植久慶/音楽:ネリダ・タイソン・チュウ
    出演:
    玉置浩二(山村一郎)、ジェイソン・ドノバン(スタンレー・ブレナン)、室田日出男(山村一郎=現在)、チャールズ・ティングウェル(スタンレー・ブレナン=現在)、井川比佐死(山村虎三)、白島靖代(山村節子)、ダニエル・リグネイ(エリオット)
    内容:
    1945年、南洋ボルネオの密林で繰り広げられる一人の日本人と一人のオーストラリア人の生き残りを賭けた戦いを描く。日本軍の敗戦が色濃くなり、ボルネオ島の密林で日本は最後の攻撃を行なった。
    草舟私見
    まさに鬼気せまる秀作であると感じる。狙撃手を扱った作品は他にも名作があるが、その理由としてはやはり闘う人間の中に芽生える互いを尊重する心と、また真に闘い続ける男たちの中に共通して存在する美しき心というものが伝わってくるからであろうと感じている。恐怖心を克服して真に闘い続けることは、美しき心を持ち真に人間愛を持つ人間にしか行ない得ないものなのである。この作品は観てすぐに忘れてしまうようでは何の価値も無い。この結末を生涯にわたって考え続け、自分自身の人間としての生き方に対して、この映画が表現するものを追求しなければならないのだ。自分ならどうするか。自分にもあのような局面であのような人間性が果たして残っているものかどうか。どうであれそういう人間になりたいという思いを強く抱かせる作品である。私はブレナンも山村も、あのような結末になるだけの人物であるから、あの恐怖の中であそこまで闘い抜けたのだと感じる。闘い続けるには真の美学と真のヒューマニズムが必要なのだ。それの無い人間はあそこまで闘い抜くことはできないであろう。

    最後の突撃

    (1957年、日活) 81分/白黒

    監督:
    阿部豊/原作:杉浦義教/音楽:鈴木靜一                   
    出演:
    水島道太郎(松下少佐参謀)、二谷英明(戸田中尉)、近藤宏(岡大尉)、大坂志郎(下山軍医中尉)、安井昌二(秋山中尉)、神山勝(馬場少尉)、小杉勇(沼兵団長香川中将)
    内容:
    太平洋戦争下、南太平洋のニューブリテン島における玉砕部隊の真相を描いた作品。原作者はかつて軍司令部参謀を務めた人であり、実録に基づく映画である。
    草舟私見
    史実に基づくズンケン守備隊の最後である。何と言っても松下少佐の生き方に男として共感を覚える。責任とは何か、勇気とは何か、を実感させられる名画である。敗残者の致命傷は理屈をこね回し恥を捨てた、その敗け犬根性にあるのは洋の東西を問わぬ。敗け犬を立ち直らせるのは命懸けなのだ。それを立て直し自ら死地に赴く少佐の真の男らしさに感動する。最後の出動のラストシーンは胸に焼きついて離れない。本当の気持ちなどという自己本位の主張しかしない人間には、真の勇気が何から生まれるのかは永遠にわからぬであろう。本当の気持ちなど、どうでも良いのだ。誠意のある者はやるべきことをやるべきときに断じて行なうのである。敗者と共に死地に赴くことこそ真の男にしかできぬ真の勇気と感じる。        
          

    最後の特攻隊

    (1970年、東映) 122分/白黒

    監督:
    佐藤純彌/音楽:津島利章                   
    出演:
    鶴田浩二(宗方大尉)、高倉健(矢代中尉)、若山富三郎(荒牧上整曹)、小池朝雄(辺見中佐)、渡辺篤史(吉川二飛曹)、内田朝雄(杉浦中尉)、千葉真一(三島大尉)、菅原文太(佐竹少尉)
    内容:
    特攻隊を途中で撃墜されることなく戦場まで送り届ける護衛部隊である直掩隊。その隊の指揮官 宗方大尉と特攻隊指揮官 矢代中尉の友情を軸に綴った戦争ドラマ。
    草舟私見
    真に心の底から感動の涙が湧き出ずる名画である。特攻の精神というものを伝える上では、「あゝ決戦航空隊」と並ぶ双璧を成す作品であると感ず。苦悩の末に特攻を行なう決断を下した上級指揮官たちも男である。こういう立派な人物たちが特攻を選ばざるを得ぬ、やむにやまれぬ魂の涙というものを戦後の我々ももっと深く悟らねばならん。この作品を観て私はこのような祖国に生を享けたことに深く感謝している。この深遠な文化を真に私の血の誇りと成す。宗方大尉は男である。理屈はよい、男なのである。矢代中尉は男である。理屈はよい、男なのである。整備班長は男である。理屈はよい、男なのである。熟練の下士官と予備少尉の兄弟は男である。理屈はよい、男なのである。ここに出てくる奴らはみんな男である。私は地の底から彼らを愛する。愛することが私の誇りなのだ。吉川二飛曹も最後は宗方大尉の恩のためだけで、立派な行動がとれた。最後がよければこれも男なんである。       
          

    最初の人間 LE PREMIER HOMME

    (2011年、仏=伊=アルジェリア) 105分/カラー

    監督:ジャンニ・アメリオ/原作:アルベール・カミュ/音楽:フランコ・ピエルサンティ/受賞:ヴェネチア映画祭 外国人記者協会賞
    出演:
    ジャック・ガンブラン(コルムリ)、カトリーヌ・ソラ(母)、ニノ・ジュグレ(コルムリ:過去)、マヤ・サンサ(母:過去)、ドゥニ・ポダリデス(ベルナール)
    内容:
    アルベール・カミュの自伝的作品と言われる、同名の遺稿の映画化。1957年、40代なかばの作家ジャック・コルムリは母親に会うために数年振りに故郷のアルジェリアへと向かう。
    草舟私見
    名画だ。ただただ涙が滲む。人間の生(いのち)の営みが映像の芸術を生み出している。名匠アメリオは、原作者アルベール・カミュの血液を体感しているに違いない。太陽と海、白い世界と碧い海原の対照が、我々の生の本源に迫りくる。私はこの映像の中に、カミュの哲学の本質を見る。この映像の中に、『異邦人』が燃え、『ペスト』がうごめいているのだ。そして、『カリギュラ』の叫びと、『シジフォスの神話』が鎮もれている。私は、若き日よりカミュを愛してきたが、この映像により、その思いは我が生の喜びと化した。我が生は、人間の根源を体験したのだ。あくまでも静かな映像が、日本人の私にカミュの不条理を追体験させてくれる。小津安二郎の映像が日本人の魂に迫りくるように、アメリオは我々の心を摑む。最初の人間は孤独の中を生きる。悲しみから生まれ、生の熱情を抱きしめるのである。ただ一人で立ち、ただ一人で歩む。そして、ただひとりで死ぬのだ。それが芸術として流れていく。自分独自の文明。人は「最初の人間」にならねばならぬ。

    最前線物語 THE BIG RED ONE

    (1980年、米) 114分/カラー(一部白黒)

    監督:
    サミュエル・フラー/音楽:ダナ・カプロフ
    出演:
    リー・マーヴィン(軍曹)、ロバート・キャラダイン(ザブ)、マーク・ハミル(ダリフ)、ボビー・デイ・シッコ(ビンチ)、ケリー・ワード(ジョンスン)
    内容:
    第二次世界大戦で活躍したアメリカの歩兵第一師団通称“ビッグ・レッド・ワン”で繰り広げられる、鬼軍曹とその下で一人前の兵士へと成長していく四人の新兵たちの姿を描いた。
    草舟私見
    何と言っても主演のリー・マーヴィン扮する鬼軍曹の深い人間味が観処である。リー・マーヴィンの最高作であり、何とも言えぬ趣きを示している。この軍曹の魅力はやはり男なら誰でも惚れてしまうものがある。その強さ、激しさ、そして優しさと気品は見る者を圧倒する。おじけづく部下をオマハビーチで威嚇射撃する彼と、死にいく子供を肩車して黙って野辺の送りをする彼の姿が忘れられぬ印象を残す。彼の強さは過去のその思い出に生きていることが、その原動力であることがわかると映画全体が生きてくるのである。全編を通じての軍曹のあの深みこそ思い出に生きる人間の姿なのである。

    サウンド・オブ・ミュージック THE SOUND OF MUSIC

    (1965年、米) 175分/カラー

    監督:
    ロバート・ワイズ/音楽:リチャード・ロジャース/受賞:アカデミー賞 作品賞・監督賞・音楽賞・編集賞・音響賞
    出演:
    ジュリー・アンドリュース(マリア)、クリストファー・プラマー(フォン・トラップ大佐)、シャーミアン・カー(リーズル)、エリナ・バーカー(男爵夫人)
    内容:
    1930年代、ナチス台頭に揺れるオーストリア。修道女のマリアがトラップ一家の家庭教師からやがて母親となり、一家が祖国を脱出するまでを古都ザルツブルグの美しい自然を舞台に描いた。
    草舟私見
    本当に美しくてすばらしい名画だと感じる。その映像と歌は見た者の心に一生涯残る名作である。ミュージカルというものの原点であると私は感じている。主演のジュリー・アンドリュースは本当に綺麗で清純で強くて良いですね。このような女性の魅力というものは尽々とまいります。どんなときにも前向きで明るく、周囲の者たちを幸福にする。このような力を天から与えられているのはやはり女性なのだと実感できます。心にいつも歌があるということは、人生を楽しく美しくする根本なのだと痛感します。幸福な人は他者を幸福にするのです。だからこそ人間は幸福にならねばならんのだと強く感じます。

    さくら

    (1994年、映画「さくら」製作委員会) 109分/カラー

    監督:
    神山征二郎/原作:中村儀朋/音楽:国吉良一/受賞:文部省選定                   
    出演:
    篠田三郎(佐藤良次)、田中好子(佐藤千加子)、鈴木ヒロミツ(浩太=コーちゃん)、山村聰(笹部博士)、菅井きん(山田ワカ)、樹木希林(ふみ)
    内容:
    太平洋と日本海を桜の木で結んだ国鉄バスの車掌の実話をもとに作られた作品。御母衣ダム建設のため、湖底へ沈む村から移植された樹齢四百年の荘川桜の生命力に魅せられた主人公が、たった一人で桜の苗の植樹を始める。
    草舟私見
    永遠の命というものに限られた自己の生を、いかにして結びつけるかという問題を考えさせられる名画である。生を真に燃焼させる真実の信仰の物語であると推察せられる。生を大切にする心が主人公の人格の中枢である。バスの車掌としての彼の生き方にそれは表われている。真に仕事の人であったことは同僚のコーちゃんとの友情を見ればわかる。仕事熱心な者以外には真の友情は生まれないのだ。客とのふれあいのゆえに車掌の仕事に生甲斐を持つ立派な人物である。さくらを通じて限りない生に挑戦する生き方も、仕事の中から生まれていることが重要である。その生は母の思い出として過去と繋がり、自己の仕事において未来の客と繋がっているのである。その壮大な夢がこれだけの地味な努力を根底で支える原動力と察せられる。家族もいい家族である。外面は険悪であるが、愛情によって深いところでしっかりと根を張っている。国鉄の車掌として本当に凄い仕事を成し遂げた人物と感ぜられる。彼にとってさくらは仕事なのである。本当に良い仕事をこの世に残す人は実に優しい人物である。そして何より親の思い出を大切にしている。心の奥底に一滴の涙と共に永久に残る作品である。         
          

    ザ・クライマー 彼方へ SCREAM OF STONE

    (1991年、独=仏=カナダ) 106分/カラー

    監督:
    ヴェルナー・ヘルツォーク/音楽:イングラム・マーシャル、アラン・ラム、サラ・ホプキンス、アタファルパ・ユパンキ
    出演:
    ヴィットリオ・メッツォジョルノ(ロッチャ・イナーコフラー)、ドナルド・サザーランド(アイバン・ラダノビッチ)、シュテファン・グロヴァッツ(マーチン・セドルマイヤー)
    内容:
    南米パタゴニアの未踏峰セロトーレ山に挑む二人の男たちの姿を、美しい大自然と共にトリック撮影を廃し、リアルな迫力をそのままに描いた作品。原案は世界的登山家であるラインホルト・メスナーによる。
    草舟私見
    南米の最南端であるパタゴニアの自然がすばらしい。セロトーレ山の雄大さは画面を通して心を圧倒するものがある。自然は雄大であり偉大である。人間もまた自然の一部なのだということを知る作品である。一部なのであるからつまり雄大で偉大なのだ。元々そうなのである。それが近代になって、人間が偉大にならなければならないと考えるようになってから少々おかしくなった。山を征服するだの海を征服するだのの考えが出てきた。この世に初の何々などというものは無い。山々も大昔から登りたい人はどんどん登っていた。近代人は自らの体が弱いから知らぬだけである。初めてなどというものはこの世には無いのだ。この映画は初の何々というものの問題を提起している。初は全て現代人のいう無名の人によって全てすでにして行なわれているのである。我々は本作品を通じて人間の偉大さと卑小さを見る。人間は心の持ち方で偉大にもなり、それがそのまま卑小にも通じているのである。

    桜田門外ノ変

    (2010年、「桜田門外ノ変」製作委員会) 137分/カラー

    監督:
    佐藤純彌/原作:吉村昭/音楽:長岡成貢
    出演:
    大沢たかお(関鉄之介)、伊武雅刀(井伊直弼)、北大路欣也(徳川斉昭)、長谷川京子(関ふさ)、柄本明(金子孫二郎)、榎木孝明(武田耕雲斎)
    内容:
    吉村昭の小説の映画化。安政元年のペリー来航以来、鎖国を解こうとする井伊直弼ら譜代大名たちと、それに反対し尊王攘夷を唱える水戸藩とが対立していた時代を描く。
    草舟私見
    この日は、日本の歴史にとって特別な日であった。そのことの意味を感じる人間には、涙なくして観ることのできぬ作品であろう。春の雪が舞い、日本は涙の歴史に突入した。そして、その涙が忘れられたとき、我々の国は人間の尊厳を忘れた享楽の国へとなり下がって行ったのだ。吉村昭の名作の映画化である。吉村のもつ、たぐいまれな歴史考証の力によって、迫真の日々が描き出されている。吉村が感じた精神を、佐藤純彌が見事な映画に描き上げている。淡々とした流れの中に、我が祖国が抱えている悲しみが浮き彫りにされている。殺す者も、殺される者も武士であった。この国が、武士の国であると認識する者がいる限り、我が国はいかなる困難も乗り越えていくであろう。武士と武士が戦うとき、そこに祖国の真の姿が写し出されてくるのだ。ヨーロッパの文明を創り上げた力と同質の力を感じる。それが武士道から生まれ出づる力であり、日本文明の根幹を成すものであろう。もちろん、それらの力の源泉は涙にある。

    ザ・クロッシング [第一部・第二部] The Crossing

    (2014・2015年、中国) 合計255分/カラー

    監督:
    ジョン・ウー/音楽:岩代太郎
    出演:
    チャン・ツィイー(ユイ・チェン)、金城武(イェン・ザークン)、ソン・ヘギョ(チョウ・ユンファン)、ホアン・シャオミン(レイ・イーファン)、トン・ダーウェイ(トン・ターチン)、長澤まさみ(志村雅子)
    内容:
    第二次世界大戦が終わった中国では、蒋介石率いる国民党軍と毛沢東率いる共産党人民軍の戦いが始まった。その中で三組の男女を中心に、物語は進んで行く。
    草舟私見
    人間のもつ「切なさ」が見事に画かれている作品と言えよう。生きる切なさ。死ぬ切なさ。そして何よりも愛することの切なさである。我々の生(いのち)がもつ切なさが画面を覆い尽くしていく。第二次世界大戦後の、国共内戦時の中国を舞台にしていることによって、その生命の悲哀は頂点を極めているのだろう。あの貧しかった中国。世界中から踏みつけられていた中国の時代背景が、人間のもつ切なさを浮かび上がらせてくれる。生きるとは何か。死ぬとは何か。愛するとは何か。道義とは何か。善とは何か。悪とは何か。悲しみとは何か。喜びとは何か。憎しみとは何か。許しとは何か。絶望とは何か。希望とは何か。品格とは何か。卑しさとは何か。美しさとは何か。醜さとは何か。――とは何か。映画の始点からその終着まで、私は画面に踊る主人公たちと人生を共にすることが出来たように思う。現代に生きる我々の人生の幸福を味わい尽くすことが出来た分、登場人物たちの人生に同情心を通り越した深い共感を得た。その悲哀が生む共感こそが、人間の根源であるに違いない。

    細雪(ささめゆき)

    (1950年、新東宝) 141分/白黒

    監督:
    阿部豊/原作:谷崎潤一郎/音楽:早坂文雄
    出演:
    高峰秀子(妙子)、山根寿子(雪子)、轟夕起子(幸子)、花井蘭子(鶴子)、伊志井寛(辰雄)、河津清三郎(貞之助)、田中春男(奥畑)、田崎潤(板倉)、鳥羽陽之助(陣場氏)
    内容:
    蒔岡家は大阪の中流階級の家であるが、長らく船場で栄えた店を手放し、財は減りつつあった。その血筋を引く四姉妹を巡る物語。
    草舟私見
    文豪 谷崎潤一郎の思想が、現代社会を穿(うが)っている。その文学的力量を、映像の世界に転写することが出来た数少ない作品の一つである。谷崎のもつ絢爛たる美学が、蒔岡家の四姉妹を通じて現代を照らすのだ。その雅(みやび)、その物の哀れ、その情念が今に舞い降(くだ)っていると言っても過言ではない。王朝の美学が、大阪に生きる市井の中流家庭を通して私の魂に届けられて来る。その大阪商人の美しい家庭が、目の前で滅んでいく。日本の真の中流家庭が、現代文明の前に滅び去っていくのだ。この女たちは、それを正直に生き切っているのだろう。女のもつ正直さが、現代を叩き斬るのである。男が生み出したものを、女たちが守っていた。守ることの悲しみの中に、女の真の豊かさがあったに違いない。男が創造の苦悩を忘れ、女が継承の悲哀を捨てたとき、真の「家族」は姿を消していった。利害得失と争いの中で、家族の愛情を育んでいた真の家庭を思い起こさせてくれる。相克の中を生き抜く家族の愛情こそが、真の文明の遺産なのだ。

    ザ・ダイバー MEN OF HONOR

    (2001年、米) 129分/カラー

    監督:
    ジョージ・ティルマンJr./音楽:マーク・アイシャム
    出演:
    ロバート・デ・ニーロ(ビリー・サンデー特務軍曹)、キュ-バ・グッディングJr.(カール・ブラシア)、シャーリーズ・セロン(グゥン・サンデー) 
    内容:
    黒人で初めて米海軍のマスターダイバーになった実在のカール・ブラシアの半生を描いた作品。貧しい小作農のカールは成長して海軍に入隊、人種差別によって出世できない中、マスターダイバーを目指し困難に挑む。
    草舟私見
    男の持つ意地というものを見事に描いた名画と感じる。意地が個人の独立と尊厳の基となるものなのだと尽々とわからせられる作品である。意地は最も崇高な個人の価値であると同時に、一歩誤れば度を越した我儘となる危険も含んでいる。その差は紙一重であると言える。その紙一重の差が美学として発現するために必要なものが何であるのか。この作品はそれを我々に教えてくれる。それは大いなる意地(体内の虫)が伝統と強く結び付くとき美学として輝くということである。伝統の中でも特に個人の名誉という事柄の系譜に則って表われるとき、我々はそれを最も誇り高い者として仰ぎ見るのである。誇りと名誉の伝統に根差していない意地は本当に価値のある意地ではないのだ。サンデーとブラシアの生き方に感動させられるのは、彼らが米国海軍の歴史を貫通する、名誉の伝統の中で己の意地を貫いているからなのである。また差別の中でもあくまでもこの意地を通すブラシアの生き方に私は強い尊敬の念を抱く。何も差別されたことのない私の生き方など、まだまだ児戯に等しい小さなものなのだと痛感させられた作品である。

    ザ・トレンチ〈塹壕〉 THE TRENCH

    (1999年、英) 95分/カラー

    監督:
    ウィリアム・ボイド/音楽:イヴリン・グレーニー、グレッグ・マルカンギ
    出演:
    ポール・ニコルス(ビリー)、ダニエル・クレイグ(ウィンター軍曹)、ジュリアン・リンド・タット(ハート中尉)、タム・ウィリアムス(エディ)、ダニー・ダイア(デル)
    内容:
    戦争史上名高い第一次世界大戦のソンムの戦いに臨んだ若者たちを描いた作品。1916年、イギリス軍はフランス北部のソンムでドイツ軍と対峙していた。両軍ともに塹壕を作り長い間にらみ合う。
    草舟私見
    実に偉大な名画である。涙なくして観ることはできず、祈りなくして論じることのできぬ映画である。第一次世界大戦は英仏独の各国軍が四年間にわたり、塹壕戦と呼ばれる陣地争奪戦を繰り広げた。50米を前進するために、何千何万の兵士が戦死したのだ。機関銃の前に銃剣の白兵突撃を繰り返し累々たる屍の山を築いた。現代から見れば狂気と言われるような突撃を繰り返したのだ。しかし私はそこに本当の偉大さというものを感じるのだ。偉大な国民同士の偉大な戦いがこの塹壕戦であると感じている。偉大さとは馬鹿さ加減と狂気から生まれるのだと私は思う。事実この戦いを四年間戦い抜いた国は、各々歴史上最も偉大な国家だったではないか。塹壕戦は長い恐怖心との戦いである。己の弱さとの戦いである。突撃のときに向かって待機していることは偉大な国民にしかできないことである。名誉・勇気・誇りだけがこの忍耐を貫かせているのだ。偉大な歴史と文化の無い国にはできないことなのだ。私はこの塹壕戦の中に人間の持つあらゆる悪徳を見ると同時に、人間の持つ最も崇高な美徳を見るのである。偉大な歴史として刻まれている地名がある。本作品に取り挙げられているソンム。そしてフランダース、ヴェルダン、アミアン。私はこれらの地名そのものに深く感動する。これらの地で行なわれた歴史は、人間の本当の勇気であり高貴さであると感じている。この地名を思い浮かべるだけで私の血は滾り肉は躍るのである。私はこの塹壕戦というものに本当の人類の涙というものを感じるのだ。人類の持つあらゆる美徳と悪徳が渦巻きそして激突し、そして飛散して行った。信じられぬ程の血と涙を吸い上げ、そして真の勇気や真の偉大さというものを歴史に刻んだのだ。映画は偉大なラストシーンに向かって描写される。私は登場人物全員が好きだ。私はこの塹壕の兵士一人一人全てとの間に友情を感じる。どの男もそれぞれみな歴史を背負っているのだ。みんな男なのだ。私は塹壕を愛する。私は塹壕を生きてきたのだ。私にとって塹壕戦はずっと続いているのだ。そして永久に続くであろう。

    真田丸〔大河ドラマ〕

    (2016年、NHK) 各話44分・合計2253分/カラー

    演出:
    木村隆文、吉川邦夫、他/音楽:服部隆之
    出演:
    堺雅人(真田信繁=幸村)、大泉洋(真田信之)、草刈正雄(真田昌幸)、長澤まさみ(きり)、平岳大(武田勝頼)、榎木孝明(穴山梅雪)、内野聖陽(徳川家康)、近藤正臣(本多正信)、遠藤憲一(上杉景勝)、吉田鋼太郎(織田信長)、小日向文世(豊臣秀吉)
    内容:
    武田家の家臣であった真田家は、主家武田家の滅亡により、乱世に放り出されることとなり、目まぐるしく状況の変わる大名同士の戦いの中、主家を持つことよりも大名として生きることを決意。
    草舟私見
    真田一族には、「悪党」の伝統が生きている。悪党とは、自分の力だけを頼りに、自己の生きる基盤のゆえにだけ立つ武士団である。その善悪は、自己の生命の燃焼だけに真実が置かれているのだ。鎌倉時代に、その萌芽がこの世に誕生した。その力によって、鎌倉時代のあの民族的躍動があったと思っていいだろう。日本が日本になった。そう言い切れる時代精神だ。日本の魅力が、すべて生まれた時代と言ってもいい。その躍動が本作品の核心である。悪党の代表格に楠木正成がいる。歴史を貫徹する「無頼の精神」である。人間が生きるとは何か、を現代にまで照射する人物と言っていい。その人物の伝統を承け継ぐ者が真田幸村とその一族なのだ。自分の知恵だけで、自分の生命のために生き切る。そして、それがそのまま生命の根源である「愛」に結び付いているのだ。そのような生き方が悪党と呼ばれていた。戦国の世に、この悪党の生き方を貫いた真田一族の「心意気」がよく描かれているドラマと言えよう。合理主義の精神が世を覆った「戦国時代」においても、その信念を貫こうとする悪党のもつ生命的革命の愉快を楽しみたい。

    砂漠のライオン LION OF THE DESERT

    (1981年、米=リビア) 175分/カラー

    監督:
    ムスタファ・アッカド/音楽:モーリス・ジャール
    出演:
    アンソニー・クイン(オマール・ムクタール)、オリヴァー・リード(グラツィアーニ)、イレーネ・パパス(マブルーカ)、ラフ・バローネ(ディオデーチェ)、ロッド・スタイガー(ムッソリーニ)、ジョン・ギールグッド(エル・ガリアニ)
    内容:
    イタリアのリビア侵略に対し、二十年以上戦い続けたオマール・ムクタールの半生を描いた作品。1911年、イタリアは領土拡大を開始し目標をリビアに求めた。
    草舟私見
    約22年間にわたってイタリアのリビア侵略に抵抗した、実在の人物であるオマール・ムクタールの物語である。ムクタールを演じるのはアンソニー・クインであり、その名演技が深く心に残る名画である。本当にすばらしい人物である、ムクタールは。この人の人生こそ真実の信念の生涯である。信念が生きているような人物である。その信念は信仰と愛情によって、人間存在の最も深いところから発していることがよくわかる。いつでもどんなときでもコーランを読んでいるその姿に心を打たれる。欲が無いから信じられない程の強い人物である。正直で単純で真の勇気の体現者である。この人に必要なものは一生を通じてコーラン唯一冊なのであろう。本当に心を打たれる人物である。信念を貫く人生に必要な資質は信じられぬ程の頑固さなのである。頑固はすばらしい。音楽も感動を高め、一生忘れ得ぬ名画中の名画である。

    サハラに舞う羽根 THE FOUR FEATHERS

    (2002年、米=英) 132分/カラー

    監督:
    シェカール・カプール/原作:A.E.W.メイスン/音楽:ジェームズ・ホーナー
    出演:
    ヒース・レジャー(ハリー・フェバーシャム)、ウェス・ベントリー(ジャック・デュランス)、ケイト・ハドソン(エスネ)、ジャイモン・ハンスゥ(アブー)、マイケル・シーン(トレンチ)、ルパート・ペンリー=ジョーンズ(ウィロビー)
    内容:
    英国が最も偉大であったヴィクトリア朝、十九世紀末の大英帝国を舞台に、自らの誇りをかけて生き抜いた青年を描いた英国文学の古典的名作を映画化。
    草舟私見
    十九世紀、大英帝国の軍人の魂の軌跡である。つまり武士道の軌跡なのである。「臆病者」という烙印を払拭するために、己の弱い心と闘いながら友情という崇高なる魂を燃焼させつつ、生きようとする紳士の姿は我が祖国の武士道の真髄と全く同じである。私は涙が流れるのである。国が偉大であるとき、その偉大さを支えているものはどこの国、どの時代においても間違いなく武士道なのである。人間は弱い。だから他人から軽蔑を受けることは誰でも人生の途上であることなのだ。しかしその前段階として本当の誇りを心に醸成している者は、それからが違うのである。傷付けられた誇りが真の誇りに成長していくためには、人間は精神的であり信仰的であり、かつ不条理で理不尽と思われる程の「魂」に憧れる日々を送っていなければならないのだ。大英帝国には理不尽なる武士道がある。だから強力なのである。そしてその魂は「美しい思い出」が創るのである。全てが奪い尽くされたとき、人間に残るものはその人間を奮い立たせる「記憶」だけなのである。大英帝国は実に良い。こんなに美しい国、こんなに美しい時代を人類に残してくれた大英帝国はいつまでも魂の故郷なのである。「武士」は本当に良い。  

    さらばモスクワ愚連隊

    (1968年、東宝) 97分/カラー

    監督:
    堀川弘通/原作:五木寛之/音楽:黛敏郎、八木正生                   
    出演:
    加山雄三(北見英二)、森田敏子(リザ)、黒沢年男(磯崎)、伊藤孝雄(白瀬)、ピーター・アレクセフ(ミーシャ)、神山繁(黒川)、野際陽子(坂井ユウ子)
    内容:
    ジャズプレイヤーの道に挫折してプロモーターとなった男が若き才能にすべてを賭けていく姿を描いた作品。ジャズプレイヤーとしての情熱をくすぶらせながらも、ジャズ専門のプロモーターとなった主人公に、ある日モスクワでの仕事が舞い込んだ。
    草舟私見
    本作品は私が高校二年生の頃の映画であり、丁度自分自身の中での音楽というもので日夜呻吟していた時期の作品なので強い感銘を受けた思い出がある。作家五木寛之のデビュー作でもあり、森田敏子や野際陽子という当時私の好きだった女優が出演している作品としても私の中では非常に価値の高い映画なのである。真の音楽というものを自分の中で本当に育て、また自分自身の中に本当の音楽というものを得るということが、人生においていかに重要な事柄であり、またいかに大変な事柄であるのかということを非常に考えさせられる名画であった。ジャズを主題としているが、私はジャズそのものも当然のこととして、この真の音楽を心の中で育てることは他のいかなる分野の音楽においても同じ苦しみを苦しみ抜かなければそれを得ることはできないのだ、という実感を持っている。自分の中に音楽を持つことは、人生の中で最も重大な事柄であると私は思っている。しかしまた自分の中に本当の音楽を育てるためには勇気が必要であり、危険を伴うものなのであるということを、私は本作品からも尽々と思い知らされたのである。本当の音楽とは最も崇高な魂であり、また最も危険なものであるのかもしれない。音楽は血なのだ。音楽は涙なのだ。    
          

    サルサ! SALSA

    (1999年、仏=スペイン) 100分/カラー

    監督:
    ジョイス・シャルマン・ブニュエル/音楽:グルーポ・シエラ・マエストラ、ジャン・マリ・セニア、ユリ・ブエナベントゥーラ
    出演:
    ヴァルサン・ルクール(レミ)、クリスティアンヌ・グゥ(ナタリー)、エステバン・ソクラテス・コバス・ブエンテ(チューチョ・バレート)
    内容:
    キューバ音楽サルサに魅せられた天才クラシック・ピアニストのフランス人青年レミの、音楽に懸ける情熱的な生き方を、パリを舞台に描いた作品。
    草舟私見
    観終わった後に、何かこのスカーッと爽やかなものが残る実に心に沁みるいい映画ですよ、これは。サルサのリズムが全編を流れ、それが観る者の心を解きほぐし、心の中の良いものを紡ぎ出してくれる感じですね。この若者の恋愛は恋愛にはめずらしく観終わった後も気持ちが良い。この二人の情熱の中に真面目さがあるからだと感じます。しかしね、この映画は恋愛映画と見ると真の良さがわからないのですよ。真の良さはね、この映画を通じて全体を支えているチューチョという偉大な音楽家のその生き方にあるんですよ。名声も肩書きも無いが、真に人々に喜びを与える地場の音楽に生きる真実の人生にね。チューチョはね、キューバ人としてのあらゆる苦しみをその身に呑み込んで、それを音楽とし、自分の悲しみで他者を幸福にしているんですね。その人生の哀歓がこの映画の主体なんだと感じます。チューチョの人生と音楽こそ真の涙なんだ。「赤の他人でも演奏を聞けばその人の心がわかる」。という彼の言葉こそ本当の人生を生きた人の言葉であり、私もそうありたいと願わずにはおれないのだ。

    サルバドル 遙かなる日々 SALVADOR

    (1986年、米) 122分/カラー

    監督:
    オリバー・ストーン/音楽:ジョルジュ・ドルリュー
    出演:
    ジェームズ・ウッズ(リチャード・ボイル)、ジョン・サベージ(ジョン・キャサディ)、ジム・ベルーシ(ドクターロック)、エルペディア・カリロ(マリア)、シンディ・ギブ(キャシー・ムーア)
    内容:
    実在のフォト・ジャーナリスト、リチャード・ボイルのエル・サルバドル内戦下における体験を、オリバー・ストーン監督が映画化。
    草舟私見
    オリバー・ストーンの名作であり、何とも言えぬ深い情緒を持つ作品である。音楽がすばらしく、この作品を永遠の名画に仕立て上げている。深く哀しい音楽である。ラストシーンで流れるその音楽は人間の生きる悲しみを深く表現し、私にこの名画を一生忘れ得ぬものとしてくれている。主人公はあまり人生をうまく生きれない人物として描かれている。しかし報道カメラマンとして、友人と共に深くロバート・キャパに憧れるその生き方は共感を抱く。友人のキャサディの方が私は好感を持てる。その違いは良い写真を撮ることと有名になることの、二つの価値を追い求める強さの違いであると感じる。主人公は友人よりもより有名になることに固執が強すぎるのであろう。それが彼の弱さを呼び込む原因であると考えられる。そうではあるがやはり良い作品に対する憧れとキャパに対する尊敬が、二人の生命を生き生きと燃焼させていることは確かなことだ。

    三国志(テレビシリーズ)

    (2010年、中国) 合計4085分/カラー

    監督:
    ガオ・シーシー/原作:羅貫中/音楽:チャオ・チーピン
    出演:
    チュン・ジェンビン(曹操)、ルー・イー(諸葛亮)、ユー・ホーウェイ(劉備)、ユー・ロングァン(関羽)、カン・カイ(張飛)、ピーター・ホー(呂布)、チャン・ボー(孫権)、ニー・ダーホン(司馬懿)、ニエ・ユエン(趙雲)
    内容:
    西暦25年に光武帝が漢を再興し「後漢」の時代が到来。その後、霊帝が崩御。その混乱に乗じ、董卓が強大な力を振るっていき、全国の英雄、豪傑たちも戦乱に加わっていく。その三国志の世を描いた一大ドラマ。
    草舟私見
    羅貫中の『三国志演義』を元とする、本格的な歴史物語である。三国志の映像化は数々あるが、群を抜くでき映えの名作と言えよう。「三国志」の世界は、小三のときに読んだ、吉川英治の『三国志』に始まった我が英雄体験の出発であった。その感動は、今も忘れない。続いて、平凡社中国古典文学大系の『三国志演義』を読んだことも思い起こされる。このような大作の映像化を創り上げたことに、今の中国の「国家的興隆」というものを私は強く感じるのだ。英雄体験は、人間に志を立たせる力を有する唯一のものである。それは、国家のもつ生命なのかもしれない。英雄を崇拝するとき、国家は興隆する。そして、英雄を蔑ろにするとき国は衰退するのである。三国志は、人間のもつ壮大さを感じるものだ。我々は、この歴史の中に、人間のもつ壮大な夢と、無残なる心を感じなければならぬ。ヨーロッパにおける『プルターク英雄伝』が、アーリア民族の高貴性を伝えることと並んで、『三国志』はいつまでも我々の心に「燃えるもの」をくべることとなろう。

    34丁目の奇蹟 MIRACLE ON 34th STREET

    (1947年、米) 96分/白黒

    監督:
    ジョージ・シートン/原作:ヴァレンタイン・デイヴィス/音楽:シリル・モックリッジ/受賞:アカデミー賞 助演男優賞・脚本賞
    出演:
    モーリン・オハラ(ドリス・ウォーカー)、エドマンド・グウェン(クリス・クリングル)、ジョン・ペイン(フレッド・ゲーリー)、ナタリー・ウッド(スーザン・ウォーカー)
    内容:
    ニューヨークを舞台に巻き起こる、サンタクロースはいるかいないかの大論争を描いた。クリスマスの不朽の名作として、人々に支持され続けている心温まる作品。
    草舟私見
    信じるということの本当の意味について考えさせられる名画と感じている。心が温まる名画ですね。心が洗われます。信じることの根本は善意でなければなりません。善意であり愛情があり友情があり、信頼があることを信じることは本当に美しいことです。私はクリスを本当のサンタだと思います。思う必要もありません。本当のサンタなのです。彼の心がそうです。彼の長年の生活から浸み出る風格もそうです。良識のある者であれば、この映画を通じて信じて良いものと信じて悪いものとの見分けがわかるはずです。人間は愛情や信義に通じる事柄は信ずれば現ずるのです。サンタは人間の善意の心の歴史なのです。本当に過去にも現在にも存在しているのです。モーリン・オハラが美しいですね。本作品の品位をいやが上にも高めています。私はM・オハラは本当に好きですね。カッコ良いです。裁判長も良いです。アメリカがアメリカであった時代の裁判であると感じています。

    サン・ピエールの未亡人 LA VEUVE DE SAINT-PIERRE

    (1999年、仏) 108分/カラー

    監督:
    パトリス・ルコント/音楽:パスカル・エステーヴ
    出演:
    ジュリエット・ビノシュ(マダム・ラ=ポーリーヌ)、ダニエル・オートゥイユ(ジャン=軍隊長)、エミール・クストリッツァ(ニール=死刑囚)
    内容:
    十九世紀半ば、カナダのフランス領サン・ピエール島での訴訟記録に基づいて描かれた物語。強い絆で結ばれた軍隊長夫婦と、死刑を宣告された一人の男が、生死の狭間で様々な形の愛を織りなす。
    草舟私見
    フランス的、あまりにもフランス的な映画と感じる。フランスという国家が持っている本質というものが描かれていると私は思う。帝国主義の最盛期である19世紀中葉のフランス領カナダの物語である。19世紀におけるヨーロッパの各国家が持っている特徴というのは、本国よりもその植民地においての方が非常にわかり易い面があるのだ。英国の英国たるいわれは、やはり当時の英国植民地においてみられる(そちらの名画は数多い)ように、フランスもドイツもまた然りなのである。フランスは偉大な国家である。ヨーロッパとは、つまりフランスのことを意味しているのだと私は考えている。にもかかわらず19世紀において、仏は英にその発展において大きく水をあけられたのである。私はその国民的雰囲気、国民的感情がこの作品にものの見事に表現されていると感じているのだ。フランスはヨーロッパにおいて、あまりにも文明的であり文明の中心(つまり中華思想)であったがゆえに、却って文明を大切にする心意気が少なかったのではないか。英国は自分たちが文明つまり法と秩序と学問の代表者でありたいがゆえに、断固としてそう振まった。その心意気の違いが本作品を観て強く感ぜられる。

    秋刀魚の味

    (1962年、松竹) 112分/カラー

    監督:
    小津安二郎/音楽:斎藤高順                   
    出演:
    笠智衆(平山周平)、岩下志麻(平山路子)、佐田啓二(平山幸一)、岡田茉莉子(平山秋子)、三上真一郎(平山和夫)、中村伸郎(河合秀三)、三宅邦子(河合のぶ子)、北竜二(堀江晋)、環三千世(堀江タマ子)、加東大介(坂本芳太郎)
    内容:
    父と娘、あるいは母と娘を中心とした家族のドラマを撮り続け、多くの名作を生み出してきた小津安二郎の遺作となった作品。笠智衆の名演によっても知られる。
    草舟私見
    笠智衆の名演によって娘を嫁がせる父親というものの寂寥感と義務感とが見事に、そして印象深く描かれた名画であると感じている。笠智衆が描く寂寥感の根底は義務を遂行していく父親としての部分と男としての部分が交錯することにより、その見事な表現力が生かされているのだと感じる。特に男の持つ仕事としての任務の意識が、その交遊関係と過去の軍人としての人生との交錯によって深い表現力を伴っている。その寂しさの複合的心理が、否応なく忘れ難い印象を残す作品に仕上がっていると感じる。また戦後の日本の男たちの敗戦からくる自信喪失による、ものわかりのよくなっていく過程も良く描かれている。男がものわかりがよくなるのと逆に女が強くなる過程の表現が見事である。戦後一貫して進行していく物質的消費文明が、女の文化なのだということもわかり易く描かれ、それらの裏打的表現がこの元軍人の寂寥感をいやが上にも際立たせる効果となっていると感じている。        
          

    三文役者

    (2000年、近代映画協会) 126分/カラー

    監督・原作:
    新藤兼人/音楽:林光
    出演:
    竹中直人(タイちゃん=殿山泰司)、萩野目慶子(キミエ=側近)、吉田日出子(アサ子=鎌倉の本妻)、乙羽信子(オカジ=乙羽信子)、新藤兼人(監督=新藤兼人) 
    内容:
    自らを三文役者と呼び、様々な映画人に愛されながら生涯を脇役一筋に生きた殿山泰司の半生を綴った作品。彼の敬愛していた新藤兼人監督がメガホンを取った。
    草舟私見
    名脇役としてその名を映画史の残す名優、殿山泰司の生き方を映画化した秀作であると感じる。殿山泰司は私の最も好きな俳優の一人であった。その強烈な個性はまた私の若き日の血を湧かしたものである。飾り気が無く、人間の持つ欲望を直情に表現していて、かつ何とも言えぬ愛嬌がある。私はとにかくこの殿山泰司という俳優は心の底から尊敬し、また好きなのである。その生涯を映画化してあるのだが、これがまた何とも面白い。こんなに破茶滅茶で面白い人だとは私も知らなかったが、このように純粋な人間を昔から映画で観て感じており、ずっと好きであったことには何とも嬉しい思いを自分でも感じた。馬鹿みたいであるが、実に純粋でかつ真面目な一本気の男である。新藤兼人を尊敬しており、「かんとくしゃん」「かんとくしゃん」と毎日言い続けているところなどは私はもうぞっこんである。また中に出てくる河内音頭(鉄砲節)が滅茶苦茶に良い。私も学生時代に富浦海岸で「海の家」を経営している頃、お客さんと毎日歌いかつ踊っていましたよ。なつかしいねー。映画馬鹿、俳優馬鹿という言葉が昔あったが、それを地でいくまさに本物の俳優であると感じる。このような真に秀れた「人物」というものが最近少なくなったことが、今の映画が魅力を失いつつある原因のように私は感じた。        
  • シェイクスピアの庭 ALL is TRUE

    (2018年、米) 101分/カラー

    監督:
    ケネス・ブラナー/音楽:パトリック・ドイル
    出演:
    ケネス・ブラナー(ウィリアム・シェイクスピア)、ジュディ・デンチ(アン・シェイクスピア)、イアン・マッケラン(サウサンプトン伯)、キャスリン・ワイルダー(ジュディス・シェイクスピア)、リディア・ウィルソン(スザンナ・ホール)、ハドリー・フレイザー(ジョン・ホール)、ジャック・コルグレイヴ・ハースト(トム・クワイニー)
    内容:
    1613年、偉大な作家として名を成したウィリアム・シェイクスピアは、災難に見舞われ故郷に帰ってきた。世界的な作家の晩年が静かに描かれていく。
    草舟私見
    あの偉大なシェイクスピアの晩年が描かれている。偉大であるがゆえの苦悩が、私の胸を強く打ち続けている。持続する苦悩を観る者に与えることの出来る、希に見る名画と感ずる。それは、すべての人間が本当の生(いのち)の根底において、平等であることの「悲しみ」を伝えているからに違いない。真の平等とは、不幸の中から生まれる、人間だけの生き方なのかもしれない。自惚れた人間には、不幸はない。あるのは不満だけだろう。真の不幸は、人間として生きようとする者に訪れるものだ。すべての人間に「分相応」の人生が与えられている。その真実をシェイクスピアの晩年の姿に感ずる者は、私だけではあるまい。誠実さの中に、人間の平等が存在する。その誠実を生きる者だけに、人間だけの悲しみが与えられるのだろう。その悲しみを受け取る「勇気」が、人間の真の価値を決めるのである。それを拒絶する者は、偽りの幸福の中を生き続けるのだ。人間としての誠実とは何かを、本作品は我々の前に提示している。これは人間の生(いのち)の芸術を問いかけるものと言えよう。

    シェナンドー河 SHENANDOAH

    (1965年、米) 105分/カラー

    監督:
    アンドリュー・V・マクラグレン/音楽:フランク・スキナー
    出演:
    ジェームズ・スチュアート(チャーリー)、ダグ・マクルーア(サム)、グレン・コルベット(ジェイコブ)、パトリック・ウェイン(ジェームズ)、ローズマリー・フォーサイス(ジェニー)、キャサリン・ロス(アン)
    内容:
    南北戦争の激戦地、シャナンドー河で戦争に立ち向かう一家を描いた作品。1863年南北戦争の真っ最中、バージニア州シェナンドー河の流域で広大な農場を経営する主人公は男手ひとつで子供を育てていたが、やがていやおうなく戦争に巻き込まれていく。
    草舟私見
    主演のジェームズ・スチュワートの魅力に圧倒される作品である。頑固で一徹な南部魂をその名演によって輝かせていると感じる。南部魂には私は殊の外共感を覚える。現代人はこの地に足の付いた人生観を狭量と考えるであろうが、それは間違いである。そう考えるのが空理空論の軽薄な人生観なのである。己の責任で己の役目と場所で生きる。真の男であると感じる。私はこういう人間が好きである。こういう人間を尊ぶ。こういう人間の心こそ最も愛を知り、最も勇気があり、最も悲しく、最も涙を知っている真の心なのだ。この主人公の行動は、そのような心が無ければできないことなのだ。私の好きな男の一典型である。

    ジェルミナル GERMINAL

    (1993年、仏) 160分/カラー

    監督:
    クロード・ベリ/原作:エミール・ゾラ/音楽:ジャン・ルイ・ロック
    出演:
    ジェラール・ドパルデュー(マユ)、ルノー(エチエンヌ・ランチェ)、ミウ・ミウ(マウード・マユ)、ジュディット・アンリ(カトリーヌ・マユ)
    内容:
    文豪エミール・ゾラの傑作小説を映像化した重厚な大河ドラマ。1880年代、失業の嵐が吹き荒れる北フランスの炭鉱で、労働者たちは低賃金で長時間の労働を強いられていた。
    草舟私見
    十九世紀末の仏の労働者の日常を描き、壮大な歴史観を構成している名画と感じる。十九世紀末は現在の工業国家は皆似たり寄ったりであった。根本は工業生産力の割には各国とも異常な人口爆発があったことにその因がある。農業社会から工業社会に移るときの生みの苦しみと言えよう。この時代に社会主義が芽生えた。社会主義の空理空論は、今となってはよほどひがみっぽい人間以外なら誰でもわかることである。この時代の悲惨は全く社会主義者のいうような原因ではないのだ。生産と消費の需給の均衡が崩れればいつの世もこうなのだ。社会主義的正義は、この時代から必ず後々の責任を負っていない流れ者が自分が楽をしたいから言っているものなのだ。確かに貧しいかもしれぬが、この時代に親子三代八十年にわたって定職で食べてきたことは大変重要なことなのだ。エチエンヌは失敗したら綺麗事だけ言って去っていく、全く無責任な男である。こんな男の口車に乗ったマユ一家が哀れである。ドパルデューとミウ・ミウの名演が心に残り、時代と歴史を浮き立たせるようなすばらしい音楽が忘れ得ぬ作品である。

    ジェロニモ GERONIMO

    (1993年、米) 114分/カラー

    監督:
    ウォルター・ヒル/原作:ジョン・ミリアス/音楽:ライ・クーダー
    出演:
    ウェス・ステューディ(ジェロニモ)、ジェイソン・パトリック(ゲートウッド)、ジーン・ハックマン(クルック)、ロバート・デュヴァル(アル)
    内容:
    かつて西部劇では悪役の代名詞だったアパッチ族の長ジェロニモの真実の姿に迫った作品。白人の猛烈な蹂躙に対し最後まで戦った勇猛なアパッチ族を描く。
    草舟私見
    アパッチ族最後の族長ジェロニモは深い共感を抱く人物であり、その闘う魂が活写された名画である。欧化文明の一方的理不尽といかなる人物がそれに屈し、いかなる人物がそれと闘うのかを感ぜられる。生命感溢れる個性的人物としてジェロニモ、ゲートウッド中尉、アル・シーバー、クルック准将が登場する。この四人が立場と境遇の違いによって考え方も生き方も違っているが、心のありどころとして共通した真に人生に真正面から挑戦する人物たちであることが、その行動と会話からよく理解できる物語である。この四人の個性すべてが主人公の映画となっている。従ってその交錯する個性が見どころである。四人とも涙の人です。真の男であり、魅力を感じます。四人がそれぞれ大切にしているものが何なのか。それが見えてくると涙なくしては鑑賞できぬ作品なのである。

    ジ・オファー ―ゴッドファーザーに賭けた男― The offer

    (2022年、米) 587分/カラー

    監督:
    デクスター・フレッチャー他
    出演:
    マイルズ・テラー(アルバート・S・ラディ)、マシュー・グード(ロバート・エヴァンス)、ダン・フォグラー(フランシス・フォード・コッポラ)、ジョヴァンニ・リビシ(ジョー・コロンボ)パトリック・ギャロ(マリオ・プーゾ)
    内容:
    フランシス・フォード・コッポラ監督の映画『ゴッドファーザー』製作の過程を追った伝記ドラマ。
    草舟私見
    あの名画「ゴッドファーザー」が、どうやって生まれたのか。名作を生み出すための苦悩と喜びが、あますところなく描かれている作品である。価値の高いものは、すべて膨大な苦労と苛酷の中から生まれて来ることはよく分かっている。しかし、それを大きく上回る内容に圧倒され続けた名作と言えよう。「ゴッドファーザー」は、映画史上に輝く特別な名画と成った。その名作が、何と言う捿絶な下準備によって誕生したのか。想像を絶する驚きが我々を襲う。何事かを成し遂げるためには何が必要なのか。それを思い知らされることになるだろう。私のやった事などは小さなことだが、それでも口には出来ぬほどの苦労があった。しかし、そんな私の小さな人生など吹っ飛んでしまうほどの困難が乗り越えられていくのだ。名作の裏に潜む、人間たちの哀歓に胸が張り裂ける思いがする。人間のもつ「夢」の尊さが伝わって来る。その最も尊いものが、どうにもならぬ汚れの中から生まれて来る感動を是非にも味わってほしい。

    始皇帝暗殺 THE FIRST EMPEROR / 荊軻刺秦王

    (1998年、日=中国=仏=米) 168分/カラー

    監督:
    チェン・カイコー/原作:荒俣宏/音楽:チャオ・チーピン
    出演:
    コン・リー(趙姫)、チャン・フォンイー(荊軻)、リー・シュエチエン(秦王=政)、スン・チョウ(燕丹)、ワン・チーウェン(長信侯)、チェン・カイコー(呂不韋)
    内容:
    紀元前三世紀の中国を描いた作品。後に始皇帝となる秦の支配者・政と、孤高の暗殺者・荊軻との対決を中心に壮大な歴史ドラマを描いた大作映画。
    草舟私見
    あの中国古代(春秋戦国時代)の有名な始皇帝と荊軻の物語である。この時代の中国は凄かったですよ。この時代の出来事が、現代まで継承されている様々な概念や言葉の起源ですからね。この時代の雰囲気を映像で知ることだけでも非常に価値の高い映画です(考証が非常に良い)。春秋戦国時代の話は、私の小さい頃からの情感と知識の根幹を成してきたものの一つです。紀元前三世紀にあれだけの大軍を有していた秦という国は凄いですよ。秦軍の黒装束は軍隊と法律というものの恐ろしさの代名詞になっていたんですが、その雰囲気がよく伝わって来ます。荊軻の話は私は好きでしたね。成功しても失敗しても、二度と帰れぬ旅に出ていく男の哀しみを伝える最も古い故事です。「風蕭々トシテ易水寒シ、壮士一度去ッテ復タ還ラズ」、この漢文脈からくる哀しみは小学生以来、私の美学の中枢を占めるものです。物事を実行する人間たちの精神の負担をよく表現する作品であると感じます。また実行には歴史と人生の膨大な積み上げが、その必然を生むのだということも二人の人生を見るとよくわかります。

    地獄に堕ちた勇者ども GLA CADUTA DEGLI DEI

    (1969年、伊=西独) 155分/カラー

    監督:
    ルキノ・ヴィスコンティ/音楽:モーリス・ジャール
    出演:
    ダーク・ボガード(フリードリッヒ)、イングリッド・チューリン(ソフィ)、ヘルムート・グリーム(アッシェンバッハ)、ヘルムート・バーガー(マルチン)
    内容:
    第二次世界大戦前のドイツを舞台に、ナチスによって富と権力を奪われていく鉄鋼一族の悲劇を描いた作品。1933年、ルール地方に勢力をもつ鉄鋼一族のエッセベック家の集いの夜、当主が殺される。
    草舟私見
    ナチスの意志の前に崩れ去っていくドイツ最大の製鉄会社を経営する一族の物語であり、テュッセン家がそのモデルであると思われる。強者とは意志を持つ者である。本作品では家長であったヨアヒム男爵と、ナチス親衛隊大佐である。この意志力と意志力の均衡の上に政治が動くのが好ましいのである。そして強者に呑み込まれるだけの存在である弱者とは何かが本作品の主題といえる。弱者とは同情を買うべき存在ではないのだ。弱者の弱者たるいわれは、その目的性のない意志力の薄弱さにある。そしてその薄弱が節度のない欲望を生み出すのだ。弱者とは目的のない権力欲、金銭欲、名誉欲、色欲を持つ者である。目的が無いのだから、自己保存のためにそれらの全てが綺麗事と結び付いているし際限もないのだ。強者の支配しない弱者ほど憐れなものはない。本作品はその弱者というものの本質を追求しているのだ。ナチスに対する好き嫌いではわからないのだ。この家族この会社は、ヨアヒム亡き後はナチスの支配によって初めて生き延びるのである。

    地獄の戦場 HALLS OF MONTEZUMA

    (1951年、米) 114分/カラー

    監督:
    ルイス・マイルストン/音楽:ソル・キャプラン
    出演:
    リチャード・ウィドマーク(アンダースン少尉)、ジャック・パランス(ピジョン・レーン)、レジナルド・ガーディナー(ジョンスン軍曹)、ロバート・ワグナー(コフマン)、カール・マルデン(ドク)、リチャード・ブーン(ギルフィラン中佐)
    内容:
    太平洋戦争後半、激闘の続く南太平洋の孤島を舞台に常に先陣を切って戦う米海兵第一師団の男たちの姿を描く。
    草舟私見
    ガダルカナルからタラワ・サイパンと戦い続けた米海兵第一師団の物語です。海兵はカッコ良いですね、敵ながらあっぱれですよ。海兵の仕事は敵前上陸と掃討戦ですからね、一人一人の兵の価値が勝敗を決する戦いを担当しているんです。だから海兵の物語は戦争映画でありながら一人一人の兵の人間性と生き方が描かれることになるのです。戦い続けることがいかに重要な事柄なのかが本作品からもよくわかります。人間は誰でも臆病であり弱いんですよ。それでも逃げずに応急処理を行ないながら戦い続けることが重要です。そしてその中から真の自己が生まれ出づる日がくるのです。そのような意味でアンダースン少尉の克己心と生き方は尊敬に値すると感じます。海兵はカッコ良いが、日本軍のロケットで痛めつけられているとこれがまた快感なんですから人間の真理は複雑ですよ。戦いは勝つか負けるかで恨みっこ無しという男の世界を感じます。

    地獄の黙示録 APOCALYPSE NOW

    (1979年、米) 153分/カラー

    監督:
    フランシス・フォード・コッポラ/音楽:カーマイン・コッポラ/受賞:カンヌ映画祭 グランプリ、アカデミー賞 撮影賞・音響賞
    出演:
    マーティン・シーン(ウィラード大尉)、マーロン・ブランド(カーツ大佐)
    内容:
    ベトナム戦争の深部を描いた戦争映画の大作。特殊任務をこなしてきたウィラード大尉は、同じ米軍のカーツ大佐の暗殺を命令され、ベトナムの深部へと向かっていく。
    草舟私見
    民主主義を標榜する国家の戦争というものについて、これ程透徹した表現力の名画はない。民主主義の綺麗事で戦争を行なえばこのような狂気に人間を誘い込むということである。カーツ大佐以外もみな狂気の世界にいるのである。それは義のための戦争でなく、殺人と経済のための戦争を遂行しているからなのだ。大義名分のない、つまり正義というものが存在せぬ殺戮の世界を、ベトナムにおいて米国は遂行したのだ。戦争は正々堂々と国防のために行なわねばならぬのだ。それを屁理屈の綺麗事で誤魔化す民主国家の悲劇が表現されているのである。戦争において、手前勝手な人道主義ばかり唱える米国の末期的症状がベトナムで露呈されているのだ。米国の根本思想つまり台詞にある機銃で撃ってから、後でバンドエイドをくれるという民主主義的欺瞞が、この恐ろしい恐怖と狂気を生むのである。撃つも撃たれるも男と男の対決であった日清・日露の戦争との違いを痛感する。民主主義の本質を知る名画中の名画と感じる。

    四十七人の刺客

    (1994年、東宝=日本テレビ=サントリー) 129分/カラー

    監督:
    市川崑/原作:池宮彰一郎/音楽:谷川賢作
    出演:
    高倉健(大石内蔵助)、中井貴一(色部又四郎)、宮沢りえ(お軽)、森繫久彌(千坂兵部)、石坂浩二(柳沢吉保)、岩城滉一(不破数右衛門)、中村敦夫(原惣右衛門)、宇崎竜童(堀部安兵衛)、西村晃(吉良上野介)、橋爪淳(浅野内匠頭) 
    内容:
    忠臣蔵を今までの描き方とは異なる角度から描き、その真実に迫った作品。浅野内匠頭と吉良上野介の関係から事件の経緯まで、一段掘り下げて描いている。
    草舟私見
    物語としての忠臣蔵とは少し視点の違う映画である。そして実話としては、本作品はあの討入りの真実を一歩深く掘り下げていると感じている。真実に近くまた映画としてのでき映えも非常に秀れた作品である。本作品が真実になぜ近いとわかるのかと言えば、小学校以来の私の忠臣蔵に対する持論による。私は吉良が悪で浅野が善などというものは、始めからおかしいと思っていた。当時の幕府の正道は全盛期であり非常にしっかりとしていた。他の多くの事件によってその公平性はよくわかるのである。浅野が即日切腹で吉良は無罪放免などという裁決は、余程に浅野が圧倒的悪業のない限りあり得ないことなのだ。そして当時はどんな事件も理由の説明などは現代と違って無かったのである。特に武士の社会ではそうであった。ゆえに浅野は類い希な我儘な馬鹿殿様であったに決まっているのである。四十七士については己の武士道を貫いたとは思うが、逆恨みであり一つの反逆であったことだけは事実であると私は思っている。馬鹿殿様のために馬鹿正直な武士道(討つための大義を創る)を貫いたことが事実だから、余計に庶民の同情をかった物語になったのが忠臣蔵であると私は思う。     
          

    史上最大の作戦 THE LONGEST DAY

    (1962年、米) 178分/白黒

    監督:
    ケン・アナキン、アンドリュー・マートン、エルモ・ウィリアムズ、ベルンハルト・ヴィッキ/原作:コーネリアス・ライアン/音楽:モーリス・ジャール/受賞:アカデミー賞 撮影賞・特殊効果賞
    出演:
    ジョン・ウェイン(ベンジャミン・バンダーボルト中佐)、ロバート・ミッチャム(ノーマン・コータ准将)、ヘンリー・フォンダ(セオドア・ルーズベルト准将)、ロバート・ライアン(ジェームズ・M・ギャビン准将)、ロッド・スタイガー(米駆逐艦長ビーア中佐)、ショーン・コネリー(フラナガン一等兵)、クルト・ユルゲンス(グンター・ブル メントリット少将)、ジェフリー・ハンター(フラー軍曹)、ケネス・モア(コリン・モード海軍大佐)
    内容:
    第二次世界大戦におけるドイツと連合軍の攻守を逆転させ、ドイツの敗北を決定づけた史上最大の作戦ノルマンディー上陸作戦の全貌を米、英、独、仏四か国の名俳優と四人の監督によって描いた超大作。
    草舟私見
    このノルマンディー上陸作戦を扱った大作は私が小五のときの作品ですが、もう心底感動しましたね。その当時では度肝を抜く程のスケールの映画でした。私は学校をずる休みして十回以上は観に行きました。その中で一回は初めて友人と行ったということで記憶にあります。学校中で話題でした。一緒に行ったのは信じ難いデブのO君と、間抜けで勉強のできないH君だったことが思い出されます。しばらくは戦争ゴッコばかりやっていました。友達はみんなあきちゃったようでしたが、私はあきるどころかますます高じて今日に至っています。それにしてもこのような大作戦というのは本当に感動しますね。攻めるも男、守るも男の世界です。理屈より行動と責任の世界です。決断をする司令官の苦悩、任務を遂行する下士官、兵の人間としての純粋な姿、どれを採っても血が騒ぎます。多くの人の労苦と努力の結晶があります。無名の人の血と汗の上に歴史は創られるのだと実感できます。どちらも間違いは多いがより迷いが多く、不平の少し多い方が負けるのだと尽々とわかります。

    静かなる男 THE QUIET MAN

    (1952年、米) 129分/カラー

    監督:
    ジョン・フォード/原作:モーリス・ウォルシュ/音楽:ヴィクター・ヤング/受賞:アカデミー賞 監督賞・撮影賞・音楽賞、ヴェネチア映画祭 国際賞
    出演:
    ジョン・ウェイン(ショーン・ソーントン)、モーリン・オハラ(メリー・ケイト・ダナハー)、ヴィクター・マクラグレン(レッド・ウィル・ダナハー)
    内容:
    ジョン・フォード監督の魂の故郷アイルランドを舞台に、帰郷した元ボクサーの男と村人たちの交流を描いた作品。ラストの長い格闘場面が映画史上名場面として有名。
    草舟私見
    アイルランドの田舎の人間の絆を中心に、旧き人間存在の原点を追求した名画である。アメリカ育ちの役柄を演じるジョン・ウェインを主人公に据えることによって、アイルランド魂とその良き伝統と深い人間的生活をより鮮明に浮き彫りにしている。ゆっくりと流れる時間の豊かさが良い。毎日喧嘩したり罵り合っているが、皆が心底では相手の存在を認め合っている深い絆が心を和ませる。深い心温まる絆の中心には、人間の感情を越えた伝統や文化というものがしっかりと心に根差していることがはっきりわかる。絆を大切に考えることによって、色々な和解のための知恵も生まれるのだとわかる。正直であることが長く深い絆の最も大切なことである。そして正直であることは綺麗事だけでは不可能なのだ。一生涯心に残る名作中の名作である。

    靜かなる決闘

    (1949年、大映) 94分/白黒

    監督:
    黒澤明/原作:菊田一夫/音楽:伊福部昭                   
    出演:
    三船敏郎(藤崎恭二)、志村喬(藤崎孝之輔)、三條美紀(松本美佐緒)、植村謙二郎(中田進)、千石規子(峯岸るい)、山口勇(野坂巡査)、中北千枝子(中田多樹子)
    内容:
    野戦病院で手術中に梅毒を移された青年医師が、婚約者との関係に苦悩しながら、医師として静かに人生と闘っていく姿を描いた作品。
    草舟私見
    真の人間愛はいかにして生まれるのか。それが本作品の主題であると私は考えている。そして黒澤明は、その解答を「不幸」の中に見出している。不幸というものを背負い、それと闘い、それを克服していく過程で生まれるものが、他人の人生に真に深く分け入ることのできる道義心を生むのだと、映画を通して我々に語りかけているのだ。最後のシーンで医師である息子(三船敏郎)を他者が「聖者である」と言ったとき、志村喬扮するその父親役の医師が「いや、もし(彼が)幸せだったら案外と俗物になっていたかもしれませんよ。」という言葉に、全ての本質があるのだ。真の優しさは苦悩の中から生まれるのだ。自分が不幸を背負って人は初めて他人を本当に思いやり、愛することができるのだ。また医者という真の道義心を必要とする職業の本当の価値を問う作品であると感じている。不幸を嫌い自己の幸福だけを求める者には、真の愛も道義心もわからぬのだ。志村喬と三船敏郎の親子の真の情に心打たれます。この親にしてこの子ありですね。     
          

    静かなる情熱 A QUIET PASSION

    (2016年、英=ベルギー) 125分/カラー

    監督:
    テレンス・デイヴィス/音楽:チャールズ・アイヴス「The Unanswered Question」他
    出演:
    シンシア・ニクソン(エミリー・ディキンソン)、ジェニファー・イーリー(妹・ヴィニー)、キース・キャラダイン(父・エドワード)、ジョディ・メイ(スーザン)、キャサリン・ベイリー(バッファム)、ダンカン・ダフ(兄・オースティン)
    内容:
    僅か十篇の詩を発表しただけで、無名のまま生涯を終えたエミリー・ディキンソンの生涯を描いた作品。没後に発見された1800篇もの作品は「アメリカ文学の奇跡」と呼ばれる。
    草舟私見
    詩人エミリー・ディキンソンの生涯を綴る作品である。近年まれに見る静謐を湛えた名画と言えよう。十九世紀のプロテスタント社会の篤い信仰の中に生まれ、そして育ったひとりの女性の憧れと苦悩が画面に満ちている。重く暗いものの中から生まれ出づる、真の明るさと希望が輝いている。愛が、重く厚く人生にのしかかっているのだ。家族の本当の愛が描かれていると思う。本当の愛は、美しいだけでも、明るいだけのものでもない。それは、人間の「涙」の中から這い上がってくる「叫び」なのだ。エミリーは、その人間の涙の中を真っしぐらに生き切った。生まれた家を出ることもなかったが、エミリーは全世界を抱き締めていたのだ。多くの人と交わっていたのだ。心の中に、全てのものがあった。私はエミリーの中に、キリスト教が生み出した最良の精神を見出している。日本の重く暗い、あの武士道の残滓を残す、一昔前の大家族のようである。家族の厚い信頼と愛情、そして葛藤の中から多くの偉大なる敗北が生まれ、また偉大なる希望も生まれてくるのだ。

    七人の侍

    (1954年、東宝) 207分/白黒

    監督:
    黒澤明/音楽:早坂文雄/受賞:ヴェネチア映画祭 銀獅子賞
    出演:
    志村喬(勘兵衛)、三船敏郎(菊千代)、宮口精二(久蔵)、加東大介(七郎次)、千秋実(平八)、木村功(勝四郎)、小杉義男(茂助)、津島恵子(志乃)、藤原釜足(志乃の父万造)、左卜全(与平)、稲葉義男(五郎兵衛)、高堂国典(村の古老)
    内容:
    日本の戦国時代、相次ぐ戦乱で野武士が横行。貧しい村の百姓たちが村を守るため、あぶれ者の七人の侍を雇い野武士を相手に戦う、西部劇の面白さを取り入れた、黒澤明監督による豪快なアクション時代劇。
    草舟私見
    非常な名画であるが、あえて時代考証を無視していると感じる。百姓のあの情ない姿は江戸時代三百年経過後の姿であり、戦国時代の百姓は兵農分離以前であり全てが半士半農であって自主独立であった。黒澤明であるから当然そんなことはわかっているはずである。ではなぜ勇敢な侍とみじめな百姓を戦国時代の設定で描いたかである。この作品が戦後間もなくできたことを考えればわかる。ここには黒澤の日米安保条約や連合国に対する鬱憤がパロディとして含まれている。侍は実は英米なのだ。助けてもらっているから何も言えないが、最後は自分たち(日本)の勝ちなのだということを描いているのである。百姓は当然戦後の日本人の姿と考え方を示しているのである。侍に助けてもらうが侍は何も得るものがなく去る。みじめに土下座しているが百姓は最後は勝つのだということである。その黒澤流の夢や理想を、そのものずばりを表現することが許されなかった当時の国際社会ににおいて、彼が時代劇の衣をかぶせて描いたものと私は思量している。この作品は実は全然時代劇ではないのだ。そのためにわざと時代考証をずらしているのだ。それにしてもこの百姓の姿は最後だけは良いが、それ以外はすべてみじめそのものです。そのみじめさが卑劣さとずるさを生んでいます。これが黒澤の見た戦後の日本だのだと感じます。七人の侍は百姓に結果論としては利用されて死に捨てられていくのですが、やっぱり侍の方がいいですね、私は。大体英米がこんなにカッコ良くなんか無いのに当時の日本人にはこう見えたのでしょう。この見方は戦後の日本人の物の見方としては重要であると感じます。映画の中においては木村功が演じる侍が何とも余計で不愉快ですね。この種のズレ人間は私の最も嫌う男です。このズレは若さではなく人物の資質によるものです。あとの六人の侍は各人とも名演であり、人間的魅力に富んでいます。村の古老の人間味も忘れられません。         
          

    七年目の浮気 THE SEVEN YEARS ITCH

    (1955年、米) 105分/カラー

    監督:
    ビリー・ワイルダー/原作:ジョージ・アクセルロッド/音楽:アルフレッド・ニューマン
    出演:
    マリリン・モンロー(娘)、トム・イーウェル(リチャード・シャーマン)、イヴリン・キーズ(ヘレン・シャーマン)、ソニー・タフツ(トム・マッケンジー)
    内容:
    出版会社に勤める中年男性リチャードの浮気心と葛藤をコメディタッチで描いた作品。1952年にブロードウェイでヒットしたジョージ・アクセルロットの舞台劇を映画化。
    草舟私見
    主演のトム・イーウェルの名演技による人間の心理描写が頭抜けて面白い名画である。主演のマリリン・モンローの魅力も忘れ得ぬ思い出となっている。これぞまさにアメリカという魅力をやはりモンローは持っていると感じる。アメリカが生き生きとしていた時代の良さが、モンローという女優の全身を通じて確実に伝わってくるのである。本作品は始めから終わりまで、ほとんどこの二人しか登場しないのだが全く飽きさせることがない秀作である。T・イーウェルの独白がほとんどを占めているが、その何とも言えぬ面白さ。世界で初めての消費文明に心を犯されつつあった人間の滑稽さを実にたくみに描いている。この映画の面白さには、まだまだ健全な心を持っている人間が徐々に浸透しつつある消費文明の悪徳に気づくことなく、知らず知らずにそれと葛藤をしている会話にあるのです。豊かさが心を蝕む過程が描かれています。電化と宣伝と休暇に翻弄される二人の姿こそ現代の豊かさの原点を表現しているのだと感じています。

    十戒 THE TEN COMMANDMENTS

    (1956年、米) 222分/カラー

    監督:
    セシル・B・デミル/音楽:エルマー・バーンスタイン/受賞:アカデミー賞 特殊効果賞
    出演:
    チャールトン・ヘストン(モーゼ)、ユル・ブリンナー(ラメス)、アン・バクスター(ネフレテリ)、エドワード・G・ロビンソン(デイサン) 
    内容:
    聖書を題材に、知られざるモーゼの出生から成長、その後の波乱万丈な人生を描いた作品。当時、エジプトで奴隷としての苦役に苦しむイスラエルの民は救い主を待ち望んでいた。
    草舟私見
    モーゼの偉大な生涯の物語である。モーゼの生涯は、聖書を通じて幼き日から私の心に響く人間的偉大さである。信仰の民ヘブライ人のことを良く知ると、モーゼの神霊力や予言者性もよくわかるのである。日本人の感性では嘘の話だと思うだろうが、これは全て真実の話であり、また人間の英知の最高の段階の物語なのである。十戒とは神から与えられた言葉なのだ。そうヘブライ人は感じるし、事実そうなのだ。我々日本人の感性で言えば、苦難の民族移動を40年にわたって統率した人間の真の幸福論であり、人間関係論の最も透徹した真理なのだ。世界中で最も苦労をした民族が編みだした、つまり最も秀れた人生訓なのである。最も秀れたとはつまり神の言葉なのだ。40年の辛苦で疲れ果てた極点のモーゼの神経に、天啓としてきた律法が十戒なのだ。偉大な人は神に助けられるのです。偉大な人は本当に謙虚です。偉大な人は本当に粘り強いです。夢と希望が強いからなのです。偉大な人は実に地味な一生を送ったのだと尽々とわかる作品です。

    61* 61*

    (2001年、米) 128分/カラー

    監督:
    ビリー・クリスタル/音楽:マーク・シャイマン
    出演:
    バリー・ペッパー(ロジャー・マリス)、トーマス・ジェーン(ミッキー・マントル)
    内容:
    ベーブ・ルースが打ち立てた偉大な記録に挑戦する、ニューヨーク・ヤンキースのスーパースター、ロジャー・マリスとミッキー・マントルの友情を描いた作品。
    草舟私見
    変わった題の映画ですね。この61というのは、1961年にヤンキースのロジャー・マリスが成し遂げたホームランの新記録です。この記録は同じ新記録でもただの新記録ではないのです。あの偉大なベーブ・ルースのシーズン本塁打60本を破る大記録なのです。そして61に*印が付いています。この米印は注釈付きの新記録という意味なのです。ルースのときよりシーズンの試合数が少し多かったので、ルースを神の如く崇める人たちが正式の記録としては認めなかったのです。いかにも米国的な理屈と言えばそれで終わりですが、それ程にこの60本本塁打という記録が凄いものなのだと捉えるのが正しい捉え方だと思います。R・マリスとM・マントルとの友情を中心として、当時の大リーガーたちの生き方がよく表わされています。偉大な人にだけ偉大な人の真の価値がわかるのです。いつの世も、偉大な人たちがいかに評論や悪意に満ちた中傷に苦しめられているかがよく描かれています。だからこそ何事かを成すには友情と愛情が必要なのです。それらの価値を大切にして初めて長い孤独な戦いを戦い抜くことができるのです。本作品はスポーツマンの生き方を深いところで捉えた数少ない作品と感じています。

    至福のとき 幸福時光/HAPPY TIMES

    (2002年、中国) 97分/カラー

    監督:
    チャン・イーモウ/原作:モー・イェン/音楽:サン・パオ
    出演:
    チャオ・ベンジャン(チャオ)、ドン・ジエ(ウー・イン)、フー・ピアオ(フー)
    内容:
    近代化が進む中国の都市、大連を舞台に全盲の少女と無職の中年男の出会いと心の交流を描いた作品。
    草舟私見
    観た者の心にいつまでも残る情感を備えた名画であると感じる。現代の豊かで平和ボケの日本人が忘れかけている、「幸福」なときというものの本質を教えられ、思い起こさせられる名画である。幸福とは人と人との心の触れ合いなのだ。それだけであり、それ以外のものは全て本質では無いのだ。それがあるならば損をしようが嘘をつかれようがどうでも良いのだ。損も嘘もその中に通っている血液としての人間の心の問題なのだ。心の触れ合いとは、それを求めればもう雲散霧消してしまうものなのだ。その辺のところを現代の日本人はよく観るべきである。心の触れ合いとは、「生きるため」の「必然」によって喚起されるものなのだ。心の触れ合いは好き好んでするような遊びことではないのだ。やむにやまれぬ必要から無理をして行なわれるものなのだ。求めればそれは「ゴッコ」になり下がってしまうのである。その辺の本質を真に見事に描き切っているものと思う。観終わった後、この少女の今後の幸福を信じ、真から願い祈る気持ちが自ずから生まれ出づる名画である。

    シャーロック・ホームズ全集〔シリーズ〕 SHERLOCK HOLMES SERIES

    (1984~1994年、英) 各102~104分/カラー

    監督:
    ジン・ブルース、他/原作:サー・アーサー・コナン・ドイル/音楽:パトリック・ゴワーズ
    出演:
    ジェレミー・ブレット(シャーロック・ホームズ)、デヴィッド・バーク、エドワード・ハードウィック(ドクター・ワトスン)、ロザリー・ウィリアムズ(ハドスン夫人)
    内容:
    開業医アーサー・コナン・ドイルの筆により誕生した探偵シャーロック・ホームズは、鋭い観察力とそれに基づく推理力を生かし、数々の難事件を解決していく。ジェレミー・ブレッドによる好演はホームズのイメージを決定づけた。
    草舟私見
    英国のグラナダテレビのTV番組であり、TV番組の最高峰に位置する名作と感じる。その映像、時代考証とも本格的なものであり、いつ見ても心の底から楽しめるものである。シャーロック・ホームズは御存知のように、探偵物であるが事件内容などは関係なく一作品ずつ映画として楽しめるものである。ホームズが英国の紳士として生まれ、紳士として生き紳士として死ぬ人物である。その紳士道を心の眼でゆったりと観るところに本作品の醍醐味がある。同じく紳士の友人である医師ワトスンとの会話が、やはり最高の糧となるものである。その会話の内容の優雅さ、上品さは実に楽しい。愛と友情と名誉と誇りに生きる者の会話である。信義を重んじ正義を信奉する二人の紳士の生き様は、私に深い感化を与えたものである。何しろカッコ良い。無条件にカッコ良い。目茶苦茶にカッコ良い。全ての動作がカッコ良く、全ての言葉がカッコ良い。カッコ良いことは実に良い。

    シャイアン CHEYENNE AUTUMN

    (1964年、米) 155分/カラー

    監督:
    ジョン・フォード/原作:マリ・サンドス/音楽:アレックス・ノース
    出演:
    リチャード・ウィドマーク(トマス・アーチャー大尉)、キャロル・ベイカー(デボラ・ライト)、アーサー・ケネディ(ドク・ホリデー)、ジェームズ・スチュアート(ワイアット・アープ)、サル・ミネオ(シュルツ内務長官)、カール・マルデン(ウェッセズ)
    内容:
    1878年、オクラホマの原野のただ中にある、インディアン居留地に押し込められていたシャイアン族を描いた作品。白人により故郷を追われ、病や飢えで部族は滅亡の危機に瀕していた。
    草舟私見
    保護区から脱出し故郷へ帰ろうとするシャイアン族の苦難の旅を活写することにより、アメリカ合衆国成立の裏面史を語り、また白人文明がなにゆえに他の文化を駆逐して行ったかの本質論を語る作品と感じている。監督のJ・フォードは他の作品に見られるように大変な愛国者である。その彼がインディアンに対する白人の圧政を扱ったことは意味があると思う。私は真の愛国心や真の愛情や友情や信頼は綺麗事ではなく、嫌らしく汚ならしいものも知って、それを乗り越えて確立していくものであると信じている。J・フォードもそう思ってこの作品を造ったに相違ないと感じている。良いものだけしか知らない信念はただの突っ張りであり、張り子の虎である。また白人の真の力は秩序の維持つまり文明にあるが、白人が他を圧したのは軍事力だけではなく、真実の愛に身を捧げた多くの信仰者の力によっているのである。真のキリスト教のない征服は成功したためしはないのだ。

    ジャコメッティ ―最後の肖像― FINAL PORTRAIT

    (2017年、英) 90分/カラー

    監督:
    スタンリー・トゥッチ/音楽:エヴァン・ルーリー
    出演:
    ジェフリー・ラッシュ(アルベルト・ジャコメッティ)、アーミー・ハマー(ジェイムズ・ロード)、トニー・シャルーブ(ディエゴ)、シルヴィー・テステュー(アネット)、タカツナ・ムカイ(矢内原伊作)
    内容:
    ジャコメッティが最後に描いた肖像画の制作過程を描いた作品。1964年、ニューヨーク在住の作家ジェイムズ・ロードに肖像画のモデルを依頼したジャコメッティ。その制作過程を人生とともに追った。
    草舟私見
    体当たりの人生とは何か、を味わえる名作である。体当たりだけが、価値のある生の痕跡をこの世に刻み付けるのだ。その体当たりには、善も無くまた悪も無い。天才と天才以外の人々が織り成す、生の舞踏の魅力が画面一杯に広がる。人生において、何ものかをこの世に刻むその営みが涙を誘う。ジャコメッティは生の燃焼をこの世に刻み付けながら生きているのだ。その姿は、今は亡き戸嶋靖昌の姿を彷彿させる。生の燃焼とは、未完に挑むその戦いの過程なのである。未完を未完のまま引き受ける、その魂の悲しみの中に真実の生が存在しているのだ。体当たりとは、砕け散る未完の破片を、自ら見詰め続ける永遠の作業に他ならない。それがよくわかる。ジャコメッティの人生には、ひとつの「実存」がある。その実存が、体当たりの人生を築かせているのだ。その実存が、多くの作品となって残っているのだ。作品の中で、アメリカ人ジェイムズ・ロードにも実存がある。それは妻や娼婦にもある。登場人物でそれを感じない者は、傍観者・矢内原伊作ただ一人である。

    ジャッカルの日 THE DAY OF THE JACKAL

    (1972年、米) 142分/カラー

    監督:
    フレッド・ジンネマン/原作:フレデリック・フォーサイス/音楽:ジョルジュ・ドルリュー
    出演:
    エドワード・フォックス(ジャッカル)、ミシェル・ロンスダール(ルベル刑事)、アドリアン・カイラ・ルグラン(ドゴール大統領)
    内容:
    国際的な職業殺し屋のジャッカル。フランス大統領シャルル・ドゴールの暗殺依頼を受け、その任務を成功させるための策を駆使し、計画を進めていく。
    草舟私見
    狙撃者(スナイパー)を描いた映画では最高の名画と認識している。この系統の映画の中でも最も品格があります。ジャッカルと呼ばれる狙撃者と、それを追う警部それぞれの個性が見事に表現されています。二人とも真の仕事人ですね。仕事人は善でも悪でも本当に魅力があります。善玉悪玉両者ともあらゆる困難を乗り越えて目的に向かう迫力がすばらしい。善か悪かは人間の志が決めることである。この世はどちらに対しても妨害が湯水のように降り注ぐのです。ただの善人にはこの困難は乗り越えられない。芯が必要です。その芯を持って善に生きようとするのが一番良い人生です。しかし乗り越え方は両者とも同じなのですね。その意味で悪人の土根性は、善の断行の手段として私は大いに魅力を感じます。それにしてもジャッカルを演じるエドワード・フォックスは本当にカッコ良いですね。私は彼のことは好きで好きでたまらないです。

    ジャンヌ・ダルク JOAN OF ARC

    (1999年、米) 158分/カラー

    監督:
    リュック・ベッソン/音楽:エリック・セラ
    出演:
    ミラ・ジョヴォヴィッチ(ジャンヌ・ダルク)、ジョン・マルコヴィッチ(シャルル7世)、フェイ・ダナウェイ(ヨランド)、ダスティン・ホフマン(ジャンヌの良心)
    内容:
    百年戦争でフランスを奇跡的に勝利に導いた聖ジャンヌ・ダルクの生涯を描いた作品。十五世紀初頭、フランスは当時イギリスとの百年戦争で崩壊寸前だったが、少女ジャンヌが神の使いとして現れた。
    草舟私見
    この史上希に見る戦史上の英雄の心の謎に迫ることは価値ある事柄である。ましてや女性で事実としてこれ程の戦果を挙げた者はほとんど皆無であろう。桁違いの業績を挙げた女性というものは、ほとんど例外なく強烈な信仰に基づく信念の力だけで物事を成している。その信念の力が、男性のおよばぬ凄い力を持った場合が史実として沢山ある。本作品はその信念の元である神の声が、本当か幻覚かということにその主題がある。映画ではジャンヌの錯覚であるという見方をしている。しかし私の観方を示せばこれは全て真実である。真実以外でこのような力を持ち得るものはない。それは啓示を受けた多くの歴史的人物を知る者にはわかるのである。ただジャンヌには一回一回告解を神父に聞いてもらうという、女性特有の人間的弱さが克服できぬまま付き纏った。それが啓示の遂行途中から彼女の行動を弱くしたと考えられる。綺麗事が好きなのは使命に対する女性的弱さなのである。使命の始めは使命の鬼であったが血を見てから彼女の我が出てきたのである。我が出れば啓示は幻覚に変化するのである。啓示は肚に収めて使命の鬼として死に切らねばならんのだ。ジャンヌの弱さは神の声、つまり真実というものを人間の歴史、文化、道徳という神の意志を体現した事実の知識に基づいて自分の信念に落とせなかったことが弱さの根源なのである。

    上海1920 あの日みた夢のために SHANGHAI 1920

    (1991年、米=香港) 115分/カラー

    監督:
    レオン・ポーチ/音楽:喜多郎
    出演:
    ジョン・ローン(ビリー=フォン)、エイドリアン・バスター(ドーソン)
    内容:
    世界中の富とそれに群がる人々で溢れる1920年代の上海を舞台に、野望を実現させていく男たちの姿とその友情を描いた作品。
    草舟私見
    第二次大戦前の国際都市上海の魅力がよく描かれている作品である。国際都市に出現する、帝国陸軍の悲しみと面白味が作品に歴史観を鮮明に与えている。帝国陸軍の姿はいつ見てもワクワクします。この国際都市と激動の時代における、男の友情が悲しくまた美しく心に残る作品となっている。時代と人生に翻弄されながらも、友情の原点に帰っていく男の悲しみを感じる。友情とは簡単なものでも、ただの美しいものでもないのだ。貫くのは大変なことなのだ。大変で困難だから貫けば価値があるのだ。喜多郎の友情を深く捉えた音楽もまたすばらしいものであると感じる。友情に乾杯!

    上海バンスキング

    (1984年、松竹=セゾングループ=シネマセゾン、他) 121分/カラー

    監督:
    深作欣二/原作:斎藤燐/音楽:越部信義                   
    出演:
    松坂慶子(正岡まどか=マドンナ)、風間杜夫(波多野四郎)、宇崎竜童(松本亘=バクマツ)、志穂美悦子(林珠麗=リリー)、平田満(弘田真造)、夏八木勲(白井中尉)
    内容:
    活気溢れる国際都市上海に集う、若き日本のジャズメンとその仲間たちの物語。気ままな日々は日中戦争勃発とともに、暗転していく。
    草舟私見
    名画ですね。面白くって楽しくて悲しくて、実に余韻の残る名作です。主題曲もすばらしい。観終わった後にただ一滴の涙が頬を伝わる、そういう映画ですよこれは。みんな好き勝手に生きているようで、誰の心の中にも一つのしっかりしたものがありますよね。出てくる奴はみんな馬鹿だけれど、みんないい奴ばかりですよ。最近の日本のいい加減さとは質が違いますね。みんな好きに生きているけれど自己責任があるんです。だから観ていて楽しいんですよ。彼らの希望が戦争に巻き込まれて崩れていく過程は見ていて心の底から哀しみを感じますね。彼らはいい奴ですからね。上海はいいですよ、何ったって私のお袋が女学校を出るまで育ったところですからね。私はね、上海の話は耳たこで、行ったことはないけど何でも知っているんです。夢があります。祖父と母の故郷のようなものです。相変わらず国際感覚ゼロの帝国陸軍もいいです。ゼロだが戦えば強い。国が強いとどんなにいい加減に生きているように見える人々にも、何か芯がありますね。      
          

    銃殺 2. 26の叛乱

    (1964年、東映) 97分/白黒

    監督:
    小林恒夫/原作:立野信之/音楽:木下忠司                   
    出演:
    鶴田浩二(安東大尉)、岸田今日子(安東文子)、丹波哲郎(相川中佐)、佐藤慶(磯野浅二)、江原真二郎(栗林中尉)、井川比佐志(久米曹長)
    内容:
    昭和初期、国際社会の中で迷走を始めた日本を本気で変えようとした青年将校たちの姿を、その中にあって慎重派として最後まで行動を起こす時期を冷静に見続けた安東大尉を中心に描いた。
    草舟私見
    二・二六事件を扱った名画であり、秩序と人情のしがらみとその関係を鋭く表現した作品であると感じている。そのため、事件関係の青年将校の中で最も人情家として兵から慕われていた安東大尉を主人公とし、中心に据えた作品となっている。安東大尉は第一師団歩兵第三連隊の中隊長であり、作品中では鶴田浩二が演じている。しかし何といっても鶴田浩二が演じると全部良くなってしまいます。本当に大した俳優です。安東大尉ね、本当に良い人間ですね。私もこのような人物になりたいし、こういう人は心から尊敬しますね。このような真面目で有能な人情家は間違いなく真の人材であり、国家の宝であると感じます。問題は文明と人情との関係です。文明とは秩序なのです。文明はタテの関係であり、人情はヨコの関係です。タテとヨコの平衡が最も重要なのです。安東大尉はヨコに流されタテを無視しました。銃殺はいたし方ないのです。ただ私は流されるならタテに流されるよりもヨコに流される人が好きです。しかし、平衡以外は絶対に駄目なのです。安東大尉の生き方は子供の頃から私にとっては一つの試金石なのです。 
          

    11.25 自決の日

    (2012年、若松プロ) 120分/カラー

    監督:
    若松孝二/音楽:板橋文夫
    出演:
    井浦新(三島由紀夫)、満島真之介(森田必勝)、岩間天嗣(古賀浩靖)、永岡佑(小賀正義)、寺島しのぶ(平岡瑤子)、小林優斗(上田茂)、篠原勝之(碇井陸将)
    内容:
    三島由紀夫の後半生を中心に、自決の最期までを描いた作品。文豪としての活躍と同時に、学生運動に深入りし、自決に至るまでのその前後の活動に焦点を当てている。
    草舟私見
    哲学者マルチン・ブーバーは、真の生は一回性の流れの中で試されると言った。一回性(die Einmaligkeit:ディー・アインマーリヒカイト)に挑戦する意志が、人生を決めるのである。そのことが、深く痛く思い出されるのだ。三島由紀夫は、「永遠」そのものを生き切った。そして、この日から、三島は「永遠」になったのである。三島にとって、切腹は自己の文学の完結であった。そうしなければならなかったのだ。その一回性に向かう精神が、三島の文学を支えていた。文学とは、生き方である。それを、これほど見事に体現した作家はいない。三島文学がもつ優美は、武士道の血から発する野蛮性によって裏打ちされているのだ。戦後の日本は、三島の自決の日をもって終わった。可能性を残した「国家」の姿は、その日に三島の命と共に消え去った。それ以後の日本は、三島の言のごとく、無意味で何となく存在する「地域」になってしまった。この映画は、文学が生き方であることを深く表現している。このことに成功した映画は少ない。これはそういう作品である。

    将軍たちの夜 THE NIGHT OF GENERALS

    (1966年、英=仏) 138分/カラー

    監督:
    アナトール・リトヴァク/原作:ハンス・ヘルムート・カースト/音楽:モーリス・ジャール
    出演:
    ピーター・オトゥール(タンツ将軍)、フィリップ・ノワレ(モラン警部)、ドナルド・プリーゼンス(カーレンベルグ将軍)、オマー・シャリフ(グラウ少佐)
    内容:
    第二次世界大戦中に起きた娼婦殺害事件の犯人がドイツ軍の将軍だったという事件を追う、ドイツ軍少佐と犯人と目される三人の将軍を描いた作品。
    草舟私見
    主演のタンツ将軍に扮するピーター・オトゥールの名演が光ります。何とも変人的で面白くて魅力的です。変人をやらせてこの俳優を凌ぐ人はいませんね。確かに売春婦の殺人はやり過ぎだと思いますが、国家には貢献しています。このような人が(殺人は別として)真に戦争では強い指揮官なのです。また他の二人の将軍もヒトラー暗殺に血道を挙げています。善悪は別として戦時における国家のことを考えています。どちらも殺人はやり過ぎですが、仕事はできます。目的意識があるんです。三人とも仕事熱心が行き過ぎて道を踏み外した面が出ただけで、真から駄目な人物ではありません。監督は駄目なところだけ強調しているのです。それに引き換えなんですかグラウ少佐(O・シャリフ)は、まったく国家が戦争をしているのに、人を陥れるための趣味の遂行をしているだけです。このような遊び人程自分のことを善人だと思っているのです。タンツ将軍の悪徳ばかり追っているくせに、自分は戦時においては殺人より罪の重いスパイ行為(レジスタンスへの協力)を平然とやっているのですからただの自惚れた馬鹿ですね。最後にいとも簡単に無造作にタンツ将軍に撃ち殺される場面は、ざまーみろ馬鹿という感じで胸がスーッとしますよ。こういう場違いな自称正義感のおじゃま虫の末路としてはこれが良いのです。何の責任も無いから善人ぶれる人間の例としては、他に伍長と恋人の将軍の娘が出て来ますね。国家が戦争をやっているのに何なのかこの二人は。この二人も善人に描かれていますが、それは先の三人の将軍たちのような責任がなく、遊んでいるからできることなのです。

    将軍と参謀と兵

    (1942年、日活) 90分/白黒

    監督:
    田口哲/原作:伊知地進/音楽:江口夜詩                   
    出演:
    阪東妻三郎(兵団長中将)、中田弘二(杉参謀)、押本映治(夜垣参謀)
    内容:
    日本が未だ太平洋を舞台に英米と、大陸では中国との間で激しく干戈を交えている最中に撮影された作品で、大陸の戦場を駆ける在りし日の帝国陸軍の雄姿が描かれる。
    草舟私見
    日本軍が中国戦線で繰り返し行なってきた、包囲殲滅戦というものがよくわかる作品である。旧き良き帝国陸軍の在りし日の姿が描かれていて、私は特に心に残る映画である。中国戦線ではずっと父が陸軍中尉として転戦していたので、私は特に好きな映画なのだ。我々の戦争観は敗戦のときのものだけなのだ。実際には帝国陸海軍は科学的で組織的で人情味に溢れていたのである。板東妻三郎が扮する将軍の統帥者としてのあり方が、私に強い印象を残した。決断力がある。人情がある。科学的な頭脳がある。厳しくて優しい人である。参謀たちも良い。作戦のためには己を殺して仕事に邁進している。気持ちが良い。多くの人間たちが一つの信念、つまりここでは愛国と勝利であるが、それに挺身する姿は本当に美しい。高貴である。   
          

    小説吉田学校

    (1983年、フィルムリンク・インターナショナル) 132分/カラー・白黒

    監督:
    森谷司郎/原作:戸川猪佐武/音楽:川村栄二                   
    出演:
    森繫久彌(吉田茂)、芦田伸介(鳩山一郎)、竹脇無我(佐藤栄作)、高橋悦史(池田勇人)、西郷輝彦(田中角栄)、角野卓造(宮沢喜一)、梅宮辰夫(河野一郎)、若山富三郎(三木武吉)、池部良(緒方竹虎)、小澤栄太郎(松野鶴平)、仲谷昇(岸信介)
    内容:
    第二次世界大戦後の日本の政界において保守政治の大きな流れをつくった大政治家 吉田茂を中心に描いた作品。吉田は内閣総理大臣となって、日本の自由と独立を実現しようとした。
    草舟私見
    日本の戦後政治の歴史について、これ程面白くまた史実に忠実な名画はない。戦後の日本の出発点を理解することは、現在の日本人にとって一番重要な事柄の一つである。そのような意味において最高の映画であろう。主人公は吉田茂、大人物である。戦後民主主義の路線を決定した大物である。その吉田茂の活動と人なりを森繫が本当に見事に演じ切っている。名演中の名演である。そして我々も知っている戦後政治の大物たちの若き日が鮮やかに描かれている。自民党政治の基礎を築いた者たちの若き日の志を知ることは、戦後の原点を認識することなのである。戦後の大物たちが若き日にはみんな面白い人物です。やはりただ者ではないということがよくわかります。人間は功成り名遂げた後の欠点を探し回るよりも、その人物の本質である若き日の志などの良い点を見ることが、本質を見極める上で最も重要と考える。田中角栄なんかは20代の議員なのにやっぱりただ者じゃないということもわかります。これを見ると戦後を愛することができるようになりますね。      
          

    聖徳太子

    (2001年、NHK) 180分/カラー

    監督:
    佐藤幹夫/音楽:冨田勲                   
    出演:
    本木雅弘(廐戸皇子=聖徳太子)、緒形拳(蘇我馬子)、ソル・ギョング(伊真)、宝田明(物部守屋)、松坂慶子(額田部皇女=推古天皇)、中谷美紀(刀自古郎女)、近藤正臣(大兄皇子=用明天皇)、柄本明(穴穂部皇子)
    内容:
    六世紀日本、国家としての日本の原型ができた時代に、常に政治の中心にいた聖徳太子。その若き日々に光を当てて、国家として必要な制度を作り上げるに至った過程を描いた作品。
    草舟私見
    聖徳太子が生きた時代は、我々の知る日本が日本としての基盤を作り上げた時代なのである。そのような意味においてこの時代を知ることは、いかほどか大きな意味が現代人にとって存在すると私は思っている。良さも悪さも含めてこの時代は、これ以後の日本の政治・文化の原点と言っても過言ではないと感じているのである。聖徳太子は日本文化の原点を体現している人物と見るのが正しい見方であると感じている。その人物の人となりと業績を知るのに非常に良い作品であると感じている。聖徳太子はその「正しさ」ゆえに不幸な晩年を生きた人であった。正しい人生とは不幸を厭わぬ人生のことなのである。不運や不幸を恐れる人間は正しさを貫くことはできないのだ。太子の持つ「暗さ」は善を遂行するための「暗さ」なのだ。自らが「暗さ」を引き受けて他を照らすことこそ、本当の政事の本質ではないか。「暗さ」を厭わぬことが他に「明るさ」をもたらすことなのだ。戦わないための戦いを戦い抜く決意が太子の暗さの本質である。平和を真に愛する者は戦いを厭わぬ覚悟が必要なのである。「和を以って貴しとなす」という、日本の原点を確立した太子の生き方から、真の平和とは何かを考え直すことは重要なことであると感じている。        
          

    精霊流し ―あなたを忘れない―〔テレビシリーズ〕

    (2002年、NHK) 合計240分/カラー

    監督:
    中山秀一/原作:さだまさし/音楽:服部隆之                   
    出演:
    坂口憲二(櫻井雅彦)、根津甚八(櫻井雅人)、宮崎美子(櫻井喜代子)、佐野史郎(野川初雄)、新山千春(岸田涼子)、風吹ジュン(林田節子)、中村修介(大石春人)
    内容:
    音楽家さだまさしの自伝的小説『精霊流し』を原作にした作品。その少年時代から青年時代までを切ない思い出を交えながら描いていく。
    草舟私見
    音楽家さだ・まさしの自伝的ドラマである。さだ・まさしという人のいかにも人間的な子供時代と青年時代が、非常に共感を呼ぶ情緒を湛えて描かれている秀作であると思っている。私自身もこの作曲家の歌は好きな歌が何曲もあり、あのような歌を作詞作曲する人物というものが彷彿としてしみじみとさせられるものがある。私は昭和二十五年の生まれであるが、さだ氏も同年代のようで私の学生時代の生活も思い出され、またその頃の雰囲気というものを非常にうまく描き出しているのには感心した。私は若き日には「変人」で有名であったので参考にはならんが、あの頃の多くの友人たちの顔を思い出しながら楽しみに観ることができた。好き嫌いは別として、やはりさだ氏は我々の世代を代表する個性の持ち主であることは確かなことであり、そのような個性の持ち主という者の持つ人間味というものが私には嫌というほど伝わってきた。何事かを成す人というのは、本当に「人がよく」また真の「優しさ」というものを心に持っていることがよくわかる心温まるドラマである。        
          

    昭和偉人伝 出光佐三

    (2014年、BS朝日) 45分/カラー

    演出:
    松原まりも、神原洋一/ドキュメンタリー ナレーション:國村隼
    内容:
    明治四十四年の創業以来、出光佐三の興した出光興産は、一貫した経営方針を貫いてきた。その経営理念の礎としていた言葉が「人間尊重」であった。この言葉通りに生きた出光の生涯を追ったドキュメンタリー。
    草舟私見
    現代の日本が失ったもの、それがここにはあるのだ。日本の一番尊いもの、日本の一番大切であったもの。そのようなものが、この映像には溢れている。命よりも大切なものが、そこに映っている。命よりも大切なものが、人生を創り上げている。人生とは、自己の命が何ものに捧げられたかということに他ならない。命よりも大切なもののために生きなければ、元々人生などはないのだ。それを、わからせてくれる。それが、出光佐三の人生である。出光佐三とは、真の人生ということなのである。出光の中に、どう生きるべきかがあるのだ。出光の中に、どう死ぬべきかがあるのだ。それが、わからなければならぬ。その、革命の精神を見つめなければならぬ。生命の中に、革命を取り入れた男が出光なのだ。詩の精神で、自己の人生を歩み続けた男である。それを、見つめなければならぬ。出光の革命を、受け継ぐのだ。その受け継ぐべき精神を、この映像の中に見つめなければならぬ。出光を仰ぎ見れば、自己の中に「詩」が芽生えるのである。

    ショーシャンクの空に THE SHAWSHANK REDEMPTION

    (1994年、米) 143分/カラー

    監督:
    フランク・ダラボン/原作:スティーヴン・キング/音楽:トーマス・ニューマン
    出演:
    ティナ・ロビンス(アンディー)、モーガン・フリーマン(レッド)、ウィリアム・サドラー(ヘイウッド)、ボブ・ガントン(ノートン所長)
    内容:
    無実の罪でショーシャンク刑務所に入れられた主人公アンディー。決して自由を諦めなかった彼の、十九年に及ぶ刑務所での日々と奇跡的な脱獄までの姿を描く。
    草舟私見
    いい映画である。静かな長い持続した感動を心に残す名画である。人生にとって一番重要な事柄が何なのか、長い困難を人が生き切るには何が必要なのか考えさせられる作品である。無実の罪で服役し脱獄をするという内容であるが、脱獄を扱った映画の中で「パピヨン」と並ぶ作品と感じる。パピヨンが激しい感動を呼ぶのと対照的に、静かな感動を呼ぶのが本作であろう。人が生きるのに最も重要な事柄は希望である。夢である。夢とは真の自由であろう。そして困難を克服していくのに必要な事柄は友情であろう。夢を持ち友情を大切にする者にとって困難はその者の魂を磨く糧となるのである。人間の原動力、つまり夢と友情を育むものは正義である。この主人公が無実の罪で服役していることは重要な全てを動かす項目である。パピヨンもしかりであった。人生どんなことが起ころうと、正義を重んじる人には意義ある人生が与えられるのだ。刑務所で生きるのも一つの人生である。人生とは、つまりはどう良く生きるかの問題なのである。アンディーとレッドの友情を中心として、その仲間たちの人生の時間は私は良き人生だと思っている。

    ショコラ CHOCOLAT

    (2000年、米) 121分/カラー

    監督:
    ラッセ・ハルストレム/音楽:レイチェル・ポートマン
    出演:
    ジュリエット・ビノシュ(ヴィアンヌ)、アルフレッド・モリーナ(レノ伯爵)、ジョニー・デップ(ルー)、ジュディ・デンチ(アルマンド)、レナ・オリン(ジョゼフィーヌ)
    内容:
    伝統と規律を重んじるフランスのある小さな町に、謎めいたヴィアンヌ親娘がやってきて、チョコレートショップを開店する。この店によって静かな町の生活に変化が起きていく。
    草舟私見
    丁度1950年代のフランスの小さな村の物語です。この時代は世界中でアメリカ型民主主義が、何やら正義のような顔をして我が物顔でのさばり出した時代ですね。日本などは丁度敗戦後であったので、情ないぐらいやられました。ヨーロッパでも日本ほどではないですが同じような感じであったのですね。その時代のその辺の事情を、興味深く描いている映画であると私は感じました。アメリカ的正義を振りかざしているのが当然主人公の女性ですね。自分は流れ者で、いつでも都合が悪ければ逃げれば済むような立場にいます。自分の我儘勝手な人生観を、真面目な人たちに押しつけることに快感を持っています。アメリカ的正義とはね、つまり自分は無責任で何の伝統も義務も守るべきものも持っていませんから、それだけ綺麗事が言えることが何と言ってもその強みですね。観ているとよくわかります。私はこういう女性は大嫌いですね。それに比べて村長のレノ伯爵は立派です。こういう伝統を守る真面目な人を、旧くさい遺物として笑い者にしていく過程が民主主義の進展の過程です。村長がチョコレートまみれになるのが何がおかしいか。全然おかしくない。人間はどんな真面目な人でも、本能に基づく弱みぐらいもっているのが当たり前である。主人公の反抗も、村に元々永い伝統があってこそ初めてできるのだということに気づくのも重要だと感じている。音楽も心に残るいい映画であると思います。

    序の舞

    (1984年、東映) 139分/カラー

    監督:
    中島貞夫/原作:宮尾登美子/音楽:黛敏郎                   
    出演:
    名取裕子(島村松翠、津也)、風間杜夫(西内大鳳)、岡田茉莉子(勢以)、佐藤慶(高木松渓)
    内容:
    女性で初めて文化勲章を受けた画家 上村松園をモデルに、明治時代の保守的、閉鎖的な京都で未婚の母として、画家として生きた波瀾の生涯を描いた作品。
    草舟私見
    明治の女流画家の喜びと悲しみを巧みに捉えている作品である。社会の慣習の壁が厚ければ厚い程、人間の志は立つのである。主人公は女性ゆえ女性の悲しみを生き抜いた。母と子、社会と自分との相克な戦いがあって初めて主人公の画家としての道が確立していく。ぎりぎりのところで血の奥深くから出る叫びが人生を築き上げる。この叫びは現代流の我儘ではないのだ。多くのものを喪い多くの壁に直面する。主人公は悲しみそして成長する。この叫びはとりも直さず、道徳と世間を重んじる人間にして初めて与えられるものなのだ。原因があって結果があるのだ。現代の生ぬるい社会に生きる我々にとって考えさせられる名画である。絵画に対する燃えるような情熱を持っていた女性であること、それも一生を貫いていることが、この主人公の全ての行動を底辺で支えて意義あるものとしていることが重要である。           
          

    白い犬とワルツを TO DANCE WITH THE WHITE DOG

    (1993年、米) 101分/カラー

    監督:
    グレン・ジョーダン/原作:テリー・ケイ/音楽:ジェラルド・ゴルティエ
    出演:
    ヒューム・クローニン(サム)、ジェシカ・タンディ(コウラ)
    内容:
    年老いてから妻の突然の死を迎えた夫に起こった感動的な奇跡を描いた作品。サムは大学時代に結ばれた妻と五十年以上の歳月を共にしていたが、ある日突然妻が亡くなり一人取り残される。
    草舟私見
    深い満足感が観た後に残る良い映画である。この主人公の生き方には、心の底から深い共感を抱かずにはおれない。人生とはかくも美しきものかという喜びを新たにさせられる。人を愛し、仕事を愛し、人生を愛する。愛するとは絶えざる発見の道程なのである。愛するとは驚きの心と眼をもって生きることなのである。愛するとは終わりのない旅路なのである。永遠を恋し、自由を恋し、人の中に永遠を見詰め、仕事の中に驚きを感じ、新たなる発見の旅路を生き切ることなのではないか。よく生きるとは何事かを成すことではないのだ。よく生きるとは、日々の人生の中に毎日喜びを発見していくことなのである。愛は発見を生む。そして発見は永遠の生命を生み出していくのだ。この世のありとあらゆるものとの真の触れ合いだけが良い人生を築き上げる基なのだと尽々と感じられる映画である。触れ合いを大切にし、その中に真実の愛を感じるとき、人間は尊い生を生き切れるのだ。そして真に生き切ったとき、人は永遠の生命を感じることができるのだ。

    白い巨塔[劇場版]

    (1966年、大映) 150分/白黒

    監督:
    山本薩夫/原作:山崎豊子/音楽:池野成                   
    出演:
    田宮二郎(財前五郎)、東野英治郎(東教授)、小澤栄太郎(鵜飼教授)、加藤嘉(大河内教授)、田村高廣(里見助教授)、滝沢修(船尾教授)、石山健二郎(財前又一)
    内容:
    国立大学病院内における次期教授のポスト争いを中心に、名誉・権威・金など、人間の欲望を描いた社会派ドラマ。山崎豊子のサンデー毎日に連載されていた小説が原作。主人公 財前五郎を演じた田宮二郎が光る。
    草舟私見
    いやはや凄い人間模様が赤裸々に活写された名画であると感じます。このような複雑な人間関係を描いた作品を観ると、小さな個々の現象に捉われることなく大雑把に真実の人生を歩む人間と、虚像に生きる人間を見分けなければ物語の本筋がわからなくなります。表側に表われている善悪にこだわり過ぎても本質は見えなくなります。人間としてつまり社会人として他人や社会の役に立っているかいないかを見ると、人間の真の生き方がわかってくるのです。私は本人の気持などは関係なく、実際にその人が生きることによっていかなる善行を結果として、他人や社会に対して行なっているのかを見ます。そして他者の役に立つ人間が好きであり、役に立たん人間は嫌いなのです。その違いを見る場合、多くの場合役立つ人間は一本筋の通った人間であり、役立たん人間は自己固執が日和見主義であることがわかってくると思います。自分の好みばかりで見るとこの筋という事柄が見えなくなるのです。本作品において私の好きな人物は財前助教授、東教授、大河内教授(病理)、船尾教授、鵜飼教授、財前の母、財前又一(五郎の義父)の面々です。一人一人全く個性は違いますが、各々自分の生き方というものを持っています。つまり各々の人が一貫した筋を持っているのです。その筋の好き嫌いを言うとわからなくなるのです。各々の人間が自分の人生を自分の責任で生きているのです。大河内教授と財前又一などはまるで水と油ですが、二人とも私は好きです。二人とも一本通っているのです。そしてこれらの人物は全て自分の立場と役目がわかっています。そのゆえによく観ると彼らは共通して他者や社会の役に立っているとわかります。財前五郎も確かにエグイですが、名医として
    現に
    多くの人の命をその名手術で救っているのです。私の嫌いな人物はこの逆の人間です。つまり里見助教授、東教授令嬢、患者の佐々木の妻、正義派弁護士の面々です。これらの人たちはどうですか。自分では何の責任もあらゆることに対して負わないで、責任のある人に文句ばかり言っています。文句ですから理屈は理想論であり綺麗事ばかり言っています。そして実施には誰も助けることはなく何の役にも立たないことをしています。ただひたすら自分を良い人間だと思いたいだけの行動です。東教授の娘はこれはただの馬鹿娘です。里見氏は科学教の狂人であり、わかりもしないことを自己責任ではなくしてから根堀り葉掘り考えているだけです。こんなことをしていたら一生涯に一人の患者も診れません。何より人の命に関して自己の能力を過信しています。私ならこれはクビにします。まあ一人で一生美しい自分を楽しみながら過ごして下さいとしか言いようがありません。もう少し医者として決断力を持って、つまり勇気をもって多くの病める人の手助けをしなさいとだけ言っておきます。佐々木の妻と弁護士は現今一番多い、何でも他人のせいという下劣極まる人物で問題外です。佐々木は誰が診ても死にます。他人のせいではないのです。これらの人々以外に出演している多くの医者たちは日和見主義であり善が強ければそちらになびき、悪が強ければまたそうなる人物たちで人生論の参考にはなりません。    
          

    白い巨塔[テレビシリーズ]

    (1978年、フジテレビ) 合計1426(各話46分、全31話)/カラー

    監督:
    小林俊一、青木征雄/原作:山崎豊子/音楽:渡辺岳夫                   
    出演:
    田宮二郎(財前五郎)、中村伸郎(東教授)、山本學(里見脩二)、小沢栄太郎(鵜飼教授)、曾我廼家明蝶(財前又一)、佐分利信(船尾教授)、金子信雄(岩田重吾)、太地喜和子(ケイ子)、島田陽子(佐枝子)、加藤嘉(大河内教授)、米倉斉加年(菊川教授)
    内容:
    劇場版から十年以上が経過し、テレビドラマとして復活。再び田宮二郎の主演、迫真の演技となり、またドラマ放映中に猟銃自殺したことで遺作となった有名なドラマ。
    草舟私見
    劇場版の映画で観たときもこの作品は本当に面白い映画でしたが、このTVドラマも中々面白い作品です。何と言っても色々な人間模様が各人各様に名優たちによって演じられていますからね。やはりTVドラマの中の傑作中の傑作であると思いますね。善人も悪人も各々生き生きと描かれています。好き嫌いは観る者の人生観で大きく分かれるでしょうが、やはり一番強く感じることは、善人にしても悪人にしても「役割」や「立場」というものを持って仕事をしている人間には、各々の魅力があるということです。その「役割」や「立場」、つまり責任というものを全然持っていない者が、東教授の娘の佐枝子とホステスのケイ子である。自分は何の責任も無いところから他人の評価ばかりしていますから、何とも観ていてつまらん人間たちであり心底腹が立ちます。責任がない分だけ、まあ何とも「美しいこと」と「手厳しいこと」ばかり言っています。これは何も善人だからでも頭が良いからでもないですね。唯ただ無責任の成せるわざです。だからこの二人だけは本当に面白くありません。つまり自分の思う通りにならなければ、すぐに相手を批判しているだけです。この二人が気づく真実というものならね、子供が一番良くわかっていることです。特に佐枝子が私は最も嫌いですね。親の七光だけで生きているくせに、親を批判して綺麗事ばかり言っていますからね。この女はほとほとまいりますわ。親が甘すぎるんですね。妻のある男に勝手に惚れて、他人の家庭に疑心暗鬼までもたらして、挙げ句の果てが何だと、ネパールだ、ふざけるな。勝手に惚れた里見先生の家庭が壊せないと知ると、その当の里見先生にまで、まあどうしたことか「失望」して、馬鹿者が!要するに佐枝子は「責任ある者」と相容れないのである。ネパールへ行っても三ヵ月以内に相手の田代先生とやらに「失望」することを、私が断言申し上げておく。田代先生も医療の現場では多くの責任を背負っておるのだ、馬鹿! 私の一番嫌いなタイプの女性がこの佐枝子である。佐々木親子も自分たちが不幸になったことを他人のせいにしているので、全編を通じて実に「暗い」です。他人を真から憎む人間は本当に「暗く」て「面白味」がありません。他人は嫌っても良いが憎んではだめです。嫌うことと憎むことは違うのです。最後の財前五郎は立派でしたね。これだけ戦い抜き努力し、かつ栄達をしても、最後に医者として深い反省をすることは中々凡人のできることではありません。確かに彼は聖人ではありません。でも私は彼のことは好きですね。私が病気になったときは、是非にもこの財前教授に診ていただきたいと思っています。
          

    白いリボン DAS WEISSE BAND

    (2009年、オーストリア=独=仏=伊) 144分/白黒

    監督:
    ミヒャエル・ハネケ/受賞:カンヌ映画祭 パルムドール・国際批評家連盟賞
    出演:
    クリスチャン・フリーデル(教師)、ブルクハルト・クラウスナー(牧師)、ライナー・ボック(医者)、ズザンネ・ロータ(助産婦)、ウルリッヒ・トゥクール(男爵)
    内容:
    第一次世界大戦前のドイツ北部の村を舞台に、人間の暗部が醸成されていく様子を描いた作品。静かな村で次々と奇怪な事件が起こり、善と悪が交錯する深層心理が現われる。
    草舟私見
    平和がかかえている毒のようなものが、全篇を貫く名画と言えよう。この映画の時代は、まさに第一次世界大戦前夜の、歴史的に未曾有のあのヨーロッパである。歴史と繁栄は積み上げられ、社会は秩序と平和に支配されていた。正しい者は、あくまでも正しく、その価値観が疑われることは無かった。それは、一見すばらしい社会であり、ひとつの理想に人間文化は確実に近づいていたのだ。だからこの時代は、ベル・エポックと呼ばれたのだ。しかし、その深層には、人間の煮え滾るような情念がうず巻いていた。正しさの足下に、悪魔がいた。価値観が問われることの無い、完全な社会。それが悪魔を養う社会なのだ。実際には、悪魔が見えることが、人間の健全さを現わしているのではないか。この平和で退屈な社会は、戦争という情熱のはけ口を求めて動き出すのである。今、我々の住む社会は、安定という意味で、この第一次世界大戦前夜に非常に酷似している。民主主義の価値観には、誰も異を唱えることができない。特に弱者の正義がそうであろう。この映画は、その恐ろしさに対する警鐘でもあるのだ。

    次郎物語

    (1987年、西武セゾンクループ=学研=キネマ東京=荒木事務所) 110分/カラー

    監督:
    森川時久/原作:下村湖人/音楽:さだまさし、渡辺俊幸/受賞:文部省選定                   
    出演:
    加藤剛(俊亮・父)、伊勢将人(次郎・十歳)、樋口剛嗣(次郎・六歳)、高橋恵子(お民・母)、芦田伸介(恭亮・祖父)、泉ピン子(お浜)、大塚道子(おこと・祖母)
    内容:
    昭和初期、里子に出されていた少年が家族の愛情に包まれて成長していく姿を描く。次郎を中心とした周りの大人たちとの関係、またその成長、悲しみを繊細に表わした。
    草舟私見
    佐賀が舞台ですからね。佐賀は私の先祖の血と涙が燃え熾った地ですからね。すごく親近感のある映画なのです。次郎は何だか私自身のような気がしました。環境と時代の違いこそあれ私は次郎のような感受性の強い子供時代を過ごしました。感受性の強い子供はね、あまり可愛気はありませんが、もの凄くあらゆる状況に敏感で何でも記憶に入っていくのです。そのような意味で、次郎はきっと子供時代の思い出が多い人間になると感じます。そしてきっと子供時代の思い出という宝物でけで、一生涯が愉快でたまらない人物になっていくと確信しています。それにしても一人の人間が成長するためには、本当に多くの人たちの思いというものがあるのですね。色々な人に愛され憎まれ世話になって成長するのですね。このような事柄をよく観ると、一人の人間の尊さというものが尽々とわかります。そして善かれ悪しかれ子供の心に残ることは、真剣に人生を生きている大人の姿なのですね。一人一人の大人が真正直に生きることそのものが、本当の子供に対する愛情であり教育なのだと強く感じます。主題歌も心に残りますね。特に屋根の上で次郎と父親が歌うところが私は好きです。      

    白く渇いた季節 A DRY WHITE SEASON

    (1989年、米) 107分/カラー

    監督:
    ユーザン・パルシー/原作:アンドレ・ブリンク/音楽:デイヴ・グルーシン
    出演:
    ドナルド・サザーランド(ベン)、マーロン・ブランド(マッケンジー)、スーザン・サランドン(メラニー)、ユルゲン・プロホノフ(ストルツ大尉)
    内容:
    人種隔離政策問題に目覚めた一人の男が真実と正義を求めて、政府に戦いを挑んでいく社会派ドラマ。南アフリカ共和国に生まれ育った白人教師がある事件をきっかけに、人種差別問題に切り込んでいく。
    草舟私見
    主演のD・サザーランドの名演が、終生忘れ得ぬ印象を私に残している。南アの人種差別は史上最低最悪のものである。それは皮膚の色だけで差別しているからである。ただ人間には文化というものがある。そして文化が真の自由と個性を生かす唯一のものだ。南アの失敗はボーア人(オランダ系白人)と黒人を、各々文化の違いとして文化政策として差別化しなかったことにあると考える。南アにおいては英国系とオランダ系の白人同士は差別化されているのに問題にならないどころか、却って南アの特徴と原動力になっているのに残念である。それは白人同士は文化的差別をしているからなのである。真の共存共栄は確固とした文化を持つ者同士のお互いの理解にあるのだ。黒人差別の間違いについては非常によく描かれている作品と感じるが、もう一歩踏み込んで白人と黒人がただの仲良しには歴史的にはなれないのだということが描かれていれば、より秀れた作品になったと感じている。また主人公にその孤独な闘いを行なわせる原動力が、理屈や理論ではなく庭師の一家に対する情愛から出ているのだということも重要である。人間に真の勇気を与え得るものは、実に情だけなのである。真の愛情だけが持続した一貫せる勇気を人間に与えるのである。

    しろばんば

    (1962年、日活) 102分/白黒

    監督:
    滝沢英輔/原作:井上靖/脚本:木下惠介/音楽:斎藤高順
    出演:
    島村徹(伊上洪作)、北林谷栄(おぬい婆ちゃ)、芦田伸介(伊上捷作)、渡辺美佐子(伊上七重)、芦川いづみ(さき子叔母)、畠山とし子(伊上小夜子)、細川ちか子(曾祖母おしな)、山田吾一(中川基)、宇野重吉(石守校長)、清水将夫(祖父文六)
    内容:
    作家 井上靖の少年時代を綴った自伝的小説の映画化作品。主人公の少年伊上洪作は町に住む両親と離れ、本家がある田舎に住み、おぬい婆ちゃの溢れる愛情を受け育っていく。
    草舟私見
    文豪井上靖の少年期を描いた自伝小説「しろばんば」の映画化である。私の小学生の頃の作品である。私は原作を読んで感動し、映画を観てまた感動し、五十歳を越えた今日でもことあるごとに思い出す名画である。美しい映像と共に、井上靖という人間を形造ってきた自然と人間関係というものの姿とその重要さを噛み締めて、私という人間を形造る上にも大いなる働きを持った作品である。大家族というものがいかに人間の心を育くんでいくのか、ということが一番見応えのあるところである。昔の家族の強い絆の中では、どんなに嫌いな人間とも、どんなに苦手な人間とも全て絆を断たぬまま付き合っていくのである。そのために一番重要な事柄が秩序とけじめである。秩序とけじめがあって初めて、人間の複雑な心の働きが良い面も悪い面も含めてこの世に形として現出するのである。辛い人間関係があって初めて、人は人を本当に愛せるのである。昔の大家族が真に人を育てる本当の「学校」であったのだと尽々とわかる作品である。昔の人の愛情は深い。そして憎しみは浅い。それがどうしてなのかを観るようになるとこの作品は躍動するのである。忘れ得ぬ名演を成した北林谷栄によってそれを知ることができるのである。

    新幹線をつくった男たち

    (2004年、テレビ東京) 120分/カラー

    演出:高橋一郎/原作:高橋団吉/音楽:渡辺貞夫
    出演:
    松本幸四郎(島秀雄)、三國連太郎(十河信二)、林隆三(大石重成)、益岡徹(林田勇)、橋爪淳(松浦靖)、津嘉山正雄(藤城忠)、鈴木瑞穂(三木武吉)、加藤治子(十河キク)、高橋惠子(島豊子)、金田龍之介(河野一郎)、樋口浩二(島豊)
    内容:
    日本が世界に誇る新幹線の開発に情熱を燃やした男たちの物語。新国鉄総裁となった十河信二の心には超特急の高速列車を創るという夢が燃えていた。
    草舟私見
    私は新幹線は飛行機と並んで大嫌いである。速いもの、効率の良いもの、世間を狭くするものは全て嫌いである。このことは私の不退転の信念である。そうではあるが、この映画は面白い。大事業というものの本質がよく表現されているからである。また真の仕事というものを成し遂げていく人間の、真の情熱というものがよく表わされているからである。人間の持つ真の人間的魅力の前には、私のような信念の持ち主もやはり一歩譲るの感がある。いくら私が嫌っても、やはり新幹線というものは歴史的大事業であり、日本の世界に冠たる英知の結晶であることも事実なのだ。こういうものを創った人々はやはり凄い。私は新幹線は嫌いだが、創った人々は大好きである。大事業とは己を捨ててかからねばできない。それは立場の違う多くの人間の立場をつぶさなければ完遂できないからである。だから大事業は成功してもやった人間が報われることは無いのだ。そういう事業こそ真の事業なのだ。そのことがよく表わされている。また真の夢や情熱というものは、しっかりとした人間的な歴史に裏打ちされて初めて持続的な価値を持つのだということもよく表現されている。真の仕事というものを見たとき、人間は全ての意見の隔たりを超越して共感し合うことができるのだと感じる作品である。

    紳士は金髪(ブロンド)がお好き GENTLEMAN PREFFER BLONDES

    (1953年、米) 92分/カラー

    監督:
    ハワード・ホークス/原作:アニタ・ルーズ、ジョセフ・フィールズ/音楽:ライオネル・ニューマン
    出演:
    マリリン・モンロー(ローレライ)、ジェーン・ラッセル(ドロシー)、チャールズ・コバーン(ビークマン)、エリオット・リード(マローン)、トミー・ヌーナン(ガス)、ジョージ・ウィンスロー(ヘンリー・スポフォード三世)
    内容:
    マリリン・モンローとジェーン・ラッセルが共演したハリウッド映画。ニューヨークのナイトクラブの妖艶な花形ダンサーが繰り広げるミュージカル・コメディ。
    草舟私見
    これこそがアメリカ、これこそがハリウッドであると感じるミュージカルの秀眉の一作である。何と言っても本作品の魅力は、マリリン・モンローとジェーン・ラッセルの持つアメリカ的魅力とその歌と踊りである。この二人を見ていると、やはり1950年代のアメリカが発する魅力というものを感じずにはおれない。スケールが大きく開放的で溌剌としている。マリリン・モンローの演技を通すと私が断固として嫌いなアメリカ物質文明も、何やら少しは許せる気になるから不思議である。モンローの魅力はやはり凄いのであろう。大柄なJ・ラッセルの立居振舞や踊りは全く圧倒される魅力がある。このような女性を生み出す国はやはり大国であることに間違いはない。この二人は役柄として全く対照的な性格として描かれている。その二人がどうやって友情を保ち続けるかが本作品の見どころとして重要である。人は思想ではなく真心の生き物なのだと尽々とわかる作品である。モンローとラッセルよ永遠に!

