草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 中河与一『天の夕顔』より

    すべて見えるものは、見えないものの崇高を
    証明するための存在でしかなかった。

  見えるものに価値を感ずる者は、この世の誘惑に必ず敗北するだろう。この世の物質的・生物的価値は、我々の想像を絶する。それは強く、また温かい。美しく、また優しいのである。この世とは、我々の肉体がもつ生物的欲求に対して開かれた世界なのだ。それは、実に魅力のある存在とも言えよう。私は、その魅力を捨てろと言っているのではない。その魅力を凌ぐ価値が、我々の生命を貫く魂にはあると言っている。見えるものは、見えないものによって支えられているのだ。
  私は少年の頃から、武士道だけが好きだった。『葉隠』である。その思想は、すべてが魂に訴える内容だけしかない。目に見えるものは、斬撃と切腹しかないのだ。要は、自決と殺戮である。その武士道に、私は惚れた。私は、死ぬほどに葉隠を愛して来た。それは私が武士道の核を支える、目に見えない「涙」を愛したからに他ならない。目に見えないものを愛する力を、私は偶然に持っていた。今は、それを私の最も大きな財産だと思っている。
  見えるものを支える、見えないものには崇高がある。人間の魂を震撼させる高貴性だ。この世の物質は、その高貴性によって深奥を支えられている。それを見なければならない。その最も激しい論理が、葉隠の「忍ぶ恋」なのだ。自分が恋するもの、そして愛するものを支えているその崇高を仰ぎ見るのである。その崇高は、必ず自己の魂の躍動を呼びさますに違いない。清冽な純愛を描いた『天の夕顔』は、我々のうち深くに秘められた魂の崇高を呼び醒ませてくれるだろう。

2020年7月27日

中河与一(1897-1994) 小説家。川端康成、横光利一らと『文芸時代』を創刊し、新感覚派の旗手として活躍。マルクス主義文学論に反対して形式主義芸術論、偶然文学論を唱える。のち、抒情的作風にうつり、青年の純愛を描いた『天の夕顔』は、西欧諸国でも高い評価を得た。

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