草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • ヴィルヘルム・ミュラー「冬の旅」より

    よそ者として訪れ、よそ者として去り行く。

    《 Fremd bin ich eingezogen, Fremd zieh'ich wieder aus. 》

  あのフランツ・シューベルトによって、「歌曲」として歌い上げられた名作である。シューベルトの「冬の旅」は、このミュラーの詩を歌ったものなのだ。ゲーテの詩を歌った「魔王」と並び、「冬の旅」はドイツ・リートの名曲として今に残っている。私は小学校五年のときから、この「冬の旅」と「魔王」をこよなく愛して来た。シューベルトと旧制高校寮歌は、私の武士道を支える歌だった。そこには、人間存在の苦悩と希望が織り上げられていたのだ。人間として生き、人間として死ぬ。その精神のことだ。
  人生とは、それそのものが旅なのだ。我々は、この世に旅人としてやって来た。そして故郷へ向かって死ぬ。人間として生きるとは、それを言っている。多くの宗教家や魂に生きた人々が口を揃えてそう言っていたのだ。それが、人間としてこの現世を生きる慎しみを生んで来た。松尾芭蕉もその『奥の細道』において、人生を「百代の過客」と 表わし、そこに生きる我々を「旅人」と認めていた。その精神がまた、あの偉大な芸術を生み出したのだろう。
  私は、自分自身をこの世の旅人だと思っている。この世そのものを旅しているのだ。だから、特別に旅行に行きたいと思ったこともない。私はこの世を精一杯に見て、そして感じて死ぬつもりだ。この世が終われば、懐かしい我が家に還ることが出来る。そこでは、愛する人々が待っているだろう。私の生の淵源が、荒涼として広がっているに違いない。ミュラーの詩を口誦さむとき、私はいつでも故郷を偲んでいる。「冬の旅」を愛していた多くの先人たちと共に、人間の魂の故郷を仰ぎ見ているのだ。

2021年11月6日

掲載箇所(執行草舟著作):『憂国の芸術』p.73、『孤高のリアリズム』p.33
ヴィルヘルム・ミュラー(1794-1827) ドイツの詩人。大学卒業後、ギムナジウムで教師、図書館長を務める。ロマン溢れる民衆的心情の詩を多数執筆。特に『美しき水車小屋の娘』と『冬の旅』は、シューベルトの作曲によって広く知られる。ほか『ギリシア人の歌』等。

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