草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • ドストエフスキー『罪と罰』より

    どんなでたらめ(ヽヽヽヽ)をやっても、心さえ歪んでいなければ、
    最後には必ず正しい道に到達すると思っている。

 私の青春はでたらめだった。地底から湧き上がるマグマのような、どうにもならぬものに翻弄される日々だった。それは、苦悩と呻吟だけを私の魂にもたらし続けたのだ。自己の生存の原点を求める、魂の慟哭に近いものだったのだろう。私はなぜ、この世に到来したのか。私はなぜ、いま生きているのか。私の生命は、どこに向かって行くのか。私は自己の生存を持て余していたに違いない。運命を求めていたのである。自己の生存の意義、そして自己の生存の終焉の認識ということだろう。
 私は、その答えを文学に求めていた。特にドストエフスキーにそれを求めた。ドストエフスキーは、私の生き方を支えている思想と成っている。それは私の武士道を根源的に支え、また私のもつ不合理を癒し続けてくれることに成った。『葉隠』の精神を、近代の社会に展開するための道案内と言ってもいい。それは呻吟するひとつの魂が、苦悩する他の魂に語りかける近代の神話なのだ。私はドストエフスキーを貪り読んだ。そして、日々に復活したのである。
 冒頭の言葉によって、私は自己の命を救われたのだ。あの神のごとき人が、私にこう語りかけてくれた。「お前は必ず、ひとつの道に到達するだろう」。そう言ってくれたのだ。私はこの言葉によって、無限の荒野に向かう勇気を得たのである。荒野の中に、死ぬ覚悟が据わったのだ。ドストエフスキーの言葉には、それほどの力があった。心さえ正しければ、そう成れる。つまり、自己の運命を愛し、自己のエゴイズムに食われなければ、私は道に到達できるのだ。私は必ずやる。そう思った。

2019年12月9日

掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.407、『「憧れ」の思想』p.126
ドストエフスキー(1821-1881) ロシアの作家。社会主義運動に関係しシベリアに流刑。出獄後は鋭い感性で人間の本質を捉え、革命へ向かうロシア社会における情念と宗教思想を描いた。代表作に『罪と罰』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』等がある。

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