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草舟語録

草舟語録 ―――人生に迷ったら

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  • 愛 ―――人生に迷ったら

    愛 1番
    負のエネルギーの本質は、「誠」というものです。キリストはそれを違う言葉で表わしましたが、それが「愛」なのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.292
    愛 2番
    人は愛されて生きる。そのゆえに、人は他者を愛さずにはいられないのだ。
    『おゝポポイ!』p.2
    愛 3番
    危険の感覚なくして、何の学問か、何の修業か、それどころか何の善行なのか、何の愛であるのか。
    『友よ』p.60
    愛 4番
    平和を愛するなら、平和に(ひた)り切ってはならない。
    『友よ』p.61
    愛 5番
    愛することがなくて、何の生命であるのか。信ずることがなくて、何の人生であるのか。
    『「憧れ」の思想』p.67
    愛 6番
    愛されることも、嫌われることも、どちらも自己の生命の価値には何の差し障りもないということなのだ。
    『「憧れ」の思想』p.144
    愛 7番
    愛が、革命を創り出している。
    『「憧れ」の思想』p.194
    愛 8番
    本当の愛情があったら、そこに神や仏が出てこなかったらおかしいんです。愛は、絶対に合理精神で証明できるものではないのです。
    『おゝポポイ!』p.277
    愛 9番
    憎しみがなければ愛は認識できない。
    『夏日烈烈』p.236
    愛 10番
    執行草舟による愛の定義=宇宙の秩序そのものを言う。それは善悪を超越して、真理を体現する宇宙の本質である。過酷であり、また優しいものでもあるのだ。
    『生命の理念Ⅰ』p.54
    愛 11番
    小さな生命が、大きな生命を支えているのだ。それがわからなければ、生命がもつ真の「愛」は、ついにわからないであろう。
    『生命の理念Ⅰ』p.157
    愛 12番
    この宇宙には、何らかの秩序を保って順番通りに運行していくエネルギーがあるのです。それを宗教家は神と呼び、愛とも呼んでいるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.185
    愛 13番
    人を愛するということには完成も何もない。
    『生命の理念Ⅰ』p.407
    愛 14番
    人を愛する気持ちは、人類誕生以来、人類が滅びるまで何度でも創造的再生産として繰り返すのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.407
    愛 15番
    永遠の憧れの彼方に向かって、我々人類は愛を求め続けていくでしょう。
    『生命の理念Ⅰ』p.407
    愛 16番
    現代の人は、愛し方を発明しようとしています。その結果、愛する心そのものの本来の姿までわからなくなってしまいました。
    『生命の理念Ⅰ』p.407
    愛 17番
    真の断念は、真実の他者による感化力によってしか起こらない。つまり、愛の力ということです。
    『生命の理念Ⅰ』p.440
    愛 18番
    人間同士なのですから、愛が薄れる時もあれば、いがみ合うこと、憎み合うこともあるのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.18
    愛 19番
    愛し続けるのは構いません。しかし、それが中心になれば、必ず夫婦は別れます。
    『生命の理念Ⅱ』p.19
    愛 20番
    キリストは人生の目的は愛に生きることだと言い、孔子は仁に到達することだと言っている。
    『生命の理念Ⅱ』p.65
    愛 21番
    犠牲的精神、献身、思い遣り、そういうものを表わす大きな哲学概念が愛なのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.158
    愛 22番
    他者のために自分を犠牲にすることが愛の根本概念なのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.158
    愛 23番
    本当の愛の実行というのは、もの凄い勇気と、もの凄い強さとが必要で、もの凄い辛苦と悲しみが伴うものなのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.159
    愛 24番
    愛は、苦しみ悩み考え続ける、その勇気の中に存在しているのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.159
    愛 25番
    愛がなければ、人間というのは必ず快と不快だけを求めるようになってしまうのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.159
    愛 26番
    愛は、宗教的には根源の神から与えられるものということになります。つまり、宇宙の本質ということです。
    『生命の理念Ⅱ』p.159
    愛 27番
    日本では、愛は人間や自然から与えてもらうものです。
    『生命の理念Ⅱ』p.159
    愛 28番
    昔から愛の無い人間を育ちが悪いと言ったのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.159
    愛 29番
    子供は、親が愛情を持って自分に接してくれているかどうかということは、全部わかるのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.159
    愛 30番
    愛は眼に見えないので、形で示すことは出来ません。しかし、持っていれば必ず相手に通じるものなのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.160
    愛 31番
    自決というものがいいエネルギーを生むのは、それが他人のために生きた人生になるからです。つまり、「愛」の生き方です。
    『生命の理念Ⅱ』p.467
    愛 32番
    苦しみから生まれた愛だけが、老いを美しいものにしていく力を持っていると私は思っています。
    『生命の理念Ⅱ』p.483
    愛 33番
    執行草舟による愛の意志=宇宙の生成そのものがもつ本源的過程を言っている。それは、自己燃焼の無限運動である。
    『生命の理念Ⅰ』p.159
    愛 34番
    本当の愛を知れば人間はその愛の力で、いまここで死んでも悔いはないのです。
    『風の彼方へ』p.287
    愛 35番
    愛の対象は人それぞれ違いますから、他人には理解されない。逆に言えば、人に愛をわかってもらおうと思ったら、絶対に実行できません。
    『風の彼方へ』p.296
    愛 36番
    愛は伝える必要もないし、わかってもらう必要もない、愛は宇宙的真実であり、実行に価値があるということです。
    『風の彼方へ』p.297
    愛 37番
    愛の本当の大切さは、自分でさんざん人生しくじって、いろいろやらないとわかりませんよ。
    『魂の燃焼へ』p.33
    愛 38番
    他のために自分が犠牲になって消えていくというシステムを、「愛のシステム」と言うんです。
    『魂の燃焼へ』p.116
    愛 39番
    頭山満の精神は、歴史の捨石(すていし)に成ることを辞さぬ精神である。そこに、垂直の高貴性が存する。その品格は、精神から生まれる犠牲的な愛によって支えられているのだ。
    『憂国の芸術』p.105
    愛 40番
    白隠は、実にその人生も不合理極まりない人物であった。しかし、「慈悲」の心、つまり「愛」を持ち続けていたのであろう。
    『孤高のリアリズム』p.211
    愛 41番
    真の愛情は仕事に生きる人間にしか摑めないものである。何故なら愛情は背中から出るものだからです。
    『見よ銀幕に』p.48
    愛 42番
    真の優しさは苦悩の中から生まれるのだ。自分が不幸を背負って人は始めて他人を思いやり愛する事が出来るのだ。
    『見よ銀幕に』p.114
  • 信 ―――人生に迷ったら

    信 1番
    愛すべきものが一つでもあれば愛し、信ずべきものが一つでもあれば信ずる。
    『生くる』p.17
    信 2番
    信念がない時は、やたらと行動を起こしたがるのが人間なのだと私は自己の体験で知った。
    『生くる』p.14
    信 3番
    見えないものを見えないがゆえに信じ、聞こえないものを聞こえないがゆえに信ずる。
    『生くる』p.292
    信 4番
    信ずるとは、信ずる自己を信ずることを言う。
    『生くる』目次
    信 5番
    信じることによって、人生はそのすべての果実を手に入れることができる。
    『友よ』p.127
    信 6番
    現実を見ないことによって、人間の未来を信ずる力が生まれて来るのだ。
    『「憧れ」の思想』p.62
    信 7番
    私がおふくろを死ぬほど好きだったのは、わが子だから可愛いという恣意(しい)的な感情からではなく、何度私が死に懸けようと、母と私に与えられた運命をただ信じ、信ずる心を貫いて死ぬという生き方を実践した人だからです。
    『おゝポポイ!』p.205
    信 8番
    僕が一番大切にしているものは、今の文明が生まれる以前に人類が誕生した時の、生命のもつ「初心」なんだよ。
    『夏日烈烈』p.18
    信 9番
    ひとっ飛びに信じなければ、思想というものは自己の中に入ってはこない。
    『夏日烈烈』p.28
    信 10番
    聖書というのは「信じよう」と思って読むと、僕もそうだけど涙が流れてくるんだよ。
    『夏日烈烈』p.360
    信 11番
    宗教はご利益を願ったら絶対にダメで、それを求めれば文明的に見ても宗教は最も悪いものに変化してしまいます。
    『風の彼方へ』p.74
    信 12番
    宗教心がわからなければ、我々は人類史から何ものも学び取れない。
    『根源へ』p.180
    信 13番
    「聖なるもの」を顕現できるのは、厳しさと優しさの両面をもつ宗教だけだったはずなのです。
    『根源へ』p.183
    信 14番
    宗教心というのは、原始に通じる人間の深い謎がそこにあるのではないか。
    『根源へ』p.194
    信 15番
    宗教心は誰の中にも必ず存在するものです。
    『根源へ』p.198
    信 16番
    我々のいのちは、神話から紡ぎ出されているのだ。
    『憂国の芸術』p.140
    信 17番
    信ずることは、人間だけが持つ高貴性を証明するものである。
    『生くる』p.292
    信 18番
    信ずることは自己の存在を感ずることであり、人生そのものを抱きしめることを意味している。
    『生くる』p.292
    信 19番
    信なくして、この世は何もない。
    『生くる』p.292
    信 20番
    信ずる心があれば、すべてがある。
    『生くる』p.292
    信 21番
    信ずることは生命(いのち)である。いや生命よりも大切なものだと思う。
    『生くる』p.292
    信 22番
    この肉と骨に、限りなき尊厳と価値を付加するものこそが信ずる心である。
    『生くる』p.292
    信 23番
    信ずるとは、ただ信ずるその心を言う。
    『生くる』p.292
    信 24番
    不幸の絶えぬこの世をそれゆえに信じ、嘘でも何でも人の(げん)を信じて生きる。
    『生くる』p.292
    信 25番
    友を信じ、家族を信じて祈る。祖国を信じ、人類を信じ、信じて信じて死ぬまで信ずる。
    『生くる』p.292
    信 26番
    必ずなる。なると信じている。
    『生くる』p.293
    信 27番
    信なくして何の生命ぞ。
    『生くる』p.293
    信 28番
    生きるということは、そのまま信ずることを意味する。
    『生くる』p.293
    信 29番
    私自身、今まで、信じたことだけが人生に価値を与えてくれた。過去に私も多くのことを疑った。その結果、卑しさにとりつかれた自分に気づかされただけであった。
    『生くる』p.293
    信 30番
    疑えば、どんなつまらないこともできない。私自身、今日までそれなりに何とかできたものは、すべて信じたものだけである。
    『生くる』p.293
    信 31番
    自分自身を、構築してきた思い出に残る事柄も、自己確立に役立ったものはすべて信じたことだけであった。
    『生くる』p.293
    信 32番
    人生とは、本当に面白いもので信ずれば嬉しくなる、体の調子も良くなる、異性にももてるようになる(若者よ!よく聞いておけ)。
    『生くる』p.293
    信 33番
    原動力は信ずる心だけであった。
    『生くる』p.293
    信 34番
    本質は信ずる心だけにあり、他は一切理屈でしかない。
    『生くる』p.293
    信 35番
    この世は、信ずればいかなることもなし遂げられ、疑えば何のために生きているのかわからなくなる。
    『生くる』p.294
    信 36番
    科学すら、疑いから出発しても、科学を信じた人たちによって今日の隆盛を見ている。科学者たちの信ずる心に、私は大なる敬意を払う。
    『生くる』p.294
    信 37番
    誰もが、初めての道を歩むのだから、強く深く自分の人生を信じなければならない。
    『生くる』p.297
    信 38番
    信ずれば信ずるほど、自己の人生は稔り豊かになる。そう信じて、私は生きている。
    『生くる』p.297
    信 39番
    愛すること、信ずること、「自己」よりも大切なものがあること、つまり、これらの人間を人間たらしめている精神活動はすべて負のエネルギーによるものなのだ。
    『「憧れ」の思想』p.25
    信 40番
    信ずることが青春であり、小利口に成る事が老化なのだ。
    『見よ銀幕に』p.27
    信 41番
    人と人が信じ合うには勇気がいるのだ。
    『見よ銀幕に』p.165
  • 美 ―――人生に迷ったら

    美 1番
    生きるとは、美しく滅びることを言う。
    『友よ』p.109
    美 2番
    私が詩を愛するのは、それが人間の生き方に美をもたらす力を秘めているからである。
    『友よ』p.111
    美 3番
    科学も物質の中にある大いなるもの、美しきもの、すばらしきものを見出すために、人類が創出したものであった。
    『友よ』p.123
    美 4番
    純白な白と、不純な黒がきれいに織られていれば、それは美しい織物ではないか。
    『友よ』p.152
    美 5番
    美しいものを知らなければ、美しいものの見方は生まれない。
    『友よ』p.176
    美 6番
    美しいとか恰好がいいという心の部分は今も昔も、西洋も東洋も、人間であれば共通の基準があるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.248
    美 7番
    美しい国は、汚い場所もあるから美しいのです。
    『風の彼方へ』p.256
    美 8番
    理想というのは、美しいものじゃなきゃだめです。他人のためになるもの、国のために役立つもの、人々の夢とか、健康とか、幸福に役立つもの以外はぜんぶだめです。
    『魂の燃焼へ』p.102
    美 9番
    安田靫彦は、日本の美を描き切った。その眼は、「物」がもつ生命の深奥を見つめていた。
    『憂国の芸術』p.113
    美 10番
    死生観というのは、つまるところは「美学」なので、自分がこのような死に方をしたい、こういうふうに人生を締めくくれたら最高だと思うことが死生観なのだ。
    『生命の理念Ⅱ』p.127
    美 11番
    芸術でも仕事観でも、美学というものはすべて宇宙に貫通する順番を表現し、体現したもののことなので、その順番に合わせれば合わせるほど宇宙の本源に近付くことになるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.186
    美 12番
    およそ人間生活にとって真に意義のある所業は、すべての言動の中に存在する美を、修練によって磨き上げることにある。
    『生くる』p.164
    美 13番
    私の言う美学とは、それぞれの人間が持つ人生の営みの中から、その最も美しい価値を引き出すための方法論を指す。
    『生くる』p.164
    美 14番
    あらゆる価値の中に潜む美を磨き上げ、歴史過程の一環となしていくことこそが、美学化と呼ばれるにふさわしい。
    『生くる』p.164
    美 15番
    人類の文明と文化のあらゆる分野は、この美学化の追求にあると言っても過言ではない。
    『生くる』p.164
    美 16番
    言語の美学化は詩となる。
    『生くる』p.164
    美 17番
    音声の美学化は音楽を生む。
    『生くる』p.164
    美 18番
    住空間の美学化を美術・建築と呼ぶ。
    『生くる』p.164
    美 19番
    知識と知恵の美学化は学問を創る。
    『生くる』p.164
    美 20番
    人間関係の美学化は礼をもたらす。
    『生くる』p.164
    美 21番
    勇猛と恩義の美学化を武士道という。
    『生くる』p.164
    美 22番
    美学化が高度に洗練された時、人はそれを芸術と認識する。そして、それが歴史を創る。
    『生くる』p.164
    美 23番
    この実社会における仕事に美学を導き入れ、仕事の中に潜む美を追求することによって、芸術に至る生き方を求める。
    『生くる』p.165
    美 24番
    仕事は「規律、命令、服従、献身」の四つの文化の回転エネルギーによって文明的価値を追求する美学なのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.389
    美 25番
    美学の対極にあるものが怠惰、安逸、不作法、滅茶苦茶、鈍感、わがままなどの好き勝手な生き方となる。
    『生くる』p.165
    美 26番
    命令と服従は、およそ人類の美しき姿の代表的なものであろう。親子しかり、君臣しかり、師弟しかり。つまり、この世の人と人の絆を築き上げる根本となる美学なのだ。
    『生くる』p.166
    美 27番
    道元の開基による永平寺では、その禅の教えに自ら服従する僧たちの、八百年に及ばんとする日常が、禅の美を今日まで伝えている。
    『生くる』p.166
    美 28番
    献身なくして、美しきものは何もないと断言できる。いかなる理論も、いかなる大義もいかなる価値も、献身の心がなければ、すべての美を失ってしまう。
    『生くる』p.166
    美 29番
    仕事がその人にとって価値のあるものでない場合は、その人の人生も全く美的ではなくなるのが、(ことわり)と言うものであろう。
    『生くる』p.167
    美 30番
    仕合せとは、自己の人生に美を見出すことを言う。
    『生くる』p.169
    美 31番
    死生観というのは、つまるところは「美学」なので、自分がこのような死に方をしたい、こういうふうに人生を締めくくれたら最高だと思うことが死生観なのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.127
    美 32番
    執行草舟による美学の定義=美の本質、美の基準、美の価値などを人生航路に求めていく生き方。
    『生命の理念Ⅱ』p.127
    美 33番
    美学というものはすべて宇宙に貫徹する順番を表現し、体現したもののことなので、その順番に合わせれば合わせるほど宇宙の本源に近付くことになるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.186
    美 34番
    美しさとは、宇宙と生命の秩序を体現することなのだ。
    『生命の理念Ⅰ』p.186
    美 35番
    人間は、秩序と真理を美しいと感ずる。その美しさを慕い創り出そうとする生き方に「美学」がある。
    『生命の理念Ⅰ』p.186
    美 36番
    この世には、崇高で美しい不幸がある。青く光る涙のような、美しい不幸がある。
    『孤高のリアリズム』p.219
    美 37番
    私は、若き日にT・Sエリオットの「ダンテ論」を読んだことがある。その中で、芸術家がぞっとするような汚いものを見つめるのは、美の追求のための衝動であるという意味の文があったことを思い出した。
    『孤高のリアリズム』p.226
    美 38番
    「美は、決闘である」というボードレールの言葉を戸嶋靖昌は愛していた。
    『孤高のリアリズム』p.236
    美 39番
    「恐るべき美が生まれた」。それは、アイルランドの魂が、一筋の希望を摑んだことを歌っているのだ。それをイエイツは「美」と表現した。
    『孤高のリアリズム』p.237
    美 40番
    「誰でもないもの」が笑う、あの「ギリシャ的晴朗」(die griechische Heiterkeit)の笑いが遠く揺らめく「点」に見える。さながら、孤独な美しい人間の出帆のようだ。
    『孤高のリアリズム』p.257
    美 41番
    反骨のない人間には真の規律の美は解かりません。反骨精神のないふやけた人間に規律を強制するとつぶれるか杓子定規(しゃくしじょうぎ)な人間に成るんです。
    『見よ銀幕に』p. 16
  • 真 ―――人生に迷ったら

    真 1番
    正しさにこだわっていては、真実や真理は見えない。
    『生くる』p.36
    真 2番
    絶対に正しいものなどは、この世には存在せぬ。
    『生くる』p.36
    真 3番
    真実や真理は、正否にあるのではない。誠にある。
    『生くる』p.39
    真 4番
    間違いを恐れては、決して誠は貫けない。
    『生くる』p.39
    真 5番
    自分が血を滴らせ、汗を流して考え抜いたこと以外は、他人に語ってはならない。
    『生くる』p.112
    真 6番
    善の完全な遂行は人間にはできない。
    『生くる』p.153
    真 7番
    人間は馬鹿でもなんでもよい。悪人でもよいと私は思っている。問題は、恩を知る者か知らぬ者かにかかっている。
    『生くる』p.239
    真 8番
    人類誕生以来、一貫して平等に与えられているものは、人生はみな一度だけという真理である。
    『生くる』p.258
    真 9番
    バッハの音楽によって、どれほど多くの真理を摑んだか計り知れない。
    『生くる』p.302
    真 10番
    理性だけでは物事は動かない。
    『生くる』p.309
    真 11番
    恨みはきたならしい感情ではない。
    『生くる』p.323
    真 12番
    言挙げをするな。その先に道がある。
    『生くる』目次
    真 13番
    自信を持てば、破滅が始まる。
    『生くる』目次
    真 14番
    時間は他人に盗めない。
    『生くる』目次
    真 15番
    習慣を変える力は、新たなる習慣を()いてほかにはない。
    『生くる』目次
    真 16番
    「転ず」れば、黒は白と化する。
    『生くる』目次
    真 17番
    点に還れ。小さなものには歓びがある。
    『生くる』目次
    真 18番
    悩みには、神と悪魔が同居している。それを見分けなければならない。
    『生くる』目次
    真 19番
    太古以来、人間のもつ凡庸さから悪徳が生ずる。
    『友よ』p.60
    真 20番
    小賢しい人間、悩める人、弱き者は時間軸の捉え方が短い。
    『友よ』p.90
    真 21番
    悲しくなければ何の意味もない。
    『友よ』p.124
    真 22番
    天才とは、凡人が避けて通るものを、避けて通らない人を言う。
    『友よ』p.155
    真 23番
    見つめて、見つめて、見つめ続けるのだ。
    『「憧れ」の思想』p.30
    真 24番
    現実の中に生きる人は、現実を本当に見ることは出来ない。
    『「憧れ」の思想』p.58
    真 25番
    「荒野」に向かって叫ぶことが、最も大切なこととなる。「心地よい」ところに向かって叫んでも、何にもならない。
    『「憧れ」の思想』p.201
    真 26番
    役に立たないこと、無益なこと、それによって沈黙は屹立(きつりつ)するのだ。現代文明の中に「愚かさ」の牙城を立て、利益と成功そして幸福だけを追求するこの世を切断するのである。
    『「憧れ」の思想』p.272
    真 27番
    生命の奥から出た言葉でなければ、他者の真の共感を得ることは決して出来ない。
    『「憧れ」の思想』p.272
    真 28番
    役に立たなければ意味がないというのは、浅はかな考えです。役に立たないものが、実は真に役に立つんです。
    『おゝポポイ!』p.208
    真 29番
    文明というのは陰と陽の対立だから、一方的に善人になろうとするとなれない。逆に悪いことを許容すると、善も生まれて来る。
    『夏日烈烈』p.35
    真 30番
    感動と論理というのは、永遠の弁証法を形創っている。つまり「真実」ということだ。
    『夏日烈烈』p.35
    真 31番
    人類が滅ぶなら、皆が「喜ぶもの」に決まってると思ってる。平和とか、愛とか、優しさとか。
    『夏日烈烈』p.203
    真 32番
    プラトンの昔から、真理に近いものを語ろうとするときにはその多くが問答体になってるんだよ。それは真理が流動体だからなんだ。
    『夏日烈烈』p.440
    真 33番
    現実をしっかり見て、黒は黒、白は白と認めれば、どんなに苦しかろうが、自由になっていきます。
    『風の彼方へ』p.141
    真 34番
    リアリズムの観点から言うと、本当にものを見るのは簡単なんです。簡単だと思えば見られるのです。
    『風の彼方へ』p.150
    真 35番
    良い製品を作り、顧客のために全精力を費やせば、伸びないはずがありません。そう思っているだけです。伸びないのなら、自分をごまかしているだけで、そうしていないのです。
    『風の彼方へ』p.151
    真 36番
    現世を重視している人には魅力がありませんね。そして、みじめで弱いです。人に認められたがり、この世で成功したがる。だから保身的になります。
    『風の彼方へ』p.208
    真 37番
    損得勘定を乗り越えられないと、歴史も正しい見方が出来ません。なぜなら、これは日本だけではないのですが、間違いというのは全て、得をしたくて起きているからです。
    『風の彼方へ』p.226
    真 38番
    お金というものは、社会の真実を自分に教えてくれるものと言ってもいいでしょう。だから、お金は厳しいものであると同時に、すごく大切なものだと思う。
    『魂の燃焼へ』p.86
    真 39番
    あらゆる「権力」は、他者を従わせようとするとき、必ず「(えさ)」を出すのだ。
    『孤高のリアリズム』p.199
    真 40番
    単純とは、瞬時にして把握する「全体」ということである。
    『孤高のリアリズム』p.202
    真 41番
    全体が大切なのだ。部分は全体のためにある。
    『孤高のリアリズム』p.203
    真 42番
    目には、体奥の深くから湧き出づる、初発の光源が宿されているのである。
    『孤高のリアリズム』p.205
    真 43番
    私は、もともと未完の芸術を愛して来た。
    『孤高のリアリズム』p.206
    真 44番
    悩めば人間は必ず綺麗事(きれいごと)(つか)む事と成る。
    『見よ銀幕に』p.34
    真 45番
    本当の決意の為の断念は人の情に()って行われる。
    『見よ銀幕に』p.17
    真 46番
    心意気だけが決断を生み、実行を生み出すのだ。
    『見よ銀幕に』p.18
    真 47番
    弱い人間でなければ真に強くは生きられません。これが私の持論です。
    『見よ銀幕に』p.42
    真 48番
    良い人は心に自由を持っています。善悪にこだわりません。人に好かれようとするのではなく良いと思う事をしているのですね。
    『見よ銀幕に』p.36
    真 49番
    貫くとは心の中の作用であり、現実を見過ぎる人間は現実に負けて行くのだ。貫く為の現実が現実なのである。
    『見よ銀幕に』p.59
  • 憧れ・夢 ―――人生に迷ったら

