執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
小学校五年のとき、この言葉に出会った。そのとき、私は意味が何も分からずにただ驚愕したことを覚えている。その深淵に打たれたのである。何と美しい言葉なのだろうと思った。そして、この思想の中に自己の人生が隠されているように感じたのだ。それは直観だった。理由は何もない。それ以来、六十年に亘って、私はこの言葉の中に秘められたものと対峙し続けて来た。この思想と対決しなかった日は、一日もない。この言葉を自己だと思わなかった日は、ない。
銀の椀の中に、銀色に輝く雪を盛り付けるのだ。私はこの思想の中に、人生の悲哀のすべてを感じ取っている。人間が人間として生きる悲痛の根源を見ているのだ。無限との合一と言うべきだろうか。有限の中を生きる我々の生が、無限の深淵と融合していく悲しみが存している。宇宙の本源である核融合に向かう覚悟が、この禅の思想を自己に引き付けてくれる。我々の生は、宇宙の実在と融合することによって永遠を摑むことが出来る。それに向かう不退転の決意が滲んでいる。
何ものかと合一することに、我々の生の意味があるのだ。我々は宇宙の神秘と融合しなければならない。我々は自身の生を殺すことによって、大いなるものと成っていくのだろう。雪は厳しく冷たい崇高を表わす。そして盛るとは、我々の生きる力そのものを表わしているのだ。飯を喰らう我々の命だ。我々は厳しく冷たいものと融合せねばならない。それを喰らって、生きなければならない。崇高が我々人類の目的なのだろう。それを受け取る我々の命も、また銀色に輝く崇高で出来ているのだ。
2021年6月21日
掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.125、『風の彼方へ』p.25