執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
それについては知らない、決して知ることがないだろう。
《 Wir wissen es nicht-werden es nie wissen. 》
デュ・ボア=レイモンは、あの偉大なJ・P・ミュラーの後継者として十九世紀のベルリン大学医学部に君臨した生理学教授である。その『自然認識の限界』は不可知論と呼ばれ、当時猛威を振るっていた唯物論に重大な一撃を加えた名著だった。人間の知性と科学には限界があることを示した功績は、長く歴史に留められるだろう。それは人間の勇気を示すことでもあった。当時のドイツにおいて、科学者が唯物論に物申すことは、その地位を失うことを意味していたのだ。
それを実行した。この一事だけでも、デュ・ボア=レイモンの人格を伝えるに充分な事柄となるだろう。この不可知論は、民主主義と科学思想が暴走を始めようとした時期に成された。その慧眼を、私は若き日から仰ぎ見ていたのだ。まず、自分が物事も知らないことを知ることが最も大切だと私は考えている。これは古代ギリシャのソクラテス以来、賢者と呼ばれる人々が必ず言っていたことなのだ。しかし、この最も重大な「英知」が、十九世紀に至って、壊滅させられてしまった。
その嵐の真っ只中に、この学者は屹立していたのだ。デュ・ボア=レイモンの勇気をいつでも座右に置くことが、現代人の教養なのではないかと私は思っている。その最も分かり易い思想が、冒頭の言葉となっているのだ。私は何事を思考するときも、いつでもこの思想と共に考えている。それが自分の暴走を止める英知だと思っているからだ。武士道に生きる私が恐れることは、独善だけである。だから、このデュ・ボア=レイモンの思想は、私の神でもあるのだ。
2022年7月2日