執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
生きた
自己の生命を立てるには、孤独を抱き締めなければならない。自己の生命は、自己だけのものである。つまり誰にも理解されることはない。他者と分かち合えるものは、自己固有のものではない。理解とは、人間の生命がもつ一般論において有るのみだろう。従って、他の人々と分かち合えるものからは、自己固有の生が生まれ出づることはない。自己固有の生は、この命を与えてくれた宇宙の実在との関係においてしか生まれないのだ。その関係をマルチン・ブーバーは、我と汝の問題と名づけた。
我と汝の関係は、すべてが初めてであり、またすべてがそれで最後なのだ。その関係の上に、我々の真の人生が築かれていく。つまり、生きている生のことである。それは誰とも比較することのできぬ自分だけの生だ。それは、この世における一回性に自己の命をかけることだけによって成就される。その命がけの積み上げの末に自己の生は確立される。自己固有のその生は、宇宙の実在とだけ交流している。我々の生命の淵源としての宇宙は、我々の生を見つめているのだ。我々が生まれたときから、それはずっと見つめている。
我々が死ぬとき、その見つめる者の懐に抱き抱えられるだろう。そう生きるのが人間である。人間燃焼とは、それに尽きる。この世ではすべての機会が、一回しかないのだ。本当のものは、すべて一回しかない。何回もあることは、すべて嘘でしかない。人間が、文明を築くために思考した方便と言えよう。それを知っておく必要がある。自己の生を燃焼させるものは、運命として来る一回だけのものなのだ。本当に愛する者は、ただ独りしかいない。本当の役割は、ただ一つしかない。
2021年6月28日
掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.396、『現代の考察』p.712