四十歳の頃から戸嶋はスペインに行くことになりますが、実は日本でも芸術家として一つ行き詰っていて命の危機にあった。それが三島由紀夫の自決によっていろいろと精神的に抜け出すことで、今度は戸嶋としては多分初心に戻ったのだと思います。戸嶋が芸術家として初心に戻るということは、もともと陰と陽の対立、それから明と暗、そういうものの対立としてベラスケスの絵画を学生の時から、絵画の神として一番尊敬していたわけです。そのベラスケスの絵画を本当にプラド美術館で直に毎日見ながら、本当に会得したいという、要するに戸嶋にしてみれば初心に戻ることによって、もう一回芸術家として自分はやり直そうということを思い、戸嶋は立ち直った。それが結果としてスペイン行きということになった。だから戸嶋はスペインによって命を救われたということとも言えます。
ベラスケスの絵画が好きで、一年間の予定で戸嶋はその絵の研究でスペインに行ったわけだけれども、行ってから、結局三十年間もスペインに定住してしまうという結果になる。その理由としては、ベラスケスというよりも、もちろんスペインはベラスケスを生み出したのだから、関係はあるかもしれないけれども、スペインが持っている、ゲルマン以前のケルト文明、それがスペインのイベリア半島というのは今でも非常に色濃く残っている点に魅かれたのです。
日本で言うと、ケルト文明というのは縄文文明だとも言える。だからヨーロッパの縄文文明が一つのスペインとかイベリア半島、それからフランスで言うとブルターニュ半島に残っている。あとはイギリスのブリテンです。ブリテンというのはもともとそういう意味です。あとはウェールズとか、イギリスで言うとウェールズに残っていて、フランスならブルターニュに残っている。スペインはイベリア半島すべてがケルト文明の残存形態を残しているとも言えます。それがスペインの凄さで、多分ベラスケスを生み出したのだろうけれど。そういうことは、戸嶋は知らなかったみたいです。スペインに行って、秋田の出身だった自分の、深い森から生まれた縄文文明とスペインの風土が、戸嶋の中で感応したのだと思う。
それから戸嶋というのはもう一つ、縄文から生まれた人間というのがあるし、その他にお母さんもキリスト教と繫がりがあったように、戸嶋というのは僕がいつも話していて思うのは、特別に宗教というのをどうこうする人間ではなかったのですが、心そのものに凄く宗教性が強い。だから音楽などもバッハ以前の信仰とか中世グレゴリオ聖歌、それからパレストリーナ、モンテヴェルディとか、そういう中世の宗教音楽を凄く愛していた。持っているレコードも三千枚以上でしたが、ほとんどが宗教音楽だった。比較的新しくてもバッハの音楽なのです。だからそういう宗教性というのが非常に強くて、これは偶然なのだけれども、そのキリスト教の信仰が、最もいい意味でも、悪い意味でも荒れ狂ったのがスペインだった。有名なのは宗教裁判や魔女狩りや、いろいろ悪い方では有名だった。そういう信仰のために命を捨てるというような、スペインキリスト教の神秘思想というのだけれども、このスペイン神秘思想に包まれている雰囲気が、まだ戸嶋が行った時代のスペインには色濃く残っているわけです。だから戸嶋が持つ宗教性と、それから戸嶋が潜在意識に深く沈潜していた生まれ故郷から生まれて来る縄文的なエネルギーが合致した。
それから武蔵野美術大学の時代でも先回説明したように、武蔵野も縄文のエネルギーだから。そういう縄文のエネルギーから来る明と暗、焔と闇、戸嶋のそういうものが、非常に何かスペインに行ったらベラスケスの研究プラス、水を得た魚、そういう面が僕はあったと思う。
そして知らず知らずに一年の勉強期間の予定で行ったスペインに、結果は三十年定着したというのが戸嶋のスペイン行の理由だった。
