執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
科学は人間の形成であるにかかわらず、
人間を超えたいわば
科学の本質を捉えた、最も深遠な思想である。それが下村寅太郎だ。下村の書物には、感動せぬものは一つもない。その中でも、特に未来への予言性は、他の科学者たちの追随を許さぬものがある。下村の予言は、私の「未来論」を支える最も深い理論なのだ。その理論は、西洋の本質と東洋の実体の把握の上に築かれている。冒頭の言葉は、人間の行き着く先について、私に最終的直感を授けてくれたものの一つなのだ。科学を動かすものが何であるのか。私はこの言葉によって理解した。
三崎船舶の平井社長から、この下村理論を教えられた。平井社長は、下村の数学理論を面白がっていたが、私はその科学哲学に特に惹かれていた。私は朝の八時から、夜の十一時まで働き続けた。造船所の労働は過酷だったが、それ以上の幸福を与えてくれた。私の青春は、その過酷の中に展開したのだ。休憩時間に平井社長と語り合う科学論は、私の精神を飛躍させてくれた。過酷な労働が、哲学と科学を私の内臓に減り込ませたのである。
私は自分の生命が、宇宙の力によって実存することを体感していた。その宇宙の力が、私に幸福を与えてくれたのだ。労働がそれを注入した。私の哲学と学問のすべては、この時の過酷な労働によって血肉となったのだ。人類が築いた科学の本質を、私は下村理論によって学んだ。しかし、それが脳髄を貫徹したのは労働の過酷だった。自分が生きようとする意志が、科学の生きようとする意志を捉えたと言えるのではないか。冒頭の言葉を中心として、私は科学のあるべき姿と、科学がもたらす未来の在り方を体感したのだ。
2021年5月31日