「戦う僕ら小国民」顕彰鎮魂の会

「戦う僕ら小国民」顕彰鎮魂祭 御礼文

御礼 ― 協賛者各位様へ ―


きょう、この靖國の庭に、戦いに散った雄々しき日本の子供たち(小国民)の慰霊祭を執り行なうことが出来たことを心から喜びます。ここに私は、「戦う僕ら小国民」 顕彰鎮魂の会を立ち上げた発起人代表として、協賛された方々すべてに深く御礼を申し上げたいのです。

我々の心に、戦中の子供たちの心が、その勇気ある真の愛国心という魂として、響いてくださったと深く信ずることが出来ました。これもすべて、その中心には、あの大空襲を生き延びた竹本忠雄先生が抱く、死んだ友人たちに対する真心の雄叫びが存在したからに他なりません。


竹本先生は、あの昭和二十年三月十日の東京大空襲を本当に奇跡的に生き延びたのです。その日以来、先生は「小国民」として敵と戦い続けていた友人たちの無念の死を悼み続けていたのです。先生の戦後とは、その友人たちに対する真の友情によって築き上げられたものだったと私には思えるのです。

大空襲の弔いは今日まで、種々行なわれて来ました。しかし、子供たちのあの秘められた雄々しき心を伝える者はおりませんでした。むしろ、悲惨な犠牲者として、憐みの対象にすらされていたのです。このことを、先生は悲しみ続けて戦後の七十五年を生きて来たのです。

先生は私にこう言われました。「私と友人たちは、みな子供だったが、兵隊さんと一緒に戦っていたのだ。だからこそ、あらゆる困苦に耐えることが出来た。我々は犠牲者ではない」。私はこの先生の言葉を聞いたとき、本当に魂が震えたのです。この思想こそは、日本の歴史に刻まなければならない。残さなければならない。私にはそうとしか思うことが出来なかったのです。


このようにして、この顕彰鎮魂の会は発足したのです。先生の七十五年に亘る「祈り」が生み出したものと言えましょう。この会において、先生が後世に残したい意志は、一つしかないと私は思っています。それは、「恩」のために死ぬ生き方こそが、日本人の本当の魂であるということに尽きるのではないでしょうか。


先生は、あの戦争中の自分と友人たちはみな、国のために死ぬ覚悟で生きていたのだと語っているのです。国のために命を捧げるとは、「恩」のために死ぬということを意味します。先生は、あの当時の子供たちがそうだったのだという生き証人なのです。

先生の人生は、まさに「恩」のために生きる人生だった。

その業績は、美智子上皇后様の真心を世界に伝道し、三島由紀夫の自決の真意を明かすために、ただ独りパリで立ち上がったことによっても証明されています。先生の人生は、まさに国の恩、皇室の恩、日本文化の恩のために生きた人生なのです。


先生の人生と、国のために戦って雄々しく死んでいった子供たちのことを仰ぐとき、私は自分の人生を激しく恥じるのです。戦後の自分礼賛の世の中を生きて来たことそのものを恥じる。私だけではない。戦後を平然と生きる者たちは、みな罪人だと言ってもいいのではないか。エゴイズムに塗れた「自分教」という邪宗門の狂信者たちではないのか。私は、この戦後のけがれを深く知るためにも、戦中の子供たちの純粋な心に思いを馳せなければならないと考えているのです。


戦中の子供たちの魂の実体を、先生は生き証人として伝えて下さった。年端もいかぬ小学生だった当時の先生やその友人たちでさえ、国のために命を捧げようとして生きていたのだ。この日本人の真の魂を、我々は絶対に後世に伝えなければならない。きょう今日、発足したこの「戦う僕ら小国民」顕彰鎮魂の会は、このような意志で立ち上げられたのです。あとは、この思想を伝え続けることこそが、我々すべての使命のひとつとなることを願うのみです。


令和四年三月十日 「戦う僕ら小国民」顕彰鎮魂の会

発起人代表 執行草舟


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