執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
悟性の自由な合法則性、これが
「無目的の合目的性」と言われるものだ。
悟性とは、人間的なものの総体を言う。つまり、人間力を形成するための知性や理解力そして分別などだ。それらが柔軟で自由に振舞うほど、宇宙と生命の摂理に適っている。そのような状態を、カントは「無目的の合目的性」(ツヴェックメースィヒカイト・オーネ・ツヴェック)と名付けたのである。そして、人間が人間として物事を判断するための、最も大切な資質としたのだ。私はこの思想に出会ったとき、自己の生命論が音を立てて肚に落ちて行く震動を感じた。人間がもつ、運命の根源をかいま見たのだ。
その美しさを、私の魂が摑んだ。無目的の合目的性は、我々の人生の躍動そのものである。与えられた宿命を抱いて、我々は自己の生命の先に広がる運命に向かって突進する。私の武士道がもつ理想の生命が、この哲学の中に横たわっていた。私は、自己の生命が燃え上がるのを感じた。この生命がもつ奔流は、すべて宇宙の本質と合致しているのだ。人間は、元々そのように創られている。それが生命の根源にある。それが我々の魂の淵源なのだ。カントのもつ論理が、私のもつ美学を愛でてくれた。
この思想を知ってから、私の生命は真の自由を得たように思う。それ以後の私は、自己の運命を信ずることが出来るようになった。目的が無くても、自己の生命を信ずれば、それは本源的な目的に間違いなく向かっているのだ。与えられた運命の中に、すでに正しい目的が収められている。そう、あのカントが論証してくれている。やはり『葉隠』が、最も正しい生命論だった。私の喜びは天を衝いた。我が生命の本当に自由な躍動こそが、すべての本源的価値を生み出す原因となるのだ。
2020年3月2日
掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.374、『生命の理念 Ⅰ』p.271