執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
これによって、ただこれだけによって、我々は生きて来たのだ。
《 By this, and this only, we have existed. 》
エリオットは、二十世紀の黙示録である。そこには、人類の破滅と救済が示されている。私は、その『四つの四重奏』の予言によって立ち、その『荒地』の破壊によって自己の生存を救済したのだ。現世の破壊が、私の武士道を磨いていた。現世のど真ん中に、天の瓊矛を打ち立てねばならない。私はそう決意していた。現世において、武士道を貫くとは「社会的死」を意味していた。それを断行しなければならない。私の生命は、革命のエネルギーを欲した。
武士道の貫徹には、何の道理もない。それは、不合理の中を突進する勇気だけを必要としていた。革命の中に死ぬ覚悟だけが重要だった。道理のない人間である私にとって、このエリオットの言葉は、まさに天啓であり慈雨だった。一つのことを成して、一つの人生を生き、一つの生命として死ぬ。エリオットは、私にその思想を落としてくれたのだ。この座右銘の前段には、情熱に向かって突進する生命が語られていた。これだけでいいのだ。これだけで人生はいいのだ。
魂を求め続けた我々の祖先は、人生をこう感じていた。自分の信ずるものに突進する。人生はこれだけでいい。二十世紀最大の詩人が、人生とは情熱の突撃なのだと言っている。私は革命的な情熱の解釈を『荒地』の中に見た。そして、これだけでいいのだと言い切るエリオットの生命に、私は本当の人間の実存を見つけていた。私は、こう言える人間に至りたいと感じた。そして、五十年の時が流れた。私は今、この言葉の通りに言い切ることが出来る。
2019年7月29日
掲載箇所(執行草舟著作):『「憧れ」の思想』p.285、『魂の燃焼へ』p.235、『孤高のリアリズム』p.218