    人生はフルコース

    (2006年、NHK) 合計174分/カラー

    監督:
    赤羽博/原作:佐藤陽
    出演:
    高嶋政伸(牧村信太郎)、大滝秀治(生田老人)、東幹久(田所力)、神山繁(猪塚鉄男)、古谷一行(沢渡光治郎)、牧瀬里穂(牧村静代)、佐藤B作(谷中健一)
    内容:
    戦後、帝国ホテルの総料理長となり、NHK「きょうの料理」の講師や東京五輪選手村の料理長を務めた村上信夫をモデルとし、フランス料理に生涯を懸ける男のドラマを描いた。
    草舟私見
    事実を元として脚色された非常に見応えのある良い作品である。旧い料理人と新しい料理人の各々の生き方が、複雑に絡み合う縁によって脚色されており、各々の人間の生き方を対照的に観ることができ、非常なる面白さを感じさせられるのである。戦前の日本社会で育った人間が何を重要視して職人となり、そして生きたのか。また戦後のベビーブームの世代の人間が何を考えて生きてきたのか。高度成長後に生まれた人間が何を考え、そして何を重要視して生きようとしているのか。そういうことが非常にわかり易く、かつ面白く描かれているのだ。貧しかった日本人たちが生きるために創意工夫を必要としていたことが、実はいかに幸福なことであったのか。また豊かさが、生きる前に人生というものをいかに人間に考えさせる習慣をもたらしてきたのか。その辺のことも深く考えさせられるのである。いずれにしても尽々と感じるのは、人間というものは、いつの時代も他者の役にたち、他者の幸福を見て己の幸福を感じる生物なのであるということである。そのために必要な人間の素質は真心と創意工夫の努力だけなのであろう。そういうことを深く感じさせられる作品である。

    新選組

    (1970年、三船プロ) 122分/カラー

    監督:
    沢島忠/音楽:佐藤勝                   
    出演:
    三船敏郎(近藤勇)、北大路欣也(沖田総司)、三國連太郎(芹沢鴨)、小林桂樹(土方歳三)、田村高廣(伊東甲子太郎)、中村錦之助(有馬勝太)、中村賀津雄(河合喜三郎)
    内容:
    新選組結成、芹沢鴨暗殺、池田屋切り込み、油小路の決闘、鳥羽・伏見の戦い、流山の別離、近藤勇の最期までの完全映画化を実現した三船プロによる決定作。
    草舟私見
    私は本当に新選組は好きですよ。幕末の激動の時代に、一貫性を貫き通すことの困難がわかれば、新選組の誠の偉大さがわかります。新選組がその誠を通すことができたいわれは、その武士道の単純さにあります。その単純な道義というものを貫き通した中心が近藤勇と土方歳三です。二人の友情がまたその道理に生き、道理に死す勇気を生み出しているのだと感じます。新選組の歴史は五年間ですが、この五年間は維新の激動の真只中であり、時間の感覚で言えば百年にも匹敵する濃密度のものなのです。一本ものの映画で新選組の全貌を捉えることは不可能に近いことなのです。従って省略や時代考証の間違いはどの映画でも多いのですが、一本ものの映画では私は本作品が好きです。三船敏郎の演じる近藤勇が何と言っても威厳があってカッコ良いですよ。人が良くて器量があって優しくて強い近藤が心に残る優れた映画です。沖田総司の最後や河合喜三郎の最後ほか考証の間違いは多い作品ですが、映画の魅力としては三船敏郎の演じる近藤勇の勇姿のゆえに全てが善と捉えられる名画と感じています。        
          

    新選組血風録〔テレビシリーズ〕

    (1965~66年、東映=テレビ朝日) 合計1300分/カラー

    監督:
    河野寿一、佐々木康、高見育男、他/脚本:結束信二/原作:司馬遼太郎/音楽:渡辺岳夫                   
    出演:
    栗塚旭(土方歳三)、舟橋元(近藤勇)、島田順司(沖田総司)、徳大寺伸(原田左之助)、左右田一平(斎藤一)、北村英三(井上源三郎)、坂口祐三郎(山崎烝)、有川正治(永倉新八)、早川研吉(山南敬助)、国一太郎(藤堂兵助)、玉生司郎(島田魁)、遠藤辰雄(芹沢鴨)
    内容:
    副長の土方歳三を主人公に据えて、多くの隊士たちのエピソードを交えて、その人間的な内面を深く描いた作品として、今までにない新しい新選組の映像化として話題を呼んだテレビシリーズ。
    草舟私見
    いやあもう本当にすばらしい作品であると感じ入ります。近藤勇と土方歳三の友情がこの歴史的な集団を創り上げた原動力であり、信義だけがこの集団の目的であり使命であったことがよくわかる作品です。二人の友情を中心として試衛館道場に集まる同士たちの志だけが、この集団の真の価値なのです。まさにその旗のごとく誠に生き、誠を貫くだけで歴史に登場し、歴史を動かし歴史に殉じたすさまじい集団の心意気がひしひしと伝わる。私は先の二人は当然として、その他では斎藤一と井上源三郎が好きですね。斎藤はもちろん男の中の男です。井上は剣の実力が無いのに、剣だけが価値であった集団に最後まで殉じたその真の男の生き方が好きです。これはできそうでできないことなのです。それにしてもこの作品の魅力の大きな要素はその音楽です。どの編曲も心に沁み入る。私は中学生以来、この音楽と共にいつでもこの番組の各シーンを思い出しています。この音楽が心に鳴ると私はいつでも荘厳な気持ちになり、心に勇気が湧き上がってくるのです。   
          

    シンドラーのリスト SCHINDLER’S LIST

    (1993年、米) 195分/白黒(パートカラー)

    監督:
    スティーヴン・スピルバーグ/原作:トーマス・キニーリー/音楽:ジョン・ウィリアムズ/受賞:アカデミー賞 作品賞・監督賞・脚本賞・編集賞・音楽賞・撮影賞・美術監督装置賞
    出演:
    リーアム・ニーソン(オスカー・シンドラー)、ベン・キングスレー(イザック・シュターン)、ラルク・ファインズ(アーモン・ゲート)、エレベス・ダヴィッツ(ヘレン・ヒルシュ)、キャロライン・グッドール(エミリエ・シンドラー)
    内容:
    ナチスに迫害される多くのユダヤ人を救うために全財産を投じた、実在のオスカー・シンドラーを描く伝記映画。シンドラーによって救われたユダヤ人の子孫は数千人に上る。
    草舟私見
    シンドラーという人物はナチスのユダヤ人虐殺の嵐が吹き荒れたとき、その救命に尽力をした人物としてあまりにも有名であり、本作品はその史実に基づく忠実な再現である。その行為のあまりに勇気を要するゆえに我々をして心を揺さぶるものがある。シンドラーが結果として勇気を有し善行を行なったことは事実であり、そのゆえに彼が立派な人物であることが間違いのない事柄である。それを踏まえて問題を提起したい。まず映画からわかる通り善行を断行する者は自己の可能な範囲で行なう。決して綺麗事や夢に流されない。これは物事を真に行なう者の共通の特徴である。しかし彼の善行は、自己の気づかなかった悪行の罪滅ぼしなのではないか。悪行が先行してなかった真の人物なら、こうする必要性はなかったのではないかという疑問が残る。罪滅ぼしをするようなことは前もってしない人物の方が真の人物なのではないか。また善行を断行できる人物は、悪行も断行できる能力のある人物であることがわかることも重要である。種々の考え方はあるが、彼が結果論として立派な人物であることは何よりも重要な事柄であろうと感じる。

    新・平家物語(総編集)〔大河ドラマ〕

    (1972年、NHK) 191分/カラー

    監督:
    清水満、岡本憙侑、樋口昌弘、馬場清/原作:吉川英治/音楽:冨田勲                   
    出演:
    仲代達矢(平清盛)、中村勘三郎(平忠盛)、木村功(源義朝)、高橋幸治(源頼朝)、志垣太郎(源義経)、佐藤允(武蔵坊弁慶)、加東大介(北条時政)、山崎努(平時忠)、中村玉緒(平時子)、小澤栄太郎(信西入道)、北大路欣也(以仁王)、滝沢修(後白河院)
    内容:
    平安時代末期、貴族政治の時代から武家時代への移行期において、その権力を拡大していく平家一門の栄枯盛衰を平家の総領である清盛を中心に描いた吉川英治原作の大河ドラマ化。
    草舟私見
    NHKの大河ドラマ中の最高傑作の一つであると私は考えている。ただし(総集編)が短かすぎてあまりできは良くない。このドラマは私は感動した。この前に小学生の頃、吉川英治の原作も読んだが、これがまたすばらしかった。平清盛という人物の魅力が史実に基づいて非常によく描かれており深い感動を呼ぶ。日本において、武家社会の歴史というものは平氏と源氏の二大氏族をもって進行するが、この平清盛という人物は平将門や織田信長(信長の家系も平氏である)と並び、平氏というものが持っている潜在的エネルギーの代表的な人物であると私は考えている。平氏と源氏の両氏の歴史を正しく視ることは日本の歴史を正しく視ることに通じるのである。このドラマで私が忘れられぬのは、やはり清盛を演じた若き日の仲代達矢の名演である。その若さにも似合わず、清盛の死の場面の迫真の演技は今も脳裏に深く焼き付いているのだ。このドラマは我が家では父母と兄と私と全員でいつも揃って毎週観ていたのだが、父と母がこの清盛の死の場面に深く深く感動していた姿を、今も現前に見る如くに覚えている。父母が揃って感動しているところを見た数少ない事例となっているものである。
  • スカーフェイス SCARFACE

    (1983年、米) 170分

    監督:
    ブライアン・デ・パルマ/音楽:ジョルジオ・モロダー
    出演:
    アル・パチーノ(トニー・モンタナ)、スティーヴン・バウアー(マニー・リベラ)、ミシェル・ファイファー(エルヴィラ)、ロバート・ロジア(フランク・ロペス)
    内容:
    アメリカの裏社会でのし上がっていくキューバ人の男の生き様を描いた長編大作。キューバ革命を進める上で、不用な人間とされたトニーは居場所を求めてアメリカへ渡る。
    草舟私見
    キューバ出身の無頼漢が、腕っぷしと度胸一つでアメリカ社会で台頭していく物語である。この物語は人間としての基本が無い人間は、どんなに努力しても結局は破滅するのだということをわかり易く描いた作品と感じている。基本とはつまり愛情や友情や信義のことである。彼がそのようなものを少しでも身に付けていたならば、彼は必ず裏社会の一廉の人物になったと私は思う。度胸は凄いし、勇気もあり頭も良いのだ。しかし限度と平衡を崩している。彼に真の家族愛や友情があれば、また信義を守ったならば、彼は全ての仕事に成功しているのだ。おしいことである。本作品は超悪漢を扱っているが、どんな人間にとっても大切なものは同じなのだとわからせてくれるのである。人間の基本道徳とは善悪を超越した価値を有するのだ。つまり真理なのである。

    杉原千畝

    (2015年、「杉原千畝」製作委員会) 139分/カラー

    監督:
    チェリン・グラック/音楽:佐藤直紀
    出演:
    唐沢寿明(杉原千畝)、小雪(杉原幸子)、ボリス・シッツ(ペシュ)、アグニェシュカ・グロホフスカ(イリーナ)、ミハウ・ジュラフスキ(ニシェリ)、塚本高史(南川欽吾)、濱田岳(大迫辰雄)、二階堂智(根井三郎)、石橋凌(大橋忠一)、滝藤賢一(関満一郎)
    内容:
    満州国外交部に所属していた杉原千畝が、リトアニア・カウナスの領事館へ赴任し、日に日に増す迫害を受けるユダヤ人たちからのヴィザの要請に応えていく。実話を元に作られた作品。
    草舟私見
    この作品には、人間の生き方の原点がある。それは多分、人間の死に方を考えさせる原因ともなるだろう。ひとつの国家により、「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」と指名された外交官の実話である。杉原千畝がその名前だ。私は、この人物について考えるとき、いつでも真の勇気とは何かということを考えさせられる。人に嫌われることを極端に避ける、今の日本人を見るとき、この人物を思い浮かべないわけにはいかないのだ。杉原は、外交官でありながら、旧ソ連という国家から蛇蝎のごとく嫌われたのだ。それが外交官にとっていかなることかに思いを馳せれば、杉原の人間性が浮かび上がってくるだろう。人間としての信念に生きるとは、たやすいことではないのだ。命だけでなく、人生のすべてを失う覚悟がなければ、それはできないことなのかもしれない。人間性を貫くとは、そのようなことなのだ。信念や人間性は、現代人が使うような軽いものではない。民主主義の政治家が使うような事柄ではない。それをこの作品は我々に思い起こさせてくれるのだ。   

    スコットランドは死なず KIDNAPPED

    (1971年、英) 103分/カラー

    監督:
    デルバート・マン/原作:ロバート・L・スティーヴンスン/音楽:ロイ・バッド
    出演:
    マイケル・ケイン(アラン・ブレック)、ローレンス・ドーグラス(デヴィッド・バルフォア)、ヴィヴィアン・ヘイルブロン(カトリーナ・ジェームズ)
    内容:
    中世末期、イングランド軍の進攻によって血で染まった大地スコットランドが舞台。フランスへの亡命を企てるスコットランド軍戦士と正義を愛する青年の生き様を通じてスコットランド魂を描いた。
    草舟私見
    中世末期のイングランドによる、スコットランド進攻の時代を捉えた名画である。イングランドによるスコットランドとアイルランドの併合の物語は、我々現代人に取って英米中心の現代が現出する軸として近現代理解に重要な意味を持つ。英国はこの事件によって、不屈の魂と闘うことを世界で最初に体験したのだ。これらによって英国は学び英国は強くなったのだ。アランに扮するマイケル・ケインが相も変わらず毅然としていて、いや実に良いですね。彼の祖国愛と信念こそが、アイルランド魂とあいまって彼の英国魂を創り上げたのだ。デヴィッドに代表される正義を愛する心も重要である。この相関関係が英国魂なのである。最後にアランが出廷するが、この人道的情感こそ真の信念の人と感じる。アランは本物なのである。ここで無実の者を信念や愛国心で見捨てる者は歴史上数多く、現代にも多く見られる思想を自己利用する偽善者なのである。

    頭上の敵機 TWELVE O’CLOCK HIGH

    (1949年、米) 133分/白黒

    監督:
    ヘンリー・キング/音楽:アルフレッド・ニューマン/受賞:アカデミー賞 助演男優賞・録音賞
    出演:
    グレゴリー・ペック(サベージ准将)、ディーン・ジャガー(ストーバル少佐)
    内容:
    戦禍の激しい第二次世界大戦下、対独戦略爆撃に活躍した米第918空軍部隊の士気高揚に努力した一人の指揮官サベージ准将の孤軍奮闘の姿を、実話を元に描いた戦争映画。
    草舟私見
    指揮官というものがいかなるものであるのかを問いかける名画であると感じる。あらゆる集団を指揮する場合一番重要な事柄は、その指揮官そのものも一人の生身の人間であるということである。生身の人間が生身の人間を指揮するのは土台無理があるのだ。しかし集団には必ず指揮官が必要であり、もしそれが無ければあらゆる集団は烏合の衆と化すのである。土台無理なことをするにしても、そこには指揮に成功する人間と失敗する人間の二種がいることも事実である。私は本映画によってその違いを理想の高さにあると学んだ。高い理想を抱き、その理想を信じ、それを信念とできる人だけが真の指揮官なのであると強く感じた。爆撃機というものは指揮官の能力が最も要求されるものである。それは最も統制を必要とし勇気を必要とし、何よりも忍耐を必要とするからである。爆撃機の編隊ほど真の男らしさを感じさせるものはない。任務の遂行のための忍耐と勇気の全てがそこにはある。

    スターマン STARMAN

    (1984年、米) 114分/カラー

    監督:
    ジョン・カーペンター/音楽:ジャック・ニッチェ
    出演:
    ジェフ・ブリッジス(スターマン/スコット・ヘイドン)、カレン・アレン(ジェニー・ヘイドン)、チャールズ・マーティン・スミス(マーク・シャーマン)、ロバート・ファレン(ベル陸軍少佐)、トニー・エドワーズ(レモン軍曹)
    内容:
    米・ウィスコンシン州の田舎町。若くして死んだ夫の映像を見て妻は涙を流す。その時、近くの山に宇宙船が墜落し、逃げのびた宇宙人が家に入ってきた。
    草舟私見
    1977年8月20日、午前10時29分。ボイジャー2号は打ち上げられた。そして、これは我々人類の文明が生み出した、善と悪の象徴でもあったのである。宇宙の涯てに、何ものかを願って、人類は録音ディスクに我々の「真心」を吹き込んで飛ばした。まだ見ぬ宇宙の生命体の存在を信じて、我々人類の文明が生み出した精華とも言える「文化」を放ったのだ。そして、その打上げに使われたロケットは、タイタンⅢ型である。つまり大陸間弾道弾。我々人類を破滅させるための兵器であった。我々人類は、善と悪、高貴と野蛮のはざまで、呻吟している。それが我々の文明である。ボイジャーは、その象徴なのだ。この映画は、その事件を題材として、宇宙人の霊魂が地球を訪れ、地球人の時を過ごし、そして去っていく物語である。映画全体に、ボイジャー2号の歴史がかかえる、喜びと悲しみが展開される。我々は親切であると同時に残酷なのだ。理知的であると同時に野蛮なのである。それを知らねばならぬ。三島由紀夫の『美しい星』を思い起こさせるラストシーンに、私は「神話」を感じる。

    スターリングラード STALINGRAD

    (1993年、独=米) 138分/カラー

    監督:
    ヨゼフ・フィルスマイヤー/音楽:ノルベルト・シュナイダー
    出演:
    トーマス・クレッシュマン(ウィッツランド少尉)、ダーナ・バブロヴァ(ライザ―) 
    内容:
    独ソ戦の一大転換点となった、ソ連南部の都市スターリングラードの攻防戦を独軍兵士たちの視点で描く。泥沼化していくスターリングラードでの戦局が人間ドラマとともに描かれる。
    草舟私見
    スターリングラードにおいて壊滅したドイツ第六軍の姿を、その一小隊の兵士たちの日常を通して描いた秀作である。第六軍はフランス・北アフリカ・イタリア・ロシアと転戦した、ドイツの栄光と悲劇を体現した偉大な軍であった。赤裸々な兵士たちの反目と友情が見事に描かれている。人間は一人では生きられないのだと強く感ぜられる。困難と直面し反目し争い、そしてそこに友情が生まれる人間の心が見られる。全編を流れる荘重な音楽がこの作品の黙示録的な深みをいやが上にも高めてくれる。人間はみな弱いのだ。だからこそまた人間は崇高にもなれるのだと尽々とわかる。その感覚を音楽が与えてくれる。最後の雪の中で二人の戦友が互いに抱き締め合いながら死んでいくシーンは、一生忘れられません。永遠に続くかと思われる描写と、それを支えてどこまでも響き続ける荘重な音楽は私の心を捉えて離さない。

    スターリングラード ENEMY AT THE GATES

    (2001年、米=独=英=アイルランド) 131分/カラー

    監督:
    ジャン=ジャック・アノー/音楽:ジェイムズ・ホーナー
    出演:
    ジュード・ロウ(ヴァシリ・ザイコフ)、エド・ハリス(ケーニッヒ)、レイチェル・ワイズ(ターニャ)、ジョゼフ・ファインズ(ダニロフ)、ボブ・ホプキンス(フルシチョフ)
    内容:
    第二次世界大戦中で最も熾烈な戦いと言われたスターリングラード戦を舞台に、ソ連側の実在の狙撃兵ヴァシリの戦いを描いた作品。
    草舟私見
    スターリングラードは、第二次大戦最大の激戦地として歴史に名を留めている。そこには人間の持つあらゆる悪徳と、あらゆる美徳が渦巻いているのだ。卑怯と勇気が交錯し、残酷と優しさが交錯する。人間ほど悲しくも美しい生き物は存在せぬであろう。私はスターリングラードという名を聞くだけで、胸が締め付けられまた血が騒ぐのである。スターリングラードは私の血の中にある魂の故郷の一つなのである。本作品は類い希な名画である。狙撃手というものを通して戦いの残酷さと崇高さをあますところ無く捉えており、我々の心に人間の尊厳を確実に植えつける。狙撃とは戦闘行為の中でも最も冷徹で残酷なものである。いかに近代兵器が発達しようと、実戦場においては狙撃ほど恐しいものはないのだという実感が伝わってくる。私の父も中国戦線に四年いて何が恐しかったかといって狙撃ほど恐しいものはなかったと言っていたのを思い出す。本作の主人公である英雄ザイコフは勿論のこと、狙撃手として歴史的に有名な人は皆立派な人ばかりである。人間的に最も立派な人が最も凄い狙撃手になるというところに、私は国家的戦争の持つ本当の凄さ、本当の恐しさを感じるのである。

    スティング THE STING

    (1973年、米) 129分/カラー

    監督:
    ジョージ・ロイ・ヒル/音楽:スコット・ジョブリン/受賞:アカデミー賞 作品賞・監督賞・脚本賞・音楽賞・編集賞・美術監督装置賞・衣装デザイン賞
    出演:
    ポール・ニューマン(ヘンリー・ゴンドルフ)、ロバート・レッドフィールド(ジョニ―・フッカー)、ロバート・ショウ(ドイル・ロネガン)
    内容:
    1936年、アメリカの大都市シカゴを舞台に繰り広げられる裏社会を颯爽と生きていく男たちの物語。この町でスリとして生きる男が裏社会のボスに助けを求め、仲間を殺された復讐を果たしていく。
    草舟私見
    中々お目にかかれない実に面白い映画です。実にスリルのある迫真のドラマを、こんなに粋でおしゃれに仕上げている映画はあまりありません。映画の内容とそれを観る感覚が、二重構造となっている真の芸術作品であると感じます。ポール・ニューマンの演技とロバート・ショウの名演が実に冴え渡っています。ロバート・レッドフォードは演技でも数段落ち、その役柄でも私の好みには合いません。やはり詐欺師とはいえ真の仕事人は感動しますよ。P・ニューマンのことですよ。その風貌から仕草に至るまで、仕事とは何かを感じさせるものがあります。本作品は詐欺の話なので問題はありますが、何と言ったって仕事を仕上げていく過程は私は心の底から好きですね。人が生きる真の意味がその過程に含まれていると感じます。そしてR・ショウね。いや凄い俳優ですね。悪の役ですが何とも言えぬ親しみを感じます。あの苦虫を嚙み潰したような顔の魅力たるや、一言では言えません。私はこういう雰囲気の男は大好きです。

    ストレイト・ストーリー THE STRAIGHT STORY

    (1999年、米) 111分/カラー

    監督:
    デヴィッド・リンチ/音楽:アンジェロ・バダラメンティ
    出演:
    リチャード・ファーンズワース(アルヴィン・ストレイト)、シシー・スペイセク(ローズ)、ハリー・ディーン・スタントン(ライル・ストレイト) 
    内容:
    NYタイムズに掲載された実話を元に描かれた作品。アメリカ・アイオワ州に住む七十三歳のアルヴィン・ストレイトが仲たがいしていた兄に会いに、トラクターでアメリカを横断する。
    草舟私見
    実にいい映画ですね。何とも言えぬ響きが心の中に広がっていく名画です。私自身も含めて、やはり人生とはこうありたいものだと心底から実感させてくれるものがあります。本当の夢、本当の憧れとは何かを深く印象に残す作品です。筋の単純さがこの作品を名画に仕立て上げています。最後の場面のあの兄弟の対面のシーンは、私は一生涯忘れ得ぬ感動を覚えました。人と人との繋がりの本当の姿というものが凄い力で心の奥深くに浸透します。この人間の絆の表現において、本作品の右に出るものはほとんどありません。晩年に至った弟アルヴィンが、兄ライルに会うために最後になるかもしれない旅に出る。その本当に崇高な魂が、出会う人々の心に深い印象を残していくその過程が涙なくしては観れません。人間の心の交流とは何か、出会いとは何か、感化とは何かを考えさせられます。人間とは、自己の夢や憧れが純粋にして初めて真の出会いがあるのだとわかります。途中で出会う人の中では鹿をひき殺してわめきちらす不愉快な女がいますが、この人だけが自分の幸福のことしか考えない人間の代表ですね。しかしその人もまた去って後、鹿というアルヴィンにとって有難いものを残していくところが出会いの面白さだと感じさせられます。

    砂の女

    (1964年、勅使河原プロ) 124分/白黒

    監督:
    勅使河原宏/原作:安部公房/音楽:武満徹/受賞:カンヌ映画祭 審査員特別賞
    出演:
    岡田英次(仁木順平)、岸田今日子(砂の女)、三井弘次(村の老人)、観世栄夫(村人)、矢野宣(村人)、関口銀三(村人)、市原清彦(村人)、西本裕行(村人)
    内容:
    安部公房の代表作を映画化。中学校教師の主人公は砂丘の穴の中にある一軒の家に入った。その家には女がおり、毎日砂を掻きだして生活している。いつの間にかここに男は暮らすようになる。
    草舟私見
    戦後日本文学を牽引した前衛の作家、安部公房の名作の映画化である。私がこの文学に衝撃を受けたのは中学一年のときであった。見事なる現代の描写にただ驚いたことを覚えている。砂は血の通わぬものを表わしている。そして自己の人生に無限に降りそそぐ「何ものか」なのである。無味乾燥な作業をくり返しさえすれば、生活も食料も「保証」されているということの意味を深く表現している芸術と感じた。つまり現代の縮図がこの作品に表現されたのだ。そして未来の姿も。砂は永遠に降り積もる。それは、単純で生命を持たない。しかしそれと格闘すれば、それなりの人生を歩んだ積もりになれる。自由を知る人間も、この「保証」の地獄の中にいれば、いつの日かその中に、やり甲斐を見出す。現代人は砂を欲しているのだ。生きている生(なま)の血は欲していない。却って生の世界では硬直していると言えよう。砂は、無意味なものであるが、それは単純な事柄でもあるのだ。それと闘えば生きられる。現代人の地獄が垣間見える。そのようなことが実に見事に映像化されているのだ。名画と思う。

    砂の器

    (1974年、松竹) 143分/カラー

    監督:
    野村芳太郎/音楽:芥川也寸志
    出演:
    丹波哲郎(今西栄太郎)、森田健作(吉村弘)、加藤剛(和賀英良)、島田陽子(高木理恵子)、加藤嘉(本浦千代吉)、緒形拳(三木謙一)、山口果林(田所佐和子)
    内容:
    松本清張の同名小説の映画化。東京蒲田の国鉄操車場での殺人事件。被害者の身元を追ううちに、事件は謎を深めていく。
    草舟私見
    何という切なさだろう、これは。観終わった後、もう永久に拭い切れぬ切なさを脳に打ち込まれた感覚である。松本清張の原作は、中学生の時にすでに読んでいた。その時の感覚と、この映画を七十二歳になって初めて観た感覚があまりに違っている。映画の存在は前から知っていたが、何かの都合で今回まで観る機会がなかったのだ。原作を大きく上回る名画と言ってもいいだろう。それは、人生の悲哀を原作以上に表現する力の、その重力の厚みにある。その重力を、最後に空前の迫力をもって演じたのが、俳優の加藤嘉だと私は思う。この映画を、生涯忘れ得ぬ名画と成したのは、一重に加藤嘉の名演である。ほとんど台詞の無い役だが、人間の悲しみをこれ以上の迫力をもって表現した俳優はいないのではないか。私はまさに圧倒されたと言っていい。まだ善くも悪くも、人間が「正直」だった時代の物語だ。人々の喜びは大きく、またその悲しみも際限なく深い。人間の悲しみの頂点を私は加藤嘉の演技に見出しているのだ。

    スパイ・ゾルゲ

    (2003年、「スパイ・ゾルゲ」製作委員会) 182分/カラー

    監督:
    篠田正浩/音楽:池辺晋一郎
    出演:
    イアン・グレン(リヒャルト・ゾルゲ)、本木雅弘(尾崎秀実)、椎名桔平(古河光貞)、上川隆也(特高T)、永澤俊矢(宮城与徳)、葉月里緒菜(三宅華子)、小雪(山崎淑子)、夏川結衣(尾崎英子)、岩下志麻(近衛夫人)、大滝秀治(西園寺公望)
    内容:
    篠田正浩監督が自分の最期の作品として昭和初期に日本を震撼させた、ゾルゲ事件を取り上げた。ゾルゲは新聞記者としてドイツから来日、実はソ連のスパイとして情報収集を続けていた。
    草舟私見
    ゾルゲ事件はスパイ史上最大の成果を挙げた歴史的な大事件である。このゾルゲの情報によりソ連はドイツに勝ち、その結果日本の大東亜戦争も著しく不利に展開することとなった。現実のスパイ事件としてこれを凌ぐものは無い。私はスパイ事件を扱った映画は基本的に嫌いである。それはスパイとは所詮裏切者であり、こそこそと影で動き回る人種だからである。ただそういう人種がいかなる者たちであるのかを知るのもまた人生上必要と思われる。裏切者の特徴は世界共通である。まず自分を途轍も無く頭の良い人間だと思っていること。綺麗事が好きで自分を途轍も無く良い人だと思っていること。愛情や友情や信義というものがまるっきり無いということ。心の底に巨大な不平不満やコンプレックスを持っていること等々である。このような人間は、他人の親切を裏切るための理屈がいつでも本人の中で創れるのである。尾崎秀実についてはこの事柄がわかりにくいと思うが、この人物は日本の上流階級に対してもの凄い僻みを持っていたことが史実を見るとわかる。この映画で私が最も感動したことは、このような大犯罪者たちに対する日本社会の信じられぬ程の同情の念である。官憲もそうであった。私はその真実の祖国日本に対して、愛しいまでの愛情を感じるのである。スパイに対してその死刑に至るまでの過程で、これほどの礼を持って対応した国は史上皆無である。スパイ共には私は何の憐憫の情も無いが、この馬鹿が付く親切な国民には涙を禁じ得ないのだ。私は祖国のこの馬鹿さ加減が好きなのである。私は祖国と涙を伴にしたい。私は祖国の馬鹿さ加減が愛しいのだ。私はそれと共に生きそれと共に死にたい。スパイに舐められ馬鹿にされ翻弄される国を私は愛する。

    スパルタカス SPARTACUS

    (1960年、米) 186分/カラー

    監督:
    スタンリー・キューブリック/原作:ハワード・ファスト/音楽:アレックス・ノ―ス/受賞:アカデミー賞 助演男優賞・撮影賞・美術監督装置賞・衣装デザイン賞
    出演:
    カーク・ダグラス(スパルタカス)、ローレンス・オリヴィエ(クラサス)、トニ―・カーティス(アントナイナス)、ジーン・ジモンズ(バリニア)
    内容:
    紀元前一世紀のローマ帝国、奴隷戦士スパルタカスを中心に立ち上がった奴隷の反乱を描いた作品。リビアの鉱山に売られ奴隷として生きていたスパルタカスは、ローマの剣闘士養成所で訓練を積む。
    草舟私見
    信念というものの本質を問う名画である。伝統というものからくる血に存する信念を持つ者がローマ貴族である。自分一人の生活環境と考え方からくる信念を持つ者がスパルタカスとその一党である。その対立と闘いを描いているところが見どころである。ここに人情的好き嫌いを入れると本質が見えなくなるのである。ローマ貴族は実に強い。何が強いと言って、いくら負けても絶対に最終的には負けない誇りからくる信念が強さの根源である。神の子孫だと信じているから凄まじさがある。負けても負けても出撃し進軍する。貴族の一人であるクラサス(L・オリビエ)がいくら負けても粛々と出陣するローマ軍を評して、「これがローマなのだ」と言う台詞に強国ローマの本質が全てあるのだ。一方スパルタカスはいくら勝っても次々にくるローマ軍に対して、最後はあきらめて自ら負けてしまう。かわいそうだが、信念が弱いのだ。誇りが少ないのだ。それは自分の幸福と自由だけを求めているからなのだ。伝統が無いのだ。この作品に私は力の本質を観る。

    スペンサーの山 SPENCER’S MOUNTAIN

    (1963年、米) 120分/カラー

    監督:
    デルマー・デイヴィス/音楽:マックス・スタイナー
    出演:
    ヘンリー・フォンダ(クレイ・スペンサー)、モーリン・オハラ(オリビア)、ジェ―ムズ・マッカーサー(クレイボーイ)、ドナルド・クリスプ(ゼベロン・スペンサー)、ウォーリー・コックス(グッドマン牧師)
    内容:
    アメリカ開拓民の子孫が、自分の息子を大学へ進学させるために、山の頂上に家を建てるという長年の夢を断念するまでを、名匠デルマー・デイビスが、ワイオミングの大自然を舞台にオールロケで描く。
    草舟私見
    実に壮大でアメリカ的で気持ちの良い名画と感じる。この家族の絆そして愛情は観ているだけで何だか嬉しくなってしまいます。主演のH・フォンダとM・オハラが演じる夫婦の会話こそ、愛情とそれゆえに生じる悩みをよく表わしているものと感じます。祖父を演じるドナルド・クリスプはもの凄く良いですね。この俳優は私は本当に好きです。見るだけで胸にじーんと来て目に熱いものが感ぜられます。家族愛の物語としてはクレイボーイの大学進学は良いことなのですが、私はここから真のアメリカの死滅していく過程だと思います。愛も深すぎると足元の真の幸福の根元が見えなくなることもあるのです。三代にわたるスペンサー家の誇りと幸福は、学歴や地位や職業にこだわらないところから生じており、それがクレイボーイから崩れていくような寂しさを私は感じます。私は学費のために家の誇りと夢である山を売ることは現代の悲劇であり、家柄と伝統の喪失に思えます。もう少し悪い父親であってほしかったというのが私の真の思いです。しかし理屈はともかくこの家族のやることは全部許せますね。

    300〈スリーハンドレッド〉 300

    (2006年、米) 117分/カラー

    監督:
    ザック・スナイダー/原作:フランク・ミラー/音楽:タイラー・ベイツ
    出演:
    ジェラルド・バトラー(レオニダス)、ロドリゴ・サントロ(クセルクセス)、デイヴィッド・ウェナム(ディリオス)、ヴィンセント・リーガン(隊長)
    内容:
    紀元前五世紀、スパルタは精強な軍隊を擁し、レオニダス王の下、常に戦いに備えていた。そのスパルタに最大の試練が訪れ、ペルシャが攻めてきた。開戦への過程を描く。
    草舟私見
    いやはや実に、現代の映像技術を駆使した従来に無い型の名画と感じている。技術に走り過ぎる現代の映画の中にあって、技術と精神と霊魂とが鼎立する実に画期的な名作である。古代ギリシャの史家ヘロドトスが伝え、それ以後、ヨーロッパの偉大な魂を再生産し続けたあの偉大な歴史的事実である「テルモピレーの戦い」の姿を、観る者を釘付けにする、血湧き肉躍る偉大な表現様式で、我々の眼の前に再現してくれたのである。スパルタ王レオニダスに率いられた300人の兵たちは永遠の生に生きているのである。彼らの存在の伝承が後にキリスト教と融合して、ヨーロッパに、我が国の武士道に匹敵する騎士道というものを生み出したのだと私は信じている。書物を繙けば、ヨーロッパにおいて現代に至るまで騎士道精神を持つ歴史的人物で、この偉大な戦いから精神的感化を受けなかったというような人物を私は知らない。正義と自由のために己の人生と生命を犠牲にすることは、武士道と騎士道の根元である。その文化のヨーロッパにおける始まりがこのテルモピレーの戦いなのだ。なお、現代のアメリカ帝国に継承される物質文明の始まりが古代ペルシャ帝国なのである。        

    スローな武士にしてくれ

    (2019年、NHK) 119分/カラー

    演出:
    源孝志/音楽:阿部海太郎
    出演:
    内野聖陽(村田茂雄=シゲちゃん)、柄本佑(田所新之助)、中村獅子童(朽木城太郎)、本田博太郎(武藤幸四郎)、伊武雅刀(八村所長)、石橋蓮司(国重五郎)、水野美紀(村田富士子)、藤本隆宏(ラオウ)、里見浩太朗(里見浩太朗)
    内容:
    京都の歴史ある「京英撮影所」は数々の時代劇映画を生み出してきたが、ここで最新技術を駆使した時代劇のパイロット版の制作依頼が舞い込む。昔ながらの撮影法に慣れている映画人たちの最新の技術で撮影することの苦悩と喜びを描く。
    草舟私見
    心に沁み入る名作と感ずる。仕事に生きる人間たちの哀歓が画面一杯に広がり、まさに血湧き肉躍る作品となっている。悲哀の中に光る幸福が、本物の人生を浮かび上がらせているのだろう。仕事が好きな奴らの美しさが匂い立っているのだ。興奮の中に、目頭が熱くなっていることも忘れてしまう。知らぬ間に、「仕事」という天命の中に誘い込まれていくのは、私だけではあるまい。仕事に生き、仕事に死す者たちの不幸と幸福に出会うことが出来る。仕事とは、不幸の中に存する幸福を見つけることなのだ。自分の人生を感ずる映画である。仕事の内容は変わっても、仕事の魂は何も変わらない。この映画の中に、私は自分の人生の走馬燈を見ていることを感じた。作品を貫徹して流れる音楽に、私は自分の人生の思い出を見出しているのだ。この音楽は私の人生である。そして、仕事に生き仕事に死す者たちへの挽歌となっているのではないか。不幸の中に見出す幸福を、これほど見事に描く作品は少ない。もちろん、この作品はあの「蒲田行進曲」の焼き直しなどではない(念の為)。        
  • 聖週間 WIELKI TYDZIEN

    (1996年、ポーランド=独=仏) 97分/カラー

    監督:
    アンジェイ・ワイダ/原作:イェジー・アンジェイエフスキ/音楽:G・F・ナルホルツ、F・ウルマン、他/受賞:ベルリン映画祭 銀熊賞
    出演:
    ベアタ・フダレイ(イレナ)、ヴォイチェフ・マライカット(ヤン)、マクダレナ・ヴァジェハ(アンナ)、ヤクプ・プシェビンドフスキ(ユーレック) 
    内容:
    1940年代ナチス制圧下のポーランド。一軒のアパートを舞台に匿われる側のユダヤ人と匿う側のポーランド人家族。個々人の感情と人間関係を通じてポーランド人の悲劇を描く。
    草舟私見
    巨匠アンジェイ・ワイダの面目躍如たる感ある名作である。葬送行進曲の如き主題曲の荘重さから始まり、我々をして長くその主旨を考えさせる結末に至るまで息つく暇のない時間の流れがある。ポーランドの苦悩を描き続けるワイダの作品は、我々日本人の恵まれた極楽トンボ的人生には良い刺激剤の役目も果たしている。人生を考えることは、ヨーロッパの歴史にとっては当たり前のことである。ゲットー蜂起のユダヤ人の悲劇を描くことによって、ワイダはポーランドのナチス支配下から共産支配に至る苦悩の歴史の原因を表現していると感じる。ポーランド人の苦悩は、自分たちが「良きポーランド人」に成ろうとしていることではないのか。そのためにはナチスをしてユダヤ人殺戮の状態を赦し続け、また共産主義に対する抵抗を放棄せしめている。自分たちのことばかり考えて、自分の手を汚すことを恐れているのではないか。そのようなことの主張を感じる。一人ゲットーに向かって歩くイレナを助ける者はいない。抵抗する者はあまり少なく、個人の勇気に頼りすぎる国民の歴史がポーランドの悲劇の歴史を創っているのではないか。ワイダは永遠に語りかけ問い続ける。

    清左衛門残日録〔シリーズ〕 

    (1993年、NHK) 合計830分/カラー

    監督:
    村上佑二、他/原作:藤沢周平/音楽:三枝成彰
    出演:
    仲代達矢(三屋清左衛門)、南果歩(里江)、赤羽秀之(三屋又四郎)、山下真司(平松与五郎)、財津一郎(佐伯熊太)、鈴木瑞穂(朝田弓之助)、かたせ梨乃(みさ)
    内容:
    東北の小藩の用人であった三屋清左衛門は、家督を長男に譲って隠居した。その後の生活を日記として残すことを決め、「残日録」と名付けた。その老境の日々を描いた。
    草舟私見
    あゝ――、実にすばらしい作品だ。武士道は良い。その日常は私の夢である。憧れである。涙が滴るのである。我が家の先祖たちと共に生きている実感が湧き上がるのである。そういう情感を誘発する力がこの作品にはある。この作品には私が継承する血液があるのだ。その血液が十五話の物語の一作品ごとに滴り落ちてくるのだ。私はその血液を舐める。舐めることによって、私は清左衛門と一体となり、またこの作品に登場する武士たちと一体となるのだ。一体となり、喜びと悲しみを共にして、私もその日常を共に過ごしたいと思うのである。思うことによって私は途轍もない人生の幸福を感じるのである。今の時代がどういう時代なのか、私にはよくわからない。しかし私にはこの武士の時代のことはよくわかるのである。よくわかることをわかった通りに行なうというのが一番良い生き方だと私は思っているので、私はそう生きるのである。私はそう願っているし、またそうするつもりである。従って清左衛門は私の親友であり、同時代人なのである。それにしてもこの日常性はすばらしい。武士道の心が日本の文化の背骨なのだと、尽々と感じさせてくれる作品である。清左衛門もすばらしいが、友人たちも良い。みんな涙を共にしているのだ。だから良いんだ。その涙を共にする底辺を、武士道という共通の背骨が支えているのである。清左衛門以外では特に良いのが、里江という三屋家の嫁である。この嫁は最高だ。嫁という役目と立場に生きている真の人物である。役目に生きる者の姿は本当に美しいのである。芸術なのである。

    ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド They shall not Grow Old

    (2018年、ニュージーランド=英) 99分/カラー・白黒

    監督:
    ピーター・ジャクソン/音楽:プラン9/ドキュメンタリー                   
    内容:
    第一次世界大戦の記録フィルム、またそこに最新の解析を加えカラー化され、さらに読唇術による音声まで追加されたドキュメンタリー。
    草舟私見
    科学技術が、戦争を一変させた。二十世紀になって、戦争は勇敢で芸術的な行為から、殺戮と悲惨の悪魔の所業と成り果ててしまった。その分岐点に位置する戦争こそが、一九一四年に始まった第一次世界大戦だった。それは、青年たちの夢に始まり、人間の心と社会の在り方そのものの崩壊によって幕を閉じたのである。科学の、あまりの残酷さに、人間たちの想像力がついていけなかったのだ。この科学がもつ悪魔性に直面しながら、人間はそれでもまだ科学の本質を摑むことすら出来なかった。夢に始まり、人間の心の終焉に終わったこの戦いは、また映像に記録された最初の戦いにも成っていた。私はこの大戦のフィルムは出来得る限り見てきたつもりである。そこには人間のもつ高貴と卑しさが映し出されていた。勇気と悲惨が眼前に広がるのだ。その記録の多くの中で、本作品は一頭地を抜いた記録作品と成っている。戦争の記録が、記録ではなく、一つの映像作品にまで仕上がっているのだ。だからこそ、近代戦争の本質を感ずることが出来るのだろう。          

    青春の門

    (1981年、東映) 140分/カラー

    監督:
    蔵原惟繕、深作欣二/原作:五木寛之/音楽:山崎ハコ                   
    出演:
    菅原文太(伊吹重蔵)、松坂慶子(伊吹たえ)、佐藤浩市(伊吹信介)、若山富三郎(竜五郎)、渡瀬恒彦(金朱烈)、鶴田浩二(矢部虎)、杉田かおる(織江)
    内容:
    五木寛之のベストセラー小説『青春の門・筑豊編』の映画化。北九州の炭坑に生まれた伊吹信介が、豪放な父と気丈な母、そして周囲の大人たちの愛情に支えられながら成長していく様を描いた。
    草舟私見
    一人の男子が男として、自分の人生に自分が責任を持って生きていく人生の立志というものを、もの凄い迫力で描いた名画と感じる。一人の人間が人生の立志を行なうのに、またどれ程の人の情が重なり合ってそれを築き上げるのかがわかる。そして何よりも人間の立志に最も重要なものは、いつの世も親の生き方であると痛感させられる。昇り蜘蛛の重蔵がいい。男の中の男である。こういう生き方が俺は好きなんだ。重蔵には惚れる。たえも重蔵に惚れた。誰でも惚れるのである。生(いのち)が生きているゆえに死してなお永遠の生(いのち)を生きている人物である。たえの生き方も良い。この女には惚れる。塙竜五郎もいい男である。男である。俺は惚れる。伊吹信介もこの映画の終わった後良くなる。どんどん良くなってこの後何年かして信介にも俺は惚れる。俺にはわかっている。俺の予言ははずれたことがない。信介がなにゆえにでき上がってきたか、それが本作品の見どころである。信介の情感は俺の青春と似ている。嬉しい。          
          

    聖なる嘘つき JAKOB THE LIAR

    (1999年、米) 119分/カラー

    監督:
    ピーター・カソヴィッツ/原作:ユーレク・ベッカー/音楽:エドワード・シャーマー
    出演:
    ロビン・ウィリアムス(ジェイコブ)、ハンナ・テイラー・ゴードン(リーナ)、アラン・アーキン(フランクフルター)
    内容:
    第二次世界大戦中、仲間を勇気づけるために嘘をつき続けたユダヤ人の男を描いた作品。解放軍によってユダヤ人が解放されるというラジオニュースを聞いたことがきっかけで主人公は嘘をつくようになる。
    草舟私見
    嘘というものの本質を深く考えさせられる名画である。嘘は当然悪いことである。しかしそれは自己の保身や自己の利益、また他人を害するときや虚栄のために行使したときのことであろう。ジェイコブの嘘は真心である。私はそう感じる。嘘による何の得も彼にはない。嘘の責任だけを背負い続け、最後に本当のけじめを付ける彼はやはり勇気の人である。まじめで地味で一途に生きてきた彼にして、初めてできる真実の道と感じる。希望がなければ人は生きられないのだ。私はそれを深く感じる。だから私は彼を尊敬するし本当に好きである。人に夢を与える良い嘘でもその責任をとるのが男である。彼は真の男なのである。良いことは良いのだというような理屈を考えない。立派である。武士である。快男児である。またそれが全部わかる医師も偉大である。この医師の生き方も真の男である。武士である。日常の悲しみを深く示す音楽と共に心に残る名画である。

    制覇

    (1982年、東映) 142分/カラー

    監督:
    中島貞夫/原作:志茂田景樹/音楽:山本直純                   
    出演:
    三船敏郎(谷口組三代目田所)、岡田茉莉子(田所の妻)、菅原文太(若頭河上)、若山富三郎(権野)、鶴田浩二(大友医師)、名高達郎(小田記者)、丹波哲郎(窪川会長)
    内容:
    日本最大の暴力団谷口組の三代目田所正雄の狙撃事件に端を発した抗争と、谷口組の世代交代を壮大に描いた作品。実在の暴力団山口組をモデルとしている。
    草舟私見
    やくざの映画ではあるが、人間の生き方をよく表わす名画であると感じる。特に組織と人間の問題を考えさせられる。組織の問題は軍隊とやくざを扱ったものにわかり易いものが多い。組織の中における人間の哀歓こそが真の人生のドラマなのである。組織とは人間の文明であり文化なのである。人間の秩序であり礼儀であり、恩と義理を中心とする生きる上での道徳なのである。私はタテ社会が文化的に好きです。タテ社会が人生の本質であり、人間の礼の中心なのです。人が親から生まれる以上この根本は変わらないでしょう。ヨコ社会は本質であるタテ社会のあくまでガス抜きであるのです。組長がやくざの組織化について語ります。半端で弱い人間にも生きる場所が必要なのだ。落ちこぼれを組織化し、人間としての秩序と礼を与えるのが悪であっても組織なのである。このような集団の頂点に立つ男の哀歓を三船敏郎がその重厚な演技で示している。岡田茉莉子が組織の頂点に立つ男の妻として途轍もない名演を示していると感じる。         
          

    西部戦線異状なし ALL QUIET ON THE WESTERN FRONT

    (1930年、米) 103分/カラー

    監督:
    ルイス・マイルストン/原作:エーリッヒ・M・レマルク/音楽:デヴィッド・ブロークマン/受賞:アカデミー賞 作品賞・監督賞
    出演:
    ルー・エアーズ(ポール)、ルイス・ウォルハム(カチンスキー)、ジョン・レイ(ヒンメルシュトッス)、ベン・アレクサンダー(ケンメリッヒ)、ウィリアム・ベイクウェル(アルベルト)
    内容:
    文豪レマルクが自らの体験を基に描いた世界的ベストセラーを映画化。第一次世界大戦下のドイツが舞台。四年に及ぶヨーロッパを二分する戦火が交えられる。
    草舟私見
    戦争を通して浮き彫りになる人間の持つ種々の要素を見事に描いた、世界で最初の映画と言える名作である。本作品こそが戦争の中で揺れ動く人間の心を活写した最初の作品なのだ。権力や政治が戦争を起こしそれでいて、いつでも犠牲になるのは一般大衆である兵士なのだ。それにもかかわらず、その戦争の中で真実の人間同士の愛情が醸成される姿が生き生きと描かれている。戦争嫌いの青年が戦場に真実を見つけ出す過程に共感を感じる。カチンスキー軍曹が何と言っても良いですね。このような人物がやはりどこの国でも社会を支えているのです。人情があって、実行力があって、それでいて別に自分を大した者だとも思っていない。私はこのような人物こそ最も尊いのだと感じます。

    女衒・ZEGEN

    (1987年、東映=今村プロ) 124分/カラー

    監督:
    今村昌平/音楽:池辺晋一郎                  
    出演:
    緒形拳(村岡伊平治)、倍賞美津子(しほ)、柯俊雄(王)、小西博之(上原大尉)
    内容:
    明治末期から昭和初期にかけて「富国強兵」を旗印に、東南アジアを舞台に女を売り飛ばした稀代の男、村岡伊平治の半生を映画化した作品。
    草舟私見
    新興日本の快男児、村岡伊平治の物語である。本作品に登場する日本人たちは、当時における日本の底辺に生きる人々である。そうではあるが、国家そのものに誇りがある時代だから底辺の人々とは言ってもやはり誇りがある。だから明朗であり、その明朗な人物像がよく活写されています。いかなる境遇の人間にとっても、誇りというものがどれ程大切なものであるかを深く悟らされる映画である。村岡伊平治の持つ心意気は現代の我々にとって最も重要なものなのだと思量する。彼は恩を知る人である。だから明朗で大義を知るのだ。痛快であること。面白いこと。これが人生の根本であると感じる。いい人生だけが境遇に関係無く真に幸福な人生なのだ。      

    世代 POKOLENIE

    (1954年、ポーランド) 88分/白黒

    監督:
    アンジェイ・ワイダ/原作:ボブダン・チェシュコ/音楽:A・マルコフスキー
    出演:
    タデウシュ・ウォムニツキ(スターショ)、ウルシュラ・モドジンスカ(ドロタ)、タデウシュ・ヤンチャル(ヤーショ)、ロマン・ポランスキー(ムンデック)
    内容:
    第二次世界大戦中のポーランドの若者たちを描く作品。アンジェイ・ワイダの長編処女作となり、後に製作の「地下水道」「灰とダイヤモンド」と共に、抵抗三部作として知られる。
    草舟私見
    アンジェイ・ワイダの作品には、連綿と続く生(いのち)の尊さが謳われている。人間がもつ精神の輝きが描かれているとずっと思ってきた。ワイダの芸術が指向するものは、人間の精神がもつ哀しみを知ることにあるのではないか。ワイダを観た後に滲む、涙の本源とは、そのようなものであろうと私は感じている。すべての哀しみを乗り越えて、人間の精神の活動は輝いていく。精神の輝きを支えているものは、その奥底を流れる涙そのものに他ならない。哀しみを湛えた生は、その本質のゆえに感化力を有する。その生のもつ、連続の躍動を私は画面の中に見い出す。本作品は、ワイダ初の長編作と聞いているが、彼の思想は遺憾なく発揮されている。悲劇の後に、その悲劇の連続を予感させる若者たちが、笑顔で並んでいる。その最後の場面を観るとき、私は生のもつ哀しみにうたれる。生きることの尊厳と美しさにうたれる。悲劇は輝きによって受け継がれていく。それが芸術として表現されていることに、ワイダのもつ精神的強靭さを見る。ワイダは、生きている人間が織り成す生を見つめる、歴史の証言者に他ならない。
          

    瀬戸内少年野球団

    (1984年、YOUの会=ヘラルド・エース) 140分/カラー

    監督:
    篠田正浩/原作:阿久悠/音楽:池辺晋一郎                   
    出演:
    夏目雅子(中井駒子)、大滝秀治(足柄忠男)、伊丹十三(波多野提督)、郷ひろみ(中井正夫)、岩下志麻(穴吹トメ)、加藤治子(足柄はる)、山内圭哉(竜太)、大森嘉之(バラケツ)、佐倉しおり(うめ)、渡辺謙(中井鉄夫)
    内容:
    作詞家 阿久悠が郷里の淡路島での幼年時代を書いた同名小説の映画化。敗戦直後の淡路島国民小学校を舞台に、女教師と子供たちの心温まる交流を描いた。
    草舟私見
    戦後の日本の出発というものを庶民の生活を通して実感できる名画と感じる。本作品は淡路島の物語であるが、都会でも物質的にもっと貧しかっただけで精神的には大差は無い。この環境は昭和30年頃まで続いたのであって、この環境がそれ以後の日本の進路を決めたのである。私などはこういう映画を観ると本当に凄く懐かしいですね。子供たちの中ではバラケツ君に特に親近感を持ちます。これが戦後と呼ばれた時代の代表的な「ガキ」ですね。私もこういうガキに、自分がもっと小さいガキだった頃随分と鍛えられました。そのうちに自分もこういう感じのガキになっていた記憶があります。民主主義などという思想がどんなに急に間違って導入されたかもよく表わされています。そんな主義より従来からの変わらぬ人間の絆がいいですね。現代とはかなり違いみんな仲が悪そうでいて深い繋がりを持っています。大人と子供も深い絆を持っています。それでいて大人はガキを相手にしていない。大人も子供もそれぞれの立場で本音をぶつけ合っています。この「ぶつかり合い」で子供は成長するのです。大滝秀治の名演に心底感動した作品でもあります。      
          

    蝉しぐれ〔テレビシリーズ〕

    (2003年、NHK) 合計301分/カラー

    監督:
    佐藤幹夫/原作:藤沢周平/音楽:小室等
    出演:
    内野聖陽(牧文四郎)、水野真紀(ふく)、勝野洋(牧助左衛門)、竹下景子(牧登世)、石橋保(小和田逸平)、平幹二朗(里村左内)、村上弘明(矢田作之丞)、荒井紀人(犬飼兵馬)、柄本明(横山又助)
    内容:
    藤沢周平の名作を映画化。海坂藩を舞台に微禄の武家の青年が家族の愛情や友情に支えられながら、悲運に立ち向かって成長していく様を描いた作品。
    草舟私見
    何と言っても、ジーンとくる作品である。古い日本人の生き方が何気ないところにもよく表現されていて深い感動をもって七回におよぶ連作を観た。私は自分の先祖が江戸時代には武士であったことも手伝って、何だか先祖たちの日常生活が彷彿とされ、夢を見ているような実に幸福で豊かな時間を本作のゆえに持たせてもらった。生きるべき道がはっきりと示されている世の中においては、人間の感情というものはどこまでも美しく昇華して行くのではないか。禁忌があるということは真に人間の心を豊かにし、生き甲斐を結果としてもたらすように思える。牧文四郎の人生の中に私は真の男を見る。私は自分の先祖を見ているのだ。我が家も隨分と苦しい時期があったようだ。系図がそれを語っている。しかし必ず盛り返してきた。私は文四郎の中に自分の血を見るのである。音楽が大変にすばらしい。挿入歌も主題曲も実にいい。武士道の悲しみを音楽がやわらげ、実に人間味溢れる名作となっている。

    ゼロ・グラビティ GRAVITY

    (2013年、米=英) 91分/カラー

    監督:
    アルフォンソ・キュアロン/音楽:スティーヴン・プライス
    出演:
    サンドラ・ブロック(ライアン・ストーン)、ジョージ・クルーニー(マット・コワルスキー)、エド・ハリス(ミッション・コントロール 声のみ)
    内容:
    ライアン・ストーン博士は、初めての宇宙でシャトルの作業中、不運の事故に遭う。奇跡的に助かったものの、仲間の死、また困難な問題を乗り超えて、地球へ帰還せねばならなかった。
    草舟私見
    何か、人類の新しい生誕を感じさせる名画である。私は若き日にジョン・ミルトンの『失楽園』の詩によって、宇宙空間の深淵を体感したと思っている。その体感が、画面一杯に躍動しているのを感じた。宇宙とは、死の空間なのだ。その漆黒の空間に我々の存在がある。その存在は、地獄の炎に焼かれながらこの地上に降り立ったのだ。愛の魂が、地獄の業火をくぐり抜ける力となったのである。我々の肉体が、重力を知ったとき、我々の魂が屹立したのだ。この宇宙空間を知る者こそが、人類を創っている。人類とは、宇宙から生まれた生き物に違いない。宇宙の漆黒の悲哀が我々の故郷となっている。死の舞踏が、我々人類を創り上げたことを知らなければならない。いま、人類は祖先の魂が経験したことを、追体験しているのだ。私はそう思う。そうでなければ十七世紀の『失楽園』によって、現代の宇宙開発を想像できるわけがない。私はこの映画の中に、自己の魂の旅路を感じているのだ。私の魂も、地球に降り注がれた祖先の涙の痕跡なのである。それを感じさせる映像と言えよう。

    零戦黒雲一家

    (1962年、日活) 110分/カラー

    監督:
    舛田利雄/原作:萱沼洋/音楽:佐藤勝                   
    出演:
    石原裕次郎(谷村中尉)、二谷英明(八雲上飛曹)、芦田伸介(イ号潜水艦艦長)、渡辺美佐子(平岩奈美)、浜田光夫(中北次郎=通称「予科連」)
    内容:
    太平洋戦争中の中部太平洋の孤島を舞台に、飛行部隊の隊長と部下の対立と融和を描く。太平洋戦争の激戦地ガダルカナル島からの撤退以降、小さな南方の島々では、次々と日本軍が最期を迎えていく。
    草舟私見
    石原裕次郎の爽やかな印象と共に、表現力の非常な斬新性のゆえに長く記憶に残る秀作と感じている。本作品の最大の焦点は動物として生き長らえるか、また人間として誇りの中に死すべきであるかという人生の永遠の主題を扱っていると感じている。そしてこの深遠な主題に関して日本人好みの悲愴性を極限まで排除した作品である。ひねくれて動物的に無秩序に生きる人間たちが、谷村隊長の感化力のゆえに徐々に誇りを取り戻していく過程が、その表現力において見事である。どんなに酷くても一片の赤誠、つまり真心を持つ人間は必ず誇りに生きることに感化を受けるものであるということがよくわかる作品である。最後に谷村隊長が八雲上飛曹に空中戦で死す前に「気分はどうか」と問いて八雲が「気分ハ爽快ナリ」という気心のあり方が忘れられぬ。そして人間は爽快なとき、いつでも何に対しても答えは「宜候」(ヨーソロ)つまり宜しきに候、了解、わかったぜということだけなのである。     
          

    零戦燃ゆ

    (1984年、東宝) 128分/カラー

    監督:
    舛田利雄/原作:柳田邦男/音楽:伊部晴美
    出演:
    加山雄三(下川大尉)、提大二郎(浜田正一)、橋爪淳(水島)、早見優(吉川静子)
    内容:
    帝国海軍の象徴であった零戦に魅せられてきた男たちの物語。零戦に憧れる少年兵二人が、パイロットと整備士という別々の道で零戦と共に生きることを誓う。
    草舟私見
    零戦によって己の生き方を決め、零戦によって生き切り、零戦によって死を賜った男の真の心意気の映画であり、生涯忘れ得ぬ映画である。堤大二郎演じる浜田兵曹は私の最も憧れる生き方をした人物です。まず根っからの軍人志望ではなく、下川大尉の恩情に報いるために戦闘機乗りを志すところが私はぐっときます。もちろん元々夢を持っていたから、その心に点火されたわけだけれど下川大尉の心に共鳴して志すところがいいです。彼はもう大あばれで実に凄い人生です。私は心底うらやましいし惚れますね。そして零戦がどんどん旧式化して行っても零戦を愛していて捨てませんね。真の男、貫く男であると感じます。自分の志の立脚点を知っているのです。「今、零戦を捨てたらあの世で下川大尉にあわせる顔がない」という言葉が胸に響きます。これが男なのです。自己の生き方を決めた志を立てさせてもらった恩ある人と飛行機に殉ずる生き方です。零戦が滅びるとき、自らもまた滅びるのです。こういう人だから墜撃王になれたのです。最後に母親が子を偲ぶ言葉も心に焼き付いて離れません。この親にしてこの子ありです。こういう貫く男の生き方は、堤大二郎のような演技の単刀直入な俳優が演じると却って生き生きとすることがあるから全く不思議です。男は不器用じゃなきゃ駄目なんですね、きっと。         
          

    ゼロファイター・大空戦

    (1966年、東宝) 92分/白黒

    監督:
    森谷司郎/音楽:佐藤勝                   
    出演:
    加山雄三(九段中尉)、佐藤允(加賀谷上飛曹)、江原達恰(重政)、中丸忠雄(草川参謀)、千秋実(ブイン航空隊司令)、藤田進(神崎艦隊司令)、谷幹一(整備班長)
    内容:
    日本軍基地の最前線ブーゲンビル島の南端ブイン基地が舞台。航空部隊はすでに五名の飛行兵しか残っていない中、新たに中尉と隊員が加わり、最後の死闘を繰り広げる。
    草舟私見
    戦う男たちの真骨頂が深く心に残る名作である。ガダルカナル争奪戦の時期におけるブイン海軍航空隊の物語である。九段中尉に扮する加山雄三と加賀谷上飛曹に扮する佐藤允の名演が光る作品である。九段中尉の命を何よりも大切にする姿勢が戦う男の真の価値を感じさせます。それでいてその何よりも大切な命を、いつでも擲つ覚悟の攻撃精神が感動的である。この責任を深く自覚する指揮軍の姿こそ真の美学つまり真の悲壮美であると感じる。また佐藤允には惚れますね。なんとも一本気で真の勇気の持ち主です。それでいてかわい気があって、少し頭がおかしいところが何とも言えぬ魅力のある人物である。こういう人物が実際の仕事ではいつの世も真に世の中の役に立つ人物であると思います。整備兵と喧嘩ばかりしている中に、しっかりとある真の友情が心に沁み入ります。戦後は戦争観が負け犬根性で汚染されているが、戦時中は実際に戦う男たちは何とも戦うことが嬉しくてしょうがないという実感が伝わってきます。 
          

    善悪の彼岸 BEYOND GOOD AND EVIL

    (1977年、伊=仏=西独) 116分/カラー

    監督:
    リリアーナ・カヴァーニ/音楽:ダニエル・パリス
    出演:
    エルランド・ヨセフソン(フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)、ドミニク・サンダ(ルー・アンドレアス・サロメ)、ロバート・パウエル(ポール・レー)
    内容:
    十九世紀に実在した三人の代表的な思想家ニーチェ、ポール・レー、ルー・サロメの共同生活と別れを描きながら、世紀末のヨーロッパ知識人たちの懊悩を浮かび上がらせる。
    草舟私見
    19世紀末、つまり20世紀に突入する少し前の、神を見失い苦悩するヨーロッパ知識人の姿を捉えた名画と感じる。人間の道徳というものが神を離れて混乱の極みにあった時代の頽廃的雰囲気をよく伝えているので、画面の描写に性描写の異常性や迷いからくる不道徳な行動の場面が多々あるため、推奨映画として取り挙げるべきかどうか悩んだ作品である。しかしそれを凌駕して、我々の人生に強く働きかけるものがある作品であるので推奨に入ったという経緯のある映画である。この19世紀末の知識人たちの苦悩は、実は20世紀の現代の苦悩の始まりなのです。今では苦悩でなく、どこか慣れによって当たり前になっている部分もあるので注意を要します。19世紀末西洋において、人間は神とその道徳を失うことによって心の平安を失ったのです。真面目な人物たちは頽廃的になり悩みました。大半の一般の人たちは、その解決法として物質の豊かさだけを求めて心の平安を得ようとする方へ走ったのです。つまり20世紀の消費文明のスタートが切られたのです。我々の時代を覆う消費文明とは、神と道徳を失った人間がそれに替わるものとして追求しだした代替の人生の幸福論なのです。そして現代ではもうそれに行き詰まっているのです。我々の現代文明は元々19世紀の真摯な知識人をこれ程苦しませ悩ませた、心の空洞状態からその本質が始まったのであるとわかれば本作品の現代的価値はあると感じています。つまり現代消費文明は本質的に人間に心の平安と幸福を与えることが不可能であることは、その始まりから決まっていることなのです。だから我々には一人一人に消費文明に押し流されぬ心の確立が必要なのです。なおニーチェは、20世紀を導いた最も偉大な哲学者としてあまりにも有名であり、レーもまた20世紀を誘導した哲学者です。ルー・サロメは20世紀の女性解放(物質文明)の走りの人物であり、現代人の心の苦悩を謳った詩人として有名なリルケの恋人としても有名な人物です。彼らの苦悩は私の苦悩でもあり、現代の苦悩から一歩ずつ抜け出すことが、また彼らに対する真の友情なのだと私は感じています。

    戦艦シュペー号の最後 THE BATTLE OF THE RIVER PLATE

    (1956年、英) 119分/カラー

    監督:
    マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー/音楽:ブライアン・イースデール
    出演:
    ジョン・グレグスン(ベル艦長)、アンソニー・クエイル(ハーウッド提督)、イアン・ハンター(ウッドハウス艦長)、ジャック・グイリム(パリー艦長)、バーナード・リー(ドープ艦長)、ピーター・フィンチ(ラングスドルフ艦長)
    内容:
    第二次世界大戦中、英国戦艦三隻と砲撃戦を展開し、南米ウルグアイのモンテビデオ港に逃げ込んで自爆した、独海軍の小型戦艦グラフ・シュペー号の物語。
    草舟私見
    戦艦シュペー号の運命は、血と伝統というものについて深く考えさせられる内容を持っている。シュペー号は確かによく戦った。勝算があるときには緻密な計算と勇気を持って、正々堂々と戦い多くの勝利を得た。戦うときのシュペー号はいやはや良いですね。カッコ良いですよ。そして艦長は戦術家としても秀れている。しかしこの艦長は頭が良すぎる。戦略を考えすぎる。人格者であり紳士であることも有名であった。しかし狂気が無い。野獣の如き獰猛さが無い。重要な決断のときに馬鹿になれない。真の軍隊の誇りというものに突進できないのです。考え過ぎなのです。ここら辺が「見敵必戦」の伝統を持つ英国海軍の提督と違うところだと感じます。考えれば人間は必ずヒューマニズムの結論になることを知らないのです。血が戦士では無いのです。急成長したドイツ海軍の人材不足の悲劇と感じます。うまいことやろうとする者は戦いでは駄目なのです。英国はチャーチルも提督たちもみんな馬鹿ですね。だから強いのです。最後の自沈するシュペー号は哀れですね。この艦長はシュペー号を愛する血と伝統を持っていないのです。

    戦艦バウンティ MUTINY ON THE BOUNTY

    (1962年、米) 176分/カラー

    監督:
    ルイス・マイルストン/音楽:ブロニスロー・ケーパー
    出演:
    マーロン・ブランド(クリスチャン航海士)、トレヴァー・ハワード(ブライ艦長)
    内容:
    1788年に南太平洋で実際に起きた英国軍史上有名な戦艦バウンティ号の乗組員たちの反乱を扱った海洋スペクタクル作品。
    草舟私見
    規律の問題を深く考えさせられる秀作と感じる。規律は何のために必要なのか。それは任務・義務・使命・目的というものを果たすためである。そしてそれが人間として人生を生きる上での幸福の全てなのである。その事柄が全編を通じての最大の主題であると感じる。ブライ艦長は極端な型で規律の鬼として描かれているが、これは問題提起を強烈に示すためである。艦長は行き過ぎの点はあるが、彼が全て正しいのだ。そのことは彼がクック艦長の部下であるということに示される。クックは英国海軍魂の神なのである。つまり英国が世界の海を制覇した時代精神の象徴なのだ。彼はパンノキの移植実験という国家目的のために全てを犠牲にしたのだ。裁判で無罪となるが、裁判官に説教されるのは単に反乱を起こされてしまったことの結果責任の追及なのである。反乱後の中尉(M・ブランド)と部下たちの責任放棄(パンノキ放棄)と無目的の享楽主義を見れば、ブライ艦長の正しさはわかるのである。ブライ無くして何もできない連中なのである。最後に中尉が人生の目的と使命を部下に入れ直そうとして、あのざまになるのだから世話はない。たとえ行き過ぎがあろうと規律の重要さを思い知らされる一作である。そしてその規律の運用は真の紳士の成せる業であるということも深く感じさせられる作品である。

    戦艦ポチョムキン БPOHEHOCEII “IIOTEMKИH”

    (1925年、ソ連) 75分/白黒・無声

    監督:
    セルゲイ・エイゼンシュタイン/音楽:ディミトリー・ショスタコーヴィチ
    出演:
    アレクサンドル・アントーノフ(ワクリンチェク)、ウラジミール・バルスキー(船長ゴリコフ)、セルゲイ・エイゼンシュタイン(神父)、ミハイル・ゴモロフ(マチュシェンコ)      
    内容:
    ソビエト映画の巨匠セルゲイ・エイゼンシュタインが二十六歳の若さで作った、不朽の古典的名作。1905年、第一次ロシア革命時に、黒海艦隊のポチョムキン号で起きた水兵蜂起事件を映画化。
    草舟私見
    80年前に製作された推奨中唯一の無声映画である。映像の天才であるロシアのセルゲイ・エイゼンシュタインの名画である。無声であるためによけいに彼の映像の天才性がよくわかる作品である。白と黒の光の中で生き生きと活写される人物や自然、そして全ての物の動きは我々をして芸術とは何かを深く感じさせる。フィルムが生きているのである。このような天才はもう二度と出ることは無いであろう。ロシア革命後すぐにできた映画であり、ソ連の共産主義というものに夢が与えられていた時代の作品だけに、映像の中に人間の持つ夢や希望が映し出されており、深い感動を覚える名作である。

    1900年 NOVECENTO

    (1976年、伊=仏=西独) 303分/カラー

    監督:
    ベルナルド・ベルトルッチ/音楽:エンニオ・モリコーネ
    出演:
    ロバート・デ・ニーロ(アルフレート)、ジェラール・ドパルデュー(オルモ)、バート・ランカスター(アルフレート(祖父))、スターリング・ヘイドン(オルモの祖父)
    内容:
    1900年の同じ日に生まれた大地主と小作人の息子、二人の友情と敵対を描いた一大長編映画。左翼とファシズムの抗争、農民と地主の階級闘争の嵐が吹き荒れた二十世紀初頭のイタリアの農村が舞台。
    草舟私見
    非常に美しい映画であり、人生を愛する者なら必ず心に残る名作であると言える。十九世紀終わりから二十世紀半ばまでのイタリアの地主一家と小作人たちの物語であり、歴史の実感に触れる思いがする。二十世紀が何を求め、何がそれを動かしたかがよくわかる作品である。現代を築き上げた事柄の本質が描かれていると感じる。真の人間関係、真の友情を深く考えさせられるものがある。人間が許し合うのは、離れることができぬ環境と情感がためせるものだと痛感させられる歴史巨編である。祖父(アルフレート)を演じるバート・ランカスターが私は好みです。その役柄、俳優、台詞、時代全てが美しいと感じる。オルモの祖父も良いですね。激しい共感を覚える。孫同士の友情はこの祖父の友情との関係において、すばらしいものだと感じます。孫の世代は思想が人間を虫蝕んでいる分、少しだけ祖父たちの友情よりも美学的ではないですね。

    1984 1984/NINETEEN EIGHTY-FOUR

    (1984年、英) 110分/カラー

    監督:
    マイケル・ラドフォード/原作:ジョージ・オーウェル/音楽:ユーリズミックス
    出演:
    ジョン・ハート(ウィンストン・スミス)、リチャード・バートン(オブライエン)、スザンナ・ハミルトン(ジュリア)、シリル・キューザック(チャリントン)、グレゴール・フィッシャー(パーソンズ)、ジェームズ・ウォーカー(サイム)
    内容:
    ジョージ・オーウェルが1949年に発表した近未来を描いたSF小説の映画化。ビッグブラザーと呼ばれる国家指導者に絶対服従と忠誠を強いられ、人々は思想警察に監視されていた。
    草舟私見
    暗く荘重な名画である。画面そのものに、人間の終末の悲哀が漂っている。ジョージ・オーウェルによって書かれた原作は、予言文学として世界の最高峰に聳え立つ金字塔と言ってもいいだろう。人類が辿るであろう、この終末を考えることは我々の真の未来を築き上げる一助となる。我々は滅び去るのか、それとも新しい繁栄に向かっていくのか。それを決めるのは、我々自身である。我々の生き方であり、我々の精神のあり方なのだ。それが、人類の未来を決定していく。終末論を考えることが、人類の人類たるいわれを創る。それを失ったとき、我々は人類として滅び去るのではないか。この映画は、恐ろしい映画である。それを見なければならない。恐ろしいから見るのだ。我々が人間なら、そうしなければならない。いま我々は多くの面で、オーウェルの言う通りになっている。それは、誰もがわかることだろう。我々は、「画面」を通して何ものかに支配されるようになった。もはや、我々は独立した人間ではない。それを感じなければならぬ。そして、そこからどうやって抜け出していくのか。オーウェルは、それについて多くの示唆を与えている。それをこの作品から汲み取らなければならない。

    戦場にかける橋 Ⅰ THE BRIDGE ON THE RIVER KWAI

    (1957年、英) 163分/カラー

    監督:
    デヴィッド・リーン/原作:ピエール・ブール/音楽:マルカム・アーノルド/受賞:アカデミー賞 作品賞・監督賞・主演男優賞・脚色賞・編集賞・撮影賞・作曲賞
    出演:
    アレック・ギネス(ニコルスン中佐)、早川雪洲(斉藤大佐)、ウィリアム・ホールデン(シアーズ)、ジャック・ホーキンス(ウォーデン少佐)
    内容:
    1943年、ビルマの密林の奥深く、英軍捕虜が名誉と誇りを懸けて日本軍と共に鉄橋の完成を目指す姿を描いた。泰面鉄道の完成を急ぐ日本軍は将校以下全ての英軍捕虜に労役を命じた。
    草舟私見
    誇りとは何か、規律とは何か、勇気とは何か、信念とは何かを問う、戦争映画中の最高峰に位置する作品であると感じる。何と言ってもアレック・ギネスが演じる、英軍のニコルスン中佐が魅力的である。私はこのタイプは心底惚れますね。男の生き様を感じます。秩序を文明であると信じ、己の生命をその価値の中に投げ込んでいる男らしさと勇気に心から感動する。このような人物の持つ悩みが真の悩みであり、その勇気が真の勇気なのである。一言で言ってこの中佐の中に私は真の涙を感じるのである。対照的にウィリアム・ホールデン扮するシアーズ少佐は私の嫌いなタイプである。勇気もある、信念もある、ここが嫌いだというところは取り立てて無いが、断固としてこの人物を私は好きになれない。多分、人生観が浅いのだろうと思う。蛇足ながらアレック・ギネスはデヴィッド・ニーブンと並び、英国紳士を演じては私の最も好きな俳優である。

    戦場にかける橋 Ⅱ クワイ河からの生還 RETURN FROM THE RIVER KWAI

    (1989年、英) 102分/カラー

    監督:
    アンドリュー・V・マクラゲン/原作:ジョーン&クレイ・ブレアJr./音楽:ラロ・シフリン、喜多郎
    出演:
    エドワード・フォックス(ベンフォード少佐)、ニック・テイト(ハント中佐)、仲代達矢(原田少佐)、ジョージ・タケイ(田中中尉)
    内容:
    太平洋戦争末期、タイから日本へ送られる連合軍捕虜たちの自由への戦いを描く。1945年2月ビルマとの国境に近いタイの捕虜収容所に、元気な捕虜を日本へ移送するよう命が下される。
    草舟私見
    捕虜を扱った映画では「戦場にかける橋」と並んで私の一番好きな映画です。私は日本人なので当然日本びいきなのだが、そうやって観ても捕虜になってからの英国人の根性は人間的にはどうしても好きですね。英国人は負けてからが良い。人間としての真の土根性を持っています。私は負けて卑屈にならぬ英国魂は大好きです。軍医のベンフォード少佐を演じるエドワード・フォックスは、何と言っても抜群に良いですね。役柄もカッコ良いし俳優本人もカッコ良い。人道的です。窮地に立っての人道主義こそ真の人道なのです。自己が優位のときの人道はほとんど綺麗事です。真の人道主義者は、窮地に立って断固として行なう勇気を伴った人道の実践なのです。カッコ良い。こうなりたいですね。私は自分ではE・フォックスに似ていると思っているのですが、今だかつて人に言われたことがありません。本当に残念です。世の中うまく行きませんね。

    戦場の小さな天使たち HOPE AND GLORY

    (1987年、英) 110分/カラー

    監督:
    ジョン・ブアマン/音楽:ピーター・マーティン
    出演:
    サラ・マイルズ(グレース)、デイヴィッド・ヘイマン(クライブ)、セバスチャン・ライス・エドワーズ(ビル)、サミ・デイビス(ドーン)、イアン・バネン(ビルの祖父)
    内容:
    第二次世界大戦下のロンドン。戦場も少年たちにとっては冒険の世界だった。ジョン・プアマン監督自ら、幼い日の感性を記憶を甦らせて描いた作品。
    草舟私見
    数多くある戦争映画の中でも、全く面白い切り口から戦争というものを表現した名画と感じる。戦争と人間の感情というものを、子供の目を通して見ることができる秀作である。そしてこの子供の目というものが、戦争の持つ側面を正直に表現しているものと私は思う。戦争を即刻悪であり悲劇であるという負け犬的な見方から、一歩考えを前進させられる。子供は全てまだ「負け犬」ではない人間なのである。そしてその子供たちは戦争を楽しんでいる。戦争には面白くて楽しい側面もあるのだ。子供とは強い人間なのだ。ここのところが戦後の負け犬根性が植え付けられた日本人にはわからないのではないか。子供は心が自立しているのだ。自由なのだ。そして自由なる者は、大人たちにとっては悲劇であることでも、それを生きる楽しみに転化する術をその心の中に持っているのだ。心が固定されていないから何でも面白く楽しむことができる。子供の心は強く自立的で自由なものなのだ。馬鹿で正直な大人だけが子供を育てられるいわれは、ここに存するのだ。子供は「子供のための教育」をしないことが一番良いのだ。そして真の教育とは、大人が自分の道を愚直に正直に生きる姿を子供に見せることなのである。本作品に登場する大人たちは全くどの人もすばらしい馬鹿であり、従ってすばらしい教育者なのである。

    戦場のメリークリスマス

    (1983年、シネベンチャー・プロ=大島渚プロ、他) 123分/カラー

    監督:
    大島渚/原作:サー・ロレンス・ヴァン・デル・ポスト/音楽:坂本龍一                   
    出演:
    デビッド・ボウイ(ジャック・セリアズ)、トム・コンティ(ジョン・ロレンス)、坂本龍一(ヨノイ大尉)、ビートたけし(ハラ軍曹)
    内容:
    日本軍捕虜収容所での日英の兵士の絆を描く作品。1942年、ジャワ島山中の捕虜収容所に連れてこられた英兵セリアスは、収容所でかつての戦友ローレンスと再会。監督者である日本人兵とも接していくことになる。
    草舟私見
    各々に真面目で勇気のある人間たちが、その文化の違いゆえに行き違いまた葛藤の揚句にどう和解し合えるかという問題を提起せる映画と感じている。メリー・クリスマスとは人間の浅知恵を離れた、力による真の相互理解の気持ちと状態を現わしている。犠牲的精神による渾身的勇気の人物として英軍のⅮ・ボウイと日本軍の坂本龍一が登場する。そしてこの二人は同じ勇気を文化の違いとして表現している。この二人の真の勇気ある人物は、しかし二人だけでは決して理解し合えることはない。人間の道徳価値観は文化の壁を乗り越えられないのだ。その理解を助ける人物としてロレンス(役名)とたけしがいるのである。この二人は人情家である。善悪を通り越した人としての情というものを持っている。この情だけが文化の壁を乗り越え相互理解を促す原動力であり、その情はまた価値観に生きる者たちをもその感化力で包み込み、その心の触れ合いを可能ならしめているのである。道徳的正義は人の持つ情によって初めて文化の壁を乗り越えるのである。この四人の間は時間と共に相互理解が必ず生まれる。まさにメリー・クリスマスなのだ。俘虜長だけがこの四人と共感し得ぬ役柄である。それは彼の勇気が情から湧き出した勇気ではないからなのだ。文化の壁を乗り越える方法を深く考えさせられる秀作と感じる。 
          

    戦場の郵便配達

    (2006年、フジテレビ) 108分/カラー

    演出:
    田島大輔、大川卓弥/音楽:福島祐子
    出演:
    伊藤淳史(根本正良)、藤竜也(市丸利之助)、手塚理美(市丸スエ子)、勝村政信(松本巌)、伊崎充則(上野重郎)、山根和馬(橘光男)、高崎努(田畑一男)、小野賢章(山田巌)、福井博章(佐藤義男)、鈴木浩介(赤田邦雄)、半海一晃(村上治重)
    内容:
    太平洋戦争末期の硫黄島は最大の激戦地だった。硫黄島守備隊へ命を懸けて手紙を運んだ人間たちの壮絶なドラマを描いた。この時、硫黄島守備隊は全員、死を運命づけられていたのだった。
    草舟私見
    硫黄島は我々日本人の誇りが鎮まっている島である。誇りとはつまり霊魂のことである。そして霊魂とはつまり我々の存在の根本の柱であり、それは我々の存在の全てであるということである。その硫黄島の戦いにおける市丸少将麾下の海軍部隊の魂の物語が本作品である。硫黄島の戦いは小学生以来、私の魂の成長に多大なそして決定的な影響を与えてきた歴史の真実である。守備隊司令官であった陸軍の栗林中将の言葉と行動。バロン西(西中佐)の魂を伝える伝聞。戦死した多くの無名の将兵の魂の雄叫び。それらが私を創り上げてきたのだ。市丸少将は戦闘機乗りであった。そして戦闘機を失っただけでなく、食糧も弾薬も無い飢餓の戦いを戦い抜いた。「戦闘機乗りの真価は戦闘機を失った後、初めて発揮されるのだ」。そう市丸少将は言った。これこそ総司令官栗林中将の心でもあり、硫黄島守備軍がその名を歴史に刻み込んだ精神であったのだ。硫黄島で散った多くの将兵は皆この精神に散り、そして歴史上に生きたのである。私はこの精神を生み出した言葉を小学生以来嚙み締めている。多分死ぬまでそうであろう。

    潜水艦イ-57降伏せず

    (1959年、東宝) 104分/白黒

    監督:
    松林宗恵/原作:川村六良/音楽:團伊玖磨                   
    出演:
    池部良(河本少佐)、三橋達也(志村大尉)、藤田進(横田参謀)、久保明(山野少尉)、平田昭彦(中沢中尉)、アンドリュー・ヒューズ(ベルジェ)
    内容:
    第二次世界大戦末期、沖縄で特攻攻撃を展開していた日本海軍潜水艦イ―57に下った特殊任務。艦長を中心にその任務を遂行していく姿を描いた作品。
    草舟私見
    任務というものの本質を考えさせられる作品である。すべての乗組員に軍人としての忠誠心があり、統制のとれた秀れた潜水艦がイー57である。しかし任務というものを真に遂行するための意志力は、艦長だけしか持っていない。それが艦長の艦長たる理由なのであろう。いい集団ほど皆の心意気を修正しながらまっしぐらに任務を遂行するのがいかに大変であるかがわかる。心意気という人間にとって最も大切なものを責任感でいかにしてコントロールするのかがやはり器量というものであろう。厳しい任務の遂行後に男の心意気が解き放たれ壮烈な戦死をするラストは本当に共感し感動します。
          

    潜水艦ろ号未だ浮上せず

    (1954年、新東宝) 82分/白黒

    監督:
    野村浩将/音楽:服部正                   
    出演:
    藤田進(佐々木艦長)、小笠原弘(永田聴音長)、中山昭二(立花看護長)、丹波哲郎(堀田先任将校)、鈴木信二(岩城砲術長)、西一樹(高橋主計長)、細川俊夫(有坂大尉)、小高まさる(有賀機関士)、浦辺粂子(おちか)
    内容:
    太平洋戦争末期、潜水艦乗組員たちの最後の雄姿を描いた作品。戦争末期となり、初期に活躍していた日本潜水艦も戦争が進むにつれ劣勢となっていく中、ろ号は未だ作戦行動を続ける健在な潜水艦であった。
    草舟私見
    淡々としたいい映画である。英雄主義を描くのではなく、ごく普通の人間たちが使命を全うするために働く姿を活写している。ここには特別勇敢な人間が出てくるわけではない。しかし艦長を中心として乗組員全員が使命のために一丸となり、偉大な人生を完結した姿がある。使命のために乗り越えなければならない葛藤も、ここでは淡々と経過していく。男の世界を私は感じる。真の義務や使命を本当に遂行する人間たちは、真に心の優しい人間たちであることもよくわかる映画である。最後の出撃のときに流れる「我が大君に召されたる——」の音楽、出征兵士を送る歌の場面は強く心に残っている。 

    戦争と人間〔シリーズ〕

    (1970~73年、日活) 合計593分/カラー

    監督:
    山本薩夫/原作:五味川純平/音楽:佐藤勝
    出演:
    滝沢修(伍代由介)、芦田伸介(伍代喬介)、北大路欣也(伍代俊介)、高橋悦史(伍代英介)、浅岡ルリ子(伍代由紀子)、吉永小百合(伍代順子)、高橋幸治(高畠正典)、高橋英樹(陸軍中尉柘植進太郎)、三國連太郎(鴫田駒次郎)、地井武男(徐在林)、石原裕次郎(篠崎書記官)、山本圭(標耕平)、山本学(白永祥)、田村高廣(不破学)、加藤剛(服部医師)、岸田今日子(鴻珊子)、加藤嘉(雨宮公一郎)、夏純子(苫)、藤岡重慶(陸軍大佐板垣征四郎)、栗原小巻(趙瑞芳)、西村晃(狩野市郎)、佐久間良子(狩野温子)、山内明(陸軍中佐石原莞爾)、江原真二郎(灰山浩一)、二谷英明(矢吹樵夫)、南原宏治(陣内志郎)、大滝秀治(劉)
    内容:
    五味川純平の大河小説を原作とし、山本薩夫監督が渾身の力で描いた戦争大作映画。軍国主義に覆われていく昭和三年~十四年までの激動の時代に、新興財閥伍代コンツェルンの命運を中心に描いた一大叙事詩。
    草舟私見
    五味川純平の大文学の映画化である。監督が山本薩夫であるので若干貧乏人と金持の対立の要素が浮き彫りにされ過ぎている嫌いはあるが、原作が原作だけに大変貴重な歴史的大河ドラマとなっている。昭和の軍国主義抬頭前後から日中戦争にかけてのスケールの大きな歴史のうねりを描いている。この時代まではどの国も力がある国ならば、武力による海外進出の覇権を競っていたのである。今流の戦争の善悪論で見ていてはこの映画は何もわからない。戦うことによって人間たちが生きる活路を見出そうとしている時代であり、このような時代は実業家も官僚もみな気宇が大きいですね。国を富まし豊かになろうとする衝動が綺麗事で陰険でなく明るいですね。単刀直入だから人間の心が大らかになって全ての分野で人々が活発で生き生きしています。戦うも男、抵抗するも男、純愛を通すも男、子供っぽい奴も男、ずるい奴も男、敗残者までもが男である。権利と安全と臆病であることが何よりも尊い戦後の感覚を捨てたならば、この映画の登場人物は各々面白い人生を送ったと感ぜられるはずである。生きることが面白かった時代をよく表現していると思う。        
          

    戦争と平和 BOЙHA И MИP

    (1965~67年、ソ連) 424分/カラー

    監督:
    セルゲイ・ボンダルチュク/原作:レフ・トルストイ/音楽:ビャチェスラフ・オフチンニコフ/受賞:アカデミー賞 外国語映画賞
    出演:
    セルゲイ・ボンダルチュク(ピエール・ベズーホフ)、リュドミラ・サベーリエワ(ナターシャ・ロストワ)、ビャチェスラフ・チノーホフ(アンドレイ・ボルコンスキー)、ウラジスラフ・ストルジェリチフ(ナポレオン・ボナパルト)
    内容:
    ロシアの文豪トルストイがナポレオンのモスクワ遠征に立ち向かうロシアを壮大に描いた原作を映画化。ソ連が国家の威信を懸けて製作、映画史上最大の作品となった。
    草舟私見
    トルストイの名作の映画化であり、ロシア文学の映画化の中ででき映え上秀眉の一作と感じる。トルストイの言わんとすることは戦争が平和の有難さを認識せしめ、平和に馴れ親しんで我欲だけになった人間の心が戦争を生ぜしめるということである。不幸が幸福を感ぜしめ、幸福の緩みが不幸を生む。苦は楽の元でありまた楽の中に苦の芽があるのだということである。その人生の哲理を壮大な文学に仕立て、芸術的映像に写し換えたものが本作品であると言えよう。その深い思想性とあいまって、心に残る映像芸術と感じている。ナターシャ役のリュドミラ・サベーリエワのロシア的美しさが忘れられない。ロシアの持つ哀しさと文化が生み出した美貌と言えよう。またナポレオンのグランダルメ(大軍)のカッコ良さがロシアの大地との対比によって浮彫りにされている。本作品における大軍は映画史上最高のものの一つと感じている。この西欧の力とロシアの持つ根強い文化との対決は実に見事であり、手に汗を握り、一生涯忘れ得ぬ印象を与えてくれる。

    戦争と冒険 YOUG WINSTON

    (1972年、英) 141分/カラー

    監督:
    リチャード・アッテンボロー/原作:サー・ウィンストン・チャーチル/音楽:アルフレッド・ラルストン
    出演:
    ロバート・ショウ(ランドルフ・チャーチル)、アン・バンクロフト(ジェニー)、サイモン・ウォード(ウィンストン・チャーチル)
    内容:
    イギリスの政治家チャーチルの自伝『わが半生』を映画化した作品。あくなき冒険心で戦場を駆け巡った青年時代を経て、政治家としての第一歩を踏み出すまでを描く。
    草舟私見
    サー・ウィンストン・チャーチルの若き日の物語であり、実に痛快な面白い作品である。アングロ・サクソン的偉大さを良く理解できる。何かをやり抜く人間の性格がいかなるものであるかも考えさせられる。何よりも大切なものは、やはり自分の運命というものを信じている明るさであろう。その信仰が全てを底辺で支えている。だから人が良くて馬鹿で面白いのである。面白い男だから運命が微笑みかけてくれる。面白い男だから真の強さを持ち続けられるのだ。家族の絆も見どころである。父親が良いですね。旧い父であり、日本にも多く見られた父親像です。両親とも真の愛情を持つ人物たちです。最後にアンソニー・ホプキンス扮するロイド・ジョージが若きチャーチルに、「君は幼稚で、巣立たんかもしれんが、しかし何かがある」という場面があるが、これが真に伸びる若者の魅力なのだと感ぜられる。他者に評価を受けるよりも、そう感じさせるものが大切であると思える。

    戦争の嵐〔シリーズ〕 THE WINDS OF WAR

    (1983年、米) 合計450分/カラー

    監督:
    ダン・カーティス、他/原作:ハーマン・ウォーク/音楽:ボブ・コバート
    出演:
    ロバート・ミッチャム(ヴィクター・ヘンリー海軍大佐)、ジャン・マイケル・ヴィンセント(バイロン・ヘンリー)、ラルフ・ベラミー(ルーズベルト大統領)
    内容:
    第二次世界大戦が始まる1939年のヨーロッパから1941年の日本軍の真珠湾奇襲までの出来事を、アメリカ海軍将校一家を中心とした人間模様で描いていく。
    草舟私見
    ロバート・ミッチャム扮する米海軍大佐ヴィクター・ヘンリーとその一家を中心として、第二次大戦と太平洋戦争へと突入していく激動の時代を実に動的に捉えた名画であると感じている。時代に翻弄されていく人間たちの心の動きが良く描かれており、事実の進行過程の捉え方も秀れている。主人公が米人なので当然米中心ではあるが、歴史と人生の関係を克明に描く描写はすばらしい。歴史のうねりは、どんなに秀れた人物でも誰にも予測がつかないものなのだとわかる。結果論は誰にもわかり予測は誰にもつかないのが真実であり、それを良く示している。そしてその流れに勝つ人もおり負ける人もいる。それが能力の問題でなく姿勢の問題だとわかるのだ。勝つ人はその流れを受け入れる姿勢があり、負ける人は逃げようとばかりしているのである。ヘンリー大佐の勇気を秘めた淡々とした生き方が最大の魅力であり、また最も強い生き方なのだ。彼は強固な個性と信念を持つが自我が無い、それが全てに対応できる理由なのだ。

    戦争のはらわた CROSS OF IRON

    (1977年、米) 128分/カラー

    監督:
    サム・ペキンパー/原作:ヴィリ・ハインリッヒ/音楽:アーネスト・ゴールド
    出演:
    ジェームズ・コバーン(スタイナー)、マクシミリアン・シェル(ストランスキー)
    内容:
    ロシア戦線におけるドイツ兵士に男の理想を求めたペキンパー監督の渾身の力作。連戦連勝を続けたドイツ軍はロシア戦線で初めて敗北を喫し、それをきっかけにドイツ軍は撤退を続けていた。
    草舟私見
    主人公のスタイナー軍曹を演じるジェームズ・コバーンの名演技が心に残る秀作と感じる。スタイナー軍曹の人間性をどう観るかが重要な作品である。戦いに強いが反抗的と捉えるのが普通だと思う。しかし反抗的な人間は戦いには弱いのが戦争の根本哲理なのである。私は映画に描かれる軍曹は、敗走するドイツ軍の中に位置していることに着目する。軍が敗けても自分は絶対に負けない男が軍曹であると感じる。それが敗走する軍の中での反抗的言動となっているのである。軍の秩序がしっかりとしていたとき、スタイナーは模範的な下士官であったと推測する。その証左として彼の叙勲の数とその種類が挙げられる。スタイナーが保持する勲章は絶対的忠誠心と勇気とを兼ね備えた者にしか叙せられぬものなのだ。軍の勝敗によって最も有能な者がどうその存在を変容していくのかがわかると、実に面白い作品なのである。軍が命の男が軍曹なのである。

    セントラル・ステーション CENTRAL STATION

    (1998年、ブラジル) 110分/カラー

    監督:
    ヴァルテル・サレス/音楽:アントニオ・ピント、ジャキス・モレレンバウム/受賞:ベルリン映画祭 金熊賞・銀熊賞・エキュメニカル審査員賞
    出演:
    フェルナンダ・モンテネグロ(ドーラ)、ヴィニシウス・デ・オリヴェイラ(ジョズエ)
    内容:
    ブラジル、リオ・デ・ジャネイロの中央駅で、字の書けない人のための手紙の代筆業をする初老の女ドーラが、身寄りを無くした九歳の少年ジョズエの父親探しに付き合うことになり友情が芽生えていく物語。
    草舟私見
    真実の人間のあり方を活写しており、その迫力において抜きん出た名画だと感じている。真実の人間とはつまり強さと弱さを持ち、優しさと残酷さを持ち、信じる心と疑う心を持ち、そして泣き笑う人生を送る人間である。この作品には現代日本流の善意や善人は登場しない。みんな始めは仲が悪いが、「情」が通じてくるに従ってだんだんと心が通い合う当たり前の人間ばかりが出てくる。だから観ていて気持ちが良い。今の日本では始めは良くて、だんだん仲が悪くなるという関係が多い。本当の人間の関係は昔から逆なのだ。ブラジルの素朴(それにしてもブラジルの田舎は最高にいい)な人間において、この真の人間の関係を見ることができ、それによって本当に心が洗われるのである。主人公のジョズエ少年も始めは正直言って全然かわいくない。日本の感覚ではこの子は「受け」が悪いであろうが、しかしこれが本当の「子供」なのである。昔から子供は長い時間をかけて慣れるまで、本当に疑い深くて臆病なものなのだ。この少年のような子が真に子供らしい子なのである。情は徐々に感じてくるものなのだ。ドーラもすごく良い。日本流の善人なんかじゃ全然ない。凄く人間的だが、決して「心の優しい」善意の人なんかではない。しかしこういう人が本当にいい人なのだ。私はこういう人が好きである。

    善人の条件

    (1989年、松竹) 123分/カラー

    監督・原作:
    ジェームズ三木/音楽:羽田健太郎
    出演:
    津川雅彦(牧原芳彦)、小川真由美(牧原房子)、すまけい(綱島五郎)、山岡久乃(清川いさ子)、小林稔侍(服部通夫)、橋爪功(藤原良策)、柳生博(進藤保)、野際陽子(園田キクエ)、丹波哲郎(蟻田恒男)
    内容:
    地方選挙戦を通してその舞台裏、票獲得のメカニズムを人間の欲望、エゴをテーマに描いていた作品。TV界で活躍する脚本家ジェームズ三木の監督デビュー作。
    草舟私見
    選挙というものの実体を描いてはこの作品の右に出るものがないほど面白い作品である。民主主義の本質は選挙制度にあるわけで、選挙の本質はかくのごとくの感がある。金権選挙と言われるが選挙は金だけの問題ではない。そもそも立候補の制度に問題がある。元来出たがりで自分から名乗り出る人間など、ろくな者はおらんのである。本作品は金の問題を通じて選挙と民主主義の批判になっているのである。民主主義の利点は作品中でも言われるように、全員で下らない人間になって、その代償として腑抜けの平和ボケの状態を続けることだけなのである。主人公に表わされるように民主主義は元々空想的綺麗事を並べ立てる主義だからその反動としての腐敗が必然的に表われるのである。現実とはけじめが一番重要なのである。その意味においては、私は作品中では山岡久乃が演じる母親の態度が一番好きであり、正しいと感じる。やはりそれなりに社会に貢献してきた人物であると思う。また津川雅彦(主人公)の家庭については、選挙は関係なく、元々崩壊しており家族ではないと思っている。綺麗事の民主的家庭の典型と考える。        
  • 続・拝啓天皇陛下様

    (1964年、松竹) 94分/カラー

    監督:
    野村芳太郎/原作:棟田博/音楽:芥川也寸志
    出演:
    渥美清(山口善助)、久我美子(久留宮ヤエノ)、小沢昭一(王万林)、宮城まり子(恵子)、佐田啓二(久留宮良介)、岩下志麻(女子先生)、勝呂誉(高見一等兵)
    内容:
    太平洋戦争の戦中戦後を背景に、純心な男の愛情を描いた作品。主人公は何よりも天皇陛下を尊崇し、敗戦後は泣く泣く本土へ復員する。そして純心な心のままに、戦後の混乱期を生きていく。
    草舟私見
    一時代前の日本の姿を非常によく描き切っている作品であると感じている。戦前の貧しかった日本で貧しい家に生まれ、戦争に行き、戦後の動乱を強く生き抜いた人間の姿が浮き彫りにされており、深く心に残る映画である。私がまだ子供の頃の強い記憶と結び付いて、本作品の描写力は迫真にせまるもの凄いものがあると感じ入った。渥美清の名演もさることながら、当時の日本のごく普通の社会をその本質的なところまで喰い込んで描き切っている。渥美清が演じている主人公というのは、昭和30年代半ばまでは日本中の至るところにいた。私は子供の頃、このてのおじさんとは随分と遊んだものだ。みんな教育も無く馬鹿丸出しに子供の頃の私には見えたが、どのおじさんもみんな面白い人ばかりであった。馬鹿げたことばかりしでかすのだが、みんな筋道が通っているのだ。その人物各人にみんな筋があり、その人独特の人生があるのだ。それを子供心にも感じさせられたのである。こういう人物は本当に全くいなくなってしまった。日本は何かを失ったのである。それを考えさせられる映画であった。 
          

    その男、凶暴につき

    (1989年、松竹) 103分/カラー

    監督:
    北野武/音楽:久米大作              
    出演:
    ビートたけし(我妻)、白竜(清弘)、芦川誠(岩城)、岸部一徳(仁藤)、川上麻衣子(あかり)
    内容:
    はみだし者の刑事が友のため、世間の悪に立ち向かう話。主人公は内に秘めた暴力性で誰からも理解されず、唯一の友も覚醒剤事件に巻き込まれ死んでしまう。その事件を解明すべく、一人で犯罪組織と立ち向かう。
    草舟私見
    悪の概念を狂暴という事柄に集約して表現する作品と感じる。悪とどう対面し対処すべきであるかを考えさせられる作品である。悪を見たとき、その悪の理不尽さに人間は憤激する。そして自ら同様の者となる場合と見て見ぬ振りをして自己の保身だけ考える者となる場合があり、またその悪を利用して自分がその上前をはねようとする者になる場合がある。その三者が我妻刑事、署長、岩城刑事と新米刑事に代表して描かれている。この三型体は全部人間としては駄目である。全てが悪に呑み込まれているのである。呑み込まれれば全て悲劇的である。本作品は心の準備なく悪をのぞき込む危険を主題としているものであると感じる。そしてどう対応していくのかを我々に投げかけるものである。私は悪に対して逃げず最も正しく強い人間は、秩序と伝統と情愛を日々心に育てている人間だと信じている。日々育てることによって初めて呑み込まれぬ人間になるのだ。

    その男ゾルバ ZORBA THE GREEK

    (1964年、米=ギリシャ) 142分/白黒

    監督:
    マイケル・カコヤニス/原作:ニコス・カザンザキス/音楽:ミキス・テオドラキス/受賞:アカデミー賞 助演女優賞・撮影賞・美術監督装置賞
    出演:
    アンソニー・クイン(ゾルバ)、アラン・ベイツ(バジル)、イレーネ・パパス(未亡人)、リラ・ケドロワ(マダム・オルタンス)
    内容:
    父親の遺産の炭坑を再開発しようとギリシャへやってきた英国人のバジルは、ギリシャ人のゾルバと出会う。この性格の全く異なる二人の男が友情を育み、強い信頼関係を結んでいく物語。
    草舟私見
    すばらしい映像ですね。まるでエイゼンシュタインを思い出すような、まさに白黒映画の醍醐味を味わわせてくれます。ギリシャ人のゾルバという男を演じているアンソニー・クインの名演が特に光り輝く作品です。この人物の生き方はやはり、人間の生き方の基本の中の基本であると思いますね。この生き方があって初めて、それ以外の全ての価値観が活きてくるのだと感じます。この人生を楽しむ姿勢がなければ一体何の人生なのですか。でもね、この人生を徹底的に楽しんで生きようとしているゾルバね、深い哀しみを背負っていますね。そしてそれを全て乗り越えています。だからこの男は楽しくていい男なんですよ。クレタ島の人々は皆んな正直に生きています。善も悪も関係なく正直なんです。この正直さが人間の心を育むんですよ。正しい心、楽しい心はね、正しくて楽しいことを教えようとすれば駄目になるんです。正直に生きる人間を見るとき、子供たちはその錯綜した事柄の中で悩みながら、豊かな心を得ていくのだと感じられる作品です。

    SOLACE( ソリス )(慰め) SOLACE

    (2015年、米) 101分/カラー

    監督:
    アフォンソ・ポヤルト/音楽:BT
    出演:
    アンソニー・ホプキンス(ジョン)、コリン・ファレル(チャールズ)、アビー・コーニッシュ(キャサリン)、ジェフリー・ディーン・モーガン(ジョー)、ジョーダン・ウッズ=ロビンソン(ジェフリー)、マーリー・シェルトン(ローラ)
    内容:
    連続殺人事件を追って、FBI捜査官がある特殊能力を持つ友人の医者を頼る。物体に触れると過去と未来を見通すことができる能力を持つ医者は、犯人も同じ能力を持つ者だということに気づく。
    草舟私見
    愛の本源を問う作品と言えるだろう。真の愛は綺麗事ではないのだ。それは、生きるか死ぬかの煩悶を人に強いるものである。愛だけが、人間の心と脳力を活かしめることができる。しかし愛はまた、人間の心を萎縮させ截断することもできる。脳力とは、愛が生み出した雄叫びに違いない。その苦悩の姿が、画面に繰り広げられていく。苦悩が、この世に正義をもたらしているのだ。苦悩のない人間には、正義もまたない。主演のアンソニー・ホプキンスとアビー・コーニッシュの名演がずば抜けた光を放っている。二人の名演によって、この映画は類希な名画となっている。この作品は、愛による人間の予知能力を扱っている。この映画の画面そのものを私も経験しているように思えるのだ。私が小学生で、死を乗り越えた頃の出会いを彷彿させる。ホプキンスの中に命の恩人だった治療家 野口晴哉先生を、コーニッシュの中に私の出会った最も美しい先生だったマーサ・ボーマン先生の面影がはっきりと見えるのである。それはほとんど同一と呼んでもいいような体験を、私はこの作品に味わった。

    ソルジャー・ブルー SOLDIER BLUE

    (1970年、米) 115分/カラー

    監督:
    ララウフ・ネルソン/原作:セオドア・V・オルソン/音楽:ロイ・パッド
    出演:
    キャンディス・バーゲン(クレスタ・M・リーン)、ピーター・ストラウス(ホーナス・ガント)、ジョン・アンダーソン(アイヴァーソン大佐)、ジョージ・リベロ(シャイアン族族長まだら狼)
    内容:
    1860年代のアメリカ、実際に起きた騎兵隊によるインディアン虐殺事件を一人の女性と若い騎兵隊員の視点から描いた作品。
    草舟私見
    ソルジャー・ブルーとは、インディアンの側から見た合衆国軍隊に対する呼称である。その制服が青いことからくる呼び名である。つまり本作品は、インディアンの側から見た西部開拓の姿を描いているということである。このような観点からのアメリカ史を知ることは、アメリカの本質を知る上で極めて重要である。いくつかの作品があるが、その中でも本作品は重要な秀作であると考えられる。文化の対立というものが、いかに人間に憎悪を植え付けるものであるのかがよくわかる作品である。文化が人間の人間たる原因である。そして同時にそれが人間の対立の原因ともなる。一方に隷属的に同化すれば争いは起こらない。闘いとは何か、平和とは何かをその根底から考えさせられる作品と言える。キャンディス・バーゲンの名演が忘れられぬ名画となっている。

    それからの武蔵 〔テレビシリーズ〕

    (1981年、テレビ東京) 合計585分/カラー

    監督:
    沢島正継、大洲齋、松島稔/原作:小山勝清/音楽:木下忠司
    出演:
    萬屋錦之介(宮本武蔵)、中村嘉葎雄(田原森都)、島英津夫(伊織)、内藤武敏(長岡佐渡)、加藤嘉(大淵和尚)、梶芽衣子(由利姫)、辰巳柳太郎(丸目蔵人佐)
    内容:
    稀代の剣豪、宮本武蔵。数々の死闘を繰り返し、生涯無敵だったと言われる武蔵の波瀾の人生のうち、巌流島で佐々木小次郎を破った後の姿を描いた作品。
    草舟私見
    晩年の宮本武蔵の魅力というものは、道を志し、道を生き切ろうとする人間にとって、いつの世も範と成すべきものであろう。私が知る限り、その魅力を演じ切れる俳優の最後の者が萬屋錦之介であろう。その錦之介演じる武蔵の巌流島の決闘以降、死に至るまでの晩年の姿を描いた作品が本映画である。この作品群の中においても、また最終巻に近づくほど武蔵の魅力が光ってくるのだから、武蔵の生き方というものは実に大したものである。現代人などはとても真似できるものではないが、少なくとも、我々の先祖の一つの生き方として、いつでも友人のように、または家族のごとくに自分の人生の横に武蔵を置いて、絶えず対話をしながら生きてゆくことは有益なことであろう。私は武蔵を、心の底から好きだから、そのゆえであろうか、最晩年の武蔵直筆の書幅と巡り会い、その所有者となっている。その書が書かれ伝えられ、そして私のところへきた理由を私はこの作品によって知ることができたのである。そのような意味において、私はこの作品で本当に武蔵と対面した実感を得たのである。

    それでも夜は明ける 12 Years a Slave

    (2013年、米=英) 134分/カラー

    監督:
    スティーヴ・マックイーン/原作:ソロモン・ノーサップ/音楽:ハンス・ジマー
    出演:
    キウェテル・イジョフォー(ソロモン・ノーサップ)、マイケル・ファスベンダー(エドウィン・エップス)、ベネディクト・カンバーバッチ(ウィリアム・フォード)、ポール・ダノ(ジョン・デイビッツ)、ポール・ジアマッティ(セオフィラス・フリーマン)
    内容:
    19世紀のアメリカ。自由黒人だった男が、騙されて奴隷として売られた。実話を基にした12年間の奴隷生活を綴った名作の映画化
    草舟私見
    現代まで、その病根を引きずるアメリカの悪徳がよく伝えられている。アメリカという国が、どうやって発展して来たのか。本作品は、その根源悪を活写しているのだ。奴隷制の話はよく映画にもなるが、このような実話が持つ迫力を備えるものは少ない。奴隷制の中に、実はアメリカ合衆国という国家の本質がある。アメリカを一言で表現すれば、それは人種差別のエネルギーによって発展した国だということに尽きるだろう。それは現代の「いま」をも覆う真実なのだ。アメリカの世界戦略は、その根源を「人種差別という思想」に支えられて来たのである。アメリカは、人種差別のゆえに世界最強の文明を築いた。そして、そのエネルギーの衰えとともに国家もまた衰退を始めたと言ってもいいだろう。そのアメリカが持つ根源悪が、我々の魂に迫る。実話の伝える真実が、改めてアメリカの歴史を見直させるのだ。本作品に涙を流さぬ者は、物質文明を心底から信じている者に違いない。「物質の正義」に冒されている者に、その本質を気付かせる作品である。
  • 大往生〔テレビシリーズ〕

    (1997年、NHK) 合計270分/カラー

    監督:
    深町幸男/原作:永六輔/音楽:福井峻                   
    出演:
    森繫久彌(中山晴吉)、植木等(岡島基清)、大滝秀治(結城杢造)、内海桂子(殿村末代)、淡路恵子(河田倉江)、柄本明(中山友康)、竹下景子(中山郁子)、藤岡琢也(浜中常道)、三崎千恵子(吉川玉枝)、持田真樹(中山奈々実)、姿晴香(中山富子)
    内容:
    永六輔の同名ベストセラーをテレビドラマ化した作品。老齢期に差し掛かった人々の直面する様々な問題を通して、生と死、そして、老いていくとはどういう事なのかを問いかける。
    草舟私見
    良く老いるとはいかに大変な事柄であるのか。良き老後を送るとはいかに大変な事柄であるのか。また良く死ぬとはいかに大変な事柄であるのか。そのことが本当によく描かれていて、かつそれを面白く観ることのできる名作であると感じている。良く老いるには仕事がいかに大切であるのか。友がいかに大切であるのか。家族がいかに大切であるのか。文化というものを身に付けていくことがいかに大切であるのか。それらの事柄が強く心に沁み込む作品となっている。人間は皆、自分勝手に生きている。しかし皆、どこかで助け合っている。お互いがお互いを勝手の中にあってもなおかつ心の深いところで意識し合って、そして少しだけの思いやりと少しだけの親切と少しだけの気遣いをしていくことだけが、人生を積み上げ良い老いを迎えられる人間となることではないのか。森繁の何とも言えぬ、しみじみとした情感溢れる演技がこの「老い」という本当に人間の人生にとって大きな課題を、実によく描き切っていると言える。森繁っていうのは本当にいい。私は心底感心する。          

