草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 内村鑑三『日記』より

    墓に入る日まで、独立であらねばならぬ。

  ただ独りで生き、ただ独りで死のうとする人間の矜持である。独立自尊という思想を、内村鑑三ほど実行した者を私は知らない。その人生は最後の日まで、自己存在の独立のための戦いだけだった。それは凄絶な人生であり、また崇高な燃焼だったと言えるだろう。覚悟ということについて、内村の人生ほど真摯なものは少ない。内村は神とだけ対面しようとしていた。冒頭の言葉の前に、「若い時には老人より独立せねばならぬように、老いては若い人より独立せねばならぬ」とある。
  これを、涙なくして読める者があろうか。この気概、この勇気。私は、この武士道の体現者を仰がぬ日は一日もない。近代社会を武士道によって生き抜く者にとって、内村の人生はいつの日も仰ぎ見る山塊である。内村の舐めた苦悩に比すれば、私の人生の苦痛などは児戯に等しい。あまりにも幸運な人生、あまりにも安楽な生活なのだ。どうやって、この内村の悲憤慷慨とその慟哭に報いるべきか。それこそが、私の武士道的人生を創り上げて来たように思う。
  私の『葉隠』は、内村のもつキリスト教によって鍛えられた。すべてから独立した自己の生命の尊厳を見つめる。それを勝ち取り、それを維持し、それと共に死に果てる。それが人間の本来だと思う。そのための戦いが、人生そのものを創るに違いない。生命の尊厳とは、神の微笑である。それだけでいい。そのためにだけ生きる。内村の思想は、私の根源的実在を屹立せしめているように思う。内村によって、私は人間のもつ宇宙的使命を知った。そしてそれが、私に「絶対負の思想」を築き上げることを命じたのだ。

2022年4月9日

内村鑑三(1861-1930) キリスト教指導者。札幌農学校を卒業後、アメリカへ留学。日露戦争では非戦論を主張。自身の思想である「無教会主義」を唱え、積極的な伝道、研究、著述活動を行なった。著作に『代表的日本人』、『余は如何にして基督信徒となりし乎』等がある。

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