とにかく戸嶋の絵の中、特にスペインからはわかりやすいのだけれども、戸嶋の絵を鑑賞する場合、スペインのケルト文明、ヨーロッパの縄文と言われるものから生まれて来る、ものすごい人間の持つ原初の清純さ。その清純さの中にある何か紅蓮の焔と言うか、そういうものを感じる。だからアルタミラの壁画とか、ああいうものに残っている何とも言えない、深い人間の悲哀から来る焔がある。でも焔の中にまた非常な悲しみもある。そういうものがケルト文明だと言える。日本なら縄文文明と、それが強くなっていく。
あとはスペインではキリスト教の神秘思想に戸嶋は魅かれていた。戸嶋は別にクリスチャンではなかったけれども、僕から見ると絵の中にもキリスト教神秘思想の幽玄さ、日本の言葉で言うと幽玄というのがすごく現われて来る。それがスペインの日々における戸嶋絵画の特徴を成していくということだった。特にスペインの肖像画の中に、人間の持つ深い沈潜とか、明とか暗とか、それから陰と陽、そういうものがくっきりと出てくる。その原因としては、今言ったケルト文明と中世のスペインの神秘思想、こういうものなのだということをわかって絵を見るとまた何か楽しくなってくるので、その辺を是非鑑賞して下さい。
ベラスケスをもともと若い頃から好きで研究していることによって、スペインに内在している、芸術家としての直感というか、その芸術家としての直観力がスペインに内在していたものを感じ、多分言葉としてはケルト文明とかそういうのは知らなかったと思うのだけれども、そういうものがベラスケスの芸術を通して戸嶋の中に来て、自分との親和力があった。だからもともとベラスケスをどうして好きだったのかということも、そういう親和力がもともと自分の中にあったからなのです。それが具体的にはスペインに行って、その風土の秋田出身の戸嶋としては、何かすごく合ったということです。だから一年の予定が三十年になってしまうというとんでもないことが起きた。
スペインの光とは何かということを聞きたいみたいだけれども、先ほど言ったスペインの縄文とか、キリスト教神秘思想と日本の我々の情感というのは、基本的には陰と陽を組んでいる。わかりやすく言うと、スペインにおける光というのは日本において、極端に言うと闇なのです。だから戸嶋の非常にその縄文的な、日本で悪く言うと暗い、紅蓮の煮え滾っていた悪い意味の焔がスペインの光によって、これが表に出て来たというか。実はこれは同じものなのです。これが日本の光では無理なのです。スペインの光というのは日本の闇と同じ陰と陽を組んでいるということなのです。そういう風にスペインの光を見ることによって、戸嶋はあの暗い、本当の苦悩のどん底から立ち上がることが出来た。それがただ明るいとかそういうことであれば、戸嶋は芸術家としては破滅していた。しかしスペインの光というのは、明るいのではない。言葉は少し変だけれども、スペインの光というのは暗い光なのです。
これはギリシャなども同じですが、フリードリッヒ・ニーチェがあの有名な「ギリシャ的晴朗」と呼んでいた明るさです。エーゲ海の明るさとも言えますが、その明るさの中には、非常なる悲哀、生命の悲哀が潜んでいる。だからギリシャとスペインというのはヨーロッパの最も古いケルト文明の中心地なので、そういうところの人間がわかっている明るさの中には、悲哀があって横たわっている。だから戸嶋というのは本当に偶然運が良かったのです。戸嶋がもしヨーロッパでもフランスに行っていた場合は、多分、戸嶋は日本の縄文の最も悪い部分によって摑まれていたかもしれない。一つの暗い焔から逃れられなかったと思う。ところがスペインの明るい光の下に行って、暗いものが浄化されて、本当の良い光になった。構築的な光、建築的な光に変わって来たということなのです。