    第九軍団の鷲 THE EAGLE

    (2011年、英=米)  113分/カラー

    監督:
    ケヴィン・マクドナルド/原作:ローズマリー・サトクリフ/音楽:アトリ・オーヴァーソン
    出演:
    チャニング・テイタム(マーカス)、ジェイミー・ベル(エスカ)、ドナルド・サザーランド(伯父アクイラ)、マーク・ストロング(ゲルン)
    内容:
    スコットランドへ侵攻したローマ帝国第九軍団の兵士五千名が、霧の中で忽然と姿を消した。この歴史的な謎を描いた原作を元に映像化した作品。
    草舟私見
    ローマ帝国の属領であった頃の、ブリタニア(英国)の物語である。そして、そこは「辺境」と呼ばれた地域であった。言い換えれば、文明と野蛮が交錯する地である。古代文明は、その境に長城を建設した。だから、その交錯が何よりもわかり易い形となっている。そこに繰り広げられる物語は、愛と友情、信義と裏切り、勇気と恐れ、そして何よりも崇高と卑俗と言えよう。つまり、人間の「精神」。それが人類史を貫く唯一の「真実」なのだということが、この「辺境」ほどわかり易いところはない。そのような人間の心の葛藤と優しさをこの映画の中に見出さねばならぬ。ローマは文明であり、スコットランドは未開野蛮の地であった。しかし、人間のもつ「精神」には、多くの共通性が見出される。その精神は、道徳を立て、文学を創り芸術を生み出すものとなった。そして何よりも宗教そのものであろう。精神を代表する物が、「旗印」(ここでは鷲)であった。文明も野蛮も、それを何よりも重要視している。もちろん自分たちの命よりもである。旗印とは価値観の別名なのだ。そして現代、その思いは失われつつある。今、我々は文明も野蛮も失っているのだ。では、我々とは何か。

    第五福竜丸

    (1959年、近代映画協会=新世紀映画) 115分/白黒

    監督:
    新藤兼人/音楽:林光
    出演:
    宇野重吉(久保山愛吉)、乙羽信子(シズ)、稲葉義男(魚漁長)、殿山泰司(助役)、左右田一平(乗組員)
    内容:
    1954年に実際に起きた第五福竜丸事件を映画化した作品。この年、アメリカは世界世論の反対を強引に押し切り、水爆の核実験をビキニ環礁で行う。
    草舟私見
    1954年、日本のまぐろ漁船第五福竜丸が、ビキニ環礁で行なわれた米国による無警告の水爆実験のために被爆した。この事件は、我々日本人が永く記憶に留めておかなければならぬ事件である。私は四歳であったが、大人たちの会話をもとに自分なりに考え、非常に強い憤りを感じていたことを記憶している。その記憶の薄れる前に観た映画であり、私は強い感銘を受けた。20世紀の中葉以後、米国の行ないには目を覆うばかりの破廉恥な行状が多い。他国のことばかり批判して人権だの人道だの言っているが、原水爆の実験一つとって見ても米国は他国を圧倒する回数である。そしてなおかつ恬として恥じない。物事の本質を考える場合、その原点となる事件を研究する必要がある。時間が経てば理屈によって誤魔化されてしまうからである。そのためにも広島・長崎に言うにおよばず、この第五福竜丸の事件も永く忘れてはならぬものなのである。私にとって第五福竜丸は親なのである。親の苦労や悲しみを忘れぬことが、子としての生き方なのだと感じている。本作品には他にも個人的な感慨が強いものがある。それは彼らが入院していた旧国立東京第一病院である。この事件の二年後に私は大病で半年間この病院に入院していた。今は無い第一病院の実物が縦横に登場することも、この作品を好きな理由の一つである。もう懐かしくて懐かしくて仕方がない。この入院中の記憶は特に鮮明であって、何から何までが懐かしくて涙が出るのだ。お袋がベッドの側で半年間付き添ってくれたときに寝ていた固い木の椅子まで出てくる。毎日毎日痛い思いをしたが、私にとってこの半年間は何にも換え難い楽しい思い出なのである。威厳のある病院だった。凄い医者が揃っている病院であった。尊敬すべき看護婦たちが多くいる病院であった。つまり日本は貧しかったが、病院は偉大であり、時代もまた偉大だったのである。そして私は看護婦さんから随分とこの第五福竜丸の人たちのことを聴かされた。私にとっては他人事ではないのだ。        

    第三の男 THE THIRD MAN

    (1949年、英) 120分/白黒

    監督:
    キャロル・リード/原作:グレアム・グリーン/音楽:アントン・カラス/撮影:ロバート・クラスカー/受賞:カンヌ映画祭 審査員特別大賞、アカデミー賞 撮影賞
    出演:
    ジョゼフ・コットン(作家マーチンス)、オーソン・ウェルズ(ハリー・ライム)、アリダ・ヴァリ(女優アンナ)、トレヴァー・ハワード(英国キャロウェイ少佐)
    内容:
    名匠C・リードのサスペンス映画の傑作。米英仏ソ四カ国の管理下に置かれた第二次大戦直後のウィーン。米国の作家マーチンスが親友のハリーに招かれこの街にやってくる。
    草舟私見
    不思議で物凄い情緒を醸し出している作品と感じる。チターで演奏される一度聴いたら忘れられぬ名曲に乗って、何とすばらしい白黒の明暗の映像であるか。映画の内容などは印象に残らぬ程の、鮮烈な印象を心に残す名画である。映像芸術というものが持つ、それだけで人の心を動かし、人の人生に影響を与える一つの典型を本作品で感じた。人間の心には多くの事柄が内包され、人は様々な人生を歩むのだということを子供心に知った映画である。人の心には立ち入れぬものがある。それが古い形の人生観であり、それを何とか突き破って人の心がわかりたいという切なる願いがアメリカ的な文明なのではないか。子供心にそう感じた。ラストシーンのアンナが一人並木道を歩ききたってまた去っていくところをジョゼフ・コットン扮するマーチンスがじっと見詰めている場面は一生忘れられません。実にカッコ良いです。複雑怪奇なこの世をスマートに生きるための重要な情感を強く感じた。

    大将軍 THE WAR LORD

    (1965年、米) 121分/カラー

    監督:
    フランクリン・J・シャフナー/原作:レスリー・スティーヴンス/音楽:ジョージ・ガーシェンソン
    出演:
    チャールトン・ヘストン(クリセゴン・デラクルー)、リチャード・ブーン(ボース)、ガイ・ストックウェル(ドラコ・デラクルー) 
    内容:
    群雄割拠する十一世紀の欧州で辺境の領主となった将軍が村の娘を見初めたことから起きる悲劇を描いた作品。
    草舟私見
    本作品はその歴史的な事柄において非常に価値を有すると感じている。西暦千年代のヨーロッパが完成する直前の状況を良く考証的に表わしている。キリスト教の浸透度、封建制の完成度、ヨーロッパの底流を成す思想の温存度などが見どころである。ヨーロッパが生まれる前の原初的な西欧人のあり方が面白い。またその歴史的な流れが日本の歴史とそっくりなことに気づけば大きな収穫と思われる。人間模様ではリチャード・ブーン扮するボースが良いですね。封建的で旧い型の日本人と同じですね。共感します。将軍クリセゴンはいただけない。魔の差した中年です。苦労し過ぎたのですね。同情します。ただ将軍の心の内部だけは史実ではなく現代人の創作ですね。考え方が全部民主主義的です。愛情の捉え方も現代の恋愛思想です。この時代にはこの心はありません。そこのところをわかって観ると、非常に面白い映画なのです。

    タイタニックの最期 TITANIC

    (1953年、米) 98分/白黒

    監督:
    ジーン・ネグレスコ/音楽:ソル・カプラン/受賞:アカデミー賞 脚本賞
    出演:
    クリフトン・ウエップ(リチャード・スタージェス)、バーバラ・スタンウィック(ジュリア・スタージェス)、ロバート・ワグナー(ギフ・ロジャース)
    内容:
    1912年4月10日、処女航海で沈没した豪華客船タイタニック号の悲劇を背景に、冷め切った中年夫婦を通して愛と別離を描いた作品。
    草舟私見
    本作品での役柄はあまり気に入らないが、主演のバーバラ・スタンウィックは私の長年大好きな女優である。クリフトン・ウエッブ扮するリチャード・スタージェスの生き方が興味深い。上流の生活を演じ切った男と感じられるが、やはり何が何でもやり通すということの凄さを感じさせる。好き嫌いは別として、一つの様式を生き切るとは勇気のある人物にしかできないのだとわかる。その辺のところを妻は全く理解できないようであるが、タイタニックの最期のあの男らしい行動によって初めて理解する。リチャードは元々男らしい男なのだ。そう見えない生き方を生き切ることは勇気のいることなのだ。最後にその勇気が全ての人にわかる型で示されたに過ぎないのだ。要は貫く人間は全て勇気の人なのである。最後にこの災害を通してこの家族が本当にわかり合えたことは心から嬉しい。

    タイタンズを忘れない REMEMBER THE TITANS

    (2001年、米) 114分/カラー

    監督:
    ボアズ・イエーキン/原作:グレゴリー・A・ハワード/音楽:トレバー・ラビン
    出演:
    デンゼル・ワシントン(ハーマン・ブーン)、ウィル・パットン(ビル・ヨースト)、ライアン・ハースト(ゲリー・バーティア)、キップ・パルデュー(ロニー・バス)
    内容:
    アメリカに根強く存在している人種の壁の破壊が始まった1971年。黒人と白人の高校が一つに統合され、その高校のフットボールチームが、確執や憎悪を乗り越え快進撃を始める日々を描く。
    草舟私見
    実話に基づく作品特有の、深く心の奥に何ものかが刻み込まれるような良い映画であると感じている。戦いというものが持つ、本当に尊いもの高貴なるものを感じさせてくれる作品である。戦いだけが人間の持つあらゆる偏見や憎悪や感情の対立というものを、本当の意味で中和していく働きがあるのだということが、実に見事に描かれていると私は思うのです。映画の舞台は1960年代の米国南部です。この時代この国のこの地域で白人と黒人の人種差別を乗り越えるということは、想像を絶するような困難な事柄であったのです。言うは易し行なうは難しという事柄であり、歴史的感情であるだけに理性だけでは測れぬものがあったのです。しかしそれをやり遂げた、実在の高校フットボールチームがあったということに私は強い感動を覚えます。「我々チームには大きな壁がある。だから強いんだ。」という監督の言葉は、真に人生を生き切っている者にしかわからぬ言葉である。私は涙を感じるのである。人間の中に深く根差した感情の対立は、本当の戦いを共に戦い抜いて、汗と血と涙の中でしかわかり合えぬものがあるのだ。戦いは愛なのである。

    タイタンの逆襲 WRATH OF THE TITANS

    (2012年、米=英) 99分/カラー

    監督:
    ジョナサン・リーベスマン/音楽:ハビエル・ナバレテ
    出演:
    サム・ワーシントン(ペルセウス)、ロザムンド・パイク(アンドロメダ王妃)、リーアム・ニーソン(ゼウス)、レイフ・ファインズ(ハデス)、エドガ-・ラミレス(アレス)、トビー・ケベル(アゲノール)
    内容:
    前作「タイタンの戦い」に続く、ギリシャ神話の英雄ペルセウスの活躍を描いた作品。ゼウスはペルセウスの強さを見込み、助力を乞うが平穏な生活を送りたいペルセウスは断る。後に怪物が現われ、ついにペルセウスも戦いへ向かう。
    草舟私見
    ギリシャ神話は、人類の誕生と、その滅亡を司る神々の物語と言っても良い。つまり、この神話の中に、人類というものが抱えている運命が暗示されているのだ。人類は、その誕生以来、いつの日も滅亡の危機に臨み続け、それを克服し続けて今日まできた。いま我々は、それを忘れているのではないか。人類にはいつでも破滅の危機が迫っている。我々はそれと隣り合わせで生きてきたのだ。そして、それを乗り越えるものは何か。その方法がギリシャ神話と、その思想を根源のひとつにもつキリスト教的終末論に承け継がれたのである。この勇者ペルセウスと、王妃アンドロメダの物語は、人類の破滅と救い、そして何よりも復活の物語と言えよう。神馬ペガサスを駆るペルセウスの中に、我々は人間として、どう生きなければならぬのかが示されているのだ。そして、アンドロメダを慕い、その忍ぶ恋に生きなければならぬ。この人間の運命を暗示する物語の中に、私は何よりも人間の「崇高」を見出しているのだ。

    タイタンの戦い CLASH OF THE TITANS

    (2010年、米=英) 106分/カラー

    監督:
    ルイ・レテリエ/音楽:クレイグ・アームストロング、マッシヴ・アタック
    出演:
    サム・ワーシントン(ペルセウス)、アレクサ・タヴァロス(アンドロメダ王女)、リーアム・ニーソン(ゼウス)、レイフ・ファインズ(ハデス)、ジェマ・アータートン(イオ)、ジェイソン・フレミング(カリボス)
    内容:
    ギリシャ神話の英雄ペルセウスの活躍を描いた作品。ゼウスを頂点として神々が君臨するギリシャ。その中でペルセウスは神と戦うことのできる唯一の人間であった。
    草舟私見
    ギリシャ神話の夢が、現代に降り注いでくる。あの英雄ペルセウスと王女アンドロメダの物語である。聖剣とペガサスがもたらす「正義」は、現代の我々の精神を奮い起こす力がある。この神話は、人間のもつ生命の尊厳と、それを破壊する自然力との相克と葛藤が描かれているのだ。我々の生命は、勇気と信仰の中に育まれる。自己の生命を、安全で保証されたものにしようとするとき、人間は悪霊にその魂を売り渡す。その神話がメデューサとの戦いを生む。我々は、自己に与えられた生命そのものを愛さなければならない。それは勇気のいることなのである。しかし、それによって我々は、人間だけに与えられている「高貴性」を取り戻すことができるのだ。アンドロメダに対する、ペルセウスの「愛」こそが、真に人間的な愛と言えるだろう。この物語は、後に、人間の文明にキリスト教をもたらした淵源のひとつになったのではないか。この愛はギリシャ的ではない。自己を滅却したキリスト教的な愛の原型が見えるのである。キリスト教のもつ現代への伝言の片鱗が、このギリシャ神話の中にその萌芽として見られるのだ。

    大地と自由 (別題「ランド・アンド・フリーダム」) LAND AND FREEDOM

    (1995年、英=独=スペイン) 110分/カラー

    監督:
    ケン・ローチ/音楽:ジョージ・フェントン
    出演:
    イアン・ハート(デヴィッド)、ロサナ・パストール(ブランカ)、ロム・ギルロイ(ローレンス)
    内容:
    義勇兵としてスペイン内乱に参戦した祖父の思い出を孫娘(ブランカ)の回想という形で描いた作品。ブランカは祖父の遺品から古い土の入った袋を見つける。
    草舟私見
    第二次世界大戦前にあった、あの偉大なスペイン内乱を扱った作品である。スペイン内乱はあらゆる意味で二十世紀最大の事件の一つである。それにも拘わらずこれを描いた作品は少ない。その中にあって、一民兵の目を通して底辺からその内実というものにせまった名画と感じる。二十世紀の思想家、学者、芸術家、作家の大多数がこの内乱によって受けた影響は測り知れないのである。何でもすぐに善と悪に分けて、綺麗事でかたづけてしまう歴史観から脱却する意味においてもよくできている作品と感じる。スペイン内乱イコール悪であるフランコのファシズムと、善である自由民主主義の民兵との戦いという簡単なものではないのだ。人間のやることは善も悪もその内実は複雑怪奇なのである。善を行なうも悪を行なうも、やり抜く人間はタフな精神力がなければ何もできないのだ。主人公デヴィッドの人生は世間的に大した人生では無かったかもしれない。しかし私は本当にいい人生を送った人だと思いますね。死んで後、孫娘にあれだけの興味を起こさせ、また感化を残して逝ける人生を送った人が、果たして現代人の中にどれだけいるでしょうか。

    大日本帝国

    (1982年、東映) 181分/カラー

    監督:
    舛田利雄/音楽:山本直純                   
    出演:
    丹波哲郎(東條英機首相)、三浦友和(小田島中尉)、西郷輝彦(海軍兵曹長)、篠田三郎(江上中尉)、あおい輝彦(小林幸吉)、若山富三郎(石原莞爾)、関根恵子(美代)
    内容:
    昭和16~20年、世界不況で揺れ動く中、大日本帝国と呼ばれていた頃の日本の敗戦までの時代を、国家、指導者、庶民の三面から描いた作品。
    草舟私見
    帝国が好むと好まざるとに拘わらず、対英米戦に突入せざるを得なかった歴史的必然が、東條英機(丹波哲郎)を通して史実に忠実に再現されている。そして歴史の過中であくまでも自分の生を生き切ろうとする人々の姿を、本当に見事に捉えた名画であると感じている。東條を考え直すことは占領政策の洗脳から脱出し、真の日本人としての自覚を持つために必要なことである。そして本作品で描かれている東條の姿は最も真実に近いと私は断定する。他に三浦友和扮する陸軍中尉と、あおい輝彦の一等兵および西郷輝彦が演じる海軍兵曹長の三人が三者三様に立派です。各々が私の最も好きな人間の情感を有しています。篠田三郎の海軍中尉は最低だ。不愉快極まりない。夏目雅子と二人でぐちゃぐちゃと屁理屈ばかり言って、この男女は駄目です。関根恵子の役柄がいいです。こういう女性は魅力があります。性格的に私のお袋にそっくりですよ。そうすると不思議とその子供が私の小さい頃にそっくりだから面白いですよ。最後のシーンで母親の後を追っかけていくところなど、私の小さい頃と全く同じです。       

    大病人

    (1993年、伊丹フィルムズ) 116分/カラー

    監督:
    伊丹十三/音楽:立川直樹                   
    出演:
    三國連太郎(向井武平)、津川雅彦(緒方)、宮本信子(万里子)、高瀬春奈(彩)、木内みどり(林久子)、熊谷真実(ミッチャン)、田中明夫(プロデューサー)
    内容:
    「自分ならどう死ぬか」 死というテーマを伊丹十三が彼流のユーモアで見事に描いた作品。やりたいことをやり尽し死を迎えていく主人公の最期の日々を追う。
    草舟私見
    現代の医療問題の本源を捉えている作品と感じる。医療が何のために存在するのか。その根本問題に対する問い懸けである。医療問題の難しさはそれがあまりにも深く人生全体の問題と関わっているからである。その重大テーマをコミカルに映像的に良く捉えた作品と感じる。死があって初めて生の認識があるのだという、人生問題の根本テーマが良く捉えられている。死を忌み嫌うことが現代日本の病根であり、それがために生の燃焼ができないのが現代の社会問題である。人間は必ず死ぬ。その日に向かって生きることこそ、やはり本当の人生を生きるということなのであろう。死をはっきりと認識して初めて人生の諸価値、つまり愛情や友情や信義の本質が見えてくるのである。

    太平洋奇跡の作戦・キスカ

    (1965年、東宝) 95分/白黒

    監督:
    丸山誠治/音楽:團伊玖磨                   
    出演:
    三船敏郎(大村第一水雷戦隊司令)、山村聰(川島第五艦隊司令)、佐藤允(イー7潜水艦艦長)、平田昭彦(軍医長)、中丸忠雄(国友大佐)、田崎潤(阿久根大佐)
    内容:
    敵に完全包囲された北方の島から5200名の将兵を救った奇跡の救出作戦の全貌を描いた作品。
    草舟私見
    いや全く何度観ても血湧き肉躍る名画です。三船敏郎が演じる大村少佐は心の底から感動し、真に尊敬できる人物です。このような方がいたことは、同じ日本人として真に誇りを持てる魂を我々に提供してくれます。玉砕に次ぐ玉砕の歴史の中で、我々が真に夢見る本当の人道というものを痛感させられます。忍耐と努力と真の英断無くして、善は断行できぬのだとよくわかります。役目に徹し己のことは一切顧ぬ心にして初めてできることです。真の勇気は知恵と想像力と生み出し、その派生としての苦難に耐える人格を築き上げる。大村少佐は我々が永遠に世界に対して誇り得る人物であり、この作戦を断行した祖国はやはり我々が愛するに価する国なのだと強く感じる。また大村少佐の偉大さが友情に支えられ、真に役目に生きる勇気ある多くの誠の上に成し遂げられたことを心に刻むことが重要と感ぜられる。 

    太平洋紅に染まる時 山本元帥対ハルゼイ提督 THE GALLANT HOURS

    (1960年、米) 116分/白黒

    監督:
    ロバート・モンゴメリー/音楽:ロジャー・ワグナー
    出演:
    ジェームズ・キャグニー(ウィリアム・F・ハルゼーJr.提督)、デニス・ウィーバー(アンドルー・ロウ中佐)、ワード・コステロ(ブラック大佐)、後藤武一(山本五十六大将)
    内容:
    太平洋戦争とは、南太平洋を舞台に対峙する日米両軍の将軍たちの勇気の戦いでもあった。この映画は日本の山本元帥と米のハルゼイ提督の姿を中心に太平洋戦における大転換点の真実を描いた作品。
    草舟私見
    戦いの本質をいうものが、統帥者の精神力と柔軟な心に懸かっていることを端的に表現する名画である。ガ島はミッドウェーと並び日米戦の天王山であった。この天王山においては、米軍の方が圧倒的に物量的にも不利であった真実をよく表現している。この認識は歴史的に重要である。日本は物量で敗けたのではない。戦略で負け指揮官の意志力で敗れたのである。本作品の主人公ハルゼーは猪突猛進の提督と見られているが事実は違う。自由で慎重で強靱な意志力を持つ提督である。ハルゼーの本質をJ・キャグニーが恐ろしい名演技で示している。指揮官の孤独をこれ以上表現できる俳優はいまい。米国は決戦場で必ず勝つ信念において日本に勝る。ミッドウェーでもそうだが、日本の指揮官は決戦の孤独のぎりぎりのところで必ずその苦しみから逃れるように感じる。本作品において知ったハルゼーの信念は、私の人生観に測り知れない感化を与えてくれた。「偉大な者などはいない。我々凡人が挑戦しなければならん大仕事があるだけだ」。この言葉ほど心に残る言葉は少ない。

    太平洋航空作戦 FLYING LEATHERNECKS

    (1951年、米) 98分/カラー

    監督:
    ニコラス・レイ/音楽:ロイ・ウェッブ
    出演:
    ジョン・ウェイン(カービー少佐)、ロバート・ライアン(グリフィン大尉)
    内容:
    日本から南に5,000km、南太平洋ソロモン諸島の一つガダルカナル島で展開された、日米両軍の熾烈な攻防を描いた戦争映画。
    草舟私見
    アメリカ海兵航空隊の物語であり、ガダルカナル戦を米側から描いた秀作である。太平洋戦争の天王山と言われるミッドウェーとガダルカナルは米側も兵力の欠乏に喘いでおり、日本が圧倒的な物量によって敗けたのではないことを示している。物量によって敗けたと思い込んでいる日本人には示唆に富んだ映画である。勝利はいつの日も知恵と勇気がもたらすものなのである。カービー少佐とグリフィン大尉の対立が見ごたえがある。対立する者同士が、仕事を通じて共感し合えるようになる過程が見事に描かれている。この対立は感情論ではないことが重要である。元々が仕事観の違いが対立を生んでいるのである。グリフィン大尉も自己の哲学を持ち名パイロットであることが重要なのだ。単なる批判家ではないのだ。そしてこのような対立は必ず友情を生むのである。カービー少佐に扮するジョン・ウェイン、相変わらずカッコ良いですね。仕事に生きる男は本当にいつ見ても良いです。

    太平洋戦争 謎の戦艦陸奥

    (1960年、新東宝) 90分/白黒

    監督:
    小森白/音楽:松村禎三                   
    出演:
    天知茂(伏見中佐)、菅原文太(松本中尉)、小畑絹子(女スパイ)
    内容:
    帝国海軍の象徴であり誇りであった大型戦艦陸奥の最期の姿と、未だ多くの謎に包まれたその沈没の原因を国際スパイ団によるものとした説をもとに描いた作品。
    草舟私見
    陸奥は長門と並んで帝国海軍の象徴であり40センチ砲搭載の世界最大の戦艦として永く日本国民の誇りの中枢であった。同級艦は世界に七隻しかないという巨艦であり、その中で二艦が日本にあった。大和と武蔵は戦時中までは軍事機密として国民には知れわたっていなかったのである。その日本人の誇りの中枢として永く存在していた艦であることがわかると、この映画にある陸奥を愛する者と陸奥を憎む者の存在と対立がわかるのである。象徴というものが人々の愛憎の的となる運命を、陸奥ほどよく表わしているものはない。象徴は最も大切なものである、しかし大切なものは使い切らなければならないのだ。大切なものが真に働くとき、大いなる勇気が湧くのである。また大切なものが充分に戦って疲れ果てて失われるとき、伝説が生まれ真の魂の継承が行なわれるのである。日本はその大切なものを大切にし過ぎた。それは日本人の誤りである。大切なものを大切にし過ぎるとそれを憎む者の思う壺となるのである。エネルギーは活用しなければならないのだ。正に活用しなければ負に活用されてしまうのだ。 

    太平洋の嵐 (別題「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦」)

    (1960年、東宝) 118分/カラー

    監督:
    松林宗恵/音楽:團伊玖磨                  
    出演:
    三船敏郎(山口多聞)、鶴田浩二(友成大尉)、夏木陽介(北見中尉)、佐藤允(松浦中尉)、藤田進(山本五十六)、阿津清三郎(南雲忠一)、三橋達也(航空参謀)、平田昭彦(飛行長)、池部良(先任参謀)
    内容:
    太平洋戦争緒戦真珠湾の大勝利から運命のミッドウェイ海戦までを空母飛龍とその乗組員の戦う姿を中心に描く。
    草舟私見
    本作品は三船敏郎が演じる山口少佐と空母飛龍攻撃隊長に扮する鶴田浩二の戦いに焦点を当てると、非常に価値ある作品となるものである。そして彼らの生き方と共に飛龍の生涯についてとくと見るべきである。夏木陽介扮する北見中尉はそれらの本質的なものを生かす脇役と見るべきである。私は第二航戦司令官であった山口少将を帝国海軍中最高の指揮官と思っている。その判断力・決断力において凄いものがある。年次序列により南雲中将の下でミッドウェーにて戦死するまで置かれていたことが、日本の悲劇と言える。山口少将が機動部隊長官なら日本は勝っていたのだ。戦時序列を持たぬ日本の悲劇を痛感する。そして友成大尉は私の最も尊敬する軍人の一人である。その人物に鶴田浩二が扮しているのだからこたえられない。友成大尉が「俺たちは戦争をしているんだ。批判はいい(やめろ)、不平は言うな。思いもよらんことが起こる、それが戦争だ」という言葉は私の脳裏に深く刻み込まれ、我が人生観を形成している。忘れられぬ言葉である。  

    太平洋の翼

    (1963年、東宝) 101分/カラー

    監督:
    松林宗恵/特技監督:円谷英二/音楽:團伊玖磨                   
    出演:
    三船敏郎(千田中佐)、加山雄三(滝大尉)、夏木陽介(安宅大尉)、佐藤允(矢野大尉)、星由里子(玉井の姉)、池部良(潜水艦艦長)、渥美清(丹下一飛曹)、西村晃(稲葉上飛曹)、志村喬(軍令部総長)、藤田進(伊藤中将)、河津清三郎(戦艦大和艦長)
    内容:
    太平洋戦争の末期、本土防空に新鋭戦闘機“紫電改”を駆って活躍した松山の海軍第343航空隊を描いた作品。
    草舟私見
    実に爽快な男の生き様を描く名画と感じる。生き切る人間は皆、信念を持っている。その信念が個性によって、各々違う生き方となることが実に人間の崇高さを表わす。三船敏郎扮する司令は冷静で科学的な信念を持つ。その科学的な基に個性豊かな三人の大尉が隊長としてつく、実に人間的な集団が松山343航空隊である。三人とも各々良い。全部魅力がある。すべて武士である。西村晃と渥美清も良いですね。みんな良い男たちです。各々の信念がぶつかり合うが皆大きな一つの信念によって結ばれているから、底辺を思いやりと愛情が流れている。だから気持ちが良いのですね。最後のシーンは一生涯忘れ得ぬものである。四機の紫電改が大和の護衛に残るところです。大和が三人は好きなんですね。大和の周りを飛びあの官と氏名を名乗る場面です。同期の桜の音楽に乗り名乗ります。私は本当にこのシーンは好きですね。けじめのある男の世界を感じます。     

    太平洋の鷲

    (1953年、東宝) 119分/白黒

    監督:
    本多猪四郎/音楽:古関裕而                   
    出演:
    大河内傳次郎(山本五十六)、柳永二郎(米内光政)、高田稔(近衛文磨)、菅井一郎(及川古志郎)、志村喬(陸軍参謀)、見明凡太郎(司令官)、三國連太郎(政務参謀)、小林桂樹(航海参謀)、伊豆肇(整備参謀)、三船敏郎(友永大尉)、千田是也(陸軍大佐)
    内容:
    戦後初の本格的戦争映画で、日本が講和条約発効にともなって占領状態から独立した翌年に公開。アメリカが押収していたフィルムを借りて、「ハワイ・マレー沖海戦」などの戦闘シーンや実写も含む。
    草舟私見
    昭和28年の作品であり、私は三歳で母に手を引かれて観に行った記憶がある。その当時としては空前の大作であって、画面の迫力と戦闘の凄さに圧倒されて深い感動を覚えた作品である。当時の日本の置かれていた位置と、戦争に投入していく史実が実に巧みに描かれている。山本長官はもちろん軍人として立派な人なのであろうが、米国には勝てないという戦いに最も悪である信念を持っていることに、子供心にも大変引っかかった。米国の国力や工業力がどうであれ、戦いとは歴史的にいつでも小が大を制することが真実なのである。問題はその方法論と能力なのである。山本長官の姿を見るとその長官としての鷹揚な態度の裏に、あきらめの境地があるように私には感じられた。絶対に勝ちたい者なら、重要なことは絶対に自分で一回一回確認する筈である。絶対に負けるという信念を持つ者が長官にいたことは、日本の悲劇であろうと感じた。本作以後、山本長官を演じた俳優は多いが、長官の真の人間性を表現することにおいて本作の大河内傳次郎が最高であったと私は思っている。

    「大魔神」[全三作]

    大魔神 (1966年、大映) 84分/カラー

    監督:
    安田公義/音楽:伊福部昭
    出演:
    高田美和(花房小笹)、青山良彦(花房忠文)、藤巻潤(猿丸小源太)、五味竜太郎(大館左馬之助)、遠藤辰雄(犬上軍十郎)、出口静宏(竹坊)
    大魔神怒る (1966年、大映) 79分/カラー
    監督:
    三隅研次/音楽:伊福部昭
    出演:
    本郷功次郎(千草十郎時貞)、藤村志保(早百合)、神田隆(御子柴弾正)、内田朝雄(名越兵衛)、上野山功一(名越勝茂)、平泉征(田部隼人)
    大魔神逆襲 (1966年、大映) 88分/カラー
    監督:
    森一生/音楽:伊福部昭
    出演:
    二宮秀樹(鶴吉)、堀井晋次(大作)、飯塚真英(金太)、長友宗之(杉松)、安部徹(荒川飛騨守)、名和宏(松永大膳)、北林谷栄(かね)、仲村隆(三平)
    内容:
    人々の守り神として崇められ、同時に畏れられている大魔神のシリーズ作。普段は穏やかな顔を湛える大魔神は、悪者共に苦しめられた清い心を持つ者たちの涙の祈りによって、鬼神となって動き出す。
    草舟私見
    本作品は今から四十年程前のものである。それにも拘わらず私は全く観たことも聞いたことも無く、その存在すら知らなかった作品である。それがこの歳(今、五十五歳である)になって、私自身に与えられた運命の事件と機会とによって、その存在を知り、それを観、その作品と対話したのである。私は一人の日本人として深く感動し、本作品から日本人の潜在意識に沈潜する我が民族の叫びと涙と滾る血潮とを感得したのである。日本人の信仰の原点がこの作品にはある。日本の文化を支えてきた人情の原点がある。真の日本の家族の原点がある。歴史を貫く友愛の原点がある。何よりも何よりも重要な事柄は、日本においては「己を殺して仁を成す」ことであった。他を生かすために自分自身を犠牲にすることほど尊い人間関係の原点は無いのである。その文明、その文化が日本の背骨を形成しているのである。そしてその事柄だけが、人を真に生かし、真に動かし、そして神にさえ真に通じるのである。真の日本の神はその事柄だけを見詰めておられるのである。神に通じるものは真心だけなのである。真心とは愛する者、愛する国、愛する価値のために己が全生涯を捧げ尽くすことなのである。そのために己が死なねばならぬときには死ぬことが真心なのである。そこに真の日本の神が現出するのである。日本の神は真の涙にのみ感応するのである。その悲願、その願い、その悲しみに応えて下さるのが日本の神なのである。ゆえに日本の神が出現するときには必然的に忿怒の神となるのである。神は人の涙と真心に応え、この世へ真の因果応報を実践なさるために出現なされるのである。この歴史を貫徹する真実を人々が信じるとき、この世には真の人間の情愛が実現するのである。我々の父祖はそれを信じ、そのように生き、そして我々にこの世の喜びを遺して下されたのである。人間の悪徳は全て神を恐れぬところから生じるのである。「神を恐れることは知識の始めである」と聖書に書かれていることは、人類の文明と文化の本質を喝破したものであると尽々と感ぜざるを得ない。

    ダイヤルMを廻せ! DIAL M FOR MURDER

    (1953年、米) 105分/カラー

    監督:
    アルフレッド・ヒッチコック/原作:フレデリック・ノット/音楽:ディミトリ・ティオムキン
    出演:
    レイ・ミランド(トニー)、グレース・ケリー(マーゴ)、ロバート・カミングス(マーク)、ジョン・ウィリアムス(ハバード警部)
    内容:
    ブロードウェイでヒットを記録したノット原作の映画化。後の映画に多大な影響を与えた傑作密室ミステリー。完全犯罪と思える事件工作が暴かれて行く。
    草舟私見
    ヒッチコックの映画はどれも登場人物の服装がすばらしくて、画面全体に品格があるので観ていて楽しいですね。本作品もそうです。この映画は何とも不思議な面白さのある映画です。登場人物がそれぞれ全員魅力が無くて下らない人間だということが、本質的面白さを創っています。亭主は見ての通り女房の保険金目当ての敗残者のくせに、自分を利口だと思っている間抜けだし、女房は女房で不倫をしているくせに自分を良い人間と思い、かつ自分の身を自分で守れぬ幼稚な人間である。不倫相手の推理作家は好きな相手のためなら嘘でも作り話でも何でも平気でする弱者であり、こともあろうに刑事事件の身代わりを他人に頼むような空前絶後の馬鹿者だ。まあ警部も根掘り葉掘りと、職業とはいえ覗き趣味もいいとこでこういう推理は見ていて気持ちの悪い下品さがある。亭主の元友人は問題外です。全員下らないと最も悪い亭主に同情してくるのが不思議です。私は亭主に同情します。全員駄目だと、最も突き抜けた駄目人間が一番良く見えてくるから面白いんですよ。

    太陽がいっぱい PLEIN SOLEIL

    (1960年、仏=伊) 119分/カラー

    監督:
    ルネ・クレマン/原作:パトリシア・ハイスミス/音楽:ニーノ・ロータ
    出演:
    アラン・ドロン(ロム・リプレイ)、モーリス・ロネ(フィリップ)、マリー・ラフォレ(マルジュ)、フランク・ラチモア(オブライエン)、エルノ・クリザ(リコルディ刑事)
    内容:
    当時のヌーベル・バーグに挑戦した名匠ルネ・クレマン監督の演出と、ニーノ・ロータの哀愁をおびた主題歌が織りなす名作。妬みから友人を殺した青年の一瞬の栄華と悲劇を描く。
    草舟私見
    ニーノ・ロータの名曲が心に沁みる。本作品の本質は、現代の物質至上主義の文明のあまりの空しさを描き切っていることにその価値があります。物語の内容を観ると、現代人の種々の深層心理劇のように見えますが間違いです。この作品の底辺に流れる本質はその音楽にあります。この物悲しい音楽は生の本質と
    もののあはれ
    を完璧に表現しています。つまりこの作品は主人公三人のあまりの下らなさを表現することによって、自然を本当の意味で考え友とする真の生の尊さを謳いあげているのです。本作品の本当の主人公は太陽と雲と空と海なのです。その美しさを際立たせるために三人がいるのです。金持ち馬鹿息子のフィリップね、このては殺された方が世のためです。間抜けな貧乏青年のトムね、このては何をやっても所詮負け犬です。愛ばかり他者に求める自己愛の固りの我儘娘のマルジュね、このてはますます不幸にこの後なりますから楽しみです。いずれにしてもこの三匹は一生ダメであると私が保証します。こういう保証は心底楽しいですね。トムはことがなって初めて心が開き太陽がいっぱいだと言いますが、根が間抜けだからもう遅いのです。始めからその幸福がわかればいいのに。いや全くこういう三馬鹿トリオを見ると、私はますます「誠の道」の価値を再認識します。

    太陽と月に背いて TOTAL ECLIPSE

    (1995年、英=仏=ベルギー) 112分/カラー

    監督:
    アニエスカ・ホランド/原作:クリストファー・ハンプトン/音楽:ジャン・A・P・カズマレック
    出演:
    レオナルド・ディカプリオ(アルチュール・ランボー)、デヴィッド・シューリス(ポール・ヴェルレーヌ)、ロマーヌ・ボーランジェ(マチルド)、ドミニク・ブラン(イザベル・ランボー)、フェリシー・パソティ・カバルベイ(ランボー:子供時代)
    内容:
    初老の詩人ヴェルレーヌの元へ、一人の女性が訪ねて来る。イサベル・ランボーと名乗るランボーの妹。ヴェルレーヌはかつて詩人ランボーと深い仲だった。当時の波瀾の関係の回想の中で天才詩人の生涯を描く。
    草舟私見
    因習を突き破る精神の、その過酷を見事に描き切っている名画と感じる。革命を遂行し、その成果を何も望まない者がいた。それが、アルチュール・ランボーである。ランボーの炎を、この世に残す男がいた。それがポール・ヴェルレーヌであった。その友情と憎しみを描いている。この二人の間にあった熱情が、新しい芸術を生むための苦悩であったことに思いを馳せなければならない。新しいものは、苦痛と鳴咽の中から生まれ出づるのだ。ランボーの不道徳を糾弾するのは簡単なことだ。しかし、ランボーが何を苦しみ、何に憧れ、何を得ようとしていたのかを見なければならない。ランボーは、永遠を芸術の中に落とそうとしていたに違いない。それは、自己の生命を殺す作業であった。近代を築く苦悩が、この若いランボーの双肩に託されたのだ。太陽に向かって、ランボーは咆哮する。この悲しみは、その詩作の精神の中に秘められることになった。そしてこの映画においては、永遠を志向するその崇高な「音楽」だけが、状景を描写しているのである。

    太陽の雫 SUNSHINE

    (1999年、カナダ=ハンガリー) 181分/カラー

    監督:
    イシュトヴァーン・サボー/音楽:モーリス・ジャール
    出演:
    レイフ・ファインズ(イグナツ/アダム/イヴァン(一人三役))、ジェニファー・エール(若き日のヴァレリー)、ローズマリー・ハリス(晩年のヴァレリー)、レイチェル・ワイズ(グレタ)
    内容:
    二十世紀ハンガリー。オーストリア・ハンガリー二重帝国からナチス支配、その後社会主義へと目まぐるしく移り変わる時代に翻弄されるユダヤ一族、ゾネンシャイン一家が辿った激動の百年を描いた作品。
    草舟私見
    19世紀後半から20世紀後半までの約100年間におよぶ、ハンガリーに住むユダヤ人一家の家族の歴史を描写することによって、民主主義とは何か、愛とは、自由とは、生き甲斐とはというような根元的問題を我々に問いかける秀作であると感じている。民主主義的考え方により、愛により、自由により、先祖以来の生き方や信仰に動揺をきたし、各人が個人の生き方を問うことにより、崩壊していく一家の姿が見事に捉えられている(この百年は実に世界規模での民主主義発展の時期なのである)。生き甲斐のため、自由のために先祖伝来の信仰を捨て、挙げ句の果てに名前まで変えてしまう生き方がよく描写され、それにより徐々に魂が腐敗していく過程がよくわかる。民主主義(共産主義も含む)の正義はいつでも、その日その場では美しく見え人道や人間の本性に合っているように見えるが、長い目で見れば人間の文化と絆を崩壊させるのだ。死の直前、好き勝手にしていた祖母もゾンネンフェルトという先祖の許に帰り、主人公もまた名前をユダヤ名の旧名に戻すことによって真の人間性と開放感を味わっていくというのは実に人間と文化の本質をよく描写していると感じる。

    太陽の帝国 EMPIRE OF SUN

    (1987年、米) 152分/カラー

    監督:
    スティーヴン・スピルバーグ/原作:J・G・バラード/音楽:ジョン・ウィリアムス
    出演:
    クリスチャン・ベール(ジム)、ジョン・マルコビッチ(ベイシー)、ミランダ・リチャードソン(ヴィクター夫人)、アイジェル・ヘイバース(ローリング医師)、伊武雅刀(ナガタ軍曹)、片岡孝太郎(日本人少年) 
    内容:
    戦乱の中で両親とはぐれ日本軍の捕虜となってしまったイギリス人少年が逞しく生きていく姿を描いた作品。
    草舟私見
    少年ジムの目を通して太平洋戦争が語られる。この少年がその過酷な現実の中で、いかに知恵を働かせ強く生きるかが見る者の心を捉えて離さない。この少年がどんな環境にも順応して生きていくその姿に、誰でも感動するだろう。人間とはいくらでも強くなれるのだ。困難は人間を磨く道具にしかならないのだ。そしてこの少年のこの生き方を創り上げている原点は何かということである。それは少年らしい正直さで戦争をカッコ良いと思っているからなのである。当時忌み嫌われていた日本軍も、その本質を少年の目はカッコ良いと捉えていた。過酷な現実を創り出しているあらゆる要素を、少年は決して嫌っていないし逃げてもいないのだ。大人たちよりも正直に戦いの本質を見ているのだ。その正直さがこの少年の順応性と強さを生み出しているのだ。人間は嫌い逃げることによって敗けるのだ。嫌わなければ、逆にいかなる現実も人間を磨くだけなのだ。

    太陽は光り輝く THE SUN SHINES BRIGHT

    (1953年、米) 102分/白黒

    監督:
    ジョン・フォード/原作:アーヴィン・S・カップ/音楽:ヴィクター・ヤング
    出演:
    チャールズ・ウィニンジャー(プリースト判事)、アーリーン・ウェーレン(ルーシー)、ラッセル・シンプソン(レイク)、ジョン・ラッセル(アシュビー)
    内容:
    舞台はケンタッキー州の小さな町。南北戦争後も息づく南部魂を、巨匠ジョン・フォード監督が謳いあげた名作。
    草舟私見
    米国の精神の支柱の一つである南部魂を描いた名作。アイルランド魂や南部魂など、頑固で一徹で深い情感を持った人間の魂を描くことに関して神様の域に達した巨匠ジョン・フォードの作品である。やはりいいですね。チャールズ・ウィニンジャー扮するプリースト判事の魅力は真の人間的とは何か、男とは何かを考えさせられるものです。正義漢で頑固で面白くて、真面目で、情にもろくて、滑稽で強い。多面的であるが一本の筋が通っている。温かいですね。南部の伝統を生き、敗北を恐れず生きている。前向きな人生の裏に涙を湛えている心温まる作品である。登場人物たちの善くも悪くも、深い人間関係の涙を見ることがこの作品の醍醐味であろう。

    太陽は、ぼくの瞳 THE COLOUR OF PARADISE

    (1999年、イラン) 90分/カラー

    監督:
    マジッド・マジティ/音楽:アリレザ・コハンダリー/受賞:文部省選定
    出演:
    モフセン・ラマザーニ(モハマド)、ホセイン・マージゥーブ(モハマドの父)、サリム・フェイジィ(モハマドの祖母)
    内容:
    目が見えないながらも懸命に生き、神様との対話を求める感受性豊かな少年モハマド。彼の心の叫びと家族との愛を描いた作品。
    草舟私見
    生涯忘れ得ぬ哀しみを私に与える作品であり、また生涯忘れ得ぬ真の志を私に与える名画であると感じる。つまりこの作品は私の心をして常に汚れなき幼き日々を思い出させ、また私の心を洗い、そして私の心に常に初心というものを思い起こさせる大いなる力のある名画なのである。盲目の少年モハマドの生きようとする心こそ、本当に人生の根本なのである。全ての響きと一緒に生き、全てに感動し、そして真の「神」に触れようとするその心こそ人生というものの原点なのだと尽々と感じるのである。心に自分の「音楽」を持ち、真の神に触れようとする心だけが本当の人生を創り出すのだ。彼は大いなる生を真に生き切ったのだ。私は本当に心底この少年の人生に敬意を感じ尊敬するのだ。「神の手」が彼を摑むとき、彼は最高の生というものを与えられたのだ。イランの貧しい村であるが、家族愛が真に心に残る。おばあちゃんが良い。愛情も深く何より強い人生を生きている。つまり最高の人なのだ。私の母とそっくりである。父親も愛情の深い人である。ただこの父は将来のことばかり考えて(つまり自分のこと)、その分人間が弱くなっているのだ。しかしいい男である。

    ダウントン・アビー 〔全6シーズン・劇場版2作〕Downton Abbey(1~6 Series・2Films)

    (2010~2015年、2019年、英) 合計3181分/カラー

    監督:
    ブライアン・パーシヴァル、マイケル・エングラー、他/音楽:ジョン・ラン
    出演:
    ヒュー・ボネヴィル(ロバート・クローリー)、エリザベス・マクガヴァーン(コーラ・クローリー)、ミシェル・ドッカリー(メアリー)、ジム・カーター(チャーリー・カーソン)、フィリス・ローガン(エルシー・ヒューズ)、ダン・スティーヴンス(マシュー)
    内容:
    1912年から1925年の英・ヨークシャーのカントリーハウス「ダウントン・アビー」を舞台に、伯爵家とその使用人を通じ、当時の社会を描いていく。
    草舟私見
    亡び行く英国貴族社会が、あます所なく活写されている。近代の本質とは何か。それをひしひしと感じることが出来る。二十世紀初頭の「発展」を夢見る人々の哀歓が映る。近代の発展が何を失ってしまったのか。それを我々は美しい映像を通して感じるのだ。人間の持っていた心のゆとりを我々は確実に失っていった。そして平等の名の下に、魂の下落を招いたことは間違いないだろう。現代がかかえる問題の出発が二十世紀初頭にあった。現代の諸問題の本質は、却ってその時代の中に存在していると思う。人間の高貴と卑しさの相克を感じる。英国貴族の誇りに生きる主人公たちの苦悩を、現代の我々は深く感じなければならない。それが現代の病根を知ることなのだ。伯爵とその長女の話す英語の美しさがいつまでも耳に残る。現代の英米の映画に見られる、野卑な英語を聞き慣れる者にとって、真の英語の美しさを知ることもまた出来るだろう。言語が高貴な魂から発せられるとき、その美しさは「人間」の真の美しさを示しているのではないか。

    誰がため FLAMMEN & CITRONEN

    (2008年、デンマーク=チェコ=独) 136分/カラー

    監督:
    オーレ・クリスチャン・マセン/音楽:ハンス・メーラー
    出演:
    トゥーレ・リントハート(フラメン)、マッツ・ミケルセン(シトロン)、ピーター・ミュウギン(ヴィンター)、クリスチャン・ベルケル(ホフマン)、ハンス・ツィッシュラー(ギルバート)、スティーネ・スティーンゲーゼ(ケティ)
    内容:
    1940年4月、ドイツ支配下のデンマーク。次第に強まるナチスの弾圧に戦いを挑み、運命に翻弄される男たちを描いた実話。
    草舟私見
    映像そのものの中に、実存哲学を深く感じる名画である。実存哲学は、キルケゴールによって、デンマークに生まれた。そして多分、フランスのJ.P.サルトルとA.カミュをもって幕を閉じられたと言えよう。それが映像にある。音楽の中にもある。主人公の生き方はそれそのものであろう。第二次大戦後、なにゆえに欧州を実存哲学が覆ったのか。それを深く感じる映画と言ってよい。映画の中に、私はサルトルとカミュの面影を偲んだ。彼らの戦時中の姿を見た。彼らもまたフランス・レジスタンスであった。その経験が実存主義の金字塔となる哲学を生み落としたのであろう。反骨が実存を生む。実存こそが人生である。だから、反骨の精神こそが人生を創り上げるのだ。実存は戦いである。実存は悲しい。実存は死ぬ。しかし、人が生まれるとは、実存に生きるためではないのか。私はこの主人公たちに、限りない共感を覚える。主人公たちが、もし生き延びれば、間違いなく、実存哲学の旗手となったであろう。この反骨の男たちは、私自身である。いや、私自身が、そう生きねばならぬと思わされる者どもである。

    打撃王 THE PRIDE OF THE YANKEES

    (1942年、米) 127分/白黒

    監督:
    サム・ウッド/原作:ポール・ギャリコ/音楽:リー・ハーライン/受賞:アカデミー賞 編集賞
    出演:
    ゲーリー・クーパー(ルー・ゲーリック)、テレサ・ライト(エレナ・ゲーリック)、ベーブ・ルース(ベーブ・ルース)、ウォルター・ブレナン(サム・ブレーク)
    内容:
    アメリカ野球界で連続出場2130回を記録した不世出のホームラン・バッター、ルー・ゲーリックの半生を描いた作品。
    草舟私見
    ルー・ゲーリックという信じられぬほど善良であり、また信じられぬほど偉大な野球選手のことどもを、家族愛を中心としたその人間性に観点を当て描き切った名画である。野性児で大胆なベーブ・ルースも私は大好きであるが、その対極に位置する善良で真面目なゲーリックもまた大好きである。両者共最高に個性的で永遠に心惹かれるものがある。この善良さはアメリカの最も偉大な時代の最もすばらしい特徴であると私は思っている。こんな善良な人物があれ程偉大な選手になるのだから、やはり過去のスポーツの世界はすばらしい世界であったのだと感じている。惜しむらくは彼の人生が短いことだが、この燃焼の生涯はやはり人間として最も美しい生涯であったのだと思う。偉大な人はなりたくてなったのではなく、なるべくしてなったのだということが本当によくわかる映画である。いい男ですね、本当に彼は。両親も昔気質で、旧い日本の親と近いものがある。いい人たちです。両親を見ると彼の人となりを彷彿させるものがあります。妻も良い。彼は幸福を創り出すことのできる男だと言えます。

    たそがれ清兵衛

    (2002年、松竹=日本テレビ=住友商事、他) 129分/カラー

    監督:
    山田洋次/原作:藤沢周平/音楽:冨田勲                  
    出演:
    真田広之(井口清兵衛)、宮沢りえ(飯沼朋江)、田中泯(余吾善右衛門)、丹波哲郎(清兵衛の伯父)、小林稔侍(久坂庄兵衛)、大杉漣(甲田豊太郎)、吹越満(飯沼倫之丞)
    内容:
    立身出世を望まず、貧しさを受け入れて日々を懸命に生きる清貧の武士の生き様を描く。時代小説の第一人者藤沢周平作品初の映画化。
    草舟私見
    たそがれ清兵衛は不運であったと言われ、また早く死んだとも言われている。不運であったということは、その誠の人生が娘から見てもわかるようで、映画の中で成人した娘が否定している。その通りであると私も思う。彼が不運であったと見る者は人生が全然根底から解っていないのだ。それに加え、私は早く死んだという表現も否定しておく。全然早くない。充分に生き切っており、現代人でこの清兵衛ほどの充分の人生を生き切っている人を私はあまり見たことは無い。映画の中でも何と時間のゆっくりと流れていることか。その流れそのものが彼の充分な永い天寿を表わしているのだ。この当たり前に生きるゆっくりとした時間の中に「生命の充実」というものがあるのだ。なにゆえに清兵衛は幸福な長い人生を充分に生きたのか。それはいかなることになっても、彼の中に自分では「はしくれ」と思う程でも、武士道が生きていたからである。「はしくれ」と思う者が真の武士なのだ。道が人を真に生かすのだ。上意討ちをされた一刀流の達人も清兵衛の真の武士道に対して、真の侍に斬られたいという一念での自ら望む覚悟の敗残であることも観ればわかることである。この男も清兵衛に惚れ、死に花を咲かせたのである      

    田原坂

    (1987年、日本テレビ) 330分/カラー

    監督:
    斎藤武市/原作:杉山義法/音楽:川村栄二                   
    出演:
    里見浩太朗(西郷隆盛)、風間杜夫(木戸孝允)、近藤正臣(大久保利通)、萬屋錦之介(勝海舟)、森繫久彌(龍左民)、露口茂(島津久光)、勝野洋(桐野利秋)、丹波哲郎(大山綱良)、西郷輝彦(西郷従道)、秋吉久美子(イト)、多岐川裕美(愛加那)
    内容:
    明治維新最大の立役者でありながら、最後は自ら賊軍となり西南戦争に散った西郷隆盛の波乱にみちた人生を描く。
    草舟私見
     雨は降る降る、人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂……と謳われた西南戦争最大の激戦地の名前が本作品の題名であり、その田原坂に向かっての西郷隆盛と薩摩隼人たちの生き方を激動の幕末と維新創業の時期の歴史と共に描き挙げた秀作と感じている。西南戦争はなにゆえに起こったのか。またなにゆえに西南戦争というものが、明治国家を発展させる上で必要であったのか。それらの歴史的なことが肌身に沁みて感じられる作品であると考えている。薩摩は幕末から明治へかけての日本最大最強の「国家」であった。しかしその「国家」は、あまりにも偉大な西郷に頼り過ぎたように私は感じる。維新回天の血と涙をあまりにも西郷一身に集め過ぎたのではないか。薩摩はもっともっと涙を流し苦しむべきであったのではないか。薩摩はその爆発的なエネルギーを完全に燃焼しないまま勝利し、明治の舵取りとなってしまったように思う。薩摩はその抜いた刃を収めるところまで西郷に頼ったように感じるのである。私は田原坂という言葉を聞くだけで目頭が熱くなる。田原坂は確実に武士が死に、近代国家が生まれた誕生の地なのである。     

    旅路の果て LA FIN DU JOUR

    (1939年、仏) 100分/白黒

    監督:
    ジュリアン・デュヴィヴィエ/音楽:モーリス・ジョヴェール/受賞:ヴェネチア映画祭 ビエンナーレ杯
    出演:
    ヴィクトル・フランサン(マルニー)、ルイ・ジューヴェ(サンクレール)、ミシェル・シモン(カブリサード)、マドレーヌ・オズレー(ジャネット)
    内容:
    舞台俳優として生きてきた男たちが、第一線を退いた後に自らの人生の幕が下ろされる瞬間に向けて生きる姿を描く。
    草舟私見
    老境に至った俳優たちだけの養老院を舞台として、実に興味の尽きぬ人間模様が繰り広げられる秀作と感じる。本作品の最大の魅力は、何と言っても往年のフランスの歴史的な名優が三者三様の個性的な生き方を提示し、その人生の哀愁切々たる最期を、観る者をして何ものかを心に刻ませる名演を繰り広げる処にある。この映画は善とか悪とか、誰が正しいのか間違っているのか、などということを考えて観るべき作品ではないのだ。必死に生きようとする個性ある人間たちが、そうせざるを得ない心のあり方、そうしてしまった人生の涙というものを己のこととして共に共感し涙を伴にして、初めて心に沁み入る作品であると感じている。欠点が美しきものを生み出し、正しさが悩みを生み出す人生の哀歓を感じなければならん。人生は理屈ではない。真に生き切ることの価値を私は痛感させられた。人生は面白く、真に生きる価値があるということを深く感じたのだ。サンクレールに扮するルイ・ジューヴェが、私には特に忘れられぬ印象を残した。名優とは観た者の心に生涯にわたる思い出と問題を提起できる人なのであろう。

    ダミアン神父 FR.DAMIEN FRIEND OF THE LEPER

    (1993年、女子パウロ会) 25分/カラー

    監督:
    千葉茂樹/音楽:山崎宏/記録映画
    内容:
    死病と恐れられ、強い感染力の為世間から疎まれたライ病(ハンセン氏病)。その患者たちの魂の救済活動に身を投じたダミアン神父の献身と闘いの生涯を紹介した記録作品。
    草舟私見
    この作品は映画ではありません。ダミアン神父の生涯を解説したものです。だけどね、すばらしいものです。何でかって、それはね、ダミアンがすばらしいからです。ダミアンはすばらしいです。偉大の中の偉大だと思いますね。魂が震撼します。涙というものの本質が痛いほどわかりますね。唯ただ泣きますね。泣けて泣けて目頭が痛くなって涙が溢れ、それが渇いたところで、我が魂魄の奥深いところから真の希望と喜びと勇気が湧き起こってくるのです。ダミアンを思うと自分の卑小さが痛いほどわかりますね。こう生きなくてはならんと心底願うのですが、中々そうなれない自分というものを深く考えさせられます。しかし実存の人としてダミアンが存在したことは本当に凄い希望を与えてくれます。生きていた人にできたことで私にできないことはない。そうダミアンは私に思わせてくれる力があるのです。私はね、ダミアンには惚れています。この人は歴史上でも最も偉大で最もカッコ良い人だと思いますね。ライに冒された後のダミアンの姿(写真)は私の永遠の憧れであり、また我が人生の先生なのです。ダミアンの最後の言葉こそ、真の人生の真の目的となるべきものと私は思っています。「人がその友のために自分の命を捨てること。これよりも大きな愛はない。」  

    タワーリング・インフェルノ THE TOWERRING INFERNO

    (1974年、米) 158分/カラー

    監督:
    ジョン・ギラーミン/原作:リチャード・マーチン・スターン、トーマス・N・スコーティア、フランク・M・ロビンス/音楽:ジョン・ウィリアムズ/受賞:アカデミー賞 撮影賞・音楽賞・編集賞
    出演:
    スティーヴ・マックィーン(マイケル・オハラハン)、ポール・ニューマン(ダグ・ロバーツ)、ウィリアム・ホールデン(ダンカン)
    内容:
    地上138階建ての超高層ビルで大火災が発生。人間模様を絡めて人々の大救出劇を描く。本作品の大ヒットにより、パニック映画ブームが頂点に達した。
    草舟私見
    超高層ビルの火災の恐ろしさを描いており、人災というものを描いた映画の中では屈指の名画であると感じている。そしてその災害の中における種々の人間の対応というものが、控えめにそれでいてこと細かく描写されていることがこの作品を名画にしている要素であると思う。この作品の登場人物の中で群を抜いて魅力的な人物は、やはり消防隊長のオハラオハン(スティーヴ・マックィーン)です。このような人物こそ男の中の男と言えます。勇敢で理知的で人情があり、どのような些細な事柄も全体としての責任から考える人格と能力を持っています。統率に秀れているだけでなく実践にも秀れ、そして何より自ら危険を顧ない剛胆さを有しています。ただただ惚れるのみです。こういう人間にまでなれる可能性が修業次第ではあるのですから、何たって人生は楽しいですよね。

    ダンケルク WEEK-END A ZUYDCOOTE

    (1964年、仏) 124分/カラー

    監督:
    アンリ・ヴェルヌイユ/原作:ロバート・メルル/音楽:モーリス・ジャール
    出演:
    ジャン・ポール・ベルモンド(ジュリアン・マイア)、カトリーヌ・スパーク(ジャンヌ)、フランソワ・ペリエ(アレクサンドル)、ジャン・ピエール・マリエル(ピエルソン)、ピエール・モンディ(デリー)、ジョルジュ・ジュレ(ビノ) 
    内容:
    第二次大戦の緒戦、独軍の攻勢により敗走し追い詰められた仏軍兵士たちの姿を描くロバート・メルルの小説「ズイドコートの週末」の映画化。
    草舟私見
    いかにもフランス的な戦争映画であり、その人間性の描写力には感嘆させられるものがある。戦争映画の中では変わった作品であるが、こちらの方が戦争というものの日常を捉えているように感じる。戦争とは人間が行なっているものなのであるから、実際には実に人間的なものなのである。悲劇の強調や楽観的勇気の方が、戦場においても私は却って作られたもののような気がする。これは私が親父をはじめ多くの体験者と話し合って感じてきたことである。戦いの真の悲しさを描くことにおいて本作品は名画である。マイヤ軍曹(J・P・ベルモンド)の人間味を通じて表現されるものこそ、平時と戦時を問わず最も「人間的」と言われるものであると感じている。彼は激戦の中で一人の人間、一人の男として生きているのである。特別な勇気や怒りや喜びや悲しみがあるわけではない。その日の自分までの連続した自己の人生の上に彼はいる。こういう人物が誠の人なのだと私は思う。

    タンゴ TANGO

    (1992年、仏) 88分/カラー

    監督:
    パトリス・ルコント/音楽:アンジェリク・クロード・ナション、他
    出演:
    フィリップ・ノワレ(フランソワ)、リシャール・ボーランジェ(ヴァンサン)、ティエリー・レルミット(ポール)、ミウ・ミウ(マリー)
    内容:
    哀愁を帯びたタンゴの調べにのって、妻を殺す旅に出た三人の男の奇妙な道中記。人生の奇妙な糸が絡まりながらも、タンゴという人生は踊られていく。
    草舟私見
    何とも楽しい映画である。人生というものの摩訶不思議な魅力が、画面一杯に充溢している。この映画を観ると人生とはどんなに失敗しようが、いかれていようが、主義主張が何であろうが心がけ次第で本当に楽しく過ごすことができるのだと感じますね。そしてよく観ると何で楽しいのかの本質が見えてくる。それはいつでも心に一片の優しさつまり少しの愛を秘め、そしてまたこれも一片の希望を持っていることなのだとわかる。愛も希望も一片であるところが何とも人生を楽しくする姿と思える。思い通りに生きたいのに思い通りにならぬものに惹かれる。そしてまた思い通りに行かぬのに思い通りにしたがる。本当に人生は楽しい。タンゴの破滅の言葉の中に愛と希望を見い出すことが、人生の楽しさなのではないか。何が人生で起こっても面白い人間はどこまでも面白いのです。フィリップ・ノワレの名演が生涯忘れられぬ人生の歓びを教えてくれました。

    ダンス・ウィズ・ウルブズ DANCES WITH WOLVES

    (1990年、米) 178分/カラー

    監督:
    ケビン・コスナー/原作:マイケル・ブレイク/音楽:ジョン・バリー/受賞:アカデミー賞 作品賞・監督賞・脚本賞・編集賞・撮影賞・音楽賞・録音賞、ベルリン映画祭 銀熊賞
    出演:
    ケビン・コスナー(ダンバー中尉=狼と踊る男)、メアリー・マクドネル(拳を握って立つ女)、グラハム・グリーン(蹴る鳥)、ロドニー・A・グラント(風になびく髪)
    内容:
    アメリカの西部開拓時代、西に向かって文明を広げる白人と先住民インディアンとの衝突が未だ激しい時の中にあって、真の人間の交流を深める白人兵士とインディアンの姿を描く。
    草舟私見
    アメリカの西部開拓史の真実の姿を撮し出すと共に、人間にとって真の相互理解というものがいかに困難な事柄であるのかがよく表現され深い感動と共に心にその響きをいつまでも残す名画であると感じている。文化の前にはいかに言葉などは無力であるか。そして真の友愛の心があれば、いかに少ない言葉で本当の心が通じ合えるものであるか。しかし惜しむらくはいかにその心を持つ者の少なきことか。人間にとって個人同士の壁、文化の壁というものは、我々が想像するよりも遙かに乗り越えることは困難なのだ。その困難にぶつかりもせずに生きている人間だけが、美しい言葉で綺麗事を言うのである。我々は自己の文化の中で心ある人間になることしかできない。そして心ある者になれば、その心が真の理解の軸に初めてなれるのだ。映画の中で「蹴る鳥」が言う「大切なことは色々あるが、重要なことは真の人間の道を歩むことだ」というのが真実であろう。また「狼と踊る男」が「政治や権力を離れて、家族や食糧を守るための戦いをして」初めて「戦いに誇りを感じる」と言った戦いの本質論は忘れられぬ言葉である。

    ダンディー少佐 MAJOR DUNDEE

    (1964年、米) 117分/カラー

    監督:
    サム・ペキンパー/音楽:ダニエル・アムフィサートロフ
    出演:
    チャールトン・ヘストン(ダンディー少佐)、リチャード・ハリス(タイリーン)、ジム・ハットン(グレアム中尉)、ジェームズ・コバーン(ポッツ)
    内容:
    アメリカ南北戦争末期に活躍した騎兵隊のダンディー少佐と、彼の率いるアパッチ討伐軍の物語。
    草舟私見
    南北戦争を背景として南北両軍に分かれることとなった、陸軍士官学校の友人であった二人の軍人の絆と反目がアパッチ討伐を通じて興味深く描かれている。お互い頑固者であるが、お互いに男の名誉というものを心底深く持っている。それがいかなる反目も乗り越えていく原動力となっているのであろう。あらゆる感情を乗り越えて男としての誇りに生きる二人は、真の友情を得る価値がある二人なのだと強く感じる。友情は綺麗事では手に入らないのだ。心の深くに共通の大義を持ち本音でぶつかり合い、その反目を越えるところにあるのだ。男らしさとは誓いに対して自己が服従することであり、何よりも人間として失格になることを恐れる生き方にある。この二人は真の男なのである。ダンディー少佐もカッコ良いが、私はむしろ誓いに服従するリチャード・ハリス扮するタイリーンの方にカッコ良さを感じる。滑稽に描かれるグレアム中尉も真の勇気を内包している。

    ダントン DANTON

    (1982年、仏=ポーランド) 139分/カラー

    監督:
    アンジェイ・ワイダ/原作:スタニスラーヴァ・ブリシビシェフスカ/音楽:ジャン・プロドロミデス
    出演:
    ジェラール・ドパルデュー(ダントン)、ヴォイチェフ・プショニャク(ロベスピエール)、アンヌ・アンヴァロ(エレオノーレ)、ロラン・ブランシュ(ラクロア)
    内容:
    フランス革命の中心的役割を果たしたロベスピエールとダントンという二人の英雄が、それぞれの理想のためにしだいに対立していく様を描いた作品。
    草舟私見
    巨匠アンジェイ・ワイダは一貫して、人間がその浅知恵で考えた理想主義がいかに狂気を秘め恐ろしいものであるかを表現し続けている。彼の祖国ポーランドの革命の苦悩からくる実体験だけに、その洞察力は余人のおよぶところではない。本作品はその中心に位置する名画であると感じる。フランス革命こそ自由・平等・博愛などという、それ以後の人類を狂気に追いやる理想主義の原初的な形態なのである。この革命の思想が民主主義を生み共産主義を生んだのである。ワイダはその原点に戻って、革命の中心人物二人の対立を描くことによってその偽善性を問うているのである。ダントンは人間の思想と言葉が万能の力を有していると信じた人間であった。その自信がそのまま彼の滅亡に繋がっていく過程が見事に描かれている。ロベスピエールは力だけを信じている。その報いは彼の精神と最後が示している。二人とも理性の力を信じすぎ、人の本当の真心の偉大な力を軽視しているのである。理屈などを信じる者は理屈によって滅び、力だけを信じる者は力によって滅ぶのだ。人類の真のいく道は、誠の心つまり真の情愛による以外絶対に方法はないのだ。
  • ちいさこべ

    (1962年、東映) 170分/カラー

    監督:
    田坂具隆/原作:山本周五郎/音楽:伊福部昭                   
    出演:
    中村錦之助(茂次)、江利チエミ(おりつ)、中村賀津雄(利吉)、千秋実(大六)、桜町弘子(おゆう)、大村文武(和七)、織田政雄(助二郎)、伊藤敏孝(菊二)
    内容:
    職人気質の大工の若棟梁が江戸の大火で全焼した店を再興していく中、下女やヤクザ者、孤児たちとの人間関係を通して精神的に成長していく様子を描いた作品。
    草舟私見
    中村錦之助が良くて良くて、それだけで名画になってます。江戸の人情が何とも言えぬ風情がありますね。この作品はね、錦之助演じる大留の棟梁が大人物に育っていく過程にその価値があるんです。凄い真面目な男です。両親から棟梁としての感情の抑制について、よく教えられまたよく守り育てようとしています。その姿が何とも男らしいです。始めから凄いできの良い男であるが、これだけでは人物にはなりません。そこにおりつ(江利チエミ)と子供たちと利吉(中村賀津雄)の存在が関係します。この二人と子供たちとの関係によって棟梁は人物になるんです。真面目で優秀で一本気な男が自分勝手な理屈と表面的優しさを持つ者を己の情感の中に受け入れたとき、真の人物ができあがっていくのだということが本当によく表現されています。棟梁以外の人間の人生観に目が奪われると本作品はつまらなくなります。立派な人物はゆがんだ人間との関係で、その捉え方のゆえに成長するのです。そして真の善行は仕事に生き忙しい志ある者にして初めてできるのです。お律のは無責任な親切です。物事をやり抜くには物質面だけでなく精神面においても、いかに多くの乗り越えるべき事柄があるかをよく観ると面白く観れる映画と感じている。         

    小さな巨人 LITTLE BIG MAN

    (1970年、英) 140分/カラー

    監督:
    アーサー・ベン/原作:トーマス・バージャー/音楽:ジョン・ハモンド
    出演:
    ダスティン・ホフマン(ジャック・クラブ)、フェイ・ダナウェイ(ベンドレイク夫人)、マーティン・バルサム(メリウェザー)、リチャード・マリガン(カスター将軍)、チーフ・ダン・ジョージ(酋長)、ジェフ・コーレイ(ワイルド・ビル・ヒコック)
    内容:
    アメリカ西部開拓時代、インディアンに両親を殺害され孤児となった少年が、インディアン社会と白人社会を行ったり来たりしながら送った波瀾万丈の人生を面白く描いた異色ウェスタン。
    草舟私見
    実に痛快で無条件に面白い映画である。ダスティン・ホフマンの名演が忘れ難い印象を残す。20世紀の管理社会が到来する以前の人間の生き方を実に巧みに表現している。これは実話であり、特に変わった生き方というものでもないのだ。何しろ登場人物が好き嫌いは別として全部が真に生きている。これは本当にすばらしいことなのである。条件としては人生の危険を受け入れる姿勢と、何としてでも生き抜こうとする意志がほとんどの人にあることが、その生き方の面白さを決定付けているのである。主人公も調子が良い男に見えるが瞬間瞬間を真剣に生きている。だからどんな境遇になろうが可愛そうであろうが正直面白いのだ。人生は面白くなければ意味がない。酋長の何とも言えぬ面白さ。一生忘れられん。カスター将軍の断固たる面白さ。忘れることは無理だ。商売の師匠のあの自分の力で生きる面白さ。体が全部無くなってもこの男は面白い。本質的に面白いのだ。ワイルド・ビル・ヒコック、面白いですねえ、本当に、馬鹿みたいで。それでいて凄い男なのだ。どんな人間も人生とは自分の責任で生きていれば本当に面白いのだ。それがよくわかる名画である。

    チェ 28歳の革命 CHE: THE ARGENTINE

    (2008年、スペイン=仏=米)  132分/カラー

    監督:
    スティーヴン・ソダーバーグ/音楽:アルベルト・イグレシアス
    出演:
    ベニチオ・デル・トロ(エルネスト・チェ・ゲバラ)、デミアン・ビチル(フィデル・カストロ)、ホアキン・デ・アルメイダ(バリエントス大統領)、カルロス・バルデム(モイセス・ゲバラ)
    内容:
    フィデル・カストロと共に、キューバ革命を成功させたエルネスト・チェ・ゲバラ。彼の壮絶な生涯を二部構成により制作した作品の第一部。
    草舟私見
    ゲバラは、私の若き日からの心の友であり続けている。それはゲバラの中に燃ゆる革命への情熱に、私の魂が強く共感し続けているからであろうと感じる。革命は詩である。詩がなくして何の人生であるのか。革命はロマンティシズムである。その情熱が私と革命家を強く結び付けているのである。本作品は、その情熱が、現実的にはいかなる困難を伴なう日々を強いるものであるのか、その事柄が淡々と描かれているのである。そういう意味で間違いなく名画である。生涯にわたって「単調なる困難」というものと、真に向きあえる者だけが人生を詩となせるのである。作品中、ゲバラは戦い続けるには愛が最も必要であると言っている。戦い続ける者にしかわからない真理である。愛のない者に、戦い続ける人生は不可能である。愛は戦いの原動力である。人生を戦わぬ者には愛は決してわからない。理想が愛を生むのである。そして愛が戦い続ける困難な人生を強いるのである。それに耐え続ける者だけが、自分の人生を詩となせるのである。

    チェ 39歳 別れの手紙 CHE: GUERRILA

    (2008年、スペイン=仏=米)  133分/カラー

    監督:
    スティーヴン・ソダーバーグ/音楽:アルベルト・イグレシアス
    出演:
    ベニチオ・デル・トロ(エルネスト・チェ・ゲバラ)、デミアン・ビチル(フィデル・カストロ)、ホアキン・デ・アルメイダ(バリエントス大統領)、カルロス・バルデ(モイセス・ゲバラ)
    内容:
    革命成ったキューバ。既に新たな権力構造が形成されつつあるキューバに自分の存在意義を見出せないゲバラは、新たな革命の地を求め、運命の地、ボリビアへと一人旅立つ。
    草舟私見
    革命というものが、静かに深く描かれている。理想の悲しみが画面からひしひしと私の魂に伝わってくる。本当の夢が何であるのか、本当の理想が何であるのか、そういう事柄が日々の苦悩を通して見る者の心に迫りくるのである。激しい情熱を、あくまでも静かに、つまり真実の日常性を通して描き切っている。名画である。革命と詩に生きようとする者にとって、チェ・ゲバラは英雄であった。少なくとも、私の青春ではそうであった。英雄ではあったが、肩を組むことができるような友人のような人であった。ゲバラが死んだとき、私の背骨に何ものかが打ち込まれたことをよく覚えている。その日以来、私はゲバラと共に生きている実感を持っている。理想のための日常は苦しみだけである。悲しみと涙だけがその人生を支配するであろう。ゲバラは若き日の私に、そのことだけを伝えて死んで行った。名声も物質も求めず、ただ信念のために死ぬことだけが、ゲバラへの本当のはなむけであろうと私は思っている。そのことを実感させてくれる映画であった。

    チェイサー MORT D’UN POURRI

    (1978年、仏) 120分/カラー

    監督:
    ジョルジュ・ロートネル/原作:ラフ・ヴァレ/音楽:フィリップ・サルド
    出演:
    アラン・ドロン(ザビエ・マレシャル=ザブ)、モーリス・ロネ(フィリップ・デュバイ)、オルネラ・ムーティ(パレリ)、クラウス・キンスキー(トムスキー)
    内容:
    フランス政財界の内幕を暴いたベストセラー小説の映画化。ある日、主人公ザブの下へ議員をしている親友のフィリップが深刻な面持ちで現れる。同じ議員のセラノに汚職をネタにゆすられ、彼を殺してしまったと言う。
    草舟私見
    心に沁みる音楽に乗せて、他人にはわからぬ心の奥深くに存する男の友情を描く秀作と感じる。友情を描くに当たり、軽薄な感じのするA・ドロンが主演のところが何とも言えぬ味がある。また一方の人物役はM・ロネが当たっているが、これがまた大して立派な人物でないところが良い。軽薄な人間でもずるい人間でも、友情という人生の宝物を持って生きることができる現実の姿をよく表わしている。A・ドロンがM・ロネを偲ぶちょっとした場面で、二人が軍隊生活を共にした写真が出てくる。この過去の美しい時間を共にしたことだけが二人の友情の原点であり、二人はそれを大切にして生きてきた人間であることがわかる。共通の思い出がいかに強い絆を創るのかがよく表わされている。その友情だけで男は巨悪に挑戦するのだ。その虚しさを乗り越える原動力も全て友情であり、それを行なう勇気も全て友情なのである。愛情や友情だけが、現世を乗り越えて何事かをためす唯一の力であることがよくわかるのである。またその美しさが隠れていることがこの映画の最大の魅力であろう。そしてその隠れたる花を音楽が表現しているのだ。

    チェルノブイリ 〔全5話〕 CHERNOBYL

    (2019年、米) 合計320分/カラー

    監督:
    ヨハン・レンク/音楽:ヒドゥル・グドナドッティル
    出演:
    ジャレッド・ハリス(ヴァレリー・レガソフ)、ステラン・スカルスガルド(ボリス・シチェルビナ)、エミリー・ワトソン(ウラナ・ホミュック)、ポール・リッター(アナトリー・ディアトロフ)、コン・オニール(ヴィクトル・ブリュハーノフ)
    内容:
    1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故。未明に起きた原子力発電所での爆発事故は、莫大な放射線を放出する前代未聞の大惨事を引き起こした。この大爆発による汚染を防ぐために数多くの犠牲者が命を捧げた。
    草舟私見
    もの凄い作品である。この重さ、この暗さ、この悲しさは、すべての人を黙らせるだけの力がある。人間を人間たらしめている「重力」の存在を実感することが出来るだろう。人間であることの重力を忘れたとき、人間は人間たることをやめるしかない。その極限を、チェルノブイリは我々に教えてくれる。真実のもつ非情と直面しなければ、人間は人間の文明を維持することが出来ないのだ。文明とは、我々人間が真実を直視する勇気の丈(たけ)によって支えられているに違いない。原子のもつ力に恐れを抱かなければならない。原子とは、人間が決して足を踏み入れてはならない世界なのだ。それは神の領域であるに相違ない。我々人間を創り出した宇宙の根源の力とも言えよう。それを恐れることが、人間の文明の本質を創り上げたように私は感じている。二十世紀に至って、人間は人間であることを忘れてしまった。私は、人間の文明の終焉を感じざるを得ないのだ。この作品を観た後に、現代の物質文明に疑問を持たない者は、すでに人間の魂を失っていると言ってもいいだろう。

    誓いの休暇 BAЛЛAДA O COЛДATE

    (1959年、ソ連) 87分/白黒

    監督:
    グリゴリー・チュフライ/音楽:ミハイル・ジフ/受賞:カンヌ映画祭 最優秀賞
    出演:
    ウラジミール・イワショフ(アリョーシャ)、ジャンナ・プロポレンコ(シューラ)、アントニーナ・マクシーモワ(母)、ニコライ・クリュチコフ(大将)
    内容:
    思いがけぬ戦功から特別休暇が与えられた少年兵の六日間の帰郷旅行を軸に、様々な人々との出会いとその人生を描いた作品。スターリン批判の後、人間を描く事を許されたソ連映画の代表作。
    草舟私見
    兵士アリョーシャは私の思い出の中に一生涯生き続ける青年である。私の中に彼が生き続ける限り、私は自分の人生に意義を見い出すであろう。アリョーシャのような人間が本当に立派な人なのだと心底思っている。馬鹿みたいに人が好いです。これは本当に尊いことなのだと年を経るに従って確信できます。こういう人物が社会を支える人材なのです。私はアリョーシャのことは好きで好きでたまらんですね。義を見てせざるは勇なきなりという真実を体現する人物です。勇気の人であり真の男であると断定致します。この映画には人生の尊さの原点が全て含まれています。母を思う心、初恋の感情、義務感、不正に対する怒り、理屈を通り越した真の心の温かさ。思い出すたびに心が温まり、また洗われ、今日を乗り越えて明日に向かう勇気を与えてくれる作品です。映像と音楽もすばらしいです。ロシアの村と大平原は実にいい。この景色と人の心の温かさは私の心から離れることはない。あの一本道は美しくまた哀しいですね。人生の本質であると思います。

    地下水道 KANAL‘

    (1957年、ポーランド) 97分/白黒

    監督:
    アンジェイ・ワイダ/原作:イェジー・ステファン・スタビンスキ/音楽:ハリカ・ナブロカ
    出演:
    タデウシュ・ヤンツァー(ヤツェク)、テレサ・イジェウスカ(デイジー)、ヴィエンチスワ・グリンスキ(ザドラ中尉)、タデウシュ・グヴィアズドスキ(クラ軍曹)
    内容:
    ワルシャワ蜂起の悲劇を扱い、ワイダ監督の名を世界中に知らしめた名作。1944年9月、スターリングラード戦で大敗し、敗走するドイツ軍を追い詰めるソ連軍は、ポーランドのレジスタンスたちにも呼応して独軍に対し蜂起することを求める。
    草舟私見
    巨匠アンジェイ・ワイダの名作である。一九四四年九月の、あの神話化されたワルシャワ蜂起を題材として、その神話を築いた個々の兵士たちの崇高さと弱さとを同時に描いている。栄光がただ美しい物ばかりでは無いその現実把握を映像を通じて語っていると感じる。全編を通じての暗い白黒の映像は独特の印象を我々の心に残す。弱い普通の人間たちが歴史に登場するその悲劇が暗い地下水道で進展する。ポーランドの民族の魂が汚物の中で燃え盛る。いつの日も祖国ポーランドを考え描き続けるワイダの思想が、暗闇の中から我々の心を見据えている。

    竹山ひとり旅

    (1977年、近代映画協会=ジャン・ジャン) 125分/カラー

    監督:
    新藤兼人/音楽:林光                   
    出演:
    高橋竹山、林隆三(定蔵=高橋竹山)、乙羽信子(竹山の母)、倍賞千恵子(ふじ)、殿山泰司(松本)、佐藤慶(成田)、観世栄夫(戸倉=竹山の師匠)、川谷拓三(泥棒)
    内容:
    津軽三味線の名手、高橋竹山の半生を描いた伝記映画。竹山自身が画面に登場してインタビューに答え、それから劇化された物語が展開するという手法で、人間 高橋竹山に迫る。
    草舟私見
    生きとし生ける人々の心魂を揺さぶることができる津軽三味線の名手、高橋竹山の前半生を描いた名画と感じる。竹山は津軽の伝統を継承し、津軽の歴史とその血と涙を現代に伝えることができる名手中の名手である。その三味線は血しぶきをたて雪国の慟哭を現代の我々に伝える。我々は彼の演奏の前には身じろぎもできず、ただ感動をし、その精神的感化を受けるだけである。この映画は名手というものがどうやって生まれるのかを我々に伝える。名手は我々が一般に考える汗と涙と苦労の中から誕生する。そうではあるが名手はそれらのこと一切を楽しんで生きている。名手とは、己に与えられた境遇一切を己の生き方の中で楽しさに変えられる人間なのだ。そして名手はあらゆる人生経験を己自身の人生として取り入れ、縁ある全ての人間から人間として重要なものを汲み取っていくのだ。名手は大いなる悲しみを生き、それを己の内部に蓄積する。蓄積されるから己の楽しみとなり、己の力となっていくのだ。善悪の彼岸に名手が存在し、名手は他者を真に生かす人間となっていくのだ。私の祖母が三味線の名手であったので、私は竹山には特に心魅かれるものがある。       

    地球爆破作戦 COLOSSUS: THE FORBIN PROJECT

    (1970年、米) 101分/カラー

    監督:
    ジョセフ・サージェント/原作:D・F・ジョーンズ/音楽:ミシェル・コロンビエ
    出演:
    エリック・ブレーデン(フォービン博士)、スーザン・クラーク(クレオ博士)、ゴードン・ピンセント(大統領)、ウィリアム・シャラート(CIA長官グローバー)
    内容:
    冷戦下でソ連と対峙するアメリカ。フォービン博士は核戦争を想定したミサイル防衛の要として「コロッサス」と名付けられたスーパーコンピューターを開発、本格的に稼働させる。
    草舟私見
    1970年製作のSF映画である。この作品を、私は公開後五十年を経て初めて観た。そして、その予言性に愕然とした。コンピューターが自らの人格を持ったときの恐怖を描いている。この時代は冷戦下であった。だから原水爆による、破滅に至る経緯がよく描けている。すでにこの時代に、コンピューターの専門家は、その人格性を想像していたのだ。それにも関わらず、今日に至るまでそれが発展の一途を辿ったことに私は人類の本格的な破滅思想を読み取る。今日、この人格性は全くSFではない。もうすぐ手前までそれは来ているのだ。コンピューターが人格を持ったとき、我々はそれに抵抗することは出来ない。それは、人間の方が能力が低いからということに尽きる。人間の持つ自惚れと傲慢が、コンピューター社会を創るのだろう。そして、それによって今の人間は多分滅びる。機械が人格と自己複製能力を持つのはもう目前なのだ。ただし、この時代と違って、現代ではAIコンピューターは、多分、ヒューマニズムと幸福の過剰提供によって人類を滅ぼすことになるだろう。

    チザム CHISUM

    (1970年、米) 112分/カラー

    監督:
    アンドリュー・V・マクラグレン/音楽:ドミニク・フロンティア
    出演:
    ジョン・ウェイン(ジョン・チザム)、クリストファー・ジョージ(ダン・ノディーン)、フォレスト・タッカー(ローレンス・マーフィー)
    内容:
    開拓期のニューメキシコを舞台に、広大な牧場王国を築いた正義の男と、無法を働き縄張り拡大を画策する町の実力者一派との闘いを描いた西部劇。
    草舟私見
    ジョン・チザムという人物は西部開拓時代、ニューメキシコ州の半分を私有していたという実在の男で大物中の大物である。この時代の大物は真底カッコ良いですわ。ジョン・ウェインがまたピッタリと嵌っています。男の中の男という感じですね。何よりも正義に対する信念がありますね。理屈は全く言うことがありません。友情と愛情に肉体がくっ付いている感じです。自分自身の力を真に頼っていますが、今流の個人主義やエゴイズムとは全く違い、底抜けに明るいですよね。何ったって勇気がありますよ。どんなことでも速断速攻ですね、つまり人生の考え方が信念となって体の中に一本通っているからできることです。牧場を眺めている姿はやはり大人物ですよ。こういう大物は感情的なようで、全く感情的ではないですね。正義・愛・友情というものが、心の底辺をしっかり支えていることがよくわかります。それに引き換え有名ではあってもやはり犯罪者のビリー・ザ・キッドは弱いですね。心の底辺が希薄で弱いんですね。

    父の祈りを IN THE NAME OF THE FATHER

    (1993年、米) 133分/カラー

    監督:
    ジム・シェリダン/原作:ジェリー・コンロン/音楽:トレバー・ジョーンズ/受賞:ベルリン映画祭 金熊賞
    出演:
    ダニエル・デイ・ルイス(ジェリー・コンロン)、ピート・ポスルスウェイト(ジュゼッペ・コンロン)、エマ・トンプソン(ガレス・ピアース)
    内容:
    IRAの爆弾テロ犯として投獄された人間の実話を基に映画化された作品。1974年、ロンドン郊外ギルフォードで起きた爆弾テロ事件の実行犯として、事件とは全く無関係のアイルランド人の若者たち四人が逮捕されてしまう。
    草舟私見
    同じ冤罪事件でも本事件は、英国の根深い歴史と深く結び付く事件なので見る者を圧倒する迫力がある。私は元々冤罪事件は嫌いである。冤罪の多くは当該事件に関しては確かに無実でも、どうせ下らない屑のような人間の話ばかりだからだ。本事件も主人公のジェリー・コンロンはその通りであって、犯人と目されてもちっとも違和感の無い人物である。馬鹿息子でその行動は社会のダニそのものである。自分では戦う勇気を持たず、その力を父からもらっているのである。冤罪が晴らされた後のあの得意ちんちんの態度は正真正銘の馬鹿者である。この冤罪が晴らされた原動力は、真面目で人を愛する地味な父親の真実の生き方にある。父親を罪に陥入れたのが警察の間違いの始まりであったのだ。信仰深い愛すべき人間の真の勇気を知らなかったのだ。この父親のひたむきな努力と姿勢だけが多くの感化力を生み出して、冤罪を晴らす力となったのだ。正にこの人の祈りだけが真の力を有していたのだ。この親子の生き方を見て真の勇気というものを考えさせられた。

    父よ MON PÈRE

    (2002年、仏) 115分/カラー

    監督・原作:
    ジョゼ・ジョヴァンニ/音楽:シュルジェンティ
    出演:
    ヴァンサン・ルクール(マニュ=ジョヴァンニ)、ブリュノ・クレメール(父=ジョー)、ニコラ・アブラハム(弁護士エケ)、リュフュス(看守グランヴァル)、ミシェル・ゴテ(母=エミリー)、ガブリエル・ブリヤン(ビストロの主人)
    内容:
    若き日に死刑囚となりながらも、劇的な復活を遂げたフランス映画界の巨匠 ジョヴァンニ監督が、その波乱万丈な青春を、父親の深い愛情を軸に描いた切なくも感動的な作品。
    草舟私見
    巨匠ジョゼ・ジョヴァンニ監督が自らの若き日を描く実話に基づく作品であり、実話からくる真実が心に深い余韻を残す名作と感じる。父を軽蔑し、道を誤った巨匠の若き日の姿と、その父の、言葉に現わすことのできぬ深い愛情を徐々に徐々に自ら感じていく姿は、愛情の表面化した安売りの多い現代において、本当に心の奥深くに考えさせられる問題を提起してくれる作品である。主人公の父は良くも悪くも、自己責任で生きる「賭博師」である。そのことが子に父を伝えることを不可能にしていたと察せられる。ただ、結果が悪く出た場合に、自らがその責任を背負い続けるということが、人間にとっていかに重大な事柄であるのかを考えさせられる。この父は責任を感じ続ける人物であった。そしてその責任が息子の心に人間としてのあり方を伝えたのであろう。本当の愛とは優しさでも思いやりでも無いのではないか。本当の愛とは「責任感」なのではないか。それも結果が悪い場合の。また主題曲の中に、私は現世で流されることの無かった本当に深い父親の涙を感じるのである。生涯心に残る名曲である。

    チップス先生さようなら GOODBYE, MR.CHIPS

    (1969年、米) 156分/カラー

    監督:
    ハーバート・ロス/原作:ジェームズ・ヒルトン/音楽:レスリー・ブリッカス、ジョン・ウィリアムズ
    出演:
    ピーター・オトゥール(チップス先生)、ペトゥラ・クラーク(キャサリン)、マイケル・レッドグレープ(校長)、ジョージ・ベーカー(サタウィック卿) 
    内容:
    美人女優と結婚した真面目な堅物教師の半生を、生徒や妻との心の交流を通して描いた作品。英国の作家ヒルトンが自分自身の体験をもとにして書いた有名な原作の映画化。
    草舟私見
    ピーター・オトゥールの名演が印象に残る秀作です。心に沁み入る場面の連続である。貫き通す人間の哀歓が胸に迫る。貫くとは楽しいことであり、また悲しいことなのである。そして最もその人間に価値あるものを与えるのである。貫き通す人間の特徴は誇りと謙虚に生き、その平衡を仕事に対する情熱が埋めるということがよくわかる作品である。チップス先生は本当に良い人ですね。真の男です。真の大人ですね。紳士は本当に気持ちが良いです。校長になれなかったときの態度と妻を喪ったときの態度は立派です。男ですね。最後の演説は私にとって一生忘れられぬものとなった。

    血と砂

    (1965年、東宝=三船プロ) 131分/白黒

    監督:
    岡本喜八/原作:伊藤桂一/音楽:佐藤勝                   
    出演:
    三船敏郎(小杉曹長)、佐藤允(犬山一等兵)、伊藤雄之助(持田一等兵)、天本英世(志賀一等兵)、団令子(お春)、仲代達矢(佐久間大尉)、満田新二(小原見習士官)
    内容:
    終戦直前の中国大陸、北支戦線に於て重要拠点を守る為に最後まで戦った部隊の姿を描く。昭和二十年、北支戦線では日本陸軍と中国国民革命軍第八路軍との間で激しい戦いが繰り広げられていた。
    草舟私見
     本作品は現実離れしているようであっても、実話から脚本を起こしているだけあって非常に心に残る名画となっている。岡本喜八のメリハリの効いた演出と三船敏郎の名演によって、帝国陸軍の喜びと悲しみを端的に表現していると感じる。戦後の負け犬敗戦思想から大東亜戦争を考えてはならない。負け犬根性を持つ前の日本人は、戦うこと自体を嫌ったり逃げたりする者はほとんどいなかった。そして戦闘以外ではみんな結構楽しくやっていたのである。そして戦闘が男に男らしさを必然的に植え付けたのだ。本作品の表現は少しオーバー気味ではあるが、帝国陸軍ありし日の真実の姿に近いものを感じる。父が私の子供の頃「戦争ぐらい楽しいものはない」と言っていたことがわかります。そして真実の戦争体験をしつこく聞き回った私としては、この映画の中にある真実性がわかるのである。音楽だけが兵隊の真の心の慰めであったことの真実性がわかる。小杉曹長は私の理想とする人間の一典型です。そして帝国陸軍の典型的な下士官であると思います。これが日本人なのです。 

    血と骨

    (2004年、「血と骨」製作委員会) 144分/カラー

    監督:
    崔洋一/原作:梁石日/音楽:岩代太郎
    出演:
    ビートたけし(金俊平)、鈴木京香(英姫)、新井浩文(正雄)、田畑智子(花子)、オダギリジョー(朴武)、松重豊(高信義)、中村優子(山梨清子)、國村隼(趙永生)
    内容:
    小説家梁石日が自分の父親をモデルに戦中戦後の混乱期に壮絶な生き様を示した金俊平を描いた作品の映画化。
    草舟私見
    観た後に、一粒の涙が魂に沁み入る名画である。工業化と高度成長以前の旧い日本社会の一つの典型を、貧しさの中で生き抜こうとする金 俊平(ビートたけし)という在日朝鮮人の主人公の人生を通じて描いているのである。この赤裸々な生き方に眼をそむけ批判することは、豊かになった現代では誰にでもできる簡単なことである。金俊平は貧しく下品であるが、その自由を求める魂には共感せざるを得ない。この時代、日本人の九割はこのような貧乏人であり、このタイプの男はどこの町内にも必ず何人かいたものである。このような荒ぶる魂が、何事かを成してきたのだとわからなければならない。この人物が正当な歴史(つまり家系と関連づけた歴史)と武士道を摑んでいたならば、彼は多分歴史的に偉大な人物となっていたであろう。このような人間の生き方から眼をそむけることによって、現代は歴史的な陰険な社会を創ったのだと考えられる。彼は金銭を求めているのではないのだ(それは最後に全てを北朝鮮に寄付したことでもわかる)。人間の尊厳つまり彼の血と骨が生命の叫びを挙げているのである。真の自由を渇望しているのである。そこが現代では全くわからなくなっているのだ。このような人物が、実社会というものを創りまた牽引してきたのである。それを我々は忘れてしまっている。私は金俊平を好きである。そしてそれ以外の周りの人々全てを嫌いである。なぜなら金俊平だけが間違っていようがいまいが真の人生を求め、それ以外の人々は目先の利益と自己の安泰だけを考えている人々だからである。金俊平のような怪物と呼ばれるような人は、私が子供の頃には隨分と沢山いたものである。歴史と社会に活力があったのであろう。真の人生は涙なのである。人が生きるとは悲しみなのである。全篇を貫く高貴なる音楽のその涙の意味がわかれば、この作品のもつ生命の悲しみがわかるのである。

    地の涯に生きるもの

    (1960年、東宝) 125分/カラー

    監督:
    久松静児/原作:戸川幸夫/音楽:團伊玖磨                   
    出演:
    森繫久彌(村田彦市)、草笛光子(村田かつ)、山崎努(村田弥吉)、船戸順(村田謙三)、司葉子(金村冴子)、太田博之(彦市の少年時代)
    内容:
    北海道の知床半島で、漁師がいない冬の間、番小屋を一人で守る老人 村田彦一の生涯を描いた作品。
    草舟私見
    オホーツクの自然を背景にして、森繫が扮する彦さんこと村田彦市の生涯が壮大なスケールの元に語られる秀作と感じる。海に生き海に死んだ明治の男の生涯であり、心が洗われ一生涯思い出に残る感動を与えられる作品である。孤独の中で晩年を生きられるとは堂々とした幸福な、つまり生き切った前半生があって初めて可能なことなのだと強く感じるものがある。明治人ならではの自己の仕事に対する誇りと家族愛がみどころである。三人の子供を喪くしてもなお、「子供はかわいい、しかしもし次の子がいればまた漁師にして、そして海に生きて海の幸せを摑んでほしい」と言うくだりは、本当に自分が生き切った人にしか言えないことであると感じる。このような人物が最も尊いのだと尽々と感じる。  

    チャーチル/大英帝国の嵐 THE GATHERING STORM

    (2002年、英=米) 97分/カラー

    監督:
    リチャード・ロンクレイン/音楽:ハワード・グッドール
    出演:
    アルバート・フィニー(ウィンストン・チャーチル)、ヴァネッサ・レッドグレーヴ(クレミー)、ジム・ブロードベント(デズモンド・モートン)
    内容:
    第二次世界大戦でナチスドイツの猛威に抵抗し、イギリスを救った英雄ウィンストン・チャーチル。その彼の政治家として最も不遇であったと言われている時代を描いた作品。
    草舟私見
    晩年のチャーチルを見事に描き切っている名画である。チャーチルという人物は、その器量が我々凡人には測り知れぬ程大きいので、真実を捉えて面白く描くには底知れぬ才能と努力が必要であると考えられる。その点、若き日の彼を画いた名画として我々はすでに「戦争と冒険」という作品を与えられている。ここにきて、晩年の彼を描く名画を与えられたことに私は強い興奮と感動を覚えるものである。実にいい作品である。振幅の大きなチャーチルの個性というものを見事に表現しているので、笑いあり涙ありで、観た人が自分の中に眠っている本当の自己というものと対話をすることができるのである。チャーチルは偉大である。私は、その根元は彼が不断なく先祖と対面し対話してきた人物なのであろうと想像はしていたが、その事柄も実に芸術的に描かれている。マールボロー公は英国史上最高の英雄の一人である。公を先祖に持つチャーチルが、公と自己との同体化に成功することによって、あのような大人物になったのだということがよくわかる映画である。信じる力の強さ、この力の度数が公と彼との邂逅の地点なのである。

    忠臣蔵 1/47

    (2001年、フジテレビ) 143分/カラー

    監督:
    河毛俊作/音楽:服部隆之、ショーロ・クラブ                
    出演:
    木村拓哉(堀部安兵衛=中山安兵衛)、佐藤浩市(大石内蔵助)、津川雅彦(吉良上野介)、深津絵里(堀部ホリ)、松たか子(瑶泉院)、杉浦直樹(堀部弥平衛)、提真一(浅野内匠頭)、大杉漣(柳沢吉保)、神山繁(菅野六郎左衛門)、小林聡美(大石りく)
    内容:
    忠臣蔵に於て討ち入りを果たした赤穂浪士四十七士の一人堀部安兵衛を主人公に据え、歴史の大きなうねりに翻弄されながらも武士として生き抜いた男の姿を描く。
    草舟私見
    私は忠臣蔵の物語そのものは取り立てて好きではない。しかし本作品は中々に面白い。面白いいわれは、大石倉之助と堀部安兵衛という非常に個性の強い武士の生き方にその焦点を合わせているからである。この二人の武士はおよそ人間としての生き方が正反対の人物であった。それは史実に基づいて私も充分に承知していたことであった。そのあまりにも個性の違う人間が、同一の目的のために「死に場所を共にした」ということに、私は従来から深い関心を抱いていたのである。「武士であろう」とするとき、人間はいかなる意見の対立も乗り越えることができるということは、人間の生き方に対して重大な事柄であると私は認識する。その二人の違いと深いところでの同一性に焦点をあてた面白い作品であった。二人に共通した事柄は、矛盾を抱えたままそれを乗り越える男としての勇気であったと推察する。勇気がなければこの二人はその人生において接点を持たなかったであろう。印象に残る言葉の多い作品であった。「飯を喰うことと生きることは違う」。「よく生きることができぬ者には、よく死ぬことはできない」。「わからぬことを残したまま死ぬのもまたよかろう」。人と人が信じ合うには勇気がいるのだ。     

    超進化論(NHKスペシャル 全3回)

    (2022年11月22日~2023年1月8日、NHK) 150分/カラー

    演出:
    白川裕之、他/音楽:ケヴィン・ペンキン                
    出演:
    堺雅人、角田晃広、西田敏行、清水渚、板垣瑞生
    内容:
    チャールズ・ダーウィンが『進化論』を提唱して160年。最先端科学が明らかにした「新たな進化論」を映像とドラマで解説するドキュメンタリー。
    草舟私見
    最新の学問的業績が分かり易く取り入れられている。従来の進化論が、その物質主義を乗り超えようとしているのがよく見える。物質的な進化だけに囚われていた人間の脳に、新しい生命の息吹を与えるだけの力がある番組だ。何よりも嬉しいのは、進化を支えている「力」について言及されているところだろう。実は進化とは、表面上の結果に過ぎないのだ。人間も動物も植物も、進化を遂げてきた理由はもっと深いところにある。それは一言で言えば、宇宙の真の力をこの地上で展開することである。そのために地球上のあらゆるものが動員されてきたのだ。そして、その宇宙の力を最も端的に表わす「生き物」こそが、ウイルスを含む菌の存在だと考えられている。だから、考え方を変えれば、地球上の全存在は菌を生かすために、その存在を与えられていたと考えることも出来るのである。番組は、そのような最新の見解まで踏み込んでいる。これは簡単に見えて簡単ではない。勇気をもって、そこに踏み込んでいる番組として尊敬に値するものである。     

    沈黙

    (1981年、表現社=マコ・インターナショナル) 132分/カラー

    監督:
    篠田正浩/原作:遠藤周作/音楽:武満徹                
    出演:
    デヴィッド・ランプソン(セバスチャン・ロドリゴ)、丹波哲郎(フェレイラ・クリストヴァン=沢野忠庵)、岩下志麻(菊)、加藤嘉(村の長老)、殿山泰司(牢役人)
    内容:
    遠藤周作の名作を映画化した作品。江戸幕府によるキリシタン禁制下の日本に遠くポルトガルからやってきた司祭が目にし、体感したものを描き出した作品。
    草舟私見
    遠藤周作の名作を映画化した作品である。私は子供の頃からキリスト教と深く接触していた人間なので、この沈黙という作品はずっと考えさせられ続けている私の根元的問題の一つである。この作品は「なにゆえに神は永遠に沈黙されているのか」という人類の大問題を扱っているのだと私は考えている。その神の沈黙を人間がどう考えどう捉えるかで、人間そのものの生き方が決まってくるのではないかという事柄を扱っているのだと私は考える。私は人間である。ゆえに私には神のことはわからぬ。わからぬから私は神を信じる。神を信じるから、神に対して何事かを問うことは絶対にしない。私は人間のできることしかできぬ。ゆえにそのできることを断固として、つまり人間にできる「型」としてやる決意があるだけである。私には「愛」の本質は全くわからぬ。ゆえに私は人間にできる愛とおぼしき事柄を「型」として行なう。私はそれしかできぬ。しかし私にできる「型」だけは絶対に私は崩さぬ。それが私の節義であり心意気である。愛を問えば、人間は必ず間違う。人間には愛はわからぬのだ。「型」を重んずれば人は転ぶことはない。フェレイラ神父が言うところの「日本は沼である」ということは、私は日本には確固とした伝統的な生き方の「型」があるのだと解する。人が神に物事を問えば人は必ず崩れるのだ。神は沈黙しているからすばらしいのだ。だからこそ人が人として生きる価値が生まれるのだ。       
  • 追憶の旅 UNA GITA SCOLASTICA/A SCHOOL OUTING

    (1983年、伊) 89分/カラー

    監督:
    プピ・アヴァティ/音楽:リズ・オルトラーニ/受賞:ヴェネチア映画祭 バジネッティ賞・男優賞
    出演:
    カルロ・デッレ・ピアーネ(バラ先生)、ティツィアーノ・ビーニ(セレナ)、リディア・ブロッコリーノ(ラウラ〈高校時代〉)、マルチェッロ・チェゼーナ(アンジェロ)
    内容:
    死の床に就きながら、老女ラウラが若い頃を回想し思い起こした徒歩旅行を描いた作品。1911年春、ボローニャの高校生だったラウラのクラスは、フィレンツェまでの徒歩旅行を行なうことになった。
    草舟私見
    人生で一番重要な事柄の一つである、思い出というものの本質を見事に描いている名画である。思い出だけが、真に夢を創り人生を生かす原動力を生む。しかし思い出とは、楽しいことや美しいことだけを重要視している人にはその真の意味はわからない。善も悪も含めて思い出とは、他者との時間の共有に対する喜びと感謝の記憶なのである。ラウラにとっても思い出の旅行は嫌なことも多いことがそれを表わす。思い出が綺麗事でないことは重要なことである。美しくするのは自分なのである。思い出となるものには善悪ではなく人の真心が懸わっている場合が多い。真心が思い出の時間の共有を創り上げているのである。ここではバラ先生ですね。生徒みんなを魔力の時間に誘う。この教師は本当にすばらしい。真の教師とはかくの如き人を言う。思い出のための特別の時間を創り出したのはバラ先生の真心なんです。思い出は人の真心が作り出し、その感化を受けた人の間に生じるものなのです。内容の美しさや楽しさではなく、真心の周りで創り出される人間たちの時間の共有の喜びなのです。そして真の真心とは生真面目さから生まれる義務感が生み出すのです。

    追想 LE VIEUX FUSIL

    (1975年、仏) 101分/カラー

    監督:
    ロベール・アンリコ/音楽:フランソワ・ド・ルーベ
    出演:
    フィリップ・ノワレ(ジュリアン・ダンディユ)、ロミー・シュナイダー(クララ)、ジャン・ヴァイス(フランソワ)
    内容:
    ドイツ占領下のフランスで妻子を失った外科医が、ドイツ軍に復讐していく姿を描いた。第二次世界大戦下、疎開させた妻子がドイツ軍に惨殺され、自ら武装してドイツ軍に報復していく。
    草舟私見
    フィリップ・ノワレがしびれますね。名演中の名演だと感じます。もの凄い怒りというものを最も深いところに宿して、表情に全く表わさずに感じさせるという離れ技が演じられます。F・ノワレが扮する医師は温厚でどちらかというとおとなしい部類の人間です。その人間が愛ゆえの復讐に転じたときのこの凄さに驚かされます。もの凄い執念、もの凄い忍耐、もの凄い創意工夫、もの凄い計算、もの凄い決断力と勇気。真の勇者になり真の男になっています。男とは戦う生き物なのです。そしてこの医師にこれ程の活動力を与えたものはただ思い出だけなのです。この思い出というものの持つ凄い力が、最も良く描かれている名画であると感じています。繰り返し繰り返し反復される善き思い出だけが、人間に想像を絶する力を与えることができるのです。この人は愛情の初心を忘れない人なのです。反対に人間は自分のしたいことはできない、またはそれに対しては大した力を出せないのだということもわかる作品であると感じます。

    追想のワルツ DANSEN MED REGITZE

    (1989年、デンマーク) 88分/カラー

    監督:
    カスパー・ロストルプ/原作:マータ・クリステンセン/音楽:フッシ
    出演:
    フリッツ・ヘルムース(カール)、ギタ・ノアビー(レギッツェ)、ミカエル・ヘルムース(若き日のカール)、リッケ・ベンツェン(若き日のレギッツェ)
    内容:
    ホームパーティーで家族や友人に囲まれながら、主人公の老人が回想する妻との五十年に亘る人生ドラマ。デンマークの田舎町が舞台。ある夏の日、長年連れ添った老夫婦が別荘の庭に家族や旧友たちを招く。
    草舟私見
    いい映画です。普通の夫婦の普通の人生を描いているだけです。それでいて忘れ得ぬ感動を私の心に残しています。普通に生きるってすばらしいことですね。普通に生きるって大変なことですね。色々なことがあるんですね。あらゆることを乗り越えないと普通に生きられないんですね。大変なことが夫婦や家族の絆を創り上げている思い出を創っているのですね。普通に夫婦を通すためには、底辺に真の愛情がなければやはり続けられませんね。そういう意味では誰でも人生楽ではありません。愛があれば大変なことが楽しさの基になるんです。カールとレギッツェの二人はすばらしいですね。自分たちだけの愛情に固執せず、夫婦として友人たちを大切にしようと思う気持ちが、結果として夫婦の絆を造り上げています。ここにある友情はいい。美しすぎる友情ではなく、何とか付き合って行こうとする心懸けが、結局人生を共にする仲間を創ったのです。私はこういう友情のあり方が本物なのだと思います。

    ツェッペリン ZEPPELIN

    (1971年、英) 102分/カラー

    監督:
    エチエンヌ・ペリエ/音楽:ロイ・バッド
    出演:
    マイケル・ヨーク(ジェフリー・リヒター)、エルケ・ソマー(エリカ・アルツシェル)、ピーター・カーステン(トーントーラ少佐)、アントン・ディフリング(ヒアシュ大佐)、マリウス・ゴーリング(アルツシェル博士) 
    内容:
    ドイツが世界に誇る巨大飛行船ツェッペリン号、高度三千メートルを進む船を舞台に繰り広げられる英独の戦いを描く。1915年、第一次世界大戦下の独軍は英国より一人のスパイを迎える。
    草舟私見
    飛行船の映画は何と言っても私は好きですね。悠々としていて堂々としていて重厚ですよ。空飛ぶ潜水艦という感じですかね。しびれますよ、私はね、こういう雰囲気は弱いんです。本作品は主人公の男と女の二人が、まるで関係ないという実にめずらしい映画ですね。この主人公二人の名前も顔も全く記憶にありません。真の主人公はあの偉大なツェッペリン号の雄姿であり、その製作者の教授であり、あとは何と言ってもドイツ軍の大佐と少佐ですよね。この二人はかなりいやな奴として描かれていますが、愛国心の遂行のためのこういういやな奴は私は大好きですね。その証明がやはり二人の最後です。飛行機を爆薬から守るために大佐は飛び降りて身体で防ぎます。また少佐は飛行船が戦闘機から逃げ切れるようにその重量を軽減するために自ら海に飛び降りますね。いやな奴のはずが本当は真の男なのです。教授については科学者や技術者に一般に見られる間抜け性を強く感じます。自分で創っておいて、その活用が意に添わないと大さわぎするという馬鹿さ加減ですね。二十世紀はこの手の科学者に実に翻弄されました。

    土と兵隊

    (1939年、日活) 120分/白黒

    監督:
    田坂具隆/原作:火野葦平/音楽:中川栄三
    出演:
    小杉勇(玉井伍長)、井染四郎(坂上上等兵)、見明凡太郎(工兵中尉)、伊沢一郎(小林伍長)、山本礼三郎(清水大尉)、佐藤円治(今村准尉)、東勇路(荒川部隊長)、荒木重夫(山崎少尉)、菊池良一(戸成上等兵)、西春彦(中川上等兵)
    内容:
    中国戦線を進軍する兵士たちを描いた火野葦平の原作を映画化。夕日を浴びて輸送船団が航行していくが、その船内には敵前上陸を命じられた兵士たちがいる。敵を目前にそれぞれが作戦の緊迫感を増していく。
    草舟私見
    凄いリアリズムである。本作品は昭和十四年の作と聞く。戦前にこれ程のリアリズムの作品があったとは、実に驚くべき事柄である。ただひたすらに歩き、ただひたすらに戦う兵隊の姿の中に私は人生の本質を見るのである。ただただ歩き続ける兵、ただただ戦い続ける兵、私は自分の人生の本質をこの映画の中に見るのである。すばらしいことだ。私の生(いのち)の本源が映像化されている。私は生まれ、生き、そして死ぬ。ただひたすらに私の生が映し出されていく。涙が流れる。生が叫ぶ。血が漲り、自分の生の本質を感じられるのだ。もしかしたら宏大な荒野を戦い進む者が私の血の本質なのではないか。そう感じさせてくれる。そう言えば私の父は中国戦線を五年間にわたって転戦した。帝国陸軍の中尉である。私は当時まだ生まれてはいない。しかし私は父と共に歩いている実感があるのだ。戦うために、死ぬために歩き続けていることがこの作品からは深く感じられるのだ。父と共に、先祖たちと共に歩き続ける自己の姿を私は感じるのだ。

    翼よ! あれが巴里の灯だ THE SPIRIT OF St.LOUIS

    (1957年、米) 135分/カラー

    監督:
    ビリー・ワイルダー/原作:チャールズ・A・リンドバーグ/音楽:フランツ・ワックスマン
    出演:
    ジェームズ・スチュアート(リンドバーグ)、バートレット・ロビンソン(フランク)、マーク・コネリー(ハスマン神父)、デヴィッド・オリック(ビクスビー)
    内容:
    大西洋横断無着陸飛行という当時誰も成し得なかった偉業を達成した一人の若者の半生と、三十三時間半に亘る戦いを描く。幾人ものパイロットたちが挑んだ大西洋横断、消息を絶つ者が多く、リンドバーグはこの壁を超えようと挑む。
    草舟私見
    C・リンドバーグは間違いなく二十世紀最高のヒーローの一人である。大西洋横断無着陸飛行というものが、1927年当時の欧米においてどの位の夢であり憧れであり、また困難な事柄であったのかを知ればその壮挙が桁違いの英雄的行為であったのだとわかるのである。そしてこの二十世紀最高の英雄が英雄らしからぬ普通の青年であったことが、事件をなお一層劇的なものにしているのである。この映画はリンドバーグの人となりをあますところなく表現する名画である。長い地道な郵便飛行士の後、彼は三十三時間三十分の孤独な闘いの末に英雄となった。その三十三時間三十分が彼の地道な不断の努力の末であることは映画を観ればわかる。そしてその孤独の時間をいかに多くの人たちが影で支えていたのかがよくわかる。よく孤独に耐え得る者はまたよく友情を育くむ資質にも恵まれているのである。愛情と友情と信頼の世界に生きる者にして、初めて孤独で勇敢な行為を成すことが可能なのである。

    罪と罰 ПPECTУПЛEHИE И HAКAЗAHИE

    (1970年、ソ連) 208分/白黒

    監督:
    レフ・クリジャーノフ/原作:フェードル・M・ドストエフスキー/音楽:ミハイル・ジフ
    出演:
    ゲオルギー・タラトルキン(ラスコーリニコフ)、インノケンティ・スモクトゥノフスキー(ボルフィリー判事)、タチャーナ・ベードワ(ソーニャ)
    内容:
    ロシア文学を代表するドストエフスキーの名作をソビエト映画が本家の威信を賭けて作り上げた文芸大作。帝都ペテルブルグに住む貧しい青年ラスコーリニコフが主人公。彼は、夢想が膨らみついには殺人を犯す。
    草舟私見
    ドストエフスキーの名作の映画化であり、数多く存在する作品の中で愁眉の傑作と感じる。見ただけで気持ちの悪い主演のタラトルキンが、絶妙の演技で主人公の内面性を描写している。レフ・クリジャーノフの演出も簡素を極め、そのゆえに登場人物の内面描写に成功していると言えよう。自分を超人と思い自分だけは何をしても良いとか、反対に自分が愚鈍であって何をしても駄目であるとかいう、青年から大人になるときの多くの者が抱える悩みと真正面から向き合う作品であると言える。偉大な者が偉大なことをする、又は馬鹿者が馬鹿なことをすると考えている幼児の思考の頂点の問題であり、ここを一歩進んだところに真の大人の世界があると言える。「普通の人」になって初めて偉大なこともできる受皿が自己の中にできるのである。人間はまず「普通の人」になって、初めて偉大なこともできる受皿が自己の中にできるのである。人間はまず「普通の人」にならなければならない。そして本当の「普通の人」になれた自己が何を成すことができるかが、人生の中心課題なのだ。幼児性からくる弱さの克服だけが「普通人」を創り上げるのだ。ただ有能な若者の多くがこのラスコーリニコフの悩みを自己の問題として受け止め悩むように、悩み抜いた挙句にやってくる恩寵としての「普通人」こそが最も立派な「普通人」なのであると言えるであろう。
  • ディア・ハンター THE DEER HUNTER

    (1978年、米) 183分/カラー

    監督:
    マイケル・チミノ/音楽:スタンリー・マイヤーズ/受賞:アカデミー賞 作品賞・監督賞・助演男優賞・編集賞・録音賞
    出演:
    ロバート・デ・ニーロ(マイケル)、クリストファー・ウォーケン(ニック)、ジョン・サヴェージ(スティーヴン)、メリル・ストリープ(リンダ)
    内容:
    アメリカの若者たちの心を引き裂いたベトナム戦争。その狂気の世界にあって、いつまでも変わらない仲間を描いた。舞台はアメリカの田舎町クレアトン、三人の若者がベトナムへと出征する。
    草舟私見
    これほど凄絶な友情というものの、この世における実在を描いた名画は少ないであろう。本作品に登場する若者たちは世間的には製鉄所の職工である。その事実が友情というものに理屈は無く、それは真に心魂的なものなのであることが表現されていると感じる。マイケルに扮するR・デ・ニーロの迫真の演技は、人間が真心から発する友情が、この世で最も勇気を必要とし高貴性というものの同義語であることを遺憾なく示していると感じる。魂の高貴と心の勇気が友情を貫く原動力なのである。マイケルは一発で鹿を殺止めるのだと言い、山で死ぬことが自分の本望であると言っていた。鹿は崇高な人生の目的を表わし、一発ということは貫くことを表わしている。この生き方が、彼をして真の友情の実践を可能ならしめたのであると感じている。日常が高貴の基いなのである。そして彼は戦後鹿を撃たなかった。彼は戦場でそれ程の友情をなお凌ぐ真の愛情に到達したのではないか。この勇気を見たとき、私は自己の修練のなお程遠く、遥かなることを痛感し、革めて我が魂に新たなる情熱を強く感じたのである。