    憧れ・夢 1番
    憧れが、人生に意味を与え続けてくれた。
    『生くる』p.126
    憧れ・夢 2番
    憧れを持て。(いのち)の痕跡をこの世に刻め。
    『生くる』目次
    憧れ・夢 3番
    我々の祖先が築き上げてきた、人類の憧れを引き継がなければならないのである。
    『根源へ』p.470
    憧れ・夢 4番
    憧れは、不幸だからもつことが出来るのだ。そして、真の憧れに生きることこそが、生命に真の幸福をもたらすことが出来る。
    『生命の理念Ⅰ』p.3
    憧れ・夢 5番
    命よりも大切なものがあるからだ。私は、それを「憧れ」と呼ぶ。
    『「憧れ」の思想』p.21
    憧れ・夢 6番
    垂直を仰ぎ続けることが、憧れを自己に引きつけるのだ。
    『「憧れ」の思想』p.22
    憧れ・夢 7番
    人間に与えられた知性や精神、そして自己の存在をより燃焼させたいという、根源的な欲求こそが憧れを生む。
    『「憧れ」の思想』p.22
    憧れ・夢 8番
    挑戦する自己の行為を、長く継続的に行なったものだけに、深淵な海底のような平安が訪れる。
    『友よ』p.64
    憧れ・夢 9番
    憧れをたぐり寄せるには勇気が必要となる。
    『「憧れ」の思想』p.27
    憧れ・夢 10番
    憧れには、人間の実存のすべてがある。
    『「憧れ」の思想』p.1
    憧れ・夢 11番
    憧れは、燃えさかる悲しみである。
    『「憧れ」の思想』p.1
    憧れ・夢 12番
    憧れだけに生きることを決めたとき、私は自分が人間に成ったことを実感した。
    『「憧れ」の思想』p.2
    憧れ・夢 13番
    核兵器と核利用社会が出現したのは、人間がその精神に「憧れ」を失ったからに他ならない。
    『「憧れ」の思想』p.56
    憧れ・夢 14番
    憧れに向かって生きる人間こそが、実際の現実にも強いのだ。
    『「憧れ」の思想』p.61
    憧れ・夢 15番
    未来とは、現実の状況の上に築かれるものではない。それは、人間の憧れが築き上げるものなのだ。
    『「憧れ」の思想』p.62
    憧れ・夢 16番
    愚かさは、崇高から滴る涙である。それは、野蛮と高貴の無限弁証法に支えられた、憧れに向かう生命の讃歌なのだ。
    『「憧れ」の思想』p.69
    憧れ・夢 17番
    結果の如何を問わず、我々は人間として生きるために、それぞれの憧れのもと、愚かに生き抜くことこそが最も尊いのではないだろうか。
    『「憧れ」の思想』p.103
    憧れ・夢 18番
    ただ石のように、そして、ただ泥のように黙って死ぬ。憧れに生きる人間は、そのような犬死にとも言える人生の不合理を受け容れなければならない。
    『「憧れ」の思想』p.131
    憧れ・夢 19番
    憧れの人生においては「考える人間」はすべて挫折してしまう。
    『「憧れ」の思想』p.132
    憧れ・夢 20番
    元々、人間は、遠い憧れに向かって生きるように創られている。人類は誕生以来、そのような生物として生きて来たんだ。
    『夏日烈烈』p.103
    憧れ・夢 21番
    生命とは、哭きいさちる舞踏とも言えるのだ。それは、自己に貫徹する「憧れ」を神に捧げる祝祭である。
    『生命の理念Ⅰ』p.77
    憧れ・夢 22番
    人間の生命は、遙かなる理想のゆえに生まれた。そして、その理想のために生き、ついに理想に向かって死するのである。
    『生命の理念Ⅰ』p.16
    憧れ・夢 23番
    遠い憧れにはなかなか到達できない。当たり前のことなんだ。だから、簡単に到達できるようなことなんてだめなんですよ。
    『魂の燃焼へ』p.50
    憧れ・夢 24番
    君知るや 我がうつしみに 風起ちて 夢は何処へ 行くべかるらむ
    『憂国の芸術』p.1
    憧れ・夢 25番
    人生とは、ただ憧れに生きることである。
    『憂国の芸術』p.92
    憧れ・夢 26番
    安田靫彦は、義経を愛した。私は、そこに靫彦その人の生き方を見るのである。強く正直であり、「何ものか」のためには命などいつでも投げ捨てる覚悟がある。
    『憂国の芸術』p.115
    憧れ・夢 27番
    安田靫彦は、日本の伝統を伝えるために、その病身に鞭を打った。つまり、永遠の青春に向かって生きていたのだ。
    『憂国の芸術』p.115
    憧れ・夢 28番
    ゲーテに出会ったとき、憧れがもつ悲しさと苦悩を深く感じたのだ。
    『「憧れ」の思想』p.18
    憧れ・夢 29番
    憧れとは何か。そして、人間は何を為すべきなのか。それを知るためには、人間とは何ものであるのかを考えなければならない。
    『「憧れ」の思想』p.18
    憧れ・夢 30番
    憧れは希望よりも、もっと切なく悲しいものだ。つまり、希望よりも、もっと愛すべき「何ものか」である。
    『「憧れ」の思想』p.20
    憧れ・夢 31番
    憧れとは、ともしびを慕い、想い続ける精神を言う。それは、悲しみである。なぜなら、それが生命のもつ根源的実存の雄叫びだからだ。
    『「憧れ」の思想』p.22
    憧れ・夢 32番
    ゲーテの言う憧れに生きれば、苦悩と悲痛が襲いかかって来る。
    『「憧れ」の思想』p.22
    憧れ・夢 33番
    「憧れ」とは、命がけで手に入れるものと言えよう。
    『「憧れ」の思想』p.27
    憧れ・夢 34番
    憧れは、肉体を(かえり)みない人間にしか実感できない。
    『「憧れ」の思想』p.31
    憧れ・夢 35番
    生命の叫びを、美しいものに変える力が、憧れの本質のひとつに成っていると言ってもいいのではないか。
    『「憧れ」の思想』p.44
    憧れ・夢 36番
    人生は短く、憧れは遠い。
    『「憧れ」の思想』p.46
    憧れ・夢 37番
    武士道の憧れが、日本人の忠義と誠実を練り上げてきた。
    『「憧れ」の思想』p.46
    憧れ・夢 38番
    人間の崇高とは、憧れを目指すその生き方と死に様の中にあるのだ。
    『「憧れ」の思想』p.53
    憧れ・夢 39番
    現実を見ない生き方が、垂直を生む。それが、憧れを近づけてくれるのだ。
    『「憧れ」の思想』p.57
    憧れ・夢 40番
    憧れに向かって生きる人間こそが、実際の現実にも強いのだ。
    『「憧れ」の思想』p.61
  • 魂 ―――人生に迷ったら

    魂 1番
    いかなる魂を摑み取るか、その選択が個性を創る。
    『生くる』目次
    魂 2番
    西郷の高貴で偉大な魂にふれると、私は今でも五歳の小児より小さくなってしまう。
    『友よ』p.137
    魂 3番
    私は文明の「魂」を慕いつつも、実存の「骨と肉」に苦しみ続けて来たひとりの男である。
    『根源へ』p.469
    魂 4番
    魂とは、人間の精神が生まれいづる源泉を形創っている。それは、混沌の中に煌めく重い「質量」である。
    『「憧れ」の思想』p.31
    魂 5番
    焦がれうつ魂を、抱き締めなければならない。それが人間の使命なのだ。
    『「憧れ」の思想』p.99
    魂 6番
    私は人間の魂を信じています。「時代の流れ」を無条件に信じることは出来ません。
    『おゝポポイ!』p.149
    魂 7番
    欲望に苛まれると、人間というのは頭も停止するし、それから魂が弱くなる。
    『夏日烈烈』p.112
    魂 8番
    物質的な豊かさは、ほどほどをわきまえることが一番大切だということだよな。それをわきまえるのには、魂の問題を考えるのが一番近道なんだ。
    『夏日烈烈』p.305
    魂 9番
    自分の存在の根源は、人間の情感が引きつける「魂」であり、人間の悲哀をともなう「生命エネルギー」なんです。
    『魂の燃焼へ』p.110
    魂 10番
    ますらをの 涙もにじむ ことどもを 風のかたみと よしや伝へむ
    『憂国の芸術』p.39
    魂 11番
    ()つ風を (たま)(きわ)まる (いのち)()て ()きて(くだ)きて 生きて死につつ
    『憂国の芸術』p.112
    魂 12番
    人間への興味も、本を通して、過去に生きた人々との魂の交流が主力であった。
    『「憧れ」の思想』p.57
    魂 13番
    地球上にいる我々もまた、ちっぽけではあるけれども、その巨大なエネルギーの分霊なんです。
    『魂の燃焼へ』p.111
    魂 14番
    (魂というのは)愛とか、友情とか、尊敬とか、自己犠牲とかの価値を感ずるエネルギーですね。これもまた負のエネルギーで、我々の肉体の中でぐるんぐるんと回っているわけですよ。
    『魂の燃焼へ』p.112
    魂 15番
    魂が電光を散らし、肉体が激突する。そこに生まれる脈動だけが、生命の本源を形創るものではないだろうか。
    『夏日烈烈』p.1
    魂 16番
    魂は、その雄叫びによって燃えさかる深淵と化して行くと言っていい。
    『夏日烈烈』p.1
    魂 17番
    自分の魂に、その片鱗が元々ないものの場合、何の感動も興味も示さないよ。興味を示すということは、本人の中にそうなれる要素があるということなんだ。
    『夏日烈烈』p.27
    魂 18番
    自分の魂が共鳴したその瞬間に、自分がそうなれる。
    『夏日烈烈』p.28
    魂 19番
    信じるためにも自分の感性と能力を築き上げ、魂を練磨していくのは、本当に大切なことなんだ。
    『夏日烈烈』p.29
    魂 20番
    幼子のごとくの魂を持ってるのは、生命の本質で、本当なんだよ。
    『夏日烈烈』p.62
    魂 21番
    過去の書物を信じて、歴史上の人の魂の中に没入するしかないということだけだ。
    『夏日烈烈』p.83
    魂 22番
    僕は自分の読みたいものしか読まない。僕の魂が求めるものだな。
    『夏日烈烈』p.92
    魂 23番
    魂を込めて書かれた本以外は読む気がしない。
    『夏日烈烈』p.134
    魂 24番
    魂が生きるためには糧が必要なんだ。
    『夏日烈烈』p.148
    魂 25番
    「生くる」という表現は、魂の覚悟というものがある言葉なんだ。
    『夏日烈烈』p.151
    魂 26番
    『万葉集』なら歌を読めば古代人の魂がわかるんだ。
    『夏日烈烈』p.213
    魂 27番
    魂のある人はその芸術作品を見ればもう「魂のすべて」がわかるんだよ。
    『夏日烈烈』p.213
    魂 28番
    『友よ』というのは言うならば「魂の故郷(ふるさと)に戻る」というのかな……。
    『夏日烈烈』p.234
    魂 29番
    (火は宇宙の本質であることから)火がわかると、魂が何であるかもわかってくるし、我々の生命が何かもわかってくるんだよ。
    『夏日烈烈』p.260
    魂 30番
    三浦義一は何度も生まれ、何度も死んでいる。不滅なんだよ、あの魂はね。
    『夏日烈烈』p.282
    魂 31番
    魂が進化するのは無限で、人類というのは最終的には、神と合一するであろう、と言われている動物ということになるんだ。
    『夏日烈烈』p.303
    魂 32番
    魂に向かえば、物質のことはすぐにわかるようになるんだ。
    『夏日烈烈』p.305
    魂 33番
    魂の永久革命を慕い続けよ。
    『夏日烈烈』p.305
    魂 34番
    (天使とは)アンドロメダのエネルギーであり、人間の魂を人間の魂たらしめる「天空のエネルギー」とも言える。
    『夏日烈烈』p.311
    魂 35番
    (『根源へ』は)内面的に僕が読んできた本だとか、魂の変遷を書いてるわけ。要するに魂の、内面の人生だ。
    『夏日烈烈』p.321
    魂 36番
    ウィリアム・ブレイクは僕の魂を形成するものの一つだよ。
    『夏日烈烈』p.346
    魂 37番
    本とか特に文学というのは、魂の毒だから食らわなきゃならないわけだよ。
    『夏日烈烈』p.379
    魂 38番
    失った魂は、自分そのものが海に飛び込まないと、もう見つけることは出来ない。
    『夏日烈烈』p.405
  • 名誉 ―――人生に迷ったら

    名誉 1番
    ぶるぶる震えていようが、何しようが、出撃したならその人は勇敢な人だってことだよ。
    『夏日烈烈』p.129
    名誉 2番
    この世には、命よりも大切なものがある。それがわからなければ、人間と成ることは出来ないのだ。
    『生命の理念Ⅱ』p.38
    名誉 3番
    人間は名誉心を持たないと、気持ちを奮い立たせたり、やる気を持続させることが出来ません。別の言い方をすれば、名誉心を失うことによって、現代人は恥を恥だと思わなくなったのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.39
    名誉 4番
    名誉心とは、自己の外部にある高貴なる「理想」に向かって生きようとする意志から、自己の中に生まれるものです。
    『生命の理念Ⅱ』p.40
    名誉 5番
    生命がもつ、理想を見つめなければならぬ。理想が、我々の人生に名誉心をもたらしてくれるのだ。
    『生命の理念Ⅱ』p.59
    名誉 6番
    先祖を敬う、つまり先祖崇拝は名誉心と深い関係があります。それは精神性の概念そのものというよりも、むしろ精神的な生き方をするための方法論なのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.76
    名誉 7番
    「地獄には地獄の名誉がある」そうダンテは言っていた。生命の悲哀が、あのダンテをしてかく言わしめたのである。
    『生命の理念Ⅱ』p.83
    名誉 8番
    名誉心は、戦いから生まれる。戦いのないところに、名誉心は絶対にありません。
    『生命の理念Ⅱ』p.83
    名誉 9番
    今の日本は戦争を放棄しているので、日本人は愛国心という名誉心を持つことが出来ません。
    『生命の理念Ⅱ』p.84
    名誉 10番
    戦う覚悟を持たずに精神性を説けば、それはただの無責任な評論家であって名誉心に生きているとは言えません。
    『生命の理念Ⅱ』p.85
    名誉 11番
    我々は、幻想の平和に浸りながら戦う精神を失い、その結果、自己の名誉心を失いつつあるのです。
    『根源へ』p.104
    名誉 12番
    名誉心がなければ、人は戦うことができません。
    『根源へ』p.105
    名誉 13番
    名誉心は善悪や幸・不幸は関係ない。
    『根源へ』p.105
    名誉 14番
    悪をなすためにも名誉心は必要なのです。また名誉心のゆえに不幸を招くことも多々あります。
    『根源へ』p.105
    名誉 15番
    名誉心は自分らしい個性のある人生を送ろうと思ったら絶対に必要なものなのです。
    『根源へ』p.107
    名誉 16番
    正義の断行を支えている精神が、名誉心に他なりません。
    『根源へ』p.112
    名誉 17番
    名誉心とは、主体を持って生きようとする国家や個人にとっては、命よりも大切なものです。
    『根源へ』p.112
    名誉 18番
    名誉心がなければ、愛国心も生まれません。
    『根源へ』p.115
    名誉 19番
    名誉心を養うには、人間が卑小な存在であるという認識を徹底的に叩き込むべきなのです。
    『根源へ』p.117
    名誉 20番
    つまらない自分だが、何か意味のあることができないか、と考えることが名誉心を呼び込むのです。
    『根源へ』p.117
    名誉 21番
    名誉心が、また魂そのものを養っていくのです。
    『根源へ』p.118
    名誉 22番
    出会いの感動によって自分と他者が一体となり、そこに自己の生き方という名誉心が芽生えてくるのです。
    『根源へ』p.119
    名誉 23番
    名誉心を育むには出会いが大切であるからこそ、秀れたものとの出会いを求めなければならないのです。
    『根源へ』p.119
    名誉 24番
    真の出会いが名誉心を生み、その名誉心が魂を育んで、個性ある生き方を創るのです。
    『根源へ』p.119
    名誉 25番
    名誉心がなければ、自己に打ち克ち、自己の殻を破って前進しようとする克己心も生まれません。
    『生命の理念Ⅱ』p.38
    名誉 26番
    気品や個性、信念や生命エネルギーの燃焼へ向かう生き方、向上心や探求心の問題もすべて、名誉心が原動力になっています。
    『生命の理念Ⅱ』p.38
    名誉 27番
    名誉心を養うには、名誉を求める生き方を自己が選択し、意識することによって宇宙からそのエネルギーが注ぎ込まれるのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.39
    名誉 28番
    名誉心がなければ恥もない。
    『生命の理念Ⅱ』p.39
    名誉 29番
    恥を(そそ)ぐとは、内なる名誉の回復を意味しているのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.39
    名誉 30番
    名誉心とは、物質的なものが何ら介在しない、まったく純粋な精神や生命エネルギーの問題だということです。
    『生命の理念Ⅱ』p.40
    名誉 31番
    理想と呼ばれる憧れに、自分の生き方を合わせるのが名誉を求める生き方です。
    『生命の理念Ⅱ』p.41
    名誉 32番
    名誉は絶えず自分で意識して、意識することによって自分を奮い立たせるものなのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.43
    名誉 33番
    名誉心の受け皿としての自己が確立することによって初めて、名誉心を持つことが出来るのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.49
    名誉 34番
    封建時代における領主に対する忠義心が、国家に対する忠義に変わったものが愛国心であり、愛国心は名誉心の代表的なもののひとつです。
    『生命の理念Ⅱ』p.51
    名誉 35番
    忠義に生きようとすることが武士の名誉なのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.52
    名誉 36番
    サラリーマンの道は、武士道と同じ忠義の道です。
    『生命の理念Ⅱ』p.52
    名誉 37番
    会社に骨を埋める気持、さらには会社のために命を捨てる覚悟で生きるのが、サラリーマンの名誉なのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.52
    名誉 38番
    人間は他人のために生きることを習得して、初めて名誉を求めることが出来ます。
    『生命の理念Ⅱ』p.53
    名誉 39番
    真の実業家は、実務としての商売をしていても、真の名誉を求めて仕事をしているのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.53
    名誉 40番
    歴史の中にその民族の理想がある。
    『生命の理念Ⅱ』p.54
    名誉 41番
    この世には、命よりも大切なものがある。それがわからなければ、人間と成ることは出来ないのだ。
    『生命の理念Ⅱ』p.38
    名誉 42番
    生命がもつ、理想をみつめなければならぬ。理想が、我々の人生に名誉心をもたらしてくれるのだ。
    『生命の理念Ⅱ』p.59
  • 不合理 ―――人生に迷ったら

    不合理 1番
    この世は理不尽がつきまとう。それを乗り越える力は恩と情にしかない。
    『生くる』p.15
    不合理 2番
    反作用によって人間がつぶれてしまうのは、反作用がない世界があると錯覚しているからに過ぎない。
    『生くる』p.158
    不合理 3番
    誠意とは、善意ではない。汚れ果てても築き上げるものだ。
    『生くる』目次
    不合理 4番
    生命の本源に到達する道は、不合理と不幸に満ちており、一人ひとりが、自分だけの孤独の道を歩まなければならないのだ。
    『「憧れ」の思想』p.143
    不合理 5番
    人生観の根本は、不幸を受け入れる思想を持つことです。それは、革命の精神を持つということでもあるのです。
    『耆に学ぶ』p.44
    不合理 6番
    不合理を嫌ったり、それから逃げることなく、それを積極的に受け入れ消化しなければなりません。
    『耆に学ぶ』p.47
    不合理 7番
    不合理を仰ぎ見る。文明の毒を受け入れることで人間の精神は強くなれます。
    『耆に学ぶ』p.48
    不合理 8番
    自分の命や幸福が何より大切ならば、この世で価値のある真に人間的なことを行なうことは出来ません。自分でない、自分を捨て去るその対象の中に生きる価値があると僕は思っています。
    『風の彼方へ』p.35
    不合理 9番
    否定の否定の否定の否定を通り越していくと、きれいで優しい希望ではなく、本当の生命感を摑めるのです。
    『風の彼方へ』p.44
    不合理 10番
    生命そのものが不合理で、決して楽しいものではありません。どちらかといえば、生命は悲しいものです。
    『風の彼方へ』p.58
    不合理 11番
    生きていることそのものが矛盾なんです。だから、より大きな矛盾に立ち向かっていくことが、結果として、生きていることの矛盾を解決することにつながるんですよ。
    『魂の燃焼へ』p.191
    不合理 12番
    白隠の力は、沈黙が生み出した力だと私は思っている。沈黙、すなわち暗黒の渦巻く不合理である。
    『孤高のリアリズム』p.211
    不合理 13番
    不合理を仰ぎ見なければならない。
    『根源へ』p.27
    不合理 14番
    人生とは、不合理の極みを生き切ることです。
    『根源へ』p.28
    不合理 15番
    もともと日本人は、不合理を美学と成した民族と言えるのです。
    『根源へ』p.28
    不合理 16番
    不合理を乗り越えるには野性が必要です。つまり純粋性です。(いさぎよ)さと言ってもいい。
    『根源へ』p.31
    不合理 17番
    日本文明がもつ、他の文明ともっとも異なるものは何か。それが不合理を許容する心なのです。
    『根源へ』p.37
    不合理 18番
    私は、不合理を許容できない人間に、もっとも軽薄な人間性を感じます。
    『根源へ』p.40
    不合理 19番
    真実の死に方を見つけられれば、真実の生き方がわかる。つまり、不合理を仰ぎ見て生きるということです。
    『根源へ』p.41
    不合理 20番
    日露戦争に勝ったのは、乃木大将という不合理を許容して呑み込んだ人が軍司令官にいたからです。
    『根源へ』p.43
    不合理 21番
    不合理を許容することは一種の美意識です。
    『根源へ』p.43
    不合理 22番
    不合理を受け容れなければ真の生き方は生まれず、死生観も持てません。
    『根源へ』p.44
    不合理 23番
    すべては「不合理ゆえにわれ信ず」です。
    『根源へ』p.43
    不合理 24番
    乃木の場合は説明が出来ない。説明が出来ない能力が、乃木希典の能力なんだよ。
    『夏日烈烈』p.138
    不合理 25番
    (『ハムレット』の不合理がいい)また不合理を愛するという点では、他に『奔馬』の飯沼勲なんかが代表だよな。
    『夏日烈烈』p.222
    不合理 26番
    不合理も、病気も不幸も、全部これは人生論的に言うと毒なんだよ。
    『夏日烈烈』p.350
    不合理 27番
    僕は「毒を食らえ」と言って、不幸になれ、不合理を食らえ、と言ってるわけ。これが逆説で言うと、自分の与えられた生命を燃やし切るための最低条件ということなんだよ。
    『夏日烈烈』p.350  
    不合理 28番
    キリスト教がなんで強いかっていうと、矛盾だらけの宗教だからなんだ。だってイエスが処女から生まれたとかさ、無理ですよ、ふつうは。
    『魂の燃焼へ』p.190
    不合理 29番
    何がなんでも信じろって。信じなかったら火あぶりだからね。でも、その強いられた矛盾をのみ込む強さが、ヨーロッパ人の強さなんだ。
    『魂の燃焼へ』p.191
    不合理 30番
    僕がなぜ武士道に魅力を感じるかというと、いちばんは武士道の中にある不合理性なんですよ。
    『魂の燃焼へ』p.191
    不合理 31番
    むしろ、矛盾を大好きにならなきゃ。人生を生きるコツは、矛盾をどう楽しむかに尽きます。
    『魂の燃焼へ』p.192
    不合理 32番
    矛盾を、僕は「運命」と呼んでいるんです。
    『魂の燃焼へ』p.192
    不合理 33番
    矛盾に立ち向かうか、逃げるかで、人間の強さが決まってくる。
    『魂の燃焼へ』p.192
    不合理 34番
    真の文明とは、不合理を許容する生き方だけが生み出す精神そのものなのです。
    『根源へ』p.45
    不合理 35番
    不合理を許容する心だけが死生観を打ち立て、人生を拓くことができるのです。
    『根源へ』p.44
    不合理 36番
    (ヨーロッパ人の塹壕戦について)不合理を受け入れる思想がなければ、あのような「狂気」に基づく行動はできないのです。何と言っても、機関銃の掃射をしている相手に向かって突撃するのです。
    『根源へ』p.45
  • 情熱 ―――人生に迷ったら

