草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 萩原朔太郎『氷島』(帰郷)より

    過去は寂寥(せきりょう)の谷に連なり、未来は絶望の岸に向へり。

  何事かを為す人間の「現在」が表わされている。最も崇高な一節である。人間のもつ崇高は、いかなるものから生まれるのか。それを余すところなく表現している。人間の歴史が抱える過去の悲哀に思いを馳せることの出来ない人間は、何も為せないだろう。その過去が、自分自身の過去と重複する生き方をして、初めて志は立つ。人類の未来に、憂いを持たぬ者は、何も為すことが出来ない。その人類の未来と自己の将来を、同一のものと見なして、初めて人間は立つのだ。
  萩原朔太郎は、日本の詩歌に革命をもたらした人物である。悲哀の人であり、絶望の人だったに違いない。しかし、その魂のゆえに、ひとつの天才を与えられたのだろう。本当の「現在」つまり「火を噴く今」は、このような人物によって創られるのだ。今に屹立する人間は、このような時間の中を駆け抜けている。これは朔太郎の生活から来た言葉ではない。天から降った思想である。寂寥の谷とは、『聖書』の詩篇にある涙の谷だろう。また絶望の岸とは、ダンテ『神曲』の地獄篇にある岸に違いない。
  この詩は、朔太郎個人の悲劇が生んだものだ。しかしその本質は、天が朔太郎に命じた現代の神話なのだ。この一節に出会ったとき、私は朔太郎を創った天の意志を感じた。この一節に含まれる思想から、人類は偉大な文明を築き上げて来たのである。私も寂寥の中を生きて来た。それは私の誇りがそうさせたのだ。そして私は、人類の未来に絶望している。それが私に、私自身の宇宙的使命を感じさせてくれる。幸福な過去と明るい未来を望む者に、人間の生は全う出来ないのだ。

2022年6月25日

萩原朔太郎(1886-1942) 詩人。北原白秋の門下として作詩を始める。口語自由詩で新しい抒情性を追求、近代象徴詩を完成し後の詩壇に大きな影響を与えた。近代日本を代表する詩人として名高い。代表作に『月に吠える』、『氷島』等がある。

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