    デイライツ・エンド DAYLIGHT‘S END

    (2015年、米) 105分/カラー

    監督:
    ウィリアム・カウフマン/音楽:ジョニー・ストロング
    出演:
    ジョニー・ストロング(ローク)、ランス・ヘリクセン(フランク)、ハキーム・ケイ=カジーム(クリス)、ルイス・マンディロア(イーサン)、チェルシー・エドマンドソン(サム)
    内容:
    突然現れた謎のウイルスが急速に世界規模で蔓延し、文明が崩壊しつつある近未来。このウイルスに感染すると人間は凶暴化し、他人を襲って血を吸うようになる。そして感染者たちは徐々に群れを作り、都市を支配していく。
    草舟私見
    文明とは、記憶である。私はそう思って生きてきた。思い出が、人生を創る。思い出が、人間を創る。愛情、友情、信義、犠牲的精神、そのようなものが、思い出と共に我々人類の文明を築き上げてきた。そのことが、よくよくわかっていなければ、人間の人生はない。「恩を知らねば、人にあらず」と昔の人は言っていた。その恩とは、記憶からのみ生まれるのではないか。記憶がなければ、約束はない。記憶がなければ、恥はない。記憶がなければ、信義はない。つまり人間を人間たらしめてきたものは、我々の記憶である。人類が滅亡するとき、この記憶に何らかの障害がもたらされると私は思って生きてきた。それが何で起こるかはわからない。この映画では、ウイルスの作用によって、それが起きて文明は滅びている。ウイルスが、人間の神経を冒す病原体である以上、この事実は大いに考えられることだ。私は「狂犬病ウイルス」の存在に、若き日に文明の終末を感じたことがある。そのことが、この映画によって思い出される。種々の型の終末論を考えることは人類の務めである。この作品は、その一端を担っている。

    敵中横断三百里

    (1957年、大映) 86分/白黒

    監督:
    森一生/原作:山中峯太郎/音楽:鈴木靜一                
    出演:
    菅原謙二(建川中尉)、高松英郎(大竹上等兵)、原田詃(神田上等兵)、浜口喜博(野田上等兵)、北原義郎(豊吉軍曹)、石井竜一(沼田一等兵)、根上淳(橋口少佐)、船越英二(第九連隊副官)、柳永二郎(大山司令官)
    内容:
    日本が大国ロシアに挑み奇跡の勝利を収めた日露戦争の裏には、六名の勇敢な日本兵の行動があった。敵の懐奥深く潜入すること距離にして三百里のその全てを描いた作品。
    草舟私見
    いつ見ても日露戦争の頃までの日本軍の物語はいいですね。何と言っても苦労が苦労として表現されていませんよね。祖国のために命を投げ出すことは当たり前のことであるように、唯々淡々とことが運んでいきます。途轍もない勇気があっさりと行なわれているんですよ。太平洋戦争当時のあの悲愴感とは何か別種の明るさがあるんですね。司令官から一兵卒に至るまでが、国を護る気概を持っています。だからどんな勇敢な行為でも、またどんな犠牲的な行為でも、その本人たちの積極さゆえに悲壮感がなく明るいんですね、日清・日露の戦いは真の国防の戦いであったのだと尽々とわかりますね。どんなことでも人間は、正義に則った行動のときに真の勇気と力を発揮するのです。本物はスマートです。この映画も実話であり、これは途轍もない勇気と英知のいる奇跡的な作戦だったのですが、何とも簡単に描かれています。偉大なものは全て単純なのです。     

    鉄仮面の男 THE MAN IN THE IRON MASK

    (1998年、米) 132分/カラー

    監督:
    ランダル・ウォレス/原作:アレクサンドル・デュマ/音楽:ニック・グレニー=スミス
    出演:
    レオナルド・ディカプリオ(ルイ十四世/フィリップ)、ガブリエル・バーン(ダルタニアン)、ジョン・マルコヴィッチ(アトス)、ジェレミー・アイアンズ(アラミス)、ジェラール・ドパルデュー(ポルトス)、アンヌ・パリロー(アンヌ王妃)
    内容:
    アレクサンドル・デュマの『ダルタニアン物語』を翻案し、映像化した作品。絶対王政のフランスが舞台で、若きルイ十四世が王として君臨し、度重なる戦争で人々は疲弊、かつての三銃士がこの状況を憂い行動を起こす。
    草舟私見
    ひとつの伝説である。しかし、ルイ十四世のような偉大な王には、このような非日常の伝説がことのほか似合う。私はここに、一面の真実性を嗅ぎ取る。それはルイ・ル・グランのこともあるが、やはり、少年の日に血湧き肉踊った三銃士が登場することに多くを負っている。ダルタニアンと三銃士は、私の少年時代の英雄であった。その後年の姿を見ることも、また楽しい。我が友に再会する思いである。建築家フランク・ロイド・ライトは、自分の生涯を、「ダルタニアンのように優雅に、そして勇敢に生きたい」と、いつでも周囲にもらしていた。我が意を得たり、である。ルイ十四世と三銃士は、それぞれに人類の夢なのだ。だからこそ、この伝説は生きなければならない。自分の背後には、いつでも鉄仮面を覆った者がいる。そして、その者と自分との間に、「幸福」と「不幸」が行き来しているのだ。もしかしたら、「生」と「死」もそうかもしれない。私はいつでも、自分の背後に、鉄仮面の男の存在を感じ続けて生きている。

    鉄眼

    (1981年、櫂の会) 115分/カラー

    監督:
    中村佳厨王/音楽:寺内タケシ/受賞:文部省選定                
    出演:
    河原崎次郎(鉄眼)、細川護熙(細川家当主)、水島道太郎(隠元)、永島暎子(許婚)、石浜朗(奉行)
    内容:
    一切経全七千巻の刻版に命を懸けた傑僧鉄眼禅師の生涯を描き、彼の姿を通じて人生の意味を世に問いかけた作品。鉄眼没後三百年を記念して製作された。
    草舟私見
    人間がその人生で立てる志というものが、何であるのかを深く考えさせられる名作と感じる。志だけがいかなる困難をも乗り越える力を人に与える。しかし志はいつでも崩れそうになる。それをぎりぎりのところで支える力は、愛情や友情や信義の力である。そしてそれをまた支えるものは、臆病な自己を叱咤する勇気だけではないのか。志を貫徹するところに人間の真の輝きと感化力が生まれるのである。鉄眼の人生こそ本当に生き甲斐のある偉大な人生なのだと心の底から共感するものである。鉄眼は永遠に私の人生の師であり続けるだろう。           

    鉄道員 IL FERROVIERE

    (1956年、伊) 115分/白黒

    監督:
    ピエトロ・ジェルミ/音楽:カルロ・ルスティケリ
    出演:
    ピエトロ・ジェルミ(アンドレア)、ルイザ・デラ・ノーチェ(サーラ)、エドアルド・ネヴォラ(サンドロ少年)、シルヴァ・コシナ(ジュリア)、サロ・ウルツィ(ジジ)
    内容:
    第二次世界大戦後のイタリアの都会に生きる庶民の喜怒哀楽を詩情豊かに描いた名作。鉄道に働く頑固な父親とその家族の確執と別離、そして父親の病を経た後の和解の姿が描かれている。
    草舟私見
    全編を通じて流れる心に沁みわたる名曲と共に、生涯思い出に残る名画であると感じる。家族というものの本当のあり方を活写しており、この家族の複雑な人間関係を描いたものはやはり本作品に代表されるようにイタリア映画が群を抜いていいですね。本作品もそうですが、出てくる人たちがみんな正直に生きています。強烈な喜怒哀楽を持つ真に人間らしい人たちですよね。その多量の感情量の中で、どうやって関係を保って生きていくのかが見どころだと思います。真の愛情があるんですね。真の愛情というものはどの国においてもあまり表面には出ないものなのですね。その表面に出ずに底流にあることが、心に残る原因の一つであると思います。この父親の生き方は私は好きですね。真の男のあり方の一つだと思います。死後に本当の感化力を残す生き方が、本当の人生であり本当の感化力であると感じます。家族が喜んでいるときが一番嬉しそうなサンドロ坊やの本当に子供らしい幸福の姿も忘れ得ぬものです。

    デュエリスト ―決闘者― THE DUELISTS

    (1977年、英) 100分/カラー

    監督:
    リドリー・スコット/原作:ジョセフ・コンラッド/音楽:ハワード・ブレイク
    出演:
    ハーヴェイ・カイテル(フェロー)、キース・キャラダイン(デュベール)
    内容:
    名誉のため常に紳士であり続けるために決闘を繰り返した、実在の二人の軽騎兵将校の姿を描く。ナポレオンがフランス全土を掌握した1800年のフランス・ストラスブールが舞台。
    草舟私見
    魂の奥深くに何か突き刺さるような、不思議な情緒を持つ名画であると感じる。主演のハーヴェイ・カイテルとキース・キャラダインの名演もさることながら、やはり闘いに生きる男の説明不可能な強烈な情念を感じるのである。この二人の主人公が現代流に見れば馬鹿丸出しの生き方をしているのに、現実に元帥にまで登りつめたということ(これは実話である)は重大なことである。真に闘う男の制御不可能な程の、強大なエネルギーを感ぜずにはおれない。これがあのナポレオン軍の真の強さの秘密なのだと感じる。この強さ、この執念深さをフランス革命が生み出したのだと考えられる。この馬鹿げた二人が同時にフランスの栄光を担ってもいるのだ。不思議な友情であり、愛であり、人生である。しかし偉大な魂だと私は感じる。このような生き方、このような友情が現に存在したことが、当時のフランスが世界最強の国であった理由であると思う。私は好きだ。

    デルス・ウザーラ

    (1975年、ソ連) 141分/カラー

    監督:
    黒澤明/原作:ウラジミール・アルセーニエフ/音楽:イサク・シュワルツ/受賞:アカデミー賞 外国語映画賞                
    出演:
    ユーリー・サローミン(アルセーニエフ)、マキシム・ムンズーク(デルス・ウザーラ)
    内容:
    黒澤明監督が、原作者ウラジミール・アルセーニエフの実体験を基に、シベリア・ウスリー地方の密林に住む純粋な友人との友情を描いた小説を映画化。
    草舟私見
    デルス・ウザーラ、ゴリド人の猟師にして、自然の中で生きる英知に富む創意工夫の人物である。探険隊長アルセーニエフ、ロシア軍人にして測量技師、デルスと並び創意工夫に富み英知をもって自然を己が内に包み込む。この二人の本当の心の触れ合いがテーマなのである。自然尊重で見ても文明尊重で見てもこの映画はわからない。二人の心が本当の友情で結ばれているということは、自然と文明の本質が同じであるということなのだ。それを対立にしてしまうのは人間の欲から出る邪な心が成すことなのである。本質が同じでなければこの二人に友情は芽生えないのだ。自然を知れば文明がわかり、文明を真に学べば自然の尊さは自らわかるのだ。この二人は立場が入れ替わっても、第一等の人物として生き切れる人間同士なのだ。最後の街の生活に敗残してゆくデルスを見て、自然と文明の融合を疑う場合が多いがそれは間違いなのだ。虎を殺してからのデルスは、山においてすでにその生きる力は死んでいたのだ。決して街の生活に合わなかったのではないとわかることが重要である。自然と社会の因縁を考える上で生涯心に残る名画である。     

    天国の駅 HEAVEN STATION 

    (1984年、東映) 133分/カラー

    監督:
    出目昌伸/音楽:矢野誠                
    出演:
    吉永小百合(林葉かよ)、西田敏行(田川一雄:通称ターボ)、三浦友和(橋本浩一)、真行寺君枝(幸子)、津川雅彦(福見康治)、中村嘉葎雄(林葉栄三)、丹波哲郎(五十沢)
    内容:
    二人の夫を殺し、戦後唯一の女性死刑囚となった女の半生を描いた作品。女主人公を演じた吉永小百合の名演が光る一作。
    草舟私見
    吉永小百合の名演が光り輝く作品ですね。戦後唯一の女性死刑囚を内面と外面から鋭く捉えた秀作です。死刑囚も元は普通の人間なのです。それがなにゆえにそうなってしまったのか本当に考えさせられます。それは思い込みによって、与えられているものが見えないからなのです。主人公のかよは真実の愛を求めていた。そしてその愛は身近にずっとあったのです。自分の中にもあったのです。かよは手に職を持ち、一人でも生きて行ける人物であることに気づいていない。ターボがすぐ近くにいるのです。与えられているものは自分の思った通りではないことが多いのです。自分で稼ぎ、ターボの面倒を一生みてあげつつもりになれれば、彼女は本当の愛のある生活ができたのです。残念です。女である自分に対する思い込み、つまり女の幸せを型通りに考えすぎたのだと感じます。女であろうとした部分が、全体を破滅させたのだとよくわかる作品となっている。人間の思い込みが間違っている場合の恐ろしさを痛感させられます。かよは綺麗ですね。ターボは本当にかわいそうですね。心に残る作品です。

    天才画家ダリ LITTLE ASHES

    (2008年、英=スペイン) 112分/カラー

    監督:
    ポール・モリソン/音楽:ミゲル・メラ
    出演:
    ハビエル・ベルトラン(フェデリコ・ガルシア・ロルカ)、ロバート・パティンソン(サルバドール・ダリ)、マシュー・マクナルティ(ルイス・ブニュエル)、マリーナ・ガデル(マグダレナ)、アルリ・ジョベール(ガラ)
    内容:
    1922年、マドリッド。詩人のガルシア・ロルカと映像作家のルイス・ブニュエルは美術学校へ入学した画家志望のサルバドール・ダリと出会う。友情を育む三人であったが、複雑な関係に苦しみながら、それぞれが内戦の時代を生きていく。
    草舟私見
    ダリのシュール・レアリズムの本質が描かれている名画と思う。ダリがなぜ、あのような天才の開花に至ったのか。その秘密がかい間見られる。ブニュエルとブルトン、そしてピカソに出会うことによって、ダリはその技術的才能を開花していったに違いない。しかし、最も根源的なダリを創り上げたのは、あの革命の詩人ロルカであった。ロルカの自由を求める革命思想が、このダリの天才を開花させたことを知る喜びを味わえる作品だ。革命が、シュール・レアリズム最大の天才を生み出したのである。ダリは本作の中で、シュール・レアリズムを戦争になぞらえている。つまり、永久革命に至る戦いの生命的実存の表現形式ということなのだ。それは人類の浄化を生み、人類の誕生の清冽に戻ることだと考えている。「ノアの大洪水」を生き残り、新しい人類、つまり原始の人類を再創造することだと言っているのだ。ダリの青春が、この革命思想を創り上げた。それに至り、それを貫くことの苦悩が若き天才たちに襲いかかる。生命の実存とは、戦いに他ならないのだ。

    天才は海から生れた 漁民画家・木田金次郎

    (1991年、NHK) 45分/カラー

    ドキュメンタリー
    内容:
    画家 木田金次郎の生涯を描いた作品。木田金次郎は北海道の岩内で漁師として生きながら、独学で油絵を始めその画業を切り開いた。若い頃から交流のあった有島武郎が『生まれ出づる悩み』にその姿を描いている。
    草舟私見
    木田金次郎の生涯と業績は、間違いなく日本の美術史上に永遠に残るものであると私は信じている。その存在は有島武郎の『生まれ出づる悩み』を通じて早くから知っていたが、恥ずかしながら、金次郎の作品はこの映像番組を見て初めて知ったのである。そのときの驚愕は、それはもう凄まじいものであった。脳天が割れたというか、全身が緑色に変色したというか、言葉ではとても言い表わせないものがあったのだ。その絵画作品は偉大という形容しか無いであろう。またその生涯は涙が浸むような感動を私に与え、詩の如き生涯を唯ただ私は敬慕することとなったのである。私は油彩では戸嶋靖昌画伯を最も尊敬する者であるが、それと双璧をなすべき画家がこの木田金次郎であろうと思っている。戸嶋画伯が音楽を通じて神つまり天から与えられた生命の本質と哀しみにせまり、それを画布にぶつけたように、木田画伯は故郷に対する深い愛情を通じて、地上から生まれ出づる生命の本質とそのあはれを画布にぶつけているのだ。私はこの映像作品を見て、そう感じたのである。

    点と線

    (2007年、テレビ朝日) 234分/カラー

    演出:
    石橋冠/原作:松本清張/音楽:坂田晃一
    出演:
    ビートたけし(鳥飼重太郎)、高橋克典(三原紀一)、柳葉敏郎(安田辰郎)、夏川結衣(安田亮子)、内山理名(鳥飼つや子)、竹中直人(石田芳男)、江守徹(原種臣)
    内容:
    松本清張の『点と線』を映像化。ある心中事件から端を発し、政界汚職を追う刑事たちを描く。定年を間近に控えた刑事が直観的に、心中を殺人ではないかと捜査し始める。
    草舟私見
    深い愛情というものを心の奥底に持っていなければ、何事もできはしないのだという人間の真実を実によく捉え、また映像としてよく描写したものだと感じ入った作品である。何かを決断すること。そのことが無くしてできる事柄はこの世には無い。善も悪も全てそうである。決断するとは、そこに自己が責任を持つということである。責任を持つとは悲しみを背負い涙を引き受けるという意味である。そして全ての本物の決断を支えている最も重要な要素は愛情なのである。愛情の無い人間には善行も悪行も何もできないのだ。この作品はすばらしい緊張感の上になり立っている。その緊迫感は本物の人間同士の友情や愛情、そして対立や葛藤を描いていることによって生じるのである。本物でない者同士の関係には全く緊迫感というものは生まれない。現代人はそういう関係を好む者が多いが、私はやはり善も悪も本物同士の関係に感動を覚える。私は鳥飼刑事と三原刑事の生き方も好きだが、安田の生き方も好きである。清張文学の映像化は難しいと常々感じているが、本作品は久々の名作と言えるであろう。

    天と地と

    (1990年、「天と地と」委員会) 119分/カラー

    監督:
    角川春樹/原作:海音寺潮五郎/音楽:小室哲哉/受賞:文部省選定                
    出演:
    榎木孝明(上杉謙信)、津川雅彦(武田信玄)、渡瀬恒彦(宇佐美駿河守定行)
    内容:
    毘沙門天の化身と呼ばれた上杉謙信を主人公とし、武田信玄との戦国史上名高い「川中島の決戦」までを描いた作品。カナダの大平原で壮大なロケを敢行、「角川映画十五周年記念作品」。
    草舟私見
    映像が非常に美しく、戦国乱世のあり方と自然の美しさと人間の迷える心との質の異なる三つの要素を、その映像によってうまく表現した秀作と感じている。またそれら三つの要素を繋ぎ止める役目としての音楽がすばらしい。戦国ものではめずらしいことです。主に篠笛で奏される主題曲は人間の持つ強さ優しさ、そして苦悩と哀しみを心に沁み入る美しさで表現し、生涯忘れ得ぬ曲となっている。上杉謙信は戦国武将の中では抜きん出て変わっている。正義というもののために戦った数少ない武将である。彼にとって正義とは伝統と秩序である。それが欲望の固まりの世界では弱く見えることもあった。しかし確実に戦いを勝ち抜いた強者であったことも史実である。謙信が長く生きれば、その後の日本の歴史は大きく変わったことは間違いない。謙信と宇佐美駿河守との関係がいいですね。心に残ります。真の愛があります。上杉謙信と織田信長の二人が戦国武将の中でわかりにくいのは、二人の心が両者違う型であるが、二人とも近代世界の申し子だからなのです。        

    天平の甍

    (1980年、「天平の甍」製作委員会) 152分/カラー

    監督:
    熊井啓/原作:井上靖/音楽:武満徹                
    出演:
    中村嘉葎雄(普照)、大門正明(栄叡)、浜田光夫(玄明)、草野大悟(戒融)、田村高廣(鑑真)、藤真利子(平郡郎女)、高峰三枝子(与呂志女=母)、井上比佐志(業行)
    内容:
    天平年間、四人の青年僧が唐へ旅立つ。唐の高僧を日本へ招来するための青年僧たちの使命と、鑑真和上の苦難の道程を描いた作品。井上靖の小説が原作。
    草舟私見
    井上靖の原作の映画化であり、この原作は私の小学生以来の愛読書でもある。原作に劣らない名画であると感じている。普照を中心とする遣唐使としての日本の留学生の苦学を扱っているが、私は本作品においては断然として鑑真の生き方と精神に魅了される。日本の憎たちは確かに苦難を乗り越え向学心に燃えているが、私はあまり感応しない。学びたい学びたい、ほしいほしいという努力は私は一貫して好きになれない。日本の精神の中で私が嫌っている数少ない要素の一つが、この日本人の持つ自己よりも優れたものをすぐにほしがる精神なのである。これがいかなる美しい観念であろうと、私は何か貧しさといじ汚なさを感じる。鑑真の命懸けは同じ命がけでも品格が違う。精神的にも知的にも物質的にも何の得も無いことに命懸けである。私は鑑真の心の中に真の高貴な真の男の魂を感じる。鑑真は自己の心の中に聖地を有しているのだと確信できる。私は鑑真に惚れる。         
  • ドイツ軍ファイル〔シリーズ〕

    (1996~98年、ピクニック) 合計505分/カラー・白黒

    監督:
    マイケル・キャンベル/ドキュメンタリー
    内容:
    原書房による貴重な戦争のフィルムを集めてドイツ軍の軌跡を追った記録をビデオ化した作品。戦後世界中から非難を浴びるようになったドイツ軍に対し、比較的中立の立場でドイツの真の姿を描いている。
    草舟私見
    ヒトラーとドイツ軍は我々が生きる現代において、最大の悪とされている存在である。考えて見ればあたり前で英米が戦争に勝ち、我々はその英米が絶対善とされる社会で生きているのである。この記録映画はそのような時代の中にあっては、最も公平な記録であると感じている。戦争自体が人間の悪なのである。そのことについては英米も同じなのである。本記録映画によりドイツも勝つために必死に戦っただけなのだとわかってほしいのである。戦うことについてはドイツは非常に秀れた点を多々持っており、それに関しては我々も一目置くべきなのである。ドイツ軍はカッコ良い。私はドイツの軍隊の組織は男として惚れ込んでいる。

    東京オリンピック

    (1965年、東京オリンピック映画協会) 170分/カラー

    監督:
    市川崑/音楽:黛敏郎/受賞:カンヌ映画祭 国際批評家賞
    プロット:
    開会式・入場行進、聖火入場・点火、100M男子決勝(ボブ・ヘイズ)、走高跳(ワレリー・ブルメル)、砲丸投男子(D・ロング)、砲丸投女子(イリナ・プレス)、ハンマー投(クリム)、10,000M男子(ミルズ)、800M女子(パッカー)、走幅跳(デイビス)、80Mハードル女子(バルツア)、体操男子(遠藤幸雄)、体操女子(V・チャスラフスカ)、水泳男子100M自由型(ショランダー)、水泳女子100M背泳(ファーガソン)、水泳男子400Mメドレーリレー(アメリカ)、レスリングフェザー級(渡辺長武)、レスリングフライ級(吉田義勝)、レスリングバンタム級(上坂洋次郎)、ボクシングバンダム級(桜井孝雄)、柔道重量級(猪熊功)、柔道無差別級(A・へーシング)、バレーボール男子(ソ連)、バレーボール女子(日本)、マラソン(アベベ・ビキラ)
    内容:
    1964年10月10日から10月24日まで開催された第18回オリンピック東京大会の全貌を描いた記録映画。撮影には膨大な数のカメラとレンズを使用し、大会の全ての記録を撮影した。
    草舟私見
    東京オリンピックは我が青春の一頁である。スポーツというものがまだ夢を我々に与えてくれた時代の記念碑と感じる。そして多くの神話を生んだ意味においてベルリン大会と双璧を成すと思う。善くも悪くも戦後日本の若く元気な時代の象徴がこの大会であろうと感じる。東京大会は私の中学生の頃で私は燃えましたよ。ただひたすらに燃えました。何もわからぬまま燃え感動し、一生涯忘れ得ぬ思い出を脳裏に刻み込まれました。多くの感動と思い出があるが、特に凄いのはやはりマラソンにおけるアベベ(彼は神様である)の優勝と、我が円谷選手の銅獲得のあの凄い「走り」である。私は神と日本男子を同時に観ていたのだ。円谷の走りは泣けましたね。最後にトラックで抜かれて三位になったときのことは一生忘れられません。あの走りはね、しかし日本男子にしかできないんですよ。私は円谷選手は心底好きですよ。アベベは評論できません。私にはわからん。ただ私の生涯の師となるような真のスポーツマンです。それからね、棒高跳びの十時間の熱戦ね。あれも歴史的です。米のハンセンと独のラインハルト。生涯忘れません。私は独を応援していたんですがね、敗れました。そのくやしさは36年後の今でも思い出しますよ。私の記憶では十時間全部まばたきもしないで観ていたような気がします。それから体操ね。日本男子は強かったですね。いい気持ちでした。そして女子体操のチャスラフスカとラチニナ。いやはや綺麗でしたよ。今の角兵衛獅子のような女子体操とは全く違います。美しかったですね。そして柔道。神永がへーシングに敗れました。くやしいがやはりへーシングは偉大だと思いました。神永は真の男ですよ。これも神話ですね。神話と言えばね、魔女ですよ。日紡貝塚(この名は本当に偉大です)を中心とする東洋の魔女と大松監督ね。これはもう凄くて書けません。真の大和撫子と日本男子です。勝利の後の大松の偉大な姿。今の日本人のスポーツマンにはいませんね。このバレーチームは歴史的な真の神話と感じています。その他も多々あるが紙面がありません。つまりね、この東京オリンピックというのはね、本当の神話なんですよ。      

    東京だヨおッ母さん

    (1957年、東宝) 61分/白黒

    監督:
    斎藤達雄/音楽:船村徹                   
    出演:
    島倉千代子(河村三代子)、賀原夏子(母)、杉葉子(深見令子)、伊藤久哉(野々宮五郎)、太刀川洋一(川崎豊)、中田康子(あけみ)、北野八重子(里枝)
    内容:
    東京へ出た娘と故郷に残された母親との心の絆と、二人を巡る人々との交流が描かれている。島倉千代子のヒットソング「東京だヨおッ母さん」を元に作られた映画。
    草舟私見
    いつまでも心に残る、島倉千代子の主題歌と共に思い出すたびに日本の心を感じる秀作である。船村徹作曲により島倉千代子の歌うこの歌は本当に魂に響きます。戦後の東京の姿が目に浮かび、戦後日本の原点が偲ばれます。船村徹の曲は心の一番深いところに響く日本の名歌が多いですね。最後の場面におけるこの歌と共に、母と娘で東京見物をする姿は何度見ても心が温まります。日本の親子の原点と感じます。幸福になりたくても中々なれない親子が、いたわり合って戦死した兄のいる靖国神社に詣でる姿は戦後の一番尊い姿と感じます。多くの人が足元にある幸せがわからず幸福を夢見て苦しみます。映画をよく見ると幸福はどこの場所でも足元にありますね。しかし見えないのです。これは仕方のないことでもあると感じます。一度二度と幸福を失った者たちが、それゆえに摑むことのできる真の幸福の姿をこの作品は表わしています。不幸が人の心に本当の優しさを成長させるのです。不幸なほど幸福になれるというのが本作品の主題と感じています。    

    東京物語

    (1953年、松竹) 135分/白黒

    監督:
    小津安二郎/音楽:斉藤高順                   
    出演:
    笠智衆(平川周吉)、東山千栄子(とみ)、原節子(紀子)、山村聰(幸一)、杉村春子(志げ)
    内容:
    小津安二郎による代表作で、田舎に住む老夫婦が、東京に住む子供たちに元気なうちに会っておこうと上京するが、想像とは違った展開となり、子供たちから鬱陶しがられ散々な旅行となってしまう。
    草舟私見
    戦後の日本の新しい時代思潮を描くことによって、旧い日本の家族愛を浮き彫りにする名画と感じる。家族愛というものを失っていく戦後社会を描写し、日本の家族の崩壊過程が描き出されている。戦後日本に導入された民主主義的成功思想が、日本人にとって何よりも重要であったものを駆逐してゆく姿が、老夫婦と子供たちの家庭との関係を通じて活写されているのである。思想的にかようなものと考えられるが、物語自体はほのぼのとした情感を湛えるいつまでも心に残る秀作である。断然として笠智衆の名演が光る。日本の旧い父親の一典型を演じて彼以上の演技力は無いと思う。彼の演技は神様の域に近い。死んだ息子の嫁(原節子)が老夫婦に実子以上の孝行をしているが、これは家族というものが価値観と魂のつながりであることを示している。前夫との心の絆が真の孝行を生むのだ。血の繋がりだけの家族は弱い存在である。愛情と信義を共有して初めて真の家族愛が生まれるのである。

    動天

    (1991年、トーメン) 122分/カラー

    監督:
    舛田利雄/原作:なかにし礼/音楽:池辺晋一郎                   
    出演:
    北大路欣也(中居屋重兵衛)、黒木瞳(おその)、島田陽子(おらん)、江守徹(大老井伊直弼)、西郷輝彦(勝海舟)、橋本功(重衛門)、芦田伸介(水戸斉昭)
    内容:
    幕末の動乱の中で生きた商人、中居屋重兵衛の半生を描いた映画。重兵衛は豪華な洋館を作り、西洋人に受けるように商売を展開していく。その後、井伊大老の暗殺事件に関わり、海外へと逃亡していく。
    草舟私見
    中井屋重兵衛のような男が日本にいたということは、男として非常に嬉しく感じるものがある。またやはり理屈抜きの魅力というものを感じることも事実である。が、魅力的にもかかわらずあまり好きにはなれないというのも、また事実である。好きでは無いが魅力がある。このような意味で本作品は特異な魅力を私にもたらしている。好きになれない理由は道を貫いてはいるが、その道の上にあれども自己の足がしっかりと乗っていないことである。政治に頼っている。それは夢が本人の力量よりも大きすぎるからである。夢は大きい程良い。だが大きすぎてもいけない。大きすぎれば何かに頼ることになる。私は死んだ重衛門が好きである。重衛門の真の魅力は重兵衛の生き様を育てたことだと私は感じた。この度量の魅力はやはり奈辺にあるのであろう。         

    堂堂たる人生

    (1961年、日活) 97分/カラー

    監督:
    牛原陽一/原作:源氏鶏太/音楽:小杉太一郎                 
    出演:
    石原裕次郎(中部周平)、長門祐之(紺屋小助)、芦川いづみ(石岡いさみ)、宇野重吉(老田和一)、中原早苗(弘子)、東野英治郎(原大作)
    内容:
    倒産寸前の玩具会社のサラリーマンが、同僚と入社希望の下町娘と共に孤軍奮闘し会社の危機を救う物語。仕事が出来、女性にもてる主人公を石原裕次郎が好演。
    草舟私見
    裕次郎の颯爽たる姿と日本の高度成長の初動の力となった「日本製玩具」企業の姿とがあいまって、心の浮き浮きする真底気持ちの良い映画ですね。本作品は昭和36年のものだが物語の舞台は昭和31年頃ですね。この映画の中の「煙をはく汽車」は、日本のおもちゃが世界を席捲した最初のものです。当時私の親父が三井物産の雑貨課長で、日本製のおもちゃを一手に世界中に輸出していました。この汽車の話は本当の話でね、私はこの玩具会社のことは親父から聞かされていました。この汽車は物産を通して輸出されたのです。老田社長も裕次郎もそのモデルは実在の人で私の親父の知り合いだったんですからね、この映画の思い出は格別ですよ。高度成長突入の頃の日本人は本当に元気ですね。我々はこういう先達の志を真に活かさなければならんと尽々と思います。それにしても裕次郎は全くカッコ良いですね、どことなく私に似ていなくもない感じが印象として少ししますよ。裕次郎はいいです!        

    動乱

    (1980年、東映=シナノ企画) 150分/カラー

    監督:
    森谷司郎/音楽:多賀英典                 
    出演:
    高倉健(宮城啓介大尉)、吉永小百合(宮城薫)、米倉斉加年(島憲兵曹長)、田村高廣(神崎中佐)、永島敏行(溝口二等兵)、佐藤慶(廣津中将)、田中邦衛(小松少尉)、にしきのあきら(野上中尉)、小林稔侍(原田軍曹)、小池朝雄(第四連隊長)
    内容:
    昭和の初めの激動の時代を生きた青年将校とその妻の生き様を描いた作品。二・二六事件に至る社会背景と青年将校たちの心情、そしてその結末までが描かれていく。
    草舟私見
    高倉健がカッコ良くてどうにもならん映画ですね。二・二六事件を扱った作品であり、吉永小百合の名演も見逃せませんが、そういうものは全てどうでも良いという感情に襲われる作品です。何しろ高倉健が扮する宮城大尉の何とも言えぬカッコ良さね。帝国陸軍の軍服を着てこれ程さまになっている俳優は珍しいです。この陸軍の軍服のカッコ良さは心底じーんと来ますよ。やっぱり帝国陸軍はいいわ。私もね、こんなにカッコつけられるなら死んでも本望ですよ。私は元々陸軍好きですが、陸軍に惚れ直す一作であると感じています。細かいことはどうでも良い、陸軍の美学を知る作品であると私は感じている。何しろ20世紀に日本刀を振り回していますからね、世界中どこの国もこの帝国陸軍の真似はできません。それでいて強いですからね。鉄の規律が当時は世界中から恐れられていました。最後に世界中と戦って負けたので今の日本人は誤解していますがね、帝国陸軍というのは本当に恐ろしく強い軍隊だったんです。我々も往時をそろそろ正確に見るべきだと感じます。           

    トゥルー・グリット  (「勇気ある追跡」リメイク版)TRUE GRIT

    (2011年、米) 110分/カラー

    監督:
    ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン/原作:チャールズ・ポーティス/音楽:カーター・バーウェル
    出演:
    ジェフ・ブリッジス(ルースター・コグバーン)、ヘイリー・スタインフェルド(マティ)、マット・デイモン(ラビーフ)、ジョシュ・ブローリン(チェイニー)
    内容:
    牧場主の娘で十四歳の少女が、父親を殺した使用人に復讐すべく旅に出る。その復讐を手助けしてくれる男が必要だと、罪人を撃つことにためらわない名手の保安官に頼み込む。
    草舟私見
    西部を生きる男―あのルースター・コグバーンの物語が復活したのである。人間の生きる力が真の発動を見た時代と言ってもいいだろう。男が男であり、女が女であった。善が善であり、悪が悪であった。醜いものはあくまでも醜く、美しいものはあくまでも美しかった。私が最も愛する時代のひとつ、あの開拓期の西部を描き尽くしている。あの時代に生きたコグバーンと親の仇をうつために生きた少女の物語は、今も我々の心を打ち続けている。百数十年前の真実が、我々の心を深く打つ。郷愁が我々の魂を震わせるのである。一昔前に、名優ジョン・ウェインが主演して、コグバーンの物語が映画化された。あの「勇気ある追跡」を覚えている人も多いだろう。本作はそのリメイク版だ。しかし、リメイクと言っても本作ならではのすばらしさが多く見られる。それは現代人に感応し易く描かれたひとつの「情念」と言ってもいい。我々にもわかる情念で表現されているということだ。西部が現代社会に甦ってきた。現代人にわかる形で、西部の魂が戻ってきた。

    遠い空の向こうに October Sky

    (1999年、米) 107分/カラー

    監督:
    ジョー・ジョンストン/原作:ホーマー・H・ヒッカムJr./音楽:マーク・アイシャム
    出演:
    ジェイク・ギレンホール(ホーマー・ヒッカム)、クリス・クーパー(ジョン・ヒッカム)、クリス・オーウェン(クエンティン)、ローラ・ダーン(ミス・ライリー)、ウィリアム・リー・スコット(ロイ・リー)、チャド・リンドバーグ(オデル)
    内容:
    1957年10月。ソ連は人類初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功した。その美しい姿に心を打たれた少年たちは、ロケット作りに挑戦していく。
    草舟私見
    実話に基づく真実性が、胸に迫り来る名画と感ずる。希望のもつ切なさが、よく表わされている。その切なさを通してしか自己固有の人生は生まれないのだ。青春において、人間はその切なさを抱き締めなければならない。それが純愛でもいいだろう。そしてまた、この映画に描かれるような挑戦でもいい。ただ夢に生きること。それだけが、人間的な人生を創り上げる原動力となる。真の人生は、夢の中から生まれ出づる。しかし、その夢はまた、苦悩の中にしか存在していないのだ。本当の夢は、ほんの一握りの人にしか理解されない。だからこそ、夢を抱く人間は苦悩の中を生きなければならないのである。理解される夢は、夢ではない。それは打算でしかない。打算ほど、卑しい人生を生み出すものもまたない。本作に登場する青年たちの心に触れるとき、観る者の心に気高さが響き渡るに違いない。恵まれぬ環境こそが、夢を育てる力を持っている。この作品には、夢というものの本質を解き明かす詩情が流れている。

    遠き落日

    (1992年、東急グループ=テレビ朝日=松竹) 118分/カラー

    監督:
    神山征二郎/原作:渡辺淳一/音楽:林哲司                 
    出演:
    三田佳子(野口シカ)、三上博史(野口英世、幼名:清作)、仲代達矢(小林栄)、田村高廣(八子留太郎)、山本圭(血脇守之助)
    内容:
    世界的医学者、野口英世の生涯を、母との関係から描いた作品。磐梯山と猪苗代湖に囲まれた貧しい農村に生まれた野口は、一歳半にしていろりに落ちて左手に大火傷を負う。
    草舟私見
    野口英世を野口英世たらしめたものが何なのかが良く描かれている。野口を世界的にし、最後には愛に到達しそして燃え尽きたその生の原動力が何であったのかを感じさせられる。いくつもの原因が重なっているが、やはり最大のものは母の愛情であろう。すばらしい母と息子の関係である。土根性と土根性がぶつかり合って火花を散らす真の家族愛である。母の影になっているが父親もこの息子も尊い。この息子が世界的な学者になったのは結果論なのですね。この息子は村にいても偉大な人になっています。米国から帰国したときの母と息子の対面のシーンは、一生涯忘れ得ぬ印象を私に与えている。   

    遠すぎた橋 A BRIDGE TOO FAR

    (1977年、英=米) 175分/カラー

    監督:
    リチャード・アッテンボロー/原作:コーネリアス・ライアン/音楽:ジョン・アディスン
    出演:
    ロバート・レッドフォード(クック少佐)、ジーン・ハックマン(ソサボフスキー少将)、ショーン・コネリー(アーカート少将)、アンソニー・ホプキンス(フロスト中佐)
    内容:
    第二次世界大戦末期、戦争終結を急ぐ連合国軍の史上最大の敗北作戦であった、マーケット・ガーデン作戦の全貌を描く。
    草舟私見
    ノルマンディー上陸作戦に続いて行なわれた、連合軍の最も大規模な作戦であったマーケット・ガーデン作戦を扱った作品である。ノルマンディーの奇跡的な成功によって、いかに連合軍首脳部が傲慢になっていたかを端的に示す作戦であった。特に最高司令官であった、英軍のモントゴメリー元帥の個人的な功名心から出たものである。元々この英国のモンティという将軍は、第二次世界大戦を通じて私の最も嫌いな人物である。とにかく英国人の持つ、悪い面だけの見本市のような人物であると私は考えている。モ元帥とその腰巾着のブラウニング中将はどうしようもない人物であるが、その部下たちの任務に対する情熱には本当に頭が下がります。統帥者が馬鹿の場合、どんなに優秀な人間が集まっても駄目である見本のような作戦です。指揮官にとって一番大切なものは、部下に対する愛情なのだと尽々とわかる作品です。愛情が全ての知恵を生み出す根元になるのです。本作品で私はアンソニー・ホプキンスの大ファンになったことを付け加えておきます。

    徳川家康[劇場版]

    (1965年、東映) 143分/カラー

    監督:
    伊藤大輔/原作:山岡荘八/音楽:伊福部昭                 
    出演:
    北大路欣也(元信=徳川家康)、中村錦之助(吉法師=織田信長)、西村晃(今川義元)、田村高廣(松平広忠)、有馬稲子(於大)
    内容:
    山岡荘八の原作を基に、徳川家康の誕生から元服し岡崎城へ戻るまでの苦難の人生を描く。徳川家康の青春時代に人間形成がどう行われたかが伝わる作品。
    草舟私見
    本作品は山岡荘八の原作に基づき、特に家康の岡崎城主となるまでの青春時代までを描いている歴史大作である。家康とはいかなる人物かということにとって、一番重要な出生から青春までであるので特に感動性の強い作品となっている。家康は世界史上唯一の三百年の太平を拓いた武将であり政治家である。その人となりがいかにして形成されたかは興味の尽きぬ問題である。苦労や辛苦と言われるものが、良い型で成長した凄い人間である。最高の辛苦が最高の品性を持つ者に課せられたとき、家康という稀代の人格を創り上げたと察せられる。そしてそれは全て思い出に支えられていますね。家康の家臣団は戦国の奇蹟である。この家臣団を擁した松平家というのは、やはり偉大な血筋であろうと感じられる。明治にまで至る旗本たちの祖先の姿を見るのは本当に心躍るものがある。また本作で信長を演じる中村錦之助は良いですね。田楽狭間出陣のときに舞う敦盛は絶品である。この舞は精神の舞であり、魂の舞である。敦盛でこれ以上のものは無い。  

    徳川家康〔大河ドラマ〕

    (1983年、NHK) 各話45分・合計2288分/カラー

    演出:
    大原誠、加藤郁雄、松本守左、兼歳正英、国広和高、高橋幸作/原作:山岡荘八/音楽:冨田勲 
    出演:
    滝田栄(徳川家康)、役所広司(織田信長)、武田鉄矢(豊臣秀吉)、近藤正臣(松平広忠)、長門裕之(本多作左衛門)、成田三樹夫(今川義元)、石坂浩二(竹之内波太郎=納屋蕉庵)、勝野洋(徳川秀忠)、鹿賀丈史(石田三成)、江原真二郎(石川数正)、津川雅彦(大久保長安)、竜雷太(天海)、小林桂樹(雪斎)、寺泉哲章(大賀弥四郎)、宅麻伸(徳川信康)、寺田農(明智光秀)、大竹しのぶ(於大)、八千草薫(華陽院)、夏目雅子(淀君)、竹下景子(亀姫、お愛の方)、池上季美子(瀬奈)、田中美佐子(徳姫)、吉行和子(北政所)
    内容:
    NHK大河ドラマの番組で、低迷していた大河ドラマを一挙に盛り返した人気の「徳川家康」。山岡荘八原作、演出家大原誠による最大の歴史的人物としての徳川家康を題材とした一大ドラマ。
    草舟私見
    NHKの大河ドラマ中の白眉の作品と言えよう。山岡荘八の原作そのものが戦後最高の伝記文学と言えるものであり、その原作に忠実に作られた番組である。徳川家康は戦国を勝ち抜き最後に江戸幕府を開いた最後の勝利者なので、判官びいきの世の中としてはこの作品が現われるまでは実に評判が悪い人物であった。戦後日本の復興を願って山岡荘八がこれを書いた意図は、この世界史上最高の政治家である家康に戦後日本人の人々が学んでほしかったからである。その真心が家康の真実の姿を直感させ、史実に基づいて本作品を完成させたのである。平和を本当に尊いと思うなら、家康は史上空前の大政治家なのだ。この300年の太平を切り拓いた人物の哲学は恩と義理であり、信義に篤く、戦いに強く、巨大な情を持ち、人間の絆を最も大切にしていたことがわかることが、この作品の最も重要な課題である。平和は実力と熟慮がなければ達成維持はできないのだ。    

    徳川一族の崩壊

    (1980年、東映) 139分/カラー

    監督:
    山下耕作/音楽:黛敏郎                 
    出演:
    萬屋錦之介(松平容保)、松方弘樹(桂小五郎)、平幹二朗(一橋慶喜)、伊吹吾郎(松平平衛門)、寺田農(松平恭次郎)、成田三樹夫(岩倉俱視)、藤巻潤(周布政之助)
    内容:
    会津藩主 松平容保と長州藩の桂小五郎の対立を中心に、三百年に亘る徳川政権の終焉を壮大に描いた作品。薩長中心ではない切り口が斬新な映画。
    草舟私見
    幕末を描いた映画は数多く存在するが、ほとんどが薩長を中心としたものがその大半を占めている。その中にあって、佐幕派の中心であった会津の立場を描いた作品である。明治が何を犠牲にして生まれたのかということを理解するためにも、重要な作品であると感じている。維新の動乱期において真の誠を貫いた藩が会津藩である。その誠は政略によって結果的には朝敵とされてしまう運命を辿るが、現代に生きる我々はその真実をやはり知らねばならぬ。また佐幕派も根本は勤皇の志を持ち、天皇を中心とした近代国家の創り方の違いによる争いが明治維新であったのだと理解することが重要と考える。会津藩主松平容保という至誠の人の生き方を中心とし、我々が近代の名の元に犠牲としたものを知るとき、我々はまた現代を本当に意義ある時代としなければならぬ志を新たにすることができ、その引金となる名作であると感じている。萬屋錦之介の誠に生きる武将としての演技が、私の心に深くそのような事柄を残しているのである。       

    利家とまつ ―加賀百万石物語―〔大河ドラマ〕

    (2002年、NHK) 各話45分・合計2235分/カラー

    監督:
    佐藤峰世、鈴木圭、伊勢田雅也、本木一博、小林武、田村文孝/原作:竹山洋/音楽:渡辺俊幸                 
    出演:
    唐沢寿明(前田利家)、松嶋菜々子(まつ)、反町隆史(織田信長)、菅原文太(前田利昌)、加賀まり子(たつ)、三浦友和(前田利久)、竹野内豊(佐脇良介)、赤木春恵(うめ)、中条きよし(奥村家福)、松平健(柴田勝家)、山口祐一郎(佐々成政)、香川照之(豊臣秀吉)、高嶋政宏(徳川家康)、酒井法子(おね)、加藤雅也(浅野長政)、萩原健一(明智光秀)、天海祐希(はる)、林隆三(今井宗久)、伊藤英明(前田利長)、瀬戸朝香(淀殿)、的場浩司(村井又兵衛)、村上ショージ(氷見助右衛門)、田中美里(市)
    内容:
    戦国武将前田利家と妻まつの物語で、製作の主題となったのは夫婦。様々な夫婦が登場するが、戦国時代にあって必ず妻の支えがあり、夫婦が力を合わせる姿を描いていく。
    草舟私見
    非常に面白く、また歴史的真実の重要な部分を今に伝える秀作であると感じる。戦国時代ものは数多く作られているが、この日本を動かし新しい時代を築いた人々の日常と人間関係の深さに焦点を合わせているところが、今までに無い面白さである。現代人があまり気づいていない点、つまり時代を創る人々の個人的な人間関係の深さを知るには実に良い映画である。創作的なところも少なく、史実に基づく構成であるところも良い。歴史的に人間は深く、かつ少ない数の信頼する人間関係によって、物事を成してきたのだと尽々とわかる作品である。登場する一人一人が各々別個に歴史的な存在であるが、その人々がまた類稀な縁で結ばれて生きていたことを知るのは重要である。深い人間関係だけが真の仕事を成す力となることを実感するのである。深い人間関係はまた綺麗事では済まぬ。命がけの喧嘩もまたあるのだ。怒り喜び泣き笑うその深い友情のみが歴史を真に築いていくのだ。豪勇で知られる利家の役に、小柄な人物を当てているのが少し気になるがまあ良い。それにしてもまつは良い。こういう女性は全く心底、出会ったならば惚れてしまう女性としか言いようが無い。信長の描き方も私は大変好きである。私の思っている真の信長の部分が大いに描かれている。真の信長とは、大人物の信長ということである。包容力のある信長である。大人物でなければあのような大事業は不可能であるのに、従来の信長像はあまりにも冷酷な面と猪突猛進的な面に捉われ過ぎていたように私は思っていた。本作品では配役の反町氏が懐の大きな信長をうまく演じていたと考えている。秀吉もよく描かれている。秀吉のもつ真の人間臭さと知謀を、その人間力の総体の上で非常によく表現していると感じる。歴史的な人物たちの家庭や個人的な事柄を描写することにより、その人物の真の姿を浮き彫りにした本作品は、歴史というものを一歩深いところで理解する手助けとなると信じる。    

    ドクター THE DOCTOR

    (1991年、米) 123分/カラー

    監督:
    ランダ・ヘインズ/原作:医学博士エド・ローゼンバーム/音楽:マイケル・コンバーチノ
    出演:
    ウイリアム・ハート(ジャック)、エリザベス・バーキンス(ジューン)
    内容:
    アメリカの一流病院で働く、優秀だが非情で高慢な外科医が癌の宣告を受け、患者の立場となり、真に患者の気持ちを考える人間性豊かな医者へと変わっていく様を描いた作品。
    草舟私見
    現代の医療問題の核心に触れ、それを自らの問題として考えさせられる名画である。理屈の上では、全てが正しいと思われる科学至上主義の誤りを考えさせられる。はたして医学は科学が全面的に適用できる分野なのか。生身の人間を扱うものが、科学という理論だけで解決できるのかに鋭くメスを入れている。この重大な問題を考える手懸りはやはり古来、自分の問題に還元して考えることが人間としては最も正しいのであろう。本作品の主人公も有能な医者であり、有能な分だけ理論ずくめで考えていたが、自分自身の体験によって医療の本質を摑むことになる。自分自身の身にふりかかったとき、わかる人物はやはり有能な人物なのである。過去も現在も未来も人間は自分にとって不幸なことは、決して他人に理屈だけで無理強いしてはならないのだ。

    ドクトル・ジバゴ DOCTOR ZHIVAGO

    (1965年、米=伊) 201分/カラー

    監督:
    デヴィッド・リーン/原作:ポリス・パステルナーク/音楽:モーリス・ジャール/受賞:アカデミー賞 脚本賞・音楽賞・撮影賞・美術監督装置賞・衣装デザイン賞
    出演:
    オマー・シャリフ(ユーリ・A・ジバゴ)、ジュリー・クリスティ(ラーラ)、ジェラルディン・チャップリン(トーシャ)、アレック・ギネス(エフグラフ・ジバゴ)
    内容:
    ロシアの文豪パステルナークの小説を映画化。ロシア革命前後の動乱期を背景に詩人でもある医師ジバゴの波瀾の人生を描く。
    草舟私見
    B・パステルナークの名作の見事な映画化と感じる。詩人パステルナークが自らの若き日を描いた自伝的作品と解する。映画も原作に劣らずすばらしい。私はロードショーを四回も観に行きました。広大なロシアの大地が主人公の一人であり、あのロシア革命がまた主人公の一人でもある。パステルナークは共産体制を憎み苦しんだ。しかし権力によってノーベル賞を辞退させられても、ロシアから離れることはできなかった。その詩人の祖国に対する愛を感じる。また共産革命の名の下に行なわれたことの、真の姿を文学を通して描いているのだ。自由と平等が無秩序を生み出し、平等は人々の僻の気持ちを増幅しただけであったのだ。その歴史のうねりの中で苦しむジバゴこそ詩人の真の姿であり、彼がいかに死を望んでいたかがわかる。トーニャと父そしてラーラも全て歴史は呑み込んでいく。歴史とは正義や善を主張する必要などないのではないか。大地を愛し、人を愛し、国を愛することだけが真実なのではないか。この映画の余韻は消えることがない。

    トスカーナの贋作 COPIE CONFORME

    (2010年、仏=伊) 106分/カラー

    監督:
    アッバス・キアロスタミ/受賞:カンヌ映画祭 主演女優賞
    出演:
    ウィリアム・シメル(ジェームズ)、ジュリエット・ビノシュ(彼女)、ジャン=クロード・カリエール(広場の男)、アガット・ナタンソン(広場の女)、ジャンナ・ジャンケッティ(カフェの主人)、アドリアン・モア(息子)
    内容:
    イタリア・トスカーナ地方の小さな村で、主人公の作家が講演を行う。そこで講演に来ていた女と知り合い、夫婦を演じるゲームを始める。
    草舟私見
    現代社会は、すでに「本物」と「偽物」の識別が不可能になっている。それは、限り無い「水平化」の歴史がもたらした結末と言えよう。合理主義がもつ、ニヒリズムの 跳梁跋扈と言い換えてもいい。本物であるキアロスタミの眼差しが、偽物としての自己を見つめている。そして、本物は本物の価値を失い、偽物は偽物としての価値が生まれる。それが平等化された現代なのだ。一人ひとりの人間は、一人ひとりの人間として生きてきたと思っている。しかし、その人間たちの人生は何ら違っているところが無い。多くの人々の思い出は、個別ではなくなっているのだ。真実は真実の価値を失い、嘘は嘘としてまかり通っている。だから、他人同士が親しい人間としてふるまうこともできるのである。ふるまっても、何も変わったことは起こらない。それは、個別のはずの人生が、すでに個別ではなくなったからに他ならない。水平の恐怖。平等のニヒリズム。私は、誰でもなく、誰でもが私になれる。水平とは、地獄ということである。最後に、「不合理の鐘」が鳴り響くとき、人間は個別の人生を取り戻すのだ。つまり、「垂直」の人生に向かって生きる意識の台頭であろう。それは、神の囁きに耳を傾けるときに訪れてくるのだ。

    吶喊

    (1974年、喜八プロ=ATG) 93分/カラー

    監督:
    岡本喜八/音楽:佐藤勝                   
    出演:
    伊藤敏孝(千太)、岡田裕介(万次郎)、伊佐山ひろ子(お糸)、高橋悦史(細谷十太夫)、仲代達矢(土方歳三)、千波恵美子(テル)、田中邦衛(山川大蔵)
    内容:
    徳川幕府の崩壊と明治新政府の誕生という日本の夜明けのただ中を駆け抜けた若者たちの姿を描いた作品。明治元年の、江戸から明治へと移り変わる新たな時代の日本が舞台。
    草舟私見
    本当に面白い映画である。岡本喜八監督の傑作中の傑作と思う。青春とは何かを最も深いところで摑んでいる作品である。この主人公の千太の生き様こそ青春そのものであると言える。青春とは基本的にこれだけなのである。存在の根底にこの千太の心意気あっての青春であると言える。判断力の全ては「カッコえー」と「面白えー」だけで構成されている。この判断力が人間に真の経験をもたらしてくれる唯一のものなのである。このエネルギーが人を創り人生を創るのである。私は私の中に千太が生きている限り、私自身は青春の中に生きているであろうと感じている。千太のような若者がいなくなったとき、国家は衰退し、道徳は荒廃するのだと私は考えている。千太万歳!           

    突撃 PATHS OF GLORY

    (1957年、米) 88分/白黒

    監督:
    スタンリー・キューブリック/原作:ハンフリー・コッブ/音楽:ジェラルド・フリード
    出演:
    カーク・ダグラス(ダックス大佐)、ラルフ・ミーカー(パリス伍長)、ジョセフ・ターケル(アーノー一等兵)、ティモシー・カレー(フェロル一等兵)、ジョージ・マクレディ(ミロウ将軍)、アドルフ・マンジュー(ブルラール総司令官)
    内容:
    第一次世界大戦中、フランス軍のある連隊での敵前逃亡を巡る物語。1916年のフランスにおいて独仏戦争は、ドイツの強力な要塞と塹壕を前に一進一退の膠着状態が続いていた。
    草舟私見
    本作品は戦争と人間の本質を考えさせられ、解釈は大きく分かれる作品である。やはり私はアドルフ・マンジュー扮する総司令官と、カーク・ダグラス扮するダックス大佐との比較が主題と感じる。戦争は勝たねばならん。そして勝つには国民の士気があり、犠牲があり、無謀さがあり、非情さが必要である。それを総司令官が体現する。しかし戦う者は人間であり生身である。それを大佐が体現している。第一次大戦の仏軍の勝利は、偏に大損害の人的犠牲を恐れぬ戦いにあったことは周知のことである。第二次大戦では人命の損害を恐れて仏軍は簡単に敗れた。戦争においては総司令官が正しく、人間の情としては大佐が正しいのである。どちらも正しいのである。だから人の上に立つ者の人格と涙だけが、古来重要視されているのだ。この矛盾を解決する道は唯、血と汗と涙しかこの世には無いのだ。旅順の乃木将軍が一番正しいことをよく理解できる作品と感じる。

    翔ぶが如く〔大河ドラマ〕

    (1990年、NHK) 各話45分・合計2160分/カラー

    監督:
    平山武之、望月良雄、小松隆一、菅康弘、他/原作:司馬遼太郎/音楽:一柳慧                   
    出演:
    西田敏行(西郷隆盛)、鹿賀丈史(大久保利通)、加山雄三(島津斉彬)、高橋英樹(島津久光)、蟹江敬三(大山格之助)、三田村邦彦(一橋慶喜)、佐藤浩市(坂本龍馬)
    内容:
    西郷隆盛と大久保利通を中心に幕末維新の日本の激動期を描いたNHK大河ドラマであり、原作は司馬遼太郎の長編小説。
    草舟私見
    明治維新というものを、西郷隆盛と大久保利通の生涯を描くことによって表現する大作である。この二人は明治を切り拓いた二大巨頭であることは誰でも知っている。原作者の司馬遼太郎は大久保利通を近代日本の生みの親として最重要視している。それを描くために西郷を旧い愚鈍な人物として描いている。それが真実を語ることとなり、結果として西郷の偉大さを際立たせるものとなっている。偉大な人物はいくら愚鈍に描いても、ますますその偉大さが光り輝いてくるのである。日本は近代化の始めに道を誤った。それは、近代化を焦りすぎたことによってわかる。帝国主義の時代であるのでその気持ちはよくわかる。しかしそれは大久保の弱さなのである。西郷は太腹である。戦争に敗けることよりも、日本人の魂を失わぬことに力を注いでいる。近代化は少し遅れるかもしれぬが、それが正しいのだ。それには敗ける覚悟がいる。勇気がいるのだ。西郷の志向した近代化は日本の魂を失わないで行なう近代化なのだ。劇中に出てくる村田新八の弾くアコーディオンの音楽は良いです。私の大好きな曲であり、この曲こそ西郷隆盛の真の心を歌っているのです。         

    トム・ホーン TOM HORN

    (1980年、米) 98分/カラー

    監督:
    ウィリアム・ワイアード/原作:トム・ホーン/音楽:アーネスト・ゴールド
    出演:
    スティーヴ・マックィーン(トム・ホーン)、リンダ・エヴァンス(キンメル)、リチャード・ファンズワース(ジョン・コーブル)
    内容:
    最後の西部の男と呼ばれ、生涯を終えるその日まで西部魂を抱き続けた実在のトム・ホーンの半生を描いた作品。トムはカウ・ボーイ、駅馬車や鉄道の護衛の仕事を経て騎兵隊に入隊する。
    草舟私見
    スティーヴ・マックィーンの真の魅力が出ている一作である。西部開拓時代に自己の力だけで生きてきた男の誇りと、二十世紀の文明との摩擦が良く描かれている作品である。自分自身の人生を生き切るとは何なのかを考えさせられる。また人間が自分の人生から自己を喪失していくことが発展であると信じ込んだ、二十世紀文明との対比が鮮明に出ている。この実話は私の心に人間として生き切る勇気を与えてくれる。トム・ホーンの男らしさは、私の夢であり人生の希望なのだ。最後の裁判の場面でのトム・ホーンの発言は、全て二十世紀の文明と二十世紀の正義に対するその偽善性を告発する言動なのである。まさに快男児ですね。私もこのようになりたいと願っています。

    友だちのうちはどこ?Where is the Friend's Home?

    (1987年、イラン) 83分/カラー

    監督:
    アッバス・キアロスタミ/音楽:アミン・アラ・ハッサン
    出演:
    ババク・アハマッドプール(アハマッド)、アハマッド・アハマッドプール(モハマッド)、ホダバフシュ・デファイ(先生)、イラン・オリタ(母さん)、ラフィア・ディファイ(おじいさん)
    内容:
    イラン北部の小さな村。同級生のノートを間違えて持ち帰ってしまった少年が、遠く離れた友だちの家にノートを届けに走り出す。
    草舟私見
    人間の心がもつ最も美しいものとは何だろうか。私はそれを一途さだと思っている。健気さと言ってもいいし、またひたむきさとも言えるものだ。それが人間にとって、最も大切な生き方を生む。イランの名匠キアロスタミは、多くの作品においてそれを描き出そうとしている。それも一途さが育まれる辛い真実を描いているのだ。一途さが、人間にあらゆる悲しみを教えてくれる。ひたむきさが、人間にあらゆる不合理を教えてくれる。一途な人間とは、つまりは馬鹿ということである。しかしその馬鹿だけが、人間の崇高を摑み取ることが出来るのだ。その崇高に向かう悲哀を味わう青少年の姿ほど、美しいものはない。それは我々人間のその存在の原点を指し示してくれていると言えよう。そしてこの一途さは、何に対して出現するか分からない。そこに少年時代の恐さがあると言っても過言ではない。その恐さを乗り越えることによってしか、人間は真の人間的な心を醸成できないのだ。キアロスタミは、寛容さを失いつつある現代社会に物申しているに違いない。

    ドライビング・Miss・デイジー DRIVING MISS DAISY

    (1989年、米) 99分/カラー

    監督:
    ブルース・ベレスフォード/音楽:ハンス・ジマー/受賞:アカデミー賞 作品賞・主演女優賞・脚色賞・メイキャップ賞、ベルリン映画祭 最優秀共演賞
    出演:
    ジェシカ・タンディ(デイジー)、モーガン・フリーマン(ホーク)、ダン・エイクロイド(ブーリー)
    内容:
    ユダヤ人の頑固な老未亡人デイジーと、彼女のお抱え運転手老黒人ホーク。人種も宗教も育った環境も異なる二人が、ギクシャクしながらも次第に心を通わせていく物語。
    草舟私見
    実に真底心の温まる名画ですね、これは。デイジーと息子と黒人運転手の、何とも言えぬ真実の人間関係と人生をすばらしい描写力で描いています。温かな人間関係の中に、綺麗事だけでは済まされない真実の人間の生きる力というものが描かれています。本音を持ち、それを肚にしまって人間付き合いをしていく真実の人間関係ですから、その中から真の愛情や友情が必然的に生まれ出てくることがよくわかりますね。私はね、この三人は三人とも本当に好きです。こういう普通の人間が、日本でも米国でも洋の東西を問わず一番尊いのです。デイジーは実に頑固でいじ悪ばあーさんですね。それに負けず劣らず息子も頑固ですし、運転手も頑固じじいになって行きます。頑固じじいといじ悪ばあーさんが最も尊いのです。この人たちが歴史と文化を守っているのです。この人たちが文化から生まれる真の人道主義を持っているのです。人道主義とは綺麗事ではないのです。人間の真の歴史と文化からしか生まれてこないのです。だから真の人道主義者はいつの世も頑固でいじ悪な人間なのです。偏見を乗り越えた真の人道とは、人間の血と汗から絞り出される涙なのです。

    トラ トラ トラ! TORA! TORA! TORA!

    (1970年、米) 147分/カラー

    監督:
    リチャード・フライシャー、舛田利雄、深作欣二/原作:ゴードン・W・プランゲ、他/音楽:ジェリー・ゴールドスミス/受賞:アカデミー賞 特殊効果賞
    出演:
    山村聰(山本五十六海軍中将)、東野英治郎(南雲中将)、田村高廣(淵田少佐)、三橋達也(源田少佐)、マーチン・バルサム(キンメル司令長官)、内田朝雄(東条英機)
    内容:
    1941年12月8日、太平洋戦争の口火を切った日本軍の真珠湾攻撃に至るまでとその全容を再現した戦争映画。日米両方から歴史的事件を忠実に追いながら、描こうとした作品。
    草舟私見
    まさに手に汗を握る迫真のドラマであり名画であると感じる。真珠湾攻撃に向かっての、日米双方の状況を時々刻々と描写していくことによって凄い作品に仕上げられている。それにしても真珠湾攻撃はいつ観ても胸がスーッとしますよね。やっぱり日本人は日本が勝つ映画はこよなく良いですね。アメリカが目茶苦茶にやられているのを見ることは心の底から愉快です。愉快で愉快でたまりませんね。ざまーみろという感情が正しい日本人の正常な感覚だと思いますね。しかしここで第二次攻撃隊を出して徹底的にやらなかったのが尽々と残念です。日本はいつでも物を惜しみ過ぎて、戦果を拡大できなかったり負けたりしますからね。日本の欠点もよく見詰めなければなりません。みんな簡単に考えていますがね、ハワイ攻撃というのは頭脳と技術と勇気が世界最高の水準にあった当時の海軍にして、初めて可能であった奇襲なのです。我々日本人は、このような歴史的快挙をもっと誇りに思うべきだと私は思っています。

    トラベラー The Traveller

    (1974年、イラン) 72分/カラー

    監督:
    アッバス・キアロスタミ/音楽:カンビズ・ロシャンラヴァン
    出演:
    ハッサン・ダラビ(ガッセム)、マスウード・ザンドベグレー(アクバル)
    内容:
    テヘランで行なわれるサッカーの試合。イラン代表の大事なその試合をどうしても見たい10歳の少年ガッセムは、周囲の人々を騙して利用していく。
    草舟私見
    あのイランの名匠キアロスタミのデビュー作と聞かされた。名画のみがもつ、沈潜した哀愁を放つ作品である。本作は間違いなく、この名匠の少年時代の一挿話に違いない。少年のもつ夢は、必ず悪徳を呼び込むのだ。夢とは、きれい事で片付く代物ではない。それは悪徳の上に築かれた、人間の叫びと言ってもいいだろう。それは多くの人を泣かせ、多くの罪の中から萌え出づる。現代は、この子供のもつ悪徳を、あまりにも叩き過ぎた。人間のもつ夢が、涙の上に築かれる前に、その芽は摘み取られている。それが現代の冷えた社会を作ってしまったのだろう。キアロスタミの天才は、この主人公の少年がもつ悪徳と、その熱情の上に築かれたと思う。少年の悪徳は、必ず悲しい現実によって打ち砕かれる。その悲しみだけに、人間の真の希望を育む力が存在している。少年時代に、その足りない脳で悪徳を積まねばならぬ。そして悲しみを味わうのだ。どうにもならぬ空しさを抱き締めるのだ。それだけが、将来の自分に本物の夢をもたらしてくれるだろう。

    ドリーム HIDDEN FIGURES

    (2016年、米) 126分/カラー

    監督:
    セオドア・メルフィ/音楽:ハンス・ジマー、他
    出演:
    タラジ・P・ヘンソン(キャサリン・G・ジョンソン)、オクタヴィア・スペンサー(ドロシー・ヴォーン)、ジャネール・モネイ(メアリー・ジャクソン)、ケビン・コスナー(アル・ハリソン)、キルスティン・ダンスト(ヴィヴィアン・ミッチェル)
    内容:
    1961年。ソ連との宇宙開発競争の中、人種差別による迫害にめげずに有人飛行を実現した、実在の三人の黒人女性を描く作品。
    草舟私見
    実話のもつ清冽さが、画面を覆う名画である。アメリカの暗部と躍動が交錯する作品となっている。暗部の方は、当然、黒人差別の問題となろう。私はそこについては、全く興味がない。それは差別問題などは、本作品において大きな問題だと思っていないからだ。それよりも、この作品の輝くべき特質は、アメリカがもつ「真の生命燃焼」が描き切られているところにあると考える。人類の希望とアメリカの若々しさが画面を狭しと荒れ狂っているのだ。無人の荒野を行く、その勇気、その躍動、そして何よりも、その悲しみ。その魂の深奥が、これ以上にないと言えるほどに描き切られている。物事を為し遂げるための、人間の熱情の苦悩と美しさが私の心を揺さぶる。主人公など、白人だろうが黒人だろうが、はたまた日本人だろうが全く関係ない。我々人類の最も崇高な魂が描かれている。人間とは何故に、これほどに勇敢でまたこれほどに美しいのだろうか。そして何故に、これほど苦しむのか。そこに、私は震えているのだ。

    敦煌

    (1988年、映画「敦煌」委員会) 143分/カラー

    監督:
    佐藤純彌/原作:井上靖/音楽:佐藤勝/受賞:文部省選定
    出演:
    佐藤浩市(趙行徳)、西田敏行(漢人部隊長・朱王礼)、中川安奈(回鶻王女・ツルピア)、田村高廣(敦煌太守・曹延恵)、渡瀬恒彦(西夏皇太子・李元昊)、三田佳子(西夏の女)
    内容:
    世界の大動脈シルクロードが生んだ文化遺産、敦煌・莫高窟は時代を超えた祈りと美の数々が描かれ刻まれているが、この一窟から4万点を越す経典や古文書が発見された。いつ誰が何の目的で埋め込んだのか、その謎に迫ったドラマ。井上靖の代表作『敦煌』が原作。
    草舟私見
    いやぁー壮大な映画である。夢があり血が湧き肉が踊ります。腹の奥深くにずどーんと何か凄いものがきたってまた去るの感がある。胸が熱くなりますよね、このような真のロマンは。映画もすばらしいが原作者の井上靖がすばらしいですよ。あの偉大な敦煌莫高窟の文化遺産からこのロマンを構築したのですから。井上靖は謙遜して小説と言っていますが、確かな歴史眼に裏打ちされている事実に近いものだと私は思っている。私は小学四年生で原作を読みましてね、心底感動しました。それ以後井上靖の大ファンになり、西域の文化と歴史の研究は趣味に近くなった青春を送りました。趙行徳ね、良い男です。このような人が人類に真の涙を残してくれるのです。漢人部隊の隊長ね、良い男です。真に生き切ることを知り人生を楽しむ人です。敦煌の太守ね、良い男です。この世故さと頑固さが真の文化の守護には必要なのです。西夏皇太子ね、良い男です。こういう馬鹿が歴史を面白いものにしてくれているのです。ウイグルの姫ね、良い女です。くそ我儘な女ですが、その底辺に確固たる誇りがあります。

    どん底 LES BAS-FONDS

    (1936年、仏) 95分/白黒

    監督:
    ジャン・ルノワール/原作:マキシム・ゴーリキー/音楽:ジャン・ウィネル
    出演:
    ジャン・ギャバン(ペペル)、ルイ・ジューヴェ(男爵)、ジュニー・アストール(ナターシャ)、ウラジミール・ソコロフ(コストイリョフ)
    内容:
    ソ連の文豪ゴーリキーの戯曲を映画化した。帝政末期のロシア社会をルノワール監督が三十年代のフランスに置き換え大胆な脚色を施し、下層社会に生きる人々の希望と絶望を描いた。
    草舟私見
    戦前の仏の巨匠であるジャン・ルノワールが、ゴーリキーの原作を見事に映画的に演出した名画である。原作はさして好きな戯曲ではないが、この映画は好きである。何と言っても男爵を演じるルイ・ジェーヴェが抜群にすばらしい。ジューヴェの男爵は小学生以来私の脳裏を片時も離れぬ魅力を有している。容姿も歩き方も何だかわからないが私は男として惹かれるのである。ジューヴェの男爵を観て感じることが、私にとって本作品の魅力なのである。この男爵のあり方は、私の小学生以来の考え方に多大の影響を与えたことは確かである。落ちぶれても最後まで稟としており、ネクタイをしているところなどしびれます。人物が大きいです。ペペルはナターシャに惚れ過ぎているのが弱みで情ないですね。ペペルの親父は一生を刑務所で過ごしたようであるが、子のペペルに「俺のようになれ」と言い残した断固たる父であるのだから、ペペルにはもう少し一本通してもらいたいと感じている。
  • 泣いてたまるか〔シリーズ〕

    (1966~68年、TBS) 各話約50分/白黒

    監督:
    深作欣二、佐藤純彌、今井正、高橋繁男、飯島敏宏、佐伯孚治、大槻義一、山際永三、中川晴之助、井上博、神谷吉彦、渡邊祐介、下村尭二/脚本:山田洋二、木下惠介、野村芳太郎、橋本忍、家城巳代治、山田太一/音楽:木下忠司
    出演:
    渥美清、市原悦子、松村達雄、東野英治郎、小山明子、井川比佐志
    内容:
    渥美清主演の市井の身近なドラマを纏めたもので、毎回渥美の役柄が違うという異色のシリーズ。どんな逆境もはねのけて力強く生きる主人公の姿が大変人気を呼んだ。
    草舟私見
    今は亡き渥美清が主演をしたテレビドラマであり、私が非常に楽しみに観ていた物語である。一話一話がそれぞれ完全に完結している連続ドラマである。そして一話一話がそれぞれ人間の生き方、社会のあり方を我々に問いかける実に骨太の作品であった。私はこの作品群の中で特に思い出深いものが実に多く記憶されている。脚本・監督に特に秀れた人物が多かった記憶がある。出演の渥美清は毎回それはすばらしい演技であった。また脇役にも大変恵まれており、日本のテレビドラマの黄金期の記念碑的作品ではないかと感じている。各作品の中に一本太い背骨として貫通しているものは、真の人情と正々堂々と生きる生き方であると感じている。人の生き方はその人物の本当の心の優しさにあり、世の中はどんなことがあろうと、正直に真っすぐに生きなければならないのだということを訴えている作品であると感じている。また私は各作品からそのような感化を強く受けたのである。木下忠治の作曲した主題歌もすごく好きで、いつまでも忘れられない歌ですね。

    長い船団 THE LONG SHIPS

    (1963年、米) 120分/カラー

    監督:
    ジャック・カーディフ/原作:フランス・ベンツォン/音楽:ドースン・ラディック
    出演:
    リチャード・ウィドマーク(ロルフ)、シドニー・ポワチエ(エル・マンスー)、ラス・タンブリン(オーム)、ロザンナ・スキャフィーノ(アミナー)
    内容:
    世界最大の伝説の宝「黄金の鐘」を巡るバイキングとムーア人の戦いを通し、バイキングの生き方を描いた冒険映画。
    草舟私見
    バイキングの映画は無条件に面白いですね。あの時代にあんな舟で信じられないような航海に出て、略奪の限りを尽してやりたい放題したい放題。戦って死んでヴァルハラへいくことだけが名誉であり、幸福であり、願望だというのですからね。カッコ良いですよ。確かに略奪ではあるが、命懸けでありそれが美学的文化まで昇華しています。親子兄弟の会話が何とも言えなく面白くて、何とも言えず心がスーッと洗われますね。ロルフ(R・ウィドマーク)とあの親父が最高ですね。あの親父にしてこの子ありという感じです。私はロルフの親父が一番好きですね。バイキングの人生は私も生まれ変われるものなら絶対体験したい人生です。冒険と略奪が根っから好きなんですね。男の夢があります。獲った後はロルフはもう次の獲物の話をハロルド王としていますもんね。ムーアの族長も黄金の鐘を手に入れると引換えに死にますが、本望だと言っていますね。この生き方によってロルフと族長も最後に友情を結びます。男の心は男じゃなきゃわかりませんよ。何しろ私はこのては好きです。

    長い灰色の線 THE LONG GRAY LINE

    (1954年、米) 131分/カラー

    監督:
    ジョン・フォード/音楽:ジョージ・ダニング、モリス・ストロフ
    出演:
    タイロン・パワー(マーティ)、モーリン・オハラ(メアリー)、ドナルド・クリスプ(マーティの父)、ウォード・ボンド(ケーラー大尉)
    内容:
    一人の陸軍士官学校の名教官が送った半生を、その家族や生徒たちとの心の交流を通して描いた作品。アイゼンハワーやマッカーサーらを育てたマーティー・マー軍曹の話。
    草舟私見
    心の故郷を慕う巨匠ジョン・フォードの名作である。アイルランドの誇りを心の奥に秘め、地味ではあるが恩と人情だけを大切にして生きた真の男の人生の物語である。偶然を大切にし、縁ある人生を大切にし、己の役割を良く知ることによって本当に幸福な人生を送ったマーティ・マー軍曹は人生の達人であろう。地味で幸福な人生だが乗り越えねばならぬ壁の何と多いことか。正々堂々と真に生きた人間の尊厳を感じる作品である。この真の男を育て上げたドナルド・クリスプ扮するアイルランドの頑固親父が目茶苦茶に私は好きですね。この親にしてこの子ありと感じる魂の作品である。軍隊における序列が低くても、前向きに役割に生きる人間が周囲から真の尊敬を得ていく姿が美しく描かれている名作である。マーティは本当に良い人なのです。良い人は本当に良いですね。

    長崎の鐘

    (1950年、松竹) 94分/白黒

    監督:
    大庭秀雄/原作:永井隆/音楽:古関裕而
    出演:
    若原雅夫(永井隆博士)、月丘夢路(永井みどり)、滝沢修(朝倉教授)、津島恵子(山田幸子)
    内容:
    放射線医学の研究に生涯を捧げ、長崎の原爆の被爆者となった医学博士・永井隆の半生を描いた作品。ベストセラーになった博士の手記を原作として映画化。
    草舟私見
    いつ観ても永井博士のような真っ直ぐで立派な人の生涯に触れると心が洗われ、明日に向かっての元気が湧き上がってきます。古関裕而作曲により藤山一郎が歌うこの主題歌も本当にすばらしいですね。子供の頃からいつでも心に鳴り響く歌の一つです。永井博士の生涯を見ると運命と人間の持つ使命ということが強く感ぜられます。博士の使命はやはり、原子力の持つ可能性とその恐ろしさを、自らの人生において証明していくことだったのだと尽々とわかります。その短い生涯で博士は日本の放射線医学の基礎を固め、そして原子力の持つ恐ろしさと副作用を世に示しました。長崎の原爆で最愛の妻を喪ったこともやはり博士の持つ運命であったと思います。戦後の日本はこの永井博士の生涯と研究から、原子力の持つあらゆる可能性を深く認識したのです。最後の死の床に至るまで本当に男らしい立派な人であったと思います。映画の中で看護役で出ている津島恵子の美しさも忘れられぬ作品です。

    長崎ぶらぶら節 

    (2000年、東映=「長崎ぶらぶら節」製作委員会) 115分/カラー

    監督:
    深町幸男/原作:なかにし礼/音楽:大島ミチル
    出演:
    吉永小百合(愛八)、渡哲也(古賀十二郎)、高島礼子(米吉)、原田知世(梅次)、松村達雄(幸兵衛)、いしだあゆみ(古賀の妻)
    内容:
    実在の長崎の芸者愛八が生涯秘かな愛を捧げた学者とともに、長崎の古い歌を集めた日々を綴った作品。吉永小百合が主人公を好演。
    草舟私見
    戦前の長崎の名妓であった愛八の人生を描いた秀作であると感じる。愛八については子供の頃から興味があって、種々と調べたことがあるが、この旧い日本人の本当の美徳を持った女性の生き方が、良い映画作品となったことを喜んでいる。この女性のもつ人情というものは旧い日本人の本当に秀れた美質である。人情の中に筋があり、しっかりとした足元がある。自分の生を、つまり人生というものをかけて夢を描いているのだ。大変な人情家であるが、単なる「優しさ」ではない。本当の我が身の痛みを知っている人間から生まれる本当の「情」というものを持つ女性である。本当の情というものは悲劇的なものではなく、夢があり他者を生かすものなのである。強く、そして魅力的な真の女性であると感じる。吉永小百合の名演も心に残るものがある。それにしても旧い日本の歌は情感があって良い。三味線を弾いて歌っていた祖母を思い出す。戦艦士佐を哭く愛八の心情は私が土佐の最後に対して抱いた子供心と同じで深い共感を持つ。      

    長良川巡礼

    (2001年、NHK) 70分/カラー

    監督:
    小松隆/音楽:松任谷正隆
    出演:
    中村嘉葎雄(高原恒造)、坂井真紀(佐藤香織)、藤村志保(高原世津子)、高橋ひとみ(石田涼子)、佐藤二朗(佐藤晃良)、藤沢あゆみ(津島可奈子)
    内容:
    妻を亡くした初老の夫が、偶然妻の秘密の手紙を見つけたことから故郷の奥飛騨へ旅し、妻の心を知るまでを描いた作品。
    草舟私見
    夫婦とは何なのかという問題を、側面から非常に情緒豊かに描いた作品だと感じる。現代の夫婦観との対比を子供の世代との関係で見事に描いている。この主人公の夫婦のあり方というものは私は非常に好きです。何があっても「別れる」ということが無い。ただ一緒に生きる。生が終わってから各々が、それが良かったのか悪かったのかを仄々と考え直して見る。夫婦といえども各々が秘密を持っている。秘密を持つとは個人の確立には重要な意味があるのだ(勿論秘密とは裏切りや悪徳の意味ではない)。ただ一緒に人生を過ごした夫婦というものは本当は深い愛情で結ばれているのだ。この昔流の家族の愛情というものが、現在失われているのではないか。考えさせられる作品である。子供の世代は大して頭も良くないくせに、愛情のあり方を頭で考え過ぎているのだ。頭で考えれば必ず、人間は自分は正しく相手が間違っているという結論になるだけなのである。理屈で生きる人間の下らなさを子供たちの夫婦世代が描き、ただひたすらに生きることによって生まれてくる家族愛を主人公夫婦が表わしている。中村嘉葎雄の演技がズバ抜けてすばらしいですね。彼一人で真実の夫婦の生き方とあり方というものを存在で示しています。夫婦とは立派で愛情深い必要などはないのです。一生涯を共に過ごすことに最大の価値があるのです。         

    嘆きの天使 THE BLUE ANGEL

    (1959年、米) 107分/カラー

    監督:
    エドワード・ドミトリク/原作:ハインリッヒ・マン/音楽:ヒューゴー・フリードホーファー
    出演:
    クルト・ユルゲンス(ラート教授)、マイ・ブリット(ローラ・ローラ)、テオドール・バイケル(キーパート)
    内容:
    ドイツの小説家ハインリッヒ・マンの「ウィンラート教授」を原作とした二度目の映画化。世間知らずの教師がキャバレーの歌姫に夢中になり破滅していく姿を描いていく。
    草舟私見
    ラート教授に扮するクルト・ユルゲンスと、ローラ・ローラに扮するマイ・ブリットの名演が心に焼き付いて離れぬ秀作であると感じている。戦前の名画であったE・ヤニングスと、M・ディートリッヒの主演による前作を凌ぐ作品であると私は感じている。話の内容は簡単な物語なのであるが、本作品は人生の深い問題を提起していると考えている。人は人それぞれの環境に適した生き方しかできないのだということがそれである。この作品においては誰も悪い者はいないのである。ローラ・ローラも少しも冷たい女ではないのだ。またラート教授が恋をしたことも、あえて非難できる事柄ではないのだ。しかし全てがうまく行かない。全ての人間が不幸になる。当たり前の自分の人生観を語るだけで不幸が生じるのである。これは恩の喪失と縁の喪失の物語なのである。各々の人物が己の立場を弁えぬ決断と行動をした結果なのだ。立場がわかれば全てがうまく行き、弁えねばいくら頑張っても人生は何も拓かぬということなのだ。そして立場は自己の生きた立脚点からしか出てこないのである。

    ナバロンの要塞 THE GUNS OF NAVARONE

    (1961年、米) 144分/カラー

    監督:
    J・リー・トンプソン/原作:アリステア・マクリーン/音楽:ディミトリー・ティオムキン/受賞:アカデミー賞 特殊効果賞
    出演:
    グレゴリー・ペック(キース・マロリー)、アンソニー・クイン(アンドレア・スタブロ)、デヴィッド・ニーヴン(ミラー伍長)、リチャード・ハリス(バーンズビー編隊長)
    内容:
    独軍要塞砲破壊の命を受け、敵陣に潜り込む連合軍特殊部隊の潜入から巨大砲爆破までの六日間を描く。1943年、エーゲ海に浮かぶケロス島に駐留する英軍に危機が迫っていた。
    草舟私見
    こういう不可能な作戦を、自由な独立した意志を持つ人間の力で成し遂げる映画はいつ観ても感動します。その人物たちに扮するのがG・ペック、D・ニーヴン、A・クインときてはもうこたえられません。一人一人の俳優が、個人の意志力を示すことでは右に出る者のない名優ですからね。この映画では最初の方に、空軍将校で若き日のリチャード・ハリスまで出てくるんですからね。まっ、これだけで名画ですよ。派手な戦闘シーンが最後だけなのに、これだけの緊張感を創り出しているのが凄いです。こういう独立自尊の男たちの物語では、やはり英国人が主人公のものが群を抜いて秀れています。頼るものの無くなったときのアングロ・サクソンの強さは真に尊敬に値します。要塞破壊までの個人同士のぶつかり合いがいかにも英国的で良いですね。そして最後のあの要塞砲のカッコ良さ。私はね、こういう兵器には真底しびれるんですよ。人類の偉大さを感じ、人間に生まれた幸福を実感します。

    ナポレオン・アウステルリッツの戦い AUSTERLITZ

    (1959年、仏) 123分/カラー

    監督:
    アベル・ガンス/音楽:ジャン・ルドゥリュー
    出演:
    ピエール・モンディ(ナポレオン)、オーソン・ウェルズ(ロバート・フルトン)、クラウディア・カルディナーレ(ポーリーン) 
    内容:
    フランスの英雄ナポレオンを、皇帝戴冠式を含む栄光の時代において描いた作品。1801年、アミアン条約が締結され、ナポレオンは欧州全土の帝王ともいえる地位を確立する。
    草舟私見
    ナポレオンの物語はやっぱり最高ですね。アベル・ガンスのこの作品は、アウステルリッツの戦いとそれに至る経緯に焦点を絞ることによって、映画としての面白さを堪能させてくれます。ナポレオンの凄いこと! やはり凡人とは桁が違いますよ。外交文書をいっぺんに五人も六人も口述で書かせたり、作戦命令書を同時に何通も書いていますからね。あれを見ただけでも感動します。こういう歴史上の英雄というものは、いつの日もやはり我々の向上心を鼓舞し元気づけてくれます。英雄の姿を見ることは精神の糧そのものです。良い意味で自己の卑小さを知らされ、将来に対する夢を与えてくれます。戦争と闘いに真に強い人間は、戦いというものをでき得る限り避けようと非常な努力をしています。これは歴史上の英雄に共通なことです。そしてどうにもならぬ最後になったときの断固とした決断と実行の速さが凄いです。弱い奴は戦いが好きで好きでたまらないのも歴史の事実です。それがよく表わされていますね。この違いは当然、真の責任感と過酷な実行力を持つ者と持たぬ者の違いです。恐れと痛みを知らぬ人間は弱者の代表です。強者はそれを知り、ぎりぎりのところまで我慢し最後にそれを飛び越えるのです。

    涙するまで、生きるLoin des Hommes

    (2014年、仏) 101分/カラー

    監督:
    ダヴィド・オールホッフェン/原作:アルベール・カミュ/音楽:ニック・ケイヴ、ワーレン・エリス
    出演:
    ヴィゴ・モーテンセン(ダリュ)、レダ・カテブ(モハメド)、ジェメル・バレク(スリマン)、ヴィンセント・マーティン(バルドゥッチ)、ニコラス・ジロー(ル・タレク中尉 )
    内容:
    1954年、フランスからの独立に揺れるアルジェリア。教師ダリュは殺人の容疑者・アラブ人モハメドの移送を命じられた。二人の危険な旅が始まる。
    草舟私見
    フランスの実存哲学者アルベール・カミュの自伝的作品である。カミュの哲学を支える生命論を感じる映像が展開している。カミュとは、自身がこの世の異邦人であった。その悲しみと、その憧れが作品の進行を司っているのだ。運命を生きる者が、カミュであった。カミュは、自由を望んだのでもない。人間の尊厳を生きようとしたのでもないように私には思える。ダリュという主人公に託されたカミュの思想は、この現世に訪れて来た「客人」のそれなのだろう。孤独の中から来て、孤独の中を生き、そして孤独のうちに死するのである。それがカミュの実存主義だ。この原作は名作と感じる。しかしまた、それ以上にこの映像化はカミュの真意を表わしていると思う。運命を生きる者は、勇気を奮い起こすことができるのだ。愛のためでもない。信念のためでもない。そして、それは正義のためですらないのだ。その勇気は、生命を生み出した実存の力からやって来るのだろう。ダリュを通して、カミュはその悲しみを描きたかったに違いない。

    名もなく貧しく美しく

    (1961年、東京映画) 112分/白黒

    監督:
    松山善三/音楽:林光
    出演:
    高峰秀子(秋子)、小林桂樹(片山道夫)、沼田曜一(弘一=秋子の弟)、加山雄三(成人したあきら)、原泉(秋子の母・たま)、五田秀夫(一郎)
    内容:
    松山善三監督による作品で、監督自身が実際に出会ったろうあ者の夫婦の生活を自ら脚本化し、夫婦が戦後の混乱期を力強く生きていく姿を描いている。
    草舟私見
    本当に感動させられる名作と感じている。まだ日本で社会保障が整備される以前の聾唖夫婦の物語です。福祉が無いということは権利意識がないということです。だから美しいのですね。だから幸福なのですね。私は心底この夫婦の生涯は幸福であったと感じています。生きることに真剣なのです。これは全ての人にとって幸福の根源なのです。人生は本当に心の問題であると強く感じさせられる作品である。主演のデコちゃんこと高峰秀子は本当に美しいですね。何とも言えなく綺麗です。あの糸にぶらさげた亀を子供のお土産にずっと持ったまま帰り、子供を探すシーンは感動的ですね。一生心に残るシーンです。幸福な人にしかできないことです。最後のあの事故に遭うまで子供に会いたくて走り続けるシーンも忘れられません。人間の真の生き方について尽々と考えさせられる名画だと感じます。    

    楢山節考

    (1983年、東映=今村プロ) 130分/カラー

    監督:
    今村昌平/原作:深沢七郎/音楽:池辺晋一郎/受賞:カンヌ映画祭 グランプリ
    出演:
    緒形拳(辰平)、坂本スミ子(おりん)、左とん平(利助)、あき竹城(たま)、清川虹子(おかね)、倍賞美津子(おえい)、三木のり平(長老)
    内容:
    山奥にある極貧の寒村が舞台。姥捨山の話を軸に深い親子の絆と生の悲哀を描いた作品。老婆役を坂本スミ子が自らの歯を抜き大熱演。原作深作七郎、監督今村昌平による映画化。
    草舟私見
    いや全く凄い名画ですね。身の引き締まる思いがします。こういう人生と生活が、日本の僻村ではついこの間まであったのだから驚きます。驚きはするが私はすごく生き生きとした人間らしさを感じます。登場する人間たちは全てぎりぎりの生活を強いられているが凄く正直です。善くも悪くも正直です。人間というものはいかなる環境においても自分たちで掟を作り、文化を創造しているから凄いです。人生の哀しみを本質に抱えるがゆえに生きることに燃えています。生きることの大切さを肌で知っているのです。この村は極貧であるが、このような自分たちだけの運営は日本の村の平安以来の伝統ですからね。本当は国家だ警察だ税金だなどというものは、自分たちの力で生きている者にはいらないのですね。日本の底流の文化に深く感銘します。坂本スミ子の演技がもの凄いです。最高です。一生忘れられません。緒形拳との親子関係の機微がいいですね。厳しい掟がこの深い関係を創り上げる軸として存在していることがわかります。悲しみが人間の優しさを生むのだと尽々と感じます。          

    南極のスコット SCOTT OF THE ANTARCTIC

    (1948年、英) 110分/カラー

    監督:
    チャールズ・フレンド/音楽:ボーガン・ウイリアムス
    出演:
    ジョン・ミルズ(スコット大佐)、デレク・ボンド(オーツ大尉)、ハロルド・ワレンダー(ウィルソン博士)、ジェームズ・ロバートソン(エバンズ水兵)、レジナルド・ベックウィス(バワーズ大尉)、ケネス・モア(エバンズ大尉)、アン・フォース(オリアナ)
    内容:
    二十世紀の初めに繰り広げられた人類史上初の南極点到達を目指した世紀の大レース。ノルウェーのアムンゼン隊と極点制覇を競ったイギリスのスコット隊の姿を描いた作品。
    草舟私見
    二十世紀の探険史において、スコット隊の遭難程心打たれるものは少ない。アムンゼンとの競争に負け、失意の内に遭難したことに対する同情の念もあるのかもしれないが、何にも増して立派な最後であったと私は感じている。本作品はその事柄が実によく表現せられた秀作であると感じている。私は若き日より、あの艱難辛苦を突破して南極点に到達したとき、アムンゼン隊の旗を見たときのスコットと隊員たちの気持ちはいかなるものであったのかと、もう四十年以上も考え続けている。あの残酷さを越えるものはほとんど無いのではないか。そしてそれからの苦闘の帰還と遭難。最後まで仕事に生きた男たちの真の美というものを感じているのである。スコットも立派であった。このリーダーの孤独を思うとき、私はいつでも涙を禁じ得ない。ウィルソン博士も立派である。頭の下がる人だ。水兵も良い。最後の最後まで「大丈夫です!」の一言しか口に出さずに逝った。男である。惚れる。凍傷になったオーツもいい。少しでも隊の負担を減らすために、雪原に消えるオーツこそ我が魂を震わせる崇高の美である。

    南部の人 (別題「炎のサウザナー」) THE SOUTHERNER

    (1945年、米) 92分/白黒

    監督:
    ジャン・ルノワール/原作:ジョージ・セッション・ペリー/音楽:ワエナー・ジャンセン/受賞:ヴェネチア映画祭 金獅子賞
    出演:
    ザカリー・スコット(サム・タッカー)、ベティ・フィールド(ノーナ・タッカー)、J・キャロル・ナイシュ(ディバース)、リューラ・ボンティ(サムの祖母)
    内容:
    印象派の画家オーギュスト・ルノアールの次男で、母国フランスにおいて数々の名作を残した名匠ジャン・ルノアールが米国に渡って作った作品。アメリカ南部の農業地帯で働く人たちの生活を人間味豊かに描く。
    草舟私見
    いやあー全くの名画ですよね。何とも言えぬ中南部の人情が見事に映像化しています。本当の米国を感じますよね。南部・中南部と、これが真の米国なのです。我々日本人の知っている米国は戦後の米国の表層なんですよ。ところで本当の米国って、戦前の日本の田舎や人間の付き合い方と何にも変わりませんよね。人の心ってものは、いつの世もいつの時代も同じなんだと尽々と知らされます。大家族であることによって各々の人間の立場があり、年寄りは若い者に近づき子供は大人や老人の立場がわかるのです。世代が違う人間が喧嘩をしながら仲良く付き合って、初めて人間の心は育っていくのでしょうね。色々な人間が色々な考えで生活していて、それでいて深いところで理解し合って協力していく普通の人間の生活が良くわかります。祖母が抜群に良いですね。憎まれ口ばかり言っていますが深い愛があります。このような人の存在が真に尊いのです。昔の日本の年寄りも大部分はこういう人たちでした。人間は苦楽を共にしなければ何も意味もないのが人生なのだと感じます。
  • にあんちゃん

    (1959年、日活) 101分/白黒

    監督:
    今村昌平/原作:安本末子/音楽:黛敏郎/受賞:文部大臣賞
    出演:
    長門裕之(キイチ)、松尾嘉代(よし子)、沖村武(にあんちゃん)、前田暁子(末子)
    内容:
    昭和28年頃、朝鮮戦争による好景気が過ぎ、不況に苦しむ佐賀県の小さな炭鉱町を舞台に、両親のいない四人兄弟が貧しくとも健気に生きていく姿を、労働者の苦難の現実を交えながら描いた作品。
    草舟私見
    この作品から受ける感動は人間が本当に生きていくということの、最も深いところから出ているだけに生涯忘れ得ぬものがある。末子の日記が原作であり、私は小二のときそれを読んで感動した思い出がある。すぐに映画化された作品が本映画である。特に現代の豊かさと軽薄短小に慣れ親しんでいる者は心して観るべき作品である。この四人の兄弟に対する真の尊敬心が湧き起こらぬ者は、もう「人」としては駄目である。この貧しさと炭鉱問題は昭和30年代初期までの日本の真の姿であり原点の一つなのだ。貧しいがみんな正直で面白い。善くも悪くも人間的です。人間的だから笑いがあり悲しみがあり各人に真の人生がある。この四兄弟の幸福感が幸福の原点です。家族が一緒に住めて、生活を支える仕事がある。仕事仲間とは裸の付き合いをする。誰にも情感があります。特に「にあんちゃん」は頭も良いが、情の量が凄い。正直で血気があるから悪くも見えるが、こういう真の子供らしさが尊いのです。私はこういう「ガキ」が一番好きです。       

    ニーチェの馬 Ä TORINÓÍ LÓ

    (2011年、ハンガリー=仏=スイス=独) 154分/カラー

    監督:
    タル・ベーラ/音楽:ヴィーグ・ミハーイ/受賞:ベルリン国際映画祭 銀熊賞
    出演:
    デルジ・ヤーノシュ(父親)、ボーク・エリカ(娘)、コルモス・ミハリー(町から来た男)
    内容:
    1889年、イタリアのトリノ。ニーチェはそこで疲弊し鞭うたれても動けない馬を見た。ニーチェは馬に駆け寄り、その首を抱いて泣き伏し、その後精神を崩壊させた。この作品はその逸話を基に、荷馬車により生計を立てる貧しい父娘の生活を、独自の世界観で描いている。
    草舟私見
    荘厳な映像である。多分、映像芸術の極点に近いものがここにあるのだろう。全篇をひとつの主題が貫いている。つまり、生命の悲哀が流れる。ニーチェの世界観から、生命とは何かを問うているに違いない。鬼才タル・ベーラは、ニーチェの『ツァラツストラ』の次の詩篇を思い浮かべてこの作品に臨んだのだと私は思う。「おゝ人間よ、心せよ! 深い真夜中は何を語るのか?……世界は深い。昼が考えたより深い。世界の痛みは深い—」。ニーチェは、これを泣きぬれて書いた。生きることは辛いことなのだ。だが、生命は生きなければならぬ。そこに人間が神を求め、芸術を慕ういわれが存在する。鬼才が台詞として語った、ただ一つの思想は、「町は堕落した。風によって駄目になった。人間が全てを堕落させたのだ—」ということである。近代人は、風に敗けたのだ。窓だけを通じてくる〈希望〉では満足できなかった。〈希望〉とは、我々の好みだけを言うのではないのだ。生命の哲理である過酷を嫌い、便利を求めることによって人間の堕落が始まる。生命と文明の交錯の哀しみを描く現代の「ドストエフスキー」が見える。黙示録の青ざめた馬が、今、眼前に現わされている。

    226

    (1989年、フィーチャーフィルムエンタープライズ) 114分/カラー

    監督:
    五社英雄/原作:笠原和夫/音楽:千住明
    出演:
    萩原健一(野中四郎)、三浦友和(安藤輝三)、竹中直人(磯部浅一)、本木雅弘(阿野寿)、川谷拓三(永田露)、加藤昌也(坂井直)、芦田伸介(鈴木貫太郎)、丹波哲郎(真崎甚三郎)、金子信雄(川島義之)、高松英郎(山下奉文)、渡瀬恒彦(石原莞爾)、松方弘樹(伊集院兼信)、安田成美(田中久子)、藤谷美和子(坂井孝子)、南果歩(安藤房子)、佐野史郎(栗原中尉)、隆大介(村中孝次)、仲代達矢(杉山参謀本部次長)
    内容:
    昭和十一年、帝都東京を震撼させた雪と血の四日間を描く。二月二十六日未明、降りしきる雪の中、青年将校22名に率いられ、約1,500人の兵たちが政府要人の私邸に向かっていた。
    草舟私見
    一般に二・二六事件を扱った映画はその事件発生までの経過にその焦点がある作品が多いが、本作品は発生後に焦点を絞っためずらしい作品である。二・二六に関しては小学生以来尽きることのない興味を抱いており、数百冊の書物を読み数十本の映画を観てきた。その中にあって本作は、その考証と将校の心の動きを捉えることにおいて非常に秀れた作品と感じている。青年将校たちの心情を考えるたびに私は涙を禁じ得ず、その感は既にして四十有余年におよんでいる。人情的には私と共感するものが多く、とめどもない涙と共感の下にこの事件を考え続けている。私としてはこの将校たちの心意気が好きで好きでたまらないのである。この魂こそ帝国陸軍を支えていた唯一無二の心意気であったのだろうと考えていた。また心情的には今もそう考えている。しかし小学生以来私を悩まし続ける問題が一つあった。それは私が小三か小四の頃と憶うが、私が二・二六の話をしているときに、父が「あんな我儘者たちは銃殺になって当然である。あれは無頼漢である。」と言い切って、話を打ち切った記憶がいつまでも残っていたことである。そのことで悩み続けて私は三十歳になって、やっと父の言っていた意味を自己の人生を通じて理解できる日がきたのである。二十年悩んだ挙句である。それは本末転倒、天地順逆、大義不在の事柄は、いかに正義を感じようといかに涙が流れようといかに血が滾ろうと、つまり何が何であろうと、とどのつまりは不正であり不忠であり不幸であり天地容れざる大罪であるということである。私はそれに気づいてから二・二六の失敗の原因について深く悟るものがあった。いかに心意気があっても、将校たちは絶えず行動の土壇場で本当の志の鬼になれていないことに気づいた。天皇の軍隊を私事に使用した心が、いつでも彼らの心を土壇場で弱くしていることに気づいた。私は今でも彼らが心情的に好きである。好きだが今は私はこの命令系統の順逆を暴力でせまる、脅迫的な行動は男として決して許すまじきことと考えているのである。           

    荷車の歌

    (1959年、全国農村映画協会) 144分/白黒

    監督:
    山本薩夫/原作:山代巴/音楽:林光                  
    出演:
    三國連太郎(茂市)、望月優子(セキ)、岸輝子(茂市の母)、左幸子(おとよ)
    内容:
    全国の農業共同組合の婦人部がカンパでお金を集め製作した映画。様々な苦労を乗り超え、明治から昭和の時代を力強く生き抜く農村のある一女性の姿を描く。
    草舟私見
    明治中期から敗戦の頃までの、日本人の生き方の一つの典型を表現する名画と感じる。若き日の三國連太郎と望月優子の名演により、庶民の生活というものが心に実感として沁み込んでくるものがある。貧しい者たちの助け合いや貧しさというものの中で、人生を楽しくしていく考え方や、貧しさの中で培われる人間としての大切なもの等々が、縦横に描かれる大作である。セキという主人公の女性は実に魅力的な人物である。戦前の日本の女性の一つの典型であろう。女性としても人間としても、実に凄い人間であり魅力ある人生を生き抜いた人であると感じる。人生を生きることそのものが、凄い価値を有する真実の生き方である。真剣に生きているから生きる過程そのものが人物を創り上げていくのだ。まさに現代人がその爪の垢でも煎じて飲まなければならぬような真実の人間である。そのセキが自分の生き様として「心の中に虫がいる」と言う表現がすばらしい。虫とは人間としての本当の「意地」であろう。本当の意地は「自我」からくるものではないから、虫という他者存在的表現になっていると感じる。意地を心の中にいる他者とみた場合、意地は正しく人生に作動するものであると感じる。          

    二十四の瞳

    (1954年、松竹) 162分/白黒

    監督:
    木下惠介/原作:壺井栄/音楽:木下忠司/受賞:文部省特選
    出演:
    高峰秀子(大石久子)、月丘夢路(香川マスノ)、田村高廣(岡田磯吉)、小林トシ子(山石早苗)、笠衆智(男先生)、井川邦子(川本松江)、浦辺粂子(男先生の妻)、清川虹子(よろずや)、浪花千栄子(飯屋のかみさん)、天本英世(大石先生の夫) 
    内容:
    美しい瀬戸内小豆島を舞台にした壺井栄の名作を木下恵介が映画化した芸術大作。昭和三年、新学期が始まるこの日、岬の分教場に女教師がやってくる。主人公は高峰秀子が好演。
    草舟私見
    いやはや本当にすばらしい映画ですね。人生の時間を共に生きる真の喜びと悲しみが深く描かれています。心が温まり洗われ生涯にわたってその思い出が心に残り続ける名作です。美しい映画です。映像もすばらしいですね。それに何と言っても大石先生役のデコちゃんこと高峰秀子ね。もう本当に良いです。綺麗ですね。何とも言えずに美しいです。私はデコちゃんは好きです。美しさの本質が違います。人間の良さが演技と容姿に滲み出ています。デコちゃんは頭抜けていますが、他の俳優もみな画面の中で生きています。本当の名画です。名画は違います。昭和29年の映画ですが何と日本の美しかったことか。貧乏ではあったが人間たちが真に生きていますね。人間らしく皆が喜び悲しみ、その心が触れ合い人間を創り上げる思い出を人生の時間そのものが創り出しているのです。あの写真に匹敵するような宝物を持っている人生はいいです。この映画の中では先生も生徒も村人たちも皆が各々の人生を本気で生きていることが伝わってくるのです。それが忘れ得ぬ感動を残すのだと感じます。音楽効果も抜群に良い作品であると感じます。

    虹を架ける王妃

    (2006年、フジテレビ) 107分/カラー

    監督:
    河毛俊作/原作:野口赫宙/音楽:小西善行
    出演:
    菅野美穂(梨本宮方子)、岡田准一(李垠)、古谷一行(梨本宮守正)、原田美枝子(梨本宮伊都子)、広田レオナ(中川たえ)、渡辺いっけい(高義敬)、上田耕一(伊藤博文)
    内容:
    日本の皇族から初めて他国へ嫁いだ梨本宮方子様と、その夫となった朝鮮王朝最後の皇太子・李埌の愛の姿を追った作品。夫婦の絆を結んでいくその道程が、両国の運命とともに描かれていく。
    草舟私見
    立派な人である。この歴史に翻弄された皇族こそ永く日本人の心に残るべき人物であると私は思っている。梨本宮方子様という人は、私の心に幼き日より深く焼き付けられている人なのである。それがTVドラマとして取り挙げられたとは。本当に近年に無く嬉しくて楽しくて、かつ愉快な事柄である。勇気のある人である。高貴な人である。血統から自然と湧き出づる歴史的な涙というものを真に体現せられ、そしてその真心を深く魂に秘めていられる人である。本当に人を愛することのできる数少ない人であろうと感じている。本当に人を愛するとは、涙を己が運命として背負うことである。歴史の中に自分を生かすことである。人の真心に応えることである。そういうことを真に実行することが真の勇気なのである。真の勇気が真の愛を生み育むのである。涙を背負うことなのである。それが本当にできる人が高貴なのである。我が日本はこういう真の涙を知る高貴な皇族の方々がおられる国なのである。だから私は日本の歴史を愛するのである。私の運命を信じるのである。日本の運命を信じるのである。

    2012 2012

    (2009年、米=カナダ) 158分/カラー

    監督:
    ローランド・エメリッヒ/音楽:ハラルド・クローサー、トマス・ワンダー
    出演:
    ジョン・キューザック(ジャクソン・カーティス)、アマンダ・ピート(ケイト・カーティス)、キウェテル・イジョフォー(エイドリアン・ヘルムズリー博士)
    内容:
    アメリカの地質学者エイドリアンは、太陽表面の爆発の影響で、地球の内部の温度が上昇していることを知った。そして進言を受けた大統領は人類の未来のため各国の政府首脳と話し合い、箱舟建造を計画した。
    草舟私見
    「破滅の思想」が描き上げられた作品である。地球の破滅、人類の破滅のひとつの典型が映写されているのだ。これは、破滅の一つの型であるが、我々が人間として認識しなければならない事柄だと感じている。破滅のとき、何が救われるのか。それは宗教が語り、文学が語り、科学が語ってきた。その典型が展開する。黙示録とノアの箱舟がその型であろう。この作品は二時間半だが、これが二百五十年の時間またはそれ以上を集約したのだと考えればわかり易い。破滅は、地球時間と文明の時間、そして我々人間の生存の時間との相関関係で演繹しなければわからないのだ。宇宙的時間により地球の内部が崩壊することと、他の破滅的な災害に見舞われることは同じ確率で存在していると知らなければならない。ゆっくりと進行する破滅的災害を、我々の一日に集約させた作品が本作なのだ。我々は、ここに真の黙示録的認識を見る。破滅のとき、真の我々の価値が「精神」であることが強く描かれている。永遠とは精神なのだ。肉体が地球で精神がマグマと見れば、この作品の黙示録性はより際立つだろう。いずれにせよ。この作品はひとつの「黙示録」である。

    日蓮

    (1979年、永田プロ) 141分/カラー

    監督:
    中村登/原作:川口松太郎/音楽:芥川也寸志
    出演:
    萬屋錦之介(日蓮)、松坂慶子(浜夕)、市川染五郎(北条時頼)、松方弘樹(北条時宗)、中村嘉葎雄(日昭)
    内容:
    鎌倉幕府の弾圧に抗して、迫害と殉教の生涯をひたむきに生きた情熱の人、日蓮上人の一代記を、日蓮宗の信者でもある永田雅一が自らのプロダクションで製作。
    草舟私見
    何と言っても日蓮を演じる萬屋錦之介の名演が心に残る秀作である。日蓮は間違いなく、日本が生み出した最も日本的な宗教家であり思想家である。日蓮から日本の仏教は日本独自のものとなった。もちろん日蓮を生み出すための先達は多々あるが、最も単純に最も激しく独自性を打ち出したのは日蓮である。そのゆえに日蓮の生涯は闘いの連続であった。この優しさだけででき上がった人物が、最も激しく闘い続ける生涯を送ったことに私は涙を禁じ得ない。しかし日蓮は幸福であったと私は確信している。真に信念を貫き、決して屈することの無い人間は、その根本に本当の愛情と優しさを持っているのだと尽々と感じさせられる。真の愛が真の強さを生み出す原動力なのだと強く感じた映画である。            

    日本一のホラ吹き男

    (1964年、東宝) 93分/カラー

    監督:
    古沢憲吾/音楽:宮川泰
    出演:
    植木等(初等)、谷啓(井川)、浜美枝(南部可那子)、曾我廼家明蝶(増田益左衛門)
    内容:
    日本一シリーズの二作目で、シリーズ中、最高傑作とも言われる一編。東京オリンピックの三段跳びのホープだった主人公が足を痛め、出場停止に。大会社に入社して出世しようと決意する。
    草舟私見
    いや本当に植木等はいつ見てもすばらしいですね。日本の高度成長期の夢や明るさを体現しています。高度成長の結果論的善悪は別にして、当時の日本人の心意気や明るさには大いに共感するものがあります。また植木等の演じる役柄は高度成長の記念として、永く我々の心に残されねばならんと感じている。植木等の「日本一シリーズ」は私の小学生の頃の映画であり、私は心の底から彼の演じる役柄に面白さを感じ憧れました。そしてその真似をしては多くの人の顰蹙をかっていました。しかし何と言っても面白かったですね。植木等はもちろん極端に演技していますが、この頃の日本人にはこの手は沢山いました。心意気がいいんですよ。心意気ですよ。不肖、私も実は植木等の演じる世界とはその心の奥底を共にしている者の一人なのです。そしてそれを誇りにしています。私はね、この作品は面白くてしょうがないんです。そしてね、いつでも心が震えて涙が流れるんです。    

    日本一のゴマすり男

    (1965年、東宝) 95分/カラー

    監督:
    古沢憲吾/音楽:宮川泰、萩原哲晶                  
    出演:
    植木等(中等)、浜美枝(細川眉子)、中村是好(中等一郎)、東野英治郎(後藤社長)、藤田まこと(ジョージ箱田)、中尾ミエ(鳩子)、犬塚弘(別当)、有島一郎(春山)
    内容:
    ゴマをすれなかったために、万年課長で終わった主人公の父は、息子に「ゴマをすらなければ出世できない」と教える。主人公は会社で教えの通りゴマをすり始める。
    草舟私見
    腹の底から笑えるほんとに面白い映画ですね。日本の高度成長の善し悪しは別として、時代が明るいですよね。丁度私の小、中学生の頃ですね。植木等は本当に好きです。私はね、小中学生の頃、彼のマネが大の得意でしたね。しょっちゅうマネをしてました。学校や近所では御蔭様で人気者でした。根が植木等とそっくりですからね。それは上手かったですよ。誰もが笑ってくれました。例外は親父だけで、家の中でやって見つかりブッ飛ばされた思い出があります。浜美枝も最高ですよね。私は中学生の頃、最高に憧れた女優でした。母も浜美枝が好きだったんで、何だか二人の仲を認めてもらったような錯覚を持っていましたよ。本作品の主題であるゴマすりね、これは本質的には重要なことなんです。最近の日本人は他人にゴマなどすれる人は滅多にいなくなりました。なにしろ自分のことばっかりで他人の心などわからん人が多いですから。ゴマをするとは本質的には目上の人間を喜ばすことなんですよ。自我の強いハンパ者には絶対にできないことなのです。    

    二百三髙地

    (1980年、東映) 181分/カラー

    監督:
    舛田利雄/音楽:山本直純
    出演:
    仲代達矢(乃木希典)、丹波哲郎(児玉源太郎)、森繫久彌(伊藤博文)、三船敏郎(明治天皇)、永島敏行(乃木保典)、あおい輝彦(小賀武志)、佐藤允(牛若寅太郎)
    内容:
    日露戦争で最大の激戦となった二百三高地を描いた大作。明治三十七年乃木将軍率いる第三軍は日露決戦の切り札として大陸へと送られる。
    草舟私見
    仲代達矢扮する乃木将軍がすばらしいですね。すばらしいなどというものではなく、まさに神様ですね。神々しくて心の奥底を揺さぶられます。旅順二百三高地は明治日本の代名詞である。年寄りも大人も女も子供も全てが青年であった、あの燃える国家日本がわかりやすく描かれています。問答無用に攻めて攻めて攻めまくる青春の大日本帝国は、いつ見ても涙を禁じ得ません。突撃に次ぐ突撃。これだけで日本は世界の強国になったのです。いや全くその心意気には声が出ません。ただただ日本人に生まれた嬉しさを心に感じるだけです。滅茶苦茶に悲惨な戦場において、誰も彼もみんな明るいですね。悲しみが明るいのが明治の明治たるいわれなのです。その明治に君臨する明治大帝の何と偉大なことか。乃木を替えるな! これが日本精神の根本なのです。        

    日本海大海戦

    (1969年、東宝) 128分/カラー

    監督:
    丸山誠治/音楽:佐藤勝
    出演:
    三船敏郎(東郷平八郎大将)、笠智衆(乃木希典将軍)、加山雄三(広瀬少佐)、仲代達矢(明石大佐)、松本幸四郎(明治大帝)、柳永二郎(伊藤博文)
    内容:
    日露戦争における日本の連合艦隊とロシア・バルチック艦隊との海戦を描いた戦争映画。戦史上唯一と言われる、敵艦隊全滅という快挙を成し遂げた歴史的海戦を描く。
    草舟私見
    日本海大海戦の歴史的真実が端的に表現されている名画である。三船敏郎扮する東郷平八郎の苦悩とその勇気が心に沁みわたる作品である。決断の懊悩を良く表現している。決断とは何なのか。勇気とは何なのか。私はこの映画を通じて、決断のための人間的要素というものを深く学んだ。激しく動く諸条件の中で責任ある者は涙を呑んで、そして肚をくくって決断しなければならんのだ。明治の日本の純真で希望に満ちた心が東郷の決断をなさしめたと感じる。また伊藤博文、金子堅太郎なども実に爽快で感動的です。偉大な明治、心躍る明治を感じることができる。        

    日本海大海戦・海ゆかば

    (1983年、東映) 131分/カラー

    監督:
    舛田利雄/音楽:伊部晴美                  
    出演:
    三船敏郎(東郷平八郎)、沖田浩之(神田軍楽生)、佐藤浩市(大上兵曹)、ガッツ石松(松田兵曹)、三原順子(木村せつ)、伊東四郎(丸山寿次郎)
    内容:
    日露戦争における日本海大海戦を、旗艦三笠に乗組んだ軍楽隊と若い兵士を中心に描く。敵バルチック艦隊との決戦を前に、軍楽隊は命がけの演奏を披露する。
    草舟私見
    日本海海戦における旗艦三笠乗組の兵士たちの心温まる物語である。随所に見出される明治の青春は、私の心を強く揺り動かさずにはおかない。勇気の根底が何であるのかを強く感じさせられる作品である。人はみな涙を背負って生きているのである。その涙を乗り越えて勇を奮い立たせるのだ。そのためには愛情や友情や希望や信頼が必要なのだ。そういうものを大切にしている人間だけが最後のときに勇を奮い起こせるのだ。佐藤浩市が良いですね。ガッツ石松も良いです。鉄砲屋だ罐屋だと言ってすぐ喧嘩になる。男の世界です。   

    日本のいちばん長い日

    (1967年、東宝) 158分/白黒

    監督:
    岡本喜八/原作:大宅壮一/音楽:佐藤勝
    出演:
    三船敏郎(阿南陸軍大臣)、山村聰(米内海軍大臣)、笠智衆(鈴木首相)、宮口精二(東郷外相)、志村喬(下村情報局総裁)、小林桂樹(徳川侍従)
    内容:
    玉音放送の決定に際し、戦争継続を熱望する青年将校らが反発。宮城占拠すら画策された1945年8月14日から翌15日正午までの激動の一日を描く。
    草舟私見
    最後の陸軍大臣、阿南惟幾の生き様を中心として、国家が存亡の大決断を行なう一日を主題とした名画であると感じる。終戦派と戦争遂行派の対立を軸として描かれている。その遂行派の代表者が陸軍大臣の重責を担う阿南惟幾である。私は阿南が心の底から好きであり、また共感を覚える。血が滾るのである。その原因としては阿南の世界が責任と涙と何にも増して死者に対する真の真心と重責の世界だからである。終戦派は全部良い人で、正しくて利口で理に適っている。つまり得の道の歩める人たちである。しかし阿南は違う。悪人で馬鹿で損の道を全部引き受けている。真の男である。損の道は誰かが引き受けなければならない。その悲しみ、その涙が私を震撼させるのである。私には当然およびもつかないが、こういう人物になりたいものだと心の底から思い、尊敬の念が湧き上がる人物である。過去に対する責任を取る者こそ真の男なのだ。阿南に扮する三船敏郎の名演も光る作品である。     

