草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 田村隆一 詩論『路上の鳩』より

    人間が死ぬことのできない世界は、生きることもできない。

  人間存在の中心は死である。生は死のためにのみある。死によって、人間の生の価値は決まるのだ。その死が、いま失われてしまった。人間としての死が、この世から無くなってしまったのだ。現代の文明を特徴づける生の礼讃が、死の存在を圧殺してしまった。死は我々の生活から消え失せ、死者たちはもう顧みられることもない。いまの世は、生きている者だけの世の中となった。死は、暗く深い深淵に沈められてしまった。死の尊厳が、人間から奪い去られたのである。
  現代を生きる我々にとって、死が暗く悪いものとされてからもう久しい。崇高な死に向かって生きることは、危険な思想とさえなってしまったのだ。動物の肉体を、一日でも長く健やかに保つことだけに価値が置かれている。その肉体よりも大切なものがあることは、誰も思い出さない。医療と法律による死が、我々を待っている死なのだ。それは人間の死ではない。それは生物の死、棲息物の死に過ぎない。我々は、そのような時代を生きているのだ。
  詩人は、それを悲しみ嘆いている。尊厳に満ちた崇高な死が待っていない人生など、生きるに値しないのだ。人間の死を死に切ることの出来ない世は、本当の生を生きることもまた出来ない。詩人は他の詩においても、「地上には我々の墓がない」と語っていた。我々の時代は、このような孤独を「生きようとする意志」に対して与えているのだ。棲息する者に都合の良い世の中は、真の人間の生にとっては地獄なのだ。自分の死を見詰めて生きることの出来る世の中を、この詩人は祈り続けている。

2022年3月19日

田村隆一(1923-1998) 詩人。学徒出陣で、水兵入隊し、海軍少尉となる。終戦後、鮎川信夫、北村太郎らと『荒地』を創刊。自身の体験に裏付けられた文明批評を展開した。推理小説の翻訳でも有名。代表作に『ハミングバード』、『四千の日と夜』等がある。

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