執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
そこには、何か始原的な恐怖があった。
《 There was something primeval there and terrible. 》
我々の人生は、文明を生きることによって汚染されている。文明が悪いのではない。我々が、文明を誤解しているのである。文明は、我々を安全で安楽にするために発展して来たのではない。文明は、人間がその宇宙的使命を果たすために展開されて来たのだ。しかし、我々はそれを自己の怠惰によって汚してしまった。文明の中に、自己のエゴイズムの保障を見出そうとしている。我々は文明を誤解して、人間の実存と生命の本源を忘れ去ってしまったのだ。
『月と六ペンス』は、そのような人間に、真の人間の存在意義を突き付けて来る。つまり、人間としての真の燃焼とは何かという問題である。現代の文明社会において、我々が自己の実存と向き合うとき、我々には途轍もない恐怖が訪れて来る。その恐怖は、人間として当たり前のことを忘れてしまった恐怖なのだ。つまり、原初の自己自身と対面する恐怖である。実に原始的な古代的な恐怖が、我々に襲いかかる。我々自身の本質が襲いかかる。
この人間の原点にかかわる恐怖こそが、我々の乗り越えなければならない問題なのだ。我々は、文明にすっかり毒されてしまった。その心に、勇気を注ぎ込まなければならない。我々を脅かす恐怖の中に、真実の自己自身がいるのだ。本当の自分は、文明の始原的な原始の中に存在している。その自分と向き合わなければならない。始原的な恐怖とは、文明による汚染を取り去ったときの恐怖だ。その恐怖の中に、我々の生命にとって大切なものが潜んでいるのだ。
2020年3月16日