
御礼 ― 協賛者各位様へ ―
皆様の熱い応援によって、きょう、この靖國の庭に集うことが出来ましたことに深い喜びを感じています。今から四年前、令和四年三月十日に、第一回の「戦う僕ら小国民」の集いを行ないました。この四年の間、私はこの集いがもつ真の価値の広がりを感じ続けて来たのです。
その力をもって、ここに第二回の集いを開催する運びとなりました。八十年前の三月十日、多くの市民と共に東京下町の子供たちは国に殉じて戦死されたのです。その雄々しきを鎮魂するこの会を執り行うことに私は深く名誉を感じています。私はこの会の発起人代表として、ここに志を共にする皆様の協賛に対し深く御礼を申し上げたいのです。
きょう行なわれた「戦う僕ら小国民」顕彰鎮魂の儀式を通じて、私は戦中の子供たちが抱いていた忠君愛国の魂を再び甦らせることが出来たと思っています。これは皆様もそう感じて下さったと思います。
この会が発足した由縁は、あの大空襲を生き延びた竹本忠雄先生が抱き続けている、亡くなった友人たちに対する鎮魂愛惜の情がその根本を立てているのです。先生は本当に奇跡の連続によって、あの大空襲を生き延びました。先生の目の前で、多くの知人や友人たちが焼け死んでいった。その無念の思いが、先生の戦後の人生を決定付けました。
この会を通じて、現代の日本に伝えたいことはただ一つしかありません。それは戦後の平和は、当時の日本人が勇気を振り絞って戦い続けたその痕跡の上にしか存在していないということです。年端もいかぬ子供たちまでが、国を信じ、親を信じ、歴史を信じて死んでいったのです。我々はそれに対して無限の感謝を返すことしか出来ません。物理的に我々に可能なことは、この事実を後世に伝え続けることでしかないのです。
あの空襲の生き証人である竹本忠雄先生の戦後を立たしめた、この嗚咽、この慟哭、この憧れを我々は伝え続けなければなりません。それが戦時下の子供たちの真実の心だったからです。この会を立ち上げた私の決意は、先生の言葉しかありませんでした。先生は私にこう言われたのです。「私と友人たちは、みな子供だったが、兵隊さんと一緒に戦っていたのだ。だからこそ、あらゆる困苦に耐えることが出来た。我々は犠牲者ではない。我々は戦って死んだのだ」。
この会は、この言葉によって生まれました。私は先生のこの言葉を聴いたとき、本当に魂が震えたのです。この思想を日本の歴史に刻まなければならない。残さなければならない。これによって、この顕彰鎮魂の会が発足したのです。だから、この会は竹本先生の戦後の「祈り」が創り上げたと言ってもいいでしょう。
この会を通じて、竹本先生が後世に残したいと考えている意志は、戦いに死んだ子供たちの本当の心だけだと私は思っています。それは「恩」のために死ぬ生き方ということです。それが日本人の本当の魂であるということに尽きるでしょう。あの空襲で死んだ子供たちは、「恩」のために死んだ人たちなのです。
子供たちは、天皇陛下の恩、国の恩、親の恩のために死んでいった。決して犠牲者ではないのです。祖国の平和を築くための礎として自らの命を捨てたのです。竹本先生からは、あの当時の子供たちの考え方を多く教えていただきました。子供たちは、日常生活の中で、すでに戦死の覚悟を固めていた。その勇気、その誇り、その健気さこそを伝えようではありませんか。
竹本先生の業績は、ここで詳しく言う必要はありません。その人生は国の恩に報いるだけの人生であることを伝えるのみにしたいと思います。その恩に報いる一つの「行為」「行動」が、この会を生み出したと言えるでしょう。戦争で亡くなった人たちを「犠牲者」に「祭り上げ」、空想的平和に浸る、この戦後八十年を真に恥じるためにも、戦中の子供たちの本当の「愛国心」を伝えることの重要さを私は日々噛み締めているのです。我々に残された義務は、いかなる困難をも斥けて、この戦い続けた日本人たちの雄々しい魂に祈りを捧げていくことに尽きるのです。
令和八年三月十日 「戦う僕ら小国民」顕彰鎮魂の会
発起人代表 執行草舟