    情熱 1番
    情熱とは、人間を人間たらしめているものです。……つまり、生命力そのものです。
    『根源へ』p.238
    情熱 2番
    キリストは情熱に突き動かされたがゆえに、受難を引き受けることになったのです。だから、情熱と受難は等しい。
    『根源へ』p.240
    情熱 3番
    情熱のもっとも崇高なものが愛なのです。
    『根源へ』p.241
    情熱 4番
    情熱の裏には希望の力が隠されている。
    『根源へ』p.241
    情熱 5番
    人は情熱に突き動かされ、受難に遭うべきなのです。
    『根源へ』p.241
    情熱 6番
    自己の生命が、真に他の存在の役に立ちたいのなら、自己独自の情熱を抱き締めなければなりません。
    『根源へ』p.241
    情熱 7番
    自己の生命と人間の歴史の真実の中に隠された「悲しみ」を感知したとき、我々は真の情熱を認識することができるのです。
    『根源へ』p.242
    情熱 8番
    真の情熱は悲しみと直面するのです。
    『根源へ』p.243
    情熱 9番
    情熱をもつ人生には覚悟が必要なのです。
    『根源へ』p.243
    情熱 10番
    情熱的なことは、詩的で非日常的です。
    『根源へ』p.244
    情熱 11番
    非日常が常なるものになって初めて、真の情熱が生まれるのです。
    『根源へ』p.245
    情熱 12番
    ポルトガルの航海術の飛躍的な発展の原動力は、情熱の存在によって支えられていたのです。
    『根源へ』p.245
    情熱 13番
    不合理の極みとも言える情熱によって、科学的な眼を持てるようになったのです。
    『根源へ』p.245
    情熱 14番
    情熱は、不合理を科学的真実に変える力があるのです。
    『根源へ』p.246
    情熱 15番
    鑑真とザビエルは、まったく同じ情熱です。
    『根源へ』p.247
    情熱 16番
    神父ダミアンのもつ情熱は、情熱のひとつの典型であると思います。
    『根源へ』p.248
    情熱 17番
    (『異邦人』の主人公)ムルソーの人生の大半は、情熱を殺すために生きていた。
    『根源へ』p.250
    情熱 18番
    情熱に突き動かされた人間は、その結果がどうであろうと、人間らしい人生を感ずることができるのです。
    『根源へ』p.250
    情熱 19番
    (『異邦人』の主人公)ムルソーはその深部を、世界は美しいと「信ずる」強烈な情熱によって支えられていたと私は思っているのです。
    『根源へ』p.250
    情熱 20番
    情熱というのは人間を高貴にすると同時に、破滅させるものであり、人間の人間らしさのすべてであると言っているのです。
    『根源へ』p.251
    情熱 21番
    忍ぶ恋は、人間の情熱がもつ、もっとも崇高な神秘なのです。
    『根源へ』p.252
    情熱 22番
    情熱を知るためには、善悪を判断することなくひたすら愛せよと語りかける。
    『根源へ』p.252
    情熱 23番
    善悪は文明であり、情熱は生命そのものなのです。その均衡の上に真の人生があります。
    『根源へ』p.253
    情熱 24番
    愛がなければ、情熱はすべて、そのままエゴイズムでしかありません。
    『根源へ』p.253
    情熱 25番
    満たされてしまえば情熱は失われてしまうのです。
    『根源へ』p.253
    情熱 26番
    希望なきところに愛はなく、愛がなければ真の情熱はありません。
    『根源へ』p.254
    情熱 27番
    情熱は、人生を真に豊かにするものであると同時に、またもっとも激しい苦悩をもたらすのです。
    『根源へ』p.254
    情熱 28番
    憧れが苦悩を生み出し、その苦悩が愛によって生ずる認識と希望を手探りでたぐり寄せ、真の情熱を生み出していくのです。
    『根源へ』p.255
    情熱 29番
    情熱は不滅性への渇望から生まれる。
    『根源へ』p.257
    情熱 30番
    情熱に接すれば、人は恐るべき生の深淵を(のぞ)くことになるのです。そして、それを乗り越えなければならない。突破するには勇気しかない。
    『根源へ』p.260
    情熱 31番
    ドン・キホーテは、なぜ「情熱の騎士」になったのか。それは彼が徹底的に「絶望した人間」としての人生を歩んだからです。
    『根源へ』p.262
    情熱 32番
    他人から嘲笑され、打ち負かされたことで、ドン・キホーテは偉大になりました。つまり勝利者になったのです。……彼が受難と呼ばれる苦悩に満ちた人生を、その情熱によって生き切ったからです。
    『根源へ』p.262
    情熱 33番
    情熱とは、涙の哲学なのです。
    『根源へ』p.263
    情熱 34番
    人間にとって最後のものは、燃え尽きる生命の雄叫びしかないのです。つまり、情熱であり、その結果としての涙です。
    『根源へ』p.263
    情熱 35番
    情熱を持ち続けるためには、人間は生涯にわたり忍ぶ恋をしなくてはいけない。
    『根源へ』p.265
    情熱 36番
    忍んで忍んで、憧れて憧れて、そして灰になるのです。
    『根源へ』p.265
    情熱 37番
    愛と認識が情熱を生み出し、そこに真の希望が見えてくるのです。
    『根源へ』p.271
    情熱 38番
    情熱を取り戻すには、野生を取り戻すことしかありません。
    『根源へ』p.275
    情熱 39番
    私は「一粒の麦」の精神こそが、人間の情熱の原点だと考えているのです。
    『根源へ』p.276
    情熱 40番
    思想とは考え方や知識では無く、一人の生きている人間の情熱なのだ。
    『見よ銀幕に』p.53
  • 孤独 ―――人生に迷ったら

    孤独 1番
    壁を見れば自分がわかる。
    『生くる』目次
    孤独 2番
    シジフォスのごとく、孤独そのものに生き、そこに()むのだ。
    『友よ』p.64
    孤独 3番
    孤独を知る者だけが、他人を受け入れる度量をもつのであろう。
    『友よ』p.64
    孤独 4番
    愛を受けたる者は、孤独を恐れない。孤独は愛の証である。
    『友よ』p.65
    孤独 5番
    人と争う人間は、孤独を感じないですむ。
    『友よ』p.124
    孤独 6番
    現代のような水平社会では、垂直に生きようとすると変わり者だと見られがちです。そういった非難に耐えながら垂直に生きていかなければ絶対に孤独にはなれない。
    『根源へ』p.415
    孤独 7番
    我々は、どこから来て、どこへ行くのか。
    『憂国の芸術』p.124
    孤独 8番
    孤独とは、ただ独りで生きる気概を言う。
    『孤高のリアリズム』p.194
    孤独 9番
    真の孤独が、真の出会いを生む。
    『孤高のリアリズム』p.194
    孤独 10番
    私もまた、孤独な人間であった。私は、つとに自分自身の不良性が招いていた孤独に過ぎなかった。しかし、孤独は孤独である。
    『孤高のリアリズム』p.195
    孤独 11番
    孤独は、それ自身の働きによって、私に宇宙への志向と生命の悲哀を考え続ける人間性を与えてくれた。
    『孤高のリアリズム』p.195
    孤独 12番
    孤独の中にあってだけ、人間は自己の道を貫くことができるのです。
    『根源へ』p.410
    孤独 13番
    孤独ではない人間の人間関係は、相互依存の関係にすぎない。
    『根源へ』p.410
    孤独 14番
    人間の絆も関係も、それぞれにおいて孤独な人間の間にしか成立しないのです。
    『根源へ』p.410
    孤独 15番
    孤独は人間形成の核になるものであり、孤立は人間性を喪失した状態を言うのです。
    『根源へ』p.412
    孤独 16番
    (孤独とは)自己固有の魂を求め続ける人生が招く生き方であり、それは必ず高貴さを伴う。
    『根源へ』p.412
    孤独 17番
    自らを失うものになっていくのが孤立で、自らを創ろうとする行動が孤独なのです。
    『根源へ』p.413
    孤独 18番
    孤独な過程を生き続けなければ、人間は絶対に自らを創ることはできません。
    『根源へ』p.414
    孤独 19番
    現代のような水平社会では、垂直に生きようとすると変わり者だと見られがちです。そういった非難に耐えながら垂直に生きていかなければ絶対に孤独にはなれないのです。
    『根源へ』p.415
    孤独 20番
    自己の運命を信じるには、運命への愛(amor fati:アモール・ファーティー)を持たなくてはならない。これがないと孤独な人生には絶対に入っていくことはできません。
    『根源へ』p.415
    孤独 21番
    孤独の敵は我欲です。名声を得たい、成功したいという我欲に呑み込まれると、絶対に孤独にはなれません。
    『根源へ』p.416
    孤独 22番
    永遠を求める孤独の中からしか、「実際の知恵」は生まれない。
    『根源へ』p.418
    孤独 23番
    セルバンテスは牢獄の中で孤独というものの価値を会得したのだと私は思います。
    『根源へ』p.419
    孤独 24番
    『ドン・キホーテ』は、孤独の悲哀を描いた世界最高の「詩」そのものです。
    『根源へ』p.419
    孤独 25番
    家族が何人いようが友人がいくらいようが、人間はただ独りで死ぬ。
    『根源へ』p.422
    孤独 26番
    ただ独りで生まれ、ただ独りで死ぬ。
    『根源へ』p.422
    孤独 27番
    (ジョルジュ・バタイユによれば)真の孤独に入れば、現世のものはすべてが「過剰な」どうでもよいものであると気づく。
    『根源へ』p.422
    孤独 28番
    孤独とは、崇高なるものに恋焦がれることです。
    『根源へ』p.422
    孤独 29番
    垂直の人生を歩もうとすれば、必ず孤独になる。
    『根源へ』p.422
    孤独 30番
    (孤独の意味は)武士道的に訳せば、「忠義」という意味に近いと思います。
    『根源へ』p.423
    孤独 31番
    「何ものか」に忠義を尽くそうと考えると、孤独なる生き方になるのです。
    『根源へ』p.423
    孤独 32番
    絶望から出発するものが武士道の孤独である忠義なのです。
    『根源へ』p.424
    孤独 33番
    英雄とは孤独者のことだ。
    『根源へ』p.427
    孤独 34番
    「孤忠」とはただ独りで尽くす忠義のことです。絶対に成就することのない恋であることを知りながら、相手のためにただ独りで想い続ける。
    『根源へ』p.425
    孤独 35番
    孤独とは人類の魂と自己の生命が感応し交叉して生ずるものです。
    『根源へ』p.426
  • 出会い・別れ ―――人生に迷ったら

    出会い・別れ 1番
    別れの悲しみを、詩的に感ずる者だけに、真の出会いが訪れる。
    『友よ』p.10
    出会い・別れ 2番
    別れれば、次に真の出会いがくる。それが、この世というものではないか。別れの悲しみを、詩的に感ずる者だけに、真の出会いが訪れる。
    『友よ』p.10
    出会い・別れ 3番
    別れることが念頭にない人間関係は、嘘の関係である。
    『友よ』p.11
    出会い・別れ 4番
    「啐啄の機」というのは、僕流の解釈では、一つの生命と他の生命との真の出会いだと思います。一つの生命が他の一つの生命と電光のように出会う瞬間ですね。そこに真の生命の交感が生まれる。
    『風の彼方へ』p.25
    出会い・別れ 5番
    過去の自分と別れなければ、新しい自分とは出会えない。
    『友よ』p.52
    出会い・別れ 6番
    別れは別れに出会うことによって永遠の中に溶け込む。
    『根源へ』p.460
    出会い・別れ 7番
    生きることは出会いである。
    『根源へ』p.390
    出会い・別れ 8番
    出会いとは、孤独なる人間が、永遠に向かう他の孤独なる人間を見上げることなのである。
    『孤高のリアリズム』p.194
    出会い・別れ 9番
    出会いがなければ、人生はなく、また別れもありません。
    『根源へ』p.390
    出会い・別れ 10番
    出会いは、それを求める魂を持つ者のみに訪れるものです。
    『根源へ』p.390
    出会い・別れ 11番
    すべての人の人生は出会いによってだけ築かれていくのです。
    『根源へ』p.391
    出会い・別れ 12番
    真の出会いを経験するには「無限なるもの」「永遠なるもの」に通じる「何ものか」に繋がっていると思える出会いをしようとしなければなりません。
    『根源へ』p.391
    出会い・別れ 13番
    すべての出会いを、その善し悪しは別として、自己の運命の一環と捉えたとき、その出会いには初めて意味が見出されてくるのです。
    『根源へ』p.394
    出会い・別れ 14番
    人間は、崇高とも高貴とも出会う。また、神秘、悲哀、そして悲痛や苦悩とも出会います。
    『根源へ』p.395
    出会い・別れ 15番
    生命には真の孤独はない。永遠と、その呼称とも言える神がある限り、絶対的な孤独はないのです。
    『根源へ』p.395
    出会い・別れ 16番
    「何ものか」と触れ合うとは、巨大な宇宙的実存の「悲しみ」を直視することなのです。
    『根源へ』p.396
    出会い・別れ 17番
    出会いとは、運命とも言えるのです。
    『根源へ』p.397
    出会い・別れ 18番
    価値があるのは出会いそのものなのです。……だから出会ってすぐに死んでしまってもかまわない。
    『根源へ』p.397
    出会い・別れ 19番
    出会いがなければ自分の人生も始まりません。出会いは、屹立(きつりつ)した精神が行なうものなのです。
    『根源へ』p.399
    出会い・別れ 20番
    全身全霊をあげて、我の生命と汝の生命の間に火花を散らすことなのです。
    『根源へ』p.400
    出会い・別れ 21番
    真の出会いによって真の自己を知り、真の自己に出会って初めて「永遠のなんじ」に出会うことができる。
    『根源へ』p.402
    出会い・別れ 22番
    「火を噴く今」を大切にすることが真の出会いを生むということです。
    『根源へ』p.402
    出会い・別れ 23番
    何かと出会うのにもっとも大切なことは、自己を捨てることです。
    『根源へ』p.403
    出会い・別れ 24番
    ありのままを悲しみ、ありのままを受け入れるのです。もちろん、ありのままを憎み、ありのままを嫌うということにもなる。そういう人だけが真の出会いを迎えることができる。
    『根源へ』p.403
    出会い・別れ 25番
    一回性がわかり、そこに身を投じることができれば、人は自由と出会い、そして運命と出会う。
    『根源へ』p.404
    出会い・別れ 26番
    何と出会っても喜びそして悲しみ、その出会いを抱きしめる。そうすることで人は「永遠のなんじ」と出会うことになるのです。
    『根源へ』p.404
    出会い・別れ 27番
    真の出会いとは「悲しみ」そのものです。
    『根源へ』p.405
    出会い・別れ 28番
    あらゆるいのち(、、、)がかかえる悲しみを、我がうち深くに受け入れ、そして愛する。それが出会いなのです。
    『根源へ』p.406
    出会い・別れ 29番
    出会いがなければ愛はなく、愛がなければ別れはありません。
    『根源へ』p.406
    出会い・別れ 30番
    私は、不合理を愛することによって、真の出会いを手に入れてきたと思っています。出会ったものの中に、いつでも別れの悲痛を感じながら生きてきたのです。
    『根源へ』p.408
    出会い・別れ 31番
    出会いとは、燃え上がる炎なのです。
    『根源へ』p.408
    出会い・別れ 32番
    別れとは、有限な生命を認識するためのけじめである。
    『根源へ』p.450
    出会い・別れ 33番
    出会いと別れ、それぞれを認識する力が強い人ほど、けじめのある個性に満ちた人生を築き上げることができる。
    『根源へ』p.451
    出会い・別れ 34番
    「出会い+別れ=いのち」
    『根源へ』p.451
    出会い・別れ 35番
    人生において、出会いは「新生」を生み、別れは「復活」のみずみずしい息吹きを我々に与えてくれる。
    『根源へ』p.451
    出会い・別れ 36番
    日本人は、別れを「無常」と理解してきました。
    『根源へ』p.452
    出会い・別れ 37番
    生きているものは必ず死に、会ったものは別れる定めにある。
    『根源へ』p.453
    出会い・別れ 38番
    『平家物語』が大切にされてきたのは、別れに由来する悲しみが真の希望をもたらすからです。
    『根源へ』p.453
    出会い・別れ 39番
    一回性とは、つまりは強烈な「けじめ」のことです。別れも、けじめそのものです。
    『根源へ』p.458
    出会い・別れ 40番
    「一回性の恐るべき眼差し」に見つめられているものが別れなのです。
    『根源へ』p.458
    出会い・別れ 41番
    「自己と別れる」ことが道元の言う、自己を捨てることに繋がっている。
    『根源へ』p.458
    出会い・別れ 42番
    私は、あらゆるものとの出会いを認識するために、出会ったとき、すぐに別れを考える習慣を身につけています。
    『根源へ』p.458
    出会い・別れ 43番
    別れは新しい出発を生み出します。
    『根源へ』p.459
    出会い・別れ 44番
    芭蕉の俳句のほとんどには、別れがその中心思想として存在しています。
    『根源へ』p.463
    出会い・別れ 45番
    別れを経験していない人間に吟味すべき涙はありません。人生の価値とは、涙によってしか量れないのです。
    『根源へ』p.468
  • 学 ―――人生に迷ったら

    学 1番
    恩を噛み締め、人の情を心底から受け入れて、初めて人間には知恵が生ずる。
    『生くる』p.15
    学 2番
    真の学問は人から人、人と人とのつながりからしか生まれない。
    『生くる』p.32
    学 3番
    人がいて、初めて学問があった。人が去れば、技巧と堕する。
    『生くる』目次
    学 4番
    学問を研究するにあたって私は、まず、その学問に生きた人物そのものの研究を軸とした。
    『生くる』p.34
    学 5番
    (私は)すべての学問や理論を、人体機能に還元して考える癖を持っていた。
    『生くる』p.34
    学 6番
    私は生来、度を越した負けず嫌いの性格を持っていた。そのため学問は、死ぬほど努力して身につけた。
    『生くる』p.35
    学 7番
    宗教も哲学も科学も歴史も何もかもを、人間のもつ誠が創造してきた。
    『生くる』p.36
    学 8番
    真理を探究する心が、宗教を生み、哲学を創り上げた。
    『生くる』p.37
    学 9番
    科学こそが、真実を知る唯一のものだと信じて、身命を(なげう)って研究した人々に私は感動する。
    『生くる』p.37
    学 10番
    絶対に負けるとわかっている側に、恩義のゆえに味方して死んだ人々に、私は真実を見る。
    『生くる』p.39
    学 11番
    科学の中には真実は一つもない。
    『生くる』p.56
    学 12番
    統計ほど非科学的なものはない。
    『生くる』p.59
    学 13番
    事実を事実の通りに認識して、それを積み上げていくと、驚くかも知れないが誰でも科学者になれる。
    『生くる』p.60
    学 14番
    実は、時間の淘汰をくぐり抜けた事柄が、最も科学的で正しい。
    『生くる』p.61
    学 15番
    細かなことを考えるのが科学ではない。科学こそ、最も飛躍が必要な学問なのだ。
    『生くる』p.255
    学 16番
    礼は科学である。目に見えぬものと対峙する東洋の叡智なのだ。
    『生くる』目次より
    学 17番
    人間というのは、知識がないと無謀なことができる。
    『友よ』p.67
    学 18番
    我々人間は、合理性や科学だけでは、決して生きることも死ぬこともできないのです。
    『根源へ』p.40
    学 19番
    目で見える人間生活を離れた分野は、本来は、東洋哲学やまたはギリシャ哲学によって説明されなければ、その真実の姿に近づくことはできません。
    『根源へ』p.52
    学 20番
    興味を示すということは、本人の中にそうなれる要素があるということなんだ。
    『夏日烈烈』p.27
    学 21番
    科学や医学は、常に絶対的に正しい神のようなものでもなければ、単なる悪魔でもありません。それらは、人間が用いる道具なのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.52
    学 22番
    僕は現代の文科省的な教育システムそのものと、人間の生命は相反していると思います。いまの教育というのは、まあ知識を覚えるにはいいですが、精神を鍛えることに関しては意味がない。
    『風の彼方へ』p.80
    学 23番
    頭脳に重きを置いている人間は、みんな嘘ですよ。間違いない。人間は存在の全てで思考しなければなりません。心と体、そして経験の全てです。
    『風の彼方へ』p.89
    学 24番
    日本人はもうすでに能力も道徳心も優秀ではないことを認めないとダメなんです。働いてもいませんし。それに、知能程度も低いですよ。文学だろうが、国語力だろうが、英語力だろうが、全部ひと昔前よりも低いです。
    『風の彼方へ』p.228
    学 25番
    本当の学問というのは読書といっしょで、問いがすべてなんです。
    『魂の燃焼へ』p.44
    学 26番
    文学にしろ哲学にしろ、偉大なものはたいてい未完ですよ。それだけ最初の志が壮大だったからこそ、未完になるんです。
    『魂の燃焼へ』p.50
    学 27番
    日本人というのは、我々が考えているよりかなり科学的な民族です。しかし、科学の中に「神」がいないので、ある地点まで発展すると崩れ去ってしまう。
    『憂国の芸術』p.56
    学 28番
    東洋的な科学や医学には絶対的存在がないという点で、脆弱性を内包しています。
    『憂国の芸術』p.56
    学 29番
    元々学問というのは、自分が好きでやって、悩んで悩んで悩んで、もうそれでもまだ言葉に出来ない。苦しい人がその言葉を教えてもらうのが、実は学問だったんだよ。
    『夏日烈烈』p.180
    学 30番
    朱子学というのは最も科学的な哲学なんだ。
    『夏日烈烈』p.264
    学 31番
    朱子学が文明の学問だとわかると、封建が実は文明的で、近代は非文明的だとわかってくるんだよ。政治はだから、非文明。
    『夏日烈烈』p.265
    学 32番
    学校制度がなくて、学問は好きな人だけが集まって、昔の寺子屋や大学みたいにやってるなら、この人類は滅びないと思うよ。
    『夏日烈烈』p.445
    学 33番
    医学そのものは病気を治す学問だから、人間学なんだよ。
    『夏日烈烈』p.458
    学 34番
    学問って本当は積み上げじゃないんだよ。本居宣長も折口信夫も元がないものに挑戦した。だからそれは天空から来たんだよ。
    『夏日烈烈』p.509
    学 35番
    医者にとっての最大の能力は何かというと、何がわかっていて何がわからないのかを、克明に理解することだと言っている。
    『夏日烈烈』p.103
  • 芸術 ―――人生に迷ったら

