草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • シャルル・ボードレール『パリの憂鬱』より

    私だけの悲しみがあった。
    ひとにはわかり得ぬ悲しみがあった。

    《 Moi seul j’étais triste, inconcevablement triste. 》

  この言葉に出会ったとき、私はボードレールの血肉に触れたことを感じた。ボードレールは、私の信念の確立に多くの力を与えてくれた詩人だった。『悪の華』に始まる、その無頼の精神は、『葉隠』そのものをその懐に溶融するだけの力をもっていた。その激情、その憤激は人間の魂を圧殺するほどのものだったのだ。ボードレールは無頼だったが、その無頼の中に中世の信仰とそこから来る騎士道が匂い立っていた。
  私はボードレールの、その隠された側面に限り無く惹かれていた。それは、誰にも分からぬ騎士道である。その騎士道が、ボードレールの怪物性を底辺で支えていた。騎士道のゆえに、ボードレールは嘆きそして哭き続けていたのだ。反抗の涙が、この人物を創り上げた。近代がもつ卑しさと、真っ向から闘っていたに違いない。その騎士道と無頼の同居を、あの芥川龍之介も愛したのだ。芥川の愛したボードレールは、また私の愛するボードレールでもあった。
  自らの生命に、悲しみを覚えぬ者を私は信じない。自らの運命に、涙を流さぬ者と私は話すことは出来ない。自己の生命を本当に愛する者は、その悲しみを抱き締めるに決まっている。自らの運命に、体当たりする者はその過酷に、必ず天を仰ぐのだ。そして、自分だけにしか分からぬその悲しみを抱き締めて、明日に向かって進むのである。希望に燃え、夢に生きる者を私は信じない。私は、その人生に悲しみを抱き締める者だけを信ずる。

2021年3月8日

掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.230、『孤高のリアリズム』p.209
シャルル・ボードレール(1821-1867) フランスの詩人・評論家。早くから文学に目覚め、20代で美術評論家としての地位を確立。近代文明に対する批判とそこに生きる苦悩を詩集『悪の華』で表現し、フランス近代詩を確立。その影響はフランスのみならず世界各地に及んだ。ほか『パリの憂鬱』等。

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