    日本の黒い夏—冤罪―

    (2000年、日活) 119分/カラー

    監督:
    熊井啓/原作:平石耕一/音楽:松村禎三/受賞:ベルリン映画祭 ベルリナーレ・カメラ賞
    出演:
    中井貴一(笹野)、寺尾聰(神部)、石橋蓮司(吉田警部)、北村和夫(永田弁護士)
    内容:
    1994年6月27日。長野県松本市で毒ガスによる多数の死傷者が出た。警察が捕らえた犯人は無実を主張。しかしマスコミの報道が過熱していく。「松本サリン事件」を描いた作品。
    草舟私見
    あの有名な松本サリン事件のときの冤罪事件を扱っている、実に迫真に迫る良い作品であると感じる。警察とマスコミのあり方と、人権というもののあり方を実に深く考えさせられる。私自身もこの事件では、状況証拠というものの恐ろしさを実感した。元々官僚組織やマスコミというものの本質を知っているつもりになっていた私も、この事件では自己の判断を誤った苦い経験の思い出がある。この誤認事件は、私が自己判断で増長しそうになったときに己の中では必ず思い出し心を引き締め直して、歴史や科学や証拠に基づいて物事を判断するための戒めとしている事件なのである。私自身も刑事罰こそ無いものの、思想的には非常に独自の道を歩んできた者なので、この誤認された被疑者の心は痛いほどわかるのだ。世の中とは大勢の思い込みで動いているものなのである。こういう目に何回も遭うと本当に人間の絆や温かさや、また冷酷さや軽薄さというものが骨身に沁みてわかるのである。中井貴一扮する部長は実に立派です。私はあの刑事も好きですね。両者とも悲しみと涙を知る真の仕事人です。私が一番嫌いな人間はね、主人公の女子高生ですよ。自分はその場では何もしていなかったくせに、結果論で善人ぶるこのての軽薄人間は昔も今も心底嫌いです。        

    日本の首領〔全3作〕

    監督:
    中島貞夫/原作:飯干晃一/音楽:黛敏郎

    日本の首領・やくざ戦争(1977年、東映) 132分/カラー

    主演:
    佐分利信(佐倉一誠)、鶴田浩二(辰巳)、松方弘樹(松江田)、菅原文太(岩見)、千葉真一(迫田)、西村晃(島原)、高橋悦史(一宮)、内田朝雄(大山喜久夫)

    日本の首領・野望篇(1977年、東映) 141分/カラー

    出演:
    佐分利信(佐倉一誠)、三船敏郎(大石剛介)、松方弘樹(松江田)、成田三樹夫(片岡)、菅原文太(天坊)、高橋悦史(一宮)、岸田今日子(姉小路)

    日本の首領・完結篇(1978年、東映) 131分/カラー

    出演:
    佐分利信(佐倉一誠)、三船敏郎(大石剛介)、片岡千恵蔵(大山喜久夫)、菅原文太(川西)、高橋悦史(一宮)、大谷直子(木村由起子)、西村晃(刈田議員)
    内容:
    関西の暴力団中島組が日本の裏社会の覇権を手に入れるまでを描いた任侠映画の大作。多くの人間の血と野望を吸い上げながら、中島組は日本の裏社会に君臨していく。
    草舟私見
    何と言っても佐分利信の神技のような名演が、深く心に残って忘れられぬ名画であると感じる。どうですか、佐分利信の貫禄は。ほとんど俳優の域は大きく越えているように思います。この声ね。これは人間の声ではありませんよ。頂点に立つ男という役割から出る統帥の声です。腹から出ているのでもない。ましてやのどや口から出ているのでもない。そうですね、何と言うか、あらゆる修羅を見、そして知り尽し、その悲しみを乗り越えたところの涙の淵源から絞り出されてくる息の震動ですね。魂の鼓動が空気を震わせ、血が息になっているものであると感じます。彼の動作は責任というものを知り尽くしている血が筋肉を作動させていることによって起きる、肉の涙であるということができる。男の悲しみと喜び、怒りと希望というものをまさに彼は体現しています。この役割に生きた男の姿をよく観ることが、本作品の最高の観方であると思っている。この涙を知る男の唯一の欠点は、家族に対して優しくあろうとし過ぎた点であると思う。その点まで役割に徹せられれば、彼の悪の人生は凄い一貫性を持つより凄い人生であろうと感じている。       

    日本のシンドラー 杉原千畝物語

    (2005年、日本テレビ) 106分/カラー

    監督:
    渡邊孝好/原作:杉原幸子/音楽:アンドレア・モリコーネ
    出演:
    反町隆史(杉原千畝)、飯島直子(杉原幸子)、吹石一恵(菊池節子)、伊武雅刀(大久保満夫)、勝村政信(滝川光也)、伊東四朗(松岡洋右)、生瀬勝久(菊池文彦)
    内容:
    第二次世界大戦の最中、ナチスに追われるユダヤ人のためにすべてを擲ち、彼らのためにビザを発行し続けた日本人外交官・杉原千畝の伝記映画。
    草舟私見
    真の反骨精神、真の気概、真の矜持というものがどのようなものであるのかを深く感じる作品である。今の日本に最も欠乏している憤発心という真の愛国者が持つ、紳士に取って最も重要な事柄が描かれているのである。このような外交官をあの時代の日本が持ったことは、愛国心のある者ならば誰でも誇りに思うものである。そして本当の勇気というものがどの位大変な事柄であるのかを深く感じるのである。私自身は数十年前にこの尊敬すべき人物の存在を知り、それ以来、ことあるごとに、同じような状況に置かれた場合、自分にもこのような真の自負心を持つ「行動」が取れるのであろうかと隨分と考え続けてきた。そう考えれば考える程、この人物の持つ高貴性に打ち震えるのである。この人物の決断と正義は、念のために申しておくが、当然、今流の人助けでも慈善でもないのだ。もっと崇高で悲しいものなのである。ましてや今流の反抗心などとは桁違いに異質なものである。真の高貴性を私は感じるのである。この人物は、我が民族の誇りとして永く歴史に名を留めるべき人物である。このリベラルこそが紳士(武士)の本当の条件であると私は思うのである。彼は単なる人道主義者ではない。彼こそが真の愛国者なのである。

    日本やくざ伝・総長への道

    (1971年、東映) 99分/カラー

    監督:
    マキノ雅弘/原作:藤原審爾/音楽:木下忠司
    出演:
    高倉健(不動竜太郎)、鶴田浩二(河合巳之吉)、若山富三郎(大松虎吉)、松方弘樹(和泉信次郎)、嵐寛寿郎(南善八郎)、野川由美子(お若)、遠藤辰雄(どぶ屋辰五郎)
    内容:
    昭和初期の関東と関西を舞台に、ある時は渡世のしがらみに涙を流し、ある時は血の抗争をくぐり抜けて総長への道を歩んでいく一人の男の姿を描く任侠映画。
    草舟私見
    筋を通すという生き方の根本について深く考えさせられる秀作である。普通の社会であれ、極道の世界であれ、秩序というものがその根本であることに変わりはない。むしろ極道の世界の方がそのことが赤裸々に表われているものと感ぜられる。正義とは筋目を通すことなのである。勇気とは筋を通すために必要な美徳なのである。筋を通せば文化と伝統の力がその者を祝福してくれるのである。筋を通すことを哲学的には忠義と呼び、人情的には孝養と呼ぶのである。すべてカッコ良いものは筋目を通す生き方そのものなのである。そのことが良く描かれていると感じる。だからやけにカッコ良いんですね。高倉健のカッコ良いこと。筋を通す人は謙虚ですね。鶴田浩二のしびれること。筋を通す人は涙を知っていますね。若山富三郎の好感の持てること。筋を通す人は人が好いですね。筋を通すとは人として真に生き切ることであって、目先では損をする場合が多いようですね。この辺が現代では受けないところかもしれません。しかしカッコ良さの本質がそれであるとわかることが重要であると感じています。 

    日本敗れず

    (1954年、新東宝) 102分/白黒

    監督:
    阿部豊/音楽:鈴木靜一
    出演:
    早川雪洲(川浪睦相)、藤田進(中田東部軍司令官)、齋藤達雄(総理)、山村聰(南郷外相)、安部徹(新井大佐)、沼田曜一(竹田中佐)、舟橋元(稲垣中佐)、細川俊夫(畑少佐)、丹波哲郎(松崎少佐)、宇津井健(中原大尉)、高田稔(林近衛師団長)
    内容:
    昭和20年8月15日の太平洋戦争の敗戦という大混乱に真っ向から挑み、歴史映画として史実を描くことを目指した作品。
    草舟私見
    最後の陸軍大臣、阿南惟幾大将の自決に至る経緯を刻明に表わす名画である。この作品の13年後に「日本のいちばん長い日」ができるまで阿南大将と終戦の玉音放送を巡る作品として、本作品は私の心から好きな映画であった。阿南陸相は私は好きで好きでたまらない。心底から尊敬する我が心の先達です。やはり一つの男の生き方の典型であると思っている。降伏には断固反対であるが勅命が下るや陸軍を説得し、自らは自決する。戦後はみな立派なことばかり言ってますがね、こういう男らしい真の武士はいなくなりました。真の軍人です。勅命が下った後も未練たらしいのは軍人ではない。軍はあくまでも統制の元に戦うのが軍なのだ。軍人としては阿南大将の姿が最も正しいあり方なのだと私は思っている。軍を使って戦おうとする反乱は卑しいですね。本当に戦いたければ裸一貫になって、野に下って戦えばいいのです。そういう生き方もまた私は好きです。         

    ニュー・シネマ・パラダイス NUOVO CINEMA PARADISO

    (1989年、伊) 124分/カラー

    監督:
    ジュゼッペ・トルナトーレ/音楽:エンニオ・モリコーネ/受賞:カンヌ映画祭 審査員特別大賞、アカデミー賞 最優秀外国語映画賞
    出演:
    フィリップ・ノワレ(アルフレート)、サルヴァトーレ・カシオ(少年トト)、ジャック・ペラン(成人トト)、レオポルド・トリエスデ(アデルフィオ神父)
    内容:
    映画好きな少年であったトルナトーレ自身の自伝的映画。映画にのめり込んでいく少年は、やがて失恋を味わい、多くの愛する人びとと別れ、都会に旅立っていく。
    草舟私見
    人間が生きることを、その心の底辺で真に支えているものが何であるのかということを見事に描く名画であると感じる。トト(主人公)は功なり名を遂げてローマで映画監督となっているが、彼の心の奥底を探るようにその幼少時の回想が流れる。そこにあるものはシチリアの真の人間関係の絆と人情、そして唯一の娯楽としての村の中心である映画館と映画の世界。真の人間の絆は綺麗事ではない。しかしその底辺に見ることのできぬほど深いところに存在する、真の愛情と友情と信頼がある。トトを好きでたまらぬアルフレート(F・ノワレ)がいる。好きであるがゆえに説教ばかりする。この人は言葉とは裏腹に真に仕事に誇りを持っている。彼に愛され鍛えられることが、トトの真の仕事人としての基盤である。トトを愛するがゆえに成人後30年間も突き放すことになる。本当に深い愛だと感じます。神父もいい。この人は本当に善人です。このような人が真に人の心を救えるのです。母も良い。喜怒哀楽の感情と共に、子供と真正面から向き合っています。神父も母も真に愛の人です。村人たちもみな自分に正直に生きています。このような環境が土壌にあって、初めて真の人は育つのだと尽々と感じる作品です。それにしても学校など行かなくても映画の台詞だけで人生の達人になれるんですね。

    人間魚雷回天

    (1955年、新東宝) 106分/白黒

    監督:
    松林宗恵/原作:津村敏行、斎藤寛/音楽:飯田信夫
    出演:
    岡田英次(朝倉少尉)、木村功(玉井少尉)、宇津井健(村瀬少尉)、沼田曜一(関屋中尉)、津島恵子(眞鍋早智子)、高原駿雄(川村少尉)、和田孝(岡田少尉)
    内容:
    太平洋戦争の中で最も過酷な兵器のひとつと言われた特攻兵器「回天」。故障が多く一度発進してなすすべもなく海底に沈むこともあった。若者たちの熱情と悲哀を描く戦争映画。
    草舟私見
    それにしても回天による特攻は凄いですね。目標に邂逅するやその場で出撃する長時間の待機を要するものであり、人間の精神の限界を超える歴史上類の無い日本独自の思想に基づくものと思います。回天を生み出した日本の涙の歴史は、同じ日本人として私は深い畏敬の念を抱きます。学徒出身の特攻の物語は、人間の持つ弱さをどう克服するかということについて深く考えさせられるものがあります。私は本作品を小学生入学以前に観ましたが、初めて観たときにその荘厳な出撃シーンに深い感動を覚えました。悲愴なる美はやはり美の原点であると感じました。木村功と津島恵子の海岸のシーンは長く記憶に残ります。津島恵子の美しさもさることながら、その舞踏の場面は物語全体の悲しみを私の心に深く刻み込みました。また木村が「あと三時間しかない」と言うとき、津島が「私の時間も含めて六時間よ」という場面に強い衝撃を受けました。人間関係が生じる人生の真の時間観念は私はこの会話から得、その驚きが後に私の時間の哲学を構築していく基になって行ったのです。      

    人間魚雷出撃す 

    (1956年、日活) 84分/白黒

    監督:
    古川卓巳/原作:橋本以行/音楽:小杉太一郎
    出演:
    森雅之(艦長・橋爪少佐)、葉山良二(柿田中尉)、石原裕次郎(黒崎中尉)、長門裕之(今西一飛曹)、杉幸彦(久波上飛曹)、西村晃(航海長)
    内容:
    魚雷に人間が搭乗し、敵艦を自らもろともに撃沈させる特攻兵器「回天」。その搭乗員に志願した青年たちの哀歓を描く。
    草舟私見
    太平洋戦史上赫々たる戦果を挙げた潜水艦である、あの伊58潜の物語として血湧き肉躍るものがある。艦長の森雅之と航海長に扮する西村晃の名演が、伊58潜の偉業に対する最大の手向けとなっている。やはり偉大な潜水艦は乗組員が偉大である。人間魚雷回天を搭載した最後の出撃の物語である。回天の特攻の凄絶がよく描かれている。人間の決意の最も可能なものである死の決意を、時間と場所と回数を問わず人間に課す回天の特攻の苦しみが伝わってくる。胸が熱くなり涙を伴う共感なくしては観れぬ作品である。ぎりぎりの精神力の緊張を何度も課す回天特攻は、特攻の中の特攻と感じる。出撃のたびに乗組員に対し「お世話になりました」と言って搭乗する特攻隊員には、人間として心の底から尊敬の念が湧き上がりますね。この心こそ日本の精神の根源なのだと感じる。    

    人間の骨

    (1978年、「人間の骨」映画プロダクション) 104分/カラー

    監督:
    木之下晃明/原作:土佐文雄/音楽:渡辺浦人
    出演:
    佐藤仁哉(吉田豊道=槇村浩)、南田洋子(吉田丑恵)、風間杜夫(利岡次郎)、加藤嘉(小学校担任)、大関優子(藤田きぬ子)
    内容:
    四国の土佐に生まれ育ち、反戦、反権力主義の詩人となった槇村浩。その短くも美しい青春を駆け抜けた姿を描く。
    草舟私見
    槇村浩のペンネームで知られる反権力の詩人 吉田豊道の生涯を語る作品である。槇村浩の詩から私は若き日に、多くの感化を受けまた多くの涙を流しそして深い願いというものを確かに受け取った。あまりにも純粋であるがゆえに、権力によって狂気へと追い立てられた詩人である。私は彼の詩から真の反骨精神を学んだ。反骨(気骨)とは私は人間だけに与えられている最も高貴な価値であると考えている。人間が真に生きるには背骨が必要である。その背骨は真の反骨によってしか得られないものだと私は実体験から考察する。真の反骨はしかし、限り無い犠牲を人間に強いる。しかしその犠牲を甘受する生き方だけが人間に道を与えるのだ。彼は共産主義者であったが、戦前の共産主義者は本質的に戦後の共産主義者(文句屋)と違う。それは戦前においての共産主義はその犠牲の巨大さのゆえに、真の反骨がなければできないことだからだ。真の反骨はまた真の愛情と友情から生まれる。彼の母の崇高さは凄い。真の愛に生きる人であり、戦後はほとんど希になった型の人だ。この真実の愛情が真の反骨を生んだのだ。この母親は私の母に限り無く近い。こういう女性には私は実に弱いのだ。彼の狂気は我が永遠の涙である。     
  • ノア NOAH

    (2014年、米)138分/カラー

    監督:
    ダーレン・アロノフスキー/音楽:クリント・マンセル
    出演:
    ラッセル・クロウ(ノア)、ジェニファー・コネリー(ナーマ)、エマ・ワトソン(イラ)、アンソニー・ホプキンス(メトシェラ)、レイ・ウィンストン(トバル・カイン)
    内容:
    『旧約聖書』の創世記に記された「ノアの箱舟」の物語を映画化。ノアが箱舟を建造し、大洪水を前にその箱舟を狙う者たちとの攻防が描かれる。
    草舟私見
    ノアは、人類に突き刺さった「神の棘」である。私は、ノアの神話が、人類の未来を拓く「科学」だと思っている。それは、神の科学と言えるのではないか。舟などは、どうでもいい。それは比喩だ。舟に捉われれば、この神話の意味はわからなくなる。人間は、神ではないのだ。この簡単な真理が、わかるかわからないかということに尽きる。人間は、それをわかっていないのだ。人間の未来は、神によって決められている。その未来を信じ、憧れ、恋し続けることが我々の本来の姿を創っている。未来を恋することが、人類の本質なのである。それを、ノアは生き切ろうとしている。悲しいまでに、ノアは「人間自身」であろうとしている。その道は、誰も知らぬ道である。神の沈黙だけが、ただにその道を暗示している。それを恋するのだ。そうすれば、この神話は、我々の生命に突き刺さってくる。人間は、実は何もわかっていないのだ。「お前の知らぬものに到達するために、お前の知らぬ道を行かねばならぬ」。この思想を生き抜いた「十字架の聖ヨハネ」は、ノアの子孫であるに違いない。

    ノストラダムス NOSTRADAMUS

    (1994年、仏=英=独=ルーマニア) 120分/カラー

    監督:
    ロジャー・クリスチャン/音楽:バーリントン・フェロング
    出演:
    チェッキー・カリョ(ノストラダムス)、F・マーリー・エイブラハム(スカリゲル)、ルトガー・ハウアー(謎の修道士)、アマンダ・プラマー(カトリーヌ・ド・メディチ)、アンソニー・ヒギンズ(アンリ2世)、ジュリア・オーモンド(マリー)
    内容:
    世に名高い予言者ミシェル・ド・ノストラダムスの伝記映画。十六世紀のフランス。ノストラダムスは幼き日より、自分が望まずとも見てしまう未来の光景に悩まされていた。
    草舟私見
    ノストラダムスとは、十六世紀の「精神」なのだ。その時代、人間の自立が芽生え始めていた。神に包まれていた人間は、神を見る存在へと移行しつつあった。この現象が、ヨーロッパに科学文明をもたらすことになったのだ。しかし、そこには忘れてはならぬものがあった。それは、人類が自己の出生の「原故郷」を確かに見出さねばならぬということであろう。それを見つめ続けて生きなければ、神を見失いつつある人間に未来はない。それをノストラダムスは直観していたに違いないのだ。彼の予言は、その人類的使命観の上になり立っている。彼は、己れの予言をこの世に残すために卑近なる予言をも行なった。卑近などは、どうでもいい。それはノストラダムスの本質ではない。彼の本質は、神から離れた人間の陥る危険をいち早く察知していることにある。それを未来へ向けて警告したことにこそあるのだ。それは、空前にして絶後の予言詩を構成しているのである。我々はノストラダムスを仰ぎ見なければならない。それが、我々のいくべき「原故郷」への道を示していることを知らねばならないのだ。

    信長〔大河ドラマ〕

    (1992年、NHK) 各話45分・合計2205分/カラー

    監督:
    重光亨彦、他/原作:田向正輝/音楽:毛利倉人
    出演:
    緒形直人(織田信長)、林隆三(織田信秀)、平幹二朗(加納随天)、フランク・ニール(フロイス神父)、仲村トオル(羽柴秀吉)、マイケル富岡(明智光秀)
    内容:
    足利幕府の力が衰退し、長らく続いた戦国時代を平定した稀代の覇者・織田信長の生涯を描いた大河ドラマ。ポルトガル人の宣教師の視点から描かれていく。
    草舟私見
    カトリックの神父が見た信長像を中心に描かれており、視点が面白く、かつ信長が日本歴史上に持つ価値をその視点ゆえに良く描いている作品と感じている。日本人自身は信長を極端な変人と見ているが、実際の信長は全然違うのだ。だいたい変人が天下を獲れるわけがないではないか。信長は近代というものを日本で最初に感じていた人物であり、日本の歴史を近代に向けようとした人物なのだ。信長がもう少し生きていれば間違いなく日本は、ヨーロッパと同じ時期に封建制から生まれる近代というものに突入したのだ。その近代を感じる人間の苦悩と怒りが良く表現されている作品なのである。カトリックの神父の方が信長の心を日本人よりもずっと良くわかっていたのである。それは近代の概念が、既にヨーロッパに存在していたからなのである。近代とは何かがわかれば信長が凄い常識人であることもわかるのだ。音楽も良い。音楽そのものが近代というものを生み出す苦悩を語っているのだ。また信長の時代の日本の軍事力が、当時の世界の最大のものであったという事実も知って観ると面白く観れると感じる。

    ノルマンディー IKE: COUNTDOWN TO D-DAY

    (2004年、米) 89分/カラー

    監督:
    ロバート・ハーモン/音楽:ジェフ・ビール
    出演:
    トム・セレック(アイゼンハワー連合軍最高司令官)、ジェームズ・レマー(ブラッドレー将軍)、ティモシー・ボトムズ(スミス総参謀長)、ジェラルド・マクレニー(パットン将軍)
    内容:
    史上最大の作戦と呼ばれた第二次世界大戦における連合軍のノルマンディー上陸作戦。その大作戦を実行したアイゼンハワー最高司令官を中心に描く戦争映画。
    草舟私見
    観る者に非常なる緊張感をもたらす名画である。ノルマンディー上陸作戦、つまり史上最大の作戦に至る、連合軍最高司令官アイゼンハワーの孤独とその人格を描写して息まぬ作品である。史上最大の責任を負った男の生き様は、正に涙なくしては観ることなどできるものではない。真の「決断」とは何なのかを深く感じさせるのである。決断とは決断ではないのだ。決断とは自分が死ぬことなのである。決断とはダメであった場合の責任を己一人で背負うことなのである。背負うとは自己存在が死ぬことなのである。だからすでに死んでいる人間にしか真の決断はできないのである。戦史を知る者なら作品中に登場するモントゴメリー将軍やド・ゴール将軍等々という、自己存在に根差す名誉心の強すぎる人間には真の決断などはできるものではないということはわかるであろう。死ぬことによって真の孤独が生まれるのである。そしてその真の孤独だけが真の決断を行なわせるのである。現世ですでに死んでいない人間には、決断も責任も本当のところはわからないのかもしれない。そういうようなことを真に感じさせてくれる名画なのである。      
  • バーティカル・リミット VERTICAL LIMIT

    (2000年、米) 124分/カラー

    監督:
    マーティン・キャンベル/音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
    出演:
    クリス・オドネル(ピーター・ギャレット)、ロビン・タニー(アニー・ギャレット)、ビル・パクストン(エリオット・ヴォーン)、スコット・グレン(モンゴメリー・ウィック)、イザベラ・スコルプコ(モニク・オーバーティン)、トム・マクラレン(ニコラス・リー)
    内容:
    中国とパキスタンに跨り世界第二の高峰であるK2。世界最難関と呼ばれるK2で遭難事故が起きた。残された時間は22時間。救助隊の懸命な活動が始まる。
    草舟私見
    人命救助ということの本質に迫る名画であると感じる。救助ということの裏側にある真実を見る。本当にやる人間は裏も表も全て見えねばならぬのだ。自らの危険を孕む救助ほど人間の善と悪、勇気と臆病さ、高貴と低俗が入り交っているものは無いのだ。その複雑な心を全ての人が抱えている。そして自分が何を摑み何を捨て、その結果どのような行動をとるのか。誰もその場になければ自己のことですら真実はわからぬ問題である。ただ一つ言えることがある。やり抜く人間は誇りを持っていることである。己の生に。そしてその誇りの根源は自分の生命でも存在でもないのだ。共通しているものは、その人物の中で生きている死者が、その誇りとその結果としての勇気を与え得る唯一の存在なのだ。献身や犠牲的精神は自分の中からなどは生まれないのだ。アニー兄妹の中に生きる父、ウィックの中に生きる妻がその中心であろう。勇気ある者はその他の者もみな死者を背負っている。画中におけるヴォーンは危急の時いつでもその弱さを露呈するが、それは彼が有能ではあるが、自分だけで現世の中のみに生きているからなのである。

    パール・ハーバー PEARL HARBOR

    (2001年、米) 183分/カラー

    監督:
    マイケル・ベイ/音楽:ハンス・ジマー
    出演:
    ベン・アフレック(レイフ・マコーレー)、ジョシュ・ハートネット(ダニー・ウォーカー)、ケイト・ベッキンセール(イヴリン・ジョンソン)、アレック・ボールドウィン(ジミー・ドゥーリトル)、キューバ・グッディングJr.(ドリー・ミラー)
    内容:
    太平洋戦争の始まりとなった日本軍による真珠湾攻撃。この真珠湾攻撃を軸に、二人の米軍戦闘機パイロットの友情と確執そして和解を描いた戦争映画。
    草舟私見
    レイフとダニーの友情に何とも言えなく感動しますね。真実の友情を感じます。途中で変てこな女性が出て来て亀裂が入りそうになりますがそれを乗り越えています。これは戦う勇気を持つ男の証拠であり、また同じ夢を共有する男のロマンが彼ら二人の心底に志として厳としてあるからなのです。それにしても「恋愛」そのものにしか興味のない女性仲間というのは、私は観ていても実に不快感を覚えます。しかしね、何と言ってもこの映画の魅力はあの凄い真珠湾攻撃シーンですね。これだけでこの映画は価値があります。何とも言えなく観ていて気持ちがスーッとしますね。米国がこてんぱーにやられている姿は、理屈抜きで気持ち良いですわ。それにね、あの偉大なドゥーリトル中佐のB25による東京空襲ね、これも何とも言えず気分が良いですね。この爆撃はね、爆撃そのものが本当に歴史的で偉大な業績なのです。日本人のくせに不謹慎だと思われるかもしれないけれど、やはり偉大な男の業績には文句なく感動しますね。感動してしまうんだからどうしようもありません。ドゥーリトルという男には真底惚れますね。

    バイキング ―誇り高き戦士たち― VIKING

    (2016年、露) 137分/カラー

    監督:
    アンドレイ・クラフチュク/音楽:イゴール・マトビエンコ、ディーン・バレンタイン
    出演:
    ダニーラ・コズロフスキー(ウラジミール)、スヴェトラーナ・コドチェンコワ(イリーナ)、マクシム・スハーノフ(スヴェネルド)、イゴール・ペトレンコ(ヴァリャシュコ)、ウラジミール・エピファンチェフ(フョードル)、アレクサンドル・ウストュゴフ(ヤロポルク)
    内容:
    キエフを占領したバイキングの一族。広大な土地を領土とし、それは息子たちに分割され継承された。誇り高きバイキングの戦いと愛が描かれるスペクタクル映画。
    草舟私見
    バイキングによる、ロシア建国の大叙事詩とも言うべき作品である。何と言っても、あの誇り高きバイキングの戦士たちの戦いに圧倒される名作と感じる。生命の舞踏が画面一杯に広がる。肉の躍動と魂の清冽が、我々の胸を打つ。生命力のどん底にいる我々現代人は、この崇高をどう見るのだろうか。崇高とは、途轍もない苦しみと天を仰ぐ呻吟の中から燃え出づる雄叫びである。生命の慟哭が、真の高貴を求めて吼えおらぶのだ。我々人間が、何ものであるのかを思い出すことができる。我々は、悲哀の中から生まれてきたのだ。我々は、名誉を求めて生きてきたのだ。我々の祖先はその悪行に打ち震え、その善行のゆえに苦しみ続けた。豊かさの中に浸り、綺麗事だけを言い、自己に対する優しさだけを求め続ける現代人に捧げる最大最高の作品と思う。我々人間の文明は、このような勇敢で真っ直ぐな人間たちによって営まれてきた。その野蛮を笑う者は誰か。現代人の馬鹿な傲慢をもってこの作品を観る者は、人間の本当の生命から見放されるだろう。

    灰とダイヤモンド POPIÓL I DIAMENT

    (1958年、ポーランド) 104分/白黒

    監督:
    アンジェイ・ワイダ/原作:イエジー・アンジェイエフスキー/音楽:フィリッパ・ビエンクスキー
    出演:
    ズビグニェフ・チブルスキー(マチェク)、アダム・パウルコウスキー(アンジェイ)、エヴァ・クジジェフスカ(クリスティーナ)、ワツラフ・ザスジンスキー(シュチューカ)
    内容:
    第二次大戦中にドイツ軍と戦ったポーランド人の青年。多くの戦友を失った彼は、戦後はただの殺し屋に身を堕としていた。踏み外してしまった自分の人生を悔む青年の悲痛な叫びを描く。
    草舟私見
    第二次大戦においてポーランドはドイツ占領下にあった。その終戦の前後を挟んで戦い続けてきた者たちの、どうしようもない空しさを描いている。そしてその空しさの原因を、同胞同志の同士討ちの戦いを否応なく喚起せしめた共産主義の政略に求めているのだ。A・ワイダは共産主義化する祖国の悲しみをいつでも語っているのだ。戦うことが嫌なのではない。同胞の殺し合いと疑いが渦巻く思想戦の悲劇を描いているのだ。そのことについてはソ連の政略は別として、共産側で戦う人間たちも王国側で戦う人間たちも等しく同じなのだ。両陣営に分かれたポーランド人も、どちらも真の敵と戦っていた昔を偲んでいるのだ。人間は戦うことが嫌なのではないのだ。真の戦いは詩人の言葉にあるように灰の中からダイヤを生むのだ。しかし共産主義によって祖国は精神的にずたずたにされてしまったことを、A・ワイダは嘆いているのだ。戦い続けた挙句、ゴミ溜めで虫ケラのように死ぬマチェクの姿こそA・ワイダが祖国に捧げる挽歌なのである。凄い映像と心に沁む音楽、いい映画である。

    パウロ ―愛と赦しの物語― PAUL ―APOSTLE OF CHRIST―

    (2018年、米) 107分/カラー

    監督:
    アンドリュー・ハイアット/音楽:ヤン・A・P・カチュマレク
    出演:
    ジェームズ・フォークナー(パウロ)、ジム・カヴィーゼル(ルカ)、オリヴィエ・マルティネス(マウリティウス)、ジョン・リンチ(アキラ)、ジョアンヌ・ウォーリー(プリスカ)
    内容:
    ユダヤ教徒として、かつてはキリスト教徒を迫害していたパウロ。しかし彼はキリストの復活を目の当たりにし、キリスト教へ改宗した。パウロの殉教への道が始まった。
    草舟私見
    信ずることの深淵が観る者に迫って来る。信ずるとは何か。それをこれほどに伝えてくれる映画は珍しい。画面から、その信ずる力が伝わって来る。それはやはり、パウロを演じているジェームズ・フォークナーの名演に負っているものもあるだろう。しかし、原始キリスト教が持つ真実の力が画面を通して、現代の我々にまで届いているからに違いない。この大宗教がこの世界に生まれたとき、それはこれほどの力を持っていたのである。二千年を経て、いまの私の心を完全に摑み切っている。この人類が成し遂げた信仰の力の原点を知ることは、人類のひとりとして、これ以上の喜びはない。最大の幸福を与えてくれる名画と言えよう。信ずる力の崇高に出会うことが出来る。その崇高をいま私の魂が受け取っているのだ。信ずる力が、人類を築き上げた原動力であることを思い知ることが出来る。自分がこの人類として生まれたことの、本当の幸運をいま嚙み締めているのだ。この映画には、それだけの力がある。パウロの魂と共に、神の真理が降り注いでいる作品である。

    パガニーニ PAGANINI

    (1989年、伊) 86分/カラー

    監督:
    クラウス・キンスキー/音楽:サルバトーレ・アッカルド
    出演:
    クラウス・キンスキー(ニコロ・パガニーニ)、ニコライ・キンスキー(アギーレ)、デボラ・キンスキー(アントニア)
    内容:
    19世紀にヴァイオリンの超絶技巧を披露し数々の曲を創作したニコロ・パガニーニ。熱烈な評価と誹謗する噂が交錯する謎の人物であった。その孤独と愛の人生が描かれる。
    草舟私見
    パガニーニの凄絶な生涯を描くためにその一環として少し度を越した性描写も多々あるため、推奨映画に入れるのを躊躇った作品であるが、その事実を遙かに凌駕した名画であるので推奨に入れる運びとなった作品である。本作品の性描写は元々パガニーニという天才の音楽に対する情熱、そして我が子に対する真の愛情、またヴァイオリンの鬼神として現代では想像もつかぬ程の激しい仕事観を裏返しの意味で強調するためのものなのである。パガニーニは凄いです。私は惚れています。この自己の人生を生き切ろうとする生命力は感動します。確かに女癖は悪いです。しかしそんなことまるっきりこの人物には関係しません。音楽の底流にある官能の申し子なのです。この人物が真の愛情を有するのは子供との真の愛着関係でわかります。この愛は凄く深いです。凄い生き方ですよね。死の時に至っても血反吐を吐くまでヴァイオリンを弾き続けるあの凄さ。私は尊敬します。現代の音楽家は、パガニーニの魂から音楽家の生き様を学ぶべきだと感じます。パガニーニは史上最大最高のヴァイオリニストであることは歴史的事実です。我々現代人はその人物が、現代では想像できない程の激しい生き方をしたのだということの意味を深く考えるべきであると感じています。現代社会は人が真に生き切るための何かが欠如しているのだということに気づけば、本作品の現代的価値は充分にあると思っています。また本作品ではクラウス・キンスキーの名演と、全編を流れるパガニーニの名曲も心に残り続けるものとなっています。私はこの映画を観て、パガニーニには魂的に凄い親近感を抱きました。

    白銀は招くよ! 12 MÄDCHEN UND 1 MANN

    (1959年、西独) 86分/カラー

    監督:
    ハンス・クヴェスト/原作:ヴォルフガング・エーベルト/音楽:フランツ・グローテ
    出演:
    トニー・ザイラー(フローリアン・タラー)、アルギット・ニュンケ(エーファ)
    内容:
    1956年の冬季オリンピックで20歳の若さでスキー三種目に優勝し、全世界を驚かせたトニー・ザイラー主演の青春映画。
    草舟私見
    スキーの名手であったトニー・ザイラーの主演になる映画である。このトニー・ザイラーが私は好きだったですね。映画そのものは普通の青春映画という感じのものなのですが、何しろ主人公が良い。スキーの神様でしたからね。神様というものはいつの世も観ているだけで気分爽快になりますね。それに何ったってカッコ良いですよ。私が小さい頃、家のお袋がザイラーの大ファンでね、さんざん話を聞かされたので私も彼の大ファンになってしまいました。世界一のスキーの名手にしてこのカッコ良さですからね。ホント昔の人は違いますよ。それにしても主題歌がすばらしい。それに挿入歌で歌われる「ペルシャの王様」という曲ね。この二曲は私は心底好きでしたね。小学生の頃にドーナツ盤レコードが摺り切れるまで聞き込んで、二曲ともドイツ語で全部暗誦してしまいました。小学生でドイツ語の歌が歌えましたからね。私にとっては実に思い出深い映画なのです。この「ペルシャの王様」という曲は、それにしても何とも夢のあるいい曲です。歌に関してもザイラーは本当にうまいですね。

    白鯨との闘い In the Heart of the Sea

    (2015年、米) 122分/カラー

    監督:
    ロン・ハワード/原作:ナサニエル・フィルブリック/音楽:ロケ・バニョス
    出演:
    クリス・ヘムズワース(オーウェン・チェイス)、ベンジャミン・ウォーカー(ジョージ・ポラード)、キリアン・マーフィー(マシュー・ジョイ)、トム・ホランド(トーマス・ニッカーソン)、ベン・ウィショー(メルヴィル)
    内容:
    『白鯨』の原作者メルヴィルが取材した、白鯨に襲われた捕鯨船員の凄絶な体験談を映画化した作品。
    草舟私見
    ハーマン・メルヴィルの『白鯨』は、文学史上に輝く最高傑作の名をほしいままにしている。それは、物語の底辺を支える類い希な「重力」の存在のゆえと言っていいだろう。私もまた若き日に、『白鯨』のもつ重力に圧倒された人間の一人である。『白鯨』は、文豪ナタニエル・ホーソンによって、「現代に甦ったホメーロスの大叙事詩」と謳われたものだ。それを実感する文学だった。その『白鯨』を執筆するための実話が、映画化されていると聞いた。それが本作品と成っているのだ。大文学を支えた実話の物語というだけでも、大変な価値を有するが、その映画がまた途轍もない名画と成っているのには驚いた。画面を狭しと繰り広げられる十九世紀の捕鯨のもつ「大叙事詩」が観る者を釘付けにして放さない。映像は最高度の美学を備え、また構成は「大文学」の要素をすべて備えていた。希に見る大作品である。人間の勇気とは何か。文明の本質を支えるものとは。我々が人間として生きる、本当に尊いものとは何かを、本作品は我々自身の奥底に突き付けているのだ。

    幕末

    (1970年、中村プロ) 121分/カラー

    監督:
    伊藤大輔/原作:司馬遼太郎/音楽:佐藤勝                   
    出演:
    中村錦之助(坂本竜馬)、吉永小百合(お良)、仲代達矢(中岡慎太郎)、神山繁(勝海舟)、三船敏郎(後藤象二郎)、小林桂樹(西郷隆盛)
    内容:
    司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を原作とし、明治維新に向け奔走した坂本竜馬の半生を描いた時代劇映画。中村錦之介演ずる竜馬の迫力ある演技が冴える。
    草舟私見
    坂本龍馬の生涯を伊藤大輔が非常に情緒的に創り上げている。また竜馬を演じる中村錦之助の凄絶な演技が冴えわたる作品であると感じる。全編に流れる土佐の高知のよさこい節が、抜群の編曲によってすばらしい情感を築き上げている。南国の曲を北国的に処理した哀愁により竜馬の気宇の壮大さを感じるものとなっている。竜馬がもし維新後も生きていたならば日本はどうなっていたかを私は昔から随分と考えてきたものだが、この作品によって竜馬は丁度良いときに死んだのだと尽々と感じた。竜馬はやはり天命によって生まれ天命によって死んだのだと実感できる作品である。            

    馬喰一代

    (1951年、大映) 114分/白黒

    監督:
    木村恵吾/原作:中山正男/音楽:早坂文雄                   
    出演:
    三船敏郎(片山米太郎)、志村喬(小坂六太郎)、京マチ子(ゆき)、伊庭輝夫(太平)
    内容:
    大正末期から昭和にかけての北海道北見の大高原で馬喰を営む男。酒と博打に明け暮れた生活は、妻の死によって子どものために生きるものとなった。親子の温かな交流を描く。
    草舟私見
    いやあ本当にいい映画ですね。観るたびに心が洗われ、旧き真の日本の姿を偲ぶことができる名画中の名画ですね。偲ぶだけでなく明日の日本を築き上げるための活力が、魂の奥深くから喚起されます。いい親子であり、いい隣人たちです。喧嘩ばかりしていますが、心に深い絆がありますよね。米太郎(三船敏郎)はいい男だ。女房も死ぬときに幸せだったと言っていますね。乱暴で間抜けでもおっとどっこい筋金が入っていますよ。この筋金だけが真の価値なんです。太平もいい。これは大人物になる。米太郎の子ですからね。親と子の真の情愛があります。私は心底共感しますよ。金貸しの六太郎(志村喬)がまたいい。これも男です。人生と真正面からぶつかりそしてしっかりと真心を持っています。ゆき(京マチ子)もいい。真の女です。あばずれに見えるが女らしい美しい温かい心が伝わってきます。どいつもこいつもいい奴ばっかりです。この人生が真の日本の姿です。私の育った町もこんな連中ばっかりでした。小さい頃の思い出は近所中の喧嘩と仲直りの記憶ばかりです。こういう正直な大人がいて、初めて心のある子が育つのです。          

    HAZAN

    (2003年、映画HAZAN製作委員会) 108分/カラー

    監督:
    五十嵐匠/音楽:安川午朗
    出演:
    榎木孝明(板谷波山)、南果歩(妻まる)、康すおん(現田市松)、益岡徹(岡倉 天心)、中村嘉葎雄(堀田)、柳ユーレイ(深海三次郎)、寺島進(サブ)
    内容:
    陶芸家 板谷波山の伝記映画。教師の職を得ていたにも拘わらず、陶芸の道を目指した波山。貧窮を極める生活でも信念を曲げることなく、やがて波山は一つの芸術に到達する。
    草舟私見
    いや全くもってすばらしい映画である。邦画においては久々に観た映像芸術の一つの極致であろうと感じる。日本人が創る映画の最も尊く美しいものがこの作品にはある。小津安二郎以来絶えて無かった日本的感性の美である。間がすばらしい。語らずして全てを語る日の本の文化である。不世出の陶芸家・板谷波山の全てを感じることのできる真の映画である。語らないからこそ、語れないからこその偉大な夢なのである。偉大な志なのである。偉大な深い愛情なのである。家族がいい。「すいとん! すいとん!」と騒ぐ子供の姿が永遠に忘れられぬ。相棒の現田市松がいい。俺は好きだ。涙が流れるのである。観終わった後、私はへとへとに疲れた。我が魂は芸術と格闘していたのであろうと感じた。最後の「大楠公」のテーマのコントラバスの響きは、この作品を永遠に心に沁み入らせるものである。明治の日本人の、我が祖父母たちの夢と憧れと涙が我が心に沁み入るのである。日常が大切なのである。常を養うことが人生の全てなのである。その「常」が何によって裏打ちされているかが重要なのだ。真の「常」とは志又は愛情を持ってそれを日常とすることなのである。簡単なことが難しいのである。そこが明治人の偉大なところなのである。真の日常を送るとは、真の人生とは大変な事柄なのである。だから人と人は助け合わなければ生きて行けないのである。日常があって初めて家族の真の絆も生まれるのである。波山とその家族と現田市松は我が真の友である。そう思わない人間は真の日本人ではないのではないかとすら私は感じてしまったのである。真の夢があって初めて、人は家族ごと仲間ごと育つのだと尽々と感じる作品である。

    橋の上の娘 LA FILLE SUR LE PONT

    (1998年、仏) 92分/白黒

    監督:
    パトリス・ルコント/主題歌:マリアンヌ・フェイスル
    出演:
    ダニエル・オートゥイユ(ガボール)、ヴァネッサ・パラディ(アデル)
    内容:
    ナイフ投げの曲芸師が出会った、人生に絶望した娘。曲芸師は娘をナイフ投げの的として雇う。そこから二人の運命が回り始めた。
    草舟私見
    何とも不思議なほど観た後に余韻があり、永く脳裏に残る名画だと感じている。主演のダニエル・オートゥイユが何とも言えなく良い。ナイフ投げの芸人の役柄なのであるが、私などは何か自分の人生と重ね合わせて観てしまう感がある。人生とは一面このナイフ投げと同じなのではないか。いつでも危険とい隣り合せであり、全身全霊の力を振り絞らなければ最低限の安全も獲得できやしないのだ。血の汗を滴らせても手元が狂えば失敗し、失敗すれば他人の嘲笑を受け、また稼ぎもあがったりだ。でもね、ナイフを投げれる幸福と、そのナイフの危険を承知で的になって呉れる人が人生にはいるんですね。人と人の信頼、人と人の絆、人と人の出会いが我々のこの一寸先は闇の人生の灯となっているのではないか。人生は死ぬまで毎日が本番だ。そして本番は何が起こるかわからぬ。しかし何が起こっても我々はナイフを投げ、そして受けねばならんのだ。この作品はまた音楽がすばらしい。特にナイフ投げのときの音楽などは、もう生涯忘れられぬ「戦う人間」の音楽となることであろう。

    パスカリの島 PASCALI’S ISLAND

    (1987年、英) 103分/カラー

    監督:
    ジェームズ・ディアデン/原作:バリー・アンスワース/音楽:ローク・ドゥカー
    出演:
    ベン・キングスレー(パスカリ)、チャールズ・ダンス(ボウルズ)、ヘレン・ミレン(リディア) 
    内容:
    20世紀初頭の崩壊寸前のオスマントルコ帝国のスパイの男が主人公。ギリシャの小島に潜入している男は20年間音沙汰のない帝国を見限り、行動を起こしていく。
    草舟私見
    落日のオスマン・トルコ帝国を、パスカリと呼ばれる一人の男を通して描いている。実に詩的な秀作である。どんな人間もこの世における役割がなければ生きられない。その役目を正しくはっきりと人間に与えられる時代と社会が、良い世の中なのである。落日のトルコはすでにこの制度疲労によって、人間に生きる道を与えることができなくなっていたのである。トルコはこの後、数年を経て滅亡している。その時代に一人の男として、何とか生き続けたのがパスカリである。自分で生き甲斐を見つけ、自分で役目を作り、自分で行動に意味を付けている。パスカリの生きんとする欲望に敬意を払う。そして私はこの人物に涙を禁じ得ないし、また心の底から共感するものである。返事の来ない報告書を出し続ける悲しさが私にはわかる。彼は真の人生を生きたいのである。それに答えぬ制度疲労の肥大組織であるトルコは滅んで当然なのである。人間は役目を持たねば生きられないという真実が詩的に理解できる映画である。

    ハスラー THE HUSTLER

    (1961年、米) 135分/白黒

    監督:
    ロバート・ロッセン/原作:ウォルター・ティーヴィス/音楽:ケニヨン・ホプキンス/受賞:アカデミー賞 撮影賞・美術監督装置賞
    出演:
    ポール・ニューマン(エディ・フェルソン)、ジャッキー・グリーソン(ミネソタ・ファッツ)、ジョージ・C・スコット(バート・ゴードン)
    内容:
    ビリヤードの腕前だけで生きるハスラー。若きハスラーの男は名人に勝負を挑むが惨敗。やけくそな酒と女に溺れる生活から立ち直り、男は勝負の本質を摑んでいく。再び男は名人に挑んでいった。
    草舟私見
    あらゆる事柄について、最も伸びる人間の原型とはいかなるものであるかを表現する秀作であると感じている。映画は勝負の世界を描写し、息詰まるシーンの連続である。男の心を描写する映像がすばらしく、小学生のとき以来その名シーンが心に焼き付いて離れない作品である。主演のエディに扮するポール・ニューマンが、才能と素質が持つ危険をあますところなく演じている。成功と落伍は紙一重である。成功するための基はまた落伍者となる素質にも通じる。やる気は最も重要であるが破滅の誘因でもある。勝負の世界の中でも、最終的には人格の問題であるということの提示が心に残る。その点ミネソタ・ファッツはすばらしい。ジャッキー・グリーソンの名演によって、あらゆる哀しみを乗り越えてきた男の優雅さを感じる。正式の勝負において、エディは当分ファッツには歯が立たないことを感じる。最後の一ゲームにおいてエディに花を持たせるファッツこそ名人というものであろう。一方エディはまだ当分落伍者であると断定できる。

    ハチ公物語

    (1987年、東急グループ=三井物産=松竹) 107分/カラー

    監督:
    神山征二郎/原作:新藤兼人/音楽:林哲司/受賞:文部省選定                   
    出演:
    仲代達矢(上野英三郎)、八千草薫(上野静子)、石野真子(上野千鶴子)、尾美としのり(尾形才吉)、長門裕之(菊さん)、柳葉敏郎(千鶴子の夫)
    内容:
    東京・渋谷の名物「ハチ」。大学教授と秋田犬ハチの「忠犬ハチ公」の実話の映画化。主人が亡くなってからも渋谷駅で毎日帰りを待ち続けた感動の姿が描かれる。
    草舟私見
    いい作品である。心が温まりかつ洗われる。何とも観るたびに私などは恥入るばかりである。実話であるだけに自分の生き方と重ね合わせて反省させられる。ハチ公は偉大な犬である。品格がある。血統の良さが生き方の中に輝いている。上野博士に可愛がられた恩義をこれ程貫き通すということは、人間なら武士にしかできないことである。ゆえにハチ公は武士なのである。犬といっても血統からの武士は違う。私は心の底からハチ公のことは尊敬する。ハチ公を尊敬せぬ者は武士道を弁まえぬものと私は思う。ハチ公のことを憶うたびに私は、自分がこれ程の恩義を両親や恩人に感じているのか自問自答させられる。恩に生き恩に死すとは、誠に生命あるものの最も尊い生き方であると感じさせられる。もう還らぬ人を待ちたいから待つ、それがたとえ無駄であろうとしたいからそうする、というハチ公の生き方は私に巨大な感化力を与え続けている事柄である。        

    80日間世界一周 AROUND THE WORLD IN 80 DAYS

    (1956年、米) 169分/カラー

    監督:
    マイケル・アンダーソン/原作:ジュール・ヴェルヌ/音楽:ヴィクター・ヤング/受賞:アカデミー賞 作品賞・脚本賞・音楽賞・編集賞・カラー撮影賞
    出演:
    デヴィッド・ニーヴン(フォッグ氏)、カンティンフラス(パスパトゥ)、シャーリー・マクレーン(アウーダ姫)
    内容:
    アドベンチャー映画の金字塔。ビクトリア朝時代の英国紳士が、全財産をかけて80日間で世界一周を為し遂げられることを証明していく。
    草舟私見
    デヴィッド・ニーヴン扮する英国紳士フォッグ氏の生き方が、何と言っても圧倒的魅力の名画である。フォッグ氏には哲学がある。自己が生きる誇りがある。生き方そのものが思想である。生活そのものが勇気の代名詞であり、それでいて義のあるところには優しさと人情味もある。つまり真の紳士なのであり、紳士であるとは武士であるということなのである。何事があっても自分の信念に生きる。信念を貫くとはあらゆる困難を自己責任で、つまり自分の英知で乗り切ることなのだ。そしてその結果として人生そのものに確固たるスタイルがある。スタイルを創り貫くことが紳士の紳士たる原因なのである。ただしスタイルは勇気と犠牲なくしては貫けないのだ。フォッグ氏はその結果として、実に全てがスマートで淡々として行なっている。つまりカッコ良いのである。嵐の中でも帽子をかぶり、船を壊して燃料にする。男であり武士である。貫くのに理屈はないのだ。ただひたすらに貫くのだ。名画中の名画と感じる。

    二十日鼠と人間 OF MICE AND MEN

    (1992年、米) 111分/カラー

    監督:
    ゲイリー・シニーズ/原作:ジョン・スタインベック/音楽:マーク・アイシャム
    出演:
    ジョン・マルコヴィッチ(レニー)、ゲイリー・シニーズ(ジョージ)、ケーシー・シーマズコ(カーリー)、シェリリン・フェン(カーリーの妻)
    内容:
    文豪スタインベックの名作の映画化。1930年代の不況に喘ぐアメリカで、農場を渡り歩く知恵遅れの大男と彼の友人の保護者的存在の男の友情を描く。
    草舟私見
    涙なくしては見れない名画である。スタインベックの名作であり、世界最初の消費文明に冒された1930年代のアメリカ社会を描き、現代の先取りをしてその病根を語っている。ストレス人間が他者を害する過程を良く見るべきである。これは現代に通じる病根なのだ。二十日鼠とは、消費文明からくる自己の過大評価により無限のストレスに冒された結果、ちょろちょろと意味も無く動き回り、他人の人生に害をおよぼす人物を示す。つまりカーリーとその妻である。思い出すだに腹の立つ嫌な奴らだ。その反対に昔ながらの消費文明に冒されていない人間的な心を持つレニーとジョージが真の人間として描かれている。この二人の人間の間にある関係こそが、真の愛情であり真の友情なのだ。そして二人の夢こそが人間の持つ本当の夢なのだ。この二人はいつまでも私の心に残り、私を励まし、私を元気づけてくれるのである。

    初恋の来た道 THE ROAD HOME

    (2000年、中国=米) 89分/カラー

    監督:
    チャン・イーモウ/音楽:サン・バオ/受賞:ベルリン映画祭 銀熊賞
    出演:
    チャン・ツィイー(チャオ・ディ=過去)、チョン・ハオ(ルオ・チャンユー=過去)、スン・ホンレイ(ルオ・ユーシェン=私)、チャオ・ユリエン(チャオ・ディ=現在)
    内容:
    文化大革命時代の中国。小さな村に赴任してきた青年教師と、彼に一目惚れをした村の娘との清冽な恋。二人の息子の回想で描かれる中国映画。
    草舟私見
    本当に心底、魂が搖さぶられ心が洗われ、情感が温かくなる真の名画ですね、この中国映画は。すばらしい夫婦の物語です。やっぱり真に愛し合う人間同士が生涯を共に過ごすということは、人生においては何ものにも換え難い大切な事柄なのだということを真にわかることができる作品です。工業文明が発達し消費文明に移行してしまった国では、もうあまり見られない真の恋愛ですね。真の恋愛は本当にすばらしく、心温まるまさに人の世の精華とも言うべき事柄なのだと尽々と感じさせられますね。40年間一人の人の朗読に感動できる心とは実に偉大なる心です。愛が大きいのです。深いのです。恋する人が食事にきたときのディの、それを迎える笑顔と立ち姿の美しいこと! 夫になった先生もそれを生涯忘れることができなかったと作品中で語っていますが、私もあの美しさと感動は生涯忘れることができません。美しいものは本当に人生の宝物ですものね。この映画に示される恋愛こそ真実の恋愛だと私は思います。観終わった後はあくまで爽々しく心楽しく、私は「四季の歌」を口ずさみました。

    八甲田山

    (1977年、橋本プロ=東宝=シナノ企画) 171分/カラー

    監督:
    森谷司郎/原作:新田次郎/音楽:芥川也寸志                   
    出演:
    高倉健(徳島大尉)、北大路欣也(神田大尉)、三國連太郎(山田少佐)、丹波哲郎(児島大佐)、加山雄三(倉田大尉)、緒形拳(村山伍長)、島田正吾(友田少将)
    内容:
    日露戦争を目前にして、寒冷地の装備と訓練の調査に向かった青森第五連隊。しかし厳冬の八甲田山で猛吹雪に見舞われ道を見失ってしまう。新田次郎の同名小説の映画化。
    草舟私見
    北大路欣也扮する神田大尉と、高倉健扮する徳島大尉の人間性の全ての対比がこの作品の見どころである。どちらも真に立派な人物である。その真に立派な人物が片方は失敗し、片方は成功する。なにゆえなのか。それを随所に観なければこの作品の感動性はわからない。私には愛の量の違いに思える。また情の量の違いに思える。そして率直の量の違いに思えるのだ。そして量は信念の微妙な違いから生じるのであろう。量が少なければその場は心の中に秘めることができる。しかし量が多ければそれは自ら外面に奔出するのだ。この他者から見て見える部分の違いが、結果の違いを招いたのではないか。いずれにしても失敗も成功も明治においては実に偉大である。爽快である。         

    パッション(受難) THE PASSION OF THE CHRIST

    (2004年、米) 127分/カラー

    監督:
    メル・ギブソン/音楽:ジョン・デブニー
    出演:
    ジム・カヴィーゼル(イエス・キリスト)、マヤ・モルゲンステルン(母マリア)、ルカ・リオネッロ(ユダ)、マッティア・スブラジア(大司祭カイアファ)、ロザリンダ・チェレンターノ(サタン)、モニカ・ベルッチ(マグダラのマリア)
    内容:
    イエス・キリストが処刑されるまでの最後の12時間を描く。弟子の裏切りにより凄絶な拷問の末に十字架にかけられるイエス。マリアが遺骸を抱きとめたのち、奇蹟が起こる。
    草舟私見
    キリストのもつ受難の意味が、我々の心に突き刺さってくる。真の生命が燃え立つとき、人の子はその哀しみを抱きしめて死ぬ。人間の、新しい文明を築くために、最も尊い命が犠牲として捧げられることになったのである。ヘブライ民族の「詩」を生きたイエスは、ただひたすらにイザヤの預言を成就するために生きようとしていた。民族の魂とその涙だけが、イエスの勇気を支えていたのであろう。それ無くして、この受難に耐えられる者はいない。イエスは、人類のもつ生命の雄叫びのゆえに、受難を引き受けているのだ。つまり、魂を知る新しい時代を築くためだけに、己れの身を生命の歴史に捧げたと言ってもよい。我々の「霊」が、神から生まれていることを証すために、己れの生命をその根源へ捧げている。そして、霊魂の不滅を人類の魂に打ち込み、生命の尊さを文明に刻印しようとしているのだ。その行為によって生命の永遠を謳い上げた。だからこそ、真の人類の「復活」に向かって、己れの全てを捧げ尽くそうとしているのである。

    パットン大戦車軍団 PATTON

    (1969年、米) 171分/カラー

    監督:
    フランクリン・J・シャフナー/原作:ラディスラス・ファラーゴ、オマー・N・ブラッドリー/音楽:ジェリー・ゴールドスミス/受賞:アカデミー賞 作品賞・監督賞・主演男優賞・脚本賞・美術監督賞・編集賞・サウンド賞
    出演:
    ジョージ・C・スコット(ジョージ・S・パットン大将)、カール・マルデン(オマー・N・ブラッドリー大将)、マイケル・ベイツ(モントゴメリー元帥)
    内容:
    アメリカの伝説的英雄パットン将軍の活躍を描く戦争映画。臆病者に厳しく、勇敢な者は敵であれ尊重するパットン。大戦車軍団を率いて欧州戦線を進撃していく。
    草舟私見
    パットンは第二次大戦を通じて間違いなく最も勇敢な将軍であった。その勇気のゆえに、真実の男の哀しみというものを背負い続けた生涯であったと感じる。もの凄く面白くて、またもの凄く悲しい本当の人生を歩んだ軍人であったと私は思う。その事柄の全てが実像の通りに再現されており、その実像のままでまた絵になっており、そのゆえにすばらしい名画となっている作品であると感じる。ジョージ・C・スコットという類い希な名優を得て、正にパットンの魂と肉体がこの世に生き返ってきたような錯覚を感じる作品である。彼(パットン)の心の中には聖地がある。彼は現世に生きてはいない。彼の魂は過去にあり、それゆえにそこから無限の勇気を吸い上げているのだ。彼は生きながらにして歴史上に自己を存在させている。彼の優しさは聖地を知る者にしかわからない。彼の持つ勇気・夢・希望は人類の涙と通じている。その言動のあまりの真実性ゆえに彼の生涯は悲しみを伴う。しかしその悲しみを、何とも言えぬ面白さに変えるだけの強靱な心を彼は持っているのだ。私はパットンが心底好きである。惚れているのだ。私と彼とは永遠に真に永遠に固い友情で結ばれている。

    パットン将軍 最後の日々 THE LAST DAYS OF PATTON

    (1985年、米) 146分/カラー

    監督:
    デルバート・マン/原作:ラディスラス・ファラーゴ/音楽:アンリ・ファーガソン
    出演:
    ジョージ・C・スコット(ジョージ・S・パットン将軍)、エヴァ・マリー・セイント(ベアトリス・パットン)、マレー・ハミルトン(ホバート・ガイ将軍)
    内容:
    「パットン大戦車軍団」に続き、ジョージ・C・スコットがパットン将軍を演じた。不慮の自動車事故により人生を終えようとする、偉大な将軍の最後の日々が描かれていく。
    草舟私見
    「パットン大戦車軍団」において忘れ得ぬ名演をしたジョージ・C・スコットが、前作から15年の後にその同じ将軍の最後の日々を熱演する名画である。パットン将軍を心から敬愛する者にとっては、涙を禁じ得ぬ作品である。このアメリカを代表する猛将が、なにゆえにこのような死に方をしなければならなかったのかは、私にとっても長い間の心の苦しみであった。この過去に生き、過去の中から無限の勇気を汲み出す男の生き様は私に強い共感を呼び起こす。そしてこの作品を観たとき、私はもうパットンにとっての過去が、この世から消え失せたのだと気づいた。彼を生かす過去が積み上げられぬ時代に突入したのだ。そういう意味では良い時代に死んだのだろう。彼の言っていたことは全て正しかった。その彼が事故死をするということは、アメリカがこの時代からその運転を誤まることを暗示しているように私には思える。彼の妻が彼を評して古代人と言っているが、言い得て妙である。古代人よ安らかに眠り給え。

    パトリオット THE PATRIOT

    (2000年、米) 165分/カラー

    監督:
    ローランド・エメリッヒ/音楽:ジョン・ウィリアムズ
    出演:
    メル・ギブソン(ベンジャミン・マーチン)、ヒース・レジャー(ガブリエル)、トム・ウィルキンソン(コーンウォリス将軍)、ジェイソン・アイザックス(ダヒントン大佐)
    内容:
    18世紀後半のアメリカ。かつて戦場の悲惨を痛感し武器を捨てた英雄が、独立運動の中で再び武器を手に戦場に向かう姿を描く戦争映画。
    草舟私見
    アメリカ独立戦争を内側から描いた数少ない作品であり、戦いとは何か、現代とは何か、家族とは、国家とはという問いかけを含んだ名画であると感じる。米独立戦争は民兵のゲリラ戦に大国の正規軍が敗れたことによって、良くも悪くも現代というものを生み出した歴史的な戦争であり、その姿が実に見事に描かれている。古い戦争の型と新しい戦争の型が入り交り手に汗を握る。私は古い型が好きである。あの整然とした軍同士の正面からの激突は私の血を煮え滾らせる。信じられない勇気と名誉心である。そして古い型は正々堂々とした殺し合いが派手なほど、不幸を最小限に実は喰い止めているのである。主人公は新しい型を導入して戦う。勝つか負けるかに全価値がある場合はこうなるのである。主人公と英軍大佐は互いにそういう過去を生きた人なのである。戦いは過酷である。ゆえに真に戦う者は必ず戦いを好まぬ。極力避けようとする。そしてやるときは断固として徹底的にやる。それが真の男というものである。戦う者を戦いに駆り立てるものは家族への愛と友情である。真実の愛を持たぬ者は真に戦い抜くことはできないのだ。

    バトル・オブ・ライジング MICHAEL KOHLHAAS

    (2013年、仏=独) 121分/カラー

    監督:
    アルノー・デ・パリエール/原作:ハインリヒ・フォン・クライスト/音楽:マーティン・ウィーラー
    出演:
    マッツ・ミケルセン(ミシェル・コラース)、デルフィーヌ・ショイヨー(妻ジュディット)、ブルーノ・ガンツ(総督)、スワン・アルロー(男爵)
    内容:
    16世紀のフランスで真面目な馬商人として暮らす男。しかし新領主に馬を騙し取られ、さらに妻を暴行の上で殺された。男は新領主に復讐を誓う。
    草舟私見
    この実話は、反骨精神の芽生えを扱っている。いわゆる、近代人特有の反骨である。中世が終わり、人類はその近代に突入しようとしているのだ。神を失った人間の、本当の愛が見える。近代の愛が、崇高な反骨の詩となって展開していく。神がいれば、愛は自然の営みの中に存在することができる。しかし、人間性という思想が生まれた近代に至って、愛は自然の型では存在することができなくなった。そのヒューマニズムの抬頭によって、人間は愛の発動を自らの反骨精神に負わなければならなくなったのだ。近代人の愛は、反骨精神の中に潜む。近代においては、その反骨精神の愛の証なのだ。そして、反骨を支える愛の力によって、近代人は創造の力を得る。近代人の愛の実践は、反骨となるしかないのだ。つまり、反骨精神によって新しい「何ものか」を創造していく道を選んだ。主人公ミシェル・コーラスの反骨が、近代人の愛から生まれていることに気づけば、この作品が歴史的な「詩」を表現していることに思いが至るだろう。

    華岡青洲の妻

    (1967年、大映) 100分/白黒

    監督:
    増村保造/原作:有吉佐和子/音楽:林光                   
    出演:
    市川雷蔵(華岡青洲)、若尾文子(加恵)、高峰秀子(於継)、伊藤雄之助(直道)
    内容:
    有吉佐和子の同名小説の映画化。世界で初めて全身麻酔による手術に成功した医師・華岡青洲とその家族の姿を描く。
    草舟私見
    昔の医者は本当に凄い生き方ですよね。時代は変わっても物事の本質というものはいつでも過去にあるのです。青洲もこの時代よりまた二千年前にいた中国の名医である華陀(かだ)に憧れ、それを目指しています。いつの世も現世で物事をやり抜く心を生み出すのは、心の中で温められた過去の事象なのです。青洲の生き方を生んだのもそうですね。華佗と祖父と父の生き方が彼を生んだのです。このもの凄い忍耐と創意工夫の人生は、自分以外のところに心の糧がなければ絶対にできません。一つの薬の調合を決めるのに十五年の辛苦があるのですから凄いです。ただこの十五年が青洲の能力と人格を徐々に創り上げています。人間には辛苦が必要なのです。伊藤雄之助扮する父直道もいいですね。このての人間は私は大好きです。綺麗事を言わず一本気で正直です。正直な最高の教育なのだとわかります。姑と嫁もいいです。争っているが自我の我儘とは違います。役目の上の争いなのです。このような争いは必ず真に分かり合える人間同士に最後はなれるのです。そう加恵も最後に言っていますね。こうして昔の固い家組織、つまり真の愛情の系譜ができていくのです。   

    華岡青洲の妻〔テレビシリーズ〕

    (2005年、NHK) 合計260分/カラー

    監督:
    野田雄介、他/原作:有吉佐和子/音楽:牟岐礼
    出演:
    和久井映見(加恵)、田中好子(於継)、谷原章介(雲平=華岡青洲)、中島ひろ子(於勝)、石田太郎(華岡直道)、小田茜(小陸)
    内容:
    有吉佐和子の同名小説のドラマ化。映画版とは異なり、華岡青洲の嫁と姑との確執を中心に描かれていく。
    草舟私見
    有吉佐和子の原作による。昔、映画化され、その作品は既に推奨映画に入っている。その同じ作品のテレビドラマ化が本作品である。ただ、本作品は映画とは少し観点が違い、嫁、姑の人間関係を中心に構成されており、これはこれで中々観ごたえのある良い作品となっている。家制度というものが土台から崩れている現代社会にとって、真実の家族のあり方というものを示唆する作品となっている。家族の本当の愛情とは、実は家というものを繁栄させようとする人間の意志によってしか生まれないのである。真実の愛は綺麗事ではないのだ。愛の絆は戦いの中から生まれるのだ。家にとってなくてはならない存在となるために、昔の人は家族同士で戦ったのである。その戦いの中から真実の愛、つまり真の絆が生まれるのである。真実の絆は戦友愛によりよく酷似しているのである。愛は戦いに勝つことによって生まれ、勝つ人間が代々続く家が永続し繁栄するのである。私はこの嫁も姑も二人とも大好きである。二人とも自分の人生を本当に大切にしているのである。このような真の家族愛(実は戦い)の中で仕事をし、業績を挙げるのが昔の日本男子であったのだ。男のこの統御力を甲斐性と言ったのである。仲が良いだけの家族の中には、大きな嘘がその人間関係の中に存在しているのだとわかることが重要である。仲良くだけやろうとすれば傍観者にならざるを得ない。その役柄を小陸が演じている。小陸は確かにかわいそうである。しかしそれは小陸が自己を傍観者の立場に置いていたからなのである。争いを嫌い自分の真実の立場を主張しない者はやはり不幸になるのである。華岡青洲の嫁と姑のような真に強い日本の女性が本当の歴史においては、この日本の文化と伝統を支えていたのである。私の母と祖母もこういう関係であった。そのような家庭に育ったことを私は誇りにしているのである。                           

    花と龍

    (1973年、松竹) 165分/カラー

    監督:
    加藤泰/原作:火野葦平/音楽:鏑木創                   
    出演:
    渡哲也(玉井金五郎)、香山美子(玉井マン)、田宮二郎(栗田銀五)、倍賞美津子(蝶々牡丹のお京、お葉)、石坂浩二(唐獅子の五郎、十郎)、竹脇無我(玉井勝則)、笠智衆(永田杢次)、大地喜和子(お光)、任田順好(島村ぎん)、佐藤慶(友田喜造)
    内容:
    火野葦平が自らの父をモデルに描いた同名小説の映画化。北九州若松で港湾荷役から一家を立ち上げた快男児・玉井金五郎の波瀾の人生を描く。
    草舟私見
    明治末年から大正そして昭和初期までの、石炭積出港があった北九州の若松の物語ですね。小倉とか若松とか洞海湾とか玄界灘という言葉はね、私は音声を聞いただけで血潮が騒いでね、ブルブルくるんですよ。この玉井金五郎は言うにおよばず無法松のことも思い出しますし、何と言っても先祖の魂に触れる思いがするんですね。私も北九州の血ですからね。いやあー男の血ですよ。一本どっこの血ですね。九州は乱暴だけど明るくていいですわ。映画の通りです。玉井金五郎は大好きですよ。この男のやることは全部良い。そういう男ですね、こいつは。無法松と同じですよ。恩と義理と人情があってね、心の中に芯と軸があります。私と同じですよ。理屈より信義と勇気が価値があるんです。あの馬鹿息子に「ここをどこだと思っているか。ここは洞海湾ぞ、若松ぞ」と言って、命がけの覚悟をさせる場面は忘れられません。この言葉で全部終わりという人生観です。それにしても息子の方は暗いですね。大学に行ったのが全ての間違いの始まりだと思います。この息子も親の恩がそのうちわかるでしょうが、この映画ではタダの馬鹿ですね。理屈ばかり言っている人間は本当に印象が弱くて暗いですね。            

    花の特攻隊 あゝ戦友よ

    (1970年、日活) 95分/カラー

    監督:
    森永健次郎/原作:川内康範/音楽:池田正義                   
    出演:
    杉良太郎(濱村真吉)、和泉雅子(田川三保)、三ツ木清隆(田川二飛曹)、長谷川明夫(山田勝彦)、丹波哲郎(司令)
    内容:
    太平洋戦争末期。海軍は密かにロケット兵器を開発していたが、遠隔無線が完成しなかった。兵器は「桜花」と名付けられ、人間が搭乗する特攻兵器となった。
    草舟私見
    空前にして絶後である人間が操縦する、ロケット特攻兵器である桜花(おうか)が取り挙げられている数少ない映画である。桜花は悲劇的な兵器であるが、私はそれを創りそれを使用した祖国に敬意を表する。どこの国もできないことを現にやった国は偉大なのだ。間違っていても偉大なのだ。私はそうしなければならん歴史を有した国に生まれたことを心底誇りに感じる。特攻隊員の涙に応える祖国にしなければならんと信じる。映画の中で歌われる「あゝ紅の血は燃ゆる」は本当に良い。血が湧き肉躍るものがある。最後に一式陸攻から桜花に乗り込むときにお世話になりましたと別れを告げるところは涙が出ますね。この台詞こそ日本人が血の中に持つ最も美しい観念ですね。私はそう感じます。   

    華の乱

    (1988年、東映) 139分/カラー

    監督:
    深作欣二/原作:永畑道子/音楽:井上尭之                   
    出演:
    吉永小百合(与謝野晶子)、緒形拳(与謝野寛=鉄幹)、松田優作(有島武郎)、中田喜子(山川登美子)、風間杜夫(大杉栄)、池上季美子(波多野秋子)、石田えり(伊藤野枝)、松坂慶子(松井須麿子)、蟹江敬三(島村抱月)
    内容:
    大正時代の女流歌人・与謝野晶子の芸術と愛の半生を描いた、永畑道子の原作の映画化。貧困の中で大家族を維持し、また激しい恋愛までも経験し、自らの歌も尽きることなく生み出し続ける、その情熱の生涯を追った。
    草舟私見
    与謝野晶子の生涯の映画化である。美しい映画である。大正ロマンティシズムの世相を背景として、本当に強く美しく優しい女性の真実の人生が描かれていると感じる。何でもこなす女性ですね与謝野晶子は。最近の女性とは違って芯の強さというものを感じます。勉強も凄いです。文学も凄いです。子育ても凄いですね。恋愛も凄いです。情があります。何をやっても真剣ですよね。この人は何をやっても絵になります。真心があるからだと思います。だから見ていて気持ちが良いのですね。どうしようもない子沢山の天手古舞の家の中から、あの文学史上屈指の名作が生まれてくるんですからね。こういう女性には男の美学の信奉者である私もすっかり脱帽です。あなたは凄い、尊敬します。それでいて戦前の女性らしく控えめなんですから。全く本当に情熱を貫く女性というものは、どんな凄い男をも凌駕するだけの真の生命の力というものを持っていると感じます。大正はよいです。そう言えば私の両親ね、二人とも大正生まれなんです、念のため。        

    洟をたらした神

    (1978年、近代映画協会) 80分/カラー

    監督:
    神山征二郎/原作:吉野せい/音楽:坂田晃一/受賞:文部省選定                   
    出演:
    樫山文枝(吉野せい)、風間杜夫(吉野義也)、河原崎健三(猪狩満直)
    内容:
    大正末期から昭和にかけ、福島県の山間の荒地で開拓農民として生き抜いた女性・吉野せい。詩人である彼女の辿った過酷な日々が描かれていく。
    草舟私見
    主人公である吉野せいの詩には、私は若き日に随分と力づけられ励まされた思い出がある。本作品はその吉野せいとその夫である義也との結婚から晩年までを淡々と綴った作品である。私はこの夫婦の生涯の中に、大正から昭和にかけての日本の典型的な夫婦と家族というものを強く感じるのである。現代から見れば実に貧しい生活であると思われるが、私はその生活の中に本当の豊かさというものを見るのだ。人力だけに頼る激しい労働と、食べる物にも事欠く貧しさの中で、吉野せいがその詩に「この疲労の中で夢を失いかけている、この貧しさの中で愛を失いかけている……」ということの本当の豊かさを私は現代から見て感じるのである。そう思いそう言える夫婦であり家族であり人間関係が、厳として存在していることによって初めて言えることではないか。当時の百姓は百姓という激しい労働の仕事に真の面白さを感じていた。それは作品の中にも表わされている。機械のない時代には百姓は百姓であることに誇りを持ち面白みを感じ、他の職に就く気などはなかった。戦後機械化され、百姓は自らの仕事を卑下するようになった。この映画は貧しさの中の豊かさ、激しい肉体の苦労の中の真の喜びを表わしている。現代は便利さが人生の面白さを失わせているのだ。そして面白さから真の家族愛が生まれることも、本作品ではよく表わされていると感じる。      

    埴谷雄高・独白「死霊」の世界

    (1995年、NHK) 合計225分/カラー

    構成:片島紀男/ドキュメンタリー
    ナレーション:国井雅比古/朗読:蟹江敬三
    内容:
    作家 埴谷雄高は対談・座談会・インタビュー等の一切を受けないと公言していた。長期間にわたり説得し、また一年をかけて撮影された貴重なドキュメンタリー作品。
    草舟私見
    『死霊』は、文明とそれを支える生命、そして宇宙そのものの叫び声である。それが、西欧リアリズムの思想を基盤として、文学的に脱構築されているのだ。ひとりの日本人が、自己の頭脳と体験だけで、このような文学を現実社会にもたらしたことに驚愕したことが、昨日の出来事のように思い出された。この埴谷雄高は、自己の生命の淵源に向かって垂直に生き切った人物であった。すべての思索が、自己自身の内部から生まれていた。想像力ということにおいて、埴谷雄高を凌駕する作家はいないであろう。私は、若年よりこの作家に親しんできた。それは、何か生き切ろうとする淵源に、同一の慟哭を見出しているからに違いない。親近感において、私は埴谷雄高に並ぶ者を知らない。それは、生存の本源からくる「何ものか」である。私は『葉隠』を読み、これが自己の全生涯の出発点を創った。それ以後、私はその武士道を噛み締めながら自己を形成してきたのだ。その「悲痛」を分かち合える人物こそが、埴谷雄高に他ならない。その埴谷が、映像の中で自己を語っている作品を、初めて見た。そこには、はっきりとした形で『死霊』の魂があった。そして、私自身の幻影を確かに感じたのである。

    (1988年、松竹=ビッグバン=キネマ東京) 75分/カラー

    監督:
    松山善三/音楽:甲斐正人                   
    出演:
    吉村実子(母)、未来貴子(久子)、川谷拓三(父)、佐藤輝(弘)
    内容:
    働き盛りの夫が不慮の事故で脊髄を損傷。以来28年間、全身麻痺になり言葉も話せない夫の世話を続けた妻。末子の視線で母の苦闘の日々が描かれる。
    草舟私見
    夫婦とは何か、親子とは何か、生きるとは何か、自由とは何かを問いかける秀作と感じる。夫が卒中で斃れて以後28年の寝たきり人間の看病です。現代流の綺麗事ではないのです。愛情とは強さであり闘いなのですね。何度も挫けそうになる自分を自ら支える真の愛を感じる。子育てを放棄するがちゃんと育てています。子を育てるとは自らの生き方なのですね。背中で育てているのです。自由とは何かを米国まで見に行き、何だ自由の女神なんて同じ場所にただ立っているだけではないか、と言うくだりは良いですね。自由とは心の中の問題なのです。自分の決断で生きる生き方のことなのです。この母はつまり全ての決断を自己責任でしているのです。だから真に自由なのです。最後の霜踏みの場面で自分の自由な人生を楽しんでいますね。真の幸福を感じます。            

    パピヨン PAPILLON

    (1973年、仏=米) 151分/カラー

    監督:
    フランクリン・J・シャフナー/原作:アンリ・シャリエール/音楽:ジェリー・ゴールドスミス
    出演:
    スティーヴ・マックィーン(パピヨン)、ダスティン・ホフマン(ルイ・ドガ)
    内容:
    無実の罪で南米の監獄島へ送られた男。何度も脱獄を繰り返し、ついに自由を獲得した男の実体験の小説の映画化。
    草舟私見
    名画の中の名画ですね。実に良い。パピヨンを演じるS・マックィーンとドガを演じるD・ホフマンの名演は神様的と感じている。映像はすばらしく、音楽は一生涯心の底で鳴り響く名曲です。全体が一つとなって自由というものの尊さが身に沁み、頑固というものが美しい信念に昇華されていく過程が見事に表現されています。パピヨン程の人物でもない自分が、両親の愛情と環境によってどんなにすばらしい幸福を享受しているのかを感じさせられます。私は自分に与えられた幸運の中で、パピヨンの如くに自由と信念を自分が守り育てなければならんと反省させられる名画です。パピヨンのあの執拗さと強さの秘密は何か。それは無実の罪ということなのです。人間の強さの根源は正義なのです。真実の正義に立脚して人は初めて辛苦に耐え信念を貫けるのです。ドガが最後にあきらめるのがその反対ですね。どんなに大変でもやはり人間は正義を通さなければ貫く人生は送れないのだと尽々とわかる作品です。

    バビロンA.D. BABYLON A.D.

    (2008年、米=仏=英) 101分/カラー

    監督:
    マシュー・カソヴィッツ/原作:モーリス・G・ダンテック/音楽:アトリ・オーヴァーソン
    出演:
    ヴィン・ディーゼル(トーロップ)、メラニー・ティエリー(オーロラ)、ミシェル・ヨー(シスター・レベッカ)、ジェラール・ドパルデュー(ゴルスキー)
    内容:
    近未来、世界は荒れ果ててテロが横行するようになっていた。高名なテロリストの男が、ある日少女の移送を依頼される。しかしそこには隠された秘密があった。
    草舟私見
    「崇高なるもの」が、全篇を貫いている。それが何ものであるのか。いま私はそれを考えている。そういうものを感じさせる映画なのだ。SFであり、暴力が飛び交う今どきの映画とも見えるが、その内実は全く違うものがある。高く清いものが貫徹しているのだ。それは、何か生命のもつ尊さと結び付いているように感じる。人類の欲望が描かれている。そしてそこには、我々の文明の結末を想像させる一つのリアリズムがある。そのリアリズムとは、我々が求め続けている幸福が、我々を破滅させるということなのだ。それが心に突き刺さる。だから、ひとつひとつの画面に、何らかの「荘厳」を感じるのであろう。「荘厳」とは、我々を幸福へ導いてくれると信じている自然の存在であり、また犠牲的精神に支えられた人類的行為のことなのである。ジョージ・オーウェルを思い浮かべる者も多いだろう。人類を救う者は、汚れたる者の中から生まれる。そして、弱き者の中から立ち上がるのだ。だからこそ、人類の夢は、多くの犠牲のもとに達成せられるのである。そのような思考を促す映画に、私は「崇高なるもの」を感じているに違いない。

    HAYABUSA

    (2010年、「はやぶさ」大型映像製作委員会) 64分/カラー

    監督:
    上坂浩光/音楽:安念渡馬/アニメーター:執行正義/ナレーター:篠田三郎
    ※「HAYABUSA」は下記の放送も追加し、総称として推奨映画とします。
    「はやぶさ帰還 未知への挑戦に迫る」(34分) H22.8.7 NHK教育「サイエンスZERO」
    「”はやぶさ”快挙はなぜ実現したか」(43分) H22.8.28 NHK[追跡! A to Z]
    「はやぶさが教えてくれたこと」(30分) H23.2.8 NHK[ニッポンの教養]
    「おかえりなさい はやぶさ」(75分) H22 関西テレビ放送
    内容:
    長大な距離を飛び、小惑星イトカワからサンプルを持ち帰ったHAYABUSA。その壮大な旅路とHAYABUSAを懸命に支えた人々の感動が描かれる。
    草舟私見
    「はやぶさ」の打上げと帰還、そして何よりもその宇宙における冒険は、我々日本人の誇りである。はやぶさは祖国がもつ、一つの夢と共に宇宙へと飛翔し、一筋の涙として我々の星へ還ってきた。はやぶさに託された憧れこそが、我が祖国のその歴史に秘められてきた憧憬であろう。この映像は、そのはやぶさの冒険が、秀れたアニメーションと音楽によって再現されている。この動画には、生が再現されているのだ。めずらしいことである。動画によって生の再現を見ることは、私にとっては初めてである。はやぶさの生が、それを可能にしたのであろう。はやぶさは生きものである。しかし、我々と同じ組成の生きものではない。それは工業技術が創り出した生きものである。だが、その中には確実に生命がある。神が宿っているのだ。それがよく表わされている。だから、画面を見ながら涙が滲むのであろう。はやぶさの生命は、まさに日本人が生きてきた涙が、創り上げた新しい生命なのであろう。この映像を見て、「はやぶさ」に惹かれた方は、是非にも吉田武の著した『はやぶさ』(幻冬舎新書)を読むことを奨めたい。

    ハリー・ポッター〔シリーズ〕 HARRY POTTER

    1.ハリー・ポッターと賢者の石
    2.ハリー・ポッターと秘密の部屋
    3.ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
    4.ハリー・ポッターと炎のゴブレット
    5.ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団
    6.ハリー・ポッターと謎のプリンス
    7.ハリー・ポッターと死の秘宝 Part.1
    8.ハリー・ポッターと死の秘宝 Part.2

    (2001~2011年、英=米) 合計1180分/カラー

    監督:
    クリス・コロンバス、デイヴィッド・イェーツ他/原作:J.K.ローリング/音楽:ジョン・ウィリアムズ、他
    出演:
    ダニエル・ラドクリフ(ハリー・ポッター)、ルパート・グリント(ロン)、エマ・ワトソン(ハーマイオニー)、リチャード・ハリス(ダンブルドア校長)、アラン・リックマン(スネイプ)、レイフ・ファインズ(ヴォルデモート)
    内容:
    世界的に有名なファンタジー小説の映画化シリーズ。幼い頃に両親を殺されたハリー・ポッターが、魔法学校へ入学し、成長とともに自身の秘密を解き明かしていく。
    草舟私見
    人類の歴史とは、魔法の歴史なのだ。魔法には、人類の原点が潜んでいる。我々は、魔法を求め、魔法の中に生き、そして魔法の中に死にたいと思っているのではないか。人間が魔法を求めなくなったとき、人間は人間であることをやめる。魔法が、人間の魂を創り上げてきた。我々の生命が躍動するとき、その生命は魔法の中に存在する。我々が人生の中に幸福を見出すとき、それは魔法によってもたらされてくるのだ。魔法の不可思議こそが、人間の本質だと私は思っている。そして、その歴史を真の人類史だと認識してきた。そのことが、この映画を創り上げている原動力になっているように思う。ハリー・ポッターは、人間の生き方の原点を示しているのだ。我々人間が、どういうものであるのか。それを示している。現代人が忘れてしまった人間の本質が、ハリーの人間性とその精神なのだ。この作品は「幻想」として作られているが、「幻想」ではない。いや「幻想」こそが、真の「現実」である。我々が認識する現実の方が実は幻想なのではないか。私はそう感じる。

    バリー・リンドン BARRY LYNDON

    (1975年、米) 185分/カラー

    監督:
    スタンリー・キューブリック/原作:ウィリアム・M・サッカレー/音楽:レナード・ローゼンマン/受賞:アカデミー賞 撮影賞・音楽賞・衣裳デザイン賞・美術監督装置賞
    出演:
    ライアン・オニール(バリー・リンドン)、マリサ・ベレンソン(リンドン伯爵夫人)
    内容:
    18世紀のイギリスで平民から貴族に成り上がった男が、やがて貴族社会の汚濁に塗れ、かつて抱いていた崇高な精神を失っていく姿を描く。
    草舟私見
    ヨーロッパが世界のヨーロッパになる直前の18世紀ロココの風情をよく伝える名画である。世界精神が底辺から生まれ出し、貴族は腐敗の一途を辿った時代背景がある。貴族社会に入る前のバリーはいいですね。純粋性を基礎とした不屈の闘志があり、ヨーロッパ的です。この時代のあの軍隊の凄さね。何ったって整列したまま銃に向かって整然と行進していくんですからね。ぶったまげますよ。次の世紀に世界を制覇するのは当然という感じです。勇気の桁が違います。それに比べて貴族は最低ですね。どんな文化も頂点を極めると腐敗します。18世紀は貴族文化の頂点であり、現在は工業技術文明の頂点です。バリーのような欧州の文化を体現する人間が、貴族社会に呑み込まれていく姿はやはり哀れを誘います。仏革命前の各国の貴族の下らなさは見るに忍び難いものがある。何だあの化粧と付けボクロは、馬鹿! 精神を失うと、本当に人間とはどんなに権力や富を持っても滑稽なだけですね。バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディ等の編曲とシューベルトのピアノ三重奏からなる音楽が、雄大な精神が徐々に生まれ出づるヨーロッパの姿をよく描き出していると感じます。

    張込み

    (1958年、松竹) 116分/白黒

    監督:
    野村芳太郎/原作:松本清張/音楽:黛敏郎                   
    出演:
    高峰秀子(横川さだ子)、田村高廣(石井)、大木実(柚木隆雄)、宮口精二(下岡雄次)、高千穂ひづる(高倉弓子)、内田良平(山田庄吉)、清水将夫(横川仙太郎)
    内容:
    松本清張の同名小説の映画化。強盗殺人事件の犯人を追い、昔の恋人の所に必ず現われると信じる若き刑事。彼は昼夜の別なく幾日も張込みを続けた。
    草舟私見
    物語は東京の刑事が佐賀まで来て一週間の張込みの末、殺人事件の共犯者を逮捕するというだけの話なのであるが、妙に印象に残る人生の悲哀を感じさせる風情のある作品であると思っている。この人生というものは、幸も不幸も本人たちの与り知らぬところで連綿と織り成されている場合が多い。その人生を意義あるものとするものは何なのか。勇気と決断というものが、やはり人生を回転させるのではないか。そしてその決断というものを正しく真に発動させるのには、やはり仕事の中に自己を生かし、仕事の中に人情というものを導入させて生きる人間にだけでき得ることなのではないか。情があれば全ては生き、情が無ければ全ての事柄は死すのであろう。高峰秀子の名演が光る作品である。主演の刑事もこの事件をきっかけとして、真に生き切る人間に変貌していくことを私は感じる。また作品中、昔の日本人の普通の生活を彷彿させるものがある。良い。また昔の佐賀の姿が忘れられぬ。佐賀は我が祖霊の地であり、千年間にわたって我が先祖の血と涙が沁み込んでいる土地である。あゝ、なつかしい。血が騒ぐ。忘れられぬ。佐賀は我が血である。         

    針の眼 EYE OF THE NEEDLE

    (1981年、英) 112分/カラー

    監督:
    リチャード・マーカンド/原作:ケン・フォレット/音楽:ミクロス・ローザ
    出演:
    ドナルド・サザーランド(ヘンリー・フェイバー=「針」)、ケイト・ネリガン(ルーシー・ローズ)、クリストファー・ケイズノヴ(デービッド)
    内容:
    第二次世界大戦末期。連合軍の欧州上陸作戦を探るため、イギリスへ潜入した独軍スパイ「針」。情報を得た彼は、帰還の途中で事故に遭ってしまう。
    草舟私見
    主演のドナルド・サザーランドの魅力が忘れられぬ名画である。彼は私の大好きな俳優であり、何とも言えぬ趣きを持っている。本作品は間違いなく彼の最高傑作の一つであると感じている。このナチスの有名なスパイの人間性や心の動きというものを見事に表現している。スパイというものはその任務上非常に冷酷に見られることが多いが、歴史上有能なスパイは皆、恩や義理に対する篤い心を持っているのです。スパイは無頼漢ではないのだ。冷酷だけの人間などには過酷な任務の遂行などは絶対にできないのです。フェイバーもストーム島に流された後、デービッドとルーシーに助けられた恩を強く感じていたのです。デービッドは成行(なりゆき)で致し方なく殺してしまったのです。ルーシーに対しては愛していたのではなく恩を感じていたのです。それが失敗であり弱みとなったのだが、それは致し方のないことであり、そのような人物だから第一等のスパイにもなれたのだとわかることが重要と感じる。それにしてもルーシーに表わされるようにただ一人になったときの英国人は強いですね。

    パリは燃えているか IS PARIS BURNING?

    (1966年、仏=米) 173分/白黒

    監督:
    ルネ・クレマン/原作:D・ラビエール、L・コリンズ/音楽:モーリス・ジャール
    出演:
    オーソン・ウェルズ(ノルドリンク領事)、ゲルト・フレーベ(コルティッツ将軍)、カーク・ダグラス(パットン将軍)、アラン・ドロン(シャバン・デルマス)
    内容:
    第二次世界大戦末期。連合軍はノルマンディーに上陸したが、まだパリまでは遠かった。蜂起するパリ市民と多数の爆弾を設置する独軍。解放か破壊か、緊迫の数日が描かれる。
    草舟私見
    現在でも文化と歴史を湛え、その存在自体が世界中の人間に何らかの憧れを抱かせる偉大な都市パリ。そのパリが第二次大戦末期に、ヒトラーの爆破命令によって焦土と化す可能性があった。その危機がいかにして救われたのかを刻明に表現した大作である。ドイツ軍のパリ占領軍司令官コルティッツ将軍が総統命令を無視して爆破せずに降伏したのであるが、その将軍をそうさせたものがこの映画で描いている主題なのである。コルティッツ将軍はヒトラーを批判するゆえに命令を無視したのではないのだ。彼は命令を確実に実行するつもりでいた。その彼を追い詰め翻意させたものこそが、人間の持つ夢や憧れから生まれる意志力なのである。パリを愛し、そのために命を投げ出す者たち。文化的にパリの価値を確信する者たち。そのような無類の人々の固い意志がコルティッツを翻意させたのだ。この映画は人間の意志の真の力を歴史的事実として証明する作品なのである。

    春が来た〔シリーズ〕

    (2002年、NHK) 合計258分/カラー

    監督:
    高橋一郎、山田高道/原作:小池一夫、小島剛夕/音楽:渡辺貞夫
    出演:
    仲代達矢(太郎兵衛/同心・甘利長門)、西田敏行(次郎兵衛/忍び・月形小介)、榎木孝明(御家人政/湧島政之進)、南野陽子(お美代/いが)、萬田久子(おりせ)
    内容:
    人生に倦んだ同心と忍び。二人は名を捨て、まったく新たな人生を始めようとした。江戸の片隅で自由気ままに生きようとする二人の男を描いた時代劇ドラマ。
    草舟私見
    この物語を観終わったとき、私は将来、自分自身がいくであろうあの世の彼岸というものを何か実感できたような、何とも言えぬ涼々しい愉快な気分を味わったのである。そうなのだ、この物語はこの現世というものを本当に真すぐに正々堂々と生きた人々が、彼岸において与えられる神の恩寵としての真に人間的な楽しくそして悲しい真実の人生なのだ。真実の人生とは人生を本当に真面目に生き切った人々に、彼岸で与えられる躍動なのではないか。主人公の太郎兵衛と次郎兵衛は決して風癲ではないのだ。真面目一筋で生きた人々なのだ。そこが風癲野郎と全く違う涼々しさを私に与えたのだ。春を待つことは真実の人生における最大の恩寵である。それが生命の夢なのだ。物語全般を貫いて桜の花が咲いている。美しいことだ。現世ではないのだ。この二人の弥次喜多道中は、神に愛された人生を送った者たちが彼岸において真実に生きる姿なのではないか。彼岸の物語なのだ。音楽がそれをまた裏打ちして、悔恨の情をくすぐるように美しくかつ悲しい。彼岸に生きるこの主人公の二人を観たとき、私もまたこうなりたいものだと強く思ったのである。

    遙かなる走路

    (1980年、松竹=日本シネセル=アビプロ) 134分/カラー

    監督:
    佐藤純彌/原作:木本正次/音楽:ミッキー吉野                   
    出演:
    市川染五郎(豊田喜一郎)、田村高廣(豊田佐吉)、米倉斉加年(豊田利三郎)、司葉子(豊田浅子)、中野良子(豊田愛子)、地井武男(菅隆俊)、三橋達也(大島理三郎)
    内容:
    純粋な国産車を開発しようと、ほとんど無に近い状態から立ち上げたトヨタ自動車の創業者・豊田喜一郎の半生をつづる伝記映画。
    草舟私見
    豊田家の歴史は、日本の工業の確立を最も端的に表わす事柄であると感じる。日本の工業の発展がこのように人間の一貫した意志によって成されてきたのだと、本作品を通じて再認識することは重大なことであると考えている。能力と努力もさることながら、やはり物事を成し遂げていく原動力は人間の魂から生じる意志力にあるのだと尽々とわかる映画である。意志力は人と人との共感によってしか、また生じないものなのである。西洋においても日本においてもどんなに科学技術的な分野の事柄であろうが、その確立の出発は全て個人とその家族の魂の系譜から生じるのである。田村高廣が演じる豊田佐吉はやはり創業者の迫力を備えている。その産業に対する志を継いだ喜一郎の意志力もすばらしい。私はやはり佐吉が好きです。喜一郎もいいが豊田の魂の本源はやはり佐吉である。ただ人間的には喜一郎の方が大きいと感じる。喜一郎は自分に与えられた運命を最大限に有効に使う真の度量のある人物と感じている。家族愛もすばらしいですね。この愛情を生み出した者は佐吉の魂です。利三郎が「豊田の血はわからん」というのが印象的です。これが真の個性と感じる。そして真の個性だけが何ものかを生み出すことができるのだ。      

    バルジ大作戦 BATTLE OF THE BULGE

    (1965年、米) 156分/カラー

    監督:
    ケン・アナキン/原作:ジョン・トーランド/音楽:ベンジャミン・フランケル
    出演:
    ヘンリー・フォンダ(カイリー中佐)、ロバート・ショウ(ヘスラー大佐)、ロバート・ライアン(グレー少将)、チャールズ・ブロンソン(ウォレンスキー少佐)、テリー・サバラス(ガフィー)、ジョージ・モンゴメリー(ドウケンズ)
    内容:
    第二次世界大戦末期。戦勝気分にひたる連合国軍。しかしベルギーの森に突如として独軍タイガー戦車の軍団が現われた。独軍最後の大反撃作戦を描く戦争映画。
    草舟私見
    第二次大戦最後のドイツ軍の大攻勢であったアルデンヌの大反攻作戦を扱った戦争巨編中の名画である。私は高校生のときに観ましてね、もう本当に血が湧き肉が躍りました。戦車戦はカッコ良いですわ。ドイツのヘスラー大佐に扮するロバート・ショウのカッコ良いこと。観た後しばらくは顔つき、歩き方等ずっと真似してました。ドイツ軍というのはどうしてこうカッコ良いんですかね。若い戦車長たちと軍歌を歌っている場面は何度観ても涙が出ますね。私はドイツ軍びいきなのでヘンリー・フォンダが演じるカイリー中佐のあのしつこさには頭に来ましたが、よく考えると大した人物ですよ。柔軟思考で凄い洞察力です。無私の精神があの鋭い直観を生んでいることがわかります。ヘスラー大佐の従兵のコンラートね、綺麗事ばかり言って負け犬根性で一人で悩んでいますが、こういう人物は私は嫌いですね。私はね、理屈ばかり言って戦うべきときに戦わない男は大嫌いです。親父が私の子供の頃戦争についてね「理屈はどうでも良い。祖国や同朋が戦っているときにつべこべ言って戦わない奴は男ではない。要するに卑怯なんだ!」と言っていたことの真意を深く悟る映画です。

    バルトの楽園

    (2006年、「バルトの楽園」製作委員会) 134分/カラー

    監督:
    出目昌伸/音楽:池辺晋一郎/受賞:文部科学省選定
    出演:
    松平健(収容所長松江豊寿中佐)、ブルーノ・ガンツ(クルト・ハインリッヒ少将)、國村隼(高木繁大尉)、阿部寛(伊東光康少尉)、オリバー・ブーツ(カルル・バウム)、高島礼子(松江歌子)、コスティア・ウルマン(ヘルマン・ラーケ)、中山忍(マツ)
    内容:
    第一次世界大戦で日本は多くのドイツ人捕虜を得た。囚人のような扱いをする多くの収容所の中で、板東俘虜収容所では寛大な扱いがなされていた。実話を基にした作品。
    草舟私見
    我が祖国の歴史として長く語り伝えなければならぬ事実である。戦争俘虜に関してこれ程の心温まる温情のある収容所が第一次大戦当時の日本に現存していたということは、世界歴史上希に見る奇蹟なのである。この事柄は真の日本人の誇りとして決して忘れてはならぬ事柄なのである。その奇蹟は一人の軍人の心から生まれたのである。収容所長松江中佐がその人である。このような真の「武士」が歴史に奇蹟を起こしたのである。奇蹟というものは、必ず一人の人間の勇気ある心によって生まれるのである。自分の心に真の勇気さえあれば人は皆、偉大な存在なのである。会津出身のこの苦労人の武士は、軍人としてはあまり恵まれた生涯を送ることはできなかった。しかしそれがこの男の誇りなのである。真の善行は己の身を捨ててしか、なすことはできぬものなのである。そのことを自己の体験から知っている会津武士の息子にして初めてできたことなのかも知れぬ。しかし環境がいかに変化しようとも我々日本人の真の武士道的生き方として無限の感化を後世に与えてくれる人物である。これが日本の武士道なのだ。

    春にして君を想う(別題「ミッシング・エンジェル」) CHILDREN OF NATURE

    (1991年、アイスランド=独=ノルウェー) 85分/カラー

    監督:
    フリドリック・T・フリドリクソン/音楽:ヒルマル・O・ヒルマルソン
    出演:
    ギスリ・ハルドルソン(ソウルゲイル=ゲイリ)、シグリドゥル・ハーガリン(ステラ)、ルーリック・ハラルドソン(ハルドール)
    内容:
    老いた農夫が身辺整理をし、都会の娘夫婦と住む。しかし折合いが悪く老人ホームへ移った男は幼馴染の女性と再会した。故郷で死にたいという彼女のため、二人は旅に出る。
    草舟私見
    本当に美しい美しいアイスランド映画である。いつまでもいつまでも心に残る名画と感じる。ゲイリの生き方は本当に心を打たれます。このような立派な人物が、肩身の狭い思いをする現代の消費文明社会というものに対して、心からの憤りを感じます。何だあの娘と亭主は。特にあの馬鹿孫娘には全く我慢ならん。これではまるで現代日本と同じではないか。私ならあの孫娘は張り倒してなおかつ蹴り上げてやりますね。ゲイリがそうはしないところが温厚な彼の優しさなのですね。老人ホームで再会した旧知の女性にもゲイリは本当に思いやりがあります。この二人の逃避行は人間にとって思い出がいかに重要なものかを実に詩的に語っています。人の思い出を破壊する文明は悪です。故郷に着く前に現実には二人は死んでいるのですよ。魂が故郷に戻るのです。死んでからも友人の棺を最後の力を振り絞って作る彼は、真の男と感じます。若き日の自己に再会しても、もう未練はないのです。彼は燃焼し尽くしたのだと感じます。全編を通じて音楽のすばらしいことも忘れられぬ思い出です。

    春の雪

    (2005年、「春の雪」製作委員会) 151分/カラー

    監督:
    行定勲/原作:三島由紀夫/音楽:岩代太郎
    出演:
    妻夫木聡(松枝清顕)、竹内結子(綾倉聡子)、大楠道代(侍女・蓼科)、高岡蒼佑(本多繁邦)、及川光博(洞院宮治典王)、榎木孝明(松枝侯爵)
    内容:
    三島由紀夫の最後の作品『豊饒の海』の第一作の映画化。華族に生まれた男女の悲恋が格調高く描かれていく。
    草舟私見
    何とも言えぬ緊張感が支配する名画である。内容としては単なる恋愛映画のように見えるのであるが、そんなものであるならこんな緊張感を持つわけがないのだ。この緊張感は何なんだ。そう思って観ているうちに私ははっと気づいた。この映画には時間と空間が無いのだ。時間と空間が無いということは、この作品に表現されている事柄は現世の事柄では無いということなのである。時空を越えた人間の霊魂に秘められた人の悲しみの根源である「宿命(さだめ)」というものの姿を、目に見える形で表現しているのではないか。この人の世を創り上げていくものは、人の願いであり夢であり涙であるのだ。その霊魂というものは過去から現在を通り未来永劫へと引き継がれるのだ。その引き継がれていくものが宿命として我々を真に動かしているのである。宿命だけが人間を真底から動かす力を持っているのだ。私はそのようなことを感ずるのだ。類い希なる映像の美もこの世ならぬものを感じさせる。この作品は恋愛の作品ではないのだ。人間を真に動かす力となるものが、彼岸の力であるということを表現しているのではないか。そう思ったとき、私は自分の緊張の意味を知り、我が心はこの世に戻ってきたのである。

    バレンチノ VALENTINO

    (1977年、米) 127分/カラー

    監督:
    ケン・ラッセル/音楽:ファーディー・グロフェ、スタンリー・ブラック
    出演:
    ルドルフ・ヌレーエフ(バレンチノ)、ミッシェル・フィリップス(ナターシャ)、フェリシティー・ケンドール(ジューン)
    内容:
    31歳の若さで他界したサイレント映画の大スター ルドルフ・バレンチノの生涯を描いた伝記映画。狂乱の20年代に、バレンチノはハリウッドで瞬く間に有名になっていく。
    草舟私見
    ルドルフ・バレンチノは二枚目男優として、世界で最初に世界的大スターとなった人物である。最初ということは理屈抜きに偉大なのである。物語は1920年代、つまり世界初の消費文明の狂乱の時代を描いている。本質的にイタリア移民としての魂を持つ彼が、消費文明に翻弄されていく悲しさが主題である。貧しいが幸福な農民の子が成功を夢見てアメリカへきたのである。彼は成功を夢見たが、本質はあくまでも旧い男であった。その悲しみが胸に迫る作品である。現代を考えさせられる名画と言える。映画の始めと終わりに流れる「黒い瞳」に彼の夢や希望、愛と哀しみが凝縮されていると感じる。ダンサーとして世紀の天才ニジンスキーと踊る場面、男としてボクシングの試合に挑んだときそのラウンド間の場面とである。この黒い瞳とは人生に挑戦する者だけにわかる悲しみがあるのだ。農業を夢見る若者が映画スターとなってしまった。そこに悲しみがあり、また彼の偉大さがあるのだ。現今の俳優と違い、やはり大スターなのであろう。

    ハワーズ・エンド HOWARDS END

    (1992年、英=日) 143分/カラー

    監督:
    ジェームズ・アイヴォリー/原作:E・M・フォースター/音楽:リチャード・ロビンズ/受賞:アカデミー賞 主演女優賞・脚本賞・美術監督装置賞、カンヌ映画祭 45周年記念特別賞
    出演:
    アンソニー・ホプキンス(ヘンリー・ウィルコックス)、エマ・トンプソン(マーガレット・シュレーゲル)、ヘレナ・ボナム=カーター(ヘレン・シュレーゲル)
    内容:
    フォースターの原作の映画化。20世紀初頭のイギリス。ハワーズ・エンド邸をめぐり、人間同士の相克と和解が描かれていく。
    草舟私見
    20世紀初頭、偉大なヴィクトリア朝が終わり、新しい時代の息吹きが芽生え始めた英国の生活観がよく表わされた名画と感じている。新しい時代を象徴する人間が姉妹の中の妹である。新しいという意味がいつの時代でも無責任と同義語であることがその人生観を通じて実に巧みに描かれている。新しい思想とはいつの世も、何の責任も無い人間が自己主張の唯一の理屈として振り回すものであり、その同調者も結果論としては無責任になる。そして無責任は、自分の人生と生活を他者に頼ることによってしか生きられないのだ。頼るにはそれなりの理屈が要る。それがこの姉妹の生き方なのであろう。責任を持つ者は無責任な人間と対比する場合、必ず悪人として描かれる。責任とはその哀しみに耐えて生きることなのだと痛感する。それにしても人の物をもらうことばかり考えている人間は嫌ですね。そしてこの嫌な奴は必ず善人と来ていますからね。また主演のアンソニー・ホプキンスの名演が忘れられぬ作品である。

    ハワイ・マレー沖海戦

    (1942年、東宝) 115分/白黒

    監督:
    山本嘉次郎/音楽:鈴木靜一/特撮監督:円谷英二
    出演:
    伊藤薫(友田義一)、英百合子(友田つね)、原節子(友田喜久子)、中村彰(立花忠明)、藤田進(山下大尉)、河野秋武(斎藤二等兵曹)、真木順(田代兵曹長)、松尾文人(今宮二飛曹)、柳谷寛(谷本少尉)、大河内傅次郎(佐竹大佐) 
    内容:
    ハワイ真珠湾攻撃とマレー沖英軍艦隊急襲の大戦果を記念し、大本営の企画によって製作された戦争映画。日本軍の快進撃が描かれる。1942年公開。
    草舟私見
    非常に古く戦中の作品であるが、名画中の名画と感じる。戦前の日本の景色や人間関係が画面を飾り、日本人に生まれた喜びを感ぜられる作品である。秩序の美しさを家庭の中に見、仕事の中に見られる名画である。秩序が人間を美しくするのだと尽々とわかる作品である。家庭の愛情が真の仕事の成果を挙げるのにいかに重要なものであるかを感じる。また成果というものが、結果的に見て簡単なものでもいかに多くの人の協力と意志力と緻密な努力の積み上げによるのかもよくわかる。多くの困難を乗り越えたときにだけ、成果というものはくるのだ。最初から捨て身の犠牲的精神だけが、このハワイとマレーの勝利をもたらしたのだとよくわかる。日本人に生まれた幸福を最後の場面まで感じることができる作品である。  

    ハンガリアン MAGYAROK

    (1977年、ハンガリー) 110分/カラー

    監督:
    ファーブリ・ゾルタン/原作:バラージ・ヨーゼフ/音楽:ブカーン・ギオルギ
    出演:
    コンツ・ガーボル(ファビアン)、パップ・エヴァ(イロンカ)
    内容:
    第二次世界大戦下のハンガリーの農村。素朴で真面目な農民たちは戦争を知らず、純朴に暮らしていた。しかし徴集令状を受け取り、彼らは祖国のために意気盛んに旅立っていく。
    草舟私見
    観た後に深い余韻を残す名画と感じる。ハンガリアからドイツに出稼ぎに行った数人のハンガリア人の物語である。第二次大戦中の物語でありながら戦争のこともヒトラーの名さえも知らぬ無知な人々ではあるが、みんな人間として重要なものをしっかりと持っている。現代の我々日本人で、彼らが持っているものを本当に持っている者がどのくらいいるだろうか。無知ゆえに言挙げは何もない。しかし生まれた村を本当に愛し、知り合いの人を本当に愛している。その日の生活にも困っているが、己以上に困っている人を見れば必ず手助けをする。これといった楽しみを共有しているわけではないが、みんなと一緒にいることだけで何となく楽しい風情がある。表面には出ない深い情感がある。いわれのあるお金には殊の外うるさいが、いわれなきものは金銭も物品も他人から貰おうとはしない。昔の日本人と全く同じ姿である。我々が失ったものがわかる作品である。彼らは何も知らないが、生まれながらに全てを持っているのだ。足下があるのだ。だから彼らは本当に強いのである。

    叛乱 二. 二六事件

    (1954年、新東宝) 115分/白黒

    監督:
    佐分利信、阿部豊/原作:立野信之/音楽:早坂文雄                   
    出演:
    細川俊夫(安藤大尉)、山形勲(磯部)、安部徹(村中)、丹波哲郎(香田大尉)、清水将夫(山口大尉)、佐々木孝丸(西田)、島田正吾(正木大将)、藤田進(伊集院少佐)、鶴田浩二(中村上等兵)、小笠原弘(栗原中尉)、辰巳柳太郎(相沢中佐)
    内容:
    昭和11年2月26日。東京は20年振りの大雪に見舞われた。その中を青年将校たちに率いられ、1500名もの兵が進軍していく。後に二・二六事件と呼ばれる叛乱が始まった。
    草舟私見
    二・二六事件を扱った作品の中で、その全貌を最もよく捉えている名画と感じている。佐分利信の監督作品であるが、彼は俳優としても私の最も好きな人物の一人である。彼の映画には品格というものがあるのです。また彼は戦前茅ケ崎の東海岸に住んでおり、母の実家の近くで家族ぐるみの付き合いをしていたことも、私が彼を好きな大きな理由です。母の話では彼は個人的に学者で真面目で品性のある人物であったとのことです。作品については正義や大義の問題を深く考えさせられます。私は青年将校たちの心が好きで好きでたまりません。しかし正義とは心には無いのだということを痛感させられる事件です。正義とは大義のことであり、大義とは何が正統であるかという事柄なのです。正統とは統帥の根元から生じるものなのです。それを勝手に推測して行動に移ることはあくまで叛乱なのです。そこに絶え間のない人間の悲劇が存在します。私は五歳のときに本作品を観て、それ以後今日までこの正統と異端の問題は人生のテーマとして考え続けています。    

    反乱のボヤージュ

    (2001年、テレビ朝日) 217分/カラー

    監督:
    若松節朗/原作:野沢尚/音楽:本間勇輔                   
    出演:
    渡哲也(名倉憲太郎)、岡田准一(坂下薫平)、津川雅彦(宅間玲一)、麻生祐未(日高菊)、八嶋智人(司馬英雄)、堺雅人(江藤麦太)、新山千春(田北奈生子)
    内容:
    都内の大学で歴史ある学生寮の廃止を巡り、学生と大学側が対立。説得のために大学は元機動隊員であった男を送り込むが、なぜか男は逆に学生たちと共に激しい抵抗を始めたのだった。
    草舟私見
    責任とは何かということを主題とした、骨太のTVドラマと感じる。責任というものが「人間」を創り、「人生」を創り上げていくのだということを、渡哲也がその存在そのものから感じさせてくれる名演を見せます。責任感とは役割を断固として行なうということなのだと、渡哲也の体がうったえています。責任だけが人を創り父親というものを創っているのです。父親とは生物学的な男であることの謂ではないのです。このドラマは何と言っても、渡哲也の存在そのものが類希な名演となっている作品です。渡哲也のカッコ良いこと! まったく脱帽です。本当に凄いですよ。存在に人生と男と責任ということが体現されています。私はね、渡哲也のあまりのカッコ良さに圧倒されて、一度観ただけで彼がしゃべった台詞はね、何としたことか全部暗記してしまいした。それ程含蓄の深い、意味深い言葉を彼は話します。内容だけではないですね。彼の話し方と声の出し方がその内容に含蓄を与えているのです。真実の人間の言葉を彼は話します。だから心に沁み通って多分覚えてしまうのでしょう。渡哲也という男の凄い存在を感じるだけでも、作品は大変意義深い作品であると感じます。     
  • 彼岸花

    (1958年、松竹) 118分/カラー

    監督:
    小津安二郎/原作:里見弴/音楽:斉藤高順                   
    出演:
    佐分利信(平山渉)、田中絹代(平山清子)、有馬稲子(平山節子)、笠智衆(三上周吉)、久我美子(三上文子)、桑野みゆき(平山久子)、佐田啓二(谷口正彦)、山本富士子(佐々木幸子)、浪花千栄子(佐々木初)
    内容:
    一人娘を持つ頑固な父親の悩みと喜びをしみじみと描いた小津安二郎の家族ドラマ。娘の結婚を軸に、父娘、戦友や家族との様々な思いと愛情が交錯する。
    草舟私見
    戦後民主主義によって徐々に崩れゆく日本社会と、その底辺を支える家庭を描いた実に情緒ある名画である。主演の佐分利信の名演が生涯忘れ得ぬ作品である。私が初めてこの作品を観たときは小二の頃であるが、まだ世の中をよく知らないときとはいえ観終わった後、名画であることはわかるが途轍もなく不愉快であった。その不愉快の原因を考え続けさせられる作品であった。作品の表わすものは各々の人間の持つ「立場」というものが、民主主義の屁理屈によって徐々に崩れ去ることを表わしていると感じる。理屈と内容と台詞に惑わされると本作品の真意はわからない。結婚が主題となっているが、全てが親の立場を無視した馬鹿娘たちの仕出かしたことが中心である。その親の立場が社会全体から崩れている。立場とはその見方がない限り当の本人にしわからぬのだ。平山と三上の持つ何とも言えぬ不愉快とは、立場を娘や社会から完全に無視されていることによるのだ。大楠公父子を偲ぶ詩吟と歌は、戦前まで厳然としてあった親子の情愛の中心であった親子各々の「立場」を懐しんでいるのである。自分のことより相手の立場を立てることが日本の常識であったのだ。民主主義による我儘と自分勝手が勝ち、良識ある人間が徐々にそれに引っ張られていく悲しみを感じ、また佐分利信がそれを演じ切っている。         

    ビスマルク号を撃沈せよ! SINK THE BISMARCK

    (1960年、米) 98分/白黒

    監督:
    ルイス・ギルバート/原作:C・S・フォレスター/音楽:クリフトン・パーカー
    出演:
    ケネス・モア(シェパード大佐)、ダナ・ウィンター(アン・デイビス)、カール・モーナー(リンデマン大佐)
    内容:
    ドイツ海軍がUボートと共に世界に誇った戦艦ビスマルク。ドイツの技術の粋を結集した世界最大の高速艦を相手に、英海軍は懸命に攻撃を仕掛けていく。
    草舟私見
    史実再現の方法論が息をつかせぬ迫力を生んでいる。ケネス・モア扮するシェパード大佐の、義務と責任に生きる男のアングロ・サクソン的哀愁が感動的である。深い家族愛と祖国愛を見事に表現していると感じる。人間にしても国家にしても、真に強いものとは何なのかを考えさせられる。強い愛は敗北を乗り越える。強い軍隊は敗北を恐れない。何度しくじっても勝つまでやり抜く。英国海軍の伝統はやはり世界一だったのであろう。ビスマルクの悲劇は劣勢であることを認めぬ精神的弱さにあったと考えられる。やはり自らの弱みを見詰め、それを認識し、それを克服した者が勝つのだ。人間にとって虚勢が最も戦いだけでなく人生そのものを潰してしまうのだと感ぜられる作品である。

    人斬り

    (1969年、フジテレビ=勝プロ) 140分/カラー

    監督:
    五社英雄/音楽:佐藤勝                   
    出演:
    勝新太郎(岡田以蔵)、仲代達矢(武市半平太)、石原裕次郎(坂本竜馬)、三島由紀夫(田中新兵衛)、仲谷昇(姉小路公知)
    内容:
    幕末の京都で土佐藩を邪魔する人間を斬りまくった男・岡田以蔵。「人斬り以蔵」と恐れられた男の情熱と純情を描く。
    草舟私見
    岡田以蔵は人斬り以蔵と呼ばれた幕末を代表する一つの個性である。感動と共に何かもの悲しさが残る名画と感じている。ありあまるエネルギーを燃やし続け、人斬りに人生の灯を見つけ出そうとする以蔵の苦しさ悲しさがひしひしと伝わってくる。豊かな現代から以蔵の生きんとする夢を批判することは私にはできない。以蔵は思慮の足りない人物であることは確かである。しかし私は男の生き様として共感するし、同時代に生きていれば友人になれたような気がする。南国土佐の血が滾り、一剣に夢と野望の全てを懸ける以蔵を私は好きである。このエネルギーは現代人が忘れてしまった、人間にとっての一番大切なエネルギーなのだと感じている。人に騙され、人に利用される結果となるが、男ならそれでいいではないか。自分一人の腕っぷしに人生の夢の全てを懸ける以蔵には共感するのである。何と言っても以蔵にはかわい気があり、人の道の根本を深いところに持っているのがわかるのである。最後に義を通しますね。武士です。

    ヒトラー HITLER

    (1977年、西独) 155分/白黒(パートカラー)

    監督:
    ヨアヒム・C・フェスト/音楽:ハンス・ポセッガ/ドキュメンタリー
    内容:
    第一次世界大戦の敗戦の賠償に苦しむドイツを救い、またヨーロッパに第二次世界大戦を巻き起こした、ドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラーのドキュメンタリー映画。
    草舟私見
    ヒトラーの生涯を伝記的に追う記録フィルムとして良くできている作品と感じている。ヒトラーを知ることは、現在は英米中心であるヨーロッパの歴史を知ることなのである。英米型ではない一つのヨーロッパを代表しているのがヒトラーであり、どちらもヨーロッパ文明を創り上げている二大潮流なのである。英米型でないヨーロッパの部分の悪徳を一身に背負わされているのが、戦後のヒトラー観である。ヒトラーに対する好き嫌いは別としてヒトラーを生んだのはヨーロッパ文明が頂点に達したときの、元々ある二大思潮の決戦であったのだ。第一次大戦で英米が勝ち、負けた側を傷めつけ過ぎたために負けた側がヒトラーを生んだのである。ヒトラーが悪いでは何も見えないのだ。本フィルムを見れば、ヒトラーが大変な知性と忍耐を持つ人間であることはわかる。気狂いではないのだ。結果論として負けたヒトラーを気狂いとして見るだけでは二十世紀の本質は何も見えないのだ。