    芸術 1番
    絵画や彫刻から、熱情の放射を浴び続けている。
    『根源へ』p.218
    芸術 2番
    音楽とは、いつの日も人間に「時の回廊」をもたらすものだとつくづく思います。
    『根源へ』p.219
    芸術 3番
    我々は、文明の中で生きているから芸術を必要とする。文明がなければ芸術は要らない。
    『根源へ』p.220
    芸術 4番
    神と分離することによって、人間は孤独を知り、現代に通じる苦悩が生まれた。それが現代の芸術を生むのです。
    『根源へ』p.227
    芸術 5番
    理想が、初心にある限り、音楽は我々にとって永遠の芸術となる。
    『根源へ』p.435
    芸術 6番
    今後の日本がどうなっても、燃える魂の芸術作品が残っていれば、そこから何ものかを汲み取る人間が必ずいると信じている。
    『おゝポポイ!』p.149
    芸術 7番
    他人に映画を(すす)めるときも、タルコフスキーやキアロスタミの芸術的な映画と、石原裕次郎やジョン・ウェインはまったく同列です。私の中ではなにも違わない。
    『おゝポポイ!』p.187
    芸術 8番
    私は安田靫彦の描く、高く清く悲しい線が、日本の魂を継承すると信じて疑いません
    『憂国の芸術』p.12
    芸術 9番
    日本文化の中核を成すその「みやび」と「もののあはれ」を、完璧な芸術として描き切った画家は、安田靫彦を措いて他にありません。
    『憂国の芸術』p.20
    芸術 10番
    安田靫彦の作品はそこに「ある」のではなく「いる(、、)」のです。一つの生命体として動き、呼吸をし、生きているのが感じられる。
    『憂国の芸術』p.23
    芸術 11番
    「みやび」と「もののあはれ」の深淵が日本人の生命エネルギーの本体なのです。それこそを私は伝えたいのです。
    『憂国の芸術』p.36
    芸術 12番
    書には、人間のすべてが表われます。血も骨も肉もです。そして、魂と未生の過去から続くその人物の人生そのものが現われる
    『憂国の芸術』p.38
    芸術 13番
    白隠の書には、書を超えた日本人の大家族主義の息吹が感じられるのです。真の「家族」愛です。慈愛が、書の中にうねり狂っている。
    『憂国の芸術』p.43
    芸術 14番
    南天棒に心惹かれるのは、英国ではユーモア、フランスではエスプリと形容されるひとつのダンディズムが貫かれていることです。
    『憂国の芸術』p.44
    芸術 15番
    南天棒の書は、禅の深淵に西洋的な感性が付加されていることによって、全く新しい日本人の魂を創り上げているのです。
    『憂国の芸術』p.45
    芸術 16番
    真の芸術とは、民族の歴史の中から生まれ出た、血みどろの戦いの痕跡なのです。
    『憂国の芸術』p.55
    芸術 17番
    真の芸術とは相克と葛藤の歴史であると同時に、民族ごとの最も秀れた精神の発露でもある。
    『憂国の芸術』p.55
    芸術 18番
    戸嶋靖昌の芸術は、日本人がもつ熱情の魂の発露そのものだと私は思っています。
    『憂国の芸術』p.65
    芸術 19番
    戸嶋靖昌の絵は他人に媚びるところがないのです。そして生命の悲哀と向き合い、人間の生命に内在する「崇高性」を志向しています。
    『憂国の芸術』p.76
    芸術 20番
    戸嶋靖昌は、人や物がもつ生命の本質から放射されるものを描いている。混沌とした存在がもつ悲しみを捉え、汚れたるものの中に内在する高貴性を見つめているのです。
    『憂国の芸術』p.76
    芸術 21番
    真の芸術は、重厚かつ深刻で、至高の存在へ向かって突進するものです。
    『憂国の芸術』p.83
    芸術 22番
    形のない形。それが、山口の憧れる芸術であろう。
    『憂国の芸術』p.101
    芸術 23番
    山口長男の芸術は、「素数の変幻」によって成り立っている。
    『憂国の芸術』p.103
    芸術 24番
    東郷平八郎の書には、武士道が育んだ「赤誠」によって支えられた科学精神がある。つまり、日本人の精神のひとつの理想の姿が、ここに芸術として存在するのだ。
    『憂国の芸術』p.110
    芸術 25番
    山岡鉄舟の書は詩と論理の婚姻が生み出した、日本的芸術そのものなのである。
    『憂国の芸術』p.118
    芸術 26番
    夜は、人間を謙虚にする。生きる者が、その淵源と向き合うときと呼んでよい。つまり、祈りである。
    『憂国の芸術』p.129
    芸術 27番
    私が自己の「コレクション」の主力で蒐めている靫彦の作品は、〈日本人の情熱と悲哀を表わすもの〉という観点に立っているのです。
    『憂国の芸術』p.13
    芸術 28番
    私は芸術だけが、民族の魂を未来へつなぐことの出来る、唯一の「神話」だと考えています。
    『憂国の芸術』p.18
    芸術 29番
    いつの世も、魂の正しい系譜は「芸術」によって成されて来た。
    『憂国の芸術』p.18
    芸術 30番
    私は民族が魂を継承し、それをいつの世にも「復活」(ヴァスクレセーニエ)させる力こそが真の芸術だと思っているのです。
    『憂国の芸術』p.19
    芸術 31番
    平野遼は独学で絵を学び、言うならば「自己が生きるために画を描き続けた人間」です。
    『憂国の芸術』p.30
    芸術 32番
    生命の本質は悲しく、生きることは切ない。だからこそ、人は希望に生きようとするのです。そして希望が、芸術を我々にもたらしてくれた。
    『憂国の芸術』p.37
    芸術 33番
    何かに偏ることによって、われわれは力を蓄え、生命の息吹をこの世に刻み込んでいる。それを伝えるものこそが、真の芸術なのです。
    『憂国の芸術』p.37
    芸術 34番
    書は、生命と言語の婚姻です。
    『憂国の芸術』p.40
    芸術 35番
    ヨーロッパの芸術は、中心に神の存在があります。日本では己を殺す「真心」です。
    『憂国の芸術』p.54
    芸術 36番
    我々は、先人の「涙」を承け継がなければなりません。それが「書」の中でこちらを見つめているのです。
    『憂国の芸術』p.63
    芸術 37番
    人間性と芸術は、陰陽の相関関係にあるというのが私の考え方であった。つまり、肉体と精神は弁証法的循環にあるのだ。
    『孤高のリアリズム』p.196
    芸術 38番
    創造とは、苦悩とその苦痛の中からしか生まれない。
    『孤高のリアリズム』p.200
    芸術 39番
    キャンバスのど真ん中に打たれた一つの「点」が、すべての始まりとなる。
    『孤高のリアリズム』p.201
    芸術 40番
    部分を描くことは技術的に楽なのだ。それに反し、全体を描くことは、その把握のために血の涙を流さなければならない。
    『孤高のリアリズム』p.202
    芸術 41番
    美しいものを描くために、汚い色を使うことは身を裂く苦痛を与えるのだ。それに耐える力が、真の芸術家には必要となる。
    『孤高のリアリズム』p.209
    芸術 42番
    白隠のもつ根源的な「力」とは、慈悲の精神から生まれる真の人間的祈りの力である。
    『孤高のリアリズム』p.210
    芸術 43番
    白隠の「書」は、紛う方なき痕跡である。それは、この禅師の全生命を叩き付けた実存なのだ。
    『孤高のリアリズム』p.212
    芸術 44番
    痕跡の芸術をこの世に残す人間は、現世には生きていない。
    『孤高のリアリズム』p.216
    芸術 45番
    無限のエネルギーが、無限の悲しみを創造する。
    『孤高のリアリズム』p.218
    芸術 46番
    革命の精神の奥に、芸術の原故郷がある。
    『孤高のリアリズム』p.245
    芸術 47番
    音楽は血なのだ。音楽は涙なのだ。
    『見よ銀幕に』p.110
  • 若さ・老い ―――人生に迷ったら

    若さ・老い 1番
    一生とは、よく老いることにほかならない。
    『根源へ』p.277
    若さ・老い 2番
    人生観とは、「どのように生き、どのように死ぬか」ということを考えることです。ですから「老いの問題」というのは、人生観そのものなのです。
    『根源へ』p.279
    若さ・老い 3番
    「老いたくない、死にたくない」と考える人には、ひとつの独立した、人間らしい人生はありません。
    『根源へ』p.279
    若さ・老い 4番
    いまの日本人が憧れる若さとは、生物学的なものであって、人間的な若さではありません。
    『根源へ』p.279
    若さ・老い 5番
    老いを考えることは、死を見つめ、どう生きるべきか、それ自体を考えることに繋がっていくのです。
    『根源へ』p.280
    若さ・老い 6番
    (老いる)覚悟とは、日常的なことでは容易には手に入りません。そこには必ず、非日常のロマンティシズムが必要なのです。
    『根源へ』p.281
    若さ・老い 7番
    常に死を意識して生きろということです。
    『根源へ』p.281
    若さ・老い 8番
    良寛は、偶然性によって良寛になったのではないのです、そこには、悶え苦しむひとりの人間の「老い」の道程があった。
    『根源へ』p.282
    若さ・老い 9番
    (自己の生きる覚悟が決まった三十歳の頃)「君()よや双眼の色 語らざれば憂い無きに似たり」の詩が腑に落ち、何かすーっとはらわたに沁み込んだことをよく覚えています。
    『根源へ』p.282
    若さ・老い 10番
    若さにしがみ付くのは、若者コンプレックスです。これがいちばん(たち)の悪い、老醜をさらす生き方になります。
    『根源へ』p.283
    若さ・老い 11番
    老いの美学があると、老人中心の社会ができる。社会は老人中心のほうが安定します。そして歴史的にも「良い社会」なのです。
    『根源へ』p.283
    若さ・老い 12番
    明治維新のような若者中心の社会は、何をしてよいかわからない「秩序の破壊」を意味しているのです。
    『根源へ』p.283
    若さ・老い 13番
    老いの美学が退けられ、若者が中心になっている社会は不幸な社会です。
    『根源へ』p.284
    若さ・老い 14番
    もともと「老」とは、秀れた者という意味があるのです。
    『根源へ』p.284
    若さ・老い 15番
    若さなどは、知恵もなければ学問もない。ましてや成熟のかけらもありません。
    『根源へ』p.284
    若さ・老い 16番
    「養生」は決して若さを保つためにあるのではありません。人間として成熟し、老いるための東洋的な身心の知恵なのです。
    『根源へ』p.284
    若さ・老い 17番
    (若い時は)まだまだ、魂を持った人間としての価値は未知数なのです。
    『根源へ』p.285
    若さ・老い 18番
    人間が死ぬときに問われるのは、その魂がどの程度まで成熟したかということです。
    『根源へ』p.286
    若さ・老い 19番
    老化とは、深いところでは生まれたときから始まりだすのです。
    『根源へ』p.287
    若さ・老い 20番
    人生とは、耐えることであり、それが老いの本質です。
    『根源へ』p.287
    若さ・老い 21番
    よく老いた者は、またよく耐えた者です。
    『根源へ』p.287
    若さ・老い 22番
    どう老い、どう死ぬかを決めれば、年を取れば取るほど人間は賢くなり、人格も高潔になっていくことができる。
    『根源へ』p.287
    若さ・老い 23番
    成熟とは、自己を「詩」となしていくことなのです。
    『根源へ』p.287
    若さ・老い 24番
    自然の中では、賢くなければ長生きはできません。
    『根源へ』p.288
    若さ・老い 25番
    (ゲーテについて)若いときに立てた初心を貫き、八十代で完成させる。それが人類の宝となるような名作なのですからすごいです。大人物です。
    『根源へ』p.288
    若さ・老い 26番
    重要なのは「滅びて甦れ!」(Stirb und werde! ゲーテの言葉)です。
    『根源へ』p.289
    若さ・老い 27番
    滅びてもよいという気持ちがなければ、真の成長と成熟はない。
    『根源へ』p.289
    若さ・老い 28番
    老いるためには、外部に対して目が開かれていなければならないのです。
    『根源へ』p.290
    若さ・老い 29番
    (老いるために)自己以外を「見る」とは、耐えることなのです。
    『根源へ』p.290
    若さ・老い 30番
    自己の周りにある、「あらゆるもの」が、本当に見えるようになったとき、自己固有の真の成長と成熟の過程に入ることができるのです。……つまり、真の「老い」です。
    『根源へ』p.290
    若さ・老い 31番
    世の中が本当に見えてくれば、自分の存在の真実が見え、それによって自分の生き方がわかってくるのです。そうすれば真に老いられる。
    『根源へ』p.292
    若さ・老い 32番
    老いとは、より秀れていくことであり、またより美しくなっていくことです。
    『根源へ』p.292
    若さ・老い 33番
    もし若いうちに理想を持てなかったら、悪人にすらなれないというのは、覚えておいたほうがいいですよ。
    『魂の燃焼へ』p.102
    若さ・老い 34番
    若い人にとにかく言いたいのは、「得をしたい」と思うなっていうことです。思った瞬間に、流行に押し流される。流行っていうのは、人間の弱さをついてくるんだ。だから、むしろ「損しよう」と思って初めて、自分独自のことができる。
    『魂の燃焼へ』p.204
    若さ・老い 35番
    若者と語り合うことほど、楽しいことは他にない。年を経たひとつの青春が、いままさに芽を吹こうとするもうひとつの青春とぶつかるのだ。
    『夏日烈烈』p.1
    若さ・老い 36番
    若さは、生命にとっては本質的な過程であって、人間的には何の価値もない。価値は老いの問題にある。
    『夏日烈烈』p.59
    若さ・老い 37番
    老いるかどうかというのは、言葉を換えれば「変革する」、「成長する」ということだ。
    『夏日烈烈』p.59
    若さ・老い 38番
    正しく老いていくには、人間は自分の生命の雄叫びをコントロールしていかなきゃならない。
    『夏日烈烈』p.60
    若さ・老い 39番
    老いっていうのは、言葉としては老いになるけども、つまりは文明論なんだよ。
    『夏日烈烈』p.71
    若さ・老い 40番
    老いがない青春なんて、ただの退廃でしかない。老いがあっての青春だ。
    『夏日烈烈』p.71
    若さ・老い 41番
    若くても、老いて死ねばいい。
    『夏日烈烈』p.306
    若さ・老い 42番
    よく老いるために一番重要な思想が「毒を食らえ」ということなんだ。
    『夏日烈烈』p.351
    若さ・老い 43番
    今の日本は、「永遠の子供」ということだな。「年を取ることが出来ない国」だよな。
    『夏日烈烈』p.357
    若さ・老い 44番
    自分の生命の力を信じなくて、何の人生であるのか。自分の肉体が、その寿命を全うするまで健全に活動することを信じなければいけません。そうしなければ、強く正しい「老い」を摑むことは出来ないのです。
    『耆に学ぶ』p.43
    若さ・老い 45番
    賢く老いるということは、かっこよく、強い老人になるということです。その最も強い形は何かというと、死んでから最強の人間になる人生です。
    『耆に学ぶ』p.49
    若さ・老い 46番
    進化論の誤用によって、無条件の長生きがすばらしい価値になってしまった。しかし、とにかく生きろ生きろ言うのは、全ての人を不幸に陥れる考え方だと思っています。
    『風の彼方へ』p.287
    若さ・老い 47番
    自然の成長が止まり、自分の力で成長をして行くところからが真の「老いの美学」と呼べるものなのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.482
  • 毒 ―――人生に迷ったら

    毒 1番
    「毒を食らえ」という思想の第一は、「肉体の毒」を取り込むために「何でも食え」ということです。
    『耆に学ぶ』p.42
    毒 2番
    自然物を、毒も含めて体に取り込む、そうしないと体は強くなりません。
    『耆に学ぶ』p.43
    毒 3番
    毒が入りすぎて、下痢にでもなったとしたら、下痢のまま過ごせばいいんです。死にはしません。
    『耆に学ぶ』p.43
    毒 4番
    精神の毒。つまり、「不幸を受け入れる思想」を確立することです。
    『耆に学ぶ』p.44
    毒 5番
    不合理というのは、文明が作り出した毒なのです。
    『耆に学ぶ』p.47
    毒 6番
    不合理を仰ぎ見る。文明の毒を受け入れることで人間の精神は強くなれます。文明の持つ毒を、率先して食らうのです。
    『耆に学ぶ』p.48
    毒 7番
    毒が強く美しい人生を創り上げてくれるのです。
    『耆に学ぶ』p.48
    毒 8番
    秀れた老人とは、多くの毒を食らい続け、その悲哀をかみしめながら、大きく厚い人格を徐々に創り上げながら年齢を重ね続けた人物のことだと言えるのです。
    『耆に学ぶ』p.48
    毒 9番
    「愛国心」という理念も文明の毒なんです。しかし、それを受け入れれば、秀れた人物になり、そのような人間が増えれば偉大な国が生まれてくることになります。
    『耆に学ぶ』p.48
    毒 10番
    肉体の毒、精神の毒、文明の毒。そういうものを吸収すればするほど、人間は、賢く強く老いることが出来ます。
    『耆に学ぶ』p.49
    毒 11番
    革命の思想にとって、最も大切な栄養源が「毒」なのです。
    『耆に学ぶ』p.50
    毒 12番
    真の「老い」は、「精神性」を何よりも重んずる人間にだけ可能なひとつの思想なのです。……そして、この思想こそが、人生最大の毒物なのです。
    『耆に学ぶ』p.50
    毒 13番
    「毒」とは、肉体を痛めつけるもの、また人生の苛酷や悲哀といったものを言うのです。それを受け入れ、愛することが「老いの美学」を完成させていくのです。
    『耆に学ぶ』p.56
    毒 14番
    文明が「病気」であることが分かれば、その毒の量を調整して食らうというのが人生となることも納得できます。
    『耆に学ぶ』p.59
    毒 15番
    いっぺんに毒を飲んだら死んでしまいます。自分が死なない程度に毒を食らうことです。
    『耆に学ぶ』p.59
    毒 16番
    毒の食らい方を訓練するのが、つまりは人生の修行なのです。
    『耆に学ぶ』p.59
    毒 17番
    秀れた文学も、また毒なのです。毒だからこそ、薬にもなり、また生命を死に至らしめることもあるのです。
    『耆に学ぶ』p.60
    毒 18番
    毒を食らい続ける過程そのものを生きるということに尽きます。
    『耆に学ぶ』p.60
    毒 19番
    楽をして得られるものはありません。苛酷で辛い毒を、自ら率先して食べ続けるしかないのです。
    『耆に学ぶ』p.86
    毒 20番
    (毒を食らえの思想とは)汚れの中でどうやって生き延びるのか、というのが人生論であり、その中でどうやって自分の一番大切なものを失わないかだ。
    『夏日烈烈』p.349
    毒 21番
    立ち向かって初めて人間として何かを一つを摑んで、頑張れば人間として死ねるということだよ。そのための根本思想が、「毒を食らえ」という思想なんだよ。
    『夏日烈烈』p.349
    毒 22番
    汚れることを厭うな。わざと悪いことをしろ。
    『夏日烈烈』p.349
    毒 23番
    不合理も、病気も不幸も、全部これは人生論的に言うと毒なんだよ。だから僕は「毒を食らえ」と言って、不幸になれ、不合理を食らえ、と言ってるわけ。
    『夏日烈烈』p.350
    毒 24番
    健康というのは考えてること自体が病気なんだよ。だから健康を考えないで死のうとしてると、逆に健康になる可能性があるということだよな。「毒を食らえ」というのはそういう思想だよ。
    『夏日烈烈』p.351
    毒 25番
    本を読んで苦悩することだって毒なんだ。
    『夏日烈烈』p.354
    毒 26番
    (執行草舟自身が)冒険心に富んでいて毒だらけの人間に見えるらしいよ。もう存在自体が毒というか……(笑)。
    『夏日烈烈』p.355
    毒 27番
    「毒を食らえ」というのは、もちろん失敗もあるということなんだ。でも失敗をしたくない成功哲学や健康論というのは、全部最初から失敗だから。
    『夏日烈烈』p.367
    毒 28番
    喧嘩とかも生きる上での毒で、特に男なんかはそうだよな。喧嘩とか言い争いとか、それから憎しみも全部毒であって、つまり生きる上での毒だよ。
    『夏日烈烈』p.378
    毒 29番
    濁がなければ清はないわけ。ということは、毒がなければ、正常なものもない。
    『夏日烈烈』p.378
    毒 30番
    毒がわからないと、当たり前のことだけど「愛」もわからないわけだよ。「愛」というのは、毒と表裏一体だから。
    『夏日烈烈』p.379
    毒 31番
    天国というのは、地獄がないと存在できない。……ところが現代の問題というのは、毒である地獄を忘れようとしている点だと僕には見えるね。
    『夏日烈烈』p.379
    毒 32番
    答えがないのは、つまりは意地悪に一見は見えるのです。それが毒だ。毒があるから考え悩み、そして真実に近づくことが出来ると私は思っています。
    『風の彼方へ』p.54
    毒 33番
    免疫だって、ばい菌が入らなかったら強くならないのですからね。最近の人が非常に好きなのが除菌思想や無菌思想ですが、それこそ現代文明の終わりを示していると思います。
    『風の彼方へ』p.54
    毒 34番
    芥川比呂志は、若い頃から結核で体が弱かったにもかかわらず、休むことなく舞台の上に立ち続け、舞台の上で喀血して死に行きました。
    『耆に学ぶ』p.85
    毒 35番
    「毒」が芸術を生み出す。
    『孤高のリアリズム』p.248
  • 禅 ―――人生に迷ったら

