
ここ 靖国の宮居に神鎮まります英霊の御前に つつしみ畏みて言挙げ奉ります。
今日この日より遡ること八十年 昭和二十年三月十日の前夜より未明にかけて 東京下町の本所・深川を中心とする一帯は アメリカの戦略爆撃機B29二百数十機により二時間にわたる執拗な爆撃を受け 潰滅せしめられました。
爆撃は 初めに大きな火の輪をつくり その中に住民を閉じこめて皆殺しをはかったホロコーストそのものでした。人々は業火に巻かれて逃げ場なく 阿鼻叫喚のうちに一挙に十万もの命が炎上せしめられたのであります。
米軍は 小さな区画の住民を一人残らず葬り去ろうとしました。しかし そうは行かなかったのです。その証拠に 当時 深川の神明宮の前に住み 十二歳の少年だった私自身が地獄絵図の中から生き残り、いま ここに こうして証言をもたらそうとしております。
戦後日本は偉大な先人たちの努力により見事に復興され、下町大空襲の犠牲者も合同慰霊祭を営まれるに至りました。
しかしながら その趣旨は 他の戦災慰霊祭と同様、《戦争の悲惨を語り継ぎ 平和を尊びもって犠牲者の冥福を祈る》といったことに尽きております。
なかんづく 《哀れを極めた学童たちの死を悼む》と。
そこには 敗戦国日本を悪とする自虐的反省さえ感じられなくもありません。
しかし と私は言いたいのです。
戦中 私ども少年少女の心組みはそんなものではなかった、と。
大空襲のあった あの三月は 明日にも米軍の沖縄上陸が迫り 次は本土上陸と叫ばれ国家存亡の間際でした。皇土決戦訓が布告され、国民は一億総玉砕さえ覚悟していました。国民学校の生徒たちも「戦う僕ら小国民」と呼ばれ 女児は白襷姿で凛々しく薙刀を振るい、男児は白鉢巻で竹槍を突っ込む訓練を受けていたのです。
まさに戦後 軍国主義の愚の骨頂として痛罵された狂乱の極みにほかなりません。
しかし 国敗れんとするや 祖国防衛に殉ずるは 古今東西を通じて変わりないのではないか、よくぞ狂ったと私は言いたいのであります。
これら勇気ある小国民の御霊は 後世の私どもに向かって こう訴えているのではないでしょうか――
我ら学童は ただむざむざと殺された羊の群れにあらず、死を決した小戦士なり。憐れむなかれ、讃えよ、と。
そのような生徒はごく一部だったと言われるかもしれません。
しかし 疎開児童たちも ある意味で もっと悲壮に頑張っていたのです。大空襲で家族そろって死んだ人々をさえ羨む運命が ある子どもたちを待ち受けていたからです。集団疎開で寺で寝起きしていた生徒たちは 三月十日に亡くなった親たちの名を告げられるや 畳を掻きむしって号泣し、その泣き声は本堂に満ちあふれました。雪の新潟の厳寒で凍傷にかかり 骨の見える手指で顔を覆って――。
しかも健気にも この子らは「天皇陛下の御為に」と斉唱しながら通学し、翌四月 中学に進学するや 私ども生き残りのごく少数の生徒とともに 退役将校の指導下に 白兵戦にそなえて手榴弾投げの教練に従事していたのであります。
なぜこれほどの苛酷に十歳前後の子らが耐えることができたのか、それを極限状況の中の異常心理、軍国主義の暴力と捉えることは容易です。実際に津々浦々の慰霊祭 平和教育では そのように伝えられてきました。しかし それだけのものだったのでしょうか。
私は 今日ではほとんど理解不能となったこの精神状態を支えていたものは 幼き胸にも染みついた武士道日本という誇りだったと言いたいのであります。
我らの同志 執行草舟は いみじくもその著書で こう言い切りました。
本土決戦で一億玉砕していたならば むしろ武士道日本の真姿は残ったであろう、と。
戦後民主主義の虚構を暴露するこれ以上の啓示、逆説はありません。
いかに批判されようと忘れてならないことは あの国家滅亡の淵瀬に立った時ほど 私たち国民が一心同体だったことはないという事実であります。
もはや戦線銃後の別なく 「ここも戦場だ」との幟旗のひるがえる中 空では「バトル・オブ・東京」が繰り広げられ、少年航空兵までが皇都を護らんとして空の要塞ことB29の巨体に体当たりを敢行し、陸では戦う僕ら小国民があらゆる苦難に耐え ただひたすら勝利を信じて 小さな肉弾をもって敵を阻止せんと決意していた あの一体感であります。
群狼諸国家に取り囲まれ 喫緊の有事を前にようやく英雄的日本の目覚めが見えはじめてきました。
ただし 何を拠り所として立つか そのルーツは忘却されたままです。しかし、三島由紀夫が血涙をもって訴えた「自由でも民主主義でもない日本」の内側からしかそれは甦りません。国敗れんとするも いかにいたけない小童といえども つい八十年前にはそれはあった。そして業火にあたら花のつぼみを焼き尽くされようとも 神州不滅を信じ 誇りとし その護りに殉じたのです。
このことを証し 讃える場は 霊性日本の真柱 ここ靖国神社のほかにありません。
桜花に囲まれ 神鎮まります英霊の各位に 伏して願い上げ奉ります。
今日ひと日 九段の大鳥居の内に あまたなるこれら幼き雄々しき御霊を不死鳥として迎え容れ、雲居のふところに抱き賜らんことを。
令和八年三月十日
旧深川区住民・下町大空襲生存者 戦う僕ら小国民祭主
竹本忠雄