草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』より

    待つことしか存在していないのだ。

    《 Il n’y a qu’à attendre. 》

  我々の人生は、何かを待つことしかないのだ。その何かがわからない。わからないが、その何かを待ち続けることしか生きることは出来ない。この広大な混沌の世の中に生まれ落ちて、ただ一つ確かなことは、我々は何かを待っているということなのだ。その待つことの宇宙的真理がわかれば、我々の人生は必ず立つ。信ずるとは、その待つものの特定に他ならない。信ずる人間にだけ、本当の人生が訪れる。そのいわれは、ここに尽きるのである。
  それが間違っていようと、信ずる者にはそれを待つ「人生」が与えられるのだ。待つものが決まれば、自己の運命が回転を始める。自己固有の人生が動き出すのだ。信ずるものがない人間は、その運命が死に絶える。死に絶えた運命が、安心・安全・保障を志向するのである。運命が死に絶えれば、人間の精神は死ぬ。それによって、肉体の人生だけしか見ることが出来なくなってしまう。自己固有の運命こそが、人生そのものを意味しているのだ。そして、それは待つことによってしか発動しない。
  私は自己の運命を愛して来た。運命への愛は、私の根本哲学となっている。待つことの運命性を語る、このベケットの舞台に触れたとき、まさに私の運命は震撼したのだ。理想とは、待つことに他ならない。その悲しみを抱き締めることである。彼方に煌く憧れに向かって生きる。それは、「まだ・ない」ものを待つことなのだ。ベケットの深淵が、私の魂を貫通した。信ずることの本質を、私はベケットの言葉に見出したのだ。私は死ぬまで、まだぬ何かを待ち続けるだろう。

2021年5月24日

掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.443
サミュエル・ベケット(1906-1989) アイルランド出身の劇作家・小説家。パリのエコール・ノルマル・シュペリウールで英語講師として勤務。のちヨーロッパ各地を遍歴、第二次大戦中は抵抗運動に参加。戦後はパリで執筆活動に専念し、数々の作品を発表した。代表作に『ゴドーを待ちながら』、『モロイ』等。

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