ところが、そのスペインの光というのは非常に悲哀がある。「ギリシャ的晴朗」というニーチェがそう言った悲哀を含んでいるということです。これは実際に見なければわからないけれど、だからスペイン人がキリスト教の信仰にも、あれだけ熱心に神秘思想に到達したようにスペイン人皆が持っている、何か魂の悲哀のようなものなのだと思う。そこが多分、日本人と凄く合うのだと思う。ただ、日本人の場合の悲哀というのは、もっとスペイン人より暗い。これは歴史の違いによるのですが、でも本質的には非常に似ているということなのです。スペインの持つ光の明るさが、戸嶋の原動力をもう一回出して来たということです。日本で言えば縄文的な古代性、その縄文から得た紅蓮の焔。そういう戸嶋の持つ特徴が、スペイン的な意味で、スペイン的悲哀、要するにギリシャ的晴朗、明朗ということだね。それに変わって来たということなのです。ただ、「スペイン的晴朗さ」というのを戸嶋はスペインの光から絵に落としたわけなのだけれども、それは落とした人間が日本人の戸嶋だから、感じとしては暗い感じになっている。でもその暗さの中に、スペインで描かれた絵を見てみればわかるのだけれど、すごく人間に希望をもたらす明るさというのが「内在」している。この内在する明るさというのが、スペインで戸嶋が得た最も強いものなのです。
それはだからスペインの光が持つという特殊なものが生み出したものなのです。だからスペイン以外では多分、戸嶋はあの絵は描けなかったと思う。だから戸嶋というのは、僕はすごく強運を持っていたのだなと思う。
スペインでは光の仕分けを正確にできるようになったということです。だから大型作品に見られる抽象的なものというのは、縄文のエネルギーが潜在意識の混沌とした紅蓮の焔のマグマ、火山で言えばマグマの状態にあるということなのです。そのマグマの状態に来て自分の命の危険にも触れたような人生を送ったのだけれど、それがケルト文明とスペイン神秘思想の光によって、わかりやすく戸嶋流に分析できるようになった。その分析した結果が戸嶋のスペインにおける肖像画になったということなのです。それであの肖像画の中にはスペインの光というものが非常に日本の縄文的に捉えられている。だからスペイン人も描けない絵画となった。日本人の戸嶋しか描けないスペインの光なのです。そういうものを戸嶋芸術というのはスペインで生み出したということです。
形としては日本人がスペインの光を絵画に落とすと、ものすごく幾何学的、彫刻的、それから量塊的と言うか、そういう風になっている。戸嶋作品にそれが表われているから、皆さんにぜひ見て欲しい。それで形としてすごく明るいものが日本的暗さを帯びているということです。暗いと言うと言葉が悪いのだけれど、スペインにはああいう、東北で言うと雪で閉ざされてしまう状態は無いわけです。しかし雪に閉ざされてきた縄文の鬱屈したエネルギーがスペインの光によって爆発したのが戸嶋芸術だということなのです。そのきっかけになったのがベラスケスの作品とか、当然ゴヤなんかも参考にしただろうし、スペインの偉大な画家たちはみんな参考にしている。
その光は内向している。だから非常に日本的で、戸嶋以外には描けない光だから、そこをよく見て欲しい。戸嶋の言葉で僕は覚えているものがあって、スペインの肖像画について特に言っていたのだけれど、これは有名な戸嶋が言った言葉で「目は描いてはならん」というものです。目というのは生命の中から自然に生まれ出て来なければならないというのを、戸嶋は僕に言っていた。目を描く画家は駄目だと。日本の絵などは「画竜点睛」と言って最後に目をポーンと入れて、それが絵の完成になるのだけれど、戸嶋というのは決して目を描かなかった。目というのは生まれて来なければ駄目なのだと言っていた。
戸嶋とまだ話していた十年くらい前は、多分それは生命の中から生まれて来るものだと僕は思っていた。ところがこの二、三年前くらいからわかってきたのは、日本の光とヨーロッパの、スペインの光に違いがあるのです。考えて見れば目が見えるか見えないかというのは光だから。僕は縄文の鬱屈したエネルギーがスペインの光によって表に出て来るのを、「画竜点睛を入れてはならん」ということで表わしたのではないかと。縄文のエネルギーのまま描いて、それが肖像画として最後に目になるかならないか、これに戸嶋は挑戦していたのだと思う。