    ヒトラー 最期の12日間 DER UNTERGANG

    (2004年、独) 155分/カラー

    監督:
    オリヴァー・ヒルシュビーゲル/原作:ヨアヒム・フェスト、トラウドゥル・ユンゲ、メリッサ・ミュラー/音楽:ステファン・ツァハリアス
    出演:
    ブルーノ・ガンツ(アドルフ・ヒトラー)、アレクサンドラ・M・ララ(ユンゲ)、ウルリッヒ・マテス(ゲッペルス)、コリンナ・ハルフォーフ(ゲッペルス夫人)
    内容:
    初戦では瞬く間にヨーロッパを占領下に置いたナチス・ドイツ軍も、ソ連戦の敗退以降負け続けて来た。首都ベルリンの陥落も間近であろう中、ヒトラーは最後の決断をしていく。
    草舟私見
    好き嫌いは別として、ヒトラーは二十世紀最大の歴史的人物であることには間違いはない。その大人物の最後の十二日間が活写されているのだ。涙なくしてはこの作品を観ることはできぬ。何もかもを一人で背負い、二十世紀の文明の価値観を問う戦いを戦い抜いてきた男の最後である。既に身も心もずたずたに疲れ果て、肉体と神経とは病に冒されていることは当然のことである。その最悪の状態の下でも彼には威厳が見られる。その威厳は人間としての威厳では無いのだ。彼が夢見た一つの文明の形がもたらす威厳なのだ。暗い部屋で唯一人、フリードリッヒ大王の肖像を見詰め、語り合う場面があるが、ヒトラーは若き日より毎日その肖像を見詰め対話をして生きてきたのだ。その心に対して、その精神に対して私は涙を禁じ得ぬのである。彼を悪く言うことは現代世界共通の常識である。彼は現代世界(英米思想)と闘って破れたのだからそれも当たり前かもしれぬ。しかしその真の夢は高貴な歴史的事柄なのである。そのことがあの一代の女傑であったゲッペルス夫人の言葉と行動の中に如実に表わされているのである。

    ヒトラーの贋札 DIE FÄLSCHER

    (2006年、独=オーストリア) 96分/カラー

    監督:
    シュテファン・ルツォヴィッキー/原作:アドルフ・ブルガー/音楽:マリウス・ルーランド/受賞:アカデミー賞 外国語映画賞
    出演:
    カール・マルコヴィックス(サロモン・ソロヴィッチ/サリー)、アウグスト・ディール(アドルフ・ブルガー)、デーフィト・シュトリーゾフ(ヘルツォーク少佐)
    内容:
    ユダヤ人収容所の中で、唯一待遇の良い人間たち。それは贋のポンド紙幣を作っているユダヤ人たちであった。しかし彼らは自分たち以外の同胞が残虐に殺されていることを知る。
    草舟私見
    全篇を悲哀が貫き、生命のもつ真実が伝わる名画である。実話のもつ真実性が、観る者の心を捉えて離さないのであろう。ドイツ帝国と贋札、そしてタンゴの響きが人間に潜む卑しさを浮き立たせている。人間とは、卑しいが、捨てたものではない。卑しさの中に、隠れた勇気がある。そして、勇気の中に卑しさが潜んでいるのだ。だから、人類には希望がある。私がこの映画に、希望を見出すのは、音楽の力に大きく作用されているような気がする。人間のもつ卑しさが、音楽の響きに秘められた悲しみによって昇華されていく。「孤独」を知った人間の悔恨の情が、作品を貫いているのだろう。この映画は、「詩」である。詩は、人類のロマンティシズムの化身なのだ。そのロマンティシズムの上に、真の現実が存在しているのではないか。歴史の、激しい現実こそが、真の「詩」を我々に与え続けている。主人公の名演が、目に焼き付いて離れない。私の悲哀は、映画を支える音楽と、この名優の人格によって昇華されて行ったのだろう。

    火の鳥

    (1978年、東宝) 137分/カラー

    監督:
    市川崑/原作:手塚治虫/音楽:深町純
    出演:
    草刈正雄(天弓彦)、若山富三郎(猿田彦)、仲代達矢(ジンギ)、尾美トシノリ(ナギ)、高峰三枝子(ヒミコ)、田中健(タケル)、大滝秀治(スクネ)
    内容:
    手塚治虫のライフワークである『火の鳥』の「黎明編」を映画化。「その血を飲めば永遠の命が得られる」と言われた火の鳥を追い、ヤマタイ国のヒミコはクマソに進軍する。
    草舟私見
    「火の鳥とは何か」ということが問われているのだ。人類は、文明を築きそれを至上のものとして生きてきた。その人類は、生命をもつ生き物である。そのことに立ち返るとき、火の鳥の伝説が甦る。この映画は、我々が仰ぎ見る古代の神話を通して、文明と生命の問題を我々に提示している。火は、文明の証しであろう。プロメテウスが、神から火を盗んだとき、我々の文明は出発したのだ。その火が、永遠と結び付こうとするロマンティシズムを感じる。絶対に不可能なことを、人間は求めているのだろう。しかし、それが永遠というものの実体ではないか。我々人間は、紅蓮の炎に焼かれながらも、それを従がえようとして喘ぎ続ける。人間が生きるとは、永遠を摑み取ろうとすることに他ならない。永遠を目指さない者などは、人間ではないのだ。いま、人類は自分自身の文明によって滅びようとしている。それは、永遠を求めることをやめたからである。この作品において、永遠を求めぬ者が文明を支配しだした。人間の憧れが生んだその文明を、憧れを持たぬ者が支配しだしたのだ。火の鳥が、再び復活しなければならぬ。永遠を求めて、我々は新しい文明を目指さねばならぬ。

    日の名残り THE REMAINS OF THE DAY

    (1993年、米) 134分/カラー

    監督:
    ジェームズ・アイヴォリー/原作:カズオ・イシグロ/音楽:リチャード・ロビンズ
    出演:
    アンソニー・ホプキンス(スティーヴンス)、エマ・トンプソン(ミス・ケントン)、ジェームズ・フォックス(ダーリントン卿)、ピーター・ヴォーン(スティーヴンスの父)
    内容:
    英国の日系作家カズオ・イシグロの原作の映画化。名門貴族に仕えてきた老執事が、かつて仕事を共にした女中頭を迎えに行く。その道中で切ない思い出が回想されていく。
    草舟私見
    執事スティーヴンス(アンソニー・ホプキンス)の静かに燃える、真の情熱というものに心を打たれずにはいられない名画である。私はこのような男は理屈抜きで心底好きですね。本当の誇りというものが、血の中からわかっている感があります。父親もいいですよ。やはり育ちと言うか血と言うか伝統のあるものは違います。日本に真の執事という職の伝統が無いのでわからないかもしれないが、日本の武士道と通じるものがあります。元々侍とは仕える者、侍る者という意味ですからね。伝統により美学にまで到っている職業観は、見ているだけで感動しますね。女中頭ミス・ケントンは我儘なただの人間(全く伝統が無いの謂い)であり、映画のラストの個人的事情による予定変更に至るまで綿々と続く、ただの感情論ですから全く問題外です。論評の価値がありません。夫のベンも自分専用に誰か他人の存在が必要な人間ですから男ではありません。スティーヴンスと比肩し得る人物は、主人のダーリントン卿だけでしょう。紳士役で下らない質問をするスペンサーとかいう貴族はただの馬鹿であり、この手の人間が英国を堕落させたのだと感じています。

    ヒポクラテスたち

    (1980年、シネマハウト=ATG) 126分/カラー

    監督:
    大森一樹/音楽:千野秀一
    出演:
    古尾谷雅人(荻野愛作)、真喜志きさ子(中原順子)、小倉一郎(西村)、伊藤蘭(みどり)、柄本明(加藤)、光田昌弘(河本)、狩場勉(大島)
    内容:
    医者になるとはどういうことなのか。卒業を控えた医学生たちの真面目に悩み、間違えながらもなおも前に進もうとする姿が描かれていく。
    草舟私見
    現代の大学生たちの悩みの原点をよく表現する作品である。特に医学生に焦点を絞ることによって、最も本質的な部分を引き出していると感じる。ここに登場する医学生たちは、現代社会においては最も真面目に物事を考えている部類に属する。また医学生たちの悩みを考えることによって、現代の医療問題にも深くメスを入れた作品と言える。若者たちの何ともいえぬ弱さが特に目立つ。これは解決不能な悩みを抱えているからである。つまり自分たちの価値を高く見すぎているのである。そして足下から出た志というものが無いことが、悩みを絞り込めない理由となっている。つまり元々が傲慢なのである。若者は志を持ち、できることをするために学ぶ姿勢がなければ何もできない。志とは心に秘めるものである。それを口にすれば綺麗事となり自らの心を破壊するのである。志の万分の一を成し遂げる努力が人生の根本なのである。医者は患者の生死など元々「握って」などいないのだ。手助けの技術が医学なのである。足下が無く、立派なことばかり考えている現代の若者の弱さの本質がよく出ている作品である。

    ヒマラヤ杉に降る雪 SNOW FALLING ON CEDARS

    (1999年、米) 127分/カラー

    監督:
    スコット・ヒックス/原作:デヴィッド・グダーソン/音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
    出演:
    イーサン・ホーク(イシュマエル)、工藤夕貴(ハツエ・ミヤモト)、リック・ユーン(カズオ・ミヤモト)、マックス・フォン・シドー(ネルズ弁護士)
    内容:
    大戦後の反日感情の強い小さな村。ここで殺人容疑をかけられた日系人がいた。様々な偏見、そして日系人に向けた嫌悪と差別の中、ただ一人の弁護士だけが無実を主張していく。
    草舟私見
    名画ですね。音楽といい、時間の描写力といい、実に見事で心の中に深く沁み込む情感というものがあります。M・V・シドーの名演が群を抜いています。この俳優は凄い。この人の表現力は私の心に生涯忘れ得ぬ深い思い出を残します。人の心に響く真の血というものを表現できる数少ない俳優と感じます。本作品は日系米人に対する偏見を描いているように感じられますが、真実の価値はそんなところにあるのではないのです。米国人の日系人に対する偏見というものは事実、ほとんど低能の域に近いくらいの理不尽なものであることは歴史の示すところでありますが、偏見などというものは人間は誰しも持っているものであり、要は文化の違いに対するアレルギーですから何ということも無いものです。私も米国人には根深い偏見を過重に持っており、それをむしろ誇りとしている人間なので「偏見の問題」には寛容なのです。本作品の真の魅力はあらゆる愛憎と利害を乗り越えた、本当の他者に対する愛を志向する者のみに、真実と事実が初めてその姿を現わすのだということを扱っていることなのです。他者に対する愛のみが、真実を見る眼を人間に与えるのだということなのです。そのことが芸術的な表現力をもってよく描かれている作品と感じています。

    ひまわり I GIRASOLO

    (1970年、伊) 107分/カラー

    監督:
    ヴィットリオ・デ・シーカ/音楽:ヘンリー・マンシーニ
    出演:
    マルチェロ・マストロヤンニ(アントニオ)、ソフィア・ローレン(ジョバンナ)、リュドミラ・サベーリエワ(マーシャ)
    内容:
    第二次世界大戦に召集され、結婚直後に厳寒のシベリア前線へ送られた夫は行方不明となっていた。モスクワへ捜しに向かった妻が見たのは、別な女性と幸福そうに暮らす夫の姿だった。
    草舟私見
    夫婦の本当の愛情というものが何であるのかを、激しい対比によって見せつけられる秀作であると感じる。人を愛することと人を支配しようと思うことは紙一重である。その機微がよく表現されている。S・ローレンという女優がそのエゴイスティックな愛を表現している。本当にこの女優はこういう役が良く似合う。そのものズバリで何とも言えない。この女優とこの役柄の女性は私が最も嫌う人物である。美しきものに名を借りた自己愛ほど醜いものは無い。それに比してロシア戦線でM・マストロヤンニを助けて夫婦となった、リュドミラ・サベーリエワの恐るべき魅力と美しさはどうだ。この女性が持つ愛こそが本物であり、女優も恐るべき適役である。このロシアの女優は「戦争と平和」でナターシャもやりましたね。もの凄い美しさです。最高の女優の一人です。私はこの女優が好きで好きでたまりませんよ。人間性が人相を創るということが実によくわかる作品です。最も嫌いな女優と最も好きな女優が、それぞれに適役を得て演じている何とも心に残る「面白い」作品である。

    白虎隊

    (1986年、日本テレビ) 288分/カラー

    監督:
    斎藤武市/音楽:瀬尾一三                   
    出演:
    森繁久彌(井上丘隅)、里見浩太朗(西郷頼母)、風間杜夫(松平容保)、近藤正臣(土方歳三)、丹羽哲郎(神保内蔵助)、西田敏行(萓野権兵衛)、国広富之(神保修理)、露口茂(秋月悌次郎)、夏八木勲(近藤勇)、竹脇無我(野村左兵衛)、中村雅俊(坂本龍馬)
    内容:
    戊辰戦争で次々と幕府軍が敗退する中、最後まで幕臣として新政府軍と戦った会津藩。会津若松での凄絶な戦いを描く時代劇映画。
    草舟私見
    幕末における会津藩の置かれた立場と位置を、史実に基づいて活写した名作であると感じている。白虎隊とはつまり会津の魂の代名詞なのであって、本作品は決して白虎隊だけについて描いたものではない。私はね、会津というのは無条件に好きなんですよ。心の底から会津の武士道には惚れています。理屈なんかはどうでも良いんですよ。幕末の会津のあり方には血が滾るんですよ。会津の中に日本というものの本質があるように思っています。損か得か、勝ったか負けたかではないんですね。会津の武士道の中に、真の日本人の生き方の典型があると感じているんです。私は日本人ですからね、だから子が親を無条件に慕うように私も会津の魂が好きなんです。会津の魂とはつまり要約すれば恩義であり節義であると私は思います。目端の利く人間が一番嫌いなものですよ。一見は愚直なものです。しかし私は真の人生とはその中にあると信じています。また明治日本を真に支えた人物が、実際に会津から数多く輩出したことでも会津の魂が真に価値があるのだということはわかりますね。しかし会津の生き方にはね、証明などはいらんのです。森繁の名演がすばらしくてすばらしくて、いつまでも涙を伴う作品です。森繁の名演の中から私は本当の人生とか、真の教育とは何かを深く感じさせられます。

    氷雪の門

    (1974年、JMP) 120分/カラー

    監督:
    村山三男/原作:金子俊男/音楽:大森盛太郎/受賞:文部省選定
    出演:
    二木てるみ(関根律子)、鳥居恵子(藤倉信枝)、岡田可愛(斉藤夏子)、藤田弓子(坂本綾子)、若林豪(久光忠夫)、田村高廣(安川徳雄)、島田正吾(仁木師団長)
    内容:
    日本の降伏宣言の直後、突如ソ連軍が樺太に上陸してきた。蹂躙される市民を逃がすため、最後まで通信をつなぎ、自決した九人の電話交換手の乙女たちがいた。
    草舟私見
    本作品は公開時、ソ連の圧力によって封印させられた作品であった。旧ソ連の崩壊により現在我々はビデオによって観ることができるのである。この作品が封印されたことを取り挙げて見ても、戦後の日本というものが外国の圧力に対していかに日和見主義でひ弱な国家であるのかがわかるのである。主張すべきことをせず、外国から指弾されるままに、自虐思想の歴史を国民に押し付ける国のあり方を憂えることは我々の義務である。このような理不尽な悲劇が何千何万とあったことを我々は知らなければならない。実力無き者の正義が通ったことは歴史上一度も無いのである。我々の平和は、我々の力で守らなければならないということを思い知らされる作品である。また戦後の平和ボケの日本人たちは、この少女たちの真の勇気に対して恥入らなければならぬ。このような仕事観を持つ日本人が今、一体、何人この国にいるのか。この少女たちの持つ、仕事や家族や友人に対する真の愛情、友情、仕事への献身(献身こそが高貴性の源泉である。)というものに感じ入り、自分もそうなろうとしない者は、戦後教育に犯されている日和見平和エゴイストなのである。沖縄における鉄血勤皇隊やひめゆり部隊と共に我々はこの高貴なる魂を知り、そして継承し実践しなければならぬのだ。そうすることがこれら真の英雄たちに対する真の供養なのである。戦後この乙女たちに勲八等が追贈されたそうだが、八等という一番等級の下の勲章などをわざわざ追贈するところに、今の日本の下品さが表われているのである。現在の政治家は自分たちが二等以上の勲章をもらっておいて、この乙女らに八等とは何事であるか。そんな勲章などいらん! 政治家共よ、恥を知れ! ボケ。

    ビリー・ザ・キッド 21才の生涯 PAT GARRETT AND BILLY THE KID

    (1973年、米) 106分/カラー

    監督:
    サム・ペキンパー/音楽:ボブ・ディラン
    出演:
    ジェームズ・コバーン(バット・ギャレット)、クリス・クリストファーソン(ビリ―・ザ・キッド)、ボブ・ディラン(エイリアス)、ジャック・イーラム(アラモサ・ビル)
    内容:
    伝説の無法者ビリー・ザ・キッド。彼は法と秩序が浸透していく中で、尚も暴れ回っていた。かつての親友は保安官になり、キッドを追う。二人の思いが交錯する。
    草舟私見
    ビリー・ザ・キッドの最後の日々を扱った名画である。西部開拓の時代が終わりに近づくに従って、それまで西部の男の生き方を生きていた人間が徐々に無法者へと追い詰められていく姿がよく表わされている。パット・ギャレットに扮するジェームズ・コバーンの名演が心に残る作品である。特に彼は無法者から保安官へとなっていった人物だけに、西部の終わりを体現した哀しみというものをその姿に表現して忘れられぬ印象がある。西部の時代の良さは、どんな無法者でも人情味があって親しい付き合いを多くの人としているところにある。各々の人間が各々の人生を、しっかりと歩んでいるという実感のある時代である。パットとビリーも時代が二人の対決を迫ったが、本当にすばらしい友情であると感じる。保安官助手になったアラモサ・ビルの生き方も忘れられぬ。西部の男の生き方は私は全部好きである。また人間の生き方に関係なく正義というものをその時代時代で決めていく「法律」というものの本質も、ビリーやパットの発言などから深く考えさせられるものがある。

    ビルマの竪琴

    (1956年、日活) 116分/白黒

    監督:
    市川崑/原作:竹山道雄/音楽:伊福部昭/受賞:ヴェネチア映画祭 サン・ジョルジョ賞、文部省選定
    出演:
    三國連太郎(井上隊長)、安井昌二(水島上等兵)、浜村純(伊東軍曹)、西村晃(馬場一等兵)、三橋達也(三角山守備隊隊長)、北林谷栄(物売りのお婆さん)
    内容:
    ある日本軍部隊の実話を基にした、竹山道雄の同名小説の映画化。誰にも打ち明けず、異国に残り同胞の弔いを決意した一人の兵士の愛と慟哭。
    草舟私見
    このビルマの竪琴は最も思い出の深い映画の一つです。小学校入学以前に観て、そのときから深い感動を今日まで持続しています。映画から入って小学校二年のときに竹山道雄の原作を読みました。安井昌二扮する水島という兵士には、心の底からの共感があります。立派ですよね。理屈抜きに立派ですよ。このような人がこの世の中の真の底辺を支え、我々の生きる場所をこの世に創造してくれているのだと実感します。好き勝手やる奴は、どこの国でも物事の後始末は全然しません。自己の人生を後始末に生きるとは最も気高い精神だと思います。人が真に生きるには、死者を鎮めることが最も重要な人類の人類たるいわれの文化であると確信します。そして戦友はいいですね。私のいう友情とは戦友の友情のいいなのです。水島の勇気は間違いなく、これら戦友の友情の支えがあって初めて成された決意であると思います。映画の中で歌われる合唱の数々がいつまでも心に残って忘れられません。悲しみは高貴性を生み出す元なのだと強く感じます。

    秘録 第二次世界大戦〔シリーズ〕

    (1973~74年、THAMESテレビ、他) 合計1317分/カラー・白黒

    監督:
    ピーター・リー・トンプソン/音楽:カール・デイヴィス/記録映画
    内容:
    世界中の膨大なニュース映画や貴重な記録フィルムを厳選し、戦争の概要から各作戦の分析、政治情勢や市民の生活までが様々な角度から描かれていくドキュメンタリー。
    草舟私見
    二十世紀で最も大きな事件は第二次世界大戦である。近代国家主義の結末であり、今の経済至上社会を創った元なのである。その事件の内容を大雑把に理解することは現代人の義務である。その意味において、本作品は非常に良くできていると感じている。詳細は不本意な点も多いのだが、全体としてはよく纏まっている。記録フィルムも精選されており、何よりも世界の一流の人物や体験者の話が随所にあることが良い。偏りも少ない方である。フィルムと解説により第二次世界大戦の内容を包括的に理解できる記録映画の名作と感じている。

    ヒンデンブルグ THE HINDENBURG

    (1975年、米) 126分/カラー

    監督:
    ロバート・ワイズ/原作:マイケル・M・ムーニー/音楽:デヴィッド・シャイア/受賞:アカデミー賞 音響効果賞・視覚効果賞
    出演:
    ジョージ・C・スコット(リッター)、ウィリアム・アサートン(ベルト)、アン・バンクロフト(シャルニック伯爵夫人)、ロイ・シネス(フォーゲル)
    内容:
    航空機による輸送以前、飛行船が脚光を浴びていた。ドイツが誇るヒンデンブルグ号は大西洋を横断できる豪華な客船でもあった。しかしそのヒンデンブルグは大爆発を起こす。
    草舟私見
    実際に起きたヒンデンブルグ号の火災事故を元に創り上げられた秀作である。私もあの事故には様々な仮説があるが、爆発物による破壊工作であると考えている。戦前まであった飛行船というのは、しかし雄大で壮大で夢がありますね。機械文明の最後のロマンティシズムという意味において蒸気機関車と似ています。機械であるが生き物ですね。危険であることがわかっていて、あくまでもこの雄大な怪物を飛ばし続けたナチス・ドイツには敬意を表します。空を鯨が悠々と泳いでいるみたいです。潜水艦の如き何か血が騒ぐものがあります。機械文明もこの頃までは人間に偉大さを感じさせてくれますね。最近は効率と安全ばかりで全く面白くも何ともない文明になり下りました、機械文明は。ジョージ・C・スコットの名演が凄いです。彼のことは私は本当に好きです。飛行船と似ていますね。彼は飛行船といると絵になります。男なのですね。それにしても安全さばかり追求するのなら、元々機械の乗り物など作らなければ良いのですよ。何か最近は人間の心と夢を無視しているように感じます。
  • ファースト・マンFirst Man

    (2018年、米) 141分/カラー

    監督:
    デイミアン・チャゼル/原作:ジェームズ・R・ハンセン/音楽:ジャスティン・ハーウィッツ
    出演:
    ライアン・ゴズリング(ニール・アームストロング)、クレア・フォイ(ジャネット)、ジェイソン・クラーク(エド・ホワイト)、カイル・チャンドラー(ディーク・スレイトン)、コリー・ストール(バズ・オルドリン)、パトリック・フュジット(エリオット・シー)、クリストファー・アボット(デイヴ・スコット)、キアラン・ハインズ(ボブ・ギルルース)
    内容:
    人類史上初の月面着陸を為し遂げた宇宙飛行士ニール・アームストロング。彼の「ジェミニ計画」「アポロ計画」が実話に基づいて描かれる。
    草舟私見
    一九六九年七月、アポロ11号は月面に到達した。人類が月に、人間を送り込んだ始まりとなった。その第一歩を踏み出した人物こそが、NASAの宇宙飛行士ニール・アームストロング船長である。本作は、この「英雄」の物語を映像化している。英雄を英雄として描くのではなく、ひとりの「苦悩する人間」「肉と骨の人間」として描き切っているのだ。偉大な業績を成す人間の真実の姿が縦横無尽に表現されている。我々の時代を生きる英雄の姿が、新鮮な驚きとともに目に焼き付けられる。映画が時代の精神を描く芸術である限り、本作は永遠の名画として残るものと成るに違いない。人間の原動力は、悲痛の中に存するのである。人間は、悲痛を自己の罪として抱き締めることによって初めて生まれ出づる。アームストロングの偉業は、アームストロングにしか分からぬ悲痛が生み出したものだ。その悲痛が、私の魂に語りかけてくる。画面を割って、その悲痛は私のもとに来る。その慟哭の中に、人類として生まれた自己の運命を築く力が潜んでいるのである。

    ファミリー WHO WILL LOVE MY CHILDREN ?

    (1983年、米) 96分/カラー

    監督:
    ジョン・アーマン/音楽:ローレンス・ローゼンタール
    出演:
    アン・マーグレット(ルシル・フレイ)、フレデリック・フォレスト(アイバン・フレイ)、キャスリン・デイモン(ヘーゼル・アンダーソン)
    内容:
    死を宣告された母親。残される幼い10人もの子供たちの幸福を願い、短い余命の中で自ら里親を探した実話の映画化。
    草舟私見
    一度観たら生涯忘れ得ぬ強い印象を残す名画と感じる。悲劇に直面したときの人間の姿を通して真に生きるとは何か、本当の愛情とは何かを考えさせられる作品である。それにしても凄い女性である。十人の子供を産み、悲劇と真正面から対峙して一歩も引かず、最後まで自分の使命を果たす生き方に心の底から感動を覚える。真の愛情とは、義務と責任をあくまでも果たしていくことなのだと尽々とわかる。家族への愛情も一つの仕事観に基づく使命感がやはりなければ、真の愛情は遂行できないのだとわかるのである。この女性の凄さは、子供たちの成長にとって何が一番重要なのかを肌で知っていることである。そしてその一番重要な事柄を自己がこれから行なうことができないと知るや、断固として本当に凄い勇気を奮い起こして、母親としては耐え難い行動を受け入れ行なっていくことである。子供に愛を注ぐことをこれ程の信念にまで昇華している人物というものは、やはりそれだけで真に偉大な個性であり人物であると感じる。そして勇気を奮って着々と準備をして、最後に「これだけやって、もし死ななかったら、恰好つかない」と、自分の死の問題についても仕事観で捉えているところに真の愛情を感じるのである。そこに人生の涙を感じるのである。この言葉に私はこの人物との真の友情を感じるのである。社会福祉などは一切拒絶して、あくまでも里親を探すその真実を知る行動の中に現代社会の本質的問題に対する鋭い批判を感じる。

    フィフス・ウェイブ THE 5TH WAVE

    (2016年、米) 112分/カラー

    監督:
    J・ブレイクソン/原作:リック・ヤンシー/音楽:ヘンリー・ジャックマン
    出演:
    クロエ・グレース・モレッツ(キャシー)、ニック・ロビンソン(ベン・パリッシュ)、アレックス・ロー(エヴァン)、ロン・リヴィングストン(オリヴァー)
    内容:
    突如として地球を訪れ襲い掛かって来た宇宙人たち。その攻撃は段階を踏んで実行され、人間は徐々に数が減り、また戦う力を失っていく。そして最後の攻撃が始まる。
    草舟私見
    真の希望について考えさせられる作品である。人類は、自らの存在に危険を感じるとき、真の希望を抱くことができるのではないか。この作品においては、SF的手法が使われているが、我々の生存がもつ宇宙的危険性が克明に語られていると考えられる。我々の生命は、危険と対峙するとき、その本質的性能が花開くのである。人類の破滅を予兆する五つの出来事がこの作品を創り上げている。その一つひとつに、我々が文明を築き上げてきた原動力の思想を感じる。我々は、それらの恐怖と戦うことによって文明を築き上げてきた。しかし、この文明は本当にいつ破局を迎えるかわからない。その人間心理の葛藤が作品を思想的に支えている。人類の滅亡は、いかなる「型」をとるかわからない。それは、多分、複合の型をとってくるだろう。我々人類は、宇宙の塵である。それを本当に知ったとき、実は本当の人類的希望が生まれてくるに違いない。我々が秀れた存在と思うとき、人類はその使命を終えることになる。我々は、宇宙の恐怖を知り、生きることの希望を握り締めることにその使命があるのだ。

    風雲児 織田信長

    (1959年、東映) 95分/カラー

    監督:
    河野寿一/原作:山岡荘八/音楽:富永三郎
    出演:
    中村錦之助(織田信長)、香川京子(濃姫)、月形龍之介(平手政秀)、柳永二郎(今川義元)、進藤英太郎(斉藤道三)、中村賀津雄(木下藤吉郎)、里見浩太朗(丹羽万千代)
    内容:
    戦国時代の覇者・織田信長の放蕩時代の若き日から、桶狭間での運命的な今川軍との大決戦までを描く時代劇。
    草舟私見
    日本の時代劇の全盛期の作品だけに、観応えのある名画に仕上っている。信長の相続から田楽狭間の戦いまでに絞っているので、実に内容の濃い作品となっている。何と言っても主演の中村錦之助が抜群にすばらしい。尾張の大うつけ信長の若き日の姿を体現していると感じる。それにしても信長の持つ常人を遙かに凌ぐその感情量の大きさに圧倒される。人を真に動かすものはその情感にあると尽々とわかる。家老の平手政秀もいいです。この真の愛情(今流の愛情ではないですよ)がすばらしく、またそれを真向うから受けて立つ信長もすばらしい。父に愛され平手に愛され、濃姫も底根なんですから、やはり信長は魅力が群を抜いているのであろう。尾張の領主として立つ信長が「生は死の表、腹這うは起きんがため、俺は時機を待っていたのだ」と言う言葉は忘れられませんね。猪突猛進に見えて信長は類い希な忍耐の人であると私は見る。

    風林火山

    (1969年、東宝=三船プロ) 166分/カラー

    監督:
    稲垣浩/原作:井上靖/音楽:佐藤勝
    出演:
    三船敏郎(山本勘助)、中村錦之助(武田信玄)、石原裕次郎(上杉謙信)、佐久間良子(由布姫)、中村翫右衛門(板垣信方)、中村賀津雄(板垣信里)、緒形拳(畑中武平)
    内容:
    井上靖の同名小説の映画化。武田信玄の名軍師として知られる山本勘助の半生を描いた時代劇大作。クライマックスの川中島の合戦は一大戦国絵巻となっている。
    草舟私見
    さすがに井上靖の歴史作品はすばらしい。文豪の歴史眼が随所に所見できる名画となっている。戦国乱世の男の生き方を、三船敏郎扮する山本勘助という個性に集約したところが魅力である。悪人にして善人、策謀家にして純粋、冷徹にして愛情豊か、利害得失に秀でているが壮大なロマンチスト。このような十六世紀のスケールの大きな日本人のあり方を良く表現している。戦国乱世は巨人を生むのだ。緒形拳が扮する武平との人間関係が特に私は好きである。二人の出会いも正直で極めて人間的である。また最後の突撃の主従そろってのあの壮大な死に何度も感動させられる。雄大である。日本はすばらしい。

    フェアリーテイル FAIRYTALE

    (1997年、英) 98分/カラー

    監督:
    チャールズ・スターリッジ/音楽:ズビグニエフ・ブレイスネル
    出演:
    フロレンス・ハース(エルシー)、エリザベス・アール(フランシス)、ピーター・オトゥール(コナン・ドイル)、ハーヴェイ・カイテル(フーディーニ)
    内容:
    英国の二人の少女が撮った妖精の写真が、研究者たちの間で論争を巻き起こした「コティングリー妖精事件」を描く作品。
    草舟私見
    この事件があの有名な作家であるサー・アーサー・コナンドイルをも巻き込んだ実話であるということが、大変な意味のあることだと思いますね。時は科学文明の草創期であり、それだけに二十世紀を覆った科学というものに対する考え方を知る上にも重要な作品です。純真な子供が妖精を見たと言い、なおかつそれを写真に撮り、その妖精が写真に写っていたのです。妖精は子供には見える場合はあるのです。また光線の干渉を写し撮る写真には当然写る可能性はあります。人類は馬鹿ではありませんから、ありもしないものを何千年も伝承したりはしません。それなのにどうですか、この疑い深さ。自分の疑い深い無能を棚に上げて子供や写真をこれだけ疑うのですからね。科学病の本質がわかりますよ。科学病とは自分で自分を頭が良いと思っている自惚れた人間の病なのです。それでいて実際には事実ではなく、自分の信じたいものだけを信じている迷信家なのだということが良くわかります。写真は科学的なのです。写っているものは実存しているものなのです。嫌でもそうなのです。科学病は実は迷信家が科学を信じた姿なのです。また半信半疑で信じた人々の軽薄な遊び感覚は本当に嫌ですね。こんな近代人の不信者の見えるところになどに決して妖精は現われません。

    フェイトレス ―運命ではなく—FATELESS

    (2005年、ハンガリー=独=英=イスラエル) 140分/カラー

    監督:
    ラホス・コルタイ/原作:ケルテース・イムレ/音楽:エンニオ・モリコーネ
    出演:
    マルツェッル・ナジ(ジュルカ)、ヤーノシュ・バーン(ジュルカの父)、ユーディト・シェル(ジュルカの継母)、シャーラ・ヘッレル(アナマリア)
    内容:
    1944年ハンガリー・ブダペスト。14歳のユダヤ人少年ジュルカは、突然アウシュヴィッツ収容所に移送される。少年の目から見た収容所の日々が綴られていく。
    草舟私見
    深い感動が、いつまでも醒めることのない名画である。ナチス・ドイツによるユダヤ人大量殺戮と、その収容所を舞台とする作品は数あるが、本作はその筆頭に挙げられるものだろう。これと双璧をなす作品は、あのアンジェイ・ワイダによる「コルチャック先生」のみと言っても過言ではない。全篇を包み込むように流れる、深く静かな音楽が、「生命の時間」というものを確実に刻んでいくのを感じていた。あの人類最大の不幸の一つを、自己自身の「生きる時間」として感じ続けた少年ジュルカに、私はいかなる偉大さにも見出し得ぬ人間のもつ崇高を覚える。原作者イムレの実話に基づく作品ゆえに、流れ行く日常の深淵が画面一杯に迫り来るのだ。自己自身を生きる者は、不幸の中に幸福を見出すことが出来る。これは収容所のあの地獄の時間を、自己の「青春」と捉えた類い希な人物の真実の姿と言えよう。私は観終わったあと、自己の人生を振り返らざるを得なかった。私も不幸の中に「青春」があったように感ずる。幸福とは、不幸の中を自己自身の人生として生き抜くことなのではないか。少年ジュルカは、私の永遠の友となった。

    ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ BUENA VISTA SOCIAL CLUB

    (1999年、独=米=仏=キューバ) 105分/カラー

    監督:
    ヴィム・ヴェンダース/ドキュメンタリー
    出演:
    ライ・クーダー、イブライム・フェレール、ルベーン・ゴンザレス、エリアデス・オチョア、オマーラ・ポルトゥオンド、コンパイ・セグンド 
    内容:
    キューバ音楽の巨匠たちにインタビューし、各々の人生観が語られていくドキュメンタリー映画。同名のCDは世界的に大ヒットした。
    草舟私見
    往年のキューバンミュージックの巨匠たちの現代(1999年)の姿を観ることができる、最高に胸はずむ作品である。1950年代革命前のキューバにあって、この映画に登場する者たちは実に偉大であった。私が小学生の頃、父がキューバ音楽等のラテンが実に好きだったので、父の蒐集したレコードで父と一緒に随分と聴いたものだ。このラテンを聴くときは二人で応接間でいつでも一緒にステップを踏んで踊りまくった楽しい思い出がある。キューバンバンドの巨匠たちとトリオ・ロス・パンチョス、グローリア・ラッソ、ナット・キング・コール等々は目茶苦茶に楽しくて面白くてのりのりで、いつも謹厳であった父もこれらの音楽を聴くときだけは別人となり、小学生だった私と急にその時間だけ仲良しになって最高だったなあ。それにしてもこういう音楽一筋に生きた英雄たちの老後の活力とその姿を観ると、本当に感動させられますね。あのカッコ良かった人たちがみんな子供の頃は貧しく、そして親の命令で音楽家になったのだから面白いですね。自分の生き方ばかり自分で探し回っている自己中心的な今の日本人は、この人たちの爪の垢でも煎じて飲んだ方が良いと私は断定します。巨匠たちは老人になっても本当にカッコ良いね。カッコ良い人たちというのはね、みんな好き勝手に生きているのに筋目だけはびしっと通っているんですね。

    フォート・サガン FORT SAGANNE

    (1984年、仏) 182分/カラー

    監督:
    アラン・コルノー/原作:ルイ・ガルデル/音楽:フィリップ・サルド
    出演:
    ジェラール・ドパルデュー(シャルル・サガン)、カトリーヌ・ドヌーヴ(ルイーズ)、サイド・アマディス(アマジャール)、フィリップ・ノワレ(ドブルイユ大佐)
    内容:
    20世紀初頭のフランス。貧しい農家に生まれた男が軍隊に入隊し、大きな成果を成していく生涯を描いた作品。
    草舟私見
    広大なサハラ砂漠を舞台とした、真の男の戦いを壮大な程に見事な映像で捉えた名画である。サガン中尉に扮するJ・ドパルデューと大佐に扮するF・ノワレの名演が忘れられぬ。第一次大戦を挟んで、それ以前と以後の戦いの相違を感じさせられる。近代戦になる前の戦いにはロマンがあった。殺すも男、殺されるも男であり、戦いが友情と美徳の根元ですらあったのだ。サガンと族長アマジャールとの友情が美しい。サガン戦死後、アマジャールがその息子にラクダと鞍を贈る場面は、旧き良き男の友情を表わして忘れられぬ。砂漠で戦いに明け暮れたサガンが、第一次大戦を言下に「これは下らん戦いだ」と言ったその意味がこの映画の本質なのである。その下らん戦いで戦死したサガンの、貧しさから這い上がろうとする真摯な生き方は涙なくしては見られぬ。近代戦は彼を虫ケラのように殺したが、砂漠は彼の勇気を讃え英雄としてその名を永遠に留めさせた。貧しさと戦いに日々を送る人間は人生の本質を知っており、真の勇気から湧き出づる優しさを有しているのだ。

    深い河

    (1995年、「深い河」製作委員会=仕事) 134分/カラー

    監督:
    熊井啓/原作:遠藤周作/音楽:武満徹
    出演:
    奥田瑛二(大津)、秋吉久美子(成瀬美津子)、井川比佐志(磯辺)、沼田曜一(木口)、三船敏郎(塚田)、香川京子(磯部の妻)
    内容:
    インド旅行のツアー参加者たちの、それぞれの人生の苦悩とその癒しの過程を描いた遠藤周作の同名小説の映画化。
    草舟私見
    遠藤周作、最晩年の傑作の映画化である。我々悩み多き凡人に勇気と希望を与え、人生について革めて深く考えさせられる名画であろう。人間同士の間には深い河がある。自分の現在と過去と未来の間にも深い河がある。深い河を抱きかかえたまま人は生きるのである。そして深い河に夢を託すのだ。深い河をどのくらい大切にしているかが、人生の価値を決めるのではないか。深い河があるからこそ我々は仲良くできるのではないか。深い河を認めることによって初めて愛情や友情や信頼が育つのではないか。深い河は悲しく、そして美しい。

    深く静かに潜航せよ RUN SILENT, RUN DEEP

    (1958年、米) 93分/白黒

    監督:
    ロバート・ワイズ/音楽:フランツ・ワックスマン
    出演:
    クラーク・ゲーブル(リチャードソン)、バート・ランカスター(ジム)
    内容:
    かつて日本海軍の駆逐艦に潜水艦を沈められ、多くの仲間を失った艦長。艦長は報復のため、乗組員たちの反対を無視して駆逐艦を追っていく。
    草舟私見
    潜水艦と駆逐艦の戦いは相も変わらずこたえられません。潜水艦には戦いの要素が全部入っていますからね。勇気、忍耐、理性、決断、想像力、恐怖と拾い上げたら切りがない。それらの事柄に人間がどう対処しどう克服していくかを見ることは心底から喜びがあります。目に見えない恐怖と戦い、それを能力の限りを尽くして克服することは何と言っても人生の戦いそのものではありませんか。本作品も実に名画です。日本がやられる側なのが私としては若干心の奥にしこりが残りますが、名画であることに変わりはありません。私はB・ランカスター扮する副長が好きですね。真に秩序のある軍人です。このような人が戦いには最も強い人なのです。C・ゲーブル扮する艦長はちょっとね、私は好きになれません。だいたい個人的怨念で戦う勇気というものは本物ではありません。艦と部下の私物化です。この艦は副長がいなければ、蛮勇のゆえにもっと前に撃沈されていたことは間違いありません。

    副王家の一族  I VICERÈ

    (2007年、スペイン=独=伊) 122分/カラー

    監督:
    ロベルト・ファエンツァ/原作:フェデリコ・デ・ロベルト/音楽:パオロ・ブォンヴィーノ
    出演:
    ランド・ブッツァンカ(ジャコモ・ウゼダ公爵)、アレッサンドロ・プレツィオージ(コンサルヴォ)、クリスティーナ・カポトンディ(テレーザ)
    内容:
    シチリアを長らく支配していた一族の世代交代を描いた歴史劇。一族は王政が崩壊後もなお勢力を維持していた。そして父親に反発していた息子が当主になる日が来る。
    草舟私見
    全編を通じて、一つの悲劇と、一つの喜劇が綾なして貫き通されている名画と言えよう。悲劇とは、伝統と価値を支えてきた名門の悲しみである。それは滑稽に見えるほど悲しい。名誉から生まれ出たスペイン貴族の血は悶え続ける。それを観ることはたやすい。しかし、それを生きることは、我々の想像を絶するものではないか。シチリアの哀愁が、多分、その生き方を底辺で支えてきたのであろう。シチリアに近代が訪れたとき、その苦悶の運命は断ち切られるしかなかった。この、血で贖い続けたスペイン貴族の家に、近代人が生まれた。近代人のもつ偏見が、血の伝統を軽薄なものへ陥れていく。その喜劇性が、この名画を支えているもう一つの柱となっているのだ。近代人には、スペインの滾る血がない。この者どもは、シチリアの哀しみを呼吸しない。そして、その口から語られる言葉は、すべて正しい。だから、すべてが嘘なのだ。だから彼ら近代人は、すべてを滅ぼしてしまう。四百年の悲しみが、音楽として響き続けながら、この名画は閉じる。

    復讐するは我にあり

    (1979年、松竹=今村プロ) 140分/カラー

    監督:
    今村昌平/原作:佐木隆三/音楽:池辺晋一郎
    出演:
    緒形拳(榎津巌)、三國連太郎(榎津鎮雄)、ミヤコ蝶々(榎津かよ)、倍賞美津子(榎津加津子)、小川真由美(浅野ハル)、フランキー堺(警部)、加藤嘉(河島弁護士)
    内容:
    敬虔なクリスチャンの家に生まれた男による連続殺人。実話を基に生い立ちから事件の過程、またその最後までを描いていく。
    草舟私見
    本作品の本質は、げに、その標題にあると感ず。聖書の中の名句であり神が人に与えた言葉である。「復讐するは我にあり、我これを報いん」という言葉が全編を貫く。この世でこれ以下の人間は存在しないであろうというほどの犯罪者が主人公である。ただその犯罪者はキリシタンの長い歴史を持つ家系に生まれた。巨大な善を実行してきた家庭にである。また気概を持った少年でもあった。我々は本当に人を裁くことができるのか。本当の本当の裁きはやはり神にしかできないのであろう。我々は神に誘導された表面的な裁きしか可能ではないのではないか。巨大な悪の根元にも善があり、善の中にも悪があるのだ。我々の社会は当然犯罪者を許してはならず裁かなければならないが、それは我々が善人だからではないのだ。本当の善は神にのみ存するのだ。

    復活 BOCKPECEHИE

    (1961年、ソ連) 161分/白黒

    監督:
    ミハイル・シュヴァイツェル/原作:レフ・トルストイ/音楽:ゲオルギー・スヴリドフ
    出演:
    エフゲニー・マトヴェーエフ(ネフリュードフ公爵)、タマーラ・ショーミナ(カチューシャ)、パヴェル・マッサリスキー(裁判長)、V・グーセフ(シモンソン)
    内容:
    ロシアの文豪トルストイの同名小説の映画化。不遇に負けず力強く生きる女性により、新たな人生に目覚めていく主人公の姿を描く。
    草舟私見
    トルストイの名作の映画化ですね。『復活』は多くの演劇でも上演され何本も映画化されていますが、本作品が総合的にみて最高のでき映えであると感じています。カチューシャの物語ですね。カチューシャという響きがそれだけで心に響きます。ネフリュードフね。誰もが経験する悩みを生きその中から立ち上がって行きます。どちらも真実の人生を考える人間にとっては、青春時代から忘れ得ぬ名前ですよね。幸福とは何か。希望とは何か。真に生き切るとは何かという問題が問われています。自分自身の幸福だけを追求するエゴイストは決して幸福にはなれません。人を幸福に導くのは真の愛です。愛も高尚である必要はありませんね。本当の意味の同情心、真実の道義心から生まれる同情心が愛に至るのです。幸福は希望がないところには存在しません。希望とは、曲がりなりにも精一杯生きている過程からしか生まれないのですよ。自己を誤魔化している人には傲慢な誇大妄想しかないのです。遊び人は決して人生の真実は摑めないのです。それは真の希望を摑めないからなのです。

    復活 RISEN

    (2016年、米) 107分/カラー

    監督:
    ケヴィン・レイノルズ/音楽:ロケ・バニョス
    出演:
    ジョセフ・ファインズ(クラヴィウス)、トム・フェルトン(ルシウス)、ピーター・ファース(ピラト総督)、クリフ・カーティス(イエス)
    内容:
    ローマ帝国により処刑されたイエス。自身の復活を預言していたことから、残った信者たちが遺体を盗み、虚偽の復活をでっち上げないよう墓の監視が始まった。その過程でイエスが本当に復活していたことが明らかになっていく。
    草舟私見
    キリストの復活の神秘が、よく描かれている。奇蹟と復活がキリスト教を世界的にしたのだ。その事実から生まれる「永遠の生命」が、この宗教を人類史に刻印した。そのことだけに、この映画は特化されていると言ってもいいだろう。つまり、本作品はキリスト教のもつ人類史的意味を最も端的に表現し切っているように思っている。人類として、正しい生命のあり方を生きれば、永遠の生命を与えられる。そして、その根源は「愛の実現」にある。これが人間の生命の「初心」なのだ。人類は、そのような初心を与えられて誕生した。それを実行しなければならない。その実行のためにキリストがこの世に降された。その生命の神秘の本質を見据えなければならない。我々人類が、いつの日も初心を忘れないためにキリストはこの世にきた。我々がもし、その初心を忘れるような日がくるならば、キリストは再びこの世にくる。その日は、人類の審判の日となるだろう。人類は誕生の初心に還ることができるのか。それとも再臨するキリストに裁かれるのか。その神秘は、太陽と光と宇宙の混沌だけがその真実を知っている。

    復活の日

    (1980年、東宝) 156分/カラー

    監督:
    深作欣二/原作:小松左京/音楽:テオ・マセロ、羽田健太郎
    出演:
    草刈正雄(吉住周三)、渡瀬恒彦(辰野保男)、夏木勲(中西隊長)、千葉真一(山内博士)、オリビア・ハッセー(マリト)、ジョージ・ケネディ(コンウェイ提督)
    内容:
    致死率100%のウイルスの蔓延により崩壊していく世界。同時に起きる核戦争の脅威に立ち向かう若き南極観測隊員たちを描くSF巨編。
    草舟私見
    ここには、人類の運命に課されている「黙示録的未来」への、深い洞察が見られるのだ。それは。深作欣二監督が抱くイメージと、原作者小松左京の信ずる確信との間に屹立する「何ものか」の作用であろう。「何ものか」とは、誰も飛び越えることの出来ない、真実の中に隠された、宇宙流体の闇とも呼べるものに違いない。作品の中で、「人類は二度、絶滅したのである」という思想が流されている。私はこの絶滅の仕方の中に、我々人類の「黙示録」の真実が隠されているのではないかと考えているのだ。自分たちだけの「安全と幸福」を考える人々が巻き起こす「不可抗力」によって、我々は二度絶滅するのである。それは人類のもつ原罪、つまり強度の「利己心」と「不安」によって生み出される「黙示録」とも言えよう。人類は、自分だけの幸福を求める人々の手によって自滅するのだ。それが「重なる」ときが必ずやって来る。救われる者は、いつの日も、遠い憧れに生きる者たちだけとなるだろう。憧れに生きることだけが、人類の存在価値に他ならない。それを失えば、我々は死に絶える。

    不撓不屈

    (2006年、ルートピクチャーズ) 119分/カラー

    監督:
    森川時久/原作:高杉良/音楽:服部克久
    出演:
    滝田栄(飯塚毅)、松坂慶子(飯塚るな子)、永岡佑(飯塚真玄)、北村和夫(植木老師)、遠山俊也(林)、田山涼成(岡本忠五郎代議士)、夏八木勲(各務法学博士)、三田村邦彦(竹内直税部長)、松澤一之(今西訟務官)、金内喜久夫(大村国税庁長官)
    内容:
    国税局と一介の税理士との戦い。今日の会計事務に多大な影響を及ぼした「飯塚事件」を中心に、人間の信念と家族の絆が描かれていく。
    草舟私見
    実に立派な男である。映画を観ている間、そして観終わった後、長く尊敬の念の消えぬ男の物語である。一掬の涙を禁じ得ぬ真の男の仕事観の物語である。自分の中に本当の「正義」というものを抱かずして、成せる価値ある仕事はこの世には無い。この「正義」とは傲慢の対極にある「涙」という意味である。この涙を真に知っている「男」の物語である。自己の魂の裡深くにあって「涙」と化している「正義」は、必ず歴史的に国家権力に対する反骨精神としてこの世に現われてくるのである。この歴史の真実によってまた国家権力というものの本質を考えるべきである。国家権力に抗して涙を断行することは本当に勇気の要ることなのである。自分自身が本当にやらなければわからない事柄なのである。国家権力がばら蒔くアメにのみ群がって自己の利益のみを追う人間をミーハーと呼ぶ。ミーハーには永遠にわからぬ事柄なのである。この主人公の生き方こそ真の武士道の断行なのである。真の武士道は自己の魂の中で、本当に成熟してきた真の正義がなくして成し得ぬものであることが実によく表現されている名画と感じる。

    不滅の恋 ベートーヴェン IMMORTAL BELOVED

    (1994年、米) 120分/カラー

    監督:
    バーナード・ローズ/音楽:ゲオルグ・ショルティ
    出演:
    ゲイリー・オールドマン(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)、イサベラ・ロッセリーニ(ヨハンナ)、ジェローン・クラッベ(シンドラー)
    内容:
    偉大な作曲家ベートーヴェン。生涯を独身で終えた後に、一枚の遺書が見つかる。その中に書かれた「不滅の恋人」の謎に迫っていく。
    草舟私見
    ベートーヴェンほど人類の文化に貢献した個人は類い希である。その芸術は測り知れない遺産であると言える。その当の人物がその肉体的欠陥もさることながら、本当に苦難に満ちた生涯を送った事実はそれを知る者の涙を誘う。本作品はその天才の家族関係や女性関係を中心に描いた、興味の尽きることなき秀作と感じる。この私的生活の多くの不幸が彼の音楽の尽きることなき深みを形成していくのだが、その遺産を聴く者の心に複雑な思いを抱かせる。私にとってベートーヴェンは恩人である。我が親の苦難を見るような思いで私はこの映画を観るのである。あの聴こえぬ耳をピアノに押し付けて演奏する姿は忘れられませんね。天空に向かって飛翔する彼の魂の映像も忘れられません。苦難が人間を高貴にする人類の業とも言える宿命を深く感じずにはおれません。連綿と演奏され続ける彼の名曲の数々も、本作品の大きな魅力です。

    不毛地帯

    (1976年、芸苑社) 181分/カラー

    監督:
    山本薩夫/原作:山崎豊子/音楽:佐藤勝
    出演:
    仲代達矢(壱岐)、山形勲(大門社長)、田宮二郎(鮫島)、丹羽哲郎(川又)
    内容:
    実話の「ロッキード事件」を題材に、次期主力戦闘機をめぐる商社、政治家たちの暗躍が描かれていく。巨額な金と利権に翻弄される人間たちの社会派ドラマ。
    草舟私見
    戦後の疑獄事件中最大のものとなるロッキード事件に繋がっていく、二次防主力戦闘機選定に纏わる物語であり、その事件の進行と表現において類い希な名画と感じている。登場人物は全て実在の人間であり、それがわかると面白いですよ。観ていて背筋が寒くなる思いがあるが、これが民主主義と呼ばれる政治では必要悪であるのだ。権力は民主政治である限り必ずこうなる。談合と利権と金銭が実は民主主義を支えていることに気づかなければならない。これを観て嫌悪を感じる人は全て民主主義は向かないのである。この悪を肯定せずして民主主義の思想を唱えれば、それは全て空理空論の綺麗事となる。主人公の家族たちの発言が全てそれだ。この構造を突破せずして民主国家では大事は成せない。壱岐(仲代達矢)や川又(丹波哲郎)の悲劇は民主主義体制の中で正しいことをしようとしたからである。民主国家で大事をするには、利権についてもっと腹をくくらねばならないのだ。民主国家ではつまり、権力構造を利用しないで何事かを成すことが最も重要なのだと尽々とわかる作品である。不毛地帯とは実は戦後民主主義体制そのものを指しているのである。

    フューリー FURY

    (2014年、米=英)  135分/カラー

    監督:
    デヴィッド・エアー/音楽:スティーヴン・プライス
    出演:
    ブラッド・ピット(ドン・コリアー「ウォーダディ」)、シャイア・ラブーフ(ボイド・スワン「バイブル」)、ローガン・ラーマン(ノーマン・エリソン「マシン」)、マイケル・ペーニャ(トリニ・ガルシア「ゴルド」)、ジョン・バーンサル(グレイディ・トラビス「クーンアス」)、ジェイソン・アイザックス(ワゴナー「オールドマン」)
    内容:
    ナチスを心底から憎んでいる戦車長と彼に従う仲間たち。ドイツ本国を目前に激しい戦闘の末の絶体絶命の状況。しかし男たちは果敢に突撃していく。
    草舟私見
    人間のもつ善と悪が、見事に浮彫りになっている名画である。善と悪は、同居している。それがわからなければ、この世では何事もできないだろう。美しいことは、醜いことによって支えられているのだ。また、醜いものの中に、美しいものが潜んでいると言えよう。人間がもつ、このような文明的真実を戦争という舞台が照らしている。戦争は、文明の本質を明らめる働きがある。本作の主題は、何かの価値を「守る」とは何かという、文明に突きつけられた深い問題を扱っていると考えられる。守るとは、愛の最も純粋な形を伝えるものだ。愛する人を守る。愛する家族を守る。信じるものを守り抜く。これらの概念は、実にすばらしく美しい響きを持っている。しかし、その響きを支えている真実はどういうことなのか。それを目の当たりにさせてくれる映画がこの作品なのだ。人間は、これらの生命的真実の悲しさを乗り越えて、何事かを成さなければならない。そこに、生命の本質が悲哀であるいわれがあるのだろう。ブラッド・ピットの名演がそれを際立たせている。

    冬の猿 UN SINGE EN HIVER

    (1962年、仏) 102分/白黒

    監督:
    アンリ・ヴェルヌイユ/アントワーヌ・ブロンダン/音楽:ミシェル・マーニュ
    出演:
    ジャン・ギャバン(アルベール・カンタン)、ジャン・ポール・ベルモンド(ガブリエル・フーケ)、シュザンヌ・フロン(アルベールの妻)
    内容:
    寒村でホテルを経営する初老の男と元闘牛士の若い男の友情。出会った二人は忘れ得ぬ栄光の日々を持つ同士であった。互いに痛飲し暴れ、朝を迎えると何かが変わっていた。
    草舟私見
    人生の哀歓がよく描かれており、人生を不幸にしていくものが何なのかがよく描かれている作品と言える。思い出は人生の幸福の源泉であるが、それは自己の心の中の宝物として現在と未来に向かう自己の原動力となった場合である。主人公であるJ・ギャバンとJ・P・ベルモンドは思い出を過去の栄光としてその再現に腐心している。過去はそのものとして同じ形では決して再現しないのだ。それがこの二人の人物を悩み多き人生に引き入れているのである。心の中の宝物にすれば彼ら二人の未来は洋々たるものがあるのに残念である。彼らの未来は不幸そのものであろう。それは過去の栄光に生き、それを再現する人生を選択しているからである。この勘違いによりどのくらいの人間が人生を悲しいものにしているか。男として深く心に残る作品である。

    プライド 運命の瞬間

    (1998年、東京映像制作=東映) 161分/カラー

    監督:
    伊藤俊也/音楽:大島ミチル
    出演:
    津川雅彦(東條英機)、スコット・ウィルソン(キーナン首席検事)、ロニー・コックス(ウェップ裁判長)、大鶴義丹(立花春男)、戸田菜穂(新谷明子)、スレッシュ・オビロイ(パール判事)、いしだあゆみ(東條夫人)、奥田瑛二(清瀬弁護士)
    内容:
    敗戦の日本で開かれた東京裁判。インド代表パール判事の未公開の資料を基に、新たな東條英機像を浮き彫りにする。公開当時、様々な論争を呼んだ。
    草舟私見
    戦争は古来、国家の持つ意志表示として犯罪ではなく順法の行為である。戦争が犯罪なら過去も現在も犯罪国しか存在せぬ。このような当たり前の道理を、屁理屈で世界で初めて敗戦国を戦争犯罪として裁いたのが、第二次大戦の連合国である。勝者が敗者を犯罪者として裁くなど茶番も良いところであるが、東京裁判およびニュールンベルグ裁判として実際に行なわれた。戦争中における犯罪と言えばナチスのユダヤ人の意図的大量虐殺(これは戦争ではない)だけであり、その他に戦争の犯罪などは存在せぬ。この二つの裁判そのものが実に犯罪なのである。この当たり前のことが本作品によって戦後50年を経てようやく映画化されてきた。東條英機の法廷闘争を通して、米国の占領政策の偽善性が明らかになってくる。東京裁判では法的な良心を持つ者は、インドのパール判事だけであったのだ。本作品を契機として米国の占領政策の延長線上を歩む、戦後日本の歴史を振り返る必要を痛感している。

    フライド・グリーン・トマト FRIED GREEN TOMATOES

    (1991年、米) 130分/カラー

    監督:
    ジョン・アヴネット/原作:ファニー・フラッグ/音楽:トーマス・ニューマン
    出演:
    ジェシカ・タンディ(ニニー)、キャシー・ベイツ(エブリン)、メアリー・スチュアート・マスターソン(イジー)、メアリー・ルイーズ・パーカー(ルース)
    内容:
    アメリカ南部で生活する中年女性が出会った魅力的な老婦人。倦怠期のストレスを抱えていた女性は、老婦人の語る素敵な物語を聞いて人生を取り戻していく。
    草舟私見
    J・タンディとC・ベイツの名演を通じて、人生において何が本当に大切なのかを深く感じる名画である。人生を本当に生き切るとは何なのか。そして生き切った人にはどんな宝物が与えられるのか。その宝物がまた真に次代の人を本当に生かすどれほど大きな手助けとなるのか。人間が本当に生きるには人生の先達から何を得なければならないのか。このような最も重大な人生問題に大いなる示唆を与えてくれる作品と感じる。真に人生を生き切った人の心の状態と、現代消費文明の中で生きる人間の病巣とが、現実と思い出との微妙な組合せにより真に芸術的に表現されていると感じている。人生とは真の思い出を創るために与えられている時間なのだ。その真の思い出だけが人に深い永遠の眠りを約束する唯一のものなのだ。そしてその思い出は成功も失敗も関係ない。正直に真正面から人生にぶつかり、愛情と友情と信頼を築いた人だけに与えられるのだ。その真の思い出だけが次代の人への真の感化力を有するのである。真実、現に生きた人の生き方以外、人の心に感化をもたらすものはないのだ。そして人の心の歴史は永遠なのだ。

    プライベート・ライアン SAVING PRIVATE RYAN

    (1998年、米) 169分/カラー

    監督:
    スティーヴン・スピルバーグ/音楽:ジョン・ウィリアムズ/受賞:アカデミー賞 監督賞・撮影賞・編集賞・音響賞・音響効果賞
    出演:
    トム・ハンクス(ミラー大尉)、マット・デイモン(ライアン二等兵)、トム・サイズモア(ホーバス軍曹)
    内容:
    ノルマンディー上陸の地獄を味わった米軍大尉。間髪入れずに命じられたのは、敵陣に侵入し行方不明の新兵を救出することだった。人間の尊厳と愛を描く戦争映画。
    草舟私見
    アメリカの良心の物語である。アメリカはこの思想によって偉大なのである。アメリカがこの心を喪わぬ限り、偉大であり続けるであろう。激戦の最中に1人の人間の救出のために8人の兵士を派遣する。これはできそうで実際にはできぬことなのだ。その1人も別に重要人物というのではない。兄弟が皆戦死して、唯一人残った末子だというだけである。国家がその母の気持ちを考えて国権をもって行なったのだ。実に偉大なことだ。これはアングロ・サクソンの偉大さであり、強さなのだ。私はこの思想だけは理屈抜きで英米には脱帽する。またこの派遣された8人が真の仕事観を体現している。人助けなどという綺麗事のためにやるのではない。文句を言い、罵り合い、反目しながらも命懸けで任務を遂行する。真の勇者である。人助けをしたい者などにはこの任務は絶対に遂行できぬ。義務に対する真の誇りが成した技なのだ。綺麗事などは本人の気分が壁にあたって変わればそれでおしまいなのである。またその理屈は山ほどあるのだ。壁を乗り越えるためにあれだけの争いが仲間内であることに気づくことが重要と考えられる。

    ブラザーフッド BROTHERHOOD

    (2004年、韓国) 148分/カラー

    監督:
    カン・ジェギュ/音楽:イ・ドンジュン
    出演:
    チャン・ドンゴン(ジンテ)、ウォンビン(ジンソク)、イ・ウンジュ(ヨンシン)、コン・ヒョンジン(ヨンマン)、チェ・ミンシク(北朝鮮人民軍大佐)
    内容:
    1950年の朝鮮戦争を描く戦争映画。ソウル市に住む貧しくも懸命に生きる青年ジンテの楽しみは、弟ジンソクの成長だった。しかし突然の北朝鮮の侵攻に、兄弟の運命は急転していく。
    草舟私見
    朝鮮戦争は現代社会の問題を考える上で最も重要な戦争である。にも拘わらず、今日まで米国映画の数作品しか良い映画はなかった。本作品は韓国人が韓国人の立場と目で、この戦争がいかなるものであったのかを如実に描いていて見応えのある映画となっている。主人公の兄弟の人生観、幸福感そして何をもって不幸とするのかの感情があまりに女性的に過ぎており私としては若干の不満は残るが、それがまた現代の戦争の本質の一部なのであろうと思って鑑賞した。人間が頭で考え出した共産主義や民主主義等というような現代思想は、その歴史的単純性のゆえに人間を簡単に洗脳し狂信と狂気へと走らせるのである。その悲劇を象徴するものが朝鮮戦争であったのだ。現代の戦争は屠殺である。そこには人間性の一片も無い。現代は物質至上主義となり、人間の真の歴史、つまり心の伝承を忘れているのである。名誉、誇り、忠義、武士道、騎士道は実は物質的価値だけによってなり立つ思想に冒されている現代社会だからこそ、最も必要とされるものなのである。人間の心の歴史は旧い程価値があるのだ。また歴史的根拠の薄い愛は簡単に憎しみにも変化するということもよく表現している作品と感じている。最後に一言、私はこの兄弟は嫌いである。

    プラトーン PLATOON

    (1986年、米) 119分/カラー

    監督:
    オリバー・ストーン/音楽:ジョルジュ・ドルリュー/受賞:アカデミー賞 作品賞・監督賞・編集賞・音響賞、ベルリン映画祭 銀熊賞
    出演:
    トム・ベレンジャー(バーンズ)、ウィリアム・デフォー(エリアス)、チャーリー・シーン(クリス)、フォレスト・ウィデガー(ハロルド)、リチャード・エドソン(サル)
    内容:
    ベトナム戦争映画の傑作。最前線で新兵は二人の軍曹の対立を見る。親切で面倒見のいい一人と、冷酷で強靭な一人。その対立の果てに、新兵はベトナム戦争の真実を知る。
    草舟私見
    深遠な名画である。人間性の深くに存する、人間存在の真実を我々に問う作品と解する。チャーリー・シーン扮するクリスの人間成長と変化が人間とは何かを問う問題提起である。二人の相反する軍曹であるバーンズとエリアスが、人間の真実を生きる前者と頭で生きようとする後者として登場する。本作品は生死を問う戦争の中で出る人間の本性を扱う作品であるから、綺麗事で観ていては何もわからない。クリスは始めエリアスに惹かれる。理屈ではそうなるのだ。しかし生死の分かれ目を何度も経験するうちに、クリスは憎んでいるはずのバーンズと自分が同じ行動をしていくのである。バーンズは真実を生きているのだ。善悪ではないのだ。その感化力がクリスを動かしたのだ。そしてバーンズはクリスに撃たれて死ぬ。死ぬがクリスを恨まない。そしてクリスはバーンズになるのである。バーンズが男なのである。エリアスは戦時も平時も役立たずである。ただし人には好かれる。深遠な音楽と共にバーンズに変身していくクリスは、以後立派な真の男として社会に役立つであろう。

    フランスの思い出 LE GRAND CHEMIN

    (1987年、仏) 108分/カラー

    監督:
    ジョン=ルー・ユーベル/音楽:ジョルジュ・グラニエ
    出演:
    アネモーネ(マルセル)、リシャール・ボーランジェ(ペロ)、アントワーヌ・ユベ―ル(ルイ)、ヴァネッサ・グジ(マルチーヌ)
    内容:
    フランスの片田舎を舞台に、都会の少年が垣間見る大人の世界、また少年の成長が描かれる。少年は大人の苦しみ、悲しみを知り、真の人間の温かさを知っていく。
    草舟私見
    都会の子ルイの眼を通して、ペロとマルセル夫婦およびマルチーヌを中心とした田舎の人々の正直な真の温かさというものを描き、温かさの本質を考え直させてくれる名画と思う。現代消費文明の一時代前を思い出させる。高度成長期以前の日本の姿と全く同じですね。子供は「世の中」の一員であり、子供用に用意した「綺麗事の世界」などは以前はありませんでしたね。大人たちは良くも悪くも正直であり、子供を自分たちの世界に取り込んできっちりと「利用」している。だが子供はそれによって本当のこの世の姿を見るのではないか。綺麗事で済まさないというのが、人間の心の成長にとって一番大切なものなのではないかと思いますね。人の死の話も子どもの前で平気でしています。大人が綺麗事で生き、良い面だけを子供に見せる限り子供は大人にはなり切れません。人間の心はただ正直な生き様を見せることだけが育てるのです。それがよく表わされている。善意だけでは子供の心は育たないのだ。真の意味において現代のあり方を考え直させる作品であると感じている。

    フランダースの犬 A DOG OF FLANDERS

    (1988年、米) 96分/カラー

    監督:
    ケビン・ブロディ/原作:ウィーダ/音楽:リチャード・フリードマン/受賞:文部省選定
    出演:
    ジェレミー・ジェイムズ・キスナー(ネロ)、ジャック・ウォーデン(ジェハン=ネロの祖父)、ジョン・ボイド(画家ミシェル・ラ・グランデ)、ブルース・マッギル(鍛冶屋ウィリアム)
    内容:
    1870年代のアントワープを舞台に少年ネロと愛犬パトラッシュの友情を描いたウィーダの原作の映画化。祖父と暮らす少年は、母が目指していた画家になろうとしていく。
    草舟私見
    名作というものはやはりいつ観ても良いですね。ネロ少年の純真な魂には触れるたびに感動します。「汚れなき悪戯」のマルセリーノと並んで、神様に深く愛されている真の高貴性を感じます。最後にルーベンスが登場してくるところはネロ少年の夢と神の存在を痛感させられます。ネロの祖父の生き方もまたすばらしいです。この祖父のような人がやはり最も立派な人なのだと強く感じます。自己の生き方が一貫しており、他人に寛大なその姿はやはり全ての人間の憧れですね。この祖父とネロ少年はこの世に生を受けた人間の中でも、最も幸福であった者なのだと私は強く感じます。

    ブルークリスマス

    (1978年、東宝) 133分/カラー

    監督:
    岡本喜八/脚本:倉本聰/音楽:佐藤勝
    出演:
    勝野洋(沖退介)、竹下景子(西田冴子)、仲代達矢(南一矢)、岡田英次(兵藤教授)、芦田伸介(相場次官)、小沢栄太郎(五代報道局長)、大滝秀治(竹入論説委員)
    内容:
    UFOの光を浴びた人間は、青い血に変わる。突如人類の前に姿を見せ始めたUFOは人々の不安を煽っていく。そしてついに各国政府は青い血の人間の粛清を決意する。
    草舟私見
    予言映画として、大変な価値を有する作品と考えている。岡本喜八の天才と、倉本聰のドラマツルギーが合体した名作と思う。人類の文明に潜む悪徳と、文明の本質を鋭くえぐり出している。そして、人類の終末には何が予想されるのかを、その予言性において鋭く把握しているとしか思えない。人間は、罪によって滅びるのではない。その宇宙的存在価値の有無によって、滅びるのである。人間の発祥そのものが、すでに宇宙の必要性から出ていたのだ。我々は、いまそれを忘れようとしている。人間は、宇宙の必要性よりも、自己の文明を高いものだと思ってしまっている。それが、人類の不幸の最大のものではないか。人間は、自己と違うものを受け付ける本能を失ってしまった。それは、自己が絶対に正しいと「狂信」してしまったからに他ならない。人類の悪徳とその終末のひとつの姿を、この作品は捉えている。それも、人間がもつ「悲哀」を根本とした想像によって構築していることがすばらしい。人間の最後を決するものは、「忍ぶ恋」だけしかない。

    ブルー・マックス THE BULUE MAX

    (1966年、米) 154分/カラー

    監督:
    ジョン・ギラーミン/原作:ジャック・D・ハンター/音楽:ジェリー・ゴールドスミス
    出演:
    ジョージ・ペパード(ブルノ・シュタッヘル)、ジェレミー・ケンプ(ウィリー・フォン・クルーガーマン)、カール・シェル(マンフレート・フォン・リヒトホーフェン)
    内容:
    第一次世界大戦で登場した戦闘機。貴族ばかりのパイロットの中に、平民出身の男が入って来た。野望を抱く男は、次々と華々しい戦果を挙げて行く。
    草舟私見
    第一次大戦における、複葉機の空中戦を扱った名画中の名画と感じる。複葉機は蒸気機関車と並んで人間的な機械ですからね、感動しますよ。空中戦を見ているだけで血が泡を噴きますね。男と男の戦いであり壮烈で華麗で哀しいですね。魂の震撼を覚えます。勲章を欲しがるシュタッヘル少尉の生き方は私とは考え方は違いますが、しかし好きですよ。名誉欲や出世欲でも命懸けのものはやはり魅力があります。臆病で卑怯な人間にはできないことです。命懸けで勲章を欲しがること自体が一本筋が通っています。またあの隊長の生き方が忘れられません。第一次大戦の頃までは騎士道精神が残っています。勇気というものが何にも換え難い価値であるところに、やはり男らしさの原点があると感じます。隊長の正義感は本人が真に勇気ある人物なら最高の美徳となり、本人が臆病なら最低の綺麗事となるものです。この隊長はもちろん前者です。途中に出る空の赤い男爵マンフレート・フォン・リヒトホーフェンのカッコ良さは生涯忘れません。いやあカッコ良い。スマートさが行動と人生観に滲み出ています。この撃墜王こそ真の男の中の男の中の男だと感じますね。

    ふるさと

    (1983年、こぶしプロ) 106分/カラー

    監督:
    神山征二郎/原作:平方浩介/音楽:針生正男/受賞:文部省選定
    出演:
    加藤嘉(伝三)、長門裕之(伝六)、樫山文枝(花)、浅井晋(千太郎)
    内容:
    ダム建設が決まり、やがて水没する運命の山村。そこに住む痴呆症の老人を通して、喪われていく美しい自然と思い出が謳われていく。
    草舟私見
    深い情緒を湛えています。忘れ得ぬものを心に残す名画と感じます。人間の生活の思い出が持つ尊厳を、見事に表現していると思います。便利さだけを求める文明の深い哀しみを感じ、人が生きる上の幸福とは何なのか、楽しさとは何なのかを深く考えさせられる作品と感じます。それにしても主演の加藤嘉の名演は、終生忘れぬ刻印を私の心に残しました。ボケ老人を演じてこれ程の神技のような演技は、彼自身が演劇の神様であることを示しています。ボケ老人が話していることが人間としては全部正しいのです。完全なボケに見える亡き妻が生きているという場面ね、あれですらこの老人が正しい。そして正常な人間がボケ老人に劣るような社会が高度成長期に存在したのです。正常であるということは、社会の方向性が間違っている場合は恐いことなのです。この老人は無欲で正直で真っすぐに生きた人ですね。家族もいい人たちです。息子も嫁もいい人ですから良識があって。そこに深い悲しみを感じますよね。人々の心の寄り処を奪ってまでする必要のある「進歩」なんてあるんですかね。私には理解できません。

    ブルックリン横丁 A TREE GROWS IN BROOKLYN

    (1945年、米) 129分/白黒

    監督:
    エリア・カザン/原作:ベティ・スミス/音楽:アルフレッド・ニューマン/受賞:アカデミー賞 助演男優賞・特別賞
    出演:
    ペギー・アン・ガーナー(フランシー)、ジェームズ・ダン(ジョニー)、ドロシ―・マクガイヤー(ケイティ)、ロイド・ノーラン(マック巡査)
    内容:
    ニューヨークの下町ブルックリンに住む移民一家。生活は貧しかったが、優しい父を中心に幸せに暮らしていた。しかしその父が急死。残された家族は一層の父の優しさを知っていく。
    草舟私見
    エリア・カザンの名作である。純粋でナイーブな少女フランシーの目を通して、アメリカの良心ともいうべきものが浮き彫りにされている。ブルックリンはアメリカの原点の一つなのである。騒々しさが何とも言えなく良い。陽気でしゃべりまくるアメリカの騒々しさがある。家族の絆の何と深いことか。近所付き合いの何と繁雑なことか。昔の東京の下町と同じである。やはり人間の成長にとって重要なことはこの複雑な人間関係なのだ。こまかいことなどどうでも良い。喜び怒り悩み悲しむ。そしてその底辺に夢や希望や愛や友情がある。すばらしいことです。フランシーは真の大人になると確信できる。仲が良いからみんな本当によく喧嘩しますね。気持ち良いです。人の情に触れることが人を創るのだと感ぜられる映画です。

    フルトヴェングラー その生涯の秘密 PORTRÄT WILHELM FURTWÄNGLER

    (1971年、西独) 102分/白黒

    監督:
    フローリアン・フルトヴェングラー/ドキュメンタリー
    内容:
    二十世紀最大の指揮者の一人、フルトヴェングラーの生涯を描く音楽記録映画。彼自身の言葉と、家族や友人、共演者や評論家等の証言を集めフルトヴェングラーの魅力に迫る。
    草舟私見
    一人の偉大な芸術家の生涯をまとめた映像作品として、実に構成のしっかりとした良い作品である。W・フルトヴェングラーはB・ワルターと並んで、二十世紀最大の指揮者であり音楽家である。私は小学生以来、この二人の人物を深く尊敬し、その音楽を日夜聴きながら人間として成長してきたのである。若き日にこの二人の指揮者が構築する深淵な音楽がなかったならば、多分私の青春は破綻していたであろう。私はこの二人が再現するベートーヴェンとワーグナーの魂によって、荒ぶる魂を沈潜させてきたのである。私に取ってフルトヴェングラーは父であり、ワルターは母というような位置付けであった。フルトヴェングラーは「全て偉大なものは単純である」(『音と言葉』新潮社)と語った。この言葉ほど私の魂を震撼させ私を私たらしめてきた言葉は無い。「全体が重要なのだ、部分は全て全体があって初めて意味を持つ」(ビデオ作品中にある)。この言葉もただただ涙が滴る。この二十世紀最大の指揮者が、そのほとんどの精力を作曲に費やして、指揮は求められるままに片手間にやっていたということを知り、真に偉大な人物というものの本質を見る思いがして非常に興味深かった。音楽を血としている人物なのであろう。

    フルメタル・ジャケット FULL METAL JACKET

    (1987年、米) 117分/カラー

    監督:
    スタンリー・キューブリック/原作:グスタフ・ハスフォード/音楽:アビゲイル・ミード
    出演:
    マシュー・モディン(ジョーカー)、リー・アーメイ(ハートマン軍曹)、アーリス・ハワード(カウボーイ)、ヴィンセント・ドノフリオ(レナード)
    内容:
    米海兵隊に入隊した青年たちが、厳しい訓練を経てベトナム戦争で戦う姿を描く戦争映画。彼らは訓練所での悪夢のような出来事、戦場の理不尽を目の当たりにしていく。
    草舟私見
    やっぱり海兵隊の物語は心の底にずしんと来ますよ。海兵というのは米軍の中で絶えず最前線を受け持つ実行集団ですからね。戦争の善悪とかそういうものを乗り越えて、やはり実行力のための思想というものに私は共感するんですよ。実行力とはね、頭脳が明晰であってその頭脳を捨て去ったところに存在するものです。その過程がいいですね。海兵だけは米軍の中でもその訓練方法が帝国陸軍に似ています。実行力のある人間の育て方は、限り無い自己評価の低いところから努力と鍛錬によって価値ある人間になっていく過程にある。民主主義のように最初から各人に最高の価値を認めて出発する教育の反対です。実行力とは鍛錬しなければ身に付かない力なのです。そして自己を伝説に結び付けることなのです。海兵は軍隊なので少し品格には欠けるが強い人間を創り上げる基本は同じなのです。辛苦を共にした者にしか真の友情は生まれないことも海兵の生き方は示してくれています。

    プレイス・イン・ザ・ハート PLACES IN THE HEART

    (1984年、米) 112分/カラー

    監督:
    ロバート・ベントン/音楽:ジョン・キャンダー/受賞:アカデミー賞 主演女優賞・脚本賞、ベルリン映画祭 銀熊賞
    出演:
    サリー・フィールド(エドナ・スポルディング)、ダニー・グローバー(モーゼス)、ジョン・マルコヴィッチ(ウィル)、エド・ハリス(ウェイン・ロマックス)
    内容:
    夫を突然の事故で失った未亡人は、巨額のローンがあることを知った。彼女は黒人を雇い、綿花畑を始めた。逆境を乗り越える女性の強さと優しさが描かれていく。
    草舟私見
    逆境に突如直面したときの人間の持つ底力というものを描き、心に残る名作となっている。逆境というものは誰でも乗り越えられるものではない。逆境に直面したとき、人の真価がわかるのである。逆境を乗り切る人間はまず元々謙虚である。心の深い部分に愛を持っている。守らなければならない誇りを持っているのである。順境のときに慎ましい人間こそが逆境に強い人間なのだ。そのことが主人公のエドナ役を演じるサリー・フィールドの名演技によって、縦横に表現されている。この女性はこの逆境によって本当の幸福、本当の愛を知る女性へと変身していく。そのことがラストシーンの恩讐を越えた人々の邂逅の場面に良く表わされている。エドナの情熱こそが人々を惹き付け、人びとの幸福の種を蒔くのである。

    ブレイブハート BRAVEHEART

    (1995年、米) 178分/カラー

    監督:
    メル・ギブソン/音楽:ジェイムズ・ホーナー/受賞:アカデミー賞 作品賞・監督賞・撮影賞・音響効果編集賞・メーキャップ賞
    出演:
    メル・ギブソン(ウィリアム・ウォレス)、ソフィー・マルソー(イザベル王女)、パトリック・マッグハーン(エドワード1世)、キャサリン・マッコーマック(ミューロン)、ブレンダン・グリースン&アンドリュー・ワイア(ハミッシュ親子)
    内容:
    十三世紀のスコットランド。スコットランドの独立と解放を導いた伝説的英雄ウィリアム・ウォレスの戦いの半生を描く伝記映画。
    草舟私見
    13世紀スコットランドで起きたウィリアム・ウォレスの反乱を生々しく描写する名画である。自由という現代人にとってどこか当たり前のことが、いかなる努力をもって勝ち獲られて行ったのかを尽々と感じさせる。自由という価値は、これ以後七百年にわたるヨーロッパの戦いの原点となる思想なのである。また「自由」を求める人々の生き方と、「支配」という価値に生きる人々の価値観がいかに違うかという事柄も痛感させられる名画である。自由を求めるウォレスもカッコ良いが、支配を断固貫こうとするエドワード1世もまた悪人ではあるがカッコ良い。つまり自らの価値観に断固生きる者はカッコ良いのである。ウォレスの友人のハミッシュ親子の情愛が忘れられぬ映画である。こういう親子は私は心底好きである。戦う者はいつの世もよく生きた者たちである。そして戦う者は真に平和を愛する者であるということがよく描かれている。真に戦う者は平和を愛し、その平和が理不尽な力で壊されたときに戦う者に変身する。真に戦い、それを継続する力は根底においては平和を愛する精神があるからなのである。

    プロヴァンス物語Ⅰ マルセルの夏 LA GLOIRE DE MON PÈRE

    (1990年、仏) 111分/カラー

    監督:
    イヴ・ロベール/原作:マルセル・パニョル/音楽:ウラジミール・コスマ/受賞:文部省特選
    出演:
    フィリップ・コーベール(ジョゼフ)、ナタリー・ルーセル(オーギュスティーヌ)、ディディエ・パン(ジュールおじさん)、テレーズ・リオタール(ローズおばさん)、ジュリアン・シアマーカ(マルセル)、ジョリ・モリナス(リリ)
    内容:
    パニョルの自伝的小説の映画化。主人公マルセルの誕生、幼少時代、そして少年時代にプロヴァンス地方の別荘で過ごした忘れられない夏休みの思い出の日々が描かれる。
    草舟私見
    人間にとっての最大の宝物である思い出というものの、真の価値を感じさせてくれる名画である。美しい映画です。全編に人の持つ心の温かさや滑稽さが滲み出ています。マルセルの家庭は本当に羨ましい限りです。人の持つ善意というものの原初的な姿を、理屈抜きで感じさせてくれるものがあります。年代も1900年というフランスの最も成熟していた時代を描き、当時の仏の豊かさを感じます。欧州の一番良かった時代なのではないかと思います。父親も良い人です。無神論者で科学を信じ切っており、夢のような20世紀が拓くものと確信しておりますが、この勘違いは当時の中流の真面目な人物は全部そうだったのだから許せますね。この父親の思想こそ20世紀に突入する頃の一般常識なのです。この真面目な人物の夢を粉々にした世紀に我々は生を享けたわけです。いい両親だと感じます。このような真面目な人が子供に本当の生きる力と夢を与えられるのだと思います。

    プロヴァンス物語Ⅱ マルセルのお城 LE CHÁTEAU DE MA MÈRE

    (1991年、仏) 99分/カラー

    監督:
    イヴ・ロベール/原作:マルセル・パニョル/音楽:ウラジミール・コスマ/受賞:文部省特選
    出演:
    フィリップ・コーベール(ジョゼフ)、ナタリー・ルーセル(オーギュスティーヌ)、ジュリアン・シアマーカ(マルセル)、ジュリー・ティメールマン(イザベル)、ジョリ・モリナス(リリ)、ジャン・ロシュフォール(イザベルの父)
    内容:
    「プロヴァンス物語Ⅰ」の続編。一家は冬季の休暇を利用して、再びプロヴァンスの別荘で楽しい日々を過ごす。そして週末ごとに通うようになるのだった。
    草舟私見
    本作品も前作と並んで心の奥深くに響く美しい映画ですね。家庭というものが持つ、真の美しさ真の有難さ真の価値を感じます。人が人となる土台はいつの時代も間違いなく家庭にあることを痛感します。前作と本作の二作品は、私にも自分の幼少の頃と当時の家庭そして近所の人たちのことを限りなく思い出させてくれます。あらゆる条件が私の環境と違っていることも事実ですが、またあらゆる事柄の本質が私の子供の頃と全く同じです。生きている人たちがみんな各々の人生を真剣に生きておりますから、夢があって楽しくてたまらないですね。人は自分の環境通りに生きることがやはり一番良いのだと感じます。父親の持つ真面目さは実に滑稽ですね。いい父親です。この人は真に己を知る人だと感じます。己を知る人というのは何をやっても可愛気があって面白いんですね。思想など関係ないんですよ、家庭にはね。どんな考え方の人でも信じる道を歩む人はみんないい親であり、いい家庭を創るんですね。この共産主義的な科学信仰の教師である父のこと、私は大好きですね。

    ブロンクス物語 A BRONX TALE

    (1993年、米) 121分/カラー

    監督:
    ロバート・デ・ニーロ/音楽:ブッチ・バーベラ
    出演:
    ロバート・デ・ニーロ(ロレンツォ・アネロ)、チャズ・バルミンテリ(ソニー)、リロ・ブランカート(カロジェロ:青年)、フランシス・キャプラ(カロジェロ:少年)
    内容:
    父への愛とギャングへの憧れ。ブロンクスの下町で暮らす少年が、父親を慕いながらも颯爽と生きるマフィアへ憧れを抱いていた。やがて悲しい別れが来る。
    草舟私見
    こういう映画は私は掛値なしに好きですね。何とも言えぬ名画です。善悪を通り越した真実の人間の成長の物語ですよ。人が本当に育つにはね、悪いこともしなければいかんのです。悪いことの方はなんて言ってもカッコ良いし、それに面白いですからね。そしてその悪いことの中から善を探し求めなければならんのです。その心の成長に最も必要なのが、正直な大人の存在ですね。悪人でもいいんです。善人でも勿論良いですがね。でもやっぱり悪人の方が子供の目から見ると正直に言ってカッコ良いのが人間の本音です。善人であれ悪人であれ、子供の成長にとって一番尊い教育をできる人はつまりは正直に自分の責任で自分自身の道を歩んでいる人たちなのです。善と悪の混合の中から真の人物は育つのです。それが本当にわかり易くて感動として心に残るように描かれている名画ですよ。父親も正直でいい人です。母親も正直でいい人です。ソニーも自己の責任で自己の人生を生きるカッコ良い人です。私はね、あの悪ガキの友達も本当にいい人たちだと思いますよ。あの黒人たちも正直で良い。白人たちも正直で良い。主人公は勿論、馬鹿で正直でいたって良いです。馬鹿だから人の言ったことを良く覚えますね。重要なことです。この人物は必ず世の中の役に立つ人物に成長して行きます。
  • ペーパー・ムーン PAPER MOON

    (1973年、米) 102分/白黒

    監督:
    ピーター・ボグダノヴィッチ/原作:ジョー・デヴィッド・ブラウン/音楽:ケイ・ローズ、フランク・ワーナー/受賞:アカデミー賞 助演女優賞
    出演:
    ライアン・オニール(モーゼ)、テータム・オニール(アディ)
    内容:
    1930年代のアメリカの恐慌時代。聖書を騙し売る詐欺師が、ひょんなことから少女を拾うこととなる。二人は協力し合って親子を演じながら善良な人びとから金を巻き上げて行く。
    草舟私見
    何とも言えぬ面白さとペーソスのある名画である。テータム・オニールの、子供とは思えない名演が永く心に残って忘れられぬ。モーゼとアディの二人組は何とも憎めないコンビである。詐欺師をやっているわけだから決して褒められたものではないが、しかし誰でもこの二人を好きになりますよね。私もこの映画を観終わった後ずっとこの二人の幸せを祈らずにはおれなかったですね。この二人の魅力は何と言っても仕事仲間ということですね。これが単なる大人と子供の友情の物語なら何の魅力もありません。詐欺師ではあるが二人で英知を絞って生きていく姿は本当に理屈抜きで好感が持てます。やっぱり人間の真の関係は苦楽を共にする仕事にあるのです。仕事には無限の夢があります。そこが遊びと違うのです。アメリカの広大さが二人の人生の飛翔を暗示していて良いです。アメリカの自然を撮った最良の画像の一つと思います。最後のどこまでも曲りくねって続く平原の一本道は忘れられません。二人はきっと幸福になります。私はそう確信しております。

    北京の55日 55 DAYS AT PEKING

    (1963年、米) 150分/カラー

    監督:
    ニコラス・レイ/音楽:ディミトリ・ティオムキン
    出演:
    デヴィッド・ニーヴン(ロバートソン卿)、チャールトン・ヘストン(マット・ルイス少佐)、エヴァ・ガードナー(男爵夫人ナタリー)、フローラ・ロブソン(西太后)、レオ・ゲン(栄緑将軍)、ロバート・ヘルプマン(端群王)、伊丹十三(柴中佐)
    内容:
    1900年、中国で起きた義和団事件における、列強連合軍が籠城の末に義和団を撃退した史実を基に映画化。事件勃発の際、西太后が退去を要求。しかし英国公使だけが断固として留まることを表明した。
    草舟私見
    清朝末期の北京における義和団と八ヶ国連合軍との戦いを描いた名画である。勇気とは何か、信念とは何かを問う名作と感じる。デヴィッド・ニーヴンが演じる英国公使が私の深い共感を覚える人物である。信念とは伝統に生きることである。勇気とは唯一人でも立ち上がることであるということが本当によくわかります。そして信念があり勇気のある人間の何と無欲なことか。その全てをデヴィッド・ニーヴンが最高の表現で描いています。決して屈しない魂が人間の強さであり尊厳なのであると強く感じます。英国を背負って生きる気概が涙を誘う。唯一国で立つ勇気に真の涙を感じる。他国に華を持たせる度量がある。それは本当の責任を知っているからです。そして英国の伝統に則った老後を夢見る公使。すばらしいですね。こういう人間が数多くいたことが大英帝国を築いたのです。英国は真に偉大だったと感じます。

    ベニスに死す DEATH IN VENICE

    (1971年、伊=仏) 130分/カラー

    監督:
    ルキノ・ヴィスコンティ/原作:トーマス・マン/音楽:グスタフ・マーラー/受賞:カンヌ映画祭・25周年記念賞
    出演:
    ダーク・ボガード(アッシェンバッハ)、ビョルン・アンドレセン(タージオ)、シルヴァーナ・マンガーノ(タージオの母)、マリサ・ベレンスン(アッシェンバッハの妻)
    内容:
    トーマス・マンの同名小説の映画化。ベニスに静養に来た老作曲家が美しい少年と出会う。やがてコレラが蔓延するベニスで、男は少年のいる街から離れられなくなっていることに気付く。
    草舟私見
    ドイツの文豪、トーマス・マンの名作の映像化である。マン独特の美意識が、画面からひしひしと伝わってくる。美しい名画である。その美しさをマーラーの哀しみが覆う。観終わった後に、何とも言えぬ余韻が残る。それこそが、芸術から滴る涙なのであろう。本作品を、同性愛の物語だと思う者は、魂に美をもたない。美は永遠である。そして、人間の生(いのち)から滴り落ちる一粒の涙である。美を求める者は哀しい。多分、哀しみの中にこそ生の本質があるのだろう。我々の生は高貴である。だから哀しい。それを見つめて生きることは、勇気のある者にしかできない。老音楽家として登場する主人公は、だから勇気のある生き方をした人物なのだ。勇気は、自己に破壊をもたらし、そして自己の人生そのものを輝けるものへと導く。つまり、自己が永遠に参画するのだ。若返るための化粧を、顔に滴らせながら、死にゆく主人公は哀しい。そこに美を求める者の涙を見る。私はそこに限りない「もののあはれ」を感じる。それが生の尊厳なのではないか。尊厳は理屈を通り越して、永遠への参画を求めている。そして永遠こそが、哀しみを湛える生の本源なのである。

    ベルリン・アレクサンダープラッツBerlin Alexanderplatz

    (2020年、ドイツ=オランダ=カナダ) 183分/カラー

    監督:
    ブルハン・クルバニ/原作:アルフレート・デーブリン/音楽:ダーシャ・ダウエンハウアー
    出演:
    ベルゲット・ブンゲ(フランシス)、アルブレヒト・シュッヘ(ラインホルト)、アナベル・マンデン(エヴァ)、イェラ・ハーゼ(ミーツェ)、セルマ・ブアベン(アミラ)
    内容:
    デーブリンの文学を大胆な解釈でスタイリッシュに映像化した作品。希望を持ちドイツへ渡った黒人青年の運命を描く。
    草舟私見
    人間存在というものの持つ、どうにもならぬ悲哀が滲み渡る名画である。現代社会において、それを最も端的に表わす人生は、難民と移民の生活にあるだろう。フランシス・Bと呼ばれる黒人の人生ほど、そのことを眼前に突き付けるものはない。死ぬほどに善を指向しているが、肉体はこの世の悪に限り無く染まっていく。それを止めることの出来ない魂の雄叫びが、観る者の心に悲痛の限りを届けるのだ。ベルリンという白人社会の真っ只中にあって、ひとりの黒人青年が嗚咽の呻吟にのたうち回っている。欧米の帝国主義が、現代社会をも縛っていることに気付く者は、私だけではあるまい。自分の国の文化を失った人間の、底知れぬ悲しみが伝わって来る。そして欧米の持つ、底知れぬ傲慢を感じざるを得ないのだ。難民と移民は、欧米の暴力が創り上げた現代の汚濁である。これは過去の帝国主義の後始末であり、その汚れたる糞便と呼んでもいいだろう。それを担わされた黒人の悲痛を私は感ずる。その悲しみが画面を覆い、音楽の神秘となって我が心を揺さぶり続けている。

    ペレ PELLE EROBREREN

    (1987年、デンマーク=スウェーデン) 151分/カラー

    監督:
    ビレ・アウグスト/原作:マーチン・アナセン・ネクセ/音楽:ステファン・ニルソン/受賞:アカデミー賞 外国語映画賞、カンヌ映画祭 グランプリ
    出演:
    マックス・フォン・シドー(ラッセ・カールソン)、ペレ・ヴェネゴー(ペレ・カールソン)、エリック・ポスゲ(管理人)
    内容:
    19世紀のデンマークの小島を舞台に、スウェーデン人の移民親子が経験する貧困、階級制度、そしてその中で成長していく少年の姿を描く。
    草舟私見
    美しい映像すばらしい音楽、そして人間成長の深淵を表現する忘れ得ぬ名画である。少年ペレの成長そして旅立ちを描くことによって、真実の一人の人間が誕生するにはいかに多くの別の真実が必要であるかを問うている。登場人物はみんな善くも悪くも、自分の人生を正直に生きる人々ばかりである。正直であるから、人間の持つ醜さも汚さもずるさも全て露呈されている。現実の人間は醜く自然は厳しい。これを真正面から見据える正直な眼を持つペレは、その正直さゆえにその感情は急激に成長するのである。昔の子供は他人の喜怒哀楽そして憎しみをまともに見て育ったのだ。これが真の教育と感じる。良いことだけ教え美しいものだけ見せる民主主義の教育の間違いがよくわかる。登場する全ての人の生き方が、ペレの心を創っていく姿がよく描かれている。貧しさが夢を育む。正直に生きる生き方こそ、このような意味においても本人の知る知らずを問わず、真の愛の実践なのではないか。出世してペレはその後旅立つ。この旅立ちは本物の人間の旅立ちなのだ。父親役のマックス・フォン・シドーの名演も忘れられぬ。正直な父である。つまり本当の父親なのである。

    ヘンリエッタに降る星 THE STARS FELL ON HENRIETTA

    (1995年、米) 110分/カラー

    監督:
    ジェームズ・キーチ/音楽:デヴィッド・ブノア
    出演:
    ロバート・デュヴァル(コックス)、アイダン・クイン(ドン・デイ)、フランシス・フィッシャー(コーラ・デイ)、ブライアン・デネヒー(ビッグ・デイブ)
    内容:
    夢を追う男たちの友情を描く。ある日自分の土地に油田があると男からもちかけられた農夫。大金をかけて掘削を始めるが、専門家だという男は実は一度も油田を堀り当てたことがないことを知る。
    草舟私見
    私は山師は大嫌いである。また山師を描いた文学や映画も大嫌いである。しかし不思議とこの映画だけは好きなのです。主演のロバート・デュヴァルを大好きなこともあると思う。しかしそれだけでは無い。この山師は何か違う。そう感じさせるものがある。この老齢になるまで一度の成功も無いのに石油発掘に賭け続けてきた生き方なのではないかと感じる。また自ら専門家と自慢しながら、人を騙すようなうまいことは決して言わない。旧い人間の特徴である非科学的な方法を信じ、あらゆるところでそれを堂々と表明している。私の好みとして、心から愛せずにはいられない人物なのだ。この人物は貧乏のどん底で死ぬであろう。そしてそう死ぬことがこの人物の幸福なのだと感じる。私は理屈抜きでこの人物は好きである。
  • ポアンカレ予想 100年の格闘

    (2007年、NHK) 108分/カラー

    監督:
    春日真人/ドキュメンタリー ナレーション:小倉久寛、上田早苗
    内容:
    数学で最も権威あるフィールズ賞。100年の難問であったポアンカレ予想を解いたロシア人に贈られる予定だったこの賞は、本人の失踪により中に浮いた。驚くべき真相を追うドキュメンタリー。
    草舟私見
    1904年、アンリ・ポアンカレは、ひとつの命題を提示した。ポアンカレ予想である。その証明のために、命を懸けた数学者たちの 100 年の歴史が描かれている。ここにおいて、学問のもつ芸術性と、その詩魂のいわれが、観る者の心を打つであろう。ポアンカレは、その科学精神に内在する芸術性ゆえに、私の科学上の教師となってくれた人物である。「位相幾何学」の創始者としての名声を知る者は多い。ポアンカレ予想の難問は、ウィリアム・サーストンの幾何化予想を生み出した。私は我が愛読の文学である、埴谷雄高の『死霊』の魂を、この幾何化予想によって解読した経験を持つ。なつかしく、また我が魂の数学理論と言える。それがポアンカレから生まれているのだ。ここには、詩があり文学がある。清い涙が流れ、そして血の雄叫びがあるのだ。「死の問題」、それが数学者に課せられた情熱の根源である。そのゆえに、数学者とは、つまりは詩人そのものに他ならないのだ。詩であり文学である「死の跳躍」(サルト・モルターレ)なくして、何の学問であるのか、何の数学であるのか。つまり、何の人生であるのか。

    砲艦サンパブロ THE SAND PEBBLES

    (1966年、米) 180分/カラー

    監督:
    ロバート・ワイズ/原作:リチャード・マッケンナ/音楽:ジェリー・ゴールドスミス
    出演:
    スティーヴ・マックィーン(ジェイク・ホルマン)、リチャード・クレンナ(コリンズ艦長)、リチャード・アッテンボロー(フレンチー)、マコ(ポーハン)
    内容:
    1926年。植民地支配への抵抗が激化する中国で、米砲艦に配属された若き機関士。彼は中国人任せのやり方に反発するが、それは大きな事件に発展していく。
    草舟私見
    1920年代の揚子江を舞台に種々の人間の生き方を問う名作である。スティーヴ・マックィーンの人間成長を中心として、赤裸々な人間性をむき出しにした中国人たちとの人間的葛藤が一つの観処である。マックィーンが豊かなアメリカから来て生きるために、働く本音で生きる中国人を理解していく過程が良い。また任務の遂行とは何かを考えさせられるものがある。任務は観念ではなく遂行しなければならないのだということを、彼が体感していく過程も見事に描かれている。任務に関しては艦長との人間関係として活写されているのである。私はこの艦長のあり方に共感を覚えますね。怠けているようでそうではないのです。最後のとき、艦が戦闘旗を上げたときこの艦長の本質が出てくる。戦うためにいる人間に戦いの機会が与えられたのです。皆、突然いい顔になります。戦いが彼らを幸福にしたのです。この戦闘旗を上げてからラストまでは感動的です。

    望郷

    (2005年、NHK)  89分/カラー

    演出:
    岡崎栄/挿入音楽:天満敦子演奏「望郷のバラード」
    出演:
    関口知宏(渡辺俊男)、クリスチャン・ポパ(アナトリエ・アールヒップ)、笠原秀幸(木川見習士官)、音尾琢真(海老原少尉)、仲代達矢(語り)
    内容:
    太平洋戦争でソ連に抑留された日本軍軍医の実体験をドラマ化。囚われた軍医は、同じ抑留者のルーマニア人と友情を結ぶ。そして50年の歳月を経て、二人は再会するのだった。
    草舟私見
    人間の「出会い」というものが、あくまでも静かに、そして深く悲しく描かれている名作と感じる。劇的に描かれる「出会い」は実に多い。しかし本当の人生の豊かさの根源である「出会い」とは、深く静かに与えられるものであると私は思っている。実話を通して描かれる作品だけに、そのことが深く実感でき、再認識することができるのである。人と人の本当に豊かな「出会い」とは、各々の人の心だけが決めることができるのである。困難に直面したとき、人間は思い出に残る「出会い」をする。しかしそれは困難が人間に人間同士の繋がりの重要さを側面から教えるだけのことであって、「出会い」そのものは人が人を大切に思う心があれば、いつでも存在するものである。「出会い」を持つ人生だけが真の人生なのである。そしてそれは人間の心だけが創造することのできる事柄なのである。何ものかを愛し、恋し、憧れる心だけが「出会い」を生むのだ。その心をいつの日も持つ者は、「出会い」という「神の恩寵」に恵まれるのである。その遙かなる憧れを持つ心を、この上も無く高貴に表現しているものが「バラーダ」という曲なのである。この音楽の持つ高く悲しい涙だけが真の「出会い」をもたらす心なのだと強く感じるのである。

    僕の大事なコレクション EVERYTHING IS ILLUMINATED

    (2005年、米) 105分/カラー

    監督:
    リーヴ・シュライバー/原作:ジョナサン・S・フォア/音楽:ポール・カンテロン
    出演:
    イライジャ・ウッド(ジョナサン)、ユージン・ハッツ(アレックス)、ボリス・レスキン(祖父)、ラリッサ・ローレット(リスタ)、ジョナサン・サフラン・フォア(リーフ)
    内容:
    家族にまつわる品をコレクションしている青年。彼は祖父の写真に写る女性を探す旅に出る。祖父の故郷ウクライナへ向かった青年は、祖父たちの悲しい歴史を知る。
    草舟私見
    あゝ、何という哀しみであろうか。哀しみがわからなければ、人生の真の意味はわからないとすれば、まさに流浪のユダヤ人ほど人生の意味を知っている民族はこの世には無いであろう。自分の体内の奥底に眠る生(いのち)の系譜の哀しみに触れることこそ、真に生きるということなのではないか。そのことから目を背ければ真の人生は無いのだ。この名画に登場する人々から私は真の人生の意味を深く感じさせられるのだ。ユーモアの無い人生などつまらん人生である。しかし世界的なユーモア作家であるマーク・トウェインが言っているようにいつの世も「ユーモアの源泉は悲哀」なのである。だから悲哀を知る人だけが良い人生を生きることができるのだ。この映画に登場する人々は私が最も敬愛し、また真の友であると思える人々なのである。我が友の人生を映画の中に観ることは何にも替え難い幸福な事柄である。本作品を貫徹する深く悲しい音楽と共に、この名画は私の魂にいつの日までも響き続けるであろう。

    北北西に進路を取れ NORTH BY NORTHWEST

    (1959年、米) 137分/カラー

    監督:
    アルフレッド・ヒッチコック/音楽:バーナード・ハーマン
    出演:
    ケーリー・グラント(ロジャー・ソーンヒル)、エヴァ・マリー・セイント(イヴ・ケンドール)、ジェームズ・メイスン(ヴァンダム)
    内容:
    ある日まったくの別人に間違えられた男は、突然拉致され殺されそうになった。真相を探る男を描くヒッチコックのサスペンス映画の傑作。
    草舟私見
    A・ヒッチコックの名作である。ヒッチコックの作品にはほとんど全部言えることですが、出演者の服装が綺麗ですから見ていて楽しいですよね。本作品においても主演のC・グラントの背広と身のこなしのすばらしさが光っています。人違いから大変な事件に巻き込まれる話ですが、私にとっては人間の思い込みというものを扱った作品の中で小学生の頃に初めて観たものなので強い印象を持っています。似た作品は沢山ありますが、その人違いの事件を扱ったものの中では一番上品なものであると思っています。人間とは各々の人本人が思っているよりも、ずっと決め付けた思い込みで物事や人物を見ているのです。思い込みだから本人は気が付かないがそれが人生を創って行きます。目に見えるものさえ人間は正しくは中々見ないのです。そして勘違いが起こると勘違いの伝染が起こります。これはただのサスペンスや作り話ということではなく、人間の持つ錯覚というものの本質に迫る作品であると感じています。

    星 —宇宙の神秘—

    (2010年、米:Pioneer Productions) 44分/カラー

    監督:
    ピーター・チン/ドキュメンタリー
    ナレーション:渡辺徹
    内容:
    銀河にある1000億以上の星。銀河の外にはまた1000億以上の別銀河がある。無数の星の誕生から終焉まで、その一生がわかりやすく解説されていく。
    草舟私見
    星の本質が展開する。星が何であるのかということが、実によく説明されている秀作である。我々を生み出した、この宇宙とは何なのか。宇宙における、星の存在とは何であるのか。その星から生み出される、我々の生命とは、どういうものであるのか。なぜ、それが生まれ、それはどのように生き、そしてどうやって死ぬのか。それらのことが、これほどにまとまっている作品を観たことはない。実に、感動を呼ぶ作品と言えよう。生命の根源が、星であることがわかりやすく語られている。生命と星の根源が、宇宙の本質から生まれていることを強く感じさせてくれる。そして、何よりも宇宙の実存とは何なのか。その実存から生まれた我々の生命とは何なのか。それを感じさせてくれる。その感じるものそのものが、生命の実存なのだ。つまり、我々の生命の根源を形創る実存は、愛ということである。愛が宇宙と星の本質なのだ。その愛の営みが、我々の生命を創った。その生命の愛が、また現代の我々を創り上げた。愛の犠牲的精神だけが、すべてを創ってきたのだ。つまり、これが愛の本質である。愛の確証がここにあるのだ。これを観終わって、私は、キルケゴールの『愛について』を思い出している。その核心を強めているのだ。

    ポセイドン・アドベンチャー THE POSEIDON ADVENTURE

    (1972年、米) 117分/カラー

    監督:
    ロナルド・ニーム/原作:ポール・ギャリコ/音楽:ジョン・ウィリアムズ/受賞:アカデミー賞 視覚効果賞・音楽賞
    出演:
    ジーン・ハックマン(スコット牧師)、アーネスト・ボーグナイン(ロゴ刑事)、シェリー・ウィンターズ(ベル)、ジャック・アルバートソン(マニー)
    内容:
    豪華客船がまさかの転覆事故。床と天井が逆さまになった船内を、皆が必死で脱出しようとする。しかし浸水から沈没まで時間がない。パニック・アドベンチャー映画の傑作。
    草舟私見
    海難事故を扱った映画中の最高傑作の一つであると感じる。事故発生に至るまでの人間模様と、発生後の人間ドラマの描き方が群を抜いて秀れている。生に向けての諸々の人間の個性溢れる挑戦の仕方がよく、観ていて感ぜられる作品となっている。やはりジーン・ハックマン演じるスコット牧師がすばらしい真のヒューマニズムを発揮するが、これは強すぎてすばらしすぎる感がある。このすばらしさは天性のものであり、普通の人間が到達できる勇気ではないのではないかと感ぜられる。我々が安易にまねをすれば挫折する、人間ばなれした勇気と感ぜられる。真に尊敬に値し、信仰の対象となる程の勇気である。私が真に共感する勇気は、シェリー・ウィンターズ演じるベルおばさんの勇気である。何でも良いから自分のできると思われることで皆の役に立とうとするベルの生き方、その勇気に私は感動する。ロゴ刑事も良い。文句ばかり言っているが、やるときはやる。男気を感じる人物である。

    鉄道員(ぽっぽや)

    (1999年、「鉄道員(ぽっぽや)」製作委員会) 112分/カラー

    監督:
    降旗康男/原作:浅田次郎/音楽:国吉良一
    出演:
    高倉健(佐藤乙松)、大竹しのぶ(佐藤静枝=乙松の妻)、広末涼子(佐藤雪子=乙松の娘)、小林稔侍(杉浦仙次=乙松の同僚)
    内容:
    直木賞受賞の浅田次郎の原作の映画化。生涯を鉄道員として過ごし、定年を目の前にした男が最後に見る人生の奇跡と幸福を描く。
    草舟私見
    いや本当にこの佐藤乙松の人生はすばらしいと感じる。こうでなければいけませんね。こう生きたいと願っている。現代人が忘れた真の人間の荘厳な人生である。真の生き方は血で覚えたことを血で行なうことなのですね。不器用で真っすぐです。人に何と言われようと、自分のできることを自分でやるということです。真の仕事はどんなに簡単に見えても転職や転用は効かないのです。馬鹿のごとく真っすぐに生きる。これができたら最高の中の最高です。人生の最後に本当の人生を生きた人にしか与えられない、神の恵みとしての真の思い出が去来します。涙を禁じ得ない映画です。佐藤乙松が周囲の人から受けている尊敬の念が真の尊敬ということなのです。敬意というものの真の姿がわかる気がします。乙松の友人が彼のことを自分とは格が違うという台詞を言います。そうなのです。このような生き方が真の格というものを生み出すのです。

    鉄道員(ぽっぽや)/青春編

    (2002年、テレビ朝日) 119分/カラー

    監督:
    出目昌伸/原作:浅田次郎/音楽:小六禮次郎
    出演:
    岸谷五朗(佐藤乙松)、飯島直子(佐藤静枝)、いかりや長介(佐藤国松)、石黒賢(鈴木仙次=乙松の同僚)、渡辺満里奈(鈴木初代)
    内容:
    「鉄道員(ぽっぱや)」の青春時代を描いたテレビドラマ。若き日の妻との出会いと夫婦の日々が綴られていく。
    草舟私見
    かの名画である〈鉄道員 ぽっぽや〉の、青春時代に焦点を当てて製作されたTVドラマである。映画は本当にすばらしかったが、このドラマもまた良い。この佐藤乙松という主人公の人となりと生き方が真に良いですからね、どういう角度から描こうが全部良いですよ。いい人物というものはどの切り口から見ても感動します。乙松という人は私は心底好きですね。こういう生き方ができれば、人生とは本当に生まれてきた甲斐があるのだと感じます。人生の問題とは何も難しい事柄ではなく、真に心掛けだけの問題なのだとよくわかりますね。人間が力を合わせ、縁ある人々と共に一生を一緒に生き切るということは簡単そうで難しいのかもしれません。それができるには本当の一途の真心が必要だということを感じますね。でもそれを普通にやり遂げれば、やはり人生とは誰にとっても価値のあるものとなるのです。乙松の父の国松に私は底根惚れ込んでしまいました。こういう一隅を照らす人物が真に国の宝なのだと私は強く感じました。

    炎のランナー CHARIOTS OF FIRE

    (1981年、英) 119分/カラー

    監督:
    ヒュー・ハドソン/原作:コリン・ウェランド/音楽:ヴァンゲリス/受賞:アカデミー賞 作品賞・作曲賞・脚本賞・衣装デザイン賞
    出演:
    ベン・クロス(ハロルド・エイブラムス)、イアン・チャールスン(エリック・リデル)、ナイジェル・ヘイバース(アンドルー・リンゼイ)
    内容:
    1924年のパリ・オリンピックでの英国代表の二人の選手。ユダヤ人であるがゆえに差別を乗り超えようとする青年と、信仰の故に出場を取りやめる青年の実話を基にした作品。
    草舟私見
    何度観てもその都度心を洗われる名作である。走ることを通じて、人間の真の生き方を我々に問い続ける作品となっている。ユダヤ人のゆえに社会と戦い自己を証明しようとするハロルド、信仰のゆえに走り信念のゆえに想像を絶する頑強さを示すエリック、貴族であるゆえに友情という寛容に人生を託すアンディ、両親に深く愛されるゆえに足るを知るオーブリー。この人生を真に生きる青年たちの何と爽快なことか。この人生の機軸は全て悲しみなのである。人生の根本を貫くものが悲しみであって、初めて人生には希望と友情、祖国と信念が生まれるのだと深く考え悟らされる作品である。私はエリックが一番好きであるが、それは好みであろう。神のために走り、己が心と体を完全にその道具と化したエリックの走る姿の美しさは何にたとえても表現できない。その美しい滑稽さが人間に真の感動を呼ぶのだ。その状態を音で表現する音楽もすばらしいでき映えと感じる。

    本覺坊遺文 千利休

    (1989年、西友) 107分/カラー

    監督:
    熊井啓/原作:井上靖/音楽:松村禎三/受賞:ヴェネチア映画祭 銀獅子賞
    出演:
    三船敏郎(千利休)、奥田瑛二(本覺坊)、萬屋錦之介(織田有楽斎)、芦田伸介(豊臣秀吉)、加藤剛(古田織部)、上條恒彦(山上宗二)
    内容:
    千利休の愛弟子であった本覚坊の回想によって、なにゆえに利休は死ななければならなかったのかの謎を究明する。井上靖の原作の映画化。
    草舟私見
    千利休の高弟であった南坊の遺文を基に井上靖が見事な原作を創り上げたものの映画化である。本作品においては、利休の持つ強さの面に重点が置かれている。戦う茶であり死ぬ茶である。千利休は権力者によって殺されなければ、彼の茶つまり一期一会の茶は完成されなかった。またそのようになったために茶道が確立したのである。この時代の茶人は全て死を目的としている。一期一会を芸術にするには、その道に死ななければならなかったのだ。利休は切腹、山上宗二も切腹、切腹を仰せ付けられなかった織田有楽斎の最後を見よ。何が何でも殺されたいのである。有楽斎の最後は茶の本質にとって偉大な場面である。本覺坊は師の喪に一生服することで師によって死を賜わりたいのである。戦国の茶のこの理不尽な激しさが茶道を芸術にしたのだ。茶室において宗二が利休らを前にして、無では何もなくならない、死では全てがなくなる、と言う場面があるが、これがこの映画の本質であり戦国の一期一会の強者の茶であり、芸術の始まりなのだ。

    本日またまた休診なり

    (2000年、松竹) 105分/カラー

    監督・原作:山城新伍/音楽:坂田晃一
    出演:
    山城新伍(山邊寿一郎)、松坂慶子(山邊静江)、丹阿弥谷津子(山邊たま)、小島聖(白木睦子)、蟹江敬三(瀬川)、石橋蓮司(組長)、片岡礼子(若駒)、佳那晃子(和佳)
    内容:
    開業医をしていた自分の父の生き様を、俳優の山城新伍が自ら監督・主演した。戦後間もない京都の市井の人々の人情と、貧しい中で助け合う美しい姿が描かれる。
    草舟私見
    ほのぼのとしたいい映画です。昔の日本のごく普通の人情と人間関係が、実に巧みに描かれています。これと言った事件もなく人々が人々の中で生きることそのものが、人生そのものの哀歓であった最後の時代を如実に示していると感じています。人間が人間として付き合い、人間として生き人間として死んでいく、本当の人生というものを痛感させられる作品です。医者は医者であるがその前に人間であるというごく当たり前のことが当たり前に成されていたことに深い郷愁を呼び起こされるのです。私もこの作品を観ると子供の頃の近所の人や、かかりつけの医者であった母里先生のことなどを思い出して、馥郁たる豊かな気持ちになれる映画なんです。昔のごく普通の医者の姿の真実を活写しています。このごく普通の医者が今はいなくなりました。不便な時代になりましたね。昔の医者は何でも治してくれました。自分で治せない程の病気だと、治せる医者や病院を紹介し手配してくれました。何よりも親切で頼り甲斐がありました。こういう尊いものを我々は今、失ってしまっているのではないかと感じています。これからの日本は自分の職業にはげむ、ごく普通の人の尊さを本当の意味で見直さねばならんと強く感じさせられる作品だと思っています。

    ポンペイ POMPEII

    (2014年、米=加=独)  105分/カラー

    監督:
    ポール・W・S・アンダーソン/音楽:クリントン・ショーター
    出演:
    キット・ハリントン(マイロ)、エミリー・ブラウニング(カッシア)、アドウェール・アキノエ=アグバエ(アティカス)、キャリー=アン・モス(アウレリア)、ジャレッド・ハリス(セヴェルス)、キーファー・サザーランド(コルヴス)
    内容:
    紀元一世紀に起きた、ヴェスヴィオ火山の噴火を舞台に描く人間劇。奴隷剣闘士であるマイロは無敵を誇っていたが、旅の途上で出会った商人の娘と恋に落ちる。その後、火山が大噴火を起こし、町も人々も混乱に陥っていく。
    草舟私見
    ポンペイの歴史は、神の怒りを現わす超時間的現前性である。それは、文明を裁く宇宙的正義の縮図と言えよう。この現実的歴史を見て、我々の生命の意義を感じることのできぬ者は、生命の敗北者なのだ。地球の怒りは、宇宙の怒りに繋がっている。紅蓮のマグマは、サタンに変身した神の化身とも見える。いや、そう見なければ生命の尊厳はわからない。ポンペイは、我々人類が置かれている「立場」を神が示しているのだ。地球の終末を、我々に相似象として「現前化」しているに違いない。神の怒りの日、我々人間の生命がもつ宇宙的価値が問われることになる。それは、私が「涙」と言い続けているものだ。信頼がある。友情がある。そして、何よりも、愛がすべてなのだ。愛によって、我々人類の生命は輝く。宇宙の中に、人類の生命の存在を刻印するであろう。私はこの映画を観ながら、ただただ『聖書』の「創世記」を感じ続けた。「創世記は初めではなく終わりにある」と、あのブロッホは言っていた。まさにそうであろう。最後の審判は必ずくるのだ。生命を輝かせねばならぬ。最後の審判の日、価値を持つものは、ただ「涙」だけなのだ。
  • まあだだよ

