草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 楚俊禅師「偈」(圜悟禅師語録より)

    両頭(りょうとう)(とも)截断(せつだん)せば、一剣(いっけん)(てん)()って(すさま)

    《 両頭俱截断 一剣倚天寒 》

 人生は、自己の脳髄を真っ二つに切り裂かなければ進むことすら出来ない。真に進むとはこのいである。前後截断だけではなく、左右上下すべてを截断しなければならない。その勇気だけが、我々の人生を築き上げる力をもつ。「迷い」を截断すれば、天から我々に剣がもたらされるのだ。宇宙と生命の厳しさの中から、剣が降り下って来る。この剣とは、キリストがマタイ伝十章に述べたその剣である。「私は、この世に平和ではなく 剣をもたらしに来たのだ」というそれだ。
 剣は涙である。つまり、我々の人生の決意ということなのだ。それは、我々人間の真の旅立ちとなるだろう。剣によって、我々の中に垂直の悲しみが立ち上がる。それが、我々の生命を燃え尽きさせるのである。燃える生命を創り上げるのだ。剣を帯びれば、我々は自己の運命に立ち向かうことが出来る。そして、我々は剣の掟に哭かなければならないのだ。その剣は、我々に与えられた生命の本源だからだ。自己の生命と向き合い、自己の運命に向かわなければ本当の人生はない。
 私の武士道は、この言葉を小学生のときに摑んでいた。意味は分からなかった。しかし、その美しさに感動していたのだ。私の尊敬する楠木正成は、この言葉によってあの湊川の死地に赴いたと伝えられている。それだけで、私がこの言葉を生涯の座右に置くには充分な理由となった。私はこの思想に長く呻吟し、そして剣を手に入れたのだ。それは破邪の剣だ。邪を切り捨てる剣である。私は自己の武士道を貫くことが出来るようになった。

2019年7月8日

掲載箇所(執行草舟著作):『生くる』p.395、『根源へ』p.152,176,463、『悲願へ』p.174、『夏日烈烈』p.425、『風の彼方へ』p.82、『憂国の芸術』p.195
楚俊禅師(明極楚俊)(1262-1336) 元の禅僧。鎌倉末期に来日し、諸寺を歴住。後醍醐天皇、北条高時の帰依をうけ、鎌倉の建長寺、京都の南禅寺、建仁寺の住持を務めた。後醍醐天皇の復位の予言や、湊川に赴く楠木正成に上記の「偈」を与えたという言い伝えが残っている。著作に『明極楚俊和尚語録』がある。

※左の写真は、楚俊禅師が開山した広厳寺で、湊川へ赴く楠木正成が立ち寄ったと言われている。

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