スペインのリアリズムというのは一般的に、また歴史的な観点から日本人が見ると、非常に恐ろしい形と言うか、人間が持つ汚いものとか、恐ろしいものをそのまま描き出そうとするリアリズムです。それがスペイン的リアリズムといえます。歴史的に言うと、それが完成してきたのが、今の時代などでは、マドリッド・リアリズムと呼ばれるもので、非常に細密画で、悪いところも良いところも全部描き出す。ベラスケスから発展してきたのだけれど、今は凄いところへ来ている。
とはいえ戸嶋のリアリズムというのは少し違っていて、スペインの影響において起こったのだけれども、戸嶋の持つリアリズムというのは生命が持つ神秘、それから生命が持つ祈り、生きることへの祈り、そういうものを抉り出して、キャンバスに定着させるというのが戸嶋のリアリズムなのです。
そのリアリズムというのは、スペインから来ないと駄目だということはあって、全ての汚いものも良いものも全部描き出すというスペイン的明朗さというか、スペイン的な正直さというか、そういうものによって、初めて出る、もしくはできるものだと思う。日本のリアリズムでは、本当の人間の持つ、良いものだと希望とか、祈りとか、それから生命の雄叫びとか、それは描けない。日本のリアリズムというのは、やはり日本画でもそうなのですが、人間の表面の綺麗なところを見て、綺麗なところを描こうとしている。日本の芸術というのはやはり根本が「雅」なのですね。だから「雅」からきた芸術では生まれないのは、戸嶋が目指したようなリアリズム、それからスペインのリアリズムなどです。
ゴヤなどももちろんスペイン人だから、スペインのリアリズムの一人に数えられる。死を見詰めるようなリアリズムなのです。これはスペインの独特のリアリズムなので、僕はもともと戸嶋の絵にはもともとそれがあった。でも死を本当に見詰めて、死を本当に現世に描き出せるリアリズムというのは、戸嶋がスペインで学んだものだと僕は思います。そして学んでかつ自分の力でキャンバスに落とすことができたと言うか。これはスペインで描いた戸嶋の絵画をいろいろ見ていくとわかるけれども、スペインで描いた肖像画は、全てと言ってもいいくらいですが、全てが生きている人を描いていても、死んで行く姿が同時に描かれている。これがスペインリアリズムから戸嶋が学んだものだと思う。もともと持っているものだけれどね。
ただスペイン人の出し方と戸嶋の出し方は全然違っている。スペイン人というのは、それをもっと、言葉として気持ちが悪いと言うと言い過ぎかもしれませんが、人間の持つ魔神性と言うか、魔性と言うか、そういう風にリアリズムを描いたのがスペイン人なのです。戸嶋は人間の命を愛おしむ、命に対する祈りがある、命の尊さを仰ぎ見る。戸嶋がそういうものをキャンバスに落としたのですが、それが人間の死というものなのです。だからスペイン以降の全ての肖像画には生きている肖像画の中にその人の死が描かれているということです。それがスペインリアリズムと戸嶋絵画が融合し芸術だということなのです。
ずっと苦しんできたリアリズムがやはり、スペインに来て、スペインの古代性と融合して戸嶋芸術が本当に一段進んだということは確かです。だから日本において命を削って死の直前まで行って、スペインに来て戸嶋は生き返ったと。それで生き返って本当に戸嶋は他の人間にはできない戸嶋独特の、日本人がスペインリアリズムを取り入れて、真似ではなくて、自分独自のリアリズムとして完成することができたのです。
戸嶋の絵は、スペイン以降で描いたものは全て「死」だと思っていい。戸嶋の言う「生」とは「死」のことだということ。死を描こうとしているから、自動的に過去を描くことが出来る。過去を描くと同時に現在を描いて、その中にもう死んでいる過去が全部入っているわけです。これは変な言い方だけれども未来の生、その人物の、例えば僕の絵を描いたとしたら、僕の未来も描かれているということなのです。未来というのはもう、僕にとっては死んでいるわけです。生きているのは現在だけだから、過去も死んでいる。未来も死んでいる。ところがそれが戸嶋芸術においては、僕は自分の肖像画でも思うけれども、描かれているということなのです。
