草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  •   趙州真際『趙州録』(第334番)より

    坐底(ざてい)(りゅう)(てい)()、立底に坐底を見る。

    《 坐底見立底、立底見座底。 》

  趙州の禅には、武士道がある。大唐帝国最高の禅師のひとりと言われているが、その本来には日本の武士道を感ずるのだ。禅匠の中で、『臨済録』に伝えられる臨済と並び、私が最も憧れる禅者の双璧となっている。臨済が宇宙を地上に展開しているのに比し、趙州は地上を宇宙に放擲している感がある。その放擲の径路に、私は武士道の重力を見るのである。『葉隠』が伝える涙が、大唐帝国に展開する様を趙州の言行に感じている。趙州と私は、武士道の涙を語り続けているのだ。
  冒頭の言葉は、その趙州が弟子の問いに答えているものだ。趙州は坐わり、弟子は立っているのだろう。質問に対して、趙州はこう答えたのだ。坐わる者は立つ者を見ている。そして立つ者は坐わる者を見ているのだ。そう趙州は答えた。質問の内容などは、どうでもいいことである。趙州の答えの中に、地上における人間存在の、宇宙的実在がある。私はお前を見ている。お前は私を見ているのだ。私は坐わり、お前は立っている。それが人間存在のすべてである。
  私の答えは私の答えであり、お前の疑問はお前の疑問なのだ。私を見て・・答えが分からなければ、お前は永遠に何も分からないだろう。私を見て・・、お前が自分の疑問に何かを感ずるなら、お前は自分と対面・・している。いま私は坐わり、お前は立っている。私を見てお前が自分を知れば、お前が坐わって・・・・私が立つ・・ことになるだろう。それが、この地上の掟なのだ。そして、宇宙が我々人間を創ったいわれでもあるだろう。我々はいつでも、自分の実存の総体によって他を見ている。趙州と弟子の差は無限であると同時に極小なのだ。

2022年7月9日

趙州真際(778-897) 幼少時に曹州の龍興寺で出家。のちに南泉普願に師事、「平常心是道」に関する言葉で大悟、法嗣となる。嵩山の琉璃壇で受戒。80歳から趙州の観音院に住して「口唇皮禅」を宣揚、120歳まで生きた。門弟との問答の多くが後世で「公案」となり名が広まった。『趙州録』等。

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