執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
われらはバビロンの川のほとりにすわり、
シオンを思い出して涙を流した。
記憶が、自己を打ち立てるのである。思い出が、困難を乗り越える力を我々に与えてくれるのだ。良い思い出を持つ者には、宇宙の根源力が降り注いで来る。鮮明な記憶と対面する者は、文明の限り無い知恵を受けることが出来る。秀れた人間は、秀れた思い出を持っている。美しい人間は、美しい記憶を持っているのだ。強い人間は、思い出を愛する。強い民族は、決して根源的故郷を忘れることがない。私はこの詩篇を見るとき、いつでもこう考えているのだ。
私はこの詩篇を、立教小学校の音楽の授業で教わったのだ。宗教哲学者として名高いあの波多野精一の姪にあたる、波多野春子先生が我々の音楽を指導して下さった。その流麗なピアノの旋律に乗せて、美しい声でこの詩篇を歌われた。バビロン捕囚に泣くユダヤ民族は、その故郷シオンを偲んですべてに耐えた。望郷の悲しさが、私の魂を捉えた。そして、その望郷があの強大なユダヤ民族を生んだと知ったのだ。その民族の活力の根源を、私はこの詩に見た。
その時から、この詩は私の座右に掲げられたのだ。この詩がもつ力が、私の中に文明の精神をたたき込んでくれたように思う。後年、フリードリッヒ・ヘーゲルの『精神現象学』を読んだ時、私は精神の根源に「望郷」があることを知った。「自らの精神とは、思い出と記憶のことである」。そうヘーゲルが語りかけてくれたのである。私の詩篇は、ひとつの哲学へと昇華した。人間の精神の根本は、ロマンティシズムなのだ。詩が、人間存在の根底を支えている。私は詩の中を突進しようと決意した。
2019年9月2日
掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.434、『孤高のリアリズム』p.48