執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
私たちはみな、正しいことによる誤りを犯して来たんだ。
《 We all made the right kind of mistakes. 》
『華氏451度』は、我々の文明がもつ一つの終末を描く名作である。我々のこの社会が、混乱のうちにその終焉を迎えることがよく描かれている。もちろん、知的劣化が、その最大の要因となっている。そして、人間に対する過剰な自信がその流れを作っている。その中にあって、私は正しいと言われるものの悪魔性を、文明の終末として深く捉えたのだ。私が最も危惧することは、善人思想と優秀な人間が、この世を終わらせるだろうということなのだ。特に悪質なのが、「正しい人間」である。
冒頭の言葉は、文明が終わるときに交わされる多くの会話の一片に過ぎない。しかし、この短い言葉の中に、私は人間の文明が行き着く明暗の鍵を感じたのだ。正しいと思われるものほど、恐ろしいものはない。それが私の人生の一つの結論なのだ。人間は、正しいことによって戦争を起こし、正しいことを全力で行なおうとする。その力が、人間の恐ろしい歴史を創って来た。そして、その力が恐ろしい未来をまた創るだろう。私は正しいものの恐ろしさを、見せつけられた人生だった。
正しいものには歯止めがないのだ。私は悪いことや誤ったことを、良いと言っているのではない。しかし、それらのものには歯止めがある。我々の文明を滅ぼすものは、必ず歯止めのない力の暴走に違いない。その力は、科学技術は言うに及ばず、自由・平等・博愛や弱者の中に潜んでいると思っている。知的劣化が、それらのものの暴走を止める知性を我々から奪っている。正しいものは誰にも止められない。それを止める力は、神だけである。しかし、我々は神を失って久しい。
2020年7月20日