これは僕が最初に戸嶋芸術を好きになったグラナダの絵があるのだけれども、《街・三つの塔―グラナダ遠望―》という絵があって、これを僕が見た時にびっくりした。グラナダのレコンキスタという国土回復戦争時の、それからグラナダの悲しみの歴史が全部そこに入っている。それが戸嶋独特のリアリズムなのです。それはグラナダという街の死の姿を描いているから、グラナダの実は過去がわかり、グラナダの未来がわかる。
僕も戸嶋芸術には感応度が強い人間だから、戸嶋の絵を見ると、グラナダの街の過去がもちろん全部、過去は調べて知っているからわかる。それにグラナダの未来もわかる。これについては戸嶋が描いた町は全部そうなのです。要するに芸術が持つもの凄い時間を超越した力というものを戸嶋芸術から感ずることができる。
未来の死が希望になっているわけ。希望というのは実は楽しいことでも何でもないのです。要は未来がどうなるか、未来の死を見詰めることが、真の希望を生み出すということです。それは哲学者で言えばゼーレン・キルケゴールもそう言っている。それを戸嶋はキャンバスの上で成し遂げているということなのです。
だから「将来は素晴らしいですよ」「未来は薔薇色です」なんて言う人間は、最も希望の無い、軽薄な人間の言葉であるということが言える。今はそれが多い。未来というのは、我々人類の場合は、我々が本当に命懸けで何とかしない限り、未来は無い。未来は死だということが未来なのです。そういうことがわかるかどうかです。
グラナダというのは、スペインという国の最も底辺を支えるような、悪く言えば野蛮な部分、良く言えば歴史を背負っているところなのです。だから戸嶋も当然スペイン全土を旅して、スペインのケルト性とそれからキリスト教思想と、スペインリアリズムを生み出したところのヨーロッパの孤児としての悲しい歴史、悲哀の歴史という、そういうものを全部グラナダという街に戸嶋は感じた。
グラナダというのはそういう、僕の好きな詩人でもガルシア・ロルカという人がいるけれども、ロルカなども「グラナダには一つの悲しみがある」という有名な言葉を言っている。そういう、グラナダというのは悲しみを湛えている街なのです。その悲しみというのは歴史であり、太古であり、キリスト教神秘思想であり、いろんなものがあるわけです。それと具体的にはレコンキスタ(国土回復運動)、つまり八百年の戦いの最前線というか、表舞台というか、そういう所だということなのです。
僕もスペイン神秘思想は凄く好きで、神秘思想を研究してきたのだけれども、スペイン神秘思想で一番好きな人が十字架の聖ヨハネ、「サン・ファン・デ・ラ・クルス」と言うのですが、この人もグラナダにずっと住んでいた。サン・ファン・デ・ラ・クルスとは会ったことはないけれども、多分グラナダが湛えているそういう何か悲しみと言うか、歴史性と言うか、そういうものを僕は、サン・ファン・デ・ラ・クルスも好きだったのだと。だからサン・ファン・デ・ラ・クルスがグラナダに定住したのと、同じ意味で戸嶋靖昌も定住したということだと思う。それは偶然なんだけど、戸嶋が秋田出身で鎮もれた縄文のエネルギーを体内に深く持っている人間だから、グラナダの太古性と反応したということなのです。それがグラナダに定住した理由だと思います。
先ほど出たけれど《街・三つの塔―グラナダ遠望―》という戸嶋の代表作ですが、秋田の展覧会にも出ているからよく見て頂きたいですが、戸嶋芸術の中でも最初に惚れ込んだ絵の一つなのです。これですっかり戸嶋の虜になってしまった。僕はもともとレコンキスタの歴史などが好きで、スペインとかグラナダの歴史は研究していたので、この絵を見た時に、飛び上がるほど驚いた。それは、グラナダに鎮もれているレコンキスタからの七百年、八百年のあのエル・シドやなんかに代表されるスペイン人の戦いの悲しい歴史が、全部あの絵の中に入っている。これは直感だからどうにもならないです。
