草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 折口信夫『現代襤褸集』(日本の恋)より

    恋の亡びた日本なぞ どっかへ行了(いっちま)

  折口信夫は、戦後日本を嘆いていた。日本人の心を失いつつあるその姿を悲しんでいたのだ。特にその情熱の喪失を憂いた。情熱を失えば、その民族は文学を失う。文学を失えば、神話を失うのである。そして神話を失えば、その民族の歴史は終焉する。折口の詩には、その慟哭が謳われていた。折口は、日本精神の中枢にスサノヲの命を置いていた。それが失われたのだ。折口は戦後間もなく「スサノヲの 昔語りも 子らに信なし」と絶叫した。情熱が、眼前で崩れ去った。
  折口はスサノヲの魂に、日本人の情熱とその溢れるような恋心を見ていた。何ものかを激しく恋するその純心を、スサノヲの神話に見出していたのだ。それさえ忘れなければ、日本の将来はどうにでもなる。情熱とは、つまりは恋心なのだ。恋とは、何ものかを激しく慕う心を言う。恋心なくして、愛などは生まれようもない。恋を経ない愛は、嘘の愛である。自己を忘れるほどに焦がれ狂った恋心だけが、本当の自己を創り上げるのだ。死ぬほどの恋である。
  命がけのものは、すべて恋なのだ。命よりも大切なものをもつことが、本当の恋を知るということだろう。私の信ずる「葉隠」は、忍ぶ恋を武士道の中枢に据えている。恋心のない者は、武士道に生きることは出来ない。そう山本常朝も言っている。恋とは、自己を乗り越えることである。自己を失うことなのだ。自分などよりも、ずっと大切なもののために自己を投げ捨てることを言う。その心が日本から失われているのだ。神話を失って、我々は自己の生命の誇りを失った。恋が亡びれば、日本はなくなる。

2022年5月21日

折口信夫(1887-1953) 歌人・国文学者・民俗学者。学生時代より作歌に親しみ『アララギ』同人、のち北原白秋らと『日光』を創刊。柳田国男に師事して民俗学の研究に努め、日本文学、古典芸能を民俗学的視点から考察し、独自の境地を切り拓いた。また釈迢空の号で多くの詩歌を発表した。『古代感愛集』、『死者の書』等。

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