    禅 1番
    「一射絶命」という言葉が元々大好きなんですよ。いまこの一回の射に、全身全霊をかける。本当に自分の生命の本源を傾けるということです。本当にそのときの自分が死ぬんですね。そうしなければ本当の射は行なえない。
    『風の彼方へ』p.24
    禅 2番
    「不発の射」という言葉も大好きです。発射をしない射です。自分が射るのではないということですね。自然に手を離れる射。自分の魂として飛んで行く矢を射るのです。
    『風の彼方へ』p.24
    禅 3番
    禅の言葉は美しいです。だから魂の深奥に響き渡ります。そして、永遠に僕に語りかけてくる。生きることの問いを日々問いかけてくるのです。
    『風の彼方へ』p.26
    禅 4番
    僕は禅も人類が生み出したダンディズムだと思っています。変な言い方ですが、仏教の中で禅はあまり抹香(まっこう)臭くない。
    『風の彼方へ』p.34
    禅 5番
    いまは健康第一、安全安心第一の世の中ですが、禅と武士道の共通点は、自分の一命をなげうってでも守るべきものを守ることです。
    『風の彼方へ』p.35
    禅 6番
    禅僧の言葉は、「生命の輝き」があるからカッコいいんですよ。生命の本源とは、重く(くら)く深い深淵なんです。だからその奥から発してくる真の力はもの凄いエネルギーを持っている。
    『風の彼方へ』p.37
    禅 7番
    武士道とは()せ我慢とダンディズムだとつくづく思います。そして禅も同じような気がするんですよ。
    『風の彼方へ』p.38
    禅 8番
    北条時宗はまさにそうですが、自分が不幸を受け入れる覚悟を持てば、自分以外のもっと大きい生命が躍動するという、そういう働きが武士道にも禅にもあるような気がします。
    『風の彼方へ』p.38
    禅 9番
    人間は不幸を受容する気がないと生命の幸福は摑めない。それをさせてくれるのが禅であり、また禅の裏打ちによってその哲学的理論が発展してきた武士道ではないか。
    『風の彼方へ』p.38
    禅 10番
    僕は『葉隠』を読んでも、その中に禅を感じます。
    『風の彼方へ』p.38
    禅 11番
    道元が「()(かん)()()」(ただ坐れ)と言っているように、目的を持たずに坐ることは、自分の命を殺していくことによって、本当の命と邂逅(かいこう)しようとしているのだと思うんです。
    『風の彼方へ』p.39
    禅 12番
    禅は否定です。武士道も全て否定なのです。否定というのは、実は全ての根源だと思っています。否定の哲学だけが、本当の肯定を生むのです。要は、本当の命です。
    『風の彼方へ』p.40
    禅 13番
    キリスト教では死ぬことによって永遠の生命を受けると言います。禅もそれに近い。
    『風の彼方へ』p.40
    禅 14番
    達磨(だるま)の「面壁(めんぺき)()(ねん)」ではありませんが、禅僧たちが坐禅を組んでいるのは、僕から見れば確かに全てが自己の否定だと見えます。
    『風の彼方へ』p.45
    禅 15番
    禅僧が自己を否定して、否定して、否定して、否定している姿を見ると、本人だけでなく見ている人間の生命力も上がってくるのです。
    『風の彼方へ』p.45
    禅 16番
    自分を捨てるための真の坐禅の姿は崇高(すうこう)です。崇高とは何だろうかと言ったら、否定そのものの姿なんです。
    『風の彼方へ』p.45
    禅 17番
    「無」の本質は刀剣の如き切れ味を持っており、その刀身は凄まじく冷たい光を放っている。
    『風の彼方へ』p.46
    禅 18番
    乃木希典は禅で学んだ否定の哲学と武士道の魂を持って、自ら信じる戦いを貫いて祖国を勝利に導いたと言えます。
    『風の彼方へ』p.49
    禅 19番
    ぶつかって、ぶつかって、ぶつかって、ぶつかっていけば、必ず生命の本質に触れることが出来ます。
    『風の彼方へ』p.50
    禅 20番
    昔の禅僧の本なんてすごいですよ。本気で読んだら、死ぬか立ち上がるかのどちらかしかない。まかり間違えば死ぬ危険が潜んでいない「教え」などは、僕は全て嘘だと思っています。
    『風の彼方へ』p.58
    禅 21番
    人間は誰でも活動したり遊んだりしたい。それなのに坐らせるから意味がある。
    『風の彼方へ』p.58
    禅 22番
    白隠禅師は弱い者のために生きた人ですが、書を見る限り、弱い人を口で(なぐさ)めたりすることは一切なかったと思うのです。
    『風の彼方へ』p.66
    禅 23番
    僕が仏教の中で禅宗が好きなのは、ご利益を言わないからです。ただ坐るだけ。ただ祈るだけ。それがいいのです。
    『風の彼方へ』p.75
    禅 24番
    この世のことは、全てが理屈だと僕は思います。それを乗り越えるものが僕は禅と武士道の精神だと思っているんです。
    『風の彼方へ』p.83
    禅 25番
    禅はいまそのものに全力投球を行ない、体当たりをする。
    『風の彼方へ』p.83
    禅 26番
    釈迦は生命の本質を求め続けた人だと思います。求め、求め、求め、求め続けている過程で死んだということです。
    『風の彼方へ』p.86
    禅 27番
    自分の生命を使い切ることが、本当の生命の価値であるとわかることが禅の「悟り」に近いものなのではないかと思います。
    『風の彼方へ』p.130
    禅 28番
    仕事に命がけで打ち込んでいると、精神が自由になるのです。……それこそ融通無碍(むげ)の境地で、自由で囚われないことが「悟り」に至る道につながるのではないでしょうか。
    『風の彼方へ』p.131
    禅 29番
    人間は職業に打ち込めば悟りを得ることが出来ると僕は思っています。
    『風の彼方へ』p.132
    禅 30番
    (趙州について)禅僧なのに、頭にくれば、文句を言う。文句は言ってはいけないなんて言っていない。本当にその命が躍動しているんですよね……。禅の偉大さをその人生で証明している。
    『風の彼方へ』p.140
    禅 31番
    学問的なものは弱いです。社会が荒れたときなんかはすぐにわかります。だから仏教の中では禅が強いんですね。
    『風の彼方へ』p.145
    禅 32番
    禅はキリスト教に近いように見えます。キリスト教というのは、なぜ強いかというと、いま言った理論がないからなんですよ。とにかく信じろと言うだけです。
    『風の彼方へ』p.145
    禅 33番
    西洋人の強さというのは、僕はやっぱりそのキリスト教だったと思うんです。殉教というのも西洋人の強さの最たるもので、教えのためならむしろ死にたいとすら思っていた。だから禅とキリスト教の修行法を見ると似ていますよ。
    『風の彼方へ』p.146
    禅 34番
    最初からきれいなものだったら、武士道も禅も何の価値もないと思います。いいものは悪いものの中から出て来るというか、悪いものがいいものにならなければダメなのです。悪いものを良くするのが生命ですから。
    『風の彼方へ』p.167
    禅 35番
    関大徹は禅僧としていちばん尊敬できる一人です。ちょうど、読んだときに僕は死病を抱えていると同時に、死にもの狂いで自分の道を切り拓くときだったので、実にあの本は「神そのもの」に見えました。
    『風の彼方へ』p.211
    禅 36番
    西洋と融合した新しい日本の魂、つまり新しい禅を求める求道の悲しみが神月徹宗の書にはあるのです。まさに新しい精神の始まりです。
    『憂国の芸術』p.46
    禅 37番
    何と言っても、禅は日本精神の中核です。そして、武士道の根本を支える思想とも言えるのです。
    『憂国の芸術』p.41
    禅 38番
    あまり表面的に優しくて美しいことばかり言うのは武士道ではないし、禅も違うと思っているのです。人間は忍んで忍んで、そして最後は間違って「鬼」になってもいいと思っています。
    『風の彼方へ』p.167
    禅 39番
    白隠は、禅の極致をその墨跡に示した。
    『孤高のリアリズム』p.211
    禅 40番
    ポール・ヴァレリーは、禅の真髄を摑み、それを芸術と成した人物なのだ。
    『孤高のリアリズム』p.211
  • 生命 ―――人生に迷ったら

    生命 1番
    生命を()かせる者に、躍動はない。怒れ、しかし込み上げる感情を凝縮せよ。
    『生くる』目次
    生命 2番
    生命というのは、暴れ回ってのたれ死にするためにあるんだ。
    『魂の燃焼へ』p.97
    生命 3番
    生命体というのは、何か別のものに尽くすために生きている。
    『魂の燃焼へ』p.115
    生命 4番
    真の生命は、悲哀の中にある。
    『生命の理念Ⅰ』p.2
    生命 5番
    「断念」の最終段階まで向かっていくのが、つまりは人生であり、生命なんだよ。
    『夏日烈烈』p.449
    生命 6番
    生きようとするだけであると、生命は死ぬ。死ねば生きるのが生命の哲理なのだ。
    『友よ』p.179
    生命 7番
    この世でもっとも残酷な悪人(、、、、、)でも、原水爆を落とすことはできません。できるのは生命に対して無関心な善人だけです。
    『根源へ』p.466
    生命 8番
    生命は、逆説の形而上学である。
    『「憧れ」の思想』p.41
    生命 9番
    私は、自分が宇宙の一環としての人間の生命をもち、その生命には、宇宙的未来が存在していることを実感したのだ。
    『「憧れ」の思想』p.63
    生命 10番
    生命は、科学ではない。生命は、計算ではないのだ。
    『「憧れ」の思想』p.146
    生命 11番
    生命は、絶えず死に、絶えず生まれることで初めて真に生きることが出来るのだ。
    『「憧れ」の思想』p.172
    生命 12番
    生命の燃焼―我々の人生で最も重要なことはそれだけである。人生の幸福も不幸も、成功も失敗もすべて関係ない。
    『夏日烈烈』p.3
    生命 13番
    すべての生命力を使い果たして「死に切る」ことだけが人生なのだ。
    『夏日烈烈』p.3
    生命 14番
    生命は、ぶつかり合うことで確かなものに成っていく。
    『夏日烈烈』p.1
    生命 15番
    生きるというのは、暗さに立ち向かう勇気の中にこそ潜んでいる。つまり生命の深淵とまっ直ぐに対峙する生き方の中にあるんだ。
    『夏日烈烈』p.20
    生命 16番
    生命は悲哀の中から生まれて来た。だから、暗くて当然なんだよ。
    『夏日烈烈』p.21
    生命 17番
    現代は、人間のもつ動物的な生命の過剰重視からすべてが組み直されてしまっている。
    『夏日烈烈』p.50
    生命 18番
    僕が自分の人生で思うのは、生命的に価値があったことというのはやっぱり、「かっこいい」という感動性だけなんだ。
    『夏日烈烈』p.131
    生命 19番
    意識が自己の外側にあるとき、それも自己から遠くにあればあるほど、多くの生命エネルギーが注ぎ込まれるのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.41
    生命 20番
    公害を避けてカナダの山奥へ移住するのではなく、大都市の中で公害と共に生きようと考えています。それが、私の目指す「生命の理念」なのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.23
    生命 21番
    生きるために他の生命を殺すことは、神から許された宇宙の摂理の一つです。
    『生命の理念Ⅰ』p.29
    生命 22番
    生命は、取り替えられないところに価値があるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.55
    生命 23番
    歴史を見ると、民主主義が導入された時代は、すべて国家や民族の生命エネルギーは落ちています。
    『生命の理念Ⅰ』p.83
    生命 24番
    我々の生命が目指して行く聖地を、私は見たように思う。
    『風の彼方へ』p.10
    生命 25番
    いまの人は、自分が生きようとするから、変な言い方ですけれども、周りの人が不愉快になり、また自分も弱くなるのだと思います。
    『風の彼方へ』p.39
    生命 26番
    我々が美しいとかおいしいとか思っているものは、還元力や腐敗力から生まれた生命の一瞬の煌めきなんです。
    『風の彼方へ』p.111
    生命 27番
    僕は「般若心経」の中では、あの最後の呪文に「絶対負」を感ずるんですよ。あの「(ぎゃ)(てい)(ぎゃ)(てい)()()(ぎゃ)(てい)」という梵語の呪文です。あそこに、突進する生命の悲哀を感ずるんですね。
    『風の彼方へ』p.109
    生命 28番
    絶えず戦い続けることが、生命の哲理です。
    『生命の理念Ⅰ』p.60
    生命 29番
    我々の生命とは、混沌の中から生まれた火花のようなものです。
    『風の彼方へ』p.281
    生命 30番
    生命の本源は、平衡にある。垂直を目指す重力と、水平に向かう混沌が交叉する「点」に、我々はいる。
    『憂国の芸術』p.137
    生命 31番
    自立する生命は、他の自立する生命を求め続ける。そのような、生命が有する遺伝的宿命を我々は背負っているのだ。
    『孤高のリアリズム』p.194
    生命 32番
    生命の尊厳を知れば、他の生命の尊厳がわかる。
    『孤高のリアリズム』p.194
    生命 33番
    生命は、一つのものとして単純である。
    『孤高のリアリズム』p.202
    生命 34番
    魔神とは、生命力を支える根源力であろう。つまり、デーモンである。
    『孤高のリアリズム』p.203
    生命 35番
    人間は、目にその人物の生命の奥深くに(うごめ)くデーモンを宿している。
    『孤高のリアリズム』p.203
    生命 36番
    正統とは、破壊でもあるのだ。革命的であることは、生命の真実に繋がっている。
    『孤高のリアリズム』p.244
    生命 37番
    生命自体が、革命なのである。我々は、日々戦い、日々苦悩している。
    『孤高のリアリズム』p.245
  • 詩・歌 ―――人生に迷ったら

    詩・歌 1番
    詩の心が人生に飛躍をもたらす。
    『生くる』目次
    詩・歌 2番
    撃ちてし止まん。命懸けの絆が和歌を生んだ。
    『生くる』目次
    詩・歌 3番
    詩は、人間の魂の雄叫びである。
    『友よ』p.10
    詩・歌 4番
    別れの悲しみを、詩的に感ずる者だけに、真の出会いが訪れる。
    『友よ』p.10
    詩・歌 5番
    詩は人間の魂の雄叫びである。魂の奥底から絞り出された生命の(しずく)とも言える。
    『友よ』p.10
    詩・歌 6番
    美しい言葉には、美しい魂を創り上げる力がある。だから、私は詩を愛する。
    『友よ』p.11
    詩・歌 7番
    偉大なる使命ありて、偉大なる詩文が生ずる。
    『友よ』p.14
    詩・歌 8番
    詩も芸術も魂のぎりぎりの雄叫びであり、人生の涙である。
    『友よ』p.20
    詩・歌 9番
    詩は魂の雄叫びなのだ。詩は人生の涙である。
    『友よ』p.20
    詩・歌 10番
    自然の美しさを歌い上げる詩人がいる。自然などほっておけばそれでよい。
    『友よ』p.10
    詩・歌 11番
    闘う人間は、男女の好き嫌いに基づく恋愛の歌は、特に嫌いだ。
    『友よ』p.20
    詩・歌 12番
    厳しい韻律を踏んだ言葉以外のものは、厳しい人生観から出てきた言葉ではない。
    『友よ』p.23
    詩・歌 13番
    荘重な韻律を踏んで話す人物は、自己の人生を芸術と化している。
    『友よ』p.23
    詩・歌 14番
    どんなにすぐれていると思われる内容の事柄でも、幼稚な軽薄な言葉で書かれている詩や文学は、決して信用してはならない。
    『友よ』p.23
    詩・歌 15番
    如何に蔑まれようと、歌わなければならない。
    『友よ』p.24
    詩・歌 16番
    敦盛を、私は事あるごとに謡い舞ってきた。
    『友よ』p.37
    詩・歌 17番
    惚れて恋して、そして謡い舞えば、本当の自分の(いのち)が生きてくる。
    『友よ』p.43
    詩・歌 18番
    信長の生き方こそが、実は敦盛の唯一の詩釈なのである。
    『友よ』p.43
    詩・歌 19番
    詩は、日常性から超越する心を、我々に示唆し促す芸術ではないか。
    『友よ』p.46
    詩・歌 20番
    人生の本質は涙なのだ。人間が生きるために、詩を必要とするいわれは、ここに存する。
    『友よ』p.52
    詩・歌 21番
    詩は(じゃく)として読むものであり、愁として感ずるものなのである。
    『友よ』p.52
    詩・歌 22番
    感動する書物や、一生涯の友となるような詩に出会うのは、いかに難しいことか。
    『友よ』p.59
    詩・歌 23番
    およそ詩を読む楽しみは、偉大なる人物と自分との魂の交流と交感にある。
    『友よ』p.68
    詩・歌 24番
    白楽天の詩は、いかに取るに足らない物でも芸術に昇華し、またいかなる些細な出来事も、たちまちのうちに哲学化してしまう、全く驚くべき天才の詩と言うことができる。
    『友よ』p.69
    詩・歌 25番
    思索は、あくまでも人生の行動と結びついて、初めて価値を生むのだということを、私はロングフェローの詩から学ばせてもらった。
    『友よ』p.88
    詩・歌 26番
    偉大な詩を語ることは、大なる苦痛を伴う。
    『友よ』p.88
    詩・歌 27番
    希望のうちに滅び去ることこそが人生ではないか。それが、自己の人生を詩と化することではないか。
    『友よ』p.109
    詩・歌 28番
    私が詩を愛するのは、それが人間の生き方に美をもたらす力を秘めているからである。
    『友よ』p.111
    詩・歌 29番
    詩は喜び、哀しみ、愛し、憎む人間を表現する芸術である。
    『友よ』p.111
    詩・歌 30番
    生き方はそのまま、詩となり得る。
    『友よ』p.111
    詩・歌 31番
    詩は文ではない。魂である。涙である。
    『友よ』p.111
    詩・歌 32番
    万巻の書物を読んでも人生を構築できないが、愛する詩の一篇は自己の人生を築き上げる力がある。
    『友よ』p.111
    詩・歌 33番
    自分の好きな詩を探し求めると、自己がわかる。
    『友よ』p.111
    詩・歌 34番
    私は、詩に教えられることが多かった人間である。だから、私は詩的な人間となっている。
    『友よ』p.111
    詩・歌 35番
    自己の愛する詩をもてば、自己の人生が詩的になる。
    『友よ』p.111
    詩・歌 36番
    思い出だけしか、詩的な自己をつくることはできない。
    『友よ』p.113
    詩・歌 37番
    よきもの、偉大なるもの、詩的なるもの、価値あるものはすべて、それをなしたる人の思い出の産物なのだ。
    『友よ』p.113
    詩・歌 38番
    卑しさは誰でもがもっている。もっているからこそ、それを克服するための夢に生きることができる。そのために詩がある。
    『友よ』p.114
    詩・歌 39番
    魅力ある人は存在そのものが詩となる。
    『友よ』p.114
    詩・歌 40番
    夢こそが詩である。
    『友よ』p.114
    詩・歌 41番
    私は、冷たきものの中に、熱き思いを感ずるのである。これが己の人生を詩となす心であろう。
    『友よ』p.116
    詩・歌 42番
    魂を探求するものは自ずから詩人となる。
    『友よ』p.122
    詩・歌 43番
    魂そのものが詩であり、詩はまた魂とも言える。
    『友よ』p.122
    詩・歌 44番
    我々日本人の心は歌でしか表現できない。
    『友よ』p.446
    詩・歌 45番
    不完全な現在に妥協してはならない。過去の人類が成し遂げたロマンティシズムを詩と成すのだ。
    『「憧れ」の思想』p.212
    詩・歌 46番
    真の歴史というのは、実は神話のことなのです。つまり、それが最も古い「詩」だからです。
    『生命の理念Ⅱ』p.77
    詩・歌 47番
    日本の「祈り」は、言霊の(うち)にある。この国は、歌も祝詞もすべてが祈りなのだ。
    『憂国の芸術』p.107
    詩・歌 48番
    ますらをの (たま)とぞ思ふ 言の葉の 降り行く道を 我れは()くべし
    『憂国の芸術』p.115
    詩・歌 49番
    私は、歌によって、自分の想いを未来へ届けようと思っているのです。歌には神が宿ります。だから、自己の心が正され、自分の生命のすべてを、その対象にそそぎ込むことが出来るようになるのです。
    『憂国の芸術』p.39
    詩・歌 50番
    僕なんかは、長年意味を取り違えて誤解していた和歌がたくさんあるんだけど、とにかくその歌がかっこよくて好きだったから自分の生命や人生の本質をそれらが作ってくれたんだ。
    『夏日烈烈』p.33
    詩・歌 51番
    『万葉集』なら歌を読めば古代人の魂がわかるんだ。
    『夏日烈烈』p.213
    詩・歌 52番
    『万葉集』の精神というのは元々あるんだけど、やっぱり『万葉集』という言葉として、物質化して残ってないと現代人には伝わらないんだ。
    『夏日烈烈』p.213
  • 死 ―――人生に迷ったら

