草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 太宰治『ヴィヨンの妻』より

    理由のわからない可笑(おか)しさが、ひょいとこみ上げて来たのです。

  人間の使命に生きようとして、なお生き切れぬ人たちの悲哀が綴られていく。人間の魂に忠実であろうとして、生活の重圧に押し潰されていく人たちの叫びと言ってもいいだろう。その中に漂う「黄昏のユーモア」とも言うべきものが見える。真のユーモアとは、人生の苦痛から生まれる憧れの断片ではないだろうか。すべての憧れは「弱さ」によって潰されてしまう。それを嗤う 人間は、人生の苦しみを背負わぬ者に違いない。その魂の清純を見つめなければならない。
  人間の魂の中に鎮む、純心を見ることが本当の人生を創る。それが自己の人生を立てるユーモアを生むのだ。ユーモアのない人生は、動物の生だ。冒頭の言葉は、その苦しみの中から込み上げる人間性の豊かさを示す言葉に他ならない。負け続ける男の純情を知っているのだ。この台詞は、その本質的情景を捉えている。つまり、この苦悩の物語の中に、真の愛をもたらす言葉なのだ。愛は、苦しみの中に希望をもたらす力がある。それが自然と湧き上がった情景である。人間の真の豊かさだ。
  無理にではない。「ひょい」と可笑しみを感ずるのだ。自然の中に、我々の生の喜びを見出すのである。悲哀の中に、可笑しさを見出すことが日本人の美意識を育んで来た。貧しさの中に、我々の祖先たちは喜びの種子を見ていた。苦悩の中に、真の美しさを見たのだ。この冒頭の言葉に出会ったとき、私は人間のもつ苦悩の多くを理解した。そしてこの言葉を思い出す度に、私は自己の運命を真正面から見つめる勇気を得るのだ。我々の魂の奥底には、生の喜びが眠っている。

2021年5月3日

太宰治(1909-1948) 小説家。井伏鱒二に師事。自虐的、反俗的な文体で人間の偽善を告発する作品を多数発表。戦後は無頼派文学の旗手として活躍するが、玉川上水で入水自殺した。代表作に『斜陽』、『人間失格』等がある。

ページトップへ