僕はレコンキスタの研究を十年以上していたのだけれども、その衝撃は凄かった。それを戸嶋というのは、筆で、キャンバスに描く力があったということです。もちろん戸嶋自身はそういうことをわかっていないけれども、僕は偶然そういう歴史などが好きだったので、戸嶋が持っていた能力というのを側面からわかることができたということです。この《街・三つの塔―グラナダ遠望―》に代表されますが、グラナダの絵を戸嶋は描き続けてる。これはもう三十枚、五十枚と幾らでもある。デッサンまで含めれば百枚、二百枚とそんな感じです。二十六年間、飽くことなく同じ部屋から同じ景色を見ながらずっと描いていた。こんなことができること自体が、僕は戸嶋の「不器用さ」と自分では言っているけれども、不器用とかそういうことではなくて、普通の人間ではできないことです。二十六年間、同じ景色を描いている。僕はそこが戸嶋芸術の縄文性であり、やはり陰と陽との交錯、そういうものとの戦い、その戦いを生きていると思っている。
だから実は景色を描いているのではないということなのです。景色だったら二、三回描けば飽きる。そうではない。だから前の回でも話したと思うのですが、僕が肖像画を頼んだ時に、会ったときにはそこから三年間で、ガンで亡くなるとはわかってなかったので、「俺は死ぬまで執行さんの絵を五十枚でも百枚でも描き続けるぞ」と、「いいか」と戸嶋は言った。「その覚悟があるなら、肖像画を俺は描く」と。「でもちょっと気楽に肖像画を欲しいのなら、やめといてくれ」と。こういう風に戸嶋は言っていたのです。だからグラナダも同じだし、誰かの肖像画を描くのも一緒で、スペインで描いた人も同じ人ばかりずっと描いていた。だからこれを、同じ人を描いていると取る方がおかしいのです。戸嶋が描いているものは違うということなのです。
個性的と言うよりもわかりやすい人を描いていた。この世から逸脱していると言うか、そういう人を戸嶋は描いていたね。実は世の中というのは、言葉は少し悪いのだけれども、人生を上手く渡っている人というのは、歴史的に言うとつまらない人なのです。やはり人間というのは、世の中に体当たりして、敗れて敗残して、苦悩して泣いて、その慟哭と悲哀、呻吟に生きている人が、心の中には文化を体現している。だから戸嶋というのは、人体の中にある文明・文化を描きたかった。だからどうしても敗残者を描くことになる。これは、敗残者の中には文化が生きているからだとも言える。
冷静に考えてもらうとわかると思いますが、実は現世では成功している人は、言葉は悪いのだけれど、旨い汁を吸っているだけで、これは物質主義といって、実はつまらないことなのです。だから変な話だけど、今も敗残して泣いている人は沢山いると思うけれど、実は人生の最も大切なものをその人たちは受け取っているのです。本当はそれがわかれば、人生は苦労した方がいい、貧しい方がいいと言える。僕はそう思っている。
僕はたまたま何か知らないけれど、商売も上手くいって、僕は悪くなっても全然かまわないのだけれど、その方が却って僕は生まれた人生の甲斐がわかると思う。それはキリストでも釈迦でもみんなそう言っている。アルバイシンというのは、そういう人たちが集まっているということです。戸嶋はそれを描いていた。だからただ単純に描いた人の個性が強いとかそういうことではない。
僕なんかは会社経営をしていて、美術館もやっている。上手く全部いっているけれども、戸嶋は僕に魅力を感じてくれて描いてくれた。だからその内部なのです。ただこれは運勢だと、運良く来たけれども、でも体当たりを繰り返している人生だということは事実だから、これからもどうなるかはわからない。でも自分として力一杯やるということです。
だから戸嶋はただ単に貧しい人を描いたとか、敗残者を描いたとか、そういうことではない。あとは個性的な人を描いたとか、そんなことでもない。人生に体当たりをしている人というのが、一番正しいかもしれないです。僕もそうだから。僕なども今は別に敗残してはいないけれど、戸嶋がすごく魅力を感じてくれた。絶えず体当たりをして、あっちで叩かれこっちで叩かれして生きて来たことは事実だから。