    死 1番
    自由自在に動き回って、愉しむことができるのは、還るべき「永遠の家」としての死があるからなのだ。
    『生くる』p.288
    死 2番
    死を想え、貫くものを見なければならない。
    『生くる』目次
    死 3番
    志とは、そのゆえに死することである。
    『生くる』目次
    死 4番
    死もまた未来。動かせる運命を愉しめ。
    『生くる』目次
    死 5番
    幸福ではない、仕合せになるのだ。心があれば、死すら仕合せとなる。
    『生くる』目次
    死 6番
    生き方よりも死に方を決めることが大切なのです。歴史に見る例で言えば、武士に生まれたのなら自分の意志で武士らしく死ぬ、その死に方です。
    『根源へ』p.14
    死 7番
    私自身の死は、このラクリモーザの中にあるという考えは、今でも変わらない。
    『友よ』p.149
    死 8番
    星はすべて役目によって生まれ役目によって死ぬ。
    『友よ』p.267
    死 9番
    死を認識する生き物が人間である。その認識によって我々は神を志向する。
    『友よ』p.289
    死 10番
    人間は裸一貫で生まれてきて、裸一貫で死ぬ。
    『友よ』p.393
    死 11番
    いま、我々は「人間として」どう生き、どう死ぬのかを見つめ直さなければならない時期にきていると思います。
    『根源へ』p.9
    死 12番
    死の一部こそが生なのだと知らなければなりません。死が主であり、生が従なのです。
    『根源へ』p.12
    死 13番
    動物の死は、肉体の死と同じです。しかし人間の死は、希望を失ったとき、人間として死ぬのです。
    『根源へ』p.430
    死 14番
    僕は娘から「お父さん、そろそろ死なないとかっこうがつかないよ」って言われてるんだよ(笑)。
    『夏日烈烈』p.523
    死 15番
    我々は毎日、死んだ細胞を入れ替えて生き続けている。つまり、死の上に生が載っかっている。だから、死に続けることが生きることなのです。
    『風の彼方へ』p.107
    死 16番
    死ぬことが本体であり、それがわかってはじめて、この世の幸福を一瞬味わうことが出来るんです。
    『風の彼方へ』p.114
    死 17番
    人を愛するのは、相手が死ぬ存在だからです。
    『風の彼方へ』p.114
    死 18番
    釈迦は「死苦」と言っていますが、その苦しみとしての死とは、現世の「色」の世界の中の死です。
    『風の彼方へ』p.115
    死 19番
    僕は現世で休息をとりたいとは思っていません。死後の永遠の休息が待っていますから。
    『風の彼方へ』p.116
    死 20番
    我々の死は、宇宙を支配する「愛の法則」の一部だということを忘れてはなりません。死は人間の世界だけの話ではなくて、宇宙も同じなのです。
    『風の彼方へ』p.121
    死 21番
    死ぬということは、慈悲であり、愛なんです。死ぬことそのものが愛なんです。
    『風の彼方へ』p.121
    死 22番
    そもそも自殺する権利は人間にはないのです。いま言ったように命は元々自分のものではなく、与えられているものですから。
    『風の彼方へ』p.122
    死 23番
    死を嫌がったら燃焼できません。社会保障とか安全とか安定を考えると、人間は自分の生命を使い切れないですよ。
    『風の彼方へ』p.123
    死 24番
    必ず死ぬと思っていたら自殺はしないですから。原爆もつくりません。
    『風の彼方へ』p.125
    死 25番
    リアリズムから逃れる人は臆病ですよ。死から逃れるということは、リアリズムから逃れるということですからね。
    『風の彼方へ』p.150
    死 26番
    自分の死を見つめられるということは他人の死も見つめられるんです。ですから、そうすると割とものが見えるようになるので、会社も儲かるんです。
    『風の彼方へ』p.151
    死 27番
    いい死を迎えるために、生きているときは修業する。そして、死んだ後が永遠の生命という本体に行き着くのです。
    『風の彼方へ』p.206
    死 28番
    国家とは、国民に死に場所を与える機関だと僕は思っています。死に場所がないと、人間は本当の生きがいを見出せないのです。
    『風の彼方へ』p.262
    死 29番
    戦後は、戦争嫌いが高じて、戦争で死ぬことが悪いことだとみんな思ってしまった。でも、誰でもわかることですが、人間は全員死ぬわけで、死が本体なのです。問題は死に方だけなのです。
    『風の彼方へ』p.281
    死 30番
    人間っていうのは成長期が終わったら、あとはもうボロボロになって死ぬだけなんだ。そこに向かってどう生きるかだけが大切なんです。
    『魂の燃焼へ』p.160
    死 31番
    死を想わなければ生はない。
    『根源へ』p.12
    死 32番
    死が主であり、生が従なのです。
    『根源へ』p.13
    死 33番
    死について絶えず考えなければ本当の生はない。
    『根源へ』p.13
    死 34番
    自分自身が、すばらしい死だと思うものに向かうのです。その形に決まりはありません。人間のもつ価値を知り、そのために生きて死ねば、それでよいのです。
    『根源へ』p.15
    死 35番
    ただ自己の決めた死に向かって生きるだけです。
    『根源へ』p.15
    死 36番
    他者をひとり生かすために、自分ひとりが死ぬ。誰にでもできることではない。しかし憧れます。
    『根源へ』p.16
    死 37番
    三島由紀夫は、自分がどう生き、どこへ向かって、どのように死ぬのかを決めていた人です。
    『根源へ』p.18
    死 38番
    死生観を立てるのは難しいと言えば難しいし、簡単と言えば簡単なのです。その気になれば誰だってできる。
    『根源へ』p.25
  • 宇宙 ―――人生に迷ったら

    宇宙 1番
    自分はこの世の中で、単なるちっぽけな「点」でしかない。
    『生くる』p.346
    宇宙 2番
    音楽を聴けば、私はいつでも自己の精神を宇宙の彼方へと飛翔させることができます。
    『根源へ』p.220
    宇宙 3番
    ともしびとして(またた)く憧れが、遠く冷たく見えた。それは、青い涙のように漆黒の宇宙に浮かんでいた。
    『「憧れ」の思想』p.18
    宇宙 4番
    人間は、宇宙の意志である。
    『「憧れ」の思想』p.21
    宇宙 5番
    我々は、宇宙の中心と直結しており、宇宙の申し子なのだ。
    『「憧れ」の思想』p.30
    宇宙 6番
    我々は、ロマンティシズムの子孫である。我々は、宇宙を創り上げた力の分流なのだ。
    『「憧れ」の思想』p.125
    宇宙 7番
    肉体が生きるだけなら、この宇宙に「人間」などは必要ない。
    『「憧れ」の思想』p.246
    宇宙 8番
    文明によって形作られた脳髄を破壊すれば、人間は生命エネルギーのままに思考することになり、生命の生まれ故郷である、宇宙の永遠に向かって放射されていく。
    『おゝポポイ!』p.485
    宇宙 9番
    宇宙というのは混沌であって、その混沌があるから、恒星の光にも意味があるんだ。恒星の光じゃなくて、実は混沌が主人公だ。
    『夏日烈烈』p.20
    宇宙 10番
    宇宙の暗さの中に居なきゃ星の燃焼なんて何の価値もないんだから。
    『夏日烈烈』p.22
    宇宙 11番
    宇宙の本質は混沌であるということがわかっている。
    『夏日烈烈』p.46
    宇宙 12番
    言葉だけじゃなくて生命そのものが宇宙の力つまり沈黙によって支えられ、その中で一瞬の輝きを放っているんだよ。
    『夏日烈烈』p.179
    宇宙 13番
    神もやっぱり自分の存在を認識してくれるものが、宇宙に必要なんだ。そこで、神の存在を認識するために人間というものを創ったということなんだよ。
    『夏日烈烈』p.236
    宇宙 14番
    「火」というのは、ある意味では宇宙の本質であり、生命の本質なんだ。
    『夏日烈烈』p.260
    宇宙 15番
    笛というのは、空気の振動そのものが音波を創っている。その空気の振動が音になる境目に何か宇宙と生命の交錯のようなものを僕は感じるんだよね。
    『夏日烈烈』p.505
    宇宙 16番
    「宇宙動けば我れ動き、我れ動けば宇宙動く」と、私は信じているのだ。
    『生命の理念Ⅰ』p.32
    宇宙 17番
    宇宙に遍満する生命エネルギーによって、地球上に存在する物質が集められて生命が出来たのです。そして、その生命は、生命自身を継続的に発展させるために、宇宙に遍満する生命エネルギーそのものをキャッチしやすい形として作られたと言ってもいいでしょう。
    『生命の理念Ⅰ』p.33
    宇宙 18番
    自己の意志で、宇宙の本質を志向できる存在は、全物質の中で人間のみです。人間以外にその力があるものはこの宇宙にありません。
    『生命の理念Ⅰ』p.51
    宇宙 19番
    真の祈りは人間の欲の対極にあります。宇宙と自己の同化です。
    『風の彼方へ』p.73
    宇宙 20番
    宇宙があって、生命があるのだ。生命があって、文明はある。神が立って、人間が立てるのだ。人間が立って、文明は初めて立つことが出来る。
    『憂国の芸術』p.139
    宇宙 21番
    宇宙には「遠心性」と「求心性」、この二つの原理が働いています。遠心は、無限の宇宙の涯てに向かって熱情を放射することです。求心とは、逆に、中心核の一点に向かって熱情が凝縮していく営みと言えるでしょう。つまり、これらが「呼吸」です。
    『憂国の芸術』p.29
    宇宙 22番
    宇宙とは、それ自体が呼吸する生命です。そして、そこから我々の生命が生まれました。だから生命も呼吸なのです。
    『憂国の芸術』p.28
    宇宙 23番
    大空には星がある。昼の空にそれは見えないが、厳としてそれはある。
    『孤高のリアリズム』p.255
    宇宙 24番
    僕は、仕事や商売の細かいことなんて、いままで考えたこともない。基本的に、宇宙、生命、文明のことしか考えていませんね。それに付随して、肉体があり、会社があり、仕事がある。
    『魂の燃焼へ』p.77
    宇宙 25番
    (人類滅亡について)魂レベルで言えば、我々のこの肉体が滅びるだけで、我々をつくった生命エネルギーは宇宙に遍満しているわけだから、また違うものが生み出されると思いますよ。
    『魂の燃焼へ』p.108
    宇宙 26番
    宇宙に遍満している生命エネルギーは「負のエネルギー」であり、「回転エネルギー」です。だからいずれ我々の肉体から出てっちゃうわけです。それが死ぬということ。
    『魂の燃焼へ』p.111
    宇宙 27番
    (我々の生命は)どんなにちょっとだって、壮大な宇宙エネルギーの一部だということを忘れてはならない。だから我々は、どんな壮大なことでもできる。
    『魂の燃焼へ』p.114
    宇宙 28番
    太陽だって、燃えて、燃えて、燃え尽きて、いずれ爆発してなくなる。なくなって星雲になって、次の星ができる材料になるんだ。
    『魂の燃焼へ』p.115
    宇宙 29番
    自分が一つの小さな星だとしたら、自分がなくなってどういう星の材料になるかを考えるのが人生であり、それを生きがいと呼ぶんです。
    『魂の燃焼へ』p.116
    宇宙 30番
    精神的量子というのは負のエネルギーであり、宇宙に遍満しているわけだから、同調している人に自動的に入ってくる。
    『魂の燃焼へ』p.116
    宇宙 31番
    宇宙空間っていうのは、愛のエネルギーに覆われている。僕は行ったことないけど、宇宙船で行った人が、みんな地球に戻ってくると宗教に帰依(きえ)するようになりますよね。
    『魂の燃焼へ』p.119
    宇宙 32番
    ああ、宇宙って愛なんだ。
    『魂の燃焼へ』p.119
    宇宙 33番
    (人が死んだら)最終的には、宇宙空間に出ていくんですよ。でも、しばらくは地球上にいるね。
    『魂の燃焼へ』p.124
    宇宙 34番
    「負」のエネルギーと呼ばれるものは、すべて波動なんだ。
    『魂の燃焼へ』p.217
    宇宙 35番
    身体がなくなっちゃっても、自分の中に入っている精神エネルギーはなくならない。
    『魂の燃焼へ』p.217
  • 幸福 ―――人生に迷ったら

    幸福 1番
    恨みをはらせば、幸福へと導かれる。生きる力の働きに違いない。
    『生くる』目次
    幸福 2番
    幸福は、不幸によってのみ支えられている。不幸が、幸福なのだ。そこに、生命のもつ真実が隠されている。
    『生命の理念Ⅰ』p.3
    幸福 3番
    私の(いのち)が、どれほど偉大な永遠の力によって創られたのかを考える時、私は本当に幸福を感ずる。
    『友よ』p.288
    幸福 4番
    大いなる大生命の下で、すみっこの方で生かされている幸福を感ずる。
    『友よ』p.291
    幸福 5番
    死生観を与えてもらえる時代が本当はもっとも幸福な時なのです。
    『根源へ』p.20
    幸福 6番
    人間は、崇高の中に真の存在の幸福を感ずる。
    『「憧れ」の思想』p.53
    幸福 7番
    私は、幸福な人間であった。それが、私の弱点であったのだ。
    『「憧れ」の思想』p.143
    幸福 8番
    幸福は実体ではなく、それは我々の「感覚」に過ぎない。
    『「憧れ」の思想』p.147
    幸福 9番
    安易な幸福ほど、自己の生命を殺すものはない。憧れを殺し、愛を殺してしまう。生命は、幸福を求めてはいない。
    『「憧れ」の思想』p.147
    幸福 10番
    いまの時代がきついのは、みなが幸福になろうとしているからです。
    『おゝポポイ!』p.220
    幸福 11番
    本当に幸福なら、死ぬことを厭う人は一人もいません。もし死ぬのが嫌だとしたら、その人は幸福ではないのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.95
    幸福 12番
    二十歳で死んだ人を、若過ぎる死だから不幸だというのは、自己中心の傲慢な考え方です。本当に生命を燃焼した人は、二十歳で死のうが三十歳で死のうが、寿命の長さは関係なく、幸福な人生だったのです。
    『風の彼方へ』p.133
    幸福 13番
    幸福の追求が自分の生命力を(しぼ)めてしまうことに気づかなければなりません。だから極端に言えば、人間は不幸を受容する気がないと生命の幸福は摑めない。
    『風の彼方へ』p.38
    幸福 14番
    自分自身が精一杯生きて、悲痛と苦悩、そして充実と幸福を体感したときに、他人からみて個性的な人になっているのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.226
    幸福 15番
    良い面悪い面が混ざっているから人間は一生苦しむ。苦しみ続けて死ぬのが人間です。それなのに、苦しまないところに行こうとするからどちらもダメで無気力になる。僕はこの苦しまない幸福志向こそが進化論の行き着いた結果だと思っています。
    『風の彼方へ』p.257
    幸福 16番
    人間は絶対に幸福だけにはなれません。なった場合は、幸福も含めて全てのものを捨てたときだけです。
    『風の彼方へ』p.257
    幸福 17番
    希望とか価値観とか夢とか、あらゆるものを捨てなければ、人間は幸福にはなれないのです。
    『風の彼方へ』p.257
    幸福 18番
    幸福を生み出す者は、自らには不幸を課するのだ。だから、不幸を受け入れる者だけが、何事かを成すのだろう。
    『孤高のリアリズム』p.201
    幸福 19番
    幸福になろうとしなかったから、幸福になったのだ。
    『孤高のリアリズム』p.255
    幸福 20番
    「人は幸福になる必要などない」と戸嶋靖昌は言っていた。
    『孤高のリアリズム』p.255
    幸福 21番
    私はね、規律と云うものが飯よりも好きなんです。人間に真の美しさと荘厳(そうごん)さを与え真の幸福を創り上げる原動力は規律に生きる生き方の中にあると感じますね。
    『見よ銀幕に』p.16
    幸福 22番
    幸福は不幸を生み、不幸が幸福を築き上げる根源とも成っているように思う。
    『「憧れ」の思想』p.41
    幸福 23番
    小さな幸福を求めるものは、それすら得ることはできません。
    『根源へ』p.255
    幸福 24番
    落ち込み野郎っていうのは頭にくるね。生きていることそのものが、どのくらい幸福なことなのかわかってないっていうことだよ。
    『魂の燃焼へ』p.227
    幸福 25番
    僕はこれまで生きてこられただけで、すごく幸福だと思っている。だからいつでも幸福になんかなる気はないと言っているんだ。
    『魂の燃焼へ』p.227
    幸福 26番
    幸福にだけなりたい人、そして成功だけを望む人には、出会いという生命の哲理は永遠にわかりません。
    『根源へ』p.404
    幸福 27番
    幸福を求める人間は、幸福を得ることができない。
    『根源へ』p.406
    幸福 28番
    不条理の中に人生を投げ込むことができれば、いかに不幸に見える人生を送っても、最後には幸福を感ずる(、、、)ことができるということです。
    『根源へ』p.406
    幸福 29番
    不条理こそが本当の幸福を生み出す。
    『根源へ』p.406
    幸福 30番
    悲しみがあるから喜びがあり、不幸があるから幸福がある。
    『根源へ』p.461
    幸福 31番
    幸福になりたいとのみ願っている者は絶対に幸福になれません。
    『根源へ』p.461
    幸福 32番
    不幸になりたいと考えている方が、幸福になれる可能性がある。
    『根源へ』p.461
    幸福 33番
    不幸を嘆く必要などまったくないのです。不幸は幸福と何ら変わりません。
    『根源へ』p.461
    幸福 34番
    不幸は幸福の原因となり、悲劇はあらゆる人間性の練磨の原因となっているのです。
    『根源へ』p.465
    幸福 35番
    (答えが)わからないから、我々は生きることが出来る。その幸福を知らなければならないんだ。
    『夏日烈烈』p.105
  • 友情 ―――人生に迷ったら

    友情 1番
    別れることが念頭にない人間関係は、嘘の関係である。別れを感ずるからこそ、人は友情や愛情を本当に大切にするのだ。
    『友よ』p.11
    友情 2番
    自我を乗り越えた戦友愛は、本当の高貴性を人の魂に与える。
    『友よ』p.11
    友情 3番
    人間は偶然に出会うのではない。出会うべくして出会っているのだ。
    『友よ』p.12
    友情 4番
    自分が使命を果たさなければ、戦友は死ぬ。戦友がしくじれば、自分も死ぬ。大使命に自己を投げ出している戦友との絆は、何とすばらしいものか。
    『友よ』p.13
    友情 5番
    本当に西郷隆盛は不思議としか言えない。こんなに恐い人を私は知らない。こんなに優しい人を私は知らない。こんなに勇気を与えてくれる人を私は知らない。いつも身近にいてくれるのに、決して手のとどかない彼方(かなた)にいる。
    『友よ』p.138
    友情 6番
    本当に相手の人物を立てている時の問いとは、そのまま答えでもある。
    『友よ』p.229
    友情 7番
    偉大な永遠の活動の中で、私と生の時と場所を共有する人々は、本当に凄い結びつきがあるのだと実感できる。
    『友よ』p.288
    友情 8番
    我々人間は、燃え熾る生の悲哀を知るがゆえに、一人では生きられない生き物なのだ。
    『友よ』p.289
    友情 9番
    火である心が、他の火である心と共感し合わなければ生きられない。
    『友よ』p.289
    友情 10番
    共に燃え、共に燃え尽きることこそが人生の最大の幸福なのであろう。
    『友よ』p.289
    友情 11番
    我々は一人では生きられないのだ。共に生きる者がいて、初めて我々人間は真に生きられる。
    『友よ』p.289
    友情 12番
    我々人間の独自性は、実は他との共存の中にあって初めて生きてくるのだ。
    『友よ』p.290
    友情 13番
    リルケは、四十年以上にわたって我が親友であった。これからも、私の肉体に死が訪れるまでそうであろう。
    『友よ』p.307
    友情 14番
    苦痛が真の友となっている。友であれば一心同体である。
    『友よ』p.313
    友情 15番
    我は今、焔と化していくのだ。焔もまた、我であろう。
    『友よ』p.313
    友情 16番
    ただ祝福されていることを自ら実感すれば、この世の中の出来事も、存在する物も、また自己が出会ったすべての人々も、みな本当に美しいものであったとわかるのだ。
    『友よ』p.333
    友情 17番
    この雲の心こそが、我々の心に歌を思い起こさせ、また歌を吹き込む。雲はいい。雲こそが永遠の友である。
    『友よ』p.351
    友情 18番
    ヘッセよ安らかに眠れ。悪漢政よ穏やかに眠れ。また会う日まで。静かに眠れ。雲の如くに。
    『友よ』p.351
    友情 19番
    自由を守り、愛を断行し、友情を紡ぎ出す勇気がある。
    『友よ』p.403
    友情 20番
    人生は無常だから、すべてに対する心がけは一期一会となる。出会いは、別れるためにある。毎日会っている人とも、いつかは()かれる。
    『友よ』p.404
    友情 21番
    本当に重大な決断で命がけの決断は、人間は自分一人では決してできない。
    『友よ』p.406
    友情 22番
    重大な決断は必ず、恩や友情、愛や信義に基づいている。
    『友よ』p.406
    友情 23番
    真の明治の友情とは、お互いに考え続け悩み続ける間柄のことであり、決して慰めあいではなかった。
    『友よ』p.427
    友情 24番
    友情すら乗り越えて、真に不可解なことに挑戦しなければならない。
    『友よ』p.427
    友情 25番
    すさのをの孤独は周りから愛されている。愛されているから、徹底した孤独の中に生きることができる。
    『友よ』p.436
    友情 26番
    私は、自分が生ききるために文学を友としてきた。
    『友よ』p.452
    友情 27番
    詩のゆえに、多くの友と交わり、また多くの者との別れを体験した。
    『友よ』p.452
    友情 28番
    人間は戦いを共にして絆が深まるんだ。苦労とか辛酸とかね。一緒に苦労した関係にしか真の人間関係は生まれない。
    『夏日烈烈』p.170
    友情 29番
    戦争は多くの犠牲者を生むことも確かだけれども、また多くの助け合いや友情や強い愛を生み出して来たことも確かなんだ。
    『夏日烈烈』p.170
    友情 30番
    戦友はやはり人間関係とか友情の原型だよ。
    『夏日烈烈』p.170
    友情 31番
    日本に生まれた喜びを自分の中に育めば、共感する人も出来るんだ。それが友情を育み、仲間を生み、となっていくわけだよ。
    『夏日烈烈』p.296
    友情 32番
    いじめが良いとは言いませんが、人生は嫌なことに耐えてはじめて喜びが生まれるわけで、嫌なことがなければ喜びもありません。だから、いじめるような人間もいるから、本当に心を通わせる友も出来るのです。
    『風の彼方へ』p.56
    友情 33番
    愛情や友情や、互いの献身によって結ばれた人たちは、生命エネルギーの共振によってエネルギーを高め合うことが出来ます。しかし一方で、共振に加わらない人々のエネルギーを減衰させているのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.85
    友情 34番
    愛情も友情も信頼もその本質を支える柱は規律なのですよ。
    『見よ銀幕に』p. 16
    友情 35番
    (モンテーニュとラ・ボエジーの友情について)どうして、君たちはそんなに心が通じ合えるのかと他者に問われたのです。その時の答えです。「それは彼であったから、それは私であったから」。
    『根源へ』p.408
  • 読書 ―――人生に迷ったら

