草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 滝口康彦『葉隠無残』(血染川)より

    覚悟は決めていたことじゃ、理由などどうでもいい。

  『葉隠』に伝えられる武士たちの記録をもとに、滝口康彦は多くの著作を書いた。これはその一冊で、もちろん私の愛読書である。ここに、私が最も尊敬する佐賀藩士のひとり鍋島助右衛門の最期が物語られているのだ。理不尽なる罪で主君勝茂より切腹を申し付けられたときの言葉と言い伝えられる。私の最も愛する人間の生き方が、この思想に表われている。死を与えられたときの、これ以上の生命的言動を伝えるものを私は知らない。私は、こうなるために生きているのだ。
  覚悟は、自己の生命の根源の力を発動させるものだ。ひとりの人間が、覚悟を決めて出来ないことはこの世にない。私はそう思って生きて来た。出来ないことはすべて、自分の中に覚悟がないだけの話だ。自己の生命に、覚悟を打ち込むために人間は生きているのだ。それが打ち込まれた生命は、その生命に与えられた運命を生きることが出来る。逆に、それがなければ、いかなる生命も腐り果てる。覚悟がいかなるものか。私はそれに関し、鍋島助右衛門としか語ることはない。
  覚悟は、この世のあらゆるものを蹴散らしてしまう力がある。その表われが、この言葉なのだ。生きるのに理由がいるのか。死ぬのに理由がいるのか。理由のいる人間は、その理由のために生き、その理由のゆえに死ぬだけの人生に成り果てる。生きるのは、我が運命である。死ぬのも、我が運命なのだ。自分の運命を抱き締めることだけが、生命の本当の尊厳を創っている。与えられた運命への愛が、その生命の躍動を決する。自己とは、その運命のことを言っているのだ。

2020年11月16日

滝口康彦(1924-2004) 小説家。尋常小学校を卒業後、いくつかの職を経験し作家デビューする。生涯をほぼ佐賀県の多久市で過ごし、旧藩時代の九州各地の武士を題材にした作品を数多く発表した。九州在住の時代小説家として、古川薫、白石一郎と並び「九州三人衆」と称された。

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