執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
春は、やっぱり春であった。
トルストイは、私の青春を創り上げた作家のひとりである。その『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』そして『復活』は、私の人生を今でも支えている。トルストイを語るとき、必ず話されることは、これらの代表作の比較だった。『戦争と平和』そして『アンナ・カレーニナ』はいつでも最高傑作として名指されていた。しかし、『復活』はトルストイ晩年の失敗作と見なされていたのだ。その理屈は、嫌と言うほど読んだ。あらゆる文芸評論家がそう言っていた。それでも、私は『復活』を最も愛していた。
『復活』は、否定の文学である。人生を肯定する他の大作と、そこが決定的に違う。もちろん、肯定と希望の文学も好きだった。しかし、抱き締めて愛する文学は否定の文学だったのだ。否定の中で、もがき苦しむ生の中に、私は『葉隠』の精神を見ていた。どうにもならぬ人間の性の中に、私は人間の愛おしさを感じていた。やるせない事実が、この世を創っている。その苦悩の中を突進することだけが、本当の人生ではないだろうか。
そして、否定の真っ只中に、真の希望を見出すことだけが自己を立てることだと感じていたのだ。『復活』を読み了えたとき、私は冒頭のこの言葉に戻った。これが『復活』の真の意味だと思った。読み流してしまったこの言葉に、トルストイの真意を見た。トルストイが描写した自然は自然ではない。この春は、人間の愛である。信であり義だった。人間の人間たる掟が、すでに春そのものだったのだ。人間は、自分の生き方によって、いつでも自己の中に春を打ち立てることが出来る。
2020年2月10日