    読書 1番
    読書とは、歴史と自己が織りなす、血と魂の触れ合いである。
    『生くる』p.19
    読書 2番
    古来、書籍は先人たちの血と汗の結晶であった。
    『生くる』p.21
    読書 3番
    つねに謙虚なる気持で良書に触れないと、何も対話できない破目になる。相手は口を利かないのだ。
    『生くる』p.22
    読書 4番
    魂の対話なき読書は読書ではない。
    『生くる』p.23
    読書 5番
    良書を読むと、時代にふりまわされない存在としての自己確立が進んでくる。そして何よりも、過去の偉大な人々と触れることにより、人間の持つ価値に目覚める。
    『生くる』p.25
    読書 6番
    どんな本でもそうだけど、一行でも感動したらその本は読んだ価値があるんですよ。
    『魂の燃焼へ』p.31
    読書 7番
    一冊の本というのは、一つの神秘なんだよ。紙じゃないんだ。
    『魂の燃焼へ』p.135
    読書 8番
    ゲーテを知らぬ者はこの世にはいないであろう。そしてまた、ゲーテを真に知る者もこの世には多分いまい。
    『友よ』p.103
    読書 9番
    私にとって、人間として生きるために必要な事柄は、すべて『葉隠』の中にあった。
    『「憧れ」の思想』p.40
    読書 10番
    書物を通して、私は多くの「焦がれうつ魂」と遭遇した。それらの魂がもつ、忍ぶ恋に涙を流し、私もまたそれに続かんと欲してきた。
    『「憧れ」の思想』p.41
    読書 11番
    非現実の中から現実を見出す安部公房の秀れた寓意に、私は、まさに現実から目をそらすことで現実の理解を深める「現実的人間」を感ずるのである。
    『「憧れ」の思想』p.61
    読書 12番
    「きれい事」の書かれた本は、何冊読んでも何もならない。自己の中に、より多くの「きれい事」が積み上がっていくだけである。
    『「憧れ」の思想』p.223
    読書 13番
    人間の本当の食糧は、書物である。
    『「憧れ」の思想』p.244
    読書 14番
    字を読むことは、読書ではない。読書は、書物の中に(しず)もれる魂と自己との共感なのだ。
    『「憧れ」の思想』p.244
    読書 15番
    書物がなければ、私はただ一きれの肉片に過ぎなかった。腐り果てるのを待つ、肉と骨に過ぎなかっただろう。
    『「憧れ」の思想』p.247
    読書 16番
    秀れた書物に込められているのは、人間をその淵源に向かって解き放つ、遥か遠くに向けられた願いと言えるだろう。
    『「憧れ」の思想』p.250
    読書 17番
    本は死ぬために読むのだ。
    『「憧れ」の思想』p.256
    読書 18番
    真の読書をしたいのであれば、役に立たないものを読んでいくのだという覚悟を持って、書物に臨んでいかなければならないのである。
    『「憧れ」の思想』p.298
    読書 19番
    シェークスピアは荘重な訳が僕は好きだね。最近の軽い口語のは好まない。シェークスピアはやはり「偉大性」を感ずる訳がいい。
    『夏日烈烈』p.222
    読書 20番
    疑い深い人は、どんな本でも疑ってるよ。それでいて、インチキ本に却ってひっかかる。それはね、インチキ本は、他者が絶対に信じるように書いてあるからなんだ。
    『夏日烈烈』p.360
    読書 21番
    ただ一つ今の時代のいいところは、書物がこれほど簡単に手に入る時代はない、ということだ。
    『夏日烈烈』p.478
    読書 22番
    だいたいにおいて、期待などというものは浅いんです。そんなものは単なる欲望に決まっています。本も読者に期待をさせる本は内容の浅い本です、中身が深い本は、哲学であれ、文学であれ、みんな否定です。
    『風の彼方へ』p.43
    読書 23番
    本は難しいまま読むのがいちばん早く理解できるんです。
    『風の彼方へ』p.152
    読書 24番
    出版社の罪ですね。僕は出版社の人間に会うと必ず言いますが、テレビと競っているから本をダメにしてしまっているんですよ。
    『風の彼方へ』p.152
    読書 25番
    わからないものを読むから、そのうちわかるようになるんです。
    『魂の燃焼へ』p.29
    読書 26番
    自己に対する問題提起、疑問、それから人生でどんなことに体当たりすればいいのか、何を考えればいいのか。その材料を過去の偉大な人たちからもらうのが読書だってことに尽きるんですよ。
    『魂の燃焼へ』p.35
    読書 27番
    答えというのは、自分の人生においての実践の中から見出すものなんですよ。答えは本には載っていない。答えを本の中に見つけようとしちゃだめなんだ。
    『魂の燃焼へ』p.36
    読書 28番
    古典と呼ばれる良書には、どれをとってもその著者たちの魂と真心が貫通している。それを感ずることが読書なのだ。
    『生くる』p.21
    読書 29番
    読書人は確固たる自己、すなわち孤独なる自己を育成することにより、人生の価値を豊かならしめてきた。
    『生くる』p.21
    読書 30番
    書物は口を利けないのだ。そして、この魂の対話なき読書は読書ではない。
    『生くる』p.23
    読書 31番
    礼を重んずる心によって、初めて過去の書物の価値が自己の中に投影される。
    『生くる』p.23
    読書 32番
    自分自身が讃嘆できる良書を読めば、自己の精神は躍動を始める。
    『生くる』p.24
    読書 33番
    僕は、小学生のときから古典を読んでいたけど、なぜ読めたかというと、内容をわかろうとしなかったからなんだ。
    『魂の燃焼へ』p.28
    読書 34番
    本はわかろうとしちゃだめです。共感し、共振するのが読書なんだ。
    『魂の燃焼へ』p.29
    読書 35番
    どんな難しい本でも、何かを問われているんだと思えば、簡単に読めるんです。
    『魂の燃焼へ』p.37
    読書 36番
    乃木希典は、人生そのものが「読書」だった。つまり、真の教養人です。
    『魂の燃焼へ』p.40
  • 武士道 ―――人生に迷ったら

    武士道 1番
    武士が何故に武士かと言えば、それは(おのれ)の意志で死ぬからである。
    『生くる』p.99
    武士道 2番
    日本文化と呼ばれるものの、すべてを貫く唯一の価値は、武士道しかない。
    『生くる』p.117
    武士道 3番
    武士道は、恩のために己を使い尽くして燃え尽き、最期は木端微塵(こっぱみじん)になるという思想です。
    『根源へ』p.264
    武士道 4番
    武士道とは、歴史の精神である。日本人が、その涙の中から生み出したものだ。
    『「憧れ」の思想』p.62
    武士道 5番
    武士道に支えられ、私は砂漠を歩いてきた。それどころか、武士道の精神を抱き締めた私の目には、砂漠が美しいものに映ってきたのである。
    『「憧れ」の思想』p.206
    武士道 6番
    多分、未完のままに死ぬのだろう。しかし、武士道の精神は、それでよいのだと私に(ささや)き続けてくれるに違いない。
    『「憧れ」の思想』p.209
    武士道 7番
    西郷が負けたことにより、武士道が死んだのです。
    『おゝポポイ!』p.462
    武士道 8番
    我々が今、天皇崇拝だと思っているものは実は武士道なのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.80
    武士道 9番
    私は武士道の精神だけで生きてきた。それだけで、いままでやって来たのだ。それ以外には、何もない。
    『風の彼方へ』p.9
    武士道 10番
    神武天皇の即位は一つの日本的武士道の完成と見ているんです。
    『風の彼方へ』p.31
    武士道 11番
    神武天皇と大伴氏や物部氏の人々が、日本という国の根幹を「尚武の精神」を貫く民族集団にしたいと思った。それが日本の武士道の精神の源流です。
    『風の彼方へ』p.32
    武士道 12番
    僕は小学生のときに『葉隠』を読んで武士道が大好きになって、武士道の生き方を貫いてきたつもりなのですが、武士道とは()せ我慢とダンディズムだとつくづく思います。
    『風の彼方へ』p.38
    武士道 13番
    この世のことは、全てが理屈だと僕は思います。それを乗り越えるものが僕は禅と武士道の精神だと思っているんです。
    『風の彼方へ』p.83
    武士道 14番
    自分が不幸を受け入れる覚悟を持てば、自分以外のもっと大きい生命が躍動するという、そういう働きが武士道にも禅にもあるような気がします。
    『風の彼方へ』p.38
    武士道 15番
    武士道でもいちばん大切なのが反骨精神です。それを僕は「無頼(ぶらい)の精神」と名づけているんです。
    『風の彼方へ』p.163
    武士道 16番
    僕は、武士道の中心にある思想は「瘦せ我慢の哲学」だと思っています。痛くても痛くないと言う。お腹が空いていても、「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)」ではないですが、腹一杯の顔をして知らんぷりをしている。
    『風の彼方へ』p.164
    武士道 17番
    三島由紀夫も死ぬために生きていました。これが武士道の根源思想であり、死ぬために生きるのが人生であり、生命の本質だと三島由紀夫は言いたかったのだと思います。
    『風の彼方へ』p.206
    武士道 18番
    髙橋泥舟の蛇行は、真の武士にしか書けぬものである。
    『憂国の芸術』p.128
    武士道 19番
    さむらいの書は、「夜の精神」によって潤い、そして満たされている。
    『憂国の芸術』p.129
    武士道 20番
    戦う者の書には、独特の柔軟がある。……「直」であって「曲」の極点を極めているのである。
    『憂国の芸術』p.130
    武士道 21番
    武士は、絶えず自己に還ることによって、そこから彼岸(ひがん)に向かって飛翔する存在である。
    『憂国の芸術』p.130
    武士道 22番
    戦う者は、殺す悲しみに生きる。それが、武士の書を形創っている。
    『憂国の芸術』p.131
    武士道 23番
    乃木希典は、孤高の血を生き抜いた。つまり、真の武士であったのだ。己れの血で、己れの生き方を貫いた。
    『憂国の芸術』p.132
    武士道 24番
    伊東祐亨の書には、青春がある。さむらい(ヽヽヽヽ)が、明治を見上げているのだ。
    『憂国の芸術』p.135
    武士道 25番
    一人の男の素裸の真心が生み出す、真の「祈り」としての武士道的慈愛の魂です。その墨が、紙幅をなめて見る者の生命の中に突入して来るのです。そのような迫力が白隠にはある。
    『憂国の芸術』p.43
    武士道 26番
    日本文化の背骨は、一言(いちげん)にして断ずれば、「武士道」ただひとつである。
    『生くる』p.117
    武士道 27番
    日本は、武士道のほかには何も価値のあるものを生み出すことはなかった。
    『生くる』p.117
    武士道 28番
    誠のためには命を投げ出し、如何なる争いをも戦い抜くその覚悟が、日本精神の源流をかたちづくり、武士道の淵源となった。
    『生くる』p.118
    武士道 29番
    武士道とは、恩のゆえにいつでも戦い、いつでも命を投げ出す、「尚武(しょうぶ)の精神」を言う。
    『生くる』p.118
    武士道 30番
    日本においては、すべての背骨が武となっている。
    『生くる』p.119
    武士道 31番
    武の精神とは、目的のためには死をも厭わぬ、その考え方にある。
    『生くる』p.119
    武士道 32番
    日本人は古来、学者や芸術家にも武士道を求めている。
    『生くる』p.119
    武士道 33番
    日本文化はすべて、武士道精神を求めている。
    『生くる』p.119
    武士道 34番
    武士道の心が貫かれている限りは、日本人はいつまでも日本人らしくあり続ける。
    『生くる』p.120
    武士道 35番
    武士道を重んじていた時代には、みごとな死が多かった。
    『根源へ』p.97
  • 希望 ―――人生に迷ったら

    希望 1番
    生命の悲しみを知らなければ、人間には希望はない。
    『友よ』p.14
    希望 2番
    希望とは、悲しみの極致を体験した者だけが感ずるのである。
    『友よ』p.13
    希望 3番
    正義だけが、人間に夢をもたせ、希望を与えることができるのだ。
    『友よ』p.252
    希望 4番
    「創世記は、初めにではなく終わりにある」(ブロッホ『希望の原理』より)
    『根源へ』p.429
    希望 5番
    希望がなければ、人間は生きることができない。
    『根源へ』p.430
    希望 6番
    希望とは、人類の文明に宿る高貴性の追求である。
    『根源へ』p.431
    希望 7番
    希望だけが人間に神と永遠を志向させる。
    『根源へ』p.431
    希望 8番
    (人間の希望は)不幸と悲哀と絶望によって支えられている。
    『根源へ』p.431
    希望 9番
    不幸と悲哀と絶望の体験が多いほど、希望は生命の中で成長します。
    『根源へ』p.431
    希望 10番
    生命は、合理的にはわからないから希望があるのです。
    『根源へ』p.431
    希望 11番
    私は希望を、生命のもつ永遠の神秘と呼んでいるのです。
    『根源へ』p.432
    希望 12番
    希望は、安定を好まず、狂気の熱情を人間にもたらす。
    『根源へ』p.432
    希望 13番
    人間は希望によって発展し、豊かさによって黄昏を迎える。
    『根源へ』p.432
    希望 14番
    (『ドン・キホーテ』と『葉隠』は)絶望が生んだ希望の哲学と言ってもいい。また、歴史的に、現にそうであった。
    『根源へ』p.433
    希望 15番
    『葉隠』は狂気の哲学です。それは「死に狂ひ」であり、絶対にかなわぬ憧れである「忍ぶ恋」です。今流に考えると辛く不幸なことですが、それが人々に希望を与え、武士道の幸福を生み出していたのです。
    『根源へ』p.434
    希望 16番
    文明に音楽が必要なのは、それが人間の希望をつなぎ止める原動力となっているからでしょう。
    『根源へ』p.435
    希望 17番
    秀れた芸術はその根底に音楽をもっているのです。そして、過ぎ去った楽園を悔恨し、明日への希望を生み出しているのです。
    『根源へ』p.435
    希望 18番
    音楽は、人間に過去の記憶を呼び戻させる働きがあるのです。そして、そこから真の希望が湧く。
    『根源へ』p.435
    希望 19番
    希望とは、理想を慕う悲しみの中から生まれるのです。
    『根源へ』p.435
    希望 20番
    音楽によって、希望が紡ぎ出されるのは、音楽が時間の芸術だからです。
    『根源へ』p.436
    希望 21番
    我々生命が時間の係数である限り、音楽は過去と未来を貫いて、現在に希望をもたらす力を秘めているのです。
    『根源へ』p.436
    希望 22番
    音楽性に支えられた魂が芸術を生み、それが悲哀を包み込んで希望を生み出していくのです。
    『根源へ』p.436
    希望 23番
    「私はある。我々はある。それで十分だ。ともかく始めなければならない」(ブロッホの言葉)。これこそが希望を持った人間の言葉なのです。
    『根源へ』p.438
    希望 24番
    希望とは、つまりは革命なのです。
    『根源へ』p.439
    希望 25番
    世界をいまだ未完成の過程と理解しなければ希望は生まれない。
    『根源へ』p.439
    希望 26番
    人間とは、ただ願って願って願ってそして死ぬ存在なのです。
    『根源へ』p.440
    希望 27番
    (人間は)かすかなる希望を見つめて生きる。
    『根源へ』p.440
    希望 28番
    価値のない行為を、本気で「為す」という悲しみの中にこそ希望を見出すことができるのです。
    『根源へ』p.441
    希望 29番
    人間の生命から生まれる真の希望とは、カントの言葉を借りれば「目的のない合目的性」(Zweckmäβigkeit ohne Zweck)です。
    『根源へ』p.441
    希望 30番
    待つことそのものが希望であり、人生である。
    『根源へ』p.443
    希望 31番
    人生とは、実は何もわからないのです。ただ生きる。将来を信ずる。
    『根源へ』p.443
    希望 32番
    希望とはいいものでもないし、楽しいものでもない。それは、ただ生命の本質であるということです。
    『根源へ』p.443
    希望 33番
    (椎名麟三『邂逅』について)「わかって欲しい時」、人間は虚無に陥りエゴイズムに走ることを描き、その結果、すべての希望を失うのだと説いています。
    『根源へ』p.445
    希望 34番
    「時代に対する責任を背負うとき」(椎名麟三『邂逅』より)真の希望を得る。
    『根源へ』p.445
    希望 35番
    人間の生命の奥深くには希望が隠されている。
    『根源へ』p.445
    希望 36番
    本物の希望は不満足の中からしか生まれない。
    『根源へ』p.446
    希望 37番
    希望とは帰るべき故郷を指し示すことによって、人間に憧れを抱かせる。
    『根源へ』p.447
    希望 38番
    革命の戦いにあって、不幸と苦悩を乗り越えた人にだけ、希望という恩寵がくるのです。
    『根源へ』p.447
    希望 39番
    つまり、希望とは革命の申し子なのです。
    『根源へ』p.447
    希望 40番
    希望は満足と幸福に浸ると消滅していってしまう。
    『根源へ』p.447
    希望 41番
    偉大な業績というのは、すべて使命(die sendung)が創り出すものです。その使命は希望からしか生まれてきません。
    『根源へ』p.447
    希望 42番
    希望だけが、われわれを未来に向かって開かせる力があるのです。
    『根源へ』p.447
    希望 43番
    自己自身と出会うことによって、希望という名の自己の生命が残る。
    『根源へ』p.448
    希望 44番
    聖書の中で神が「光あれ」と言ったけど、あれがすごい希望というロゴスになるんだよ。
    『夏日烈烈』p.20
    希望 45番
    生命も同じさ。真っ暗な中にあるから、その輝き自体がすごい希望になるんだ。
    『夏日烈烈』p.22
    希望 46番
    人類の最大の願望・希望といったら、自分の存在の記憶だよ。
    『夏日烈烈』p.364
    希望 47番
    「禍福はあざなえる縄のごとし」のように、苦しんで苦しんで、苦しんだ結果、全てのものに耐え抜いた地点が「絶点」です。死の淵から浮かび上がる、真の憧れであり、人類の希望です。
    『風の彼方へ』p.318
    希望 48番
    希望が、私の思想の根源を形創っている。希望だけが、われわれ人間の有する真の価値だと私は信じているのだ。
    『憂国の芸術』p.9
    希望 49番
    希望とは、永遠に続く「魂の渇望」を言っている。それは、人間にとって無限の旅となるだろう。
    『「憧れ」の思想』p.237
  • 個性 ―――人生に迷ったら

    個性 1番
    (葛藤の中から生まれた混沌としたものをゲーテは「デーモン」(魔性のもの)と称していた。)デーモンがなければ、秀れた個性も育ちません。
    『根源へ』p.125
    個性 2番
    個性とは、美しいものであり、また汚いものでもあるのです。両方がなければならない。
    『根源へ』p.125
    個性 3番
    個性は頭で考えた綺麗事ではないのです。
    『根源へ』p.125
    個性 4番
    一般的に言って個性は常識の中から生まれます……常識とは、歴史の中で徐々に確立されていった倫理なのです。
    『根源へ』p.128
    個性 5番
    個性を生むためには、責任が必要と考えていただければわかりやすいと思います。責任が、ペルソナを持つ真の大人を築き上げていくのです。
    『根源へ』p.129
    個性 6番
    「能面をつけたら個性が消えるじゃないか」と言う人間には「個性」は理解できません。
    『根源へ』p.129
    個性 7番
    ピカソの中では、魔性と人類愛が坩堝(るつぼ)の中で溶け合い、めらめらとしたデーモンの魅力を放っています。それがピカソの貪欲な個性を輝かせているのです。
    『根源へ』p.133
    個性 8番
    強い個性は、性欲や名声欲などの強い魔性を中心とした強烈な生命力を持った人間が、歴史と猛烈に葛藤することによって生まれていることです。
    『根源へ』p.136
    個性 9番
    個性ある芸術家の生涯を見れば、教育によって個性を創ることはできないことがわかります。
    『根源へ』p.137
    個性 10番
    皇室を戴く日本独自の伝統こそが、日本人の「個性」を生み出す中核となるものと言えるのではないでしょうか。
    『根源へ』p.139
    個性 11番
    皇室の伝統を見た場合、日本は間違いなく、他に類例を見ない個性の国なのです。
    『根源へ』p.139
    個性 12番
    服装がもつ個性は、英国紳士そのものに個性があることを示しています。
    『生命の理念Ⅰ』p.212
    個性 13番
    個性とわがままとはまったく別な考え方です。本来の意味での個性には、そういう子供じみたわがままは含まれません。
    『生命の理念Ⅰ』p.208
    個性 14番
    制服を着るということは、その制服を作った人の個性を受け入れることを意味するからです。つまり師弟の関係になるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.210
    個性 15番
    仕事に打ち込めば打ち込むほど、自分の中から個性が光り輝いてくるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.215
    個性 16番
    個性というのは、自分が何かに合わせた後から出てくるものであり、自分自身に備わっている個性など存在しません。
    『生命の理念Ⅰ』p.216
    個性 17番
    個性の根底には、必ず意志と哲学が存在します。自分は何者であり、どう生きるのかということが哲学であり、そこから個性が生まれるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.218
    個性 18番
    すべてを捨てなければならない。万能だった自分をひとつに限定するのだ。
    『生くる』目次
    個性 19番
    個性とは、憧れに向かう「生命の慟哭(どうこく)」である。
    『生命の理念Ⅰ』p.208
    個性 20番
    職人だろうが、何だろうがいっぱしの人って何か「持ってる」んだよ。
    『夏日烈烈』p.82
    個性 21番
    個性は個人のものではありません。個性は、文明や文化に根差した思想の中にあります。
    『生命の理念Ⅰ』p.209
    個性 22番
    個性は教育できません。教育できるのは、わがままを抑えることだけです。それが教育の根本なのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.216
    個性 23番
    自分自身が精一杯生きて、悲痛と苦悩、そして充実と幸福を体感したときに、他人からみて個性的な人になっているのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.226
    個性 24番
    個性は、人間の存在理由であり使命なのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.226
    個性 25番
    損得を考えた瞬間に、個性の輝きは消えるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.244
    個性 26番
    バッハの曲の深遠さは、様式に合わせるところから生まれたのです。そして、様式に合わせている人間の、心の状態や人間性のことを個性と呼ぶのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.255
    個性 27番
    受け身の姿勢では、決して個性は生まれません。個性は生命の躍動であり、能動的な部分だからです。
    『生命の理念Ⅰ』p.281
    個性 28番
    人体に抗原抗体反応があることが、ひとりの人間を創り生かしめている生命エネルギーの個別性ということの証明なのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.54
    個性 29番
    世界平和が完全無欠に完遂されたら、人類は全員が免疫不全状態になります。人類という種の絶滅した状態が、世界完全平和ということなのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.60
    個性 30番
    持つ人によって、物の個性は大きく変わります。
    『生命の理念Ⅰ』p.219
    個性 31番
    本の蔵書にしても、ある個人の集めた本を見ればその人の思想がわかります。
    『生命の理念Ⅰ』p.220
    個性 32番
    灰皿でも彫刻でも何でも、人間が作ったものの中には作った人間の思想が表現されています。その思想の部分が個性なのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.220
    個性 33番
    個性は、人間の存在理由であり使命なのです。
    人間らしい生き方とか真に幸福な人生と呼ばれるものが個性です。
    『生命の理念Ⅰ』p.226
    個性 34番
    親の遺志を継いで商売に励んでいれば、人から「あの二代目は個性的だ」と言われます。
    『生命の理念Ⅰ』p.227
    個性 35番
    「うちの商売はどうあるべきか」というものがはっきりしている時に個性が輝くのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.227
    個性 36番
    武士も武士道に近づくほど個性的になりますが、何も特別なことはしていません。紳士も個性的な人ほどいつも同じ恰好をしている。
    『生命の理念Ⅰ』p.227
  • 運命 ―――人生に迷ったら

