草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • トーマス・マン『魔の山』より

    人間は本質的に病気である。 … 健康な人は、いつも
    病気が作り上げたものによって生きてきたのだ。

    《 Der Mensch sei wesentlich krank. …Als ob nicht die Gesunden allezeit von
    den Errungenschaften der Krankheit gelebt hätten! 》

 人間とは、文明の中を生き切る存在なのだ。それが、我々人間の宿命である。人間は、この地上に神の国を創ろうとして誕生した。つまり、宇宙の掟をこの地球において実現させるために存在していると言っていい。だから、地球的に見れば「反自然」ということになる。我々は、神の申し子として生まれた。我々は自然の中の一員ではない。我々は、自分の肉体の命よりも大切なもののために生きている。我々の魂には、その大切なものだけが刻まれているのだ。そのために、我々は死ななければならない。
 愛、信、義などがその大切なものの名前である。地上にあるもので、これらのために自らの命を懸けるのは人間だけなのだ。だからこそ、それらが「人間的」と呼ばれることになるのだろう。しかし、それらのエネルギーは、地上の掟においては病気なのだ。我々人間の行動は、他の生き物から見れば全て病気である。そして、それでいい。それこそが、人間の正しい存在価値と言えるのだ。地球上の健全や健康は、我々の魂の敵だ。そう思わなければならない。
 そう思って、初めて我々は人間としての生を生きることが出来る。人間としての死を迎えることが出来るに違いない。私の武士道は、トーマス・マンの文学に出会うことによって著しく直立した。『葉隠』の精神が、人間存在の正義として私の肚に落ちたのだ。マンの文明論には宇宙がある。そして、生命の本源が存在する。人間の文明の衰退を目の当たりにした、マンの慟哭が私に打ち込まれた。その涙が私の中で、息を吹き返した。

2020年2月3日

トーマス・マン(1875-1955) ドイツの小説家。ナチスに追われアメリカに亡命、のちスイスに移住。完成された文体で理想的人間像を描き、20世紀を代表する文学者となる。精神と生の狭間の葛藤を描いた作品が多い。代表作に『魔の山』、『ブッデンブローク家の人々』等がある。

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