草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 埴谷雄高『不合理ゆえに吾信ず』より

    俺は人間でありたいとは欲しない、何か謎でありたい。

 私は埴谷雄高が死ぬほど好きである。その『死霊』に始まる一連の大文学は、人間の魂の淵源を抉るだけの力がある。それは、埴谷が不可能に挑戦しているからに他ならない。埴谷は自己の人生を投げ捨てている。その生を、人間の神秘の追求に捧げているのだ。それを埴谷は『死霊』の中で、自分の望みは「かつてなかったもの、また、決してあり得ぬもの」を描くことだと書いている。だから、埴谷は決して到達できぬものに向かって生きる決意を固めていたに違いない。
 自己の人生の「未完」を受け入れる、その覚悟に私は惹かれ続けている。埴谷の文学はすべて、人生を投げ捨てたその先に存在する魂の山嶺なのだ。自分がこの世に生を享けた、その神秘を仰ぎ見る精神だ。自己の存在を問う、叫びとも言えよう。生存の荒野に向かう、自己の生命の奔流である。つまり埴谷はその人生のすべてを懸けて、自己存在の宇宙的使命を考え続けた。そして、その苦悩の思考過程こそが、人類的な形而上文学を打ち立てているのだ。
 埴谷雄高は、自己の生存をその運命に委ねている。その生命を、創造の神秘に対して投擲しているのだ。自己の生存を宇宙的実在として見る。人間以上のものになろうとする涙が、埴谷を創っている。自己の運命を愛するその人生に、私の魂は震えるのだ。自己の人生を神秘のままに終わらせようとする、その精神に向かって私の実存はくのである。『葉隠』に生きる私は、埴谷文学の中に自己の投影を見ているのだ。私は自分が人間であることを乗り越えたとき、埴谷雄高と合一できる日があると信じている。

2019年11月25日

掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.92、『「憧れ」の思想』p.179
埴谷雄高(1910-1997) 小説家・評論家。共産主義に傾倒、農民運動に参画したことにより投獄される。出獄後は文学に専念。代表作に人類や宇宙の全存在を問う未完の長篇小説『死霊』、『不合理ゆえに吾信ず』等がある。

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