草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 團琢磨『言行録』より

    代々それで、お苦しみなさったらよかろう。
    子孫が何か苦しむものを持っているが(よろ)しい。

  琢磨は、戦前の日本における第一等の経済人だった。その学識と経営手腕において、今日に至るまで比肩し得る者はないだろう。戦前の三井財閥を、真に世界的なものと成した中心人物と言っていい。その最期は、井上日召によるあの「血盟団」の標的とされ、三井本館前において暗殺された。実行犯菱沼五郎の拳銃が、團琢磨の右胸部に向かって火を噴いたのだ。殺す者も男だった。殺される者もまた男だった。この事件は、悶え苦しむ新興日本のひとつの象徴に間違いない。
  冒頭の言葉は、日本が如何に苦しくとも、世界的な製鉄業を育てなければならないという團の決意を表わしている。この言葉に続いて、その苦しみは男らしい苦しみであり、人間は何か国家的に苦しむことを持っておらぬと、いよいよ馬鹿になる……と続くのだ。團琢磨の真骨頂とも言うべき思想である。これは不況に喘ぐ日本の製鉄業の将来について、團が自らの仕える三井財閥の総帥者、男爵三井高棟に語ったと伝えられる言葉だ。私の経営学は、この思想だけしかない。これだけで充分だ。
  私は自己の運命によって実業家となった。いつ思い返しても、実業家であることそのものが不思議だと思う。しかし、それが運命である以上、その生き方の中に「葉隠」を貫徹させることが私の使命となるのだ。葉隠から紡ぎ出された「絶対負の思想」を、この日本で実業として貫徹させなければならない。そのために仰ぎ見る人物こそが、この團琢磨なのである。團の中に生きる武士道が、私の血を騒がすのだ。その男らしい思想と、それを実行した生き方がいい。そして何よりもその死に様に私は憧れるのだ。

2022年7月16日

團琢磨(1858-1932) 実業家・三井財閥の総帥。13歳にして岩倉具視の欧米視察団に同行、マサチューセッツ工科大学を卒業。帰国後は鉱山局に勤務し三池炭鉱に赴任。三井財閥を工業を主体とした事業体に発展させる。のちに財界の最高指導者として活躍するが、血盟団によって暗殺された。

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