    (1993年、大映=電通=黒澤プロ) 134分/カラー

    監督:
    黒澤明/原作:内田百閒/音楽:池辺晋一郎
    出演:
    松村達雄(内田百閒)、香川京子(百閒先生の妻)、井川比佐志(高山)、所ジョージ(甘木)、油井昌由樹(桐山)、寺尾聡(沢村)、平田満(多田)、小林亜星(亀山医師)
    内容:
    多くの人から慕われる随筆家・内田百閒。30年間大学で教鞭をとっていたが、文筆活動に専念するために退職。しかしその後も教え子たちに慕われ交流が続いていく。
    草舟私見
    本当に心が洗われる良い映画です。我々が喪いつつある日本の旧い人間の絆を表現していると感じます。内田百閒とその生徒たちの一生涯を通じての師弟愛を描き、消費文明に冒される以前の人間模様を伝えている。先生も生徒も厚い情感を持っている。豊かで情深い情感を持つ、真の教養とは何かという問題を深く考えさせられる。真の先生とは生徒に真に慕われての存在であり、真の生徒とは先生に深く愛されての生徒なのですね。そして師弟は死ぬまで続くのです。先生を中心とする生徒たちの友情もいい。友情には共通の目的と中心が必要なのだと尽々と感じさせられます。松村達雄は名演ですね。あの大黒様の歌とその解釈には涙を禁じ得ないですね。あれが真の人間の姿なのだと感じます。

    マーフィの戦い MURPHY’S WAR

    (1971年、英) 100分/カラー

    監督:
    ピーター・イエーツ/音楽:ジョン・バリー
    出演:
    ピーター・オトゥール(マーフィ)、フィリップ・ノワレ(ルイ)、シアン・フィリップス(ヘイドン)
    内容:
    第二次世界大戦末期、英国の商船が独軍潜水艦に撃沈された。その唯一の生き残りの整備士が、たった一人で潜水艦に復讐を誓う。男の執念を描くアクション映画。
    草舟私見
    ピーター・オトゥール扮するマーフィは、戦う男の情念を深く演じている。戦いとは最終的に情念から生まれ出づる真の意志がその決着を付けるのである。アングロ・サクソン(英米)の真の強さを痛感させられる名画と感じる。戦いとは、最後は個人と個人の意志のぶつかり合いなのだ。ここにおいてやはり英米は凄いのである。個人の正義が何があっても崩れない。真の個人主義の強さを感じる。その強さの秘密はもちろん独断と偏見である。そうではあるが、気持ちが良い。カッコ良いのである。理屈を通り越して貫き通す男のカッコ良さを感じる作品である。貫き通すには綺麗事の理屈はほとんど用を成さないのである。これがアングロ・サクソンの強さなのである。私はこういうのは大好きである。

    マイケル・コリンズ MICHAEL COLLINS

    (1996年、米) 132分/カラー

    監督:
    ニール・ジョーダン/音楽:エリオット・ゴールデンサル
    出演:
    リーアム・ニーソン(マイケル・コリンズ)、アイダン・クイン(ハリー・ボーランド)、アラン・リックマン(イーモン・デ・ヴァレイラ)、スティーヴン・レイ(ネッド・ブロイ)、イアン・ハート(ジョー・オライリー)
    内容:
    700年にもわたる英国の支配下にあったアイルランドを独立に導いた指導者マイケル・コリンズ。しかし独立以降もアイルランドは激しく揺れ動いていくのだった。
    草舟私見
    アイルランドの闘争の歴史の中から生まれた、真の戦う男M・コリンズを描いた名画である。七百年におよぶ英国の植民地状態から、現在の独立国家への第一歩を印したのは間違いなくこの主人公の生き方であった。凄い戦い方である。テロというものの史上初の実戦と概念は彼によって作られた。それを悪である、卑劣であると言うことはやはり恵まれた環境でぬくぬくとしている人間の言うことであろう。私は彼は生涯戦い続けるべきであったと思う。そうすればもっと長く生きたであろう。さすがに外交に老獪な英国の政治は凄い。譲歩をして身内の戦いを誘い出す政治の力に屈した型になった。その点はあまり好きな人物ではないが、やはりデ・ヴァレイラの方が政治の本質を見抜いていたのであろう。私は彼がテロに走ったことを批判はせぬが、やはりテロ行為が彼の強靱な精神を蝕んでいたのであろうと考える。何だか余計な女が一人出てくるが、この恋愛も彼の心の疲れを表わしていると思う。しかしそれらを乗り越えて、彼が歴史的にも偉大な人物であることは間違いないことだ。

    マイ・バッハ João, o Maestro

    (2017年、ブラジル) 117分/カラー

    監督:
    マウロ・リマ/音楽:マウロ・リマ
    出演:
    アレシャンドリ・ネロ(ジョアン・カルロス・マルティンス)、ダヴィ・カンポロンゴ(幼少期ジョアン)、アリンニ・モラエス(カルメン)、フェルナンダ・ノーブリ(サンドラ)、ロドリゴ・パンドルフ(青年期ジョアン)
    内容:
    二十歳にして世界的なピアニストとして活躍したジョアン・マルティンス。しかし事故により指が動かなくなった。彼の凄絶な人生を描いた作品。
    草舟私見
    ピアノによるバッハの演奏において、一頭地を抜いていたピアニスト、ジョアン・マルティンスの実話である。マルティンスの音には、不思議な魔力があった。それは人間の魂の震えというものが奏でられた音だったからではないか。その不思議が、本作品を観て、随分と腑に落ちたのである。それはマルティンスがもつ、その奔放さと正直さにあるように思う。音楽の上に、人間のもつ悲哀とその悲痛が乗り移っているのだろう。人間として生きようとする熱情が、音楽の才能を殺そうとしているのだ。その相克の上に、マルティンスの人生がある。この人を不撓不屈だと言う人がいる。しかし私はそうは思わない。この人は惨めで悲惨な人だ。弱く純粋である。だから神から愛されたのではないか。この人の演奏は障害の克服ではない。それは新しい音楽の創造だった。魂の音楽が失われていく時代にあって、音楽の魂をこの世に呼び戻すためにいた人ではないか。この人は弱く惨めな人だ。しかし、それだからこそ音楽を愛する心が純粋に維持されたのだろう。

    舞姫

    (1989年、ヘラルド・エース=テレビ朝日、他) 123分/カラー

    監督:
    篠田正浩/原作:森鷗外/音楽:コン・スー
    出演:
    郷ひろみ(太田豊太郎)、リザ・ウォルフ(エリス・バイゲルト)、益岡徹(相沢謙吉)、加藤治子(太田清子)、山崎努(天方伯爵)、佐野史朗(谷村武)
    内容:
    文豪・森鷗外の代表作の一つ『舞姫』の映画化。自己のドイツ留学体験を基に、ドイツ人女性との恋とその喪失が美しい映像で描かれていく。
    草舟私見
    森鷗外の原作による、あまりにも有名な文学の映画化である。この文学を篠田正浩が見事な映像作品に仕上げている。本作品は重圧というものが人間を押し潰す働きと共に、その同じ人間をより高いものに飛翔させる働きがあることを示している。明治の士族である主人公にとって重圧とは当然「家」であり、「国家」である。この二つの巨大な力が主人公を窒息寸前までにするが、また彼の持てる自らに与えられた力の全てを奔流の如く出し切る原動力にもなっているのである。重圧なきところに成長はなく、また人間としての真の自由も幸福もないのだ。主人公は鷗外の写しであるが、鷗外の魅力は明治人には少ない自由に対する憧れを多すぎる程もっているのに、結局は家と国に縛られていくところにある。現代は信じられないことに、これを彼の弱さと見るが、本当はその縛られていく心こそ彼の強さであり男らしさなのだ。彼の巨大な情感が巨大な涙を生み、それが彼を偉大にしたのだ。

    マギー MAGGIE

    (2015年、米) 95分/カラー

    監督:
    ヘンリー・ホブソン/音楽:デヴィッド・ウィンゴ
    出演:
    アーノルド・シュワルツネッガー(ウェイド)、アビゲイル・ブレスリン(マギー)、ジョエリー・リチャードソン(キャロライン)、ダグラス・M・グリフィン(レイ)
    内容:
    突如蔓延した奇病。感染すると理性を失い、人を襲うようになる。最愛の娘がその奇病にかかったことを知りつつも、最後まで愛を失わない父親をシュワルツネッガーが熱演する。
    草舟私見
    人間の実存の深淵を感じることができる名画と思っている。文明と生命の激突を私は感じているのだ。文明の中を生き抜く生命の悲哀が画面一杯に展開している。結果が、科学的にわかっているものと愛との相克と言えるのではないか。映像と音楽が、その深淵を我々にかいま見させる。そして、あのシュワルツネッガーである。何という名演、何という深淵。この男はただ者ではないと思ってはいたが、これほどの者とは思わなかった。実に、自分の非才を思い知らされた作品となった。シュワルツネッガーは、生命の喜びを確かに知っている男に違いない。また、生命の悲哀を摑み切っている男でもあったのだ。その演技は、私が最も秀れた俳優と信じているフランスのルイ・ジューヴェに比肩し得るものと言っていい。「真実の持つ恐怖」を、これほどに表わした男はいない。「真実が持つ愛」を、これほどに歌い上げた男はいない。確実に狂暴たる狂気と化して死にいく者を、これほどに愛することができるとは。しかし、これが人間なのだ。この愛が、文明を築いたのである。

    マグダラのマリア MARY MAGDALENE

    (2018年、英=米) 120分/カラー

    監督:
    ガース・デイヴィス/音楽:ヨハン・ヨハンソン、ヒドゥル・グドナドッティル
    出演:
    ルーニー・マーラ(マグダラのマリア)、ホアキン・フェニックス(イエス)、キウェテル・イジョフォー(ペテロ)、タハール・ラヒム(ユダ)、アリアーヌ・ラベド(ラケル)
    内容:
    イエス・キリストに最後まで付き従った女性マグダラのマリアを描いた歴史映画。女性であることから理不尽な扱いを受けつつも、イエスを慕いその信念を貫いていく。
    草舟私見
    原始キリスト教の本質が映し出される。イエスとペテロの中に、その本質が地上的展開を遂げていく。その姿がマグダラのマリアと、イエスを裏切ることになるユダの生き方を通して描き出されているのだ。神の掟の下に生きることの厳しさが醸し出される。そしてそれを崩そうとする、地上的愛情が交錯していく。キリスト教に内包する、厳しさと優しさが火花を散らしていく。キリスト教はその長い歴史を通して、イエスの神性が地上の思惑に砕かれていく過程であった。その出発がこれほど見事に描かれた作品を観たことはない。神の掟がキリスト教であった。しかし、その中には当然、地上的な「許し」が入っていたのである。その許しとは、女性的な原理と肉体を守るためには魂をも裏切る正当性の主張であった。人間は、それをヒューマニズムと名付けていたのだ。ヒューマニズムは、その出発に女性的な幸福感とエゴによる裏切りを持つと言えよう。マリアは優しい女性である。そしてユダも魂を求める男であった。しかし、二人ともにイエスのもつ「神性」を受け入れることは出来なかった。

    マクベス MACBETH

    (1971年、米) 140分/カラー

    監督:
    ロマン・ポランスキー/原作:ウィリアム・シェイクスピア/音楽:ザ・サード・イヤー・バンド
    出演:
    ジョン・フィンチ(マクベス)、フランセスカ・アニス(マクベス夫人)、マーチン・ジョー(バンクオ)、テレンス・ベイラー(マクダフ)
    内容:
    シェークスピアの四大悲劇『マクベス』の映画化。スコットランドの猛将マクベスが魔女の予言により野望を実現し、また破滅していく物語。
    草舟私見
    シェイクスピア劇の映画化の中で、最も優れたものの代表と考えている。R・ポランスキーの映像芸術家としての力量を深く感じさせられる作品である。一般的に演劇の映画化は面白くないものが多い中で、映画として楽しめる傑作であると思う。マクベスの物語はあまりにも有名なので多く語ることはないが、ここでは映像から感じた事柄だけに絞って感じたことを述べる。人間の本性である野心というものは果たして善であるか悪であるか、それが本作品の主題と思う。そして映画を通じて表わされることは、人間の野心とは本質的に善であるということだ。人間の人生を真に生かす成功をもたらすための野心は、正義というものに根差していなければ自らの自滅を招くだけなのだ。野心または野望というものを、元来悪なのだと元々思っている者だけが魔に取り憑かれるのだ。そしてその者は必ず臆病なくせに栄達を望むという、二律背反を犯す者なのだ。ただ歴史は次々とその魔を作り出していく。正義に基づく強い真の野心が、この世で最も崇高な愛なのだと私は感じた。

    負けて、勝つ〔シリーズ〕

    (2012年、NHK) 合計365分/カラー

    演出:
    柳川強、野田雄介/音楽:村松崇継
    出演:
    渡辺謙(吉田茂)、デヴィッド・モース(ダグラス・マッカーサー)、松雪泰子(小りん)、谷原章介(白洲次郎)、田中圭(吉田健一)、佐野史郎(広田弘毅)、加藤剛(牧野伸顕)、中村敦夫(幣原喜重郎)、野村萬斎(近衛文麿)、金田明夫(鳩山一郎)
    内容:
    敗戦した日本を憂い奔走した政治家・吉田茂。講和条約を結び新しい日本のために全力で戦ったその半生が描かれていく。
    草舟私見
    戦後日本の姿が、非常に味わい深く描かれている秀作だと感じる。渡辺謙が演じる吉田茂が、印象に残る名演であった。渡辺謙の宰相の表現力はすばらしい。吉田に秘められていた何か「力」のようなものを体現しているように思う。また、取りも直さず、それが当時の日本の姿を浮かび上がらせる力となっているのではないか。吉田の持つ、複雑な性格が上手く表現されている。そして息子、健一の生き方も良い。私は吉田健一の文学をすこぶる好む者であるが、この作家の魅力が、深い親子の愛憎によって重層化していることがよくわかる。親子とは、対立することによって発展するものなのであろう。それと戦後日本の姿との相関関係が、この作品の魅力となっているように思える。マッカーサーも名演であった。多分、いままでの映画で、彼を描いたものの中で随一の真実味を帯びていたと思う。吉田、マッカーサー、そして敗戦日本。みな苦しみ、呻吟し、叫んでいたのだ。だが、若く輝いていた。

    マザー・テレサ MADRE TERESA

    (2003年、伊=英) 116分/カラー

    監督:
    ファブリッツィオ・コスタ/音楽:ギー・ファーレー
    出演:
    オリビア・ハッセー(マザー・テレサ)、セバスティアーノ・ソマ(セラーノ神父)、ラウラ・モランテ(マザー・ドゥ・スナークル)、ミハエル・メンドル(エクセム神父)、イングリッド・ルビオ(シスター・アグネス)、エミリー・ハミルトン(アンナ)
    内容:
    裕福な家庭に生まれたテレサは修道女となり、カルカッタの裕福な子女の教師を務めていたが、貧困に苦しむ人々を見て、彼らのために全てを捧げる決意を固める。教会から反対されながらも自分の神への信念を貫くマザー・テレサの伝記映画。
    草舟私見
    マザー・テレサは、その存命中に世界的に有名になった歴史上初めての修道女である。その背景には二十世紀のマスメディアの力が働いているが、また最もマスメディア的では無い生き方をした人であった。マスメディアによってその活動が助けられた面もあるが、そのゆえに誹謗、 中傷にも曝され苦しんだ人であった。彼女は紛れも無く聖人であり、清く大きくまた強い人であった。人は本当に清い人の存在を信じることができない。そのことでこれ程苦しめられた人も少ないのではないか。清く慈悲深い真に偉大な人はその心の中に「祈り」があるのだ。その心の中に「聖地」を持っているのである。だから他人がその心の中の真実を窺い知ることは不可能なのだ。我々はその人の生涯によってしかそのことを判断することはできないのである。そして彼女の生涯を見るとき、その心が神と一体であり、祈りと自らの聖地へ向かって生きた生涯であったことを知るのだ。そういう崇高な人生を知りまた感じることのできる名画である。        

    マジェスティック THE MAJESTIC

    (2001年、米) 153分/カラー

    監督:
    フランク・ダラボン/音楽:マーク・アイシャム
    出演:
    ジム・キャリー(ピーター・アプルトン=ルーク)、マーティン・ランドー(ハリー・トリンブル)、ローリー・ホールデン(アデル・スタントン)、デイヴィッド・オグデン・スティアーズ(スタントン医師)、ジェイムズ・ホイットモア(スタン・ケラー)
    内容:
    米西海岸の小さな田舎町に、記憶を失った男がたどり着く。男は行方不明の青年と間違えられ、町の人々に受け入れられていく。しかしやがて男は記憶を取り戻していく。
    草舟私見
    いい作品である。人間の心が人間にのり移るとは、いかなることであるのかということをよく表現していると感じる。魂というものが何によって人を動かし、何によって伝承させられていくのか、戦死したルークの魂が、人を動かし人を幸福に導いていく過程に私は真の幸福感を得た。記憶喪失により徐々にルークの魂がのり移ってくる様は、何か示唆するものが多い。我々はあまりに強い自我意識により、人の魂と真に交流することができないのではないか。この映画では一度自分というものを失うことによって、自分以外の魂とどう触れていくのかがよく表わされている。そして魂の触れ合いと伝承には、何にも増して重要な事柄がやはり人間同士のもつ愛情なのではないか。ルークと信じて疑わぬ町の人々、そして何より息子と信じて本当の幸福の中に生き、そして死んだルークの父親の映画館主。この人たちの愛情がルークの魂を主人公の中に移し、そして定着させたのである。他人との魂の交流はこのような条件の中で真に成されるのである。映画館主の死ぬ場面で、最後までフィルムのことを気にしているところは忘れられませんね。

    マスカレード・ホテル

    (2019年、映画「マスカレード・ホテル」製作委員会) 133分/カラー

    監督:
    鈴木雅之/原作:東野圭吾/音楽:佐藤直紀
    出演:
    木村拓哉(新田浩介)、長澤まさみ(山岸尚美)、小日向文世(能勢)、梶原善(本宮)、泉澤祐希(関根)、東根作寿英(久我)、石川恋(川本)、濱田岳(綾部貴彦)、前田敦子(高山佳子)、笹野高史(大野浩一)、髙嶋政宏(古橋)、菜々緒(安野絵里子)
    内容:
    都内で起きた三件の予告殺人。次の犯行現場のホテルに潜入する刑事は、フロントクラークの女性と協力して犯人を追い詰めていく。
    草舟私見
    私は昔、名探偵エルキュール・ポワロの映画が非常に好きだった。その理由は人間の営みが、その悪と憎しみが、あくまでも「優雅」に描き切られていることに尽きていたと思う。人間の魂の奥底を、あの何とも言えぬフランス的エスプリで表現して行く、その芸術性に心惹かれていたに違いない。あのポワロの名画が、現代の日本に甦ったとしか私には思えない作品である。何とも言えぬ人間社会の矛盾が、優雅にエスプリの中に表現されているのだ。私は心底、長澤まさみと木村拓哉の演技力に脱帽した。この現代に、清く美しく幽玄な、人間の本質を表現し切ることに成功していると感じるのだ。この二人の親和力の中に、何か人間のもつ深いエスプリがすでにしてあるのだろう。それが作品を支えることによって、この現世に、人間の歴史そのものを復活させているような錯覚を私は持った。それほどの力を、作品が観る者に与えている。俳優と製作者、そして脚本と時代というものの全てが合致した、数少ない名画と感じている。

    マスケティアーズ〔テレビシリーズ〕 THE MUSKETEERS

    (2014~2015年、英:BBC) 合計1060分/カラー

    演出:
    アンディ・ヘイ/原作:アレクサンドル・デュマ/音楽:マレー・ゴールド
    出演:
    ルーク・パスカリーノ(ダルタニアン)、トム・バーク(アトス)、サンティアゴ・カブレラ(アラミス)、ハワード・チャールズ(ポルトス)、ピーター・カパルディ(リシュリュー枢機卿)、ヒューゴ・スピアー(トレヴィル)、メイミー・マッコイ(ミレディ・ド・ウィンター)、ライアン・ゲイジ(ルイ13世)、アレクサンドラ・ダウリング(アンヌ王妃)
    内容:
    アレクサンドル・デュマの『三銃士』の登場人物に基いて制作された歴史ドラマシリーズ。ルイ13世治世下のパリを舞台に、青年ダルタニアンは巨大な陰謀に立ち向かっていく。
    草舟私見
    舞台は、ルイ十三世治下のフランスである。王妃アンヌはスペイン国王の姉として君臨し、枢機卿リシュリューは権力を恣にしていた。主人公は、四人の銃士。それぞれが人間の「原点」を生き抜く者たちなのだ。近代が生まれようとしている。我々、現代に生きる者が、最も興味を惹かれる時代と言っていいだろう。近代が築かれようとするが、いまだ中世は深く世の中を覆っている。男は男であった。そして、女は女であった。責任ある者は、責任の重圧を天命として生き、責任無き者は決して己を高く見る者はいなかった。賢い者が勝ち、能力の劣る者は早々に世の中から退場した。強い者は弱い者をいたわり、弱い者は強い者を尊敬していた。血湧き肉躍る物語が展開する。人間の生き方が正直である分、我々の魂に直に響くのである。悪者はどこまでも悪い。だから痛快なのだ。美しい者は美しく、醜い者は醜い。世の中の仕組みが、よく見えるのだ。世の中は、今でも何も変わっていない。変わったのは、劇的な時代よりも、上辺をつくろうのがうまくなったことだろう。それによって、現代人は世の中が見えづらくなった。この映画は、現代人に人間の本質を問うている。

    マスター・アンド・コマンダー MASTER AND COMMANDER

    (2003年、米) 139分/カラー

    監督:
    ピーター・ウィアー/原作:パトリック・オブライアン/音楽:アイヴァ・デイヴィス
    出演:
    ラッセル・クロウ(ジャック・オーブリー)、ポール・ベタニー(スティーヴン・マチュリン)、マックス・パーキス(ウィル・ブレイクニー)
    内容:
    P・オブライアンの人気小説シリーズの映画化。19世紀初頭の帆船の黄金時代。イギリス海軍のオーブリー艦長が、自身の乗船する艦よりも遙かに優れたフランスの私掠船の拿捕を命じられる。
    草舟私見
    大英帝国が七つの海を制覇した時代の精神を伝える名画である。帆船というものが人間の魂に与える「偉大さ」というものを痛感する。人間が人間の力で、その人間力をもって支配し得る最高にして最大の機械が十九世紀の西洋大型帆船であると私は思っている。帆船は人間の勇気、忍耐力、規律、そして英知を最も必要とし、その力によって最大限の性能を発揮するものなのである。ゆえに私は帆船というものに血の奥底からくる尊敬心を抱くのである。帆船を最も発達させた、英国海軍の魅力というものが満喫できる映画なのだ。だから良いのだ。帆船は人を偉大にする。勇気と知識と経験の全てを最大限に要求するのが帆船である。帆船に生きる者は経験と学問を大切にする。帆船の黄金時代に、当時の英国人が世界を制覇したにはそれなりの理由があるのだ。英国人の資質が最も帆船を駆使することにも適していたのである。その全ての美徳が本作品に表現されている。学問を尊重しているが学問に流されぬ艦長は良い。経験を重んじる士官教育、学問の尊重、鉄の規律、炎のごとき愛国心、そして人格的余裕、十九世紀英国海軍の魂は実に良い。

    マタギ

    (1981年、青銅プロ) 104分/カラー

    監督:
    後藤俊夫/音楽:羽田健太郎/受賞:ベルリン映画祭 特別賞、文部省選定
    出演:
    西村晃(平蔵)、安保吉人(太郎)、山田吾一(太郎の父)
    内容:
    秋田の山中で猟を生業に生きるマタギ。昔気質のマタギが宿敵の巨大熊を追い、厳寒の吹雪の舞う冬山に、単発の村田銃を背負って分け入っていく。
    草舟私見
    森マタギの平蔵の生き方、人生観に圧倒され心の底からの感動が自ら湧き上がる名画の中の名画と言える。平蔵に扮する西村晃のすばらしさたるや筆舌に尽せない。おそらく彼の最高傑作であろう。マタギは東北山間部の人間の普通の生き方であり普通の人生なのだ。その中で最も偉大な生涯を創り上げた平蔵を心から尊敬する。自らの人生を美学にまで高めた男が平蔵なのである。美学は足元を貫くから生じるのだ。変人扱いされているが、あらゆる人と心が通い合っているのがわかる。家族の絆に至っては現代人の想像を絶するものがある。ただこの絆は自分に与えられた場所で、己の人生を貫く人間には誰でもあることなのだ。マタギ犬との交流は真実の愛情を感じる。自己が真実を生きれば周りの人間だけでなく、人も動物も物も自然も全てのものと真実の関係を持てるのだと尽々とわかる作品である。平蔵の生き方こそ日本人の原点と言える。

    マッカーサー MACARTHUR THE REBEL GENERAL

    (1977年、米) 129分/カラー

    監督:
    ジョゼフ・サージェント/音楽:ジェリー・ゴールドスミス
    出演:
    グレゴリー・ペック(マッカーサー元帥)、イヴァン・ボナー(サザーランド中将)、ワード・コステロ(マーシャル将軍)、マージュ・デュセイ(マッカーサー夫人)、エド・フランダース(トルーマン大統領)、サンディ・ケニヨン(ウエインライト中将)
    内容:
    第二次世界大戦では連合軍総司令官となり、戦後はGHQの司令官を任じたダグラス・マッカーサー。史実に忠実に、その半生が描かれていく。
    草舟私見
    アメリカ軍というものは基本的には好きではない。理由は旧敵国であったことと、軍隊らしからぬ表面的ラフさが売り物であるからだ。しかしその米軍の中にもやはり好きな人物はいる。パットン将軍とこの映画の主人公であるマッカーサー元帥である。この二人は真の男である。何と言ってもカッコ良い。武士道的であって歴史的であって伝説的である。古風であって頑固であって科学的であって、それらが融合して一貫性があって、そして信念がある。そしてなおかつ人が良くて、何とも言えなく面白い人物である。西部劇から生まれた男である。事実二人とも父親が軍人で、子供の頃は西部の砦を転々としていた。実に感動的な映画である。マッカーサーが重視したものは義務・名誉・祖国。血が騒ぐ。そして思い出が信念の軸になっていることがわかる。俺と同じだ。そしてなおかつ父母の人生と業績を熟知している。父母つまり祖先が歩んだように自分も歩む。ゆえに信念があり独自の道を歩めるのだ。実に良い。私はこういう男は心底好きである。

    マトリックス(三部作) MATRIX/MATRIX RELOADED/MATRIX REVOLUTIONS

    (1999~2003年、米) 合計403分/カラー

    監督・原作:
    ラリー・ウォシャウスキー、アンディ・ウォシャウスキー/音楽:ドン・デイヴィス
    出演:
    キアヌ・リーブス(ネオ)、ローレンス・フィッシュバーン(モーフィアス)、キャリー=アン・モス(トリニティ)、ヒューゴ・ウィーヴィング(エージェント・スミス)、メアリー・アリス(オラクル)、モニカ・ベルッチ(パーセフォニー)
    内容:
    天才的なハッカーであった青年は、この世界が夢であり、人間が機械によって支配されていることを知る。人間の世界を取り戻すため、青年は強大なシステムに挑んでいく。
    草舟私見
    近未来において、今の人間は、人間であることを問い直されるときがくるのだ。技術の発展が、人間を完全な奴隷状態にすることは目に見えていることと言っていい。現代人は、我々が人間であることを忘れかけている。人間が何であったのかが、わからなくなっているのだ。それは、今もあり今後、激しく進展していくだろう。私はこの映画の中に、聖書の「出エジプト記」のロマンティシズムを見出している。当時の文明そのものであったエジプトから、神を求めて脱出したあのユダヤ十二支族の物語である。この民族は文明を捨て、貧しく困難な道のりを選んだ。それは過酷な四十年であった。人間として生きるために、文明の恩恵を全て捨てたのだ。その民族の勇気を思い出していた。我々現代人は、すでに半分は奴隷である。文明と技術の奴隷なのだ。それがわからねばならぬ。そこから脱出するには、我々は真の人間に戻らねばならぬ。真の人間とは、義の戦いと愛のために死ぬ勇気をもつ存在ということだろう。つまり、自己犠牲の精神と言えよう。それを思い出さないならば、我々は奴隷として家畜のように生きなければならない。

    マトリックス―復活― The MATRIX Resurrections

    (2021年、米) 合計148分/カラー

    監督:
    ラナ・ウォシャウスキー/音楽:ジョニー・クリメック、トム・ティクヴァ
    出演:
    キアヌ・リーブス(ネオ、トーマス)、キャリー=アン・モス(トリニティー)、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世(モーフィアス)、ジェシカ・ヘンウィック(バッグス)、ジョナサン・グロフ(スミス)、ジェイダ・ピンケット・スミス(ナイオビ)
    内容:
    機械との凄絶な戦いは、すべてゲームのストーリーだった。そのゲームのデザイナーは、現実世界に不信を抱き、ネオとして復活し新たな戦いを挑む。
    草舟私見
    あの「マトリックス」が甦った。どこに甦ったのだ? 我々の魂の中に、我々の愛の中に、我々の憧れの中に、それは甦った。ネオとトリニティーの愛が、現実と仮想空間を繋ぐ根拠を創っている。愛に支えられた人間存在の根拠である。我々の復活を約束するものと言えよう。我々の永遠の命はそこから生まれる。つまり、愛があらゆる次元を貫通して、この世に「創世記」をもたらす。我々の文明は、仮想空間の中で行なわれているのだ。その仮想空間の危険性は、天井知らずに昇っている。六十年を隔てて、別次元の危険性を孕む仮想世界が画面を狭しと展開されている。そのすべてに、我々人類がその原点と仰ぐ「創世記」の精神が窺(うかが)える。それは愛そして犠牲的精神に収斂されていく「何ものか」だろう。我々の魂の中に残る、「美しさ」と言えよう。その美しさのために、我々は命をかけることが出来るのか。この作品は、それを我々の魂に対して問いかけている。勇気そして愛、我々人類の永遠ということに他ならない。次元を超えるものは、それしかない。

    マニカルニカ ―ジャーンシーの女王―Manikarnika:The Queen of Jhansi

    (2019年、インド) 148分/カラー

    監督:
    カンガナー・ラーナーウト、ラーダ・クリシュナ・ジャガルラームディ/音楽:サンチット・バルハラ、アンキット・バルハラ
    出演:
    カンガナー・ラーナーウト(ラクシュミー・バーイー:マルカルニカ)、モハメッド・ジーシャン・アイユーブ(サダーシヴ・ラーオ)、アトゥル・クルカルニー(ダンティヤ・トーペー)、ジーシュ・セーングプタ(ガンガーダル・ラーオ)
    内容:
    19世紀の英国領インドを舞台に、ジャーンシー藩の王妃の誇り高い戦いを描いた歴史映画。
    草舟私見
    インドは、長く英国の支配に苦しめられていた。インド独立の夢に燃えたジャーンシーの王妃の実話である。血湧き肉躍る名画と言えよう。1858年に起きたサライの反乱に題材を取っている。真の愛国心とは何か、真の愛に生きる生命とは何か、生命の最も大切な自主独立とは何か。それらの問題が、反乱と革命と戦いの中に描き切られているのだ。個人の自主独立、そして国家の独立自尊。その崇高が、真実の愛に支えられていることを痛いほどに感じさせてくれる作品だ。愛が、遠い憧れをこの地上に引き寄せるのである。愛の力が、最も過酷で困難な人生を受け入れさせてくれる。愛の無い者に、真の独立自尊の崇高は決して理解されることはないだろう。すべての欲望にまさる愛を認識した者だけが、憧れのために生きることが出来る。そして死ぬことを受け入れられるのだ。ジャーンシーの王妃が19世紀の中葉に、それを我々の歴史に刻んでくれた。王妃の肉体はひとりの弱い女性であったが、その魂には、最も崇高な宇宙の根源力が宿されていたに違いない。        

    真昼の決闘 HIGH NOON

    (1952年、米) 84分/白黒

    監督:
    フレッド・ジンネマン/原作:ジョン・W・カニンガム/音楽:ディミトリ・ティオムキン/受賞:アカデミー賞 主演男優賞・編集賞・主題歌賞・作曲賞
    出演:
    ゲーリー・クーパー(ウィル・ケーン)、グレース・ケリー(エイミー・ファウラー)
    内容:
    アカデミー賞4部門を受賞した西部劇の名作。結婚式を終えたばかりの保安官が、自分に復讐に来たならず者たちにたった一人で立ち向かう。
    草舟私見
    全く名画である。小学生で感動して以来、何度見ても新たなる心を私に与えてくれる作品です。ここに描かれるG・クーパー扮する保安官は英雄ではないが勇気というものの本質を提起しています。自分の責任とけじめという人生の一番大切な事柄を教えられます。この場合逃げるのが何でもなく普通のことなのでしょう。またそうする理屈はいくらでもあるし、自分の中だけではなく周りの人々もその理屈を教えてくれます。しかし彼は逃げませんね。人生における責任ということを知っているのだと感じます。ぎりぎりのところで勇気を保ち信義を貫くことの大切さを感じます。それに何よりもそうすることが本当にカッコ良いですね。普通の人がどう偉大な人生を創り上げるのかが、わかるような気がします。映像もすばらしく心が高なります。音楽は有名な真昼のバラードであり一生心に残るものです。それにしても誇りの無い人は何とまあ色々と理屈を考えるものでしょうか。恥を知るか知らないかの違いですね。これは。

    マルクス・エンゲルス THE YOUNG KARL MARX

    (2016年、独=仏=ベルギー) 118分/カラー

    監督:
    ラウル・ペック/音楽:アレクセイ・アイギ
    出演:
    アウグスト・ディール(カール・マルクス)、シュテファン・コナルスケ(フリードリッヒ・エンゲルス)、ヴィッキー・クリープス(イェニー・マルクス)、オリヴィエ・グルメ(ジョセフ・プルードン)、ハンナ・スティール(メアリー・バーンズ)
    内容:
    産業革命により発展する社会の中で『共産主義宣言』を執筆したカール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスの出会いと、若き日々を描いた伝記映画。
    草舟私見
    十九世紀最大の思想は、共産主義とその理論的根拠たる『資本論』だろう。この巨大な怪物的思想が、純粋な二人の青年の魂の融合によって生まれたのだ。カール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスである。二人の若き日の友情と、共産主義思想の出発となる『共産党宣言』の成立までを描き切った名画に違いない。偉大な思想が、坦々とした美しい友情の中から育まれていく。この映画を観るとき、人間の魂がもつ崇高を思い描かぬ者はいないだろう。怪物は、清純で美しい魂の中から紡ぎ出されてくるのだ。美しい愛情が、この世を截断する革命思想を育む。人間のもつ弁証法的深淵を画面の中に感ずる者は私だけではあるまい。『共産党宣言』と『資本論』は、資本主義に歯止めをかける番人なのだ。私は、マルクス・エンゲルスの思想をそう捉えている。共産主義国家の崩壊により、その思想はすべての人の心から去ってしまった。いまの資本主義の暴走を止める者は、誰もいなくなってしまった。いまこそ、資本主義の悪徳に疑義を挟んだ偉大な魂を思い出さなければならない。

    マレーナ MALENA

    (2000年、伊=米) 92分/カラー

    監督:
    ジュゼッペ・トルナトーレ/原作:ルチアーノ・ウィンセンツォーニ/音楽:エンニオ・モリコーネ
    出演:
    モニカ・ベルッチ(マレーナ)、ジュゼッペ・スルファーロ(レナート)、ルチアーノ・フェデリコ(レナートの父)、ガエタノ・アロニカ(ニノ)
    内容:
    第二次世界大戦下のシチリアの美しい風景を背景に、苦難の中を懸命に生きようとする若き人妻と、彼女に憧れつつも自分の無力に悩む少年の純情を描いた作品。
    草舟私見
    やはりJ・トルナトーレの作品はぐっと来ますね、いつものように。何だかこの監督さんは、私の子供の頃を全部知っているんではないかという錯覚を抱いてしまいますよ。本作品の主人公の少年レナートね、まるで私の12歳の頃のようで、身に覚えのあることばかり仕出かすので、私などはついつい他人とは思えぬ親近感を抱いてしまいますね。この少年は男ですね。私などは子供の頃はそりゃーもう楽しい思い出ばかりで、思い出すたびに穴があったら入りたいことばかりですね。それにしても五十歳にもなって、我がことのような少年の姿を見て強く感じることは、真の切なさですね。本気で生きるということは悲しいことなんですね。涙を覚えることなんですね。本気って切ないことなんだなあということをこの少年の姿を通じて尽々と感じます。でもね、この切なさだけが本当の思い出を作るんですよ。私にはよくわかります。この少年はどんどんと人間として成長し、真に男らしい人物になっていくであろうと私は感じます。私はレナートを本当に他人とは思えないのです。レナートと一緒に、マレーナの幸せを私も祈らずにはいられないのです。
  • 未解決事件 File.09 ―松本清張と帝銀事件―

    (2022年12月29日、30日NHK二夜連続ドラマ) 150分/カラー

    演出:
    新名洋介/音楽:川井憲次
    出演:
    大沢たかお(松本清張)、要潤(田川博一)、榎木孝明(平沢貞通)、井川遥(松本ナヲ)、佐野史郎(山田義夫)
    内容:
    作家 松本清張が題材に選んだ「帝銀事件」。真犯人は別にいると疑いを抱いた清張は、文藝春秋編集と共に独自に取材を開始。
    草舟私見
    NHKの年末スペシャル、二夜連続ドラマである。信じられないほどの迫真性を帯びたドラマとなっている。私は画面から、本当に一秒たりとも目を離すことが出来なかった。まさに目瞬きの間さえ与えないほどの構成力を持ったまれに見る名作だ。本当に、途中で紅茶一杯を飲むひまも無く、観終わったときに喉がひっ付くほどに乾々(からから)だったのだ。もの凄い迫力、もの凄い面白さ、もの凄い躍動が画面狭しと踊りまくっていた。主演は松本清張役を大沢たかおがやっていた。名演としか言いようがない。言葉がないほどの名演と言えよう。ドラマの構成と主演の力量が裏表と成って、近年まれに見る痛快な番組を観させてもらった。戦後間もない帝銀事件の真実に迫るものだが、その推理の妥当性は我々の常識を打ち破るのに充分な力を持っていた。戦後すでに七十年以上経つが、ようやくにしてこのようなドラマを創ることが出来るようになったのだという感慨を持った。その時代の凶悪犯罪と歴史の真実とが、どのように交錯して「常識」が創られていくかを実感出来るドラマと言っていい。

    未完成交響楽 LEISE FLEHEN MEINE LIEDER

    (1933年、独=オーストリア) 89分/白黒

    監督:
    ヴィル・フォルスト/原作:ヴァルター・ライシュ/音楽:シュミット・ゲントナー
    出演:
    ハンス・ヤーライ(フランツ・シューベルト)、マルタ・エッゲルト(カロリーネ)、ルイーゼ・ウルリッヒ(エミー)
    内容:
    オーストリアの作曲家フランツ・シューベルトの青春時代と、「未完成交響曲」として音楽史上に名高い名曲の制作秘話が描かれる伝記映画。
    草舟私見
    シューベルトの未完成交響楽作曲の秘話の映画化である。この楽聖の名曲の数々をバックに、彼の純真さをあますところなく捉えた秀作と感じる。この天才は不幸であった。不幸の原因は映画でも示される通り、彼が決して己の足元を見ることができなかったからなのだ。その不幸な人生が我々にこよなく美しい曲を残してくれたのだから、本当に複雑な気持ちになる。ただ一つ言えることは、不幸の中から生まれ出づる価値も沢山あるのだと知ることであろう。本作品で忘れ得ぬものに、ハンガリアの景色と音楽がある。シューベルトがハンガリアのエステルハーツィー伯に雇われて赴任する馬車の場面から、最後まで続くハンガリアの麦畑の何とも言えぬ情感のある風景は子供の頃から私の脳裏に焼き付いて離れない。その映像のすばらしさと共に私の心の故郷のような気がしてならないのだ。シューベルトの音楽を聴くときは、いつでも私の心はこのハンガリアの野に逍遥しているのである。

    未完の対局

    (1982年、「未完の対局」製作委員会=東光徳間) 133分/カラー

    監督:
    佐藤純彌、段吉順/音楽:林光、江定仙/受賞:文部省選定
    出演:
    三國連太郎(池波麟作)、孫道臨(況易山)、紺野美沙子(況巴)、沈冠初(況阿明)、三田佳子(恩田忍)、伊藤つかさ(況華林)
    内容:
    日中戦争を背景に、運命に翻弄される日本と中国の二人の棋士。碁に人生をかける二人は、戦争の変転の中で運命に翻弄されていく。日中国交正常化10周年を記念した日中合作映画。
    草舟私見
    激動の時代に翻弄される人間がその時代を真に生き切るためのいわれを、見事に表現している名画であると感じます。生き切るとは決してうまいこと生きることではないのです。この二人の主人公(松波八弾と況易山)は、碁というものをその生きる全てにしている棋士です。そしてその碁が二人の人生を苦悩に陥れ、愛情に亀裂を入れ友情を憎しみに変えていくのです。しかし二人は慟哭の中にあって何度も碁を捨てようとしますが再び碁に戻ります。碁が二人の人生を不幸にしたように思うかもしれませんがそれは間違いです。二人は碁によって真実の人生を手に入れているのです。碁が二人を巡る人間たちの悲しみであり、また真の喜びでもあるのです。人生のあらゆる苦難をそのゆえに受け、その全てをそのゆえに乗り越えているのです。人生においてこだわり貫き通すものは、そのゆえに苦しみまたそのゆえに乗り越えられるのです。周りの人も二人が碁に生きることを念願しているのです。その念願をさせる生き方が二人にはあるのです。そして二人は真の人生を生き切り、真の愛情と友情と信頼を手に入れてゆくのです。

    Mr.ホームズ 名探偵最後の事件 Mr.HOLMES

    (2015年、英=米) 104分/カラー

    監督:
    ビル・コンドン/原作:ミッチ・カリン/音楽:カーター・バーウェル
    出演:
    イアン・マッケラン(シャーロック・ホームズ)、ローラ・リニー(マンロー夫人)、マイロ・パーカー(ロジャー・マンロー)、真田広之(梅崎タミキ)、ロジャー・アラム(バリー医師)、パトリック・ケネディ(トーマス・ケルモット)
    内容:
    コナン・ドイルの人気シリーズのスピンオフ作品。93歳になり探偵を引退しているホームズは、自分の最後に携った事件が事実と異なる喧伝をされていることを知る。
    草舟私見
    あの偉大なシャーロック・ホームズの最晩年を描いた秀作である。養蜂に生きる93歳のホームズの姿が眼前に迫って来る。その人生は衰えず、その魂はさらなる高みを目指している。決して無理をせず、自然体に生きるホームズの教養が心に沁みる。思い出の中に残る謎の解明に、老骨が鞭打たれている。自分の人生を生き切ってきた人間の尊さが浮かび上がる。自己自身の自己固有の運命を生きた者にとって、自分の人生は測り知れない幸福があるのだ。その幸福の影に隠されている秘密に、死の直前まで興味を持っている。現代的な寸断された人生、リセットを繰り返す人生の対極にホームズは生きているのだろう。自己の人生を決して大したものだとも思っていない。しかしその自己の人生に、限りない愛情を抱いているのが分かる。人間は誰でも、ただ独りの人間、ただ独つの人生なのだ。普通の中に、自己の人生の幸福のすべてを感じ続けているのだ。その姿に、私は英国紳士の真の純情と偉大を感じている。

    LA STRADA

    (1954年、伊) 107分/白黒

    監督:
    フェデリコ・フェリーニ/音楽:ニーノ・ロータ/受賞:ヴェネチア映画祭 銀獅子賞、アカデミー賞 外国語映画賞
    出演:
    アンソニー・クイン(ザンパノ)、ジュリエッタ・マシーナ(ジェルソミーナ)、リチャード・ベイスハート(気違い)
    内容:
    旅芸人の悲哀を謳い上げたフェリーニ監督の代表作。鉄の鎖を引きちぎる力技しか持たない大道芸人。獣のような肉体と欲望しか持ち合わせない男が、白痴の女と出会う。
    草舟私見
    ザンパノとジェルソミーナの物語。道とは、当然に人生そのものを表わす。真直ぐに貫き通して生きる道と、隘路に紛れ込んで自滅していく曲りくねった道との違いを二人を通して描いていると感じられる。ザンパノが何事があっても生き切る男を表わす。そしてそれは見る者に悪印象を残す。人生は型通りには行かないのだ。ジェルソミーナは同情をそそられるが、人生には向かっていないのだ。自分のことばかり考えている。ゆえに理屈と綺麗事の中に棲んでいるのだ。その人生観が自滅に繋がっていくのである。ザンパノは人生に向かい、ジェルソミーナは自己の心の中に閉じこもる。ザンパノは悲しみを心の奥深くにしまい込んで、決して外に出さない。だから人生に立ち向かえる。旧い型の人間である。ジェルミソーナは悲しみを外に出す。だから心の中は空虚である。現代に多い型の人間である。ザンパノの悲しみがわかれば、この映画を満喫したことになる。アンソニー・クインの名演が心に残る作品である。

    密告者 EMINENT DOMAIN

    (1990年、米) 102分/カラー

    監督:
    ジョン・アーヴィン/原作:アンジェイ・クラコウスキー/音楽:ズビグニェフ・プレイスネル
    出演:
    ドナルド・サザーランド(ヨゼフ・ブルスキ)、アン・アーチャー(ミラ・ブルスキ)、ジョディ・メイ(エバ・ブルスキ)、ポール・フリーマン(ベン・グラッド)
    内容:
    冷戦下のポーランドにあって、高い地位についた男。しかし突如として地位を失い、見えない監視下に置かれるようになる。予想外の展開を見せるサスペンス映画の傑作。
    草舟私見
    密告という最も陰険な事柄を当たり前のこととして国家や社会がなり立っているとき、いかに非人間的なことがまかり通るかということを、実話に基づいて実に巧みに描いた名画と感じる。共産体制下のポーランドの実状(1979年)を知っている者にとって本作品は胸に迫まるものがある。それにしても共産体制というのは本当に暗くて陰険で嫌ですね。平等の名の下にどんな事柄でもまかり通り、一部の特権階級の人間だけが権力のおこぼれで良い思いをしている実情がよくわかる。お金が物を言うということは確かに問題はあるが、共産体制のような権力の化け物よりはやっぱり全然良いですね。不平等でも歴史に則った普通の国家の良さが良くわかります。ドナルド・サザーランドの迫真の名演技が生涯忘れ得ぬ印象を残しています。主人公の女房と娘は私は気に入らんですね。友人の女房も気に入らんです。自分の好みに基づいて振り播き押し付ける愛情というものは、いつ観ても気分の良いものではありません。

    ミッション THE MISSION

    (1986年、英) 126分/カラー

    監督:
    ローランド・ジョフィ/音楽:エンニオ・モリコーネ/受賞:カンヌ映画祭 グランプリ、アカデミー賞 撮影賞
    出演:
    ロバート・デ・ニーロ(メンドーサ)、ジェレミー・アイアンズ(ガブリエル神父)
    内容:
    18世紀半ばの南米。植民地拡張と奴隷政策がすすめられる中、伝道師たちは原住民を保護し、キリスト教を説こうとしていた。信念に生きようとする男たちを描く歴史大作。
    草舟私見
    真の愛が何であるのか、という永遠のテーマを感じる。イエズス会士の物語である。信仰に命を懸ける者が、もし愛がなければその信仰すら一体何であろうかと問い続ける。男たちの命をかけた愛の行為の選択の苦悩を見ることができる。理想を実行に移したとき、人間の苦悩が始まるのだ。一人は愛は戦いであると観る。また他の一人は愛は犠牲であると観る。しかし要は戦い方の違いではなかろうかと感じる。そしてロドリゴ・メンドーサは、死に瀕して真の戦いのあり方を見たのではないか。全編を通じて永遠の命の問題を考えさせられる。永遠の命とはつまり型は違っても他者のために死ぬことなのではないか。献身と犠牲なくして真に価値あることは人間にはできないのだ。全ての人間の価値の基準は献身と犠牲であろう。その実行性の違いこそ人生のテーマではなかろうか。深い作品で一生涯心から離れぬ映画である。

    ミッドウェイ MIDWAY

    (1976年、米) 131分/カラー

    監督:
    ジャック・スマイト/音楽:ジョン・ウィリアムス
    出演:
    チャールトン・ヘストン(ガーツ大佐)、ヘンリー・フォンダ(ニミッツ大将)、三船敏郎(山本五十六大将)、グレン・フォード(スプルーアンス中将)、ジェームズ・コバーン(マドックス大佐)、ロバート・ミッシャム(ハルゼー中将)
    内容:
    太平洋戦争の帰趨を決したと言われるミッドウェイ海戦。アメリカ建国200年を記念して製作された戦争映画の巨編。劣勢をものともせず日本軍に挑んだ男たちが描かれる。
    草舟私見
    ミッドウェイ海戦は太平洋戦争の天王山である。そしてその天王山の時点においては、米軍に比べ日本軍の方が圧倒的に優勢な兵力を持っていたことが重要なことである。我々日本人は先の戦争を正しく見て、正しく反省しなければならない。戦争末期に圧倒的な物量にやられたことは結果論であって、敗けた真の原因ではないのである。日本が敗け出したのは、あくまでも勇気と決断力が米軍よりも劣っていたからなのである。やはりニミッツ大将とスプルーアンス提督の勇気と判断力が、日本の首脳よりも優れていたからなのである。それが良く描かれている作品であると感じる。日本軍は不敗の傲慢さと官僚主義に冒されていたのである。我々が真に反省すべきはそこなのである。個人の勇気と決断においてニミッツとスプルーアンスは優れていたのである。個人というものに本当の勇気と決断力がある国が戦争には勝つのである。

    ミニヴァー夫人 Mrs. MINIVER

    (1942年、米) 134分/白黒

    監督:
    ウィリアム・ワイラー/原作:ジャン・ストルーザー/音楽:ハーバート・ストザート/受賞:アカデミー賞 作品賞・監督賞・主演女優賞・助演女優賞・脚色賞・撮影賞
    出演:
    グリア・ガースン(ミニヴァ―夫人)、ウォルター・ピジョン(クレム・ミニヴァー)、リチャード・ニー(ヴィン・ミニヴァー)、テレサ・ライト(キャロル・ベルドン)
    内容:
    ドイツ軍の連日の空襲の最中に製作されたイギリス映画。裕福な中産階級の美しい夫人を中心に、戦時下の人々の愛と勇気が描かれていく。
    草舟私見
    第二次世界大戦中の英国の中流家庭を描き、真の英国のあり方と当時の英国の歴史過程を表現する名画であると感じる。ミニヴァー家とその周辺の人々の生活を観ることによって、真の英国人の強さを知ることができます。
    自由
    というものの真の価値を、庶民レベルで知っていることがやはりそのいかなる苦しみにも屈せぬ精神を英国人に与えているのだとわかります。戦う心や貫く心は、真の自由の価値がわかる人間にしか通用しない心なのです。ミニヴァー家は本当に美しい家庭だと思います。自分たちの幸福の根元が自由と独立にあることを知っているのです。そのために流す血は当然なのです。自由とはそれを脅かす力に対して、いつでも断固として戦い抜かなければ得られぬものなのです。その頑固さが英国の魂であると感じる。そしてその淵源は貴族の頑固な未亡人に代表される封建的頑固さ、つまり秩序に対する非常なこだわりにあるのです。ただバラの品評会で未亡人が駅長に一等を譲る場面がありますが、その頑固さの根源が既に崩れ出していることをも同時に表現しています。人の評判を恐れる人には秩序と自由を守り通すことはできないのです。

    壬生義士伝〔テレビ版〕〔劇場版〕

    テレビ版(2002年、テレビ東京) 合計498分/カラー

    監督:
    松原信吾/原作:浅田次郎/音楽:川崎真弘
    出演:
    渡辺謙(吉村貫一郎)、高島礼子(吉村しづ)、高杉瑞穂(吉村嘉一郎)、柄本明(近藤勇)、伊原剛志(土方歳三)、金子賢(沖田総司)、内藤剛志(大野次郎右衛門)、村田雄浩(佐助)、萩原流行(伊東甲子太郎)、遠藤憲一(永倉新八)、大鶴義丹(原田佐之助)、筧利夫(坂本龍馬)、芥川貴子(おりょう)、夏八木勲(中島三郎助)、岸田今日子(大野ひさ)、津川雅彦(八木源之丞)、竹中直人(斎藤一)、岡本綾(みよ)、坂井真紀(おその)、渡辺大(吉村貫一郎・青年期)、安倍なつみ(吉村しづ・少女期)、浅田次郎(井上源三郎)

    劇場版(2003年、松竹=テレビ東京=テレビ大阪=電通、他) 137分/カラー

    監督:
    滝田洋二郎/原作:浅田次郎/音楽:久石譲
    出演:
    中井貴一(吉村貫一郎)、佐藤浩市(斎藤一)、三宅裕司(大野次郎右衛門)、夏川結衣(しづ)、塩見三省(近藤勇)、堺雅人(沖田総司)、野村祐人(土方歳三)、比留間由哲(永倉新八)、藤間宇宙(吉村嘉一郎)、村田雄浩(大野千秋)、斎藤歩(伊東甲子太郎)
    内容:
    幕末の京都を震撼させた新選組。その中にあって剣の腕は一番とされた吉村貫一郎。貧しさの中で妻子のために戦い続けた男を描いた浅田次郎の原作の映画化。
    草舟私見
    貧しさというものが、本当の空腹というものがいかなるものか、それがわからなければ、本作品の本当の価値はわからぬ。それがわからなければ本作品はただの「お涙頂戴」のものとなってしまう。しかしそれがわかれば本作品は実に心を揺さぶられる真実の人の道を知り、真実の涙というものがいかなるものであるのかを知るまたと無い好作品となるのである。不肖この私は、生まれたときから贅沢三昧で、好き勝手をやり、金の苦労は勿論のこととして、あらゆる苦労というものを全く体験したことが無い。だからこそ私はこの「貧しさ」というものの真実がわかると自分では思っている。本当の貧しさというものは、憖の苦労をした人間が一番わからないのだ。まるで苦労知らずであったお陰で、私には本当の「貧しさ」というものの本当の「涙」がよーくわかるのだ。だからこの主人公の吉村貫一郎には心底惚れる。彼のもつ忠義は本物である。彼のもつ愛は本物である。彼のもつ信義は本物である。彼が与えられた人生の境遇の中で、彼ほど「誠」を貫き通せる人間はあまりいない。私はこの男を尊敬する。現代の日本で彼が「誠」のために流した涙を体験する者が果たして何人いるであろうか。

    耳に残るは君の歌声 THE MAN WHO CRIED

    (2000年、英=仏) 97分/カラー

    監督:
    サリー・ポッター/音楽:サリー・ポッター
    出演:
    クリスティーナ・リッチ(フィゲレ=スーザン)、ジョニー・デップ(チェーザー)、ケイト・ブランシェット(ローラ)、ジョン・タトゥーロ(ダンテ)、ハリー・ディーン・スタントン(フィリックス)
    内容:
    幼少時にロシアで生き別れた父親を探し、運命を生き抜いていくユダヤ人娘の物語。彼女を支えていたのは、父が歌ったかすかに耳に残る美しい子守唄だった。
    草舟私見
    観終わった後も長く心に残る情感を湛えた名画である。思い出というものが、どの位人生を生き切るのに重大な意味を持つものであるかということを深い表現力をもって描いている。また思い出は歌と言葉をもって、心に残るものが最も激しくその人物を育くみ動かすものであるということもよくわかる作品である。いつの時代にも言えることであるが、音楽と文学というものは良い思い出というものを自分の人生に持ち、本当に生き甲斐のある人生を築くために最も必要なものなのであると痛感させられる。この映画の登場人物を各々私は好きである。個性の違いを越え好きな人々しか出ない映画というものは、実に深い感情を残すものである。また背景の音楽は、私が若き日に最も好きで毎日聴き続けていたアリアばかりで構成されている映画であるということも、信じられぬ珍らしさである。私はこれらのアリアを父の持っていたカルーソーのSPとビュリンクのLPで、レコードが摺り切れるまで何万回聴いたかわからぬ。若き日に涙と共に聴いたアリアが全編を流れ、私は始めから終わりまで涙を拭うひまもなく観たのである。

    ミュンヘン MUNICH

    (2005年、米) 163分/カラー

    監督:
    スティーヴン・スピルバーグ/音楽:ジョン・ウィリアムズ
    出演:
    エリック・バナ(アヴナー)、マチュー・カソヴィッツ(ロバート)、ダニエル・クレイグ(スティーヴ)、ハンス・ジシュラー(ハンス)、キアラン・ハインズ(カール)
    内容:
    1972年のミュンヘン五輪中に起きたテロリストによるイスラエル選手の射殺事件。この事件に端を発したイスラエルの暗殺チームによる報復作戦を実話に基づいて描いた作品。
    草舟私見
    本作品は実話である。丁度私が大学生であった頃の事件であり、また私がイスラエルとアラブ・パレスチナ問題を最も深く研究していた時期の出来事である。そして忘れ得ぬ種々の出来事と共に私の脳裏に深く焼き付いている事柄なのである。私は高校生の頃から、この哀しみの歴史から生まれた問題を自己の内面の問題として考え続け、今は故人となっている仏文学者で評論家であった村松剛氏の教えを受けていた頃の事件なのである。この事件が起きた時期、村松先生と徹夜でパレスチナ問題を論じていたことが、涙と共に偲ばれるのである。憎しみの連鎖が生み出す悲しみとして、このパレスチナ問題以上のものは無いのではないか。この映画に登場する人物たちは全て悲しい。その人格が高貴である程、その悲しみが大きくなることが、何よりも悲しいことである。憎しみの行動は憎しみの歴史を血の底から承け継がない限り、本人の精神を破滅させるのである。憎しみの歴史は人間であろうとする心を拒絶する歴史である。この映画には悪人は一人も出てこない。それがこの映画の真実を表現するがゆえの悲しみなのである。またそのことがあまりにも深く表現された音楽である。この音楽を聴くとき、私は自分が五十年抱き続けている悲しみの意味を深く認識することができるのである。名曲である。名画である。    

    みんな元気 STANNO TUTTI BENE

    (1990年、伊=仏) 127分/カラー

    監督:
    ジュゼッペ・トルナトーレ/音楽:エンニオ・モリコーネ/受賞:カンヌ映画祭 全キリスト教会審査員賞
    出演:
    マルチェロ・マストロヤンニ(マッテオ・スクーロ)、サルヴァトーレ・カシオ(アルヴァーロ=子供時代)、ジャック・ペラン(アルヴァーロ)、ミシェル・モルガン(列車の女)
    内容:
    シチリアの役所を定年退職した男が、久し振りに子どもたちに会おうと出かけていく。しかし子どもたちは幸福な様子の裏に何かを隠している。人生の悲哀と真の愛が描かれていく。
    草舟私見
    トルナトーレが描く人間の心の深い情感と、それを見事に演じ切っているマストロヤンニの名演が一体化した名画であると感じる。マストロヤンニ扮するこの父親ね、心から愛着を感じる本当に愛すべき人物であると思う。私はね、この五人の子供たちはいい人間たちだと思いますね。実際には親の期待はずれの生活をしているのですが、それを誤魔化して親に安心してもらおうとする姿勢は昔の日本でも多かったんですね。最近では親にさんざん迷惑をかけた挙句に、自分たちの悪い点は全部親のせいなどという輩が多いですから。この親子には色々と人生の失敗があっても、真の親子関係があるのです。いい人物で子供をちゃんと愛せば情は通じるのです。物事に近づきすぎる現代の病にも触れてますね。物事は少し離れて見るのが良いのです。近づけば何にでも
    アラ
    はあるのです。心が通じてそして離れて見るのです。この父親は本当にいい人物なのですが、本人が言っているように一つだけ失敗がありました。それは子を愛していたが偉い者にしようとしたことですね。普通がいいのだと悟るところは心に残ります。普通が一番良いとわかったのです。後のことは天が行なうことです。シチリアの歴史と魂が行なうことなのです。
  • 無伴奏「シャコンヌ」 LE JOUEUR DE VIOLON

    (1994年、仏=ベルギー=独) 94分/カラー

    監督:
    シャルリー・ヴァン・ダム/原作:アンドレ・オデール/音楽:ギドン・クレーメル
    出演:
    リシャール・ベリ(アルマン)、イネシュ・デ・メディロシュ(リデイア)
    内容:
    天才バイオリニストと称賛されて来た男が、自身の音楽性を追求し華やかなコンサートホールを捨てて薄汚れた地下道で活動する。そして全てを失った彼に、奇跡が起こる。
    草舟私見
    シャコンヌは有名なバッハのヴァイオリン・パルティータの中の一曲です。私もこのシャコンヌを中心とする偉大なパルティータは子供の頃から大好きであり、今日に至るまでいつでも心の友であり続けた。そのシャコンヌの演奏に生涯の情熱を傾けた男の物語である。音楽好きの私としては、この深遠な曲に取り組み続ける人間の姿を見るだけでこの映画は大変な価値があるのです。偉大なものへは尊敬の念を持って少しずつ近づかなければなりません。自分に才能があればある程そうすべきです。人間の誇りは高すぎれば焦りを生む。高さよりも深さが重要と感じる。深さとは執拗な心の中で鳴り響く持続力を意味します。偉大なものに挑戦する精神とはそういうものだと思っている。偉大な作品を創るとか演奏するとは所詮最後は人間力の問題になる。人間を鍛錬することだけがその主人公に課せられた本当の目的なのです。他者に認められたいときは中々それができない。この主人公はどん底からそれを悟り、真の演奏家になると感じている。

    無法松の一生

    (1958年、東宝) 105分/カラー

    監督:
    稲垣浩/原作:岩下俊作/音楽:團伊玖磨/受賞:ヴェネチア映画祭 金獅子賞
    出演:
    三船敏郎(富島松五郎=無法松)、高峰秀子(吉岡良子)、芥川比呂志(吉岡小太郎)、笠智衆(結城重蔵)、松本薫(吉岡敏雄=少年)、笠原健司(吉岡敏雄=青年)
    内容:
    明治時代、九州小倉の喧嘩好きで人情に篤い人力車夫を描いた同名小説の映画化。暴れ者として知られた人力車夫が、陸軍大尉の一家のために懸命に尽していく。
    草舟私見
    無法松を考えるとき、私はいつでも心に深い感動を呼び覚まさずにはおれない。無学ではあるが、一本気でひたむきな明治の男の心意気に心が洗われる思いがする。この爽快な男はまた、周囲の人間を真の幸福に導く男でもある。彼の生き方がそうなのである。どうにもならぬ乱暴者だが、その底辺をしっかりとした人情が支えている。本当の愛が何であるのか身をもって知っている男である。そのことに本人は気づいていない。気づいていないから一直線の人生を送れるのである。無法松を思うとき、私は自分の小ささを思い知らされるのである。男として心底、惚れ込み、心底尊敬する人物が無法松なのである。私自身も含め現代人はこの無法松の爪の垢を煎じて飲まなければならんと感じている。それにしても祇園太鼓、すばらしいですね。本当に我々などは一体何をしているのでしょうね。   

    無名

    (2004年、TBS) 94分/カラー

    演出:
    竹之下寛次/原作:沢木耕太郎
    出演:
    松本幸四郎(倉沢健太郎)、風吹ジュン(健太郎の妻)、大滝秀治(父・五郎)、加藤治子(母・シュウ)、長山藍子(姉・亮子)、高畑淳子(姉・美佐子)、杉本哲太(若き日の父・五郎)
    内容:
    作家 沢木耕太郎の同名小説の映像化。読書家であった父親は無口で物静かな人物だった。その父親の死を前に、是非確かめたいことがあった。
    草舟私見
    いい作品である。観終わった後に肚の底に何か憧憬のような深いジーンとしたものが残り、大いに楽しくなって、生命が徐々に躍動してくる名作である。高度経済成長以後の日本人が失った「重大なもの」を沸々と湛えているのである。無名で終わった一人の日本人のもの凄く価値のある真実の人生が描かれている。最近の日本人のように何でもしゃべり、納得だの理解だのと言っている人にはこの作品の深い人生観はわからない。この無名とは無明に通じると私は観る。無明の中に、本当の価値のある人生の秘密が隠されているのだ。価値の高い本当に美しい事柄は人生においては必ず、その人の無明の中にあるのだ。それを感じ合えることが真の人間関係なのだと感じる。昔の日本の真の家族とはそういうものであったのだ。だから言葉はいらないのだ。私が小さい頃にはこのような人々に囲まれて私は育った。だから私はそのような人々に深い思い出を持っているのだ。言葉にできることなど知れているのだ。真実は言葉にできない。だからこそ、そこに人と人のいたわり合いが生まれるのではないか。「親しき中にも礼儀在り」という諺が家族といえどもやはり人間関係の中心なのである。無明があって初めて人は人をいたわり、信じ、愛することができるのである。相手を知り尽くし所有することが愛だというのは錯覚である。そういう新しい人間関係の間違いを、並行して描かれている親子の自殺事件が示しているのではないか。私は日本の典型的な旧い家族の姿をこの作品に観た。

    村の写真集

    (2004年、「村の写真集」製作委員会) 111分/カラー

    監督:
    三原光尋/音楽:小椋佳/受賞:文部科学省選定
    出演:
    藤竜也(高橋研一)、海東健(孝)、宮地真緒(香夏)、原田知世(紀子)、甲本雅裕(村役場職員)、ペース・ウー(リン)
    内容:
    徳島のある村がダム建設により消滅することとなった。役場の友人からその村の記録を残すことを依頼された写真家。その仕事の中で、家族との絆を取り戻していく。
    草舟私見
    心の底にじーんとくる実に良い名画である。芸術というものの本質が何であるのかを深く悟らさせてくれる映画であり、芸術と人生がいかに不可分のものであるかがよく表現されていると思う。「写真」というものを通して、又その「写真」を撮る「人間」というものを通して、人間の生(いのち)の持つ真の哀しみを表現する芸術が何であるのか私は深く深く考えさせられたのである。生の燃焼が芸術の主体であり又客体である。主体と客体のそれぞれの生の燃焼の間に、真の生の交流が生起するとき、我々はそこに芸術を感じるのではないか。芸術とはすでにこの世に存在している人間の生の尊厳であり、その尊厳から湧き出づる涙なのではないか。それに触れるべき人生が本当の人生なのではないか。それに触れるには、ただひたむきに正直に生きるしかないのではないか。このようなことをこの作品の父親の姿から感じるのである。この父親のごとく私は生きたいと願っている。又、今は少なくなってしまったが、次世代に伝えるべき真実をその生の中に秘めた真の父親というものを感じるのである。この人は「人物」である。   

    ムルデカ17805—独立—

    (2001年、東京映像制作) 122分/カラー

    監督:
    藤由紀夫/音楽:国吉良一
    出演:
    山田純大(島崎中尉)、保阪尚輝(宮田中尉)、榎木孝明(片岡大尉)、津川雅彦(今村中将)、阿南健治(粟山上等兵)、塚本耕司(塚本軍曹)、松原智恵子(宮田文子)
    内容:
    太平洋戦争後、各地で植民地からの独立運動が始まった。戦時中に強い絆を結んだ日本軍兵士たちとインドネシアの若者たち。彼らは終戦後もインドネシア独立を目指し戦っていく。
    草舟私見
    大東亜戦争の意味というものを、真実に基づいて深く考え直すための良い作品であると感じる。日本は敗戦以来、英米中心の戦争観だけを受け入れているのである。日本国家はあまりに強大な欧米帝国主義との戦いのために確かに半狂乱となり道を間違ったことも事実であるが、あの戦争が多くの日本人にとってアジアの欧米植民地主義からの解放という面を持っていたのも事実である。日本の戦いがアジアの全ての国の独立の原動力となった事実を日本人も考え直すべきであり、また本作品のインドネシアだけでなく多くの国で日本人が国家の敗戦後、その国の欧米からの独立のために戦った多くの兵士がいたことも事実なのである。本作品はオランダの植民地支配からの独立戦争であるが、支配の形態は欧米の方がずっと悪質であったのだ。オランダもヒトラーの支配が終わるや、自らはこのザマである。このインドネシア独立の戦いと、それに真から協力した日本兵士の姿を通して我々は欧米の自己中心思想を考え直し、また底辺において我々はアジアの国々とは真の同胞であるのだということを思い起こさねばならんと考えている。
  • 明治天皇と日露大戦争

    (1957年、新東宝) 114分/カラー

    監督・原作:
    渡辺邦男/音楽:鈴木靜一/朗詠:伊藤長四郎/吟詠:鈴木吟亮
    出演:
    嵐寛寿郎(明治天皇)、阿部九州男(伊藤博文)、高田稔(山縣有朋)、藤田進(井上薫)、江川宇礼雄(山本海相)、広瀬恒美(寺内陸相)、信夫英一(大山元帥)、芝田新(児玉大将)、細川俊夫(岡沢侍従武官長)、田崎潤(東郷大将)、丹波哲郎(島村少将)、明智十三郎(秋山大佐)、宇津井健(広瀬少佐)、小森敏(片岡中将)、林寛(乃木大将)、 高島忠夫(乃木保典)、中山昭二(伊地知少将)、若山富三郎(橘少佐)、天知茂(代議士)
    内容:
    明治天皇を中心に描いた戦記シリーズ。不凍港を求めるロシアと日本が激突。未曽有の国難の中での明治天皇と戦地の将兵の姿が描かれていく。
    草舟私見
    本作品は私が小学校一年のときに上映された日本で初めての総天然色の戦争巨編であり、これを観たときの感激は爾来40余年を経過した今日も全く色褪せることなく、我が魂の奥深くに生き生きとかつ確固として存在している。日露戦争は日清戦争と並んで、若き明治の青春の真只中にあった我が祖国の近代における真の叙事詩である。これは戦争ではないのだ。詩なのだ。心意気なのだ。芸術なのだ。武士道なのだ。我が祖国の魂がこの世に現出したものなのだ。真実であるだけにこの魂が我々に与える影響は決定的である。明治帝の偉大さを知るべきである。このような帝王は世界の歴史上皆無である。奉天会戦を見よ、旅順を見よ、日本海海戦を見よ。これらのどれ一つとして世界史上に類の無いものである。君民一体の若き燃える国家にして、初めて可能であった事柄しかないのだ。王者が王者なら民も民である。大帝も良い。乃木も良い。東郷もまた良い。何もかも良い。唯、魂が震え涙ながるるのみである。祖国を慕う気持ちだけがこの作品の鑑賞ということであろう。

    明治大帝と日清戦争 (原題「天皇・皇后と日清戦争」)

    (1958年、新東宝) 121分/カラー

    監督:
    並木鏡太郎/原作:大蔵貢/音楽:江口夜詩
    出演:
    嵐寛寿郎(明治天皇)、高倉みゆき(昭憲皇后)、阿部九州男(伊藤首相)、高田稔(山縣陸相)、林寛(乃木少将)、藤田進(坪井少将)、若山富三郎(原田重吉)、高島忠夫(山田一太郎)、和田桂之助(木口小平)、宇津井健(三浦兵曹)、丹羽哲郎(大鳥圭介)
    内容:
    明治天皇を中心に描いた戦記シリーズ。清が朝鮮半島侵略に乗り出したことで、日本と激突。破竹の勢いで日本が勝利した戦争は、講和条約に干渉する諸外国により不条理に収束した。
    草舟私見
    日清戦争の全般を史実に忠実に表わし、登場人物も全て実在の人物を配した歴史映画である。日清戦争というのは若き帝国が初めて戦った対外戦争であり、その分上下を挙げて戦った真の国民戦争であった。そこからくる感動性は特別のものがある。世界戦史上も類を見ない規律正しい軍隊を実現したことも、国民の総意に基づく正義の戦いであったからであろう。天皇や大官も立派であるが、兵卒の一人に至るまで燃えている戦いなのだ。日清戦争は国際舞台の上で示された日本の純情さを示し、初心というものの偉大さを示している。「一太郎、やーい!」で有名な山田一太郎一等卒と祖母の物語こそ、あの当時の日本の姿を表わしているのだ。この話は小学生以来大好きな話であり、日本の魂の原点と感じる。木口ラッパ手の話も出て来ますね。国が若く国民も若いのです。夢があり希望があり、多くの人の心に正義が貫かれているのです。何とも言えず気持ちの良い戦争である。

    明治大帝と乃木将軍

    (1959年、新東宝) 104分/カラー

    監督:
    小森白/原作:大蔵貢/音楽:小沢秀夫
    出演:
    嵐寛寿郎(明治天皇)、高倉みゆき(昭憲皇后)、林寛(乃木大将)、村瀬幸子(静子)
    内容:
    明治天皇を中心に描いた戦記シリーズ。明治天皇と乃木将軍の二人に焦点を絞り、西南の役から日露戦争、そして天皇崩御と乃木夫妻の殉死にいたるまでを描いていく。
    草舟私見
    本当に乃木将軍という人はすばらしいですね。何とも表現がありません。唯々畏れ慎しんで仰ぎ見る人です。つい百年前の我々日本人の魂の先達であり、その時間的なあまりの近さに驚くばかりです。乃木将軍のことを考えますとね、私はいつでも日本人に生まれたことを誇りに感じるんですよ。そして何だかよくわからないんですがね、私の両親に対してどうにもならない程の恩を感じるんです。多分、乃木将軍という人は我々日本人の魂の一番美しいものを喚起する力のある人なのだと思います。日本人の心の歴史そのものを体現された人なのだと感じます。私は本作品を小学校の三年生のときに観ましたが、そのときの感動は今も忘れません。その感動の持続が40年以上続いていて、乃木将軍関係の本だけで数百冊は読み、日露戦争の研究でまた数百冊の本を読みました。その最初の感動を与えてくれた映画が本作品なのです。明治帝も立派ですね。乃木将軍にしか、あの旅順の苦しい戦いを戦い抜く統帥ができないことをよく知り抜いています。本当に明治という時間はいいですね。私は明治には恋していますね。

    名探偵エルキュール・ポアロ〔シリーズ〕 AGATHA CHRISTIE’S POIROT

    (1989~2013年、英) 短編50分・長編100分/カラー

    監督:
    ロス・デヴェニッシュ、他/原作:アガサ・クリスティ/音楽:クリストファー・ガニング
    出演:
    デヴィッド・スーシェ(エルキュール・ポアロ)、ヒュー・フレイザー(アーサー・ヘイスティングス元大尉)、ポーリン・モラン(ミス・フェリシティ・レモン)、フィリップ・ジャクソン(ジェームズ・ジャップ警部)
    内容:
    アガサ・クリスティの代表作の一つであり、1921年から55年以上に亘り書き続けられた推理小説の傑作のテレビドラマ・シリーズ。
    草舟私見
    英国LWTのTV番組であり、TV番組の最高峰に位置する名作と感じる。その映像、時代考証とも本格的なものであり、いつ見ても心の底から楽しめるものである。主演のポアロを演じるデヴィッド・スーシェの滑稽さの中に、毅然として示される紳士としての言動が見ものなのである。断固として自己の信念を貫き、優雅で品性があるが、ポアロは決して一般的なカッコ良い男ではない。そうであるが実に本当にカッコ良いのである。ポアロこそ、その人生観と生き様が徹頭徹尾紳士道に則った人物なのであろう。そのギャップが本作品を無類に面白くしている秘密である。ポアロの心こそ紳士そのものなのである。物語の内容そのものはさして重要ではない。ポアロがヘイスティングス大尉とミス・レモンと交わす会話および他者と交わす全ての会話に、この番組の面白さがあるのだ。ポアロの心から出る動作こそ、我々が心して見るものだと感じる。

    めぐり逢う大地 THE CLAIM

    (2000年、英=カナダ) 121分/カラー

    監督:
    マイケル・ウィンターボトム/音楽:マイケル・ナイマン
    出演:
    ピーター・ミュラン(ダニエル・ディロン)、ミラ・ジョヴォヴィッチ(ルシア)、ウェス・ベントレー(ダルグリッシュ)、ナスターシャ・キンスキー(エレーナ)、サラ・ポーリー(ホープ)
    内容:
    19世紀半ば。ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアでは金鉱で莫大な富を得た男が支配する町があった。さらなる町の発展を願う男が、若き日に捨て去った思い出と再会する。
    草舟私見
    米国の西部開拓時代、つまり米国流文明文化という常識(現代世界の常識となりつつある)が築き上げられる時代の様相を実によく表現した実話に基づく秀作と感じる。新しい事柄が正義であり、伝統の無い分だけ個人というものに固執する。レディファーストなどというものの本質が何か。発展の原動力が一体何であったのか。現代の超大国はほんの百年前までこのようであり、また人間の欲望を無制限に表現する舞台を与えたがゆえに発展してきたのだと尽々とわかるのである。この作品の面白さはその米国の開拓時代の中でも成功し、それを把握していく人間と、崩れ滅び去っていく人間の対比がわかり易く描かれていることである。一時的成功を手に入れるも滅びるディロンには、自己の還るべき「家」と「文化」が無いのだ。彼を動かしたものは欲望だけだったのだ。一方酒場の女性の方は、自己の「故郷」を持っている。それは父親に結び付く、移民前のポルトガルの文化であり血であり誇りである。その誇りと文化が、新天地に今に残る街を創った原動力となる。彼女の歌うすばらしいファドの中に、彼女がどのくらい、心の故郷を大切にして生きているのかが表現されている。故郷を持つ人間はいかなる環境の中でも強靱なのである。また米国の発展期には必ず登場してくる「新しい事柄」を振りかざして、自分を正義の人と思う人物の代表として鉄道技師のダルグリッシュが登場する。この手の人間が一番のさばって発展した国が米国である。私はこういう人物が大嫌いであり、まだ金を求めて蠢いている人々の方が好きである。この技師のような人間が最も大なる「巨悪」を行なう人間だと私は感じる。いずれにしても本作品は米国を創り上げた原型の人間たちの哀歓が見えてくると実に面白い作品なのである。

    めまい VERTIGO

    (1958年、米) 128分/カラー

    監督:
    アルフレッド・ヒッチコック/原作:ピエール・ボアロ、トーマス・ナルスジャック/音楽:バーナード・ハーマン
    出演:
    ジェームズ・スチュアート(ジョン)、キム・ノヴァック(マデリン/ジュディ)
    内容:
    心理サスペンスの美学を極めたヒッチコックの傑作のひとつ。高所恐怖症の男が、友人の妻の素行調査で思わぬ事態に巻き込まれていく。
    草舟私見
    数あるヒッチコックの作品の中でも、その映画としての印象において最も思い出深い作品の一つである。主演のジェームズ・スチュアートの持つ魅力、つまり確固たる男らしさの中に潜む真の人の好さというものが、この名画を心の奥深くに刻印する力となっている。真の男とは馬鹿でかつ強靱な精神力を持つものであろうと感じる。また主演女優のキム・ノヴァックの何と美しいことか。言語を絶する美しさである。しかもこれ程美しい彼女の作品は本作品だけである。アップの金髪とグレーのスーツが心に焼き付いて40年も私の心を離れることがない。もやのかかる幻影の中から、彼女がJ・スチュアートの方へ歩いてくる姿はまさに神々しいまでの美しさである。この作品によって、ヒッチコックの映像芸術家としての能力を私は認識しかつ尊敬した。画面が人の心を捉えて一生涯離すことがないという、真の映画の一つであると思っている。

    メリー・ポピンズ MARY POPPINS

    (1964年、米) 139分/カラー

    監督:
    ロバート・スティーヴンスン/原作:P・L・トラバース/音楽:アーウィン・コスタル/受賞:アカデミー賞 主演女優賞・編集賞・視覚効果賞・作曲賞・主題歌賞
    出演:
    ジュリー・アンドリュース(メリー・ポピンズ)、ディック・ヴァン・ダイク(バート)、デイヴィッド・トムリンスン(バンクス)、ダリニス・ジョーンズ(バンクス夫人)
    内容:
    裕福な家の子どもたちの前に、空から現われた不思議な女性メリー・ポピンズ。彼女は子どもたちに夢のような楽しい生活を与え、一家を幸福にすると再び空へ帰っていく。
    草舟私見
    実に夢のある心が温まる名画と感じる。子供というものがどうやって大人になるのか、また立派な大人になるためには何が必要なのかを強く感じさせられる作品である。メリー・ポピンズは家庭教師であるが、同時に魔法使いである。子供にとって本当に尊敬できる秀れた大人はみんな魔法使いなのです。そうでない科学的な物わかりの良い大人などは、子供にとっての真の先達ではないのだ。良い親とか良い教師は魔法使いなのです。そうやって子供と対している大人こそ真の大人なのです。最近はいませんね。本作品は子供の目を通した真実の物語なのです。この主人公の二人の子供は必ず道義心のある立派な大人になります。歌も音楽も全て心温まる名曲です。19世紀の世界一家庭が健全であった時代の英国の真実の人間形成の物語がこの映画なのです。

    メンフィス・ベル MEMPHIS BELLE

    (1990年、米) 107分/カラー

    監督:
    マイケル・ケイトン・ジョーンズ/音楽:ジョージ・フェントン
    出演:
    マシュー・モディン(デニス隊長)、エリック・ストルツ(ダニー)、ハリー・コニック・ジュニア(クレイ)、リード・エドワード・ダイアモンド(ヴァージ)、ジーン・オースチン(ムーア)、ビリー・ゼーン(ヴァレンタイン)
    内容:
    兵役最後の出撃。爆撃機に搭乗する若者たちは帰国後の各々の生活を夢みる。しかし任務は困難を極め、機体は深く傷つき一人が瀕死の傷を負った。彼らは一丸となって基地を目指す。
    草舟私見
    勇気とは何か、任務とは何か、友情とは何かを問う名作と感じる。本当の勇気とは勇敢な心が生み出すものではない。本当の任務の遂行とは揺れる心に対する自己の挑戦である。本当の友情とは仲が良いことでは無く義務を通して、共通の思い出を創った結果生じるものである。本作品の教訓は多い。それにしても爆撃機は良いですね。私は戦闘機より爆撃機の方が好きです。目標である爆撃のためにいかなる危険も顧みず、黙々と突撃する。スタープレーはないが重厚であり、真の仕事を感じます。逃げも隠れもせずにただひたすらに突進する。爆撃機の編隊は男として真に心を惹かれ感動します。
  • 燃えよ剣[劇場版]

    (1966年、松竹) 91分/白黒

    監督:
    市村泰一/原作:司馬遼太郎/音楽:渡辺岳夫
    出演:
    栗塚旭(土方歳三)、和崎俊也(近藤勇)、石倉英彦(沖田総司)、内田良平(七里研之助)、小林哲子(佐絵)
    内容:
    司馬遼太郎の同名小説の映画化。新選組副長土方歳三の若き日から、新選組が結成され京都でその名が轟くきっかけとなった池田屋襲撃事件までを映画化。
    草舟私見
    いつ観ても土方歳三の生き方は魂に響きます。どんどん変化する情勢の中で生き方が次々と変わっていくが、その中心をいつでも一本の軸が貫いています。それは観てわかる通り近藤勇、沖田総司らとの友情を中心とする武士道、つまり天然理心流の誠の道なのです。それがあるからいかなる変化にも次々と対応していく、それでいて足元がいつもしっかりとしている。土方は真の武士である。武士だからカッコ良いのである。土方の武士道は私の感性ともぴったりです。血肉を分けたる仲ではないがなぜか気が合(お)うて離れられぬ、という私にとっての魂の同期の桜なのです。「明日の俺は今日の俺ではないぞ、俺は変わる。しかし死が互いを離すまで変わらぬものは…」という最後の言葉が、彼の人生全部を花にしているのです。それに引き換えちょろちょろ周りで自分のことばかり気にしている七里研之助のあのカッコ悪さたるや見るに堪えません。誠が無いんですよ。自分自分です。佐絵も同じです、自分のことばかり。生きる道を持たぬ人間はつまらんです。

    燃えよ剣〔テレビシリーズ〕

    (1970年、東映=テレビ朝日) 合計1300分/カラー

    監督:
    河野寿一、佐々木康、他/原作:司馬遼太郎/脚本:結束信二/音楽:渡辺岳夫
    出演:
    栗塚旭(土方歳三)、舟橋元(近藤勇)、島田順司(沖田総司)、左右田一平(裏通り先生)、小田部通麿(伝蔵)、中野誠也(山崎烝)、玉生司郎(斎藤一)、平沢彰(藤堂平助)、西田良(原田左之助)、黒部進(永倉新八)、北村英三(井上源三郎)、磯部玉枝(お雪)
    内容:
    司馬遼太郎の同名小説の映像化。日本中に旋風を巻き起こした「新選組血風録」のスタッフ・キャストが結集し、新選組副長土方歳三の生涯をテレビシリーズとして製作した。
    草舟私見
    名作品であった「新選組血風録」のメンバーが5年後に司馬遼太郎の原作を使って、血風録とは少し違った角度から新選組を描いた作品であり、これも名作である。裏通り先生という医者と壬生の伝蔵という町人が見た新選組の姿が描かれているので、その成立から崩壊までの歴史的なものは血風録よりわかり易い。歴史の偶然がこの心意気の男たちの集団を伝説の集団に創り上げていく過程は、何度観ても血湧き肉躍るものがある。この作品においては近藤、土方、井上らの生き方は当然感動的なものであるが、私は何と言っても壬生の伝蔵が好きである。本当に正直な男である。その正直な男の心の変化が、歴史の不合理性と新選組の誠の真の価値を一番良く伝えていると感じている。維新前後、価値観が日々変化しているときである。誰もが日和見に徹し、損得だけを考えている。その中で最後まで新選組だけが何も変わらず一貫したものがある。だから新選組が好きなんだと言う伝蔵の生き方も、真の誠の男の生き方なのだ。好きなものに惚れて、それと共に最後まで殉じる人は至誠の人なのだ。

    モーターサイクル・ダイアリーズ THE MOTORCYCLE DIARIES

    (2004年、英=米) 126分/カラー

    監督:
    ヴァルテル・サレス/原作:チェ・ゲバラ、アルベルト・グラナード/音楽:グスタボ・サンタオラージャ/受賞:アカデミー賞 主題歌賞
    出演:
    ガエル・ガルシア・ベルナル(エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ=チェ・ゲバラ)、ロドリゴ・デ・ラ・セルナ(アルベルト・グラナード)、ミア・マエストロ(チチーナ)
    内容:
    世界的に有名な革命家チェ・ゲバラの若き日々を描く。23歳の医学生であったゲバラは、先輩と一緒にバイクで南米大陸横断の旅に出た。
    草舟私見
    あの偉大な革命家、チェ・ゲバラの青春の一頁である。私のように自己の青春を『ゲバラ日記』と伴に迎えた世代にとって、涙無くしては観得ぬ作品である。カミュ、サルトル、ゲバラが我が世代の青春なのである。偉大な人物が、その偉大を生み出すための苦悩と挑戦、それが真の青春なのではないか。青春とは自己と真剣に向き合い、自己と真剣に戦う生命の時間である。ゲバラをゲバラたらしめたその時間が映像となっているのである。英雄の中の英雄であるゲバラが、何と愛すべき青年であったのか。愛すべきとはつまり自己の弱さを真に知る人のことである。真の弱さを思い知らされることによって、人間は真の夢を育むことができるのである。真の夢とは、自己の生命と霊魂を何事かに捧げることである。自分の命に真の誇りを感じるならば、人はその命を何ものかに捧げなければならない。その対象がラストシーンに向かって美しい映像で示されていく。示されたものの美しさこそがゲバラと我々に永遠の命を与えるものなのである。

    モンテ・クリスト伯 Le Conte de Monte Cristo

    (1998年、仏) 394分/カラー

    監督:
    ジョゼ・ダヤン/原作:アレクサンドル・デュマ/音楽:ブリュノ・クレ
    出演:
    ジェラール・ドパルデュー(モンテ・クリスト伯、エドモン・ダンテス、ウィルモア卿、ブゾーニ神父)、オルネッラ・ムーティ(メルセデス)、ジャン・ロシュフォール(モルセール伯)、ピエール・アルディッティ(ヴィルフォール検事)、ミシェル・オーモン(ダングラール)、スタニスラフ・メラール(アルベール)
    内容:
    政治の陰謀に巻き込まれ、監獄島の暗闇に18年閉じ込められた男の復讐を描いたデュマの傑作小説の映画化。
    草舟私見
    あの『三銃士』で有名な、フランスのアレクサンドル・デュマの名作文学の映画化である。フランス革命後の人心の荒廃の中にあって、旧い価値観に生きようとする人々の魂の厚みがよく表わされている。魂の厚みとは、もちろん善悪のことを言っているのではない。憎しみも愛も、また信頼も裏切りも、それらのすべてに現代とは比べものにならぬ「厚み」があるのだ。その厚みが鼻につく場合もあり、また面倒くさい場合もあるのだろう。しかし、その魂の厚みの中に、人間として生まれた本当の営みが隠されている。恋愛を忘れぬ人々の姿が美しく、また哀れを誘うだろう。すべての人が、自分の生まれた境遇に潜む「宿命」の中を生き抜こうとしている。その運命を受け入れる姿勢の中に、私は現代人が失った「誠」を見るのである。みなが正直で、みなが思い出というものを大切にしている。人間が人間的であった時代の物語だ。昔の人たちの率直な人生観がよく分かる作品となっている。魂の厚みを見なければ、現代人から見れば昔の人はすべて「悪人」に近い。
  • 八重の桜〔大河ドラマ〕

    (2013年、NHK) 各話44分・合計2246分/カラー

    演出:
    加藤拓、一木正恵、末永創、清水拓哉、佐々木善春、他/音楽:中島ノブユキ
    出演:
    綾瀬はるか(新島八重)、オダギリジョー(新島襄)、西島秀俊(山本覚馬)、長谷川博己(川崎尚之助)、西田敏行(西郷頼母)、反町隆史(大山巌)、綾野剛(松平容保)
    内容:
    会津藩士の娘として生まれた八重の人生を描く大河ドラマ。戊辰戦争を経て明治になり、教師となった八重は一人の男性と結婚する。二人は固い絆で様々な出来事を乗り超えて行く。
    草舟私見
    新島八重の生涯である。八重は、歴史上、最も魅力ある女性のひとりと言えよう。その生き方は、あくまでも強く、そして柔らかさが輝く。人間のいのちが持つ、生命の弁証法を真に生き切った人物なのだ。古さの中に新しさがあり、厳しさの中に優しさがある。信念と柔軟が同居する大人物であり、その生き方を見ることによって、人間のもつ自由のあり方を考えさせられるのである。八重は、「自己のいのち」というものへの真の信仰を持っていたのだ。それが、「他者のいのち」から与えられるものであることを誰よりも深く知っていた。その信仰の力によって、八重はその運命を思う存分に生き切れたのである。この自己の運命を生き切る真の強さが、現代人から失われた最大のもののひとつなのだ。自己に与えられた生命を信じるからこそ、自己の運命を受け入れることができる。八重の強さの秘密は、そのいのちが持つ「真の自由」にある。真の自由は、人生の目的が自己の卑しい欲望から離れたときに生まれてくるのだ。八重は、その自由を生き切った。これ以上の魅力はない。

    柳生一族の陰謀

    (1978年、東映) 130分/カラー

    監督:
    深作欣二/音楽:津島利章
    出演:
    萬屋錦之介(柳生但馬守)、千葉真一(柳生十兵衛)、三船敏郎(尾張大納言)、松方弘樹(徳川家光)、丹波哲郎(小笠原玄信斉)、成田三樹夫(烏丸少将)、高橋悦史(松平伊豆守)、西郷輝彦(徳川忠長)、夏八木勲(別木庄左衛門)、芦田伸介(土井大炊頭)
    内容:
    徳川三代将軍の座を巡り争う二つの勢力。柳生家は将軍家の剣法指南を望み長男の家光の側に付く。柳生家の暗躍により家光の将軍が決まるが、事態は思わぬ方向へ向かう。
    草舟私見
    何と言っても萬屋錦之介の名演が光り、それ自体が一生涯心に残る名画であると感じている。柳生但馬守に錦之助が扮し、将軍家光に松方弘樹が扮している。この二人の関係がやはり映画の抜群の魅力である。錦之助の演技は本作品において神の域に達している。家光が相克な身内の争いに疲れ果て、但馬守に一体将軍とは何なのかと質問するときの但馬守の答えが一生忘れられぬ。将軍とは源氏の棟梁であり、それは武士の棟梁、つまり日本の総領である。そして自らの行く手で仏に会えば仏を斬り、祖に会えば祖を斬る。これが将軍である。これを言下に但馬守が断言する。いやあすばらしい。涙の歴史を生きる日本の本質です。武士です。日本人として日本に生まれたことを、本当に有難く思った思い出がある。この歴史に参画できる喜びは両親に対する感謝を生み出しました。武士道つまり涙が底流に流れる日本を愛することが、我が使命となることを助長した一作である。なお本作品に登場する十兵衛は現代人(いい人さん)の創作であるから問題にすることはありません。

    破れ傘刀舟・悪人狩り〔テレビシリーズ〕

    (1974~77年、三船プロ=東映) 各47分/カラー

    監督:
    村山三男、他/音楽:木下忠司
    出演:
    萬屋錦之介(叶刀舟)、桂小金治(仏の半兵衛)、江波杏子(稲妻のお蘭)、織田あきら(伊庭弥九郎)、ジャネット八田(むっつりお竜)
    内容:
    町医者にして剣の達人である叶刀舟を主人公とした時代劇シリーズ。人情に篤いが悪に対しては容赦のない怒りで斬り伏せる痛快な魅力で、一世を風靡した。
    草舟私見
    ずばり、萬屋錦之介のカッコ良さを十二分に味わう作品である。弱きを助け強きを挫く人情の原点を扱った作品である。この作品には理屈はいらぬ。医者であり剣豪である刀舟先生が理不尽に怒り、悪い奴はどんどんたたき斬るところに最大の魅力がある。仏の半兵衛が棺桶を引っぱってその後をついて歩くのが全く気分爽快である。優しくなければ強くはなれない。強く無ければ優しさは断行できない。そのことが骨の髄から心に沁み入る作品である。それにしても錦之介は本当にカッコ良い。「手前ら人間じゃねえ! たたき斬ってやる!」という毎回の台詞は本当にしびれます。理屈を越えた心の原点を深める作品と認識する。凄い刀を差してますね。刀が歩いている刀舟の姿は全くスマートです。きさくです。武士ですね。紳士ですね。頭が良いけど乱暴ですね。哲学を感じます。じわじわと怒りがこみ上げるあの顔!何というカッコ良さか。敬服します。こういう心意気は大切にしたいです。

    敗れざるもの

    (1964年、日活) 95分/カラー

    監督:
    松尾昭典/原作:石原慎太郎/音楽:黛敏郎
    出演:
    石原裕次郎(橋本鉄哉)、小倉一郎(高村俊夫)、十朱幸代(高村浩子)、大坂志郎(木崎医師)、三宅邦子(高村和子)、宇佐美淳也(高村圭吾)
    内容:
    富豪のお抱え運転手と脳腫瘍におかされた雇い主の長男。その二人の心の交流を描いた石原慎太郎の小説『小さき闘い』の映画化。
    草舟私見
    人にとって一番大切なものはその敗れざるものである。敗れざるものとは人が生きる誠、つまり生きんとする夢そして希望。最後までそれを大切にする勇気とその尊厳を深く感じる名画と感じている。石原裕次郎の迫真の名演技が命の意味を問いかける。裕次郎自身が業病と闘い続けて生きた人であるだけに深く私の心を打つ。この作品ができる少し前(私が小五と記憶する)に、裕次郎が白血病の少女を元気づけその死に至るまで少女と共に生きた記録である「永遠に愛し」という書物を読んで感動した後に観ただけに、心に強く刻まれる作品となった。私の世代は裕次郎によって育った世代である。裕次郎から受けた感化は測り知れない。病と闘い続けた彼の命の尊厳に対する態度は、業病と闘い続けていた私に深い感化をおよぼしているのである。この少年の闘病と死にあたって裕次郎が「あなたは立派であった」と言っている場面は忘れられぬ。私も一人でもよいから、そう言ってくれる人を持つ人生を送りたいものだと尽々と思う。裕次郎最高の名作の一つと感じる。黛敏郎の単純であっても深遠な音楽も忘れ難い印象を残している。

    山口組三代目

    (1973年、東映) 102分/カラー

    監督:
    山下耕作/原作:田岡一雄/音楽:木下忠司                   
    出演:
    高倉健(田岡一雄)、丹波哲郎(山口登)、松尾嘉代(深山ふみ子)、菅原文太(大長八郎)、田中邦衛(トヨ)、内田朝雄(神田義太郎)、嵐寛寿郎(いろは幸太郎)
    内容:
    広域暴力団山口組三代目組長・田岡一雄の自伝の映画化。幼くして両親を失った田岡は、貧しい生活の中で山口組に拾われた。その恩義に報いるため、田岡は組織に人生を捧げて行く。
    草舟私見
    任侠映画の中の秀眉の一作と感じている。有名な山口組三代目組長、田岡一雄の前半生を描いた作品である。人間とは運命や環境により雑多な職業に生きるものである。その天職の中には当然社会的に非常に印象の悪いものもある。ただ一つ言えることは運不運や環境により裏道を生きる人間でも、一廉の人物となり人望を得た人間はやはり凄い人間であり、面白い人間であるということである。一頭地を抜く人物は魂の部分で共通しているものがある。その共通部分の多くは人間の根本である「情」に関することである。つまり愛情や友情や信義であり、恩と義理そして勇気の部分である。人間に種々の生活と職業の違いを付けるものはその「情」以外の全ての部分である。この「情」というものが人間の社会でいかに重要なものかが尽々とわかる映画である。「情」の質と量があらゆる人間集団の中での「人物」を決定していくのだと感ぜられる。田岡一雄の「情」の質と量は、あらゆる世界の人間の心を感動させるだけの質と量とが確かにあるのだ。

    三代目襲名 (「山口組三代目」続編)

    (1974年、東映) 96分/カラー

    監督:
    小沢茂弘/原作:田岡一雄/音楽:木下忠司                   
    出演:
    高倉健(田岡一雄)、松尾嘉代(ふみ子)、渡瀬恒彦(地道)、田中邦衛(金)
    内容:
    田岡が刑務所を出所すると、世の中は戦争に突入していた。敗戦後の混乱の中で田岡は様々な問題を解決し三代目を襲名。やがて港湾事業に参入し、山口組は急激に拡大していく。
    草舟私見
    終戦後の混乱期における田岡一雄の生き方が尽きせぬ共感を呼ぶ作品である。極道の世界で戦後、山口組がその頂点を極めた原因が本質的にわかる映画である。田岡の生き方はその情感の部分において私の深い共感を喚起する。私の若き日の情熱を見る思いがする。正直であろうとする人間が何事かを成さねばならぬ場合、必ず通らなければならない一つの道を感じるのである。我々の生きる社会は当然極道の世界とは異質であるが、その人間としての根本の「情」においては何も変わるものはない。それどころか極道の方が「情」の噴出においてはより単純で正直なのであろう。私などは環境に恵まれて普通の社会人になることができたが、この三代目の情感と全く同じ情感を有し、それは今日も変わらない。やはりこの田岡一雄は一頭地を抜く傑物であると感じる。その傑物たる理由(いわれ)である、基の燃え滾る情感を捉えることが本作品の真の面白さであると感じる。

    山下少年物語

    (1985年、キネマ東京=ザ・ワールド企画、他) 101分/カラー

    監督:
    松林宗恵/音楽:森岡賢一郎/受賞:文部省選定                   
    出演:
    若山富三郎(山下泰蔵)、穴見潤也/松岡克洋/右田賢一(山下泰裕)、渡辺篤史(泰裕の父)、島かおり(泰裕の母)、財津一郎(藤壺先生)、誠直也(白石先生)、山村聰(東海大学総長)、水前寺清子(山本先生)、山下泰裕(東海大学教員)
    内容:
    日本が世界に誇る大柔道家 山下泰裕。その出生から青春時代までを映画化。祖父と両親、また周囲の人間たちの愛情に包まれ、山下少年は大きく成長していく。
    草舟私見
    あの偉大な柔道の山下泰裕の前半生を、人間関係を軸として活写した名画である。この天才にしてなんと多くの人たちの愛情と教育が必要であったかに驚かされる。我々凡夫には冷や汗が出る作品である。山下を支えているものが愛と恩であることがよくわかる。祖父の泰蔵が良いですね。両親も立派な人だがやはりこの無鉄砲で目茶苦茶の祖父が良い。山下の闘魂はこの祖父の血である。そして山下のあの謙虚な生活姿勢は両親の血であろう。世界の山下は、やはり本当の愛情が生み出したのだと尽々とわかる作品である。秀れた人間には当然ある欠点である頑固さを、山下が恩によって乗り越えていく過程が見ごたえがあります。それにしてもこの祖父、良いですね。私は山下よりもはっきり言ってこの祖父の方が好きですね。偉大だと思いますね。

    山猫 THE LEOPARD

    (1963年、伊) 162分/カラー

    監督:
    ルキノ・ヴィスコンティ/原作:ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ/音楽:ニーノ・ロータ/受賞:カンヌ映画祭 グランプリ
    出演:
    バート・ランカスター(サリーナ公爵)、アラン・ドロン(タンクレディ)、クラウディア・カルディナーレ(アンジェリカ)
    内容:
    1860年代のイタリア。300年間シチリア一帯に権力を誇っていた公爵家も、イタリア統一戦争がはじまり、新しい時代が拓かれていく中で静かな終焉を迎える。
    草舟私見
    誇り高きシチリア貴族・サリーナ公爵の一貫性ある生き方が忘れ得ぬ魅力を私に与える。公爵に扮するB・ランカスターの、筆舌には尽くせぬカッコ良さが凄い映画である。一貫性を貫くためには人生に軸があって、その軸以外の枝葉の部分は却って妥協していく度量のある生き方が魅力的である。誇り高き者は、真の幸福感があるから現状維持を望むのである。そして現状維持を保つためには変化しなければならないという公爵の人生哲理に私は惚れた。こういう土台のしっかりした男には本当に私は弱いです。この公爵のカッコ良さの本質は、自らの血と伝統に支えられたその生き方にある。だから時代がどう変わろうと、何も変化はしないと言い切れるのだ。変化せぬものこそ公爵を生かしめているその誠なのである。公爵が議員を断るとき、「シチリア人は向上を望んでいない。彼らは誇りを捨てるより貧しさを選びます」という言葉は忘れられない。発展とか向上とか豊かさ等というものは、元々誇りのない者が望むものなのである。

    山の郵便配達 那山 那人 那狗

    (1999年、中国) 93分/カラー

    監督:
    フォ・ジェンチィ/原作:ポン・ヂェンミン/音楽:ワオ・ジャオフォン
    出演:
    トン・ルゥジュン(父親)、リィウ・イェ(息子)、ジャオ・シィウリ(母親)
    内容:
    1980年代の中国湖南省の山岳地帯。この厳しい環境で長年郵便配達員を勤めて来た男がいた。男は跡を継ぐ息子と共に、二泊三日の郵便配達の最後の旅に出る。
    草舟私見
    何とも涙なくしては観れぬ名画である。中国映画ではあるが、何か日本の旧い郵便屋さんと仕事人間の姿を彷彿とさせるものがあって、何とも私にとって懐かしい映画である。私が子供の頃(1950年代)の日本では、郵便屋さんは全部このような情報伝達者であり、相談相手であり、また友人であったのだ。私の近所はいつも副島さんというおじさんが回っていて、私も随分とかわいがってもらったものである。本作品の父はその副島さんと全く同じである。黙々と働き黙々と社会を支えているのだ。こういう人が、私は肌で感じた実感として一番貴く一番偉い人なのだと思う。息子はまじめな親を持った人が若き日に常にそうであるように、少し反抗的ではあるが、必ず立派な人物になる。自分が体験したとき、父親の偉大さがわかるのである。偉い人または一念を貫いた人というのは表面的には損をしたような印象があるのだ。だから子から見ると何かもどかしいのである。ただ子が大人になれば必ずわかるのである。郵便物を命より大切に考えるこの父を私はこの世で最も尊敬する。風で飛ぶ郵便物を追う父と犬の場面は涙が流れる。
  • 勇気ある追跡 TRUE GRIT

    (1969年、米) 128分/カラー

    監督:
    ヘンリー・ハサウェイ/原作:チャールズ・ポーティス/音楽:エルマー・バーンスタイン/受賞:アカデミー賞 主演男優賞
    出演:
    ジョン・ウェイン(ルースター・コグバーン)、キム・ダービー(マティ・ロス)、グレン・キャンベル(テキサスレンジャー=ラ・ビーフ)
    内容:
    父親を悪党に殺された娘。犯人を追うために、娘は名物保安官に同行を依頼したが、保安官はいつも酔いどれている。ジョン・ウェインが主人公に惚れ込んだ西部劇の傑作。
    草舟私見
    保安官ルースター・コグバーンと少女マティ・ロスそれにテキサスレンジャーの三人を中心として織り成される、西部の人情と生活が本作品の見どころである。いつもながら生きることに真剣であり、人生を楽しんでいる開拓期アメリカの人々の人生は、心に沁み入る魅力を感じる。荒っぽいが面白い。真面目だが間抜けで、人生の厳しさを肌で知るがゆえに家族愛や友情にことのほか厚い。西部においては善人も悪人も正直なのですね。嘘つきまでが正直なところがすばらしいところだ。コグバーンもマティも、現代人が喪ってしまった大切なものを沢山持っているのだ。このような良い西部劇は本当に心が洗われ心が豊かになります。

    オレゴン魂 (「勇気ある追跡」続編) ROOSTER COGBURN

    (1975年、米) 107分/カラー

    監督:
    スチュアート・ミラー/音楽:ローレンス・ローゼンタールスタイン/受賞:アカデミー賞 主演男優賞
    出演:
    ジョン・ウェイン(ルースター・コグバーン)、キャサリン・ヘプバーン(ユーラ・グットナイト)、リチャード・ジョーダン(ホーク)、アンソニー・ゼルブ(ブリード)
    内容:
    豪快なことで知られる名物保安官が、悪党一味を追う旅に出た。途中で無理矢理同行した、肉親を悪党一味に殺された牧師の娘とインディアンの少年と共に、強大な犯人一味を追い詰めていく。
    草舟私見
    美しい自然を背景にした、実に美しい人間の出会いと絆を描いた名作である。「アフリカの女王」と並んで、キャサリン・ヘプバーンの魅力が心に沁みる。実に高貴で美しい女性である。西部の名物保安官ルースター・コグバーンを演じるジョン・ウェインとの会話がこの作品の魅力である。それぞれに個性は違うが、真正直に生きる開拓期のアメリカの良心を感じる。正直な人々はどんな失敗をしでかしても実にスマートである。気持ちの良い作品だ。ウルフが旅の途中保安官になりたがる場面があるが、やはり真の生き方だけが他者に本当の感化を与えるのだとわかる。また劇中ユーラが引用したフーバーの詩「夢で人生は美だった。目覚めると人生は義務だった」という言葉は一生忘れられない言葉となった。

    憂國

    (1966年、三島由紀夫) 28分/白黒

    監督・原作:
    三島由紀夫
    出演:
    三島由紀夫(武山中尉)、鶴岡淑子(妻・麗子)
    内容:
    三島由紀夫が自身の小説を映像化した作品。三島の自決後、家族によって封印されていたこの映像が40年の歳月を経て公開された。二・二六事件の青年将校夫妻の最後を無言劇で描いていく。
    草舟私見
    三島由紀夫における「祭儀」の思想をあますところなく伝える秀れた映像であると考える。 あたかも神々に捧げられた、あのギリシャ悲劇のごとく荘重な祝祭劇である。日常性の中に神を呼び込むこと。そのために必要なものは、至誠、友情、愛情、そして正直。これらの事柄が神と伴に存在するとき、そこに真の忠義が生まれ、真の慈愛が生ずるのである。無駄なものを一切排除した映像の中に、ただ「至誠」と「神」、そして「光と闇」のみが存在している。まさに生贄の祭壇、祝祭の舞台である。この作品には生身の人間はいない。三島の考える「人間の霊魂」だけが登場し演技しているのである。軍帽と軍服が演じている。剣が、そして清楚なる衣裳が演じているのだ。男女では無い「裸体」が演技をしているのである。これら全ての魂が人間の尊厳と涙とを表現しているのである。人生を祭儀とするとき、人は本当の人生を生き、そして永遠の生(いのち)を持つことができるのではないか。本当の人生とは実に正直で簡素なものである。ワーグナーのリーベストートの曲が去来する中、私はそう感じたのである。

    U-571 U-571

    (2000年、米) 116分/カラー

    監督:
    ジョナサン・モストウ/音楽:リチャード・マーヴィン
    出演:
    マシュー・マコノヒー(タイラー大尉)、ビル・パクストン(ダルグレン大佐)、ハーヴェイ・カイテル(クロフ軍曹)、ジョン・ボン・ジョヴィ(エメット大尉)
    内容:
    第二次世界大戦でナチス・ドイツが開発した暗号機エニグマ。解読不能と言われたエニグマを手に入れるべく、米軍は極秘指令を発動した。男たちが命をかけて任務を遂行していく。
    草舟私見
    いやはや、無条件に血湧き肉躍る名画です。指揮官というもののあり方を問うのがこの作品の背骨です。まずダルグレン艦長ね。これは真の指揮官です。私は惚れますね。人に媚びることが無く、自己の役割を熟知しています。そして職務に対するその献身と犠牲的精神。決断の涙を真に知る人です。また主人公がその役割を身をもって知っていく過程が醍醐味ですよ。真の指揮官に成長していく姿が爽やかです。この人はひねくれて見えるところもあるが、根がすごく素直で実直な人です。これにハーヴェイ・カイテル演じるクロフ軍曹ね。これがいいです。こういう人が尊いのです。国家や会社や軍隊を真に支える人はこういう人なんですよ。いつでも一歩引いているが仕事と役割に精通している。男です。最近はこの手の人は本当に少なくなりました。指揮官の孤独を知り抜いて本当の優しさでそれを助けます。指揮官とは絶えず二者択一をせまられ、決断によって生じた結果に悩み、そして受け入れ、全責任をもって前進しなければならないのだ。涙と勇気が指揮官の資質と感じる。

    夕陽のガンマン FOR A FEW DOLLARS MORE

    (1965年、伊=スペイン) 127分/カラー

    監督・原作:セルジオ・レオーネ/音楽:エンニオ・モリコーネ
    出演:
    クリント・イーストウッド(“名なし”)、リー・ヴァン・クリーフ(モーティマー大佐)、ジャン・マリオ・ヴォロンテ(インディオ)
    内容:
    西部のあちこちで賞金首を捕える男。ニューメキシコで大物賞金首の一味を狙う男の戦いを描く、マカロニ・ウェスタンの傑作。
    草舟私見
    賞金稼ぎという制度は実に良いですね。こういう正直な制度がある時代というのは、文句無しに私は好きですよ。何でも公共のためとか言ってどんどん税金を取る管理社会と違って、悪い奴だけを始末するためだけに金を使い、それもその悪い奴を捕まえるか殺すかした人間に支払われるのですから最も理に叶っています。悪い奴はそれより強い人間がどんどん殺すこの西部開拓時代は、見ていて正直に心がすーっとしますね。勧善懲悪の単純な社会が、人間が最も人間らしく生きられる時代なのです。イーストウッドはあい変わらずカッコ良いですわ。あの葉巻は私も若い頃真似をして随分と恥を搔きました。ああは行かないものです。イーストウッドが演じる孤独なガンマンは真の孤独について考えさせられますね。真に孤独に生きることができる人間というのは、信義に篤く友情に深く要するに人間味があるのです。人間的な情感があって初めて孤独になれるのだと尽々とわかります。真の孤独こそ人生にとって最も大切な概念であり、それはまた深い人間味によって初めて到達可能なものなのです。

    U・ボート DAS BOOT

    (1981年、西独) 135分/カラー

    監督:
    ヴォルフガング・ペーターセン/原作:ロタール・ギュンター・ブーフハイム/音楽:クラウス・ドルディンガー
    出演:
    ユルゲン・プロポノフ(艦長)、ヘルベルト・グレーネマイヤー(ヴェルナー)、クラウス・ヴェンネマン(機関長)、オットー・ザンダー(トムゼン)
    内容:
    連合軍が大西洋上で最も恐れたナチス・ドイツの潜水艦Uボート。海の狼と呼ばれ、艦船を次々と屠っていった。若き乗組員たちが指令を受け出航する。長く厳しい航海が始まった。
    草舟私見
    全く名画中の名画です。戦う男たちの真実の魂が描かれています。戦うことを欲し、戦うことに生き、戦うことに死ぬ真の人間の燃焼というものを感じる。人間の持つ高貴さを感じる。人の子である限り弱さは誰でもあるのです。しかし弱くても何でも良い。戦い続ければ高貴なのです。強い者と弱い者が力を合わせて戦い生きようとする姿は、人生の真の燃焼なのであると感じる。強い者だけでは人生ではない。弱い者だけでも人生ではない。両者がぶつかり合い励まし合い力を合わせて目的に向かっていく姿こそ、人間の最も高貴な生き方であると感じる。恐怖に戦き、すぐ後で何と楽しそうなことか。人生は良い。みんなで歌っている軍歌の夢と希望のあること。真の恐怖を知った者たちの真の愉快なのでしょうね。ここに登場する人物たちはみんな私の魂の友である。この人たちは私の聖地なのである。艦長も当然良いが機関長も良いですね。本当に男です。幽霊のヨハンすら私は好きですよ。それにトムゼンね。実にカッコ良いですね。友を見送る目な差しが何とも言えぬ魅力です。戦う男たちの姿はやはり人生の幸福論の中枢です。最後には確かに涙を流しますね。しかし、この者たちは一緒に死ぬことが一番良いのです。私は最も幸福な人生を送った者たちだと思いますね。力一杯生きて大義と友情の中に死す人生こそ最高であると感じます。音楽もこの作品を一生忘れられぬものとするに大いに貢献していると感じる。

    夢を生きた男 —ザ・ベーブ— THE BABE

    (1991年、米) 115分/カラー

    監督:
    アーサー・ヒラー/音楽:エルマー・バーンスタイン
    出演:
    ジョン・グッドマン(ベーブ・ルース)、ケリー・マクギリス(クレア)、トリーニ・アルバラード(ヘレン)、ジェームズ・クロムウェル(マサイアス神父)
    内容:
    伝説の大リーガー、ベーブ・ルース。ホームラン王としてヤンキースの黄金時代を築いたベーブの波瀾に満ちた生涯を描いた伝記映画。
    草舟私見
    大衆スポーツの代表としての野球において世界で初めてスーパー・スターとなったアメリカの伝説的ホームラン王であるベーブ・ルースの人生の映画化である。何と言ってもベーブは破天荒ですね。目茶苦茶で大変よろしい。このような男は本当に地上からいなくなりました。ガッツがあって欲望もまる出しであるが、茶目っ気があって純朴ですよね。どうしようもない馬鹿に見えるがやるときはやる。走るのが遅いから面倒くさくてホームランを打つ。打てば金持ちになれるからどんどん打つ。実に気持ちが良い男です。この童心がアメリカの一番良い部分だと感じます。最近はかなりアメリカ人もこういう面白い男はいなくなりました。そして何よりも世界初のホームランヒーローであることが重要です。初めてのことのその偉大さは、本当には初めてのことを成し遂げた人物にしかわからないのです。彼は破天荒ではあるが恩というものを深く知っていた人間であると私は感じます。私はベーブ・ルースが大好きです。またベーブという男を心底尊敬しているのです。

    許されざる者 UNFORGIVEN

    (1992年、米) 131分/カラー

    監督:
    クリント・イーストウッド/音楽:レニー・ニーハウス/受賞:アカデミー賞 作品賞・監督賞・助演男優賞・編集賞
    出演:
    クリント・イーストウッド(ウィリアム・マニー=ウィル)、ジーン・ハックマン(リトル・ビル・ダゲット)、モーガン・フリーマン(ネッド・ローガン)
    内容:
    結婚を機に悪党稼業から足を洗い農夫となった男。妻が死に幼い子供たちを育てるため、男は再び銃を手にした。体の衰えを乗り超え、男は賞金首に挑んでいく。
    草舟私見
    許されざる者とは、本当の生き方を生き切った人物に与えられる尊称である。許される者はカッコ良くないです。人殺しが良いか悪いかとかいう議論をすると全てわからなくなります。前半のC・イーストウッドは全く情ないですよね。それがやはり本音というものです。それがどうですか、最後に向かってのカッコ良さは。友情のために怒り狂いますね。ここからが誰が見ていてもカッコ良いですよ、何と言っても。理屈でない男の世界が始まるのです。友人の死体を店先に飾っただけでそこの店主はぶっ殺されますね。そして「俺の友人の死体を飾り物にするなら、それなりの覚悟はあるんだろう」と言います。こういう友情っていうのは私は大好きですね。魂が震撼します。善悪とか理屈から離れた男
    のけじめの
    世界が現出しているのです。このような事柄に対して、心底からカッコ良いと思う気持ちってもの凄く大切なことだと私は思います。けじめを重んじる生き方をするなら、人間は自分が許されざる者になる覚悟を決めなければならんと感じます。
  • ヨーク軍曹 SERGEANT YORK

    (1941年、米) 129分/白黒

    監督:
    ハワード・ホークス/音楽:マックス・スタイナー/受賞:アカデミー賞 主演男優賞・編集賞
    出演:
    ゲーリー・クーパー(ヨーク軍曹)、ウォルター・ブレナン(パイル牧師)、ジョーン・レスリー(グレーシー)、マーガレット・ウィチャリー(ヨークの母)
    内容:
    第一次世界大戦中に実在したアメリカ兵の伝記映画。銃の腕前は一流でも、信仰により人を殺せない男。しかし激戦で戦友たちが次々と死んで行く中、男は銃を手に大活躍をする。
    草舟私見
    心が洗われる名作である。現代では見失われている、地に足元が付いている真の人間の生き方を感じられる。大言壮語の反対であるが、やるべきことをやるべきときにやる人間味溢れる人物であり、真に共感を持ち得る。実力があるが欲が無い。だから豊かな心を持ち続けられる人物である。ヨーク軍曹は元々射撃の名手であることが重要である。元々凄い実力の持ち主なのである。ただしあまり自分では認識していない。そして第一次大戦で悩みながらも英雄となった。英雄になりたかった人物ではないから奢りは微塵も無い。英雄となった元は友情である。ヨーク軍曹は幸運によって英雄になったのではなく、元々の実力が歴史の機会によって、たまたま結果論としてそうなったことをわかることが重要と思われる。凱旋をして何でも思いが叶う条件下で、地下鉄に乗ってみたいと言うところは感動しますね。自省させられます。彼は真から良い人です。幸福になるために生まれてきた人物とは、かくの如き人物であると尽々とわからせられる作品である。真に感動する名作です。

