執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
不幸だということは、だから幸福じゃないということにはならない。
《 Que je sois malheureuse ne prouve pas que je ne sois pas heureuse. 》
私はジロドゥーの演劇を愛して来た。尊敬する戯曲家だった加藤道夫がそれを愛していたからだ。その影響で、中学二年のとき、劇団「四季」による日生劇場での「オンディーヌ」の公演を観たことに始まる。加賀まり子がオンディーヌを演じ、北大路欣也が騎士ハンスを演じた。それは目に焼き付くような名演だった。ジロドゥーの戯曲に、若き演出家 浅利慶太の自然主義リアリズムが貫徹する珠玉の舞台だった。読書と観劇の両輪により、ジロドゥーは私の人生の最も深い場所に打ち込まれたのだ。
オンディーヌの生き方を通して、私は自己の生命哲学を構築していった。水の精霊オンディーヌと比して、私は自己の現世的虚飾性に恥入る日々を送ったのだ。現世を乗り越えることが、私の最大の欲望となった。彼岸の精神を目指すことに、私の青春の血は煮え滾ったのである。私は「オンディーヌ」から、幸福と不幸の弁証法を学んだように思う。そして生命と霊魂の相克と和解を知ったように感ずるのだ。それは、私の武士道を飛躍させた。葉隠の中に、リアリズムに基づくロマンティシズムが投入されたのだ。
冒頭の言葉は、その引き金になったものだ。この台詞に続いて、オンディーヌはしくじると分かっているものに全力で突進する生を、人間の性として語っていた。そして、その中にも人間は本当の幸福を見出し得るのだということを言っていたのだ。これを、オンディーヌが語った。すべては、その水の精霊の力なのかもしれない。私の脳髄は破壊され、新しい脳が生まれ出づるのを感じていた。演劇の真の魅力は、人間の運命を破砕する現実的力にある。
2020年8月8日