草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 『論語』(述而)より

    憤せざれば啓せず、()せざれば発せず。

    《 不憤不啓、不悱不発。 》

  知識が、自己の血肉と化していくエネルギー変換を表わす言葉と認識する。孔子がその弟子に、知を会得するための方法として語ったと伝えられるものだ。前段は、憤激に近い熱情をもって苦悩し続ける者にして、初めて知の道は啓くという。またその苦悩が見えない人間には、何を与えても会得されないことを言っている。後段に至って、万感の思いと堆積した知識を口に出すことの出来ぬ、その悲しみを抱く者にして初めて知が本質的力を発揮するという。また、その者に対して発した教えは即刻に十全の力と化することが出来るのである。
  憤は激しい熱情を表わし、は思いの丈から溢れる悲哀を表わしている。そういうものがなければ、人間は何かを知ることは出来ないのだ。また、そのような人間だけにしか何かを伝えることは出来ないという言説である。私は自己の読書体験によって、この言葉の真理と崇高を摑み取って来た。知は、苦悩と呻吟の精神に引き寄せられるのだ。冒頭の言葉は、知識というものが情報ではないことを示す思想だと私は思っている。
  つまり知は、信ずる心と勇猛な精神の下に集まってくるということに他ならない。西洋においても、また日本においても、現代人はすでに信ずるものを失っている。そしてヒューマニズムの名の下に、我々の人生からは勇気の種が奪われていく。人間に、再び真の教養というものが取り戻される日が来なければ、我々の未来は暗い。真の教養を創る知は、熱情と悲哀の中から生まれる。そしてその大切な情感は、ただ一筋の生き方の中からしか生まれないのだ。

2021年3月15日

掲載箇所(執行草舟著作):『夏日烈烈』p119
孔子(BC551-BC479) 中国、春秋時代の学者。儒教の祖。魯に仕えて地位を与えられるが、権力者と衝突し諸国を歴遊。晩年は著述と弟子の教育に尽力し、その思想は中国思想の根幹となった。『論語』は孔子とその弟子の言行録。

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