上手くいっている人は駄目なのだと思う。だから僕は人生というのは、割とすいすいと上手く行っている人は可哀相だと思う。何のために生まれて来たのかわからないから、つまらない。この世の中というのはやはり、親から命をもらったら、この命というものが何なのか、本当のところを摑むか、摑まないかが人生の喜びだと思うのです。戸嶋もそういう人生を送ったし、僕も当然そういう人生を送りたい。だから戸嶋と気が合った。
戸嶋と話していると凄くよくわかるのだけれど、戸嶋というのは男性ということもあって、またお父さんも、家系的にも科学的な鉱山技師だよね。戸嶋はいつも絵の具の内容物というか、その科学的な組成ばかり研究していたわけです。だから戸嶋というのは、もの凄く科学精神が強い。体当たりというと野蛮人みたいに見えるけれども、ものすごく科学的なのです。
僕はその戸嶋が持つ科学精神が、スペイン中を旅させていたのだと思う。だからグラナダに定着して、グラナダに住んでいるけれども、グラナダの良さは何か、悪さは何か。そういうものを試していたのではないかと僕は思う。試すというと言葉が悪いから、勉強ということです。
だからケルト文明にも、スペインが太古の文明だということにも気づいている。それからスペインの神秘思想にも気づいている。レコンキスタの悲哀の歴史も知っている。そういうものがイベリア半島でどういう風に人々に作用しているかということを僕は見て歩いていたのだと思う。だからオートバイに乗って全部回っていたわけだけれど、それを全部科学的に見ることによって、グラナダのまた特徴が浮かび上がってくるという、そのために旅をしていたと僕は思う。それと戸嶋独特の、先ほどから話しているのだけれど、戸嶋というのは「現在」の中に没入して、「現在」に体当たりしている人間だからです。現在に体当たりしている人の特徴というのは、過去と未来を見通す力が養われていると言うか、その過去と未来を見通す力というものを、確認しているように僕は思う。
戸嶋と話していた時に出たのだけれど、戸嶋はスペイン中を旅したけれども、「おお、面白いなぁ!」とか「いやぁ、ここはいいな!」とかそういうのは一つも無かったと言っていた。全部わかっている所、または見覚えがある場所だと。記憶に残っている、そういうものだったとスペインの旅をそう言っていた。僕はそれが今言った意味だと思うのです。だから戸嶋は例えばグラナダという街で本当に街に体当たりし、グラナダに住んでいる人に体当たりしていたから、マドリッドにいる人のことも、バルセロナにいる人のことも全部わかったということなのです。あとはアルタミラの洞窟が好きだった。あれはアルタミラの洞窟の壁画が、スペインの縄文ですからね。ケルト文明と言っても、ケルト文明がスペインの縄文だということがわからなければ駄目です。やっぱりどうしても確認して自信つけたいではないですか、キャンバスに落とすには。
やはり本当の芸術に自分でぶち当たっている人というのは、もの凄く孤独だから、友達は沢山いても、芸術を共有できることはない。自分の芸術というのは、自分が命を懸けて自分独りで開発して、自分独りしかわからないものです。それで自分独りがそれを抱えたまま、死ななければならない、というのが芸術だから。それを戸嶋は生きているわけです。だから当然そういう確認と言うのか、そういうものはやはり必要になる。それでいいと言ってくれる人は一人もいないんだから、学校教育の反対です、芸術というのは。
だから僕が戸嶋の本を、僕が纏めた本の題名に『孤高のリアリズム』という名前をつけたのはそういう意味だから。戸嶋ほど孤独な、友達は多いけど、孤独な人生を送った人はいない。これは、自分独自の人生を歩んだ人は全員そうです。だから僕は自分独自の人生を歩むのに、最も必要なものは勇気だとみんなに言っているわけです。これは芸術家だけではない。勇気の無い人は独自の人生は歩めないのです。