    夜ごとの夢 LA DOMENICA SPECIALMENTE

    (1991年、伊=仏=ベルギー) 89分/カラー

    監督:
    ジュゼッペ・トルナトーレ(第1話)ジュゼッペ・ベルトルッチ(第2話、プロローグ、エピローグ)、マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ(第3話)/原作:トニーノ・グエッラ/音楽:エンニオ・モリコーネ
    出演:
    フィリップ・ノワレ(アムレート:第1話)、ブルーノ・ガンツ(ヴィットリオ:第2話)、オルネッラ・ムーティ(アンナ:第2話)、マリア・マッダレーナ・フェリーニ(カテリーナ:第3話)、キアラ・カゼッリ(嫁:第3話)
    内容:
    イタリアの文学者トニーノ・グエッラの短編小説を、イタリア映画界の若手監督三人により映画化したオムニバス形式の作品集。
    草舟私見
    三話からなるオムニバス映画であり、人間の持つ複雑な愛情の形態を様々に描く作品である。特に私が好きな作品は第一話のフィリップ・ノワレが主演を演じる作品であり、これは名画中の名画と感じている。ノワレもいいが犬もまた良い。両者とも一体化している。F・ノワレっていうのはそれにしても良い男です。内容は好きと嫌いが紙一重である人間の複雑な心を表わします。人生はこれでいいんですよ。好きになったり嫌いになったり、だから人生は面白いんですよ。この気持ちって良くわかります。私もそうですから。ただこの作品の重要なところは好きと嫌いを揺れ動く心の底辺に、両者を繋ぐしっかりとした親和力つまり本当の愛があることなんです。本当の愛とはね、つまり両者に共通する真の「人の良さ」なんです。この物語は生涯忘れることはありません。第二話は自立していない人間同士の愛を描きます。自立していない人は、愛情の根底がないから他人を介入させないと愛が確認できないんです。こういう二人の間の愛が一番他人迷惑です。絶えず他人をからませ悪者にして二人の関係を保っているのです。つまり馬鹿者ですね。第三話は愛しているつもりが、実は自分の「快」に対して貢献した人を愛していると錯覚している姿を表わします。義母を愛していると思っているのは、妻が自分自身の欲望を愛と錯覚しているのです。こういう誤解した愛の姿は自分が「不快」になればすぐに崩れる愛もどきのものです。その崩れゆく姿が夫との関係であり、妻にとって時間の経過と共に夫と義母が入れ換わっていくのです。対象が入れ換わるとき、それは必ず自己の「快」と「不快」なのです。くれぐれも愛と誤解せぬように。全体を締めくくる子供と鳥は、死者が人間の夢を導いていることを表わしています。人生とは信ずれば本当の愛に育まれまた廻り会えることを示し、そして信じることがなければ、人間は一生を愛もどきの快と不快の本能に騙され続けて生きることを示しているのです。すばらしい音楽と共に深く心の中に入り込んでくる名画と感じる。それにしてもトルナトーレの作品である第一話は抜群に良いですね。私はこの一話が抜きん出て好きなんです。  

    義経〔大河ドラマ〕

    (2005年、NHK) 各話44分・合計2209分/カラー

    演出:
    黛りんたろう、木村隆文、他/原作:宮尾登美子/音楽:岩代太郎
    出演:
    滝沢秀明(源義経)、松平健(武蔵坊弁慶)、南原清隆(伊勢三郎)、うじきつよし(駿河次郎)、伊藤淳史(喜三太)、石原さとみ(静)、中井貴一(源頼朝)、渡哲也(平清盛)、財前直見(北条政子)、石原良純(源範頼)、小澤征悦(木曽義仲)、松坂慶子(時子)、高橋英樹(藤原秀衡)、平幹二朗(後白河法皇)、小林稔侍(北条時政)、夏木マリ(丹後局)、宮内敦士(佐藤継信)、阿部寛(平知盛)、海東健(佐藤忠信)
    内容:
    戦の天才であり、兄を手助けするために平家と果敢に戦った源義経。しかしあまりにも強すぎた彼を畏れ、頼朝は義経に警戒心を抱くようになる。今なお多くの人間に慕われる義経の大河ドラマ。
    草舟私見
    義経は、あの偉大な日本武尊と並んで、我が国におけるロマンティシズムというものを支えている双璧である。義経を好きな日本人は古来絶えたことが無い。そして判官贔屓という言葉が義経を好きな人々に与えられる。しかしそれが間違っているのだ。義経は負けたから美しいのでは無いのだ。美しい人間であったから美しいのである。その辺を間違えると日本人が古来陥る誤った「滅びの美学」に通じてしまうのである。美しさの根元とは何であるのか。天を敬い、人を愛するということであろう。そう私は思っている。それを実行するには何が大切なのか。「勇気」である。勇気が無ければ美しく生きることは全くできない。この世とはそういうところなのだ。勇気の根元は何か。己の裡深く沈潜する先祖伝来の己が魂である。その魂に詩の心を与えること。魂の食物は詩なのである。詩とは、過去に美しく生きた人々のその生き様と死に様に共感し感動することなのである。そうすれば魂から勇気が湧き出づるのである。その魂に詩を与えてくれる人物の代表が源義経なのである。義経は詩なのである。だから永遠に生きているのである。

    4人目の賢者 THE FOURTH WISE MAN

    (1987年、米) 72分/カラー

    監督:
    マイケル・レイ・ローデス/原作:ヘンリー・ヴァン・ダイク/音楽:ブルース・ランコルネ、クリス・ストーン
    出演:
    マーチン・シーン(アルタバン)、アラン・アーキン(オロンテス)、アイリーン・ブレンナン(ユディト)、ラルフ・ベラミイ(パスール)
    内容:
    救世主誕生の預言により訪れた3人の賢者。しかし知られてはいない、4人目の賢者を描いた物語。救世主の誕生を祝い、全財産を捧げようとした男の生涯が描かれる。
    草舟私見
    キリスト教の愛というものの本質を描き出した名画と感じる。その愛はまた我々が生きる上で、一番重要な生き甲斐であり人生観の基盤である。愛情、友情、信頼、献身なくして我々の真の人生などは無いのである。そしてそれは真実を知ることでも真実を語ることでも無く、実は人間としての真心を生きることなのであると尽々とわかる映画である。誠の心を持って日々の生活に心根を打ち込むことこそ愛の本質なのである。志は完遂されないのが良いのだ。目的は達成されないのが良いのだ。人生は未完成であることに価値があるのだ。高い志を持って、未完成のまま野垂れ死にするのが良いのだ。本当の真実の人生が私にも可能なのだと感ぜられる映画である。真心を持って誠の道を生きれば良いのだ。私はこの映画を観てそう感じた。        

    喜びも悲しみも幾歳月

    (1957年、松竹) 160分/カラー

    監督・原作:
    木下惠介/音楽:木下忠司
    出演:
    佐田啓二(有沢四郎)、高峰秀子(有沢きよ子)、田村高廣(野津)、有沢正子(長女・雪野)、中村賀津雄(長男・光太郎)、小林十九二(手塚台長)、北竜二(大場台帳)
    内容:
    風雪に耐え、全国の過酷な海岸線で灯台の光を誇りをもって守り続ける夫婦。その25年の喜びと悲しみに満ちた歳月が、激動の昭和史と共に描かれていく。
    草舟私見
    木下惠介の名作であり、何度観ても新たなる感動を呼ぶ作品である。木下惠介のために兄弟の絆により作曲をした木下忠司の主題歌も共にいつまでも心に残る名曲であり、この歌と共に各シーンは強く魂に焼きついている。この灯台守の物語は職業というものの原点であり、また人間の生きる道の原点でもあると感じている。仕事観、夫婦観、家族観の原点でもあり、一生涯を通しての仲間との地道な友情に情感の本質を強く感じさせてくれる。いい人間のいい人生だけが人生の価値なのだと尽々とわかる名画である。重要だが目立たない職業こそが人間を磨き、真に意義深き人生を創るのだと感じる。本当の愛とは日常性を持続するものだと思う。旅立つ者を見送る灯火と霧笛は愛情の真の本質と私は思う。佐田啓二の名演も良いが、やはり高峰秀子がすばらしいですね。いやあデコちゃんは本当に綺麗です。役柄とぴったりでその魅力は高貴で崇高です。

    新・喜びも悲しみも幾歳月

    (1986年、松竹=東京放送=博報堂) 130分/カラー

    監督・原作:
    木下惠介/音楽:木下忠司
    出演:
    加藤剛(杉本芳明)、大原麗子(杉本朝子)、植木等(杉本邦夫)、中井貴一(大門敬二郎)、紺野美沙子(長尾由起子)、田中健(長尾猛)
    内容:
    前作から30年。灯台で働く人びとの生活も変わり、木下恵介監督は新たな灯台守の映画を作ろうと考えた。現代社会の様々な問題を乗り越え、美しい灯台守の家族が描かれる。
    草舟私見
    灯台守の生き方を通して人生の本質を描いた前作から30年を経て、同じ木下惠介が現代の諸相を取り込んで描いた、旧作に勝るとも劣らない名画であると感じる。いい夫婦ですね。いい家族ですね。植木等演じる親父もいい親父ですね。いい人生を見ることはこの世で一番嬉しくて幸福なことだと感じます。いい家族はね、いい仕事を中心に据えることでなり立つんですね。そのことが本当によくわかる作品です。いい夫婦はね、いい仲間を周りに沢山持って初めてなり立つんですね。いい家族を創ることはいい仕事をして、仲間と友情を創ることと同じなのです。そのことが骨身に沁みてわかる名画と感じている。身内を大切にすることが他人を大切にすることであり、またその逆も真なりということです。ラストにおいて航海に出発する息子を送る夫婦のあり方は忘れられません。最後が近づくにつれ涙がとめどなく流れる真に魂に触れる名画と感じる。
  • 雷撃隊出動

    (1944年、東宝) 95分/白黒

    監督:
    山本嘉次郎/特撮監督:円谷英二/音楽:鈴木靜一
    出演:
    藤田進(三上隊長)、森雅之(川上航空参謀)、河野秋武(村上隊長)、三島雅夫(主計長)、月田一郎(安田分隊長)、灰田勝彦(分隊長)、東山千栄子(店のおばさん)、大河内傳次郎(佐藤司令官)
    内容:
    昭和19年公開の戦争映画。新型の航空機、新造艦を繰り出して来る米軍により、日本軍は制海権と制空権を失いつつあった。しかし果敢に雷撃隊は魚雷を抱え敵艦へ挑んでいく。
    草舟私見
    戦時中の映画であり、昔の映画独特の単刀直入さで気持ちの好い作品である。三上、川上、村上といい三上(さんかみ)と呼ばれた士官の生き様を表現する。この三人は海軍において雷撃の神様と呼ばれた人物たちである。雷撃精神を謳い上げている。最高ですね雷撃精神は。それについてこう語られている。雷撃とは体当たりのことである。つまり雷撃とは死ぬことである。また正確に敵艦に魚雷をぶち込む雷撃は、己の体を敵艦に己もろともぶつけることであると言っている。忘れられませんね、これらの言葉は。何ごとかをやり遂げる根本です。敵艦の対空砲火に向かって突進する雷撃は私をしてその血を滾らせるものである。九七式艦攻の雷撃も良いが、最後の場面の一式陸攻による雷撃もカッコ良いです。忘れ得ぬシーンです。

    ラジオと呼ばれた男 (別題:僕はラジオ) RADIO

    (2003年、米) 109分/カラー

    監督:
    マイク・トーリン/音楽:ジェームズ・ホーナー
    出演:
    キューバ・グッディングJr.(ラジオ)、エド・ハリス(ジョーンズ)、デブラ・ウィンガー(リンダ)、サラ・ドリュー(メアリ)
    内容:
    知的障害を持つ黒人少年をアメフトチームのコーチが雑用係として雇った。少年に対する差別や偏見を斥け、コーチがチームの一員として守る姿を描く実話。
    草舟私見
    真に心温まる名画である。真の善意とは何か。真の勇気とは何か、真の人生とは何かを深く考えさせられる作品である。本当の善意とは、それをためす人間にとって何の得も無いものなのだ。それどころか、自分自身にもあらゆる危険と侮蔑と中傷をもたらすものなのである。だから真の善意とは真の勇気を有する者にしかできない事柄なのである。そこに崇高な価値があるのだ。他人から褒められるような現代流の安っぽい善意などというものが、いかにまやかしであり偽善であるのかがよくわかる作品である。他人が一目見てわかるような善意もどきの行為は、実は自分自身のためだけに行なっている偽善的又は自己礼賛的行為なのである。そのような行為は、やればやるだけ、その分量に従って卑しい自分を創り上げていくだけなのである。真の善意は人間にとって最も尊い行為である。その行為は真の勇気を必要とするのだ。そしてその行為は、その対象の他者に対して真の幸福をもたらすものなのだ。相手に生の本源を与えるものなのだ。古人はそれを「仁」と呼んだ。そして古人は己の評価を低くし殺さなければ、仁をためすことはできないと言ったのである。   

    ラスト・オブ・モヒカン THE LAST OF THE MOHICANS

    (1992年、米) 112分/カラー

    監督:
    マイケル・マン/原作:ジェームズ・フェニモア・クーパー/音楽:トレヴァー・ジョーンズ、ランディ・エデルマン/受賞:アカデミー賞 音響賞
    出演:
    ダニエル・デイ・ルイス(ホークアイ)、ラッセル・ミーンズ(チンガチェック)、エリック・シュウェイグ(ウンカス)、ウェス・ステューディ(マグワ)
    内容:
    18世紀半ばのアメリカ大陸。モヒカン族は植民地戦争を経て、わずか三人になっていた。引き続く戦乱の中、最愛の息子を失い誇り高く戦う最後のモヒカン族を描く。
    草舟私見
    インディアンに育てられた白人青年ホークアイとその義父および義兄弟との家族愛が心を打つ。義父はモヒカン族最後の生き残りであり、何よりも血の継承を先祖に対する義務として背負っている。それが白人を育て実子と何へだて無く扱う様は私にとって感動的である。血を何よりも重んじその継承に対して本当の愛情と愛着を抱く真の人物、真の男はその愛ゆえに血を乗り越えて人を愛するのだ。この義父の愛と涙を痛感せずにおられない。本当の愛を生むものは悲しみなのだと私には感じられる。いい家族です。やはり本当の家族は血も重要だが魂の絆なのですね。またホークアイも良く家族の愛情にこたえていると感ぜられる。それは彼の持つ勇気でわかる。愛なくして勇気は存在せぬのだ。英国将校のダンカンもずっこけ役だが最後に己の身を犠牲にしている。誇りはやはり真の男を生むのだ。全編を流れ続ける音楽のすばらしさがいやが上にも感動を深めてくれる名画である。    

    ラスト・シューティスト THE SHOOTIST

    (1976年、米) 99分/カラー

    監督:
    ドン・シーゲル/原作:グレンドン・スウォースアウト/音楽:エルマ・バーンスタイン
    出演:
    ジョン・ウェイン(ジョン・バーナード・ブックス)、ジェームズ・スチュアート(ホステトラー医師)、ローレン・バコール(ロジャース夫人)
    内容:
    西部劇の代表的俳優ジョン・ウェインの遺作。末期ガンにおかされた西部の老ガンマンが、人生の締めくくりとして巨大な悪党に戦いを挑んでいく。
    草舟私見
    名優ジョン・ウェイン最後の西部劇ということだけで見るたびに目頭が熱くなるものを感じる。二十世紀初頭の時代に、とり残された老ガンマンに大いなる共感が湧き上がる。男らしい真の男が邪魔者扱いされる、二十世紀の軽薄文明の本質が良く表現されている。二十世紀が真の生き様よりも、小賢しい知恵に支配される世紀であることを感じさせるものがある。それにしても独立自尊で生きる男は本当にカッコ良いですね。ロジャース夫人とその息子の心にこの真の男が生きることになるのです。真の人間の心に触れるとやはりほっとしますね。ロジャース夫人の息子がガンマンの感化で真の男に成長したとき、気丈な母であったロジャース夫人がその後を三歩下がって歩くラストシーンも心に沁みます。やはり真の男は真の女に優しく、真の女は真の男には弱いですね。    

    ラストマン・スタンディング   LAST MAN STANDING

    (1996年、米) 101分/カラー

    監督:
    ウォルター・ヒル/音楽:ライ・クーダー
    出演:
    ブルース・ウィリス(ジョン・スミス)、クリストファー・ウォーケン(ヒッキー)、デビィッド・パトリック・ケリー(ドイル)、ネッド・アイゼンバーグ(ストロッジ)、ウィリアム・サンダーソン(ジョー)、ブルース・ダーン(ピケット隊長)
    内容:
    官憲に追われメキシコへ逃れたガンマン。彼は二つのギャングが支配する町で、お互いをぶつけ合い一儲けしようと企むが、情けでギャングのボスの情婦を助けたことにより窮地に追い込まれる。
    草舟私見
    本作品は黒澤明の「用心棒」の米国リメイク版と言われているが、私は全然そうは思わない。むしろ個性あふれる実にアメリカ的な名画であると感じている。主人公のブルース・ウィリスとクリストファー・ウォーケンの個性の違いと対立が見ごたえがある。自分を悪人と決め一匹狼として強く生きるウィリスであるが、彼には自分でもどうにもならぬ情感と優しさがある。ウォーケンは悪に徹している。どちらが強いかということである。最後にウィリスが勝つのだからウィリスの方が強いのだが、これは必然なのだ。これは作り話ではないのだ。真の強さは情と優しさから生まれるのだ。情が断固たる意志を生み、柔軟に頭を回転させるのだ。優しさだけが本当の強さを支え続けることができるのだ。その辺が見えてくるとこの映画は実に面白く独自なのである。それにしても、とにかく完全な自己責任で一人で生きる男はカッコ良いですね。

    ラ・ファミリア LA FAMIGLIA

    (1987年、伊) 127分/カラー

    監督:
    エットーレ・スコラ/音楽:アルマンド・トロヴァヨーリ
    出演:
    ヴィットリオ・ガスマン(カルロ)、ファニー・アルダン(アドリアナ)、ステファニア・サンドレッリ(ベアトリチェ)、カルロ・ダッボルト(ジュリオ) 
    内容:
    1906年から1987年までのイタリアの大家族を三世代にわたり描いた作品。青春の苦い恋の経験とその後の波乱な日々。しかし家族は時を経ても再び集まり絆は消えない。
    草舟私見
    イタリアの大家族のあり方が、種々の人間模様を踏まえて実に巧みに表現されている名画と感じている。一人の人間の眼を通して、一軒の家の中で繰り広げられる70年以上にわたる時の流れというものの意味が実感的に深く伝わってきて、それが一種の迫力と呼ぶようなものを感じさせる作品である。家族または親族というものが入り乱れて多くの年齢を異にし、性別を異にし、考え方を異にする人間が共に暮らし、その中で人間が育っていくということの意義を革めて考えさせられるのである。ついこの間まで西洋でも日本でも、このような家族のあり方がごく普通であった。その中で多くの人間と接していくことの重要さがわかる。綺麗事がなくみんなが正直であり、その分衝突を繰り返していく。楽しいこともたまにはあるが多くは喧嘩と憎み合いの方が多い。しかしその中に「同じ家族」なのだという共通した「絆」がどこか深いところに存在する。その安心感が個人個人の成長と自立の基盤となっていくことがよくわかる。このような生活というものがやはり本当の善悪を通り越した人間の真の教育というものではないのか。       

    ランスキー  ―アメリカが最も恐れた男— LANSKY

    (1999年、米) 116分/カラー

    監督:
    ジョン・マクノートン/音楽:ジョージ・S・クリントン
    出演:
    リチャード・ドレイファス(マイヤー・ランスキー)、エリック・ロバーツ(ベンジャミン・バグジー・シーゲル)、アンソニー・ラバグリア(ラッキー・ルチアーノ)、イレーナ・ダグラス(アンナ・ランスキー)
    内容:
    1920年代から60年代にかけて、ラッキー・ルチアーノと共にアメリカの暗黒街を支配した伝説のマフィア、マイヤー・ランスキーを描いたギャング映画。
    草舟私見
    一人の男の生涯というものを非常に情感豊かに描いている名作と感じている。ランスキーはアメリカで最も恐れられた「悪人」としての生涯を送った人物である。カポネやルチアーノと並んでギャング映画には必ず登場してくる実存の人物である。裏社会を生きた人間であるから確かに悪人であるには違いない。それでも私は昔からこの人物に興味を抱き続け、また魅力も感じてきたのである。その理由が何だかわかったような気になった作品が、その伝記的映画である本作なのである。彼はギャングではあるが、やはりその魅力は「己自身」というものをよく知っていた人間だからだったのだ。これはこの世界には少ない。この世界は己を大きく見せたい人物しかほとんどいないのだ。その中で己を知って生きたのが彼なのだ。だからこの世界ではめずらしく80歳の長寿を全うしている。そして己の弱さというものを知り抜いているところには、やはり同じ人間として共感するのだ。彼は弱いが戦い続けた一生であった。そして最後に、その人生を次に生まれるときにも何も変えないと言っていた。こう言える人にはやはり魅力を感じる。音楽も最高である。戦う哀しい男の生涯が彷彿される。        

    襤褸の旗

    (1974年、襤褸の旗製作委員会) 112分/白黒

    監督:
    吉村公三郎/音楽:岡田和夫
    出演:
    三國連太郎(田中正造)、中村敦夫(幸徳秋水)、志村喬(古河市兵衛)、田村亮(佐々木)、西田敏行(多々良治平)、古谷一行(荒畑寒村)
    内容:
    日本で最初の公害問題と言われる「足尾銅山鉱毒事件」。公害の概念がまだ無い時代に、民衆の苦しみを背負って政治家・田中正造は国に戦いを挑んでいく。
    草舟私見
    あの偉大な田中正造の生涯を扱った作品である。田中正造といえば足尾銅山鉱毒事件である。明治日本が抱えた初めての公害問題である。この田中正造と足尾銅山は二十世紀初頭における二十世紀という時代を予見する大事件であり、現代の諸問題を考える上で、是非我々日本人が知っていなければならぬ重大な問題なのである。公害というものの原点が、既に百年前にはっきりと認識されていたのである。田中正造のような人物こそ私は真の愛国者であると思う。目的のためには手段を選ばずという近代国家のあり方は間違っているのだ。人間が人間らしく暮らしての「国」である。国家とは人民の親でなければならぬ。親が親で無くなっていく過程が近代化ということであったのだ。ただもちろん近代化が悪いのではない。あくまで近代化を誤まって捉えた人間が悪いのだ。親が親で無くなる過程の中で社会主義などというドラ息子が成長していく過程がよく歴史的に活写されている作品である。健全な村社会があっての国家なのである。正造はそれを生涯訴え続けたのである。「戦いとは己の生き方であり、方法ではない」という彼の言葉は私の心の奥深くに生かされている。
  • リーマン予想 —素数の魔力に囚われた人々—

    (2009年、NHK) 87分/カラー

    監督:
    植松秀樹/ドキュメンタリー ナレーション:小倉久寛、上田早苗
    内容:
    ドイツの数学者リーマンが予想した素数の法則性。以来150年間にわたり「リーマン予想」は数多くの数学者を魅了し、またその人生と命を吸い上げてきた。
    草舟私見
    「リーマン幾何学」は、わが青春のロマンティシズムを形成した一つの思想であった。そのベルンハルト・リーマンによって、人類に投げかけられた問いかけが、この番組の主題である。そのリーマン予想の興味尽きない物語は、ここにおいて次々と展開されていく。素数は、私にとって尽きることの無い魅力を持っている。三﨑船舶において、素数と複素数に関する平井社長との対話は、いまも夢に見ている事柄と言える。素数は、宇宙の秩序を表わすと共に、その無秩序を表出しているのだ。それが神の摂理、真実というものなのであろう。素数は、形があって形が無い。その生命は、不合理性の中にある合理性であり、不可能性の中に生きる可能性なのだ。素数の真実が証明されれば、その証明そのものが次の問いかけを生み続ける。尽きることの無い宇宙の脈動。呼吸とは、矛盾の別名である。吐くために吸い、吸うために吐く。私は、素数に魅力を感じ続けて生きてきた。そして素数の芸術に出会ったのだ。それが山口長男である。「形がないことが形を創っている」。そこに調和を生むものこそが山口芸術である。つ まり、素数の芸術、宇宙の「形」である。

    リオ・グランデの砦 RIO GRANDE

    (1950年、米) 105分/白黒

    監督:
    ジョン・フォード/原作:ジェームズ・ワーナー・ベラ/音楽:ヴィクター・ヤング
    出演:
    ジョン・ウェイン(カービー・ヨーク)、モーリン・オハラ(キャスリーン)
    内容:
    ジョン・フォード監督の騎兵隊三部作の第3作。メキシコ国境の騎兵隊砦を舞台に、勇猛果敢な騎兵隊隊長とその家族の固い絆が描かれていく。
    草舟私見
    名匠ジョン・フォードならではの美しい西部劇である。ジョン・ウェインが演じる、騎兵隊のヨーク大佐の男の生き方が主題であると言える。その使命感、その義務感が見る者の心を捉える。本作品においてはその生き方に共感を示す者と反発を示す者の立場の違いが鮮明に描かれている。司令官と曹長がもちろん共感を示す。それはシェナンドーに示されるように苦楽を共にしてきているからである。反対に妻と子が反発を示す。それは苦楽を共にせず、自己の幸福のみを願ってきたからである。これが立場の違いなのである。その妻子も苦楽を共にして徐々に共感へと変わっていく。愛や友情は観念では無いのだ。人生の苦楽を共にせずして存在せぬものなのだ。そのことがよくわかる作品と感じる。本当の愛は涙の下に隠されているものだと強く感じられる。いつ見てもジョン・ウェインはカッコ良いし、モーリン・オハラは綺麗ですね。     

    利休

    (1989年、勅使河原プロ=伊藤忠商事=博報堂=松竹) 135分/カラー

    監督:
    勅使河原宏/原作:野上彌生子/音楽:武満徹
    出演:
    三國連太郎(千利休)、山崎努(豊臣秀吉)、井川比佐志(山上宗二)、田村亮(豊臣秀長)、三田佳子(りき)、松本幸四郎(織田信長)、中村吉右衛門(徳川家康)
    内容:
    織田信長、明智光秀、豊臣秀吉と続く権力闘争の中で、ひたすらに茶の道を追求し、自分の生き方を貫いた利休。その茶道に捧げる生涯を描く。
    草舟私見
    千利休は私にとって底知れぬ魅力を持つ人物である。何が魅力であるかと言えば、文化史上最高の心の芸術を打ち立てたにもかかわらず、芸術家的な気質が全くないからである。その秘密の一端もこの作品によって知ることができる。利休は当時の最先端の国際都市である堺の商人でもあったのだ。そこから生み出される強靭なエネルギーがやはり最大の魅力なのだ。利休による茶の心はやはり日本人の精神の柱であると感じている。一期一会こそが人生の根本哲理であるだろう。その心なくして真の愛情も友情も信頼も無いであろうと感じている。本作品は利休の持つ求道の精神のうち特に静的な部分に焦点を合わせている。それゆえに利休の持つ求道者の勇気を大仰な形でなく尽々と感じることができる。三國連太郎の名演がまたそれを後押ししている。茶は生きること、つまり戦うことの見事な美学化である。燃え尽きるためには深く沈潜し深く呼吸せねばならぬ。

    利休にたずねよ

    (2013年、東映) 123分/カラー

    監督:
    田中光敏/原作:山本兼一/音楽:岩代太郎
    出演:
    市川海老蔵(千利休)、中谷美紀(宗恩)、大森南朋(豊臣秀吉)、中村嘉葎雄(古渓宗陳)、市川團十郎(武野紹鴎)、伊勢谷友介(織田信長)、柄本明(長次郎)
    内容:
    利休が生涯秘匿し、誰にも打ち明けることのなかった秘密。放蕩を尽す若き日に起きた狂おしい思い出が、利休を美に命を捧げるまでの人物と成した。
    草舟私見
    私は、千利休という男について考え続けてきた。利休ほど不思議な男はいない。突然にして生まれ、日本の美に決定的な刻印を刻み込んだ人間である。なぜ、利休が生まれたのか。なぜ、利休が生き続けられたのか。なぜ、利休は自ら死んで行ったのか。そして、なぜ日本人は、かくも利休を見上げ続けているのか。これらの疑問を、私は身の内に抱きながら生きてきたのだ。利休の「茶」について、語る人間を多く見てきた。しかし、利休という人間について語る者は、驚くほど少ない。利休は、日本の歴史が生んだ神秘のひとつであろう。その神秘が、「茶」の魅力を今に伝えているのではないか。神秘の力が、茶を日本の芸術に据えているに違いない。そのことを、この映画ほど感じさせてくれるものはない。高く清く悲しい「憧れ」だけが、利休を創り上げたと私は思っている。つまり、死を「想う」精神と、絶対に到達できぬものを「慕う」魂のことである。それが、利休を生み出した。「忍ぶ恋」であろう。忍ぶ恋だけが、人間を遠い故郷へ誘ってくれる。我が意を得たりと感じる映画と言えよう。

    陸軍中野学校〔全5作〕

    陸軍中野学校(1966年、大映) 96分/白黒

    監督:
    増村保造/音楽:山内正
    出演:
    市川雷蔵(椎名次郎=三好次郎)、加東大介(草薙中佐)、小川真由美(布引雪子)

    雲一号指令(1966年、大映) 81分/白黒

    監督:
    森一生/音楽:斎藤一郎
    出演:
    市川雷蔵(椎名次郎)、加東大介(草薙中佐)、佐藤慶(西田)中野誠也(佐々木)

    竜三号指令(1967年、大映) 88分/白黒

    監督:
    田中徳三/音楽:池野成
    出演:
    市川雷蔵(椎名次郎=三好次郎)、加東大介(草薙中佐)、安田道代(林秋子)、松村達雄(張)

    密命(1967年、大映) 88分/白黒

    監督:
    井上昭/音楽:斎藤一郎
    出演:
    市川雷蔵(椎名次郎)、加東大介(草薙中佐)、山形勲(高倉)、高田美和(美鈴)

    開戦前夜(1968年、大映) 89分/白黒

    監督:
    井上昭/音楽:池野成
    出演:
    市川雷蔵(椎名次郎)、加東大介(草薙中佐)、細川俊之(磯村)、小川明子(秋子)
    内容:
    大日本帝国陸軍が誇る諜報機関であった陸軍中野学校。その設立から歴史の表には決して出ない諜報戦の非情な現実の数々を綴る連作シリーズ。
    草舟私見
    何と言っても市川雷蔵が演じる主人公の責任に生きる生き方が魅力の映画であると言える。責任感というものを一つの美学にまで高めている主人公の生き方に、私は男として量り知れない感化を受けた。何しろカッコ良いのである。やはり何事もカッコ良くなければ駄目だとよくわかる映画である。諜報部員という職業がそれを極限まで高めている要素の一つであると思うが、責任感の質においてはいかなる仕事も同じであると私は思う。本当の責任感の中枢には、人としての真心が一番大事なのだということもよくわかる作品である。市川雷蔵のあの一生涯心に残る演技が、それらのことを深く心の中にたたき込んでくれるのである。責任に生きる男の深い哀しみを、市川雷蔵は見事に表現していると感じる。強い男はまた温かい男なのである。市川雷蔵よ!永遠に。

    離愁 Le Train

    (1973年、仏=伊) 103分/カラー

    監督:
    ピエール・グラニエ=ドフェール/原作:ジョルジュ・シムノン/音楽:フィリップ・サルド
    出演:
    ジャン=ルイ・トランティニャン(ジュリアン)、ロミー・シュナイダー(アンナ)、モーリス・ビロー(モーリス)、ニケ・アリギ(モニーク)、フランコ・マツィエ(マキニョン)
    内容:
    第二次世界大戦下のフランス。ナチスの進撃が迫る中、ジュリアンは妻子と離れ、別の避難貨車でユダヤ人アンナと出会い恋に落ちる。
    草舟私見
    真の恋愛とは何か。その核心に迫る最大の作品と感じている。愛の永遠と結合するラストシーンに向かって、この作品はただひたすらに「走り続ける」。善悪の陰翳が走り続ける。男女それぞれの人生が持つ、真の悲哀を抱き締めながら、画面は走り続けるのだ。男は名優ジャン=ルイ・トランティニャンである。女は神秘を湛える名女優ロミー・シュナイダーだ。まさに、二人の名優の限り無く奥深い演技に支えられた名作と言えよう。我々はこの二人と共に、人生を生き続ける。この作品を観た者は、この作品と共に生き続けるのだ。愛の究極に向かって、無限連鎖の生命が生き続けて行く。我々はこの作品を通じて、愛の真の姿に出会うことが出来る。限り無く切ないラストシーンは、映画史上に永遠に残るだろう。そして、我々の人生を支配し続けるに違いない。永遠の愛の姿をこの二人の名優が示してくれる。そして、現世の汚濁がそれを見つめながらしゃべり続けている。高貴と卑俗の混合である。我々は汚濁の中から、真の愛を紡ぎ出さなければならないのだ。        

    リストランテの夜 BIG NIGHT

    (1996年、米) 109分/カラー

    監督:
    キャンベル・スコット、スタンリー・テュッチ/音楽:ゲーリー・ディミシェル
    出演:
    スタンリー・テュッチ(セコンド)、トニー・シャルーブ(プリモ)、イアン・ホルム(パスカル)、イザベラ・ロッセリーニ(ガブリエラ)、ミニー・ドライバー(フィリス)、キャンベル・スコット(ボブ)
    内容:
    夢を抱いてアメリカへ渡って来たイタリア移民の兄弟。二人はイタリアン・レストランを開くが、本場の味はアメリカ人に受け入れられない。兄弟は起死回生の策に賭ける。
    草舟私見
    料理というものは、我々が考えるよりもずっと深く歴史と伝統と文化に結びついている。旧い文化を持つ国は、非常に秀れた料理を有しているのである。その文化の代表的な国としてイタリアがある。この物語は料理の考え方を通して、旧い文化とアメリカ文化の対立と葛藤を描くものである。イタリアの文化の中を生き様とするシェフの兄プリモと、アメリカ的成功を夢見る支配人の弟セコンドとの葛藤とそして友情を描くことにより、アメリカ的価値観の深奥を表現していると感じる。非常に楽しくて面白くてちょっぴり哀しい映画を通して、我々は文化に生きる人間の正当性と、そして自らの個性である文化を捨てさえすれば、すぐに迎合できる底の浅いアメリカ合理主義との対比を満喫できるのである。アメリカ的なものは何故に魅力があるのかがよくわかる。それは文化と恥と信念さえ捨てれば簡単に富を手に入れられる、無限の可能性を秘めているからなのである。アメリカ的成功などはしても何もなりません。それはパスカルの成功後のみじめで不信に満ちた人間関係と、プリモの温かい人間関係の違いを見れば歴然とします。この兄弟はイタリアへ帰ります。そして必ず人を幸福にする料理の世界に生きるようになると私は信じています。   

    略奪の大地 TIME OF PARTING

    (1988年、ブルガリア) 164分/カラー

    監督:
    リュドミル・スタイコフ/原作:アントン・ドンチェフ/音楽:ゲオルギ・ダニロフ
    出演:
    ヨシフ・スルチャジェフ(カライブラヒム)、イヴァン・クラステフ(マノール)、カリーナ・ステファノヴァ(エリッツァ)
    内容:
    世界を席捲したオスマントルコ帝国。それを支えたのは「血税」と呼ばれる支配下のキリスト教徒の男児を徴発し、死を恐れぬ屈強な兵士を育てることだった。その悲劇を史実を基に描く。
    草舟私見
    本作品には全く驚かされました。名画は数多くあるが偉大と感じる作品は少ない。その少ない偉大な作品がこの作品である。映画そのものが一つの偉大性を秘めています。このブルガリア映画には私は心底驚愕しました。画面、構成、音楽、背景、監督、俳優とどれをとっても、忘れ難い偉大性と高貴性を私の心に残しています。背景はオスマン・トルコ帝国の支配下にあった三百年前のブルガリアです。この信仰の戦いは凄いですね。我々日本人には想像がつきません。想像はつかないが、このような歴史を生き抜いてきた民族はやはり怒るべき力を有していると思います。一神教同士の戦いであり、げに一神教は恐ろしい力があるものだと感じます。バルカン地方はイスラムとキリスト教のこの長い戦いの場でもあったのだから、我々が軽々に考える問題ではないと感じます。私が強く思うのは形こそ違えこの問題は一神教だから目立つだけで、文化の中に生きる人間には存在する問題だと思います。一神教でないところは、そのありようがもっと柔らかくてわかり難いだけなのかもしれません。人間にとって文化というものが、いかに大切なものであるかということを思い知ることが重要と考えます。カライブラヒム隊長が有名なオスマンのジャニゼーロ(親衛隊)というものです。異教徒の子供を攫ってきて子供のときから皇帝の親衛隊に仕立て上げるものです。これが2万人以上いたと言われており、オスマンの強さの秘密であり根幹であったのです。この制度が歴史的にとれなくなったとき、オスマンは衰退して行ったのです。全編を通じてすばらしい映像美です。特にあの石橋ね。この橋は私の脳裏から去ることはありません。人間の哀しみと喜びが沁み込んでいます。精神と肉体、あの世とこの世を往復する石橋です。美しい実に美しい。この橋を創った村ですもの、さぞや頑固な文化なのでしょうね。頑固って美しいですね。橋ひとつでも誇りが感じられます。この橋はね、永遠に私の心の友です。         

    竜馬がゆく〔テレビシリーズ〕

    (1982年、テレビ東京) 合計590分/カラー

    監督:
    大洲斎、松島稔/原作:司馬遼太郎/音楽:佐藤勝
    出演:
    萬屋錦之介(坂本龍馬)、大谷直子(おりょう)、岸田今日子(乙女)、伊吹五郎(武市半平太)、目黒祐樹(岡田以蔵)、若林豪(勝海舟)、中村嘉葎雄(中岡慎太郎)、原田大二郎(近藤長次郎)、田村亮(高杉晋作)、夏木陽介(後藤象二郎)、竜崎勝(桂小五郎)
    内容:
    幕末動乱の時代、日本の夜明けに向かってひたすらに走り続けた男・坂本竜馬。司馬遼太郎のベストセラー小説のドラマ化。
    草舟私見
    「竜馬がゆく」が司馬遼太郎の名作であり、その忠実なTVドラマ化が本作である。個人的な好き嫌いは別にして、竜馬の生涯を知ることはそのまま幕末から明治へ架けての日本の姿を知ることであると私は感じている。明治維新の本質というもの、特にその情念的原動力を知る上において、竜馬を知ることは最もその本質に迫るものと言えるのではないか。現代人の多くが今なお魅力を感じる幕末人の代表が竜馬であろう。現代人の共感を彼は得ている。その本質は何であるのか。我々は人間の情念に潜む深いものを竜馬から感じることができるのである。ただ私は個人的には竜馬の持つ情念がなにゆえにすばらしかったのかといえば、それはその時代とその回りの人物たちが真の武士であり、真の愛国者たちであったことにその大なる価値があったと感じている。竜馬の情念をいい意味で生かす人物たちが回りにきら星の如く存在するのである。萬屋の錦ちゃんの縦横無尽な魅力が溢れる作品である。錦ちゃんの演る竜馬は本当にすばらしいものである。

    竜馬を斬った男

    (1987年、アルマンス企画) 109分/カラー

    監督:
    山下耕作/原作:早乙女貢/音楽:千野秀一
    出演:
    萩原健一(佐々木只三郎)、根津甚八(坂本竜馬)、藤谷美和子(八重)、島田陽子(小栄)、坂東八十助(亀谷嘉助)
    内容:
    坂本竜馬を斬った男は、会津藩士・佐々木只三郎であった。彼は幕府に殉じることこそ武士の本懐と信じ、尊皇攘夷の志士、倒幕浪士たちを次々に斬り捨てていく。
    草舟私見
    竜馬を斬った男が誰であったのかは歴史の謎である。本作品の主人公である旗本、そして見廻組隊長であった佐々木只三郎はその最右翼に列せられている男である。私もこの推理が一番正しいであろうと信じる者の一人である。只三郎という人物の魅力が全編に溢れる名作と感じる。歴史の転換期においては、やはり旧い体制を背負う側に魅力的な人物が多い。革新側は超大物が何人か魅力を発散させているが、その下部に至る多くの人物に関しては必ず体制側の方に軍配が上る。その理由としてはやはり歴史と責任を背負っているからだと感じる。従って正統な人物として秀れた人が多いのである。革新は必ずひがみと出世願望組が下部にはびこるのである。只三郎のような佐幕に殉じる生き方は人間として私は好きである。それにしても竜馬という人物は私はあまり好きになれない。まず彼の能力が、その背負うもののない無責任さから本質的に出ているような気が私にはするからである。そして新しいもの好きで礼儀知らずな点も嫌いである。竜馬はあそこで死んで最も良かったのだと思っている。彼は明治まで生きれば必ず馬脚の出る人物であると感じる。
  • ルイ14世の死 LA MORT DE LOUIS XⅣ

    (2016年、仏) 115分/カラー

    監督:
    アルベルト・セラ/音楽:マルク・ベルダゲール
    出演:
    ジャン=ピエール・レオ(ルイ14世)、パトリック・ダスマサオ(侍医ファゴン)、マルク・スジーニ(ブルアン)、イレーヌ・シルバーニ(マントノン夫人)、ジャック・エンリック(ル・テリエ神父)、ベルナルド・ベラン(元帥)
    内容:
    太陽王と謳われ、絶対君主制を敷いたルイ14世。76歳になった王は狩から戻った後に、左脚に痛みを感じる。それは次第に壊疽の症状を表わし、荘厳に王の死が迫ってくる。
    草舟私見
    衝撃的な作品である。古今未曽有の名画と言えよう。人間の死を映像で写し続けた。それも、史上最も偉大な人物のひとりの死だ。人間の尊厳が画面を覆い、観る者の霊魂を奮い立たせるのだ。人間の崇高が、その死に向かう道程の中に輝く。よく生きた者の死が克明に写し出される。腐り行く肉体を離れて、永遠に向かう魂の躍動を感ずるのだ。ルイ14世は偉大だった。死のその瞬間まで、国家を憂いていた。その生命の衰弱は悲しい。その悲しみは運命を生きた人間だからなのだ。燃えたぎる生命は、いま衰弱し腐り行く。その過程が、生命の悲哀をこれ以上になく描き出している。この死を観れば、生きることの悲しみがわかるのだ。その悲しみを抱き締め、我々は生き続けなければならない。偉大な人物の死は、我々に本当の生の輝きを教えてくれるのだ。この死はあまりにもすばらしい。あまりにも偉大なのだ。ルイ14世の運命を知る者にとって、この厳粛な死は本当に美しい。私は、腐り行くこの帝王を観て、これまで以上にこの帝王を仰ぎ見たのである。

    ルーツ〔シリーズ〕 ROOTS

    (1977年、米) 合計570分/カラー

    監督:
    デヴィッド・グリーン、ジョン・アーマン、マーヴィン・J・コムスキー、ギルバート・モーゼス/原作:アレックス・ヘンリー/音楽:グレイシー・ジョーンズ、ジェラルド・フリード
    出演:
    ジョン・エーモス(クンタ・キンテ)、ルー・ゴセットJr.(フィドラー)、マッジ・シンクレア(ベル)、レスリー・アガムズ(キジー)、ベン・ベリーン(ジョージ)、オリヴィア・コール(マチルダ)、リン・ムーディ(アイリーン)
    内容:
    黒人男性が自分の祖先を七代前まで遡り、アフリカから拉致された父祖とその子孫たちの凄絶にして誇り高い姿を記した原作のテレビシリーズ。
    草舟私見
    真の誇りを持ち続けることだけが、本当の人生を生き切ることなのだということを痛感させられる秀作である。真の誇りとは自由を持つことである。自由とは自らの根を持つこと、つまり自分を創り上げた文化を自己の中に有することなのだ。米国の黒人の悲劇は白人により、その文化を断絶させられていることなのである。その文化の断絶こそが奴隷制の真の悲劇なのだ。暴力は文化を断絶させるための手段に過ぎぬのだ。我々日本人のように、自ら文化を忘れ去ろうとしている民族は心して観るべき映画である。クンタ・キンテのように、数少なくいかなる制限を受けても文化を大切にする人だけが真に生きられるのだ。そして何よりも伝統と文化だけが後代を子孫に伝えられる唯一の財産なのだ。誇りは真に勇気ある人にしか持てぬものである。真の自由とは何かを深く考えさせられる作品である。          

    ルートヴィヒ―神々の黄昏― LUDWIG

    (1972年、伊=西独=仏) 240分/カラー

    監督:
    ルキノ・ヴィスコンティ/音楽:ロベルト・シューマン、リヒャルト・ワーグナー、ジャック・オッフェンバック
    出演:
    ヘルムート・バーガー(ルートヴィヒ)、ロミー・シュナイダー(エリーザベト)、トレヴァー・ハワード(リヒャルト・ワーグナー)、シルヴァーナ・マンガーノ(コジマ)、ソニア・ペトローヴァ(ソフィー)、ジョン・モルダー・ブラウン(オットー殿下)
    内容:
    19世紀末に若くしてバイエルン国王となり、40歳で謎の死を遂げた「狂王ルートヴィヒ」。幾つもの名城を築き、芸術家を支援したその熱情の一方で王は深い孤独を感じていた。
    草舟私見
    実に壮麗な映画であり、19世紀欧州の文化というものに心動かされるものがある。狂王と呼ばれたルートヴィヒⅡ世の生涯が、欧州の文化との交錯の上に実に巧みに描かれた名画と感じる。確かに彼は遺伝的狂気を秘めていたと思うが、文化に対する貢献は凄いものがある。現在の南ドイツの文化遺産の中、大多数が彼の狂気によって成された。世襲制ならではの王であるが、これが世襲の面白さなのだ。大人格者も現われるが暗愚も狂人も帝王として登場する。私は人類の文化史を見て世襲が好きである。20世紀のように頭の良い(?)ずる賢い人間ばかりが頂点に立つ時代より、世襲の時代の方がよっぽど平和で文化的なことも現に行なわれているのである。日本でも江戸文化を築いたのは、彼と同じ病名を持つ五代将軍綱吉であった。そう考えると私にはやはり偉大な文化を築く時期には、暗愚か狂気の人が神に選ばれて権力の頂点に立つように思われる。狂気とは、価値ある事柄を成し遂げるための資質の一つかもしれないと考えさせられる。        

    ル・ジタン LE GITAN

    (1975年、仏) 109分/カラー

    監督・原作:
    ジョゼ・ジョヴァンニ/音楽:クロード・ボラン
    出演:
    アラン・ドロン(ル・ジタン)、ポール・ムーリス(ヤン)、レナート・サルヴァットゥーリ(ジョー)、モーリス・バリエ(エルマン)、マルセン・ボズフィ(警視)
    内容:
    流浪の民として蔑視され放浪を続けるしかないジプシー。自分たちを迫害する社会に反逆し、殺人、銀行強盗と犯罪を重ねるジタンの激しくも悲哀に充ちた人生が描かれる。
    草舟私見
    A・ドロンがめずらしく深みのある名演をする作品である。犯罪者も物語ではあるが、何とも言えぬ深い情緒を湛えた名画であると感じている。偏見と戦い、ただ自由を求めるだけのル・ジタンの生き方は犯罪者ではあるが、その悲しみのゆえに崇高な偉大さがあるのだ。ジプシー出身の通称ル・ジタンと呼ばれる男の生き方を中心として、その脱獄仲間である、通称ボクサーとエルマンそしてヤンという金庫破りとニニという女性たちの織り成す人間模様が実にすばらしい。それぞれの人間の個性が強烈であり、それぞれが一本何か人生を貫く独自の考え方を持っている。そして表面にはほとんど出てこないが、その貫く者たちの中に深いが目立たない友情が流れている。その友情は全く表面化しないがよく観ると少し見える。何とも男の生き方を示す古い人間の生き方の典型であろうと感じる。それが見えてくると凄い映画であり、そのすばらしい音楽との深いところでの接点が感動を呼ばずにはおかない。こういう人間関係が昔は多かった。映画では犯罪者であるが、普通の生き方にもこの生き方は重なるのである。個性ある人の友情はよく見なければわからぬのだ。ジタンに対して獣医が最後に握手を求める場面と、そのときのジタンの顔は一生涯忘れられぬ。エルマンとボクサーの最後もそうである。深く悲しい音楽の通りの生き方と感じる。        

    流転の王妃・最後の皇弟

    (2003年、テレビ朝日) 261分/カラー

    演出:
    藤田朋二/音楽:葉加瀬太郎
    出演:
    竹野内豊(愛新覚羅・溥傑)、常盤貴子(愛新覚羅・浩)、反町隆史(桜井哲士)、江角マキコ(川島芳子)、木村佳乃(小島ハル)、竹中直人(甘粕正彦)、天海裕希(李香蘭)、野際陽子(嵯峨尚子)
    内容:
    日本により中国の中に築かれた満州帝国。そして政治的に結び付けられた最後の皇帝 愛新覚羅溥儀の弟・溥傑とその妻・浩。戦局の移り変わりにより、二人の運命が翻弄されていく。
    草舟私見
    実に心の温まる良い映画である。日本と中国は近代に至って、お互いに非常に不幸な歴史を刻んだことは確かだ。しかしその中にあって、このように真の友好のために自分たちの生涯を捧げ尽くした夫婦がいたことは、実に実にすばらしく美しい感動を呼ぶ。その捧げ尽くした人生が、また二人の本当の愛を育んで行ったのだということがよくわかる作品である。歴史とは実際、このような人々によって我々に夢と希望を与えるものとなっているのだと実感できる。愛新覚羅溥傑は真の勇気を有する男子であると私は思う。忠義に生きる人間にして初めて愛というものを育て上げることができるのだ。真の愛情とは本当の忠義から生まれ出づる幸福なのだと私は深く感じる。国を愛し、人を愛する。そしてそれを何が何でも貫く。このことだけが人の心を動かし、また真の人生を築くのだと尽々とわかる。二人の主人公はその「人の好さ」によって、全ての苦難を乗り切ることができる真の「紳士淑女」である。気持ちが良い。現在の日中友好も政治家の力などでは無いのだ。本当はこのような人々の生き方の力なのだ。真の歴史を知る上にも重要な作品である。
  • レイ RAY

    (2004年、米) 152分/カラー

    監督:
    テイラー・ハックフォード/音楽:レイ・チャールズ/受賞:アカデミー賞 主演男優賞・音響賞
    出演:
    ジェイミー・フォックス(レイ・チャールズ)、ケリー・ワシントン(デラ・ビー・ロビンソン)、レジーナ・キング(マージー・ヘンドリックス)
    内容:
    盲目のソウル・ミュージシャン レイ・チャールズ。その破天荒で自堕落な生き様は、何度も彼を破滅と死へ誘った。そのレイを最後に支えたのは、母の偉大な愛であった。
    草舟私見
    母親が良い。賢く強い真実の母の愛情はその子供の生涯を貫いて、本当の意味の守護神足り得る力があるのだということを実感できる名画である。今流の愛情では無い。厳しい愛情である。自分の子供を真に自己の両足で立ち歩む人間に育てようとする悲しい願いを秘めた、真の親にしかできぬ愛情である。子供に対する親の愛の本質は悲しい。悲願があり涙があるのだ。子供をかわいがるだけで、子供が楽な人生を歩むことを願っている単なるエゴイズムを愛情だと錯覚している昨今の親たちと比較するとき、このレイの母親の貧しさの中で戦いながら培かわれた真の誇りに裏打ちされた愛情は、旧い日本の母を彷彿させるものがある。成功と破滅の間を綱渡りのように生きるレイが、いつもぎりぎりのところで立ち直っていくのは守護神として存在する母の愛の記憶だけなのである。それが全てなのである。この才能豊かではあるが、破滅的な弱い男を支える愛の力に驚くのである。真実の愛は深く静かに持続するのである。今、我々がレイ・チャールズの偉大な音楽に触れることができる全てはこの母の涙にあるのだ。我々は成功や幸福を裏で真に支えている「見えざるもの」に対してもっと敬意をはらわねばならぬ。

    レヴェナント —蘇えりし者— THE REVENANT

    (2015年、米) 156分/カラー

    監督:
    アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ/原作:マイケル・パンク/音楽:坂本龍一、アルヴァ・ノト/受賞:アカデミー賞 監督賞・主演男優賞・撮影賞
    出演:
    レオナルド・ディカプリオ(ヒュー・グラス)、トム・ハーディ(ジョン・フィッツジェラルド)、ドーナル・グリーソン(ヘンリー隊長)、ウィル・ポールター(ブリジャー)
    内容:
    仲間に裏切られ瀕死の傷を負った男。その消えゆく意識の前で、最愛の息子が殺された。男は復讐を誓い命をギリギリで繋げる。報復の旅が始まる。
    草舟私見
    生き切ることの意味を問う一作と言えよう。名画である。生きることの過酷を忘れようとする我々を、震撼させるものがある。生きることは苦しみなのだ。それは、憤怒なのだ。我々の生命は、燃え尽きることをその使命として存在している。その意味は、苦しむことに尽きる。憤りを抱き続けることに尽きる。それが、画面いっぱいに展開されていく。その一大パノラマは、弱い生命に甘んじ、その中で限り無く怠惰に生きようとする者に打撃を与えるのだ。その打痛が、本作品の最大の魅力を創っている。本当に生きようとする人間は、苦しみをものともしない。そのためには何が必要であるのか。それを恐るべき演技力をもって表現しているのが、主人公ヒュー・グラスを演じるレオナルド・ディカプリオである。映画史に残る名演と推察する。ディカプリオの凄さは、その愛の表現力にある。真の愛が、苦しみと憤りを支えているのだ。愛がなければ、人間は燃え尽きる苦しみを生き抜くことはできぬ。それを、主人公は我々に教えてくれているように思う。愛は過酷そのものと言えよう。愛と過酷の相対性原理が、真の復活を生むのだ。

    レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯〔シリーズ〕

    (1972年、伊=仏=スペイン) 合計225分/カラー

    監督:
    レナート・カステラーニ/音楽:ロマン・ウラド/語り:ジュリオ・ポゼッティ
    出演:
    フィリップ・ルロワ(レオナルド・ダ・ヴィンチ)、ブルーノ・ピエルジェンティーリ(サライ)、カロル・シモーニ(メルツィ)、サーラ・フランケッティ(チェチーリア)、マリオ・モルリ(ベロッキオ)、リャド・ゴルミア(フランチェスコ)  
    内容:
    偉大な科学者、建築家、解剖学者、植物学者、演出家、音楽家、そして彫刻家にして画家であったレオナルド・ダ・ヴィンチ。その謎の生涯が膨大な資料によって浮き彫りとなる。
    草舟私見
    歴史上最大の天才の一人であるレオナルドの生涯を、そのあくなき好奇心と哀しみを二本柱として活写した秀作である。人類が文化として価値を築き上げたものの根本は、全て個人の持つ旺盛な観察力にあるのだとよくわかる作品である。そして観察力の元はまた旺盛な好奇心が生み出すものである。レオナルドを通じて感じることは、人間のその好奇心を本当に支える原動力がその人の持つ哀しみにあるのだということである。多くの哀しみを経験し、それを心の奥深くに秘め、それを乗り越えることによって、あくなき好奇心が持続していくのだとわかるのである。主題曲にもなっている中世音楽こそレオナルドの本当の魂なのだと感じられる。

    レオン[完全版] LEON

    (1996年、米) 133分/カラー

    監督:
    リュック・ベッソン/音楽:エリック・セラ
    出演:
    ジャン・レノ(レオン)、ナタリー・ポートマン(マチルダ)、ゲイリー・オールドマン(スタンフィールド)、ダニー・アイエロ(トニー)
    内容:
    アパートで事件が起き、逃げてきた少女を咄嗟に救った殺し屋レオン。少女は汚職警官に追われていた。レオンは少女を守り、大勢の警官隊と激しい銃撃戦を繰り広げる。
    草舟私見
    孤独な殺し屋の物語ですが、どうにも忘れられぬ情緒というものを感じる名画である。まずエリック・セラの音楽効果が群を抜いて秀れています。場面ごとに流れる音楽がこの作品を芸術に高める働きをしていると考えます。レオンの心の中の哀しみや絶望を私は音楽で感じました。マチルダの心の意識もそうです。絶望というものが人生にとっては大変な価値のある事柄なのだと私は本作品を観て思います。絶望は人間をして献身を生み出す原動力の一つになれるのだと深くわかったものがあります。レオンは人の良い人間です。その人物が移民後、殺し屋をやっているということが深い哀しみを背負う人間を利用する現代文明の問題を考えさせ、私はどうにもならぬ憤りを感じるのです。レオンはボスがお金を横領していることがわかってないことに対して、私は恩に生きる彼が好きになりました。彼は最後にマチルダに対する献身のゆえに爆死します。私は彼の人生は最高の人生の一つであると思います。      

    レジェンド・オブ・ウォーリアー PATHFINDER

    (2007年、米) 108分/カラー

    監督:
    マーカス・ニスペル/音楽:ジョナサン・イライアス
    出演:
    カール・アーバン(ゴースト)、ラッセル・ミーンズ(パスファインダー)、ムーン・ブラッドグッド(スターファイアー)、クランシー・ブラウン(グンナル)
    内容:
    コロンブスのアメリカ大陸発見に先立つ600年前。ヴァイキングたちは既にアメリカに到達していた。温厚なインディアンの村で救われたヴァイキングの子どもの成長を描く。
    草舟私見
    多くのバイキングが、植民に失敗して滅んで行った。これは、その一つの物語である。伝説であるが、真実に違いない。バイキングの実像が、映像を通して我々に迫ってくる。それは、北米の秘史である。しかし、人類の本質を理解する上において決定的な歴史を描いていると感じる。バイキングの「精神」が描き切られている。それが、人類を築き上げたのだ。好き嫌いの問題ではない。我々の祖先の、そのような生き方が、人類の文明を築いてきた。「精神」と「精神」が、火花を散らしてぶつかりあっている。文明を築き上げるために、慟哭の叫びを上げているのだ。ここに写されるものは、野蛮性であるかもしれない。しかし、その野蛮性が人間の高貴と文明の輝きを創ったのだ。「精神」だけが、それを創った。それが描き切られているのだ。「精神」を軽んじる者は、滅び去っていく。自分たちの安楽を求める文化が、人間を衰退させていくのだ。人々を守るために立ち上がった人間も、またひとつの「精神」であった。その「精神」の遺伝を私は思い返している。

    レジェンド・オブ・フォール 果てしなき想い LEGENDS OF THE FALL

    (1994年、米) 132分/カラー

    監督:
    エドワード・ズウィック/原作:ジム・ハリソン/音楽:ジェームズ・ホーナー/受賞:アカデミー賞 撮影賞
    出演:
    アンソニー・ホプキンス(ウィリアム・ラドロー)、ブラッド・ピット(トリスタン)、アイダン・クイン(アルフレッド)、ジュリア・オーモンド(スザンナ)
    内容:
    退役軍人に育てられた野生児トリスタン。彼は戦場で弟を守れなかった失意と、残された弟の婚約者の愛を拒絶し、漂泊の旅へ出る。その旅の果てに、彼は何を見るのか。
    草舟私見
    心の奥底を美しい風が吹き抜けていくような感覚を覚える名画である。モンタナの美しく壮大な自然が真の人間の生き方を暗示しており、戦う一家ラドロー家の物語を飾っている。この家族の絆は、現代人には余程理解し難いものだと思う。この家族の反目、争いというものは人間が真に正直に生きて初めて起こり得るものであると感じている。間違いも多く、不幸も多く、行き違いも多いが深いところに確固たる信頼と愛情の絆があると私は感じる。その原因は、ラドロー大佐が家庭の中に戦いの哲学を持ち込んでいるからである。戦いは不幸や反目も生み出すが、また強い信頼や愛情も生み出すのだ。私は多くの不幸を創った家だが、この家族はそのお蔭で多くの物語と伝説を持ったのだと感じる。その物語と伝説がこのラドロー家を偉大にしていくのだと確信している。物事の善悪や正否を問わず、次世代に伝えることのない家は駄目なのだ。この一家は父も母も三人の兄弟それぞれが皆、生きた証としての物語と伝説を持つような生き方をしている。だから最高の家族なのだ。おしむらくは、トリスタン役に何とも言えぬ野暮天のブラッド・ピットを起用していることであり、それだけがこの名画の汚点と言えるであろう。

    レッド・オクトーバーを追え! THE HUNT FOR RED  OCTOBER

    (1990年、米) 135分/カラー

    監督:
    ジョン・マクティアナン/原作:トム・クランシー/音楽:バジル・ボールドゥリス/受賞:アカデミー賞 音響効果賞 主演:ショーン・コネリー(マルコ・ラミウス)、アレック・ボールドウィン(ジャック・ライアン)、サム・ニール(ボロディン)、スコット・グレン(バード・マンキューソ)
    内容:
    ソ連の最新鋭潜水艦は、ソナーでの感知ができない驚異的なものだった。世界中のどこでも核攻撃可能なこの艦を操るラミウス艦長は、ある目的を隠していた。
    草舟私見
    何と言っても音楽がすばらしい映画である。音楽が全てを語る作品である。ロシア的で哀しく、そして燃えるような音楽である。一度聴いたら一生涯心の中で鳴り続ける名曲である。ラミウス艦長の心がこの音楽なのである。戦うために生き、戦うために苦労を乗り越えてきた男に、戦いの機会が与えられなかったのだ。全てが演習でしかなかった艦長の悲しみが私の心に痛い程伝わってくる。戦うことは人間が生きる重大な要素なのだ。亡命の決意によって彼は初めて戦う機会を得たのだ。これが亡命を知らせた理由である。この最後の命懸けの闘いで彼の人生の労苦は報われたのだ。彼は米国できっと思い出の多い良い老後を送ることであろう。  

    レニ DIE MACHT DER BILDER:LENI RIEFENSTAHL

    (1993年、独=ベルギー) 188分/カラー

    監督:
    レイ・ミュラー/音楽:ウルリッヒ・バースゼンゲ、ヴォルフガング・ノイマン
    出演:
    レニ・リーフェンシュタール/ドキュメンタリー
    内容:
    ドイツ映画の人気女優であったレニは、ベルリン・オリンピックの映像監督としてヒトラー総統に抜擢される。戦後そのことで迫害されるも、レニの映像への憧れは絶えることがない。
    草舟私見
    レニ・リーフェンシュタールの生涯を回想的に表現する記録映画である。九十歳を越してなお現役の活動をしているレニは全く驚嘆に価し、また尊敬すべき女性である。天才的な才能ゆえに苦悩の道を歩んだが、何事も彼女を止めることはできない。映像芸術において世界で初めての試みの連続であり、創意工夫の連続の生涯である。このような女性が戦前から第一線で活躍していることは全くびっくりする。あまりにも凄い才能と美貌ゆえに、恐るべき嫉妬の対象となったと考えられるが、それがこの人物の人間性に少しも悪影響を与えていない。恐るべき強い人格である。真に偉大な女性と感じる。            

    レマゲン鉄橋 THE BRIDGE AT REMAGEN

    (1969年、米) 117分/カラー

    監督:
    ジョン・ギラーミン/原作:ケン・へクラー/音楽:エルマー・バーンスタイン
    出演:
    ジョージ・シーガル(ハートマン中尉)、ロバート・ヴォーン(クルーガー少佐)、ベン・ギャザラ(エンジェル軍曹)、E・G・マーシャル(シナー准将)
    内容:
    第二次世界大戦でのドイツ第三帝国末期。ライン河に架かる最後の橋をめぐり、ドイツ軍と連合国軍の激しい攻防と駆け引きがぶつかり合う。
    草舟私見
    息詰まる戦争映画の傑作であると思っている。レマゲンの攻防戦そのものが大戦末期の劇的な戦いであっただけに、その映画もまたそれをよく反映して名画となっている。攻めるも男、守るも男という迫真の作品である。クルーガー少佐の、劣勢の中でもあきらめずに任務を遂行する姿のカッコ良さが忘れられません。やはり何と言ってもドイツ将校は最高ですわ。特にサングラスと皮のコートね。米軍の方ではハートマン中尉とエンジェル軍曹の、平和な現代日本人からすると奇妙な友情が見どころですね。しかしね、これが綺麗事抜きの真の男の友情なのですよ。こういう男が独立自尊で真に強い男なのです。あまり現代受けはしませんね。こういう男の真価が出るのが実力勝負の戦争だから、それを描いている戦争映画はやはりいつの日も魅力があるのです。またこの作品は、私の生涯で唯一、兄と一緒に観に行った映画であるという点でも忘れ難いものがあります。この映画を観た後、兄貴と二人で兄弟そろってたれ目のレイバンのサングラスを買ってきて、二人とも悦に入ってかけていた思い出があります。       

    レ・ミゼラブル LES MISÉRABLES

    (1957年、仏=伊) 186分/カラー

    監督:
    ジャン・ポール・ル・シャノワ/原作:ヴィクトール・ユゴー/音楽:ジョルジュ・ヴァン・パリ
    出演:
    ジャン・ギャバン(ジャン・バルジャン)、ダニエル・ドロレム(フォンティーヌ)、ベルナール・ブリエ(ジャヴェール警部)、ブールヴィル(テナルディエ)、ジャンニ・エスポジット(マリユス)、ベアトリス・アルタ・リバ(コゼット)
    内容:
    ヴィクトル・ユゴーの有名な原作の映画化。元囚人ジャン・バルジャンの波瀾に充ちた人生と、くじけず人間の尊厳を守り抜く姿が描かれていく。
    草舟私見
    ヴィクトール・ユゴー原作のあまりにも有名なジャン・バルジャンの物語、つまり『あゝ無情』の映画化である。主人公に扮するのはジャン・ギャバンであり、映画中一回の笑顔も見せず深遠で重厚な演技を行なっている。義と情の人である主人公は一回の誤りによって犯罪者となるが、もちろん崇高な人格者である。私はこの映画を観て正義の人であるジャン・バルジャンと、それを追うやはり正義の人である警部が二人共全く笑うことが一度も無かったことに強い印象を子供の頃に受けた。逆に宿屋の主人等の、悪人でずる賢い人間が笑ってばかりいることにも印象を受けた。私は本作品を通じて笑いというものを深く考えさせられた。笑うことが良いことだとされる現今の考え方に、強い疑問を抱いた思い出がある。笑うことはひょっとしたら、心の中の疚(やま)しさの表われではないのか。正統で古い文化を知るにおよんで、正義は厳粛なのだと知るきっかけとなった映画である。        

    レ・ミゼラブル(2019年)LES MISÉRABLES

    (2019年、仏) 104分/カラー

    監督:
    ラジ・リ/原作:ヴィクトル・ユゴー/音楽:ピンク・ノイズ
    出演:
    ダミアン・ボナール(ステファン)、アレクシス・マネンティ(クリス)、ジェブリル・ゾンガ(グワダ)、イッサ・ペリカ(イッサ)、アル=ハサン・リ(バズ)、スティーブ・ティアンチュー(市長)、ジャンヌ・バリバール(警察署長)
    内容:
    ヴィクトル・ユゴーの名作から発想を得て、現代のフランス・パリ郊外を舞台に様々な社会問題を描いていく。
    草舟私見
    現代フランスにおける、移民社会の荒廃を描いた名作と考えている。移民たちが悲惨なのか、それともそれを受け入れたフランス社会が悲惨なのか。その対比がものの見事に描き切られていると言っても過言ではない。さて、レ・ミゼラブル=悲惨というものの真実はどこにあるのだろうか。作品は移民の悲惨を描いているように感ずる。それは十九世紀的な「人道」の代表であるヴィクトル・ユゴーの題名と最後の言葉の描写があるからだ。十九世紀の希望に溢れたヨーロッパにおいては、悲惨とは貧しく虐げられた人々のことだった。ユゴーの思想がよくそれを表わす。しかし豊かな現代ではどうか。私は却って移民たちの方が、生き生きと見えるのだ。移民を見下す人間や、綺麗事のヒューマニズムに冒された警官たちの方が、ずっと惨めで不自由に思える。現代においては、豊かさに食い殺された先進国の方が悲惨で惨めなのではないか。十九世紀のレ・ミゼラブルと、現代のレ・ミゼラブルの対比が実に面白い作品だ。        

    連合艦隊

    (1981年、東宝) 145分/カラー

    監督:
    松林宗恵/音楽:谷村新司、服部克久
    出演:
    森繁久彌(本郷直樹)、永島敏行(本郷英一)、金田賢一(本郷真二)、財津一郎(小田切武市)、中井貴一(小田切正人)、小林桂樹(山本五十六)、丹羽哲郎(小沢治三郎)、鶴田浩二(伊藤整一)、三橋達也(草鹿龍之介)
    内容:
    世界最強であった大日本帝国海軍。太平洋戦争における連合艦隊の推移と戦艦大和の沖縄特攻までを、それに関わる二つの家族を中心に描いた戦争映画の超大作。
    草舟私見
    戦艦大和の運命と共に生きた人間たちの生き様を謳い上げた名画と感じている。一生涯心から離れぬその主題歌の悲愴美と共に、私の心底からの思い出となっている作品である。大和は日本人の心意気が創り上げた神話である。大和の前にも後にもこれ程の空前の巨大戦艦は存在せぬ。今後永久に存在せぬ。日本人の全ての力を結集した現代の神話なのである。大和について評論する者は唯の馬鹿である。大和は詩なのである。涙なのである。血なのである。その血と涙と共に生きた人々は最高の人生を送った人々であると私は断言できる。神話と共に生きることこそ人生の本当の目的なのだ。森繁とその親子関係がいいですね。戦前の日本の知識階級の本当の良さが描かれています。この父にしてこの子らありですね。財津一郎と息子もまたいいですね。戦前の日本の庶民の最高の姿です。父良し、また子良し。鶴田浩二の伊藤中将いいですね。カッコ良いです。戦前の日本男子そのものです。大和の神話と共に日本の最も美しい魂を心に刻み込むことのできる名画なのである。

    連合艦隊司令長官・山本五十六

    (1968年、東宝) 131分/カラー

    監督:
    丸山誠治/音楽:佐藤勝
    出演:
    三船敏郎(山本五十六)、藤田進(南雲忠一)、佐藤允(源田実)、黒沢年男(木村大尉)、加山雄三(伊集院大尉)、平田昭彦(渡辺参謀)
    内容:
    開戦前から米国との早期和平を願っていた山本五十六。連合艦隊司令長官として帝国海軍を率いていた彼の思惑ははずれ、やがて帝国海軍は壊滅していく。
    草舟私見
    太平洋戦争の開戦から日本が攻勢にあった間の長官として、山本五十六の人生は我々日本人にとって重要な意味を持っている。その山本五十六の後半生を描く映画として、本作品は最も秀れたものの一つであると感じている。開戦前夜からその戦死に至るまで、歴史事象の推移を山本長官を通じて実に巧みに描いている。山本長官の生涯は歴史として非常に重要であるが、私は彼個人をあまり好まない。その理由は負けると思い込んでいる人物だからである。海軍の軍人に多いのだが物量の差でしか物事を見ていない面が強い。物量も大切だが戦争は古来、小が大を制した事実の方が多いのだ。信念を持つならば長官の職をやるべきではなかったと思う。信念を悪いと思っているのではない。この人の持つ信念の通りに戦争は推移する。どんな大がかりなものでも、所詮人間のやることは中心にいる一個人の信念によって動いているのだ。負けると思う気持ちは必ず焦り心を生むのである。焦ればその結果負けるのである。彼は人間個人が持つ心の本当の偉大さについて、長官の職にある人間としては考えが少し足りなかったように思う。

    レンブラント REMBRANDT FECIT 1669

    (1977年、オランダ) 110分/カラー

    監督:
    ヨス・ステリング/音楽:ローレンス・ヴァン・ローエン
    出演:
    フランツ・ステリング&トン・ド・コフ(レンブラント)、ルキエ・ステリング(サスキア)、エド・コルメイジャー(ティタス)、アヤ・ジル(ヘンドリッキェ)
    内容:
    ルーベンス、ベラスケスと並び、17世紀最大の画家として名高いオランダの巨匠レンブラント。その生涯が特徴的な絵画的映像で描かれていく。
    草舟私見
    レンブラントが好きでたまらない私としては、まるでその絵画を観るように美しい映画である。レンブラントの映画の光と影の描写は、若い頃からずっと私の心を捉えてきた。そしてその人間たちの表情たるや、人間が描いたとは思えぬ程の奥行きの深さを有しているのである。その天才画家の映画であるからさぞや面白かろうと思っていたが、意に反して内容のつまらなさたるや驚いてしまった。しかしよく観ていくと、そのつまらなさの中に真実のレンブラントの人生があることが見えてくるのである。それが見えてくると本作品が大変な名画だと解ってくるのだ。映画そのものがレンブラントの絵画手法ででき上がっていることも、本作品の重要な要素である。はっきり言ってレンブラントの人生はつまらない。しかしそのつまらなさが、レンブラントに神のごとき眼と信じ難い表現力を有する内面性を与えたのだから人生は面白い。私は現代人が人生の楽しみや幸福を求め過ぎることに現代の危機を感じている。歴史上最も偉大な芸術家であるレンブラントの人生こそ、現代人が真に考えなければならない人生観の一つではないかと思っている。美しい音楽も忘れられぬ作品である。       
  • ローサのぬくもり SOLAS(ALONE)

    (1999年、スペイン) 98分/カラー

    監督:
    ベニト・サンブラノ/音楽:アントニオ・メリべオ
    出演:
    マリア・ガリアナ(ローサ)、アナ・フェルナンデス(マリア)、カルロス・アルバレス(老紳士)、パコ・デ・オスカ(父)、ミゲル・アルチバル(バーのマスター)
    内容:
    暴力的な父親に苦しめられて来た母娘。娘は都会に逃げ、すさんだ生活をしている。そこへ久し振りに母親が訪ねて来て、生きる苦しみに喘ぐ娘が母の愛により癒されていく。
    草舟私見
    人生というものが持つ深い情感を湛えた名画であると感じる。幸福というものは、幸福という姿で単独の姿で存在しているわけではないのだ。また不幸というものも、不幸という単独の姿で存在しているわけではないのだ。幸と不幸は複雑に交錯し、時に出会いまた時には離れ離れとなって我々の人生を包み込んでいるのだ。不幸の中に幸福があり、幸福の中に不幸があるのだという人生の最も深い哲理を心の奥深くに感じ取ることができる作品である。この複雑怪奇な人生において、その人生に光を真に当てるものは人間の心の奥にある誠の心つまり本当の愛情だけではないのだろうか。その深い本当の愛が「母の愛」なのであろう。母の愛に触れることによって、我々は己の持つあらゆる邪な気持ちの中に一条の光を見出して、己の幸福の糸口を見つけ出すことができるのだと感じる。真の愛は愚者の如くに存在する「母の愛」なのである。母は何も求めない。母は己を愚者のごとくにして存在する。母は失敗を責めない。母は許す。母は決して己を高く見せようとはしないのだ。そして全てを包み込む。母とは誠が形となって顕現したものなのである。母の涙を知らず、母に甘えるだけの弱者が悪を成すのだ。      

    鹿鳴館

    (2008年、テレビ朝日) 106分/カラー

    監督:
    藤田明二/原作:三島由紀夫/音楽:古澤巌
    出演:
    田村正和(影山悠敏)、黒木瞳(影山夫人・朝子)、柴田恭兵(清原永之輔)、松田翔太(清原の息子・久雄)、石原さとみ(大徳寺顕子)
    内容:
    三島由紀夫の原作小説の映画化。明治期に諸外国に認められようと築かれた鹿鳴館。その鹿鳴館を舞台に様々な人間たちの思惑が交錯していく。
    草舟私見
    三島由紀夫の同名戯曲の映像化である。三島のもつ、近代的葛藤をあますところなく再現する意欲作となっている。つまり、東洋と西洋の混合と、その結果としての混沌。そしてそれに翻弄される人間たちの愛と憎しみである。愛するままに憎み、憎んだままに愛する。時代による価値観の転倒がもたらす人間の悲劇がそこに見出される。人間のもつ悲しみとは、実は文明のもつ悲しみなのではないか。文明の中で、人間は人間として生きなければならぬ。そこに人間が宗教を生み出したいわれがあるのではないか。この作品において、三島が提示した人間の存在理由を思うとき、私はいつでも、三島の抱いていた深い悲哀を痛感せざるを得ないのだ。人間の潜在意識が、人間の理性を越えたとき、そこには文明史を貫く悲劇が現出する。鹿鳴館の存在自体がその代表であろう。それは文明の悲劇そのものである。人間の悲しみそのものである。文明を生きようとする者は、愛する者と別れなければならないのだ。三島の涙が見える。呻吟が聞こえてくる。

    ロビン・フッド ROBIN HOOD

    (2010年、米=英) 156分/カラー

    監督:
    リドリー・スコット/音楽:マルク・ストライテンフェルト
    出演:
    ラッセル・クロウ(ロビン・ロングストライド)、ケイト・ブランシェット(マリアン)、マーク・ストロング(ゴドフリー)、ウィリアム・ハート(マーシャル)、オスカー・アイザック(ジョン王)、マックス・フォン・シドー(領主ウォルター)
    内容:
    イギリスの伝説的英雄ロビン・フッド。12世紀末のイギリス。リチャード獅子心王の兵士だったロビンは、一人の騎士の暗殺現場に行き合う。ロビンの運命が回り始める。
    草舟私見
    ヨーロッパの中世を見事に描き切った名画と感じる。その高貴さ、その野蛮さ。ロビン・フッドの伝説が新たな側面から説得力をもって表現されている。そこには、サー・ウォルター・スコットの名作『アイヴァンホー』が彷彿する。何が正義であって、何が悪なのか。我々人間は何を求めて生きているのか。そのような人間の魂が画面から浮き上がってくる。人間の歴史は何を志向しているのか。民主主義とは我々にとって何なのか。その底流をなす血液はどこからきたのか。十字軍はヨーロッパが近代を生み落とすためには、何が何でも通らなければならなかった道であった。貧しく野蛮であるが、何よりも高貴で正義が存する戦いであった。それを戦い抜いたからこそ、「マグナ・カルタ」に至る歴史を創り出すことができたのである。マグナ・カルタによって現代の民主主義に至る歴史が準備された。そのことが、まことに美しく響いてくる。もちろん、ラッセル・クロウの名演が私にそのようなことを伝える力となっているのであろう。

    ロブ・ロイ ROB ROY

    (1995年、米) 139分/カラー

    監督:
    マイケル・ケイトン=ジョーンズ/音楽:カーター・バーウェル
    出演:
    リーアム・ニーソン(ロブ・ロイ・マクレガー)、ジェシカ・ラング(メアリー)、ジョン・ハート(モントローズ侯爵)、ティム・ロス(カニンガム)、エリック・ストルツ(アラン)
    内容:
    18世紀初頭のスコットランドに実在した英雄ロブ・ロイ。その名誉と誇りのために悪徳貴族と勇敢に戦った日々を描いた作品。
    草舟私見
    本作品は、18世紀初頭のスコットランド高地地方における伝統的人物である、ロブ・ロイ・マクレガーを描いた興味深い作品である。ロブはスコットランド高地の歴史と精神の体現者である。そしてこの伝統が、近代の強いヨーロッパとアメリカの精神の母体となったものなのである。ヨーロッパの学問と文化の中心は当然フランスを中心としてその近くにあったものであるが、ヨーロッパの強さの中心は実は辺境と呼ばれた地域に存在していたのである。中心の文明と辺境の精神が18世紀後半から19世紀にかけて合体したとき、ヨーロッパは世界の中心として活躍し出したのである。この辺境の精神がよく描かれている映画である。日本の武士道と数分違わぬ精神とも言える。真の日本のゆく道が何であるのかを示唆する映画であるとも言える。主演のリーアム・ニーソンは名誉と信念と野蛮性をよく演じ切っている。名誉と信念とは理屈を突き抜けたところに存するのだ。先祖と歴史だけがそれを生み出す母体なのだ。またティム・ロスの演じるカニンガムは、ヨーロッパの中心文明をスノップ(上辺だけの虚飾家)としてではあるが、非常にうまく表現していると感じている。実に興味の尽きぬ面白い作品である。

    ロルカ 暗殺の丘 LORCA 

    (1997年、スペイン=米) 114分/カラー

    監督:
    マルコス・スリナガ/音楽:マーク・マッケンジー
    出演:
    アンディ・ガルシア(ロルカ)、イーサイ・モラレス(リカルド)
    内容:
    スペインの天才詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカ。スペイン内乱の最中に暗殺されたその謎を追いつつ、スペイン内乱の深い傷跡を示した作品。
    草舟私見
    ロルカはスペインの生んだ偉大な詩人であり、1930年代のスペイン内乱のときに銃殺された伝説の人物である。私は若き日にロルカの詩を好きであったが本作品ではロルカ自身は重要ではない。本作品は20世紀という時代を象徴した内戦であったスペイン内乱が、いかに市民の一人一人の心に深く傷を残したかという事柄を観ることが重要であると感じている。思想の対立と電化による情報の発達が、一朝事ある時にはいかに市民生活の奥深くまで浸透するものであるかを実感しなければならない。このおそろしい時代の幕開けとその象徴がこの内乱なのである。現代の戦争は誰も傍観者でいることを許さない過酷なものなのである。現代の戦争は全ての人々が身心のいづれかに傷を負わされるのだ。現代の戦争とはまた現代の生活そのものでもあるのだ。民主主義は本当は、人間の生活そのものを戦争と化して行く考え方を内包しているのだ。本作品は、この時代にあってこの主人公のように他人の秘密ばかり根掘り葉掘り探り回る人間が、最後に行き着くところを実にダイナミックに表現している。現代ほど他人の生き方に対して思いやりを持たなければならん時代はないのだ。疑う者、探る者は現代においては必ず「自分の存立基盤」を覆す事柄、つまり「天に向かって唾をする」行為の結果を恐ろしいほど招くのである。    

    ロレンツォのオイル・命の詩 LORENZO'S OIL 

    (1992年、米) 135分/カラー

    監督:
    ジョージ・ミラー/音楽:クリスティーン・ウッドルフ
    出演:
    ニック・ノルティ(オーグスト・オドーネ)、スーザン・サランドン(ミケ―ラ・オドーネ)、ザック・オマリー・グリーンバーグ(ロレンツォ・オドーネ)、ピーター・ユスティノフ(ニコライス教授)
    内容:
    男児だけがかかる難病ADL。息子がこの難病にかかったことを知った夫婦は、治療法がなく余命は2年と知る。全くの素人の夫婦が、独自に治療薬の開発を始めた実話の映画化。
    草舟私見
    人間が何事かを成し遂げる原動力とは、いかなる事柄から生起するのかを考えさせられる作品である。人間を突き動かすものは、地位や財産や名誉やましてや知識などではないのだ。真の愛なのである。愛だけが人間を生かし、人間に力を与え続けるのだ。辛苦や困難に決して挫けぬ精神力は、ただ愛の力だけが生み出すことができるのだ。あらゆる不安に打ち勝ち未来を切り拓くものは、愛に根差した希望だけなのだ。だから愛の力が足りない者は何事も中途挫折するのだ。本作品は愛の原点である親心というものが、いかなる力を有するものであるかを思い知らされるものである。子を思う親の心ほど尊いものは無い。それは無限の価値を生み出すものなのだ。この愛の心の範囲と量の拡大が人間の真の生き甲斐であり、真の人間の成長なのだ。    
  • ワーテルロー  WATERLOO

    (1970年、伊=ソ連) 127分/カラー

    監督:
    セルゲイ・ボンダルチュク/音楽:ニーノ・ロータ
    出演:
    ロッド・スタイガー(ナポレオン・ボナパルト)、クリストファー・プラマー(ウェリントン)、オーソン・ウェルズ(ルイ18世)、ジャック・ホーキンス(ピクトン元帥)、バージニア・マッケンナ(リッチモンド侯爵夫人)、ダン・オハリヒー(ネイ将軍)
    内容:
    仏軍を率いる英雄ナポレオンと英軍を率いるウェリントンとの激突。23年におよぶ欧州の戦乱に終止符を打った、ワーテルローの歴史的会戦を描く。
    草舟私見
    ワ―テルローの戦闘場面の壮大な描写に圧倒され、戦争というものの本質を深く考えさせられる。ワーテルローは古代以来繰り返された戦争というものの大規模な最後のものである。近代戦と違って、名誉や誇りというものに対してこの時代までの人は恐ろしく勇気を発揮していると感じる。軍隊の整然とした動きは膨大な死傷率をものともせずに進行する。私はこういう軍隊に感動し、こういう戦い方をした19世紀のまでの人々を深く尊敬してやまない。戦闘様式とは所詮その時代を生きた人間たちの時代精神の表われなのである。ナポレオンは間違いなく天才であり大戦術家である。しかし革命の情熱を失った多くの部下将官たちの動揺する心が、愛国的組織を創り上げる土壌を失っている。一方ウェリントンは、英国貴族を中心とする愛国的人物をしっかりとその人格で掌握している。天才と紳士の闘いはその時代の下部構造の違いによって、紳士の勝利という結果になったのだと感ぜられる。ナポレオンが大砲の射程内にいるとき、部下が射ちましょうと言うのをたしなめるウェリントンは実にカッコ良いですね。それは総司令官同士のやることではないという言葉。一生忘れられません。       

    ワイアット・アープ WYATT EARP

    (1994年、米) 191分/カラー

    監督:
    ローレンス・カスダン/音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
    出演:
    ケビン・コスナー(ワイアット・アープ)、テニス・クエイド(ドク・ホリデー)、ジーン・ハックマン(ニコラス・アープ)、マイケル・マドセン(ヴァージル・アープ)、キャサリン・オハラ(アリ―・アープ)、イザベラ・ロッセリーニ(ビックノーズケート)
    内容:
    アメリカ開拓時代。伝説の保安官ワイアット・アープの半生を描いた作品。アープを描いた作品は多いが、本作は特に人間ワイアット・アープを描いている。
    草舟私見
    西部の英雄たちの日常の姿まで含めて、同時代人の感覚でよく活写した作品と感じる。ワイアット・アープは正に西部の英雄である。その姿が伝説化される前の同時代人の目で捉えられることによって我々に大いなる勇気を与えてくれる映画と言える。人よりも少しの勇気が歴史を創り出すのだと実感できる。この英雄もまたそれを取り囲む人間たちも皆人生に悩み苦しみ、そして失敗を繰り返して生きていたのだ。ただ我々がよく見なければならないのは、生き切る人間は苦しみの中でいつでも少しの勇気を奮い立たせていることなのだ。その勇気の根元がいつでも思い出の中にあることも重要なことであろう。その思い出の出発はやはりジーン・ハックマン扮する父親であろう。そこを基点として思い出が少しの勇気をいつも奮い立たせ、それが歴史を創ったのだと尽々とわかる作品である。   

    ワイルド・アパッチ ULZANAʼS RAID

    (1972年、米) 103分/カラー

    監督:
    ロバート・アルドリッチ/音楽:フランク・デボル
    出演:
    バート・ランカスター(マッキントッシュ)、ブルース・デービソン(デ・ビューイン中尉)、ジョージ・ルーク(ケニティ)、ホワキン・マルティネス(ウルザナ) 
    内容:
    西部開拓時代の末期の1880年代半ば。インディアン各部族の多くは居留地につながれていた。しかし突然、アパッチ族の居留地脱走の報。騎兵隊の果敢な追跡が始まる。
    草舟私見
    晩年のバート・ランカスタ―の魅力が圧倒的にすばらしい作品である。「家族の肖像」と並び彼の魅力を最も強く感じる。自分だけの力、つまり自己責任で生きている西部の男が良く表現されている。自己責任で生きる人間は観察力が秀れている。自力で生きる人間は厳しさと優しさが併存している。自力で生きる人間は失敗を恐れない。そしてそういう人物はやれることをやる人間である。やれることをやり抜き決して悔いることは無い。人を信じ己を信じている。つまりこよなく潔く、こよなく爽快なのである。自己責任の中枢である「決断」というものを教えられる作品である。    

    わが愛の譜 滝廉太郎物語

    (1993年、東映=日本テレビ) 125分/カラー

    監督:
    澤井信一郎/原作:郷原宏/音楽:佐藤勝 /受賞:文部省選定
    出演:
    風間トオル(滝廉太郎)、鷲尾いさ子(中野ユキ)、天宮良(鈴木)
    内容:
    「荒城の月」「花」等、数々の名曲を生み出した滝廉太郎。彼の23歳の若さで他界するまでの情熱的な音楽人生を描いた伝記映画。
    草舟私見
    滝廉太郎の生涯を思うとき、私はいつもその才能に驚嘆するだけでなく、明治が抱えた涙について考えさせられてしまう。そのことが非常に良く表現されている作品であると感じる。明治の人間が抱いた西洋に対する憧れが、日本人の中に現代では想像することもできぬ才能を開花させたことが映画からうかがえる。しかしその反面、地に足のついた本当の努力というものが見失われていることを感じる。つまり強すぎる憧れが焦りをもたらしているのである。その明治の悲しみの体現者の一人が滝廉太郎であろうと感じる。滝廉太郎の短い生涯を思うとき、私は日本人として深い悲しみを心に感じるのである。「荒城の月」が心底好きな私としては、彼の生涯程複雑な気持ちでとらえるものはない。映画の中で歌われる荒城の月はすばらしいですね。また最後に演奏される荒城の月の音楽は一生涯心に残る変曲となっている。あまりに美しいものは、あまりにも美しい魂の人によって創られるのだと尽々と感じる映画である。

    わが命つきるとも A MAN FOR ALL SEASONS

    (1966年、米=英) 118分/カラー

    監督:
    フレッド・ジンネマン/音楽:ジョルジュ・ドルリュー/受賞:アカデミー賞 作品賞・監督賞・主演男優賞・脚本賞・撮影賞・衣装デザイン賞
    出演:
    ポール・スコフィールド(トーマス・モア)、ロバート・ショウ(ヘンリー8世)、オーソン・ウェルズ(ウールジー枢機卿)、ウェンディ・ヒラ―(アリス)、レオ・マッカーン(クロムウェル)、ジョン・ハート(リチャード・リッチ)
    内容:
    『ユートピア』の作者として有名なイギリスのトーマス・モア。国王ヘンリー八世の離婚問題を巡り、己の信念を曲げずに貫くトーマス・モアの姿を描く。
    草舟私見
    本作品の主人公たるトーマス・モアは、その生涯と業績を初めて知った中学生の頃から私の脳裏に引っかかってしょうがない人物なのである。カトリックの信仰を貫いて刑死したのであるが、普通なら私の一番好きな人間の部類のはずが、この人物だけはどうしても好きになれない。その不思議さゆえにずっと考え続けさせられている人物なのである。立派な人物であることは確かなのだがどうも腑に落ちない。法律論と信仰論をまくし立てること自体が気に入らぬのか、沈黙の抵抗が気に入らぬのか私にも良くわからぬ人物である。ただこれ程の高潔の士であるのに今でもあまり好きにはなれぬ人物である。本作品は歴史劇としても非常な名画であると感じている。真の強い英国が生まれる前夜の姿を活写していると感じている。T・モアと違って私はヘンリー八世は好きですね。何ったってこの国王は面白いですよ。凄く情愛もあるし知性もあります。これ以後の英国魂の発展の源流のような人だと感じています。      

    わが心のボルチモア  AVALON

    (1990年、米) 127分/カラー

    監督:
    バリー・レヴィンソン/音楽:ランディ・ニューマン
    出演:
    アーミン・ミュラー・スタール(サム・クリチンスキー)、ジョージ・ブローライト(エバ・クリチンスキー)、アイダン・クイン(ジュールス・ケイ)、エリザベス・パーキンス(アン・ケイ)、イライジャ・ウッド(マイケル・ケイ)、ケビン・ポラック(イジー・カーク)
    内容:
    20世紀初頭に渡米した移民家族を描く。1914年にボルチモアに着いた一家は大家族になり、一族は定期的に家族会を持ち絆を保っている。しかし次第に時代の変遷に覆われていく。
    草舟私見
    移民としてアメリカに渡った主人公のクリチンスキーの頑固で一徹な生涯である。本作品で最も感じ入るところは主人公が最後までことあるごとに言う台詞――1914年、私は初めてアメリカに渡った――である。人生を精一杯生き、真っすぐに貫く人間は全て初心を大切にしているのだと深く知ることができるのだ。移民にとっての初心は初めて移民としてその地を踏んだときなのである。それを死ぬまで忘れないことが生き切ることなのである。その言葉の中に主人公の夢も希望も愛も友情も全てが含まれているのである。この台詞を聞くたびに、私は主人公の心の中に共感する者が生まれ出づるのである。このような人物は真っすぐなのです。喧嘩ばかりしているけれども家族の人たちもみんな心の奥底では愛し合っていますね。こういう家族が本当に良いです。    

    わが谷は緑なりき HOW GREEN WAS MY VALLEY

    (1941年、米) 118分/白黒

    監督:
    ジョン・フォード/原作:リチャード・レウェリン/音楽:アルフレッド・ニューマン/受賞:アカデミー賞 作品賞・監督賞・助演男優賞・撮影賞・美術賞・装置賞
    出演:
    ドナルド・クリスプ(モーガン)、モーリン・オハラ(アンハラード)、ロディ・マクドウォール(ヒュー)、ウォルター・ビジョン(グルュフィド牧師)
    内容:
    炭坑が盛んであった19世紀末のイギリス・ウェールズ地方。そこに住む炭鉱夫一家の悲喜こもごもが末子の美しい思い出として描かれた作品。
    草舟私見
    名画の中の名画である。巨匠ジョン・フォードの傑作中の傑作です。人間を形成する中心である思い出というものをこれ程美しく描いた作品は少ない。ウェールズの美しき家庭は昔の日本の家庭と同じですね。頑固親父を演じるドナルド・クリスプは本当に良いですね。私はこういう人物が最も好きです。モーリン・オハラの美しいこと! 美しい、本当に美しい世界が描き上げられていると感じる。父がおり、母がおり、家庭がある。仕事があり友達がいる。人生はこれだけで良いのですね。それを真から感じる名作であると感じます。全編の底辺を流れる言葉も心を豊かにするものである。この映画は私の心に一生涯残る名画であり、私の心の中の宝物の一つなのです。私はこの映画を観るたびに、私が生まれ育った雑司ヶ谷上り屋敷の昔の風景と人々を思い出すのです。      

    我が闘争 MEIN KAMPF

    (1960年、スウェーデン) 117分/白黒

    監督:
    エルヴィン・ライザー/記録映画
    内容:
    欧州に第二次世界大戦をもたらしたドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラーとナチスの変遷が記録フィルムにより構成されている。タイトルはヒトラーの代表的な著書の題名。
    草舟私見
    記録フィルムの精選価値が非常に高い映画であると感じている。第二次世界大戦がなにゆえに惹起されたかのヨーロッパの歴史を捉えるのに重要な実写が盛り沢山であり、歴史的記録としても重要な価値を持つ。ユダヤ人大量虐殺によって徹底的に評判の悪いヒトラーであるが、このユダヤ差別と虐殺はヨーロッパの歴史そのものなのだ。第二次世界大戦中の虐殺の数が桁違いなのは科学技術の発達によるだけのことであって、戦争の総犠牲者も過去と比べ桁違いなのである。つまりヒトラー一人の悪魔的所業ということでは無いのだ。ユダヤ人虐殺が人道的に許せないのは誰でも当たり前のことであるが、その罪をヒトラー一人に着せることによって英米が自己の民主主義、つまり欧米型文明を礼讃しているに過ぎないことに気づくべきである。我々は第二次世界大戦の記録を見る場合、我々自身が戦後の英米正義思想に犯されて全てを見ていることに気づくべきである。         

    わが名はキケロ ―ナチス最悪のスパイ― CICERO

    (2019年、トルコ)/126分/カラー

    監督:
    セルダル・アカル/音楽:オヌール・オズメン
    出演:
    エルダル・ベシクチオール(イリアス・バズナ)、ブルジュ・ビリジク(コルネリア・カップ)、ムラート・ガリバガオグル(モイズイッシュ)
    内容:
    第二次世界大戦中の実在のスパイ、キケロ。激動の時代に翻弄され、引き裂かれる男女を描いた作品。
    草舟私見
    愛と恐怖が交錯する名画の中の名画である。胸を突き上げる嗚咽が、終った後に込み上げて来る。そしてそれは、長く長く自己の心の奥深くに住み続けることになるだろう。人間の魂に、そのような命の価値を植え付ける作品なのだ。愛に支えられた卑劣が、我々の魂を揺さぶる。人間のもつ、どうしようもない苦悩が画面の上に展開していく。その悲哀の中を、我々の人生が走馬燈のように、それをなぞっていく。人生の苦痛が、我々に迫り来る。そして、人生の真の喜びが我々の未来を照らしてくれるのだ。苦悩から生まれた希望、これこそが真の人間の希望であるに違いない。真の人間のもつ愛であるに違いない。攻める者も、守る者も、互いに悲哀の中を彷徨っている。それを人間の愚かさだと言ってしまえば、それで終わることかもしれない。しかし、それこそが人間の真の姿なのだと思う。愚かさだけが、恐怖を乗り越える力と成り得るのである。それだけが、悲痛の中から愛を育み生み出す力を持っているのだ。映像とそれを支える音楽のもつ力を感じずにはいられない作品と言えよう。

    わが母の記

    (2012年、松竹) 118分/カラー

    監督:
    原田眞人/原作:井上靖/音楽:富貴晴美
    出演:
    役所広司(伊上洪作)、樹木希林(八重)、宮﨑あおい(琴子)、南果歩(桑子)、三國連太郎(隼人)、赤間麻里子(美津)
    内容:
    作家・井上靖の実母との確執を描いた作品。幼い頃に父母から引き離されたことが忘れられず、実母にわだかまりを抱いていた。しかしある日、母の本当の心を知る。
    草舟私見
    井上靖の自伝小説の映像化である。その前半生を描いた「しろばんば」と共に観れば、その味わいも、またひとしおとなろう。井上文学の魅力とは、己自身がもつ不幸の中にそれなりの幸福を見出していく力の存在であろう。井上は、自己のもつ類い希な美意識を殺しながら生きた。そこにどす黒いほどの魅力があるのだ。自己を殺すことによって、自己の生命を真に生かし切った人物であろう。そのことが、この作品にも良く出ている。『わが母の記』と題されているが、もちろん「母」などどうでも良い。どうでも良い母を問題とするところが、井上靖の魅力を創り上げているのだ。そのどうでも良い存在を、樹木希林が演じている。大変な名演である。このような人から天才は生まれるのである。そして恩知らずな娘たちが出てくる。このような娘が重要なのである。このような娘が、天才の生まれる家庭を創っているのだ。激しい「日常性」は、反動としての激しい「非日常性」を創り上げるのである。井上文学は、凡人が天才に至ることもできるのだという希望を与えてくれる。

    惑星ソラリスSOLARIS

    (1972年、ソ連) 168分/カラー

    監督:
    アンドレイ・タルコフスキー/原作:スタニスワフ・レム/音楽:エドゥアルド・アルテミエフ/受賞:カンヌ国際映画祭 審査員特別賞
    出演:
    ドナタス・バニオニス(クリス・ケルビン)、ナタリア・ボンダルチュク(ハリー)、ウラジスラフ・ドヴォルジェッキー(アンリ・バートン)、アナトリー・ソロニーツィン(サルトリウス)、ソス・サルキシャン(ギバリャン)、ユーリー・ヤルヴェト(スナウト)
    内容:
    有名なロシアのSF小説を名匠タルコフスキーが映画化。謎に包まれた惑星ソラリスの海を巡り、想像を超えた宇宙飛行士の体験を綴る。
    草舟私見
    アンドレイ・タルコフスキーが、人類の存在に挑んだ名画である。人類を生み出した宇宙的実在に迫っている。タルコフスキーは、それを暗黒から生ずる混沌と捉えていたように思う。惑星ソラリスを観測する宇宙船は、人類の発生の現場にいるもののように私は感ずる。それは人間の意識が生まれたときの、夢や愛や希望が創られつつあったときの原始の出現なのだ。人間は宇宙の暗黒流体の中から生まれて来た。その渦巻く流体の苦痛と苦悩の中から、それを集約して意識と成したに違いない。作品中において、人間の起源を恥の概念に据える台詞がある。また、人間のもつ宇宙的犠牲の精神に収斂する個所がある。そのようなものが、暗黒の渦の中から生成されたのだ。そして人類が出来上がって来た。長い長い苦痛の歴史の中から我々は生まれたのだ。長い長い悲哀の歴史から我々の愛が育って来たのだ。本作は、人間のもつ尊厳を思い出させるものと言えよう。我々は水から生まれた。それすらが、近過去と言ってもいいのだ。命の継続の深淵こそが、神の実在を顕現する証拠ではないだろうか。

    鷲の指輪  PIERŚCIONEK Z ORŁEM W KORONIE

    (1992年、ポーランド=英=独=仏) 110分/カラー

    監督:
    アンジェイ・ワイダ/原作:アレクサンデル・シチボル・リルスキ/音楽:ズビグニエフ・グルニ
    出演:
    ラファウ・クルリコフスキ(マルチン)、アグニェシカ・ヴァグネル(ヴィシカ)、アドリアーナ・ビェドジンスカ(ヤニーナ)、ヴォイテック・クラタ(ワデンダ)
    内容:
    ナチスドイツの支配を脱するために立ち上がったワルシャワ蜂起は失敗に終わり、市民たちは次々に虐殺された。そして戦後にはソ連の支配下に置かれることに。ポーランドの悲劇は尽きない。
    草舟私見
    政治の力学に翻弄される一徹な青年の姿を描くことによって、巨匠アンジェイ・ワイダが祖国ポーランドの苦悩の歴史をその血によって表わす名作と感じる。鷲の王冠はポーランド王室の紋章であり、その自由の象徴である。王権というものが、実は国家と民族の自由の証なのだということが、ワイダの描きたい重要なことなのだと感じる。古いものが人間の精神の柱なのである。伝統が人に自由を保障するものなのだ。人間が発明した近代の理念である民主主義や共産主義などは、人の心に対して呪縛をかけるだけで真の自由には決してなり得ないのだ。私はワイダの描くポーランドの悲劇を見るたびに、天皇制のある日本の真の有難さを痛感するのである。ナチスの暴虐と対比することによって、共産主義の暴力と陰険さをあますところなく描いている。共産主義ほど人の自由を圧殺する権力はないのだ。戦後の共産主義化された国は多かれ少なかれ共産主義の暴力によって赤化されたのであり、どの国もポーランドと同じように人民が望んだものではなかったのだ。そして主人公のマルチンに代表されるように、下心の無い純粋な若者はいつの日も「正統」のために命を捧げるのである。      

    鷲は舞いおりた THE EAGLE  HAS LANDED

    (1976年、英=米) 131分/カラー

    監督:
    ジョン・スタージェス/原作:ジャック・ヒギンズ/音楽:ラロ・シフリン
    出演:
    マイケル・ケイン(スタイナー大佐)、ドナルド・サザーランド(リーアム・デブリン)、ロバート・デュヴァル(ラードル大佐)、ドナルド・プレゼンス(ヒムラー・長官)
    内容:
    第二次世界大戦下でのドイツ軍による英国首相チャーチル誘拐計画を描いたベストセラー小説の映画化。誇り高い男たちの戦いが繰り広げられる。
    草舟私見
    最後まで手に汗を握り、観終わった後はその思い出が一生涯心に残る名画と感じる。本作品の主人公の三人は、各々私の大好きな俳優であることによってその感は更に強まる。スタイナー大佐役のM・ケイン、規律が姿を創り上げている名優です。D・サザーランド、デブリン役です。いつもながら変人的で個性的でしびれます。ラードル大佐に扮するR・デュヴァルは深い人間味を湛えています。この三人は本当に私は好きです。本作は物事をやり抜く人間の本質を問う映画である。やり抜くには誇りがいる。名誉がいる、正義がいるのです。人間は本当の優しさがなければ物事は断行できないのです。信念がなければ何もできないのです。彼らよりずる賢くなす人はいるでしょう。しかし本当に価値あることはそんな人間にはできないのです。真の軍隊は正義の断行をするのです。今流の戦争のような人殺しの戦いを知りすぎている現代人には理解しがたい映画です。真の男は決して無頼漢にはなれないのです。やはり真の軍人はカッコ良いですね。爽快です。男の世界を感じます。    

    私は貝になりたい

    (1959年、東宝) 113分/白黒

    監督:
    橋本忍・原作:橋本忍、加藤哲太郎/音楽:佐藤勝
    出演:
    フランキー堺(清水豊松)、新珠三千代(房江)、藤田進(矢野中将)
    内容:
    戦後、東京裁判において戦犯とされた市井の男の手記を映画化。戦時中に上官の命令により米兵を刺殺した男。男は東京裁判においていかなる訴えも斥けられ戦犯とされていく。
    草舟私見
    フランキー堺の名演が心に残る秀作である。本作品は悲劇の主人公を中心とした反戦映画とされているが、実際には全然違う。これは勝者が敗者を裁判にかけるという前代未聞の理不尽を仕出かした、傲慢なアメリカ文明に対する問題提起である。東京裁判に見られる如くのアメリカの理不尽を描いているのである。戦争をすることは犯罪では無い(国際法)。勝者が敗者を犯罪者に仕立て上げたアメリカ的陰険さを描いている。戦争になれば、どこの国でも命令通り人を殺すのは犯罪ではない。アメリカもしている。東京裁判を二等兵の側から描いた作品なのだ。その理不尽の中にあって、希望だけによって生きる主人公の姿には涙を禁じ得ない。希望だけが人を生かす道なのだと尽々とわかる作品である。フランキー堺っていいですね。

    わたしを離さないで Never let me go

    (2010年、英)/104分/カラー

    監督:
    マーク・ロマネク/原作:カズオ・イシグロ/音楽:レイチェル・ポートマン
    出演:
    キャリー・マリガン(キャシー)、アンドリュー・ガーフィールド(トミー)、キーラ・ナイトレイ(ルース)、シャーロット・ランプリング(校長先生)、サリー・ホーキンス(ルーシー)
    内容:
    すべての病を克服した世界。人類の平均寿命は百歳を越えた。その蔭で、臓器提供のために育てられる子供たちの運命を描く作品。
    草舟私見
    あのカズオ・イシグロの秀作から生まれた映像作品である。ここに、人間のもつ「根源的傲慢」を描く作家イシグロの魂の躍動を感ずるのは私だけではあるまい。人間はどこまで行くつもりなのか。そして自分自身を「何もの」だと思っているのか。これらの問いが我々の眼前に突き付けられる。臓器提供のために「創られた人間」の悲痛と切なさが画面を覆い尽くしている。人間とは何か、ここまでして、おのれ自身の寿命を伸ばしたいのか。人間どもの欲望の果てを感ずる作品と言えよう。ミルトンはその『失楽園』において「人間どもよ、恥を知れ!」と言っていた。その魂が現代を撃つ。創られたクローン達の生き方の中に、私は真の人間のあり方を見た。クローンが真の人間なのだ。我々は、そこまで堕ちてしまった。キャシーとトミーの恋こそが本当の人間の恋なのである。我々の祖先が文学に描いた「恋」と言えよう。切なく悲しい願いである。愛する者を抱き締め、そして共に死する我々人間の愛なのである。それがすでに「創られた人間」の中にしか生きていない。

    わらの犬 STRAW DOGS

    (2011年、米)110分/カラー

    監督:
    ロッド・ルーリー/原作:ゴードン・ウィリアムズ/音楽:ラリー・グルーペ
    出演:
    ジェームズ・マースデン(デヴィッド・サムナー)、ケイト・ボスワース(エイミー・サムナー)、アレクサンダー・スカルスガルド(チャーリー・ヴェナー)、ジェームズ・ウッズ("コーチ"・トム・ヘドン)、ドミニク・パーセル(ジェレミー・ナイルズ)
    内容:
    都会の暮らしがうまく行かず、故郷の田舎に移る夫婦。しかし田舎での人間関係は夫婦の思惑をはずれ、次第に激しい対立に発展していく。
    草舟私見
    人間が、環境の産物であるということが描かれている。人間は、自分自身がどのようにしてなり立ってきたのかを良く知らない。自分の環境を抜け出そうとするなら、人間は腹をくくらなければならないのである。中途半端な「出発」は、その人間の「人間性」を破壊することとなってしまう。この作品では、主人公の女性エイミーの生き方が生む、悲劇が描写されているのだ。田舎を捨て、都会人となりたかった小娘の人生だ。そして、都会人としても敗北し、田舎に暮らすこともできぬ人間ということだろう。エイミーを軸として、周囲の男たちが悲劇的な結末に向かってぶつかっていく。そのぶつかり合いに見る、生命の中に芸術の息吹が鬼火のようにめらめらとくすぶっているのだ。現代人の中心的課題が描き出されている。都会か田舎か、やるのかやらないのか、秀れたものになるのかならないのか、生き切るのか死に果てるのかという問題である。生き方と死に様は、どうでもいいのだ。「遊び心」が真の命を奪うのである。

    ワルシャワの秋

    (2003年、フジテレビ) 95分/カラー

    演出:林宏樹/音楽:本多俊之
    出演:
    竹内結子(青木葉子)、坂口憲二(本多隆則)、山本未來(和地典子)、岸惠子(葉子=戦後)、小林桂樹(平島佐市社長)、いしだあゆみ(志津谷りつ)、吹越満(柿沼徳太郎)、イグナツィ・ザレフスキ(カミル=レフ・カチンスキ)
    内容:
    ソ連で孤立したポーランド人孤児たち。全世界に救援を求めたが、それに応じたのは日本だけだった。実話を基に献身的に孤児たちを救う日本人看護師たちを描いた作品。
    草舟私見
    史実に基づく作品であり、日本人として真の誇りを感じることのできる名作であると思う。真の愛国心とは何か。真の人道とは何か。真の人助けとは何か。そういうことを色々と考えさせられる。正義の仕事に身を挺して邁進する人々の、本当に良い人生を感じることができる。ロシア革命時のシベリアにおけるポーランド人孤児の悲劇と、日本人の善意は歴史に残る真の日本の誇りである。この道義心こそが真の日本のあり方と言えよう。それを断行することが真の勇気なのである。当時の日本赤十字社社長平島氏の断固たる決意がこの永遠の親善と名誉を生んだのである。その場面を小林桂樹が演じているが、何度観ても涙が流れ愛国心が湧き出づるのである。それに引きかえ時の政府は実際のところ、予算が無いということで尻ごみしていたのだ。当時、私の祖父は平島氏の友人であり、このとき、命よりも大切にしていた美術品を何点も手放し多額の寄付をして平島氏を応援したのである。その話を私は小さい頃から心底の名誉に感じていたのだ。祖父もさることながら当時の多くの日本人は今よりも皆ずっと貧しかったにもかかわらず、信じられないほどの寄付者が集まり、その総体の上にこの歴史的事業は完遂されたのである。日本は道義心の国なのである。ただし、時の政府はほとんど何もしなかったことを念のために付け加えておく。

    ワルシャワの悲劇 神父暗殺 TO KILL A PRIEST

    (1988年、仏=米) 112分/カラー

    監督:
    アニエスカ・ホランド/音楽:ジョルジュ・ドルリュー
    出演:
    クリストファー・ランバート(アレク神父)、エド・ハリス(ステファン指揮官)、ティム・ロス(フェリックス)、チャールズ・コンドリ(ミレク)
    内容:
    1980年代に入り共産主義に倦んだポーランド市民による「連帯」運動が盛んになっていった。1984年に秘密警察に暗殺された「連帯」の中心的人物の神父をモデルした作品。
    草舟私見
    1980年代の共産主義下のポーランドにおける民主化運動である「連帯」の運動における悲劇を扱っている秀作である。映画の中における主題曲の美しさと連帯の歌の、何とも言えぬ物悲しさが深く心に残る作品である。信仰による民主化に信念を燃やす神父アレクと、国家体制の維持に腐心する治安警察官ステファンの生き方と心の動きを適確に捉えることによって、権力のあり方というものの問題を鋭く描き出している。主人公の二人は各々違った世界で生きている人間であり、お互いに何の憎しみも持っていなかった。その二人の間に権力機構というものが介入したとき、二人ともその権力に翻弄され、神父は自らの命を捨てる覚悟を決めることによって権力に抗議し、ステファンは共産主義に殉ずる正義を遂行することによって権力に抗議した。本来善である人間がいかなることによって憤り、またそのはけ口として他者を憎悪するようになるかを見事に描く名画と感じている。     

    われ、晩節を汚さず ~新夫婦善哉~

    (2003年、NHK) 75分/カラー

    監督:
    長沖渉/原作:城山三郎/音楽:梅林茂
    出演:
    小林薫(松本重太郎)、藤山直美(松本浜)、萬田久子(阪口ウシ)、夏八木勲(安田善次郎)、小澤征悦(松本枩蔵)、茂山千作(松岡亀右衛門)
    内容:
    「西の渋沢栄一」と呼ばれた松本重太郎の半生と夫婦愛を描いた作品。寒村を出て丁稚から始まり、やがて銀行や鉄道など数々の創業に携わって今も多くの尊敬を集めている。
    草舟私見
    いや――いい映画だ。久し振りに日本の魂を観た思いがします。こういう人がね、日本を築いたのです。松本重太郎、俺は惚れた。真の日本型実業家である。明治の末にこのような人が現実に行き詰まったこと自体が、日本の近代化が徐々に間違った方向に行ったためであると思います。明治の富国強兵政策が合理主義一辺倒(戦後にも続く)を生み、それが合理主義者の「成功」を生み、義理と人情の人間たちを衰退させたのだ。国も個人も焦れば必ず合理主義を生むのだ。重太郎は旧来型(つまり本来)の真に秀れた人物であり、また何よりも日本の歴史に根差した真の心というものを持った大人物である。「きっぷ」も良いが、その「きっぷ」も悩み抜いた末であるところが実に良い。それが真の人間なのである。この夫婦も全くもって良い。日本の真の夫婦の姿をばっさりと表現している。これが真の夫婦なのである。真の男と真の女にして、初めて真の夫婦になれるのである。夫婦のあり方の表面の幸福ばかり追う現代人には真の絆、真の思いやりとは何かを知る映画と思われる。昔の良い夫婦は皆んなこんな感じでしたよ、一見ふざけた映画に見えるが、それでいて凄い表現力の真の映画を観た思いである。人生は面白きかな!

    われ幻の魚を見たり

    (1950年、大映) 106分/白黒

    監督・原作:
    伊藤大輔/音楽:深井史郎
    出演:
    大河内傅次郎(和井内貞行)、小夜福子(妻、カツ子)、青山杉作(父、治郎右衛門)、東山千栄子(母、エツ)、片山明彦(長男、貞時)、柳恵美子(長女、ヨネ)
    内容:
    古来十和田湖には一匹の魚も棲まなかった。近くの銀山で働く男が、母に鯉を食べさせようとして死んだ少年を哀れみ、十和田湖に稚魚の放流を始めて行く。実話を基にした作品。
    草舟私見
    生涯にわたる私の人生観を創り上げたと言える、思い出深い名画である。私が初めて本作品を観たのは四歳のときであり、母に手を引かれて観に行きました。この映画のあまりの感動の激しさのゆえに、今日に至るもその日の情景と母の服装に至るまで全て覚えています。和井内貞行という人は真に凄い人ですね。このような人の努力が今日の日本を築き上げたのです。立志が人道に基づくゆえに、21年の苦難に耐え抜いたのだとわかります。真の人道に基づかぬものなど立志ではないのです。私はこの人の深い感化を受けています。それにこの人にしてこの家族ありと言うべきすばらしい家族です。日本の最も美しい家族であると断言します。良い家庭は、真の真心と志ある生き方によって創り上げられるのだとわかります。妻は今日の多くの女性と違って真の勇気を持っています。勇気を実行する忍耐を持っています。子供たちもすばらしいです。長男の戦死の報らせの日に21年の念願が叶うというのは、貞行が与えられた天の使命を感じます。妻を背負って湖に走る貞行の姿は生涯忘れられません。貞行の生き方は私の激しい共感を呼び、こうなりたいと私は念じ続けています。貞行を憶うとき、私は日本人としての誇りを強く感じるのです。

    ワンス・アンド・フォーエバー WE WERE SOLDIERS

    (2002年、米) 138分/カラー

    監督:
    ランダル・ウォレス/原作:ハル・ムーア、ジョー・ギャロウェイ/音楽:ニック・グレニー・スミス
    出演:
    メル・ギブソン(ハル・ムーア中佐)、サム・エリオット(プラムリー上級曹長)、グレッド・キニア(クランドール少佐)、クリス・クライン(ゲイガン少尉)
    内容:
    ベトナム戦争、米軍はジャングル戦を初めて経験し苦戦していた。その中でヘリによる移送が発案され、戦局は改善。やがて最大の激戦イア・ドランの戦いに突入していく。
    草舟私見
    ベトナム戦争を描く屈指の名画であると感じる。実話の持つ「人生の真実」というものが実によく表現され、我々の人生とも照らし合わせ考えさせられることの多い映画である。私は戦争映画が好きである。その理由は生死を共にする人間同士の絆において初めて、真の人間の信頼というものを感じることができるからである。どのような人間でも極限状態において、その人物から真の魅力が出てくるのだ。私は戦争映画を観るたびに、人間というものを心の底から信頼することができる。人間は馬鹿なこともやり、悪いこともやるかもしれないが、ぎりぎりのところで真の信頼に足るものを必ず持っているのである。その奥深くにある真なるものが、人間が真に戦うとき、自ずからほとばしり出てくるのだ。人間を信じ信じ信じ抜かなければ真の戦いというものはできないのである。私の人生も戦いの連続であったし、今後もそうであろう。だから私は人間を信じ抜かなければ生きることができないのである。本作品はこのような人間の本質をあますところなく捉えている名画である。

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