    運命 1番
    運命は、自分が自分自身と出会うことによって発現するのです。
    『根源へ』p.142
    運命 2番
    運命は、この世にただ一つしかない自己固有のものです。
    『根源へ』p.142
    運命 3番
    運命を引き寄せるには勇気がいる。
    『根源へ』p.142
    運命 4番
    動かざる「命」を軸にして、その周りを「運」が回転する。
    『根源へ』p.143
    運命 5番
    運命とは、その人自身が自覚(ヽヽ)をして、自己の人生に挑戦する姿勢をもって、初めて姿を現わす。
    『根源へ』p.143
    運命 6番
    自分独自の魂を育まなければ、運命は回転を始めません。
    『根源へ』p.144
    運命 7番
    運命を生きない人間はただの動物です。
    『根源へ』p.145
    運命 8番
    運命を生きることで野垂れ死にするかもしれない。しかし、それは仕方がない。それを許容しなければならないのです。
    『根源へ』p.145
    運命 9番
    運命に対する反発はそれを受け入れているから起こるのです。
    『根源へ』p.146
    運命 10番
    芸術というものは反運命なのです。反運命そのものが、実は運命を生きるということなのです。
    『根源へ』p.148
    運命 11番
    運命を生きれば真の生きがいを摑めることもあり、また摑めないこともあり得るということです。そして、たとえ摑めなくても、自己固有の人生を生きた人物が経験した人生は、失敗ではないのです。
    『根源へ』p.148
    運命 12番
    自己固有の運命を生きれば、敗北しても歴史に残る偉大な生き方ができる可能性、つまり夢がある。
    『根源へ』p.149
    運命 13番
    不幸を(いと)うような人間には、運命の女神はほほえみません。
    『根源へ』p.150
    運命 14番
    ベートーヴェンの第五に明らかに示されるように、運命は回り始めると止まりません。
    『根源へ』p.150
    運命 15番
    運命が回り始めると人生は怖い。怖くなければ人生ではない。
    『根源へ』p.150
    運命 16番
    運命は車輪として回転し出し、回り始めたら、もう誰にも止められない。
    『根源へ』p.150
    運命 17番
    運命とは勇気を持った人間だけが享受できるもので、動物には運命はありません。
    『根源へ』p.151
    運命 18番
    運命を生かすには勇気を持つしかない。
    『根源へ』p.151
    運命 19番
    自己の体内に「露刃剣」を有することが、運命を生きる人間には絶対に必要なことなのです。
    『根源へ』p.153
    運命 20番
    運命の終着点は死です。死は、実は肉体ではなく、自己固有の運命に訪れるものなのです。
    『根源へ』p.158
    運命 21番
    死という還るべき故郷があるからこそ、ひとりの人間も民族も、自己の運命を徹底的に生きることができるのです。
    『根源へ』p.158
    運命 22番
    自己の運命だけを信じて、それにぶち当たり、それを受け入れ、またそれを乗り越えて生きて来た。
    『夏日烈烈』p.2
    運命 23番
    宮沢賢治には悪いけど、宮沢賢治を読めなかったのが、たぶん僕の運命なんだと思うんだよ。
    『夏日烈烈』p.89
    運命 24番
    力一杯運命にぶつかり、与えられた生命を力一杯生き切る。それだけが大切だ。
    『夏日烈烈』p.103
    運命 25番
    (『邪宗門』の)「六終局」の本質というものを考えることが自分の運命だと思ってる。
    『夏日烈烈』p.126
    運命 26番
    運命は面白いよ。運命を楽しむにはね、悪くなってもいいという気持ちがなくてはだめなんだ。
    『夏日烈烈』p.251
    運命 27番
    不幸になったり、悪くなったりしたらそれも自分に与えられた運命だからその状態を受け容れてまた楽しむんだよ。
    『夏日烈烈』p.251
    運命 28番
    子供が駄目なら、それはそれでその子の運命だからしかたがない。
    『夏日烈烈』p.252
    運命 29番
    自分の将来なんて、そんなものは運命にまかせて、つまり風まかせで充分なんだ。
    『夏日烈烈』p.256
    運命 30番
    宿命を認め、その中で自分の運命を楽しむ。
    『夏日烈烈』p.295
    運命 31番
    自分の運命を嫌がる人が、最も駄目な人生を送っている。
    『夏日烈烈』p.298
    運命 32番
    ものすごく不幸に見えても、ものすごく馬鹿に見えても、運命にぶつかった人の人生というのは、それなりに完結した立派な人生なんだよ。
    『夏日烈烈』p.298
    運命 33番
    僕は革命家を自称しながらも同時に運命論者でもあるから、自分に来た運命を全部受け取って、その中でのたうち回ろうが何しようが生き切った人が好きなんだ。
    『夏日烈烈』p.488
    運命 34番
    来たものを好き嫌いで見て自分の好きなものしか受けないと、つまらない人生になってしまう。人生は運命を受けると面白いんだよ。
    『夏日烈烈』p.519
    運命 35番
    自己の運命を愛し、自己の運命に()かなければならない。
    『「憧れ」の思想』p.16
    運命 36番
    我々の生命とその運命は、理解できるほど単純な現象ではない。我々の人生は、理解できるほど、つまらぬものではないのだ。
    『「憧れ」の思想』p.124
  • 自由 ―――人生に迷ったら

    自由 1番
    制約がなければ自由は放縦に流れ、目的は空想と化し、夢は虚構となる。
    『生くる』p.51
    自由 2番
    食えなければ、食わねばよろしい。
    『生くる』目次
    自由 3番
    自由とは命の屹立です。
    『根源へ』p.211
    自由 4番
    不自由が真の自由を生む。
    『根源へ』p.199
    自由 5番
    人間の人間たる()われは、自由への渇望と言えるのではないか。
    『根源へ』p.200
    自由 6番
    自由は制約の中から生まれ、制約の中で初めて認識されてきた。
    『根源へ』p.201
    自由 7番
    制約があって、はじめて自由がある。
    『根源へ』p.201
    自由 8番
    自由なる人物は、命がけの義務と責任を誰に言われるのでもなく、自己自身で、自分に課しているのです。
    『根源へ』p.203
    自由 9番
    真の自由は、義務と責任を自分自身で、誰が見ていなくとも、また何も言われなくとも、自らに課せる人間にだけ与えられるのです。
    『根源へ』p.203
    自由 10番
    「人はパンのみによって生くるにあらず」とは、人は魂の自由を求めて命懸けの人生をおくるべきであり、その先に神の国があるのだという「魂の伝言」です。
    『根源へ』p.205
    自由 11番
    人間にとって、もっとも尊いのは魂の自由なのです。肉体ではない。
    『根源へ』p.205
    自由 12番
    自由とは過酷な戦いによって勝ちとるものなのです。それは生命の輝きであり、雄叫びとも言えましょう。
    『根源へ』p.206
    自由 13番
    責任と義務を愛し、それらに向かうような生きかたをすると、自由が向こうから寄ってくる。
    『根源へ』p.207
    自由 14番
    自由を問題にすると、その先にあるのは戦いしかない。
    『根源へ』p.207
    自由 15番
    自由がなければ、平和になるのです。実は平和を謳歌する現代には自由がないことも気づかなければなりません。
    『根源へ』p.207
    自由 16番
    自由は人間にとっていちばん尊いものであり、それを獲得するために戦いは必須となる。それが生命の法則であり、生命にとってもっとも尊い価値なのです。
    『根源へ』p.208
    自由 17番
    戦いから逃げず、生涯戦い続ける気概を持った者にのみ自由は訪れるのです。
    『根源へ』p.209
    自由 18番
    ウナムーノは、真のスペイン的な、高貴なる自由をもとめて生涯にわたり呻吟しました。その熱情と涙に強く共感して、私は自らの魂を形創ってきました。
    『根源へ』p.210
    自由 19番
    (「真の自由とは不滅性への渇望である」という)ウナムーノの言葉は魂を震撼させます。言葉そのものが涙なのです。自由を渇望する悲哀から生まれた、ひとつの精神と言えましょう。
    『根源へ』p.210
    自由 20番
    生命とは危険で不安定なものなのです。だから、それを持つ我々は悩み続ける。しかし、そこにこそ自由がある。
    『根源へ』p.211
    自由 21番
    未来に向かってその無限の荒野に向かって自由自在に挑戦をして行くのが人生の醍醐味に決まっている。
    『夏日烈烈』p.257
    自由 22番
    自由というのは、自らが求めて創り出していくものなのです。
    『根源へ』p.212
    自由 23番
    自由を得ようとするには覚悟が要ります。一歩誤れば死ぬこともあり、気が狂うこともある。
    『根源へ』p.212
    自由 24番
    自由とは神から人類に与えられた試金石だと私は考えます。
    『根源へ』p.212
    自由 25番
    神という深淵から、人間の文明は自由を求めて呻き声を上げ続けている。
    『根源へ』p.212
    自由 26番
    (「神から与えられた無限の自由」という)グールドの言葉は、私の中でいつでも自由の本質を表わすものとして響き続けているのです。
    『根源へ』p.216
    自由 27番
    武士には、自由の香りが漂っていた。これは、生命を考える上で、実に大きな事柄である。
    『「憧れ」の思想』p.160
    自由 28番
    (自由の本質とは)個人が自らの考えに基づく意見や思想を持ち、それに自らが責任をもって行動し、その結果に、自己の名誉や地位そして生命すらもかけなければならない。
    『「憧れ」の思想』p.161
    自由 29番
    「自由」は、生命が「憧れ」に向かわなければ得ることは出来ない。
    『「憧れ」の思想』p.163
    自由 30番
    (ジェントルマン教育は)どのような考え方を持つかは自由であるが、その考え方を自分で獲得する思考力と、それに生命をかける生き方を育成することだけが、教育の目的となったのである。
    『「憧れ」の思想』p.162
    自由 31番
    私は武士道のもつ、生命そのものへの憧れに惚れたことが、自分の自由なる人生の根源を築いてくれたと信じているのだ。
    『「憧れ」の思想』p.163
    自由 32番
    不合理が、真の「自由」をもたらすのだ。
    『「憧れ」の思想』p.163
    自由 33番
    「正しく立てる者も自由に立ち、堕ちた者も自由に堕ちたのだ」(ミルトン) 人間の自由とは、こうあるべきものと言えよう。
    『「憧れ」の思想』p.188
    自由 34番
    挑戦する自由を得た者は、同時に、いかなる失敗も不幸も受け容れ、ただ自らの挑戦に向けて身を(なげう)たなければならない。
    『「憧れ」の思想』p.188
    自由 35番
    僕が六十数年いきてきて、人間について思うのは、「人間は自分の好きなことしかやらない」ということなんだ。
    『夏日烈烈』p.29
    自由 36番
    自由とは、芸術の根底そのものである。
    『孤高のリアリズム』p.207
  • 恋 ―――人生に迷ったら

    恋 1番
    本物志向が現代人の多くから、恋い焦がれるような想像力を奪っている。
    『生くる』p.68
    恋 2番
    昔の激しい恋愛に、我々が心惹かれるのは、そこに一途さがあるからだ。激しく何ものかを求める心があるからなのだ。
    『生くる』p.146
    恋 3番
    私の生命論は、壮絶な恋愛や幸福や喪失や死から生まれてきた。
    『おゝポポイ!』p.472
    恋 4番
    初恋も神話であり、憧れもまた神話です。
    『生命の理念Ⅱ』p.77
    恋 5番
    忍ぶ恋っていうのは、別に男女間の話だけじゃないんですよ。どんなに涙が出ようが突き進む、遠い何ものかへの憧れをそう呼んでいるんだ。
    『魂の燃焼へ』p.63
    恋 6番
    恋愛なんかでも、ハウツー本を読んでいるようなやつはモテない。モテたくて本を読むやつは、とくにだめですね。
    『魂の燃焼へ』p.75
    恋 7番
    忍ぶ恋とは、生命の根源である遠い憧れ想い続ける「精神の力」です。
    『生命の理念Ⅰ』p.20
    恋 8番
    恋愛期間中の読書については思い出すことといえば……倉田(ひゃく)(ぞう)の『愛と認識との出発』、亀井勝一郎の『愛の無常について』、……スイス人哲学者アンリ・アミエルの『アミエルの日記』、ヒルティの『幸福論』、いずれも人生論の名著といわれるものです。
    『おゝポポイ!』p.395
    恋 9番
    本に描かれる「恋の幸福論」に比べて、私の恋はもっと深かった。思うに、ずーっと「忍ぶ恋」で生きてきましたから、恋の深みが違ったのではないでしょうか。
    『おゝポポイ!』p.396
    恋 10番
    日本人全体が「忍ぶ恋」に生きていた時代というか、戦前の男女の間に「(あわ)い思慕」というものがまだ日本に存在していた……。
    『おゝポポイ!』p.399
    恋 11番
    思いが溢れて、彼女への手紙はしばしばあの海外郵便用の薄くて青い便箋十枚以上に及ぶといった具合でした。
    『おゝポポイ!』p.405
    恋 12番
    (大恋愛の末の失恋について)ギリシャ悲劇に書かれていること、あれば物語ではなかったのだ。現実に人間の身に起きたことが描かれているのだ。
    『おゝポポイ!』p.407
    恋 13番
    (大恋愛の末の失恋について)恋としては成就してしまったので、まるで百年連れ添った女房が死んだような感覚でしたよ。
    『おゝポポイ!』p.408
    恋 14番
    恋愛していた二年二ヶ月というもの、私は世界中の碩学(せきがく)が書いた幸福論も浅く見えるほどの幸福感をもったわけです。その幸福感をもったことが、自分を恥じ入った最大の要因でした。
    『おゝポポイ!』p.412
    恋 15番
    自分が一方的に振られただけの話です。そんなとき、女はどういう気持ちかわかりませんが、男としては、そこまで行ったら「死ぬしかない」とそう思いますよ。
    『おゝポポイ!』p.413
    恋 16番
    高校一年から三年まで初恋をしていて、卒業と同時に大失恋。三年間ひたすら想い続けて、でも名前も何もわからずじまいです。
    『おゝポポイ!』p.155
    恋 17番
    理想も何も、その人のことがただ死ぬほど好きなんですから、こちらとしてはどんどん行きたいんです。その時だけは「忍ぶ恋」ではいやだったんだから、人間なんて自分勝手なものです(笑)。
    『おゝポポイ!』p.157
    恋 18番
    一人のときはちゃんと薔薇色なんですよ。ひとりはいいなぁ――。それが本人を前にすると金縛りです。
    『おゝポポイ!』p.158
    恋 19番
    (恋愛をしているときに)邪念を(はら)うために、家の中で「でんぐり返し」を二、三百回も繰り返した日も数多くあったのです。
    『おゝポポイ!』p.163
    恋 20番
    (恋愛をしているときに話かけようと)三年間で書き溜めたメモの束は、厚さ二十センチに達していました。それで一言も話しかけられないんじゃあ、面目もありません。
    『おゝポポイ!』p.164
    恋 21番
    私も恋愛によって自身の二重人格を悟らされたので、必ずしも理想だけを追求しているとは限らないことがわかりました(笑)。
    『おゝポポイ!』p.165
    恋 22番
    恋愛論を語るのに、ヘーゲルを持ち出すのは私ぐらいかもしれませんが(笑)。
    『おゝポポイ!』p.167
    恋 23番
    死ぬほど好きな人に話しかけられないということは、結果論としては「沈黙の行」なんですよ。
    『おゝポポイ!』p.170
    恋 24番
    失恋が生き方を固めさせてくれたのです。
    『おゝポポイ!』p.171
    恋 25番
    もしかしたら、初恋の失恋が自己の生命を「立てた」のかもしれません。
    『おゝポポイ!』p.172
    恋 26番
    (執行の書いたラブレターの矛盾に気づいた悪漢政の言葉)後のほうに「きみ無くしては生きられない」とあるが、前のほうに「僕は、ただ一人で生きることを誇りとしている」と書いてある……。
    『おゝポポイ!』p.346
    恋 27番
    月をめざして上昇を続けるかぐや姫は、絶対に月にたどり着くことがない。それを知りながら、私は地上でじっと見つめ続けている。
    『おゝポポイ!』p.151
    恋 28番
    毎週、毎週、永遠に月へ上昇を続ける女性の夢を見ては、悲哀に打ちひしがれるという習慣がなくなったときから、なぜか人が驚くような文学論が出来るようになりました。
    『おゝポポイ!』p.151
    恋 29番
    一つ選ぶという行為は、当然ながら「偏り」を生みます。一方に偏った魂は哀しみを抱きつつ、もう一方を激しく恋せずにはいられない。
    『憂国の芸術』p.36
    恋 30番
    深遠とは、生命の悲哀を言っている。原故郷に恋い焦がれる、生命の実存である。
    『孤高のリアリズム』p.220
    恋 31番
    究極の恋とは、想い想い、そして想い続ける精神を信念にまで昇華し、それを心に秘め続けることだと言うのである。
    『「憧れ」の思想』p.38
    恋 32番
    簡単に成就するものは、恋ではない。
    『「憧れ」の思想』p.38
    恋 33番
    打算から生まれるものも、すべて恋ではない。
    『「憧れ」の思想』p.38
    恋 34番
    真の恋とは、成就し得ない悲恋なのだ。
    『「憧れ」の思想』p.38
    恋 35番
    恋に生きることが、生命を燃焼させることに(つな)がる。
    『「憧れ」の思想』p.39
    恋 36番
    恋に完成はない。
    『「憧れ」の思想』p.39
    恋 37番
    完全にわかり合える恋などはない。
    『「憧れ」の思想』p.39
    恋 38番
    恋の成就は、人生の一時点の満足に過ぎない。
    『「憧れ」の思想』p.39
    恋 39番
    恋は、本質的に悲恋である。
    『「憧れ」の思想』p.39
    恋 40番
    真に重要なのは、異性のことに限らず、到達不能なものに憧れる「焦がれうつ魂」なのだ。
    『「憧れ」の思想』p.40
    恋 41番
    「忍ぶ恋」とは、限りある人生をともしびに向けてただひたすらに歩み続けることを言う。
    『「憧れ」の思想』p.40
    恋 42番
    よく恋愛などで、相手に騙されていたと言う人がいます。自分も相手から愛されていると思ったということです。しかし、愛情は勘違いすることはありません。
    『生命の理念Ⅱ』p.160
  • 人生 ―――人生に迷ったら

    人生 1番
    我々には本当のことはほとんどわからないのだ。わからないから、人生は楽しくて面白い。
    『生くる』p.14
    人生 2番
    人の情に触れれば、それだけで人生は良い。
    『生くる』p.15
    人生 3番
    この世は、理解できなくても良いことばかりなのだ。
    『生くる』p.16
    人生 4番
    一片の赤誠が私を今日まで導いてくれた。
    『生くる』p.43
    人生 5番
    礼とは、すべての存在物との「良い関係を保つ方程式」に他ならない。
    『生くる』p.74
    人生 6番
    人生における重大決意というものは自分一人で、しかもただ(ヽヽ)でできるから有難い。
    『生くる』p.98
    人生 7番
    前進前進、改革改革、創意創意、工夫工夫。
    『生くる』p.136
    人生 8番
    理想論は、耳に心地良いが実人生を破壊する力を持つ。
    『生くる』p.143
    人生 9番
    作為は正義の仮面を被って人を洗脳し、必然を悪に見せる。
    『生くる』p.197
    人生 10番
    音楽のままに心の底から悲しみ、涙を流せば、人生とは如何に美しく楽しく、幸福に満ち満ちているものかがわかる。
    『生くる』p.304
    人生 11番
    身軽足軽、人を創らず。荷と絆は背負い続けよ。
    『生くる』目次
    人生 12番
    自分の中の汚いものと直面しなきゃ、人間は成長なんてできない。
    『魂の燃焼へ』p.26
    人生 13番
    人生ってのは一度きりだから。たった一度の人生を悔いなく燃焼させるには、ぶつかるしかない。もう、めちゃくちゃやるしかないんですよ。
    『魂の燃焼へ』p.168
    人生 14番
    自分の生命が、完全に燃え尽きるような生き方をすることだけです。その生き方の善悪や、内容は問わない。それが僕の人生哲学ですよ。
    『魂の燃焼へ』p.170
    人生 15番
    人生は、失敗も成功も関係ありません。寿命の長短も関係ない。楽しいか悲しいかも関係ないのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.104
    人生 16番
    完全燃焼、完全に灰になりきって、燃え尽きて、この世に何も無くなるまでやる。これが生き切ることに関する生命の定義であり、生き切るということのもつ唯一の真実です。
    『生命の理念Ⅰ』p.105
    人生 17番
    我々は一人一人、間違いだらけで、どうしようもない人間だが、ゆえあって、生かされている。
    『友よ』p.150
    人生 18番
    人生の悲哀と、真正面から対面して一歩も退(しりぞ)かずにいく人間にとっては、痛みもまた休息となり喜びとなる。
    『友よ』p.229
    人生 19番
    己の今が、死んだはずの過去と未来を生き返らせるのだ。
    『友よ』p.395
    人生 20番
    人は死ぬまで満たされてはならない。
    『根源へ』p.254
    人生 21番
    断じて、利口に成ってはならぬ。
    『「憧れ」の思想』p.67
    人生 22番
    この世は惜しむものであるが、その惜しむ心が強ければ強いほど、却って捨てなければならない。
    『「憧れ」の思想』p.149
    人生 23番
    未完の人生に向けて出帆しなければならない。自分の生を、宇宙へ向けて投げ捨てるのである。
    『「憧れ」の思想』p.176
    人生 24番
    自己の中で、思想として確立していないものは人生では役に立たない。
    『「憧れ」の思想』p.248
    人生 25番
    私は自己の人生そのものを、ひとつの「生命哲学」と考えている。
    『夏日烈烈』p.2
    人生 26番
    人生って、汚れて、ボロボロになって、死んでく過程だから。
    『夏日烈烈』p.232
    人生 27番
    価値がある人生があるとしたら、やっぱり汚れ方が少なかったか、汚れた中でも何か一つ、何かこれだけは守り続けたみたいなものがあるかどうかだよ。
    『夏日烈烈』p.232
    人生 28番
    計算したことというのは全部当たるんで、計算ばかりしてる人って、すごく自分のことを頭が良くて優れていると思っちゃうみたいなんだ。
    『夏日烈烈』p.252
    人生 29番
    苦悩しないよりは、苦悩したほうが健康に悪いに決まっている。しかし、人生はそれが必要なんだ。
    『夏日烈烈』p.354
    人生 30番
    皆がエネルギー回転が出来ない一番の理由は、自分の人生を有意義にしようと思ってるからなんだ。
    『夏日烈烈』p.501
    人生 31番
    本当の「人格」を有する真の人間は、昔から秘密を持ち、神秘の影が漂っていました。
    『耆に学ぶ』p.38
    人生 32番
    僕は嘘が真実(まこと)にならなければ人生ではないと思っている。
    『風の彼方へ』p.165
    人生 33番
    文明というのは苦悩ですから、苦悩の果てに何があるか、それを目指すのが人生だと思っています。
    『風の彼方へ』p.318
    人生 34番
    本当は誰の心にも、悪魔や化け物が巣食ってるんですよ。それを、どうにかして出さないようにするのが「人生の修行」じゃないか。
    『魂の燃焼へ』p.26
    人生 35番
    仕事にせよ、恋愛にせよ、人間関係にせよ、みんな人生の壁にぶち当たらなければだめだ。その中から、自分なりの答えっていうのは必ず出てくる。
    『魂の燃焼へ』p.36
    人生 36番
    人生っていうのは、答えを求めて生き続けることに尽きます。
    『魂の燃焼へ』p.41
    人生 37番
    人生はすべて自己責任で、徹底的にやるしかないんだ。がむしゃらにぶつかって、途中で何かで死んだりしたら、それはそのような人生だったと思うしかない。
    『魂の燃焼へ』p.57
    人生 38番
    成功したいやつはだめです。成功したら、人生はかえって小さくなると思ったほうがいい。
    『魂の燃焼へ』p.103
    人生 39番
    根本的に楽しいものはぜんぶ嘘なんだ。悲哀こそが生きるということであり、人生の真実であり、それを抱きしめなきゃだめなんです。
    『魂の燃焼へ』p.122
    人生 40番
    人生を生きるコツは、矛盾をどう楽しむかに尽きます。
    『魂の燃焼へ』p.192
    人生 41番
    人間だから全部は出来ない。ただ一つのことしか出来ないのです。
    『憂国の芸術』p.36
    人生 42番
    無限と永遠を志向する者は、未完で終わる人生を覚悟しなければならない。
    『孤高のリアリズム』p.207
    人生 43番
    良い事も悪い事も自分の責任でする、これが人生ではないか。
    『見よ銀幕に』p.46
    人生 44番
    人間が成長する為には少々良くない環境の方が良いのではないか。悩み考える事が人生には必要なのではないか。
    『見よ銀幕に』p.32
    人生 45番
    前人(ぜんじん)()(とう)に挑戦する事は本当の人生を生き切る者にとっては人生の本質なのだ。
    『見よ銀幕に』p.41
    人生 46番
    影に生きるとは真の人間の人生の本質を表わすものと思料する。
    『見よ銀幕に』p.66
    人生 47番
    人間は何の影に成る事も出来るのだ。その影に成るべきものを見出すのが人生の目的なのではないか。
    『見よ銀幕に』p.66
    人生 48番
    人生の涙とは影である事を知る事なのだ。
    『見よ銀幕に』p.66
    人生 49番
    神の如き信念をしても人生とは自分の思い通りには行かないのである。
    『見よ銀幕に』p.67
    人生 50番
    先達の生き方が心の中でいつでも生きて居る人は真の人生を生き切れる人である。
    『見よ銀幕に』p.77
    人生 51番
    人生は累乗の産物である。
    『生くる』目次
    人生 52番
    人生を生ききった人や、何事かを成し遂げた人で、古風でない人間は一人もいないことに気づいた。
    『生くる』p.220

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