執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
そして、世界は泥である。
《 E fango è il mondo. 》
この言葉によって、私は自己の世界観を一挙に確立せしめたのである。それだけの衝撃と、それだけの慟哭を私にもたらした。この地上の悲哀を、一身に引き受けるものが我々なのだ。人間のもつ宿命を私は直感した。そして人間を超克することの憧れを、私に植え付けたのだ。どうにもならぬ悲痛が、私に憧れの思想を与えてくれた。我々は、鉱物の地質学的変成に他ならない。その鉱物が、宇宙の淵源から魂を与えられたのだ。そして人間が生まれた。我々の宇宙性は、我々の泥土性の強さに比例する。
つまり、地上の悲哀を強く受けるほど、我々の宇宙的使命が開かれるのである。世界は、泥なのだ。世界は美しいところではない。この世界は、鉱物の末裔たる泥によって支配されている。その世界において、我々の使命が試されるのである。蓮の花は泥の中から生まれて来る。泥を背負う者が、真の人間と成るのだ。私は世界の真実を見たように思った。世界とは何かを、私はこのレオパルディの思想によって理解したのだ。それは後年、「創世記」と結び付いていることに私は気付かされた。
この言葉は、私の尊敬するフランスの劇作家S・ベケットの座右銘だった。それを知り、『カンティ』を読んだのだ。この思想によって、私は長年考え続けていたベケットの演劇思想を摑んだように思う。この一文によって、ベケットの思想の核心に触れたのだ。そして、ベケットの真の世界性を理解したと思っている。私の世界観は、地球の上に直立することになった。泥とそれを生み出したものが、私の生命論と文明論に活力を注入した。泥が本当の命を生み出すことを、私は実感した。
2020年4月20日
掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.442