草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • シモーヌ・ヴェーユ『重力と恩寵』より

    報いを受けることは、エネルギーの堕落になる。

    《 Toute forme de récompense constitue une dégradation d'énergie. 》

 私は、「憧れ」だけに生きようと決意している。その憧れとは『葉隠』の思想をこの世で実現することである。つまり、それは人間にとって到達不能の目標に向かって生きるということに他ならない。その「死に狂い」と「忍ぶ恋」そして「未完」は、生身の人間の生を許さぬ厳しさをもつ。それを必ず、やらねばならぬ。そして、この武士道の先に、宇宙の実在と人間の実存の故郷が存在する。到達不能の「そこ」へ、私は必ず行くのだ。
 私にとってこの世とは、人間存在の崇高へ向かう道程なのだ。崇高性の修行を、私は人生と心得ている。その崇高を生き切った人間のひとりに、このヴェーユがいる。若くして死んだヴェーユは、まさに崇高そのものだった。私はヴェーユと対面するとき、自己の卑しさに打ちのめされる。美しい人だった。優しく、激しい人だった。愛がこの人物を生かし、そして殺した。愛の無常を、この人ほど感じさせてくれる人はいない。
 我々が本来的にもつ美しさは、それが実現されるやいなや、汚濁に塗れてしまうのだ。美しかったあの初心が、あの希望が、何故に汚れた傲慢と満足に変わってしまうのか。この世で報われることの恐ろしさを、私は感ずる。報いほど恐ろしいものはこの世にない。ヴェーユは、それを思い出させてくれる。小さな報いでも、我々は堕落させられる。我々が人類として与えられた、本来的な崇高性が損われるのだ。自分に幸運が訪れたとき、私はいつでもこのヴェーユの魂を思い出している。

2019年7月13日

シモーヌ・ヴェーユ(1909-1943) フランスの哲学者・著述家。フランスの名門リセであるアンリ四世校でアランに師事。パリ高等師範学校を卒業後、各地のリセで哲学教師として教鞭をとった。女工としての工場労働、義勇軍兵士としてのスペイン内戦参加、ロンドンで自由フランス軍の対独レジスタンス運動を経験するも、若くして夭折。

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